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小さなボタンに夢幻の世界を描く。[薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏/鹿児島県垂水市]
鹿児島県垂水市途絶えてしまった希少な工芸品を情熱と試行錯誤で復活。
わずか8mmのものや、5cmほどの陶製のボタン。その中に、花が咲き乱れ、草木が生い茂り、虫や鳥たちが遊ぶ夢幻の世界が広がっています。
この『薩摩ボタン』は、江戸時代末期に薩摩藩が倒幕運動の軍資金などを得るために作らせていたという伝説があります。職人たちが技術の粋(すい)をこらし、海外のジャポニスム愛好家や美術コレクター向けの逸品として名をはせていました。
当時の生活風景や花鳥風月を生き生きと描きながらも、緻密を極めた絵付け。その美しさと希少さで、おおいに珍重されたといいます。
しかし、そんな由緒正しい『薩摩ボタン』はあまりに細かく大変な工程のために、一度は途絶えてしまいました。それを現代に蘇らせたのは、偶然その存在を知って『薩摩ボタン』の魅力に惚れ込んだひとりの女性でした。
鹿児島県垂水市偶然の出会いがたぐいまれな美術遺産を復活させた。
『薩摩ボタン』のただひとりの女性絵付け師として、国内はもちろん海外にも多くのファンを持つ室田志保氏。ですが、初めからその道を志していたわけではなく、もとは鹿児島伝統の『薩摩焼』のお茶道具を作る窯元のお弟子さんでした。
「でも、時代が変わってお茶道具そのものの需要が減っていたんです。もともと『手に職をつけて独立したい』『独自の技術を身につけて職人としてひとり立ちしたい』という想いが強くあったところに、偶然『薩摩ボタン』の存在を知りました」と室田氏は振り返ります。
そのきっかけは、鹿児島のタウン誌に掲載されていた「薩摩ボタンの復刻」の記事でした。とあるアパレル会社の社長さんが作らせたものでしたが、「同じ『薩摩焼』の業界にいたのに存在すら知らなかった。昔の鹿児島にこんなに精緻で美しいものがあったなんて!」と大きな衝撃を受けたそうです。
ひと目見て『薩摩ボタン』の虜(とりこ)となった室田氏は、「この素晴らしい伝統工芸品を自分なりの方法で復活させたい!」と決意しました。
鹿児島県垂水市その時代の逸品に触れて、更に虜(とりこ)に。
室田氏は、早速その社長さんのもとを訪れて復刻した『薩摩ボタン』を見せてもらいました。ですが、「やはり『薩摩ボタン』が実際に隆盛を極めていた時代の品を見たい!」という想いがつのり、東京の日本橋にある『ボタンの博物館』にまで足を延ばすことに。
「それはもう、大変な感銘を受けました。手のひらにちょこんと乗るくらいの小さなボタンの上に、お茶道具のお師匠さんから教えてもらった美しい絵付けがふんだんに施されていたんです。“白薩摩”の温かみのある象牙色の素地と、鮮やかな絵付けとのコントラスト。『すごい!』『綺麗!』という感想しか浮かばず、とにかくその魅力に圧倒されました」と室田氏は振り返ります。
「なんとしても、この素晴らしい伝統工芸品を復活させたい!」と決意を新たにした室田氏。ですが、一度は途絶えてしまった技術だったため、絵付けにどんな道具を使っていたのか、どんな技法を用いていたのか、といった資料すら残っていませんでした。
そこで室田氏は、自身が10年間修業して身につけた『薩摩焼』の絵付けの技法で再現することに。ボタンの素地となる「白薩摩」を作ってくれる職人も自らの足で探し出し、ようやく復活にまでこぎつけたのです。
鹿児島県垂水市一つひとつに丹念に絵付け。鮮やかな色彩で小さな宇宙を描く。
室田氏が絵付けする『薩摩ボタン』は、8mmから5cmまでと様々な大きさがあります。ですが、絵付けにかかる時間は絵柄やその密度などによって異なるといいます。「とはいえ、一旦デザインが決まれば仕上げの焼入れで窯(かま)に出入りする時間も含めて、どれも2週間ほどで仕上げます。1日に1~2個、1ヵ月に30~50個程度のペースです」と室田氏。
一つひとつ丹精込めて仕上げられた『薩摩ボタン』には、それぞれに手書きで『永久番号』がつけられます。これは、全ての作品に銘打たれる「まぎれもなく手作りの『薩摩ボタン』である」という証明。現代に蘇った特別な逸品の価値を保証してくれます。
鹿児島県垂水市大隅半島の豊かな自然が創作意欲を育む。
室田氏が絵付けに使う道具は、京都の筆工房が作っているイタチ毛の面相筆(めんそうふで)。顔料は陶器用の絵の具で、自身で混色や調整を重ねて透明度やマットさをアレンジしています。室田氏曰く、「気に入った色は繰り返し使います。特に緑青(ろくしょう)という青みがかった緑色が好きで、同系色の海碧(かいへき)も好きですね。透明度が高く鮮やかな発色が特長で、これら引き立てるために、対比となる赤もよく使います」とのこと。
好きなモチーフは、トンボのオニヤンマだそうです。「生きている本物を主人が採ってきてくれたので、それを見ながら描きました。アトリエの周りは自然が溢れていて、動物もたくさん飼っているため、この環境が創作意欲の助けになっています」と室田氏は語ります。
鹿児島県垂水市時間も距離も気にせずファンが訪れる。
これだけ丹念に絵付けされた希少品だけに、熱心なファンとなる人も多いそうです。基本的に注文はホームページから受けつけていますが、アトリエまでタクシーで駆けつけてきた外国人もいたそうです。
「『仕事で中国に行く前に東京観光に来たけど、ボタン博物館であなたの話を聞いてたまらず会いに来ました』と言われました(笑)。事前にボタン博物館の館長さんからお電話もありましたが、てっきり社交辞令だと思っていたので驚きましたね。嬉しいことに、『帰りの飛行機代がなくなってしまったよ』と冗談を言われるくらいに作品もたくさん注文していってくださいました」と室田氏。
もうひとり、長崎に仕事で駐在していた外国人が車で5時間もかけてやって来たことも。「アトリエに3時間ほど滞在されて、また5時間かけてお帰りになりました。翌日が帰国日だったそうで、『ここで手持ちの日本円を全て使って帰る!』と言われてやはりたくさん注文してくださいました」と室田氏は話してくれました。
インターネット時代の現代、好事家には時間も距離も関係ありません。あまりに大人気で注文が殺到しているため、現在は仕上がりまでにかなりの時間がかかるそうです。
室田氏曰く、「今すぐ注文して頂いても、仕上がりまでに1年ほどかかってしまいます。すぐにご要望にお答えできず申し訳ありませんが、十分な余裕を持って注文をお願い致します」とのこと。
鹿児島県垂水市愛する薩摩ボタンを自由な発想で広めていきたい。
『薩摩ボタン』は、もともと海外のコレクター向けに作られていたもの。その歴史と意義をも復活させて、再び海外の人々に珍重される存在にしていきたい――そう室田氏は考えているそうです。
「まずは多くの人々に『薩摩ボタン』の存在と歴史を知ってもらうために、コツコツと作り続けていきます。現在メインで製作しているのは花鳥風月をモチーフとした高価格帯のラインですが、今後は絵付けするベースを陶器以外の素材にも広げていきたいと考えています。まだリサーチ中ではありますが、『薩摩ボタン=陶器』と限定せずに絵付けの可能性を探っていきます」と室田氏は語ります。
かつて世界に愛された『薩摩ボタン』を、ひとりの女性が再び世界へ広める。室田氏が小さなボタンの上に描く世界は、現実の世界とリンクして広がっていきます。
Data
薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏
写真提供:薩摩ボタン絵付け師 室田志保