飛騨でこそ、つくれる、伝えられるものがある。裏にあるのは限りない飛騨愛。 [岐阜県飛騨]
岐阜県自分たちが楽しむことが、飛騨の魅力を伝える早道。
インターネットが普及し、あらゆる情報やモノが簡単に手に入るようになった現代。どういった基準でモノやコトを選択すればよいのでしょうか。こんな時代だからこそ、確かなつくり手と伝え手に出会うことは、とても贅沢なことなのかもしれません。
地産地消にこだわるスイス人と日本人の夫婦、次世代につなげる農業を目指す牛飼い、民芸運動から暮らしの在り方や生き方のヒントを得た民芸品店の店主。飛騨という土地を選び、それぞれの観点や視点でこの土地でしかつくることのできないモノや思いを伝える3人に出会いました。
3者に共通するのは、自分たちがまずは楽しむことと、限りない地元愛。彼らの自分たちらしい仕事や暮らしが、飛騨をより魅力的なものにしています。
岐阜県偶然の出会いから導かれた飛騨が、定住の地になる。
飛騨高山にある商店街で、ミューズリーの専門店『トミィミューズリー』を営むスタインマン氏と尾橋美穂氏。ミューズリーはシリアルの一種。スタインマン氏のミューズリーはオーツ麦(オートミール)のみに、ドライフルーツやナッツなどを混ぜ合わせたものです。元々はスイス人の医師が考案した健康食品のひとつとして知られ、スイスでは朝ごはんの定番だそうです。
スイス人であるスタインマン氏が高山にやってきたのは約30年前。世界を旅している中で、のちに奥様となる美穂氏とオーストラリアで出会います。ふたりはたまたま知り合った日本人から奥飛騨にある宿を仕事先として紹介してもらい、迷うことなく飛騨へ。
「飛騨は自然があり、小さな町があり、四季があるところがスイスに似ている。実は軽い気持ちで来たけど、他に行こうという気持ちには一度もならなかった」とスタインマン氏。オーストラリアという自然豊かな地で出会ったふたりは、いつしか自然に寄り添う暮らしをしたいと夢見ていたのかもしれません。偶然の出会いから導かれた飛騨でしたが、この地に足を運び、定住するのは必然だったのかもしれません。
岐阜県飛騨に恩返しがしたい。その思いが新しいことへの活力に。
奥飛騨で1年ほど働いたのち高山に移ったスタインマン氏たちは、スイス料理の店を始めます。店は一度移転をしたものの26年続き、モーニングで提供していたミューズリーはとても人気だったそう。その後タイミングや縁が重なり、2017年、現在の場所にミューズリーの専門店をオープンしました。
ここ数年、ふたりは新しい試みを開始しています。ミューズリーの主材料であるオーツ麦の栽培を始めたのです。飛騨は冷涼でオーツ麦の栽培に適していることもありますが、りんごや糀など良い素材が多いので、自分たちで育てたオーツ麦と飛騨の材料を使って商品がつくれないかと思ったのです。さらに、「飛騨に恩返しがしたい」とふたりは話します。観光客は増えても、高山に住む人は減る一方。オーツ麦の栽培が広がり、それが高山の産業のひとつになればよいと思っているのです。
とはいっても、商品化は簡単ではありません。「栽培自体は難しいことではないのですが、脱穀や籾殻を外す方法が分からない。今はまだ手探りです」と美穂氏。言葉で表現するよりも、それはきっと大変なことに違いありません。でも、今まで過ごした30年間のように、自分たちらしいやり方を模索する姿は困難ではなく、どこか楽しげなのです。
岐阜県化学肥料を使っていてはダメだ。循環型農業が地域の未来をつくる。
昔から農業や畜産業が盛んな地域でも、近年は高齢化が進み耕作放棄地が目立っているのは事実。今回訪ねた『熊﨑牧場』がある下呂市萩原町も、例外ではありません。各地で次世代につなぐ農業の仕組みとして「集落営農組織」が立ち上がって久しいですが、「この地域でも去年から集落営農が立ち上がった」と、牧場主の熊﨑光夫氏は話します。
熊﨑氏が発起人として立ち上げた「南ひだ羽根ファーム」。何よりこだわったのが、化学肥料を一切使わずに有機で作物をつくること。化学肥料を使うと一旦は収穫量が上がりますが、使い続けると土の中の必要な微生物が死んでしまい、長期的にみれば有機栽培よりも収穫量が落ちるといわれています。ですが、従来の農法に慣れた組合員の多くは有機農業に反対だったそう。循環型農業をやっていた熊﨑氏は懸念する組合員を根気強く説得し、100%有機の米づくりが始まりました。
循環型農業とは牛や鶏など家畜の糞尿から堆肥をつくり、その堆肥で野菜やお米を育て、米を収穫した後の藁や野菜のくずは家畜が食べて……と、それが繰り返される農業のことです。「昔の農業ではそれが当たり前だった。昔の米がおいしかったのは循環型農業でつくられていたからだと思っとる。あの味をもう一度復活させたい」と、熊﨑氏は力強く言います。
岐阜県牛も育てるし、米も日本酒もつくる。そこにストーリーが生まれる。
熊﨑氏が子どもの頃は、牛を飼っていた農家はめずらしくなかったそう。その頃の牛は食肉用ではなく、畑を耕したり、物を運んだりする役用だったといいます。それが機械化により役用牛は衰退。そこから循環型農業は姿を消していきました。
将来は牛を飼って生計を立てたいと思っていた熊﨑氏は、高校は畜産科に進み、農業大学校、北海道で酪農を学んだ後、飛騨牛の繁殖を手がけることに。「野菜や米をつくる農家と違って牛飼いは簡単な仕事ではない。おまけに、設備投資など相当のお金もかかる。家族に迷惑をかけたこともあるけど、それでも続けているのは楽しいから。繁殖は子育てと一緒。子育てはたいへんだけど、やっぱり楽しいでしょ(笑)」と熊﨑氏は本当に楽しそうです。
熊﨑氏が育てる牛は繁殖牛ですが、ここ6年くらいは経産牛をつぶして食肉にしています。基本的には他に卸さず、年に1日限り店をオープンさせ販売しています。雑草を含んだ牧草を食べた牛は健康で、さらに無駄な肥育をしていないため味は格別なのだとか。また、地域の人たちと一緒に自分たちでつくったお米を使って、日本酒造りも行っています。
あらゆるものが簡単につくられ、簡単に手に入る世の中で、熊﨑氏が目指す農業は時代と逆行しているのかもしれません。でも、誰がどこでどんな風につくったか、そこにひとつのストーリーが生まれます。その価値に、私たちは気づかねばなりません。
岐阜県民芸運動との出会いが、人生をがらりと変えた。
情緒ある古いまち並みが残る飛騨高山の中心地から国道41号線を北西へ。10分も車を走らせれば、緑が濃い山々が目に入ります。その先さらに10分ちょっと。里山らしい景色が広がってきたところに現れる一軒の古民家が、『やわい屋』です。築150年の家を移築し、自宅の一角を店に。民芸や古本などを扱っています。
店主の朝倉圭一氏は高山市出身で、20代の頃は愛知県で働いていました。十数年前に高山に戻ってきましたが、当時は今の暮らしとは仕事も住まいも真逆。会社員として勤め、アパートメントに住んでいたそうです。何かが違うと思っていたものの、その答えは見つからなかったといいます。
人文学や社会学、郷土史に興味を持ち、たくさんの本を読む中で出会ったのが思想家の柳宗悦であり、民芸運動でした。民芸運動は「用の美」や「機能美」ばかりがクローズアップされがちですが、本来の趣旨は日々の暮らしに価値を見出して、より豊かな暮らしを実現していくこと。ひとり一人が個性を発揮しながら生きていける社会をつくるその考え方に共感した朝倉氏は、今の暮らしにヒントを見つけました。
岐阜県ケの部分にこそある美しさ。飛騨で古民家に住むことの意味。
「古民家に暮らしたいとか民芸品店をやりたいとか、そうではなく飛騨高山らしい暮らしと仕事は何かということをずっと考えていました。民芸運動と出会ってハレとケの、ケの部分にこそ日々の美しさがあると感じたのです」と朝倉氏。それを伝える手段として、結果的に古民家に住むことになったといいます。
古民家は日々の普通の暮らしを営む人とともに育ち、その土地に根ざします。朝倉氏と話している中で、何度なく出てきた「普通に暮らしたい」という言葉。地元らしさや普通の暮らしにこだわった気持ちの表れが、朝倉氏たちを飛騨や古民家での暮らしに導いたのでしょう。 民芸のうつわと古本の販売も、それが始めからやりたかったというよりは、古民家に合うものを考えた末に自然にそうなったといいます。それでも、高山には民芸にゆかりがある人が多く訪れ、民芸館や関連が深い家具メーカーもあり、今のようなスタイルは飛騨高山だからこそ、自分たちだからこそできることではないかと考えています。
「こういう仕事のやり方や暮らし方がある。自分たちのような生き方が、新しい生き方のひとつとして感じてもらえればいいと思っています。でもそれはひとつの選択肢であり、これが絶対ではないとも思っています」と朝倉氏は話します。
Data
トミィミューズリー
住所:〒506-0011 岐阜県高山市本町4-60 MAP
電話:080-6975-4013
南ひだ羽根ファーム
住所:〒509-2506 岐阜県下呂市萩原町羽根1926 MAP
やわい屋
住所:〒509-4121 岐阜県高山市国府町宇津江1372-2 MAP
電話:0577-77-9574
日々
熊本展、連日沢山お越し頂いているようです^ ^嬉しいなぁ〜 ありがとうございます😊 展覧会は明日まで ぜひ、お越しください。