
ブランドを生んだ夫の後を継いで活躍する矢野氏。
徳島県鳴門市
徳島県の特産品である『藍染め』とともに発展した『大谷焼』の里、徳島県鳴門市大麻町。この地で最も古い歴史を持つ窯元『矢野陶苑』から誕生し、業界に新鮮な驚きを与えたのが、矢野実穂氏が率いる陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』です。後編では、拠点とする大麻町やルーツである『大谷焼』の歴史から、矢野氏の経歴、ブランド誕生までの道のりをたどります。(前編はコチラ)

『大谷焼』の里で最も長い歴史を誇る『矢野陶苑』。
徳島県鳴門市徳島県の名産品・『藍染め』ともに発展した伝統工芸『大谷焼』。
徳島駅から電車で約20分。町中とは打って変わって、穏やかな田園風景の中に佇む阿波大谷駅を降りると、そこは『大谷焼』の里、鳴門市大麻町大谷です。この地で『大谷焼』が誕生したのは約230年前。徳島県の名産品として知られる『藍染め』の藍を発酵し、染料にするために使われる『藍甕(あいがめ)』をはじめ、醤油や酒を入れるための甕(かめ)、睡蓮鉢など、大型の陶器を得意とし発展してきました。
鉄分が多い大谷の土を使って作られる『大谷焼』は、ザラッとした風合いとかすかに金属のような光沢を感じさせる質感が特徴です。素朴な土の味わいを感じられる焼き物です。また、時代の流れに合わせて、ここ数十年は大型の甕(かめ)や睡蓮鉢だけではなく、湯呑みや茶碗など日常使いの食器やインテリア雑器など、より実用的な製品も多く作られています。

『大谷焼』の原点である、巨大な甕(かめ)。

独特の風合いを醸し出す、大きな睡蓮鉢も。

近年は小型の酒器など、日常使いの器も。

味わい深い湯呑みや茶碗なども数多く見られる。
徳島県鳴門市紆余曲折を経て、陶芸の世界へと足を踏み入れた5代目夫婦。
『SUEKI CERAMICS』の生みの親である矢野氏の夫・耕市郎氏は、130年以上続く窯元『矢野陶苑』の5代目です。『大谷焼』の里では最も長く続く、歴史ある窯元で生まれ育ちました。しかし、高校卒業後は大阪の大学に進学。デザインや映像などを学び、そのまま大阪に残ってウェブデザイナーとして働いていました。その前には一時プロフェッショナルを目指し、ドラマーとして音楽活動も行っていたそうです。
それでも3年ほど経った頃から、やはり陶芸の方が向いているのではないかと思うようになった耕市郎氏。当時はウェブデザイナーといっても、職場はネットショップの経営をしている会社で、デザインよりはオペレーション作業を担当していました。毎日大量に届く注文メールをさばいて、商品を発注して……ということを繰り返しているうちに、ものづくりの道、中でも最も身近である陶芸の道への想いが募っていったのです。幼い頃から父親の姿を間近に見ながら、遊びの一環とはいえ本物の土を触り、人形や器を作ってきた経歴を考えると、とても自然な流れに思えます。
そうして今から9年前の2009年、耕市郎氏は妻の実穂氏と子供を連れてUターンしました。「私は兵庫県出身で、陶芸とは無縁の環境で育ちました。大学卒業後も全く関係ない職業に就いていたので、まさか徳島県に移住し、陶芸の道に進むことになるとは夢にも思いませんでしたね」と実穂氏は当時を振り返ります。
なお、耕市郎氏の父親である4代目は、『大谷焼』で初めて作家として成功した人物だそうです。人間国宝も所属する日本工芸会の四国支部の幹部を務めています。そんな父親が最も活躍した時期、耕市郎氏が小学生だった30~40年ほど前は、ちょうどバブルや陶芸ブームも重なったタイミングでした。時代の後押しもあって、『矢野陶苑』は順風満帆だったそうです。こうした良い時代のイメージが頭に残っていたこともあり、「さすがに当時ほどの勢いはなくても、ある程度なんとかなるだろう」と楽観的に考えていたといいます。

『矢野陶苑』の5代目、耕市郎氏(右)と実穂氏(左)。

広大な敷地には、工程ごとにいくつもの工房が。

130年以上使い続ける、希少価値の高い大きな登り窯。

窯の中に、今も現役で作陶している4代目の作品を発見。
徳島県鳴門市作家ではなくメーカーとして、面白いプロダクトを生み出したい。
実家に舞い戻り、新たに仕事として陶芸に取り組むことになった耕市郎氏。父親の成功体験をイメージしながらのスタートだったものの、想像以上に厳しい産地の現状を目の当たりにし、すぐに当初の考えの甘さを痛感することになりました。『大谷焼』の窯元は、最盛期には町に数十軒も点在していたものの、残っているのはたったの7軒。「それぞれの窯元が、時代の流れ、消費者のニーズの変化に合わせて、大型の甕(かめ)や鉢ばかりではなく日常使いの食器なども手がけるようになってはいました。それでも、ずっと厳しい状況が続いていたんですよね。芸術品のひとつとして、この地までわざわざ買い求めに来てくださる方もどんどん減っていて。産地としての規模は年々縮小し、私たちが移り住んだ時にはまさに底辺。最盛期の約4分の1にまで落ち込んでいました」と実穂氏は話します。
そんな中、耕市郎氏はまず父親と同じく作家活動をスタート。東京での展示会の機会などにも恵まれましたが、徐々に自身の作家活動に疑問を抱き、プロダクトの製造へとシフトするようになりました。耕市郎氏は磁器で作った器など色々と試みますが、何を作ってもダメで、相手にされなかったといいます。「ショップ関係の方などには、『大谷焼』の方が良いと言われたようです。正直、皆さんは『大谷焼』なんて見たこともないはずなんですけどね(笑)。なんとなく『大谷焼』のストーリー性に惹かれるのか、そういう反応でした。それならばということで、大谷の土や徳島の青石を使ったものづくりを始めたところ、少しずつ目に留めてもらえるようになったんです」と実穂氏。
耕市郎氏が目指したのは、作家が作るアートと、メーカーが作るプロダクトの間を取ったような存在。作家の一点モノではなく、メーカーの大量生産品だけれど、既存のプロダクトとはちょっと違うものを生み出すことで、多くの人に使ってもらい、多くの人に影響を与えたい。そういった思いで、最初は自らろくろを回してプロダクトを作り、それを持って営業活動を行っていました。しかし、これでは量産できず商売にならないということで、ろくろではなくある程度の技術があれば、誰でも製作可能な型を使った製造方法に思い切って変えることに。『大谷焼』はろくろで作るものであり、その伝統から考えると邪道でしたが、大谷の土や徳島の青石を使うことで、地元の素材を生かしたストーリー性のあるものづくりとして認められるのではないかと、果敢に挑戦したのです。「とにかく当時の主人は、地元に戻ってきた以上、何かしら成し遂げなければ!と必死に試行錯誤していました」と実穂氏は語ります。
こうして、歴史ある窯元に身を置きながら、新しいスタイルのものづくりを模索。約2年という準備期間を経て、2012年に新たな陶器メーカーとして『SUEKI』を立ち上げ、『SUEKI CERAMICS』を生み出したのです。それから、作家のように自由な発想で、メーカーのようにきちんとした安定的なものづくりを行う『SUEKI』のプロダクトが注目を浴びるのに、そう時間はかかりませんでした。

広大な敷地の一角に、大谷の土が集められる。

土の加工場。巨大な機械で大量の土が加工される。

ろくろでの製造に代わり、新たに導入された型。
徳島県鳴門市理想の実現を目指して、感覚ではなく理論立てて考え、着実に販路を拡大。
『SUEKI CERAMICS』の成功には、独自性溢れるプロダクト自体の魅力はもちろん、耕市郎氏によるブランディングや販売戦略によるところも大きいといえます。実穂氏曰く、「いわゆる業界のトップの方と仕事をすることで、認知度を拡大していきました」とのこと。例えば、ブランドを立ち上げて最初にアポイントメントを取った相手は、東京でハイセンスなインテリアショップやカフェを運営する企業『Landscape Products』の代表・中原慎一郎氏でした。中原氏は『SUEKI CERAMICS』のヒントになった『ヒースセラミックス』をいち早く扱っていたこともあり、耕市郎氏は「この人に認められれば間違いない!」という想いでアプローチをしていきました。すると、その3ヵ月後には、国内外の様々なブランドのPR業務を行う『alpha PR』代表のクリエイティブディレクター・南 貴之氏からコンタクトが。『SUEKI CERAMICS』のPRを手伝わせてほしいという逆オファーを受けました。そこから更に勢いは加速。一流のセレクトショップや飲食店などから、『SUEKI CERAMICS』を取り扱いたいというオファーが続々と寄せられ、現在にいたります。
元来、耕市郎氏は物事を理論立てて考えることが好きな性格だとか。パズルのピースをひとつずつ組み上げていくように、頭の中で思考を完全に整理してから、物事を進めていくタイプなのです。だからこそ、前述のとおり釉薬の研究も根気強く、地道に楽しみながら取り組めたというもの。そして、ブランド運営においても、どのように舵を切ればどのような発展が可能になるのか、じっくりと策を練り行動に移したことで、成功を収めたのです。「主人は、これを作りたい!というのではなく、どういうものづくりをすればどういった人に受け入れてもらえるのかということを考えて、プロダクトのラインナップや、一つひとつの製品の色や形といったデザインの設計、製造方法や販路拡大の計画を立てていました。だから、やっぱり作家ではなくメーカーですよね。メーカーだけど、自由でアート性の高いメーカー。その実現に向けて、スタートからゴールまで徹底的に、具体的に想定して実行に移していったんです」と実穂氏は話します。

耕市郎氏が確立したブランドを、実穂氏が更に高みへ。

どのような料理にも合い、飲食店からも引く手あまた。(写真/濱田英明、料理/丸山智博)
徳島県鳴門市ブランド設立後初の大幅リニューアルを追い風に、更なる飛躍を。
試行錯誤の末に生まれ、順調に発展してきた『SUEKI CERAMICS』。その成功と高い人気を受けて、全国的にマットな質感の器を作るメーカーも増えたそうです。そしてもちろん、2018年5月のリニューアル後も勢いは留まるところを知らず、東京・日比谷にニューオープンした注目の商業施設『日比谷ミッドタウン』でも人気に。出店しているセレクトショップで販売されている他、飲食店でも使用する器の一部に採用されています。
実穂氏曰く、「『大谷焼』の窯元のうち、主人や私と同世代の若手が引き継いでいる所が4軒ほどあるのですが、皆さん地場産業的にしかやっていないんですよね。うちだけが唯一、毛色の違うことをやっているという状態」とのこと。その現実は、伝統を守りながら新しいことに挑戦するということがどれほど大変なのかを物語っているようです。それでも「これからも主人がつないできた縁を大切に、一流の方々と一流の仕事をしていきたいです。これまで培ってきた中に私らしさも加えながら、楽しく続けていきたいと思っています」と笑顔で話す実穂氏。『SUEKI CERAMICS』は、まだまだこれから新たな道を切り開いていくことでしょう。
Data
矢野陶苑/SUEKI CERAMICS
住所:〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町大谷字久原71-1 MAP
電話: 088-660-2533
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始
http://sue-ki.com/

兵庫県出身。130年以上の歴史を持つ『大谷焼』の窯元、『矢野陶苑』の5代目・矢野耕市郎氏の妻となったことから、少しずつ作陶の道へ。当初は簡単なサポートのみだったが、2012年に耕市郎氏が『SUEKI CERAMICS』を立ち上げて以降、同ブランドの製造にも携わるようになった。そして2018年5月、耕市郎氏からブランド運営を継承。女性ならではの感性も加えながら、デザインから製造までトータルに携わり、新たなブランド構築を図っている。