アートは、地域に「気付き」を与えてくれる。[BEPPU PROJECT/大分県別府市]

Anish Kapoor/「Sky Mirror」/2006/Photo:Seong Kwon Photography/(c) Anish Kapoor, 2018

大分県別府市湯けむりの街、アートの街、別府。

「別府がアートの街になっている」。メディアでそう耳にしたり、実際に行ったりして、街のあちこちにアートやデザインが溶け込んでいる様子に触れたことがある人も多いと思います。

「アートの力で地域活性」が決まり文句となるずっと前から、別府ではアートの力で街を変えようという運動が起こっていました。今回は、そんなアートプロジェクトが生まれた背景と、そのユニークで斬新な発想の根幹となるものについて探ってみました。

西野 達/「油屋ホテル」/2017/Photo:脇屋伸光/(c)混浴温泉世界実行委員会

大分県別府市年間を通して大小100ほどのプロジェクトを手がけるアートNPO。

2009年から2015年まで3回行われた別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」や、アーティストが暮らす「清島アパート」、古い建物のギャラリーやショップ、宿への利活用など、別府はここ10年ほどで「アートの息づく街」という印象が強まりました。

それらを手がけているのは、『BEPPU PROJECT』。2005年に発足し、アーティストでありアートプロデューサーの山出淳也氏が代表を務めるNPO法人です。

「別府のトキワ荘」的存在の清島アパート。

大分県別府市「その風景を見てみたい」という思いから始まった。

端的に言うとこのプロジェクトは「地域経済を活性化させよう!」という社会的意義よりも、「この作家が別府を舞台に作品を作ったらどうなるんだろう」という山出氏の個人的興味から生まれたものでした。しかし誤解してはいけないのは、山出氏はもともとキュレーター的な素質を持っており、日本人にはないグローバルな発想の持ち主だったということです。

1970年に大分で生まれ、「興味のあることはやってみなければ納得しない」という性格。高校時代からイベントを友人たちと開催し、横のつながりを広げていったといいます。そして美術の専門教育を受けたことがないのにもかかわらず、高校卒業後に自分で描いた絵の展覧会を開いたところ、20点ほどの作品が完売。それを元手にイギリスやイタリアに留学、その後は「台北ビエンナーレ」などの国際展に参加し、国から国へと飛び回って国際的なアートシーンの中で活躍していました。

山出氏(写真)が率いる「BEPPU PROJECT」の職員は15人ほど。

大分県別府市別府には果てしない「伸びしろ」がある。

しかし2003年頃、自分の仕事のあり方を見つめ直そうとした時、ちょうどインターネットで別府についての記事を目にしました。それは、「別府のホテル経営者が個人宿泊者対象の路地裏散策ツアーを始めた」というもの。山出氏が小さい頃に両親に連れられて行った別府といえば、旅館は団体客でいっぱいで、浴衣を着たお客たちが浴衣姿で笑い、時には大声で歌い、賑々しく夜の温泉街を闊歩するイメージがあったそうです。その団体で成り立っていた別府が個人向けに視点を切り替えた背景には何かがあるはずー。

別府は戦災を免れたため街には趣深い建物や商店が数多く残り、古い路地のあちこちに公共温泉があります。また移住者や旅行者を日常的に受け入れてきた背景から、地元の人もよその人を優しく受け入れてくれる土壌がある場所。山出氏は別府という街そのものに限りない魅力と可能性があることを確信し、帰国を決意。別府で芸術祭を開くという目的で『BEPPU PROJECT』を立ち上げ、「混浴温泉世界」の実現に向けて動き出しました。

「別府という街はどこかセンシュアス(官能的)でもある」と山出氏。

大分県別府市「芸術祭」とは街の課題を洗い出すためのもの。

1回目の「混浴温泉世界」はパスポートと地図を片手に温泉、港、商店街、神社などに点在するアート作品を巡る芸術祭でした。最初の計画では1回のみで終える予定でしたが、開催の準備過程で、街にある「課題」が次々に見えてきたと山出氏は話します。外国人対応や宿泊施設といった対観光客の問題から、人材育成、空き家、後継者不足といった暮らしにかかわる問題。

山出氏は芸術祭とは一度打ち上げて終わる花火ではなく、街の課題を解決しながら、インフラや暮らしをより良い方向へマネジメントしていく長期的なコンサル活動のようなものだと考えていました。

宮島達男/「Hundred Life Houses」/2014/Photo:久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会

大分産の商品を紹介する「OitaMade」など地域産品プロジェクトも。

大分県別府市存続のために、終わりを決めていた。

「混浴温泉世界」は全国的に注目を浴びていたにも関わらず、3回目で終わることが決められていました。「大事なのは会期が終わった後なんです」と山出氏。『BEPPU PROJECT』が芸術祭と並行して手がけてきた事業は、空き家利活用やアーティストの活動支援、企業のブランディング、お土産商品の開発など多岐にわたります。別府では、芸術祭を通じて地域の課題を抽出し、会期終了後にその解決を図る事業を展開してきました。そして次の芸術祭でその成果を測るとともに、これまで行ってきた事業の発展や新たな課題の解決に向けてすべきことを見出すためのいわばマーケティングの場ととらえ、芸術祭を継続開催。芸術祭を継続することで、永続的な課題の解決を目指す。それが真の意味での「アートによる地域活性」といえるのかもしれません。またこの取り組みをモデルケースとして、別府以外の地域でも、「国東半島芸術祭」やトイレを舞台・テーマにした「おおいたトイレンナーレ2015」などアートイベントを展開してきました。

チームラボ/「花と人、コントロールできないけれども、共に生きる Kunisaki Peninsula」/2014
撮影:久保貴史(C)国東半島芸術祭 実行委員会

東野祥子ほか/「楠銀天街劇場」/2012/Photo:久保貴史/(C)混浴温泉世界実行委員会

大分県別府市大家の遺志を継いだアーティストレジデンス。

芸術祭のコンテンツの一つが「継続的な地域プロジェクト」へとシフトした例もあります。それが、「清島アパート」です。「混浴温泉世界」のプログラムの1つとして、戦後すぐに建てられた元下宿アパートが若手アーティストによる滞在制作・展示空間に変身。この時の参加クリエイターの中から清島アパートでの居住・制作を継続したいと希望する人々が現れ、芸術祭終了後も清島アパートは続くことになりました。現在は6期目を迎え、画家や服作家、現代美術作家など新進気鋭の9組が居住。一般の人も参加できる展示会や交流イベントも開かれ、地域からは「身近にアートに触れられる場所」として親しまれています。芸術祭を通じてアーティストとの親交が深まっていた大家さんは、「アーティストの活動の場として維持してほしい」と『BEPPU PROJECT』にアパートの運営を委ねました。数年前に大家さんは亡くなりましたが、その遺志は今も受け継がれています。

アパートの居住は公募によって決定する。毎年多くの応募があるという。

大分県別府市「前例がない」はやらない理由にはならない。

何かのムーブメントを起こす人に共通しているのは、「社会を変えよう」という正義感よりも「自分が好きだからやりたい」という純粋な夢が原動力になっていることではないでしょうか。加えて、人並み以上の行動力。普通の人が「できない」「無理」と考える前に、まずやってみるという人が多いような気がします 。

「やれるかやれないかじゃなく、やるかやらないかが大事」と山出氏。次は別府で何が始まるのかー? プロジェクトのたびに洗練されていく別府を見て、私たちは「アートの力」の大きさを実感することでしょう。

小沢剛/「バベルの塔イン別府 <別府タワーのネオン広告「アサヒビール」を使った作品>」/2012/Photo:草本利枝/(C)混浴温泉世界実行委員会

クリスチャン・マークレー/「火と水」/2012/Photo:久保貴史/(C)混浴温泉世界実行委員会

Data
BEPPU PROJECT

住所:大分県別府市野口元町2-35 菅建材ビル2階 MAP
電話:0977-22-3560
http://www.beppuproject.com/