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手筒花火の翌日は盛大な打ち上げ花火大会。[豊橋祇園祭/愛知県豊橋市]
愛知県豊橋市地元の男衆によって打ち上げられる華やかな花火たち。
2017年にこのコラムで愛知県豊橋市吉田神社にて開催される手筒花火を紹介しましたが、今回はその手筒花火の翌日に開催される打ち上げ花火大会を紹介したいと思います。
手筒花火が奉納される吉田神社の脇を流れる豊川河畔を会場として行われるこの花火大会は、手筒花火同様に吉田神社の氏子の男衆の手によって打ち上げられます。これは全国的にも類を見ないケースだと思います。打ち上げに従事する男衆は事前に講習を受け、火薬を扱い、花火を打ち上げるための資格を取得します。
愛知県豊橋市日ごろの職業はまちまち、でもこの日だけは花火師になる。
打ち上げ場所は幅広く、ワイドスターマインは時に音楽とともに楽しく盛大に繰り広げられます。花火の打ち上げプログラムは町内ごとに進められます。吉田神社の氏子である八ヶ町と呼ばれる八つの町の男衆が、それぞれ自分たちの町内のプログラムにある花火を、自らの手で打ち上げ進行していきます。日ごろは会社員や商店の店主、あるいは役所の職員など様々な職業の男衆が一致団結し見事な花火を打ち上げます。少し離れた吉田城の方角からも単発花火がゆっくりゆっくりと常に打ち上げられています。地元豊橋市の豊橋煙火さんが大型プログラムの打ち上げと監督を務めます。
愛知県豊橋市なかなか見ることができない金魚花火。
もうひとつの大きな特徴は、川舞台と呼ばれ豊川に浮かべられる花火打上台船です。小型の台船が町内ごとに浮かべられており、時には町内ごとに、時には八ヶ町全体が力を合わせて一緒に打ち上げます。台船上では手筒花火の放揚(ほうよう)も行われ、前日の吉田神社境内での放揚とはまたひと味違った風情を感じさせてくれます。川舞台では、近年なかなか見ることができなくなった金魚花火も打ち上げられます。男衆が川舞台で点火した金魚花火を一つひとつ川に投げ入れると、花火は川面をチカチカと輝きながらあたかも金魚が泳いでいるかのように可愛らしくスイスイと動き回り、観客たちを楽しませます。最後は明るい火花を散らしながらパチンとはじけます。
豊橋市には「稲荷寿し」で有名な『壺屋』というお弁当屋さんがありますが、花火大会の日には手筒花火弁当もお勧めです。パッケージには手筒花火をあしらい、2段重ねのお弁当箱にはおかずの段と打ち上げ花火をイメージした海苔巻きの段があり、見た目も楽しいお弁当です。もちろん味も美味しいですよ。
Data
豊橋祇園祭
日時:2018年7月21日(土)、7月22日(日)18:00〜
場所:吉田神社境内/豊川河畔 MAP
豊橋祇園祭HP:https://www.toyohashigion.org/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD/%E8%8A%B1%E7%81%AB%E5%A4%A7%E4%BC%9A-%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E7%95%94/
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1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751
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小さなボタンに夢幻の世界を描く。[薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏/鹿児島県垂水市]
鹿児島県垂水市途絶えてしまった希少な工芸品を情熱と試行錯誤で復活。
わずか8mmのものや、5cmほどの陶製のボタン。その中に、花が咲き乱れ、草木が生い茂り、虫や鳥たちが遊ぶ夢幻の世界が広がっています。
この『薩摩ボタン』は、江戸時代末期に薩摩藩が倒幕運動の軍資金などを得るために作らせていたという伝説があります。職人たちが技術の粋(すい)をこらし、海外のジャポニスム愛好家や美術コレクター向けの逸品として名をはせていました。
当時の生活風景や花鳥風月を生き生きと描きながらも、緻密を極めた絵付け。その美しさと希少さで、おおいに珍重されたといいます。
しかし、そんな由緒正しい『薩摩ボタン』はあまりに細かく大変な工程のために、一度は途絶えてしまいました。それを現代に蘇らせたのは、偶然その存在を知って『薩摩ボタン』の魅力に惚れ込んだひとりの女性でした。
鹿児島県垂水市偶然の出会いがたぐいまれな美術遺産を復活させた。
『薩摩ボタン』のただひとりの女性絵付け師として、国内はもちろん海外にも多くのファンを持つ室田志保氏。ですが、初めからその道を志していたわけではなく、もとは鹿児島伝統の『薩摩焼』のお茶道具を作る窯元のお弟子さんでした。
「でも、時代が変わってお茶道具そのものの需要が減っていたんです。もともと『手に職をつけて独立したい』『独自の技術を身につけて職人としてひとり立ちしたい』という想いが強くあったところに、偶然『薩摩ボタン』の存在を知りました」と室田氏は振り返ります。
そのきっかけは、鹿児島のタウン誌に掲載されていた「薩摩ボタンの復刻」の記事でした。とあるアパレル会社の社長さんが作らせたものでしたが、「同じ『薩摩焼』の業界にいたのに存在すら知らなかった。昔の鹿児島にこんなに精緻で美しいものがあったなんて!」と大きな衝撃を受けたそうです。
ひと目見て『薩摩ボタン』の虜(とりこ)となった室田氏は、「この素晴らしい伝統工芸品を自分なりの方法で復活させたい!」と決意しました。
鹿児島県垂水市その時代の逸品に触れて、更に虜(とりこ)に。
室田氏は、早速その社長さんのもとを訪れて復刻した『薩摩ボタン』を見せてもらいました。ですが、「やはり『薩摩ボタン』が実際に隆盛を極めていた時代の品を見たい!」という想いがつのり、東京の日本橋にある『ボタンの博物館』にまで足を延ばすことに。
「それはもう、大変な感銘を受けました。手のひらにちょこんと乗るくらいの小さなボタンの上に、お茶道具のお師匠さんから教えてもらった美しい絵付けがふんだんに施されていたんです。“白薩摩”の温かみのある象牙色の素地と、鮮やかな絵付けとのコントラスト。『すごい!』『綺麗!』という感想しか浮かばず、とにかくその魅力に圧倒されました」と室田氏は振り返ります。
「なんとしても、この素晴らしい伝統工芸品を復活させたい!」と決意を新たにした室田氏。ですが、一度は途絶えてしまった技術だったため、絵付けにどんな道具を使っていたのか、どんな技法を用いていたのか、といった資料すら残っていませんでした。
そこで室田氏は、自身が10年間修業して身につけた『薩摩焼』の絵付けの技法で再現することに。ボタンの素地となる「白薩摩」を作ってくれる職人も自らの足で探し出し、ようやく復活にまでこぎつけたのです。
鹿児島県垂水市一つひとつに丹念に絵付け。鮮やかな色彩で小さな宇宙を描く。
室田氏が絵付けする『薩摩ボタン』は、8mmから5cmまでと様々な大きさがあります。ですが、絵付けにかかる時間は絵柄やその密度などによって異なるといいます。「とはいえ、一旦デザインが決まれば仕上げの焼入れで窯(かま)に出入りする時間も含めて、どれも2週間ほどで仕上げます。1日に1~2個、1ヵ月に30~50個程度のペースです」と室田氏。
一つひとつ丹精込めて仕上げられた『薩摩ボタン』には、それぞれに手書きで『永久番号』がつけられます。これは、全ての作品に銘打たれる「まぎれもなく手作りの『薩摩ボタン』である」という証明。現代に蘇った特別な逸品の価値を保証してくれます。
鹿児島県垂水市大隅半島の豊かな自然が創作意欲を育む。
室田氏が絵付けに使う道具は、京都の筆工房が作っているイタチ毛の面相筆(めんそうふで)。顔料は陶器用の絵の具で、自身で混色や調整を重ねて透明度やマットさをアレンジしています。室田氏曰く、「気に入った色は繰り返し使います。特に緑青(ろくしょう)という青みがかった緑色が好きで、同系色の海碧(かいへき)も好きですね。透明度が高く鮮やかな発色が特長で、これら引き立てるために、対比となる赤もよく使います」とのこと。
好きなモチーフは、トンボのオニヤンマだそうです。「生きている本物を主人が採ってきてくれたので、それを見ながら描きました。アトリエの周りは自然が溢れていて、動物もたくさん飼っているため、この環境が創作意欲の助けになっています」と室田氏は語ります。
鹿児島県垂水市時間も距離も気にせずファンが訪れる。
これだけ丹念に絵付けされた希少品だけに、熱心なファンとなる人も多いそうです。基本的に注文はホームページから受けつけていますが、アトリエまでタクシーで駆けつけてきた外国人もいたそうです。
「『仕事で中国に行く前に東京観光に来たけど、ボタン博物館であなたの話を聞いてたまらず会いに来ました』と言われました(笑)。事前にボタン博物館の館長さんからお電話もありましたが、てっきり社交辞令だと思っていたので驚きましたね。嬉しいことに、『帰りの飛行機代がなくなってしまったよ』と冗談を言われるくらいに作品もたくさん注文していってくださいました」と室田氏。
もうひとり、長崎に仕事で駐在していた外国人が車で5時間もかけてやって来たことも。「アトリエに3時間ほど滞在されて、また5時間かけてお帰りになりました。翌日が帰国日だったそうで、『ここで手持ちの日本円を全て使って帰る!』と言われてやはりたくさん注文してくださいました」と室田氏は話してくれました。
インターネット時代の現代、好事家には時間も距離も関係ありません。あまりに大人気で注文が殺到しているため、現在は仕上がりまでにかなりの時間がかかるそうです。
室田氏曰く、「今すぐ注文して頂いても、仕上がりまでに1年ほどかかってしまいます。すぐにご要望にお答えできず申し訳ありませんが、十分な余裕を持って注文をお願い致します」とのこと。
鹿児島県垂水市愛する薩摩ボタンを自由な発想で広めていきたい。
『薩摩ボタン』は、もともと海外のコレクター向けに作られていたもの。その歴史と意義をも復活させて、再び海外の人々に珍重される存在にしていきたい――そう室田氏は考えているそうです。
「まずは多くの人々に『薩摩ボタン』の存在と歴史を知ってもらうために、コツコツと作り続けていきます。現在メインで製作しているのは花鳥風月をモチーフとした高価格帯のラインですが、今後は絵付けするベースを陶器以外の素材にも広げていきたいと考えています。まだリサーチ中ではありますが、『薩摩ボタン=陶器』と限定せずに絵付けの可能性を探っていきます」と室田氏は語ります。
かつて世界に愛された『薩摩ボタン』を、ひとりの女性が再び世界へ広める。室田氏が小さなボタンの上に描く世界は、現実の世界とリンクして広がっていきます。
Data
薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏
写真提供:薩摩ボタン絵付け師 室田志保
日々
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日々
子供たちの未来に少しでも多くの「しずく」を残すために。[SHIZQ(神山しずくプロジェクト)/徳島県神山町]
徳島県神山町杉の欠点を美点に。デザインと職人技のコラボレーションでかつてない器が生まれた。
赤と白のコントラストが美しい木目と、手にも口にもしっくりなじむユニバーサルなデザイン。使う人の心までも豊かにしてくれるこの器は、木工業界では常識はずれの杉から作られたもの。柔らかく繊細な木質と鮮やかな木目は、材木としては無価値だと木工業界ではいわれてきました。ですが、この欠点ともいえる特徴が、食器としてはまれな魅力になったのです。
徳島県の山あいに位置する神山町から始まった、間伐材の活用プロジェクト。地域の重要な水源地である山の手入れから生まれた杉材を原料に、徳島の職人技を結集して、かつてない木の器が誕生しました。
徳島県神山町人工林を自然の姿に戻し、地域の水源を守る。
緑輝く初夏を迎えて、日本の山々はいっそうその美しさを増しています。ですが、一見豊かに見える山々が、実は自然な環境ではなく人工的に造り出されたものだとしたらどうでしょうか? しかも本来の自然のシステムを歪めていて、未来をおびやかすほどの影響を与えているとしたらどうなるでしょうか?
そんな矛盾と問題に気付き、里山を未来に残すために奮闘しているのが、キネトスコープ社代表の廣瀬圭治(ひろせ・きよはる)氏です。大阪でデザイナーとして活躍していた廣瀬氏は、2012年に神山町の自然に魅了され、サテライトオフィスを開設すると同時に、家族とともにこの地に移住してきました。
徳島県神山町魅了された山は人工のものだった。それが里山の水源までおびやかしていた、という衝撃。
「ですが、魅力的に見えた神山町の自然が実は人工林だったと知ったんです。しかもかつて国が推奨していた林業の衰退に伴い、手入れが行き届かなくなって、密集した木々が日光をさえぎってしまっていた。そのため下草が生えなくなり、杉は常緑樹で落葉しないため腐葉土もできにくくなって、硬くなった土が雨を吸い込まなくなっていたんです。山の保水力が劇的に衰え、山から川に流れ込む水量が年々減っていると聞きました。これは大変な問題だ、と気付いたんです」と廣瀬氏は語ります。
神山町には年間2,000mmもの雨が降りますが、町を流れる鮎喰川の水量は、30年前と比べて3割にまで落ち込んでしまいました。そこで廣瀬氏は、密集した山の木々を間引くための『間伐』を進めるために、デザイナーとして杉を使う活動をプロデュースして啓蒙活動に取り組むことに。日光を山の地面に届かせ、下草を生い茂らせて、雨を吸い込む力を蘇らせる――そうすれば、山から川へと流れ込む水の量も増えるはずだと廣瀬氏は考えました。地域の基盤ともいえる水源地の再生を目指し、『神山しずくプロジェクト』が始まりました。
徳島県神山町斬新なアイデアは「素人考え」だと否定された。
不自然な人工の森を自然な姿に戻し、そこから得られた木材を資源として生かす。一挙両得かに思えた廣瀬氏のアイデアは、しかし、早々に行き詰まってしまいました。
その原因は、なんと言っても杉の加工の難しさでした。木の中でも目立って柔らかく、赤と白の木目がくっきりと出てしまうため、木工業界では「建材としても食器としてもゼロ価値だ」とまでいわれていたのです。杉の食器は枡や曲げわっぱなどの板加工の物しか無理、というのが今なお業界内での常識。しかし廣瀬氏は、普通は縦向きに加工する木目を横向きにしたいとも考えていました。このこだわりも、木工業界の常識からはずれていたのです。
「そんな鉄壁のような業界の固定観念を知らなかったため、どの職人さんを訪ねても『素人考えだ』と門前払いされてしまいました。既存の機械ではそもそも加工することすらできず、様々な相談を受けて試作品を作ってくれる職人さんにまで『こんなものは商売にならない』と言われてしまったんです」と廣瀬氏は振り返ります。
『神山しずくプロジェクト』を立ち上げて初めて知った、杉の個性と難しさ。たまに引き受けてくれる職人が見つかっても、廣瀬氏のデザインを再現できず、全く違うものになってしまうこともありました。しかし、「神山町の杉を活用する」「杉に付加価値をつけて新たな商品を生み出す」という課題は廣瀬氏にとって絶対のものでした。ただ間伐材を使うだけの製品は、今やありふれています。神山町ならではの商品を作るために、杉を魅力的にデザインしなくては――相談できる相手もいないまま、廣瀬氏は手探りでパートナーとなる職人を探し続けました。
徳島県神山町ようやく巡り会えたパートナーと常識はずれの商品を作り出した。
そして半年あまりの探索の末に、ようやく巡り会えたのが『宮竹木工所』の宮竹氏でした。
宮竹氏は、昔ながらの手挽きロクロで御椀(おわん)などの木工品を作る、熟練の職人。木地師(きじし)とも呼ばれる匠でありながら、新たな挑戦にもひるまない真摯(しんし)な人物でした。かつては仏壇の装飾を行っていたものの、時代の変化に合わせて日用品にシフトしたという宮竹氏は、相談に訪れた廣瀬氏に「一緒に挑戦しよう」という心強い言葉を返してくれました。そして半年ほどの試行錯誤を経て、廣瀬氏が最初に目指していたものに限りなく近い試作品が完成したのです。
45年以上ロクロを引いている宮竹氏ですら、「ちゃんと扱ったことはなかった」という杉。それを削る「挽き刃」の開発からともに取り組み、ようやく実現したのです。モダンなデザインとプロダクトで神山町の未来を切り開く『神山しずくプロジェクト』は、強力なパートナーを得てようやく前に進み始めました。
徳島県神山町素のままの美しさと重厚な「拭き漆」の渋さ。
こうして生まれた『SHIZQ』の木製品は、2つのシリーズを軸にバラエティ豊かに展開しています。
まずは、クリアな透明感が目を引く『鶴 Tsuru』シリーズ。かつて欠点といわれていた独特の赤と白の木目は、他の木材にはない唯一無二の魅力になりました。廣瀬氏がこだわり抜いた横向きのカットもあいまって、技術面でもデザイン面でも他では真似できない商品となっています。水の波紋を思わせる美しいコントラストは、天然の杉材由来のため一つひとつ異なります。世界に唯一の器を手にする喜びが味わえます。
独特な木目の美しさを保つのは、やはり『SHIZQ』独自の特殊なコーティングである『セラウッド塗装』です。
普通の木製品にはウレタン塗装かオイル塗装が施されていますが、『SHIZQ』は紫外線や熱への対抗力を高めるために、ウレタンにセラミックを配合した特殊な塗料を施しています。更に、木の質感を残しながら、杉の柔らかさを補完するために薄塗りを5回。驚きの職人技で、『SHIZQ』は木目の美しさを長く保ったまま、お手入れも簡単という使いやすさを実現しました。
次は、伝統の「拭き漆」を施した『亀 Kame』シリーズ。漆を塗っては布で拭き取り、1日乾燥させては再び塗り、また1日乾燥させる――この工程を5回も繰り返して、木目と艶が際立つ重厚な色合いが生まれます。ケヤキの盆や茶櫃(ちゃびつ)などで有名な技法ですが、ここまで鮮やかに漆の色が入るのは杉ならでは。加工が難しく繊維の粗い素材だからこそ、漆が浸透しやすいのです。
「漆芸家さんには『杉に漆を塗るなんて』と止められましたが、やってみたら見たことのない漆器が出来上がりました。従来の漆器のイメージとは違うモダンな美しさが好評です」と廣瀬氏。
塗られた漆は時とともに木と一体化するので、歳月を経るほどに器自体を丈夫にします。使うたびに風合いの変化も楽しめ、大切に手入れすれば孫の代まで使えるそうです。
徳島県神山町デザインの力と伝統技術のコラボレーションでかつてないオリジナリティを実現。
SHIZQの器を見た人がまず発するのは、「綺麗」「美しい」という感想だそうです。そして手にした時の軽さが、更なる驚きを呼びます。
「杉の特性として、木の中でも目立って軽いんです。横向きに生かした木目の効果もあって『こんな木の食器は初めて見た!』と驚かれることが多いですね」と廣瀬氏は語ります。軽く優しい手触りで、お年寄りや子供用としても好評だそうです。
加工が難しく、美しい木目もマイナスと思われていた杉だからこそ、『SHIZQ』の器はかつてないオリジナリティを持った商品となりました。他のどんなショップや地域にも存在しない『SHIZQ』と神山町ならではの器。そのためギフトとしても大好評で、贈った人自身が改めて自分用に購入することも多いそうです。
徳島県神山町ひとしずくの活動が波紋となる。新たなムーブメントが広がっていく。
単なる地域おこしに留まらず、森の存在意義とその危機をも訴える啓発事業。廣瀬氏は、『神山しずくプロジェクト』の取り組みを、「水源を守る」というコンセプトとともに多くの人々に認知してほしいそうです。
「木の商品がメインなのに『SHIZQ(しずく)』という名前をつけたのは、放置された人工林のせいで水が減っていることと、山と水の切っても切れない関係を知ってほしかったからです。地域の水源を守ることの必要性と意義を、多くの人々に広めていきたい。加えて、一般的なエコロジーのイメージとは真逆の人工林の手入れの方法も知ってほしかったんです。例えば、山に関するエコロジーな活動と聞けば『木を伐ってはいけない』というイメージを持つ人が多いと思います。ですが、杉林のような人工林は『間伐』=『木を伐る』ことが絶対に必要なんです」と廣瀬氏。
「社会にそのことを訴えるために、デザインの力で独自の商品を生み出しました。これらを販売することで山の手入れの費用も捻出していますが、我々だけで木を伐り続けるのは限界があります。そこで、できるだけ多くの人々に山と水の深い関係を知ってもらい、波紋のように活動を広げていければ。それぞれがしずくのように小さくても、いずれは新たなムーブメントになっていくはずです」と廣瀬氏は語ってくれました。
商品の購入者にも、山と水のエピソードを記したパンフレットを添えるなどして啓蒙活動を行っています。ですが、廣瀬氏はただ自らの想いを訴えるだけでなく、『SHIZQ』の活動を末永く続けていくための現実的な足固めも行っています。
徳島県神山町未来のために「しずく」を注いで波紋を広げる。
「例えば欠かせないパートナーである木工職人の宮竹さんは、ご自身は高齢で、かつ後継ぎとなるお弟子さんもいない状態でした。そこで『SHIZQ』の活動を通じて若者を紹介し、貴重な技術を受け継いでもらえるようにしました。このように、我々の目指す将来に『参加したい』と思ってくれる人たちを増やすことが、何よりも大事だと考えています」と廣瀬氏は語ります。
神山町の人口は現在約5,000人。杉の木をはじめとする資源は溢れるほどありますが、それを生かせる産業がかつては存在しませんでした。廣瀬氏と『SHIZQ』が目指すのは、日本の中山間地全体が抱える問題へのアプローチです。地域の資源を生かす地場産業を生み出し、更に、それを都会のバイヤー頼みではなく、世界を相手に直接販路を広げる――多くのしずくが波紋を広げるように、様々な取り組みがゆっくりと広がっています。
「それぞれの取り組みが実現していけば、新たな地場産業も次々に生まれるでしょう。本当の意味での地方創生を目指し、都会の力を借りない独自のビジネスモデルに取り組んでいます」と話す廣瀬氏は、広い視野であらゆる方向を見据えています。しかし、その根底に流れるのは「美しい神山町の環境を未来に残したい」という揺るぎない想いです。
「私は神山町の自然に魅了されて移住してきましたが、その裏にある問題を今解決していかないと、将来的には人が住めなくなってしまうという危機感を抱いています。2人の息子たちの未来のためにも、神山町の住人としての責任を果たすためにも、同じ価値観を持ってくれる人たちとともに動き続けていきます」と廣瀬氏は語ります。
『神山しずくプロジェクト』のしずくとは、「最初の一滴」のこと。廣瀬氏が始めた取り組みは、これからも多くの波紋を広げていくことでしょう。
Data
SHIZQ(神山しずくプロジェクト)
電話:088-636-7292
メール:info@shizq.jp
営業時間:10:00~18:00
休日:月曜(祝日を除く)
写真提供:キネトスコープ社
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土地の歴史や文化、生産者の思いまでを料理に込める、川田智也の料理の世界。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市人の思いを形にする。川田智也シェフが、ひとつの料理を生みだすまで。
2018年5月26日、27日に開催された『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。巨石に囲まれる神秘的な土地・国東を舞台にした幻のレストランは、盛大な拍手とともに大成功のうちに幕を下ろしました。国東の自然と歴史、開催を支えた約70名の地元スタッフの存在、そして南麻布『茶禅華』川田智也シェフの料理。どれひとつ欠けても、ここまでの成功には至らなかったことでしょう。
卓に並んだ川田シェフの料理は、そんな『DINING OUT』の象徴的存在。歴史や文化、地域住民の思いまで反映した見事なプレゼンテーションで、ゲストの心を掴みました。今回の記事では、そんな料理の詳細をお知らせします。川田シェフがどんなプロセスで料理を組み立て、どう調理し、当日どう提供したのか。そのすべてをお伝えします。
大分県国東市発想の原点は、国東で出合ったひとつの乾し椎茸。
ご紹介するのは「岩香蒸山海」(国東山海の恵み岩の香り蒸し)と名付けられた料理。蒸籠に入れた国東の山海の幸を、熱した岩に中国茶をかけて立ち上がる蒸気で蒸し上げる一品です。素材感際立つシンプルな料理に、国東の魅力とそこに潜むストーリーまで込めたというこの料理。どんな過程を経て誕生したのでしょうか?
「国東で素晴らしい乾し椎茸に出合いました。これを使いたいと思ったのが最初です。ただしこの時点では、まだ料理の形はおぼろげでした」そう振り返る川田シェフ。実は大分県は国内の乾し椎茸生産量の約50%を占める椎茸王国。シェフが心を動かした乾し椎茸とは、この地で昔ながらのクヌギ原木栽培に取り組む『山や』のことです。
椎茸を栽培するホダ場を訪れ、代表・山口勝治氏の案内を受ける川田シェフ。その後は、山口氏の奥様・しのぶさんが、自慢の乾し椎茸を振る舞ってくれました。「肉厚で食感が良く、味はクリア。イメージが膨らみます。中華料理において乾物は、全体の味を左右する重要な食材ですから」とすでにこの乾し椎茸に惚れ込んでいた川田シェフ。この時点ですでに、料理の構想が生まれていたのかもしれません。
大分県国東市食材を活かすためのロジックをひとつずつ積み重ねる。
乾し椎茸が構想の起点になった食材なら、もうひとつ、料理の方向性を定めた食材がありました。それが食材視察で訪れた『ヤンマーマリンファーム』で出合った牡蠣・くにさきオイスターです。農業機械で知られるヤンマーが、その技術の粋を集めて生み出した海水ろ過システムにより、安心な生食用牡蠣として生まれたくにさきオイスター。牡蠣一筋30年、自身を「牡蠣バカ」と称する所長・加藤元一氏が「日本一」と胸を張るこの牡蠣。小ぶりな身の中に旨みが凝縮されたような味に、試食した川田シェフも「素晴らしい」と手放しの称賛を送りました。「完成された味という印象です。生でもひとつの料理になりますが、少しだけ火を入れることで、さらに甘みが増しそうです」
こうして乾し椎茸ではじまった料理の構想は、この牡蠣と出合い、「加熱する」という方向性が定められました。しかしこれでもまだ、役者は揃ったわけではありません。「乾し椎茸と牡蠣という個性のある食材ですから、同じ調理法にしても別々の料理になってしまいます。この両者を繋ぐ役割が必要でした」そう話す川田シェフ。そして答えは身近にありました。海と山を繋ぐのは平地。つまり畑の野菜です。
シェフが目をつけたのは『佐藤自然農園』という草木堆肥有機農業に取り組む農園と、『まるか三代目』という自然農法を実践する農園。どちらも手間と時間をかけて、心を込めて育てられた野菜。これこそが、牡蠣や椎茸に負けぬ存在感を放ちつつ、両者を繋ぐ役割を果たしてくれると考えたのです。「甘みがあるのはもちろんですが、野菜本来の味が本当に強い。これをシンプルに活かしたい」そう考えた川田シェフ。素材の味を残しつつ、適度に熱は加える。そこでシェフが行き着いたのが「蒸す」という調理法でした。
大分県国東市生産者の思いまで伝えるテロワールとストーリー。
さて、これで「海と山と畑の食材を蒸す」という料理の輪郭ができあがりました。しかしこれでもまだ完成ではありません。「生産者とお会いして、話を伺いました。料理人にはその思いまでを料理に反映する義務があります」と川田シェフ。ただ良い食材を集め、料理を仕立てるだけではないのです。作っている方の顔を思い浮かべて、野菜の切り方ひとつまで徹底的に考える。そうすることで、生産者たちの熱意までゲストに伝える。そんな料理だからこそ、川田智也シェフの料理は心に響くのでしょう。土地の気候や地理的条件を指すテロワール、川田シェフはそこに、人々の思いまで組み込むのです。
さらにもうひとつ、川田シェフの料理で欠かせない要素があります。それがシェフをして「一生かけて追求するテーマ」という「和魂漢才」の理念。中華料理の技法を用いて、和の心を表現する。言葉にするとシンプルですが、これは単に、日本の食材で中華料理を仕立てるだけではありません。その土地独自の歴史や文化を深く知り、それを持てる技術を活かして表現する。つまり土地と食材への深い理解と、それを形にする技術があってはじめて実現することなのです。
そして川田シェフは、国東の岩を集めました。この地は古くから独自の山岳信仰が花開いた土地。地域の各所に石仏が鎮座し、人々は石や岩に特別な思いを抱きながら生きているのです。そんな神聖で、身近な岩を料理に使用する。そしてその岩と中国福建省の山肌の岩に生えるお茶・岩茶が出合う。そんなストーリーを思い描いたのです。そうしてようやく、料理の完成図が姿を現しました。
大分県国東市個性的な食材たちを、中国茶の香りが結びつける。
ここに来て、冒頭にお伝えした「岩香蒸山海」という料理名も腑に落ちることでしょう。国東の山海の幸を、岩の香りで蒸し上げる料理、というわけです。
乾し椎茸は、中華料理の澄んだスープ・清湯であらかじめ蒸した後、醤油を塗って炭火で焼き上げ、それを野菜や牡蠣、同じく国東で採れたワカメとともに蒸籠に並べる。蒸籠の下に高温で熱した国東の岩を忍ばせ、そこに淹れておいた中国の岩茶をかけて発生する蒸気で、国東の食材たちを蒸し上げる。国東の岩と中国の岩茶の香りを纏うのは、生産者たちの思いが詰まった国東の食材。これが川田シェフの描いた「和魂漢才」の姿なのです。
牡蠣と椎茸は、牡蠣のエキスを加えた醤油で味わい、野菜はお好みで柚子胡椒とともに。牡蠣の甘み、椎茸の旨み、野菜の食感と力強い風味。すべてが明確な個性を放ちながら、それでいてすべてに共通する香りがあるため、全体に一体感があります。適度に食感を残す野菜は、牡蠣と椎茸をまとめあげ、さわやかな後味を残します。
この料理が登場したのは、乾杯の後のコースの3品目。力強い旨みをたたえつつ、どこか透明感のある味わいは、その後に登場する無数の国東の食材たちへの期待も高めました。同時に食材の本質の部分にある持ち味を、テロワールとストーリーとで表現する、という“川田ワールド”の縮図のような存在でもありました。
「大分と国東の情景を表現できたかなと思います」終演後、川田シェフはこの料理をそう振り返りました。その“情景”という言葉こそが、土地に根付く歴史や伝統であり、そこに生きる人々の思いでもあるのでしょう。
1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。
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価格:1,155円(税込)

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ヒノキの香りをいつでもバスタイムにお楽しみいただける、お洒落でナチュラルな入浴剤と藍染めプチ石けんのギフトセットです。
高知県産のヒノキの削り節と小さなブロックで作られている入浴剤ですので、ナチュラルな檜が大変ふくよかに香ります。
大切なお友達に素敵なリラックスバスタイムを贈るギフトセットとしてご利用ください。

セットしているプチサイズの藍染め石けんは、5gの手のひらサイズ。
一番人気の「グランブルー」を小さなハートの形にかたどった、携帯に便利なプチサイズです。

◆ お洒落なオーガンジーバッグにセットした おめかし仕様
さっとこのまま手渡しできるお洒落なオーガンジーバッグにセットしているから、パーティーやちょっとした集まりの手土産にもぴったり。
ナチュラルでありながら、お洒落な演出も大切にしたいあなたにぜひお使いいただきたいです。

◆ セット内容
・ ジャパニーズ・スパ(ヒノキの入浴剤) 1包22g×2包(アルミ袋入り)
・ 藍染め石けん「グランブルー」プチサイズ 5g 1個
※藍染め石けん「グランブルー」全成分
オリーブ油、水、パーム油、ヤシ油、水酸化Na、アイエキス、ホホバ種子油、香料(ラベンダー油)
※合成界面活性剤・合成保存料・合成着色料・合成香料・鉱物由来の成分は無添加です
※石鹸の青い色は、藍色工房特性のアイエキス由来の色で植物由来の色素です。
<ご注意ください>
お肌に合わない場合は、ご使用をおやめください。
小さなお子様が口に入れないよう、保管には十分ご注意ください。


※この情報は実際のページと異なる場合がございますので、最新の情報は実際のページにてご確認ください。
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日々
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【直営店限定】ピストン柄プリント T/Cストライプ半袖ワークシャツ
今季はピストン推し!
- 背中はお馴染み「Hopping Shower」TETSTU氏によるピストン柄をプリントしています!
- アイアンハートで通常使用しているパンツ用T/Cウエポン素材よりも薄い生地を使用
- サラっとしたシャリ感のある生地で夏にピッタリの素材です
- ポリエステルを混ぜている為、風通りも良く乾きやすいのも特徴です
- 各部の縫い合せはすべて強度のある2本針巻縫い仕様
- 裏はロック目のないきれいな仕上り(下糸はレッド)
- ボタンは、ワークシャツらしく四ツ穴ボタン
- 真夏に羽織れる、サラッとしたシャツです!
- ワンウォッシュ済み
IHSH-217 : サイズスペック
着丈 | 肩幅 | バスト | 裾回り |
袖丈 | 袖口幅 | |
---|---|---|---|---|---|---|
XS | 69.5 | 41 | 103 | 103 | 21 | 18 |
S | 71 | 43 | 107 | 107 | 22 | 18 |
M | 72.5 | 45 | 111 | 111 | 23 | 18.5 |
L | 74 | 47 | 115 | 115 | 24 | 19 |
XL | 75.5 | 49 | 119 | 119 | 25 | 19.5 |
- 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
素材
- ポリエステル:65% 綿:35%
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モンローデニム【レディース館】
こんにちは~~!!!
始まってしまいましたね!この時期が梅雨のじきが
この時期は湿気で髪の毛がうねっちゃって困ります(わたくしごとですが)
そんなことはさておき、、、
皆さんはモンローデニムって知っていますか??
…(*´?`*
)??
そう!
その名の通りマリリン・モンローが当時穿いていたジーンズを再現したジーンズなんですが
ジーンズはまだ男性の作業着だった時代に、マリリン・モンローはファッションアイテムとして愛用
股上が深く、シルエットはヒップから裾にかけて
ワイドストレートになっている独特なラインです
トップスをインしても、
短めのブラウスなんかを合わせても可愛いと思います
個人的に好きです好きなシルエットです
一見メンズっぽいデザインですけど、
ウエストがキュッとしていてヒップラインから大きめになっているので
女性らしいジーンズだと思います
股上が深めなので、脚長効果もあります
ロールアップしてセルヴィッチの(赤耳)部分を見せて穿いてもオシャレですよ
一本持っていると万能アイテムなので、
是非当店にお越しの際には試しに穿いてみてくださいね~~
お待ちしております
日々
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@adidasfun
のんびりした田島の町並みになじむ、どこかレトロな雰囲気のカフェ。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]
福島県南会津郡OVERVIEW
福島県南西部にある小さな町、南会津。そこで2010年から毎年開催されている「大宴会in南会津」をご存知でしょうか。町の有志がボランティアで企画、運営しているこのローカルフェスティバルは、音楽フェスティバルではあるのですが、同時に様々な形で南会津の暮らしの豊かさを実感できるものとして知られています。
このフェスティバルの発起人は、会津田島駅の近くの場所で小さな『CAFE JI*MAMA』を営む五十嵐大輔氏。カフェを訪れたひとりのお客様との出会いから始まった手作りのフェスティバルは、今では県外からお客さんを集めるまでに成長し、そこから派生した多様な動きは、何もないといえば何もなかったこの地域に、様々なものを生み出しています。
このような小さなカフェで何が起こったのでしょうか。たったひとりの力が、どうやって大きな力へと変わっていったのでしょうか。そこから見えてくる物語は、誰もがより所を失った時代にどうしたら幸せに生きられるのか、その答えが見つかるかもしれません。
Data
CAFE JI*MAMA
住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話:0241-62-8001
http://ji-mama.com/
「大宴会in南会津」が教える、小さなコミュニティに生きる幸せ[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]
福島県南会津郡ローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」。
2010年から毎年、福島県の南会津町で開かれているローカルの野外フェスティバル「大宴会in南会津」。フェスティバルだけど、大宴会……。それって、いったいどんなものなのでしょうか。発起人の五十嵐大輔氏は、「会場のオートキャンプ場は、1,000人入ればもういっぱい。このくらい小規模でやっている野外フェスティバルは、他にはほとんどないと思います。音楽のライヴはありますが、それで盛り上がるというよりは、芝生の上でのんびり過ごしながら楽しむ“地元の夏祭り”みたいなイメージに近い。フェスティバルだと思ってくると、拍子抜けするかもしれません」と言います。
数年前から使われているキャッチフレーズは「お盆、正月、大宴会」。誰もが故郷に戻るお盆やお正月に、おじいちゃんおばあちゃんや子供たち、お酒を飲む人も飲まない人も、みんなで集まってワイワイやる――つまりそんな宴会の拡大版が、「大宴会 in 南会津」なのです。「地元を盛り上げたい」という思いで集まったボランティアスタッフの、手作りのもてなしもまた、のんびりとした雰囲気にぴったりです。
福島県南会津郡地域の人々がつながり始めた初回と、震災という試練。
発起人である五十嵐氏が、田島町で『CAFE JI*MAMA』をオープンさせたのは2007年、つまり初回の「大宴会 in 南会津」が開催される3年前です。営業が始まって危機感を覚えたのは、都会であれば町がにぎわうはずの土曜日や日曜日、祝日に、逆に町が静かになってしまうことでした。町に人の動きをつくるには、カフェを作るだけでは足りないのかもしれない。何かしらイベントを立ち上げたい、そのための横のつながりが欲しい――そう思っていた丁度その時、『CAFE JI*MAMA』に現れたのが、「大宴会 in 会津」のもうひとりの発起人、県職員の東海林氏です。「“地域を盛り上げたい”という彼のストレートな熱い思いに、まんまと焚きつけられた所はあります(笑)」と五十嵐氏。こうして「大宴会 in 会津」は動き始めることになります。
とはいうものの、イベントを企画したことも、企画しようと思ったこともなかった五十嵐氏。まずは周囲に声をかけ、次々とスタッフとして引き込んでいきました。奥会津の三島町に住む三澤真也氏も、そんなひとり。東海林氏から「田島に面白い人がいる」と引き合わせられた三澤氏は、「“寂しいからみんなで飲もうよ”みたいなことが書いてある、ものすごくチープなチラシを見て、“ホントにやるの?”と思っていましたね(笑)」と、当時を振り返りながら話してくれました。
「とにかくバカになってやってしまえ」という気持ちで動き始めた五十嵐氏は、当然ながら様々な困難に出くわすことに。でもそんな時に、なんとなく助けてくれる人、なんとなく「目から鱗が落ちる」ような言葉を言ってくれる人が現れたことも覚えているといいます。
例えば「漠然と動くのではなく、ある程度大きさを決めて」とアドバイスをくれたのは、『CAFE JI*MAMA』のお客様だった県の地域振興局の局長でした。出演を交渉するために芸能事務所に電話しては叱られてばかりの五十嵐氏に、どういうわけか飲み屋さんで知り合った人がアーティストを連れて来てくれたこともありました。「結局のところ人とのつながり」なのですが、それはきっと五十嵐氏が自ら動く者であったがゆえに与えられたに違いありません。
「初回の当日、目の前に広がっていたのは、見たこともない光景でした。人ってこんな風に集まってくれるんだなって。ずぶの素人でしたが、やろうと思えばできる。ずっと続けようとまでは思いませんでしたが、“来年も絶対にやろう”という気持ちにはなっていました」と五十嵐氏は話します。
当時の開催は9月。その半年後、あの震災がやってきます。
盛り上がり、つながり始めた地域の動き。でも震災後に起きた情報の錯綜(さくそう)と不安による分断の中で、それは危うい状況に追い込まれていきます。そんな中で迷いながらも、五十嵐氏が「大宴会 in 南会津」開催に踏み切ったのは、せっかく始まった動きが「失われてほしくない」と思ったからだといいます。
気持ちいいほど晴れ上がった「大宴会 in 会津」当日。自然の中で子供たちが笑顔で遊ぶ姿に、五十嵐氏は「ホッとした」と言います。地域はまだまだつながっている。つながっていける。そして2018年、大宴会は9年目を迎えます。
福島県南会津郡どこにも似ていない「南会津」を愛することに、地域の未来がある。
初回の「大宴会 in 南会津」が掲げたのは、「この地域らしい夢のある未来」です。言い換えれば、この地域で暮らす楽しさや豊かさを再発見すること。「フェスティバル」と名乗るからにはメインは音楽ですが、それ以外の部分には「南会津らしさ」が満載です。
例えば、奥会津に今も残る「熊撃ち猟師」(いわゆるマタギ)さんや、「サンショウウオ獲り」のおじいちゃんから聞く貴重な体験談。羊毛の糸つむぎや箒(ほうき)造り、伝統工芸の編み組細工などの体験、鶏を絞めて食べる「命をいただくワークショップ」を行ったことも。初回の開催からその部分に深く関わってきた三澤氏は、「かつてのように現金収入の手立てとしては成立しにくくなってはいるものの、“自然をうまく利用しながら生きる術”が、南会津、奥会津には残っています。別の言葉で言うとそれは“手間暇をかけること”なんですよね。雪国での山の暮らしは、食べ物ひとつ、例えば山菜のアクをぬく、塩漬けにするなどの手間がかかる。でもその手間暇こそが愛情であり、ずっと続いてきた尊い文化であり、豊かさだと思うんですよね」と言います。
「地域の魅力を最も知らないのは、そこに生まれ育った人」というのは、よくいわれる話です。三澤氏をはじめとする移住者のこの地域に対する思い入れは、五十嵐氏を中心とする地元の若い世代が知らなかった「地域の魅力」を喚起していきます。
「自分はその価値をわかっているつもりだけれど、他の地域の人がいいと思ってくれるかどうか。『大宴会in会津』を通じてそれを確認できた所はあります。例えば地元ではあまり食べない郷土料理を、他の地域から来た人は食べたいと言ってくれる。会場でお客さんに“地ビールはないんですか”なんて聞かれることも。そういう中で、実際に南会津の地ビールが生まれたのは、すごくいい流れで嬉しかった。あの時のお客さんが、また来てくれるといいなと思います」と五十嵐氏は言います。
福島県南会津郡地元のワクワクした雰囲気を、「大宴会 in 会津」を通じて伝えたい。
時に地方イベントでは、観光誘致を目論み、都会で活躍するイベントのプロフェッショナルを招き入れることがありますが、「大宴会in会津」の在り方はその対極にあるものと言っていいかもしれません。他の地域からのお客さんにだって、もちろん来てほしい。でも大切にしたいのは、自分が住む地域の人たちに楽しんでもらうこと。そこで築いた関係が地域の日常をつなげていき、巡り巡って、地域の魅力を発信することになるのではないか。そこにこそ南会津らしい未来があるのではないか。三澤氏は、「会津とひと口に言っても、南会津郡と、いわゆる奥会津といわれる地域は、それぞれ神奈川県くらいの広さがあります。これまでその二つの地域にはそれほど交流はなかったと聞いていますから、『大宴会in会津』を中心につながり始めたのは、すごく大きなことですよね。関係者の中で毎年のように結婚する人がいるし、新たな友情もたくさん生まれる、地域の文化祭みたいな感じでしょうか。でもそのワクワクした雰囲気は、きっと他の地域の人にも伝わっていくような気がします」と語ってくれました。
福島県南会津郡「大宴会 in 会津」から生まれる、小さなコミュニティならではの幸せ。
更に注目に値することは、「大宴会 in 南会津」に関わる人たちが、それぞれの場所でそれぞれに新たな活動を始めていること。すでに五十嵐氏の話に出た、南会津発の地ビールを誕生させた「ビアフリッジ」、かつて運営側のボランティアとして参加していた人たちが、ワークショップや飲食の出店者として戻ってくることも少なくありません。三澤氏も昨年、奥会津の三島町で「人が集まりつながる場所」として、ゲストハウスをオープンさせています。五十嵐氏はいいます。
「1年に一度、それぞれに活動している人が一堂に会し、情報を共有し、楽しむ場所が『大宴会 in 南会津』。そういう形が定着してきていることを感じます。そこでつながった人を訪ねて、また人が動く。『大宴会 in 南会津』はそういう縁づくりの場所なんです」と言います。
誰かが動けば何かが変わり、それがまた別の人を動かしてゆく。南会津の小さな『CAFE JI*MAMA』から始まったその物語は、まだまだ続いていきそうです。小さなコミュニティだからこそ生まれる親密さ、そこに生きることの喜びと幸せ。「大宴会 in 南会津」に足を運ぶことは、その生き方に触れることなのです。あなたの幸せの在り方が、変わるきっかけになるかもしれません。
Data
CAFE JI*MAMA
住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/
Data
「大宴会in南会津2018」
開催日:2018年6月16日
会場:会津山村道場うさぎの森オートキャンプ場
〒967-0014 福島県南会津郡南会津町糸沢字西沢山3692-20 MAP
http://daienkai.org/
小さなカフェで手に入れた、思い描いた理想の場所。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]
福島県南会津郡会津田島の『CAFE JI*MAMA』、前代未聞のローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」の発信地。
南会津を訪れたのは4月末。まだ少しひんやりする空気の中、春の訪れを告げる桜が今を盛りに花開く季節です。これを皮切りにあらゆる花が一斉に咲き始める5月を経て、「会津の1年で、最も気持ちのいい季節」――6月がやってきます。
「『大宴会in南会津』は2018年から6月開催なんですが、一番喜んでいるのは僕ら主催者側かもしれません。長い冬が明けた喜びに胸を膨らませながら、フェスの準備ができるから」
そう語るのは、南会津ローカルの野外フェス「大宴会 in 南会津」の発起人である、五十嵐大輔氏。会津田島駅にほど近い『CAFE JI*MAMA』の「マスター」です。
2007年にオープンした『CAFE JI*MAMA』は、福島県南会津郡の中心の町、南会津町田島で、ゆったりと営業している居心地の良いカフェです。カフェがあるのは駅に続く大通り、地元の方からすれば「駅前」といっていいい場所ですが、忙しく混雑した都会の繁華街とはもちろん異なり、クルマも人通りも決して多くはない、のんびりとのどかな場所です。それでいて、平日の昼間から、『CAFE JI*MAMA』の美味しいコーヒーを求めて訪れるお客さんは少なくありません。
福島県南会津郡「昭和の喫茶店」のように、ただ美味しいコーヒーを追い求めて。
五十嵐氏がコーヒーを淹れ始めるのは、お客様からの注文が入ってから。その時点で初めて豆の分量を量り、丁寧に挽き始めます。挽いた豆から丁寧に微粉を除去し、ドリッパーの中で平らにならしてお湯を注ぎ入れるのですが、五十嵐氏が持つケトルの口から落ちるお湯は、ポタ、ポタ、ポタと1滴ずつ。やがてコーヒーの粉が、むく、むく、むく、と膨らみ始め――カウンターからは、あのなんとも香ばしい香りが漂い始めます。コーヒーが抽出されるまでの3分弱、一連の作業を見つめているだけで、心がゆったりと穏やかに凪いでゆきます。そして出されたコーヒーの深いコク、それでいて雑味のない美味しさ。
「小さい頃から“喫茶店”が好きだったんです」と五十嵐氏。金物店「田浦商店」の看板を残す古民家をリノベーションした店内は、今という時代の感覚で制御されながらも、どこかレトロな雰囲気。その価値観の中心として「昭和の喫茶店」の世界を彷彿させるのは、彼自身の「美味しいコーヒー」を追究する姿勢といえそうです。自身を「オーナー」でなく「マスター」と位置づけるのも、そういった意味があるのかもしれませんが、いわゆる「昭和のマスター」のように「こだわり」を押し出すことはありません。それが『CAFE JI*MAMA』を、今の時代の「カフェ」たらしめているようにも思えます。
福島県南会津郡「生きること」は、自分自身の身体で生活を実感すること。
市町村合併で「南会津町」と名前を変える以前、この場所は会津田島町と呼ばれていました。町に生まれ育った人にその魅力を尋ねると、帰ってくる言葉は「本当に近くに山を感じられる町であること」。そんな故郷を持つ普通の少年として、幼い頃の五十嵐氏は山に遊び、川と戯れる日々を元気いっぱいに過ごしていたといいます。そしてそんな故郷を持つ普通の少年として、都会に憧れました。
「大学で東京に出る時点では“いつか田島に戻ろう”と思ってはいませんでしたね。でもお盆やお正月に帰ってくると、そのたびに“なんかいいな”と思うようになっていって。特に呼び覚まされる子供時代の記憶が、すごくよくて」と五十嵐氏。
通っていたのは名の知れた大学の法学部でしたが、そこで学んでいたことにも妙な空虚さを覚えていました。かつての故郷での暮らしで感じていた、「日々を自分自身の身体で実感する」ような感覚は、大学生活ではなく実社会にあるのではないか。次第に大学に通う意味を見出せなくなった五十嵐氏は、漠然と「このままいたらダメになる」と思い、大学を中退します。
でも飛び込んだ実社会で、様々なアルバイトを転々としながらも、東京ではそうした実感をつかむことはできませんでした。そして5年の月日が流れ、五十嵐氏は故郷に戻ることになります。帰って何をするのか、特にあるわけでもなく。「都会に負けて帰ったというような感覚がありましたね」。五十嵐氏は、当時をそんな風に振り返ります。
福島県南会津郡そこを目的に「人が集まる場所」を作りたい。
五十嵐氏が『CAFE JI*MAMA』をオープンさせたのは、帰郷してから2年後。そのきっかけは「母が喫茶店をやりたいと言い出したので、そこに乗っかりました」と五十嵐氏は笑いますが、そのきっかけは、帰ってきた田島の町の変化を実感したこともあったようです。
「ちょっとしたイベント、お祭りのようなものでも人出が減っているし、商店街も“シャッター化”している。自分が子供の頃は、もっとたくさんの子供が遊んでいたのになあと。人の動きを作りたい、“ここを目的に集まってくる”といった場所を作りたいなと思っていました」と五十嵐氏は話します。
2017年の暮れにオープンから10年目を迎えた『CAFE JI*MAMA』は、当初、五十嵐氏が思い描いていた場所になっているようです。田島に来るたびに立ち寄ってくれる地域外のお客様も多いのですが、圧倒的に多いのはふらっと立ち寄る地元のおひとり様。そこに顔見知りの別の誰かが現れて言葉を交わし、同じテーブルで仲良くコーヒーを飲み始めるという光景も珍しくありません。
フランスの哲学者、モンテスキューは自著『ペルシャ人の手紙』の中で、カフェについてこんな風に語っています。
「会話がリアリティを創出し、雄大な計画やユートピア的な夢想やアナキスティックな謀反が生み出せる唯一の場所」
南会津における『CAFE JI*MAMA』が、そんな場所になっているのは言うまでもありません。そしてここから生まれた「雄大な計画」――前代未聞のローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」へと、Storyはつながってゆきます。
Data
CAFE JI*MAMA
住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/
人と人との出会いがつくる「理想のコーヒー」の味。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]
福島県南会津郡どれも同じではないコーヒー、そのおいしさを伝えたい。
『CAFE JI*MAMA』が扱うコーヒー豆は、コーヒーの栽培から製造、販売までを手がける茨城県の名店「サザ・コーヒー」から仕入れたもの。店内の看板には、その日に飲めるコーヒーについて、原産国、味、焙煎方法などが細かく表示されています。それは毎回出すコーヒーが異なる個性と美味しさを持っていることを、お客様にちょっとだけ意識してもらいながら、体験してほしいから。仕入れた豆がなくなるたびに、異なる味わいの豆を仕入れることも、五十嵐大輔氏が心がけていることです。「いつも“本日のコーヒー”を注文する常連の方から、“あの時の、あのコーヒーが美味しかったね”と言われると、自分なりの美味しさを見出して頂いているんだなと、すごく嬉しくなります」と、五十嵐氏は顔をほころばせながら話します。
福島県南会津郡コーヒーを極めたいと思わせた、運命的な出合い。
もともとコーヒーが大好きだった五十嵐氏。田島に帰ってきた後も、美味しいコーヒーを飲める店があると聞くと、時間を見つけては足を運んでいました。そして彼にとっての特別なコーヒーとの出合いは、『CAFE JI*MAMA』を開いたばかりの2008年。それは郡山市にあった伝説的なカフェ「プレイタイムカフェ」のマスター・丹治 徹氏が淹れるコーヒーでした。丹治氏は、思わずじーっと見入ってしまうほど、じっくりと時間をかけてコーヒーを淹れます。深煎りコーヒーの場合、抽出に時間をかけると苦みやえぐみが出てしまうのが普通ですが、そのコーヒーは、丹治氏の優しい人柄そのままに、まろやかな美味しさだったといいます。
「丹治さんはコーヒー人としても本当に大好きな方で、プレイタイムカフェのコーヒーは本当に特別でした。この出合いをきっかけに、自分が美味しいと思うコーヒーを自分なりに極めていこうと思うようになりました」と五十嵐氏は言います。
カフェで何の知識もこだわりもなく注文する私たちは、そこで出されるあらゆる漆黒の液体を「コーヒー」というひと言で片づけてしまいがちです。しかし豆の種類や原産国はもちろん、ローストの深さ、豆の挽き方、豆の分量、そして抽出の仕方――どのフィルターを使うか、どのドリッパーを使うか、お湯の温度はどれくらいか、どんな方法で、どんな手順で湯を注ぐのか――と、それらの何通りもの組み合わせによって、コーヒーの味は無限に広がってゆくのです。
だからこそ大切なのは、自分が美味しいと思うコーヒーをイメージすること。やがて明確になってきた五十嵐氏のそれは、「深煎りの豆を使った、奥行きのあるコクと、すっきりとした後味のコーヒー」というものでした。美味しいコーヒーを飲み歩いて研究し、知識と経験を積み重ね、豆の分量、湯の温度、ドリッパーの変更などの試行錯誤を繰り返した結果……。五十嵐氏は「10年かけてようやく形になってきた感じ」と語ります。
福島県南会津郡コーヒーをまろやかに変える、厚口のカップ。
五十嵐氏の「ハマるととことん追究したくなってしまう性格」は、理想のコーヒーの味を求めて、さらなる別の方向に発想を広げてゆきます。それは、お客様にコーヒーを出すときのカップ。CAFE JI*MAMAのカップは、コーヒーには珍しい、飲み口がぽってりと厚手のものです。
「コーヒーカップは飲み口が薄手のものが多いのですが、僕が好きなあるカフェで厚手のカップで出していて。それで飲むと味がまろやかに感じるんです」
五十嵐氏の求めに応じてオリジナルの「ぽってりカップ」をデザインしたのは、陶芸家の田崎宏氏。会津若松にあった五十嵐氏の妻・史織氏のショップ「hitotsubu」で、最初の個展を開いた白磁の作家さんです。「地元の会津本郷焼の作家さんだったこともありますが、何より田崎さんの人柄が好きで」と五十嵐氏。ところが当の田崎氏はこの発注に、ご本人史上最高に頭を悩ませることになります。
福島県南会津郡“モノづくり”への思いが完成させたコーヒーカップ。
会津本郷焼は全国的にも珍しい陶器と磁器の両方を有する産地。その窯元が軒を連ねる会津美里町に、田崎氏の「工房・爽」はあります。父親の代から窯を開き、田崎氏は二代目ですが、「後を継いだ」というのとは少し異なるかもしれません。機械いじりが好きで自動車メーカーに勤めていた田崎氏は、6年前に脱サラしこの工房を開きました。そして主に絵付けの磁器を作っていた父親とは180度異なる作品を、田崎氏は作り続けています。白さを追求したシャープな「白磁」です。
「民芸の持つ“ほっこり”とした雰囲気を好きになれなかった。単純に、自分が“カッコいい”と思えるものを作ることで、自信を持って世の中に出したかったんです」と田崎氏は話します。
自身で「決め技」と語るのは、ろくろで引いた素地から優雅な稜線を削り出す「しのぎ」と呼ばれる技法。ひねりを加えた田崎氏の繊細な「しのぎ」は、きりりとしていながらどこか有機的な柔らかさがあり、女性の美しいボディラインにも似た艶っぽさも感じさせます。日差しに青く光る雪を想起させる青みがかった釉薬「会津の白」も、そのシャープさを引き立たせるために、田崎氏自身が開発したものです。
福島県南会津郡悩みに悩んだ末に、見つけた小さな糸口
ところが。五十嵐氏からの発注は、そうした田崎氏らしさをすべて封印したもの――“しのぎ”なしで、ぽってりと厚い飲み口のカップでした。「民芸に先祖返りするように思えてしまって……」。困惑しながらも引き受けたのは、商売用に使う価格とは言えない自分の作品を選んでくれた、作り手として信用し、必要としてくれたことが嬉しかったから。
かつて自動車会社に勤めていた時、1台を数分で完成させる工場で感じたのは「これが自分が好きだった“モノづくり”だろうか」という疑問でした。
「自分の手でちゃんと作ったものを、お客さんが気に入り、買ってくれる。そのやり取りをして初めて、自分が仕事をしたと思えるんじゃないかと。実感が欲しかったのかもしれません」
五十嵐氏の信頼には、そうした実感があったことは言うまでもありません。
そして。ひと月以上も悩み続けた末に見つけた糸口は、とあるカフェで出されたコーヒーのカップ――ファイヤーキングのDハンドルマグ。
「これだ、と思いました。こういうイメージで落とし込めば、飲み口の部分が厚くてもシャープな印象が成立するなと」。
CAFE JI*MAMAの「ぽってりカップ」は、そうして完成しました。
福島県南会津郡白磁に注がれたコーヒー、それは飲む人の思いが作る物語。
白磁の飽きの来ない魅力は「周囲の環境によってその表情を微妙に変えてゆくこと」だと、田崎氏は言います。白熱灯の光、蛍光灯の光、昼と夜、晴天と曇天で異なる太陽光。藍染めや漆の上に置けば、その青や赤を反射します。あらゆるイメージを受け止める白磁は、もしかしたらその器を使う人の気持ちによっても、いかようにも表情を変えるのかもしれません。
田崎氏が作り上げたこだわりの白磁、それが際立てる五十嵐氏の思いがこもったコーヒー。それは飲む人の思いによって展開してゆく、一杯の物語。今日もいい香りをたてながら、人と人の新たな出会いを生み出しています。
Data
CAFE JI*MAMA
住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/
Data
工房 爽
住所:〒969-6116 福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町甲3175 MAP
電話: 0242-56-3732
人と人の距離を縮め、「じまま」に過ごせるカフェ。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]
福島県南会津郡カフェの魅力は、思い思いにリラックスできること。
その空間には様々な「本」がさりげなく置かれています。店内の一番奥に並ぶのは五十嵐氏が幼い頃に読んでいた文学全集。カウンターの先には映画やインテリア、旅やコーヒーなどに関する、ちょっとマニアックなカルチャー本やコミックなど。よく見れば店内のパーテーションも、最初から本を立てる用に作られています。「本があると落ち着くし、暇な時にちょっと手に取ってもらえたらいいなと」と、五十嵐氏。最近では持参した本を「置いて行っていい?」と、そのパーテーションに、ポン、と残していくお客様もいるようです。
テーブルにはそれぞれにランプが設置されています。コーヒーを飲む、本を読む、ものを書く、ランチを食べる、目の前を過ぎてゆく時間をただ眺める……その時々の過ごし方によってお客様が自由に点け消しできるよう、それぞれにスイッチもついています。それだけでなく、椅子とテーブルの高さも絶妙です。もちろんそれも「何をやっても疲れないバランスを」と、五十嵐氏自身が入念に吟味して決めたもの。
「田島」という地名の音にもかけた店名は、沖縄の方言で「自由気まま」の意味。会津田島で、自由気ままに。そんなリラックス感があるからこそ、このカフェでは人と人との距離が縮まっていくのかもしれません。
福島県南会津郡地域を知りたいという思いから始まった「まねぶ会」。
そうしたコミュニティの中で、ローカルフェス「大宴会 in 南会津」が誕生してゆくのですが――これは後に譲るとして。『CAFE JI*MAMA』ではそれと同時進行しながら、もうひとつの企画が育っています。それが「まねぶ会」。“地元・南会津で暮らす楽しさを発見すること”という、「大宴会 in 南会津」と同じコンセプトで始まった勉強会です。
「『大宴会 in 南会津』を始めてみて、地元の文化や歴史、生活について、まだまだ知らないことがたくさんあるんだなと感じました。そういうことを勉強する場を作れば、これまでとは別の人とつながるきっかけにもなり、参加した方がお友達を連れてきてくれることで、輪もどんどん広がってゆきますよね」
そのテーマは、「南会津に仕事を増やすには?」「イベントを仕掛けるには?」という地域活性化から、「会津祇園祭の起源」「現在に復活した南郷刺し子」など地域の歴史文化、はたまた地元畜産業者による「ソーセージ作り」まで、テーマは多岐にわたります。
中でも、神事で集まった人達が楽しむために生まれたという「会津の農民歌舞伎」には、自身の活動に共通する思いを感じたといいます。楽しむことこそが人を動かす。それはどの時代にも変わらない真理に違いありません。
福島県南会津郡震災以降意識するようになった“会津のもの”。
そして人が動けば、何かが変わっていくのも必定のことです。
実は4年前に結婚した五十嵐氏。ここ数年は子育てする妻・史織氏の都合を優先し、彼女がギャラリーひと粒を営む会津若松で暮らしていました。
一家が揃って田島に居を移したのは2017年のこと。そしてこの5月からは『CAFE JI*MAMA』と店を共有しながら、史織氏が取り扱う作家モノの雑貨の販売を開始しています。そこで目を引くのは「会津木綿」の雑貨たちです。史織氏はいいます。
「“会津のもの”を意識するようになったのは、震災からですね。当時、私は会津若松で店をやっていて、親類を頼って関西に避難する際、とにかく店にあるものを車に詰め込みました。震災の風評被害は作家さんにも及んでいましたし、“会津のものを持っていかなければ”と集め始めて。それが今につながっています」
福島県南会津郡「外からの風」を取り込むことで、新しいことが始まる。
史織氏が言うところの「会津のもの」は、「会津の生粋のもの」かと言えば必ずしもそうではありません。例えば「会津木綿」を使った大胆な動物のぬいぐるみは、滋賀の作家さんが作ったものだし、それ以外にも「“会津のもの”でないもの」も多く揃えています。それは史織さんが意識的にやっていることでもあります。
「その場所にある土と、外から吹き込む風が“風土”を作る――そう言っている人がいて、なるほどなと思いました。私自身、郡山生まれの“外”の人間です。会津の人は頑固だなあと思うこともあるのですが(笑)、そんな場所でも外からの風が入ることで、何か新しいことが始まるんじゃないかなと思うんです」と史織氏。
そう考えると、五十嵐氏が言うところの「地元の人が普通に使ってくれる店。それでいて外から訪れる人も、心地よく過ごせる店」としての『CAFE JI*MAMA』は、「外からの風が入る場所」そのもの。だからこそこの場所から、次々と新しいことが起こっているのかもしれません。
Data
CAFE JI*MAMA
住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/
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『傳』長谷川在佑氏が、ドイツの最新器具ブランドとコラボした夢のイベントが実現。[WMF Special Moments produced by DINING OUT / 東京都渋谷区]
東京都渋谷区いま最注目の料理人の手で繰り広げられた饗宴。
もしも最高のシェフと最新の調理器具が出合ったら、どんな料理が生まれるのか――。そんな夢を思い描いたことはありませんか? 去る5月某日、代々木『code kurkku』で、その夢が実現しました。
厨房に立つのは外苑前『傳』の長谷川在佑氏。ミシュランの2つ星獲得、2018年度のアジアのベストレストラン50では2位にランクインなど、その勢いはとどまるところを知りません。2015年には「DINING OUT NIHONDAIRA」を大成功に導いたことも記憶に新しいところ。いま世界がもっとも注目する日本料理の料理人といっても過言ではないでしょう。
対して調理器具は、ドイツNo.1のキッチン&テーブルウェアブランド『WMF(ヴェーエムエフ)』。165年の歴史を持ち、世界中で愛されるWMFからの新シリーズ「Function 4(ファンクション フォー)」が今回の主役です。これは蓋を回すことで「水切り」「湯切り」「注ぎ口」「密閉」という4つの機能を持つ鍋として使える新発想のシリーズ。高品質ステンレスによる熱伝導性と保温性に優れた底面三層構造の採用など、WMFの技術が惜しみなく詰め込まれています。
この「Function 4」を使い、長谷川氏がデモンストレーションを交えて料理を提供するというのが今回の企画。つまり世界を魅了する料理人と、世界で愛される調理器具の、夢のコラボレーションが実現したのです。
『WMF Special Moments produced by DINING OUT』と題されたイベントが、いよいよ幕を開けます。
東京都渋谷区外苑前『傅』おなじみの一品から料理がスタート
ホストを務めたコラムニスト・中村孝則氏の挨拶により始まったイベント。長谷川氏が最初に出してくれたのは、『傅』ではおなじみの「傅 モナカ」でした。「Function 4」のソースパンで仕立てたプラムのコンフィチュールを、フォアグラ、柴漬けとともに最中に挟んだ逸品。サクッと香ばしい最中、ねっとりと濃厚なフォアグラ、柴漬けの軽快な食感、そして保温性に優れた底面三層構造のパンが引き出したコンフィチュールの爽やかな酸味が一体となった味に、会場からは早くも驚きの声が上がります。
しかし驚くのはまだこれから。2品目に登場した「蛤のスープ」を、まずは味わってみましょう。口に広がるのは凝縮された貝の旨みと、ほどよい塩味。クリアでありながら濃厚な味わい、どれほど高度なテクニックによりこの繊細な味が引き出されたのでしょうか? その秘密を聞いて驚いてください。実はこのスープのレシピは、蛤と水を「Function 4」の鍋に入れて火にかけただけ。熱の伝わりが良く保温性の高い鍋が蛤の旨みを引き出し、蓋の密閉機能がその旨みを逃さず、スープのなかに閉じ込めたのです。
「鍋のサンプルが届いたとき、新しいおもちゃをもらった子供のようにずっといじり続けていました」と笑う長谷川氏ですが、器具のポテンシャルを見極め、シンプルな工程で素材感を引き出すこの技こそが、氏の真骨頂といえるでしょう。
また「注ぎ口があるので、卓上でサーブすることもできます。料理の幅が広がりますね」とも語る長谷川氏。「準備する」「調理する」「味わう」「語らう」という4つのモーメントを提案するWMFの考えとピタリと一致する一品でした。
東京都渋谷区スチーマーに圧力鍋。最新機器で仕立てる日本料理。
続いての料理は「蒸し魚と野菜のフリット」。『DINING OUT NIHONDAIRA』以来縁の深い静岡県駿河湾産の鰆を「Function 4」のハイキャセロール(両手鍋)に専用スチーマーをセットして蒸し上げ、静岡県産コシアブラの素揚げを添えます。保温性の高いハイキャセロールとスチーマーのコンビネーションで魚の旨みを逃さずに留め、油の温度を均一に保つソースパンは野菜をカラッと香ばしく仕上げます。味自体はあっさりとしていつつ、噛むごとに広がるふくよかな味わいは、まさに素材本来の味です。
「店では雪平鍋でやっているので、この使い勝手は感動です」という長谷川氏。そもそも現代的な器具を導入することについても前向きな人物だけに、新たなアイデアも次々と浮かぶのでしょう。「当たり前ですが、便利であることは良いことですから」との言葉も、本心からの声でしょう。
続いての料理は、WMFのパーフェクトプロという圧力鍋を使った「和牛頬肉の煮物」。箸でほぐれるその柔らかさに、試食したゲストたちからも「おいしい!」の声が上がります。そもそもWMFは世界で初めて圧力鍋の生産を開始した会社。高温調理を可能にする熱伝導はもちろん、使いやすさの面でも世界をリードするクオリティです。「いつもは丸一日煮込むものが、この鍋では1時間程度で仕上がりました」と長谷川氏。ちなみにいつもはペーパーで濾す鰹出汁も、湯切り口がついている「Function 4」で手軽に仕上げられたといいます。
東京都渋谷区ゲストの心を掴んだドリンクとデザート。
手際の良い長谷川氏の調理に目を奪われてしまいましたが、イベントにはドリンクも登場。料理との相性を考えて準備された「山廃純米 石橋ヲ叩イテ渡ル」と「ディープブルー ピノ」の白ワイン、『傅』オリジナルのブレンド茶が料理を引き立てました。また、ウェルカムドリンクに登場した「ナイアガラ スパークリング」は、2017年の『DINING OUT NISEKO』で中村孝則氏が惚れ込んだワイン。料理に使われた静岡県産の食材とともに、かつての『DINING OUT』を彩った名品たちが会場を盛り上げたのです。
さて、イベントはそろそろ大詰め。最後に登場したメニューは、「Function 4」の鍋と専用スチーマーで作った「柑橘プリン」でした。きめ細かく滑らかな舌触りは「蒸気がしっかり循環するWMFならでは」と長谷川氏。「Function 4」のソースパンで仕上げたほろ苦いカラメルは、グレープフルーツジュースの酸味をまとわせることで、軽やかな後味を実現。こうして実演の料理とは思えぬハイクオリティメニューが5品、ゲストの舌を楽しませてくれました。
東京都渋谷区
良い調理器具はアイデアの源となり、作る楽しみを演出する。
すべての料理に共通していたのは、家庭でも真似できそうなシンプルな工程だったこと。素材を知り、その本質を引き出す長谷川氏ならではのアイデアはもちろんおいしさの源泉。しかし特別な技術を必要としない調理でこれだけの味が実現できることにこそ、訪れたゲストは驚かされていました。
WMFというブランドが打ち出す、最新機器を料理に取り入れることに関しても、長谷川氏は積極的です。「日本料理はただ伝統を守るだけのものではありません。数々の革新があり、現在の形になっているのですから。千利休がいま生きていたら、液体窒素を使ったかもしれませんよ」とユーモラスな言葉で語りますが、この言葉にこそ日本料理の魅力が凝縮されているのかもしれません。
「野菜の水切り、米とぎだけでなく、密閉性が高いので燻製などもできるでしょうね。いろいろと考える楽しみがある鍋です」イベントを振り返りつつ、今回の調理の相棒である「Function 4」をそう評した長谷川氏。こうして最高のシェフと最新器具の夢のコラボレーションは、想像以上の驚きと感動を残して幕を閉じました。
(supported by WMF)
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code kurkku
住所:東京都渋谷区代々木1-28-9 MAP
電話:03-6300-5231
http://www.kurkku.jp/codekurkku/
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人と地域に「移動」でエモーションを生み出す。[レストランバス]
各地の食・観光・人をつなげる「走るレストラン」。
名所やグルメスポットを効率良く巡ることができる手段として、大いに人気を博している「観光バス」。ですが、ありふれた観光地やグルメスポットをただ巡るだけ、といったツアーが大半を占めており、「独自の体験や食にはなかなか出会えない」「余裕のない座席やスケジュールでエコノミーな旅になってしまう」といった不満を持っている方もいるかもしれません。
そんなありきたりな観光バスのイメージを払拭(ふっしょく)すべく、独創的でラグジュアリーな旅を生み出し続けている観光バスがあります。その名は『レストランバス』。ゆったりした対面式の座席を眺望抜群の2階にしつらえ、1階のキッチンで調理された新鮮な地元食材による創作料理を、刻々と変化する風景とともに堪能することができます。
この『レストランバス』を開発したのは、「移動ソリューションを提供する」 WILLER株式会社。その土地ならではのグルメと絶景はもちろんのこと、それらの背後に秘められたストーリーを語ってくれる人々との出会いまで用意して、一期一会のかけがえのない体験と巡り会わせてくれます。
土地ごとの旬と絶景を味わい尽くす。
『レストランバス』の醍醐味は、食をテーマとするバスツアーの概念を覆してあらゆる面でグレードアップさせた点です。既存のグルメをただ食べ歩くのではなく、独自に見出した食材と調理人によるオリジナルのグルメを味わわせてくれます。
農園で自ら採取した取れたての食材を調理してもらったり、生産者に食材のストーリーや文化を聞いてその歴史までをも噛みしめたり。「移動と食の融合」をテーマに、土地と土地だけでなく、地域の人々とゲストをも結びつけています。
点在する地域の魅力をつなげる、という「エモーション(感動)の多重化」がその主眼。旅の大きな楽しみとなる「食」と「景色」を『レストランバス』がつなぎ、旬に出会いながら地域の魅力を満喫させてくれます。
そして客席を対面式とすることで、ゲストとゲストとの出会いまでをもコーディネイト。まったく知らなかった人とも「食」と「景色」を通じて会話を弾ませ、新たな感動と体験が生み出されていきます。
加えて、その土地に住む人達にも新たな魅力を提供する、という効果も。『レストランバス』自慢の2階席は、高い視野から斬新な眺望を楽しめるため、「私達が住む土地はこんなに綺麗だったんだ!」といった驚きの声も上がるそう。そのため地元からのゲストやリピーターも多く、新潟エリアのツアーはなんと6割が地元客で占められたそう。もちろん知られざる食材との出会いも用意されており、あらゆる面から地域の魅力を再発見させてくれます。
1台のバスから出会いと感動が広がる。
『レストランバス』には、もうひとつ重要なコンセプトがあります。
それは、車両の開発はWILLER株式会社が行なっているものの、実際の各地での運行は現地で1から企画を考えていること。その理由は、「その土地ごとの想いを乗せて走ってもらうため」だと言います。郷土への愛着、食材への思い入れ、地域に住まう人々とそこを目指して訪れてくれるゲスト達へのおもてなしの心、などなど――なによりも大切な土地と人々への想いを示すため、その土地に住まう人々の手を借りているのです。
たとえば、熊本では震災の復興にも寄与したといいます。「地域活性化のための種まき」のツールとして、それぞれの地域に適した方法で活性化やPRの一助としてもらいたい――そんな願いがこめられているそうです。
『レストランバス』を舞台に地域の人々も活躍。
さらに、「地域活性化を担う人材の育成」という側面も持たせています。地域や食材の魅力を乗客に解説してもらうナビゲーターとして、地域の人々に積極的に協力を依頼しているのです。
『レストランバス』自体が地域の魅力を発信したい人々のためのステージとなるだけでなく、彼ら自身にも、地域の魅力を再発見してもらうきっかけとなっているそう。『レストランバス』に同乗してとっておきの秘話を披露してもらったり、それぞれの創意工夫を生かして地域や食材の良さをPRしてもらったり。この取り組みによって、調理のために同乗してもらうシェフも含め農家・生産者・若いクリエイターなどの横断的なコミュニティが形成されていくそうです。
『レストランバス』がその土地を去っても、たとえ再びその土地を走ることがなくても、『レストランバス』をきっかけに生み出された繋がりは続いていきます。単なるバスツアーでは生み出せないムーブメントが、そこには残るのです。
個性豊かな3台が全国各地を駆ける。
現在国内で合計3台ある『レストランバス』は、それぞれが特別な造りになっています。
まずは『レストランバス』のメインテーマである「そこにしかない日本を食べよう」を体現した1号車。
1階は調理用のキッチン、2階は25人が着席できるゆったりした対面式のテーブル席となっており、天井は開閉式の透明な屋根となっています。暖かく天気の良い日にはオープントップで開放感を味わえ、寒い日や天気がすぐれない日でも、透明な屋根越しに景色を楽しみながら快適に食事を味わえます。
次に、『祭り』をテーマとした2号車。
日本ならではの文化をインバウンド(訪日外国人旅行客)にわかりやすく伝えるため、祭りをイメージした提灯や暖簾などの和の内装を採用しています。そこに畳調のシートや花火を模したデザインなども加わって、まるでバスに乗りながらお祭りに参加しているような気分になれます。提供される食事も和食中心で、移動中でも日本酒を楽しめるように、徳利とお猪口が置けるテーブルをしつらえています。
最後は、京都を活躍の舞台とする3号車。
京都ならではの「おもてなし」と「安心」をテーマにして、老舗料亭をモチーフとした石造り風の入口や行燈などなど、ラグジュアリーな和のデザインをふんだんにあしらっています。二階席の高い視点から眺める京都は、普通の京都観光では出会えない特別な体験。様々な人気観光スポットも斬新に見えます。
これら3台の『レストランバス』が今まで走ってきたのは、新潟・佐渡島・沖縄・東京・熊本・北海道・京都・島根県(石見エリア)など。今後も様々な土地に感動体験を広げていきます。
より多くの人々に楽しいひとときを提供したい。
個性豊かな車体と企画でその土地ならではの魅力を満喫させてくれるレストランバスは、今後も全国各地に展開していくそうです。
現在実施しているのは、「レストランバス IN 北海道(2018年4月28日~9月30日)」と「新潟レストランバス(2018年4月20日~6月30日)」の2つのツアー群。ランチ・フルコース・スイーツなどの様々なコースを用意して、イタリアン・フレンチ・創作和食などの多彩なグルメを堪能させてくれます。ワインをテーマとしたワイナリー巡りや、日本酒をテーマとした酒蔵訪問などもあり。ゲストの興味と好みに合わせて多様なツアーを選択できます(各ツアーの料金や詳細はホームページを参照)。
そして7~8月には、「日本海レストランバス」も実施。 金沢市を出発地に加賀・能登・南砺(なんと)方面をそれぞれ巡るツアー群は、大陸との交流や北前船の拠点として育まれた北陸の魅力を存分に味あわせてくれます。日本海の海の幸をはじめとする豊かな食文化を楽しみながら、北陸の文化や歴史的背景まで学ぶことができ、個人やファミリーでは難しい縦断的な北陸観光をも可能にします。
現在3台あるレストランバスも、今後は台数を増やしていく予定だそう。現在は期間限定となっている運行も、数年後には一定の地域での定期運行を計画。期間限定ツアー+定期運行のコンビネーションで全国各地の魅力を発信していきます。
Data
レストランバス
※各ツアーの料金およびお問い合わせ先は各走行地域のホームページを参照
※レストランバスのご予約・ご乗車に関するお問い合わせと、その他のご質問やご意見、ご感想などはこちらから:http://travel.willer.co.jp/contact/
http://sp.willer.co.jp/restaurantbus/
写真提供: WILLER株式会社
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舞台は開山1300年を迎える神仏習合の地。静謐で神秘的な地に降り立った13回目の『DINING OUT』。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市悠久の歴史のなか、独特の宗教観が育まれた緑深い国東の地。
2018年5月26日、27日、『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』が開催されました。13回目となる今回の舞台は神仏習合の地・大分県国東市。折しも2018年は、この地特有の山岳宗教「六郷満山」開山1300年という節目の年です。刻まれてきた悠久の歴史と、地域に眠る食材や文化。それらをどう表現し、どう伝えるのか。多くの人が今回の『DINING OUT』を、固唾を飲んで見守っていたことでしょう。
開演当日まで、その詳細はいつも以上に謎のベールに包まれていました。わかっていたのは、大分県国東市のどこかが会場になること、コラムニスト中村孝則氏がゲストをお出迎えすること、「ROCK SANCTUARY—異界との対話」という不思議なテーマが設定されたこと、そして「和魂漢才」をテーマに日本食材と中華料理の融合を追求する南麻布『茶禅華』の川田智也シェフが担当すること。限られた情報から浮かんだであろう皆様のイメージは、きっと裏切られることになるはずです。さまざまなことが予想外。それが『DINING OUT』なのですから。
さあお待たせしました。国東半島で行われた第13回『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。その全貌を速報でお届けします!
大分県国東市快適な送迎から、過酷な石段登り。その落差さえも感動への序幕。
緑萌える初夏。天気は晴れ。爽快な空気に包まれる大分空港。到着したゲストを迎えたのは、ドライバーつきのLEXUSでした。そのラグジュアリーなシートに揺られながら、各々のゲストは会場の様子を思い描いたことでしょう。ところがLEXUSが到着したのは、とある寺院の前。墨痕鮮やかな「峨眉山 文殊仙寺」の額の先には、延々と続くかのような石段が伸びています。ラグジュアリーなLEXUSのリアシートから一転、擦り減り苔むした330段もの石段を、ゲストは一歩ずつ登り始めます。
息は切れ、額から汗が流れ落ちる頃、ようやく山門が見えてきます。山門脇では修験者の白装束に身を包んだホスト・中村孝則氏がゲストを出迎えます。「ようこそいらっしゃいました。どうぞ奥の院へお進みください」
導かれるままに向かった奥の院で待っていたのは、文殊仙寺副住職による護摩焚き供養です。燃え盛る炎が、一切の煩悩を焼き尽くすといわれるこの護摩焚き。天井まで上がる激しい炎、朗々たる読経。石段を上がるという苦行と合わせ、まるで修験道のような静謐で厳かな雰囲気がゲストを包みます。
奥の院を出たゲストたちは、もう少しだけ石段を上ります。「次はどこへ?」といった表情はしかし、すぐに驚きに取って代わりました。石段を上ったゲストの目の前に、ダイニングが広がっていたのです。そう、今回の『DINING OUT』の舞台は、こちら。六郷満山文化随一の歴史を持つ古刹・文殊仙寺。その境内の一角の切り開かれた場所に、客席とオープンキッチンが設えられたのです。
大分県国東市乾杯は、一杯のお茶で。静寂に包まれるディナーの幕開け。
片側は急峻な山、片側は切り立った崖、頭上には鬱蒼と茂る木々、すぐ目の前には重厚な文殊仙寺の奥の院。厳かな鐘の音が響き、時折、鹿の鳴き声が届く静謐な境内に、突如現れたレストラン。そのギャップにゲストからは銘々、感嘆の声が上がりました。そう、石段も護摩焚きも、すべてはこの席に着くまでの助走だったのです。
やがて会場に中村氏が登場し、乾杯のドリンクが配られます。シャンパンではありません。最初の一杯は、文殊仙寺の山号にちなんだ中国茶「峨眉雪芽(がびゆきめ)」を、境内に湧くありがたい名水「知恵の水」で淹れたお茶、つまり中国と国東の融合からディナーのスタートです。
続いて登場したのは川田シェフを「味が完成されている」と驚かせた国東の牡蠣「くにさきオイスター」。単体でも完成された味わいを活かすため、中国と日本の30年物の古酒で香りを添える程度に調味し、本来の味を引き立てました。ここにもまた、中国と国東の融合という背景がみえてきます。
その後の国東半島の泥鰌(どじょう)を紹興酒で酔わせて揚げた一品は、文殊仙寺の岩を器にして提供。続く国東の牡蠣とわかめ、地元産野菜は、熱した国東の岩と中国の岩茶で蒸し上げました。国東の青竹を器にしたスープは、烏骨鶏ガラの澄んだ味わいと青竹のフレッシュな香りが調和します。
すべての根底に、国東と中国両方の要素が潜んでいることは明らかです。
「中国の霊峰・峨眉山の山号を持つお寺と、私が追い求める和魂漢才というテーマの符合。それをゲストの皆様にお伝えしたかったんです」
大分県国東市徐々に盛り上がりを見せるコースは川田シェフの真骨頂。
滋味深いお茶で幕を開けたディナーは、どちらかといえば静かな立ち上がり。少しずつ、しかし確実に、ゲストは川田シェフの世界観に惹き込まれていきます。傾き始めた日が、会場をいっそう幻想的なムードに彩ります。眼の前のオープンキッチンからは、中華料理特有の活気が伝わります。静と動、陰と陽、そして日本と中国。さまざまな対比が、徐々にその輪郭を現しはじめます。ディナーは中盤に差し掛かります。
ひと抱えはある大皿の上に山と盛られた唐辛子。これは峨眉山イメージし、その山の下には国東市の名品・桜王豚のスペアリブが隠されていました。刺激的な見た目の料理ですが、その味わいはクリアで爽やか。唐辛子と山椒の香りが、透明感ある豚の脂に寄り添います。この料理に限らず、川田シェフの料理の基本はピュアでクリアな印象。
「中華料理というとパワフルでパンチがある味の印象を持たれがちですが、本場の最高峰は本当にクリアな味なんです」という川田シェフの信条の表れでしょう。
やがて日も暮れかかり、山から夜露を含んだ涼しい風が降りてくる頃、静謐な印象を醸していた白い照明が、炎を思わせる真紅に切り替えられました。時を同じくして、オープンキッチンからは、激しく鍋を振る金属音が響きます。まるで静かに伏せていた獣が頭をもたげたような、緊張感。続く料理は、その象徴的存在でした。
まるで鬼のような形相をした魚。三島フグと呼ばれるオコゼの一種で、揚げることで鰓が上がり、鬼の角のように見えるのです。そもそも国東で鬼は、さまざまな祭りに登場するほど重要な存在。川田シェフの心を動かしたのは、そんな鬼の神聖さでした。赤い照明が光り、緊張感と鬼気迫る雰囲気に包まれた会場で、この鬼のような魚を提供することで、国東に根付く精神性まで伝えたのです。その後、副住職が寺に代々伝わる鬼面を持って登場し、その由縁をご紹介したことで、ゲストにも国東の地とこの魚料理の関連性が伝わりました。
このように、川田シェフの料理の根底には、いつも土地の歴史や文化がありました。おいしさは最重視した上で、そこに流れる思いを汲み取る。技術だけではない、地域への敬意があるからこその料理なのでしょう。
大分県国東市ひとつの食材を、異なる手法で魅せる川田流メインディッシュ。
メインの食材には、大分県が誇る地鶏「おおいた冠地どり」が選ばれました。それも、ある食材の異なる部位を異なる調理法で提供する、川田シェフらしい料理です。
胸肉はその柔らかさを活かすために蒸し鶏にし、カボスと合わせてさっぱりと。手羽先にはスッポンを詰めて香ばしく、かつコク深く仕上げます。脂身の少ないもも肉は、国東のバジルの香りをまとわせて「三杯鶏(サンベイジー)」という台湾の伝統料理に、そして最後に残ったガラは澄んだスープをとってシンプルな麺に仕立てました。まさに余すところなく素材を味わい尽くすメニュー。部位ごとの個性も際立ち、「おおいた冠地どり」という素材そのものへの興味を誘引するような見事なプレゼンテーションです。
最後は青梅の翡翠煮と温かい杏仁豆腐で、しめやかにコースは終了。緩急を付けつつゆっくりと加速し、息をもつかせぬ盛り上がりをみせた後、余韻を残して終了する。どこか日本の懐石料理を思わせる展開でありながら、それぞれを見るとやはり中華料理そのもの。
”融合”という表面的技術の話ではなく、もっと深い部分、たとえば信念や生き方という部分で、日本と中国が深く結びついた料理。川田智也という稀有なるシェフのすべてが表現されたようなコースでした。
大分県国東市大勢のスタッフの力が結集し、大きな感動を演出。
今回の『DINING OUT』が成功の裡に終了したことは疑いありません。ゲストを感動の渦に巻き込んだ川田シェフの料理。しかし、成功の理由は料理ばかりではありません。
実は今回の『DINING OUT』は、ひとりの地元料理人の声により実現に至りました。国東市の発展を願って『DINING OUT』の開催を切望し、その声が市長の耳に届いたことで、今回の開催となったのです。集った地元スタッフは70人以上。そのひとりひとりが国東市を愛し、国東市のために尽力したからこそ、この大きな感動が生まれたのでしょう。
終演の余韻が残る会場には、渡部建氏の姿もありました。『茶禅華』にはオープン当初から幾度も足を運んでいるという渡部氏。そんな渡部氏をして、まず飛び出した感想は「想像以上でした」という言葉でした。「店とイベントとを比べれば、店の方がクオリティが高いというのが定説。しかし川田シェフは、お店ではできないことを、この地で実践されました。今後は『茶禅華』と川田シェフを語るとき、まず今日の日を思い出す気がします」と語る渡部氏。「シェフの思いや背後に流れるストーリーが、はっきりと味覚に繋がっていた。味も、雰囲気も、すべてを含めて大満足です」と、手放しの称賛を寄せてくれました。
渡部氏ばかりではありません。あるゲストは「一生忘れないと思います」と興奮気味に語りました。またあるゲストは余韻をかみしめるように、ただ「最高でした」と呟きました。それぞれのゲストが、それぞれのやり方で、今日のディナーを振り返ります。
「素晴らしい体験でした」終演後の川田シェフは、開口一番そう言いました。「和魂漢才は、私が人生をかけて追い求めるテーマ。そのヒントとなるものに、この地でたくさん出会えた気がします」それからこの地で出合った食材や地元スタッフへの感謝の言葉を饒舌に語りました。いつも寡黙な川田シェフが、少しだけ頬を上気させて、熱く感想を述べる。言葉そのものだけでなく、そんな光景もまた、今回の『DINING OUT』の成功を物語っていました。
「お楽しみ頂けましたか?」最後にマイクを握ったシェフは控え目にそう訪ねました。会場は割れるほどの拍手で、それに応えました。その拍手こそが、今回の『DINING OUT』の成功を、何よりも雄弁に語っていました。
1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。
http://sazenka.com/
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称) 2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/