世界に誇る3つの才能が集結。会場もスタッフも“ホーム”に変え、一体感を創り出す。[CUISINE SAGA VOL.04/佐賀県佐賀市]
佐賀県佐賀市アジア2位&3位、そして日本唯一の肉のスペシャリストが共演。
美術館(MUSEUM)に飾るような器を使って(USE)、佐賀の食材をふんだんに使った料理を楽しむ維新(これあらた)なるレストラン「USEUMSAGA」。その象徴ともいえるのが、国内外から注目を集めるトップシェフを招聘し、一日限りで開催するクリエイティブなレストラン「CUISINE SAGA」です。VOL.04となる今回も錚々たるスターシェフたちが集結しました。
今回登場したのは東京・神宮前の「傳」の長谷川在佑シェフと、神宮前「フロリレージュ」の川手寛康シェフ、初台「アニス」の清水将シェフの3人。なかでも、2018年に発表された「アジアベストレストラン50」では、「傳」が2位、「フロリレージュ」が3位にランキングされたばかりというホットなタイミング。これで、VOL.02で話題をさらったガガン・アナンド氏(同1位)を含めて、アジアのトップ3のシェフたちがそろって佐賀の地を踏んだことになります。また、長谷川氏と川手氏は、日本各地の土地の恵みや文化を料理に落とし込むプレミアムな野外レストラン「DINING OUT」の経験者。佐賀の恵みをどのような皿に仕立てるのかに注目が集まります。
今回の3人のシェフたちは2016年に佐賀で行われた「世界料理学会 in ARITA」にも参加し、佐賀の料理人との交流も継続的に行ってきた経験があります。そうした経緯から今宵のレストランでも、佐賀の気鋭の料理人たちが厨房やフロアはもとより、地元のすぐれた食材の調達の面でも活躍。新たなクリエーションの一翼を担ったのでした。そのような身近でサポートしたシェフたちの視点も含めて、3人のシェフたちの凄みや魅力をお届けしたいと思います。
佐賀県佐賀市認め合った仲だからこそ、唯一無二の空気感が生まれる。
“仲良しシェフトリオ”と称されることも多い、長谷川氏、川手氏、清水氏の3人。シェフ同士のコラボが今ほど脚光を浴びていなかった時代から一緒に料理を作り上げることに取り組んできただけに、息もぴったり。互いの得意料理や考え方を知り尽くしているため、今回のメニュー構成や役割も、話し合いをするまでもなくスムーズに決定したといいます。その勝手知ったる仲間との1年半ぶりとなるコラボイベントというだけに、3人からは楽しくて仕方がないというオーラが満ち溢れていました。
今回のイベントを開くにあたり、佐賀の旧知のシェフたちに声をかけ、おすすめの食材を幅広く集めたといいます。地元のサポートスタッフもさらに料理仲間や生産者仲間に声をかけ、結局サポートに携わった人数はゲストの数を上回るほど。オール佐賀の料理人が結集し、この地の魅力を届けたい一心で会を盛り立てたのでした。
その甲斐もあって、この日のメニューはほとんど全てが地元・佐賀のもの。長谷川氏は「有明海、玄界灘と個性の異なる海で獲れる魚介類も面白いし、野菜もうまい。佐賀の食材のポテンシャルは相当高いと思います」と断言。
1皿目のアミューズとして出された、「傳」名物の傳最中には、佐賀・白石町の日本料理店のお母さんが漬けた奈良漬と佐賀・大和町の干し柿を忍ばせ、アクセントとしていました。また、傳のシグニチャーディッシュとしても知られる傳サラダは、すべて佐賀の野菜だけで構成。カツオ節で和えたり、トマトの旨みを含ませたりと1つ1つの野菜に合わせた味付けを施し、“サガダ”と命名されて供されました。
地元の農家レストランとして野菜や米などを食材として提供し、さらにカリスマシェフたちの料理風景を間近で見ながら調理サポートした「農家の厨 野々香」の小野智史氏は、3人の皿に秘められた緻密で膨大な仕事量に圧倒されたと語ります。「ゲストを喜ばせるため、目に見えない部分にかける労力がすごいなと。例えば、長谷川シェフの海老の真薯はつなぎを一切使わず、包丁の腹で丹念に叩くことで海老ならではの食感を引き出すなど、素材の味の引き出し方が本当に上手い。知らずに食べると気付くか気づかないかのレベルなんですが、そのひと手間が料理の完成度を左右するということを改めて教えてもらいました」(小野氏)。
その言葉を象徴する一皿が、3品目に供された川手氏による「岩ガキのサラダ仕立て フロマージュブラン」。佐賀県太良町のカキ生産者「海男」の梅津氏が育てた濃厚な旨みの岩ガキと一緒に包まれているのが、玄界灘産のウニ。そのウニは醤油とみりん、酒を煮切った“煮切り”で洗い、軽く“ヅケ”にすることで、ウニが本来持つ甘味や旨みをいっそう凝縮させ、さまざまな味が入り混じる料理のなかでも、ひときわ印象的を残す食材へと昇華させているのです。まさに“神は細部に宿る”という川手氏の料理におけるフィロソフィーを体現したクリエーションとなりました。
佐賀県佐賀市世界的シェフたちも舌を巻く、“究極の肉”が登場。
今回、アジア2位と3位にランキングされた長谷川氏と川手氏の揃い踏みに注目が集まりがちなのですが、その2人をして「料理観、技術ともにリスペクトできる」と一目置かれているのが、肉料理のスペシャリスト・清水将氏です。
実際、ゲストの目の色が一番輝いたのも、清水氏がローストした豚や牛肉を使ったコラボ料理でした。
パリの3つ星「アルページュ」のシェフで、肉料理のレジェンドとも称されるアラン・パッサールシェフから肉焼きの極意を学んだ清水氏。その調理法は極めて独特。肉を火傷させない(ジュッといわせない)ために、炭火の上にプレートをのせ、さらに肉の下にトウモロコシの芯や藁、柑橘類、ハーブなどを敷いて焼くというもの。この日も朝7時から焼き場に立ち、ときどき肉に触れては状態を確かめながら、数時間をかけて肉を仕上げていました。
「料理界というのは誰でもできるように簡略化していくことがいまの潮流です。でも僕の場合は逆に、自分にしかできない方法を突き詰めたいんです。それがアラン・パッサールの弟子としての使命だと考えています」(清水氏)。
そうした手間と時間をかけて焼いた豚肉に包丁を入れた瞬間、うっすらピンクがかった断面が現れます。いかにも柔らかくしっとりとした質感なのに、肉汁が全くこぼれ落ちないのが驚きです。今か今かと待ちわびたゲストたちからも「今まで食べてきた肉料理とはまったく別物」「アメージング」と、次々と感嘆の声が漏れました。
清水氏が手がけた肉は、ありた鶏、武雄の若楠ポーク、佐賀牛という佐賀のブランド肉。ありた鶏では川手氏のなすのタルトとともに、また、若楠ポークは川手氏のカブとビーツの美しいスープとともに提供。そしてメインは、佐賀牛サーロイン(清水氏)、佐賀牛タルタル(川手氏)、もろこし雑炊(長谷川氏)と3人がコラボした一皿を完成させました。
佐賀県佐賀市高い目標を共有することで、佐賀の地に新たな種を撒く。
3人のシェフが醸し出す和気あいあいとした雰囲気。それがゲストにも伝わって、あたかも会場全体がホームパーティーのような温かな空気感で満たされたひととき。そうした光景を裏舞台で支えた地元のシェフたちはどのような思いを抱いたのでしょうか。
「世界料理学会in ARITA」に登壇した経験もある佐賀県武雄市のイタリアンシェフ梶原大輔氏もその一人。梶原氏は今回の長谷川氏たちがチームのために掲げたテーマは「ゲストも、働く人も楽しく」だったと打ち明けます。「招聘されたシェフたちの姿で一番刺激を受けたのは、その人間性。3人とも自分が前に出るわけではなく、周りの人が活躍するのを楽しみにしているような感じなんです。レシピも全て包み隠さず教えてくれて、さらにこういう場合はこうした方がいいよ、とプラスアルファの情報まで。僕たちはサポートする立場でしたが壁が何もなくて、チームとしての一体感を感じました」。
一方、長谷川氏の「傳」で研修した経験もある小野氏は「普段、佐賀の食材に触れているはずなのに、まだまだ地元の食材のことを知らないな、と気づかされました。佐賀にはすごくいい食材がある。いい器もある。それを再認識できたので、今度は料理人もレベルアップしていかないと。せっかくの明治維新を記念したイベントに報いるためにも、料理に真摯に向き合っていこうと思います」。
佐賀県佐賀市次回の「CUISINE SAGA」は9月に予定。
次なるスターシェフを招聘したプレミアムなレストランは、9月に開催予定。
佐賀の食材と器、そしてシェフの感性がどのように響き合ったディナーとなるのか、ご期待ください。
住所:佐賀県佐賀市城内2丁目8−8 MAP
電話:0952-97-9300
https://useumsaga.jp/
1978年東京生まれ。幼い頃、芸者をしていた母親が仕事先の料亭から持って帰くる弁当を食べ料理に興味を持つ。高校卒業後、「神楽坂 うを徳」に住み込、18歳より老舗割烹「うを徳」にて修行。その後、多数の料理店にて経験を積み、2007年29歳で独立。東京・神保町に『傳』を開店する。開店からわずか3年目で『ミシュランガイド東京2011』にて二つ星を獲得。2016年12月、店舗を神宮前に移転。2016年「アジアベストレストラン50」に初登場で37位を獲得し、2017年には11位と「アート オブ ホスピタリティ賞」を受賞、さらに2018年には2位と大躍進。豊富な食材、四季、日本独特の文化といった良さを大切にしつ、遊び心ともてなしの精神に溢れた「新しい形の日本料理」を創作し、世界中から高い評価を受けている。
1978年生まれ、東京都出身。両親は洋食店を経営、親戚も料理人という家庭に生まれ、幼い頃からシェフになること以外は考えられなかったというほど料理が身近な環境で育つ。高校を卒業後、2000年『恵比寿Q.E.D. CLUB』『オオハラ エ シイアイイー』にて修行を積む。2002年より西麻布『ル ブルギニオン』でスーシェフまで務める。20代で自分の店を開くことを決意し2006年渡仏。モンペリエの『ジャルダン・デ・サンス』にてフランス修行を積んだ後、2007年に帰国。白金台『カンテサンス』のスーシェフを経て2009年に独立。東京・南青山に『フロリレージュ』を開店し、2015年には神宮前に移転。国産の食材にこだわった「日本・東京でしか出来ない、フロリレージュでしか出来ない日本人に合う創作フランス料理」を作り、固定概念にとらわれないフレンチの新しいかたちを生み出し続けている。2015年12月『ミシュランガイド東京2016』の一つ星、同ガイド2018では二つ星を獲得。2016年「アジアベストレストラン50」の中で、近い将来トップ50に入る可能性が最も高いレストランに贈られる「注目のレストラン賞」を受賞、2017年に14位、そして2018年には3位に輝いた。
1975年生まれ、大分県出身。工科短大卒、半導体メーカーに1年勤務後、料理界へ。和食を3年間修業した後に「ジャルダン・デ・サヴール」に入る。2002年渡仏。リヨンのビストロを経て、三ツ星「マルク・ヴェラ」で2年。パリの「ボナクイユ」「シャマレ」で経験を積み、「アルページュ」で2年弱、後半は肉部門シェフを務める。さらに、パリ随一の精肉店「ユーゴ・デノワイエ」に半年間勤務。2009年帰国、銀座「ラール・エ・ラ・マニエール」の初代エグゼクティブシェフに就任。2013年8月カジュアルフレンチレストラン「anis」をオープン。
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復活から12年。今年のテーマは「希望」。[うつのみや花火大会/栃木県宇都宮市]
栃木県宇都宮市100年続く花火大会を目指して。
栃木県宇都宮市では1984年から花火大会を開催していましたが残念ながら資金不足などの諸事情により一旦途絶えていました。しかし、2007年に「復活」をテーマに地元ボランティアの方達の努力により再開されました。その後も毎年テーマを決め開催されています。復活後も決して平坦な道のりではなく様々な困難に見舞われました。近年では鬼怒川の氾濫により花火打ち上げ現場の一部が流出してしまう被害にも遭いました。そんな中でもボランティアの方達の熱い想いで苦境を乗り越えながら開催されています。復活から12回目となる今年のテーマは「希望 ~未来を照らす大輪の花」です。今年の打ち上げを担当される煙火業者は、花火の町山梨県市川三郷町のマルゴーさん、老舗中の老舗丸玉屋小勝煙火店さん、地元栃木県の須永花火田島煙火工場さんです。うつのみや花火大会は100年続く花火大会を目標に頑張っています。
栃木県宇都宮市夢の花火を描く、こどもたちの想いが現実に。
花火大会の約一か月前、宇都宮市ではこどもたちが描いた「花火の絵 展覧会」が開催されます。そして展示された絵の中から抽選で選ばれた作品をイメージした花火を実際に打ち上げるのです。選ばれた作品を描いたこどもたちが花火会場内のステージに上がり描いた作品に込めた想いを語ります。可愛らしく微笑ましいその光景に観客席全体から笑みがこぼれ温かな空気に包まれます。「ぼくの花火上がれ!」「わたしの花火上がれ!」。こどもたちの元気な合図を皮切りに様々な花火が打ち上げられます。さらにもう一つの魅力として「ことだま花火」があります。いわゆるメッセージ花火です。ステージに上がり直接贈られるメッセージに観客も大いに盛り上がります。プロポーズをする人もいます。一生の想い出になるはずです。
栃木県宇都宮市雷都宇都宮を花火で表現。
宇都宮市は雷が発生しやすいことでも有名です。その特徴を花火で表現するプログラムがあります。花火の中でも最も明るく眩しい種類の「雷」や「花雷」を多用した構成になっており光り輝くその花火の連続は目を開けていられないくらいです。このプログラムはカメラマン泣かせです。どんなに露出(明るさ)を調整しても白飛びしてしまうからです。そんな時は写真撮影を少しお休みして観覧しています。そしてもう一つ宇都宮で忘れてはならない物、それは餃子。楽しい餃子型の花火も必見です。花火会場内には餃子型の照明も並びます。少し珍しいのは花火大会の途中に休憩時間が設けられていることです。写真を撮る人にとっては前半の写真を見返し、後半の撮影計画を練り直すことが出来ます。
Data
うつのみや花火大会
日時:2018年8月11日(土)
場所:宇都宮市道場宿町上河原地先 MAP
うつのみや花火大会HP:http://www.utsunomiya-hanabi.jp/home
※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。
1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751
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14ozセルビッチデニム ショートパンツ
直営店限定ショーツ!2018年夏、数量限定企画
- リニューアル前の14ozセルビッチデニムを使用したショートパンツ
- 夏にぴったりなライトオンスの14ozで、キャンプ等のアウトドアやレジャーに持ってこいです
- レングス以外の仕様は【634S-14】をご参照ください
634S-14 : サイズスペック
ウエスト | 股上(前) | 股上(後) | ワタリ巾 | ヒザ巾 | 股下丈 | |
---|---|---|---|---|---|---|
W28 | 71.5 | 21.5 | 32.5 | 29.2 | 21.0 | 29.0 |
W29 | 74.0 | 22.0 | 33.0 | 30.0 | 21.5 | 29.0 |
W30 | 76.5 | 22.5 | 33.5 | 30.8 | 22.0 | 29.0 |
W31 | 79.0 | 23.0 | 34.0 | 31.6 | 22.5 | 29.0 |
W32 | 81.5 | 23.5 | 34.5 | 32.5 | 23.0 | 29.0 |
W33 | 84.0 | 24.0 | 35.0 | 33.2 | 23.5 | 29.0 |
W34 | 86.5 | 24.5 | 35.5 | 34.0 | 24.0 | 29.0 |
W36 | 91.5 | 25.5 | 36.5 | 35.6 | 25.0 | 29.0 |
W38 | 96.5 | 26.5 | 37.5 | 37.2 | 26.0 | 29.0 |
W40 | 101.5 | 27.5 | 38.5 | 38.8 | 27.0 | 29.0 |
- 商品により若干の誤差が出る場合がございます
- 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません
素材
- 綿:100%
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TETSUデザイン プリントトートバッグ カスタムバージョン
BOSS TALKで掲載された思いつき企画!
- 東京店限定のカスタムトートのスペシャルバージョンです
- 各1個づつのみですがweb用に確保致しました!
- バッグ上端にはYKK社製のパーメックスボタンを追加
- 右端にはアイアンハートのワッペンを縫い付けています
- バッグの生地は、程よい厚みの9号帆布を使用
- ベースカラーはキナリのみ
- 袋部分は タテ約41?×ヨコ約42? マチ7.5?
- 持ち手は約54? 肩にかけられる長さです
- 内側のポケット上部にアイアンハートの織ネームがつきます
- 男女ともにご使用頂ける使い易いシンプルなトートバッグです
素材
- 綿:100%
有明海を臨む小さな町から、日本の家具が世界に羽ばたく。[Ariake/ 佐賀県佐賀市]
佐賀県佐賀市日本文化のスピリットを生かした、現代の都市生活に馴染む家具。
誰もが毎日使う椅子やテーブルなどの家具。多くの時間を共に過ごすだけに、それらの使い心地は人生の質までも左右すると言っても過言ではありません。そんな暮らしのパートナーとも言える家具に、日本ならではのデザインとマテリアルを凝縮させて、世界に向けて発信しているブランドがあります。
その名は『Ariake』。有明海に臨む小さな町で生まれた、それでいて、世界に大きく羽ばたきつつある家具ブランドです。
家具職人の町として発展してきた佐賀県の諸富町(もろどみちょう)。そこでレグナテック社と平田椅子製作所の2社が立ち上げた新ブランドです。佐賀県と世界をつなげる湾であり、「夜明け」を意味する言葉でもある『有明』をブランド名として、国内外の著名デザイナー達とのコラボレーションによってグローバル市場に展開しています。(後編はコチラ)
佐賀県佐賀市目指すは海外! 小さな町から世界に挑戦。
テーブルや収納家具などの幅広い家具を得意とし、諸富家具振興協同組合の理事長も務めているレグナテック社の社長・樺島雄大(かばしま・たけひろ)氏には、「創業50周年を機に本格的に海外に進出したい」という想いがありました。そこで、その50周年目であった2014年に、椅子やソファなどを得意とする平田椅子製作所を含めた数社と共に、シンガポール国際家具展示会(IFFS - International Furniture Fair Singapore-)に出展したのです。
レグナテック社はもともと台湾や香港と取引があり、海外販売のノウハウは0ではありませんでした。平田椅子製作所も、佐賀大学医学部と共に椅子の座り心地などのデータを研究し、人間工学に基づいた体にやさしい椅子を実現するなど、高い品質を自負していました。しかし、最初の出展の結果は芳しくありませんでした。
佐賀県佐賀市祖振り合うように、運命のデザイナーと出会った。
レグナテック社も平田椅子製作所も、海外のバイヤーの注目を集めることができず、目立った成果は上げられませんでした。諦めずに翌年の2015年も出展したものの、バイヤー達の反応はやはりいまひとつ。思い悩む2社のブースの隣には、シンガポール人のデザイナー、ガブリエル・タン氏が出展していました。
デザインだけでなくブランディングやディレクションも手がけるというタン氏の話を聞いた樺島氏は、彼と名刺を交換。3回目の出展の前に連絡を取り、「もう一度出展するからぜひ我々の家具をデザインしてください」と依頼したのです。平田椅子製作所の社長・平田尚二(ひらた・しょうじ)氏と共に、新たに戦略を練り直した結果でした。
佐賀県佐賀市思いがけない「チーム結成」。海外デザイナー達との壮大なコラボが実現。
ところがタン氏から返ってきたのは、予期せぬ壮大な提案でした。「せっかく世界に向けてオリジナルブランドを展開するのなら、私だけでなく様々な国のデザイナー達とチームを組みませんか?」。
タン氏は世界各国に人脈を持つ著名なデザイナーで、それを生かして2社のプロジェクトをさらに発展させようと考えてくれたのです。
樺山氏も平田氏も驚いたものの、タン氏の熱意と意欲に応えるべく、予算やバックアップ体制をなんとか整えました。
こうして集ったのが、世界各国からはせ参じてくれた4人の強力なスターティングメンバーでした。
まずはガブリエル・タン氏。袖振り合うような偶然の縁によって、プロジェクトの要となってくれたデザイナーです。次にノルウェーのアンデシェン&ヴォル(グループ名)。WALLPAPER誌のアワードをはじめ多数の受賞歴を持つデザイナー達で、『Ariake』のプロダクトに最初に取り組んでくれました。続いてノルウェーのスタファン・ホルム氏。彼がデザインした『組子キャビネット』はイギリスのWALLPAPER誌の表紙になりました。さらに日本人の芦沢啓治(あしざわ・けいじ)氏。家具はもちろんのこと、建築やインテリアのデザイン・展示会のディレクション・工房の運営まで行なうマルチなデザイナーで、そのスキルと広い視野で『Ariake』に高いユーザビリティを取り入れてくれました。
こうして彼らは、諸富町で2年の間に1週間~10日のワークショップを2回行ないました。平田氏や諸富町の家具職人らも、共に工場で寝泊りしながらこのワークショップに参加。1回目はスターティングメンバー達と、2回目はさらに3名のデザイナーとアートディレクターとフォトグラファー達が加わって、最終的には世界7か国にまたがるチームが結成されたのです。
濃密なディスカッションと試作を集中的に重ねたワークショップは、『Ariake』チーム全体の意識を一体化させていきました。こうして『Ariake』のブランドコンセプトとデザインの方向性が構築されていったのです。
佐賀県佐賀市苦労もあったが、成果は大きかった。
「仕事における強いつながりは、良いものづくりの土台である」。これが『Ariake』の信念となりました。人が共に住み、働き、食事をする社会生活のために作られる家具ブランドには、ふさわしい信念と言えるでしょう。
しかし、そこに至るまでのワークショップは苦労の連続でもありました。最も苦労したのは、海外デザイナー達とのコミュニケーションだったそう。言語が違う上に、英語が喋れるメンバーも少なかったため、デザイナー達が意図するデザインを平田氏も家具職人達もなかなか理解できなかったのです。そこで紙と鉛筆で絵を描いたり、その場で図面を引くなどして、地道に打ち合わせを進めていきました。荒削りながらもデザイナーのイメージを形にしていき、ついに日本文化のスピリチュアリティーと都市の生活背景にインスパイアされた家具コレクションが誕生したのです。
佐賀県佐賀市いざ再チャレンジ! 『Ariake』の評価はいかに?
こうして『Ariake』は、計30点の家具コレクションとしてラインナップされました。
グローバル市場を見据え、国内外のデザイナー達と共に諸富の伝統技法を生かした家具を創り上げる――人口わずか1万2千人の町から生まれた家具ブランドが、満を持して2017年3月のシンガポール国際家具見本市(IFFS)に出展されました。
次回の後編は、その反響と、『Ariake』ならではのプロダクトの魅力についてお伝えします。
レグナテック株式会社
住所:佐賀県佐賀市諸富町大字山領266-1 MAP
電話:0952-47-6111
平田椅子製作所
住所:佐賀県佐賀市諸富町大字徳富118-2 MAP
電話:0952-47-6534
HP:http://www.ariakecollection.com/
連絡先:info@ariakecollection.com
写真提供:Ariake
確固たるブランディングで世界を目指す。地方の家具メーカーの壮大な挑戦。[Ariake/ 佐賀県佐賀市]
佐賀県佐賀市世界のデザイナー×日本の職人技。「外の視点」だからこそ引き出せた魅力。
佐賀県の小さな町から、グローバル市場を見据えて生み出された『Ariake』。
日本のものづくりに国内外のデザイナー達のエッセンスとプロデュース能力が加わった家具ブランドは、世界でどう評価されたのでしょうか? 後編では、その反響と今後の『Ariake』の展開を追います。(前編はコチラ)
佐賀県佐賀市うってかわって大反響! 『日本の家具』が世界に認められた。
2017年3月のシンガポール国際家具展示会 (IFFS)にて、満を持して発表された『Ariake』。その反響は、失意に終わった過去の出展とは真逆のものでした。
主に寄せられた声は、「デザインがすごくいい!」「シンプルなのにとても存在感がある」「どんなインテリアや家にも馴染みそう」というもの。さらに国内外のデザイナー達による和モダンなデザインは、海外バイヤー達の目にもエキゾチックに映ったようです。「日本ならではの美を感じる」「それなのに、現代のライフスタイルにもマッチする」といった感想も多く寄せられました。
佐賀県佐賀市海外の評価が国内にも還流。世界を目指した戦略が当たった。
「シンガポールでのデビューを機に、海外から『Ariake』の評価は広がっていきました。シンガポール国際家具展示会(IFFS)の次は、反響を逆輸入する形で東京ビッグサイトに出展。その次は、再び海外に出てスウェーデンに出展。その後もオーストラリア・ベトナム・デンマークと出展して、今後はアメリカやノルウェーに出すという話があります」とレグナテック社社長の樺島雄大(かばしま・たけひろ)氏は語ります。
デザイナー達のネームバリューの恩恵もあるものの、「きちんとブランディングされた製品が少なかった日本の家具が、ようやく相応に評価された」という実感も大きいそうです。
「きちんとブランディングすれば、日本の家具も十分に海外で通用することが分かりました。その自信と評価が得られたことが、何よりもうれしいですね」と樺島氏は語ります。
ものづくりの国・日本のプロダクトは、もともと海外で根強い人気があります。家具もそうなのに、かつてはそれに応えられるブランドがなかった――『Ariake』がその潜在ニーズを掘り起こせたことに、確かな手ごたえを感じているそうです。
佐賀県佐賀市『Ariake』ならではの個性を随所に表現。
『Ariake』の特徴は、名前の由来である有明海のモチーフをデザインのディティールに取り入れていること。例えば多くのプロダクトに見られる黒のカラーリングは、有明海の干潟の色をイメージしています(墨染め)。また、海外の人々が「日本独自の色」としてイメージしがちな藍や、佐賀県で開催されている熱気球の世界大会からインスパイアされた熱気球のモチーフなども、随所に取り入れられています。
佐賀県佐賀市美しくハイセンスであると同時に、人にもやさしい家具。
ブランド発足からまだ5年足らずの『Ariake』ですが、そのデザイン性の高さと使い心地の良さは高く評価されています。個人客はもちろんのこと、ホテルや観光施設などへの納入も増えており、そういった場所で『Ariake』の家具を体感した人々が、ショールームを探して直接訪ねてきてくれることもあるそう。
「その際に寄せられたのは、『デザインが良い』というお声と『使い心地や座り心地が良い』『腰が楽になった』などというお声ですね」と平田椅子製作所の社長・平田尚二(ひらた・しょうじ)氏は語ります。「弊社は人間工学に基づいた体にやさしい椅子づくりを行なっているので、デザインやセンスだけではない価値を感じていただけているようです」とのこと。
レグナテック社も人にやさしい家具づくりに取り組んでおり、素材や塗料に含まれる有害物質のホルマリンを可能な限り低減しています。国内基準で最高の「F☆☆☆☆ (使用面積制限なし)」を獲得しており、その安全性もさらに進化させていくそうです。
佐賀県佐賀市「使う人を幸せにする家具」を提供。
『Ariake』の家具を通じて、それを使う人々にどのような価値を提供していくのか――樺島氏と平田氏はこう語ります。
「レグナテック社のキャッチコピーは、“木の家具は人を幸せにしてくれる”です。『Ariake』にもそれを生かして、使う人々に幸せになってもらいたい、という想いで作っています。何もかもが使い捨ての時代となってしまいましたが、家具は常に家の中に在って、家族や人々が寄り添う基盤となるものです。心地よい家具が配された心地よい空間と共に、人生を歩んでいただきたい。良い家具に囲まれれば、くつろぎと安らぎが生まれます。そのためには、長くご愛用いただける高品質な家具でなければいけません。『Ariake』は、そのニーズにお答えできるプロダクトだと自負しています」。
一方の平田椅子製作所のキャッチコピーは、“かたらいのしたに、いつも”。家族が集う空間には、会話や食事といった幸せな光景が日々生まれます。そんな光景に自然に溶け込み、家族の絆を支える助けになりたい――そんな願いがこめられているそうです。
「さらに人生まで豊かにしていただきたい、というのが私達の想いです」と平田氏は語ります。「社名の通り、椅子を主に作っている弊社は、『リビングでの家族の団欒』を大切に考えています。ひとつのテーブルを囲んでご家族にゆったりコミュニケーションをとっていただきたい。ご家族が一つ屋根の下で暮らすなかで、大きな役割を占めるのが家具です。上質で使い心地の良い家具は、心を和ませて人生まで豊かにしてくれます。また、優れたデザインや座り心地の良さは、目を楽しませて心身をリラックスさせてくれます。そんな価値ある椅子や家具で、人生をより豊かにしていただきたいのです」。
レグナテック社も平田椅子製作所も、『Ariake』の洗練されたデザインの中に、家具職人としての変わらぬ実直さをこめています。日本の家具職人の誇りと技がこめられているからこそ、『Ariake』は世界で評価されているのです。
佐賀県佐賀市『Ariake』と自社だけでなく、「日本の家具」全体のブランディングを目指す。
「日本の家具は、いまだ世界における認知度が低くて評価も十分にされていません。ですが、『Ariake』がその突破口を開きつつあると実感しています。地方の小さな家具メーカーでも、世界に通用するブランドが作れる。これからも『Ariake』でそれを証明していきたいと考えています」と樺島氏は語ります。
さらに目指すのは、『Ariake』とレグナテック社と平田椅子製作所の家具に留まらず、諸富町という『家具職人の町』をもブランド化すること。より多くの人に諸富町の「ものづくり」を知ってもらい、海外の顧客と販路を開拓していきたいそうです。
「日本は急激に少子化が進んでいて、この流れは止められません。今後は国内の家具需要は縮小していく一方なので、海外の販路開拓は絶対に必要です。ですが、家具業界は輸出に関する取り組みがあまり進んでおらず、実績も上がっていません。だから我々が先陣をきるつもりでチャレンジしていきます」。
樺島氏と平田氏のさらなる目標は、そうやって作り上げた販路を諸富町の家具業者だけでなく、日本の家具業界全体に広めていくこと。家具業界全体の未来をも見据えて取り組んでいます。
「『Ariake』を諸富町を代表するブランドに育て上げて、海外のバイヤーが買い付けに来るようにしたいですね。諸富町の家具産地としての歴史は浅く、町自体も小さいですが、そこから積極的に海外に打って出て、日本の家具業界全体の道を切り拓いていきたいと考えています」。
人のために家具をつくり、家具業界全体のために海外を目指す。『Ariake』を生み出したレグナテック社と平田椅子製作所は、今後もその挑戦を続けていきます。
レグナテック株式会社 MAP
住所:佐賀県佐賀市諸富町大字山領266-1
電話:0952-47-6111
平田椅子製作所 MAP
住所:佐賀県佐賀市諸富町大字徳富118-2
電話:0952-47-6534
HP:http://www.ariakecollection.com/
連絡先:info@ariakecollection.com
写真提供:Ariake
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14ozセルビッチデニム スリムストレート
生地を新たにし、よりアイアンらしくなった14oz!
- 生地を作る工場から変更をし新たに作り上げた14ozセルビッチ生地を使用して製作しました
- 今後はこの新たな生地で定番の14ozシリーズとして販売していきます
- 21ozセルビッチ同様に緯糸には5番の太さの糸を2本束ねた双糸を使い、シャトル織機でゆっくりと織り上げたデニム
- ヘビーオンスの作りと同様に作り上げられた新たな14ozは今まで以上にアイアンらしい14ozとなりました
- 実質は15ozに近いウェイトのデニムは、軽くともしっかり穿き込んだ後の色落ちも楽しめます
- リベットは昔ながらの打ち抜きタイプを使用
- 皮ラベルは14oz専用の100%植物タンニン鞣しのアースレザー(牛革)を採用
- セルビッチデニムにありがちな1回目の洗いの際に起こる極端な洗い縮みを解消すべくワンウォッシュ済み
666S-14 : サイズスペック
ウエスト | 股上(前) | 股上(後) | ワタリ巾 | ヒザ巾 | 裾巾 | 股下丈 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
W28 | 71.5 | 20.5 | 32.0 | 26.7 | 19.5 | 18.0 | 91.0 |
W29 | 74.0 | 21.0 | 32.5 | 27.5 | 20.0 | 18.5 | 91.0 |
W30 | 76.5 | 21.5 | 33.0 | 28.3 | 20.5 | 19.0 | 91.0 |
W31 | 79.0 | 22.0 | 33.5 | 29.1 | 21.0 | 19.5 | 91.0 |
W32 | 81.5 | 22.5 | 34.0 | 29.8 | 21.5 | 20.0 | 91.0 |
W33 | 84.0 | 23.0 | 34.5 | 30.7 | 22.0 | 20.5 | 91.0 |
W34 | 86.5 | 23.5 | 35.0 | 31.5 | 22.5 | 21.0 | 91.0 |
W36 | 91.5 | 24.5 | 36.0 | 33.1 | 23.5 | 22.0 | 91.0 |
W38 | 96.5 | 25.5 | 37.0 | 34.7 | 24.5 | 23.0 | 91.0 |
W40 | 101.5 | 26.5 | 38.0 | 36.3 | 25.5 | 24.0 | 91.0 |
- 商品により若干の誤差が出る場合がございます。
- 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません。
素材
- 綿:100%
14ozセルビッチデニム ストレート
生地を新たにし、よりアイアンらしくなった14oz!
- 生地を作る工場から変更をし新たに作り上げた14ozセルビッチ生地を使用して製作しました
- 今後はこの新たな生地で定番の14ozシリーズとして販売していきます
- 21ozセルビッチ同様に緯糸には5番の太さの糸を2本束ねた双糸を使い、シャトル織機でゆっくりと織り上げたデニム
- ヘビーオンスの作りと同様に作り上げられた新たな14ozは今まで以上にアイアンらしい14ozとなりました
- 実質は15ozに近いウェイトのデニムは、軽くともしっかりさや穿き込んだ後の色落ちも楽しめます
- リベットは昔ながらの打ち抜きタイプを使用
- 皮ラベルは14oz専用の100%植物タンニン鞣しのアースレザー(牛革)を採用
- セルビッチデニムにありがちな1回目の洗いの際に起こる極端な洗い縮みを解消すべくワンウォッシュ済み
634S-14 : サイズスペック
ウエスト | 股上(前) | 股上(後) | ワタリ巾 | ヒザ巾 | 裾巾 | 股下丈 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
W28 | 71.5 | 21.5 | 32.5 | 29.2 | 21.0 | 19.0 | 91.0 |
W29 | 74.0 | 22.0 | 33.0 | 30.0 | 21.5 | 19.5 | 91.0 |
W30 | 76.5 | 22.5 | 33.5 | 30.8 | 22.0 | 20.0 | 91.0 |
W31 | 79.0 | 23.0 | 34.0 | 31.6 | 22.5 | 20.5 | 91.0 |
W32 | 81.5 | 23.5 | 34.5 | 32.5 | 23.0 | 21.0 | 91.0 |
W33 | 84.0 | 24.0 | 35.0 | 33.2 | 23.5 | 21.5 | 91.0 |
W34 | 86.5 | 24.5 | 35.5 | 34.0 | 24.0 | 22.0 | 91.0 |
W36 | 91.5 | 25.5 | 36.5 | 35.6 | 25.0 | 23.0 | 91.0 |
W38 | 96.5 | 26.5 | 37.5 | 37.2 | 26.0 | 24.0 | 91.0 |
W40 | 101.5 | 27.5 | 38.5 | 38.8 | 27.0 | 25.0 | 91.0 |
- 商品により若干の誤差が出る場合がございます。
- 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません。
素材
- 綿:100%
2018年夏季休業のお知らせ
平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら、下記期間を夏季休業とさせていただきます。
2018年8月11日(土・祝)~16日(木)まで
※ 2018年8月17日(金)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問い合わせにつきましては、2018年8月17日(金)以降に対応させていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
2018年夏季休業のお知らせ
平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら、下記期間を夏季休業とさせていただきます。
2018年8月11日(土・祝)~16日(木)まで
※ 2018年8月17日(金)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問い合わせにつきましては、2018年8月17日(金)以降に対応させていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
極東・日本より世界の頂を掴む! 若きシェフの野心ある挑戦。[第3回 サンペレグリノ ヤングシェフ2018]
30歳以下の料理人コンテストで日本人初の快挙!
「遅れてしまって、すみません〜。寝坊しました!」。
180cmを超える上背に、スラリと引き締まったスタイル、端正な顔立ちに合わせているのは、学者然とした丸眼鏡。品川駅の雑踏の中、ひときわ目を引く出で立ちで現れたのは、藤尾康浩氏、30歳。スタイルの良さからは想像もつかないほどの腰の低さで10分ほどの遅刻を平謝り。そんな出会いからインタビューは始まったのですが、実は藤尾氏、2017年に好評を博した『DINING OUT UCHIKO with LEXUS』での活躍も記憶に新しい大阪『La Cime』のスーシェフ(副料理長)なのです。
なぜ、ミシュラン2つ星シェフの高田裕介氏ではなく、あえてスーシェフの藤尾氏にインタビュー?と思った方も多いのではないでしょうか。
そうなのです。今回、『ONESTORY』がインタビューをお願いしたのは、藤尾氏であり、話をうかがったのは30歳以下の料理人の世界一を決める、国際料理コンクール「第3回 サンペレグリノ ヤングシェフ2018」についてです。こちらはまだまだ日本ではなじみのない若手料理人のコンクールではありますが、実は国際的に評価の高いコンペティションであり、世界を目指す若き料理人の登竜門としても位置づけられています。主催がイタリアの世界的飲料メーカー・サンペレグリノということもあり、ゆくゆくは同社が同じく主催する『世界ベストレストラン 50』での活躍も期待できます。世界を見据えたシェフたちの土台づくりや、育成という側面があるのかもしれません。
そして、去る5月12日と13日の2日間、ミラノで行われた同大会の決戦大会で、今年度のグランプリに輝いたのが藤尾氏なのです!
世界各地3,000人以上の候補者から予選を勝ち抜いた精鋭21人が、開催地のミラノで激戦を繰り広げた2日間、ひと皿のみのシグネチャーディッシュで審査されたという料理について、更には自らの生い立ちや料理人としてのこれからについてまで、『ONESTORY』では、若き世界王者の想いを独占インタビューしました。なぜ、彼が世界一になれたのか、そんな核心にも迫ってみました。
表現したのは世界に出たからこそわかった「日本」。
世界各地区より選び抜かれた若き21人の料理人が競い合う同大会。審査はいたってシンプルで、それぞれがシグネチャーディッシュひと皿を作り、7人の審査員に試食をしてもらい審査されるというものです。
「使った食材は鮎。日本人がとても大切にしている食材で、旬、食材への思い、環境へのリスペクトを盛り込みました」。
イギリス・フランスと海外経験が長い藤尾氏。帰国後、料理人として知った日本独特の食文化を、海外に出たからこそわかった自らの経験と視点で再構築してみせたのです。
海外で魚の頭を食べる文化は皆無。しかし鮎はまるごと味わうのが醍醐味。そうであるならば、一旦頭は取ってしまい、一度焼いた後、パウダー状にする。身の部分は、皮だけを残して筒状に中身をくり抜いた。一度外した身は三枚におろして骨を取ってから、炊いた米、クレソンと合わせてムースにし、皮の中に再び戻す。更に日本人が愛してやまない鮎の肝は、塩漬けにしてソースに。黒ニンニクとタマネギを炒め、泡立てたホイップクリームを合わせたといいます。
「軽やかだけど苦味が残るのが、鮎の醍醐味。それをひと皿ではなく、ひと口で味わってほしい。メンター・シェフのルカさんに審査でのひと口の重要性を説かれていましたので、とにかくファーストインパクトにはとことんこだわりました」。
更に香りを山椒でまとめ、パリパリの皮の食感を大切に、火傷するくらい熱々の焼き立てで審査員のテーブルへと皿が運ばれたといいます。
そのようにしたのは、香り、食感、温度という日本人が大切にする三位一体を、ひと口目で感じてもらうためでした。
そんな彼のひと皿は、素材に対して最もリスペクトが高かったシェフに贈られる「アクアパンナ賞」とグランプリのダブル受賞という快挙でも証明されたのです。
世界と渡り合う際のコミュニケーション力の重要性。
舞台上、流暢な英語でのスピーチで、自身の料理のコンセプトを自らの言葉で語った藤尾氏。とかく、英語でのコミュニケーションが苦手な日本人シェフが多い中、英語で話すことに抵抗がなく、言葉の壁がなかったのは勝利の一因でしょう。
「大阪時代、エスカレーター式の学校で中学からそのまま高校へ進学できたのですが、それがすごく嫌で。普通ではないことがしたくて、イギリスへ留学をしたんです。その後、イギリスで高校卒業、フランスに渡りビジネスを学び大学を卒業。その頃から家で料理を作るようになり、それが楽しくて料理人という選択肢が朧気ながら見え始めるんです。そして大学時代に興味本位で研修をさせていただいた『パッサージュ53』で何もできなかった自分がいて。身の程を知る。そこからですね、料理にのめり込んでいくのは」。
決して話し好きというわけではないが、必要があれば言葉を選び淡々と語る藤尾氏。クレバーかつ冷静沈着に物事を分析できる藤尾氏の素地は、学生時代の経験にも隠されています。海外の街で、ひとりで暮らした10代。日本人が築き上げてきたその街での地位は、その街に暮らす自分の言動ひとつでどうとでもなってしまう。だからこそ、どんなに若く、未熟でも日本人の代表として見られる意識が芽生えたといいます。考え、言葉を選び、伝えていく。大会のプレゼンテーションにおいて、秘めたる思いを大切に語ったスピーチは、同様に彼らしさを象徴するひと幕でもあったのです。
日本の料理のすごさを世界に伝えるために…。
「『龍吟』の山本さんには海外の人に鮎の良さを伝える難しさを教えてもらいましたし、『NARISAWA』の成澤さんには大会前に料理を試食してもらいダメ出しも頂きました。中村孝則さんには、釣りキチ三平の漫画で鮎を説明するアイデアも頂きました。もちろん、常に相談に乗って頂いたルカさん、師である高田さん、料理を食べて頂いた『傳』の長谷川さんなど、お世話になった方ばかりなんです。アジアのシェフたちの応援も力になりました。この大会で、本当にひとりでは何もできないということを学べたのも大きかったですね」。
「周りの人たちの力を借りる重要性、更にそれを素直に受け止め、自分なりにどう放っていくかが大切なんだと思いました」。
藤尾さん、世界一、本当におめでとうございます!
住所:〒541-0048 大阪府大阪市中央区瓦町3丁目2−15 瓦町ウサミビル MAP
電話:06-6222-2010
営業時間:12:00~15:30, 18:30~23:00
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この夏は新潟へ。歴史と文化の歩みが成した大輪の花火と、現代アートがもたらす豊かな旅。[新潟県長岡市・小千谷市・越後妻有]
幸福な未来へ願いを込めて。新潟を代表するふたつの花火大会。
前例がないほど厳しい暑さに辟易する、そんな気分を明るくしてくれるイベントが目白押しの日本列島。中でも豊かな海山に囲まれた新潟県では、伝統や文化に寄り添った、日本の魅力を再発見できる催しが開催されます。
県下第二の人口を有する長岡市にて8月2日・3日に行われ、全国から100万人以上の人が集まる「長岡まつり大花火大会」は、新潟県を代表するお祭りです。73年前に長岡市街を襲った戦火、その犠牲者の慰霊と復興を願い、長岡まつりの前身となる「長岡復興祭」が始まったのは終戦からわずか一年後の1946年。以来、恒久平和への願いを乗せ、打ち上げられ続けてきた花火は美しく、時代を超えて人々の胸に強く残り続けています。
▶「長岡まつり大花火大会」の記事はこちら
一方、夏の気配がまだ残る9月9日・10日には、三尺玉の発祥地とされる小千谷市片貝地区で、「片貝まつり」が行われます。その歴史は400年以上といい、一帯の氏神である浅原神社へ奉納する花火、いわゆる奉納煙火が打ち上げられます。花火一発毎にアナウンスされる人々の願いを乗せ、花開く大輪の花火は圧倒的な美しさ。注目は世界最大級の四尺玉で、大きな音と共に打ち上げられると、小さな町は大歓声に包まれます。
▶「片貝まつり」の記事はこちら
ONESTORYで日本の花火についてのコラムを執筆されている写真家の金武さんも、歴史や文化の影響が色濃く残るふたつの花火を絶賛しています。そこには、ただ美しいだけでない、人の歩みとともに紡いできた物語があり、その物語が、百戦錬磨の写真家をも魅了するのでしょう。
▶「金武 武の日本の花火100」のコラム一覧はこちら
寝ても冷めてもアートに浸る!光を感じる宿と、三年越しの芸術祭。
花火を見た後は、新潟が誇るもう一つの魅力、アートを感じられるお宿へ。今夏、三年越しに開催される芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、その第一回にあたる2000年に十日町市に誕生した「光の館」は、光のアーティストとして知られるジェームズ・タレル氏が手がけた建築です。谷崎潤一郎の文学作品『陰影礼賛』からインスピレーションを得たという光の世界には、なんと宿泊することが可能。滞在により作品をより深く感じられる、究極の芸術鑑賞が待っています。
▶「光の館」の記事はこちら
宿泊の後は、もちろん「大地の芸術祭」へ。「人間は自然に内包される」を理念に掲げ、広大な里山を舞台に行われるアートの祭典は、越後妻有(十日町市、津南町)にて7月29日から9月17日の開催です。国内外の芸術家が手がける様々な作品に触れ、人と自然とアートの融合を、全身で感じてみてください。
▶「大地の芸術祭」の過去の記事はこちら
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獲る、売る、場をつくる。自慢の海の恵みをそれぞれの形で発信する。[福井県高浜町]
福井県高浜町独特の地形と海流が、自慢の海の幸を育む。
日本は四方を海に囲まれているため、「うちの魚はうまい」、「うちの魚が一番だ」と、あちらこちらで魚自慢の声を耳にします。しかし、北陸の魚介類のおいしさは別格。特に、福井県の南西、若狭湾で獲れる魚は関西圏を中心に一目置かれています。 若狭湾は日本海側ではめずらしい大規模なリアス式海岸の上、海底から立ち上がる天然礁により複雑な潮の流れが発生します。この潮の流れにより、良質なプランクトンが繁殖。そのプランクトンをエサにする魚介類が集まってくるのです。
さらに、暖流の対馬海流と寒流のリマン海流がぶつかる複雑な海流により、豊かな漁場をつくり出しています。 若狭湾に面した海辺のまち、高浜町。地元の人たちは、「ここの魚を食べたら、よそでは食べられない」と口々に言います。高浜人たちが誇る自慢の海の幸を探しに、いざ港へ、海へ。(前編はコチラ)
福井県高浜町ひと口食べれば、その新鮮さに驚く。漁師たちの魚への熱い思い。
朝7時、定置網漁を終えた漁船が和田漁港に戻ってきました。和田漁港は高浜町の東部にある港で、国際環境認証のひとつ「BLUE FLAG(ブルーフラッグ)」を取得した若狭和田ビーチと同じ地区にあります。 船には20人ほどの海の男たち。若手もいれば、ベテラン組も。船が港に着くや否や持ち場につき、慣れた手つきで水揚げされた魚の選別を始めます。ここからは時間との勝負。魚が新鮮なうちに、種類や大きさ別に手早く分ける必要があります。
網には、あじ、いわし、とびうお、鯛、さごし、剣先いかなど、夏の高浜を代表する魚がかかっていました。 船はほぼ毎日、4時半ごろ出航します。よほどの荒天でない限り、休むことなく海へ出るそう。高浜をはじめとする福井の漁業の特徴は、漁港から漁場までの距離が近いこと。早朝出航し、遅くても昼までには帰航。沖合で何日も操業することがないため、水揚げした魚は他の地域に比べて活きが良いまま持ち帰ることができる。そして、新鮮なまま、いち早く出荷できるのです。
福井県高浜町朝獲れ魚を夕方に食べる、海のまちならではの贅沢。
一般的な市場では、水揚げされた魚は中央卸売市場などに集められてから流通します。高浜でも6〜7割は関西圏に出荷しますが、地元の市場で競りにかけられるものも多いそう。「朝獲れた魚は、午後には店先に並ぶよ」と、漁業組合の人は何でもないことのように言いますが、通常の流通から考えれば極めて稀なこと。高浜の人たちが誇る魚のおいしさの理由が、ここにありました。
和田漁港がある和田地区には、1軒だけ魚屋があります。「昔は地区に2軒、他に行商の魚屋もいたけど、今はうちだけ」と話すのは、店主の福井啓道氏。昭和18年に創業した魚屋『ふく井』の2代目です。 昔は、魚をよそからも仕入れてたくさんの種類を扱っていたそうですが、今は地元の市場で競り落とす地物の魚のみ。お客は高浜の魚介のおいしさをとことん知っている、近所の馴染みの顔ばかり。味に厳しい、高浜の人たちを納得させる目利きが必要です。「1人でも買いに来てくれる人がいる限り、続けたいね」と、福井氏は話してくれました。
福井県高浜町海の目の前に店を構え、高浜の海の素晴らしさを伝える。
「今日は地物のサザエと若狭ぐじが入っていますよ」と、運ばれてきた海の幸。高浜ならではの食の体験ができる場所があると聞き、伺ったのはカフェ&バー『FAMILIAR(ファミリア)』。パスタやカレー、タコライスなど洋食メニューを提供するお店ですが、この時期のお楽しみは、海を見ながら楽しめるバーベキューです。
バーベキューの食材といえば牛肉や豚肉、にんじんや玉ねぎなどの野菜が真っ先に浮かぶと思いますが、高浜のバーベキューといえば海の幸が主役。まずは、自慢のサザエをつぼ焼きに。炭火の上に殻ごと乗せて、しばらく見守ります。ブクブクと汁が出てきたところに醤油を垂らすと、何ともいえない香ばしい香り。思わず、唾を飲み込みます。
「さあ、どうぞ」ということで、迷わずがぶり。日本海側のサザエはぷっくり肉厚とは聞いていましたが、これほどまでに食べ応えがあるとは! 養殖とは違って臭みがまったくなく、新鮮だから肝までしっかり食べられる。程よい苦みに、ビールを飲む手が止まりません。
店主の今井俊吾氏は高浜町出身で、一度は高浜を離れたものの4年前にUターン。きっかけはサーフィンを始めて、日本各地や海外の海に出かける中で地元高浜の海の素晴らしさに気がついたことだといいます。「水質、ロケーション、波、すべてにおいて最高です。若狭和田の海の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい。店はそのための場なんです」と、今井氏は力強く話します。
店を通して、食を通して、海の素晴らしさを伝える今井氏の挑戦はまだまだ続きます。昼も夜もたくさんの客でにぎわう店内からは、その思いが十分に伝わってきました。
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半径25km以内の食材を味わう「スローフードな旅館」。[江差旅庭 群来/北海道檜山郡]
北海道檜山郡江差の食材のポテンシャルを最大限に生かす味作り。
『江差旅庭 群来』の夜の食事は、棚田 清氏と妻の冨美子氏が漬けた自家製の果実酒からスタートします。旬魚を贅沢に使った椀物には白板昆布が浮かび、初夏なら殻付きの雲丹、ずわい蟹など、北の海の幸がずらり。平目や北寄貝など、魚介は何もかもが目を見張る美味しさです。飽くなき鮮度へのこだわりと確かな包丁仕事が、極上の素材の味を余すところなく引き出しつつ、上品かつ見目麗しい懐石のひと品へと昇華させます。
開業時の料理監修を手がけたのは中村孝明氏。まだ海のものとも山のものともつかない無名の小さな宿に著名な料理人が力を貸してくれたのは、まさにこの食材のレベルに感服してのことだったといいます。
海の幸はもちろん、川魚、春の山菜と、自然の恵みには事欠きません。加えて、『江差旅庭 群来』の料理を特別なものにしているのが、自社農園『拓美ファーム』で棚田氏夫妻が育てる食材の数々。有機栽培で育てる野菜や季節の果物に加え、地鶏、そして羊にいたるまで、自分たちの手で育てているといいます。これだけの食材を自給する旅館は、そうはありません。
北海道檜山郡宿で提供する分だけ。自社農園の妥協なき取り組み。
今回の取材も、宿から車で10分ほどの場所にある自社農園『拓美ファーム』からスタートしました。「この宿は農園ありき。農園での仕事を見て頂ければ、宿が目指すもの、あり様が伝わるはず」という棚田氏の想いからです。
ひば造りの立派な農作業小屋を中心とした『拓美ファーム』は、周りをぐるりと歩くとこぢんまりした印象を受けますが、その広さは東京ドーム2個分。畑はアスパラガスなどの春野菜が終わり、ズッキーニやパプリカ、ブロッコリー、オクラなどの夏野菜の苗が育ち始めた頃でした。有機栽培で少量多品種を育てる畑から収穫される農作物は、年間約40~50種。イタリアンパセリやミント、野生のミツバに紫蘇や和洋のハーブ類も、都内のスーパーマーケットで見かけるものとは別の、生き生きと力強いものが、どれだけ採っても採り足りぬというほどの勢いで生い茂っています。
加えて食肉用の北海地鶏に鶏卵用の種であるシェーバーブラウン、サフォーク種の羊も飼育。平飼いで飼育される鶏は、広々とした鶏舎を自由に駆け回り、毛並みのいい羊はのんびりと草を食んでいます。
野菜も鶏も羊も宿で提供する分だけを、目の届く範囲で、丁寧に。これが『拓美ファーム』のモットーです。
北海道檜山郡生ゴミゼロの循環型農業。地産地消を次のステージへ。
農地は棚田氏が両親から譲り受けたもの。広い畑を駆けまわり、新鮮な野菜、果物を好きなだけ食べて育った棚田氏にとって、自分自身で納得のいく農業を実践することは、旅館経営に乗り出す前からのライフワークでした。「農のある宿」という現在の姿は、『江差旅庭 群来』にとっては必然だったのです。
「イタリアのスローフードの考え方にも刺激を受けました」と棚田氏は話します。地産地消は明確な定義を持ちませんが、『江差旅庭 群来』では、宿で使用する食材は、原則、半径25km以内で調達したものと厳しく定めています。車でなら1時間で往復できる距離。手間暇かけた飼育と栽培、鮮度を保ったままの調理に徹底的にこだわった結果です。
『拓美ファーム』では宿の食事で出された蟹やホタテの殻、出汁を取った後の昆布などが粉砕して鶏や羊の飼料に使われ、生ゴミは堆肥にして畑の土作りに生かされています。理想的な循環型農業が実践されていて、開業から9年が経ちますが、瓶やペットボトル以外のゴミを一度も出していないというのは特筆すべき点ではないでしょうか。
「田舎だからできることを、江差を訪れて下さるお客様の喜びに」という棚田氏の哲学は、宿の食、味作りにおいて、もっとも徹底されているのです。
住所: 北海道檜山郡江差町姥神町1-5 MAP
電話: 0139-52-2020
https://www.esashi-kuki.jp/
半径25km以内の食材を味わう「スローフードな旅館」。[江差旅庭 群来/北海道檜山郡]
北海道檜山郡江差の食材のポテンシャルを最大限に生かす味作り。
『江差旅庭 群来』の夜の食事は、棚田 清氏と妻の冨美子氏が漬けた自家製の果実酒からスタートします。旬魚を贅沢に使った椀物には白板昆布が浮かび、初夏なら殻付きの雲丹、ずわい蟹など、北の海の幸がずらり。平目や北寄貝など、魚介は何もかもが目を見張る美味しさです。飽くなき鮮度へのこだわりと確かな包丁仕事が、極上の素材の味を余すところなく引き出しつつ、上品かつ見目麗しい懐石のひと品へと昇華させます。
開業時の料理監修を手がけたのは中村孝明氏。まだ海のものとも山のものともつかない無名の小さな宿に著名な料理人が力を貸してくれたのは、まさにこの食材のレベルに感服してのことだったといいます。
海の幸はもちろん、川魚、春の山菜と、自然の恵みには事欠きません。加えて、『江差旅庭 群来』の料理を特別なものにしているのが、自社農園『拓美ファーム』で棚田氏夫妻が育てる食材の数々。有機栽培で育てる野菜や季節の果物に加え、地鶏、そして羊にいたるまで、自分たちの手で育てているといいます。これだけの食材を自給する旅館は、そうはありません。
北海道檜山郡宿で提供する分だけ。自社農園の妥協なき取り組み。
今回の取材も、宿から車で10分ほどの場所にある自社農園『拓美ファーム』からスタートしました。「この宿は農園ありき。農園での仕事を見て頂ければ、宿が目指すもの、あり様が伝わるはず」という棚田氏の想いからです。
ひば造りの立派な農作業小屋を中心とした『拓美ファーム』は、周りをぐるりと歩くとこぢんまりした印象を受けますが、その広さは東京ドーム2個分。畑はアスパラガスなどの春野菜が終わり、ズッキーニやパプリカ、ブロッコリー、オクラなどの夏野菜の苗が育ち始めた頃でした。有機栽培で少量多品種を育てる畑から収穫される農作物は、年間約40~50種。イタリアンパセリやミント、野生のミツバに紫蘇や和洋のハーブ類も、都内のスーパーマーケットで見かけるものとは別の、生き生きと力強いものが、どれだけ採っても採り足りぬというほどの勢いで生い茂っています。
加えて食肉用の北海地鶏に鶏卵用の種であるシェーバーブラウン、サフォーク種の羊も飼育。平飼いで飼育される鶏は、広々とした鶏舎を自由に駆け回り、毛並みのいい羊はのんびりと草を食んでいます。
野菜も鶏も羊も宿で提供する分だけを、目の届く範囲で、丁寧に。これが『拓美ファーム』のモットーです。
北海道檜山郡生ゴミゼロの循環型農業。地産地消を次のステージへ。
農地は棚田氏が両親から譲り受けたもの。広い畑を駆けまわり、新鮮な野菜、果物を好きなだけ食べて育った棚田氏にとって、自分自身で納得のいく農業を実践することは、旅館経営に乗り出す前からのライフワークでした。「農のある宿」という現在の姿は、『江差旅庭 群来』にとっては必然だったのです。
「イタリアのスローフードの考え方にも刺激を受けました」と棚田氏は話します。地産地消は明確な定義を持ちませんが、『江差旅庭 群来』では、宿で使用する食材は、原則、半径25km以内で調達したものと厳しく定めています。車でなら1時間で往復できる距離。手間暇かけた飼育と栽培、鮮度を保ったままの調理に徹底的にこだわった結果です。
『拓美ファーム』では宿の食事で出された蟹やホタテの殻、出汁を取った後の昆布などが粉砕して鶏や羊の飼料に使われ、生ゴミは堆肥にして畑の土作りに生かされています。理想的な循環型農業が実践されていて、開業から9年が経ちますが、瓶やペットボトル以外のゴミを一度も出していないというのは特筆すべき点ではないでしょうか。
「田舎だからできることを、江差を訪れて下さるお客様の喜びに」という棚田氏の哲学は、宿の食、味作りにおいて、もっとも徹底されているのです。
住所: 北海道檜山郡江差町姥神町1-5 MAP
電話: 0139-52-2020
https://www.esashi-kuki.jp/
北海道初、日本遺産の町の魅力を全国、そして世界へ。[江差旅庭 群来/北海道檜山郡]
北海道檜山郡名は体を表す。「群来」の名に込めた想い。
「江差に群来が来た、群来が来たぞ」
2017年2月、江差の町全体が歓喜で湧きあがりました。
「群来」とは、ニシンの産卵活動で沿岸部が白く濁る現象を指します。江差で「群来」が確認されたのは、大正2(1913)年以来、実に104年ぶりのことでした。
江差は函館市、松前町と並び北海道で最も早く栄えた土地のひとつ。江戸時代はニシン漁が盛んで、北前船の交易港として栄華を誇りました。当時の人口は3万人。「江差の五月は江戸にもない」といわれたほど。「群来」は、江差の繁栄の象徴。棚田氏は、町の再生への強い願いを込めて、宿名に「群来」を掲げたのです。
「『江差旅庭 群来』は江差の町の一角に過ぎません。開業から9年間、無我夢中でやってきましたが、これからは地域と連携を深め、ゲストの方々に宿のみならず江差の思い出を持ち帰っていただくようにすることが何よりも重要です」と話します。
北海道檜山郡くつろげる宿を、「江差を知る旅」の拠点に。
「江差の地とともにある宿でありたい」とは、創業時から変わらぬ棚田氏の想い。『江差旅庭 群来』では、地元『五勝手屋本舗』の丸缶羊かんで到着したゲストをもてなします。創業は明治3(1830)年。150年前から変わらぬ製法でつくる羊かんは、道産金時豆の自然な甘みがいきたやさしい味わい。香ばしい黒豆茶とよく合い、旅の疲れをほっと癒してくれます。
「繁栄と衰退の歴史をたどった江差で、180年以上続く老舗は地元の誇り。現社長の息子さんが、精力的に新しいことにも挑戦されるなど、いい形で世代が受け継がれていて、ブランド力を上げている点にも刺激を受けます」
『五勝手屋本舗』は宿から車で5分ほどの場所に。丸缶羊かん以外にも、生菓子から焼き菓子まで多種多彩な和菓子が揃い、江差の味を旅のお土産に持ち帰ることができます。ほかにも小さな町内には、車で5分、10分の場所に、訪れるべき場所がいたるところに。「ぜひ足を運んで欲しい」と、棚田氏自らが案内してくれました。宿から望める、江差港の一角と砂州で繋がった鴎島と、その隣に立つ高さ10メートルの瓶子岩の眺めの美しさ。ニシン漁と檜材交易で隆盛を極めた江戸から明治期、問屋蔵や商家、町家が建ち並んだ海岸沿いの町並みは「江差いにしえ街道」として整備され、当時の面影を今に伝えています。
北海道檜山郡再生の道しるべを、他地域へ、次の世代へ。
旅行代理店や広告の力に頼らず、9年間の日々の営みの中で少しずつですが確実にファンを増やしてきた『江差旅庭 群来』。今やゲストの7割近くを、全国を旅する首都圏在住者が占め、人気は各地で名を馳せる高級旅館とも肩を並べつつあります。
「まず静かなこと、土地が安くさまざまな挑戦に贅沢に活用できること。これが地方の強み。循環型農業による自給食材の上に成り立つ『江差旅庭 群来』は、この強みを活かした試みだったといえます。ネットと交通網が発達した現代は、地方に固有の魅力を時差なく発信し、全国から人を集めることができる。形は違えど、どの地方にも普遍できる考えだと思います」
棚田氏は、言葉に力を込めます。
「何か気付いたことがあればぜひ教えて下さいね」とも。経験ゼロで始めた宿では、ゲスト一人ひとりも大事な先生だと話します。「老い先が短いんだから、やれることは急いでやらなくっちゃ」と、冗談で周囲を和ませながら。
2017年4月、「江差の五月は江戸にもない‐ニシンの繁栄が息づく町‐」というストーリーは北海道初の日本遺産の認定を受けました。同年2月、104年ぶりの群来の確認を経て、ニシン漁も再びにわかに活気づいています。2018年は、前年の3倍ものニシンが揚がりました。
「生まれ育った町への恩返しに」と、第二の人生のすべてを「群来」の名を冠した宿の経営に賭けた棚田氏を力付けるかのよう。そして氏の情熱の炎も、いまだ衰えず燃え続けているのです。
住所: 北海道檜山郡江差町姥神町1-5 MAP
電話: 0139-52-2020
https://www.esashi-kuki.jp/
悠々自適の老後を捨てて挑んだ、町のシンボルとなる宿づくり。[江差旅庭 群来/北海道檜山郡]
北海道檜山郡寂れた漁師町を、7室の高級旅館で再生させる。
函館空港から車で約1時間30分。道南の渡島半島の日本海沿岸に立つ『江差旅庭 群来』は、 静かな、ともすればやや寂しい印象をも受ける小さな町に忽然と現れます。コンクリートの壁、その奥に見える黒い建物は、古い民家が立ち並ぶ昔ながらの漁師町の中で、異質な空気を放っています。外側を囲む高い壁は、迷路のようなアプローチへと連なり、ゲストを建物の入口まで導いてくれます。扉が開くと、ロビーにはゆったりとしたソファが配され、一面のガラス窓から玉石が敷き詰められた中庭を望むことができます。外の街並みとは別世界。日常から離れ、無になり、ひたすら体と心を休めることに没頭できる空間です。
『江差旅庭 群来』の建設は、町を挙げたプロジェクトとしてスタートしました。漁業不振を背景にした若者の流出、観光客の減少に歯止めをかけようと、新たな観光の起爆剤として宿泊施設の建設が持ち上がったのです。町が先導役を依頼したのが棚田 清氏。生まれ育った江差で40余年、電機会社を営み、多いときは6つの会社を経営してきた手腕を買われてのことでした。
北海道檜山郡旅館経営の経験ゼロ、60歳からの挑戦。
「『温泉が出たらやってみようか』と話していたら、どういうわけか出てしまったもんで。参ったなあ、と」
棚田氏は、笑いながらそう話します。
新たな宿泊施設の建設、運営を町から依頼されたのは2000年。60歳のときでした。
「自分の事業は後継者に任せて、妻と一緒に好きなことだけしてのんびり老後を過ごす予定だったんです。それがね、まったく予定違いになっちゃって(笑)」
それまでいくつかのサービス関連業に携わった経験はあるものの、高級旅館の経営は初めて。温泉の採掘は大きな後押しになりましたが、真に棚田氏を突き動かしたのは、生まれ育った町・江差に寄せる深い郷土愛です。恵まれた自然環境、海の幸をはじめとする豊富な食材。日本を代表する民謡のひとつ、江差追分や370年以上の歴史を持つ姥神大神宮渡御祭などの文化、伝統。
「江差が持っている魅力を活かし、きちんとしたサービスでご提供すれば、満足して下さる方がきっといる」
そう信じて、自ら“畑違い”という旅館経営の道に第二の人生を賭けたのです。
北海道檜山郡逆境を越え、名もなき宿に“一流”の仕事を引き寄せる。
棚田氏の情熱とは裏腹に、宿の建設計画は決して順風満帆というわけにはいきませんでした。当初は5階建ての旅館にする予定でしたが、景観維持の観点から地元住民の猛反対に合い、建設計画は一度、白紙に戻ります。崖っぷちに追い詰められた棚田氏は、180度の方向転換を決断します。平屋造りで客室はわずか7室。1泊2食付きの宿泊料金は4万円からという高級旅館を造ることにしたのです。
「『こんな寂れた町に高級旅館を造っても、お客が来るわけがないじゃないか』。これが地元の人たちの意見。やり方を変えたところで、結局は四面楚歌でした」
逆境は棚田氏の心をさらに奮い立たせました。若い世代に交じって北海道大学大学院観光創造専攻課程を学び、各地の先達にも教えを乞いました。学んだことをそのままモデルにせず、「江差ならではの発信力、求心力のある形はどうすればつくることができるのか」を一つひとつ検証しながら形に出来たのは、江差を知り、愛する棚田氏の視点、洞察にほかなりません。
高い志と情熱、一軒の旅館建設に止まらない地域再生のビジョン、試みに多くの著名なクリエーター、料理人が賛同し、惜しみない協力を与えてくれました。その一人が札幌を拠点に世界で活躍する建築家の中山眞琴氏。木造船に例えた木造平屋建ての建物は、渋墨塗りの石置き屋根で、モダンで芸術的ながら、漁師町の文化を継承したスタイルに。客室はすべて独立していながら中廊下で繋がり、塀は外部からの視線を遮断しながら、室内から江差の風景を望めるぎりぎりの高さに設計されています。
開業時の料理監修は、日本料理界の重鎮、中村孝明氏が手掛け、スタッフの衣裳デザインは世界的なデザイナー、コシノジュンコ氏によるもの。
「まず自らが動けば、必ず応えてくれる人がいる。60歳を過ぎて『江差旅庭 群来』を造り、改めて学んだことです。あとは彼らの名に恥じない仕事を続け、お客様に期待を超える満足感を持ち帰っていただく宿に育てなければ」
現在76歳の棚田氏は、青年のような瞳で力強く語ります。
住所: 北海道檜山郡江差町姥神町1-5 MAP
電話: 0139-52-2020
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日本遺産の町を世界へ。北海道発、食糧自給率70%のラグジュアリー旅館。[江差旅庭 群来/北海道檜山郡]
北海道檜山郡OVERVIEW
宿の設計も、料理の監修を手がけたのも、第一線で活躍する有名建築家であり料理人。客室の浴槽には源泉かけ流しの湯が湛えられ、朝晩の食事に使われる食材は、地元で獲れた新鮮なものを贅沢に。スペックだけを並べてみると、『江差旅庭 群来』は、高級旅館として別段珍しい存在ではないかもしれません。しかしながらここには、語られるべきワン&オンリーな物語があります。
この宿を一からつくり、経営を手がけるのは、有名ディベロッパーでも大手ホテルチェーンでもありません。オーナーである棚田 清氏は、地元江差出身の76歳。旅館経営の経験ゼロで、60歳のときにこのプロジェクトをスタートさせました。更に驚くことに、朝晩の料理の食材の多くを、妻の冨美子氏と2人、自分たちの手で育てています。野菜や果物だけではありません。食肉用、産卵用の鶏から、羊に至るまでです。畑の最盛期の夏から秋には、食糧自給率は70%にも及びます。
ユニークな成り立ちゆえに、これまでなかなかメディアに登場することがなかった『江差旅庭 群来』。初夏の江差を訪ねると、棚田氏が笑顔で出迎えてくれ、1軒の宿を通じて伝えたかったこと、叶えたかった夢について、たっぷりと語ってくれました。
住所: 北海道檜山郡江差町姥神町1-5 MAP
電話: 0139-52-2020
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夏の倉敷
皆様、いかがお過ごしでしょうか??
倉敷はというとですね・・・
暑い!!
ちょうど昨日、熊谷で歴代最高気温を更新というニュースがありましたね
美観地区も暑いのですが、目の前に川が流れていたり、柳があったりするので
見た目的には少しばかり涼しさを感じられます
大雨のニュースで倉敷が取り上げられ、お客様からも
「美観地区は大丈夫??」と聞かれることもありますが幸いなことに直接的な被害は
ありませんでした。
しかし、お客様の数は、やはり減っております。
再度、倉敷を盛り上げるためには、皆様が倉敷に足を運んで貰うことが大切です。
スタッフ一同皆様が倉敷に来られることを心からお待ちをしております。
暑い日が続きますので、お越しの際は暑さ対策を行った上お越し下さい。
3つの「つくる」を視点に、映画『ピース・ニッポン』を読み解く。[ピース・ニッポン]
人が造ったもの――連綿と受け継ぐ人の営みの尊さ。
海に囲まれた小さな国土の中に、変化に富む多くの山々を持つ日本。そうした自然は、稲作を中心とした農耕によって生活してきた民族にとって、必ずしも御しやすいものではなかったに違いありません。
日本独特の文化は、そうした環境を創意工夫によって乗り越えてゆくこと、時には逆に利用することで、築かれていったものと言えるかもしれません。
例えば、山間の幅150mほどの谷間に、不規則な形を描きながら造られた浜野浦の棚田。断崖絶壁の岩窟に造られた三佛寺投入堂(さんぶつじなげいれどう)は、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で投げ入れたと信じられています。四方を見渡す山頂に建てられた山城は、それによって難攻不落の自然の要塞となりました。
自然に逆らうことなく寄り添いながら、人々がその上に造っていった生活、信仰、文化。そしてそうしたものが、今にいたる数百年にわたって、受け継がれてきたという事実。連綿と続く人々の営みの尊さにも、また、頭が下がる思いです。
自然が創ったもの――人知を超えた存在への畏敬。
人間は、ややもすれば自然は人間のために存在しているかのように考えてしまいがちです。でもテクノロジーが極まったこの現代でさえ、人間の開発の手が入っているのは、大きな自然のほんの一部。人間がまだ足を踏み入れることが難しい場所や、ひとたび自然が猛威を振るえば、完全に失われてしまう場所もたくさんあります。『ピース・ニッポン』ではその姿をドローン撮影で捉えています。
例えば日本最大の湿原、釧路湿原。果てしなく続く緑の中に、大きく蛇行する川や、点在する湖沼が描く壮大な俯瞰図。現在も噴火を続ける桜島、その火口に見る地球の脈動。久米島沖、潮の干満でも沈むことのない天国のようなビーチ、ハテの浜。
それらの場所にあるのは、人間には制御できないパワー、作ることのできない美しさ、起こすことのできない奇跡。自然界のあらゆるものを崇め、そこに「八百万(やおよろず)の神」が宿ると信じたかつての日本人たち。彼らと同じ畏敬の念を、感じずにはいられません。
瞬間が作るもの――一期一会の美。
日本的な感性を語る際には外せない価値観である「無常」。「あらゆる物事はうつろいゆくもの、“常でない”ものである」という意味です。どんな国でも自然は変化し続けているものですが、ことに明確な四季を持つ日本において、その変化は死と再生を想起させるほどのもの。去年の桜と今年の桜が違うのはもとより、たとえ同じ年の同じ桜であっても、その時の天候や空気、見る人間の心持ちによって、その見え方、感じ方は全て異なります。次に会えるのはいつになるのでしょうか。もしかしたら二度と会えないかもしれません。そうした一期一会の「はかなさ」や「せつなさ」を知りつつ愛でる、その季節、その時間、その瞬間に、心が震えないはずがありません。
2018年7月14日(土)公開 新宿バルト 9他全国にて
監督:中野裕之
脚本:柴崎明久・中野裕之
エグゼクティブプロデューサー:林郁
プロデューサー:中野裕之
ナビゲーター:小泉今日子、東出昌大
出演:渡辺 大、及川さきの
タイトルディレクション:葛西 薫
配給:ファントム・フィルム
http://peacenippon.jp/
©2018 PEACE NIPPON PROJECT LLC
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今の時代にも響く愉しさ。お茶と茶道の世界へようこそ。[茶論/ 奈良県奈良市]
奈良県奈良市奥深い茶道を気軽に体感。
お茶と茶道に親しむための入り口となるべく、“侘茶(わびちゃ)”の祖である村田珠光の出生地・奈良にオープンした『茶論(さろん)』。後編では、前編でご紹介したコンセプトと志をさらに掘り下げ、『茶論』で体験できる斬新かつ奥深いお茶の世界をうかがいます。
奈良県奈良市軽い気持ちでも大歓迎。あらゆる「お茶好き」に扉を開く。
「抹茶スイーツが好き」「緑茶や抹茶って健康にいいんでしょう?」「お茶の道具が家にあったらなんだか素敵だし、インテリアとしても映えそう」――何かに興味を持つきっかけは、そんな些細な好奇心のはず。とかく敷居が高く思われがちな『茶道』ですが、『茶論』はそんなライトな好奇心もやさしく受け入れてくれます。
その入り口となるのは、「喫茶」「見世」「稽古」という3つの業態。いずれも独自のセンスとコンセプトによるプロダクトを取り揃えており、『茶論』でしかできない体験が詰まっています。
奈良県奈良市多彩なお茶と和菓子が味わえる「喫茶」。
まずは「喫茶」。「本当に気軽に、普通の喫茶店のように訪れてください」とスタッフが語るように、明るくモダンな雰囲気が漂うお茶と甘味(かんみ)のお店です。ここで味わえるのは、スタッフが心をこめて供するお茶と、奈良の有名和菓子店『樫舎(かしや)』の和菓子。お茶は抹茶だけでなく煎茶やほうじ茶も用意しており、気分とお好みに合わせて愉しめます。
さらにあんみつ・かき氷・抹茶ラテなど、季節に合わせた甘味やドリンクも用意。メニューは季節ごとに変わるため、四季折々の風情を味わえます。
奥行きと格式ある建物は、『茶論』を創設した中川政七商店の会長・十三代 中川政七(なかがわ・まさしち)氏の生家でもあります。その古式ゆかしい建築と、店内から望める美しい庭園も必見です。
奈良県奈良市職人の手による普段使いもできる茶道具。
次は「見世(みせ)」。お茶を点てるときに使う茶道具を取り揃えていますが、「お茶席でしか使えないもの」ではなく、一般の家庭でも普段使いできる道具となっています。さらに近代的なインテリアにもなじむデザインとしているため、どんな部屋に置いてもしっくり馴染みます。
それでいて、伝統の職人技がきちんと生かされています。例えば『茶筅(ちゃせん)/お茶を点てる道具)』は、徳川幕府によって名字を与えられた茶筅師十三家のうち、現存する三家のひとつの20代目当主である谷村丹後氏によって作られています。
そして茶巾(ちゃきん)は、高級麻織物『奈良晒』の卸問屋である中川政七商店が代々守り伝えてきたもの。消耗品だからこそ本物であることを大切に、リデザインしています。
初めて茶道に触れる方でも使いやすい造りでありながら、長年茶道を習ってきた人の手にも馴染む本物。日常の道具としてもインテリアとしても活用できる「きちんとした茶道具」です。
奈良県奈良市もてなしの力量を上げて、日常を豊かに。
最後は「稽古」。初級・中級・上級の3つのコースがありますが、いずれもかしこまった雰囲気ではなく、テーブル席でカジュアルに行ないます。「美味しくお茶を点てられるようになりたい」「美しい所作を身に付けたい」などなど、茶道を習いたい人の動機は様々。それらの目的に合わせて、多彩な単科コースも用意しています。
また、茶道で最も大切な「もてなしの心」をはじめ、礼儀作法や点前(てまえ)といった『型』、茶道の歴史や決まりごとといった『知』を、バランスよく学ぶことができます。これらの学びを日常に生かすことで「もてなしの力量」が上がり、日常そのものが豊かになっていきます。
『稽古』のコースを監修しているのは、『芳心会』を主宰する茶人・木村宗慎(きむら・そうしん)氏。本物の道具に触れ、その歴史や背景を知り、お茶にまつわる知識を深めていく――木村氏直々の薫陶(くんとう)を受けたスタッフ達の「稽古」を受ければ、お茶を通じて美と技と知を探究する喜びが味わえます。
奈良県奈良市茶人の目利きによる良質な茶道具に触れる喜び。
『茶論』の大きな魅力は、こうしたカジュアルなスタイルでありながらも、茶人・木村宗慎氏の目利きによる「良質な茶道具」に触れられること。普段なかなか見られない『本物』と直に触れ合うことができます。
様々な作家や産地の茶碗に触れることで、器への興味や理解を深めてもらい、日々使う器にも自然と気を配るようになっていく。「本当に良いもの」を知ることで、ご自分で料理をされた時にも器の選び方や盛り付け方に気を配ったり、より良い器や道具を探してみたりと、暮らしに潤いがもたらされます。
このように、『茶論』の「稽古」を受けることで日常もより良く変わっていきます。
奈良県奈良市家庭で日常的にお茶を点ててもらいたい。
今までになく親しみやすい茶道を愉しめる『茶論』。「喫茶」や「見世」に訪れる人々にも、「稽古」を受ける人々にも、その気軽さに驚かれます。
「お茶に興味はあるけれど二の足を踏んでいた、という方々から『とても親しみやすい』というお声をいただいています」とはスタッフの言。特に「稽古」は「師匠と弟子」といったかしこまった関係ではなく、「講師と生徒」というフラットな関係としていることがポイント。また、一般的な「稽古」では師匠が話すことをメモするなどして覚える必要がありますが、『茶論』では、わかりやすいスライドを用意しています。これもまた好評だそうです。
さらに、茶道の歴史や道具に関する興味深い逸話も聞けるので、「利休ってそんな人だったんだ!」などという反響もあるといいます。まずは「体験稽古」を受けることを薦めていますが、それを受講した人達の本入会率が非常に高く、『茶論』が目指す方向性が支持されていることが伺えます。
これらのことから、『茶論』のスタッフ達は「茶道について思っていた以上に難しいイメージを持たれていた」という事を実感しているそう。でも、コーヒーや紅茶を日常的に嗜む人は多く、その産地や淹れ方、飲む際の器などにこだわる人もたくさんいます。「そういった感覚でお茶もぜひ愉しんでください」と『茶論』のスタッフは語ります。
例えば煎茶を熱湯で淹れてしまう人はとても多いですが、適温のお湯で丁寧に淹れたお茶は、味わいからして全く違います。いったん湯飲みにお湯を移し変え、そのお湯で淹れる。器や合わせるお菓子にもこだわる。そういった作法を学んで生かすだけで、まったく新しい世界が開けるのです。
奈良県奈良市お茶をきっかけに、文化や歴史への造詣をも深める。
『茶論』では、未入会でも参加できる『公開講座』を定期的に開いています。こちらの内容も非常に興味深いもので、先述の茶筅師の谷村丹後氏や、ブランドディレクターの木村宗慎氏ら外部講師を招いています。去る7月7日には、ブックディレクターとして多くの作家や読者に支持されている幅允孝氏を招いて、ブランドディレクターの木村宗慎氏と、『茶論』を立ち上げた中川政七商会長の十三代 中川政七氏との3名で、『以本論美(本を以て美を論ず)』という講座を開催しました。このように、文化的な知識と興味を深めることのできる催しも多彩に行なっています。
こうした『茶論』の取り組みに魅かれて、お茶業界を超えた様々な企業から商品開発やコラボレーションの企画が持ちかけられているそうです。すでに動き出している企画もあり、今後の展開が期待されます。
奈良県奈良市茶道をより親しみやすいものにするために、新たなステージへ。
2018年9月25日には、東京の日本橋高島屋S.C.に新店舗をオープンします。『茶論 奈良町店』と同じく「喫茶」「見世」「稽古」の3業態全てを展開。茶道文化の入り口をより広くするため、あえてショッピングセンター内のテナントとして出店したといい、お買い物のついでに気軽に訪れほしいそうです。
さらに「東海地方や東海や九州にも作って欲しい」というお客様からの要望が寄せられてるそうで、将来的には全国展開も視野に入れているそう。様々な土地で、その土地の文化や趣向と絡めながら、「茶道はこんなにも楽しい」という体験を提供していきます。
その最終的な理想は、「『茶論』の「稽古」を受けた人達がご自分流のもてなしを見出し、自らの『茶会』を開いて欲しい」というもの。日本人が古来より親しんできたお茶と茶道を、『茶論』が再びその暮らしに呼び戻そうとしています。
『茶論』オフィシャルサイト
https://salon-tea.jp/
「稽古」の予約、「喫茶」店舗情報、「見世」の道具オンライン販売
住所:『茶論 奈良町店』 MAP
奈良県奈良市元林院町31-1(『遊 中川』 本店奥)
電話:0742-93-8833
営業時間:
【稽古・見世】 10:00~18:30
【喫茶】 10:00~18:30 (LO 18:00)
定休日:毎月第2火曜(祝日の場合は翌日)
写真提供:『茶論』
今の時代にも響く愉しさ。お茶と茶道の世界へようこそ。[茶論/ 奈良県奈良市]
奈良県奈良市奥深い茶道を気軽に体感。
お茶と茶道に親しむための入り口となるべく、“侘茶(わびちゃ)”の祖である村田珠光の出生地・奈良にオープンした『茶論(さろん)』。後編では、前編でご紹介したコンセプトと志をさらに掘り下げ、『茶論』で体験できる斬新かつ奥深いお茶の世界をうかがいます。
奈良県奈良市軽い気持ちでも大歓迎。あらゆる「お茶好き」に扉を開く。
「抹茶スイーツが好き」「緑茶や抹茶って健康にいいんでしょう?」「お茶の道具が家にあったらなんだか素敵だし、インテリアとしても映えそう」――何かに興味を持つきっかけは、そんな些細な好奇心のはず。とかく敷居が高く思われがちな『茶道』ですが、『茶論』はそんなライトな好奇心もやさしく受け入れてくれます。
その入り口となるのは、「喫茶」「見世」「稽古」という3つの業態。いずれも独自のセンスとコンセプトによるプロダクトを取り揃えており、『茶論』でしかできない体験が詰まっています。
奈良県奈良市多彩なお茶と和菓子が味わえる「喫茶」。
まずは「喫茶」。「本当に気軽に、普通の喫茶店のように訪れてください」とスタッフが語るように、明るくモダンな雰囲気が漂うお茶と甘味(かんみ)のお店です。ここで味わえるのは、スタッフが心をこめて供するお茶と、奈良の有名和菓子店『樫舎(かしや)』の和菓子。お茶は抹茶だけでなく煎茶やほうじ茶も用意しており、気分とお好みに合わせて愉しめます。
さらにあんみつ・かき氷・抹茶ラテなど、季節に合わせた甘味やドリンクも用意。メニューは季節ごとに変わるため、四季折々の風情を味わえます。
奥行きと格式ある建物は、『茶論』を創設した中川政七商店の会長・十三代 中川政七(なかがわ・まさしち)氏の生家でもあります。その古式ゆかしい建築と、店内から望める美しい庭園も必見です。
奈良県奈良市職人の手による普段使いもできる茶道具。
次は「見世(みせ)」。お茶を点てるときに使う茶道具を取り揃えていますが、「お茶席でしか使えないもの」ではなく、一般の家庭でも普段使いできる道具となっています。さらに近代的なインテリアにもなじむデザインとしているため、どんな部屋に置いてもしっくり馴染みます。
それでいて、伝統の職人技がきちんと生かされています。例えば『茶筅(ちゃせん)/お茶を点てる道具)』は、徳川幕府によって名字を与えられた茶筅師十三家のうち、現存する三家のひとつの20代目当主である谷村丹後氏によって作られています。
そして茶巾(ちゃきん)は、高級麻織物『奈良晒』の卸問屋である中川政七商店が代々守り伝えてきたもの。消耗品だからこそ本物であることを大切に、リデザインしています。
初めて茶道に触れる方でも使いやすい造りでありながら、長年茶道を習ってきた人の手にも馴染む本物。日常の道具としてもインテリアとしても活用できる「きちんとした茶道具」です。
奈良県奈良市もてなしの力量を上げて、日常を豊かに。
最後は「稽古」。初級・中級・上級の3つのコースがありますが、いずれもかしこまった雰囲気ではなく、テーブル席でカジュアルに行ないます。「美味しくお茶を点てられるようになりたい」「美しい所作を身に付けたい」などなど、茶道を習いたい人の動機は様々。それらの目的に合わせて、多彩な単科コースも用意しています。
また、茶道で最も大切な「もてなしの心」をはじめ、礼儀作法や点前(てまえ)といった『型』、茶道の歴史や決まりごとといった『知』を、バランスよく学ぶことができます。これらの学びを日常に生かすことで「もてなしの力量」が上がり、日常そのものが豊かになっていきます。
『稽古』のコースを監修しているのは、『芳心会』を主宰する茶人・木村宗慎(きむら・そうしん)氏。本物の道具に触れ、その歴史や背景を知り、お茶にまつわる知識を深めていく――木村氏直々の薫陶(くんとう)を受けたスタッフ達の「稽古」を受ければ、お茶を通じて美と技と知を探究する喜びが味わえます。
奈良県奈良市茶人の目利きによる良質な茶道具に触れる喜び。
『茶論』の大きな魅力は、こうしたカジュアルなスタイルでありながらも、茶人・木村宗慎氏の目利きによる「良質な茶道具」に触れられること。普段なかなか見られない『本物』と直に触れ合うことができます。
様々な作家や産地の茶碗に触れることで、器への興味や理解を深めてもらい、日々使う器にも自然と気を配るようになっていく。「本当に良いもの」を知ることで、ご自分で料理をされた時にも器の選び方や盛り付け方に気を配ったり、より良い器や道具を探してみたりと、暮らしに潤いがもたらされます。
このように、『茶論』の「稽古」を受けることで日常もより良く変わっていきます。
奈良県奈良市家庭で日常的にお茶を点ててもらいたい。
今までになく親しみやすい茶道を愉しめる『茶論』。「喫茶」や「見世」に訪れる人々にも、「稽古」を受ける人々にも、その気軽さに驚かれます。
「お茶に興味はあるけれど二の足を踏んでいた、という方々から『とても親しみやすい』というお声をいただいています」とはスタッフの言。特に「稽古」は「師匠と弟子」といったかしこまった関係ではなく、「講師と生徒」というフラットな関係としていることがポイント。また、一般的な「稽古」では師匠が話すことをメモするなどして覚える必要がありますが、『茶論』では、わかりやすいスライドを用意しています。これもまた好評だそうです。
さらに、茶道の歴史や道具に関する興味深い逸話も聞けるので、「利休ってそんな人だったんだ!」などという反響もあるといいます。まずは「体験稽古」を受けることを薦めていますが、それを受講した人達の本入会率が非常に高く、『茶論』が目指す方向性が支持されていることが伺えます。
これらのことから、『茶論』のスタッフ達は「茶道について思っていた以上に難しいイメージを持たれていた」という事を実感しているそう。でも、コーヒーや紅茶を日常的に嗜む人は多く、その産地や淹れ方、飲む際の器などにこだわる人もたくさんいます。「そういった感覚でお茶もぜひ愉しんでください」と『茶論』のスタッフは語ります。
例えば煎茶を熱湯で淹れてしまう人はとても多いですが、適温のお湯で丁寧に淹れたお茶は、味わいからして全く違います。いったん湯飲みにお湯を移し変え、そのお湯で淹れる。器や合わせるお菓子にもこだわる。そういった作法を学んで生かすだけで、まったく新しい世界が開けるのです。
奈良県奈良市お茶をきっかけに、文化や歴史への造詣をも深める。
『茶論』では、未入会でも参加できる『公開講座』を定期的に開いています。こちらの内容も非常に興味深いもので、先述の茶筅師の谷村丹後氏や、ブランドディレクターの木村宗慎氏ら外部講師を招いています。去る7月7日には、ブックディレクターとして多くの作家や読者に支持されている幅允孝氏を招いて、ブランドディレクターの木村宗慎氏と、『茶論』を立ち上げた中川政七商会長の十三代 中川政七氏との3名で、『以本論美(本を以て美を論ず)』という講座を開催しました。このように、文化的な知識と興味を深めることのできる催しも多彩に行なっています。
こうした『茶論』の取り組みに魅かれて、お茶業界を超えた様々な企業から商品開発やコラボレーションの企画が持ちかけられているそうです。すでに動き出している企画もあり、今後の展開が期待されます。
奈良県奈良市茶道をより親しみやすいものにするために、新たなステージへ。
2018年9月25日には、東京の日本橋高島屋S.C.に新店舗をオープンします。『茶論 奈良町店』と同じく「喫茶」「見世」「稽古」の3業態全てを展開。茶道文化の入り口をより広くするため、あえてショッピングセンター内のテナントとして出店したといい、お買い物のついでに気軽に訪れほしいそうです。
さらに「東海地方や東海や九州にも作って欲しい」というお客様からの要望が寄せられてるそうで、将来的には全国展開も視野に入れているそう。様々な土地で、その土地の文化や趣向と絡めながら、「茶道はこんなにも楽しい」という体験を提供していきます。
その最終的な理想は、「『茶論』の「稽古」を受けた人達がご自分流のもてなしを見出し、自らの『茶会』を開いて欲しい」というもの。日本人が古来より親しんできたお茶と茶道を、『茶論』が再びその暮らしに呼び戻そうとしています。
『茶論』オフィシャルサイト
https://salon-tea.jp/
「稽古」の予約、「喫茶」店舗情報、「見世」の道具オンライン販売
住所:『茶論 奈良町店』 MAP
奈良県奈良市元林院町31-1(『遊 中川』 本店奥)
電話:0742-93-8833
営業時間:
【稽古・見世】 10:00~18:30
【喫茶】 10:00~18:30 (LO 18:00)
定休日:毎月第2火曜(祝日の場合は翌日)
写真提供:『茶論』
日本人の暮らしの中に、再びお茶の愉しみを。[茶論/ 奈良県奈良市]
奈良県奈良市茶道文化の入り口を広げて、日々の暮らしの中で愉しんでほしい。
『茶道』と聞いて、あなたは一体どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
「堅苦しい」「礼儀作法に厳しい」「軽い気持ちで習おうとしたら、先生に叱られてしまいそう…」そんな風に思って尻込みしている方が多いかもしれません。
ですが、『茶の湯の祖』と伝わる室山時代の茶人・村田珠光が創始した“侘茶(わびちゃ)”の本来は、簡素簡略かつ“もてなしの心”を重んじるもの。もちろん“わび・さび(侘・寂)”の言葉で表されるような趣(おもむき)ある茶道具に触れ、心地よくしつらえられた場にたたずむ喜びもありますが、心づくしのもてなしにくつろいで人や茶道具、菓子や季節の花々などとの一期一会を愉しむことが本意なのです。
そんな茶道にもっと気軽に触れて、愉しんで、ご自分の日常にも取り入れてほしい――そんな想いのもとに、気の置けない茶道のお店が奈良にオープンしました。
その名は『茶論(さろん)』。とかく敷居が高く思われがちな茶道の入り口を広げ、気軽に親しんでもらうことを目指しています。(後編記事はコチラ)
奈良県奈良市「お茶」ともっと身近に親しめる場を。
『茶論』を創設したのは、“侘茶”の祖である村田珠光の出生の地・奈良で、その様式を確立させた千利休が茶巾として愛した高級麻織物『奈良晒』の卸問屋として商いを始めた中川政七商店です。創業302年を迎えた現在も変わらず茶道具全般を扱い続けるなど、茶道とは深い関わりがあります。
ですが、茶道に親しむ人は、20年前と比べて約1/3にまで減ってしまいました。一方、様々なメディアで『お茶』の特集は日々組まれており、魅力的で奥深い「茶の湯の世界」が多々紹介されています。『お茶』と『茶道』への興味はとても高まっているのに、それを受け入れられる入り口が少ない――そんな危機感から『茶論』を企画したそうです。
奈良県奈良市「稽古」「喫茶」「見世」の3本柱で茶道への入口を広げる。
『茶論』の特徴は、茶道への興味に合わせて3つの入り口を用意していること。
まずは「喫茶」。伝統とモダンを両立させたしつらえの中で気軽に本物のお茶を愉しんでもらい、心に“閑”を持ってお茶への関心を深めてもらいます。次に「見世(みせ)」。目利きの茶人が選りすぐった茶道具や、『茶論』ならではのセンスとコンセプトで創られた新たな茶道具を手に入れることができます。最後に「稽古」。上記の2つで茶道により興味を持った人に、いよいよ茶道に取り組んでもらいます。と言っても、その敷居は高くはありません。畳の茶室ではなくテーブル席で行い、使う茶道具も日々の暮らしにまで生かせるモダンなデザインとなっています。それでいて、「お茶を通して”もてなし”の力量を上げる」ことを目標に掲げており、従来の茶道やお花の教室を経験した人々にも十分以上に興味深い内容となっています。
もちろん「見世」で取り揃えている茶道具も、「喫茶」で味わえるお茶やお菓子も、お茶に長年親しんでいる方々でも満足いただけるに違いない逸品。経験者の方々にもぜひ体験していただきたい、とのことです。
奈良県奈良市気軽な「入り口」でありながら一流を取り揃える。
そんな『茶論』のもうひとつの魅力は、こうして気軽に茶道に触れられる場でありながらも、一流のクリエイター達による一流の「知」やプロダクトを体感できること。
『茶論』そのものの柱であるクリエイティブディレクションは、数々の有名ブランドや著名キャラクターを手掛けた”good design company”の水野学(みずの・まなぶ)氏が担当。
自ら『茶論』を企画した中川政七商店代表取締役会長である十三代中川政七(なかがわ・まさしち)氏の考える『茶論』の「志」、中川政七商店がプロデュースする「理由」、目指す「イメージ」から、ディスカッションを重ね、その独自のポジションとイメージを確立し、コンセプトである“以茶論美(茶を以て美を論ず)”を考案しました。
「お茶(茶道)を通して、自身の美意識の物差しを磨いてほしい」というスタッフ一同の願いがこめられています。
また、ブランドディレクターは茶人であり『芳心会』を主宰している木村宗慎(きむら・そうしん)氏が担当。「稽古」のコースの監修を行なうと共に、『茶論』のスタッフにも月1回の「稽古」を行なっています。木村氏から学んだ様々な作法や「型」や「知」を、スタッフが『茶論』の「稽古」に取り入れ、それがコースの内容の元となるという流れ。「見世」の茶道具も監修しており、それらのクオリティも高めています。
また、「稽古」だけでなく日々の暮らしの中にも生かせるオリジナルの『茶道具箱』などのプロダクトデザインは、金沢美術工芸大学の客員教授で『HUBLOT DESIGN PRIZE 2016』において日本人初のファイナリストとなった“PRODUCT DESIGN CENTER”の鈴木啓太(すずき・けいた)氏が担当。既存の茶道具が日本独自の寸法である「一寸」をもとに構成されているものが多いことから、お茶道具全体の方向性として「一寸」をベースにプロポーションを決めています。
『茶道具箱』も同様に「一寸」の考え方を踏襲して正方形に形作られ、ひとつひとつがモジュールに沿って作られているため、中身を自由に組み合わせられます。
いずれのクリエイター達も、中川政七商店の会長である十三代 中川政七氏とは懇意な間柄だといいます。中川氏の茶道に対する熱い想いを汲み、『茶論』に深く携わっています。
奈良県奈良市お茶の世界の新たな扉を開く。
このように、『茶論』では気軽に本格的な茶道に触れることができます。さらに、そこで得た様々な「学び」をご自分のライフスタイルの中に取り入れ、暮らしをより豊かにすることができます。次回の後編では、『茶論』を通じて得られる斬新な体験や、独自のプロダクトの魅力、お茶の新たな愉しみ方などをご紹介します。
『茶論』オフィシャルサイト
https://salon-tea.jp/
「稽古」の予約、「喫茶」店舗情報、「見世」の道具オンライン販売
住所:『茶論 奈良町店』 MAP
奈良県奈良市元林院町31-1(遊 中川 本店奥)
電話:0742-93-8833
営業時間:
【稽古・見世】 10:00~18:30
【喫茶】 10:00~18:30 (LO 18:00)
定休日:毎月第2火曜(祝日の場合は翌日)
写真提供:茶論
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海と共に生きる北陸の小さな町が、 「世界が認める美しい海」を生み出した理由。[福井県高浜町]
福井県高浜町世界レベルの環境認証を、アジアで初めて取得した高浜町の快挙。
福井県の最西端に位置する海辺のまち、高浜町。京都府との県境にある町は、北側は日本海若狭湾、南西側は山々に囲まれた自然豊かな町です。町を見守るかのようにそびえたつ青葉山は「若狭富士」と呼ばれ、かつて、若狭・丹後の漁師たちは漁船の位置を確かめる目印にしていたそうです。 高浜町は漁業と農業に加え、夏は海水浴を中心とした観光業が盛んです。昭和より前から関西地区の避暑地として知られ、最盛期はひと夏で100万人、今でもたくさんの人が訪れています。
海水浴客のお目当ては、青葉山のふもとから8kmも続く遠浅の美しい海岸。中でも若狭和田ビーチは、2016年にビーチやマリーナの国際環境認証のひとつ「BLUE FLAG(ブルーフラッグ)」を取得した世界が認める美しい海です。 でも、名誉ある認証の取得には水質や景観の素晴らしさだけではない、地域に暮らす人たちの意識の高さや努力があってこそ。高浜ならではの財産を地域で守り、次の世代につなげる活動をする人たちと出会う旅に出ました。
福井県高浜町ブルーフラッグの取得は、かつての賑わいを取り戻せるのか。
高浜町を訪れた7月1日は、海開きの日。町内にある5つの海水浴場では「浜茶屋」と呼ばれる海の家が一斉にオープンし、「今年もよろしく〜」という声があちらこちらから聞こえてきます。 海開きを待っていた人たちが我先にと海へと駆け出し、砂浜ではビーチバレーを楽しむ大学生。波打ち際で楽しむファミリーや、浜茶屋でおなじみのカレーをほおばる常連組。凪いだ海はこれから始まる本格的な夏を、静かに歓迎しているようでした。
高浜の海水浴場の中でも、ひと際注目を集める若狭和田ビーチが「ブルーフラッグ」を取得したのは2年前。そもそもブルーフラッグとは? 日本ではあまり馴染みのないものですが、1985年にフランスで誕生。世界で最も歴史のある環境認証のひとつで、水質、環境マネジメント、安全性、さらには環境教育と33もの基準をクリアしたビーチやマリーナだけに与えられる勲章のようなもの。これまで世界49カ国、4271カ所のビーチやマリーナが認定され、日本で認証されているのは鎌倉の由比ケ浜と、ここ高浜の若狭和田ビーチだけです。
福井県高浜町水質や景観だけではない、地域に住む人のたゆまぬ努力によって。
ブルーフラッグという世界的にも名誉ある認証は、一度取得すれば永続される制度ではありません。毎年申請し、審査され、改めて認証を受けられるという非常に厳しいもの。認証に欠かせない条件のひとつに「安全リスク評価」がありますが、その要となるのが「若狭和田ライフセービングクラブ」の活動です。 「ライフセービングは溺れた人や倒れた人を救助するイメージが強いですが、本来の目的は事故を未然に防ぐための活動をすることだと思っています」と話すのは、クラブを立ち上げ、代表を務める細田直彦氏。
例えばひとりで遊んでいる子どもがいたら真っ先に声をかけたり、海の楽しさや安全面を伝える講習会を開いたり、人命救助や監視するだけでなく、常にコミュニケーションを取ることがライフセーバーの大切な役割だと話します。 クラブの登録人数は70名ほど。他に仕事を持ちながらライフセーバーの活動をしている人がほとんどです。両立しながらの活動はたいへんなことですが、「自分たちが大好きな高浜の海を守りたい。そして、魅力をたくさんの人に伝えたい」という素直な思いが活動の原点になっているのでしょう。
福井県高浜町透明度の高い高浜の海を、満喫できる最新アクティビティ。
海水浴とともに、ここ数年じわじわと人気が高まっているのがハワイ発祥のビーチアクティビティ「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」、通称「SUP(サップ)」です。専用のボードの上に立ってパドルで波をかき、海面を移動します。サーフィンのように波乗りをしたり、ボードの上でヨガや釣りを楽しんだりする人もいるそう。
今回の旅の目的のひとつであったSUP。立ち上がって高い目線から景色を眺めることができるため、高浜の美しい海をより満喫するのにもってこい。高浜町の近隣でサーフショップ『hot style小浜店』を営む浜岸宏明氏の案内で、海上クルージングに出かけました。
ボードの上でバランスを取りながら、パドルをひとかき、二かき。SUPのボードは一般的なサーフボードよりも長く、幅も広く厚みもあるため安定感は抜群。想像よりも簡単で、すーっと水上を滑る様は今までに味わったことがないような不思議な感覚です。海と空と風との一体感は、何ものにも代えられない贅沢な時間です。
福井県高浜町高浜の海とSUPを盛り上げるふたりの立役者。
今回ガイドをしてくれた浜岸氏は、高浜町出身。小さい頃から海が目の前の環境で育ち、サーフィン歴は30年以上という海のスペシャリスト。そんな浜岸氏ですが、今はもっぱらSUPに夢中だそう。
「SUPを始めて、今まで気がつかなかった海の楽しさを再確認しました。高浜の海がきれいだということに改めて気がついたり、景勝地がたくさんあるので景色を楽しんだり。今までは波ばかりを見ていましたが、SUPは潮の流れや風を感じることもできる。海を広い視野で見られるようになりましたね」と、嬉しそうに話します。
また、浜岸氏のガイドのもと、海に一緒に出たのは地域おこし協力隊として高浜町に住む月田ショーン氏。ショーン氏はイギリス出身で、京都で5年間暮らしたのち高浜町へ。現在は高浜の海をはじめ、様々なイベントや人を取材し記事にしているそう。
「最初に来たときは京都から2時間ちょっとで、こんなにきれいな海があったのかと衝撃を受けました。高浜に海があったことは、移住する決め手のひとつになりました。今回SUPは初めてでしたが、思っていたよりも簡単。洞窟探検をしたり島まで行ったり、海水浴とは違う形で高浜の海が楽しめますね」。今後は、海や山を紹介するガイドの仕事にも挑戦したいと話します。ショーン氏は、地元の人にとっては当たり前にある海や高浜の素晴らしさを、外からの目線で発信していくキーパーソンになるに違いありません。
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『DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS』販売開始! [DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
鳥取県八頭町
来る2018年9月8日(土)、9日(日)に『DINING OUT』第14回となる『DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS』を鳥取県八頭町にて開催します。
鳥取県八頭町眼の前は日本の原風景のような、懐かしい景色。古代からの「パワースポット」を舞台に、2夜限定の饗宴を開催。
日本のどこかで数日間だけオープンするプレミアムな野外レストラン『DINING OUT』。一流の料理人がその土地の食材を、新しい感覚で切り取って料理に。それをたった2夜のみ限定で、その土地を最も魅力的に表現する場所と演出とともに味わって頂く“幻のレストラン”です。
今回の舞台は、どこからでも天の川が見られると言われるほど自然豊かで、空気の澄んだ鳥取県。
その中でも日本の原風景を思わせる、ひときわ懐かしい景色が広がる八頭町です。
ゆるやかに蛇行する八東川に沿って走る若桜鉄道や、趣のある木造の駅舎。田植えの時期になれば空を映す田園風景、秋になれば花御所柿がたわわに実をつけて橙色に染まる柿畑。そんなのんびりとした時間の流れる八頭町ですが、かつては大きな勢力のあった政の中心地でした。また、天照大神が八上郡(現八頭郡)に降臨した際に、霊石山への道案内を白兔がつとめたという「白兎伝説」も残されるなど、まさに八頭は、古代からの「パワースポット」でもあるのです。
そんな土地の魅力を伝えるべく、今回のDINING OUTのテーマは、「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」。
日本の原風景のような懐かしい景色が広がる、古代からの「パワースポット」を舞台に、二夜限定で幻の饗宴を開催します。
鳥取県八頭町世界で活躍するシェフが、生まれ故郷に凱旋。
今回料理を担当するのは、地元・鳥取出身、昨年の『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を担当し、クリエイティブで斬新な料理でゲストを驚かせた、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』の徳吉洋二シェフ。そして今回のDINING OUTは、世界で活躍するシェフが自身の地元に戻って、地元と一緒につくりあげる"凱旋DINING OUT"の第一弾でもあります。
ホストは東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っているアレックス・カー氏。
さらに、今回のフロアを取り仕切るサービス統括には、『DINING OUT ONOMICHI』を担当したTIRPSEの大橋直誉氏が参加。
八頭という地に古来より漂う、"生命力"や"自然の神秘"を、五感で味わう究極のダイニングにどうぞご期待ください。
Data
DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS
開催日程:①2018年9月8日 (土)~ 9日(日) / ②2018年9月9日 (日)~ 10日(月) ※2日間限定
開催地:鳥取県八頭町
出演 : 料理人 徳吉洋二(「Ristorante TOKUYOSHI」 )/ホスト アレックス・カー (東洋文化研究家)
オフィシャルパートナー:LEXUS (http://lexus.jp)、YEBISU(http://www.sapporobeer.jp/yebisu/)
オフィシャルサポーター : 鳥取県
協力:八頭町
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI
http://www.ristorantetokuyoshi.com
1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。
調理師専門学校を卒業後、正統派グランメゾンで知られる『レストラン ひらまつ』に料理人として入社。翌年ソムリエ資格を取得後、サービス・ソムリエに転向。2011年に渡仏し、ボルドーの二つ星レストラン『シャトー コルデイヤン バージュ』でソムリエを経験し、帰国後は白金台『カンテサンス』へ。ミシュラン東京版で三つ星を獲得し続ける名店で研鑽を積む。その後、レストラン移転に伴い、店舗をそのまま受け継ぐ形で2013年9月に『ティルプス』を開業。オープンからわずか2ヵ月半という世界最速のスピードでミシュラン一つ星を獲得する快挙を成し遂げる。
『DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS』販売開始! [DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
鳥取県八頭町
来る2018年9月8日(土)、9日(日)に『DINING OUT』第14回となる『DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS』を鳥取県八頭町にて開催します。
鳥取県八頭町眼の前は日本の原風景のような、懐かしい景色。古代からの「パワースポット」を舞台に、2夜限定の饗宴を開催。
日本のどこかで数日間だけオープンするプレミアムな野外レストラン『DINING OUT』。一流の料理人がその土地の食材を、新しい感覚で切り取って料理に。それをたった2夜のみ限定で、その土地を最も魅力的に表現する場所と演出とともに味わって頂く“幻のレストラン”です。
今回の舞台は、どこからでも天の川が見られると言われるほど自然豊かで、空気の澄んだ鳥取県。
その中でも日本の原風景を思わせる、ひときわ懐かしい景色が広がる八頭町です。
ゆるやかに蛇行する八東川に沿って走る若桜鉄道や、趣のある木造の駅舎。田植えの時期になれば空を映す田園風景、秋になれば花御所柿がたわわに実をつけて橙色に染まる柿畑。そんなのんびりとした時間の流れる八頭町ですが、かつては大きな勢力のあった政の中心地でした。また、天照大神が八上郡(現八頭郡)に降臨した際に、霊石山への道案内を白兔がつとめたという「白兎伝説」も残されるなど、まさに八頭は、古代からの「パワースポット」でもあるのです。
そんな土地の魅力を伝えるべく、今回のDINING OUTのテーマは、「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」。
日本の原風景のような懐かしい景色が広がる、古代からの「パワースポット」を舞台に、二夜限定で幻の饗宴を開催します。
鳥取県八頭町世界で活躍するシェフが、生まれ故郷に凱旋。
今回料理を担当するのは、地元・鳥取出身、昨年の『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を担当し、クリエイティブで斬新な料理でゲストを驚かせた、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』の徳吉洋二シェフ。そして今回のDINING OUTは、世界で活躍するシェフが自身の地元に戻って、地元と一緒につくりあげる"凱旋DINING OUT"の第一弾でもあります。
ホストは東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っているアレックス・カー氏。
さらに、今回のフロアを取り仕切るサービス統括には、『DINING OUT ONOMICHI』を担当したTIRPSEの大橋直誉氏が参加。
八頭という地に古来より漂う、"生命力"や"自然の神秘"を、五感で味わう究極のダイニングにどうぞご期待ください。
Data
DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS
開催日程:①2018年9月8日 (土)~ 9日(日) / ②2018年9月9日 (日)~ 10日(月) ※2日間限定
開催地:鳥取県八頭町
出演 : 料理人 徳吉洋二(「Ristorante TOKUYOSHI」 )/ホスト アレックス・カー (東洋文化研究家)
オフィシャルパートナー:LEXUS (http://lexus.jp)、YEBISU(http://www.sapporobeer.jp/yebisu/)
オフィシャルサポーター : 鳥取県
協力:八頭町
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI
http://www.ristorantetokuyoshi.com
1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。
調理師専門学校を卒業後、正統派グランメゾンで知られる『レストラン ひらまつ』に料理人として入社。翌年ソムリエ資格を取得後、サービス・ソムリエに転向。2011年に渡仏し、ボルドーの二つ星レストラン『シャトー コルデイヤン バージュ』でソムリエを経験し、帰国後は白金台『カンテサンス』へ。ミシュラン東京版で三つ星を獲得し続ける名店で研鑽を積む。その後、レストラン移転に伴い、店舗をそのまま受け継ぐ形で2013年9月に『ティルプス』を開業。オープンからわずか2ヵ月半という世界最速のスピードでミシュラン一つ星を獲得する快挙を成し遂げる。
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くにさき七島藺(しちとうい)。消えかけた伝統の灯火を燃え上がらせた、一人の作家の熱い思い。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市
2018年5月末に行われた『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。国東半島に降り立ち、文殊仙寺の石段を登って会場へ向かうゲストたちの胸には、おそろいのコサージュが輝いていました。艷やかで力強く、鼻を寄せると爽やかな匂いが立つ植物製のコサージュ。これはかつてこの地の産業を支え、現在では国東半島だけに残るくにさき七島藺で作られたものでした。
作者は七島藺作家の岩切千佳氏。国東の産業の中心として栄え、しかし時代とともに消えかけていた七島藺を、現代的な視点で蘇らせた人物です。宮崎県から国東に移住し、七島藺を知り、やがてその魅力を広める旗手となるーー。そこにどのような物語が潜み、どんな思いが秘められているのでしょうか。岩切氏の言葉を元に、その背景に迫ります。
大分県国東市かつて地域を支えた一大産業が消滅の危機に。
「とにかくたいへん!」くにさき七島藺の生産について伺うと、岩切氏はそう言いました。密集して生える性質のため機械化ができず、いまでも手植え、手刈りが基本。収穫後にじっくりと乾燥させたら、今度は繊維を縦に裂く作業が待っています。「断面が丸い藺草と違い、七島藺は断面が三角。だから縦に割かないと編めないんです」なんとも手間暇のかかる作業です。
江戸時代初期にトカラ列島から伝わり、その後国東半島の主要産業として発展した七島藺。最盛期には作付面積1600ha、畳表にして年間500万枚も生産されていたというのですから、まさに地域を支えた主要産業です。しかし先述のように栽培の難しさ、さらに生活様式の変化に押され、生産量は徐々に減少します。現在では、7軒の農家が1haほどの農地で育てるのみ。畳表の生産量も年間2000枚程度まで激減しました。七島藺はこのまま時代の流れの中で忘れられていく過去の遺物なとなるのか。
そんな折、岩切氏がこの地にやってきました。“くにさき七島藺の救世主”だなんて言うと、本人はきっと笑うかもしれません。しかし「たいへん」と言いながら、自身も畑に出向き、いきいきとに仕事に励む岩切氏の手で、くにさき七島藺がいま再び輝きを取り戻していることは確かなのです。
大分県国東市ひとりの作家の思いが、伝統を再び蘇らせる。
宮崎県に生まれた岩切氏。幼い頃からものづくりが好きで、大学も美術系へ進学。卒業後はTVの小道具を作る仕事に就き、身につけたものづくりの才覚を存分に発揮していました。しかしそんな岩切氏に転機が訪れます。あるとき、仕事に最も大切な手に怪我を負ってしまったのです。「それは落ち込みましたよ。幾度もの手術が必要なほどの怪我でしたから」たしかにこれでは、これまでの仕事を続けることはできません。
しかし悪いことばかりは続きません。休職し、縁のあった国東に移った岩切氏に、運命の出合いが待っていたのです。それがくにさき七島藺です。当初はリハビリを兼ねた工芸品作りでした。しかし続けるうちに岩切氏の作家魂に火がつきます。それが消えつつある伝統だと聞けば、きっとなおさら放って置けなかったのでしょう。やがて岩切氏は決断します。「これ一本で生きていこう」と。
もちろんそれが茨の道だったことは想像に難くありません。この地で続けられていたくにさき七島藺の大半は畳表や伝統工芸品。新たな作家の入る余地は少なかったことでしょう。もしかすると移住者で、女性であったことも、ハードルとなったかもしれません。
しかし岩切氏の決意は変わりませんでした。七島藺振興会の工芸セミナーに参加して基本的な編み方を習得。その合間に生産農家の元も繰り返し訪れて信頼関係を築きます。自身の創作活動のほか『くにさき七島藺振興会』の職員として、その宣伝普及活動も開始します。できることはすべてやり尽くすようなバイタリティーで、岩切氏の存在は少しずつ地域に知れ渡ります。その前向きさと、明るくチャーミングな人柄が、縮小しつつあったくにさき七島藺を照らし始めたのです。
大分県国東市作家としてだけではない岩切氏の存在。
「今までになかった工芸品を作ってくれるからね。新たな七島藺の魅力をいろんな人に伝えてくれてますよ」岩切氏についてそう語るのは、国東市の七島藺生産者である松原正氏。この道30年、七島藺の盛衰を間近に見つめてきただけにその言葉は感慨にあふれていました。
岩切氏が作るのは、アクセサリーをはじめとした身近な品々。くにさき七島藺の魅力を活かしつつ、独創的かつスタイリッシュに仕上げることで、若い世代が手に取るような作品となっています。その完成度と秘められた思いが評判を呼び現在では『ビームスジャパン東京』や『TENOHA代官山』といった高感度のセレクトショップに並べられるほどになりました。
しかし作品の評価ばかりではありません。先の松原氏はこう続けます。「畑にも来て、栽培の難しさも知っている。私らが想像もつかんようないろいろな活動をして、畳表のこともしっかり広めてくれている。工芸家なんだけど、物を作るだけじゃない。本当に良い宣伝部長ですね」
各地でのワークショップ始まり、講演やメディア出演も多数。江戸時代の羽根藩を舞台にした2014年公開の映画『蜩ノ記』では、岩切氏自身が七島藺職人の役として出演しました。さらに九州の自然や食、歴史、文化の魅力を列車内で届けるプレミアムクルーズトレイン『ななつ星in九州』内のプログラムとしても、くにさき七島藺の小物作りが取り入れられています。従来では想像もしなかった幅広く、活発な活動。これもまた、くにさき七島藺復権の大きな鍵となったのです。
大分県国東市語らなくても伝わる思い。モノに秘められた心。
「1日に編めるのは20cm四方1枚くらい」そう岩切氏が語る通り、くにさき七島藺の工芸品作りは繊細で地道な作業。ひとつは繊維が硬く、しっかり押し込みんがら編まないと形が崩れてしまうから。そしてもうひとつは、一本一本に心を込めるように、丁寧に編み込むから。だから小さなアクセサリーひとつにも、人の目を惹きつける存在感が宿るのでしょう。
『DINING OUT』当日、ゲストに渡されたコサージュについてそれほど詳細な説明があったわけではありません。あるいはただの「参加者の目印」と受け取られてしまったかもしれません。これほどの作品を胸に差し、食事をしていたことを、ゲストのほとんが知らなかったのですから。
しかし終演後の卓上に、このコサージュはひとつとして残されていませんでした。誰もがそのコサージュを宝物のように大切に扱い、そして丁寧に包んで持ち帰ったのです。秘められた価値が、語らずとも伝わった瞬間でした。心を込めた“モノ”は、人の心を動かす。そんな事実が証明されたのです。影で見つめていた岩切氏にも、それが届いたはず。だからきっとこれからの岩切氏の作品は、前にも増して心のこもったものになることでしょう。
「くにさき七島藺の素晴らしさを、もっと多くの人に知って欲しい」いつも自然体な岩切氏ですが、これからの目標を尋ねると、毅然としてそう答えました。伝統を守るという役割、生産者の思いを伝える責任、作家として意欲。「これからも、できることは全部やっていきます」という決意の言葉には、さまざまな思いが詰まっていたのでしょう。
Data
くにさき七島藺振興会
住所:大分県国東市安岐町富清3209 MAP
電話:0978-65-0800
http://shitto.org/
岩の聖地を舞台に相対する要素が見事交じり合った幻の晩餐。2人のキーマンが『DINING OUT』を振り返る。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市
2018年5月末、巨石に囲まれる神秘的な土地・国東を舞台に『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』は開催されました。
両子山という岩山を中心に6つの山稜に分かれた国東半島には、総称して「六郷満山」と呼ばれる無数の寺院が点在。日本古来の宗教観である神仏習合のルーツともいわれ、土地に根付いた山岳信仰と混淆し、この地独自の六郷満山文化として発展しました。目を奪う奇岩が聳え、寺社の山門には苔むした石造仁王像が立つ。その静謐で神秘的な空気は、宗教という枠組みを抜きにしても、誰しもの心に響くことでしょう。
そんな印象的な空気感を伝えるべく、今回設定されたテーマは『ROCK SANCTUARY―異界との対話』。
このテーマに挑んだのは、オープンわずか9ヶ月でミシュラン2つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也シェフ。「和魂漢才」をテーマに日本食材と中華料理の融合を追求するシェフの考え方と国東に通じる「神仏習合」の精神性が見事にマッチングしたプレゼンテーションで、ゲストの心を掴みました。
そしてホスト役には、「世界のベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則氏が登場。過去5回にわたり『DINING OUT』に出演した経験と、多岐にわたる深い知識で、国東らしい不思議な体験へとゲストを誘ってくれました。
「神と仏」と「和と中華」二つの異なる要素を美しく混淆させ紡がれた2日限りの饗宴を2人の言葉で振り返ります。
1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。
http://sazenka.com/
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/
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ここはいわば、日本のブータン。ホスト・中村孝則氏が見た、国東の特異性と神秘性。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市風景だけでなく、その精神性にも古来の伝統が宿る。
日本にこんな場所があったのか――今回の『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』を機会に初めて訪れた国東は、まず私にそんな思いを呼び起こしました。それはここに“昔”がそのまま残っているから。ただの田園風景や手付かずの自然ではありません。そこに生きる人々の精神性まで含めた“昔”です。
あるいは、ただふらりと訪れただけなら、日本によくある田舎だと感じたかもしれません。しかし繰り返し足を運び、人々の思いに触れ、土着の文化を深く知るほどに、この地の特異性が徐々に顕になってきました。そもそも『DINING OUT』は、対象となるその土地に深く入り込み、知られざる魅力を“発掘”することがテーマです。そして国東らしさを見事に掘り起こした今回はきわめて『DINING OUT』らしい展開になったといえるでしょう。
国東が特異である第一の点は、やはり宗教観でしょう。土着の山岳信仰と大陸から伝来した仏教が混じり合い、六郷満山文化として花開く。そんな宗教観の元には、新たなものを受け入れる寛容な気質があります。海に突き出した地形で、大陸からの玄関口となり、また東にある朝廷の入口でもあったという地理的な条件も、おそらくこの気質の形成の一因かもしれません。
また、この地に点在する無数の寺院が、観光名所ではなく宗教施設として存在していることも印象的でした。庭や仏像を見ることも大切ですが、本来の寺院は宗教的共有をする場所。受け継がれる祭りやご住職の方々の話を通し、その世界観に触れられることも国東の特長でしょう。
さらに点在する六郷満山の寺院が天台宗の密教寺院であること、奇岩・巨岩が連なる景観なども国東の空気を独特なものにしています。そこにあるのは、現代の日本とは思えぬ神秘性です。どこか妖しく、静謐。その空気感が国東の魅力です。
かつて東アジアのブータンという国を訪れたことがあります。昔ながらの田園が広がり、その田園を支えとして生きる国民性が残る。そして国教であるチベット仏教の影響による、ある種の神秘性が漂う。国東は私に、そんなブータンを思い出させました。画一化が進む日本にあって、この空気は誇るべき、そして守るべきものだと思います。
大分県国東市スペイン・ビルバオに学ぶ、国東活性化の起爆剤。
神秘的で特異な地でありながら、空港からの距離は車で15分程度。そこに私は、国東のポテンシャルを感じました。国東という土地が、日本を代表する観光地となるポテンシャルです。旅に訪れる場所には、現代生活とのギャップがある方が良いですよね。その意味で、国東は大きな可能性を秘めていると思います。もちろん、ただ待っているだけでは多くの観光客はやって来ないでしょう。宿泊施設の不足解消など、ハード面での計画も不可欠です。しかしそれよりも大切なのは、地域の方の意識の問題です。
私は先日まで『世界のベストレストラン50』の関係で、スペインのビルバオに滞在していました。かつて工業生産で支えられていましたが、1980年代の工業危機で方向転換、現在はサービスや観光の町として世界中から観光客が訪れる町に生まれ変わった町です。食や文化という核はありますが、印象的だったのは若者の数が多いこと。自然と町に活気が満ち、さらなる観光客を呼ぶという好循環が生まれていました。
このビルバオに、国東のさらなる発展のヒントがある気がします。若者にどう訴えかけるかが、これからの観光業の肝です。たとえばビルバオは酒税がないため、人々はさまざまな場所で遅くまでお酒を楽しみます。国東をそういった特区にしてしまうのも良いかもしれない。あるいは食でも音楽でもスポーツでも、何らかの核を据えて、広くアナウンスしていくことも有効でしょう。
国東は元来、“外から来るもの”を受け入れてきた土地です。製鉄の技術を持っていた渡来の一派を受け入れたこと然り、山岳信仰と仏教を混淆したこと然り。海外のテクノロジーを土着の文化に取り入れ、「まあやってみようか」としてしまうオープンマインドな地域性があるのです。1300年前からそれをやってきたのですから、きっとこれからもできるはず。新たな試みを通して、若い人を受け入れる。そんなチャレンジが、やがて地域の活性化に繋がるのです。そしてその点も、今回の『DINING OUT』が良かったこと。『DINING OUT』は、ゲストもスタッフも若い世代が多いですから、今回の成功がひとつのきっかけとなるかもしれません。
大分県国東市川田智也シェフの料理に垣間見る、正直な人間性。
料理には時折、シェフの人間性が表れます。今回の料理を前に思ったのは、川田智也シェフという人が、嘘のつけない正直な人なんだろう、ということ。コースを通した物語には整合性があり、テーマへのこじつけが一切見当たりません。だから料理を口に運ぶと、その味わいとともに、この国東という土地のことがすんなりと入ってくるのです。
その象徴が、地元の魚・三島ふぐを使った「国東的良鬼」という料理でしょう。高温で揚げたら鬼のようになったという偶然性も含めて、国東らしさ、川田シェフらしさが表れていたと思います。淡白な身を優しい餡が包み込み、医食同源にも通ずる滋味深い味わいとなっていました。
また温泉で育てる泥鰌で仕立てた「爆米炸泥鰌」も印象的でした。実はこの泥鰌は、ともに視察に訪れた際、川田シェフが強く興味を惹かれていたもの。大ぶりな泥鰌に紹興酒の香りをまとわせてから揚げるという、素材の良さとバックグラウンドをシンプルに伝えるアプローチ。里山の象徴である泥鰌を文殊仙寺の境内の石の器に盛るという演出も見事でした。
その他の品々も含め、それぞれの料理はショーアップされたものではなく、むしろ静謐さを感じさせるものでした。この地に根ざし、この地の思いを形にしたような料理。これは遠くからやってきたゲストにはもちろんのこと、地元の方にも刺さったのではないでしょうか。これもまた、『DINING OUT』の大切な役割のひとつ。地元の方々が、自らが住む土地の魅力を再発見し、そこに新たなモチベーションが生まれる。そうして最終的には独自の力で、地域を活性化する。その起爆剤としての役割を果たせた点もまた、今回の『DINING OUT』の成果だといえそうです。
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/
21ozセルビッチデニム ダッフルバッグ
程よいサイズのダッフルバッグがデニムで登場!
- 21ozセルビッチデニム生地を使用したダッフルバッグ
- 内ポケットの上部はセルビッチの証、赤耳使い
- 持ち手部分は4mm厚のイタリア・ワルピエール社のブッテーロレザーを使用
- 大きさは【IHE-24】と同様にツアラータイプのサイドバッグに収まるよう、サイズ設計しました
- ツアラーのサイドバッグは勿論、シーシーバーやフェンダーに縛り付けてもOK
- 1泊2日のツーリングや旅行に最適な容量です
素材
- 綿:100%
- 革部分:牛革
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21oz黒鎧 ウエストバッグ
ウエストバッグを黒鎧バージョンでアレンジ!
- 基本サイズは【IHE-18】と同様。21oz黒鎧生地にて製作しました
- ダイヤステッチを排し、代わりにアウトポケットをつけました。
- 外側のポケットは高速のチケットや携帯など、サッと出し入れしたいもの用に、敢えてファスナー無し仕様にしました
- 内側ポケットも同様にファスナー無しの仕様
- ベルト調整部分は左右でダブルリング仕様。どちら側でも長さを調節できます
- ショルダーベルトのおさえのループ、真鍮リングの留めパーツ、ファスナーのパイピングは牛革パーツを使用
- 外ポケットとショルダーの繋ぎ部分はYKK社製真鍮リベットにて補強しております
- レザーよりも手軽にご利用頂けます
- バッグ本体 綿:100%
- 一部留め具パーツ 牛革
素材
味の手帖 取締役編集顧問・マッキー牧元氏が体験した饗宴。二つが一つに繋がった夜。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市神聖なる文殊仙寺の境内で。それは始まった。
清涼な山奥の空気に包まれる。岩山に漂う、神聖な霊気に抱かれる。夜が静かに地表から木の幹に忍び寄り、最後に空が暮れていく。
ここは開山1300年を迎える、大分県国東半島、六郷満山随一の古刹霊地、文殊仙寺の境内である。山下の参道口から300の石段を登りきった山寺の一角に、キッチンと、客席が運び込まれた。
夕刻から40名の宴席が始まろうとしている。今回の「DINING OUT KUNISAKI with LEXUS」の料理を担当するのは、東京南麻布「茶禅華」の料理長、川田智也氏である。
四川料理をベースにしながら、食材の持ち味を淀みなく引き出して表現する、日本でも屈指の料理人だけに、大分の豊かな食材をいかに駆使するのか、期待が募る。
同時に、少し懸念もあった。中国料理は、“火の料理”と呼ばれるように、加熱によって食材の滋味を最大限に引き出し提供する。いわば“熱さ”が命の料理でもある。それをコントロールするのが困難な野外、そして40人のお客さんに同時に提供するという課題を、川田シェフがいかに克服するのかという点である。
闇が足元からゆっくりとせり上がって来る中、宴は始まった。
大分県国東市牡蠣とドジョウが味覚を目覚めさせる。
一皿目は、味が濃く、食感がたくましいことで評判となっている国東オイスターの料理が出された。牡蠣を地元西の関と上海老酒のそれぞれ30年古酒にくぐらせ、汁と古酒のジュレをかけた皿である。
牡蠣の養分が古酒と抱き合い、艶を増す。味わいに、食事場所である山の冷気と遠く離れた海の冷水が溶け合うような感覚があって、ゆっくりと舌や喉、胃袋の細胞を開き、食欲を目覚めさせる。
二皿目は、酔っ払いドジョウである。大分で養殖しているドジョウを、紹興酒に浸けて酔わし、おこげをつけて揚げたものだという。「カリッ」。歯を立てれば、おこげの衣が弾け、ふわりとしたドジョウの身に歯が包まれる。その時、にゅるりと皮のぬめりが広がった。カリッ。ふわり。にゅるり。鮎など他の淡水魚にはない、食感の多様な魅力を見事に生かしている。さらに噛んでいくと、紹興酒が染み込んだ肝のうま味が広がり、思わずニヤリとさせられる。紹興酒とおこげという、同じ米同士の相性も実にいい。
大分県国東市驚くほど清らかな野菜とスープ。
続いて、せいろがテーブルに運ばれ、そこに熱い岩茶を注ぐと、濛々たる湯気が立ち上った。せいろの中には、熱した岩とともに、野菜や椎茸と牡蠣が収められ、岩茶の香りをまといながら蒸しあがっている。
岩山に囲まれた聖域にちなんで、国東の岩と福建省の岩茶を使った料理だという。先ほど冷製の牡蠣とは異なり、熱せられた牡蠣が、旨味と香りを膨らます。野菜や椎茸を食べれば、驚くほど清らかさがある。雑味がない、純粋な味わいが、茶の香りを帯びながら、舌の上で花開く。
四皿目は、ワンタン入り、烏骨鶏のスープが運ばれた。「はあ」。一口飲んで、充足のため息が漏れる。烏骨鶏のすべてが溶け込んだ汁が、ゆるゆると口の中を滑り、体に染み渡っていく。滋養への感謝が、湧き上がる。川田シェフのスペシャリテの一つにキジのスープがあるが、その名品を彷彿とさせる逸品である。
大分県国東市国東と中国の共通項「峨眉山」の名を冠したスペアリブ。
五皿目は、「峨眉山排骨」と名付けられた、四川風スペアリブの香り炒めが登場した。国東に峨眉山があると聞いた時、シェフは愕然としたという。四川にも峨眉山という名山があり、自身も訪ねたことがあるからである。またこの地に流れる神仏習合の精神は、シェフが、中国料理の技法で日本の食材を生かすことを目指しテーマとして掲げる、「和魂漢才」とも通じている。
「今まで国東のことはあまり知りませんでした。でも今回のお話をいただいて、神仏習合といい、峨眉山といい、導かれた気がしました」。そうシェフは語る。
峨眉山を模して山の形に盛り付けられた料理の姿に、今回のプロジェクトへの敬意がにじみ出ている。唐辛子、山椒、ネギ、ニンニク、生姜、香菜、クミン。辛く、様々な香りが強烈に弾ける味わいの中で、豚の脂がすうっと溶けていき、甘く香る。この料理でこそ、桜王豚の脂の魅力がいきている。
大分県国東市鬼フグと冠地鶏の滋味が心に染み入る。
口直しの意味も含めたトマトの八角煮に続いて出されたのは、地元で“鬼”と呼ばれる、三島フグであった。
「地元の市場で、様々な魚を物色している時、この魚と目があったのです。
1匹20円ほどと値段は安い。しかし、この魚と目があった瞬間に、味わったこともない、ガンシャオユイという四川の料理を思いつきました。そして実際あげてみると、角が立って修成鬼会のお面のような姿になる。不思議な食材との出会いでした」。
やはり川田シェフは、導かれていたのかもしれない。四川では川魚を使って作られるというガンシャオユイは、高温の油で揚げた魚を、再び蒸し、ひき肉やたけのこなどを炒め合わせた辛いソースをかけた料理である。硬い骨も多く、食べにくく、姿も醜いことから雑魚に甘んじているのかもしれない、三島フグだが、中国料理の技法によって、堂々たる宴席料理に昇華している。「どうだ、なかなかやるだろ」。三島フグが鼻を高め、自慢し、高笑いをしている。
羅漢果のお茶が続いて出され、そのほの甘い香りが、三島フグ料理の余韻を優しく、ゆっくりと終わらせてくれる。そして最後の主菜は、冠地鶏を使い、四つの料理に仕立てた皿であった。
カボスの釜に詰めた、胸肉とクラゲ。すっぽんとフカヒレを詰めた、手羽先の揚げ物。ローストした、味付け鳥もも肉。そして鶏スープ麺の四種類である。よく運動させているのだろう。冠地鶏は味が濃く、脂が少ない。その特性を、それぞれの料理で生かしきっている。フカヒレやすっぽんなどのコラーゲンの旨味とも合い、スープは滋養が深い。
大分県国東市野外における完璧な加熱の再現。中国料理の本領。
そしてなにより驚いたのは、火入れの完璧さである。手羽先、鳥もも肉ともに、熱々で、行き過ぎず、足りなさすぎずという最適の過熱に保たれている。考えれば、三島フグ、ドジョウ、スペアリブなども、理想の加熱で提供された。
「40人のお客様に、どういう風にして、最適な温度管理でだすことができるか。それがいちばんの課題でした。普段店でやっている状況とは違います。冷涼な外気にさらされながら調理し、運ぶのにも時間がかかる。すべてを計算に入れて仕上げる努力をしました。最後の方は、照明はあるものの、手元も見えません。香りを嗅ごうにも飛散するので、火傷するほど鼻を近づけ、耳をすまして料理をしました。いかに料理にとって視覚が大事かを学び、また自分の未熟さも痛感しました」。そう川田シェフはおっしゃる。だが過熱や温度管理は、お客さんの口元に運ぶまで、店と寸分変わらぬほど最適に管理されていた。
それは、川田シェフの技量もあろう。そしてもう一つ言えるのは、彼が初めてであったという大分の食材の力ではないだろうか。
大分県国東市澄んだ滋味が響き渡る大分の食材。
鳥も豚も、三島フグもドジョウも、野菜やキノコも、どの食材を食べても、清らかな味がするのである。おそらくそう両子山から短い距離で海に流れ込む、この地形が、ピュアでたくましい食材を生み出したのだろう。
その食材たちに触れ、純粋無垢な味わいが、川田シェフを突き動かし、これら料理の完成度を高めたのだろう。
国東の恵みと川田シェフの新たな才。神仏習合と和魂漢才の出会い。川田シェフによって昇華させられた命が我々客にもたらした鳴動。遠く離れ、普段は交わらず、一見異質と思われる二つの事象が、一つになる。
人も生物も、土地も神も繋がっている。DINING OUTとは、当たり前のようでいながら、日常では気がつかない真実を知らしめてくれる場所なのだ。
1955年東京出身。立教大学卒。 株式会社味の手帖 取締役編集顧問、タベアルキスト。 立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩き、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演など行う。現在、「味の手帖」「ビッグコミックオリジナル」「東京カレンダー」「食楽」他、連載7誌。料理評論 人物インタビュー 紀行記事などの他、料理開発なども行う。去年より、256の食材を日めくりとして綴った「味のカレンダー」を発売。著書に「東京 食のお作法」文芸春秋刊ほか。
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あなたがまだ知らない、日本のピースな美しさ『ピース・ニッポン』。[ピース・ニッポン]
OVERVIEW
真っ青な空に映える城と桜の花、森の緑と岩を割る清らかな水の流れ、山深くまで続く巡礼の道の石畳、人知れず星空を映す青い湖、霊峰に静かに降り積もる雪。そうした風景は、日本人ならば誰もが心に描き出すことができるものですが、それが日本のどこに存在するのか、明確に答えられる人はそう多くはないかもしれません。
7/14(土)より公開される映画『ピース・ニッポン』は、そうした日本の美しい風景を、文字どおり日本中から集めた作品です。監督は劇映画やミュージックビデオで知られる映像作家、中野裕之氏。撮影に8年もの歳月を費やした映像の数々は、私たちのイメージを超える美しさで迫り、日本にこんな場所があったのかと驚かされることの連続です。
でもこの作品は「ただ美しい風景をつないだだけ」のドキュメンタリーとは少し異なります。美しい風景を通じて浮き彫りになってゆくのは、日本という国の歴史そのもの。その風景はなぜ作られたのでしょうか。そしてなぜ現在まで残ってきたのでしょうか。そこには、日本の風土に根づいた精神性と美意識、そして文化と歴史があるのです。
東日本大震災によって失われた風景にかりたてられ、「日本の風景を保存しなければ」と、この作品を撮り始めたという中野氏。そんな思いのもと、小泉今日子氏、東出昌大氏(両者ともにナビゲーター)、海外でも高い評価を得るアンビエント・アーティスト、岡野弘幹氏(音楽)など、多くのアーティストが集まり、映画は完成しました。
あなたがまだ知らない日本のストーリーが、この映画の中にはきっとあるに違いありません。
2018年7月14日(土)公開 新宿バルト9 他全国にて
監督:中野裕之
脚本:柴崎明久・中野裕之
エグゼクティブプロデューサー:林 郁
プロデューサー:中野裕之
ナビゲーター:小泉今日子、東出昌大
出演:渡辺 大、及川さきの
タイトルディレクション:葛西 薫
配給:ファントム・フィルム
http://peacenippon.jp/
©2018 PEACE NIPPON PROJECT LLC
日本の自然の中に、時を越えて残るもの。[ピース・ニッポン]
東出昌大インタビュー日本史を愛する東出昌大氏が語る、『ピース・ニッポン』の「城攻め」。
日本の自然の美しさ、そしてそこから生まれた文化や歴史を紐解く映画『ピース・ニッポン』。中野裕之監督がそのナビゲーターを、俳優・東出昌大氏にオファーしたのは、彼が「歴史好き」だったからだといいます。その東出氏に「映画の中で行ったことがある場所は?」とたずねると、むべなるかなという答えが返ってきました。
「犬山城、高知城、姫路城、熊本城、彦根城。丸亀城、広島城……“城攻め”は結構やっていますね(笑)。撮影の合間にレンタカーを借りて、ひとりで見に行ったり。僕のお城の楽しみ方は、時代が時代であれば登ることなどできない天守閣に登り、その景色を見てること。“昔のお殿様はこんな気持ちだったんだ”と、身分を越えた感覚を味わうというか。人力で作っているはずなのに、こんなの絶対に攻め落とせない!と感じることも多く、すごいなと思います。ちょっと変態的なまでに歴史好きなので、みなさんとは違う着眼点かもしれません(笑)。
映画の中で印象に残ったお城は松本城(長野県松本市)ですね。“烏城”とも呼ばれているんですが、すごく威厳があってカッコよかった。あとは姫路城。数年前の修復を終えた後に行った時は、地元の人も言っていたように“白すぎるかな”と感じたんですが、ドローンで撮られた映像を見ると、瓦の質がいいために反射して白く見えてしまっていただけで、上から見るとちゃんと黒いんだなって……誰得な情報ですが(笑)。この映画の中のお城は、どれも撮り方がすごくカッコいいんですよ。監督も“城オタク”なのかなと思うくらい」と東出氏は語ります。
東出昌大インタビュー大画面の迫力と臨場感、ドローンによる未体験のアングル。
映画は日本の自然の中に見る精神性や美意識について、様々な歴史上の人物や文化人の言葉を引用しながら、観客を導いてゆきます。でもそれはそれ。「ナレーションを担当しながらこう言うのもなんですが、単に美しい映像を楽しんでもらうだけで満足してもらえる作品」と東出氏。大画面だからこその迫力と臨場感、更にドローンで捉えた、これまで体験したことのないアングルで、この映画でしか見られない映像が満載です。
「ドローンを使って撮った花火はまるで火花の中にいるような、体験したことのないアングルで、すごい迫力でした。花火は通常は地上で、遠くから愛でるもので、ここまで肉薄した映像は初じゃないかと思います。撮影された当時とは法律が変わり、今後は撮ることができないらしいので、貴重な映像です。
阿波踊り(徳島県)の映像も他にはない臨場感がありましたね。これまではニュース映像などの1コマでしか見たことしかなかったのですが、踊る人たちがシュッと集まって隊列を作ったりする、それがカッコよくて。祭に参加する人々の息吹、生き生きとした熱気が映像からあふれ出ていて、すごく楽しそうだな、行きたいなと思いました。
様々な星空も素晴らしかったですね。特に小笠原諸島・父島の星空(東京都)は、天の川があまりにはっきりと見えることに驚きました。流れ星と人工衛星の違いも分かります。地球の周りには様々な方向に人工衛星が飛んでいることも初めて知りました。
どれも大画面ならではの映像だと思います」と東出氏は話します。
東出昌大インタビュー旅に出ると、普段とは見える世界が変わる。
「“旅”は自分にとっての一番のご褒美。それを目標に、日々仕事をしている」と語る東出氏。その遍歴は世界中、日本中に及びますが、最初に旅を好きになったきっかけは、18歳の時に訪れたパリだったそうです。
「仕事の関係で行って、ひとりで延泊したんです。僕はすごく小心者で、フランス語はおろか英語すらもおぼつかない。それこそ“カツアゲされたらどうしよう”なんてビクビクして、お金を細かいパケで何袋にも分けて、カバンの奥と、お財布と、ホテルの金庫に入れる、なんてことをやっていましたね(笑)。
国内旅行では年に一回、知人のいる沖縄を必ず訪ねているのですが、行けば行くほど面白い場所だなあと思います。足を運んで初めて理解できた歴史的な問題もありますし、同じ日本でありながら、お正月のお祝いが旧正月だったり、お餅を食べる習慣がなかったり、様々な文化の違いも感じます。台風が来ても“家で酒飲んでればいいさあ”という感じで、大らかさのようなものを教わりましたね」と東出氏は言います。
旅に出ることの効能は、異なる価値観を目にすることができること。自分の悩みのちっぽけさを実感できること。自由になれること。
「“かわいい子には旅をさせろ”と言うのは、旅先ではいつもは考えないことを考えるし、普段とは見える世界が変わるからなんでしょうね」と東出氏は続けます。
ちなみに、旅の必需品は「スキットル」と呼ばれるウイスキー用の携帯用ボトル。海外や地方ではお店が閉まる時間が早いので、夜、自分の気に入った景色の中で飲めるように、用意していくのだそうです。持って行くのはいつもの飲みなれたお酒なのですが、旅先ではなぜかそのお酒の味さえも違って感じられるのだとか。
東出昌大インタビュー諸行無常の中にあるからこそ、「一瞬の美」に心打たれる。
「非日常」を求めるがゆえでしょうか。旅に出る時に、海外を念頭に置く人は多いかもしれません。でもこの映画を見て、日本にもまだまだ知らない景色、見たこともないような景色があることを知ったと、東出氏はいいます。
「“本当に日本なのか?”と思うような場所も多かったですね。例えば慶良間(けらま)諸島(沖縄県)の海。ナレーションでも世界屈指の美しさと言っていますが、ケラマブルーといわれるその青さも驚きで。水中の映像も本当に楽園のようで、竜宮城ってこういう所なのかなと、目が覚める思いがしました。アフリカの大地としか思えないような場所もありましたし、“天空の城”と呼ばれる竹田城跡(兵庫県朝来市)も、ペルーの空中都市マチュ・ピチュを彷彿とさせますよね」と東出氏は話します。
そうした唯一無二の映像とともに東出氏の心に残ったのは、「日本には、世界の活火山の7%がある」という言葉です。ここ数年多発する大規模地震を始め自然災害の多い日本では、全てが「諸行無常」――つまりこの世のあらゆる存在や現象は移ろい変化し、常に同じものはあり得ないということです。全てがはかなく、だからこそ日本人は、「一瞬の美」に心を打たれるのかもしれません。
「“日本人の心”と言われることも多い富士山(山梨県・静岡県)ですが、僕自身としてはこれまで何の思い入れもなく、まあ決まり文句のようなものかなと思っていたんです。でもこの映画で見て、富士山ってこんなにも美しいのかと感じました。最初から最後までストーリーテラーのように、ことあるごとに登場するのですが、四季折々、角度により、時間帯により、その表情は常に少しずつ違う。中盤に出てきた夕景は特に印象的でした。夕日を浴びて、頂上に頂く白い雪も、空も雲も、真っ赤に染まって……ずっと見ていたいなという気持ちになりましたね」と東出氏は言います。
東出昌大インタビューここに立った後世の人に、この景色を見せたい。
「熊野古道(三重県・奈良県・和歌山県・大阪府)は、和歌山出身の父からよく聞かされていて、以前から行ってみたいなと思っていた場所です。父はカタブツで宗教や信仰に関してほとんど思い入れのない人なのですが、それでも熊野古道の空気感には、何かしら神聖で荘厳なものを感じると。あの父が言うくらいなんだから、それはすごいことじゃないかなと思うんです。千何百年前の人が作った古く苔むした石畳や山道、その両脇にたたずむ樹齢何百年の大木――そこには、時を超えて存在する何かがあるのかもしれません。この映画だからこそ、紹介されているんだろうな、とも」と東出氏。
映画が捉えた日本の様々な絶景は、先人たちが「ここに立った後世の人に見せたい。見せるべきだ」という思いから創造され、守られてきたものなのではないか。それを受け継いだ自分たちもまた、次の時代に引き継いでいく気持ちで、日々を生きていくべきではないか。映画を見て、東出氏はそんな風にも感じたといいます。
「東日本大震災の時、駅の階段に座り込む人たちが真ん中を開けて両サイドに座っていた、それが海外で驚きを持って報道されたと聞きます。他者に配慮する日本人の在り方は、そうした景色の中にも生きているのかもしれません。“日本人の心”というとおこがましいけれど、そういう精神性は世界に通じる美徳だと思うし、今後もつないでゆきたい。僕自身が、作品からそんなメッセージを受け取った気がします」と東出氏は語ってくれました。
1988年埼玉県生まれ。モデルとして活躍の後、2012年に映画『桐島、部活やめるってよ』で俳優デビュー。同作で日本アカデミー賞新人俳優賞他、数多くの映画賞を受賞。2013年のNHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』で人気を獲得、以降、映画、テレビ、CMなど幅広く活躍。『クリーピー 偽りの隣人』『聖の青春』『関ケ原』『散歩する侵略者』など話題作に次々と出演。2018年は、カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作『寝ても覚めても』(9月公開)と本作を含め、出演作6本が公開される。本作でともにナビゲーターを務める小泉今日子氏とは、2017年『散歩する侵略者』以来の共演となる。
2018年7月14日(土)公開 新宿バルト9 他全国にて
監督:中野裕之
脚本:柴崎明久・中野裕之
エグゼクティブプロデューサー:林 郁
プロデューサー:中野裕之
ナビゲーター:小泉今日子、東出昌大
出演:渡辺 大、及川さきの
タイトルディレクション:葛西 薫
配給:ファントム・フィルム
http://peacenippon.jp/
©2018 PEACE NIPPON PROJECT LLC
残したかったのは、日本の一期一会の美しさ。[ピース・ニッポン]
中野裕之インタビュープロジェクト始動のきっかけは、あの東日本大震災。
日本全国にある様々な「美」を記録した『ピース・ニッポン』。この映画の監督で、劇映画やミュージックビデオなどで知られる映像作家、中野裕之氏がプロジェクトを始動したきっかけには、あの東日本大震災がありました。
「3.11が起き、“電気がなければただの人”という事実に1週間くらいパニクった後、仮に電気が復活したとして、自分に貢献できることはないかと考えたんです。ちょうどその時に、東北の町の写真館が、保存していた写真もろとも津波で流されたという報道を聞いて、“自治体が運営する映像施設はどうなったんだろう”と気になりました。そうした映像資料の作り手を個人的に知っていたので問い合わせたら、やはりマスターからコピーまで全部流されてしまったと。インターネットへのアップロードもなし。本当に全部なくなっちゃうんだなって」と中野氏は話します。
その前年から、京都の3D映像を作ろうと撮影を始めていた中野氏。震災以前には、東北にあまりロケーション撮影に行っていなかったことに気付き、京都に限らず、日本中を記録していこうと心に決めます。当初は3DとHDで撮影しており、2年後には3Dと4Kに切り替え、同じ景色を取り直そうと同じ場所を訪ねてゆくのですが――このことが図らずも中野氏に、ある事実を強く強く実感させることとなります。
「同じ場所に行っても、同じ風景があることは二度とない。一期一会なんです。だから行ってはがっかりする(笑)。城もたくさん撮りましたが、例えば鶴ヶ城(福島県会津若松)なんて、桜吹雪が撮りたくて6回くらいは足を運びました。そうすると、去年すごい綺麗な場所だったからと思って、今年行ってみると、全部裏切られるんです。
紅葉を撮る時も、同じ場所に3~4回は行きますね。これもこの8年の間に知ったことですが、紅葉って3年周期なんですよ。去年は“当たり年”で、どこにいっても真っ赤だし、葉っぱ1枚まで寄っても綺麗だった。そういう時は“すごいじゃん!すごいじゃん!”って大興奮なんですが、それに対して“なんで赤くならないの!?”っていう徒労の2年のなんと悲しいこと」と中野氏は言います。
中野裕之インタビュー古代から今も残る日本の森、その豊かさと美しさ。
この映画を撮る以前には、仕事の拠点を海外に置いたこともある中野氏。そこから日本に戻った理由のひとつには、海外の自然では感じられなかった、日本の森の豊かさへの思いがあります。「八百万(やおよろず)の神」「山岳信仰」「森林信仰」という概念は、古代から何千年も続く森が今も多く残るがゆえ。そうした思いとともに映画の中に映し出される森は、奇跡のような美しさを放ちます。
「僕が個人的に、日本一の紅葉の名所だと思うのは十和田湖(青森県十和田市・秋田県鹿角郡)。これはゆるぎないです。京都のお寺にある紅葉も素晴らしいけれど、あれは人が植えたもの。人間の作った庭としてフレーミングした美。十和田湖はそのフレームを取っ払って、手前に膨大な水を引き込んだもの、極端な話、嵐山が100個くらいあるようなものです。桜は全然なくて、紅葉もブナなのでわりと黄色っぽいオレンジ系なんですが、時々ナナカマドとかの赤いのがポンと入ってる。夕暮れになると、そのオレンジが夕焼けを反射して真っ赤になる。奥にある蔦沼なんか、真っ赤な映り込みの美しさにもうびっくりします。“リオ・ネグロ(黒い川)”といわれるアマゾンに似た、鏡みたいな水面、しかも黒締めで。あんなに大きい湖が全部湧き水で、今も滾々と湧き続けている。その水がすごく旨くて、僕なんかガブガブ飲むんですけど」と中野氏は語ります。
中野裕之インタビュー小さきものの中に宇宙を見る。それが日本人の感性。
日本を代表する原初の森として、多くの人が思い描くのは屋久島(鹿児島県)かもしれません。もちろんこちらにも中野氏は足を運び、「ジブリ映画が描くような、とてつもない森」と絶賛しています。でも中野氏が屋久島で最もお勧めするのは、少し違う場所のようです。
「屋久島に行くとみんな縄文杉を目指しますよね。でも初めて行くなら、苦行のような山登りをして縄文杉を見に行くより、いなか浜に行ってほしい。屋久島で僕はあそこが一番好き。夏休みに3km続くビーチをひとり占めにできる、そんな場所は他にありません。そこでおじさんが売ってるグァバ氷を食べると、美味しくて泣きそうになりますよ」と中野氏。
それから――と、中野氏が語ったのは、ちょっと屋久島とは思えない楽しみ方。屋久杉の原生林の森、白谷雲水峡の駐車場にびっしりと密生する「スギゴケ」に心を奪われて、全てをファインダーに収めようと4日間も駐車場に通ったのだそうです。
「日本には、モンゴルとかロシアとか、アメリカのグランドキャニオンみたいな、広大な風景はないんです。でも例えば苔を見るにしても、顔を10cmくらいまで近づけてずーっと動かせば、それだけで空撮になるわけでしょう。そういう小さいものの中に宇宙を見ることができるのが日本人だし、日本人の感覚なんだと思う。ノルウェイのツンドラとか、ハワイのジャングルとか、すごいとは思うんですが、ワイルドなんですよね。荒々しくて荘厳で、近寄りがたい。反対に、日本は繊細で可憐で耽美で、風情がある。紅葉の名所として知られる瑠璃光院(京都府京都市)にしても、中からしか見られないし、ちんまりしているんです。日がまんべんなく当たらないから、絶対に一度には紅葉しない。僕が撮りに行っても、ベストな状況って一回もない。でもだから瑠璃光(様々な色を反射する瑠璃の光)っていうんだけど、そういうものに美を見るっていう感覚って育つ環境だと思うんですよね。日本にはそういうものを分かってた人がいっぱいて、それが日本の文化とか歴史を作っているんです」と中野氏は語ります。
中野裕之インタビュー億万長者にも総理大臣にも区別なく、自然は美しく過酷。
もちろんこれだけの美しい風景を撮るのに、相当の苦労がないはずはありません。誰も見たことのない「その場所」を探し、たどり着く苦労。誰も見たことのない「その瞬間」を狙い、待つ苦労。その最たるものは、山奥でひっそりと流れ落ちる「滝」を巡るものかもしれません。
「滝を撮る時って、晴れていないことがほとんどだし、晴れていれば晴れていたで、写真に撮ると白く飛んでしまうんです。でもある時間帯だけ、滝全体に日が当たって虹が出る。太陽の角度と自分がいる場所から計算して予測して、“この時間帯でこのあたりに虹が出るんじゃないか”とずーっと待って――ひとつも出ない(笑)。でもドローンで上から撮ると出ていたりすることもある。何かで写真を見て、でも実際はこんなにいいわけじゃないんだろうな……と期待しないで行ったら大当たり!なのに、そういう時に限ってドローンを持ってきていないんです(笑)」と、中野氏はその時のことを振り返りながら話してくれました。
中でも中野氏が「あのキツさは一生忘れない」と語るのは西沢渓谷(山梨県)の七釜五段の滝。
「前に3D、後ろにHDのダブルリュックに、三脚を持って歩いていたんですが、道幅がしだいに1mから30cm、15cmと狭くなってきて。そのうち鉄鎖が設置された急斜面で、すれ違えない一方通行になってきて、すごくいい景色なのに写真を撮るどころじゃなく、ただ進むしかない。やっと撮れるかなっていう所に来ても、人が後ろから来るからどかなきゃならない。ようやく滝の所にたどり着いたんだけど、そこから上に上がるとなるとほとんど垂直の壁。鎖があっても壁に貼り付きながら上がるようなところで、そりゃないよって。若い人、アドベンチャー好きな人なら最高だと思います(笑)」と中野氏は話します。
日本人の、一番日本人らしい所はなんですか?とたずねると、中野氏は「“お互い様”と思えること」と答えます。
「最近は“お互い様”がわからない人が増えていますよね。でもたとえ億万長者でも総理大臣でも、西沢渓谷まで行こうと思ったら自力で山を登るしかない。区別なくしんどいんです。自然はそういう謙虚さを思い出させてくれるものなんですよ」と中野氏。
自然とともに暮らすこと。それが日本人本来の生き方なのかもしれません。四国の仁淀川(高知県・愛媛県)では、そうした営みを目の当たりにしたといいます。
「仁淀川は高知市内から1時間くらいで行けるのですが、透明度は四万十川よりも高いと言われています。晴れて日が差すと“仁淀ブルー”と呼ばれる水がとんでもなくきれいで、川が増水した時に沈むように作られた“沈下橋”という、欄干のない橋が幾つもあります。しぐれていれば雲がワーッと上がる山間、その山筋をずーっと上がっていくと果てしなく山しかないんだけれど、山頂の少し下あたりにポツンポツンと民家がある。源平の戦いの頃からある集落なんんですが、よくこんな山深いところにと、人の営みの生命力にド感動しました」と中野氏は語ります。
中野裕之インタビュー旅の目的は「土佐清水サバ」と「飛騨桃」。それでももちろん構わない。
ちなみに仁淀川を含め高知県に足を運んだ時、中野氏は必ず食べるものがあるそうです。それは「べらぼうに美味い“土佐清水サバ”」。佐賀で言うところの「関サバ」と同じものですが、土佐の漁師が獲って持ち帰ると「土佐清水サバ」という名前になり、ずっとお値ごろな値段で食べることができるのだとか。「辛い思いもいっぱいしているけれど、例えば“美味しい栗”が一個食べられれば、それで満足」という中野氏。誰もがそうであるように、食は旅の大きな楽しみだといいます。
「8月9日、厄落としの日に行われる飛騨高山(岐阜県)の手筒花火打ち上げには、毎年通っています。市内を流れる宮川にかかる橋と橋の間に仮設の舞台を作り、とび職の人が5人くらい立って、花火を手に持って打ち上げる。橋の上ではガタイのいい男の子たちが褌(ふんどし)姿で太鼓を打ち鳴らして。カッコよくてシビれますよ。この花火の奉納の本家は愛知県の豊橋なんですが、それでも僕が飛騨高山を推すのは、飛騨桃と高山ラーメンが好きだから(笑)。僕は桃フリークで、飛騨高山は暑いわ寒いわの土地なので本当に桃が美味いんだけど、手筒花火の頃は一番美味しい。宮川の近くにあるフルーツ屋さんで桃を箱買いして、川の水で冷やしてその場でしゃくしゃくしゃくって食べる。これが昼の部。夜は高山ラーメン、たまに飛騨牛。実は福井から鯖街道が伸びてるから、鮨もめちゃくちゃ美味い。何回も行くところは、そこに美味しい店があるからかもしれません」と中野氏は話します。
中野裕之インタビュー自然の「ありがたさ」を知ることで、心はPEACEを得る。
いわゆる観光名所や美味しい食べ物など、目的は何でも構いません。とにかくその場所に足を運ぶこと。そしてそこに自分が立ったリアリティを感じること。インスタグラムで写真を撮るのも確かに楽しいけれど、それだけで行った気になり、振り返りもせず立ち去ってしまうのは、「もったいなさすぎる」と中野氏は言います。その場所に立ち、右から左までゆっくりと見て、深呼吸を5回。それだけで見えてくるもの、感じるものはきっと変わってくるはずです。それこそが中野氏の言う「PEACE」のように思えます。
「木々の間を抜けていく風を愛おしく思うこと。満開の桜にぱーっと風が吹き、散る花びらと一緒に呼吸をする。花吹雪が静まり、また静けさが戻る。さてと、じゃあそろそろ次に行こうか、と思いますよね。その“さてと”という瞬間に、僕は一番のPEACEを感じるんです。
自然を愛でることができる時間、空間を、僕は“ありがたい”と思う。何に対してか分からないけれど、感謝するんです。きれいなものがたくさんある日本には、“ありがたい”と思えるチャンスが無数にある。太陽に、山に、空気に、花の美しさに、美味しい食べものに。実際の場所に行き、その場所の空気を体内に吸い込んで、そういう国に住んでいることを実感してほしい。
上手く言えないんだけど、好きな彼女を誘って滝に行き2時間ゆっくり過ごしたら、きっと二人は恋人になる。仲間で行けば、絆はめちゃくちゃ深くなる。その場所を好きになれば、そこが自分の居場所――自分がPEACEになれる場所が増えてゆく。そういう場所をたくさん持つことが、本当の心の豊かさにつながってゆくんじゃないかなと思います」と中野氏は語ってくれました。
1958年広島県生まれ。早稲田大学卒業後、読売テレビに入社。その後1998年に「ピースデリック」を立ち上げ、’98年に初の劇映画『SF サムライ・フィクション』を監督。富川国際ファンタスティック映画祭グランプリ、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞他、数々の映画賞を受賞。『SF Stereo Future』『RED SHADOW 赤影』、2009年の『TAJOMARU』(09)に続き、2014年には青森大学男子新体操公演のドキュメンタリー『FLYING BODIES』、そして『FOOL COOL ROCK! ONE OK ROCK DOCUMENTARY FILM』などを監督。また、米MTVアワード6部門にノミネートされたDeee-liteの "Groove is in the heart"を始め、今井美樹氏、布袋寅泰氏、GLAYなどのミュージックビデオも多く手がける。その映像制作は、CM、映画、ドキュメンタリーなど、多岐にわたる。
2018年7月14日(土)公開 新宿バルト 9他全国にて
監督:中野裕之
脚本:柴崎明久・中野裕之
エグゼクティブプロデューサー:林郁
プロデューサー:中野裕之
ナビゲーター:小泉今日子、東出昌大
出演:渡辺 大、及川さきの
タイトルディレクション:葛西 薫
配給:ファントム・フィルム
http://peacenippon.jp/
©2018 PEACE NIPPON PROJECT LLC
@adidasfun
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【ギフトボックス入り】藍染め手ぬぐいギフト(1枚入り)藍染めプチ石けんセット
内祝用の藍染め手ぬぐいと藍染めプチ石けんのギフトボックス。優しい肌当たりと色合いで先様に長くお使いいただけます。珍しい藍の石けんとセットなら、きっと先様で話題になること間違いなし。
価格:4,322円(税込)

◆ 藍染め石鹸とのセットで注目度アップのギフトセット
年々その便利さが再認識され続けている手ぬぐい。
天然の藍染めでモダンな柄行きの物を見つけるのが難しい、というご要望をいただいてラインナップをしている藍染め手ぬぐいを、専用のギフトボックスにお入れしてお届けいたします。
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赤ちゃんにも大変重宝する物となっています。
沐浴や汗取りなど、優しい風合いと色合いで赤ちゃんのお肌にもやさしくお使いいただけます。

セットしているプチサイズの藍染め石けんは、20gの手のひらサイズ。
一番人気の「グランブルー」を小さなハートの形にかたどった、携帯に便利なプチサイズです。
◆ 選べるモダンな4柄
以下の4柄より、お好みの物をお選び下さい。




いずれも、肌当たりの優しい「伊勢木綿」の手ぬぐいを採用しています。
使い込むほどにふんわりと柔らかい使用感になっていきますので、先様にもきっとお喜びいただけると思います。

※包装紙は「藍色」と「白色」の2種をご用意いたしております。
ご希望のお色をお知らせください。

※この情報は実際のページと異なる場合がございますので、最新の情報は実際のページにてご確認ください。