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くにさき七島藺(しちとうい)。消えかけた伝統の灯火を燃え上がらせた、一人の作家の熱い思い。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市
2018年5月末に行われた『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。国東半島に降り立ち、文殊仙寺の石段を登って会場へ向かうゲストたちの胸には、おそろいのコサージュが輝いていました。艷やかで力強く、鼻を寄せると爽やかな匂いが立つ植物製のコサージュ。これはかつてこの地の産業を支え、現在では国東半島だけに残るくにさき七島藺で作られたものでした。
作者は七島藺作家の岩切千佳氏。国東の産業の中心として栄え、しかし時代とともに消えかけていた七島藺を、現代的な視点で蘇らせた人物です。宮崎県から国東に移住し、七島藺を知り、やがてその魅力を広める旗手となるーー。そこにどのような物語が潜み、どんな思いが秘められているのでしょうか。岩切氏の言葉を元に、その背景に迫ります。
大分県国東市かつて地域を支えた一大産業が消滅の危機に。
「とにかくたいへん!」くにさき七島藺の生産について伺うと、岩切氏はそう言いました。密集して生える性質のため機械化ができず、いまでも手植え、手刈りが基本。収穫後にじっくりと乾燥させたら、今度は繊維を縦に裂く作業が待っています。「断面が丸い藺草と違い、七島藺は断面が三角。だから縦に割かないと編めないんです」なんとも手間暇のかかる作業です。
江戸時代初期にトカラ列島から伝わり、その後国東半島の主要産業として発展した七島藺。最盛期には作付面積1600ha、畳表にして年間500万枚も生産されていたというのですから、まさに地域を支えた主要産業です。しかし先述のように栽培の難しさ、さらに生活様式の変化に押され、生産量は徐々に減少します。現在では、7軒の農家が1haほどの農地で育てるのみ。畳表の生産量も年間2000枚程度まで激減しました。七島藺はこのまま時代の流れの中で忘れられていく過去の遺物なとなるのか。
そんな折、岩切氏がこの地にやってきました。“くにさき七島藺の救世主”だなんて言うと、本人はきっと笑うかもしれません。しかし「たいへん」と言いながら、自身も畑に出向き、いきいきとに仕事に励む岩切氏の手で、くにさき七島藺がいま再び輝きを取り戻していることは確かなのです。
大分県国東市ひとりの作家の思いが、伝統を再び蘇らせる。
宮崎県に生まれた岩切氏。幼い頃からものづくりが好きで、大学も美術系へ進学。卒業後はTVの小道具を作る仕事に就き、身につけたものづくりの才覚を存分に発揮していました。しかしそんな岩切氏に転機が訪れます。あるとき、仕事に最も大切な手に怪我を負ってしまったのです。「それは落ち込みましたよ。幾度もの手術が必要なほどの怪我でしたから」たしかにこれでは、これまでの仕事を続けることはできません。
しかし悪いことばかりは続きません。休職し、縁のあった国東に移った岩切氏に、運命の出合いが待っていたのです。それがくにさき七島藺です。当初はリハビリを兼ねた工芸品作りでした。しかし続けるうちに岩切氏の作家魂に火がつきます。それが消えつつある伝統だと聞けば、きっとなおさら放って置けなかったのでしょう。やがて岩切氏は決断します。「これ一本で生きていこう」と。
もちろんそれが茨の道だったことは想像に難くありません。この地で続けられていたくにさき七島藺の大半は畳表や伝統工芸品。新たな作家の入る余地は少なかったことでしょう。もしかすると移住者で、女性であったことも、ハードルとなったかもしれません。
しかし岩切氏の決意は変わりませんでした。七島藺振興会の工芸セミナーに参加して基本的な編み方を習得。その合間に生産農家の元も繰り返し訪れて信頼関係を築きます。自身の創作活動のほか『くにさき七島藺振興会』の職員として、その宣伝普及活動も開始します。できることはすべてやり尽くすようなバイタリティーで、岩切氏の存在は少しずつ地域に知れ渡ります。その前向きさと、明るくチャーミングな人柄が、縮小しつつあったくにさき七島藺を照らし始めたのです。
大分県国東市作家としてだけではない岩切氏の存在。
「今までになかった工芸品を作ってくれるからね。新たな七島藺の魅力をいろんな人に伝えてくれてますよ」岩切氏についてそう語るのは、国東市の七島藺生産者である松原正氏。この道30年、七島藺の盛衰を間近に見つめてきただけにその言葉は感慨にあふれていました。
岩切氏が作るのは、アクセサリーをはじめとした身近な品々。くにさき七島藺の魅力を活かしつつ、独創的かつスタイリッシュに仕上げることで、若い世代が手に取るような作品となっています。その完成度と秘められた思いが評判を呼び現在では『ビームスジャパン東京』や『TENOHA代官山』といった高感度のセレクトショップに並べられるほどになりました。
しかし作品の評価ばかりではありません。先の松原氏はこう続けます。「畑にも来て、栽培の難しさも知っている。私らが想像もつかんようないろいろな活動をして、畳表のこともしっかり広めてくれている。工芸家なんだけど、物を作るだけじゃない。本当に良い宣伝部長ですね」
各地でのワークショップ始まり、講演やメディア出演も多数。江戸時代の羽根藩を舞台にした2014年公開の映画『蜩ノ記』では、岩切氏自身が七島藺職人の役として出演しました。さらに九州の自然や食、歴史、文化の魅力を列車内で届けるプレミアムクルーズトレイン『ななつ星in九州』内のプログラムとしても、くにさき七島藺の小物作りが取り入れられています。従来では想像もしなかった幅広く、活発な活動。これもまた、くにさき七島藺復権の大きな鍵となったのです。
大分県国東市語らなくても伝わる思い。モノに秘められた心。
「1日に編めるのは20cm四方1枚くらい」そう岩切氏が語る通り、くにさき七島藺の工芸品作りは繊細で地道な作業。ひとつは繊維が硬く、しっかり押し込みんがら編まないと形が崩れてしまうから。そしてもうひとつは、一本一本に心を込めるように、丁寧に編み込むから。だから小さなアクセサリーひとつにも、人の目を惹きつける存在感が宿るのでしょう。
『DINING OUT』当日、ゲストに渡されたコサージュについてそれほど詳細な説明があったわけではありません。あるいはただの「参加者の目印」と受け取られてしまったかもしれません。これほどの作品を胸に差し、食事をしていたことを、ゲストのほとんが知らなかったのですから。
しかし終演後の卓上に、このコサージュはひとつとして残されていませんでした。誰もがそのコサージュを宝物のように大切に扱い、そして丁寧に包んで持ち帰ったのです。秘められた価値が、語らずとも伝わった瞬間でした。心を込めた“モノ”は、人の心を動かす。そんな事実が証明されたのです。影で見つめていた岩切氏にも、それが届いたはず。だからきっとこれからの岩切氏の作品は、前にも増して心のこもったものになることでしょう。
「くにさき七島藺の素晴らしさを、もっと多くの人に知って欲しい」いつも自然体な岩切氏ですが、これからの目標を尋ねると、毅然としてそう答えました。伝統を守るという役割、生産者の思いを伝える責任、作家として意欲。「これからも、できることは全部やっていきます」という決意の言葉には、さまざまな思いが詰まっていたのでしょう。
Data
くにさき七島藺振興会
住所:大分県国東市安岐町富清3209 MAP
電話:0978-65-0800
http://shitto.org/
岩の聖地を舞台に相対する要素が見事交じり合った幻の晩餐。2人のキーマンが『DINING OUT』を振り返る。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市
2018年5月末、巨石に囲まれる神秘的な土地・国東を舞台に『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』は開催されました。
両子山という岩山を中心に6つの山稜に分かれた国東半島には、総称して「六郷満山」と呼ばれる無数の寺院が点在。日本古来の宗教観である神仏習合のルーツともいわれ、土地に根付いた山岳信仰と混淆し、この地独自の六郷満山文化として発展しました。目を奪う奇岩が聳え、寺社の山門には苔むした石造仁王像が立つ。その静謐で神秘的な空気は、宗教という枠組みを抜きにしても、誰しもの心に響くことでしょう。
そんな印象的な空気感を伝えるべく、今回設定されたテーマは『ROCK SANCTUARY―異界との対話』。
このテーマに挑んだのは、オープンわずか9ヶ月でミシュラン2つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也シェフ。「和魂漢才」をテーマに日本食材と中華料理の融合を追求するシェフの考え方と国東に通じる「神仏習合」の精神性が見事にマッチングしたプレゼンテーションで、ゲストの心を掴みました。
そしてホスト役には、「世界のベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則氏が登場。過去5回にわたり『DINING OUT』に出演した経験と、多岐にわたる深い知識で、国東らしい不思議な体験へとゲストを誘ってくれました。
「神と仏」と「和と中華」二つの異なる要素を美しく混淆させ紡がれた2日限りの饗宴を2人の言葉で振り返ります。
1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。
http://sazenka.com/
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/