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ドイツでは、「ハーレンフースバル」と呼ばれる壁付のインドアサッカーが、ブンデスリーガの冬の中断期に行われている。この試合には、現役のブンデスリーガの選手やかつてのスター選手が参加している。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

徳吉洋二シェフが、鳥取に凱旋。料理人の目で見た故郷、その胸に湧いた思いとは?[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

野菜の収穫やシジミの水揚げも、まず自らの手で体験する徳吉シェフ。

ダイニングアウト鳥取八頭昨年の『DINING OUT』を成功に導いた徳吉洋二シェフが、再び登場。

2018年6月某日。イタリア・ミラノに店を構え名声を得た徳吉洋二シェフが、久しぶりに生まれ故郷の鳥取に帰ってきました。目的は『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』の食材視察のため。生産者の元を巡り、知られざる逸品を見つけ出し、それを元にアイデアを練り、自身の料理に落とし込む。その長い道のりの第一歩が、この視察なのです。

とはいうものの、やはり馴染みある地元だからでしょう。視察の旅は真剣ではあっても終始なごやか。馴染み深い地元で、徳吉シェフは何を見つけ、何を感じたのか。一度、距離を置いてから故郷を見つめることで、そこに新たな発見があったのか。その思いのほどを伺いました。

自然豊かな鳥取県八頭町が舞台。その自然と人のパワーを料理に落とし込む。

ダイニングアウト鳥取八頭方言まじりで交わされる会話に、温かい思いが宿る。

「たとえば郷土料理なら、表面的な素材やレシピではなく、なぜこれが生まれたのか、なぜこういう形になったのか、という起源や過程を考えます。そういったトラディショナルを理解した上で、そこから発展させた新しい料理を生み出していきたい」徳吉シェフの料理観はそんな言葉に集約されます。

徳吉シェフが目指す料理は「クチーナ・イタリアーナ・コンタミナータ(混成されたイタリア料理)」。それはイタリア料理と日本や他国の料理との表面的な“融合”ではなく、より根源的な、食文化や伝統までを踏まえた上での“混成”のこと。だからこそ徳吉シェフは、土地の伝統を紐解き、生産者の思いに耳を傾け、自身の足で野山を歩き、可能な限りの情報を仕入れるのです。

そして自身の生まれ故郷であるというアドバンテージは、この「土地を知る」ことに大きく役立ちました。記憶の中にある思い出、血肉となっている鳥取の水と空気。生産者の元を訪ねても
「僕、(鳥取市)鹿野の出身なんですよ」
「おお、そうか!」
という会話が度々交わされます。そしてその会話をいとぐちに「ならこれ知ってるか?」「これちょっと食べてみな」という話が広がるのです。地元の人にしかわらかないような方言で話し、笑い合うシェフと生産者の姿を見ることもしばしば。そうして生産者の思いを深く受け止めながら、シェフは熱意もいっそう高まります。
「鳥取ってすごいところなんだ!と、都会の方々だけではなく、地元の人にも改めて知ってほしい」徳吉シェフは本番への思いをそう語りました。

人とすぐ打ち解けるのは徳吉シェフの持ち味。地元ならさらにその様子が顕著に。

背後に潜む伝統や思いまで汲み取るために、食材と向き合う徳吉シェフは真剣そのもの。

ダイニングアウト鳥取八頭料理人として歩く鳥取、新たな発見と湧き上がるアイデア。

生まれ故郷とは言っても、かつて子供時代や一人の青年として見た鳥取と、いま料理人として見る鳥取は、きっと異なることでしょう。今回の視察でもさまざまな新発見があったようでした。

たとえば鹿肉を扱う『わかさ29工房』を訪れたときのこと。鳥取県は鹿肉などのジビエ利用量で、北海道に次ぐ国内第2位。しかし加工されるジビエのほとんどは、首都圏などに出荷されて県内での利用は少ないといいます。
「北海道のエゾシカは冬を越えるために脂を蓄えますから冬が旬。一方こっちの鹿は食べたものがそのまま身になりますので、春先から徐々においしくなって夏から初秋がピーク」河戸健社長のそんな話に熱心に耳を傾けていました。

さらに実際に見せてもらった肉を前にすると「最高ですよこの肉。フィレなんてキレイな赤で鮪かと思うほど」と興奮気味。帰り際にはハンター歴50年の河戸社長に「今度狩りに連れて行ってください」と頼みこむほどの入れ込みようでした。

あるいは湖山池のシジミ漁師・邨上和男(ムラカミカズオ)氏の船に乗せてもらった際は、自ら籠の引き上げにも挑戦。同じ池の中でも場所によって色が異なるシジミを興味深そうに眺める徳吉シェフ。同郷の若者に冗談を交えながらシジミ漁をレクチャーする邨上氏。そのいかにも楽しそうな笑い声は、湖岸にまで届いていました。

『大江ノ郷自然牧場』では平飼いの鶏を見学し、その産みたての卵を試食。無農薬栽培にこだわる『田中農場』では、土の力を活かした米作りについて学びました。『陣構茶生産組合』では名人・橋井恭一氏から紅茶づくりの行程を学びました。『あおぞら農園』で採れたてビーツを味わえば「味にミネラルがあります。ぬか漬けにしたら最高」と評し、400年続く『日光生姜』を前にすればイタリアンへの取り入れ方を考える。新発見と再発見、そしてシェフ自身の中にある土地への愛着。それらがすべて混じり合いながら、さまざまなアイデアが徳吉シェフの中で浮かんだ様子でした。

懐かしい再会もありました。ペアリングの酒を探して訪れた『谷本酒店』は、若き日の徳吉シェフがアルバイトの道すがら頻繁に通った店。「フランスワインとドイツワインについて、この店で教えてもらいました」というシェフの言葉に応え、出迎えた谷本暢正氏も秘蔵の酒を惜しみなく試飲させてくれました。徳吉シェフも「この酒に何が合うか改めて考えたい。課題ができました」とさらに火がついたようでした。

『わかさ29工房』にて。鳥取の鹿肉のクオリティは徳吉シェフをも驚かせた。

シジミ漁師・邨上和男氏は水揚げから船上での選別まで一連の流れを教えてくれた。

陣構茶生産組合の茶畑にて。徳吉シェフからは栽培方法から加工法までさまざまな質問が挙がった。

『谷本酒店』では旧知の店長と再会。気の置けない間柄での酒談義に花が咲いた。

ダイニングアウト鳥取八頭斬新な発想の源は、土地への深い理解と生産者への敬意。

徳吉洋二シェフは多くの場合「天才型」と評されます。ある種のひらめきにより料理の全体像が頭に浮かび、そこにパズルのように食材を当てはめる。確かにそういう側面はあることでしょう。しかしその“ひらめき”の裏には鋭い観察眼と生産者や食材へのリスペクトが潜んでもいるのです。その土台があるからこそ、ひらめきはただの空論ではなく、明確な輪郭と芯を持つアイデアとなるのです。

八頭町の『井尻農園』でバイケミ農業(竹肥料栽培)のトマトに出合ったときのこと。「イタリア料理にトマトは必須ですから、これは必ず使います。ただこんなに良いトマトを当たり前の使い方ではもったいない。もっと素材を感じる使い方を考えます」と徳吉シェフ。通常は捨ててしまう葉や脇芽の香りや食感まで確かめながら、その頭にはすでにアイデアが浮かんでいたことでしょう。

『オズガーデン』の葡萄の木も、徳吉シェフにインスピレーションを与えました。ここで目にしたのは、樹齢40年の一本の葡萄の木が見渡すかぎりに枝を伸ばす驚くべき光景。パワースポット・鳥取を象徴するようなこの眺めを前に、すでにシェフの頭には料理の輪郭ができあがっていたようでした。
「いろいろな生産者の元を訪れて思ったのは、皆さん条件づくりに真剣に取り組んでいること。条件がきちんとできていればおいしいものはできあがります。それはレストランも同じだと思います」徳吉シェフは今回の視察をそう振り返りました。生産者の思いをしっかりと受け止めたからこその言葉。その食材を使わせてもらうこと、おいしい料理でゲストに届けることが、徳吉シェフが常々語る「料理人の責任」なのです。

「僕がいた頃は東京までの飛行機が1日3便、新幹線はもちろん、高速道路もありませんでした。とくに八頭町は決して観光地ではありません。しかしだからこそ、土地の力、人の力がはっきりと見える場所でもあります。その魅力をどう伝えていくかが課題」と徳吉シェフ。真剣な言葉ではありますが、その顔には、まるで自分の宝物を誰かに見せる子供のような、明るい表情が浮かんでいます。「大好きな鳥取のPRですから。ワクワクした気持ちでいっぱいです」。

世界を沸かせるシェフの技と発想、そして地元愛が詰まった史上初の「凱旋ダイニングアウト」は、果たしてどんな驚きを届けてくれるのか。開催はいよいよ目の前です。

『井尻農園』の上質なトマトを前に、料理のアイデアが湧き上がる。

たわわに実る『オズガーデン』の葡萄。これがすべて一本の木になっている。

生産者の思いを汲み、形にすることを「料理人の責任」と語る徳吉シェフ。

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。

Ristorante TOKUYOSHI 
http://www.ristorantetokuyoshi.com