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青森に眠っていた資源を世界に通じる木工ブランドに。[BUNACO/青森県弘前市]
ブナコ価値ある「橅」をハイセンスなプロダクトに転換。
本州の最北端に位置する青森県。そこには日本一の資源量を誇る広大なブナの森が広がっており、豊かな水や生命を育んできました。
しかし、ブナという言葉に「分の無い木」という意味の“橅”という字が当てられたように、かつてはその価値も、環境への貢献度もひどく軽視されていました。そんな不遇の木であるブナに光を当て、世界に通用するプロダクトに生まれ変わらせたのが『BUNACO(ブナコ)』です。
独自の木工技術と青森の宝を融合させた、他にはないブランド。その誕生のきっかけと、『BUNACO』ならではのオリジナリティを追いました。(後編はコチラ)
ブナコ優れた個性と難しい特性を併せ持つブナを、独自に開発した技術で加工。
先述のように、青森県のブナはその資源量と価値に対して活用がほとんど進んでいませんでした。建材にも工業用材にも、工芸の原料としても全く使われていなかったのです。 その理由は、“森のダム”と呼ばれるほどに水分を多く溜め込む性質。豊富な水分が加工する際に歪みの元となったり、寸法を狂わせたりして、適切に加工しにくかったのです。
青森が誇る貴重な資源でありながら、名産のリンゴの箱や、薪などに使われるのみ――そんな現状を憂いて「ブナをなんとか有効活用できないだろうか」と考える人々が現れました。そして、その発想が『BUNACO』誕生のきっかけとなったのです。
水分が非常に多くて加工しにくい一方で、よくしなり、粘り強い性質も併せ持つブナ。その良さを活かそうと、1956年から青森工業試験場(現在の県工業総合研究センター)で技術開発が進められました。そしてようやく実現した製法で、『BUNACO』が生み出されたのです。
ブナコかつてない驚きの製法! 原料の浪費も抑えてエコを実現。
『BUNACO』の原料となるブナの木の加工は、以下のステップで行われます。
まずは大根を“桂むき”にする要領でスライスして、水分を飛ばして乾燥させます。次に、スライスした板を細長いテープ状にカット。それをバームクーヘンのように巻きつけながら、手作業で押し出して成形していきます。こうすることで、歪みも寸法の狂いも起きずに美しいフォルムの器やケースに仕上げられるのです。
さらに、一般的な原木から削り出す製法と比べると、約1/10の材料で無駄なく作ることができます。豊かなブナの資源をエコに生かせる、画期的な技術が誕生しました。
ブナコようやく活用できた天然素材で暮らしに潤いを。
こうして開発された革新的な製法で、青森のブナ資源を生かした付加価値の高いプロダクトが実現。1956年のプロジェクト発足以来、原料も製法もそのまま守り伝えていますが、当初はテーブルウエアのみでスタートした『BUNACO』ブランドは、いまや照明・インテリア・音響機器といった多様なジャンルに展開しています。
“ブナコ株式会社”の社長である倉田昌直氏の口癖は、「出来ないことはない」。このポリシーと決意が、新たな挑戦とマーケットを生み出し続けて、『BUNACO』を進化させ続けているのです。
現在『BUNACO』は、一流ホテルや飲食店のテーブルウェア・照明・インテリア等に数多く採用。さらに海外のショップや見本市にも継続的に出展しており、高い評価を得ています。
ブナコ『BUNACO』が目指すもの、『BUNACO』がもたらしてくれるもの。
現在、ブナコ株式会社のテーマは、「居心地のいい空間を創って頂きたい」「ご自分のライフスタイルを楽しんで頂きたい」だそうです。人々に癒しをもたらしてくれる、ブナの手触りやぬくもり。それらを生かした付加価値の高いプロダクトを開発し、暮らしに潤いを生み出すことを目指しています。
明かりや音楽といった、暮らしを豊かにしてくれるエッセンス。それらを融合させた「光と音の空間創造」をテーマとして、現在は照明とスピーカーを用いた空間の提案も行っています。
次回の後編では、そんな『BUNACO』が提案する極上のプロダクトと、それらによってもたらされる暮らしの喜びをご紹介します。(後編はコチラ)
住所:青森県弘前市大字豊原1丁目5-4 MAP
電話:0172-34-8715
営業時間:8:30〜17:30
休日:土・日・祝祭日
http://www.bunaco.co.jp/
住所:青森県中津軽郡西目屋村大字田代字稲元196 MAP
電話:0172-88-6730
製作体験:午前の部10:00/午後の部14:00
工場見学:9:00~16:00
ミニショップ:9:00~16:00
休日:工場カレンダーで確認をお願いします。
ブナコカフェ 月~土 10:00~17:30
日 10:00~17:00
休日:不定休
詳しくはブナコカフェインスタグラムでご確認をお願いします。
https://www.instagram.com/bunacocafe/
秋といえば・・
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日常にありふれたコンビニを、プレシャスなものへと昇華させる。カルティエが仕掛ける期間限定コンビニエンスストア「カルチエ」。[カルチエ/東京都港区]
カルチエそのテーマは“when the oridinary becomes precious”。
1971年、“1本の釘”から着想を得て生まれたブレスレット“ジュスト アンクル”。その新作の登場に合わせ、2018年9月、東京・表参道に、カルティエ手掛ける期間限定(9/30まで開催中)のコンビニエンスストア「カルチエ」がオープンしました。
そのテーマは“when the oridinary becomes precious”。
▶カルチエの特設サイトはこちら
日常にありふれた1本の釘をプレシャスなジュエリーへと昇華させたカルティエが、コンビニエンスストアを特別なものへと仕立てます。
コンビニエンスストアの商品ラインナップの中でも特に重要となるフード部門を、ONESTORYがサポート。今回はその中でも特におすすめな3つの食品をご紹介します。
カルチエこの機会に初めて世に出る「TAKAZAWA」のキャビアアイスクリーム。
コンビニのフード商品の多くを占める総菜やスナック類。それらを多く担当したのが、『DINING OUT SADO with LEXUS』でシェフを担当した高澤義明氏(赤坂『TAKAZAWA』オーナーシェフ)。そもそも『TAKAZAWA180』という高級総菜ブランドを展開しており、コロッケを始め、コンビニらしい巻物や“おにぎらず”などを、今回の為に限定オリジナルパッケージでご提供。高澤シェフが特におすすめしたいのは『キャビアアイスクリーム』。レストランで出している一品を商品として開発したもので、発売するのは『カルチエ』が初となります。
バニラアイスクリームに対してキャビアは10%ほど。甘みを抑えたバニラアイスとキャビアを合わせたいわゆるシュクレサレで、両者のうまみが引き立つ。ここにオリーブオイルを垂らすのが、高澤氏おすすめの食べ方。
カルチエ入手困難なプレミアムスイーツがコンビニで手に入る、その面白さ。
商品が並ぶ様の美しさにもこだわり、ブラックとゴールドで統一されたパッケージのカラーから、ポーションの大きさなども計算しつくされているという店内で、さらなる高い美意識でひときわ目を引くのは、代々木の「フルール・ド・エテ」の庄司夏子氏が手掛けるマンゴタルトかもしれません。
『フルール・ド・エテ』のマンゴータルトは、普段から手に入らないケーキとして知られており、百貨店での予約販売ではわざわざ地方から買いに来たファンもいるほど。普段手が届かないケーキがコンビニに、カップケーキのように置いてあったら……それこそこの店のテーマと合致するものになります。
通常、店で販売しているのは国産マンゴーで作った9輪のバラを、シックな黒いボックスにあしらったものですが、今回はこの「カルチエ」のためだけに特別に作られた1輪のタイプ。
“コフレ・デセール”という言葉に相応しい美しさと、とろけるようなマンゴーの柔らかさにうっとり。『フルール・ド・エテ』の商品は本来はブラックにシルバーを合わせたパッケージだが、本品はブラックにゴールドを合わせた「カルチエ」特別バージョン。
カルティエと『フルール・ド・エテ』、両方のファンを裏切りたくないという庄司氏の思いから、パッケージに至るまでブランドのこだわりが貫かれています。手に吸い付くようなマットブラックのボックスに、特注のガラスのケース、その中で咲くマンゴの薔薇のきらめきは、まるでジュエリーのようです。
カルチエ人と人をつなぐことで生まれた、ここだけのオリジナル商品。
いかにもコンビニらしい商品のひとつであるエナジーバーは、白金台『TIRPS』の元シェフ、田村浩二氏が手掛けたもの。製造業者を探すところから始まり、イチから独自に開発したスペシャルな商品です。
製造業者の“ネイチャーシング”は、トレイルランニングをする人たちの間ではよく知られる、日本生まれ、100%自然素材のエナジーバーを作っている会社です。何のつてもなく、それこそドアノックのような形で連絡して、田村氏と繋げたことでコレボレーションが実現。
今回限定のフレーバー「カカオ&ベルガモット」は砂糖不使用で、甘みはベースに使ったデーツとレーズンのみ。田村氏の最大の武器である香り――今回使用したベルガモットは、田村さんが普段からお付き合いのある農家の方にご提供いただいたそうで、八丁味噌のコクとカカオニブがつくるチョコレートのような味わいがあり、ベルガモットの柑橘系の香りとマッチ。「抹茶&ココナッツ」は、無農薬の抹茶に、ローストココナッツを合わせたもの。
日常の中にあるものをプレシャスに昇華させた『カルチエ』に是非お越しください。
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鳥取の大地のエナジーを一皿に凝縮した、究極の「卵かけご飯」。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取・八頭形のないテーマに、形を与えた一皿の料理。
2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。豊かな自然と古からのパワーに満ちた鳥取県八頭町。その魅力を伝えるべく、設定されたテーマは「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」。この形のないテーマを、鳥取出身の徳吉洋二シェフはどう受け止め、どう表現したのでしょうか? テーマを象徴する料理とともに、シェフの心の内に迫ってみましょう。
ダイニングアウト鳥取・八頭自身の好物を、コースに取り入れるという決断。
Energy Flow――。それは読んで字のごとく、大地の恵みのような作物、豊かな自然、力強い天候など、この地に満ちるエネルギーの奔流を紐解くこと。この地に生まれ、この地の水と空気で育った徳吉シェフにとって、それは自身の本質を表現するようなことだったのかもしれません。そしてこのテーマに沿って、徳吉シェフはひとつの料理を考案しました。料理名は「mantecando il risotto…」。「mantecando」とは、激しくかき混ぜることで乳化させるイタリア料理の手法。つまり、かき混ぜて乳化させるリゾットということです。いったいどのような料理なのでしょうか?
「日本人にとって根源的なエネルギーである米と、生命力のシンボルである卵。これらをシンプルな料理で表現したかった」と徳吉シェフが振り返るこのリゾット。やや乱暴に言ってしまうならば、これはイタリア風の究極の卵かけご飯です。もちろん、シンプルななかにも、徳吉シェフらしいアイデアは詰め込まれています。しかし、その前に、この“卵かけご飯”というスタイルを考えてみましょう。
そういえば、かつて徳吉シェフとともに訪れた北海道の地で、シェフが特製卵かけご飯を作ってスタッフに振る舞ってくれたことがありました。白身と黄身を分けて、熱々のごはんに白身だけをかけてフワッとするまでかき混ぜる。最後に黄身を乗せて、崩しながら味わう。「これが我が家の卵かけご飯です」そういって差し出された美しい料理に、居合わせたスタッフは皆、驚きながら舌鼓をうちました。
あるいは今回の視察に訪れた大江ノ郷自然牧場。そのランチバイキングでも、同様の卵かけご飯を作っていた徳吉シェフ。つまり、この「mantecando il risotto…」という料理の根底には、自身の大好物という柱があったのです。しかしプロフェッショナルの料理人として、イタリア料理のシェフとして、コースの一品に卵かけご飯を出すというのは大きな決断だったことでしょう。もちろん、シェフには勝算がありました。
ダイニングアウト鳥取・八頭発想の起点は視察で出合った素晴らしい卵。
シェフの勝算は、食材の質。「素晴らしい卵と出合いました。それが出発点でした」そう徳吉シェフが振り返るのは、鳥取県八頭町にある「大江ノ郷自然牧場」の天美卵。八頭町の豊かな自然のなか、平飼いでのびのびと育てられる鶏。飼料は魚粉、海藻、カキ殻などの天然原料20種と酵母で発酵させたおからや米ぬかを独自に配合。しかも朝採れを即出荷するという抜群の鮮度。「ここまでの卵はなかなかありませんよ」とシェフを驚かせた逸品です。
口にしてみれば黄身のこってりと濃厚な味わい、白身の力強さが感じられ、それでいて後味はクセがなくさっぱり。濃厚かつクセがないということは、つまり生食でこそ魅力を発揮するということ。卵かけご飯という徳吉シェフの選択にも納得です。
ちなみにこの卵を使った卵かけご飯は、2018年鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で味わうこともできます。鳥取に来る際はぜひ。
ダイニングアウト鳥取・八頭米の味を支えるのは、土の力と生産者の思い。
さて、素晴らしい卵が見つかりましたがこれで終わりではありません。卵かけご飯のもうひとつの主役、“ご飯”もまた妥協を許さぬポイントです。
最高の卵に合う、最高の米を探す徳吉シェフが見つけたのは、鳥取県八頭町「田中農場」コシヒカリ。甘みがあり、艶があり、風味豊か。濃厚な味わいの“天美卵”と合わせても、かすむことのない存在感を持っています。もちろんこれは、手間暇を惜しまず育てた労力の賜物。
徳吉シェフが「田中農場」を訪れてまず驚いていたのは、その整備の行き届いた水田。農薬を使わず草取りは手作業。水田は土の条件を整えるため、白ネギと米をローテーションで植えるといいます。「肥料の力ではなく、土の力で育てる」という米。「自然本来の力で、健全に育った作物は、やっぱりおいしいですよ」と同農場の田中正保会長が胸を張る米は、大地の力を凝縮したような力強い味わいも納得です。
「畑を見ただけで、素晴らしい作物ができることが想像できます。しっかりと条件づくりをすれば、おいしいものができあがる。これはレストランも同じです」と徳吉シェフ。だからこの見事に手入れされた畑のように、徳吉シェフは妥協なく食材を探し歩き、最高の逸品を選ぶのです。
ダイニングアウト鳥取・八頭徳吉シェフの“らしさ”が詰まったカルボナーラ風卵かけご飯。
さあ、主役の食材は揃いました。ここからは徳吉シェフのアイデアと技が味を決定します。「田中農場」のコシヒカリは、鳥取県の名門・岩井窯で専用に仕立てた土鍋を使って炊き上げました。そこに「大江ノ郷自然牧場」の親鳥で取ったブロードを染み込ませてから、まず“天美卵”の白身を混ぜて乳化。この作業を客席の前で行った演出もまた、「mantecando=混ぜる」の大切な要素です。
さらにリゾットの下には、こちらも大地のパワーを象徴する野生のキノコのソテーと、豚頬肉の塩漬け・グアンチャーレを潜ませました。そして仕上げにはイタリアから取り寄せたパルミジャーノ。スタイルは卵かけご飯でありながら、構成要素はカルボナーラ。おいしさと同時に驚きがあり、少しの遊び心がある。これぞ徳吉シェフの真骨頂です。
食べてみると、その力強いおいしさに圧倒されました。明確な存在感を放つ卵の黄身と、それに負けない米の甘み。白身はふわっとした独特の食感を生み、グアンチャーレの塩気とキノコの風味が味の輪郭を際立て、チーズの香りが全体をまとめる。それぞれの食材が主張しつつ、しかしすべてに一体感がある。この圧倒的な完成度は、まさに究極の卵かけご飯です。
徳吉シェフの記憶にある“家庭の味”をベースに、大地の力を凝縮した食材が織りなした「mantecando il risotto…」。まさに「Energy Flow」のテーマを象徴し、ゲストに鳥取の“エナジー”を伝える最高の逸品となりました。
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI
http://www.ristorantetokuyoshi.com
鳥取の大地のエナジーを一皿に凝縮した、究極の「卵かけご飯」。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取・八頭形のないテーマに、形を与えた一皿の料理。
2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。豊かな自然と古からのパワーに満ちた鳥取県八頭町。その魅力を伝えるべく、設定されたテーマは「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」。この形のないテーマを、鳥取出身の徳吉洋二シェフはどう受け止め、どう表現したのでしょうか? テーマを象徴する料理とともに、シェフの心の内に迫ってみましょう。
ダイニングアウト鳥取・八頭自身の好物を、コースに取り入れるという決断。
Energy Flow――。それは読んで字のごとく、大地の恵みのような作物、豊かな自然、力強い天候など、この地に満ちるエネルギーの奔流を紐解くこと。この地に生まれ、この地の水と空気で育った徳吉シェフにとって、それは自身の本質を表現するようなことだったのかもしれません。そしてこのテーマに沿って、徳吉シェフはひとつの料理を考案しました。料理名は「mantecando il risotto…」。「mantecando」とは、激しくかき混ぜることで乳化させるイタリア料理の手法。つまり、かき混ぜて乳化させるリゾットということです。いったいどのような料理なのでしょうか?
「日本人にとって根源的なエネルギーである米と、生命力のシンボルである卵。これらをシンプルな料理で表現したかった」と徳吉シェフが振り返るこのリゾット。やや乱暴に言ってしまうならば、これはイタリア風の究極の卵かけご飯です。もちろん、シンプルななかにも、徳吉シェフらしいアイデアは詰め込まれています。しかし、その前に、この“卵かけご飯”というスタイルを考えてみましょう。
そういえば、かつて徳吉シェフとともに訪れた北海道の地で、シェフが特製卵かけご飯を作ってスタッフに振る舞ってくれたことがありました。白身と黄身を分けて、熱々のごはんに白身だけをかけてフワッとするまでかき混ぜる。最後に黄身を乗せて、崩しながら味わう。「これが我が家の卵かけご飯です」そういって差し出された美しい料理に、居合わせたスタッフは皆、驚きながら舌鼓をうちました。
あるいは今回の視察に訪れた大江ノ郷自然牧場。そのランチバイキングでも、同様の卵かけご飯を作っていた徳吉シェフ。つまり、この「mantecando il risotto…」という料理の根底には、自身の大好物という柱があったのです。しかしプロフェッショナルの料理人として、イタリア料理のシェフとして、コースの一品に卵かけご飯を出すというのは大きな決断だったことでしょう。もちろん、シェフには勝算がありました。
ダイニングアウト鳥取・八頭発想の起点は視察で出合った素晴らしい卵。
シェフの勝算は、食材の質。「素晴らしい卵と出合いました。それが出発点でした」そう徳吉シェフが振り返るのは、鳥取県八頭町にある「大江ノ郷自然牧場」の天美卵。八頭町の豊かな自然のなか、平飼いでのびのびと育てられる鶏。飼料は魚粉、海藻、カキ殻などの天然原料20種と酵母で発酵させたおからや米ぬかを独自に配合。しかも朝採れを即出荷するという抜群の鮮度。「ここまでの卵はなかなかありませんよ」とシェフを驚かせた逸品です。
口にしてみれば黄身のこってりと濃厚な味わい、白身の力強さが感じられ、それでいて後味はクセがなくさっぱり。濃厚かつクセがないということは、つまり生食でこそ魅力を発揮するということ。卵かけご飯という徳吉シェフの選択にも納得です。
ちなみにこの卵を使った卵かけご飯は、2018年鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で味わうこともできます。鳥取に来る際はぜひ。
ダイニングアウト鳥取・八頭米の味を支えるのは、土の力と生産者の思い。
さて、素晴らしい卵が見つかりましたがこれで終わりではありません。卵かけご飯のもうひとつの主役、“ご飯”もまた妥協を許さぬポイントです。
最高の卵に合う、最高の米を探す徳吉シェフが見つけたのは、鳥取県八頭町「田中農場」コシヒカリ。甘みがあり、艶があり、風味豊か。濃厚な味わいの“天美卵”と合わせても、かすむことのない存在感を持っています。もちろんこれは、手間暇を惜しまず育てた労力の賜物。
徳吉シェフが「田中農場」を訪れてまず驚いていたのは、その整備の行き届いた水田。農薬を使わず草取りは手作業。水田は土の条件を整えるため、白ネギと米をローテーションで植えるといいます。「肥料の力ではなく、土の力で育てる」という米。「自然本来の力で、健全に育った作物は、やっぱりおいしいですよ」と同農場の田中正保会長が胸を張る米は、大地の力を凝縮したような力強い味わいも納得です。
「畑を見ただけで、素晴らしい作物ができることが想像できます。しっかりと条件づくりをすれば、おいしいものができあがる。これはレストランも同じです」と徳吉シェフ。だからこの見事に手入れされた畑のように、徳吉シェフは妥協なく食材を探し歩き、最高の逸品を選ぶのです。
ダイニングアウト鳥取・八頭徳吉シェフの“らしさ”が詰まったカルボナーラ風卵かけご飯。
さあ、主役の食材は揃いました。ここからは徳吉シェフのアイデアと技が味を決定します。「田中農場」のコシヒカリは、鳥取県の名門・岩井窯で専用に仕立てた土鍋を使って炊き上げました。そこに「大江ノ郷自然牧場」の親鳥で取ったブロードを染み込ませてから、まず“天美卵”の白身を混ぜて乳化。この作業を客席の前で行った演出もまた、「mantecando=混ぜる」の大切な要素です。
さらにリゾットの下には、こちらも大地のパワーを象徴する野生のキノコのソテーと、豚頬肉の塩漬け・グアンチャーレを潜ませました。そして仕上げにはイタリアから取り寄せたパルミジャーノ。スタイルは卵かけご飯でありながら、構成要素はカルボナーラ。おいしさと同時に驚きがあり、少しの遊び心がある。これぞ徳吉シェフの真骨頂です。
食べてみると、その力強いおいしさに圧倒されました。明確な存在感を放つ卵の黄身と、それに負けない米の甘み。白身はふわっとした独特の食感を生み、グアンチャーレの塩気とキノコの風味が味の輪郭を際立て、チーズの香りが全体をまとめる。それぞれの食材が主張しつつ、しかしすべてに一体感がある。この圧倒的な完成度は、まさに究極の卵かけご飯です。
徳吉シェフの記憶にある“家庭の味”をベースに、大地の力を凝縮した食材が織りなした「mantecando il risotto…」。まさに「Energy Flow」のテーマを象徴し、ゲストに鳥取の“エナジー”を伝える最高の逸品となりました。
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
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ヘビーネルチェックワークシャツ【メンズ館】
こんにちは
暑くなく寒くない
過ごしやすい気候ですね~~
この時期ぴったりの商品が入荷しましたので
ご紹介させて頂きます
THE STRIKE GOLD
SGS020 ヘビーネルチェックワークシャツ
\18,360(税込)
この時期チェックシャツが無性に着たくなりますよね
カラーは2色です
アイボリー
ブルー
着込み身体に馴染むことで
ヴィンテージフランネルシャツの風合いを醸し出します
ワークシャツですが、ショート丈ですっきりとしたシルエットに
私は個人的にブルーが好きです(聞いてないw)
表起毛にした厚手のネルチェック生地を裏使いにして仕立てるので
暖かいこと間違いなし
この秋冬にぴったりなので
是非倉敷にお越しの際には立ち寄ってみてくださいね
約8割のアイテムを自作するアウトドアショップが、山形の片田舎で戦う理由。[OUTDOOR SHOP DECEMBER/山形県山形市]
ディッセンバーOVERVIEW
「世界観のあるアウトドアショップだな~。このセレクトはオーナーさんのセンスの良さに違いない」。
『OUTDOOR SHOP DECEMBER』を訪れたゲストは、自然とそんな印象を抱くのではないでしょうか。山小屋を想起させる内装には、ガスランプやホウロウ製ポットなどレトロなアウトドアグッズが並び、色とりどりの帆布(はんぷ)を使用したアイテムがずらり。それらが華美に飾り立てるわけではなく、自然と店の空間に溶け込んでいるのが実に心地いい店なのです。ですがこの店は、最寄りの山形駅からでも車で20分。歩いて行くには無理がある立地でありながら、遠方からでもこの店を目指すアウトドアファンが後を絶ちません。
そう、この店は独自のスタイルである種の地位を確立しているのです。
理由は店を訪れるとわかります。店のアイテムをじっくり物色していると、自然と店員さんとの間に会話が生まれてきます。なにせ人通りもまばらなこの立地、お客さんで混み合うということはまれなのです(失敬!)。アイテムを眺めているとふとあることに気が付くのです。アウトドア好きやスポーツギアに詳しい人でも、この店に並ぶアイテムの数々は、見たことがないという人がほとんどなのです。知っていても、知らなくて訪れても、アイテムについて聞きたくなる、『OUTDOOR SHOP DECEMBER』ではついついそんな衝動にかられてしまうのです。
聞けば店に並ぶアイテムの約8割は自作。それらはデザインから縫製や製作まで全てを自社で行っているのです。山形で生み出されるグッズを、山形で売る。今回はそんなアウトドアグッズに情熱を傾けたお店のお話です。
住所:〒990-2332 山形県山形市飯田2-2-2 MAP
電話:023-623-9671
http://december.shop-pro.jp/
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日本のどこにも似ていない会津。その歴史と魅力を深く感じる。[福島県南会津郡]
アレックス・カー
古民家のオーソリティーとして知られるアレックス・カー氏が、隠れた茅葺き民家を求め冬から初夏にかけて、数度にわたって南会津を訪問。「どの季節に訪れてもそれぞれに違った魅力がありますね」と語ります。自然・歴史・食文化……。国内に限らず旅をすれば、どこででもその土地らしい観光資源としての魅力に出会えるもの。日本を拠点とし、世界を旅して回るアレックス氏の目に映った、南会津の持つポテンシャルについて語って頂きました。
アレックス・カー人知れず茅葺き民家が点在する、南会津。
一連の旅で改めて感じたのは、東北には広く知られていない魅力がまだまだあるということです。ひとえに東北人の気質というのもあるのでしょうが、「自ら自信を持って伝える」ということに長けていないのかもしれません。茅葺古民家の宿場がそのまま残された『大内宿』は知識としては押さえていて、一度訪れたいと思っていたので感動しました。残すべきものを残しつつ観光地としても整っていますし、茅葺伝習施設をご案内頂いた「こめや」の吉村氏をはじめとした皆さんの、古民家継承も見えない所で大変な努力をされていることが伝わってきました。
今回とにかく驚いたのは、会津各地にトタンは被せられていても茅葺き屋根の民家そのものがたくさん残っているということです。家1戸の規模は関西より大きくて、曲家も雪国特有のもので珍しいのです。古民家の集積地として知られた『大内宿』だけでなく、『前沢集落』や『水引集落』など、あまり知られていないけれども見応えのある茅葺き屋根集落も少なくなく、旧本陣を中心にした『糸沢集落』の佇まいも個人的に好きになりました。
アレックス・カー古民家を更に美しく見せる広葉樹の山々も魅力のひとつ。
また、会津は周辺の山々が漆器の原材料である「木地」の供給地であるためか、暮らしの場に近い里山から奥山にいたるまで広葉樹林が多く、国内のどこと比べても常緑樹の杉が比較的少ないことが風景として優れていると感じました。春の萌えから樹種によって濃淡の違う夏の緑、そして秋の紅葉の美しさは言うまでもないでしょう。山肌に積もった雪の白が引き立てる、冬の落葉の枝ぶりも見逃してはなりません。その山々を背景とした民家集落が、広い範囲に点在しているのが魅力なのです。
特に『前沢集落』は手前を川が流れ、田畑が広がった先に曲家の家々が点在しています。日本の田園風景が山裾に小ぢんまりとしており、まるで桃源郷のようです。整然と並ぶ『大内宿』とは違う魅力があるので、合わせて訪れてほしい場所。これから人口減少が進み、ますます保存への課題は増えていくばかりですが、持ち主が年2、3回様子を見に来る「半空き家」の活用が増えていくといいですね。
アレックス・カー住んでいるからこそ伝えられる「茅葺民家」の魅力。
茅葺きの民家の魅力は、古民家全体にいえることですが、太い柱や梁、煤竹、土壁など自然素材を使っていること。特に煤で真っ黒になった梁の荘厳さは神秘的ですらあります。家全体を風が吹き抜けるオープンさも現代の住宅にはない魅力です。実際に暮らしているからこそわかることですが、茅は自然の省エネルギーシステムとして優れており、冬は断熱効果が高く、夏は積み重なった茅の間の水分が太陽光で蒸発することで気化して涼しくなります。何より人の心に与える温かみは抜群でしょう。
日本での茅葺民家は「近世のお百姓さんの家」という印象が強いのかもしれませんが、イギリスでいえばコッツウォルズにあるような草葺屋根の住宅は、銀行家などサラリーマンが「住みたい」と思って転居してくる、憧れの住まいなのです。
また、伝統的で扱いにくい建物と思われていることも多いのですが、デンマークやオランダの建築家は、ガラスや鉄骨と組み合わせるなどの新しい発想で、草葺屋根に挑戦しています。葦や茅は厚みを持たせて積み重ねるとまるで彫刻するように造形できる自由さが魅力なのです。実際の建築例も面白い形の屋根が多いですね。もちろん、一から造るのではなくて今あるものに手を加えていくことも大切です。
アレックス・カー観光の流れはこれからもっと変わる。
今の日本の観光は「道の駅」など、完成した施設に遊びに行くのがメインですが、前編にもあったように「何もない所へ行きたい」というアドベンチャー魂により「本物の素晴らしさに触れること」へと移っていくでしょう。むしろ海外からの観光客の方が先に、地方へと広がりつつあるのです。日本も「モノ消費からコト消費」へとシフトしていますが、その「本物」を、胸を張ってきちんと説明できることも、地域の課題のひとつになっていきます。
これまで私が訪れたアドベンチャー魂をかきたてる魅力溢れる場所については、色々なメディアで随時発信しています。今後南会津についても書いていきたいと考えています。2年後には『ニッポン巡礼』という本を上梓する予定でいます。それまでにもっと、南会津を巡り新たな発見ができれば幸いです。
住所:〒967-0306 福島県 南会津郡南会津町 前沢 MAP
http://www.tateiwa-tic.jp/maezawa/
住所:〒967-0333 福島県南会津郡南会津町湯ノ花312 MAP
電話: 0241-78-2627
http://yunohana-fujiya.com/
住所:〒967-0521 福島県南会津郡檜枝岐村字下ノ原 MAP
http://www.oze-info.jp/spot/hinoematanobutai/
1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。
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2018年9月29日(土)営業時間変更のお知らせ
お客様各位
平素格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ではございますが、2018年9月29日(土)は社内研修の為、12時までの営業とさせて頂きます。お客様にはご不便をお掛け致しますが、何卒ご容赦頂けます様宜しくお願い申し上げます。
尚、その間でもWeb経由並びにメールでのご連絡はお受付致しておりますのでご活用下さい。
また、2018年10月1日(月曜日)からは平常通り営業を致します。
今後とも宜しくお願い致します
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最先端の技術を使って、次世代につなぐトマト作り。[エコファーム 21/大分県竹田市]
エコファーム21西日本有数のトマトの産地で変革を起こす。
西日本でも有数の夏秋トマトの産地として知られる、大分県竹田市荻町。標高500mの高原地帯であるこの地域は昼夜の温度差が大きく、中身の詰まった甘くジューシーなトマトが育ちます。
トマトの一大産地である荻町で、農業にITを取り入れ、働き方においても大きなイノベーションを起こしている農家がありました。それは太田修道氏が経営する『エコファーム 21』です。のどかな田園風景が広がる荻町で、ひときわ目立つハウスが太田氏のフィールドです。
エコファーム21オランダ式の最先端ハウスが地域農業を救う。
高さ5.75m、一般的なビニールハウスの約3倍となる高さを持つガラス張りのハウスは、太田氏がオランダから取り寄せたものです。九州でも数少ないオランダ式のハウスを、なぜこの小さな町で取り入れようと思ったのでしょうか。太田氏が考えていたのは、次世代へと続く農業でした。
農業高校卒業後、実家でトマト栽培を始めた太田氏。約20年間家族で農業を続けてきましたが、ある時農家の未来に危機を感じるようになったといいます。
「30代の頃に農業協同組合の理事を務めて、経営にも携わっていて。その時にこれから生産者が高齢化でどんどん減っていく現状ではまずいっち気付いてな。最近は地震とか台風も多いやんか。これからは自然災害にも強い農業形態を持たないとダメなんよ。しっかりしたハウスを作って、ひとり当たりの栽培面積を増やして。地域が潤うために、1年間確実に収穫できるような農業形態をつくらんといけん」と太田氏は話します。
そこで向かったのが、ハウス栽培の先進国・オランダ。風速55mまで耐え得るガラス張りのハウスには、最先端のシステムや設備が整えられていました。自然災害への対応がしっかりできていること、そして最先端の技術が生んだ農家の働き方にも感銘を受けた太田氏は、オランダ式を取り入れることを決意。『エコファーム21』という法人を立ち上げました。この結果、荻町で地域農業のイノベーションが起きたのです。
エコファーム21若い世代とともに歩むための働き方改革。
ハウスの中は温度・湿度の調整はもちろん、水やりも全自動。更に週に1度業者がトマトの生育状況を確認し、水分や肥料の過不足を数値化。トマトが育ちやすい環境をデータでコントロールすることで、味に差がないトマトを安定的に供給できるようになりました。
それにより大きく変わったのが働き方。『エコファーム21』では6月~9月の繁忙期を除き、完全週休2日制、勤務時間は7時半~17時半までという、まるでサラリーマンのようなスタイルを実現したのです。
「高齢化が進む中で僕たちは、先人が作り上げてくれた農業をしっかりと次世代にバトンタッチしていかんといけん。でも働く環境が良くないと続かんやろ? だからお金をかけて最新鋭の機器とハウスを持ってきた。普通のサラリーマンと同じ感覚で働ける、そんな若者が憧れるような農業形態を先陣切ってやれたらいいかな」と太田氏。
10年後、20年後の地域農業の未来を考えての投資は、決して安くはありません。数億円という初期費用に加え、膨大なランニングコストもかかります。しかし、それも地域の農業を次世代へとつないでいくため。その思いに呼応するように若い社員が集まり、収穫量と収入は格段に増加。10年間で初期投資を回収することができたのです。
エコファーム21一種入魂の販売戦略。
手に持った瞬間、ずっしりとした重みを感じる『エコファーム21』のトマト。ホルモン剤を使わず蜂の受粉によってトマトを成長させることによって、果肉がぎっしり詰まり、甘みのある仕上がりになると言います。『エコファーム21』で作っているトマトは、この大玉トマト1種類のみ。品種はあえて増やさない、ここにも太田さんのこだわりがありました。
「『エコファーム21』のトマトとして出荷して、お店や時期によって品種を変えると“この前と味が違う”ということで顧客が離れていってしまうかもしれない。だからうちの商品はこれですよと自信を持って言える商品を1種類だけ作り続けるんよ」。
現在は直接販売せず、九州内のスーパーマーケットに卸しているが、今後は自社で育てた安心・安全なトマトを消費者の元へ届けたいと、生産から販売までを自社で行おうと画策している太田氏。100アールからスタートした農場も、今や年間550tものトマトを収穫する3.4haの大規模農場へと急成長を遂げました。
エコファーム21地域のための投資で、未来へ続くトマト作りを。
地域の未来のために投資を続ける太田氏。そんな彼の次なる挑戦は6次産業への進出です。トマトを使った特産品や竹と魚粉を配合した肥料の開発など、オリジナル地域ブランドを作りたいという野望を教えてくれました。
「後に続くような農業をやってかんと面白くないやんか」。
地元の特産品を世代を超えて残していきたいという思いに突き動かされた、太田氏のトマト作り。最先端の技術を取り入れた農業が今、新たな地域の未来を描き始めました。
住所:大分県竹田市荻町恵良原2108番地1 MAP
電話:0974-68-3156
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湯布院の地に溶け込んで湯布院とともに歩む。[COMICO ART MUSEUM YUFUIN/大分県由布市湯布院町]
コミコアートミュージアム由布院「ムラ」である湯布院との共存を目指して。
豊かに湧き出る温泉と、「豊後富士」とも呼ばれる由布岳を望む美しい景観。そして、先進的な地域おこしのお手本の地としても知られるのが、大分県の湯布院です。
「一度は訪れてみたい!」と憧れる人の多い温泉地ですが、そこに2017年10月22日、今までにない斬新なスタイルの美術館がオープンしました。
その名は『COMICO ART MUSEUM YUFUIN』。運営するNHN JAPANが、文化芸術における社会貢献の一環として建設しました。“COMICO”はNHN JAPANのグループ企業NHN comicoが提供するオリジナルのコミックやノベルが楽しめるスマートフォンアプリケーションです。
隈研吾(くま・けんご)氏の設計による建物は、由布院の景観に溶け込みながらも個性と格式を漂わせています。更に美術館の鑑賞スタイルに一石を投じる「ガイド式のツアー制」を採用し、独自の路線を追求しています。(後編はコチラ)
コミコアートミュージアム由布院サブカルチャー企業の枠を超えて社会貢献を目指す。
『COMICO ART MUSEUM YUFUIN』の建築のコンセプトは、「自然素材と現代的素材の共存」です。湯布院の街や風景との調和を図りながらも、確かな個性を漂わせています。
加えて、運営者のNHN JAPANが韓国資本であることから、近年急増している韓国人観光客やインバウンドを重視。外国人観光客が訪れやすい地を、日本中の候補地の中から選んだそうです。
それらを踏まえた上で、地域の人々と連携しながら湯布院を盛り立てていく――こうしたコンセプトとポリシーをもとに、高い水準の文化芸術を提供しながら社会貢献を目指しています。
コミコアートミュージアム由布院湯布院と周囲の自然との調和を第一に、一流の建築家に依頼。
『COMICO ART MUSEUM YUFUIN』の設計を手がけたのは、東京大学の教授で新国立競技場やフランス・パリのエントレポット マクドナルドなどの建築で知られる隈氏です。同館の「湯布院の風土と景観に合った建物にしたい」という依頼に沿って、「自然と調和する建築」をテーマに取り組みました。
派手さや自己主張の強さはないものの、確かな個性と存在感を実現。様々な「個」の調和によって成り立っている湯布院の街並みに溶け込みながらも、自身のコンセプトとポリシーを訴えています。
その象徴ともいえるのが、遠くからは漆黒に見える焼杉の外壁。湯布院や周囲の景色をくっきり浮かび上がらせて、その価値を引き立てています。それでいて、近寄って見れば確かな木の温もりや風情を内包。分節された小さな屋根の連なりは、小さな家々が集まって成り立つ湯布院の景観と調和して、一体化しながら個性を漂わせています。
コミコアートミュージアム由布院中からの眺めも格別! 湯布院の美を再発見。
また、美術館の内と外に広がる風景を眺めれば、時間と空間の絶妙な均衡からなる美しさを堪能できます。
大都会のコンクリートジャングルを離れて、癒しやひらめきを得る。自然と文化の調和の中で、心身をリフレッシュさせる。そんな癒しの場としても訪れたい場所です。
こぢんまりとした静かな街でありながら、全国的にも稀有な存在感を放つ湯布院。そのコンテンツ性をも写し取った『COMICO ART MUSEUM YUFUIN』は、建物自体が十分以上に魅力的です。更に高い水準のアートを取り揃えており、その存在は、美術館という施設の在り方を新たなステージへと引き上げているといってもよいでしょう。
次回の後編では、そんな『COMICO ART MUSEUM YUFUIN』が収蔵している独自の展示物と、それらを自由な発想で鑑賞できる「ツアー制」をご紹介します。(後編はコチラ)
住所:大分県由布市湯布院町川上2995-1 MAP
電話:0977-76-8166
営業時間:9:30 ~ 17:30
ツアーご案内時間:09:40 ~ 16:00 ※所要時間 約60分
休館日:隔週月曜日
観覧料:
一般 :1,500円
学生 :1,000円 (高校・中学・小学生)
子ども:無料 (小学生未満)
※ 表示料金は全て消費税込です。
入館に関する詳しい内容はチケットガイドの入館の方法をご確認ください。
快適な観覧のため、事前予約制のツアー形式でご案内しております。
お手数ですが、お越しになる前日までに申し込みをお願いいたします。
http://camy.oita.jp
写真提供:COMICO ART MUSEUM YUFUIN
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鳥取の誇りを改めて思い出す。地元ゲストを招いた『DINING OUT LOCAL DAY』の意義。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取・八頭本番前日に行われた、もうひとつの『DINING OUT』。
2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』に先立つ9月7日、もうひとつの『DINING OUT』が開かれました。それは食材生産者、開催地の関係者、地域のゲストを招く『DINING OUT LOCAL DAY』。そもそも今回は、鳥取出身の徳吉洋二シェフが地元・鳥取に戻って行った史上初の“凱旋ダイニングアウト”。そんな縁から地元企業の協賛が集まり、この『LOCAL DAY』の実現に至ったのです。では地元の方々は自ら住み、あるいは自ら育てた鳥取の食材を改めて味わい、何を感じたのでしょうか? 参加したゲストの言葉を紐解きながら、『LOCAL DAY』の模様をお伝えします。
ダイニングアウト鳥取・八頭同郷だからこそ伝わるシェフの思い。
朝から降り続けた雨は夕方になっても止む気配はなく、会場となった清徳寺はしっとりと雨に濡れていました。そんな会場へ『LOCAL DAY』に参加するゲストたちが三々五々到着しました。なかには食材視察でお会いした生産者や協賛社の方々、会場となった清徳寺のご住職、徳吉シェフのご家族の姿もあります。どの顔にも、足元のぬかるみも気にかけぬ期待に満ちた表情が浮かんでいます。
この『LOCAL DAY』は地元で生産された食材を、世界で活躍するシェフが調理して提供する『DINING OUT』本来のディナーを、地元の方々に味わって頂くイベント。「地元の方にこそ“鳥取ってすごい!”と改めて気づいて欲しい」という徳吉シェフの言葉を形にすべく、本番と同様の料理が、同様のサービスで供されます。
アペリティフのハタハタから始まり、前菜、魚、サラダと展開されるコース。鳥取県産の食材をふんだんに使い構成された美麗なる料理。ゲストは一皿ごとに驚きの声を上げ、その味わいをじっくりと堪能していました。
中盤、司会を務めた大橋直誉氏により徳吉シェフが紹介されると、会場はひときわ大きな拍手に包まれました。鳥取が誇るスターシェフ・徳吉洋二。その名を耳にしたことはあっても、その料理を味わったことがないゲストも多かったのでしょう。
「久しぶりに地元に戻ってきて、鳥取の素晴らしい食材の数々を改めて見つめました。今日はその魅力をお伝えできたかな、と思います」そう、今回の料理の根底にあるのは、徳吉シェフが抱く鳥取の食材への敬意。その熱い想いは、同じルーツを持つ地元の方々にこそ、ダイレクトに伝わったことでしょう。
ダイニングアウト鳥取・八頭驚きと感動を伝える生産者や家族の声。
「このトマトは本当にすごい!」と徳吉シェフを驚かせた『井尻農園』。その代表・井尻弘明氏は、自らのトマトを使ったサラダを味わい、少しだけ声を詰まらせました。「こんな料理ははじめて食べました。素晴らしい料理にしてもらって感激です」
対照的に満面の笑みを浮かべていたのは、米農家『田中農場』の田中正保氏。「手前味噌だけど、旨い米でしょう。このリゾットは、本来の甘みを良く引き出してくれています」
卵かけご飯風のリゾットには、平飼い飼育で上質な「天美卵」を生産する『大江ノ郷自然牧場』の小原利一郎氏も「コクがあって風味もある。全体としてまとまっているのに卵の存在感もしっかりと感じられる料理」と称賛を送りました。食材に慣れ親しんだ生産者をも驚かせる徳吉シェフの料理。そこに満ちるアイデアとリスペクトが、生産者たちの心を捉えたのでしょう。
素材感だけではなく、プレゼンテーションの面でも地元ゲストを驚かせました。たとえば宅配ピザを模した一品「Pizza delivery」を前に、三つ子である徳吉シェフの兄・淳一氏は目を細めました。「子供の頃、宅配ピザが大好きで、届くと兄弟で先を争って箱に飛びついていたんです。その頃のことを思い出しました」。弟の雄三氏も、徳吉シェフそっくりの顔を綻ばせて頷いています。
「昔から料理は好きな子だったけれど、まさかここまで立派になるとは」お母様・徳吉由美子氏は感慨深げに呟きました。今回のディナーの根底に、徳吉シェフの記憶にある郷土料理、そして幼き頃に食べた“おふくろの味”があることを思えば、その感慨もひとしおなのでしょう。
「三人には同じもの食べさせて同じように育てたけど、やっぱり違うものなんですね」お父様の徳吉公司氏は言います。聞けば昔から、長男の淳一さんは面倒見が良く、次男の洋二シェフは負けん気が強く、三男の雄三さんはおっとりしたタイプだったとか。「ひとりでイタリアに渡って、逃げ出したくなることだってあったはず。でも持ち前の負けん気でここまでやってきたんでしょうね」息子の晴れ舞台を前に、ひと口ずつ噛みしめるように味わうその姿が印象的でした。
ダイニングアウト鳥取・八頭志を同じくする協賛社との地域振興の第一歩。
明確な意義を持って開催され、「いままで以上に鳥取を誇りに思ってもらう」という確かな成果を上げた今回の『LOCAL DAY』。その開催を支えた協賛社の方々も、会場に足を運んでくれました。
鳥取市を拠点に、エネルギー事業で地元を支える『enetopia』(鳥取ガス株式会社)。代表取締役社長であり、徳吉シェフの高校の後輩でもある児嶋太一氏は「インフラ企業として鳥取を盛り上げたいというのが半分、もう半分は個人的にも応援したかった」との思いを明かしてくれました。「どれも本当においしい。鳥取にはこんなに素晴らしい食材があったんですね」と、地元の魅力を再確認していました。
「地方から都心、世界へ飛び出すシェフの姿に共感しました」とは、米子市で美容・健康関連商品の製造、販売を手がける株式会社エミネットの内田泰介氏。鳥取だけではなく日本や世界というマーケットを視野に入れる同社の未来に、世界で活躍する徳吉シェフの姿が重なる部分があったのでしょう。「骨を手で掴んで食べる料理がありましたよね。ああいった常識に囚われない発想に驚かされました」と、ディナーのプレゼンテーションにも深く感じ入る部分があった様子です。
テーブルには山陰合同銀行の取締役・杉原伸治氏の姿もありました。「驚かせるような仕掛けと地元愛が詰まった料理。きっと明日、明後日の都心から来たゲストも満足されますよね」との感想を伝えてくれました。さらに「弊社は金融機関ですから、自主的にイベントをやることはあまりありません。しかし、地元を盛り上げたいという気持ちは同じ。今日のようにお手伝いできることがあれば、積極的にやっていきたいと思います」との声を寄せてくれました。
協賛社はインフラ、メーカー、金融と業種はさまざまですが、鳥取という地域を盛り上げるという目標は皆同じ。“地域に隠された魅力を伝える”という『DINING OUT』の意義にも共感し、史上初となる『LOCAL DAY』の第一歩を共に踏み出しました。
ダイニングアウト鳥取・八頭鳥取はすごい。ゲストが共有したひとつの思い。
当日は会場に駆けつけられなかった『岸田牧場』も協賛社のひとつ。大山山麓に田中徳行社長を訪ねると、そこには従来のイメージを覆す牧場の姿がありました。「おいしい牛乳のためには、まず牛が健康であること。それには身体的な健康だけなく、ストレスなくのびのびと過ごすことも大切」と田中氏。牛が自由に動きエサを食べることができる放し飼い式牛舎、365日毎日配合を変える飼料、牛に愛情を持って接するスタッフ。牧場を構成するすべてが、牛の健康を考え抜いて作られているのです。だからこそ『岸田牧場』の牛乳は、本来のコクと甘みを湛えつつ、さっぱりとした飲み口も両立する極上の味わいとなっているのです。
徳吉シェフはこの牛乳を、その場で仕上げるリコッタチーズにしました。さっぱりとしているのにコクがある、できたてのリコッタチーズ。「当牧場でもモッツァレラの製造をはじめたところ。コクのあるウチの牛乳はチーズにするのにも最適です」と田中氏。さらにディナーでは新鮮な雲丹と長期熟成のバルサミコを合わせて供された料理に、会場からは称賛の声が続々と上がりました。きっと田中氏も満足する上質な味わいの一品でした。
終演後、徳吉シェフはマイクを握り、会場に謝意を伝えました。陽気なシェフの言葉の端々に、秘められた本心や地元への思いが垣間見えます。
「今日は家族や友人、知人にも来て頂いて少し緊張しましたが、思った通りの料理ができあがったと思います。やっぱり鳥取はすごい。まずは地元の方々にそう思ってもらうことで、これから鳥取がもっともっと賑わってくれれば。今日の『LOCAL DAY』は、そのきっかけになって欲しい」
そんな徳吉シェフの言葉は、この『LOCAL DAY』の意味を端的に語っていました。そして晴れやかな顔で口々に称賛を寄せるゲストを見るにつけ、シェフの思いは確かに伝わっていると確信できたのです。
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI
http://www.ristorantetokuyoshi.com
スクエアレザーショルダーバッグ
アイアン初のスクエア型バッグ!
- ライディング時はもちろんデイリーユースからお出かけの際にも、用途は幅広いバッグです!
- 表にはフラップボタン付きポケットを配し、さっと取り出したい物を入れられる仕様に
- 表上部には虫隠し仕様のファスナー付きポケットがあり、大きめのスマートフォンもすっぽり収納できる為、落したくない貴重品を入れられるようにしています
- 中には仕切りのみのポケットで、チケット等 の細々したものを入れられます
- メイン気室は開口部を広くとっているので、使い勝手はとても良いです
- 表のフラップとファスナー部分の間にはアイアンハートのネームをつけました
- ベルト調整部分はダブルリング仕様で容易に長さを調節できます
- またベルト下部はナスカン使用にし、背面の左右に配したDリング部分にどちらでもお好みで容易に付替えが可能です
- 重厚な作りに負けないのと、グローブをしていても使いやすいように大き目のダブルジップ仕様になっています
- 使い込む程にアジの出る牛革 で、肉厚なダイヤステッチはあえてフラップ部分に抑える大人な仕様、オールブラックのレザーに映える真鍮パーツ、まさにアイアンスペックな新商品です!!
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和蔵Gジャン【レディース館】
ずっと蒸し暑い日が続いていましたが
涼しい風が吹いて過ごしやすい時期になってきましたね
ようやく秋がきたといった感じですね
さて、今回紹介しますのは
デニムストリート オリジナルブランド
和蔵のGジャンです
そう!この時期1枚持っていたら無敵のGジャンです
和蔵 G ジャン ¥19,980
サイズは S,M,L展開です
G ジャンって何とでも合いますよね~~
和蔵のGジャンはストレッチが入っているので
Gジャンのゴワゴワ感が無く
とっても着やすい!動きやすい!です
ポケットもサイドと、、、、
内側にも付いているので、
ちょっとしたものを入れるのに便利です
着ていくうちに徐々に色落ちも楽しめて
どんどん味が出てきて、長くずっと着られるものになります
秋のオシャレに是非取り入れてみてはいかがでしょうか
心に語りかける、民話の風情も色濃い茅葺き民家を訪ね歩く。[福島県南会津郡]
アレックス・カー
浅草から北を目指し鉄路の旅に出れば、いにしえの街道に沿って時を遡るような旅ができるでしょうか……。
豊かな田園地帯にぽつりと佇む、昭和の面影も濃い小さな木造駅舎をいくつも過ぎ、重畳(ちょうじょう)とした山々をくぐりいたるといつしか民話のような草屋根の家々が姿を現します。そう、ここは東北地方の南の玄関口・南会津。会津田島駅からクルマを足に、アレックス・カー氏とともに地元の「守り人」たちと出会うショートトリップに出かけてみましょう。
アレックス・カー北欧と曲家の古民家が融合する空間にて、スカンジナビア料理を頂く。
南会津町の中心部から国道を西へクルマを走らせ、険しい峠を越えた最初の集落に佇むのがスカンジナビア料理を味わえる宿『ダーラナ』。雪国独特の構造を持つ曲家の古民家を生かし、北欧のエッセンスを盛り込み改修された建物は、ヨーロッパの片田舎を訪れたかのような佇まいを見せています。
宿のオーナー・大久保清一氏は、10代でスウェーデンに渡り単身修業したスカンジナビア料理の第一人者。常連客は地元でとれる季節の食材、主にイワナや山菜、キノコ、近所の猟師が獲る新鮮なジビエなどを用いた大久保氏の料理を楽しみに訪れます。
四半世紀を重ねた古民家の宿の始まりは偶然の出会いから。レストランの新規開店を目標に、適地を求めて走り回っていた大久保氏がふと目に留め、無住の曲家に魅了されて、1年以上をかけてリノベーションしたのがこの宿です。
屋内は南会津の冬の厳しさをそのまま体感できる昔ながらの住環境です。南会津と北欧とがセッションするスペシャルな夕餉(ゆうげ)の後には、炉火を囲み自然と始まる夜長の会話のみが娯楽。時を急かす何ものも存在しない宿は、鄙(ひな)にありながらも多くの常連客を招き、愛されつつ時を刻んでいます。「こんなオーベルジュがあれば、アクセスの悪い地にも観光客は必ず足を運びます。大切なことは原状を磨き上げるセンスと魅力にあると思います」と、自身の経験からアレックス氏は語ります。
アレックス・カー再生の日を待ちわびる、南会津の古材が眠る巨大な倉庫。
『大内宿』は江戸時代の宿場の佇まいを今に残した国の重要伝統的建造物群保存地区で、江戸時代に建てられた茅葺きの家並みが旧街道沿いに整然と並ぶ、古民家ファンの聖地。建物の保全だけでなく、里山と田畑の風景、昔ながらの民俗行事も大切に守り、里人の暮らしは30軒の茅葺き民家に静かに息づいています。
「これは……すごいです」と開口一番、アレックス氏は言います。自ら改築を手がけた古民家を有するアレックス氏だけに、膨大な量の希少な太い梁や柱のストックを陶然と眺めため息を漏らします。『ダーラナ』の設計施工に携わった『大内宿』の只浦豊次氏は『三澤屋』のオーナーでもあり、一本葱でそばを食するというインパクトある提供方法を発案、それまで年間3万人だった観光客数を飛躍的に伸ばしたいわば地域の先達です。旧街道沿いに膨大な量の古材を保管しているとうかがい、その巨大な倉庫を訪ねました。
「海外の作家を案内したことがあるのですが、彼は“新幹線の通っていない所に行きたい”と。今は国内外を問わず、不便であることに価値を感じる人が増えているようです。それは古民家住まいも同じこと」との只浦氏の言葉に、アレックス氏も同意を込め、膝を打ちます。「今は不便な所にムーブメントの兆しがあります。東京などの大都会から地方へ。そこにロマンを感じるのですね」。
アレックス・カー2つの危機を乗り越え、今も息づく民俗行事の里・大内宿。
『大内宿』で、この存在なくして現在の賑わいを語れない人物はもうひとりいます。通りの中ほどで、手ずから打ったそばを提供する『こめや』の吉村徳男氏です。『大内宿』は山間に40戸160名が暮らす小集落で、通り沿いに築300年の茅葺き民家が整然と並びます。江戸時代に本陣のある宿場として発展しましたが、幕末の戊辰戦争での戦火を免れ、明治時代に入っても近代化が進まなかったことが、今の景観を残せた2つの奇跡といえます。
そして、吉村氏は茅葺き職人でもあります。40代で勤めを辞し、熱意を持って「茅手」の道へ入りました。屋根葺きはもともと集落単位で力を合わせて行うことで各家の負担を軽くするものでしたが、茅葺き屋根の減少とともに廃れ、技術も失われつつあります。ここは茅葺きの技術を守るために伝習施設を造り、若い世代に技とともに「結びつきの大切さ」を伝えている希有な地なのです。
「この地をバトンとして子孫へ渡していくのが代々の役割と考えています。近場に素材となる茅地を確保し、手ずから屋根葺きをするなど、私たちの暮らしやなりわいをきちんと見せるのも、訪れる人々の楽しみにしたい」と熱く語る吉村氏。その熱意にアレックス氏も深く共鳴したようです。「技術と材料があれば、茅葺きには新しいチャンスがいくらでもありますよ。会津にはまだ茅葺きの建物が多いので、どんどん外にも出してほしいです」と語ります。さて、かつては技術の高さから関東方面で鳴らした『会津茅手』の復活となるでしょうか。
アレックス・カーなだらかな山裾に身を寄せ合う「もうひとつの」茅葺き集落。
街道に沿って直線的に形成された近世の集落が『大内宿』であるなら、南会津町の南部にある『前沢集落』は、中世の村落スタイルを今に伝える山裾の民家群。『大内宿』と同じく人の暮らしとともにありますが、観光客で賑わう『大内宿』からここへ来ると、その静けさにほっとします。集落入口には水車小屋が建ち、それを動力に米搗(こめつ)きなどを行う「バッタリ小屋」が牧歌的な音色を響かせています。
集落の始まりは、中世にこの一帯を拝領した山内氏の家人・小勝氏が、主家が滅んだため移り住んだと伝わっており、集落住民の9割以上が小勝氏なのだそうです。オンシーズンは集落保全のための入場料が必要ですが、村内の『曲家資料館』は入館無料になります。初夏は集落右側に広がる花しょうぶ園でアヤメや花しょうぶ、ツツジなどが次々と開花し、ベストシーズンを迎えます。
「冬は2m近く雪が積もるので、道から直に出入りできる間取りの“曲家”は雪国ならではの構造です。60cmほどある茅葺き屋根の厚みが豪雪に耐え、夏には涼しさを生み出す機能もあります。この景観を今後も保持していくために、茅の葺き替えは喫緊(きっきん)の課題。若い人が入ってくれれば……」と心配そうに語るのは、案内して頂いた保存会長の小勝周一氏。「ここは自然に近くて個性もあり、とても絵になる集落。イギリスの田舎を思い出すような所です。全体の整備はほとんど済んでいるので、後は保全の扶けになるような仕組みができれば安心かもしれません」とアレックス氏。
南会津を中心に、今も多くの茅葺き屋根の古民家が多く守り残されているのが会津地方。そのほとんどは茅が傷まないように赤色や茶色などのトタンを被せられています。現代の住宅と違って、屋根が大きく厚みもあるため簡単に見分けられるはずです。自然豊かな風景の中に点在する集落から「隠れ茅葺きの家」を探しながらの会津旅も楽しいかもしれません。
住所:〒967-0000 福島県南会津郡南会津町 東居平426-1 MAP
電話: 0241-72-2838 ※完全予約制
http://dalarna.jp/guest/about.html
住所:〒969-5207 福島県南会津郡下郷町 大内字山本26-1 MAP
電話: 0241-68-2927
http://www.misawaya.jp/
住所:〒967-0306 福島県南会津郡南会津町 前沢 MAP
http://www.tateiwa-tic.jp/maezawa/
1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。
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「秋の訪れを告げる秋季例祭」。[長野県の秋まつり/長野県]
長野県の秋まつり数百年の歴史を紡ぐ奉納煙火。
まだまだ残暑厳しい近年の9月ではありますが、この頃になると長野県内のあちらこちらでは秋祭りが行われます。旅の途中に号砲雷(昼間に上がるお知らせの花火)が聞こえたら夜には花火が観られるかも知れません。小さな神社で行われることが多いので、もし行ってみたいと思われたら地元の方に声をかけてみてください。そして、お祭りの状況を聞き、飛び入りでも観覧が出来るか確かめてから足を運んでいただきたいと思います。神社の境内いっぱいに花火が仕掛けられていることもあります。火祭りと言っても過言ではないと感じるお祭りも多数あります。中には地元の氏子さんのみが参加出来るお祭りもありますので、その場合はご配慮いただけますと幸いです。何百年もの歴史を紡いできた地元の方々にとってはかけがえのない大切なお祭りです。神様に捧げる奉納煙火です。これから先も末永く歴史を刻んでいけるよう各お祭りのルールを守ってご観覧いただけたらと思います。お祭りは時に深夜にまで及ぶこともあります。
長野県の秋まつり口伝を受け継ぐ伝承花火。
県内各地の秋季例祭は、神楽のお囃子や獅子舞、巫女舞、細工も見事な神輿など見どころも満載です。神社によって内容は様々ですが、どこも大切に守り継がれたお祭りということに変わりはありません。煙火業者さんの監督の下、住民の方々の手で行われる伝承花火も多く存在しています。昔から口伝で受け継がれてきた手づくり花火の製造が今もなお残っています。花火の原点とも言える伝承花火がそこにはあります。神社内での杜花火には大三国、車火、手筒、吹筒、立火、仕掛け、綱火、銀滝、清滝など、日本の花火の歴史を継承していく上でも貴重で重要な花火ばかりです。決して色鮮やかで華やかな近代的な花火ではないかも知れませんが、その雅な美しさは心にいつまでも残るものです。
長野県の秋まつり秋の夜長に遠花火。
秋季例祭での撮影は三脚も一脚もご使用になれないことが殆どです。狭い境内では危険が伴うからです。私自身は出来る限り小さなカメラを用意し手持ちで撮影するようにしています。もしくは少し離れた安全な場所での撮影を心掛けています。また、撮影場所が特定される様な地名の入った写真などの公表はしないよう気を付けています。多くの方に伝統花火を知っていただきたいと思う反面、地元に根付いた素晴らしい歴史をいつまでも守り続けていただきたい思いがあります。
秋季例祭では伝統的な花火とともに打ち上げ花火が行われることもあります。例え神社に辿り着けなくとも音の聞こえる方角の空を見上げれば優美な花火に出会えるかも知れません。秋の夜長に美しく夜空を染める大輪の華をゆっくりと愛でるのも風情があって良いのではないでしょうか。
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1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
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書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751
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かつてない和紙アイテムで伝統に革新を。[FIVE/富山県南砺市]
ファイブ深山の合掌造りの里から伝統産業に新風を吹き込む。
鮮やかな蛍光色に染められた、メモ帳やブックカバーなどの使いやすいアイテム。「古くさい」「色が地味」「使いづらいアイテムが多い」といった和紙プロダクトのイメージを払拭するブランドです。
この『FIVE』を生み出したのは、富山県と岐阜県の県境にある“一般財団法人 五箇山和紙の里”。豊かな水と緑に恵まれた深山の里で育まれた手漉き和紙の技を、今の暮らしに馴染むアイテムとして展開しています。
『FIVE』をプロデュースした石本泉(いしもと・せん)氏は、富山県の出身でもなければ和紙職人でもありませんでした。一体どんな経緯で五箇山の地に根をおろして、伝統産業の再興に取り組むことになったのでしょうか?(後編はコチラ)
ファイブ数奇な運命で“理想の地”に移住。
約10年前。武蔵野美術大学の学生だった石本氏は、大学の合宿施設がある五箇山をふとした縁で訪れることになりました。「大学の木工科で家具を製作していたのですが、その自由課題で『家具以外のものも作ってみよう』と思い立ったんです。そして手漉き和紙を木から作る工程に着目したところ、教授から『越中和紙に数えられる五箇山和紙の発祥地に、大学の合宿施設(五箇山無名舎)があるから行ってみたらどうか?』と勧められ、五箇山を訪れることになったんです」とのこと。
夏休みのレジャー感覚で訪れた石本氏は、初めて見た五箇山の風景にはからずも圧倒されたそうです。
「深い山と谷が延々と連なる、雄大な風景。かつて旅したチベットを思わせる景観に、『日本にもこんな場所があったのか!』と感動しました。和紙を原料の楮(こうぞ)から作るという工程も、全国的に珍しいものでした。そして『ここに住んでみたい!』と強く思うようになり、ご縁を得て“五箇山和紙の里”に就職することになったんです」と振り返ります。
ファイブ好機を生かして“攻め”の姿勢でチャレンジ。
こうして五箇山に移住して、豊かな自然と理想の風景の中で暮らし始めた石本氏。そんな彼のもとに、ある依頼が舞い込んできました。
「2012年に五箇山がある南砺市から、『地場産業を生かした新商品を開発してください』と依頼されたんです。ですが、そうした補助金事業は成功事例が少ないことを聞いていましたし、ありがちなものを作って終わり、という結果にもしたくありませんでした」。せっかくの機会なのに、後に何も残せなかったらもったいない――そう思った石本氏は、同じ武蔵野美術大学の出身で友人でもあったデザインユニット『minna』に相談を持ちかけたのです。
長谷川哲士氏と角田真祐子氏が主催する『minna』は、伊勢丹・三越・FELLISIMOなどのプロジェクトで名をはせていました。さらに地域おこし関連のプロダクトやイベントまで手がけており、「みんなのために・みんなのことを・みんなでやっていきたい」をモットーにしていました。和紙にまつわるデザインの経験もあった『minna』は、石本氏の依頼を「面白いね」と快諾。そして五箇山までわざわざ足を運び、五箇山の風景や和紙づくりの様子を視察した上で、約1年もの時間をかけて構想を練ってくれました。
「せっかく取り組むのだから、五箇山の和紙を後世にまで残していけるブランドにしたい」――石本氏のそんな想いに応えて、『minna』の二人は検討を続けたのです。
ファイブ高い伝統技術はそのままに、時代に即したプロダクトに転換。
ブランド立ち上げの期日は、2013年冬の東京での発表会。それまでに、もともとあった和紙商品の経験を生かしながらも、全く別の新商品を生み出さなくてはなりませんでした。
その軸となるコンセプトが定まるまでには、石本氏も『minna』も非常に悩んだそうです。ですが、既存の和紙製品や和紙産業全体の課題を考慮した結果、「現代のセンスに即したオシャレなプロダクト」「伝統産業に興味のない若者にも魅力的なもの」「普段使いできるアイテム」といった方向性が定まったのです。
「『とにかく今までにない新しいものを!』と考えた末に、自然に囲まれた五箇山の風景の中にキラリと光る色――蛍光色をイメージすることにしました」と石本氏。「そのアイデアは『minna』が提供してくれましたが、『和紙と言えばナチュラル』『和紙アイテムの色と言えば渋い伝統色や中間色』といったイメージから抜け出して、『FIVE』ならではの個性を追求することにしたんです」と振り返ります。
ですが、実際に和紙を蛍光色で染めてみた先例はほとんどなく、実際に作ったという人もまた見当たりませんでした。そこで石本氏は、まずは手探りで試作を始めました。
ファイブ和紙×蛍光色の実現はいかに?
「最初はどうやって蛍光色に染めればいいのかすらわからずに、いろいろ試行錯誤してみたものの、全くうまくいきませんでした。蛍光色の特徴である鮮やかさが出ずに苦心していたところ、ふと『シルクスクリーンでやってみたらどうだろう』というアイデアが浮かんだんです。それを五箇山和紙の伝統である「手揉み」という製法に載せてみたところ、見事に美しい蛍光色に染まってくれました」と石本氏は語ります。
道が開ければ、あとはトントン拍子でした。『五箇山和紙の里』がもともと作っていたアイテムの中から、普段使いに適したものや、若者が手に取りやすいものを厳選。カードケース・ブックカバー・メモロール・封筒(ポチ袋・金封)の5種類の商品が、2013年冬の発表会までに完成しました。
「和紙の産地は全国各地にありますが、五箇山和紙ならではの特長は“強くしなやかなこと”です。標高が高くて寒暖の差が激しいため、原料の楮(こうぞ)の繊維が強く育つんです。それを昔ながらの製法で漉いて、対照的に斬新な蛍光色をのせました。さらに『揉み紙』という製法で強靭にしています。和紙の固定観念を打ち破る、型にはまらない、それでいて、和紙の伝統と可能性を生かした製品になったと自負しています」と石本氏。
長い歴史と高度な技術を誇る伝統工芸でありながら、地元の人々の認知度や、若い世代への訴求力が不足していた五箇山和紙。それを全く新しいプロダクトとして生まれ変わらせて、『FIVE』は完成したのです。
「特に若い世代に『古くさい』と敬遠されていため、若者を第一のターゲットに据えました」と石本氏。次回の後編では、こうして完成した『FIVE』の反響と、その後の展開をお伝えします。(後編はコチラ)
住所:富山県南砺市東中江215 MAP
電話:0763-66-2223
営業時間:9:00〜17:00
休日:年末年始
写真提供:一般財団法人 五箇山和紙の里
http://www.five-gokayama.jp/
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自然のエナジーを改めて感じさせた土砂降りのなかの晩餐。降りしきる雨が教えてくれた『DINING OUT』の原点。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取八頭『DINING OUT』を知る3人による万全の体制。
2018年9月8日、9日に鳥取県八頭町で『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』が開催されました。豊かな自然に囲まれ、大地の力強さを感じる古からのパワースポット、八頭町。担当したのは昨年の『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を大成功に導いた徳吉洋二シェフです。さらにホストには6回目の登場となる東洋文化研究家のアレックス・カー氏、サービス統括に2016年『DINING OUT ONOMICHI with LEXUS』に参加した大橋直誉氏を迎えました。いずれも『DINING OUT』を知る3人による万全の体制でした。
地元・鳥取県出身の徳吉洋二シェフを迎えた“凱旋DINING OUT”であったこと、同一シェフによる二度目の担当など、14回目の『DINING OUT』にして、新たな挑戦が詰まった今回。しかし蓋を開けてみると、“史上初”はそれだけに留まりませんでした。
降りしきる雨の中でのディナー、そして直前の会場変更。数々のハプニングを乗り越え、どんな結末を迎え、ゲストと地元に何を伝えたのか? その全貌をお伝えします!
ダイニングアウト鳥取八頭ゲストを出迎えたのは、大地のパワーを凝縮した奇跡のような葡萄の木。
前日から降り続けたこの日も雨は弱まる気配がなく、むしろ夕方には雨脚が強まってきました。そんな雨に濡れながら、ゲストを乗せたLEXUSがレセプション会場である『オズガーデン』に続々と到着しました。出迎えたホストのアレックス・カー氏が、ゲストを屋内庭園に誘います。
この庭園に今回のダイニングアウトのテーマ「Energy Flow –古からの記憶を辿る-」を象徴する光景が広がります。頭上一面にたわわに実る500房以上の葡萄は、たった一本の木に実ったもの。大地の力を凝縮したような眺めに、ゲストはしばし見とれていました。
レセプション会場を後にして、ゲストが向かった先は和同2年(709年)開山と伝わる古刹・清徳寺。この寺の境内が、今回のディナーの会場でした。後醍醐天皇のお手植えと伝わる銀杏、重厚な存在感を放つ菩提樹など、巨樹銘木が雨に濡れて輝いています。頭上には雨よけのテントが張られ、足元はぬかるんでいますが、それさえも忘れるほどここは自然のパワーに満ちた場所なのです。
アペリティフは、鳥取県が国内1、2の漁獲量を誇るハタハタを皮切りにスタート。揚げたハタハタにらっきょう入りのサルサベルデを合わせる事でヱビスマイスターの研ぎ澄まされたコクと相性抜群のスナックで食欲を掻き立てた。さあ、いよいよディナーの幕開けです。
ダイニングアウト鳥取八頭幼い頃の記憶を、現在の技に乗せて料理で表現。
一品目の料理がサーブされると、会場には少し訝しげなざわめきが広がりました。テーブルの上には宅配ピザのような箱。料理名もそのまま「Pizza delivery」。しかし蓋を開くと、それは歓声に変わります。現れたのは八頭のブランド米「神兎」の米粉生地の上に紅ズワイガニやトマトソース、さらに色とりどりの花があしらわれた小ぶりな“ピザ”。いかにも徳吉シェフらしい遊び心と、同じくシェフらしいアーティスティックな盛り付け。
「子供の頃、デリバリーピザってワクワクしましたよね。あのボックスを開けるときの高揚感を思い出しながら、古の記憶を辿る旅をスタートして欲しい」そんな思いが詰まった一品でした。
続いての料理「水と魚」は八頭産の茄子に鳥取の高級魚アコウを合わせて刺身仕立てに。続く「ホワイトモノトーン」では、八頭に残る白兎伝説をヒントに白イカやイタリア産ラルド(豚の脂)で真っ白な一皿を演出しました。合わせるのはシェフが修業時代に慣れ親しんだイタリア風パンのティジェッレ。会場となった八頭の地域性と、シェフ自身の記憶が混じり合う、この日、この場所でしか楽しめない料理が卓を賑わせます。
次の料理はサラダ。徳吉シェフが仕立てるコースには、いつもサラダが登場します。それは「舌をリフレッシュしてもらう」という狙いからですが、今回のサラダの役割はそれだけではありません。「高木農園」の葉野菜や「井尻農園」のトマトといった20種ほどの八頭の野菜は、それぞれが自然の恵みを湛えた濃厚な味わい。そして全体をまとめるソースは、二十世紀梨の酢。「エナジー」と名付けられたこの料理は、大地のエネルギー、生命力をそのまま感じられるような力強いおいしさで、「Energy Flow」のテーマを伝えてくれたのです。
ダイニングアウト鳥取八頭地元食材に焦点を当てたシンプルな料理の数々。
依然、雨は降り続けています。ですが相変わらず、この雨にネガティブなイメージはありません。アレックス氏は言います。「今回の“Energy Flow”というテーマを、改めて説明する必要はありませんね。まさに皆さんはいま、その“エナジー”に包まれているのですから」降り続ける雨に囲まれたレストランは、どこか不思議な一体感に包まれながら続きます。
新鮮な牛乳からその場で作ったリコッタチーズと雲丹を合わせた「さっき作ったリコッタと雲丹」は、濃厚でコク深い味わいが印象的でした。肉質日本一の評価を受けている鳥取和牛を使った「骨と肉」は骨を手で持って齧り付く仕掛け。シェフの故郷の味・牛骨ラーメンをイタリア料理の手法で再現した「しじみと牛」、生命力の象徴である米と卵を使い「究極の卵かけご飯」といえる料理にした「Mantecando il risotto…」、そしてシェフにとってのソウルフードであるホルモンソバに着想を得た「タラ ヒラメ ホルモン」。徳吉シェフといえば思い起こされるアートな仕掛けやハッと目を引くビジュアルは抑えられ、逆に素材の滋味深さや力強さにフォーカスされた料理が続きます。
聞けば「馴染み深い地元の食材だからこそ、テーマの枠を考えすぎず、シンプルに表現できたのだと思います」と徳吉シェフ。八頭の名産品や鳥取の郷土料理が、世界の食通たちを虜にした徳吉シェフのフィルターを通して再構築される。そしてその根底には、郷土愛や幼少時の温かい記憶が宿る。シェフ自身の出身地で行う“凱旋DINING OUT”の本質は、こうして少しずつ表れてきました。
続いての料理は「鹿と鮎」。先程の「タラ ヒラメ ホルモン」と同様、この食材名だけを並べる料理名も、徳吉シェフの新たな一面。パワースポットである八頭の「大地の象徴・鹿」と「水の象徴・鮎」。それぞれのエネルギーを感じさせる一皿を考案したときに、これ以上の仕掛けは余計だと考えたのです。
しかし、シンプルなだけに難しさもありました。「鳥取の食材は本当に素晴らしいものばかり。そしてイタリアよりもずっと繊細ですね。だから塩加減には細心の注意を払いました」と、1日40人分の料理すべて、最後の塩はシェフ自らが振りました。繊細な食材を活かす、細やかな技。これが、ゲストの心に刻まれたおいしさの一因だったのです。
ダイニングアウト鳥取八頭圧倒的な自然の力が思い出させた、『DINING OUT』の原点。
デザートの一品目は「梨狩り」。豊穣のシンボルである二十世紀梨をくり抜いた器に、梨のゼリーとルバーブのマリネ、バジリコのグラニテを合わせた爽やかな一皿でした。そしてコースの〆に登場した「Milano collection」は、レセプションで訪れた「オズガーデン」の葡萄と花粉のジェラート、カカオのビスケットを合わせたプレート。皿に描かれた人体にアルケルメスで作ったシートのドレスをまとわせた、徳吉シェフらしいアーティスティックな一皿でした。
コースの終了後、シェフが登場すると、会場は雨音を打ち消すほどの歓声と拍手に包まれました。ゲストの顔には一様に、笑顔が浮かんでいます。考えてもみてください。野外で食事を楽しむ『DINING OUT』にとって、雨は決して恵まれた状況とはいえません。しかし“野外で食事をする”という意味にまで立ち返ってみるならば、つまり「五感すべてで自然に接することで動物の本能としての“食事”を思い出す」という意義から見つめ、この激しい雨はむしろプラスに働いたとさえいえるでしょう。「Energy Flow」。あふれる自然のエナジーに触れ、その偉大さを改めて思い出すこと。だからこそ、ゲストはこの状況を特別な体験として受け止め、大きな拍手で応えてくれたのです。「DINING OUTの原点に戻りましたね」アレックス氏は、そう語りました。
厳しい状況を乗り越えた末の成功。その影には、地元サービススタッフの力がありました。料理が雨に濡れないよう盆を重ねて配膳したこと、自ら濡れるのも厭わずに会場に目を配り続けたこと、できたての料理を客席に届けるようにぬかるみに足を取られながら動き回ったこと。どれも誰かの指示を聞いていたのでは間に合いません。それぞれのスタッフが随時判断を下し、適切な対応を取ってくれたこと。これが、豪雨という逆境にもかかわらず今回の『DINING OUT』を成功に導いた原動力でした。
ダイニングアウト鳥取八頭史上初の予備会場開催。そしてゲストとスタッフに刻まれたもの。
しかし試練はこれで終わりではありませんでした。翌日は前日以上の豪雨。大雨警報が発せられ、山間部では土砂崩れの危険も高まります。“DINING OUT”と銘打つイベントでの苦渋の決断でしたが、やはり安全が最優先。ディナーの舞台は予備の荒天時会場に変更されました。14回目を迎える『DINING OUT』で初の選択です。時刻は正午。18時開演のディナーまで、残り6時間しかありません。
しかし、前日の豪雨開催を乗り切ったスタッフたちは、この状況をも乗り越えました。会場は築120年の古民家で有形文化財に登録される「太田邸」。その日の午前中までは影も形もなかったこの空間に瞬く間にレストランができあがり、ゲストを笑顔でお迎えしたのです。そして場所を変えて行われた2日目もまた、ゲストの拍手に包まれ大成功で幕を下ろしたのです。
サービスを統括した大橋氏は、終演後のスタッフを見回して言います。「開始前と顔つきがぜんぜん違うでしょう? みんな誇らしげな顔をしていますよね」ある女性スタッフは少し顔を上気させて言いました。「サービスって料理を運ぶだけの仕事だと思っていました。でも本当はシェフの思いとか、大げさに言えば“感動”を運んでいるんですね。これからもっともっとサービスを勉強したいと思いました」
アレックス氏は終演後、しみじみと語りました。「雨も良かったね。知られざる町で、大自然に囲まれて、その土地の魅力を味わい、特別な体験をする。そんな「DINING OUT」の原点に戻りましたね」。14回目を迎え、ノウハウは蓄積され、ホスピタリティは洗練された。しかし大雨という今回の特別な状況が、改めて大自然の力強さと、それ自体を楽しむという特別感を伝えてくれたというのです。
徳吉シェフも感慨とともに振り返ります。「雨も含めて、本当に楽しかった。鳥取の良さをうまく伝えられたと思います」この一年、大病からの復帰、第一子の誕生など公私含めてさまざまな体験があった徳吉シェフ。「最近、僕が改めて実感するのは“諦めないこと”の大切さ。この「DINING OUT」を通して、伝えたこと、教えられたことは、やはりその部分でした」持ち前の陽気さで会場を笑わせた徳吉シェフ。その内側には、苦難を乗り越えることの難しさ、大切さが実感として宿っていたのです。だからこそ、雨の「DINING OUT」は、ゲストとスタッフに確かな記憶として刻まれたのです。
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI
http://www.ristorantetokuyoshi.com
1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。
調理師専門学校を卒業後、正統派グランメゾンで知られる『レストラン ひらまつ』に料理人として入社。翌年ソムリエ資格を取得後、サービス・ソムリエに転向。2011年に渡仏し、ボルドーの二つ星レストラン『シャトー コルデイヤン バージュ』でソムリエを経験し、帰国後は白金台『カンテサンス』へ。ミシュラン東京版で三つ星を獲得し続ける名店で研鑽を積む。その後、レストラン移転に伴い、店舗をそのまま受け継ぐ形で2013年9月に『ティルプス』を開業。オープンからわずか2ヵ月半という世界最速のスピードでミシュラン一つ星を獲得する快挙を成し遂げる。
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大自然の中での豊かな暮らしが、唯一無二の商品を生む。[tretre/高知県吾川郡仁淀川町]
トレトレ
その美しさから「奇跡の清流」と謳われる『仁淀川』の源流域に位置し、自然豊かな山間に広がる高知県吾川郡仁淀川町。この地に自生する草木を中心に、大地の恵みを独自の感性で配合した『摘み草ブレンドティー』を生み出しているのが、竹内太郎氏が代表を務める『tretre(トレトレ)』です。後編では、この土地の魅力や『tretre』の軌跡をたどります。(前編はコチラ)
トレトレ鮮やかな緑と眩しい青のコントラストが美しい、大自然に彩られた山間の町。
四国山地西部、西日本最高峰の『石鎚山』に発し、長さ124kmもの流れを経て太平洋へと注ぐ『仁淀川』。深い川底まで透き通るコバルトブルーの清流は、この地で美しい風景を撮り続けてきた写真家・高橋宣之氏によって「仁淀ブルー」と名づけられました。
『tretre』が拠点としているのは、そんな『仁淀川』の源流域に位置する仁淀川町。勾配のきつい山間の土地で気候条件が良く、昔から日本茶の名産地となっています。メジャーなのは、緑茶の葉っぱから作る、煎茶や釜炒り茶。お茶農家が自分たちの茶畑で栽培するのはもちろん、山の斜面にはちらほらと野生の自然茶も見られるような環境です。
トレトレ豊かな暮らしの営みを求め、京都のど真ん中から高知の山奥へ。
竹内氏が生まれ育ったのは、高知県の中心部である高知市内。高校卒業後は京都の大学に進学し、そのまま京都の老舗麺料理店に就職しました。店舗業務から外交販売などの本社業務まで多岐にわたり活躍した竹内氏。しかし、40歳を目前にした頃「もっと生活に根づいた仕事、実感のある暮らしの中から商品を生み出す仕事がしたい」という想いに駆られます。
「これから自分が欲しい商品って何だろう?と考えた時に、理屈ではなく、感覚に基づいた、手作り感のあるものが良いなと思って。それまでも、例えば器なら大量生産ではなく、産地の素材と作り手の感性が生きたものを好んで買っていましたし、書家や陶芸家などアーティストの友人も多く、彼らの仕事ぶりにも惹かれていました」と竹内氏は振り返ります。
そうなると、都会では思うような素材が見当たりません。しかし、自分のルーツをたどると、高知県は森林が県土の84%を占める天然素材の宝庫。森林の間を縫うように美しい川が流れ、三方が海に面しています。実家は団地の中にありましたが、少し離れれば豊かな自然に囲まれ、幼い頃はよく川や森で遊んでいました。
「でも、実は仁淀川町は訪れたことがなくて。京都時代に参加していた、高知県を拠点に活動するデザイナー・梅原 真さんが主宰する『84会議』の中で、この町のことを知りました。高知市在住の写真家・高橋宣之さんが撮影した『仁淀川』の美しさに、強く惹かれましたね」と竹内氏。
実際に訪れてみると、仁淀川町は高知市街地から車で1時間ほどの距離ながら、コンビニエンスストアは1軒だけ、大きな工場も水田もない町。民家が点在し、それぞれが庭の畑で自分たちが食べる分程度の作物を育てている、自給自足を楽しみで続けているような状態であり、「ここにはまだ昔ながらの暮らしが残っている」と思い、竹内氏は感動したといいます。そして「この町でなら、何か商品化できるかも」と可能性を感じ、移住を決意。2014年5月、奥様とともに京都を離れました。
トレトレお茶処の隠れた逸品、野草茶に大きな魅力と可能性を感じて。
「山の暮らしの中から生まれる商品で会社を興したい」という強い想いはあったものの、具体的なことは決めないまま、仁淀川町で暮らし始めた竹内氏。まずは、素材を探すことから始めました。
なんとなく「味に関わる仕事」をテーマにしつつ、大切にしたのは「変に飾りつけず、素材そのものが十分魅力的で、事実を並べただけで勝負できるもの」と「大都市や海外にも打って出られるもの」であること。「“田舎に引っ込んで細々”というような消極的なことではなく、“こんな田舎だからこそできる”という積極的なものづくりをしたいと思いました」と竹内氏は言います。
そして着目したのが、この土地で昔から飲まれてきたお茶。最盛期に比べ、お茶作りを生業として続けているお茶農家は格段に減っています。それでも、ここで暮らす人々にとって、お茶はとても身近な自然の恵み。野菜と同様に、家族分程度の量を自分たちで作り、大切に飲む習慣が残っているのです。
しかし、煎茶や釜炒り茶などスタンダードな日本茶では、すでに多くの人が取り組んでおりなかなか太刀打ちできません。そんな中で出合ったのが、自生する様々な山野草を摘み、乾燥させて作る野草茶。商品として確立されているポピュラーな煎茶や釜炒り茶に対して、こちらは大々的に売り出されているのではなく、各家庭で個人的に飲まれているようなお茶です。その存在を初めて知り、豊かな味わいに驚いた竹内氏。「マイナーでありながら美味しい野草茶の商品化こそ、取り組み甲斐のある仕事だ」と感じ、早速動き出しました。
あらゆる山野草を採集し、お茶にした時の味わいを、自らの舌でひとつずつ分析して記録。同じ山野草でも、標高や日当たりなどによって風味が変わるため、環境ごとの違いも事細かに記しました。更に、それらを正確に0.1g単位で配合。最適なブレンド具合を見つけていきました。
竹内氏曰く「ひとつの商品が出来上がるまでに、40~50回はブレンドを繰り返しました。風味はもちろん、山野草にはそれぞれ効能の違いもあって、ケンカしない組み合わせを考えることも大切でした」とのこと。気の遠くなるような作業は、半年以上にも及んだといいます。
そうして2015年6月に会社を立ち上げ、地道な研究の成果である『摘み草ブレンドティー』の販売を始めた竹内氏。ブランド名は、イタリア語で「3」を意味する「tre」を重ねて『tretre』。町を走っている国道33号線にちなみ、豊作(トレトレ )の願いも込められました。
トレトレ地域の素材と知恵の賜物、この土地でないと作れなかったお茶。
竹内氏の探究心と努力の結晶である『摘み草ブレンドティー』ですが、やはりひとりではここまでできなかったといいます。
「どこにどんな山野草が生えていて、それがどんな味で、摘み時はいつ、干し方はどうとか、地域の方には色々なことを教わりました。特に長年この地で生活する人生の先輩方からは、本当に学ぶことが多くて。暮らしの中から生まれたノウハウや、実体験に基づいたアドバイスは、何よりも貴重なものでした」と竹内氏。
また、竹内氏は「畑仕事をしている方からすると、場合によって山野草は作物の生育を邪魔する雑草であり、恵みどころか目の敵なんですよね(笑)。でも、自分のやりたいことを丁寧に説明することで、賛同を得られるようになりました。例えば、何々の葉を探していると相談すれば、『誰々さん家の裏に生えているよ』とか、『うちでちょっと育てているのがあるから持ってきてあげる』とか、自社農園で育てるために株分けしてくださった方もいて、有難かったです」とも話します。
こうした地域の方々のサポートは、『tretre』が軌道に乗った今現在も、変わらず続いています。日常の中でのやり取りもそうですが、主な交流の場となっているのが、定期的に行っている「ハッパカイギ」。地域に住み、『tretre』の活動に興味を持って協力しようという方々が参加しています。基本的にはお茶農家の集まりかと思いきや、むしろ逆。お茶農家の方はゼロで、専業農家の方もほぼおらず、小さな畑でちょっと作物を育てて暮らしているような方が大半です。
「ハッパカイギ」では、地域の山野草についての情報交換をしたり、色々な山野草をお茶にして試飲しては、より美味しく飲むための方法を思案したりします。「昔は切り傷ができたらヨモギの葉を薬代わりに使っていた」など、遠い記憶をたどって共有することもあります。「お茶にする以外の山野草の活用法も勉強になります。放っておくと誰にも受け継がれず、なくなっていくこうした知恵も、大切にしたいですね」と竹内氏は話します。そして、収穫の時期になれば、一部の摘み草集めを依頼。決して負担にならないよう、無理のない程度にお願いしているそうですが「皆さん、畑仕事のついでとかに、楽しみながら応じてくださっています」とのこと。こうして、竹内氏曰く「柔らかなつながり」でできたネットワークが、『tretre』のものづくりを支えているのです。
トレトレ自然の中で生まれる、心地よい暮らしのためのものづくりをこれからも。
仁淀川町で暮らし始めて5年目。移住当初こそ、都市暮らしとのギャップに若干とまどったものの「不便さも楽しめたので、特に困らずにここまできました」と竹内氏は振り返ります。『tretre』の活動以外でも、普段からご近所同士で作物を分け合うのは当たり前。更に、祭りなどのイベントや町内会の役割を通して住民同士で交流する機会も多いため、早い段階で自然と溶け込み、関係性が築けたのも大きかったようです。
思い切った決断ながら、望んでいた暮らしを実現した竹内氏。「京都では旬を追っていましたが、ここでは旬に追いかけられる。その感覚も新鮮です」と話します。そして、現在オリジナルの『摘み草ブレンドティー』については、東京からの依頼が多いそうです。「山奥に来たことで、逆に京都にいる頃よりも東京が近くなりました」と笑います。
また、竹内氏は日課として1日1点、町内の自然風景を撮影してSNSに投稿しているのですが、意外と地元の方がよく見ているのだとか。『摘み草ブレンドティー』や、前編で紹介した『によどヒノキウォーター』も、地元で人気商品となっています。『tretre』の取り組みが、地元の魅力を再発見し、自分の町を誇りに思うきっかけにもなっているようです。
今後も『摘み草ブレンドティー』を軸に、自然の心地よさを感じられるものづくりに勤しむ『tretre』。新商品の『によどヒノキウォーター』も、更にブラッシュアップしていくそうです。今後もまだまだ楽しみは広がります。
住所:〒781-1741 高知県吾川郡仁淀川町名野川27-1 MAP
電話:0889-36-0133
http://tretre-niyodo.jp/
高知県出身。高校卒業後は京都の大学に進学し、そのまま京都の老舗麺料理店へ就職。20年弱勤めた後、2014年3月に退職し、高知県吾川郡仁淀川町に移り住んだ。2015年6月には『トレトレ株式会社』を立ち上げ、『tretre』のブランド名で『摘み草ブレンドティー』の製造・販売をスタート。自生する草木やハーブを使う独自の味わいは、多方面から厚い支持を受けている。2017年8月には、『ヒノキの蒸留水』で作るルームミスト『によどヒノキウォーター』を発売。
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小林紀晴 夏の写真紀行「濃厚で濃密な季節」。
季節は巡って、夏。
短い梅雨があっという間に去ると、恐ろしいまでの猛暑がやってきた。おそらく今年の夏のことは、しばらくのあいだ語り継がれるだろう。
桜の頃と同じく、浅草から列車に乗った。あのときは進行方向に向かって右側の座席だったが今回は左側。隅田川を渡る瞬間、窓からスカイツリーが見えた。乗客はお父さんと男の子という組み合わせが多く、私の隣は男の子の二人兄弟の弟くんだった。小学一年生のようだ。お父さんとお兄ちゃんは通路を挟んだ向こう側に座っている。どこから来たのかと訊ねてみる。
「チョウフ、デス……」
消え入るような、それでも生真面目な声が返ってきた。蒸気機関車をこれから見に行くのだ、と教えてくれた。
降り立った会津田島の駅はもわんとした熱のある空気に満たされていた。それでも、東京とは明らかに質が違った。かなり暑さが和らいで感じられる。陽射しは強いが湿気は低く、時折心地よい風が吹く。
私は大桃をめざす。
春に来たときと同様に厳冬にこの地を訪れたことが頭に浮かぶ。冬の記憶に、春の記憶が、さらに夏が重なってゆく。冬はとにかくその雪深さに驚いた。埋もれるように無言で雪をかく人の姿を、いたるところで目にした。誰もがまさに黙々と雪をかいていた。土地に生きる人の気質はこんなところから形成されるに違いない。
ひまわりの花がときおり道端に揺れている。冬のあいだ、この花たちはどんなふうに雪の下にいたのだろうか。もちろん種子としてそこにあったはずだが、あの雪深さを頭に描けば、花を咲かせること自体が奇跡のように思えてくる。
小学二年生の夏。私はひまわりの研究をした。私が通っていた小学校には「一人一研究」というものがあって、いってみれば「自由研究」にあたるもので、私は夏休みのあいだ、ひまわりを観察し続けた。
日向と日陰。
それぞれの場所でひまわりを育て、成長の違いを調べるというものだ。小学二年生がみずからそんな研究を発想できるはずなどなく、母に言われてやったにすぎない。果たして母がみずから考えついたのか、それともどこかで読み聞きしてきたものなのかは知らないが、成長記録をつけた。
夏が過ぎ、枯れると花からタネを丁寧に取り出し、その数を数えた。日向と日陰で数は大きく違った。いずれにしても私はその「一人一研究」により、それなりの成果を得た。というのはクラスで一人だけ選抜され、諏訪地方全体の何かの賞をいただいたからだ。どんな賞だったのか。思い出せないが賞状をもらったのは確かだ。
ただ、子供心に小さな罪悪感があった。自分で考えついたわけではないことはもちろんだが、それ以上に育ちすぎたひまわりについて。
日向のひまわりは畑で育てた。もともと肥料がたっぷりだったのだろう、恐ろしいほどに巨大になった。高さ2メートルをはるかに超えたし、茎もたくましく太かった。それに対し日陰のひまわりは納屋の裏で育てた。もちろん肥料などまったくあげないのだから、日向、日陰という対比以上に肥料による差が生まれてしまった。「肥料あり、肥料なし」の対比の方が「日向、日陰」より高かったはずだ。そのことに私は薄々気がついていた。でも伏せたまま、あくまで日向と日陰の対比で「こんなも育ちが違う」という内容にしたのだ。
そのことを今でもひまわりを目にすると、思い出す。ひまわりと目が合った、と感じる瞬間に。
冬に訪れたときに「落雪注意」という看板をいくつも目にした。その多くは窒息寸前という感じになかば雪に埋まっていたのだが、雪のやみ間にそれらがあらわになって、誰かの忘れものように居心地悪くあちこちに佇んでいた。考えてみれば、季節の忘れものという言い方もできるかもしれない。
私はその文字を何度も「落雷注意」と誤って読み間違えた。どうしてこんなところに雷が落ちるのかな?と疑問に思った後で、雷ではなく雪だと気付くことを繰り返した。人の身体も季節に同調しているのかもしれない。雪深い地に立ち、雪を雷とは間違えるはずなどないのだから。
大桃の舞台は濃い緑に囲まれていた。
季節の一片としてある。そんな言葉が浮かんだ。植物や花、川だけでなく、すべてのものが同じ速度で新たな季節を迎える。同じ場所にあって、少し先に進んでいたり、遅れたりということはない。すべてのものは、すべて同じ速度で同じ時を刻んでいる。逆にいえば、例外は許されない。
そんなふうに感じたのはやはり、ここを冬に訪ねた記憶が深く関係しているはずだ。あの日、この大桃の舞台は完全に雪にとざされていた。除雪された細い道をなんとか進んだのだが、あるところからはまったく進めなくなった。舞台のあたりは当然ながら除雪されておらず、それ以前に、集落内を除雪した雪が舞台の手前に、あたかも壁のように積まれ、立ちはだかっていた。私は雪の塊の端に登り、舞台を望んだ。かすかに屋根が見えた。そこから下は完全に雪に埋まっていた。
いまはセミの鳴き声に包まれている。「大桃夢舞台」が行われる前日だ。見上げた大桃の舞台は茅葺屋根に草が茂っていて、その上は小さな庭のようだ。あるいは草原を連想させた。
ひとりの男性に会った。地区の区長であり、翌日開催される「大桃夢舞台」の実行委員長をされている星さん。この地で生まれ育った方だ。
舞台の前で幼い頃の話を伺った。印象的だったのは、かつてはこの地区の小学生は11キロ余りも離れた小学校まで通っていというのだが、冬はカンジキを履いた大人が必ず付き添っていたという。ただ1年生から3年生まで、冬のあいだは地区に開校される季節分校に通ったという。
「では4年生から6年生は?」
「冬のあいだも歩いて通い続けていました」
時に命の危険を感じながら、通った記憶があるという。ちなみに現在は季節分校は存在せず、一年を通してバスで通学しているようだ。
「冬は本当に命懸け。だからここの子供の気持ちはすごい。どこにも負けません」
対して、夏。
「夏休みは早朝のラジオ体操をして終わると川で泳ぎ、泳ぎ疲れるとそのままこの舞台に来て柱をよじ登りました。屋根裏までみんなで登って、あの格子のあいだから遠くを眺めていました。柱を一人で登れなければ一人前ではなかった」
そう言って星さんは目を細めた。思い出にも冬と夏のコントラストがあった。
翌日はハレ。
客席の向こうの舞台は昨日とは明らに違って映った。多くのお客さんに見つめられて舞台そのものが緊張し、目を見開いている。そんな印象を覚えた。この日のために向かって左側に花道が作られている。ここは標高800メートルほどある。だから陽射しは強いが湿気は低い。風が吹くと心地よく、汗が自然とひいていく。
最初の演目は青柳八木節笠踊り。八木節とは群馬、栃木を中心にした民謡だ。南会津は、尾瀬(群馬)を通してそれら地方との繋がりが古くから強い。そのこととおそらく関係があるはずだ。
青柳というのは大桃に隣接する地区で芸能の集落として知られている。この踊りは明治時代から途切れ途切れに続いてきた歴史をもつ。戦時中には出征する者のために踊られた。そのことを知ったうえで舞台を眺めていると、出征する若者たちの姿を考えずにはいられない。セピア色に染まった古い写真の中からこちらを見ている誰か。
十年ほど前に、古いアルバムのなかに祖父の出征の写真を見つけた。記憶にあるはずもない、それでも私に関係のある人たちに囲まれた若い頃の祖父。私が生まれる前に壊された実家の前に集まった一族。家族と親戚に囲まれた軍服姿の祖父が中心にいる。私の父がその脇にいる。父はおそらく2、3歳だろう。
私はこの写真を、みずからの『kemonomichi』と名付けた写真集のなかに収めた。拝借したといってもいい。撮影者は不明。庶民が手軽にカメラを持てる時代ではなかったはずだから、地元の写真館の方だろうか。
その写真集を観た私の母の姉である90歳近い伯母が、漏らした言葉がある。
「みんな切なえ顔をしてるじゃあ」
意外だった。
私にはどの顔ももちろん嬉しそうには見えないが、だからといって悲しそうには映らなかったからだ。伯母は戦時中、10代半ばだったはずで、その頃の記憶は自覚的なはずだ。当時のことをよく知っている人には、そんなふうに見えるのか。新たな発見だった。
22歳の青年に舞台の裏で会った。久川城太鼓を演奏する、男ばかり三人兄弟の一番下。現在、この太鼓は彼の父と兄二人、さらにもう一人の方しか演奏する者がいない。年を追うごとに次第に減って来ているという。
「保育所に通っている頃からやっていました」
思春期の頃に辞めたいとい思ったことはないのですか。
「そういうものはありませんでした。逆に自分だけやっているという特別感があったし、親父、兄貴たちもやっているので、あまり抵抗はなかった」
後継者となる若い人がなかなか見つからないという。
「これからも、自分はやり続けたい」
力強い言葉。
私は来た道を戻る。まだ通ったことがない道へ分け入ってみる。すると、不意に花を咲かせた蕎麦畑が目の前に広がった。
(supported by 東武鉄道)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。
小林紀晴 夏の写真紀行「濃厚で濃密な季節」。
季節は巡って、夏。
短い梅雨があっという間に去ると、恐ろしいまでの猛暑がやってきた。おそらく今年の夏のことは、しばらくのあいだ語り継がれるだろう。
桜の頃と同じく、浅草から列車に乗った。あのときは進行方向に向かって右側の座席だったが今回は左側。隅田川を渡る瞬間、窓からスカイツリーが見えた。乗客はお父さんと男の子という組み合わせが多く、私の隣は男の子の二人兄弟の弟くんだった。小学一年生のようだ。お父さんとお兄ちゃんは通路を挟んだ向こう側に座っている。どこから来たのかと訊ねてみる。
「チョウフ、デス……」
消え入るような、それでも生真面目な声が返ってきた。蒸気機関車をこれから見に行くのだ、と教えてくれた。
降り立った会津田島の駅はもわんとした熱のある空気に満たされていた。それでも、東京とは明らかに質が違った。かなり暑さが和らいで感じられる。陽射しは強いが湿気は低く、時折心地よい風が吹く。
私は大桃をめざす。
春に来たときと同様に厳冬にこの地を訪れたことが頭に浮かぶ。冬の記憶に、春の記憶が、さらに夏が重なってゆく。冬はとにかくその雪深さに驚いた。埋もれるように無言で雪をかく人の姿を、いたるところで目にした。誰もがまさに黙々と雪をかいていた。土地に生きる人の気質はこんなところから形成されるに違いない。
ひまわりの花がときおり道端に揺れている。冬のあいだ、この花たちはどんなふうに雪の下にいたのだろうか。もちろん種子としてそこにあったはずだが、あの雪深さを頭に描けば、花を咲かせること自体が奇跡のように思えてくる。
小学二年生の夏。私はひまわりの研究をした。私が通っていた小学校には「一人一研究」というものがあって、いってみれば「自由研究」にあたるもので、私は夏休みのあいだ、ひまわりを観察し続けた。
日向と日陰。
それぞれの場所でひまわりを育て、成長の違いを調べるというものだ。小学二年生がみずからそんな研究を発想できるはずなどなく、母に言われてやったにすぎない。果たして母がみずから考えついたのか、それともどこかで読み聞きしてきたものなのかは知らないが、成長記録をつけた。
夏が過ぎ、枯れると花からタネを丁寧に取り出し、その数を数えた。日向と日陰で数は大きく違った。いずれにしても私はその「一人一研究」により、それなりの成果を得た。というのはクラスで一人だけ選抜され、諏訪地方全体の何かの賞をいただいたからだ。どんな賞だったのか。思い出せないが賞状をもらったのは確かだ。
ただ、子供心に小さな罪悪感があった。自分で考えついたわけではないことはもちろんだが、それ以上に育ちすぎたひまわりについて。
日向のひまわりは畑で育てた。もともと肥料がたっぷりだったのだろう、恐ろしいほどに巨大になった。高さ2メートルをはるかに超えたし、茎もたくましく太かった。それに対し日陰のひまわりは納屋の裏で育てた。もちろん肥料などまったくあげないのだから、日向、日陰という対比以上に肥料による差が生まれてしまった。「肥料あり、肥料なし」の対比の方が「日向、日陰」より高かったはずだ。そのことに私は薄々気がついていた。でも伏せたまま、あくまで日向と日陰の対比で「こんなも育ちが違う」という内容にしたのだ。
そのことを今でもひまわりを目にすると、思い出す。ひまわりと目が合った、と感じる瞬間に。
冬に訪れたときに「落雪注意」という看板をいくつも目にした。その多くは窒息寸前という感じになかば雪に埋まっていたのだが、雪のやみ間にそれらがあらわになって、誰かの忘れものように居心地悪くあちこちに佇んでいた。考えてみれば、季節の忘れものという言い方もできるかもしれない。
私はその文字を何度も「落雷注意」と誤って読み間違えた。どうしてこんなところに雷が落ちるのかな?と疑問に思った後で、雷ではなく雪だと気付くことを繰り返した。人の身体も季節に同調しているのかもしれない。雪深い地に立ち、雪を雷とは間違えるはずなどないのだから。
大桃の舞台は濃い緑に囲まれていた。
季節の一片としてある。そんな言葉が浮かんだ。植物や花、川だけでなく、すべてのものが同じ速度で新たな季節を迎える。同じ場所にあって、少し先に進んでいたり、遅れたりということはない。すべてのものは、すべて同じ速度で同じ時を刻んでいる。逆にいえば、例外は許されない。
そんなふうに感じたのはやはり、ここを冬に訪ねた記憶が深く関係しているはずだ。あの日、この大桃の舞台は完全に雪にとざされていた。除雪された細い道をなんとか進んだのだが、あるところからはまったく進めなくなった。舞台のあたりは当然ながら除雪されておらず、それ以前に、集落内を除雪した雪が舞台の手前に、あたかも壁のように積まれ、立ちはだかっていた。私は雪の塊の端に登り、舞台を望んだ。かすかに屋根が見えた。そこから下は完全に雪に埋まっていた。
いまはセミの鳴き声に包まれている。「大桃夢舞台」が行われる前日だ。見上げた大桃の舞台は茅葺屋根に草が茂っていて、その上は小さな庭のようだ。あるいは草原を連想させた。
ひとりの男性に会った。地区の区長であり、翌日開催される「大桃夢舞台」の実行委員長をされている星さん。この地で生まれ育った方だ。
舞台の前で幼い頃の話を伺った。印象的だったのは、かつてはこの地区の小学生は11キロ余りも離れた小学校まで通っていというのだが、冬はカンジキを履いた大人が必ず付き添っていたという。ただ1年生から3年生まで、冬のあいだは地区に開校される季節分校に通ったという。
「では4年生から6年生は?」
「冬のあいだも歩いて通い続けていました」
時に命の危険を感じながら、通った記憶があるという。ちなみに現在は季節分校は存在せず、一年を通してバスで通学しているようだ。
「冬は本当に命懸け。だからここの子供の気持ちはすごい。どこにも負けません」
対して、夏。
「夏休みは早朝のラジオ体操をして終わると川で泳ぎ、泳ぎ疲れるとそのままこの舞台に来て柱をよじ登りました。屋根裏までみんなで登って、あの格子のあいだから遠くを眺めていました。柱を一人で登れなければ一人前ではなかった」
そう言って星さんは目を細めた。思い出にも冬と夏のコントラストがあった。
翌日はハレ。
客席の向こうの舞台は昨日とは明らに違って映った。多くのお客さんに見つめられて舞台そのものが緊張し、目を見開いている。そんな印象を覚えた。この日のために向かって左側に花道が作られている。ここは標高800メートルほどある。だから陽射しは強いが湿気は低い。風が吹くと心地よく、汗が自然とひいていく。
最初の演目は青柳八木節笠踊り。八木節とは群馬、栃木を中心にした民謡だ。南会津は、尾瀬(群馬)を通してそれら地方との繋がりが古くから強い。そのこととおそらく関係があるはずだ。
青柳というのは大桃に隣接する地区で芸能の集落として知られている。この踊りは明治時代から途切れ途切れに続いてきた歴史をもつ。戦時中には出征する者のために踊られた。そのことを知ったうえで舞台を眺めていると、出征する若者たちの姿を考えずにはいられない。セピア色に染まった古い写真の中からこちらを見ている誰か。
十年ほど前に、古いアルバムのなかに祖父の出征の写真を見つけた。記憶にあるはずもない、それでも私に関係のある人たちに囲まれた若い頃の祖父。私が生まれる前に壊された実家の前に集まった一族。家族と親戚に囲まれた軍服姿の祖父が中心にいる。私の父がその脇にいる。父はおそらく2、3歳だろう。
私はこの写真を、みずからの『kemonomichi』と名付けた写真集のなかに収めた。拝借したといってもいい。撮影者は不明。庶民が手軽にカメラを持てる時代ではなかったはずだから、地元の写真館の方だろうか。
その写真集を観た私の母の姉である90歳近い伯母が、漏らした言葉がある。
「みんな切なえ顔をしてるじゃあ」
意外だった。
私にはどの顔ももちろん嬉しそうには見えないが、だからといって悲しそうには映らなかったからだ。伯母は戦時中、10代半ばだったはずで、その頃の記憶は自覚的なはずだ。当時のことをよく知っている人には、そんなふうに見えるのか。新たな発見だった。
22歳の青年に舞台の裏で会った。久川城太鼓を演奏する、男ばかり三人兄弟の一番下。現在、この太鼓は彼の父と兄二人、さらにもう一人の方しか演奏する者がいない。年を追うごとに次第に減って来ているという。
「保育所に通っている頃からやっていました」
思春期の頃に辞めたいとい思ったことはないのですか。
「そういうものはありませんでした。逆に自分だけやっているという特別感があったし、親父、兄貴たちもやっているので、あまり抵抗はなかった」
後継者となる若い人がなかなか見つからないという。
「これからも、自分はやり続けたい」
力強い言葉。
私は来た道を戻る。まだ通ったことがない道へ分け入ってみる。すると、不意に花を咲かせた蕎麦畑が目の前に広がった。
(supported by 東武鉄道)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。
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手紙を書くことから始まる旅。「何もない宿」が教えてくれる心の豊かさ。[苫屋/岩手県九重郡]
苫屋OVERVIEW
何年振りでしょうか? こうして手紙を書くこと自体、最後がいつだったかさえ正確には思い出せません。
岩手県野田村にある辺境の宿『苫屋』。この宿を取材するにあたり、編集部が初めにしたことはペンを取ることでした。何せ『苫屋』には電話線が引かれていません。宿の人は携帯電話も持っていません。ましてやPCなど持っているはずがありません。
宿泊の予約はもちろん、取材を申し込むにはこうして手紙を書くしか手立てがないのです。
便箋に企画内容をびっしりと書き、返信用封筒と切手を入れ、大切に封をして投函。5日ほどして、待ちに待った返信が届きました。
企画書つきお手紙ありがとうございます。
URLのご案内もありがとうございます。
『苫屋』には電話がないので、インターネットで検索はできないのですが、お気持ちだけ頂きます。
私たちはスマートフォンも携帯電話も持っていません。
この状況で記事になりますか?
編集部のスタッフさんが「大丈夫です」と言われるのでしたら●月●日(金)、●日(火)のどちらかでお待ちしたいのですが如何でしょう?
(原文ママ)
取材班は『苫屋』へ向かうことにしました。
何ひとつラグジュアリーなものはありません。しかし、このデジタル社会において、26年前のオープンから変わらないスタイルで営む宿。オーナーである坂本 充氏、久美子氏夫妻がここで宿を営み続ける理由はどこにあるのでしょう。
野田村にある南部曲り家の茅葺き屋根の宿。手紙を出してまで宿泊する意味とは? 常連客が毎年のようにここを訪れるその魅力とは?
『ONESTORY』取材班が、そのありのままの姿をレポートします。
住所: 岩手県九戸郡野田村大字野田第5地割22 MAP
電話: なし
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集落の象徴を守ろうという人々の情熱が磨き上げた、神々しい舞台の輝き。[大桃の舞台/福島県南会津町]
大桃の舞台国の重要有形民俗文化財にも指定されている、農村舞台建築の美しい頂点。
大桃の舞台とは南会津町の深奥部、檜枝岐村との町村境に接する大桃地区に残る、農村歌舞伎の上演のための舞台です。南会津一帯が御蔵入地(天領)であった藩政期に起源を持ち、1895年(明治28年)に再建されたこの舞台を、人々は集落の象徴として守り続けてきました。その貴重さが認められて、現在では檜枝岐の舞台と並んで国の重要有形民俗文化財に登録されています。切妻造りの舞台建屋は正面の破風の前に庇がつけられ、そこから左右に連なる軒端の造形の力強い表情から「兜造り」とも呼ばれます。さらに舞台中央には二重二層機構が取り入れられてより立体的で奥行きを感じさせるよう工夫されているなど、農村舞台の一つの到達点を示すその建築の完成度は、緑の草に覆われた茅葺屋根の詩的なまでの美しさと相まって、訪れた人の胸に強い印象を残すはずです。
住所:福島県南会津郡南会津町大桃字居平164 MAP
(supported by 東武鉄道)
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行楽シーズン到来
皆様いかがお過ごしでしょうか??
この一週間ほどでグッと気温が下がってきた気がします
というよりこの夏が暑すぎだぁ
やっとこさ快適に過ごしやすくなって来たな~と思っております
さてさて、皆様は秋と言えば何を思い浮かべますか??
食欲の秋・読書の秋・運動の秋ファッションの秋など色々ありますね
秋は旬になる食べ物が多く、動きやすい季節ですので個人的には秋が大好きです
夏は外に出るのも億劫だけど秋に少し遠出してみようかな~と考える方も多いのでは無いでしょうか??
そんな方々にお勧めの商品がこちら
行楽シーズンにオススメのお帽子でございます
ちょっと遠出するときにも使えますし、その他にも
夏は日傘を使用していたけど日差しも弱くなってきたので~
と言う方や
ファッションの秋だからオシャレに決めたいぜ
と言う方にもオススメの商品でございます
少し肌寒いときにはストールもご用意しております
お帽子もストールも今後は新商品を入荷予定でございますので
行楽シーズンのお供にいかがでしょうか??
最初の方にも書きましたけどいきなりグッと冷え込んだり昼夜の寒暖差もかなり激しくなってきておりますので
皆様体調管理だけはお気を付け下さい
PS:広島の新井選手の引退は凄く残念です。
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登山をしなければたどり着けない、九州最高所に湧く秘湯。[法華院温泉山荘/大分県竹田市]
法華院温泉山荘雄大な山々に囲まれた山小屋の温泉。
大分県玖珠郡九重町から竹田市の北部にまたがるくじゅう連山。「九州の屋根」とも呼ばれる山中に、九州一標高が高い所に湧く天然温泉があります。「法華院温泉山荘」は、久住山、大船山、平治岳、三俣山などの山々に囲まれた湿原「坊ガツル」に佇む山小屋。もちろん車で行くことはできず、たどり着くには歩くしか方法はありません。九州最高所の温泉から望む景色を楽しみにして、九重町の長者原・登山口をスタート。
法華院温泉山荘花や木、美しい山々を愛でながらトレッキング。
「法華院温泉山荘」までは、登山初心者にオススメの雨ヶ池越のコースで向かいます。歩き始めるとすぐ眼前に広がるのが「タデ原湿原」。「坊ガツル」とともにラムサール条約に登録された湿原は、木道が整備されており散策に最適です。初秋の風に気持ちよく揺れるヒゴタイを写真に収めながら、三俣山の山中へと入りました。木々が生い茂る登山道では山鳥の鳴き声が響き、柔らかな木漏れ日がルートを照らしてくれます。森林浴を楽しみつつ、時折岩場や石がゴロゴロと堆積した道も通り、息が上がりながら歩くこと90分。ノハナショウブやヤマラッキョウの群生地としても知られる、「雨ヶ池」に到着しました。雨が降ると池ができる湿地帯は視界が開かれ爽快感抜群。季節の花々を眺めながらのんびりと歩き、いよいよ目的地の「坊ガツル」へと向かいます。
法華院温泉山荘鎌倉時代から続くお寺が山小屋へ。
雄大な山々に囲まれた標高1230mの盆地にある「坊ガツル湿原」。中央には筑後川の水源でもある鳴子川が流れる数少ない高層湿原です。山の緑と空の青、美しいコントラストに感動しながらトレッキングを続けると、山の麓にロッジが見えてきました。川のせせらぎが聞こえる「法華院温泉山荘」は標高1250mにある山小屋。元は鎌倉時代を開基とする「九重山法華院白水寺」と呼ばれる修験道場を建立したことが始まりで、明治時代に入り信仰の山から登山の山へと変化する中で山小屋の運営を始めたのです。そんな歴史ある地に、登山客の疲れた体を癒す天然温泉が待っていました。
法華院温泉山荘最高のロケーションとともに入る爽快風呂。
登山口から2時間半をかけてたどり着いたのは、眼前に大船山、平治岳、立中山を望むことができる、源泉掛け流しの硫酸塩泉。乳白色のにごり湯だった温泉は約20年前の硫黄山の噴火によって泉質が変わってしまったそうで、現在は澄みきった透明の湯が溢れています。ふわりと湯の花が舞う温泉は適温に設定され、柔らかでさらりとした肌触り。汗をかいた体にはさっぱり感がちょうどよく、時折窓から山々を通り抜ける風と相まって気分は爽快。筋肉痛や関節痛、運動麻痺、疲労回復などに効果があると言われるだけあって、約5kmの登山を終えて疲れた体もすっかりリフレッシュできました。
1年を通じて山小屋を運営する支配人によると、大きな窓から望む景色は四季折々の表情を見せ、5月〜6月に見ることができるミヤマキリシマの時期や、辺り一面を真っ白に包む冬山の時期もまた趣があるのだと言います。春夏秋冬を通じて、訪れたものを楽しませてくれる温泉。簡単にはたどり着かないからこそ、入浴したときの感動と達成感は格別です。ここから先、山頂を目指すもよし、来た時とは違うルートで下山するもよし。まずは温泉を目掛けて山登りを楽しんでみませんか。
住所:〒878-0202 大分県竹田市久住町大字有氏1783 MAP
電話:0974-77-2810
http://www.hokkein.co.jp
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「泊まれる商店街」が、地域を救うかもしれない。 [商店街HOTEL 講/滋賀県大津市]
商店街HOTEL 講日本の古き良き「助け合い精神」を現代に。
かつての日本には、「講」という相互扶助組織がありました。誰かが困った時にみんなで手を差し伸べる制度で、参詣による「伊勢講」「熊野講」や、経済的に地域で支え合う「頼母子講」などが代表的です。戦後になって「講」は解体されましたが、最近滋賀県で、その日本人の支え合う精神のもと復活された「講」があります。それが、『商店街HOTEL 講 大津百町』です。
商店街HOTEL 講工務店と雑誌がタッグを組んだホテル。
大津はかつて「大津百町」と呼ばれ、東海道五十三次最大の宿場町として賑わった街です。しかし現在ではその面影もなく、駅に近いこのアーケード商店街も空き家が目立つように。築100年を超える町家の維持もできず、多くが取り壊しの危機にありました。その現状を何とかしようと動いたのが、滋賀県竜王町で谷口工務店を営む谷口弘和氏。雑誌「自遊人」を発行し新潟県南魚沼市で体感型宿泊施設「里山十帖」を運営する『株式会社自遊人』に相談を持ちかけ、メディア型ホテルにするというプロジェクトが生まれました。
商店街HOTEL 講観光地ではない普通の街に、観光客を呼び込む。
このプロジェクトが他のデベロッパーや大資本が行うホテル建設と異なるのは、「作る」という使命を根幹に持つ民間企業2社が始めたタウンマネジメントプロジェクトであるということ。地域に密着し「社内大工の技術力」に誇りを持つ谷口工務店と、メディアディレクターでありオペレーターとしても実績がある自遊人のタッグは、「ホテルという媒体を通じて商店街を観光資源化することにより、生活圏外の人々の消費を取り込む」という互いの強みを生かした新たな社会実験でもありました。そうして彼らが蘇らせたのは7軒の町家。デザイン面はもちろん、実用性と快適性を重視して、今後さらに100年使用できる“現代の町家”として誕生したホテルは、『講 大津百町』と名付けられました。「伊勢に詣でたように大津に来て欲しい」「古き良き日本を感じて欲しい」「旅する人々に街の活性化を担って欲しい」という想いからです。
商店街HOTEL 講町家にヤコブセン。居心地にはとことんこだわった。
『講 大津百町』は、「近江屋」「茶屋」「鍵屋」「丸屋」「萬屋」「鈴屋」「糀屋」の7棟で構成。ゲストハウスなどとは異なり、全室にバス・トイレを完備し、防音・断熱も最大限の工事を実施。できる限り元の梁や柱を生かしたり、土間の吹き抜けや中庭もそのままにしたりと、古来の町家の快適性や風情を損なわないよう工夫を凝らしています。家具はアルネ・ヤコブセンやフィン・ユールといった北欧デザインにこだわり、和モダンな空間に仕上げました。
商店街HOTEL 講一人旅からファミリーまであらゆるニーズに。
7棟すべて間取りやデザイン、家具も異なるのも魅力の一つです。例えば「近江屋」は、フロントとレストラン、宿泊者専用ラウンジ、客室3部屋を擁する大型の町家。部屋は定員2名のスーペリアツインで、一人旅やビジネスユースにも最適です。
「茶屋」も大きな町家で、デラックスツインやスーペリアツインなど5室を備えます。その一室は、風情溢れる庭に面した部屋。ここで茶会を開くこともできる風趣豊かな和室です。アルネ・ヤコブセンの「エッグチェア」や「スワンチェア」でくつろげるという点もポイントです。
「鍵屋」は、明治時代築の小ぢんまりした2階建ての長屋。一棟貸し切りタイプで、バスルームは檜の浴槽を設えた贅沢な造りです。「丸屋」「萬屋」「鈴屋」「糀屋」も一棟貸しスタイル。いずれもミニキッチンやダイニングキッチンを備えているため、自分たちで食材を購入して調理を楽しむことができます。
商店街HOTEL 講これからの観光は、より地域に根ざしていく。
ホテルは「丸屋町」「菱屋町」「長等」というアーケード商店街にあり、大津の中心部として庶民的な活気に包まれています。近くには本モロコやイサザをはじめ琵琶湖の淡水魚が何でも揃う鮮魚店や、宮内庁御用達だった漬物店、コロッケが40円という精肉店など地元密着の商店がたくさんあり、近所の人が集まる居酒屋やモーニングが人気の喫茶店など飲食店も充実しています。
「街に泊まって、食べて、飲んで、買って」をコンセプトにする新しい形のホテル。商店街の活性化や古民家再生といった街へのベネフィットだけでなく、旅行者もその土地の素顔にふれられ、ほかにはない体験を得ることができる―。この新たな価値を創造する宿泊のスタイルが、これからの旅のスタンダードになるかもしれません。
住所:滋賀県大津市中央1-2-6 MAP
アクセス:フロントのある「近江屋」へはJR大津駅から徒歩7分
電話:077-516-7475
料金:1泊素泊まり9,900円~(税別・サービス料込)
写真提供:商店街HOTEL 講 大津百町
http://hotel-koo.com/
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奇跡のような真夏の7日間、儚く消えたポップアップレストラン『tetxubarri』&シェフ・前田哲郎とは?[tetxubarri]
テチュバリ世界屈指の名店で働く日本人シェフが、この夏、謎のイベントを開催。
突然ですが皆様、『Asador Etxebarri(アサドール・エチェバリ)』という名のレストランをご存知でしょうか? その店はスペインバスク州の小さな小さな集落にある山奥の一軒家レストランなのですが、訪れるだけでも一苦労のこの場所に、この店を訪れるためにだけにバスクを目指す美食家が後をたたないと言われています。ちなみに2018年度の『世界ベストレストラン50』では10位にランクイン、数カ月先まで予約の埋まる、名実ともに世界屈指の名店でもあるのです。
そして現在、その『Etxebarri』でオーナーシェフ、ビクトル・アルギンソニスの右腕として活躍するのが今回の主役、前田哲郎氏。
2013年から同店で働き始め、今では店の2番手として焼き場を仕切る前田氏。ほぼすべての料理を、薪を熱源とする同店で、焼きを任されるこのポジションがいかにシェフの信頼を得ているかは推して知るべし。長く同地に暮らし、水と緑、景色に空気と隅々まで土地の環境を理解したことでビクトル氏の考えを体現できる、稀有な存在こそが前田氏というわけです。
さらに近年、前田氏が知人や友人をもてなす際にイベント名的に使用していたのがEtxebarriと自らの名前をもじった『tetxubarri(テチュバリ)』。自宅などに旧知の友を招き、『Etxebarri』では出せない希少食材や珍しい料理を振る舞ってくれるというイベントの噂は、食通の間で話題になるほど。そして今回、金沢から車で1時間の山奥に開かれた期間限定レストランの名も同じく『tetxubarri』だったのです。
そう、勘のいい読者であればすでにお気づきかもしれませんが、前田氏は今夏凱旋帰国。それに伴い金沢の山奥に突如姿を現し、儚く消えたポップアップレストランこそが『tetxubarri』! 世界中から称賛を集める『Etxebarri』のエスプリを感じさせ、さらに金沢という自らの故郷で『tetxubarri』を行った前田氏に、ONESTORYはイベント前とイベント中、二度に亘りインタビューをさせていただきました。
そして奇跡のような7日間を体験。世界で活躍するシェフ・前田哲郎は生まれ育ったこの地に何を思うか? じっくり話を伺いました。
日本ではなく、あえての金沢。そこには氏が料理を作る上でもっとも大切にする根源が静かに流れていたのです。
テチュバリ同郷というキーワードがイベント実現の原動力に。
まずは、tetxubarriの意味・内容について伺うと、シェフ・前田氏の心の内はすぐに見えてきました。
「個人的に料理をするのがtetxubarri。今までも舞台はさまざま、依頼や要望があった際、やりたいと心が動いた時に不定期で行ってきました」
バスク語で“エチェ”は家、“バリ”が新しいの意味を持ち、そこに自らの名前・哲郎の頭文字Tを付けたイベント名は、“新しい自分”という意味を持たせたそう。
「ビクトルシェフにもレストランを出すならtetxubarriにしたいと言ったら勝手にやれと言われた。だから、それからは自分の料理を振る舞うイベント名になっているんです」
そう屈託なく笑う前田氏ですが、今回のイベント前までは実はtetxubarriの開催自体を渋っていたと言います。
「『Etxebarri』というレストランがそうであるように、土地への理解がないと成立しないのが僕の料理。何度かやってみてわかったのですが、正直バスク以外でtetxubarriをやる意味が見えなくなっていました」
たぶんこの人はとても純粋な人なのでしょう。料理を作るにはまずは深い部分での土地への理解が必須であり、それはその地に長く暮らさないと見えてこない。その地で育つ野菜を知り、家畜を育て、土地の水を使い、自分の視野の中だけで完結する料理の世界。ビクトルシェフの教えはもちろんですが、だからバスク以外で料理を振る舞うこと自体に体も心も拒否反応を起こし始めていたのです。
「いろいろと考えている時に、後押ししてくれたのが稲本さん。バスク以外でできるとしたらスペインに来るまで暮らしていた金沢だけなんですよね」
前田氏が名前を挙げた“稲本さん”とは外食産業の風雲児と言われ数々の話題店を世に送り出してきた稲本健一氏。株式会社ゼットンの創業者であり、現在、株式会社DDホールディングス取締役兼海外統括CCOとして世界を駆け巡る氏が、前田氏の背中を後押しし、今回のtetxubarri開催のプロデュースを担っていたのです。
「僕は夏の1ヶ月間、身体を空けただけ。日本に来るまでの間に、山奥の小屋探しに始まり、サービスを担当してくれた『TIRPSE』大橋直誉さんのアサイン、小屋の修繕、地元スタッフの声がけまでいろいろと手を回してくれていました」
実は前田氏と稲本氏は隣の中学出身という同郷同士。世界で戦うふたりであり、同じ金沢の水で育ったふたりだからこそ、土地を理解するという意味と、金沢でのtetxubarri開催が自然と結びつき、幻のようなイベントは実現へと大きく舵を切ることになったのです。
テチュバリ魂が呼び起こされるような薪料理とは?
「日本でtetxubarriが味わえる!」
大それた宣伝はしなくとも、その噂はSNSを媒介にまたたく間に広がり、7日間のイベントは告知後、すぐに満員に。それほどまでに期待を集める前田氏の料理とは一体どんなものなのか?
ひとことで言えばプリミティブ(原始的)。薪を使い、肉を焼き、魚を焼く。イベント期間で提供された料理は、ジビエあり、能登の魚あり、能登牛あり、日の仕入れによって日々姿を変えていきました。
「地元で育った楢の木を使うから意味があるのだと思います。遠くアラブからタンカーで運ばれたガスを使っても意味がない。それが僕の料理なんです」
真夏の炎天下、炎と煙に包まれながら焼かれた鹿は赤々と土地の滋味を称え、優しく火入れしたのどぐろはどこまでも儚く消えたその後、しっかりと余韻を楽しませる。その都度、鼻孔をくすぐるような山の香りこそ、薪を使う意味なのでしょう。
「人類がはじめて食べ物に火入れした調理がたぶん薪。だからかな、哲郎の料理は人として魂を揺さぶられる気がする」とは稲本氏。
「やらなくてもいいことは、やっちゃいけないこと。それはシェフにさんざん言われてきました。やらなきゃいけないことに気づいていないだけだ、とも」とは前田氏。
廃墟のような山小屋を7日間のためだけに改修し、ミシュラン史上最速で1つ星に輝いた『TIRPSE』オーナーの大橋氏がサービスを務めた7日間。金沢は元より全国各地から前田氏を手伝いに集結したシェフも多数。地元の農家や漁師、生産者たちもこぞって協力を惜しまなかったといいます。いつしかメニュー表の裏に記しはじめた協力者の名前はびっしりと裏面を埋め尽くすことに。その想いの籠もったメニュー表すらも、ジャズのセッションのように日々変わる前田氏の料理の前では意味をなさなかったといいます。だからメニュー表は使わない。それこそが、やらなくてもいいことは、やっちゃいけないことなのでしょう。この幻のメニューこそが前田氏の料理そのもの。土地への理解から生まれる料理とは、日々土地を感じて変化するもの。すべての関わる人の想いを詰めこんだ料理でありつつも、食べ手は本能の赴くままに味わえる料理なのです。
「知らなかった金沢がたくさんありました。感謝したいです」
そう笑う前田氏の今後……、それもまた本能の赴くままに。
1984年生まれ、石川県金沢市出身。地元にある父が経営するおばんざいバーを数年間手伝う。その後、金沢のとある店で、バスクの一ツ星『アラメダ』のシェフと出会ったことをきっかけに、料理の修業未経験のまま食の都・バスクへ渡ることを決意。『アラメダ』で研鑽を積むと、『エチェバリ』で食べた料理の味に惚れ込み、修業を直談判。現在はオーナーシェフ、ビクトル・アルギンソニス氏の右腕を務める。