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奇跡のような真夏の7日間、儚く消えたポップアップレストラン『tetxubarri』&シェフ・前田哲郎とは?[tetxubarri]
テチュバリ世界屈指の名店で働く日本人シェフが、この夏、謎のイベントを開催。
突然ですが皆様、『Asador Etxebarri(アサドール・エチェバリ)』という名のレストランをご存知でしょうか? その店はスペインバスク州の小さな小さな集落にある山奥の一軒家レストランなのですが、訪れるだけでも一苦労のこの場所に、この店を訪れるためにだけにバスクを目指す美食家が後をたたないと言われています。ちなみに2018年度の『世界ベストレストラン50』では10位にランクイン、数カ月先まで予約の埋まる、名実ともに世界屈指の名店でもあるのです。
そして現在、その『Etxebarri』でオーナーシェフ、ビクトル・アルギンソニスの右腕として活躍するのが今回の主役、前田哲郎氏。
2013年から同店で働き始め、今では店の2番手として焼き場を仕切る前田氏。ほぼすべての料理を、薪を熱源とする同店で、焼きを任されるこのポジションがいかにシェフの信頼を得ているかは推して知るべし。長く同地に暮らし、水と緑、景色に空気と隅々まで土地の環境を理解したことでビクトル氏の考えを体現できる、稀有な存在こそが前田氏というわけです。
さらに近年、前田氏が知人や友人をもてなす際にイベント名的に使用していたのがEtxebarriと自らの名前をもじった『tetxubarri(テチュバリ)』。自宅などに旧知の友を招き、『Etxebarri』では出せない希少食材や珍しい料理を振る舞ってくれるというイベントの噂は、食通の間で話題になるほど。そして今回、金沢から車で1時間の山奥に開かれた期間限定レストランの名も同じく『tetxubarri』だったのです。
そう、勘のいい読者であればすでにお気づきかもしれませんが、前田氏は今夏凱旋帰国。それに伴い金沢の山奥に突如姿を現し、儚く消えたポップアップレストランこそが『tetxubarri』! 世界中から称賛を集める『Etxebarri』のエスプリを感じさせ、さらに金沢という自らの故郷で『tetxubarri』を行った前田氏に、ONESTORYはイベント前とイベント中、二度に亘りインタビューをさせていただきました。
そして奇跡のような7日間を体験。世界で活躍するシェフ・前田哲郎は生まれ育ったこの地に何を思うか? じっくり話を伺いました。
日本ではなく、あえての金沢。そこには氏が料理を作る上でもっとも大切にする根源が静かに流れていたのです。
テチュバリ同郷というキーワードがイベント実現の原動力に。
まずは、tetxubarriの意味・内容について伺うと、シェフ・前田氏の心の内はすぐに見えてきました。
「個人的に料理をするのがtetxubarri。今までも舞台はさまざま、依頼や要望があった際、やりたいと心が動いた時に不定期で行ってきました」
バスク語で“エチェ”は家、“バリ”が新しいの意味を持ち、そこに自らの名前・哲郎の頭文字Tを付けたイベント名は、“新しい自分”という意味を持たせたそう。
「ビクトルシェフにもレストランを出すならtetxubarriにしたいと言ったら勝手にやれと言われた。だから、それからは自分の料理を振る舞うイベント名になっているんです」
そう屈託なく笑う前田氏ですが、今回のイベント前までは実はtetxubarriの開催自体を渋っていたと言います。
「『Etxebarri』というレストランがそうであるように、土地への理解がないと成立しないのが僕の料理。何度かやってみてわかったのですが、正直バスク以外でtetxubarriをやる意味が見えなくなっていました」
たぶんこの人はとても純粋な人なのでしょう。料理を作るにはまずは深い部分での土地への理解が必須であり、それはその地に長く暮らさないと見えてこない。その地で育つ野菜を知り、家畜を育て、土地の水を使い、自分の視野の中だけで完結する料理の世界。ビクトルシェフの教えはもちろんですが、だからバスク以外で料理を振る舞うこと自体に体も心も拒否反応を起こし始めていたのです。
「いろいろと考えている時に、後押ししてくれたのが稲本さん。バスク以外でできるとしたらスペインに来るまで暮らしていた金沢だけなんですよね」
前田氏が名前を挙げた“稲本さん”とは外食産業の風雲児と言われ数々の話題店を世に送り出してきた稲本健一氏。株式会社ゼットンの創業者であり、現在、株式会社DDホールディングス取締役兼海外統括CCOとして世界を駆け巡る氏が、前田氏の背中を後押しし、今回のtetxubarri開催のプロデュースを担っていたのです。
「僕は夏の1ヶ月間、身体を空けただけ。日本に来るまでの間に、山奥の小屋探しに始まり、サービスを担当してくれた『TIRPSE』大橋直誉さんのアサイン、小屋の修繕、地元スタッフの声がけまでいろいろと手を回してくれていました」
実は前田氏と稲本氏は隣の中学出身という同郷同士。世界で戦うふたりであり、同じ金沢の水で育ったふたりだからこそ、土地を理解するという意味と、金沢でのtetxubarri開催が自然と結びつき、幻のようなイベントは実現へと大きく舵を切ることになったのです。
テチュバリ魂が呼び起こされるような薪料理とは?
「日本でtetxubarriが味わえる!」
大それた宣伝はしなくとも、その噂はSNSを媒介にまたたく間に広がり、7日間のイベントは告知後、すぐに満員に。それほどまでに期待を集める前田氏の料理とは一体どんなものなのか?
ひとことで言えばプリミティブ(原始的)。薪を使い、肉を焼き、魚を焼く。イベント期間で提供された料理は、ジビエあり、能登の魚あり、能登牛あり、日の仕入れによって日々姿を変えていきました。
「地元で育った楢の木を使うから意味があるのだと思います。遠くアラブからタンカーで運ばれたガスを使っても意味がない。それが僕の料理なんです」
真夏の炎天下、炎と煙に包まれながら焼かれた鹿は赤々と土地の滋味を称え、優しく火入れしたのどぐろはどこまでも儚く消えたその後、しっかりと余韻を楽しませる。その都度、鼻孔をくすぐるような山の香りこそ、薪を使う意味なのでしょう。
「人類がはじめて食べ物に火入れした調理がたぶん薪。だからかな、哲郎の料理は人として魂を揺さぶられる気がする」とは稲本氏。
「やらなくてもいいことは、やっちゃいけないこと。それはシェフにさんざん言われてきました。やらなきゃいけないことに気づいていないだけだ、とも」とは前田氏。
廃墟のような山小屋を7日間のためだけに改修し、ミシュラン史上最速で1つ星に輝いた『TIRPSE』オーナーの大橋氏がサービスを務めた7日間。金沢は元より全国各地から前田氏を手伝いに集結したシェフも多数。地元の農家や漁師、生産者たちもこぞって協力を惜しまなかったといいます。いつしかメニュー表の裏に記しはじめた協力者の名前はびっしりと裏面を埋め尽くすことに。その想いの籠もったメニュー表すらも、ジャズのセッションのように日々変わる前田氏の料理の前では意味をなさなかったといいます。だからメニュー表は使わない。それこそが、やらなくてもいいことは、やっちゃいけないことなのでしょう。この幻のメニューこそが前田氏の料理そのもの。土地への理解から生まれる料理とは、日々土地を感じて変化するもの。すべての関わる人の想いを詰めこんだ料理でありつつも、食べ手は本能の赴くままに味わえる料理なのです。
「知らなかった金沢がたくさんありました。感謝したいです」
そう笑う前田氏の今後……、それもまた本能の赴くままに。
1984年生まれ、石川県金沢市出身。地元にある父が経営するおばんざいバーを数年間手伝う。その後、金沢のとある店で、バスクの一ツ星『アラメダ』のシェフと出会ったことをきっかけに、料理の修業未経験のまま食の都・バスクへ渡ることを決意。『アラメダ』で研鑽を積むと、『エチェバリ』で食べた料理の味に惚れ込み、修業を直談判。現在はオーナーシェフ、ビクトル・アルギンソニス氏の右腕を務める。