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デザイン性に富んだ日本でも屈指の城跡。[岡城阯/大分県竹田市]
岡城阯「荒城の月」を生んだ、天空の城。
標高325m、城下町の喧騒から離れた静かな山の上に建つ「岡城」。「日本100名城」の一つにも数えられ、滝廉太郎が「荒城の月」の楽想を得たとされる、国指定史跡です。
雨上がりの早朝には城内が一面霧に覆われ、周囲を雲海が包むことから“天空の城”としても親しまれている「岡城」。その幻想的な光景のみならず、石垣や登城道など随所に残されたアーティスティックなデザインが今、注目を集めています。
岡城阯デザイン性の高い城造りの美学。
「岡城」は文治元年(1185年)、大野郡緒方荘の武将・緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が源頼朝と仲違いしていた弟の義経を迎え入れようとして、築城しました。その後文禄3年(1594年)、豊臣秀吉に命じられて竹田へやってきた岡藩初代藩主の中川秀成(ひでしげ)によって、今の石垣作りの城へと変貌を遂げたのです。
「岡城」を訪れた観光客によると、「岡城」は「ヨーロッパの古城のようだ」と言います。確かに大手門の周囲は、そそり立つ石垣が出迎える勇壮な城とは異なり、西洋の古城を連想させる雰囲気が漂うのです。
「全国的にも珍しい「かまぼこ石」と言われる半円柱状の石塁をわざわざ加工して城の入り口に配置したり、高い技術が必要な石垣の螺旋階段を作ったり。実用性よりもデザイン性を重視したところに、城主・中川氏の美学を感じずにはいられません」と話してくれたのは、「岡城」に惚れ込んで竹田市に移住を決めた藪内成基氏。今回は「岡城」を知り尽くした彼に、歴史とともに城跡で見ることのできる景色や必見ポイントを案内してもらいました。
岡城阯特異な石垣は“魅せる”ことへのこだわりから。
西洋の薫りがする大手門を抜けると、広大な敷地に石垣だけが点々と残っていました。それらをじっくり見て歩くと、大小様々な石のサイズや切り方、積み方に多くのバリエーションがあることに気づきます。
藪内氏は「岡城」が山の上に建つ城でありながら、壮大で美しい石垣が築かれたことが面白く、そこにこそ高いデザイン性を見ることができるのだと言います。
「約20万年前、阿蘇山が噴火して、今の竹田城下町全体を火砕流や火山灰が埋め尽くしたんです。その堆積した火砕流が固まった溶岩台地の上に要塞を築いたのが「岡城」でした。岩山という特殊な地形に建っていること、さらに岩が加工しやすい火砕流だったことから、日本でも稀有な石垣の多い山城が誕生したと言われています」。
藪内氏は続けて、「岡城」の石垣には他の城にはない特徴があると言います。
「石のサイズや切り方、そして積み方のバリエーションが豊富であること。昔から台風や地震など様々な災害に襲われてきた「岡城」は、その時々で石垣を修復してきました。その際、元の形を踏襲するのではなく、当時の最先端技術を駆使して新たな形で修復を続けてきたんですよ」。
中川氏は自分たちの技術の高さを示す作品のように、城造りを行ってきました。そのため、四角くカットされた石があったかと思えば、丸くカットされた石もある。螺旋状に積み上げられたり、積み木のように積み上げられたり。豪華絢爛な天守閣はないけれど、当時の最新デザインを垣間見ることができるという奥深さがここにはあるのです。
岡城阯景色も石垣もデザインも、全てが唯一無二の城。
くじゅう連山や阿蘇山の連峰が彼方に広がる城跡は、豊かな木々や花に恵まれ、四季折々で表情を見せてくれます。
薮内氏は岡城の魅力はデザイン性だけでなく“ライブ感”にもあると教えてくれました。
「岡城に似ているお城はない。デザインはもちろんだし、ここで見れる景色も。大手門の間から登る朝日も素晴らしいし、阿蘇山に沈む夕陽も良い。石垣越しの満月を見ることもできる。24時間365日、移ろいゆく姿を見せてくれるのが魅力です」。
春になれば木々が芽吹き、夏になれば溢れんばかりの緑に覆われる。晩秋には紅葉の絨毯が出迎え、冬には雲海が。雨の日には石垣を濡らす雨水が艶やかな表情を見せ、風情ある雰囲気を醸すのです。
生き生きとしたエネルギーに満ちた城跡「岡城」。当時の姿に思いを馳せながら、城歩きを楽しんでみませんか。
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田岡 MAP
電話:0974-63-4807