遂に蒸留所が完成し、いよいよ本格始動! 蒸留家見習いから蒸留家・江口宏志へ。[mitosaya 薬草園蒸留所/千葉県夷隅郡]

蒸留所の中心部。この吹き抜けの空間を基軸に各スペースが配されている構造。天井から差し込む光も気持ち良さを演出。

mitosaya薬草園蒸留所『mitosaya薬草園蒸留所』の蒸留所、一挙公開!

書店主から蒸留家を目指す江口宏志氏のゼロからのスタートを密着する今企画。

ドイツでの修業、帰国後の場所探し、長い準備と工事期間を経て、遂に蒸留所が完成した『mitosaya薬草園蒸留所』。

機能はもちろん、美しい空間に仕上がりました。配された器具を始め、一つひとつにストーリーがあるそれぞれの背景にあるのは人。中でも、建築家の中山英之氏とグラフィックデザイナーの山野英之氏の存在は大きい。奇しくもダブル英之というのは、何のイタズラか。

左から、建築家の中山英之氏、江口宏志氏、グラフィックデザイナーの山野英之氏。「MITOSAYA」サインの前で。

mitosaya薬草園蒸留所にじみがあってもペンキが垂れても関係ない。みんなで描いた「MITOSAYA」サイン。

「ヨーロッパの蒸留所の壁面には大きなタイポグラフィのサインがありました。特別なことは何もしていないのですが、大きな壁などにドーンっとある感じで。ここでもそんな表現ができたらとは思っていましたがそんな大きな壁はどこにもなく……」と江口氏。

「だから文字が回り込んでいます(笑)」と話すのは、グラフィックデザイナーの山野氏。
「遠くから見ると綺麗に見えるのですが、近くに寄って見ると文字が滲んでしまったり、ペンキが流れていたりなど、ラフにできています。というもの、これはプロの仕事ではなく、実は10人くらい仲間が集まって手作業で仕上げました」と言葉を続けます。

サインのあるこの建物の中にはポンプがあったそうです。当時、この隣には大きな貯水槽があり、地面に目を向ければ今でも基礎の名残があります。昔は水道の水圧が弱かったため、植物園だったここは、一度貯水槽に水を貯め、ポンプで全施設に水を圧送していたのです。現在、その役目を終えた貯水槽は撤去されています。そして、撤去後、偶然にも表れたのが外と中を一直線につなぐ道でした。

「当初、入口は車両などが入ることができるような大きな間口のイメージだったのですが、この道が現れた時、ここを入口にする方がこの場所らしいと思いました。貯水槽を撤去しなければ出合わなかったご縁のある道です。ゆっくりと階段を登り、細い小道を進み、薬草園の土を踏みしめながら歩いていくと蒸留所へたどり着く……。そんなストーリーができあがりました」と中山氏。

その入口には、『mitosaya薬草園蒸留所』のロゴを配したアーチ型のゲートウェイを設え、訪れる人々をお迎えします。そのロゴにも一工夫が。
「少し傾けて見ると“mitosaya”の“み”になっているんです(笑)」と、江口氏と山野氏。

「通常、ブランドのデザインは将来こうなったらいいな、という理想の姿をたぐり寄せるように考え始めますが、今回は、あえて“ずっと決めない”手法。『mitosaya薬草園蒸留所』という聞き慣れない名前、見たこともない風景、誰も味わったことのないお酒……。蓋を開けて見ないと何が入っているかわからない。それより、みんなで集まって議論したり言い合うことに意義があると思っています。そして、その先にはお酒を飲む人みんなが楽しんでもらえるようになってくれたら嬉しいです」と言う山野氏に対して「蓋を開けたら空だったりして!」と江口氏は笑います。

とはいえ、「こんなに案があったんだ!」と、江口氏も初めて見る山野氏がデザインしたロゴ案には相当な数があったことも判明。そこには、「ずっと決めない」手法ながらも、今できることを必死にデザインする山野氏の姿があり、そこには愛を感じます。

どれも聞けば必ずストーリーがある。偶然の産物やDIY、細やかな演出などが『mitosaya薬草園蒸留所』を創造しているのです。

入口に設置したゲートウェイ上部には、『mitosaya薬草園蒸留所』の「み」をロゴ化したサインが。

『mitosaya薬草園蒸留所』のメインエントランスは、あえて小さめの間口。この階段を登り、小道を進んでいくと蒸留所にたどり着く。

建物横は、もともと貯水槽があった場所。地面に目をやれば、その名残が今も残る。貯水槽を撤去したことによってこの道は生まれた。

メインエントランスから小道を歩き、階段を上った先には薬草園が現れる。この土を踏みしめながら歩けば、蒸留所はすぐ左手に。

手前より、蒸留所、ショップ&テイスティングルーム、温室。大きくはこの3つの建物で『mitosaya 薬草蒸留所』は構成されている。

mitosaya薬草園蒸留所新規の建物は一切ない。既存の建物を再利用して始まる。

「この蒸留所には新しい建物はありません。全て既存の建物を再利用する形で営業をスタートします」。そう話すのは、建築家の中山氏。

「まず、自分自身が蒸留の仕組みを理解しなければと思い、江口さんの修行先、クリストフ・ケラー氏のドイツの蒸留所へ僕も見学に伺いました。設備、構造、環境……。忘れないように、その関係図を絵に書いてみたり。そこで色々学んだ後に出合ったのが、この大多喜の物件だったのです。ここでもこの関係図が成立するのかまた絵を書いてみました。すると、パズルのように、既存の建物にピタリとは当てはまったのです。ここしかない!と大興奮しました!」と中山氏は言葉を続けます。

建物は大きく分けて3つ。蒸留所、ショップ&テイスティングルーム、温室です。この建物に1、2、3と数字を振り分け、構成されています。
「1はメインとなる蒸留所になります。入って正面に蒸留機。その左側には発酵や仕込みをするスペースと熟成させるセラー。右側にはラボ及び充填室という割り振りです。作業工程、導線などを配慮し、設計しました」と中山氏。

その他、天井を剥ぎ、ふさがっていたルーバーを活かして自然光を取り、換気も配慮。入口には、既存の植物園にあった標本をディスプレイ。アイデアと知恵、技術と経験から形成されたそこには、建物以外にも既存のものが最大限に活かされています。

「この場所が県立の薬草園として最初にオープンしたのは、1987年のバブル期でした。同じ時代に大々的に開園し、その後ひっそりと閉園したテーマパークやアミューズメント施設は多々ありますが、残念ながらこの薬草園も例外ではありませんでした。しかし、少しだけ違ったことは、物語を失ったそれぞれが廃墟でしかないのに対し、この施設は植物のための場所だったということでした。散水や排水、ボイラーや温室、実験や研究の装置、そしてそれらを収めたしっかりとした建物。ここにあるものたちはそれぞれに機能的な働きがあり、道具として生産性を備えていました。それらをできるだけそのままのカタチで『mitosaya 薬草蒸留所』は受け継ぎ、スタートさせました」。

蒸留所の入口。左右には、もともと植物園にあった標本が並ぶ。まるで実験室のような雰囲気が漂う。

コエドビールを製造する株式会社協同商事より譲り受けた蒸留機。こういったご縁をたぐり寄せるのも江口氏の不思議な力!?

発酵や仕込みなどをするスペース。自身も樽作りに参加した木樽は、小豆島より取り寄せたもの。

セラースペースは、分厚い断熱材をむき出しに。江口氏が作った蒸留酒が棚いっぱいに並ぶ日もそう遠くはない。

ラボ及び充填室。所々、昔の名残がありつつ、静寂な空間に。

元々あった天井を剥ぎ、出てきたルーバーからは自然光が射し込む。換気の役割も兼ね、空気を循環させる。

各建物には数字が振られ、「1」は蒸留所。規則正しいデザインも美しい。

「2」はショップ&テイスティングルーム。天井高のある空間は、全方位から光が差し込み、気持ち良い。

「3」は、以前からある植物を活かした温室。今後、蒸留酒作りも活かせる新たな植物なども育てていく予定。

建築家の中山氏が作った『mitosaya 薬草蒸留所』の模型。メモや関係図など、手書きの備忘録にその情熱を感じる。

mitosaya薬草園蒸留所江口さんは不思議な人。何かやりたいと思えば、波を引き寄せる力がある。

「例えば、この蒸留機。『mitosaya薬草園蒸留所』には、コエドビールを製造する株式会社協同商事の代表取締役社長の朝霧重治さんにアドバイザーとして参画して頂いているのですが、過去にコエドビールは蒸留をやろうとしていた時期があったようで、蒸留機を輸入していたのです。結果、蒸留には着手せず、約30年その蒸留機は日の目を見ることがなかったのですが、今回はそれを使わせていただくことになり。それ以外にも発酵用の木樽は、小豆島のヤマロク醤油さんが製造するための樽を取り入れています。江戸時代から続く地場産業のひとつである醤油作りですが、近年はステンレス製で作っているところが多い中、ヤマロク醤油さんでは今尚自然の樽で発酵させることを地道に続けています。このヤマロク醤油さんともご縁があり、江口さんは自ら樽作りに参加し、この巨大な木樽を小豆島から運んできました」と中山氏は話します。

人との出会い、そこから生まれる様々な出来事。紆余曲折なこれまでを繰り返し、出来上がった蒸留所。舞台は整いました。次なるはその記念すべき一本。予測不能な物語はまだ続きます。

取材当日も、手際良く養蜂を行う江口氏。蜂を飼育することにより、植物も活性化。「一緒に住まう最初のペット」とは江口氏の言葉。

住所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486 MAP
http://mitosaya.com
info@mitosaya.com