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ディープ山陰に潜む隠れ里。アレックス・カーが紐解く、八頭の知られざる魅力。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取・八頭手付かずの自然が残る、本物の原風景。
鳥取県八頭町。『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』で初めてこの場所を訪れたとき、単純にうれしさが込み上げてきました。この場所に来られたことがうれしい。観光地も文化遺産もないけれど、田畑があり、山があり、水がある。人々は自然とともに暮らし、四季の恵みを当たり前に受け取っている。ここはいわば、日本の本当の原風景です。それがこうして残っていることが、何よりもうれしい。それは、まだ知られていない素晴らしい場所を知っている、という優越感なのかもしれません。それほどにこの町の景色は、私を感動させました。
ダイニングアウト鳥取・八頭隠されるから神秘性が増す、山陰のロマン。
鳥取県があるのは、いわゆる山陰地方です。山陰というと時折ネガティブな印象も持たれてしまいますが、そうではありません。お寺なら本堂に対して奥の院、茶道なら表千家と裏千家。普段は隠されているけれど、実はすごいもの。そんな隠し事めいた神秘的な魅力が「裏」「奥」「陰」という言葉には秘められているのです。
かつてこの山陰地方は多くの日本文化発祥の地でもありました。神道的な宗教もそう。古墳だって幾つもあります。古事記や日本書紀にも、この地域の名は繰り返し出てきます。神秘的な魅力があり、古から続く歴史があり、そして手付かずの自然がある。これはロマンですね。
そして八頭町は日本海に沿岸の町から山深い南に向かった方角にあります。内陸部で、観光客が来ることも少ない、ディープな山陰です。ジュラシックなジャングル、しっとりと濡れて苔の生えた古寺、畑で実る農作物も色が濃いように見えます。最初に八頭町を訪れたときは、まずそんな風景が印象に残りました。
しかし数日滞在してみると、また違った側面も見えてきました。たとえば八頭町では、2020年に公共バスの自動運転化を目指した実証実験が進められています。小学校だった建物を再利用したコワーキングスペースを、さまざまな先進的企業が拠点にしています。それらの新しい要素が、古いものを上書きするのではなく、上手に共存しているのです。
たとえばかつて、とあるイタリアの田舎町にフィアットの工場ができました。しかし、そこが工業都市になってしまうことはありませんでした。あくまでも工場がある田舎町。元の町と新しい工場がうまく共存できたのです。八頭町の状況もそれに似ています。良いものを美しく残しながら、新しいものを取り入れる。簡単なことではありませんが、これが今後、日本の地域発展に必要なことだと思います。
ダイニングアウト鳥取・八頭大地のエナジーを肌で感じた雨のなかの晩餐。
『DINING OUT』の本番は、雨でした。野外にレストランを作るイベントですから、普通なら雨は避けたいものでしょう。しかし私は、この雨を歓迎しました。ジュラシックな木々は雨に濡れて輝きを増しています。ぼんやりとした霧が出て、ムードを盛り上げます。ディープ山陰の神秘性が、雨によっていっそう際立ったのです。
この晩餐には「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」というテーマが設けられていました。大地のエナジーの流れを感じること。私はゲストの前に立ったときも、あえてこのテーマを言葉で詳しく説明しませんでした。言葉ではなく、体全体で感じるエナジー。それが雨のベールに包まれ、瑞々しい緑を前にしたゲストにはきっとわかっていると思ったのです。
さまざまな災害からもわかるように、どれほど文明が発展しても自然に対して人間は無力です。私たちにできるのは、自然に抵抗することではなく、それを解釈することだけ。そしてその解釈を伝え、その魅力を感じながら食事をするということは、『DINING OUT』の本来の意義でもあるのです。そして古くから自然とともに生きてきた八頭で、この雨に降られながら行なわれた『DINING OUT』は、その象徴的な回だったと思います。
ダイニングアウト鳥取・八頭いまあるものを残し、伝えることこそ、地方の活路。
私はいま、日本の隠れ里に関する本を執筆しています。隠れ里は、まだ知られていない日本の田舎。そういう場所にこそ、さまざまな魅力が眠っているのです。たとえば八頭町にある青龍寺という古刹には素晴らしい彫刻があります。寺の本堂のなかに神社の社がある、という非常に珍しい信仰も見られます。これらは京都では見られない姿でしょう。このように、知られざる日本の田舎には、知られざる魅力がまだまだ隠されているのです。
かつて日本を訪れる外国人観光客の多くは、まず東京を訪れました。たしかに東京に行けば、日本の入門編というべき一通りのものは見ることができます。しかし、ここ八頭で出合ったようなディープな文化、根源的なものを見ることはできません。
近年はそれが知られ始めたのでしょう。いまでは東京を経由せず、いきなり地方を訪れるインバウンドも増えています。文化や祭り、あるいは郷土料理などを通して本質的な日本に触れる人も多いようです。そしてそこにこそ、地方の活路があるのです。中央に寄せるのではなく、いまそこにあるものを大切に残すこと。快適性や利便性は取り入れつつ、古いものを守ること。そうして受け継がれる魅力は、必ず多くの人に伝わるのだと思います。
1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。