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『DINING OUT』初の女性シェフが登場。伊勢志摩サミットで世界の首脳陣を魅了した樋口宏江シェフ。[DINING OUT RYUKYU NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]
ダイニングアウト琉球南城ガストロノミー界最注目の女性シェフが、琉球王国の聖地へ。
11月23日(金・祝)、24日(土)に開催される『DINING OUT RYUKYU NANJO with LEXUS』。沖縄・南城市を舞台に繰り広げられる第15回目の『DINING OUT』は史上初の女性料理人となる樋口宏江氏がシェフを務めます。2014年、西日本を代表するクラシックホテルであり多くの食通のファンを持つ『志摩観光ホテル』の総料理長に就任、2016年には『伊勢志摩サミット』でのワーキングディナーを担当。今、日本で最も注目を集める女性シェフのひとりです。その土地ならではの食材で、薫り高きフランス料理を。受け継がれてきた王道を踏まえつつ、軽やかで洗練された“今”が香る料理に。世界中から美食家が訪れるホテルの看板料理を継承し、アップデートし続ける樋口シェフが、沖縄・南城の地での挑戦にかける想いを語ります。
ダイニングアウト琉球南城何事においても“道一筋”。穏やかな表情の奥にある実直さ、芯の強さを武器に。
静か、動か。料理人をふたつのタイプに分けるとしたら、樋口宏江シェフは間違いなく前者、「静」の料理人です。
料理界は男女の別のない実力主義社会。であるはずながら、日本国内、ことガストロノミーの世界においては、まだまだ男性が主流であることは否めません。そんな中、2008年にフレンチレストラン「ラ・メール」の料理長を任され、2014年からは全館を統括する総料理長に就任した樋口シェフ。輝かしい経歴だけ聞けば、負けん気が強く、男勝りなキャラクターを想像しがちですが、実像は大きく異なります。長身で細身の華奢なルックスで、どちらかといえばもの静か。普段は必要以上に人前に出ることを好まず、エネルギーはすべて自らの目の前の仕事に淡々と注ぎ込む。そんな印象を受けます。
樋口シェフは三重県四日市市の出身。1991年の入社以来27年間、『志摩観光ホテル』一筋に歩んできた稀有な料理人でもあります。
料理人としての第一歩を踏み出さんとしていた20歳の樋口シェフが同ホテルに導かれた経緯とは、そして料理人人生のすべてを捧げるに至った要因とはいかなるものだったのでしょうか。
ダイニングアウト琉球南城最高の師と食材に導かれてたどり着いた「この地だからこそ」の味に料理人人生を捧げて。
「今振り返れば、外に出る勇気がなかったのかもしれません。でも、節目を迎えるたびに『まだできていないこと、学ぶべきことがたくさんある』と、思いながら進むうち、気付けばあっという間に時が過ぎてしまっていたんですよね」
謙虚な人柄がにじむ語り口で、樋口シェフは自らのキャリアを振り返ります。しかしながらそこには、四半世紀もの時を捧げることを決定付けた確かなものがありました。素晴らしき師と、食材です。
料理上手な母親の影響で、小学生の頃には、料理人になりたいという夢を抱いていたという樋口シェフ。専門学校を卒業した1990年代、料理界は今より格段に保守的で、女性を調理場に迎え入れてくれる店は少なかったといいます。
「私が入社する前から女性の採用があったのが、今のホテル。働き始めてからも、男女分け隔てなくチャンスを与えてもらえ、私にとってはこの上ない環境でした」
当時の総料理長は、『志摩観光ホテル』を海のオーベルジュとして世に知らしめた高橋忠之シェフ。フランス料理といえば、フランス産の食材を使うことが至高とされた時代、伊勢志摩だからこそできるフランス料理を、とホテルの料理を、ひいては地方レストランのあり方を大きく変えたことで知られています。とびきりの海の幸に火を通して、なお素材以上の味に。「鮑ステーキ」や「伊勢海老クリームスープ」など、今も世代を超えたファンを魅了するホテルの看板料理を生み出したフランス料理界の巨匠の下で、料理を基礎からみっちりと学びました。
「神宮のある伊勢へ、神事の際、海産物を献上する役割を担ってきたのが御食国(みけつくに)と呼ばれる志摩。素晴らしい食材を育む豊かな自然、その地だからこそ生まれた食文化。この場所でしかご体験いただけない食を提供できることは、料理人として大きな喜びです」
ダイニングアウト琉球南城世界の舞台へ飛躍し、より地域に根ざす。サミットがもたらした大きな転機。
ローカルガストロノミーという言葉が生まれる遥か前に、伊勢志摩でオーベルジュとして愛されてきた『志摩観光ホテル』。総料理長への就任は、大躍進であると同時に大きなプレッシャーでもあったと話します。
「正直にいえば、喜び以上に不安が大きかった。きちんとできているか、今でも自分に問う毎日です」
言葉は常に控えめな樋口シェフですが、就任2年目で、思いもよらぬ大舞台に立つことになります。2016年5月に開催された伊勢志摩サミットのワーキングディナーを担当。各国首脳から賞賛を得た晩餐は、ホテルの名をさらに広く知らしめ、樋口シェフ自身もまた、世界を舞台に活躍するトップシェフたちと並び賞されるようになりました。その状況について、「大変貴重な経験であり、ありがたいこと」と感謝を述べつつ、自分にとっての一番の収穫は「それまで以上にたくさんの生産者とつながりを持てたこと」だと話します。
「伊勢志摩、ひいては三重の食文化をお伝えするためにはどうすればいいか。食材を一から見直しました。例えば魚なら、それまでも使っていた伊勢志摩や鳥羽のものに加え、尾鷲や紀伊長島などのものも使うように。魚種や季節に応じた選択肢が増え、一期一会の食体験の深度は深められたように感じます」
サミット終了後も、生産者との交流は続きます。料理を通じ、彼らの仕事に光を当て、地域の食文化を発信する姿勢が評価され、2017年には農林水産省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞を受賞。この受賞もまた、三重県初、女性料理人としても初という快挙となりました。
ダイニングアウト琉球南城長い年月をかけて磨き上げた「土地の食」へのアプローチを、沖縄・南城を舞台に。
食材を深く知ることで「料理の表現の幅が広がった」と話す樋口シェフ。ホテルの伝統であるクラシックな料理を継承し磨き上げながら、三重という地により光を当て、現代の感覚を活かし、季節感をふんだんに盛り込んだ独創的な料理も注目を集めています。鮑ステーキには焦がしバターのエスプーマを添えて軽やかに。伊勢海老のソテーは、夏ならフルーツとブールブランソースを添えて、冬ならシャンパーニュが香るグラチネに。松阪牛のフィレは、伊勢茶で燻製にし、かつお風味の出汁を加えるという具合。より軽やかに、そしてより深く土地に根ざした料理は、モダンガストロノミーの潮流にも符合します。
「『DINING OUT』をお受けしたのも、『食を通じ、土地の魅力発信する』という考えに共感できたから。沖縄・南城の食文化を掘り下げながら、地域の方々にも驚いて頂けるような料理をご提供したい」。
いつもの通り控えめな言葉にも、熱意と自身の心の躍動が見え隠れします。
樋口シェフは開催に先駆け、視察のため3度、沖縄を訪問しました。琉球王国の伝説や祭事について地元の人に教えを乞い、数多くの生産者を訪問。初めて触れる食材の可能性や、生産現場の人々の真摯な人柄に触れ、「『自分だからこそできる表現は何か』というテーマを、日々突き詰めているところです」と、話します。
料理人人生をひとつの土地に賭けたからこそ得られた、地産の食材や伝統食文化への深い敬意。それらを料理として昇華させるさまざまな手法。沖縄・南城に舞台を移して披露される料理人・樋口宏江シェフの四半世紀の集大成が、『DINING OUT』の歴史に新たな1ページを刻むことになるはずです。
三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。