@adidasfun

選手と応援団との間にある一体感を一層高めようと思ったら、選手が発注しているショップに依頼して自分のサイズにピッタリ合った商品を製作してもらうことだ。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

New レザーショルダーバッグ

定番レザーショルダーバッグがアイアンスペックにリニューアル!

  • 表にはフラップ付きファスナーポケット、裏にはボタン付きポケット、中にはファスナー付きポケット、とにかくポケットだらけのとても使いやすい仕様のバッグ
  • 表のフラップ端にはアイアンハートのネームをつけました
  • 裏側ポケット、ショルダーストラップ部分のブラスボタンにはアイアンハートの刻印が入ります
  • ショルダーストラップ部分は掛けたときの負担を軽減するよう幅を広くしています
  • 財布やグローブ、ペットボトル等出かける際に持ち歩きたい物は入り、見た目以上の収納力があります
  • 細かな裁縫の処理も見直し、よりアイアンハートらしくリニューアルしました
  • ツーリングにお出かけにとマルチに使えるバッグです
  • 【IHE-39】Newオールレザーウェストバッグ同様の牛革を使用
  • 【IHE-19】ミニショルダーバッグとほぼ同じ形です

@adidasfun

選手が退場を命じられた(レッドカードを提示された)ことによりピッチ上の選手数が減ったチームは、その退場から2分経過後、あるいは相手チームよりも人数が少ない状態で失点した場合に選手を一人補充できる。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

統括編集長・倉持裕一が振り返る、2018年の『ONESTORY』。

「災」に苦しんだ一年。それでも前を向いて生きてゆく。

毎年恒例、京都の『清水寺』が発表する今年の漢字は「災」。近年、これほどまでにこの「災」に苦しまされた一年はなかったのではないでしょうか。2018年の『ONESTORY』はどんな年だったか振り返ると、その「災」に影響を受けたことが少なくなかったと思います。その最たるものが、『DINING OUT』でした。鳥取では豪雨。沖縄でも急な冷え込みやにわか雨。自然を舞台にすることの本質と対峙する年になりました。しかし、改めて感じたことは、我々が表現したいことや伝えたいその本質の全ては「外=OUT」にあるということでした。

沖縄県の知念城跡で開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。満月に照らされた石造りのグスクが、幻想的な雰囲気を創り上げた。

14回目の『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』は、降りしきる雨の中で幕を開けた。

古刹・清徳寺の境内で行われた『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』。雨の会場においてもなお、シンプルな徳吉シェフの料理の存在感が際立った。

DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』でシェフを務めた川田氏。地域の素材だけでなく、歴史や文化、人の思いまでを、料理に落とし込んだ。

改めて感じたこと。本質の全ては「OUT=外」から生まれている。

春夏秋冬に訪れる旬。肉、魚、野菜、米、酒、水…。海、山、川、畑、森、林…。ゼロから生まれるそれらは、全て自然からの恵みであり、「外」から生まれています。ある世界的に有名な日本人シェフは、『ONESTORY』で取材したレストランの記事を見てこう言いました。「これをやられたら敵わない」。その記事は、自ら畑を耕し、野菜を収穫し、料理をする『ヴィラ・アイーダ』でした。東京には数々の名レストラン、名シェフがいますが、料理を作るだけでなく、素材までを自ら作るところは、ほぼないでしょう。料理の本質は素材にあり、その素材は常に「外」から生まれているのです。自然相手のため、予測不能。時には前出のようなこともありますが、「外」で行うことに意味があるのが『DINING OUT』なのです。そして、「外」を通すからこそ繋がることができるのが、その土地や風土、文化や伝統、歴史です。これが『DINING OUT』が伝えたい、本当の意味での地域体験です。知識であれば「頭」で繋がれますが、「体」で繋がることが大切だと思うのです。

『ヴィラ・アイーダ』シェフの小林氏。キッチンに立ち、料理をしている最中、何かを思いついたかのように畑に走ることも少なくないとか。

店から歩いて2分ほどの畑にて。秋に植えた大根を越冬させ、その種を摘み取る。

レタスにイカとそら豆を包んだ前菜。即席リコッタチーズにハーブやベゴニアの葉、黒キャベツのバウダーなどを散らして。

視野は広く持ちたい。常に世界を意識したい。

世界的に注目される『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。中でも邁進を見せたのは、2位の『傳』の長谷川在祐氏と3位の『フロリレージュ』の川手寛康氏です。両人は共に『DINING OUT』のシェフを務めた人物です。ふたりに共通していることは、ただ美味しい料理を作るだけではないこと。素材のルーツや伝統、文化、歴史など学び、それをどうしたらひと皿のストーリーとして落とし込めるのかを創造するシェフです。ゆえに、シェフでありクリエイター、表現者と言っていいでしょう。アジアNo.1まであと一歩。『ONESTORY』が掲げる「ジャパン クリエティブを世界へ」を体現しているふたりです。それ以外にも、2017年にオープンし、わずか9ヶ月でミシュラン二つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也氏や地元の鳥取凱旋『DINING OUT』を果したミラノで活躍する『リストランテ・トクヨシ』の徳吉洋二氏など、シェフのトップランナーたちとのクリエイションは、お客様だけでなく、我々も大いに刺激をもらう出会いとなりました。鳥取に限っては、これから記事になる『かに吉』。大将の山田達也氏と出会い、取材直前に舞い込んだ吉報は、ミシュラン二つ星獲得の快挙でした。本物であれば場所は関係ない。世界も認める。勝負できる。そんな時代に突入していると実感した瞬間でした。どんなにSNSやテクノロジーが進化しても、体験に勝るものはありません。その土地に足を運び、人と出会い、感じ得る。『ONESTORY』が伝えたい大切なことは、その体験の豊かさなのです。

『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』授賞式の直後に行われたシェフたちの記念撮影。会場は熱気に包まれた。

「2位」の快挙が発表された直後、ガッツポーズで応える『傅』長谷川氏。

表彰後のパーティ会場にて、柔和な笑顔を見せる『フロリレージュ』川手氏。

世界と戦う人々の想いを学び、世界に足を運ぶことで未来を見る。

世界で戦う人々との出会いは大きな学びをもたらします。フラワーアーティストの東 信氏と『日本デザインセンター 原デザイン研究所』の原 研哉氏の両名はその好例でした。両者が認める日本のものはそれぞれの記事をご覧いただきたいと思いますが、審美眼として共通していたことは歴史と伝統、文化のあるものだということ。それはなぜか。原氏の言葉を借りるならば、「敵わないもの」だから。今を生きる我々がどんなに良いものを生み出しても、先人たちが歩んだ時代に追いつくことはできません。進化するには、「敵わないもの」を受け入れる許容も大切なのです。そして、記事にはしませんでしたが、原氏がディレクターを務める『ジャパン・ハウス』のオープニングにも参加しました。この『ジャパン・ハウス』は、戦略的対外発信の強化に向けた取組の一環として、外務省がサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの世界3都市に設置した対外発信拠点です。これまで日本に興味のなかった人々も含め、幅広い層に向けて日本の多様な魅力、政策や取組を伝え、親日派・知日派の裾野を拡大していくことを目的としています。サンパウロでは、以前、『ONESTORY』にご出演いただいた片山正通氏がインテリアデザインを担当し、東氏もフラワーアートを創作。私が参加したロサンゼルスの会場にも、世界中のクリエイターが集い、日本の文化や伝統、歴史を食い入るように興味を示していました。世界が日本に関心を持ち、注目されている国だということも肌で感じる機会となりました。

「花を扱う仕事は命を扱う仕事」と語るフラワーアーティストの東氏。日々花と向き合い、挑戦し続ける。

東氏の愛用品は『金高刃物老舗』の「ハサミ」。「使い始めて約20年。歴史があるものは長く付き合わないとわからないと思います」。

日本を代表するグラフィックデザイナーの原氏が用意してくれた愛用品は「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインも重視する。

若き力に感動。長期間にわたり、地域と向き合った一年。

2018年は、地域と長きにわたり取り組むプロジェクトに恵まれた年でもありました。全て現在進行系ですが、南会津下関津軽、『ONESTORY TIMES』がそれです。東京と違い、地域に足を運ぶと四季の移り変わりをしっかりと感じます。変化に富んだ風景、旬の食材。これこそが本来の日本の姿のような気がします。そして、どの地域に訪れても必ず若い力が芽生えています。彼らの規模は決して大きくはありませんが、ゆえに個人個人の表現したいことや想い、愛情が具現化された場所になっています。それがオリジナリティを育ませ、独自の世界を形成しているのです。100歳時代と言われる昨今、未来の距離感に変化が生まれていると思います。100年後を見ることができる時代になってきているのです。その若い力がどうなっていくのか。この街がどう変化し、進化していくのか。そんなことを想像することが、もう夢ではないのです。歴史や伝統の一片を誰もが刻むことができる時代なのです。

Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI」で取材した『第三海竜丸』漁師の藤本氏。持続可能な漁を目指して熱き挑戦は続く。

どこにもない下関料理を追求する『レストラン高津』のシェフ、高津氏。繊細な料理を紡ぐ真剣な眼差しとは裏腹に、調理後は非常に気さくな一面も。

クエから取った出汁を使い、クエを蒸す「ヴァプール」。旨みの相乗効果が生み出した滋味深いクエに、たっぷりの海苔とアサツキをあしらって提供。

弘前シードル工房 kimori』の高橋氏。訪れたのは、たわわに実ったりんごが色づき始めた季節。店の運営元である「百姓堂本舗」の自社畑で作業を進める。

南会津のカフェ『CAFE JI*MAMA』。肩の力が抜けた五十嵐氏のお人柄と笑顔も、このカフェの魅力。

作家・写真家の小林紀晴氏が南会津の四季を巡る「写真紀行」の連載も開始。春の紀行「人知れず、花」より、満開の桜。

夏の紀行「濃厚で濃密な季節」では、力強い南会津の自然と、そこに生きる人々の姿が描かれた。

秋の紀行「追憶の螺旋」に登場する『氷玉峠』。色彩豊かな峠道で出逢う錦秋の頂点、その美しさに目を奪われる。

いくつかの茅葺き集落が残る南会津。重厚な茅葺屋根は南会津の歴史や地域性を体現している。小林紀晴氏、アレックス・カー氏の連載にも度々登場する。

カタチを持たないカタチを表現するということ。

『ONESTORY』は、ご存知の通り『DINING OUT』を行い、メディアとしても表現しています。しかし、我々は、イベントやWebに執われることはありません。2018年、新たに表現の場を広げた事例としては、『カルティエ』が手がけたコンビニエンスストア『カルチエ』に並ぶフードのサポート。そのラインナップは、『タカザワ』の高澤義明氏が作る巻物やおにぎらず、キャビアアイスクリーム、『ティルプス』の元シェフの田村浩二氏が作る抹茶のアイスクリームやバラのアイスクリーム、『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏が手がけるマンゴタルトなど、そのどれもがスペシャルなコラボレーションアイテム。こういったカタチも『ONESTORY』の表現なのです。我々は、活動体でありたいと思っています。それぞれに適材適所の手法を凝らし、カタチを持たないカタチを表現していきます。

白とゴールドを基調にしたインテリアがラグジュアリー。統一感を持たせたパッケージやショウケースに並んだ時の見え方なども計算しつくされている。

赤坂の『タカザワ』で出している一品を製品化した「キャビアアイスクリーム」。

代々木『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏による「マンゴータルト」。

予約がとれない人気店、目黒『kabi』と赤坂の会員制レストラン『sanmi』が開発した限定のカップラーメンのパッケージを開けるとレストランの招待チケットが入っているという仕掛けも。

2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。

『ONESTORY』のメディアは、少しずつ常にアップデートしています。今年のテーマは、「アーカイブ」でした。各コンテンツを全て整理し、入口も多様化。それぞれが蓄積できる環境を整えました。雑誌などであれば、週刊、月刊など、都度1冊を作り上げますが、『ONESTORY』の場合は永遠に完成しない1冊を作り続け、その想いに夢をはせています。そんなことも感じながら、ぜひ、お楽しみいただければと思います。そして、2018年も多くの読者様、地域の方々にお世話になりました。この場を借りて、深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。それでは、日本のどこかでお会いしましょう。

統括編集長・倉持裕一が振り返る、2018年の『ONESTORY』。

「災」に苦しんだ一年。それでも前を向いて生きてゆく。

毎年恒例、京都の『清水寺』が発表する今年の漢字は「災」。近年、これほどまでにこの「災」に苦しまされた一年はなかったのではないでしょうか。2018年の『ONESTORY』はどんな年だったか振り返ると、その「災」に影響を受けたことが少なくなかったと思います。その最たるものが、『DINING OUT』でした。鳥取では豪雨。沖縄でも急な冷え込みやにわか雨。自然を舞台にすることの本質と対峙する年になりました。しかし、改めて感じたことは、我々が表現したいことや伝えたいその本質の全ては「外=OUT」にあるということでした。

沖縄県の知念城跡で開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。満月に照らされた石造りのグスクが、幻想的な雰囲気を創り上げた。

14回目の『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』は、降りしきる雨の中で幕を開けた。

古刹・清徳寺の境内で行われた『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』。雨の会場においてもなお、シンプルな徳吉シェフの料理の存在感が際立った。

DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』でシェフを務めた川田氏。地域の素材だけでなく、歴史や文化、人の思いまでを、料理に落とし込んだ。

改めて感じたこと。本質の全ては「OUT=外」から生まれている。

春夏秋冬に訪れる旬。肉、魚、野菜、米、酒、水…。海、山、川、畑、森、林…。ゼロから生まれるそれらは、全て自然からの恵みであり、「外」から生まれています。ある世界的に有名な日本人シェフは、『ONESTORY』で取材したレストランの記事を見てこう言いました。「これをやられたら敵わない」。その記事は、自ら畑を耕し、野菜を収穫し、料理をする『ヴィラ・アイーダ』でした。東京には数々の名レストラン、名シェフがいますが、料理を作るだけでなく、素材までを自ら作るところは、ほぼないでしょう。料理の本質は素材にあり、その素材は常に「外」から生まれているのです。自然相手のため、予測不能。時には前出のようなこともありますが、「外」で行うことに意味があるのが『DINING OUT』なのです。そして、「外」を通すからこそ繋がることができるのが、その土地や風土、文化や伝統、歴史です。これが『DINING OUT』が伝えたい、本当の意味での地域体験です。知識であれば「頭」で繋がれますが、「体」で繋がることが大切だと思うのです。

『ヴィラ・アイーダ』シェフの小林氏。キッチンに立ち、料理をしている最中、何かを思いついたかのように畑に走ることも少なくないとか。

店から歩いて2分ほどの畑にて。秋に植えた大根を越冬させ、その種を摘み取る。

レタスにイカとそら豆を包んだ前菜。即席リコッタチーズにハーブやベゴニアの葉、黒キャベツのバウダーなどを散らして。

視野は広く持ちたい。常に世界を意識したい。

世界的に注目される『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。中でも邁進を見せたのは、2位の『傳』の長谷川在祐氏と3位の『フロリレージュ』の川手寛康氏です。両人は共に『DINING OUT』のシェフを務めた人物です。ふたりに共通していることは、ただ美味しい料理を作るだけではないこと。素材のルーツや伝統、文化、歴史など学び、それをどうしたらひと皿のストーリーとして落とし込めるのかを創造するシェフです。ゆえに、シェフでありクリエイター、表現者と言っていいでしょう。アジアNo.1まであと一歩。『ONESTORY』が掲げる「ジャパン クリエティブを世界へ」を体現しているふたりです。それ以外にも、2017年にオープンし、わずか9ヶ月でミシュラン二つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也氏や地元の鳥取凱旋『DINING OUT』を果したミラノで活躍する『リストランテ・トクヨシ』の徳吉洋二氏など、シェフのトップランナーたちとのクリエイションは、お客様だけでなく、我々も大いに刺激をもらう出会いとなりました。鳥取に限っては、これから記事になる『かに吉』。大将の山田達也氏と出会い、取材直前に舞い込んだ吉報は、ミシュラン二つ星獲得の快挙でした。本物であれば場所は関係ない。世界も認める。勝負できる。そんな時代に突入していると実感した瞬間でした。どんなにSNSやテクノロジーが進化しても、体験に勝るものはありません。その土地に足を運び、人と出会い、感じ得る。『ONESTORY』が伝えたい大切なことは、その体験の豊かさなのです。

『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』授賞式の直後に行われたシェフたちの記念撮影。会場は熱気に包まれた。

「2位」の快挙が発表された直後、ガッツポーズで応える『傅』長谷川氏。

表彰後のパーティ会場にて、柔和な笑顔を見せる『フロリレージュ』川手氏。

世界と戦う人々の想いを学び、世界に足を運ぶことで未来を見る。

世界で戦う人々との出会いは大きな学びをもたらします。フラワーアーティストの東 信氏と『日本デザインセンター 原デザイン研究所』の原 研哉氏の両名はその好例でした。両者が認める日本のものはそれぞれの記事をご覧いただきたいと思いますが、審美眼として共通していたことは歴史と伝統、文化のあるものだということ。それはなぜか。原氏の言葉を借りるならば、「敵わないもの」だから。今を生きる我々がどんなに良いものを生み出しても、先人たちが歩んだ時代に追いつくことはできません。進化するには、「敵わないもの」を受け入れる許容も大切なのです。そして、記事にはしませんでしたが、原氏がディレクターを務める『ジャパン・ハウス』のオープニングにも参加しました。この『ジャパン・ハウス』は、戦略的対外発信の強化に向けた取組の一環として、外務省がサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの世界3都市に設置した対外発信拠点です。これまで日本に興味のなかった人々も含め、幅広い層に向けて日本の多様な魅力、政策や取組を伝え、親日派・知日派の裾野を拡大していくことを目的としています。サンパウロでは、以前、『ONESTORY』にご出演いただいた片山正通氏がインテリアデザインを担当し、東氏もフラワーアートを創作。私が参加したロサンゼルスの会場にも、世界中のクリエイターが集い、日本の文化や伝統、歴史を食い入るように興味を示していました。世界が日本に関心を持ち、注目されている国だということも肌で感じる機会となりました。

「花を扱う仕事は命を扱う仕事」と語るフラワーアーティストの東氏。日々花と向き合い、挑戦し続ける。

東氏の愛用品は『金高刃物老舗』の「ハサミ」。「使い始めて約20年。歴史があるものは長く付き合わないとわからないと思います」。

日本を代表するグラフィックデザイナーの原氏が用意してくれた愛用品は「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインも重視する。

若き力に感動。長期間にわたり、地域と向き合った一年。

2018年は、地域と長きにわたり取り組むプロジェクトに恵まれた年でもありました。全て現在進行系ですが、南会津下関津軽、『ONESTORY TIMES』がそれです。東京と違い、地域に足を運ぶと四季の移り変わりをしっかりと感じます。変化に富んだ風景、旬の食材。これこそが本来の日本の姿のような気がします。そして、どの地域に訪れても必ず若い力が芽生えています。彼らの規模は決して大きくはありませんが、ゆえに個人個人の表現したいことや想い、愛情が具現化された場所になっています。それがオリジナリティを育ませ、独自の世界を形成しているのです。100歳時代と言われる昨今、未来の距離感に変化が生まれていると思います。100年後を見ることができる時代になってきているのです。その若い力がどうなっていくのか。この街がどう変化し、進化していくのか。そんなことを想像することが、もう夢ではないのです。歴史や伝統の一片を誰もが刻むことができる時代なのです。

Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI」で取材した『第三海竜丸』漁師の藤本氏。持続可能な漁を目指して熱き挑戦は続く。

どこにもない下関料理を追求する『レストラン高津』のシェフ、高津氏。繊細な料理を紡ぐ真剣な眼差しとは裏腹に、調理後は非常に気さくな一面も。

クエから取った出汁を使い、クエを蒸す「ヴァプール」。旨みの相乗効果が生み出した滋味深いクエに、たっぷりの海苔とアサツキをあしらって提供。

弘前シードル工房 kimori』の高橋氏。訪れたのは、たわわに実ったりんごが色づき始めた季節。店の運営元である「百姓堂本舗」の自社畑で作業を進める。

南会津のカフェ『CAFE JI*MAMA』。肩の力が抜けた五十嵐氏のお人柄と笑顔も、このカフェの魅力。

作家・写真家の小林紀晴氏が南会津の四季を巡る「写真紀行」の連載も開始。春の紀行「人知れず、花」より、満開の桜。

夏の紀行「濃厚で濃密な季節」では、力強い南会津の自然と、そこに生きる人々の姿が描かれた。

秋の紀行「追憶の螺旋」に登場する『氷玉峠』。色彩豊かな峠道で出逢う錦秋の頂点、その美しさに目を奪われる。

いくつかの茅葺き集落が残る南会津。重厚な茅葺屋根は南会津の歴史や地域性を体現している。小林紀晴氏、アレックス・カー氏の連載にも度々登場する。

カタチを持たないカタチを表現するということ。

『ONESTORY』は、ご存知の通り『DINING OUT』を行い、メディアとしても表現しています。しかし、我々は、イベントやWebに執われることはありません。2018年、新たに表現の場を広げた事例としては、『カルティエ』が手がけたコンビニエンスストア『カルチエ』に並ぶフードのサポート。そのラインナップは、『タカザワ』の高澤義明氏が作る巻物やおにぎらず、キャビアアイスクリーム、『ティルプス』の元シェフの田村浩二氏が作る抹茶のアイスクリームやバラのアイスクリーム、『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏が手がけるマンゴタルトなど、そのどれもがスペシャルなコラボレーションアイテム。こういったカタチも『ONESTORY』の表現なのです。我々は、活動体でありたいと思っています。それぞれに適材適所の手法を凝らし、カタチを持たないカタチを表現していきます。

白とゴールドを基調にしたインテリアがラグジュアリー。統一感を持たせたパッケージやショウケースに並んだ時の見え方なども計算しつくされている。

赤坂の『タカザワ』で出している一品を製品化した「キャビアアイスクリーム」。

代々木『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏による「マンゴータルト」。

予約がとれない人気店、目黒『kabi』と赤坂の会員制レストラン『sanmi』が開発した限定のカップラーメンのパッケージを開けるとレストランの招待チケットが入っているという仕掛けも。

2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。

『ONESTORY』のメディアは、少しずつ常にアップデートしています。今年のテーマは、「アーカイブ」でした。各コンテンツを全て整理し、入口も多様化。それぞれが蓄積できる環境を整えました。雑誌などであれば、週刊、月刊など、都度1冊を作り上げますが、『ONESTORY』の場合は永遠に完成しない1冊を作り続け、その想いに夢をはせています。そんなことも感じながら、ぜひ、お楽しみいただければと思います。そして、2018年も多くの読者様、地域の方々にお世話になりました。この場を借りて、深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。それでは、日本のどこかでお会いしましょう。

久高島の聖なる食べ物・イラブー。伝統料理を再構築しコースのはじまりに。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「久高島イラブーのシガレット」。身と皮を分けて下処理を施した後、再び皮を貼り付け、細長い形状に。ひと口大の中に、イラブーの鰹だしのような旨みとアグー種の豚のコクがぎゅっと凝縮されている。

ダイニングアウト琉球南城はじまりの一品を、琉球創世の地に欠かせない聖なる食材で。

沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。太古の昔、琉球の島々や御嶽を作った女神「アマミキヨ」の神話になぞらえ、厨房を任されたのは『志摩観光ホテル』樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下に供された11皿のコースは、「久高島イラブーのシガレット」からスタートしました。多くのゲストにとって、なじみのない食材であろうイラブー(エラブウミヘビ)。一体どんな味がするのか。期待の中に、未知なる食物に対するわずかな不安をにじませる人々を、ひと口で笑顔にし、同時にディープな沖縄・南城の歴史ある食文化の世界に引き込みました。イラブーの産地、久高島は、琉球神話の聖地。一体どんな場所で、イラブーはどのようにして作られているのか。樋口シェフがこの一皿に込めた想いとともにご紹介します。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

レセプションは、久高島のカベール岬周辺で行われた。ゲストはアペリティフに「ヱビス マイスター 匠の逸品」などを楽しんだ。

樋口シェフ。単なる食材や郷土食の再構築にとどまらず、沖縄の人々にとっての食のあり方を11皿で表現した。

フェリーから望む久高島。起伏のない平坦な地形が、見た目にもよくわかる。

ダイニングアウト琉球南城久高島――琉球の祖神が降り立ったはじまりの地。

久高島は、沖縄南東部・知念岬の東海上に浮かぶ島。琉球創世の女神「アマミキヨ」が降臨したといわれる神話の聖地で、周囲わずか8キロの小さな島の中に、御嶽(うたき)や拝所(うがんしょ)など、数々の祈りの場が今も残ります。琉球王朝時代には国王も巡礼していた土地で、祝女(ノロ)という国王の代理人が12年に一度行われる秘祭「イザイホー」などの祭を執り行うなど、女性を守護神とする文化が継承されています。もっとも神聖な場所とされるクボー御嶽は、男子禁制。島の北端のカベール岬は「アマミキヨ」が降り立ったとされる聖地で、海の彼方にあるニライカナイから五穀がもたらされたといわれています。島には、カベール岬を中心にやし科のピロウやクロツグを筆頭にさまざまな風衛植物が自生していて、青い海、白い砂浜とともに南国らしい景観を織りなしています。多くの植物は島の信仰とも密接。祭祀の際、神女たちが頭にかぶる「ハブイ」や扇、神座なども、島の植物からつくられます。

沖縄本島からフェリーでわずか20分程度の場所ながら、リゾート開発を免れた小さな島には、手つかずの自然と、独自の信仰を守り生きる人々の静かな暮らしが残っています。そんな久高島で、神の使い、聖なる食べ物とされるのがイラブー(エラブウミヘビ)なのです。

久高島南部に集中する集落。公共交通機関はなく、自家用車、自転車が人々の移動手段に。

島中央部、カベール岬へ続く道。久高島ならではの植物群は、陽の光を受け緑色が鮮やか。

「アマミキヨ」が降り立ったといわれるカベール岬は、久高島の中でも重要な聖地のひとつ。

ダイニングアウト琉球南城島の神事とも密接なイラブー漁の伝統。

イラブーの漁期は、旧暦の6月から12月。琉球王朝時代、神事の要所であった久高島で、最高権力者であった久高ノロ家など三家が、漁と燻製加工を担い、その技や知識は口頭で伝承されてきたといわれています。捕獲人は、島の重要な祭祀を司る3人の女性で、男性が燻製作業を行うのも決まり事。イラブーの燻製小屋は、秘祭「イザイホー」のもっとも重要な祭場である御殿庭(ウドンミャー)にあります。

時代の流れとともに伝統的な後継者が途絶え、現在では男性も捕獲人に加わっています。糸数勝治氏もそのひとり。糸数氏に案内してもらった漁場は、本島からのフェリーが到着する徳仁港のほど近くで、サンゴ石灰岩が隆起し、比較的水深が深い海岸沿いにあります。漁は夜に行われ、捕獲人たちは漁期の間、毎晩海に入るといいます。道具は使わず、手で捕獲するのも大切な決まりごと。獲ったイラブーが約100匹に達すると、丁寧な下処理を経て、一週間かけて燻製にしていきます。燻製にされるまで、陸で保管されている間も、飲まず食わずで生き続けるほど強い生命力を持つイラブーは、滋養強壮にいい食材として、珍重されてきた歴史を持ちます。

糸数氏の案内で訪れたイラブーの漁場。木で組まれた足場を伝い海に降りる。懐中電灯の小さな灯りひとつで行うには、熟練の技が必要。

御殿庭(ウドンミャー)にあるイラブーの燻製小屋。燻香が一帯に漂う。

イラブーの燻製の窯出し風景。小さなすすやほこりなどを払い、きれいに磨き上げる。

1週間、窯に3度火を入れて完成するイラブーの燻製。下茹でして戻し、柔らかく炊くために数時間煮込むなど、調理にも時間がかかる。

ダイニングアウト琉球南城琉球王朝時代の宮廷料理として受け継がれるイラブー汁を再構築。

10月初旬、食材視察のために沖縄を訪れた樋口宏江シェフは、那覇市の沖縄料理店『月桃庵』でイラブー汁を試食しました。イラブーの燻製を下茹でし、ソーキや昆布とともに煮込んだイラブー汁は、琉球王国時代の宮廷薬膳料理に起源を持ちます。
「独特の旨みは、鰹だしのよう。滋味豊かで、体に染み入るような味わいです」
試食の感想をそう話してくれた樋口シェフ。このイラブー汁から着想を得て「イラブーのシガレット」を作ったといいます。

「イラブーの皮の燻香、身、そして旨みたっぷりのだし。すべてを使いたいと思いました。加えて見た瞬間、イラブーとわかるビジュアルにしたかった」。
そう考えたとき、細長いシガレット状の一品を思い付いたといいます。下茹でしたイラブーの身をほぐし、メインディッシュでも使った純血アグー種の豚「黒金豚」の豚足、豚バラ、ジャガイモと混ぜて成形。この際に、茹でたときの煮汁も加え、シガレットの形に合わせて成形します。下茹で後に皮を切り分け、一部は乾燥させ粉末状に。成形した身に切り分けた皮を貼り付け、昆布の粉末と合わせた皮の粉を、油でからりと揚げます。

実はこの「久高島イラブーのシガレット」は、『DINING OUT』をサポートするサッポロビール「ヱビス マイスター 匠の逸品」に合う料理として樋口シェフが用意したもの。クリスピーな食感と香ばしさ、イラブー粉由来の濃厚な旨みが、ロイヤルリーフホップのふくよかなアロマ、研ぎ澄まされたコクと引き立て合います。

一杯のイラブー汁を構成する食材のすべて、さらにはイラブーの生命すべてがひと口大のシガレットに。。宮廷薬膳料理を見事に再構築した一皿は、アペリティフ会場の久高島を経て、テーブルについたゲストを深い感動へと導きました。

ヱビスブランドの中で唯一、薫り高いロイヤルリーフホップを一部に使用する「ヱビス マイスター 匠の逸品」。濃厚で余韻の長い「久高島イラブーのシガレット」と素晴らしく相乗する。

ゲストは「ヱビス マイスター 匠の逸品」とともに「久高島イラブーのシガレット」を味わった。

『月桃庵』のイラブー汁は、豚足のほかに、大根やしいたけが入る。イラブーの身は昆布で巻いて。

初めてイラブー汁を試食する樋口シェフ。見た目のインパクトと滋味深い味わいのギャップに驚いたと話す。

ダイニングアウト琉球南城琉球と伊勢、ふたつのルーツを重ね合わせて。

『DINING OUT』を通じ、琉球と伊勢との共通点に気付いたという樋口シェフ。それは「神人共食」という言葉に集約されます。
「神人共食とは、神様に捧げた供物を、我々も一緒に頂くという考えです」

伊勢は、神事の際、海産物を献上する役割を担ってきた御食国(みけつくに)。2000年前から行われていた海女による漁も、イラブー漁と重ね合わせます。
「どちらも決められた人が、素手を使って行う漁が今も受け継がれている。そこには、自然からの恵みを“取り過ぎることなく、必要な分だけ分けて頂く”というサスティナブルな視点と感謝の気持ちがある」
滋養豊かなイラブーは、燻製加工することで保存が可能になり、旨みたっぷりのだしが料理の要となる。伊勢で神饌とされる鰹節にも思いを馳せたといいます。

個性豊かな食材や郷土料理にとどまらない、沖縄の食の真の豊かさと「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマを訪れたゲスト全員の記憶に、鮮明に刻みたい。そんな願いを込めて、コースの一皿目に「久高島イラブーのシガレット」を提供したのです。

厨房でサーヴされるときを待つ「久高島イラブーのシガレット」。ずらり並ぶ様子は壮観。

知念城跡に出現したディナー会場。海に面した場所に御嶽があり、そこから久高島を望められた。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

久高島の聖なる食べ物・イラブー。伝統料理を再構築しコースのはじまりに。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「久高島イラブーのシガレット」。身と皮を分けて下処理を施した後、再び皮を貼り付け、細長い形状に。ひと口大の中に、イラブーの鰹だしのような旨みとアグー種の豚のコクがぎゅっと凝縮されている。

ダイニングアウト琉球南城はじまりの一品を、琉球創世の地に欠かせない聖なる食材で。

沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。太古の昔、琉球の島々や御嶽を作った女神「アマミキヨ」の神話になぞらえ、厨房を任されたのは『志摩観光ホテル』樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下に供された11皿のコースは、「久高島イラブーのシガレット」からスタートしました。多くのゲストにとって、なじみのない食材であろうイラブー(エラブウミヘビ)。一体どんな味がするのか。期待の中に、未知なる食物に対するわずかな不安をにじませる人々を、ひと口で笑顔にし、同時にディープな沖縄・南城の歴史ある食文化の世界に引き込みました。イラブーの産地、久高島は、琉球神話の聖地。一体どんな場所で、イラブーはどのようにして作られているのか。樋口シェフがこの一皿に込めた想いとともにご紹介します。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

レセプションは、久高島のカベール岬周辺で行われた。ゲストはアペリティフに「ヱビス マイスター 匠の逸品」などを楽しんだ。

樋口シェフ。単なる食材や郷土食の再構築にとどまらず、沖縄の人々にとっての食のあり方を11皿で表現した。

フェリーから望む久高島。起伏のない平坦な地形が、見た目にもよくわかる。

ダイニングアウト琉球南城久高島――琉球の祖神が降り立ったはじまりの地。

久高島は、沖縄南東部・知念岬の東海上に浮かぶ島。琉球創世の女神「アマミキヨ」が降臨したといわれる神話の聖地で、周囲わずか8キロの小さな島の中に、御嶽(うたき)や拝所(うがんしょ)など、数々の祈りの場が今も残ります。琉球王朝時代には国王も巡礼していた土地で、祝女(ノロ)という国王の代理人が12年に一度行われる秘祭「イザイホー」などの祭を執り行うなど、女性を守護神とする文化が継承されています。もっとも神聖な場所とされるクボー御嶽は、男子禁制。島の北端のカベール岬は「アマミキヨ」が降り立ったとされる聖地で、海の彼方にあるニライカナイから五穀がもたらされたといわれています。島には、カベール岬を中心にやし科のピロウやクロツグを筆頭にさまざまな風衛植物が自生していて、青い海、白い砂浜とともに南国らしい景観を織りなしています。多くの植物は島の信仰とも密接。祭祀の際、神女たちが頭にかぶる「ハブイ」や扇、神座なども、島の植物からつくられます。

沖縄本島からフェリーでわずか20分程度の場所ながら、リゾート開発を免れた小さな島には、手つかずの自然と、独自の信仰を守り生きる人々の静かな暮らしが残っています。そんな久高島で、神の使い、聖なる食べ物とされるのがイラブー(エラブウミヘビ)なのです。

久高島南部に集中する集落。公共交通機関はなく、自家用車、自転車が人々の移動手段に。

島中央部、カベール岬へ続く道。久高島ならではの植物群は、陽の光を受け緑色が鮮やか。

「アマミキヨ」が降り立ったといわれるカベール岬は、久高島の中でも重要な聖地のひとつ。

ダイニングアウト琉球南城島の神事とも密接なイラブー漁の伝統。

イラブーの漁期は、旧暦の6月から12月。琉球王朝時代、神事の要所であった久高島で、最高権力者であった久高ノロ家など三家が、漁と燻製加工を担い、その技や知識は口頭で伝承されてきたといわれています。捕獲人は、島の重要な祭祀を司る3人の女性で、男性が燻製作業を行うのも決まり事。イラブーの燻製小屋は、秘祭「イザイホー」のもっとも重要な祭場である御殿庭(ウドンミャー)にあります。

時代の流れとともに伝統的な後継者が途絶え、現在では男性も捕獲人に加わっています。糸数勝治氏もそのひとり。糸数氏に案内してもらった漁場は、本島からのフェリーが到着する徳仁港のほど近くで、サンゴ石灰岩が隆起し、比較的水深が深い海岸沿いにあります。漁は夜に行われ、捕獲人たちは漁期の間、毎晩海に入るといいます。道具は使わず、手で捕獲するのも大切な決まりごと。獲ったイラブーが約100匹に達すると、丁寧な下処理を経て、一週間かけて燻製にしていきます。燻製にされるまで、陸で保管されている間も、飲まず食わずで生き続けるほど強い生命力を持つイラブーは、滋養強壮にいい食材として、珍重されてきた歴史を持ちます。

糸数氏の案内で訪れたイラブーの漁場。木で組まれた足場を伝い海に降りる。懐中電灯の小さな灯りひとつで行うには、熟練の技が必要。

御殿庭(ウドンミャー)にあるイラブーの燻製小屋。燻香が一帯に漂う。

イラブーの燻製の窯出し風景。小さなすすやほこりなどを払い、きれいに磨き上げる。

1週間、窯に3度火を入れて完成するイラブーの燻製。下茹でして戻し、柔らかく炊くために数時間煮込むなど、調理にも時間がかかる。

ダイニングアウト琉球南城琉球王朝時代の宮廷料理として受け継がれるイラブー汁を再構築。

10月初旬、食材視察のために沖縄を訪れた樋口宏江シェフは、那覇市の沖縄料理店『月桃庵』でイラブー汁を試食しました。イラブーの燻製を下茹でし、ソーキや昆布とともに煮込んだイラブー汁は、琉球王国時代の宮廷薬膳料理に起源を持ちます。
「独特の旨みは、鰹だしのよう。滋味豊かで、体に染み入るような味わいです」
試食の感想をそう話してくれた樋口シェフ。このイラブー汁から着想を得て「イラブーのシガレット」を作ったといいます。

「イラブーの皮の燻香、身、そして旨みたっぷりのだし。すべてを使いたいと思いました。加えて見た瞬間、イラブーとわかるビジュアルにしたかった」。
そう考えたとき、細長いシガレット状の一品を思い付いたといいます。下茹でしたイラブーの身をほぐし、メインディッシュでも使った純血アグー種の豚「黒金豚」の豚足、豚バラ、ジャガイモと混ぜて成形。この際に、茹でたときの煮汁も加え、シガレットの形に合わせて成形します。下茹で後に皮を切り分け、一部は乾燥させ粉末状に。成形した身に切り分けた皮を貼り付け、昆布の粉末と合わせた皮の粉を、油でからりと揚げます。

実はこの「久高島イラブーのシガレット」は、『DINING OUT』をサポートするサッポロビール「ヱビス マイスター 匠の逸品」に合う料理として樋口シェフが用意したもの。クリスピーな食感と香ばしさ、イラブー粉由来の濃厚な旨みが、ロイヤルフリーホップのふくよかなアロマ、研ぎ澄まされたコクと引き立て合います。

一杯のイラブー汁を構成する食材のすべて、さらにはイラブーの生命すべてがひと口大のシガレットに。。宮廷薬膳料理を見事に再構築した一皿は、アペリティフ会場の久高島を経て、テーブルについたゲストを深い感動へと導きました。

ヱビスブランドの中で唯一、薫り高いロイヤルリーフホップを一部に使用する「ヱビス マイスター 匠の逸品」。濃厚で余韻の長い「久高島イラブーのシガレット」と素晴らしく相乗する。

ゲストは「ヱビス マイスター 匠の逸品」とともに「久高島イラブーのシガレット」を味わった。

『月桃庵』のイラブー汁は、豚足のほかに、大根やしいたけが入る。イラブーの身は昆布で巻いて。

初めてイラブー汁を試食する樋口シェフ。見た目のインパクトと滋味深い味わいのギャップに驚いたと話す。

ダイニングアウト琉球南城琉球と伊勢、ふたつのルーツを重ね合わせて。

『DINING OUT』を通じ、琉球と伊勢との共通点に気付いたという樋口シェフ。それは「神人共食」という言葉に集約されます。
「神人共食とは、神様に捧げた供物を、我々も一緒に頂くという考えです」

伊勢は、神事の際、海産物を献上する役割を担ってきた御食国(みけつくに)。2000年前から行われていた海女による漁も、イラブー漁と重ね合わせます。
「どちらも決められた人が、素手を使って行う漁が今も受け継がれている。そこには、自然からの恵みを“取り過ぎることなく、必要な分だけ分けて頂く”というサスティナブルな視点と感謝の気持ちがある」
滋養豊かなイラブーは、燻製加工することで保存が可能になり、旨みたっぷりのだしが料理の要となる。伊勢で神饌とされる鰹節にも思いを馳せたといいます。

個性豊かな食材や郷土料理にとどまらない、沖縄の食の真の豊かさと「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマを訪れたゲスト全員の記憶に、鮮明に刻みたい。そんな願いを込めて、コースの一皿目に「久高島イラブーのシガレット」を提供したのです。

厨房でサーヴされるときを待つ「久高島イラブーのシガレット」。ずらり並ぶ様子は壮観。

知念城跡に出現したディナー会場。海に面した場所に御嶽があり、そこから久高島を望められた。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

生まれ変わった『FARO』のビジョン。知られざる日本を発信することで、次世代の世界基準を目指す。[FARO/東京都中央区]

鮮やかなスカイブルーを基調に、デザインも一新された『FARO』の店内。

ファロ2018年、銀座の名店『ファロ資生堂』が、すべてを一新し『FARO』としてリニューアル。

音楽やアートが世相を反映するように、レストランもまた時代に応じて変わっていくもの。新生『FARO』のリニューアルの報せは、そんな思いを抱かせます。2001年、資生堂パーラーが運営する初のイタリアンレストランとして誕生し、日本におけるイタリアンシーンを牽引してきた『ファロ資生堂』。食の都・銀座で確固たる地位を築いていたその名店が今、あえて変わることを選んだのです。「ここは資生堂パーラーの創業の地。最初は"ソーダファウンテン"、次は洋食。私達はいつでも時代の最先端で、新しいことにチャレンジしてきましたから」資生堂パーラー社長・鈴木真氏は、こともなげにそう語りました。

イタリアから能田耕太郎シェフを招聘した新生『FARO』を端的な言葉で表現するならば、”世界基準”。しかしそれは、均一化されたグローバリズムに向かうのではありません。反対に、日本の知られざる食材、食文化、器、人物に光を当て、食事という体験を通してその魅力を伝えることを目指しているのです。「世界中から人々が訪れる銀座という地で、日本という国のポテンシャルを体感していただく。その濃密な時間を過ごしたゲストがスピーカーとなり、その体験を広める。これから求められるのは、そういう意味での世界基準です」と鈴木氏。

能田氏もその思いに共感して、このオファーを受けることを決めたといいます。「日本には素晴らしいレストランがたくさんあり、同じことをやっては意味がありません。必要なことは挑戦。幸いここは大きなレストランだけに、地方の小さな生産者に目を向けることができます。それは知られざる各地の魅力を、レストランという場を通して伝えることができるということです」と能田シェフ。生産量や流通ルート、あるいは価格の問題から、市場には出回りにくい食材。それらを根気強く探し、世界企業である『資生堂』、そして世界を知る料理人である能田シェフのフィルターを通して発信する。その作業はつまり、日本の魅力を再編集して伝えること。それこそが『FARO』の目指す世界基準の本質なのです。

食材だけにとどまらず、組織や器、空間、そして個性的な料理人から労働環境にいたるまで、生まれ変わった『FARO』のイノベーションを支える要素は、多岐にわたります。そこで、今回から『FARO』のビジョンを紐解き、やがて世界に轟くであろうその魅力に迫ります。

新生『FARO』を象徴するある日のディナーの前菜。ギミックのある器でサプライズとともに届けられる。

ある日のディナーのメインは「小鳩のロースト」。黒にんにくの濃厚なソースが小鳩を引き立てる。

『FARO』の展望と思いを語る資生堂パーラー・鈴木真社長。

ファロまさかの食材を美しきデザートに仕立てる。シェフパティシエ・加藤峰子という個性。

『FARO』のテーブルには、メニューがありません。あるのは使用する食材の名がずらりと書き出された一枚の紙のみ。数えてみれば、その数およそ150種類。能田耕太郎シェフをはじめ、スタッフそれぞれが日本全国津々浦々をめぐり、生産者と話しながら見つけた食材たちです。その膨大な食材表を前に、ゲストの頭にはさまざまな想像が浮かぶことでしょう。そして料理が登場し、リストの中の食材と思わぬ形で対面することで、想像がうれしい驚きに変わるのです。「常に大切にしているのは、サプライズ。おいしいだけではなく、楽しいレストランにしたい」能田シェフのそんな思いを形にしたプレゼンテーションです。

さらに食材リストをつぶさに眺めると、フルーツやチョコレート、無数のハーブなど、スイーツの素材が目に留まることでしょう。そう、食材の視点から『FARO』を紐解くとき、欠かせぬ人物が厨房にいるのです。それはシェフパティシエの加藤峰子氏。食材を通して地域の知られざる魅力を掘り起こす――そんな『FARO』の思いを体現する人物です。

幼い頃から美術や建築、デザインに興味があり、イタリアで大学を卒業した後はファッション誌『VOGUE』の編集に携わっていた加藤氏。しかし憧れだった“ものづくり”への思いが募り、イタリアのケーキショップに転職することを決意します。面接の日、加藤氏は独学で作り上げた6個のお菓子を自作の箱に包み、店を訪れました。思い立ったらまず、行動。「これならどうだ」という熱意が伝わり、未経験の加藤氏は即採用となりました。

やがて経験を積むうちに、今度は洗練された素材の味を追求すべくレストランへの転職を目指した加藤氏。ミラノにあるブルガリホテルのレストランに、思いを綴った手紙を送りました。さらにモデナの「オステリア・フランチェスカ―ナ」の扉をたたく際には、ポスターほどのサイズがある特大の自作履歴書を、同じく特大の封筒に入れて。一事が万事、その調子。破天荒で、行動的で、しかしいつでも真っ直ぐに目標を見据えている。それが加藤峰子という人物の本質であり、パティシエとしての魅力でもあるのです。

その後も名だたる星付き店でペイストリーシェフを勤めた加藤氏。日本への帰国を考えた2018年、もちろん数々のレストランからオファーが届きます。しかしそのすべてを断り、『FARO』への入店を決めたのです。その理由を尋ねると「どんなレストランかではなく、そこでどんな目標を持てるか。土地を知り、食材を知る。そんな私自身の夢と、『FARO』や能田シェフの思いが重なったんです」と加藤氏。日本という地を知り、新たな食材と出会いたい。そんな自身の夢の第一歩を、この『FARO』に託したのです。

シェフパティシエ・加藤峰子氏。繊細な発想と大胆な技で、独自のデザートを生み出す。

加藤氏が「即興で作った」というタマネギのデザート。イタリアの田舎町で食べた焼菓子がモチーフ。

奈良県山口農園から届く40種ものハーブを使ったプティフール。山の風景そのものを思い起こさせる。盛り付けはスタッフ総出で。

ファロ危機に瀕したみかんを買い上げ、一皿のデザートに。

加藤氏の食材への思いは、ある日のディナーデザート「明浜みかんが忘れた色」に象徴されます。愛媛県明浜町狩浜は、昔ながらの段々畑が残り、国の重要文化的景観にも選定される地域。しかし今年の台風被害により、同地区のみかん畑は崩落し、壊滅的な被害を被ってしまったのです。

その状況を知るや否や、加藤氏は規格外の、つまり味は良くとも形が整わず市場に流せないみかんを、まるごと全部引き取ってしまったのです。「だってもったいないじゃないですか」自然体の加藤氏は、淡々と語ります。しかしその言葉の端々から、景観の保護や復興への思いが垣間見えるのです。「あんなにきれいな場所がなくなってしまうのは、日本の損失ですよ」

もちろんただ買い上げるだけではなく、明浜みかんのおいしさとストーリーを広く伝えるまでが、料理人としての加藤氏の仕事。加藤氏はなんと、みかんだけで構成するデザートを作り上げました。下にはみかんと発酵カカオ、カカオとみかんのクランブルを敷き、シチリアの黒オリーブで味に変化を加えます。二酸化炭素を加えたみかん果汁とチョコを合わせたシャーベット、焼いたグラサージュ、みかんとレモンのメレンゲ、バジルとオレガノを加えたみかんのゼリー。香りが媒体となり全体を統一し、食感と甘みのグラデーションで奥行きを加える。言葉にするとシンプルですが、このデザートには加藤氏の技と経験、そして複雑な計算が潜んでいます。

「母乳で育つ人間の脳には、糖分を快楽として感じる機能があります。しかし糖の快楽だけでは思考が平坦になってしまいますので、香りを媒体とすること、味に変化をつけることでさらなる感動を作り出します」そう語る加藤氏。一見、自由奔放にみえる加藤氏ですが、その言葉には食への深い洞察と科学的な視点が潜んでいました。

「明浜みかんが忘れた色」。みかんを思わせない黒いビジュアルは、ロシアの芸術家・マレーヴィチの絶対主義のオマージュ。

偶然性によりアーティスティックな模様を生み出すのも、芸術にも造詣が深い加藤氏らしさ。

ファロ人を幸せにするデザートを目指す、加藤氏の挑戦。

加藤氏のデザートにはいつも挑戦と研究、イノベーション、そして食材への愛が凝縮されています。
たとえば料理との橋渡しとなる一品目のプレデザートに、タマネギや根セロリなどの食材を取り入れます。これは料理からデザートへの移行が自然になるための工夫。普通はデザートに使用しない食材であっても、まずは試してみることが加藤氏の信条です。

あるいはこの秋にはモミジの葉をそのまま使ったデザートが登場し、ゲストを驚かせました。「モミジが食べられるって、私も知らなかったんです。試食してみたら青い葉は柑橘のような酸味があり、紅葉した赤い葉は紅茶のような香りがありました。だからその驚きをそのままデザートにしました」加藤氏はそう振り返ります。「日常的には食材としての価値を置かれないものでも、多くの可能性を秘めています」との言葉通り、廃棄される予定だった規格外のみかんや、落ち葉となり枯れていくだけのモミジを見事なデザートに変える加藤氏。

「食は人を幸せにするもの」取材の間、加藤氏は繰り返しそう語りました。食べる人はもちろん、食材を作る生産者も、作る料理人も、皆幸せになるようなデザート。これまでデザートに使われなかったような食材を見つけ出し、そのバックグラウンドを理解し、生産者の思いを汲み、エッセンスを抽出し、まったく未知のデザートとして構築する。それは知られざる日本の魅力を拾い集め新たな価値を生み出すこと、つまり日本を再編集することに他なりません。そして、これこそスタッフ全員の思いを象徴する『FARO』の在り方そのものでもあるのです。


(supported by 資生堂パーラー)

バースデーケーキとして作った「ピスタチオのパルフェ」。盆栽のような和風の見た目と、クリームを軸とした味のギャップで驚かせる。

米だけで作ったランチのデザート「米の未来」。米のソース、米のマシュマロなどが重層的な味わいを生む。

紅茶と根セロリ、国産ベルガモットを使うプレデザート「根セロリと紅茶」。

1999年に渡伊。2007年までイタリアの名店で修業を積み、その後、現地でシェフとして活躍。2013年、「ノーマ」(コペンハーゲン)など最高峰の北欧料理店での研修を経て再びイタリアへ。自身が共同経営するローマの「bistrot64」では、ネオビストロのスタイルで人気を支える。2016年11月『ミシュランガイド・イタリア 2017』 にて二度目の一ツ星を獲得。イタリア料理のシェフとして二度の評価を得るに至った初の日本人となる。2017年には「テイスト・ザ・ワールド(アブダビ)」の最終コンペティションにローマ代表として出場し優勝。「ファロ」では、風情や旬を大切にする日本文化の中、イタリアで培ってきたことを東京・銀座で発揮し、自身の感性とチーム力で“お客さまが楽しむレストラン”を創り上げていく。

デザイン、美術、現代アートやモノづくりに興味を持ち、食の分野からパン・お菓子の道を選び進む。約10年間、「イル ルオゴ ディ アイモ エ ナディア」「イル・マルケジーノ」「マンダリンオリエンタルミラノ」(ミラノ)、「オステリア・フランチェスカーナ」(モデナ)など、イタリアの名立たるミシュラン星獲得店にてペイストリーシェフを勤める。「エノテカ・ピンキオーリ」(フィレンツェ)のチョコレート部門を経験。「ファロ」では、"旅するように特別な体験として脳裏に残るようなレストラン”を目指し、日本の自然や和のハーブをリスペクトしたデザートを提案。自家製酵母など原材料からこだわり、メニュー開発に取り組む。

住所:〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目8−3 東京銀座資生堂ビル10階 MAP
電話:03-3572-3911
FARO HP:https://faro.shiseido.co.jp/

生まれ変わった『FARO』のビジョン。知られざる日本を発信することで、次世代の世界基準を目指す。[FARO/東京都中央区]

鮮やかなスカイブルーを基調に、デザインも一新された『FARO』の店内。

ファロ2018年、銀座の名店『ファロ資生堂』が、すべてを一新し『FARO』としてリニューアル。

音楽やアートが世相を反映するように、レストランもまた時代に応じて変わっていくもの。新生『FARO』のリニューアルの報せは、そんな思いを抱かせます。2001年、資生堂パーラーが運営する初のイタリアンレストランとして誕生し、日本におけるイタリアンシーンを牽引してきた『ファロ資生堂』。食の都・銀座で確固たる地位を築いていたその名店が今、あえて変わることを選んだのです。「ここは資生堂パーラーの創業の地。最初は"ソーダファウンテン"、次は洋食。私達はいつでも時代の最先端で、新しいことにチャレンジしてきましたから」資生堂パーラー社長・鈴木真氏は、こともなげにそう語りました。

イタリアから能田耕太郎シェフを招聘した新生『FARO』を端的な言葉で表現するならば、”世界基準”。しかしそれは、均一化されたグローバリズムに向かうのではありません。反対に、日本の知られざる食材、食文化、器、人物に光を当て、食事という体験を通してその魅力を伝えることを目指しているのです。「世界中から人々が訪れる銀座という地で、日本という国のポテンシャルを体感していただく。その濃密な時間を過ごしたゲストがスピーカーとなり、その体験を広める。これから求められるのは、そういう意味での世界基準です」と鈴木氏。

能田氏もその思いに共感して、このオファーを受けることを決めたといいます。「日本には素晴らしいレストランがたくさんあり、同じことをやっては意味がありません。必要なことは挑戦。幸いここは大きなレストランだけに、地方の小さな生産者に目を向けることができます。それは知られざる各地の魅力を、レストランという場を通して伝えることができるということです」と能田シェフ。生産量や流通ルート、あるいは価格の問題から、市場には出回りにくい食材。それらを根気強く探し、世界企業である『資生堂』、そして世界を知る料理人である能田シェフのフィルターを通して発信する。その作業はつまり、日本の魅力を再編集して伝えること。それこそが『FARO』の目指す世界基準の本質なのです。

食材だけにとどまらず、組織や器、空間、そして個性的な料理人から労働環境にいたるまで、生まれ変わった『FARO』のイノベーションを支える要素は、多岐にわたります。そこで、今回から『FARO』のビジョンを紐解き、やがて世界に轟くであろうその魅力に迫ります。

新生『FARO』を象徴するある日のディナーの前菜。ギミックのある器でサプライズとともに届けられる。

ある日のディナーのメインは「小鳩のロースト」。黒にんにくの濃厚なソースが小鳩を引き立てる。

『FARO』の展望と思いを語る資生堂パーラー・鈴木真社長。

ファロまさかの食材を美しきデザートに仕立てる。シェフパティシエ・加藤峰子という個性。

『FARO』のテーブルには、メニューがありません。あるのは使用する食材の名がずらりと書き出された一枚の紙のみ。数えてみれば、その数およそ150種類。能田耕太郎シェフをはじめ、スタッフそれぞれが日本全国津々浦々をめぐり、生産者と話しながら見つけた食材たちです。その膨大な食材表を前に、ゲストの頭にはさまざまな想像が浮かぶことでしょう。そして料理が登場し、リストの中の食材と思わぬ形で対面することで、想像がうれしい驚きに変わるのです。「常に大切にしているのは、サプライズ。おいしいだけではなく、楽しいレストランにしたい」能田シェフのそんな思いを形にしたプレゼンテーションです。

さらに食材リストをつぶさに眺めると、フルーツやチョコレート、無数のハーブなど、スイーツの素材が目に留まることでしょう。そう、食材の視点から『FARO』を紐解くとき、欠かせぬ人物が厨房にいるのです。それはシェフパティシエの加藤峰子氏。食材を通して地域の知られざる魅力を掘り起こす――そんな『FARO』の思いを体現する人物です。

幼い頃から美術や建築、デザインに興味があり、イタリアで大学を卒業した後はファッション誌『VOGUE』の編集に携わっていた加藤氏。しかし憧れだった“ものづくり”への思いが募り、イタリアのケーキショップに転職することを決意します。面接の日、加藤氏は独学で作り上げた6個のお菓子を自作の箱に包み、店を訪れました。思い立ったらまず、行動。「これならどうだ」という熱意が伝わり、未経験の加藤氏は即採用となりました。

やがて経験を積むうちに、今度は洗練された素材の味を追求すべくレストランへの転職を目指した加藤氏。ミラノにあるブルガリホテルのレストランに、思いを綴った手紙を送りました。さらにモデナの「オステリア・フランチェスカ―ナ」の扉をたたく際には、ポスターほどのサイズがある特大の自作履歴書を、同じく特大の封筒に入れて。一事が万事、その調子。破天荒で、行動的で、しかしいつでも真っ直ぐに目標を見据えている。それが加藤峰子という人物の本質であり、パティシエとしての魅力でもあるのです。

その後も名だたる星付き店でペイストリーシェフを勤めた加藤氏。日本への帰国を考えた2018年、もちろん数々のレストランからオファーが届きます。しかしそのすべてを断り、『FARO』への入店を決めたのです。その理由を尋ねると「どんなレストランかではなく、そこでどんな目標を持てるか。土地を知り、食材を知る。そんな私自身の夢と、『FARO』や能田シェフの思いが重なったんです」と加藤氏。日本という地を知り、新たな食材と出会いたい。そんな自身の夢の第一歩を、この『FARO』に託したのです。

シェフパティシエ・加藤峰子氏。繊細な発想と大胆な技で、独自のデザートを生み出す。

加藤氏が「即興で作った」というタマネギのデザート。イタリアの田舎町で食べた焼菓子がモチーフ。

奈良県山口農園から届く40種ものハーブを使ったプティフール。山の風景そのものを思い起こさせる。盛り付けはスタッフ総出で。

ファロ危機に瀕したみかんを買い上げ、一皿のデザートに。

加藤氏の食材への思いは、ある日のディナーデザート「明浜みかんが忘れた色」に象徴されます。愛媛県明浜町狩浜は、昔ながらの段々畑が残り、国の重要文化的景観にも選定される地域。しかし今年の台風被害により、同地区のみかん畑は崩落し、壊滅的な被害を被ってしまったのです。

その状況を知るや否や、加藤氏は規格外の、つまり味は良くとも形が整わず市場に流せないみかんを、まるごと全部引き取ってしまったのです。「だってもったいないじゃないですか」自然体の加藤氏は、淡々と語ります。しかしその言葉の端々から、景観の保護や復興への思いが垣間見えるのです。「あんなにきれいな場所がなくなってしまうのは、日本の損失ですよ」

もちろんただ買い上げるだけではなく、明浜みかんのおいしさとストーリーを広く伝えるまでが、料理人としての加藤氏の仕事。加藤氏はなんと、みかんだけで構成するデザートを作り上げました。下にはみかんと発酵カカオ、カカオとみかんのクランブルを敷き、シチリアの黒オリーブで味に変化を加えます。二酸化炭素を加えたみかん果汁とチョコを合わせたシャーベット、焼いたグラサージュ、みかんとレモンのメレンゲ、バジルとオレガノを加えたみかんのゼリー。香りが媒体となり全体を統一し、食感と甘みのグラデーションで奥行きを加える。言葉にするとシンプルですが、このデザートには加藤氏の技と経験、そして複雑な計算が潜んでいます。

「母乳で育つ人間の脳には、糖分を快楽として感じる機能があります。しかし糖の快楽だけでは思考が平坦になってしまいますので、香りを媒体とすること、味に変化をつけることでさらなる感動を作り出します」そう語る加藤氏。一見、自由奔放にみえる加藤氏ですが、その言葉には食への深い洞察と科学的な視点が潜んでいました。

「明浜みかんが忘れた色」。みかんを思わせない黒いビジュアルは、ロシアの芸術家・マレーヴィチの絶対主義のオマージュ。

偶然性によりアーティスティックな模様を生み出すのも、芸術にも造詣が深い加藤氏らしさ。

ファロ人を幸せにするデザートを目指す、加藤氏の挑戦。

加藤氏のデザートにはいつも挑戦と研究、イノベーション、そして食材への愛が凝縮されています。
たとえば料理との橋渡しとなる一品目のプレデザートに、タマネギや根セロリなどの食材を取り入れます。これは料理からデザートへの移行が自然になるための工夫。普通はデザートに使用しない食材であっても、まずは試してみることが加藤氏の信条です。

あるいはこの秋にはモミジの葉をそのまま使ったデザートが登場し、ゲストを驚かせました。「モミジが食べられるって、私も知らなかったんです。試食してみたら青い葉は柑橘のような酸味があり、紅葉した赤い葉は紅茶のような香りがありました。だからその驚きをそのままデザートにしました」加藤氏はそう振り返ります。「日常的には食材としての価値を置かれないものでも、多くの可能性を秘めています」との言葉通り、廃棄される予定だった規格外のみかんや、落ち葉となり枯れていくだけのモミジを見事なデザートに変える加藤氏。

「食は人を幸せにするもの」取材の間、加藤氏は繰り返しそう語りました。食べる人はもちろん、食材を作る生産者も、作る料理人も、皆幸せになるようなデザート。これまでデザートに使われなかったような食材を見つけ出し、そのバックグラウンドを理解し、生産者の思いを汲み、エッセンスを抽出し、まったく未知のデザートとして構築する。それは知られざる日本の魅力を拾い集め新たな価値を生み出すこと、つまり日本を再編集することに他なりません。そして、これこそスタッフ全員の思いを象徴する『FARO』の在り方そのものでもあるのです。


(supported by 資生堂パーラー)

バースデーケーキとして作った「ピスタチオのパルフェ」。盆栽のような和風の見た目と、クリームを軸とした味のギャップで驚かせる。

米だけで作ったランチのデザート「米の未来」。米のソース、米のマシュマロなどが重層的な味わいを生む。

紅茶と根セロリ、国産ベルガモットを使うプレデザート「根セロリと紅茶」。

1999年に渡伊。2007年までイタリアの名店で修業を積み、その後、現地でシェフとして活躍。2013年、「ノーマ」(コペンハーゲン)など最高峰の北欧料理店での研修を経て再びイタリアへ。自身が共同経営するローマの「bistrot64」では、ネオビストロのスタイルで人気を支える。2016年11月『ミシュランガイド・イタリア 2017』 にて二度目の一ツ星を獲得。イタリア料理のシェフとして二度の評価を得るに至った初の日本人となる。2017年には「テイスト・ザ・ワールド(アブダビ)」の最終コンペティションにローマ代表として出場し優勝。「ファロ」では、風情や旬を大切にする日本文化の中、イタリアで培ってきたことを東京・銀座で発揮し、自身の感性とチーム力で“お客さまが楽しむレストラン”を創り上げていく。

デザイン、美術、現代アートやモノづくりに興味を持ち、食の分野からパン・お菓子の道を選び進む。約10年間、「イル ルオゴ ディ アイモ エ ナディア」「イル・マルケジーノ」「マンダリンオリエンタルミラノ」(ミラノ)、「オステリア・フランチェスカーナ」(モデナ)など、イタリアの名立たるミシュラン星獲得店にてペイストリーシェフを勤める。「エノテカ・ピンキオーリ」(フィレンツェ)のチョコレート部門を経験。「ファロ」では、"旅するように特別な体験として脳裏に残るようなレストラン”を目指し、日本の自然や和のハーブをリスペクトしたデザートを提案。自家製酵母など原材料からこだわり、メニュー開発に取り組む。

住所:〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目8−3 東京銀座資生堂ビル10階 MAP
電話:03-3572-3911
FARO HP:https://faro.shiseido.co.jp/

清らかな水で育った、尊い魚たちを食す。[御食事処 命水苑/大分県竹田市]

ヤマメとアマゴの総称を九州の一部地方では「エノハ」と呼ぶ。唐揚げは頭から尻尾まで余すとこなくいただける。

御食事処 命水苑希少な名水育ちの川魚。

「渓流の女王」と称され、美しく冷たい水がある渓流にのみ生息する「エノハ」。くじゅう連山や祖母山、傾山に阿蘇外輪山などの名山に囲まれた大分県竹田市では名水百選にも選ばれた水がこんこんと湧き、清らかな水に育まれたエノハが数多く生息。竹田市の特産品として知られています。

竹田湧水群の一つで、最も湧水量が多いことで知られる竹田市入田地区の「河宇田湧水」。阿蘇外輪山から届く天然水が湧き出る地では、戦前から名水を使って川魚の養殖が行われてきました。熟練の魚飼いが手塩にかけた名水育ちのエノハ。希少な味を堪能できる食事処を紹介します。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

食事処の目の前には釣り堀があり、ニジマス釣りが楽しめる。

河宇田湧水。水汲み場には多くの人が訪れる。

体に朱色の斑点を持つエノハ(ヤマメには斑点はない)。塩焼きや唐揚げ、背ごしなどで提供している。

御食事処 命水苑美しい水が育んだ、西日本最古の養鱒場。

「御食事処 命水苑」は約80年前、ニジマスの養殖を中心に行う大分県の水産試験場として生まれました。戦後、施設が民間の手に渡ると「竹田養鱒場」として食事処も併設。鱒を使った料理がいただける有数の食事処として名を馳せていました。ここに足繁く通っていたのが、今の「御食事処 命水苑」を営む足立徹信氏です。先代の社長に後継ぎがおらず、今後の運営を悩んでいることを知った足立氏は、竹田の川魚を残すために電気屋の営業マンから一転、25歳で魚飼いと板前という二足のわらじを履くことを決意。魚にも養殖にも一番大事なのは“水”。「私たちの事業は水に生かされている」と、「竹田養鱒場」から「命水苑」と名を変え、営業を始めました。

足立氏と食事処で料理や接客を担当する妻の冷子氏。

昭和12年ごろから続く鱒の養殖。

御食事処 命水苑餌の量と質で品質の高い魚を届ける。

「命水苑」では養殖場で受精から孵化をさせ、稚魚から生魚まで育てています。湧水を使っているため、水温は15度で安定。1年を通して水質・水量・水温に変化がないため、「命水苑」では品質の高い魚を安定して供給することができるのです。その強みを生かし、足立氏は戦前から続く鱒の養殖に加え、竹田市に数多く生息していたエノハの養殖を始めました。

 当時エノハの養殖をしている先人はおらず、手探りで始めた足立氏。特に受精には骨を折ったと話します。
「産卵の時期は1年に1回しかない。だから何年もかかる。一匹一匹受精させてどの状態の魚が受精率が良かったをデータにして分析して。当時は写真を撮るのも容易じゃなかった。やけん魚の状態を絵に描いたりして。今では1年に20万匹も孵化するようになったんで」。

10月に産卵し11月に孵化するエノハは、毎年6月に旬を迎えます。「命水苑」では、餌の量を徹底管理して、1年間新鮮なエノハを提供できるようになりました。
「孵化させるのは毎年決まった時期やろ? でも一緒の量の餌をみんなにやると、みんな一遍に大きくなる。だから池をいくつも用意して、こっちは正月に提供する用、ここは5月の連休用、これは夏休み用って、それぞれ提供する時期に決まった大きさになるように餌の量を調整していくんよ」。

一番美味しい状態のサイズを1年間ずっと届ける。それは50年の魚飼いの経験を経てたどり着いた境地です。さらにエノハの質を高めるため、足立氏は餌の質も追求。防腐剤が含まれていない、魚にも人間にも安心な餌を与えることで、ここでしか味わうことのできないエノハを生み出しているのです。

毎日魚の生育状況をチェックしながら餌をあげていく。

孵化させた20万匹の中から、川に稚魚放流をしたり、他の魚飼いに譲ったりもしている。今は年間約3万匹を飼育。

稚魚用と生魚用とまた異なる餌を与え、大きさを調整している。

御食事処 命水苑魚と心を通わせて。

修行に出てからは50年間、365日、1日も休むことなく魚たちの世話をしてきた足立氏。今では県内で一番長く養鱒を続ける熟練者となりました。
「魚と会話ができんとダメなんや。子どもが何を訴えているかを親が察するように、今何を欲しがっているのか、それは魚たちの訴えを聞くことができんと美味しく育ってくれん」。

卵の時から生魚になるまで。毎日欠かさず会話し、大事に育てている「命水苑」の魚たち。こだわりの餌を食べてのびのびと育つエノハの美味しさは、併設の食事処で味わうことができます。「美味しいものを美味しい状態で」と、新鮮な状態で調理される魚たち。脂乗りが良く、川魚特有のクセもないため刺身でも十分美味しいのですが、何より味わって欲しいのが足立氏オススメの唐揚げです。カラッと揚がったサクサクのエノハは身がふっくら、ほんのりと甘みを感じ、頭から尻尾、骨まで丸ごと味わうことができます。そのほかにも塩焼きや背ごしのほか、炊き込みご飯や味噌汁がついた御膳もあり、足立氏が“一番美味しい状態”に仕上げた活きのいいエノハの味わいを、存分に楽しむことができます。

76歳を迎えた足立氏。川魚を守り続けてくれる後継者を探している。

エノハ料理が中心だが、ニジマスを使った刺身や茶漬けなどもいただける。

名物のエノハの唐揚げ。かぼすをぎゅっと絞り、出汁に付けていただく。

エノハ本来の味を楽しめる塩焼き。カボスをかけて召し上がれ。

エノハを使ったなます。エノハ御膳についてくる。

住所:大分県竹田市入田20 MAP
電話:0974-63-2163
営業:11:00〜17:00 (17時以降は要予約)
休:不定休

浸かって、飲んで。日本一の炭酸泉で療養を。[温泉療養文化館 御前湯/大分県竹田市]

久住連山の麓、芹川沿いにある長湯温泉。文化と歴史が息づく情緒ある雰囲気だ。

温泉療養文化館 御前湯“日本一の炭酸泉”長湯温泉。

世界でも稀有な炭酸泉が沸く、長湯温泉。大分県竹田市直入町にある温泉地は、湧出量・炭酸ガス濃度・温度から「日本一の炭酸泉」と評され、さらに高濃度炭酸泉による高い効能から多くの湯治客が訪れています。
長湯温泉の歴史は古く、江戸時代に遡ります。岡藩主・中川公の入湯宿泊場として湯屋・お茶屋が建設されました。その後1935年(昭和10年)に誕生したのが、現在の前身となるドイツ風の共同浴場「御前湯」です。その後、1998年(平成10年)10月に長湯温泉のシンボル施設として「温泉療養文化館 御前湯」が誕生しました。今年で開館20年を迎えた「御前湯」。野口雨情や与謝野晶子ら文人も訪れた名湯で、くつろぎの時間を過ごしてきました。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

昭和から平成にかけ温泉治療学の先進地であったドイツとの交流が盛んになり、ドイツ風の浴場が誕生。今年は姉妹都市であるドイツ、バードクロツィンゲン市との交流30周年を迎えた。

長湯温泉で現在利用されている源泉は51、その全てに炭酸ガスが含まれている。炭酸ガス量によって炭酸泉と炭酸水素塩泉の2種が混在している。

温泉療養文化館 御前湯早朝から楽しめる炭酸泉。

氷点下の朝6時。白い息を吐きながら、温泉へと向かいます。「御前湯」は早朝から入浴ができる温泉施設。一番風呂を狙って、足早に向かいました。

大浴場へと向かうと、そこには既に毎朝訪れるという近所のおばあちゃんが。その後も続々と常連さんがやって来て、いつの間にか朝の温泉は賑やかな雰囲気に包まれました。

大浴場には冷泉を含む内風呂が2つ、露天風呂が1つ付いています。「御前湯」の湯は体に気泡が付くほどの高濃度炭酸泉ではないですが、3本ある源泉ともに泉質は炭酸ガスを含んだ炭酸水素塩泉。炭酸泉の炭酸ガスは皮膚から体内に吸収されると全身の血管が開いて血行を良くすると言われており、浸かっているとポカポカと体が温かくなってきました。炭酸水素塩泉特有の緑がかった湯は、柔らかく滑らかな肌感。肌を優しくコーディングしてくれるような心地よさが特徴です。芹川のせせらぎを聞きながら温かな湯にまどろみ、時折常連さんたちと会話を楽しみながら、ついつい長湯してしまうのでした。

1階の大浴場。冷泉風呂とサウナ、露天風呂が付いている。3階にも大浴場があり、偶数日と奇数日で男風呂、女風呂が入れ替わる。

「御前湯」では48℃、47℃、29℃、異なる温度の源泉があり、季節によって温泉を楽しむことができる。

温泉療養文化館 御前湯飲んで効き、長湯して効く。

「これを飲まんと温泉に入ったっち言わんので」。
教えてもらったのは「飲泉」。文字通り「温泉を飲む」ことで、体内にも温泉の効能を届けます。

長湯温泉の泉質は、温泉治療学を研究していた松尾武幸博士により「飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に血の薬」と讃えられ、温泉に浸かるだけでなく飲むことでも健康になれると言われています。

ヨーロッパでは古くから温泉療養の一つとして飲泉が行われてきました。炭酸ガスを多く含む温泉の飲泉は胃腸の働きを活発化し、水分の吸収を助けると言われ、最近の研究では、血糖値の上昇を抑える効果があることや、肥満防止効果がある腸内細菌が増えることが発表されているのです。

「御前湯」の浴室内には飲泉場があり、常連さんに言われるままに口に含んでみました。口に入れると鉄分のえぐみが広がり、思わず眉をひそめると、それを見たおばぁちゃんたちがカラカラと笑います。鉄の苦味はミネラルがたっぷりと含まれている証。「空腹時に飲むのが一番効くんや」と教えてくれました。

浴場内だけでなくエントランスにも飲泉場がある。このほか長湯温泉には4箇所の飲泉場がある。

きり傷や火傷、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛などの効能があり、飲用は慢性消化器病、糖尿病、肝臓病などに効能がある。

温泉療養文化館 御前湯通ってこそわかる、長湯の真髄。

「御前湯」には入浴指導員の資格を持った看護師・保健師が常駐しているのも特徴の一つ(10時〜17時)。温泉の正しい入り方を説明してくれるほか、健康に関する相談も受け付けてくれます。そのため市内外から温泉療養を求めて訪れる人も多いのだとか。

湯上りに冷え性について相談してみると、「冷泉と温泉を交互に入るのが良いですよ。それによって毛穴が閉じたり開いたりするので血流がよくなる。手足が冷たくて悩んでいる方は試してみてください」と教えてくれました。大浴場に備えられている冷泉は29℃のぬるま湯。この冷泉があるのも長湯温泉の中では珍しいのだとか。

さらに温泉の成分の中には痛みを和らげる成分が含まれており、関節の痛みや筋肉痛にも効果があることから、登山後の入浴にも重宝されているそう。常連さんの中には「前までは車椅子生活やったんやけど、毎日温泉に入りにきたら、今は杖で歩けるまでに回復したんで」という方もおり、癒しだけでなく療養を求めて訪れる方も多い「御前湯」。

心地よい湯に浸かることで、健康な体を手に入れることができる、そんなうまい話がここにはあるのです。

窓から見える芹川沿いの木々が赤く色づき、美しい景色を見せてくれる秋の季節もオススメなのだそう。

2階と3階には展望スペースが。さらに館内には大広間やマッサージ室、喫茶室なども完備している。

ブルーのカラーが印象的なドイツ建築風の館内。

住所:大分県竹田市直入町7962-1 MAP
電話:0974-64-1400
営業時間:6:00〜20:00
休館日:第3水曜

浸かって、飲んで。日本一の炭酸泉で療養を。[温泉療養文化館 御前湯/大分県竹田市]

久住連山の麓、芹川沿いにある長湯温泉。文化と歴史が息づく情緒ある雰囲気だ。

温泉療養文化館 御前湯“日本一の炭酸泉”長湯温泉。

世界でも稀有な炭酸泉が沸く、長湯温泉。大分県竹田市直入町にある温泉地は、湧出量・炭酸ガス濃度・温度から「日本一の炭酸泉」と評され、さらに高濃度炭酸泉による高い効能から多くの湯治客が訪れています。
長湯温泉の歴史は古く、江戸時代に遡ります。岡藩主・中川公の入湯宿泊場として湯屋・お茶屋が建設されました。その後1935年(昭和10年)に誕生したのが、現在の前身となるドイツ風の共同浴場「御前湯」です。その後、1998年(平成10年)10月に長湯温泉のシンボル施設として「温泉療養文化館 御前湯」が誕生しました。今年で開館20年を迎えた「御前湯」。野口雨情や与謝野晶子ら文人も訪れた名湯で、くつろぎの時間を過ごしてきました。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

昭和から平成にかけ温泉治療学の先進地であったドイツとの交流が盛んになり、ドイツ風の浴場が誕生。今年は姉妹都市であるドイツ、バードクロツィンゲン市との交流30周年を迎えた。

長湯温泉で現在利用されている源泉は51、その全てに炭酸ガスが含まれている。炭酸ガス量によって炭酸泉と炭酸水素塩泉の2種が混在している。

温泉療養文化館 御前湯早朝から楽しめる炭酸泉。

氷点下の朝6時。白い息を吐きながら、温泉へと向かいます。「御前湯」は早朝から入浴ができる温泉施設。一番風呂を狙って、足早に向かいました。

大浴場へと向かうと、そこには既に毎朝訪れるという近所のおばあちゃんが。その後も続々と常連さんがやって来て、いつの間にか朝の温泉は賑やかな雰囲気に包まれました。

大浴場には冷泉を含む内風呂が2つ、露天風呂が1つ付いています。「御前湯」の湯は体に気泡が付くほどの高濃度炭酸泉ではないですが、3本ある源泉ともに泉質は炭酸ガスを含んだ炭酸水素塩泉。炭酸泉の炭酸ガスは皮膚から体内に吸収されると全身の血管が開いて血行を良くすると言われており、浸かっているとポカポカと体が温かくなってきました。炭酸水素塩泉特有の緑がかった湯は、柔らかく滑らかな肌感。肌を優しくコーディングしてくれるような心地よさが特徴です。芹川のせせらぎを聞きながら温かな湯にまどろみ、時折常連さんたちと会話を楽しみながら、ついつい長湯してしまうのでした。

1階の大浴場。冷泉風呂とサウナ、露天風呂が付いている。3階にも大浴場があり、偶数日と奇数日で男風呂、女風呂が入れ替わる。

「御前湯」では48℃、47℃、29℃、異なる温度の源泉があり、季節によって温泉を楽しむことができる。

温泉療養文化館 御前湯飲んで効き、長湯して効く。

「これを飲まんと温泉に入ったっち言わんので」。
教えてもらったのは「飲泉」。文字通り「温泉を飲む」ことで、体内にも温泉の効能を届けます。

長湯温泉の泉質は、温泉治療学を研究していた松尾武幸博士により「飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に血の薬」と讃えられ、温泉に浸かるだけでなく飲むことでも健康になれると言われています。

ヨーロッパでは古くから温泉療養の一つとして飲泉が行われてきました。炭酸ガスを多く含む温泉の飲泉は胃腸の働きを活発化し、水分の吸収を助けると言われ、最近の研究では、血糖値の上昇を抑える効果があることや、肥満防止効果がある腸内細菌が増えることが発表されているのです。

「御前湯」の浴室内には飲泉場があり、常連さんに言われるままに口に含んでみました。口に入れると鉄分のえぐみが広がり、思わず眉をひそめると、それを見たおばぁちゃんたちがカラカラと笑います。鉄の苦味はミネラルがたっぷりと含まれている証。「空腹時に飲むのが一番効くんや」と教えてくれました。

浴場内だけでなくエントランスにも飲泉場がある。このほか長湯温泉には4箇所の飲泉場がある。

きり傷や火傷、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛などの効能があり、飲用は慢性消化器病、糖尿病、肝臓病などに効能がある。

温泉療養文化館 御前湯通ってこそわかる、長湯の真髄。

「御前湯」には入浴指導員の資格を持った看護師・保健師が常駐しているのも特徴の一つ(10時〜17時)。温泉の正しい入り方を説明してくれるほか、健康に関する相談も受け付けてくれます。そのため市内外から温泉療養を求めて訪れる人も多いのだとか。

湯上りに冷え性について相談してみると、「冷泉と温泉を交互に入るのが良いですよ。それによって毛穴が閉じたり開いたりするので血流がよくなる。手足が冷たくて悩んでいる方は試してみてください」と教えてくれました。大浴場に備えられている冷泉は29℃のぬるま湯。この冷泉があるのも長湯温泉の中では珍しいのだとか。

さらに温泉の成分の中には痛みを和らげる成分が含まれており、関節の痛みや筋肉痛にも効果があることから、登山後の入浴にも重宝されているそう。常連さんの中には「前までは車椅子生活やったんやけど、毎日温泉に入りにきたら、今は杖で歩けるまでに回復したんで」という方もおり、癒しだけでなく療養を求めて訪れる方も多い「御前湯」。

心地よい湯に浸かることで、健康な体を手に入れることができる、そんなうまい話がここにはあるのです。

窓から見える芹川沿いの木々が赤く色づき、美しい景色を見せてくれる秋の季節もオススメなのだそう。

2階と3階には展望スペースが。さらに館内には大広間やマッサージ室、喫茶室なども完備している。

ブルーのカラーが印象的なドイツ建築風の館内。

住所:大分県竹田市直入町7962-1 MAP
電話:0974-64-1400
営業時間:6:00〜20:00
休館日:第3水曜

清らかな水で育った、尊い魚たちを食す。[御食事処 命水苑/大分県竹田市]

ヤマメとアマゴの総称を九州の一部地方では「エノハ」と呼ぶ。唐揚げは頭から尻尾まで余すとこなくいただける。

御食事処 命水苑希少な名水育ちの川魚。

「渓流の女王」と称され、美しく冷たい水がある渓流にのみ生息する「エノハ」。くじゅう連山や祖母山、傾山に阿蘇外輪山などの名山に囲まれた大分県竹田市では名水百選にも選ばれた水がこんこんと湧き、清らかな水に育まれたエノハが数多く生息。竹田市の特産品として知られています。

竹田湧水群の一つで、最も湧水量が多いことで知られる竹田市入田地区の「河宇田湧水」。阿蘇外輪山から届く天然水が湧き出る地では、戦前から名水を使って川魚の養殖が行われてきました。熟練の魚飼いが手塩にかけた名水育ちのエノハ。希少な味を堪能できる食事処を紹介します。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

食事処の目の前には釣り堀があり、ニジマス釣りが楽しめる。

河宇田湧水。水汲み場には多くの人が訪れる。

体に朱色の斑点を持つエノハ(ヤマメには斑点はない)。塩焼きや唐揚げ、背ごしなどで提供している。

御食事処 命水苑美しい水が育んだ、西日本最古の養鱒場。

「御食事処 命水苑」は約80年前、ニジマスの養殖を中心に行う大分県の水産試験場として生まれました。戦後、施設が民間の手に渡ると「竹田養鱒場」として食事処も併設。鱒を使った料理がいただける有数の食事処として名を馳せていました。ここに足繁く通っていたのが、今の「御食事処 命水苑」を営む足立徹信氏です。先代の社長に後継ぎがおらず、今後の運営を悩んでいることを知った足立氏は、竹田の川魚を残すために電気屋の営業マンから一転、25歳で魚飼いと板前という二足のわらじを履くことを決意。魚にも養殖にも一番大事なのは“水”。「私たちの事業は水に生かされている」と、「竹田養鱒場」から「命水苑」と名を変え、営業を始めました。

足立氏と食事処で料理や接客を担当する妻の冷子氏。

昭和12年ごろから続く鱒の養殖。

御食事処 命水苑餌の量と質で品質の高い魚を届ける。

「命水苑」では養殖場で受精から孵化をさせ、稚魚から生魚まで育てています。湧水を使っているため、水温は15度で安定。1年を通して水質・水量・水温に変化がないため、「命水苑」では品質の高い魚を安定して供給することができるのです。その強みを生かし、足立氏は戦前から続く鱒の養殖に加え、竹田市に数多く生息していたエノハの養殖を始めました。

 当時エノハの養殖をしている先人はおらず、手探りで始めた足立氏。特に受精には骨を折ったと話します。
「産卵の時期は1年に1回しかない。だから何年もかかる。一匹一匹受精させてどの状態の魚が受精率が良かったをデータにして分析して。当時は写真を撮るのも容易じゃなかった。やけん魚の状態を絵に描いたりして。今では1年に20万匹も孵化するようになったんで」。

10月に産卵し11月に孵化するエノハは、毎年6月に旬を迎えます。「命水苑」では、餌の量を徹底管理して、1年間新鮮なエノハを提供できるようになりました。
「孵化させるのは毎年決まった時期やろ? でも一緒の量の餌をみんなにやると、みんな一遍に大きくなる。だから池をいくつも用意して、こっちは正月に提供する用、ここは5月の連休用、これは夏休み用って、それぞれ提供する時期に決まった大きさになるように餌の量を調整していくんよ」。

一番美味しい状態のサイズを1年間ずっと届ける。それは50年の魚飼いの経験を経てたどり着いた境地です。さらにエノハの質を高めるため、足立氏は餌の質も追求。防腐剤が含まれていない、魚にも人間にも安心な餌を与えることで、ここでしか味わうことのできないエノハを生み出しているのです。

毎日魚の生育状況をチェックしながら餌をあげていく。

孵化させた20万匹の中から、川に稚魚放流をしたり、他の魚飼いに譲ったりもしている。今は年間約3万匹を飼育。

稚魚用と生魚用とまた異なる餌を与え、大きさを調整している。

御食事処 命水苑魚と心を通わせて。

修行に出てからは50年間、365日、1日も休むことなく魚たちの世話をしてきた足立氏。今では県内で一番長く養鱒を続ける熟練者となりました。
「魚と会話ができんとダメなんや。子どもが何を訴えているかを親が察するように、今何を欲しがっているのか、それは魚たちの訴えを聞くことができんと美味しく育ってくれん」。

卵の時から生魚になるまで。毎日欠かさず会話し、大事に育てている「命水苑」の魚たち。こだわりの餌を食べてのびのびと育つエノハの美味しさは、併設の食事処で味わうことができます。「美味しいものを美味しい状態で」と、新鮮な状態で調理される魚たち。脂乗りが良く、川魚特有のクセもないため刺身でも十分美味しいのですが、何より味わって欲しいのが足立氏オススメの唐揚げです。カラッと揚がったサクサクのエノハは身がふっくら、ほんのりと甘みを感じ、頭から尻尾、骨まで丸ごと味わうことができます。そのほかにも塩焼きや背ごしのほか、炊き込みご飯や味噌汁がついた御膳もあり、足立氏が“一番美味しい状態”に仕上げた活きのいいエノハの味わいを、存分に楽しむことができます。

76歳を迎えた足立氏。川魚を守り続けてくれる後継者を探している。

エノハ料理が中心だが、ニジマスを使った刺身や茶漬けなどもいただける。

名物のエノハの唐揚げ。かぼすをぎゅっと絞り、出汁に付けていただく。

エノハ本来の味を楽しめる塩焼き。カボスをかけて召し上がれ。

エノハを使ったなます。エノハ御膳についてくる。

住所:大分県竹田市入田20 MAP
電話:0974-63-2163
営業:11:00〜17:00 (17時以降は要予約)
休:不定休

京都ならではのクラフトビールと、独自の「和クラフト料理」を堪能。[スプリングバレーブルワリー京都/京都府京都市]

築約100年の京町屋をリノベーションした店舗は「京都景観賞 市長賞」を受賞。その歴史と雰囲気も味わいたい。

スプリングバレーブルワリー京都京都の地で味わうオリジナリティ満点のクラフトビール!

クラフトビール。「小規模な醸造所で造り出される、造り手の感性と創造性が楽しめるビール」として人気ですが、日本でも急激に広まりつつあるそのムーブメントに、新たな雄(ゆう)が加わりました。
 
それは『スプリングバレーブルワリー京都』。京都の食文化を400年以上にわたって支え続けてきた錦市場に近い、築約100年の京町屋をリノベーションしたブルワリーです。

先述のクラフトビールの魅力に、更に京都という歴史ある地の風土と文化をプラス。「ワクワクするビールの未来をつくるための、西日本の拠点」としてオープンしました。京都ならではの素材と食、そしてクラフトマンシップと日本の美意識とを融合させた新感覚のブルワリーとして、熱い注目を集めています。

30年前に設立したキリンビールの『京都ミニブルワリー』をはじめ、これまで積み重ねてきたビール造りの経験と知見が、多彩な原料や酵母、製法への対応を可能にした。

スプリングバレーブルワリー京都「キリンビールがプロデュースする小規模ブルワリー」の意義。

『スプリングバレーブルワリー京都』の母体は、誰もがその名を知っているであろうキリンビールです。1988年に設立された前述の『京都ミニブルワリー』の歴史を基盤に、現代のクラフトビール造りのためヘッドブリュワーに三浦太浩氏を迎え、34のビールタップを備えた新店舗として、2017年9月に生まれ変わりました。
 
それでいて、「歴史を受け継ぎながら、新たなビールの在り方をお客様との交流を通じて共創していく」というポリシーは健在。「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も美味しく飲める」新次元のビール造りを目指しています。
 
更に「京町屋で味わうクラフトビール」というシチュエーションは、他にはない魅力です。「総二階」と呼ばれる京都独特の町屋は、明治後期~大正時代に栄えた建築様式。これは日本で初めて商業的な成功をおさめ、『スプリングバレーブルワリー』の名前の由来にもなったビール醸造所の開祖・ウイリアム・コープランド氏が生きていた時代のものです。
 
時代を超えた不思議な縁と、そのチャレンジ精神をも受け継いだ『スプリングバレーブルワリー京都』。その歴史と在り方にも、ぜひ想いをはせてみたいものです。

オリジナリティ溢れるビールと料理、店舗が多くの人々を惹きつけている。

定番の『SVBコアシリーズ』。甘味・酸味・苦味が完璧に調和し強い個性と飲みやすさを両立させた『496』を筆頭に、白ワインのようなフルーティな香りの「on the cloud」、和素材の柚子と山椒を使った繊細な「Daydream」など、多彩にラインナップ。

スプリングバレーブルワリー京都クラフトビールならではの個性的な味わいと、キリンビールが培った最先端の醸造技術との融合。

そんな『スプリングバレーブルワリー京都』が心がけるのは、京都にとことんこだわったビール造りと食です。
ビールは通年味わえる6種類の定番『SVBコアシリーズ』を軸に、季節やテーマに合わせた限定品をほぼ毎月1・2種類というハイペースでお披露目。「京都でしか飲めないビール」「革新的で多彩な味わい」をモットーにしており、常に驚きと新鮮さを与えてくれます。
 
ビールの素材は基本となる麦とホップのみならず、柚子や山椒といった副原料にいたるまで「京都産」のものを厳選。そうして造られたビールは、京都の食とも相性抜群! 「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も感動するビール」を目指した上質な苦味と、ダイナミックな味わいによって生まれる究極のバランスを実現しています。

個性豊かなクラフトビールと、京都の豊かな食文化に支えられた“和クラフト料理”とのペアリングが出色。

スプリングバレーブルワリー京都ビールとの多彩なペアリングを楽しめる 「和クラフト料理」が充実!

『スプリングバレーブルワリー京都』で楽しめるのは、オリジナリティ溢れるクラフトビールだけではありません。
「クラフトビールとの“ペアリング”で楽しむ」という発想で供される料理は、旬の和素材を大胆にアレンジしながらも、和・洋・エスニックなどのカテゴリーにとらわれない自由な発想が魅力。野菜・肉・調味料にいたるまで、京都中を探索して選び抜いたものを使っています。そしてそれらを使って創造された「和クラフト料理」という新たなカテゴリーを打ち出し、常に新たなメニューを増やし続けています。
 
そして、この「和クラフト料理」とビールとの「ペアリング」も好評。先述の『SVBコアシリーズ』を100mlずつ飲み比べできるセットと、それらの味をより引き立たせてくれる厳選されたおつまみとの組み合わせ『ペアリングセット』は、京都店のみのオリジナルで、最も人気があるメニューです。
 
おつまみの素材は、生麩・たけのこ山椒・オリーブの出汁漬け・『京つけもの 西利』から仕入れた奈良漬など、これまた京都の食文化に根ざしたラインナップ。100種類以上も試作したという中から、ビールによく合うものを厳選したそうです。

世界中のブルワリーを飲み歩いているようなマニアックなインバウンドからも、「ここまでこだわっているブルワリーはすごい! ぜひNYなどの海外にも出店してほしい」といった声が寄せられています。

料理には京野菜・湯葉・甲賀産のほうじ茶などの地元産食材をふんだんに使用。

スプリングバレーブルワリー京都「京都ならではのクラフトビール」を更に極める。産官学が連携したプロジェクトを発足。 

このように大好評を博している『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、現状の成功に甘んじることなく、更なる挑戦とクラフトビールの発展を見据えています。
 
2018年9月には、畑からグラスまで京都産100%のクラフトビールを目指す『K100』プロジェクトを始動。京都にある他のブルワリー8社と連携して、更に原料の農家・自治体・研究機関としての大学まで巻き込んだ計21団体で、壮大な目標の実現を目指しています。
 
その根幹にあるのは、「京都を“クラフトビールシティ”にしていこう」というこれまた壮大な目標。まずは第1弾となるプロトタイプ品『京づくり#001』を、2018年12月14日に発売しました。

京都・亀岡産の麦芽と京都・与謝野産のホップを100%使用していますが、「ビール造りに欠かせない酵母も京都産でないと、本当の100%にはならない」との考えのもとに、京都清水寺で採取した酵母の培養と醸造に挑戦中です。
「この第一歩から始めて、いずれは地域活性化や雇用の創出も含めた“京都発の未来型のビール産業”にしていきたい」という遠大な理想。その実現に向けての歩みを着実に進めています。

毎月新たなビールを発表し、発売日の19時には樽開けイベントを開催。「振る舞い酒」ならぬ「振る舞いビール」での乾杯は小規模なブルワリーならではの楽しみ。

料理にも毎月新たなメニューが登場。いつ訪れても、何回訪れても飽きることがない。

スプリングバレーブルワリー京都ビールと食を中心に交流と文化が広がる。

このように、ビールと食だけでなく、それらを中心とした文化や交流の創出をも目指す『スプリングバレーブルワリー京都』。当然のように、様々なイベントも開催しています。
 
なんと中庭には築約100年の洋館が残っており、主にそこを舞台としたアーティスティックなイベントを企画。「ビールと文化活動を通じたコミュニティ作り」を狙って、ビールから広がる新たな交流を模索しています。
 
例えば『ブリュワーズナイト』と銘打ったイベントでは、クラフトビール醸造家たちを囲んで語らいながらビールを飲むことができます。更に写真展やダンスパフォーマンス、トークライヴなど、その内容は実にバラエティ豊か。これらの情報はホームページの「NEWS」コーナーやLINE@でチェックできるので、ぜひ参加してみたいものです。

「ビールは生命からつくられる無限の可能性である」という考えのもとに、常に新たな挑戦を続ける。

スプリングバレーブルワリー京都揺るがぬポリシーを守りながら、ビールの新たな未来を創造。

このように多彩な体験に溢れている『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、その芯となっているのは、決して変わらない3つのテーマです。
 
まずは京都ならではの『ビアサプライズ(ビールを通じた驚き)』と、『ビールと食の組み合わせ=ペアリング』の楽しさ。次に『K100』プロジェクトを通じて、クラフトビールの発展を願う多くの仲間たちと協働していくこと。最後に『ビアコミュニティ(ビールを通じたコミュニティ)』の創造。ビールとアートなどとのコラボレーションを通じて、ビールでつながる人々の輪を広げていきます。
 
これらが『スプリングバレーブルワリー京都』の志であり、挑戦であり、お客様に提供したい価値でもあるそうです。ただ飲んで味わうだけでなく、人々の暮らしや文化にまで潤いを与えてくれるビール。その価値と意義を示しながら、『スプリングバレーブルワリー京都』は今後も夢のあるクラフトビール造りを続けていきます。

伝統と革新が融合する場所として、新たなビール文化と食文化を発信。

住所:京都府京都市中京区富小路通錦小路上る高宮町587-2 MAP
電話:075-231-4960
営業時間:11:00~23:00(フードLO22:00、ドリンクLO22:30)
※日曜もしくは日曜を含む連休最終日:11:00~22:00
休日:年末年始
スプリングバレーブルワリー京都 HP:https://www.springvalleybrewery.jp/pub/kyoto/
写真提供:スプリングバレーブルワリー京都

京都ならではのクラフトビールと、独自の「和クラフト料理」を堪能。[スプリングバレーブルワリー京都/京都府京都市]

築約100年の京町屋をリノベーションした店舗は「京都景観賞 市長賞」を受賞。その歴史と雰囲気も味わいたい。

スプリングバレーブルワリー京都京都の地で味わうオリジナリティ満点のクラフトビール!

クラフトビール。「小規模な醸造所で造り出される、造り手の感性と創造性が楽しめるビール」として人気ですが、日本でも急激に広まりつつあるそのムーブメントに、新たな雄(ゆう)が加わりました。
 
それは『スプリングバレーブルワリー京都』。京都の食文化を400年以上にわたって支え続けてきた錦市場に近い、築約100年の京町屋をリノベーションしたブルワリーです。

先述のクラフトビールの魅力に、更に京都という歴史ある地の風土と文化をプラス。「ワクワクするビールの未来をつくるための、西日本の拠点」としてオープンしました。京都ならではの素材と食、そしてクラフトマンシップと日本の美意識とを融合させた新感覚のブルワリーとして、熱い注目を集めています。

30年前に設立したキリンビールの『京都ミニブルワリー』をはじめ、これまで積み重ねてきたビール造りの経験と知見が、多彩な原料や酵母、製法への対応を可能にした。

スプリングバレーブルワリー京都「キリンビールがプロデュースする小規模ブルワリー」の意義。

『スプリングバレーブルワリー京都』の母体は、誰もがその名を知っているであろうキリンビールです。1988年に設立された前述の『京都ミニブルワリー』の歴史を基盤に、現代のクラフトビール造りのためヘッドブリュワーに三浦太浩氏を迎え、34のビールタップを備えた新店舗として、2017年9月に生まれ変わりました。
 
それでいて、「歴史を受け継ぎながら、新たなビールの在り方をお客様との交流を通じて共創していく」というポリシーは健在。「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も美味しく飲める」新次元のビール造りを目指しています。
 
更に「京町屋で味わうクラフトビール」というシチュエーションは、他にはない魅力です。「総二階」と呼ばれる京都独特の町屋は、明治後期~大正時代に栄えた建築様式。これは日本で初めて商業的な成功をおさめ、『スプリングバレーブルワリー』の名前の由来にもなったビール醸造所の開祖・ウイリアム・コープランド氏が生きていた時代のものです。
 
時代を超えた不思議な縁と、そのチャレンジ精神をも受け継いだ『スプリングバレーブルワリー京都』。その歴史と在り方にも、ぜひ想いをはせてみたいものです。

オリジナリティ溢れるビールと料理、店舗が多くの人々を惹きつけている。

定番の『SVBコアシリーズ』。甘味・酸味・苦味が完璧に調和し強い個性と飲みやすさを両立させた『496』を筆頭に、白ワインのようなフルーティな香りの「on the cloud」、和素材の柚子と山椒を使った繊細な「Daydream」など、多彩にラインナップ。

スプリングバレーブルワリー京都クラフトビールならではの個性的な味わいと、キリンビールが培った最先端の醸造技術との融合。

そんな『スプリングバレーブルワリー京都』が心がけるのは、京都にとことんこだわったビール造りと食です。
ビールは通年味わえる6種類の定番『SVBコアシリーズ』を軸に、季節やテーマに合わせた限定品をほぼ毎月1・2種類というハイペースでお披露目。「京都でしか飲めないビール」「革新的で多彩な味わい」をモットーにしており、常に驚きと新鮮さを与えてくれます。
 
ビールの素材は基本となる麦とホップのみならず、柚子や山椒といった副原料にいたるまで「京都産」のものを厳選。そうして造られたビールは、京都の食とも相性抜群! 「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も感動するビール」を目指した上質な苦味と、ダイナミックな味わいによって生まれる究極のバランスを実現しています。

個性豊かなクラフトビールと、京都の豊かな食文化に支えられた“和クラフト料理”とのペアリングが出色。

スプリングバレーブルワリー京都ビールとの多彩なペアリングを楽しめる 「和クラフト料理」が充実!

『スプリングバレーブルワリー京都』で楽しめるのは、オリジナリティ溢れるクラフトビールだけではありません。
「クラフトビールとの“ペアリング”で楽しむ」という発想で供される料理は、旬の和素材を大胆にアレンジしながらも、和・洋・エスニックなどのカテゴリーにとらわれない自由な発想が魅力。野菜・肉・調味料にいたるまで、京都中を探索して選び抜いたものを使っています。そしてそれらを使って創造された「和クラフト料理」という新たなカテゴリーを打ち出し、常に新たなメニューを増やし続けています。
 
そして、この「和クラフト料理」とビールとの「ペアリング」も好評。先述の『SVBコアシリーズ』を100mlずつ飲み比べできるセットと、それらの味をより引き立たせてくれる厳選されたおつまみとの組み合わせ『ペアリングセット』は、京都店のみのオリジナルで、最も人気があるメニューです。
 
おつまみの素材は、生麩・たけのこ山椒・オリーブの出汁漬け・『京つけもの 西利』から仕入れた奈良漬など、これまた京都の食文化に根ざしたラインナップ。100種類以上も試作したという中から、ビールによく合うものを厳選したそうです。

世界中のブルワリーを飲み歩いているようなマニアックなインバウンドからも、「ここまでこだわっているブルワリーはすごい! ぜひNYなどの海外にも出店してほしい」といった声が寄せられています。

料理には京野菜・湯葉・甲賀産のほうじ茶などの地元産食材をふんだんに使用。

スプリングバレーブルワリー京都「京都ならではのクラフトビール」を更に極める。産官学が連携したプロジェクトを発足。 

このように大好評を博している『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、現状の成功に甘んじることなく、更なる挑戦とクラフトビールの発展を見据えています。
 
2018年9月には、畑からグラスまで京都産100%のクラフトビールを目指す『K100』プロジェクトを始動。京都にある他のブルワリー8社と連携して、更に原料の農家・自治体・研究機関としての大学まで巻き込んだ計21団体で、壮大な目標の実現を目指しています。
 
その根幹にあるのは、「京都を“クラフトビールシティ”にしていこう」というこれまた壮大な目標。まずは第1弾となるプロトタイプ品『京づくり#001』を、2018年12月14日に発売しました。

京都・亀岡産の麦芽と京都・与謝野産のホップを100%使用していますが、「ビール造りに欠かせない酵母も京都産でないと、本当の100%にはならない」との考えのもとに、京都清水寺で採取した酵母の培養と醸造に挑戦中です。
「この第一歩から始めて、いずれは地域活性化や雇用の創出も含めた“京都発の未来型のビール産業”にしていきたい」という遠大な理想。その実現に向けての歩みを着実に進めています。

毎月新たなビールを発表し、発売日の19時には樽開けイベントを開催。「振る舞い酒」ならぬ「振る舞いビール」での乾杯は小規模なブルワリーならではの楽しみ。

料理にも毎月新たなメニューが登場。いつ訪れても、何回訪れても飽きることがない。

スプリングバレーブルワリー京都ビールと食を中心に交流と文化が広がる。

このように、ビールと食だけでなく、それらを中心とした文化や交流の創出をも目指す『スプリングバレーブルワリー京都』。当然のように、様々なイベントも開催しています。
 
なんと中庭には築約100年の洋館が残っており、主にそこを舞台としたアーティスティックなイベントを企画。「ビールと文化活動を通じたコミュニティ作り」を狙って、ビールから広がる新たな交流を模索しています。
 
例えば『ブリュワーズナイト』と銘打ったイベントでは、クラフトビール醸造家たちを囲んで語らいながらビールを飲むことができます。更に写真展やダンスパフォーマンス、トークライヴなど、その内容は実にバラエティ豊か。これらの情報はホームページの「NEWS」コーナーやLINE@でチェックできるので、ぜひ参加してみたいものです。

「ビールは生命からつくられる無限の可能性である」という考えのもとに、常に新たな挑戦を続ける。

スプリングバレーブルワリー京都揺るがぬポリシーを守りながら、ビールの新たな未来を創造。

このように多彩な体験に溢れている『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、その芯となっているのは、決して変わらない3つのテーマです。
 
まずは京都ならではの『ビアサプライズ(ビールを通じた驚き)』と、『ビールと食の組み合わせ=ペアリング』の楽しさ。次に『K100』プロジェクトを通じて、クラフトビールの発展を願う多くの仲間たちと協働していくこと。最後に『ビアコミュニティ(ビールを通じたコミュニティ)』の創造。ビールとアートなどとのコラボレーションを通じて、ビールでつながる人々の輪を広げていきます。
 
これらが『スプリングバレーブルワリー京都』の志であり、挑戦であり、お客様に提供したい価値でもあるそうです。ただ飲んで味わうだけでなく、人々の暮らしや文化にまで潤いを与えてくれるビール。その価値と意義を示しながら、『スプリングバレーブルワリー京都』は今後も夢のあるクラフトビール造りを続けていきます。

伝統と革新が融合する場所として、新たなビール文化と食文化を発信。

住所:京都府京都市中京区富小路通錦小路上る高宮町587-2 MAP
電話:075-231-4960
営業時間:11:00~23:00(フードLO22:00、ドリンクLO22:30)
※日曜もしくは日曜を含む連休最終日:11:00~22:00
休日:年末年始
スプリングバレーブルワリー京都 HP:https://www.springvalleybrewery.jp/pub/kyoto/
写真提供:スプリングバレーブルワリー京都

@adidasfun

ルールや名称も国々によってまちまちで、スペインではフットボール・サラ、ドイツではハレン・フースバル、イタリアではカルチェット、オランダでザールと呼ばれるものがそれに当たる。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

茅葺き屋根の集落が日本の原風景を描き出す、美しき「隠れ里」。[菅並集落/滋賀県長浜市]

田んぼのすぐ近くに家屋が立ち並ぶ。菅並集落には受け継いでいくべき里山の景色がある。

菅並集落豪雪地帯に点在する茅葺の集落。

滋賀県の最北端、長浜市余呉町は全国最高クラスの豪雪地帯として知られる地域です。菅並集落は、茅葺き屋根の農家が数十軒集まる素晴らしい村です。現在、ほとんどの家は屋根にトタンを巻いていますが、下の家屋はきちんと残されています。規模や美しさで言ったら、有名な飛騨高山や白川郷のレベルと言っていいでしょう。これほどの光景は全国各地を見ても滅多にありません。ある意味、関西の白川郷ともいえる。最初に訪れた時、日本にまだこうした景色があるのかとショックを受けたと同時に、驚きました。これも「隠れ里」のひとつと言えます。

トタンを巻いた茅葺き屋根の家屋。下の部分もきれいな状態で保存されており、集落の規模も大きい。

山間に連なる茅葺き屋根。日本ではなかなか見られなくなった原風景が、ここには大切に残されている。

菅並集落将来に受け継ぐべき農村の景色。

五条のような商人の町でもなければ、宿場町でもありません。菅並集落は、農家です。この成り立ちがまた興味深くもあります。遠目には美しく保存されているようにも見えますが、残念ながら時代とともにどんどん壊されているのも事実。国や県のプロテクションがかかっておらず、自治体も関心を持っていないようなので、このままではいつかなくなってしまうでしょう。もちろん、この希少な集落を保存しようと活動している人や関心のある住民もいるようですが、将来を心配しています。興味がある人は見ておくべきです。集落の奥には立派なお寺「洞寿院」もあり、境内からは集落の街並みも見下ろせます。この美しい景色がいつまでも残ることを祈るだけです。

「国や県が積極的に保存しないと、将来的にはこうした風景はなくなってしまう」と、アレックス氏。

住所:滋賀県長浜市余呉町菅並 MAP

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

茅葺き屋根の集落が日本の原風景を描き出す、美しき「隠れ里」。[菅並集落/滋賀県長浜市]

田んぼのすぐ近くに家屋が立ち並ぶ。菅並集落には受け継いでいくべき里山の景色がある。

菅並集落豪雪地帯に点在する茅葺の集落。

滋賀県の最北端、長浜市余呉町は全国最高クラスの豪雪地帯として知られる地域です。菅並集落は、茅葺き屋根の農家が数十軒集まる素晴らしい村です。現在、ほとんどの家は屋根にトタンを巻いていますが、下の家屋はきちんと残されています。規模や美しさで言ったら、有名な飛騨高山や白川郷のレベルと言っていいでしょう。これほどの光景は全国各地を見ても滅多にありません。ある意味、関西の白川郷ともいえる。最初に訪れた時、日本にまだこうした景色があるのかとショックを受けたと同時に、驚きました。これも「隠れ里」のひとつと言えます。

トタンを巻いた茅葺き屋根の家屋。下の部分もきれいな状態で保存されており、集落の規模も大きい。

山間に連なる茅葺き屋根。日本ではなかなか見られなくなった原風景が、ここには大切に残されている。

菅並集落将来に受け継ぐべき農村の景色。

五条のような商人の町でもなければ、宿場町でもありません。菅並集落は、農家です。この成り立ちがまた興味深くもあります。遠目には美しく保存されているようにも見えますが、残念ながら時代とともにどんどん壊されているのも事実。国や県のプロテクションがかかっておらず、自治体も関心を持っていないようなので、このままではいつかなくなってしまうでしょう。もちろん、この希少な集落を保存しようと活動している人や関心のある住民もいるようですが、将来を心配しています。興味がある人は見ておくべきです。集落の奥には立派なお寺「洞寿院」もあり、境内からは集落の街並みも見下ろせます。この美しい景色がいつまでも残ることを祈るだけです。

「国や県が積極的に保存しないと、将来的にはこうした風景はなくなってしまう」と、アレックス氏。

住所:滋賀県長浜市余呉町菅並 MAP

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

栃木レザー真鍮プレートバックルベルト

アイアンの定番ベルトに真鍮バックル製が仲間入り!

  • ウェッジレザーズの平尾氏の手による職人仕立て!
  • 皮は栃木レザーのミシバクロップを採用。上質なステアハイドです
  • バックルは肉厚なベルトに相性抜群な真鍮製のヘビーバックル仕様です
  • ベルト幅は4.5cmに広げています
  • 剣先はスクエアカットにしています
  • バックルの留め金具を廃し、シニュウ糸の手縫いで留めています
  • 旧タイプのベルトは、ベルトの裏にもオイルを入れて色を濃くしてましたが、それが時にジーンズに色移りするなどのトラブルを招くこともあったため、今回はオイルつけ、色つけをしてません
  • ホールの個数を7個から5個に。ホールの形は、ピンが寝やすいように梨型に改善しました
  • バックル【IHG-083】真鍮ヘビープレートバックルは単品でもご購入可能です

【ステアハイド】

  • 生後6ヶ月に去勢された革製品の為に育てられた牛の皮革のこと。
  • 丈夫な上に、使えば使うほど味が出やすいので、ベルト製品に非常に適した素材です。

軽快に空を飛ぶ小型航空機チャーターで、奄美−沖縄の究極グルメ旅へ![SKY TREK]

チャーター機『SKY TREK』へ乗り込み、究極のグルメ旅がはじまる。

スカイトレックOVERVIEW

忙しいからこそ、遊びは妥協したくない。
更に食べる時は、とことん全力。
そんな男性ふたりが何やら、週末遊びの相談をしています。

ひとりは1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月で世界中を飛び回る本田直之氏。シティバンクなど3社の外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画。常務取締役としてJASDAQ上場に導いたその人です。現在は、レバレッジコンサルティング代表取締役兼CEOとして、日本のベンチャー企業への投資事業を行いつつ、「レバレッジシリーズ」をはじめ、著書累計300万部を超えるベストセラー作家でもあります。更には屋台から3ツ星レストランまで、毎日のように食べ歩く日本を代表するフーディーとしても知られています。

もうひとりは、大阪のフランス料理店『La Cime』の高田裕介氏。1977年奄美大島に生まれ、辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアンレストラン数店で働き、2007年に渡仏。『タイユヴァン』、『ミーティング』、『ホテルムーリス』など3ツ星レストランで修業を重ね、自身の店『La Cime』オープン後は2012年度版のミシュラン関西にて1ツ星を獲得。さらに2016年度版では2ツ星に昇格、現在も3年連続2ツ星を維持する他、2018年「アジアのベストレストラン50」では初エントリーで17位にランクイン、Highest New Entry賞を獲得。今、世界が注目する若きフレンチシェフです。

奇しくも2017年10月、我々『ONESTORY』が主催した野外レストラン『DINING OUT UCHIKO with LEXUS』でシェフとゲストとして相まみえたふたりが、今回約1年の時を経て11月23・24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、ゲストとしてふたりで参加しようというのです。

世界中を飛び回る本田氏と、2ツ星店を経営しつつも様々なシェフとのコラボイベントにも意欲的に挑戦する高田氏。超多忙を極める両氏が、忙しい合間を縫ってのグルメ旅。弾丸沖縄ツアーかと思いきや、それだけで終わらないのが、このふたりの本気のグルメ旅なのです。

なんと『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』は昼過ぎからの参加になるということで、空いた時間を有効活用! 高田氏による地元・奄美大島でのグルメアテンドまでを盛り込んだ、スペシャルなグルメ旅を計画したのです。

それを可能にしたのは、小型航空機チャーターで国内約100箇ヵ所を結ぶ『SKY TREK(スカイトレック)』!

忙しいからこそ、妥協したくない。チャーター機ならではのスピーディーかつ気軽な空の旅は、今年10月のサービスリニューアルにより一層リーズナブルに。時間も遊びも仕事も大切にしたいという、世界を駆け回るビジネスパーソンを中心に今、じわじわと使われ始めているというのです。


(supported by  SKY TREK)

エアラインよりも低空を飛ぶので間近に迫る絶景も楽しみ。

大阪『La Cime』オーナーシェフ。1977年、奄美大島に生まれる。辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアン数店で9年間働く。2007年、渡仏。『タイユヴァン』、『ホテルムーリス』などフランスの3つ星レストランで修業を積み、2009年に帰国。数店を経て、2010年に現店をオープン。2012年にミシュランひとつ星獲得、2016年2つ星に昇格。2017年もふたつ星を獲得し、国内外から様々なオファーを受け業界内から注目を集めている。
食材を起点に、フランス料理の枠にとらわれない柔軟な発想力によって料理を生み出し独自の世界観を持つ。アートや写真、音楽にも興味があり、常に感性を磨きながら表現の幅を広げている。

レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役兼CEO。ハワイ、東京に拠点を構え、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行いながら、1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月でヨーロッパを中心にオセアニア・アジアなどの国々を旅し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまで訪れた場所は61ヵ国211都市を超える。毎日のように屋台・B級から3つ星レストランまでの食を極め、著名シェフによるコラボレーションディナー『Dream Dusk』などのプロデュースも手がける。食べログ「グルメ著名人」のひとりでもある。 著書に「レバレッジシリーズ」をはじめ、「脱東京 仕事と遊びの垣根をなくす、あたらしい移住」、「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」、「オリジナリティ 全員に好かれることを目指す時代は終わった」「Hawaii's Best Restaurants」などがあり、著書累計300万部を突破し、韓国・台湾・香港・中国・タイで翻訳版も発売。サンダーバード国際経営大学院経営学修士(MBA)、明治大学商学部産業経営学科卒業、(社)日本ソムリエ協会認定ソムリエ、アカデミー・デュ・ヴァン講師、明治大学・上智大学非常勤講師、アミューズ所属。

陸路では時間のかかる場所や離島、定期便や直行便の少ない区間および設定のない区間など、国内約100ヶ所の空港や飛行場を結び、よりスピーディーで快適な空の旅を提供する小型航空機チャーターサービス。例えば、今回の沖縄であれば、定期便が無い5空港(慶良間空港・伊江島空港・粟国空港・波照間空港・下地島空港)を利用したチャーターフライトやアイランドホッピングが可能。さらには、ANAとの連携により、2019年2月以降(予定)は、ハワイ現地でのチャーターサービスがマイルで利用可能に。
SKY TREK HP:https://skytrek.co.jp/
ANA 特設サイトhttps://www.ana.co.jp/ja/jp/amc/promo/hawaii_for_amc/skytrek/

※年末年始特別フライト『SKY TREK Winter Tours』の予約も受付中。
大切な方やご家族と 是非ご体験ください。

SKY TREKリザベーションデスク
電話:03-6778-8831(10:00 ~18:00 *年中無休)
メール:reservation@skytrek.co.jp

株式会社SKYTREKは旅行業者であり、航空機の運航をおこなうのは株式会社SKYTREKが契約する航空運送事業者です。
フライト時間やフライト可能距離は、天候・制限区域・地形・総重量などによって変動します。
那覇空港をはじめとする一部の空港は、別途ハンドリング料金がかかります。

軽快に空を飛ぶ小型航空機チャーターで、奄美−沖縄の究極グルメ旅へ![SKY TREK]

チャーター機『SKY TREK』へ乗り込み、究極のグルメ旅がはじまる。

スカイトレックOVERVIEW

忙しいからこそ、遊びは妥協したくない。
更に食べる時は、とことん全力。
そんな男性ふたりが何やら、週末遊びの相談をしています。

ひとりは1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月で世界中を飛び回る本田直之氏。シティバンクなど3社の外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画。常務取締役としてJASDAQ上場に導いたその人です。現在は、レバレッジコンサルティング代表取締役兼CEOとして、日本のベンチャー企業への投資事業を行いつつ、「レバレッジシリーズ」をはじめ、著書累計300万部を超えるベストセラー作家でもあります。更には屋台から3ツ星レストランまで、毎日のように食べ歩く日本を代表するフーディーとしても知られています。

もうひとりは、大阪のフランス料理店『La Cime』の高田裕介氏。1977年奄美大島に生まれ、辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアンレストラン数店で働き、2007年に渡仏。『タイユヴァン』、『ミーティング』、『ホテルムーリス』など3ツ星レストランで修業を重ね、自身の店『La Cime』オープン後は2012年度版のミシュラン関西にて1ツ星を獲得。さらに2016年度版では2ツ星に昇格、現在も3年連続2ツ星を維持する他、2018年「アジアのベストレストラン50」では初エントリーで17位にランクイン、Highest New Entry賞を獲得。今、世界が注目する若きフレンチシェフです。

奇しくも2017年10月、我々『ONESTORY』が主催した野外レストラン『DINING OUT UCHIKO with LEXUS』でシェフとゲストとして相まみえたふたりが、今回約1年の時を経て11月23・24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、ゲストとしてふたりで参加しようというのです。

世界中を飛び回る本田氏と、2ツ星店を経営しつつも様々なシェフとのコラボイベントにも意欲的に挑戦する高田氏。超多忙を極める両氏が、忙しい合間を縫ってのグルメ旅。弾丸沖縄ツアーかと思いきや、それだけで終わらないのが、このふたりの本気のグルメ旅なのです。

なんと『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』は昼過ぎからの参加になるということで、空いた時間を有効活用! 高田氏による地元・奄美大島でのグルメアテンドまでを盛り込んだ、スペシャルなグルメ旅を計画したのです。

それを可能にしたのは、小型航空機チャーターで国内約100箇ヵ所を結ぶ『SKY TREK(スカイトレック)』!

忙しいからこそ、妥協したくない。チャーター機ならではのスピーディーかつ気軽な空の旅は、今年10月のサービスリニューアルにより一層リーズナブルに。時間も遊びも仕事も大切にしたいという、世界を駆け回るビジネスパーソンを中心に今、じわじわと使われ始めているというのです。


(supported by  SKY TREK)

エアラインよりも低空を飛ぶので間近に迫る絶景も楽しみ。

大阪『La Cime』オーナーシェフ。1977年、奄美大島に生まれる。辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアン数店で9年間働く。2007年、渡仏。『タイユヴァン』、『ホテルムーリス』などフランスの3つ星レストランで修業を積み、2009年に帰国。数店を経て、2010年に現店をオープン。2012年にミシュランひとつ星獲得、2016年2つ星に昇格。2017年もふたつ星を獲得し、国内外から様々なオファーを受け業界内から注目を集めている。
食材を起点に、フランス料理の枠にとらわれない柔軟な発想力によって料理を生み出し独自の世界観を持つ。アートや写真、音楽にも興味があり、常に感性を磨きながら表現の幅を広げている。

レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役兼CEO。ハワイ、東京に拠点を構え、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行いながら、1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月でヨーロッパを中心にオセアニア・アジアなどの国々を旅し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまで訪れた場所は61ヵ国211都市を超える。毎日のように屋台・B級から3つ星レストランまでの食を極め、著名シェフによるコラボレーションディナー『Dream Dusk』などのプロデュースも手がける。食べログ「グルメ著名人」のひとりでもある。 著書に「レバレッジシリーズ」をはじめ、「脱東京 仕事と遊びの垣根をなくす、あたらしい移住」、「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」、「オリジナリティ 全員に好かれることを目指す時代は終わった」「Hawaii's Best Restaurants」などがあり、著書累計300万部を突破し、韓国・台湾・香港・中国・タイで翻訳版も発売。サンダーバード国際経営大学院経営学修士(MBA)、明治大学商学部産業経営学科卒業、(社)日本ソムリエ協会認定ソムリエ、アカデミー・デュ・ヴァン講師、明治大学・上智大学非常勤講師、アミューズ所属。

陸路では時間のかかる場所や離島、定期便や直行便の少ない区間および設定のない区間など、国内約100ヶ所の空港や飛行場を結び、よりスピーディーで快適な空の旅を提供する小型航空機チャーターサービス。例えば、今回の沖縄であれば、定期便が無い5空港(慶良間空港・伊江島空港・粟国空港・波照間空港・下地島空港)を利用したチャーターフライトやアイランドホッピングが可能。さらには、ANAとの連携により、2019年2月以降(予定)は、ハワイ現地でのチャーターサービスがマイルで利用可能に。
SKY TREK HP:https://skytrek.co.jp/
ANA 特設サイトhttps://www.ana.co.jp/ja/jp/amc/promo/hawaii_for_amc/skytrek/

※年末年始特別フライト『SKY TREK Winter Tours』の予約も受付中。
大切な方やご家族と 是非ご体験ください。

SKY TREKリザベーションデスク
電話:03-6778-8831(10:00 ~18:00 *年中無休)
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株式会社SKYTREKは旅行業者であり、航空機の運航をおこなうのは株式会社SKYTREKが契約する航空運送事業者です。
フライト時間やフライト可能距離は、天候・制限区域・地形・総重量などによって変動します。
那覇空港をはじめとする一部の空港は、別途ハンドリング料金がかかります。

沖縄の食のシンボルである山羊を、豚を。いのちをいただく一皿に。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き 蜂蜜風味のガストリックソースで」。島ザラメと蜂蜜を使ったソースの甘酸っぱさと、ピュレにして添えた島カボチャの甘みが、豚の脂の甘み、旨みを際立たせる。

ダイニングアウト琉球南城食文化に深く結びついた食材をコースのハイライトに。

琉球神話はじまりの地といわれる沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。神聖なる祈りの地・知念城跡に出現したレストランは、厳かさとなごやかさが入り混じる空気の中、大成功のうちに幕を閉じました。琉球創生の女神「アマミキヨ」の神話にならい、『DINING OUT』史上初の女性シェフとして厨房を預かった樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下、地域の伝統的な食習慣や食文化を鮮やかに映し出した料理でゲストを魅了しました。3皿目に供された「ヒージャーのロワイヤル」とメインの「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、ゲストを深い感動へ導くコースのハイライトに。山羊と豚。いずれも沖縄の食文化とは切っても切り離せない食材です。初の沖縄訪問でもあった視察からわずか2カ月足らずで、この2皿をどのように完成させたのか。樋口シェフのアプローチに迫ります。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

樋口シェフ。大勢の厨房スタッフを指揮しながら、自らも忙しく手を動かし、厨房を動き回る。

ダイニングアウト琉球南城「いのちを、余すところなく頂く」という食のあり方に学ぶ。

台風25号直撃というアクシデントに見舞われた10月初旬の第1回目の食材視察。奇しくもこの機が初の沖縄訪問となった樋口シェフは、初めて出会う沖縄の食材、食文化に驚くばかりでした。野菜やハーブ、紅茶にシークヮーサー、山羊に豚とさまざまな農畜産物の生産者を訪ね、琉球料理や、久高島に伝わるイラブー(ウミヘビ)料理も試食。「すべてが忘れがたい」という3日間で特に心に残ったのが山羊、そして沖縄の在来種であるアグー種の豚・黒金豚だと話してくれました。
「生産者の方が、まるで自分の子供を可愛がるように愛情を持って接していらっしゃる姿がとても印象的で。飼育環境も清潔で、山羊や豚たちもとても健やかで、幸せそうに見えました」。

沖縄は、古くから山羊が家畜として重宝されてきた歴史があります。台風や干ばつなどの影響で食糧の安定確保が難しい中、山羊は貴重なタンパク源でした。家の上棟式や結婚式など、祝いの席で振る舞われる料理でもあり、今でも一部の地域にはその習慣が残っています。

豚もまた、沖縄の食を語る上で欠かせない食材です。豚肉の消費量は全国屈指。ばら肉を使った角煮のラフテーやスペアリブの煮込み・ソーキなど、さまざまな郷土料理が今も日常的に親しまれています。コラーゲンたっぷりの豚足はテビチという煮付けに、ミミガーと呼ばれる耳たぶは酢の物に。「鳴き声以外はすべて食べる」という言葉があるほど、一頭を余すところなく頂く食習慣が今も根付いているのです。

山羊の生産者『株式会社 大地』視察時の様子。山羊を扱うのは初めてという樋口シェフは、代表の仲村嘉則さんの話に真剣に聞き入る。

小屋も体も清潔に保たれた山羊たちは健やかな表情。

黒金豚。数種類の穀物に近隣の酒造所で出る醪(もろみ)、地元金武町の海藻をはじめ天然のミネラルを加えた発酵飼料をベースに、敷地内で栽培する島バナナなども与えられ、健やかに育つ。

ダイニングアウト琉球南城静かな器の中に、山羊の命がよみがえる一皿。

「視察を終えて最初にイメージが浮かび、メニュー作りに着手したのが、山羊の一皿でした」。
訪問した『株式会社大地』のハーブ山羊を試食し、その味わいに驚いたと話します。
「非常にクセの強い食材ですが、特有の匂いは控えめで、繊細な旨みがあり、香りは子羊のよう」。
シンプルに焼くだけで十分おいしい山羊を、ホテルでフランス料理を作り続けてきた自分がどう料理すべきか。考えたときに、コンソメを思い付いたといいます。
「郷土料理の山羊汁もヒントになりました。山羊汁に親しんでこられた地元の方々が驚くような山羊のスープをお出ししたいと思ったのです」。

器の中に敷かれたコンソメロワイヤルは、ブイヨンに卵を合わせて蒸したものをコンソメの浮き身にした、クラシックなフランス料理。コンソメは、骨とミルポワでひいただしをベースに、皮付きモモ肉のミンチを加えた贅沢なダブルコンソメに仕上げました。タイムやローリエなど、臭い消しの役目を果たすハーブ類はあえて使わず、力強く、それでいて雑味のないハーブ山羊の風味を活かします。丁寧に下処理した内臓はブイヨンで炊き、フランの中にしのばせました。

山羊の肉はもちろん、骨も、皮も、内臓もすべて。卓上でコンソメが注がれて完成する黄金色の一皿は、一服の茶のような静けさの中に、山羊の命が丸ごと詰まっていたのです。

「ヒージャーのロワイヤル」。余分な飾りは一切加えず、山羊の命を純粋に表現した神々しい一皿。

樋口シェフ。卓上でサーブするコンソメをベストなタイミングで、とスタンバイ。

器にコンソメが注がれると、山羊の香りがふわりと立つ。トマトでほのかな酸味を、月桃の葉でショウガのような香りを添えて。

ダイニングアウト琉球南城ほかの豚にはない、生命力あふれる味を表現するために。

沖縄の人々の日常に欠かせない豚もまた、樋口シェフが必ず『DINING OUT』で使いたいと考えていた食材のひとつ。視察時に琉球在来豚・アグー種のブランド豚「黒金豚」の生産者・我喜屋宗一さんに出会い、その想いをいっそう強くします。

アグーの肉質は非常に優れているものの、体が小さく、成長に時間がかかるため、生産性の高い西洋種やF1種の増加とともに、絶滅の危機にさらされてきました。また、現在流通している「アグー」ブランド豚は、西洋種の雌を交配した交雑種(混血)がほとんどいう現実があります。そのような状況下で、純血のアグー種を守ろうと、循環型農業をベースにした飼育方法で、繁殖飼育を一貫して手掛けるのが我喜屋さん。我喜屋氏は、「戻し交配」という技術を用い、交雑種を純血種に近付ける取り組みも続けています。

我喜屋氏は言います。
「自然の中で、昔と同じように育てる。やりたいことはシンプルだけれど“自然”を取り巻く環境が変わる中で、ほおっておくだけでは、昔と同じにはならない。豚の味は嘘をつかないからすぐわかる。抗生物質やホルモン剤などの薬を使わない。豚の足元にあるもの、つまり国産の飼料で育てる。昔なら“当たり前”な環境を作ってあげれば、肉はちゃんとアグー種本来の味になる」。

「豚は沖縄の人にとってだけでなく、我々日本人誰にでも馴染みのある食材ですが、我喜屋さんの黒金豚の味わいには圧倒的な個性を感じました。脂身が非常に厚く、しっかりとしたテクスチャーとクリアな甘みがある。肉は赤身が強く、旨みも濃厚。初めての味わいでした」と樋口シェフ。

脂の旨みをシンプルに生かす一皿に仕上げるために。バラ肉はスパイスと一緒に真空調理で12時間かけて優しく火を入れ、ロースは伊勢志摩から持ち込んだとびきりの備長炭で、香ばしく焼き上げました。しっとりと火が入りながらも、嚙めば弾力がある。肉と脂、それぞれの旨みに、アグー種の生命力がみなぎります。

ナイフを持つ手にもしっかりとした肉質、弾力が伝わる「黒金豚」。ソースと付け合わせのピュレで、甘みが立体的に。

純血のアグー種を守る為、循環型農業をベースにした飼育方法を実践する我喜屋氏。

3匹の子豚と樋口シェフ。奪い合うように飼料を食べる愛らしい姿に、しばし見入ってしまう。

ダイニングアウト琉球南城食べるものが命を作る。その連なりに感謝を捧げて。

樋口シェフは「ぬちぐすい」という沖縄の言葉に非常に感銘を受けたといいます。「ぬち」は命、「ぐすい」は薬。そこから命の薬になるようなおいしい食べ物、飲み物、あるいはそれらと同様に心を温める愛情などを指す言葉とされています。コースの5皿目に用意した、沖縄在来の野菜約30種を盛り込んだ一皿は、そのまま「ぬちぐすい」と名付けました。その言葉に託した想いは、山羊や豚の料理にも貫かれています。
▶詳細は、沖縄の食文化を尊び、地元生産者、料理人すべての想いを一皿にした「ぬちぐすい」。

「食べるものが体を調え、命を繋いでいく。それは、人間も動物も同じです。ハーブ山羊も、アグー種の黒金豚も、生産性ではなく、命の健やかさを第一に考えた飼料で育てられている。我が子のような愛情をたっぷりと注がれて。その命が、今度は私たち人間の糧となる。“ぬちぐすい”の連なりが、沖縄の人たちの暮らしとともにあった独自の食文化を、未来へとつなげていくんです」。

「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマにした今回の『DINING OUT』。「ヒージャーのロワイヤル」と「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、食べ手の記憶にそのテーマを強く焼き付ける2皿となったはずです。

ホストの中村孝則氏。メニューには書ききれない、料理の背景、生産者の情報をシェフに代わってゲストへ伝えた。

サービスを終え、充実の表情でゲストのテーブルを見渡す樋口シェフと厨房スタッフ。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

沖縄の食のシンボルである山羊を、豚を。いのちをいただく一皿に。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き 蜂蜜風味のガストリックソースで」。島ザラメと蜂蜜を使ったソースの甘酸っぱさと、ピュレにして添えた島カボチャの甘みが、豚の脂の甘み、旨みを際立たせる。

ダイニングアウト琉球南城食文化に深く結びついた食材をコースのハイライトに。

琉球神話はじまりの地といわれる沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。神聖なる祈りの地・知念城跡に出現したレストランは、厳かさとなごやかさが入り混じる空気の中、大成功のうちに幕を閉じました。琉球創生の女神「アマミキヨ」の神話にならい、『DINING OUT』史上初の女性シェフとして厨房を預かった樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下、地域の伝統的な食習慣や食文化を鮮やかに映し出した料理でゲストを魅了しました。3皿目に供された「ヒージャーのロワイヤル」とメインの「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、ゲストを深い感動へ導くコースのハイライトに。山羊と豚。いずれも沖縄の食文化とは切っても切り離せない食材です。初の沖縄訪問でもあった視察からわずか2カ月足らずで、この2皿をどのように完成させたのか。樋口シェフのアプローチに迫ります。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

樋口シェフ。大勢の厨房スタッフを指揮しながら、自らも忙しく手を動かし、厨房を動き回る。

ダイニングアウト琉球南城「いのちを、余すところなく頂く」という食のあり方に学ぶ。

台風25号直撃というアクシデントに見舞われた10月初旬の第1回目の食材視察。奇しくもこの機が初の沖縄訪問となった樋口シェフは、初めて出会う沖縄の食材、食文化に驚くばかりでした。野菜やハーブ、紅茶にシークヮーサー、山羊に豚とさまざまな農畜産物の生産者を訪ね、琉球料理や、久高島に伝わるイラブー(ウミヘビ)料理も試食。「すべてが忘れがたい」という3日間で特に心に残ったのが山羊、そして沖縄の在来種であるアグー種の豚・黒金豚だと話してくれました。
「生産者の方が、まるで自分の子供を可愛がるように愛情を持って接していらっしゃる姿がとても印象的で。飼育環境も清潔で、山羊や豚たちもとても健やかで、幸せそうに見えました」。

沖縄は、古くから山羊が家畜として重宝されてきた歴史があります。台風や干ばつなどの影響で食糧の安定確保が難しい中、山羊は貴重なタンパク源でした。家の上棟式や結婚式など、祝いの席で振る舞われる料理でもあり、今でも一部の地域にはその習慣が残っています。

豚もまた、沖縄の食を語る上で欠かせない食材です。豚肉の消費量は全国屈指。ばら肉を使った角煮のラフテーやスペアリブの煮込み・ソーキなど、さまざまな郷土料理が今も日常的に親しまれています。コラーゲンたっぷりの豚足はテビチという煮付けに、ミミガーと呼ばれる耳たぶは酢の物に。「鳴き声以外はすべて食べる」という言葉があるほど、一頭を余すところなく頂く食習慣が今も根付いているのです。

山羊の生産者『株式会社 大地』視察時の様子。山羊を扱うのは初めてという樋口シェフは、代表の仲村嘉則さんの話に真剣に聞き入る。

小屋も体も清潔に保たれた山羊たちは健やかな表情。

黒金豚。数種類の穀物に近隣の酒造所で出る醪(もろみ)、地元金武町の海藻をはじめ天然のミネラルを加えた発酵飼料をベースに、敷地内で栽培する島バナナなども与えられ、健やかに育つ。

ダイニングアウト琉球南城静かな器の中に、山羊の命がよみがえる一皿。

「視察を終えて最初にイメージが浮かび、メニュー作りに着手したのが、山羊の一皿でした」。
訪問した『株式会社大地』のハーブ山羊を試食し、その味わいに驚いたと話します。
「非常にクセの強い食材ですが、特有の匂いは控えめで、繊細な旨みがあり、香りは子羊のよう」。
シンプルに焼くだけで十分おいしい山羊を、ホテルでフランス料理を作り続けてきた自分がどう料理すべきか。考えたときに、コンソメを思い付いたといいます。
「郷土料理の山羊汁もヒントになりました。山羊汁に親しんでこられた地元の方々が驚くような山羊のスープをお出ししたいと思ったのです」。

器の中に敷かれたコンソメロワイヤルは、ブイヨンに卵を合わせて蒸したものをコンソメの浮き身にした、クラシックなフランス料理。コンソメは、骨とミルポワでひいただしをベースに、皮付きモモ肉のミンチを加えた贅沢なダブルコンソメに仕上げました。タイムやローリエなど、臭い消しの役目を果たすハーブ類はあえて使わず、力強く、それでいて雑味のないハーブ山羊の風味を活かします。丁寧に下処理した内臓はブイヨンで炊き、フランの中にしのばせました。

山羊の肉はもちろん、骨も、皮も、内臓もすべて。卓上でコンソメが注がれて完成する黄金色の一皿は、一服の茶のような静けさの中に、山羊の命が丸ごと詰まっていたのです。

「ヒージャーのロワイヤル」。余分な飾りは一切加えず、山羊の命を純粋に表現した神々しい一皿。

樋口シェフ。卓上でサーブするコンソメをベストなタイミングで、とスタンバイ。

器にコンソメが注がれると、山羊の香りがふわりと立つ。トマトでほのかな酸味を、月桃の葉でショウガのような香りを添えて。

ダイニングアウト琉球南城ほかの豚にはない、生命力あふれる味を表現するために。

沖縄の人々の日常に欠かせない豚もまた、樋口シェフが必ず『DINING OUT』で使いたいと考えていた食材のひとつ。視察時に琉球在来豚・アグー種のブランド豚「黒金豚」の生産者・我喜屋宗一さんに出会い、その想いをいっそう強くします。

アグーの肉質は非常に優れているものの、体が小さく、成長に時間がかかるため、生産性の高い西洋種やF1種の増加とともに、絶滅の危機にさらされてきました。また、現在流通している「アグー」ブランド豚は、西洋種の雌を交配した交雑種(混血)がほとんどいう現実があります。そのような状況下で、純血のアグー種を守ろうと、循環型農業をベースにした飼育方法で、繁殖飼育を一貫して手掛けるのが我喜屋さん。我喜屋氏は、「戻し交配」という技術を用い、交雑種を純血種に近付ける取り組みも続けています。

我喜屋氏は言います。
「自然の中で、昔と同じように育てる。やりたいことはシンプルだけれど“自然”を取り巻く環境が変わる中で、ほおっておくだけでは、昔と同じにはならない。豚の味は嘘をつかないからすぐわかる。抗生物質やホルモン剤などの薬を使わない。豚の足元にあるもの、つまり国産の飼料で育てる。昔なら“当たり前”な環境を作ってあげれば、肉はちゃんとアグー種本来の味になる」。

「豚は沖縄の人にとってだけでなく、我々日本人誰にでも馴染みのある食材ですが、我喜屋さんの黒金豚の味わいには圧倒的な個性を感じました。脂身が非常に厚く、しっかりとしたテクスチャーとクリアな甘みがある。肉は赤身が強く、旨みも濃厚。初めての味わいでした」と樋口シェフ。

脂の旨みをシンプルに生かす一皿に仕上げるために。バラ肉はスパイスと一緒に真空調理で12時間かけて優しく火を入れ、ロースは伊勢志摩から持ち込んだとびきりの備長炭で、香ばしく焼き上げました。しっとりと火が入りながらも、嚙めば弾力がある。肉と脂、それぞれの旨みに、アグー種の生命力がみなぎります。

ナイフを持つ手にもしっかりとした肉質、弾力が伝わる「黒金豚」。ソースと付け合わせのピュレで、甘みが立体的に。

純血のアグー種を守る為、循環型農業をベースにした飼育方法を実践する我喜屋氏。

3匹の子豚と樋口シェフ。奪い合うように飼料を食べる愛らしい姿に、しばし見入ってしまう。

ダイニングアウト琉球南城食べるものが命を作る。その連なりに感謝を捧げて。

樋口シェフは「ぬちぐすい」という沖縄の言葉に非常に感銘を受けたといいます。「ぬち」は命、「ぐすい」は薬。そこから命の薬になるようなおいしい食べ物、飲み物、あるいはそれらと同様に心を温める愛情などを指す言葉とされています。コースの5皿目に用意した、沖縄在来の野菜約30種を盛り込んだ一皿は、そのまま「ぬちぐすい」と名付けました。その言葉に託した想いは、山羊や豚の料理にも貫かれています。
▶詳細は、沖縄の食文化を尊び、地元生産者、料理人すべての想いを一皿にした「ぬちぐすい」。

「食べるものが体を調え、命を繋いでいく。それは、人間も動物も同じです。ハーブ山羊も、アグー種の黒金豚も、生産性ではなく、命の健やかさを第一に考えた飼料で育てられている。我が子のような愛情をたっぷりと注がれて。その命が、今度は私たち人間の糧となる。“ぬちぐすい”の連なりが、沖縄の人たちの暮らしとともにあった独自の食文化を、未来へとつなげていくんです」。

「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマにした今回の『DINING OUT』。「ヒージャーのロワイヤル」と「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、食べ手の記憶にそのテーマを強く焼き付ける2皿となったはずです。

ホストの中村孝則氏。メニューには書ききれない、料理の背景、生産者の情報をシェフに代わってゲストへ伝えた。

サービスを終え、充実の表情でゲストのテーブルを見渡す樋口シェフと厨房スタッフ。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県八幡浜市]

スイーツジャーナリストの平岩理緒氏。食の情報発信だけでなく、セミナー講師や商品開発コンサルティングなど、多岐にわたって活躍中。

テロワールオブ西宇和期間限定で提供中の『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。

愛媛県西宇和の特産品『西宇和みかん』。
そのまま食べて美味しい、この『西宇和みかん』で、全6皿のデザートコースを創る。果敢に挑んだパティシエールが目黒『Kabi』の中村樹里子氏でした。

中村氏は白金の人気フレンチレストラン『TIRPSE』でデザートを手掛けていた新進気鋭の料理人。2015年には『TIRPSE』のランチタイムに『KIRIKO NAKAMURA』として一年間だけ、デザートコースのみを提供した実績もあります。

12月21日までの期間限定で振る舞われる、今回の『Kabi』のコースが、ゲストにはっきりと示したのは『西宇和みかん』の可能性。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

すでに体験したゲストのひとり、平岩理緒氏が感動を振り返ります。
「普通に考えると、温州みかんだけでフルコースって難しいはず。けれど、調理法をすべて変えることで、最後まで飽きさせない構成になっていて、さすがでした。何より、流れが素晴らしかった」

平岩氏はスイーツ好きのための情報web『幸せのケーキ共和国』を主宰するスイーツジャーナリスト。1カ月に200種以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やweb、ラジオやテレビなど、多くのメディアで情報を発信する、スイーツのプロフェッショナルです。

『KIRIKO NAKAMURA』にも足を運んでおり、その頃から「樹里子さんのデザートは好きでした」と言います。
平岩氏はこの日、東京・GINZA SIXに向かっていました。

目指すは6階にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。
『Kabi』のデザートコースは、残念ながら、間もなく終了してしまいますが、『西宇和みかん』のポテンシャルと『KIRIKO NAKAMURA』のエスプリを体感するチャンスは、ほかにもあります。
「もっと多くの方に、『西宇和みかん』の可能性を体感して欲しい」と、中村氏がプロデュースした『西宇和みかん』スペシャルメニューが、都内3店舗で展開されているのです。

その3店舗こそ、渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、そして、GINZA SIXにある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。

平岩氏は今、中村氏が手掛けた『西宇和みかん』スペシャルスイーツを味わうべく、『フタバフルーツパーラー銀座本店』に向かっています。
「楽しみです」
そう言って、微笑む平岩氏を追いました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

西宇和の恵まれた自然環境が育む『西宇和みかん』。じょうのうが薄く、果肉は高糖度。酸味も適度にあって美味。

テロワールオブ西宇和ジューシーで芳しく香る『西宇和みかん』を活かしたスイーツ。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』は、東京・中野区で1940年に創業した果実店『フタバフルーツ』と、全国で高感度なレストランやカフェを展開するCAFE COMPANYがコラボレーションしたフルーツパーラー。
旬の果物をたっぷり使ったパフェやサンドイッチのほか、食事メニューも充実しています。
中村氏が手掛けたスイーツが「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。
1日限定10食という希少性で早くも話題になっています。

大きな白磁で登場した、そのフレンチトーストを見て、「ボリュームがありますね」と思わず平岩氏も笑顔に。ひと口、食べて、さらに嬉しそう。
「温かいフレンチトーストで、みかんもほんのり温まっているのがいいですね。香りが立って、味わいも、よりまろやかに感じられます。温かいみかんも美味しいんだっていう新しい発見があります」
たっぷり乗った『西宇和みかん』が輪切りになっている点も大切なポイント。
 
「切り方で食材の印象は大きく変わりますが、みかんは横にスライスして断面を大きく取ることで、より瑞々しく感じられる。添えられた蜂蜜で味変できるのも楽しいですよね」。

そして、粒だけでなく、“じょうのう”も活かした『西宇和みかん』使いに、日本人が温州みかんに抱く郷愁まで誘うと指摘するのです。
「温州みかん特有の丸みを帯びた優しさが表現されている点に、まず感銘を受けましたが、じょうのうと粒を同時に味わうことで、日本人なら誰もが抱く懐かしさまで感じられる。『おこたで、みかん』(笑)。銀座で働いている方々も、これを食べたら故郷を思い出すんじゃないでしょうか」

「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。別添の蜂蜜をかけても。アクセントに和栗の渋皮煮とアイスをトッピング。1日限定10食。

西宇和みかんスペシャルスイーツを味わうため、GINZA SIXに足を運んだ平岩氏。

GINZA SIX 6階プレミアムフードホール「銀座大食堂」内にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。旬のフルーツをふんだんに使ったメニューをラインアップ。

「もっちり食感のフレンチトーストですから、みかんたちをしっかり受け止めてくれている」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選みかんを始め、西宇和の食材たちが見事に融合した中村氏のデザート。

振り返れば、『Kabi』のデザートコースも、フレンチレストランがベースにあった『KIRIKO NAKAMURA』当時の中村氏より、「ベクトルが少し日本に向いている気がしました」と平岩氏。
「元々、柑橘類は好きでフレンチのデザートでもよくいただくのですが、西洋のオレンジにあるような強さ、尖った酸味や甘みではなく、温州みかんの優しさを上手に引き出したデザートコースでした」

例えば、「roast」は、平岩氏が印象に残った皿のひとつ。
ローストすることで『西宇和みかん』の味や香りが凝縮され、「一般的に爽やかに仕上がるソルベも、想像以上に濃厚な温州みかん」で驚いたそう。
「地方によっては、焼きみかんを日常的に食べる習慣もありますが、そういう昔ながらの食べ方を応用しているようにも感じました」
「carbonization」で人参芋や菊芋、「fresh」でニッケ(シナモンの一種)と、同じ西宇和で育った食材同士の相性の良さにも「納得って感じです。作り手が産地へ赴く意義を強く感じた」。

嬉々として生産の現場を巡る中村氏の姿が目に浮かんだのか、平岩氏も楽しそうに語るのです。
「蜂蜜、日本酒……本当にいろいろな地元の食材がそれぞれのお皿に潜んでいて、新しい発見をした樹里子さんの喜びが伝わってくるようでした。フレンチでもない、和食でもない。○○料理ってカテゴライズはできない魅力がありました」

『Kabi』のコースで登場した「roast」。「焼きみかんそのものの美味しさ」で平岩氏が最も印象深かったデザート。「サツマイモのような風味も感じられました」

『Kabi』の4皿目、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』で「香りがしっかり感じられました。2種の芋の素朴な甘みや、メープルのアイスの優しい香りとも好相性でした」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和発酵によって深みを増した『西宇和みかん』の個性と実力。

平岩氏が次に向かったのは表参道『発酵居酒屋5』。
『Kabi』と同じく、発酵をテーマにした居酒屋で、店内には自家製で麹を育てる発酵樽も鎮座。あらゆるメニューで発酵がひと役買っています。

そんな店が提供する『西宇和みかん』スペシャルスイーツが「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」。
発酵させた『西宇和みかん』のジュースをジュレに。清涼感あるジュレの味わいに合わせて、この店のレギュラーメニュー「甘酒ブランマンジェ」に、ヨーグルトをプラスしています。

『発酵居酒屋5』では、このスイーツと一緒にペアリングで楽しめる「発酵西宇和みかんサワー」も用意。ベースになる『西宇和みかん』の発酵ジュースは店舗で手作りしています。

まずサワーをひと口、飲んで「発酵感がしっかりありますね」と平岩氏。
「甘みもしっかりあって女性でも飲みやすいです。発酵ジュースを作られる過程で、何か注意されている点はあるんですか?」
高木豊店長に尋ねました。
「毎日、お世話することです(笑)」と高木店長。
「お世話?」
「毎日、攪拌(かくはん)するんです。放っておくとすぐにスネてしまう(笑)」
「手間がかかっているんですね」
続いて、ブランマンジェをパクリ。
「口溶けがいいですね。ヨーグルトの爽やかさもある。ジュレには、甘みだけでなく、みかん特有の心地良い苦味も感じられて、バランスの良いスイーツに仕上がっています」
「発酵食品は微生物の酵素反応によって作られますが、その働きは体にも良い。だから、心身に沁みるんでしょうね」
今度は高木店長が真顔で説明しました。

「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」と「発酵西宇和みかんサワー」。12月28日までの提供。

『発酵居酒屋5』は表参道交差点からすぐの立地。塩糀ダレを使った「発酵からあげ」など、発酵に的を絞ってメニュー展開。

「さっぱりしていますから、食後にいい」と平岩氏。「ピリッとした生姜はサクサクで、食感のアクセントにもなっています」

テロワールオブ西宇和年内いっぱいで提供が終わるスペシャルスイーツが味わえるのは今だけ。

「温州みかんの優しさ、懐かしさを改めて感じましたけど、フレンチトーストには和栗、ジュレには生姜や胡桃など、食感にも工夫があって、日本人らしい季節感や、五感で味わう繊細さを表現した印象ですね」
そう言って、2種の『西宇和みかん』スイーツを評した平岩氏。

渋谷『WIRED TOKYO 1999』では、「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」を提供中。『西宇和みかん』スペシャルメニューは3軒とも、年内いっぱいの提供。12月31日まで(『発酵居酒屋5』は28日まで)の期間限定です。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

新進気鋭のパティシエールが創り、プロのスイーツジャーナリストが高く評価した『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。
スイーツ好きならずとも、今すぐ、試してみたくなるのです。

(supported by JAにしうわ

渋谷『WIRED TOKYO 1999』で提供されている「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。特製ソースも『西宇和みかん』。12月31日までの期間限定。

「温州みかんのスイーツって意外とないですよね」と高木豊店長。答えて、平岩氏も「さすが、樹里子さんって感じです」

マーケターとして食品メーカーなどのプロモーション、リサーチを担当し、商品開発・販促に関わった経験を生かし、独立。菓子の基礎知識を製菓学校で学ぶ。1か月に200種類以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やWEB、ラジオ、TV等で、スイーツを中心とする「食」の情報を発信するスイーツジャーナリストとして活動。執筆の他、セミナー講師、イベント司会、企業の商品開発コンサルティングまで幅広くこなす。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県八幡浜市]

スイーツジャーナリストの平岩理緒氏。食の情報発信だけでなく、セミナー講師や商品開発コンサルティングなど、多岐にわたって活躍中。

テロワールオブ西宇和期間限定で提供中の『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。

愛媛県西宇和の特産品『西宇和みかん』。
そのまま食べて美味しい、この『西宇和みかん』で、全6皿のデザートコースを創る。果敢に挑んだパティシエールが目黒『Kabi』の中村樹里子氏でした。

中村氏は白金の人気フレンチレストラン『TIRPSE』でデザートを手掛けていた新進気鋭の料理人。2015年には『TIRPSE』のランチタイムに『KIRIKO NAKAMURA』として一年間だけ、デザートコースのみを提供した実績もあります。

12月21日までの期間限定で振る舞われる、今回の『Kabi』のコースが、ゲストにはっきりと示したのは『西宇和みかん』の可能性。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

すでに体験したゲストのひとり、平岩理緒氏が感動を振り返ります。
「普通に考えると、温州みかんだけでフルコースって難しいはず。けれど、調理法をすべて変えることで、最後まで飽きさせない構成になっていて、さすがでした。何より、流れが素晴らしかった」

平岩氏はスイーツ好きのための情報web『幸せのケーキ共和国』を主宰するスイーツジャーナリスト。1カ月に200種以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やweb、ラジオやテレビなど、多くのメディアで情報を発信する、スイーツのプロフェッショナルです。

『KIRIKO NAKAMURA』にも足を運んでおり、その頃から「樹里子さんのデザートは好きでした」と言います。
平岩氏はこの日、東京・GINZA SIXに向かっていました。

目指すは6階にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。
『Kabi』のデザートコースは、残念ながら、間もなく終了してしまいますが、『西宇和みかん』のポテンシャルと『KIRIKO NAKAMURA』のエスプリを体感するチャンスは、ほかにもあります。
「もっと多くの方に、『西宇和みかん』の可能性を体感して欲しい」と、中村氏がプロデュースした『西宇和みかん』スペシャルメニューが、都内3店舗で展開されているのです。

その3店舗こそ、渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、そして、GINZA SIXにある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。

平岩氏は今、中村氏が手掛けた『西宇和みかん』スペシャルスイーツを味わうべく、『フタバフルーツパーラー銀座本店』に向かっています。
「楽しみです」
そう言って、微笑む平岩氏を追いました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

西宇和の恵まれた自然環境が育む『西宇和みかん』。じょうのうが薄く、果肉は高糖度。酸味も適度にあって美味。

テロワールオブ西宇和ジューシーで芳しく香る『西宇和みかん』を活かしたスイーツ。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』は、東京・中野区で1940年に創業した果実店『フタバフルーツ』と、全国で高感度なレストランやカフェを展開するCAFE COMPANYがコラボレーションしたフルーツパーラー。
旬の果物をたっぷり使ったパフェやサンドイッチのほか、食事メニューも充実しています。
中村氏が手掛けたスイーツが「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。
1日限定10食という希少性で早くも話題になっています。

大きな白磁で登場した、そのフレンチトーストを見て、「ボリュームがありますね」と思わず平岩氏も笑顔に。ひと口、食べて、さらに嬉しそう。
「温かいフレンチトーストで、みかんもほんのり温まっているのがいいですね。香りが立って、味わいも、よりまろやかに感じられます。温かいみかんも美味しいんだっていう新しい発見があります」
たっぷり乗った『西宇和みかん』が輪切りになっている点も大切なポイント。
 
「切り方で食材の印象は大きく変わりますが、みかんは横にスライスして断面を大きく取ることで、より瑞々しく感じられる。添えられた蜂蜜で味変できるのも楽しいですよね」。

そして、粒だけでなく、“じょうのう”も活かした『西宇和みかん』使いに、日本人が温州みかんに抱く郷愁まで誘うと指摘するのです。
「温州みかん特有の丸みを帯びた優しさが表現されている点に、まず感銘を受けましたが、じょうのうと粒を同時に味わうことで、日本人なら誰もが抱く懐かしさまで感じられる。『おこたで、みかん』(笑)。銀座で働いている方々も、これを食べたら故郷を思い出すんじゃないでしょうか」

「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。別添の蜂蜜をかけても。アクセントに和栗の渋皮煮とアイスをトッピング。1日限定10食。

西宇和みかんスペシャルスイーツを味わうため、GINZA SIXに足を運んだ平岩氏。

GINZA SIX 6階プレミアムフードホール「銀座大食堂」内にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。旬のフルーツをふんだんに使ったメニューをラインアッ

「もっちり食感のフレンチトーストですから、みかんたちをしっかり受け止めてくれている」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選みかんを始め、西宇和の食材たちが見事に融合した中村氏のデザート。

振り返れば、『Kabi』のデザートコースも、フレンチレストランがベースにあった『KIRIKO NAKAMURA』当時の中村氏より、「ベクトルが少し日本に向いている気がしました」と平岩氏。
「元々、柑橘類は好きでフレンチのデザートでもよくいただくのですが、西洋のオレンジにあるような強さ、尖った酸味や甘みではなく、温州みかんの優しさを上手に引き出したデザートコースでした」

例えば、「roast」は、平岩氏が印象に残った皿のひとつ。
ローストすることで『西宇和みかん』の味や香りが凝縮され、「一般的に爽やかに仕上がるソルベも、想像以上に濃厚な温州みかん」で驚いたそう。
「地方によっては、焼きみかんを日常的に食べる習慣もありますが、そういう昔ながらの食べ方を応用しているようにも感じました」
「carbonization」で人参芋や菊芋、「fresh」でニッケ(シナモンの一種)と、同じ西宇和で育った食材同士の相性の良さにも「納得って感じです。作り手が産地へ赴く意義を強く感じた」。

嬉々として生産の現場を巡る中村氏の姿が目に浮かんだのか、平岩氏も楽しそうに語るのです。
「蜂蜜、日本酒……本当にいろいろな地元の食材がそれぞれのお皿に潜んでいて、新しい発見をした樹里子さんの喜びが伝わってくるようでした。フレンチでもない、和食でもない。○○料理ってカテゴライズはできない魅力がありました」

『Kabi』のコースで登場した「roast」。「焼きみかんそのものの美味しさ」で平岩氏が最も印象深かったデザート。「サツマイモのような風味も感じられました」

『Kabi』の4皿目、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』で「香りがしっかり感じられました。2種の芋の素朴な甘みや、メープルのアイスの優しい香りとも好相性でした」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和発酵によって深みを増した『西宇和みかん』の個性と実力。

平岩氏が次に向かったのは表参道『発酵居酒屋5』。
『Kabi』と同じく、発酵をテーマにした居酒屋で、店内には自家製で麹を育てる発酵樽も鎮座。あらゆるメニューで発酵がひと役買っています。

そんな店が提供する『西宇和みかん』スペシャルスイーツが「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」。
発酵させた『西宇和みかん』のジュースをジュレに。清涼感あるジュレの味わいに合わせて、この店のレギュラーメニュー「甘酒ブランマンジェ」に、ヨーグルトをプラスしています。

『発酵居酒屋5』では、このスイーツと一緒にペアリングで楽しめる「発酵西宇和みかんサワー」も用意。ベースになる『西宇和みかん』の発酵ジュースは店舗で手作りしています。

まずサワーをひと口、飲んで「発酵感がしっかりありますね」と平岩氏。
「甘みもしっかりあって女性でも飲みやすいです。発酵ジュースを作られる過程で、何か注意されている点はあるんですか?」
高木豊店長に尋ねました。
「毎日、お世話することです(笑)」と高木店長。
「お世話?」
「毎日、攪拌(かくはん)するんです。放っておくとすぐにスネてしまう(笑)」
「手間がかかっているんですね」
続いて、ブランマンジェをパクリ。
「口溶けがいいですね。ヨーグルトの爽やかさもある。ジュレには、甘みだけでなく、みかん特有の心地良い苦味も感じられて、バランスの良いスイーツに仕上がっています」
「発酵食品は微生物の酵素反応によって作られますが、その働きは体にも良い。だから、心身に沁みるんでしょうね」
今度は高木店長が真顔で説明しました。

「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」と「発酵西宇和みかんサワー」。12月28日までの提供。

『発酵居酒屋5』は表参道交差点からすぐの立地。塩糀ダレを使った「発酵からあげ」など、発酵に的を絞ってメニュー展開。

「さっぱりしていますから、食後にいい」と平岩氏。「ピリッとした生姜はサクサクで、食感のアクセントにもなっています」

テロワールオブ西宇和年内いっぱいで提供が終わるスペシャルスイーツが味わえるのは今だけ。

「温州みかんの優しさ、懐かしさを改めて感じましたけど、フレンチトーストには和栗、ジュレには生姜や胡桃など、食感にも工夫があって、日本人らしい季節感や、五感で味わう繊細さを表現した印象ですね」
そう言って、2種の『西宇和みかん』スイーツを評した平岩氏。

渋谷『WIRED TOKYO 1999』では、「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」を提供中。『西宇和みかん』スペシャルメニューは3軒とも、年内いっぱいの提供。12月31日まで(『発酵居酒屋5』は28日まで)の期間限定です。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

新進気鋭のパティシエールが創り、プロのスイーツジャーナリストが高く評価した『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。
スイーツ好きならずとも、今すぐ、試してみたくなるのです。

(supported by JAにしうわ

渋谷『WIRED TOKYO 1999』で提供されている「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。特製ソースも『西宇和みかん』。12月31日までの期間限定。

「温州みかんのスイーツって意外とないですよね」と高木豊店長。答えて、平岩氏も「さすが、樹里子さんって感じです」

マーケターとして食品メーカーなどのプロモーション、リサーチを担当し、商品開発・販促に関わった経験を生かし、独立。菓子の基礎知識を製菓学校で学ぶ。1か月に200種類以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やWEB、ラジオ、TV等で、スイーツを中心とする「食」の情報を発信するスイーツジャーナリストとして活動。執筆の他、セミナー講師、イベント司会、企業の商品開発コンサルティングまで幅広くこなす。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

花柄スキニー【レディース館】

 

 

こんにちはにこにこハート

今回はNHKの生放送でもご紹介させて頂いた

 

花柄スキニーをご紹介しますハート

 

 

 

EDGE OF LINE【エッジオブライン】

花柄スキニー ¥13,820(税込)

サイズ XS、S、M、L

 

 

トレンドの花柄は通常プリント生地が大半を占める中、

こちらの生地はデニムの織り花柄を表現しているので

非常に高級感があります宝石ブルーきらきら。

 

 

ストレッチ性が高いので着心地も抜群ですGOOD。

 

 

カラーは、

ライトブルーネイビーピンク の3色展開ですハート

 

 

中々無いデザインなので

是非!!倉敷にお越しの際には

質感や穿き心地など体感してみてくださいねにこにこハート。お待ちしております

 

 

 

 

倉敷デニムストリート レディース館

電話086-436-6218

 

 

 

 

「朝食専門店」というスタイルで食の本質に迫る。[朝食喜心/京都府京都市・神奈川県鎌倉市]

「人」を「良くする」と書いて「食」。食に「喜心」をもって向き合ってもらうことを目指す。

朝食喜心一日の始まりの食。そこに秘められた喜びをかみしめて。

一日の始まり。季節の食材をたっぷり入れた汁物を作り、炊き立てのご飯をよそい、丁寧にお茶を淹れてから頂く――かつてはどの家庭でも見られたそんな日本の朝食は、せわしない現代では徐々に失われつつあります。

今一度「朝食」の意義を見直して、丁寧な暮らしとそこに息づいていた心を取り戻したい――そんな想いのもとにオープンしたのが『朝食喜心』です。

その名が意味するのは、「喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という禅の教え。
食べることは生きることであり、一日三度の食事は生きていく上で欠かせません。食べることも作ることも、生きている限り続けていかなければなりません。それは楽しいばかりではなく、時に修業のように苦しかったり、面倒な一面もあります。

だからこそ、喜びの心を持って食事に向き合い、時に忘れがちな有難さや喜びを、喜心に訪れたお客様にも、作る料理人にも、供するスタッフにも持ち続けてほしい――「喜心=喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という想いを感じて、それを各人の家庭にまで持ち帰ってもらえる食事を味わって頂きたい。それが『朝食喜心』の願いだそうです。

そんな『朝食喜心』で待っているのは、いったいどんな体験なのでしょうか?
一日の始まりであり、基本でもある朝食に秘められたパワーに、思わぬ驚きと喜びを感じられるかもしれません。

喜心とは、「食事を作ることも食べることも、その全てが修行であり、生きることそのもの。喜ぶべき尊い行いである」という禅の教えからきている言葉。

良い朝を過ごせれば一日が豊かになる。食の満足感だけでなく、温かな想いまで持ち帰って。

朝食喜心「朝食」にとことんこだわった「朝食専門店」の意義。 

『朝食喜心』を立ち上げたのは、鎌倉生まれの双子の姉妹・池田めぐみ氏、さゆり氏とその友人の奥谷舞子氏が創業者のViajes株式会社です。第一号店は京都・祇園の一角に構えられたホテルの一階。「京都にふさわしい食の場をプロデュースして欲しい」という依頼によるものでした。

昨今の京都は、インバウンド需要の激増によって多数のホテルや旅館が林立しています。ですが、それに反して朝食がとれる場所は希少でした。「落ち着いたしつらえの中で、京都らしい美味しい朝食が食べたい!」というインバウンドのニーズが宙に浮いている状態だったのです。

そこで「日本と京都らしい朝食が食べられる、素敵な一日を始めるきっかけとなる場所」を提案。こうして『朝食喜心 kyoto』がオープンしたのです。

「朝食専門店」という斬新なスタイルの中に、食の基本と理念が息づく。

シンプルでいて、和食文化の本質に迫る食事。

朝食喜心食の基本は朝食にあり。「一飯一汁」で本質をきわめる。

『朝食喜心 kyoto』の食事を監修したのは、京都の名店『草喰なかひがし』に生まれ、「一飯一汁(いっぱんいちじゅう/One Rice One Soup)」という日本の食の真髄を提唱するプロジェクトを主催している中東篤志(なかひがし あつし)氏です。シンプルでいて、食の本質を感じられるメニューを提供しています。

その基本となるのは、土鍋で丁寧に炊き上げたご飯と、京野菜をふんだんに使った汁物。さらに京都・南御所の老舗の湯葉工房『半升(はんしょう)』の汲み上げ湯葉を、四季折々のアレンジで向付(むこうづけ)として添え、他にもウルメイワシの丸干しや漬物などを加えて、まさに古き良き、丁寧な「朝ご飯」に仕上げています。

加えて、鎌倉の名店『うつわ祥見』とセレクトした作家ものの器を用いるなど、あらゆるシーンに本物とストーリーを配置。「その土地の食文化を心を込めてお届けし、体験して頂くこと」をモットーとしています。

お米そのものの味が最も引き出されるのが「煮えばな」。そこからお焦げに変化するまで、ご飯の全ての状態と味を堪能できる。

ひとつひとつ、土鍋で丁寧に炊き上げるのが信条。

朝食喜心一日の要となる朝食を最高のクオリティとシチュエーションで。 

『朝食喜心』が大切にするのは、素材そのものの味を堪能してもらえる調理とメニューです。そして、それをゆったりと楽しめる「時間」も大切な要素です。

手を加えすぎず、味を殺さず、特にメインディッシュとなるお米は、炊き上がった瞬間からお焦げができるまでの、すべての状態と味を楽しんでもらいます。滋賀県の窯元・一志郎窯に特注した土鍋は、『朝食喜心』が求める最上のご飯を炊き上げられる逸品。これをそのまま客席にすえ、蒸らす前の「煮えばな」の状態から供します。

徐々にふっくら、次にしっかり、最後に香ばしいお焦げへと変化していくご飯の艶姿。真っ白なお米ただ一品が、まるでフルコースのような満足感を与えてくれます。わざわざここに足を運び、ここで味わう価値のある一品です。

ご飯はゲストの来店時間に合わせて炊き上げ、蒸らす前の「煮えばな」から供する。とにかく手間と時間をかけている。

朝食は予約をするのがおすすめ。ゲストを待たせず、メインディッシュのご飯も最高のコンディションで提供できる。

朝食喜心古き良き「日本の朝食」は、忘れ去られていたゆとりを取り戻してくれる。

そんな『朝食喜心』を訪れた人々は、「久しぶりにゆっくりと丁寧な食事をした!」「今日はいい一日が過ごせそう」などなど、とても満足した言葉と共に帰路につくそうです。それは単に、ゆったりとした時間と心尽くしの料理を味わえた満足感だけでなく、ふとした会話のおもてなしや、『朝食喜心』そのものに流れる温かな空気をも堪能した結果なのでしょう。

約1時間半もの時間をかけて、コース仕立てのような朝食を味わう。そんなせわしない現代ではまず体験できないシチュエーションに、様々な気付きや驚きがもたらされるのです。

例えば、日ごろは朝食を食べない人が訪れて、その後3日間にわたって通いつめた、なんてエピソードも。「今までの人生でこんなにゆったり朝食を食べたことも、じっくり味わったこともなかった」「もともとはゆっくりご飯を食べる方だったが、子供の頃に『速く食べて』と急かされたり、大人になって忙しくなり、そんな感覚を忘れていた」などという声も寄せられています。「改めて時間をかけて朝食を食べてみると、自分はじっくり味わいたい人間だったのだと気付かされた」という感想もあり、多くの人々のライフスタイルにまで変化をもたらしています。

そんなゲストたちの声に手ごたえを感じながら、『朝食喜心』のスタッフたちはお店の意義をも実感。そして、今日も豊かな食と時間を提供し続けています。

一日の始まりであり、要となる朝食は何よりも大事。それに改めて気付かせてくれる場。

親切なスタッフとの会話も、ゆとりと満足感を与えてくれる。京都や鎌倉の観光情報もお任せ!

丁寧な食と豊かな時間が国内外のゲストに好評。京都祇園店のインバウンド率は約2割に迫る。

2号店の鎌倉佐助店は朝食の他、週末の夜限定のバルタイムも楽しめる。

朝食喜心2号店を鎌倉にオープン。『朝食喜心』が追求する食は新たな境地へ。

まずは京都祇園店から始まった『朝食喜心』ですが、2018年の4月には、池田姉妹の故郷である鎌倉に『朝食喜心 kamakura』と名づけられた2号店をオープンしました。こちらは鎌倉の地物野菜や海に面した立地ならではの海鮮を取り入れ、週末にはバルタイムを設けるなど、京都祇園店とはまた違った魅力があります。

特に注目したいのは、週末の夜限定で営業する『喜心バル』。朝食よりも自由度を増したスタイルで、アラカルトな食と出合いが待ち受けています。

地元の人々や同じ旅人たちとの交流は、バルスタイルならではの楽しみ。「料理人が出したい、食べて頂きたい料理を様々な趣向でお出ししています。鎌倉をサンセバスチャンのような料理好きや料理人が集まり情報交換や交流ができる街にしたいのです」と池田さゆり氏が語るように、季節と仕入れた食材によって変化するメニューは一期一会の驚きを与えてくれます。

舞台となる建物は、築40年のうなぎ屋をリノベーションしたもの。日本家屋がそのままレストランになったかのような調度品や、その由来、山々の緑に囲まれた佇まいなど、全体の雰囲気も含めて満喫したいものです。

京都と鎌倉、それぞれの地に根付いて、食の喜びを再発見させてくれる場所。『朝食喜心』に漂う時間と空気に、あなたも触れてみてはいかがでしょうか?

鎌倉佐助店は立地を生かした獲れたての海の幸が自慢。海鮮の和風トマト汁など、鎌倉らしいメニューにも注目。

鎌倉佐助店の佇まい。中心地の喧騒から少し離れた場所にあり、やはりゆったりとした空気と時間が流れる。

朝食を知り、食の基本を知る。温故知新が待つ。

朝食喜心 HP:https://www.kishin.world/
<京都 祇園 店>
住所:京都市東山区小松町555 MAP
電話:075-525-8500
営業時間:7:30~14:50 (L.O.13:30 )
​定休日:木曜日

<鎌倉 佐助 店>
住所:神奈川県鎌倉市佐助 1-12-9 MAP
電話:0467-23-6339
営業時間:8:00 ~ 15:30 (+Bar 金・土・日)
朝食&ブランチ:8:00-15:30 (L.O.14:00 )
バル(金・土・日):18:00-22:30 (L.O.22:00)
​定休日:木曜日(イベント開催日を除く)

「朝食専門店」というスタイルで食の本質に迫る。[朝食喜心/京都府京都市・神奈川県鎌倉市]

「人」を「良くする」と書いて「食」。食に「喜心」をもって向き合ってもらうことを目指す。

朝食喜心一日の始まりの食。そこに秘められた喜びをかみしめて。

一日の始まり。季節の食材をたっぷり入れた汁物を作り、炊き立てのご飯をよそい、丁寧にお茶を淹れてから頂く――かつてはどの家庭でも見られたそんな日本の朝食は、せわしない現代では徐々に失われつつあります。

いま一度“朝食”の意義を見直して、丁寧な暮らしとそこに息づいていた心を取り戻したい――そんな想いのもとにオープンしたのが『朝食喜心』です。

その名が意味するのは、「喜ぶ心をもって食事に向き合えるのは素晴らしい」という禅の教え。
食べることは生きることであり、一日三度の食事は生きていく上で欠かせません。食べることも作ることも、生きている限り続けていかなければなりません。それは楽しいばかりではなく、ときに修業のように苦しかったり、面倒な一面もあります。

だからこそ、喜びの心を持って食事に向き合い、ときに忘れがちな有難さや喜びを、喜心に訪れたお客様にも、作る料理人にも、供するスタッフにも持ち続けてほしい――「喜心=喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という想いを感じて、それを各人の家庭にまで持ち帰ってもらえる食事を味わっていただきたい。それが『朝食喜心』の願いだそうです。

そんな『朝食喜心』で待っているのは、一体どんな体験なのでしょうか?
一日の始まりであり、基本でもある朝食に秘められたパワーに、思わぬ驚きと喜びを感じられるかもしれません。

喜心とは、「食事をつくることも食べることも、そのすべてが修行であり、生きることそのもの。喜ぶべき尊いおこないである」という禅の教えからきている言葉。

良い朝を過ごせれば一日が豊かになる。食の満足感だけでなく、温かな想いまで持ち帰って。

朝食喜心「朝食」にとことんこだわった「朝食専門店」の意義。 

『朝食喜心』を立ち上げたのは、鎌倉生まれの双子の姉妹・池田めぐみ氏、さゆり氏とその友人の奥谷舞子氏が創業者のViajes株式会社です。第一号店は京都・祇園の一角に構えられたホテルの一階。「京都にふさわしい食の場をプロデュースして欲しい」という依頼によるものでした。

昨今の京都は、インバウンド需要の激増によって多数のホテルや旅館が林立しています。ですが、それに反して朝食がとれる場所は希少でした。「落ち着いたしつらえの中で、京都らしい美味しい朝食が食べたい!」というニーズが宙に浮いている状態だったのです。

そこで「日本と京都らしい朝食が食べられる、素敵な一日を始めるきっかけとなる場所」を提案。こうして『朝食喜心 kyoto』がオープンしたのです。

「朝食専門店」という斬新なコンセプトの中に、食の基本と理念が息づく。

シンプルでいて、和食文化の本質に迫る食事。

朝食喜心食の基本は朝食にあり。“一飯一汁”で本質をきわめる。

『朝食喜心 kyoto』の食事を監修したのは、京都の名店『草喰なかひがし』に生まれ、「一飯一汁(いっぱんいちじゅう/One Rice One Soup)」という日本の食の真髄を提唱するプロジェクトを主催している中東篤志(なかひがし あつし)氏です。シンプルでいて、食の本質を感じられるメニューを提供しています。

その基本となるのは、土鍋で丁寧に炊き上げたご飯と、京野菜をふんだんに使った汁物。さらに京都・南御所の老舗の湯葉工房『半升(はんしょう)』の汲み上げ湯葉を、四季折々のアレンジで向付(むこうづけ)として添え、他にもウルメイワシの丸干しや漬物などを加えて、まさに古き良き、丁寧な「朝ごはん」に仕上げています。

加えて、鎌倉の名店『うつわ祥見』とセレクトした作家ものの器を用いるなど、あらゆるシーンに本物とストーリーを配置。「その土地の食文化を心を込めてお届けし、体験していただくこと」をモットーとしています。

お米そのものの味が最も引き出されるのが“煮えばな”。そこからお焦げに変化するまで、ご飯のすべての過程を堪能できる。

ひとつひとつ、土鍋で丁寧に炊き上げるのが信条。

朝食喜心一日の要となる朝食を最高のクオリティとシチュエーションで。 

『朝食喜心』が大切にするのは、素材そのものの味を堪能してもらえる調理とメニューです。そして、それをゆったりと楽しめる“時間”も大切な要素です。

手を加えすぎず、味を殺さず、特にメインディッシュとなるお米は、炊き上がった瞬間からお焦げができるまでの、すべての状態と味を楽しんでもらいます。滋賀県の窯元・一志郎窯に特注した土鍋は、『朝食喜心』が求める最上のご飯を炊き上げられる逸品。これをそのまま客席にすえ、蒸らす前の“煮えばな”の状態から供します。

徐々にふっくら、次にしっかり、最後に香ばしいお焦げへと変化していくご飯の艶姿。真っ白なお米ただ一品が、まるでフルコースのような満足感を与えてくれます。わざわざここに足を運び、ここで味わう価値のある一品です。

ご飯はゲストの来店時間に合わせて炊き上げ、蒸らす前の「煮えばな」から供する。とにかく手間と時間をかけている。

朝食は予約をするのがおすすめ。ゲストを待たせず、メインディッシュのご飯も最高のコンディションで提供できる。

朝食喜心古き良き「日本の朝食」は、忘れ去られていたゆとりを取り戻してくれる。

そんな『朝食喜心』を訪れた人々は、「久しぶりにゆっくりと丁寧な食事をした!」「今日はいい一日が過ごせそう」などなど、とても満足した言葉と共に帰路につくそうです。それは単に、ゆったりとした時間と心尽くしの料理を味わえた満足感だけでなく、ふとした会話のおもてなしや、『朝食喜心』そのものに流れる温かな空気をも堪能した結果なのでしょう。

約1時間半もの時間をかけて、コース仕立てのような朝食を味わう。そんなせわしい現代ではまず体験できないシチュエーションに、様々な気づきや驚きがもたらされるのです。

たとえば、日ごろは朝食を食べない人が訪れて、その後3日間に渡って通いつめた、なんてエピソードも。「今までの人生でこんなにゆったり朝食を食べたことも、じっくり味わったこともなかった」「元々はゆっくりご飯を食べるほうだったが、子供の頃に『速く食べて』と急かされたり、大人になって忙しくなり、そんな感覚を忘れていた」などという声も寄せられています。「改めて時間をかけて朝食を食べてみると、自分はじっくり味わいたい人間だったのだと気づかされた」という感想もあり、多くの人々のライフスタイルにまで変化をもたらしています。

そんなゲスト達の声に手ごたえを感じながら、『朝食喜心』のスタッフ達はお店の意義をも実感。そして、今日も豊かな食と時間を提供し続けています。

一日の始まりであり、要となる朝食は何よりも大事。それに改めて気づかせてくれる場。

親切なスタッフとの会話も、ゆとりと満足感を与えてくれる。京都や鎌倉の観光情報もお任せ!

丁寧な食と豊かな時間が国内外のゲストに好評。京都店のインバウンド率は約2割に迫る。

2号店の鎌倉店は朝食のほか、週末限定のバルタイムでも楽しめる。

朝食喜心2号店を鎌倉にオープン。『朝食喜心』が追求する食は新たな境地へ。

まずは京都から始まった『朝食喜心』ですが、2018年の4月には、池田姉妹の故郷である鎌倉に『朝食喜心 kamakura』と名づけられた2号店をオープンしました。こちらは鎌倉の地物野菜や海に面した立地ならではの海鮮を取り入れ、週末にはバルタイムを設けるなど、京都店とはまた違った魅力で楽しめます。
特に注目したいのは、週末の夜限定で営業する『喜心バル』。朝食よりも自由度を増したスタイルで、アラカルトな食と出会いが待ち受けています。

地元の人々や同じ旅人達との交流は、バルスタイルならではの楽しみ。「料理人が出したい、食べていただきたい料理を様々な趣向でお出ししています。鎌倉をサンセバスチャンのような料理好きや料理人が集まり情報交換や交流ができる街にしたいのです」と池田さゆり氏が語るように、季節と仕入れた食材によって変化するメニューは一期一会の驚きを与えてくれます。

その舞台となる建物は、築40年のうなぎ屋をリノベーションしたもの。日本家屋がそのままレストランになったかのような調度や、その由来、周囲の山の緑に囲まれた佇まいなど、全体の雰囲気も含めて満喫したいものです。

京都と鎌倉、それぞれの地に根付いて、食の喜びを再発見させてくれる場所。『朝食喜心』に漂う時間と空気に、あなたも触れてみてはいかがでしょうか?

鎌倉店は立地を生かした獲りたての海の幸が自慢。海鮮の和風トマト汁など、鎌倉らしいメニューにも注目。

鎌倉店のたたずまい。中心地の喧騒から少し離れた地にあり、やはりゆったりとした空気と時間が流れる。

朝食を知り、食の基本を知る。温故知新の発見が待つ。

朝食喜心 HP:https://www.kishin.world/
<京都 祇園 店>
住所:京都市東山区小松町555 MAP
電話:075-525-8500
営業時間:7:30~14:50 (L.O.13:30 )
​定休日:木曜日

<鎌倉 佐助 店>
住所:神奈川県鎌倉市佐助 1-12-9 MAP
電話:0467-23-6339
営業時間:8:00 ~ 15:30 (+Bar 金・土・日)
朝食&ブランチ:8:00-15:30 (L.O.14:00 )
バル(金・土・日):18:00-22:30 (L.O.22:00)
​定休日:木曜日(イベント開催日を除く)

@adidasfun

コーナーキック。ゴールラインを割ったときに最後に触れた選手が守備側だった場合、ボールの出たところから近いコーナーアークから相手に邪魔されない形でキックすることができる。直接ゴールを狙ってもよい。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

2018年度 年末年始休業のお知らせ

藍染年末年始画像

 

平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。

 

誠に勝手ながら、下記期間を年末年始休業とさせていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

 

■2018年12月29日(土)~ 2019年1月6日(日)までの期間

 

※ 2019年1月7日(月)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問い合わせにつきましては、2019年1月7日(月)以降に対応させていただきます。

 

今後共、何卒宜しくお願い申し上げます。

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

店主偏愛の酒で旅人を癒す。[NEW GENERATION HOPPING・時さえ忘れて/福島県会津若松市]

ハンドドリップでコーヒーを淹れる鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて何もないようで、何でもある場所で。

ホテルに荷物を置いてふらっと立ち寄り、アンダーな照明の中カウンター席でホッとひと息──。旅先で素の自分に戻れる場所があれば、そこはやがて第二、第三の故郷と呼びたくなる場所へと変わっていくのではないでしょうか。ジャズの名曲『時さえ忘れて』を店名に冠したこちらは、そんな風に肩の力を抜いて寛ぎたい空間です。

場所は会津若松市役所のすぐそばにある雑居ビルの2階。看板はありません。赤いカーペットが貼られた階段をのぼると、小さな椅子に立てかけられた黒板に「OPEN」の文字。アーチ状の扉を開けると、そこが『時さえ忘れて』です。店主は鈴木啓介氏。会津若松で生まれ、10年ほど東京で働いた後にUターン。そのきっかけは?と取材班がたずねると、鈴木氏は「盆暮れ正月だけでなく、もっと家族と一緒にいたいと思ったんです。一度戻ってきてみると食べ物は美味しいし、面白い人は多いし、歴史や文化に恵まれた場所なんだと改めて思いまして。『ここには何もない』と言う人もいますが、視点を変えれば都会にはないものがいくつもあるんですよね。もう(都会に)出ようとは思わないです」と答えてくれました。店を構えて、もうすぐ4年になろうとしています。

東京では酒舗や飲食店に勤めていたという鈴木氏。そこでハードリカーについて学び、地元に帰ってからは「会津娘」の蔵元・高橋庄作酒造店にて醸造を学びました。会津鉄道の門田(もんでん)駅にほど近いこちらは、「土産土法」(地元・会津の米と水を使い、土地の人が土地の手法で酒造りを行うという造語)に誠実に取り組んでいる蔵元です。そもそも、お酒関連の仕事に就こうと思ったきっかけは何だったのでしょう? 「もともとあまり社交的な人間ではなかったのですが、大学時代にアルバイトをしていた居酒屋でいろんな人と話すのが楽しくなって。親にも驚かれたぐらいです。『お前が接客やってるのか?』って」と鈴木氏は話します。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ちょっと妖しい階段をのぼると、かわいらしいアーチ状の扉が表れる。元はスナックだった

ゆったり配されたテーブルが心地いい店内。しかし、特等席はカウンターだ。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れてクラフトビールと、冷めても美味しい燗酒と。

カウンター席に座り、何気なく右手を見ると、冷蔵庫に直接取りつけられた3つのタップが目に入りました。「ドリルを使って自分で冷蔵庫に穴を開けました」と言う鈴木氏。それもこれも、縁あって扱うことになったという6社のクラフトビールをベストな状態で飲んでもらいたいという思いから。京都醸造のものを中心に、その都度入れ替えつつ提供しているという、各社の手仕事が息づくクラフトビール。この日のラインナップは京都醸造の限定醸造シリーズ「荷下夫の一息」とシーズナル商品の「秋の気まぐれ」、北海道は上富良野にある忽布古丹(ほっぷこたん)醸造の「早に雨」でした。

鈴木氏がクラフトビールに目覚めたのは、味はもちろん目に見えない力があると思うからだそうです。「クラフトビールが飲める場に足を運ぶと、老いも若きもみんな楽しそうなんですよね。クラフトビールにはコミュニティを形成する力があると思うんです」と鈴木氏は話します。鈴木氏がクラフトビールと同じくコミュニティをつくりだす力があると考えているのがコーヒーです。そこで、信頼を寄せるロースター「Lover’s coffee」から豆を仕入れ、丁寧にハンドドリップで提供。取材中に淹れて頂いた1杯は、「今この時間をコーヒーブレイクと呼びたい」と思えるものでした。

もちろん、日本酒にもこだわりがあるそうです。「酒器で味が変わりますから」と言う鈴木氏が使うのは、会津本郷焼の「草春窯 工房 爽」の白磁。シンプルでありながら美しいラインで、口にあたった時の滑らかさが気持ちいい酒器です。ここでお燗を頼むと、何やら鈴木氏が軍手をつけ始めました。実はこちらでは湯煎ではなく、徳利(とっくり)を蒸気にあてて均一に温度を上げていく蒸し燗での提供となるのです。試しに湯煎の燗酒(かんざけ)と蒸し燗酒の飲み比べをさせて頂くと、蒸し燗酒の方がカドのない滑らかな飲み口で、味にも膨らみがあると感じました。冷めても味が崩れないのも嬉しいところです。

美味しくクラフトビールを飲んでもらうために自ら業務用冷蔵庫に穴をあけた。

京都醸造の「秋の気まぐれ」290ml 850円、400ml 1,150円、580ml 1,600円とサイズが選べる。

ドイツの気鋭ボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー」のプライベートストックなど希少なウイスキーも。

名古屋の名居酒屋『大甚』の燗酒の旨さに感銘を受けた白隠正宗(はくいんまさむね)の杜氏(とうじ)によるセミナーにて学んだ蒸し燗。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて店主の好きなものを詰め込んだセレクトショップ。

「言ってしまえば、ウチはセレクトショップのようなもの」と鈴木氏。ワインはなるべくナチュラルなものを揃え、ウイスキーはシングルカスク・ヴィンテージを中心にスピリッツも少々。おつまみは自家製食パンとミックスナッツのみで、氷を入れず、全ての材料を冷やして作る「だるまハイボール」や自家製生姜漬けウォッカを使った辛口モスコミュールも人気です。全てのお酒の根底にある「自分が美味しいと思う酒を、美味しく飲んでもらいたい」という鈴木氏の想いが、居心地の良さを加速させます。「会津って本当に酒が好きな人が多いんです。土地柄のポテンシャルがあるからこそ、ウチのようなお店がやっていけるんでしょうね」と鈴木氏は話します。

美味しいお酒で心がほぐれてくると、目に入るもの全てが気になってきます。例えば、レトロな足踏みミシンとドライフラワー、ワインの木箱に入った写真集に窓辺に置かれたヘンリー・D・ソローの『森の生活』、猿が畑からスイカを盗みだす瞬間をイラストにおこしたTシャツ……。ここにいると、ひとつのものをきっかけに、数珠つなぎに話の輪が広がっていきます。

会津若松には洒落た花屋も多い。最近オープンした近所の花屋で仕入れた花をご自身でドライに仕立てた。

イベントを通して、ここを訪れて。さまざまな入口から、酒に携わる人々がここに吸い寄せられてくる。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて経絡のようにつながる人と人、人と酒。

「場所をひとつ構えることで、飲食物を出すのみならず、人と人がつながっていくのが面白い」と鈴木氏。経絡のように有機的につながるそれらの輪は少しずつ拡大傾向にあるようで、店内にはカリフォルニアで日本酒を造っているというアメリカ人や写真家のサインが躍ります。最近は西会津のアーティストやゲストハウスと共同主催でイベントを開催。「上野尻(かみのじり)に行列ができた!」と周囲の人が驚くぐらいの集客で、中には新潟や白河から訪れた人もいたそうです。

「東京に住んでいた頃は、『自分が住む街がこうなってほしい』なんて考えたこともありませんでした。だけど、こっちに帰ってきてからは、僕らの世代でがんばっている個人経営の店が気になって。みんな本当にいいものを提供しようと一生懸命だし、そういうお店が根付く町になればいいなとか、そこでの自分の役割は?とか、そういうことを考えるようになってきたんです。それで、都会に出ていた人が会津に帰ってきた時、『地元も捨てたもんじゃないな』と、誰かの希望につながれば」と鈴木氏は語ります。淡々とした口調ながら熱量は高め。自分の好きなものにまっすぐな鈴木氏が作りだす空間で1杯飲めば、その酒はいつもより深く心に沁みるはずです。

「例えば『植木屋商店』の白井さんみたいな先輩がいてくださるのはとても励みになります」と鈴木氏。

住所:〒965-0871 福島県会津若松市栄町1-40 2F MAP
電話:0242-22-0530
時さえ忘れて HP:https://savannaparty.wixsite.com/tokisaewasurete

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

店主偏愛の酒で旅人を癒す。[NEW GENERATION HOPPING・時さえ忘れて/福島県会津若松市]

ハンドドリップでコーヒーを淹れる鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて何もないようで、何でもある場所で。

ホテルに荷物を置いてふらっと立ち寄り、アンダーな照明の中カウンター席でホッとひと息──。旅先で素の自分に戻れる場所があれば、そこはやがて第二、第三の故郷と呼びたくなる場所へと変わっていくのではないでしょうか。ジャズの名曲『時さえ忘れて』を店名に冠したこちらは、そんな風に肩の力を抜いて寛ぎたい空間です。

場所は会津若松市役所のすぐそばにある雑居ビルの2階。看板はありません。赤いカーペットが貼られた階段をのぼると、小さな椅子に立てかけられた黒板に「OPEN」の文字。アーチ状の扉を開けると、そこが『時さえ忘れて』です。店主は鈴木啓介氏。会津若松で生まれ、10年ほど東京で働いた後にUターン。そのきっかけは?と取材班がたずねると、鈴木氏は「盆暮れ正月だけでなく、もっと家族と一緒にいたいと思ったんです。一度戻ってきてみると食べ物は美味しいし、面白い人は多いし、歴史や文化に恵まれた場所なんだと改めて思いまして。『ここには何もない』と言う人もいますが、視点を変えれば都会にはないものがいくつもあるんですよね。もう(都会に)出ようとは思わないです」と答えてくれました。店を構えて、もうすぐ4年になろうとしています。

東京では酒舗や飲食店に勤めていたという鈴木氏。そこでハードリカーについて学び、地元に帰ってからは「会津娘」の蔵元・高橋庄作酒造店にて醸造を学びました。会津鉄道の門田(もんでん)駅にほど近いこちらは、「土産土法」(地元・会津の米と水を使い、土地の人が土地の手法で酒造りを行うという造語)に誠実に取り組んでいる蔵元です。そもそも、お酒関連の仕事に就こうと思ったきっかけは何だったのでしょう? 「もともとあまり社交的な人間ではなかったのですが、大学時代にアルバイトをしていた居酒屋でいろんな人と話すのが楽しくなって。親にも驚かれたぐらいです。『お前が接客やってるのか?』って」と鈴木氏は話します。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ちょっと妖しい階段をのぼると、かわいらしいアーチ状の扉が表れる。元はスナックだった

ゆったり配されたテーブルが心地いい店内。しかし、特等席はカウンターだ。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れてクラフトビールと、冷めても美味しい燗酒と。

カウンター席に座り、何気なく右手を見ると、冷蔵庫に直接取りつけられた3つのタップが目に入りました。「ドリルを使って自分で冷蔵庫に穴を開けました」と言う鈴木氏。それもこれも、縁あって扱うことになったという6社のクラフトビールをベストな状態で飲んでもらいたいという思いから。京都醸造のものを中心に、その都度入れ替えつつ提供しているという、各社の手仕事が息づくクラフトビール。この日のラインナップは京都醸造の限定醸造シリーズ「荷下夫の一息」とシーズナル商品の「秋の気まぐれ」、北海道は上富良野にある忽布古丹(ほっぷこたん)醸造の「早に雨」でした。

鈴木氏がクラフトビールに目覚めたのは、味はもちろん目に見えない力があると思うからだそうです。「クラフトビールが飲める場に足を運ぶと、老いも若きもみんな楽しそうなんですよね。クラフトビールにはコミュニティを形成する力があると思うんです」と鈴木氏は話します。鈴木氏がクラフトビールと同じくコミュニティをつくりだす力があると考えているのがコーヒーです。そこで、信頼を寄せるロースター「Lover’s coffee」から豆を仕入れ、丁寧にハンドドリップで提供。取材中に淹れて頂いた1杯は、「今この時間をコーヒーブレイクと呼びたい」と思えるものでした。

もちろん、日本酒にもこだわりがあるそうです。「酒器で味が変わりますから」と言う鈴木氏が使うのは、会津本郷焼の「草春窯 工房 爽」の白磁。シンプルでありながら美しいラインで、口にあたった時の滑らかさが気持ちいい酒器です。ここでお燗を頼むと、何やら鈴木氏が軍手をつけ始めました。実はこちらでは湯煎ではなく、徳利(とっくり)を蒸気にあてて均一に温度を上げていく蒸し燗での提供となるのです。試しに湯煎の燗酒(かんざけ)と蒸し燗酒の飲み比べをさせて頂くと、蒸し燗酒の方がカドのない滑らかな飲み口で、味にも膨らみがあると感じました。冷めても味が崩れないのも嬉しいところです。

美味しくクラフトビールを飲んでもらうために自ら業務用冷蔵庫に穴をあけた。

京都醸造の「秋の気まぐれ」290ml 850円、400ml 1,150円、580ml 1,600円とサイズが選べる。

ドイツの気鋭ボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー」のプライベートストックなど希少なウイスキーも。

名古屋の名居酒屋『大甚』の燗酒の旨さに感銘を受けた白隠正宗(はくいんまさむね)の杜氏(とうじ)によるセミナーにて学んだ蒸し燗。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて店主の好きなものを詰め込んだセレクトショップ。

「言ってしまえば、ウチはセレクトショップのようなもの」と鈴木氏。ワインはなるべくナチュラルなものを揃え、ウイスキーはシングルカスク・ヴィンテージを中心にスピリッツも少々。おつまみは自家製食パンとミックスナッツのみで、氷を入れず、全ての材料を冷やして作る「だるまハイボール」や自家製生姜漬けウォッカを使った辛口モスコミュールも人気です。全てのお酒の根底にある「自分が美味しいと思う酒を、美味しく飲んでもらいたい」という鈴木氏の想いが、居心地の良さを加速させます。「会津って本当に酒が好きな人が多いんです。土地柄のポテンシャルがあるからこそ、ウチのようなお店がやっていけるんでしょうね」と鈴木氏は話します。

美味しいお酒で心がほぐれてくると、目に入るもの全てが気になってきます。例えば、レトロな足踏みミシンとドライフラワー、ワインの木箱に入った写真集に窓辺に置かれたヘンリー・D・ソローの『森の生活』、猿が畑からスイカを盗みだす瞬間をイラストにおこしたTシャツ……。ここにいると、ひとつのものをきっかけに、数珠つなぎに話の輪が広がっていきます。

会津若松には洒落た花屋も多い。最近オープンした近所の花屋で仕入れた花をご自身でドライに仕立てた。

イベントを通して、ここを訪れて。さまざまな入口から、酒に携わる人々がここに吸い寄せられてくる。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて経絡のようにつながる人と人、人と酒。

「場所をひとつ構えることで、飲食物を出すのみならず、人と人がつながっていくのが面白い」と鈴木氏。経絡のように有機的につながるそれらの輪は少しずつ拡大傾向にあるようで、店内にはカリフォルニアで日本酒を造っているというアメリカ人や写真家のサインが躍ります。最近は西会津のアーティストやゲストハウスと共同主催でイベントを開催。「上野尻(かみのじり)に行列ができた!」と周囲の人が驚くぐらいの集客で、中には新潟や白河から訪れた人もいたそうです。

「東京に住んでいた頃は、『自分が住む街がこうなってほしい』なんて考えたこともありませんでした。だけど、こっちに帰ってきてからは、僕らの世代でがんばっている個人経営の店が気になって。みんな本当にいいものを提供しようと一生懸命だし、そういうお店が根付く町になればいいなとか、そこでの自分の役割は?とか、そういうことを考えるようになってきたんです。それで、都会に出ていた人が会津に帰ってきた時、『地元も捨てたもんじゃないな』と、誰かの希望につながれば」と鈴木氏は語ります。淡々とした口調ながら熱量は高め。自分の好きなものにまっすぐな鈴木氏が作りだす空間で1杯飲めば、その酒はいつもより深く心に沁みるはずです。

「例えば『植木屋商店』の白井さんみたいな先輩がいてくださるのはとても励みになります」と鈴木氏。

住所:〒965-0871 福島県会津若松市栄町1-40 2F MAP
電話:0242-22-0530
時さえ忘れて HP:https://savannaparty.wixsite.com/tokisaewasurete

白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

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スペインでは、フットサルは「フットボル・サラ」と呼ばれており、スペイン代表チームは2000年・2004年のFIFAフットサルワールドカップ、2005年のヨーロッパ選手権などで優勝した。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム