旅の装いを楽しむラグジュアリーなハイブリッド・ホテル。[MOGANA/京都府京都市]

「MOGANA(もがな)」とは、「こうでありたい/こうであったらな」という期待や願望を表す古語。訪れる人々の期待に応える体験が待つ。

モガナゲストの期待に応え、ゲストの願望を叶えるホテル。

高まる一方のインバウンド人気におされて、日々新たなホテルがオープンしている京都。街ゆく人々のにぎわいも増す一方で、そんな世情の中で、ゆとりある時間と空間を確保するのは至難のわざに思えます。
ですが、新進気鋭でありながら極上の格式と豊かさを兼ね備えたホテルが、中京区・二条城の近くにオープンしました。

その名は『MOGANA』。“鰻の寝床”と呼ばれる京町屋独特の造りを、建築家・山口隆氏の再解釈によって再現。東西に長い敷地を生かした38mの廊下と、坪庭に見立てた壁面緑化でゆとりある空間とラグジュアリーさを演出しています。また、京町屋の坪庭に見たてたクチナシの壁面緑化を、6階~8階に設置されたMOGANAルーム3室から眺めることができます。

山口隆氏の設計により、京町家独特の長い廊下や緑の癒しをモダンに再現。

「装い」という言葉には、「外見を美しく整える」「趣や佇まい」「出発の準備をすること」の3つの意味がある。1・2はもちろん、3つ目の意味も大切にしている。

モガナ「旅の装いを愉しむ」という信念。

旅とは、滞在する土地にただ泊まるだけでなく、食を愉しみ、文化を愉しみ、滞在時間そのものを愉しむことです。そんな「旅の装いを愉しむ」体験を提供することが、『MOGANA』の信念だそうです。
それは、旅という非日常において、“特別なもの”を演出することでもあります。

「ホテル=泊まる場所」という定義にとらわれず、「旅の装い」を愉しむためのあらゆるコンテンツを創造・提供。旅人の滞在時間そのものを、より特別に、より豊かにできるようにホテルの内外をプロデュースしています。

京都の地で“日本の伝統”や“美意識”を漂わせつつも、新たな気づきを与えてくれる場所。

モダンなセンスと調和のとれたブランドミックスによって、ホテル全体がオリジナリティあふれるハイブリッド型コンテンツとなっている。

8メートルの一枚板からなるカウンターと、金沢の金箔職人による24金の天井パネルが美しい2階のバー。

モガナすべての「モノ」と「コト」には一貫したストーリーがある。

『MOGANA』のコンテンツに共通しているのは、「日本の美意識を現代的にデザインおよび再解釈して、大人の知的欲求と精神的充足感を満たすこと」です。

ひとつひとつを日本各地のアーティストや職人と共に創り上げており、時には素材選びやデザイン起こしから構築。それらすべてが『MOGANA』という存在を体現するオリジナルとなっているのです。

それらの「モノ」や「コト」に、『MOGANA』ならではの想いとストーリーを加味。そこから得られる気づきが、旅を終えた後の日常まで変えるムーブメントとなるのです。

たとえば、山口隆氏による建築は、京町屋の特徴を備えながらも、素材感・陰影・垂直と水平が織り成す美などを重視した上で、新たな価値観やデザインを創造。静謐(せいひつ)にたたずみながらも、何かを訴えかけてくるかのような能動性を持っています。

さらに灯火や採光といった光は、パネルや格子等を用いて詩的で抽象的なものに演出。うねりや非対称性を加えて、木漏れ日のような温かさをかもし出しています。

そしてさり気なく漂う音の演出は、空間に息吹を吹き込むと同時に、四季や時間の変化を表現しています。情感あふれる癒しの空間です。

計算され尽くしたデザインに散りばめられた、伝統×現代テクノロジーの競演。過去と未来の日本文化が交錯する。

オーガニックコスメブランド『SHIGETA』とコラボした『MOGANA』にしかないアメニティ。

モガナひとつひとつ、すべてのコンテンツにこだわり抜いて。

そしてアメニティは、フランス生まれの先駆的なオーガニックコスメブランド『SHIGETA』とのコラボ。「アンチ」や「隠す」といった後ろ向きの手法には頼らない、「自ら持てる美をより輝かせる」という高い意識を現しています。

「ホテルのアメニティは手がけない」という『SHIGETA』を、「それでも洗練された大人をターゲットとする『MOGANA』のアメニティにしたい」という想いで説得。『MOGANA』のコンセプトを真摯に伝えた上で、コラボの承諾を得たそうです。

『SHIGETA』のアメニティを備えているホテルは、世界でここ『MOGANA』だけ。まさに唯一無二のコンテンツです。

客室のクッション・部屋履き・歯ブラシはファッションブランド『matohu』とコラボ。着物に着想を得たデザインが独自の存在感を放つ。

『matohu』のアイコニックアイテムである“長着”の展示もしており、購入が可能。

かつては京都の朝廷にも献上されていた淡路島の食材が、伝統と機能美を両立させた器で供される。

モガナ日本の美意識が漂う朝食を“FUKIYOSE”という様相で供する。

食の愉しみが豊富な京都において、『MOGANA』は常時の夕食は供していません。
その一方で、歴史と伝統を体現した朝食“FUKIYOSE”を、部屋食でゆったり愉しむことができます(ゲストが指定した時間から、チェックアウトの12時まで)。

“FUKIYOSE(ふきよせ)”とは、色とりどりの木の葉や木の実が、風でひとところに吹き寄せられた様を表す言葉。和歌に詠まれ、絵に描かれ、着物の文様にも用いられてきた美しい形です。

それを織り成す食材は、かつては京都の朝廷に食材を献上していた「御食国(みけつくに)」だった淡路島産。そしてその食材を戴くのは、同じく淡路島発の陶器ブランド『Awabi ware』と『樂久登窯(らくとがま)』の器です。

驚くべきことに、これらの器は釉薬からデザインまで『MOHANA』にしかないオリジナル。“MOGANAグレー”と名づけられた格調高い色彩が、“FUKIYOSE(ふきよせ)”られたとりどりの食材を引き立てます。

また、「より充実した時間をお部屋で過ごしていただきたい」との想いのもとに、夜食のルームサービスも用意。こちらは大人のゲストがヘルシーに空腹を満たせるように、「和の薬膳」を提唱する『国際薬膳学院』の監修を受けています。多彩な薬膳の食材を取り入れた、滋味あふれるメニュー。胃腸に優しいだけでなく、美と健康にも配慮しています。

『国際薬膳学院』の監修による夜食。夕食は自由に外食できるほか、提携の割烹・料亭・カフェなどで味わえる“MOGANA特選メニュー”をコンシェルジュが案内。

多数のブランドとのコラボによる「ここでしか出会えない」プロダクトや空間設計の数々。

モガナ「泊まって眠る場所」という枠を超えたコンテンツを提供。

『MOGANA』が目指すのは、「旅」という非日常的で特別な時間そのものの演出です。その中において、“宿泊”は滞在時間のほんの一部にすぎない――その考えのもとに、旅の動機自体を創造および提供することを目指しています。

それを象徴するのが、『MOGANA Experience』と名づけられたオリジナルイベントの数々。「エクスペリエンス=体験」という言葉の通り、『MOGANA』でしか味わえない体験が待ち受けています。
例えば、4月7日(日)に開催される『京都の高台寺 早朝特別拝観 〜 春の装いを愉しむ湖月庵 “清明会”』。普段は一般非公開の茶室で、『京懐石 瓢樹』の春めく朝食を頂けます(1名7,000円(税込・宿泊料金別)/ツアーのみ参加の場合は1名10,000円(税込))。

そして4月13日(土)には、紅葉で有名な『永観堂』の大広間で、特別な法話を聞きながら『割烹 木乃婦』の昼食を頂ける『青楓会』を開催予定。世界遺産の『天龍寺塔頭 宝厳院』を舞台に、普段は一般非公開の場所と時間で至極の京割烹料理と中国古筝の演奏を愉しめます。

また、ゴールデンウィークの5月2日~5月6日にかけては、淡路島の名店『綾乃』の3代目当主・小野孝太氏を招いた“『MOGANA 綾乃』の割烹付きプラン”を実施。1日6限定で、2階のバーを舞台に催されます。
鱧(はも)、由良うに、蛸、穴子、鰆(さわら)などなど、淡路島の旬の食材をその日の水揚げを見ながら提供。食通が集う芦屋や大阪北新地にも出店している『綾乃』の日本料理を、心ゆくまで堪能できるチャンスです(1名20,000円(税込・宿泊料金別))。

『MOGANA 綾乃』の割烹付きプラン(5月2日~5月6日)。通が足しげく通う淡路島の名店を京都に招聘!

モガナ『MOGANA』プロジェクトは京都を超えて。世界を視野に据えて「ホテルの革新」を目指す。

単なる一ホテルに留まらず、その在り方やポリシーまでもコンテンツとして確立しつつある『MOGANA』。「この意義と存在を京都以外でも展開していきたい」という想いのもとに、今後は『MOGANA』自体をひとつの“プロジェクト”として、世界をも視野に据えて広げていくそうです。

「MOGANAの使命は、旅という時間そのものをプロデュースすることです。単なるハードアセットとしてのホテルではなく、ソフトコンテンツに重きを置いて、その延長上にある新しい存在でありたい、と考えています」とは、『MOGANA』の母体・株式会社ブレイブマンホスピタリティ&リゾーツの代表・繁田氏の言。
海外で人気の個性的なブティックホテルのように、オーナーのこだわりと、それに賛同したアーティストや職人達とのコラボによって、唯一無二の“プロジェクト”を形成していきます。日本発の個性的かつ革新的なホテルが、世界各所で見られる日もそう遠くないかもしれません。

伝統をモダンに革新する「MOGANA」の挑戦。

住所:京都市中京区小川通御池下ル壺屋町450 MAP
電話:075-606-5281
料金:1室50,000円(2名1室利用時)~
MOGANA HP:https://yadomogana.com/
写真提供:MOGANA

違う職業だけど、同志です。ざっくばらんに語る津軽人あれこれ。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

「津軽ボンマルシェ」で取り上げてきた、津軽のキーパーソンたち。左から、「素のままproduct」「澱と葉」川口潤也氏、「蟻塚学建築設計事務所」蟻塚学氏、「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏、「素のままproduct」「KOMO」岡詩子氏。

津軽ボンマルシェ・特別対談「津軽ボンマルシェ」に登場した4人が津軽の「繋がり」について特別対談。

これまで多くの津軽人を紹介してきた「津軽ボンマルシェ」。取材を続けて気付いたのは、あちこちで何度も耳にする名前があったり、思いもよらない人と人が旧知の仲だったりと、繋がりが非常に強い地域だということです。そこで、10記事を公開した節目にお届けしたいのが今回の対談企画。これまで「津軽ボンマルシェ」にご登場いただいた職業も年齢もバラバラな4人「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏、「蟻塚学建築設計事務所」蟻塚学氏、「KOMO」岡詩子氏、岡氏と「素のままproduct」を共同し、完全予約制・紹介制サロン「澱と葉」も運営する川口潤也氏に、地元・津軽と、津軽人の繋がりについて語ってもらいました。“繋がり”がテーマということで、会場として借りたのは弘前市内のカフェ「集会所indriya」。イベントや教室を開催し、地域の人々を繋げるコミュニティスポットです。居心地のいい空間の中、笑いの絶えないひとときとなりました。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

「kimori」高橋氏が手掛けるシードルは、昨今首都圏でも人気上昇中。自社畑や近隣農家から届く規格外のりんごを使って造られる“農家のシードル”。

弘前市郊外の「りんご公園」に佇む、蟻塚氏設計の「kimori」の工房。今や公園のランドマークとして、多くの人に親しまれる存在だ。

さまざまな色のリネン生地を揃える「KOMO」のアトリエ。大判のストールは温かい空気を溜め込み、津軽の冬の厳しい寒さにも対応する。

岡氏と川口氏が主宰する「素のままproduct」の瓶詰め。2人で営む鶴田町の店「回」では、これらとともにお茶や自然派ワインも提供。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽人の気質は、“どんと構えた博打打ち”?

高橋:蟻塚さんと最初に会ったのは8年前くらい。蟻塚さんの手掛けた「王余魚沢(かれいざわ)倶楽部」の建物がとてもよくて、知り合いを通じて紹介してもらったんです。「王余魚沢倶楽部」はひとりの建築家が手掛けるというより、地域の人を巻き込んで一緒にやっているイメージで。僕もまだ構想中だった「kimori」のシードル工房を人が集まる場所にしたかったから、彼に設計を依頼したのが始まり。

蟻塚:「kimori」が建ってからも、それで終わりの関係にはならないなという予感はありましたよね。誘い合って飲みに行くことはないけれど、誰かに呼ばれて行った場所に高橋さんがいるのはしょっちゅう。最近はSNSで面白そうなことしている人がいるなと思っていたら、その後自然とどこかで会うということも多いです。

高橋:逆に詩子と会ったのは、“変態飲み会”がコンセプトの会が最初(笑)。津軽の変態をたくさん呼んで飲もうという。

岡:変態は褒め言葉ですもんね。都会は何もしなくてもたくさんの人と関わりを持てるけど、青森では人が少ない分、変態同士気が合う! と思える人がいると、もうそこでがっちりと繋がって面白いことが始まる感じがあります。

川口:僕は津軽エリアの青森市で生まれて、南部エリアの八戸で育ったのですが、2つのエリアの違いをバリバリに感じるんですよ。津軽は割と明るくて、居心地がいいです。南部は日中静かに仕事をして、夜に飲み屋で弾ける人が多いイメージ。歴史も天候も違うし、まったく違う国!

高橋:津軽の農家はりんご専業が多いのですが、南部の農家は色々作っているところがほとんど。こっちより天候が厳しいからリスク分散が必要なんです。逆にりんご一本だと、台風が来れば一発でダメになっちゃう。津軽は博徒(笑)。博打打ちが多いんですよ。“じょっぱり”(津軽弁で「豪快」の意味)ですよね。

岡:それでこそ津軽! みたいなのはあるかも。あとうちの実家は、いまだに鍵をかけないんですよ。で、家に帰ると誰が持ってきたのか分からない野菜が置いてある。野菜の形から、「これは〇〇さんの畑のだ」みたいな(笑)。

高橋:あるねー(笑)。

岡:私は“お付き合い貯金”って呼んでいるんですけど、代々培ってきた近所同士の繋がりがあるから、最悪何かあっても生きていける。だから思い切りがいいのかなとも感じます。その貯金は、自分も受け継いでいきたい。

蟻塚:自分は弘前市の街中で育ったシティボーイなので、うちには鍵も付いているし野菜も届かない(笑)。津軽の中でも地域差はあります! でもやっぱり、じょっぱり気質は感じますね。

今回最年長、1973生まれの高橋氏。東京で映像の仕事に従事した後2003年に帰郷、りんご農家に。2014年「弘前シードル工房kimori」をオープン。後進の育成にも意欲的に取り組む。

蟻塚氏は1979年弘前市生まれ。広島大学を卒業後、広島の設計事務所に勤務ののち「蟻塚学建築設計事務所」を設立。2008年に帰郷、北国の風土に根ざす建築を目指し、JIA東北住宅大賞2012、同賞2016など受賞歴多数。

里山の廃校を地域活性に活用している「王余魚沢(かれいざわ)倶楽部」。蟻塚氏が手掛けたのは、校庭脇の物置小屋のリノベーションだ。

津軽ボンマルシェ・特別対談元城下町・弘前を抱える津軽。文化度の高さに自覚あり。

川口:気質もそうですが、文化も全然違うのが津軽と南部。八戸は喫茶店より居酒屋の数が断然多いですが、津軽に来ると喫茶店がたくさんあって、みんなコーヒーが大好き。本をたくさん読むし、アートやデザインの感度も高い。

蟻塚:文化度の高さみたいなものは、やっぱり意識しますよね。僕に設計の仕事を頼んでくれる地元のお客さんたちは、暮らしの質が高い方が多いなと実感しています。街を歩けば文化的な史跡もたくさんあるし。ただ建築の意匠性への理解など、まだまだな部分もあって。もっと掘り起こしていきたいとは思います。

高橋:自分としては、津軽はイノベーティブなことを受け入れる土壌があると思いますよ。元々弘前が城下町というのもありますが、ちょっと特殊な話をすると……ここでは死が身近なんですよね。少し前まで、亡くなった親戚をイタコのような女性に呼び下ろしてもらうことも普通でした。一歩先は死の世界だから、死ぬ前に後悔しないよう、やれることはやれと考えるというか。でも一方で、目立ちたくないという気質もある。

岡:分かる! 私の場合、周りが表に出す機会をくれてこれまでやってきたけど、自分では目立たないように生きているつもりなんです(笑)。もちろん商品を売るのに必要な発信はしますが、「見て見て!やってるよ!」というスタンスとは違う。これ、津軽のほかのクリエイターさんを見ていても思うのですが、表に出てくる人ほど、ベースの部分はその人の中で完結している。

川口:目立つかどうかに頓着していないよね。でも「あの人おもしろいよ」って、ほかの人が発信するという。

高橋:やりたいことはやるけど、目立ちたくない津軽人(笑)。詩子が話したみたいに隣近所との心理的距離が近いから、変なことできないというのもあるのかも。

1988年北津軽郡鶴田町生まれの岡氏。東京で会社員を経験後、帰郷。リネンブランド「KOMO」など、さまざまな活動に従事。パートナー川口氏と立ち上げた「素のままproduct」も話題。

今回最年少の川口氏は、1993年青森市生まれ。東京、八戸の飲食店で経験を積み、現在は鶴田町在住。完全予約制・紹介制サロン「澱と葉」主宰。「素のままproduct」では瓶詰めの惣菜などを手掛ける。

岡氏、川口氏と親交の深い「パン屋といとい」店主・成田志乃氏も、岡氏の話す“表に出てくる人ほど、ベースはその人の中で完結している”を体現する存在だ。成田氏の活動や人となりについては、以前紹介した「といとい」の記事に詳しい。

弘前の象徴的存在といえば弘前城。1611年に津軽藩主により築城された、国の重要文化財だ。当時の城下町の名残は、今も街のあちこちで見受けられる。

津軽ボンマルシェ・特別対談違うアプローチで、同じ山頂を目指す。だからみんなどこかで交わる。

高橋:さっき津軽と南部の違いが出ましたが、津軽の中でも地域の捉え方に結構差があると思います。

岡:そうですよね。私は高校が弘前市だったし親戚もいるので、鶴田も弘前も同じエリアという感覚だけど、鯵ヶ沢や深浦など日本海側のエリアは遠いイメージ。鶴田から車で15分くらいで行けるのに(笑)。

高橋:狭い範囲の中に色んな気候風土があるから、実際の距離と心理的な距離が違う。県外の人が見る津軽の地図の範囲と、僕らが暮らしながら感じ取っている範囲は、全然違うと思います。後は、みんな地元から見る岩木山の形が一番好きだから、津軽人同士、市町村単位で喧嘩になる(笑)。つい悪気はないのに「裏側から見たら」とかいっちゃって(笑)。ただね、最近は自分の中で、エリアの感覚が変わってきたんですよ。「kimori」の10年計画としては、弘前と並行してニュージーランドにも畑を持ちたい。

一同:おお!海外!

高橋:津軽はそもそもりんご栽培に向かない気候でやってきたので、その分農家の技術力がすごいんです。この技術力があれば、世界のどこでも美味しいりんごを作れるし、北半球と南半球に畑を持てば、1年を通じて出荷できる。鮨と同じですよ。昔は海外で鮨といえばカリフォルニアロールだったけれど、今はちゃんとした江戸前鮨が主流になってきた。りんごはこんなに美味しいものだと世界が分かれば、津軽のりんごがスタンダートになる。日本と海外と行き来しながら暮らすのも楽しそうですし(笑)。

蟻塚:逆に自分は弘前から動かないかな。もちろんほかのエリアからの仕事も受けますが、建築業界っていまだに東京ベースの考え方が根強くて、それが悔しいんですよ。建築専門誌でさえ、雪国ならではの建築の在り方を共感してくれるところは少ないです。こっちに帰ってから、割と早い段階でそれに気付いてあきらめていたんですけど……。でもこれからは、津軽に根差した建築をちゃんと発信していくべきだなと。たとえば竣工写真って、普通は青空に木々の緑が映えるような、いい気候の時期に撮るんです。でも津軽なら、あえて真冬の一番厳しいときに撮るのがいいじゃん、て。

岡:みなさん素晴らしい。自分はずっとそんな立派な目標は立てずに生きてきて……これからも多分変わらないのですが、新しい働き方の提案はできるかなと思っています。私の職業は青森県内だとすごく特殊。作っているのは工芸でも趣味の手作り品でもなくて、本業が分からない(笑)。でも仕事はひとつじゃなくていいと思うんです。私たちの世代は生まれたときから不景気だから、上からずっと「大変だね」といわれてきて。「これって大変なんだ」と思い込んでいる子も多いと思うんですけど、安定したものがなくても生きていけるよ、私はこうやって鶴田で8年やってきたよと伝えたい。川口さんと一緒に「素のままproduct」を始めたのも、飲食の人の働き方を探りたいと思ったから。

高橋:飲食は本当に大変だよね。休めばロスが出るし、利益率も低いし。

岡:そうそう。料理をまったくしないので、もう作ってくれる人に感謝しかない!

川口:自分は「素のままproduct」でも、会員制で自然派ワインやお茶と料理を出している「澱と葉」のイベントでも、料理人とは名乗っていなくて。職人的な料理人って毎日作り続けないと感覚が鈍るといいますけど、そこまでやれる自信もないし、僕はそこからリタイアした人間。でも、だからこそやれることを考えました。日々インプットしておけば、即興的にアウトプットできる場さえあれば活動できる。僕も岡さんも社会不適合者なのですが(笑)、自分の命を守りながら人の役に立つことを考えて、実行していきたいと思います。

岡:東京だとできないことがやれるのも鶴田だし、実験しやすい地に生まれてラッキーでした。鶴田で実現できるなら、日本のどこでも実現可能なはず。

高橋:こうやって話を聞いていると、やっていることはバラバラでアプローチも全然違うんだけど、共感するしずっと聞いていられる。一緒に仕事をする人でも、ビジネスだけの関係ならこんなに盛り上がらないじゃないですか。フィールドは違っても同志なんだなと感じます。形は違うけど、見ているものは同じ。

一同:あ! これって……岩木山みたいじゃない!?

高橋:みんな違うルートで登って、頂上で会う感じですね(笑)。

りんごの生産量が国内第1位の青森県。高橋氏曰く、津軽のりんごは海外のどの名産地のものより質が高いそう。培われた栽培技術は、それ自体が津軽の宝だ。

背後の岩木山の形を連想させる「kimori」の三角屋根。蟻塚氏がこだわったという白い色は、畑の緑に映えるだけでなく冬の雪に溶け込み、景色の一部となる。

古い店舗をセルフリノベーションした「回」。りんご木箱を無造作に置いて自由にくつろげるスペースにしたのは、津軽のりんご畑へのオマージュでもある。

津軽富士とも呼ばれる岩木山は、津軽の人々の心の拠り所。古くから山岳信仰の聖地とされ、今も豊穣祈願を願い山頂に詣でる「お山参詣」という習わしが残る。

既に何度も飲み交わしている友人だったり、人づてに聞いて知っている存在だったりと、共通点も多い4人の津軽話は大盛り上がり。対談後は引き続き、弘前市内の人気居酒屋へ! 第二部の爆笑トークはまた別の機会に。

場所協力:集会所indriya 
住所:青森県弘前市紙漉町4-6 MAP
電話:0172-34-6858

授賞式の裏側で。アジアが注目する日本食材。そして、順位では評価できない思想と哲学。[ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/マカオ]

ボ氏は、「塩」を通して、食べるだけではない文化や環境問題に対しても熱く語り、シェフとしてだけではなく人としての生き方も見せた。

アジアのベストレストラン50 2019大会が全てではない。シェフの生き方こそ、レストランを形成し、社会と結ぶ。

授賞式の前日に「#50 BEST TALKS」と題し、今回エントリーされた4人のシェフたちによるトークショーが開催されました。テーマは、「Vital Ingredients 必要不可欠な食材」。登壇したシェフは、日本から『傳』の長谷川在佑氏と『Il Ristorante luca Fantin』のファブリツィオ・フィオラーニ氏、バンコクから『Gaa』のガリーマ・アローラ氏と『Bo.Lan』のボ・ソンヴィサヴァ氏です。長谷川氏のテーマは「SOUL 心」、ガリーマ氏のテーマは「SPICE 香辛料」でしたが、『ONESTORY』が注目したのは、ファブリツィオ氏とボ氏。

その理由は、両者が日本の食材に関心を持ったプレゼンテーションが多かったからです。例えば、ファブリツィオ氏が話す「必要不可欠な食材」は、「SUGAR 砂糖」。和三盆を使用した料理の事例や、自ら食材を求め、波照間島へ黒糖を探す旅を映像も踏まえてユニークに演出。畑や工場を巡り、生産者と出会い、そこで獲れた黒糖を使用した黒蜜を仕入れ、自身の料理に用いていると言います。

また、ボ氏のテーマは、「SALT 塩」。島の塩、海の塩、山の塩……。料理に合わせ、使い分けることはもちろん、驚くべきは日本の「相撲」の塩まきの文化までをも一例とし、食べるだけではない塩の扱われ方について話します。

そして最も熱く語っていたことは、塩を通して考える環境問題について。例えば、前述の海の塩。「今、世界中の海は、ゴミの問題に直面しています。ペットボトル、タバコ、ビニール袋……。この問題は、塩だけではなく、海から生まれる生命体に大きな影響を及ぼしています。まずは自分たちが問題視し、アクションを起こし、地球を救い、次の世代に受け継いでいかねばならないと思います」。

他国のシェフから日本の食材や文化に興味を抱いて頂き、このような場でそれを発表してもらえることは、日本人として嬉しい体験でした。

レストラン同様、日本の生産者が生み出す食材もまた資産価値が高く、それは確実に世界レベルだと実感した瞬間でもありました。

▶詳細は、ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/一言で表すならば「番狂わせ」。果たして、勝利の女神は微笑んだのか!?

ファブリツィオ氏のテーマは「砂糖」。日本は波照間島の黒糖を絶賛し、自ら産地にも足を運び、畑を巡る。

「塩」をテーマに様々なプレゼンテーションを行ったボ氏。その一例に、日本の「相撲」の塩まきも一例として紹介。

ガリーマ氏は、「香辛料」をテーマにプレンゼンテーション。今大会では「elit™ Vodka Asia’s Best Female Chef」も受賞。

『傳』は、唯一チームとして出演。お客様の顔が見えなくても、予約の電話があった時からおもてなしの「心」は始まっていることを表現。

アジアのベストレストラン50 2019際どいテーマを恐れず語る。その姿勢は、シェフとして勇気ある行動。

「#50 BEST TALKS」の次に行われたのが、「THE PANEL」のトークセッションです。テーマは、「SUSTAINABILITY 持続可能性」。ここで言う持続可能性とは、環境問題、生物的システムの持続可能性と言っていいでしょう。

参加するのは、チリの『BORAGO』ロドルフォ・グズマン氏とミラノの『Wood*ing』ヴァレリア・モスカ氏、日本の『L'Effervescence』生江史伸氏、そして先ほど「#50 BEST TALKS」にも登場したボ氏です。この日一番白熱し、料理のテーマを超え、学校や教育まで。最後は「『ASIA’S 50 BEST SUSTAINABILITY』を開催したら!」と話しは尽きず。

現代社会を生きる上で、避けては通れない環境問題や食問題。考え方は人それぞれかもしれませんが、いかに自分事化し、何ができるのかを考え、どう生きていくのかが問われていると思います。

美味しい、楽しい、幸せ。もちろん、そんな華やかな世界がレストランであり、その記念すべき祭典こそ『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』です。

しかし、その裏側では、食べることや料理することを通し、しっかり社会の一員として更に一歩先のレストランのカタチを目指しているシェフもいるのです。そんな姿を可視化できるのもまた『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』なのです。

思想や哲学は順位で表せないかもしれませんが、これもまた「ベストレストラン」だと思うのです。

白熱した「THE PANEL」のトークテーマは「SUSTAINABILITY」。答えに正解がないだけに、個人の生き方が問われる。左から司会者、ヴァレリア氏、ロドルフォ氏、ボ氏、生江氏。

受け継がれる名工の技と心、終わりなき挑戦と革新の系譜。[Grand Seiko/長野県塩尻]

精緻な作業に没頭する中田克美氏。“現代の名工”“黄綬褒章”をともに受賞するほどの名工。

グランドセイコー信州の山々に囲まれた地で出合った、清廉実直なウォッチメーカー。

水温む3月も半ばに、新宿駅から中央特急あずさ号に揺られること凡そ2時間半。諏訪湖畔の岡谷駅を過ぎ全長6kmにもおよぶ塩嶺トンネルを抜けるとそこには、新緑の尾根と雪に覆われた平野という、私たちの予想を裏切る美しいコントラストが広がっていました。
「2,3日前にドカ雪が降ってね。春の立ち上がりは毎年こうだからさ」

塩尻駅からタクシーに乗り込み、見るからに人のいいベテランドライバーの運転で10分も掛からず到着した、セイコーエプソン塩尻事業所。訪ねたのは、その一角にある「信州 時の匠工房」です。

「信州 時の匠工房」は、スイスの名門ブランドをも凌駕するといわれるグランドセイコーを中心とした、高級腕時計を専門に製造するマニュファクチュールです。一般的にムーブメント(駆動装置)から自社で開発、製造する時計メーカーをマニュファクチュールと呼び尊ぶ傾向にある時計業界ですが、「信州 時の匠工房」はムーブメントはもちろん、ケースや文字盤、針などの主要部品を一貫して自社の同じ工場内で製造、組み立て、出荷検査まで行う、真のマニュファクチュール。これは世界広しといえども、非常に稀で、それほど希少でハイレベルな叡智が凝縮された“創造”の場であることを意味します。

そんな「信州 時の匠工房」が担うのは、グランドセイコーのなかでもクオーツ式とスプリングドライブという機構を採用したモデルの開発や製造。我々がお会いしたかったのは、そんな「信州 時の匠工房」を構成する主要部門のひとつ、複雑時計や最高級品を手がける専門工房である「マイクロアーティスト工房」の時計技能者として“道”を極めんとする、中田克美氏です。

▶詳細は、Grand Seiko/技術は想いから創造される。日本が誇る時のブランド「グランドセイコー」。

「信州 時の匠工房」からほど近い、高ボッチ高原から望む塩尻の町。このエリアの清涼な気候こそ、高級時計に代表される精密機械製造発展の要因。

グランドセイコー地元で支える、世界に誇るグランドセイコーのものづくり。

塩尻は冷涼な気候と清らかな水源に恵まれ、また中山道の宿場町でもあったこともあり、古くから交通の要所あるいは製造業の拠点として栄えてきました。現在でも多くの精密機械メーカーが軒を連ね、また伝統的な木曽漆器工房や古き良き奈良井宿の町並み、世界的評価を高めているモダンなワイナリーなど、見どころの多い土地でもあります。中田氏はそんな塩尻にほど近い、諏訪郡原村で生まれ育ったのだといいます。

「地元の諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)に入社した1982年頃、爆発的なクオーツの普及によって、ゼンマイ駆動の機械式グランドセイコーは高精度機械式時計としての役目を一旦終えていました。しかし80年代後半にグランドセイコーを復活するというプロジェクトがスタートし、その専用キャリバーであるクオーツ式の『9587』の組み立てに携わることになったんです。それが私とグランドセイコーとの馴れ初めです」

世界初のクオーツ式腕時計である「クオーツアストロン」、またその後の特許技術の公開によって世界中へクオーツ式時計の普及を進めていたセイコーは、88年に発売したグランドセイコー初のクオーツモデル「95GS」によって、巷のクオーツ時計を大きく引き離す年差±10秒という圧倒的精度を実現。グランドセイコーの名声と技術水準の高さを、改めて世界に轟かせたのです。

諏訪精工舎といえば、ぜんまいで駆動しながらも驚異的な高精度を実現した、スプリングドライブというセイコー独自の駆動方式が生み出された場所。そんなイノベイティブな環境で、若き日の中田氏は研鑽を積んでいくことになります。
「決して趣味とは言えませんが、子どもと一緒に家の近くの阿弥陀岳に登山に行ったりします。実は高所恐怖症なので下山が大変なんですけどね(笑)。諏訪大社の御柱祭は完全に地元で上社側。松本の工場勤務だった時代を除いては、いつも参加させてもらっているんですよ。……正直、家と職場の往復しかしてないので、塩尻のことはあまり知らないんです」

そう申し訳なさそうに話す中田氏にとって、この地域は慣れ親しんだ“当たり前”にあふれた土地だということなのでしょう。

バーゼルワールド2019で発表された最新作「SBGZ001」。

最新作「SBGZ001」、「SBGZ003」のムーブメントも、意外なほどアナログな工具によって磨きや組み立て、調整がなされる。0.01mmの誤差も許されない超精密な作業だからこそ、熟練した技能士の感覚だけが頼り。

グランドセイコーテクノロジーではなく技術者の進化が、製品を進化させる。

世界最大の腕時計見本市・バーゼルワールド2019にて発表されたばかりの新作「SBGZ001」、「SBGZ003」は、スプリングドライブの誕生20周年を記念した新開発の手巻きムーブメント「9R02」搭載モデル。構想から商品化まで、実に27年という月日を要したセイコー独自のスプリングドライブは、ぜんまいのトルクで駆動しながらクオーツ式時計と同等の驚異的な高精度を実現した独創の機構です。しかし常に自らを進歩させ、時計技術の進化と発展を目指して挑戦し続ける中田氏とそのチームは2016年、最大約8日間(192時間)、つまりは1週間以上の連続駆動を可能とする新ムーブメント「9R01」の開発を成功させてしまいます。つまりは“機能”を飛躍的に進化させたわけです。

「最新の『9R02』では、新たに開発した“デュアル・スプリング・バレル”と“トルクリターンシステム”という機構によって、エレガントでコンパクトなケースと最大約84時間の駆動時間を両立させることができました。これで金曜日に時計を外しても、月曜日にまだ余裕で駆動し続けていることになります。たとえ高すぎる壁に見えても、研究と試行錯誤を繰り返し乗り越える方法を探し出すことで、もっと高い領域を目指さなければなりません。2011年に発表したミニッツリピーター(鐘の音で時刻を知らせる超複雑時計)のように、今まで自分達が作ったことのない、まったく新しい機能をもった製品をいつの日か作ってみたいですね」

最先端のテクノロジーが凝縮されたグランドセイコーであるはずなのに、その組立や調整、仕上げをする中田氏の仕事ぶりを見ていると、実にアナログで前時代的であるとすら感じられるときがあります。
「部品仕上げの精度と美しさを追求するために、さまざまな文献を調べてみたり、スイスの著名な独立時計士であるフィリップ・デュフォーさんを訪ねて教えを乞うたこともありました。科学的なアプローチも色々試した結果、最終的に以前から使っていた柳箸で磨き上げるような、最もクラシックな道具と手仕事がベストという結論に立ち返ったんです。もちろん、現時点でのものですけどね。」

故きを温ね新しきを知るとはよくいいますが、“故き”にこそ真理があるというのもまた、真理なのかもしれません。

地元・諏訪の出身の中田克美氏。スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチの組み立てなどに腕を振るう傍ら、新製品の開発も。

中田氏の手首に巻かれているのは、「繊細なデザインと、細い手首にしっくりくるサイズ感が気に入っている。特別なときにしか付けないんですけどね」という、名機「9Fクオーツ」を搭載した「SBGX005」(販売はすでに終了)。

グランドセイコー技術の継承と後進の指導は、つくり手としての義務なんです。

「クレドールという高級ブランドでは、スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチである国内初のミニッツリピーターをマイクロアーティスト工房のメンバーで製作しました。茂木正俊が設計を、私が組み立てや調整を担当しましたが、複雑時計というのは仮にどんなに精巧な設計図であったとしても、そのまま組み上げただけではちゃんと動いてくれません。必ず誤差というものが生じるからです。0.01mm以下という僅かな誤差であっても、ミニッツリピーターのような機構は正しく動作しなくなってしまうんです」

そこでは長年培った知識と技術と勘により、その誤差を“調整”してうまく動くようにするという作業が、絶対に必要になってきます。
「これは自分の力だけでは不可能だし、先輩に教えてもらうだけでも不可能です。だからこそ技術の継承というものが、なによりも大切なんです。最高の技術と知識が求められる製品を販売し続けることで、我々技能者は常にそのような製品に触れ合い、己の技術を磨くことが出来ます。また先輩の技術を学ぶことが出来ます。このような環境が、グランドセイコーが常に最高峰の腕時計として君臨し続けていられる理由であり、セイコーの、引いては日本の時計づくりという文化のさらなる進化をもたらす要因なんだと思うんです」

自分の好きな時計を設計から仕上げまで、好きなように作り上げる独立時計師が羨ましく、憧れる気持ちもある、という中田氏。
「でもつくり手にとって、技術の継承は義務のようなもの。後進の指導を含めてじっくりと取り組むことのできる『マイクロアーティスト工房』での仕事は、私にとって理想的なのかもしれません」

図面には現れない、決して数値化できない“見えない壁”は、決して人工知能や機械に越えることはできません。そして知識や技術に加えて情熱までも、世代を超えて受け継いでいけるのは、我々人間だけだと思うのです。スプリングドライブならではの水面を滑るようにスムースに動く秒針は、決して途切れず止まることのない“時”の流れを象徴するかのよう。

「ゴルフが好きでよく行くんですが、強いバックスピンが掛かったボールは、地面に落ちてくるのがとてもゆっくりに感じられますよね。その動きを眺めていると、“時”の流れを強く感じるんです。あと鏡に写った自分が、いつのまにか白髪交じりになっていることに気づいた時も(笑)」

グランドセイコーのコンセプトである“Nature of Time”とは、移ろい、流れ続ける“時”の永続性を意味するもの。目を凝らし、耳を澄ませば、わたしたちの身のまわりでも本当にたくさんの“Nature of Time”を見つけることができるでしょう。
 

(supported by Grand Seiko

中田氏だけでなく、すべての技能士が自分の手と感覚に合うよう自らカスタマイズした工具を使用。また常に同じ使用感を得るようにするため、日々の手入れも欠かせない。

グランドセイコーとして初のマイクロアーティスト工房製のモデルとなった「SBGD201」。その長く、大きく、スムースに回転する秒針が、スプリングドライブならではの時の“流れ”を体現。

「SBGD201」に搭載されたキャリバー「9R01」シリーズは、塩尻の風景を見事にデザインへと昇華。受けの輪郭で富士山、パワーリザーブが諏訪湖、ルビーやネジは街の灯りを象徴。

高ボッチ高原に立てば、眼下に広がるのは美しい諏訪湖と諏訪の街。キャリバー「9R01」と見比べれば、その再現性の高さは一目瞭然。これこそまさに、Made in Japanの圧倒的技術力と美意識の発露。

お問い合わせ:0120-302-617 ※グランドセイコー専用ダイヤル(通話料無料)
受付時間:月曜日~金曜日 9:30~21:00
土曜日・日曜日・祝日・年末年始 9:30~17:30
グランドセイコー HP:https://www.grand-seiko.com/jp-ja

一言で表すならば「番狂わせ」。果たして、勝利の女神は微笑んだのか!?[ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/マカオ]

今回も大いに湧いた『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。興奮冷めやまぬ受賞後のシェフたち。

アジアのベストレストラン50 2019初入賞の2店に加え、大会過去最多となる12店の日本レストランが受賞!

今年もマカオで開催された『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。一言で表すとしたら「番狂わせ」。予想外の大会となりました。

今回、『ONESTORY』では3人のシェフに注目していました。ひとりは『傳』の長谷川在祐氏。ふたり目は『Florilege』の川手寛康氏。3人目は『茶禅華』の川田智也氏です。前者のふたりは、昨年2位、3位。あと1歩まできたその先の順位は、今大会のランキングで最大に注目すべき点でした。そして、川田氏。初エントリーな上、参加した日本人シェフの中では最年少。『ミシュラン』では二つ星を獲得しているものの、『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』は、また別物。世界的に見てもトップレベルのあのティーペアリングは、どう評価されるのかが着眼したい理由でした。

そして、この3人を含む全ての日本人シェフの順位はこのようになりました。

3位『傳』、5位『Florilege』、8位『NARISAWA』、9位『日本料理 龍吟』、14位『La Cime』、18位『Il Ristorante luca Fantin』、23位『茶禅華』(初入賞)、24位『La Maison de la Nature Goh』、25位『鮨さいとう』、26位『L'Effervescence』、45位『Quintessence』、47位『Sugalabo』(初入賞)。

加えて、「Chef’s Choice Award」には『傳』が、「American Express Icon Award」には『日本料理 龍吟』が受賞。

気になる1位はシンガポールの『Odette』、前回1位だったバンコクの『Gaggan』は2位という結果でした。
(全リストは公式HPのhttps://www.theworlds50best.com/asia/en/をご参照ください)

3位に受賞した『傳』は、シェフの投票により選ばれる「Chef’s Choice Award」も受賞。「本当に僕でいいの?」と長谷川氏がジェスチャーしていたのも印象的。

5位に受賞した『Florilege』の川手寛康氏。今後も更なる活躍が期待される日本を代表するシェフのひとり。

23位に受賞した『茶禅華』。「中国料理の素晴らしさと日本の豊かさを伝えることに貢献したいです」と川田氏。

アジアのベストレストラン50 2019順位では測れない、本当に大切なことは何か。

この『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』は、美味しいだけではない「何か」が必要なのかもしれません。それは、他の大会やガイドでは着目されないようなエンターテインメント性や面白さ、時に奇抜さなど。そして、高い順位を得るには、他国のシェフとコラボレーションなども行い、国外の人々に認知される機会を積極的に設ける活動も必要とされるでしょう。果たして何が大切なのか。

そんな中、日本人シェフ全員が話す「一番」大切なことは、「お店に来て頂くお客様を幸福にすること」だと言います。そして、そんな日本のシェフ同士の結束力は高く、おそらく『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』に参加する国の中でも「一番」絆が深いと思います。自分の順位よりも仲間の順位を気遣い、共に喜び、共に称え合い、共に涙する姿は、相手を思う気持ちがあってこそ。このふたつの「一番」には決して「番狂わせ」はありません。

更にその絆は、横のつながりだけではありません。前述の「American Express Icon Award」を『日本料理 龍吟』が受賞した場面がそれを象徴しています。

司会者が「RYUGIN!!」とコールし、山本征治氏が壇上に登ると旗を持った4人が突如走り出し、同じ壇上に。その4人は、今回31位にランクインした台湾の『捷運 龍吟』稗田良平氏、50位にランクインした香港の『TA ViE』佐藤英明氏、そして『Il Ristorante luca Fantin』のルカ・ファンティン氏と『茶禅華』の川田智也氏。そう、全員山本氏の弟子です。

4人は自分の受賞よりも師匠の受賞に歓天喜地し、「龍吟」と書かれた旗を目一杯振り続けました。
「突然でビックリしました(笑)。彼らは皆優秀なので、それがこうやってアジアでも評価されることは自分の受賞よりも嬉しいです」と山本氏。

師匠は弟子を想い、弟子は師匠を想う姿は、会場中を感動に包みました。それが日本のシェフであり、チーム日本なのです。

順位は結果であり、本質は人にあります。その本質を、今大会では日本のシェフは魅せてくれたと思います。

『傳』『 Florilege』、『La Cime』、『La Maison de la Nature Goh』のシェフを始めとした4チーム。シェフ同士の結束はもちろん、各店のスタッフとの絆も強い。

「American Express Icon Award」を『日本料理 龍吟』が受賞した場面。4人の弟子も歓喜。

アジアのベストレストラン50 2019改めて、『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』を振り返って。

チェアマンを務めた中村孝則氏は大会を振り返り、「今回、ランクインされた日本のレストランは12店と過去最多であり、熾烈なアジアの中で『茶禅華』と『Sugalabo』のニューエントリーがふたつもありました。それはとても誇らしいです。評価されるので順位はありますが、おそらくその全てが僅差だったと思います。そして、僕自身、改めて行ってみたいレストランの発見もありました。現代はSNSやインターネットの急速な発達により、社会は情報に溢れています。ゆえに、見たつもり、聞いたつもり、行ったつもり……と、錯覚を起こしてしまうこともあります。そんな時代だからこそ、“体験”は“価値”だと思います。その価値がレストランにはあり、レストランは体験が全てなのです。『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』を通して、ぜひ皆様にもその体験をして頂けたら嬉しいです」と話します。

今回、『ONESTORY』は3人のシェフに注目しましたが、ランクインされたレストランは全て素晴らしい「ベストレストラン」です。人は体験することで感動が生まれます。是非、シェフと出会い、料理に歓喜し、ご自身でその感動を味わっていただければと思います。

そして、2020年はどうなるか!? 誰がランクインし、どこで開催されるのか!? 母国日本での開催はあるのか!? 早くも次回に期待が高鳴ります。

授賞式前夜の一枚。この笑顔が物語るように、日本のレストランの絆は強く深い。それがチーム日本。

ふたりの作家が回想する、南会津で出逢った美しき景色、人、伝統・文化。[NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU]

福島県南会津への玄関口となる、東武東上線浅草駅のプラットホームで談笑するアレックス・カー氏(左)と小林紀晴氏(右)。

ニュージェネレーションホッピング南会津ふたりの作家による待望の対談が実現。テーマは「南会津の旅」。

福島県の南西部にあり、東北地方の南の玄関口「南会津」。手付かずの自然と山間の環境に守られながら、独自の伝統文化が育まれたこの地域には、他の地域では失われつつあるプリミティブな景色が広がり、訪れた誰をも魅了します。東武鉄道株式会社と共に、1年間をかけて南会津を見つめ直す旅を続けた『ONESTORY』。その主役でありナビゲーターを担ったのは、ふたりの作家です。ひとりは写真家であり、作家の小林紀晴氏。そしてもうひとりは、東洋文化研究家であり作家のアレックス・カー氏。旅の起点となる東京・浅草駅でそれぞれの旅を思い返しながら、南会津の魅力を語っていただきました。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

アレックス氏は春冬の2回、小林氏春夏秋冬を通じ6回も南会津を訪れた。片道3時間強の旅も、東武鉄道の新型特急「リバティ会津」なら快適そのもの。

1年にわたる「南会津」の企画に共に携わり、初対面を果たしたおふたり。旅の話題ですぐに打ち解けた。

ニュージェネレーションホッピング南会津圧倒的な大自然、季節の景色、人、茅葺き、祭り。通うほど惹かれる「南会津」。

それぞれ別々に南会津へ訪れた写真家であり作家の小林紀晴氏と東洋文化研究家であり作家のアレックス・カー氏。ふたりの作家には、この街がどう写り、どんな言葉を紡いだのか。それぞれの独自の視点がありましたが、どこか繋がっている感性を持つもの同士にも見えます。

小林紀晴氏(以下、小林。敬称略)
「春夏秋冬を通じて、計6回訪れました。これまで会津若松には何度か足を運んだことがあったのですが、南会津は初めて。まったくの未知の場所でしたので、正直ピンときませんでしたが、通いながら地域をつぶさに見ていくと、祭りや風習も興味深く、次第に魅了されていきました。四季それぞれの景色も、コントラストが鮮やか。特に春と冬は素晴らしかったですね。昨年の冬は雪が2メートルも積もるほどで圧倒されましたが、春には雪が溶けてなくなり、同じ場所とは思えないほど。非常に印象的な体験でした。」

アレックス・カー氏(以下、アレックス。敬称略)
「私は冬と春で2回ほど訪れました。一番の目的は「大内宿」です。山間に40戸160名が暮らす小集落で、築300年の古民家が整然と並んでいる。その町並みを勉強するつもりで、まず行ってみたい場所のひとつでした。全国的に見ても、茅葺き屋根の古民家が1箇所だけ残され、重要伝統的建造物群保存地区に指定はされているものの、周囲には何もないというのはありがちですが、南会津は違います。大内宿だけではなく旧街道や前沢曲家集落、昭和村とあちこちに点在している。茅葺き屋根の家々があれだけ広範囲に建ち並び、文化としてきちんと残っている地域は、日本広しといえど他にありません。非常に貴重な財産なのです。現在、どれだけ力を注いでいるかはわかりませんが、南会津や福島県が今後もきちんと整備をして活用すれば、かなりの財産になると思いました。」

長野県諏訪出身の小林氏も南会津の豪雪には圧倒された様子。冬でしか撮影できない景色をカメラに収める。

国選定重要伝統的建物群保存地区「大内宿」。茅葺き屋根の古民家にカメラを向ける小林氏。

「大内宿」の茅葺き屋根に厚く降り積もった雪と青空を切り取った小林氏の作品「雪そら」。

旅の目的のひとつだった「大内宿」を訪れたアレックス氏。茅葺きのオーソリティーとして知見をさらに深めた。

「規模といい保存状態といい、茅葺き屋根の古民家がこれほど美しく残されているのは日本広しといえど珍しい」と、アレックス氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津ふたりの視点を通じて紐解かれる「南会津」ならではの知られざる魅力。

小林紀晴氏とアレックス・カー氏。ふたりの共通点は、作家ということだけではありません。両者は、国内外を問わず旅する旅人なのです。様々な国や街を見てきたふたりには、この南会津という地域の何に価値を見出し、何に惹かれたのでしょうか。

アレックス「新潟県・佐渡の田舎を思い出しました。水田が物凄くきれいに広がっていて、集落がちょこちょこと点在する。まだまだ開発されておらず、のどかな雰囲気が残されている。そんな佐渡と南会津に共通点を感じました。」

小林「南会津ほど雪は降りませんが、僕の地元である長野県諏訪にどこか似ていると思います。実家は甲州街道沿いの宿場町にあり、子供の頃は旅籠の格子など面影がかろうじて残っていて、お寺も茅葺き屋根にトタンがかかっていた。諏訪では南会津にあるような昔懐かしい景色はもはや失われているので、寂しさを感じます。」

アレックス「茅葺き屋根はトタンをかけてくれれば、茅だけでなく柱や梁なども残り、構造自体が守られます。先入観として茅葺きは補修にお金が掛かり難しいと思われているようですが、実は耐用年数や費用的にも、木造などとさほどかわらない。日本では茅葺きイコール江戸時代のイメージですが、海外はそうではありません。デンマークやオランダなどヨーロッパでは近代美術館や新築住宅でも茅葺きが増えています。形も独特で、造り方によっては彫刻的な造り方ができる。茅葺き職人が世界に出て、学ぶ時代です。クリエイティブで建築家も興味を持つ分野、エコの面でも存在意義はとても大きい。日本では取り壊して新築にしてしまうところも多い中、南会津では保存されている。兵庫の有馬にも何百件と残っていますし、京都の美山でも補助金で吹き替えを行なっています。南会津は周辺の自然や田んぼも美しいまま残されている。四季折々の景色もあり、全てが揃っているんです。これは大きなチャンスだと思います。」

小林「僕はこれまで日本全国の祭りを巡り、特に「奇祭」と呼ばれる地域ごとの小さなお祭りを撮影し続けています。南会津ではまだ行けていないのですが、「高野三匹獅子」など興味深い祭りがあるそうです。ぜひ行ってみたいのですが、近づかないと日程がわからない(笑)。新潟・佐渡などの祭りは曜日に関係なく、決まった日にちに開催されますが、南会津では土日に開催するらしい。地元の方からしたらわざわざ遠方から観光客が来るはずがないと思っているのかも知れませんが、価値や素晴らしさに気づいていない。とてももったいないし、そこは工夫する余地があるとも思います。」

思い入れのある京都・亀岡や新潟・佐渡と比較し、考察するアレックス氏。小林氏も故郷の長野・諏訪との共通点を語ってくれた。

春に訪れた「南会津」の旅でアレックス氏が宿泊した湯の花温泉の民宿「ふじや」も茅葺きの文化を継承する。

デンマークにある草葺き屋根の家屋。ガラスなどと組み合わせ、建築としての新しい可能性を示す好例。茅葺きは建材として世界的にも注目されている。

独自の視点を語るアレックス氏に共感する、小林氏。「南会津」でのそれぞれの経験を共有するひと時となった。

故郷の長野・諏訪ではすでに失われてしまった景色の面影や伝統文化を南会津に見た、小林氏。

ニュージェネレーションホッピング・南会津アレックス氏と小林氏それぞれが認め、勧める「南会津」の魅力。

この対談企画では、ぜひ聞いてみたいことがありました。それは、「それぞれが相手に勧めたい南会津の魅力」です。なぜならば、互いに共通点を持つふたりならば、必ずや興味も引かれ合うと思ったからです。

小林「駒嶽神社の境内にある「大桃の舞台」は見所のひとつです。最初、冬に行ったのですが雪が深くて近づけなかった。春か夏がいいでしょう。国の重要有形民俗文化財に指定されている茅葺き屋根の農村舞台で、一時期は途絶えていたそうですが夏に農民歌舞伎をやるそうです。観光化されていないし、手作り感が魅力。地元の楽しみとして親しまれています。もうひとつは、会津町「左下り観音(さくだりかんのん)」。山の斜面の岩盤を切り開いてお堂が建てられ、観音様を祀っている。京都の清水寺や佐渡の清水寺(せいすいじ)、鳥取の投げ込み寺にも似ています。自然の中にどうやって、何のために作られたのか興味深く、迫力があります。やや荒れている印象を受けたほど、観光客はほとんどいないし、地元でもあまり知られていないようです。」

アレックス「難しい選択ですね。観光客が来ないと地域再生できませんが、一方でやたらと観光地化されるのも困ります。誰も行かないという魅力もあるように思います。私が小林さんに勧めるのは、昭和村。全体的にトタンが掛かった茅葺き屋根の集落なのですが、規模も大きく、周囲の田んぼがとにかく美しい。周囲の山々も植林をしていない自然の山。秋は特に綺麗だと思います。」

小林「「昭和村」は行ったことがありますが、冬だけ。他の季節は撮れていませんし、山ばかりを見て集落を見ていませんでした(笑)。」

アレックス「小林さんのモノクロの写真を見て、すぐに惹かれました。ふたりとも同じところを見ているのですね。強烈な印象でした。この周辺の山々は木が違う。幹が細くてデリケートなのです。杉の下手な植林から免れたのか、理由はわからないのですが、あのエリアはブナやナラなどの原生林が残っている。非常に珍しいですね。日本各地でも、九州・四国・京都の周辺もだめ。あったとしてもパッチワーク状態。杉が増えると暗いし、山は死んでしまう。最近の日本の山は本当につまらなくなった。景色に四季がない、三季です。明るい自然な山々を見て、とても嬉しかったし安らぎを感じました。私が特に惹かれた理由もそこですね。」

小林「地元の長野ではもうこういう風景は撮れないですね。杉が増えてしまって。南会津の冬の山々こそ、モノクロで撮りたくなる。来年もう一度、個人的に撮りに行こうと思っています。」

小林氏の夏の写真紀行で祭りを取材。地元の人のみで行う郷土芸能「大桃夢舞台」の演者を撮影した一枚。

小林氏がアレックス氏にお勧めしたのが「大桃の舞台」。苔むして草が生えた茅葺き屋根を鮮明に切り取る。

岩盤に沿って建てられた「左下観音」も小林氏がぜひ訪れるべき、と勧める場所のひとつ。

南会津に点在する茅葺きの集落を探訪したアレックス氏。今後も「通い続けたい」と抱負を語った。

小林氏がモノクロで撮影した冬の南会津の山。「手付かずの自然が残っていて、南会津の山は明るい。感動しました」とアレックス氏。

「白と黒が反転したかのような冬景色に惹かれます」とは、小林氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津旅の印象をさらに深めた、新しい出会い。人と人との縁が、再訪につながる。

今回の旅では、風景や催事、店や観光地など、様々な場所に訪れましたが、その数だけ人との出会いも多くありました。出会いの数だけ物語やエピソードが生まれ、その時間は、彼らの南会津の旅をより一層豊かにしてくれました。中でも、特に印象に残った人の話を両者から伺います。

アレックス「手打ち蕎麦を提供する『こめや』の主人であり、茅葺き職人でもある吉村徳男さん。吉村さんは公務員を辞めて、茅葺き職人に転身された方。茅葺きの技術と伝統を守るために廃校を再利用して伝習施設を造り、若い世代に手ほどきしています。古材を集めている只浦豊次さんも再会したい方のひとり。全国的にも地域住民は無関心なものです。各地域には吉村さんや只浦さんのように伝統文化を再認識させてくれる、中心的リーダーがいる。彼らが中心となって地域に貢献してくれるからこそ、街に活気がもたらされるのです。」
▶詳しくは、心に語りかける、民話の風情も色濃い茅葺き民家を訪ね歩く。

小林「飲み屋の方々は印象に残っています。僕は旅先でふらりとお店に入って、地元の人から古い風習など話しを聞くのが好きなのです。『ビアフリッジ』の関根健裕さん、『カフェ ジーママ』の五十嵐大輔さんとも出会いがありました。戊辰戦争の話、新しい靴をおろした時のならわしの話、大火の話、剣道の試合の話など。お酒を飲みながら、生の声が聞ける。普段は酔うと次の日にどんな話をしたか忘れたりするのですが、記憶に残っています。『会津酒造』9代目の弟に当たる渡部裕高さんは若いながら「ご先祖様のおかげです」とごく普通に、それも度々口にするのが印象的でした。」
▶詳しくは、小林紀晴 冬の写真紀行「反転の雪」。

「こめや」のご主人であり、茅葺きの担い手として活躍する吉村氏と。集落にある茅葺き伝承施設には、遠方から実習に訪れる人も少なくない。

「大内宿」にある蕎麦処『三澤屋』を経営する只浦氏(写真中央)。古材を集め、活かす、アイデアマンだ。

南会津をクラフトビールで盛り上げるべく、自宅のガレージを改造し、店と醸造所を造ったという『ビアフリッジ』の関根氏。

会津田島の町でカフェを営む『カフェジーママ』の五十嵐氏。1000人以上の集客を誇る南会津ローカルの野外フェス「大宴会in南会津」を立ち上げた発起人でもある。

『会津酒造』にて。入口近くに広がるスペースが、小林氏のお気に入り。歴史と伝統を感じさせる佇まい。

ニュージェネレーションホッピング南会津春夏秋冬、2度3度と足を運びたくなる「南会津」の吸引力とは。

何度も足を運んだ南会津。回数を重ねるごとに愛情も増し、街の歴史や文化に触れることによって、今まで知らなかった街の姿と出合っていきます。もし再び南会津に訪れるとしたら、お互いどこへ向かうのだろうか。

アレックス「私は秋に南会津を訪れてみたいですね。なぜなら、山が美しいから。京都のお寺に行けば庭に秋を感じるかもしれませんが、今の日本には秋がない。どこに行ってもつまらない。だから南会津で秋を満喫したいですね。」

小林「僕はやはり「祭り」。「高野三匹獅子」が気になっています。関東の場合、関東にも一人立ちの獅子舞は多いのですが、会津も一人立ち。何かしらの関係があるのか、ないのか....とても気になります。南会津はなかなか知られていない場所。だからこそ、自然や古くからの集落が残ったとも言えます。色々な人との出会いの中で、変わらないことの良さ、変えないことに誇りを持っていると気づかされました。去年と今年が何も変わらないことに価値がある。そうした考えは本当に素晴らしく、これからも通い続けたいと思いました。」

アレックス「東京近郊にありながら開発されず、手付かずの自然があり、伝統文化が継承された美しい田舎の町がある。これは特別なことだと感じています。都心からラグジュアリーな電車で快適にアクセスできるのに、行ったことがある人は少ないなんて。一大皮肉です(笑)。南会津はまだまだ可能性があり、知られていない魅力があります。今後も色々な季節に、様々な場所へ何度でも足を運びたいと思います。」


南会津の旅を通して記憶の軌跡と価値観が交わった、ふたりの作家。『ONESTORY』では今後も南会津に目線を向けながら、知られざる魅力を引き続きご紹介していきます。ご期待ください。

今回の対談で「南会津」への思いを新たにしたふたりの作家。今後も旅はまだまだ続きそうだ。

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

暖色の灯火に浮かぶのは、華美なき美しさ。暮らしに根ざす鳥取の民芸。[COCOROSTORE/鳥取県倉吉市]

夕暮れ時、温かい暖色系の灯りが手招きする店。外からでも中の様子は一目瞭然、ついつい立ち寄りたくなる造りに。

ココロストアランダムに見えるアイテムはすべてが鳥取の民芸という線で結ばれる。

倉吉市の旧市街を流れる玉川沿い、漆喰の白壁土蔵と赤瓦が印象的な白壁土蔵群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される鳥取県きっての観光名所です。そんな風情ある歴史地区からすぐの場所に、今回目指す『COCOROSTORE』は佇んでいます。

昔ながらの土産店や呉服店などが軒を連ねる地区にあり、オープンして7年。驚くほど街並みに溶け込む佇まいは、以前その場所で呼吸をしていた店舗をほぼ居抜きで使用しているからだと、店主の田中信宏氏は穏やかに笑います。

そして店に入ると陶器にアクセサリー、食品にお菓子、包丁などのキッチンツール、衣類もあれば、バッグやガラス工芸まで、雑然と並ぶそれらすべてのアイテムが、妙にしっくりと馴染んでいることに、これまた驚くのです。

思わず「ここは何屋ですか?」と質問したくなる店、それこそが『COCOROSTORE』。

すると田中氏はひと言。「鳥取を中心とした民工芸を扱う店とでもいいましょうか」と微笑みます。一見するととりとめのない商品構成に見えるそれらすべてが、鳥取の民芸というキーワードにより結ばれることで、違和感なく溶け込んでいるのです。

そう、『COCOROSTORE』とは、華美でなく、削ぎ落とされた日常の中の暮らしを見つめる道具が揃う店なのです。

店内に入ると様々なコーナーに鳥取の作家の民芸品が所狭しと並ぶ。

あくまでも芸術ではなく、暮らしの中で使われて魅力を発揮するアイテムがズラリ。

ココロストア家具職人から、民芸店へ、想いを乗せて転職。

ではなぜ、田中氏は鳥取の民芸を集めた店を作り出したのか?

「もともとは家具職人になりたかったんです。それで大学卒業後、都心の家具の小売店へ就職そこで営業を経験しました。その後、家具職人を目指す為、長野県松本市の家具製造会社へ再就職したんです。でもですね、いざ職人の道へ入るといろいろ見えてくることもありました」

職人の道は年功序列。経験こそが大切であり、仕事を覚えるには長い年月がかかること。ゆくゆくは地元へ帰り家具を作りたいという思いがあったこと。さらには全国各地で家具販売会スタッフとして現場を経験するうちにある思いが芽生えてきたのです。
「松本の会社で作っていた自社の家具と、自分が知る鳥取の職人が作る家具がとても類似点があり、民芸のルーツとして鳥取はとても重要な場所であるんです。松本で作る家具ももちろん素晴らしいのですが鳥取出身の自分には鳥取の家具や鳥取の民芸のことを紹介したいという思いが強くなりました。であるなら、生まれ育った地元の民工芸の素晴らしさを伝える仕事がしたいと思うようになったんです」

松本の民芸が嫌だったのではありません。たぶん田中氏は全国どの場所でもなく、やるならば鳥取の民芸を、そう思ったとき、自ずと足は地元へ向かっていたのです。27歳、裸一貫地元へ戻り、一から場所探しに始まり、店に置く民芸の数々も自らが職人や作家の元へ足を運び、お願いして回りました。
「地元でお店をするからですかね、皆さんとても協力的で無理も聞いてくださいました」

今では田中氏、そして『COCOROSTORE』を媒介にコミュニティの場が醸成される場所に。それこそが田中氏が目指す、この店の理想形なのかもしれません。

店内に貼られたPOPは作家の紹介はもちろん、お店を作った思いなども紹介されている。

ココロストアある鍛冶職人との出会いにより地元での出店へ舵を切ることに。

最後に田中氏は、ある職人の道具への想いを教えてくれました。
「まだ、自分が松本にいた時代に、工房を訪れて仕事を見学させてもらったのが『大塚刃物鍛冶』さん。初めて使用した大塚さんの包丁は恐ろしいぐらいに切れ味が良く驚嘆したのを今でも覚えています。こちらに戻ってお店を開く際も大塚さんには、鳥取で仕事をする気概を教えてもらうとともに、快く、開店に向けて包丁を取り扱わせてもらうことなったんです。わけのわからない若造を支援してくれ、本当に感謝しかありません」

鍛冶職人として全国から注文のある『大塚刃物鍛冶』のアイテムは、オープンから今でも『COCOROSTORE』を象徴する、鳥取を代表する民芸品であり、その気持ちに応えたいと田中氏は言います。
「日本に、いや世界に誇る民芸が鳥取にはたくさある。その素晴らしさを伝える一役に少しでもなれたらと思ったアイテムの1つなんです。本当に実直に、とことん研ぎ澄まし、使うことだけを目指した包丁。皆さんにぜひ切っていただきたいですね」

レジ横の特等席を占める『大塚刃物鍛冶』の包丁シリーズは、今なお田中氏の指針であるといいます。

レジ横の特別コーナーに陳列されている『大塚刃物鍛冶』の包丁シリーズ。

『The Wonder 500™』にも認定されるテーブルナイフは店を代表する人気アイテム。

住所:〒682-0821 鳥取県倉吉市魚町2516 MAP
問合せ先:COCOROSTORE
電話:0858-22-3526
COCOROSTORE HP:https://cocoro.stores.jp/
E-mail:cocorostore.1@gmail.com

『西宇和みかん』を巡る旅を通じて体感した、別格の魅力と新たな可能性。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県西宇和]

昨年末に「西宇和みかん」だけを使ったスイーツコースを創り上げたパティシエールの中村樹里子氏。

テロワールオブ西宇和

風土を肌で感じ、生産者と語り合うことの意義を実感。

急な斜面を埋め尽くすように広がる、みかん畑。太陽の光に照らされた橙色の実は、輝くように美しく、青く澄んだ空と感動的なコントラストを成しています。眼下には、どこまでも凪いだ紺碧の海。『西宇和みかん』は、ほかに類を見ない絶景の中で育ちます。このみかん畑を訪れたパティシエールが中村樹里子氏でした。

▶詳細は、未知の『西宇和みかん』デザートコースを創造するため。現地を巡って体感した、西宇和の風土、生産者の志。

「それまで、みかん畑に行ったことがなかったので、本当に感動しました。こんな風に、みかんってなるんだなぁって。段々畑に、みかん色が一面に広がっていて、キレイでした」と中村氏。

『西宇和みかん』でフルコースを作る。
かつて『KIRIKO NAKAMURA』で、デザートだけのコース料理を提供し、世のグルマンを感動させた、中村氏の新たな挑戦。昨年末、期間限定で実現しました。クリエイションのヒントを得ようと西宇和も視察した中村氏。生産者と交流を深めることができ、『西宇和みかん』を作る喜び、苦労も知れたと振り返ります。

「ギュッと寒くなったとき、みかんの糖度が上がるのに、今年は昼夜の寒暖差があまりなく、苦労されているというお話でした。それと、印象深かったのは酸度のこと。酸味ってみかんにとって、とても大切で、酸度が上がらないと傷みやすくなるそう。そういうお話も聞けて良かった。みかんの成育には、水はけの良さが重要ということでしたけど、西宇和は段々畑になっていて、特に水はけがが良いということも、行ってみて実感できました。勉強になりました」

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。

太陽の光をいっぱい浴びて美味しい『西宇和みかん』は育つ。

真穴地区で『西宇和みかん』を育てる宮本定氏と語る中村樹里子氏。

試食して、甘酸のバランスが良い『西宇和みかん』の魅力を実感。

テロワールオブ西宇和『西宇和みかん』の特性があって初めて創れたデザートコース。

「『西宇和みかん』は3つの太陽が美味しさの秘密」と地元の人は言います。段々畑の石垣は、3つめの太陽。白い石垣が陽光を受けて反射し、『西宇和みかん』の実を照らすのです。降り注ぐ太陽の光、陽光を受けて輝く海、そして、段々畑の石垣。美しく組まれた石垣は、現在の生産者の先代、先々代が山を耕し、積み上げていった大切な遺産。土壌も、牡蠣殻や塩抜きした海藻などを使って彼らが作ったと言います。今日では、マルチシートを敷き込むことで、4つめの太陽まで獲得。産地によっては農園内に、舗装道路を整備。5つめの太陽とする場合まであります。

恵まれた環境を活かして巧みに応用し、さらに、考えられうる知見も積極的に導入して、「もっと美味しい」を指向する。執念にも似た生産者の魂が込められているから、『西宇和みかん』は格別な美味しさに育つのです。味わってみましょう。

ひと房を包む、じょうのうは薄く、とろけるような食感。強い甘みだけでなく、わずかに酸味も感じられて、食べた瞬間、すぐに美味しいと直感します。溢れ出す豊かな果汁には、陶然となるほど。

「じょうのうが薄く、その分、ジュースが多いことは、現地で試食させてもらったとき、実感しました」中村氏も感じた、じょうのうが薄いという『西宇和みかん』の特性は、コースの中で登場した「roast」で存分に活かされていました。「じょうのうが付いたまま、『西宇和みかん』の実をローストしたんですが、もし、じょうのうが厚かったら、口に残ってしまい、食感も悪くなってしまったはず。ローストすると水分が抜ける分、生で食べるより、じょうのうを強く感じるんです。けれど、『西宇和みかん』はスッと口に入って違和感のない仕上がりになった。roastは『西宇和みかん』だから、うまくいったと思います」

▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。
※期間限定コースは終了しました。

美しく積み上げられた石垣に、先人たちの苦労が忍ばれる。地面に敷かれているのがマルチシート。

期間限定で復活した『KIRIKO NAKAMURA』の一品、「roast」。『西宇和みかん』を焼くことで、味を凝縮。

「温州みかんは使いやすい素材」と実感したと語る中村樹里子氏。

テロワールオブ西宇和『西宇和みかん』の魅力をもっと広く伝えるべく、カフェ・カンパニーも協力。

復活版『KIRIKO NAKAMURA』で提供された『西宇和みかん』のフルコースのほかに、今回は、中村氏とカフェ・カンパニーのコラボレーションも実現。
渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、『フタバフルーツパーラー銀座本店』という3つの店舗で、『西宇和みかん』期間限定スペシャルメニューも登場しました。カフェ・カンパニーでPRを担当する加藤菜緒氏が振り返ります。

▶詳細は、『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。
※期間限定メニューは終了しました。

「街も、お店のキャラクターも、いらっしゃるお客様の層やモチベーションも全く異なる3店舗でしたが、総じて、お客様の反応は良く、ときにはオーダーが集中するほどの人気になりました。何より、私たちが重要と考える、お客様とのコミュニケーションが円滑に図れて、本当に良かったと思っています。

『西宇和みかん』が『どういう場所で採れて、どういう人たちが育てていて、今回、こういう人たちと一緒にメニュー開発しています、だから、ぜひ食べてみて下さい』というストーリーが語れた。ストーリーが語れるって、サービスするスタッフにとって、大きな武器になることを再確認しました」

渋谷と銀座のフレンチトーストはどちらもボリューム満点で、ランチとして食べる若い女性もいたそう。みかんは、冬になると家に普通にあって、コタツに入って食べる身近な存在で、身近過ぎるために、外食としてはどうなのか? という意見も社内にはあったそうですが、中村氏のクリエイションと、カフェ・カンパニーのサービス精神が功を奏して、見事、成功を収めたのでした。

「ただフレッシュで食べるだけでは感じられない、みかんの美味しさがあることを知りました。温めるのもアリだなって個人的には思いましたし、紅茶と柑橘の組み合わせを、オレンジでなく『西宇和みかん』でやってしまったというのも面白かった」と加藤氏。

「当たり前にあるものを、ちょっと視点を変えて、提供することの可能性」も感じたという加藤菜緒氏。

『WIRED TOKYO 1999』で提供された「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。渋谷の街のイメージに合わせて、可愛らしく仕上げた。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』では「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」を提供。フレンチトーストからは紅茶が香る。

テロワールオブ西宇和挑戦することで見えてきた、『西宇和みかん』の新たな可能性。

煌めく海を眺めながら、みかん畑に立っていると、「平和」という言葉が自然と脳裏に浮かびます。温かくて心地良い。温暖な気候は、人も穏やかにするのでしょう。西宇和で出逢った生産者やJA関係者、それから、食堂や道の駅のスタッフ、誰もが一様に笑顔で、取材班を見つけると、人懐っこく話しかけてきます。

「どっから来たん?」「何しとるん?」

取材班に、同じ愛媛県の松山市内で生まれ育った人間がひとりいましたが、西宇和人の笑顔を見ながら、言いました。「南予の方々は特に人懐っこいかもしれませんね。闘争心のようなものがまるでない(笑)」

『西宇和みかん』が格別に美味しいのは、こうした人たちが作り、温暖な風土が育んできたからにほかなりません。そして、『西宇和みかん』を美味しいみかんとしてだけでなく、ひとつの素材として捉えたとき、可能性は大きく広がることを、中村氏やカフェ・カンパニーを通じて知ることもできました。

「『西宇和みかん』は、強さと優しさが1個の中に共存しているから、コースの中に強弱が作れる。それは、今回、トライしてみて初めて気付いたこと。皮の香りは強くしっかりありますけど、実は優しくてジューシー。そのまま食べても美味しいし、煮詰めれば変化が出て、また違った味わいになる。優しい分、ほかの素材とも合わせやすいですし、逆に、皮は炭化させても、あれだけの香りが残る強さがあった。これまで、1つの素材でフルコースというのは考えたことがなかったので、新鮮で、いろんな発見もありました」中村氏の話を聞いて、「carbonization」の鮮烈な香りが甦ります。

『西宇和みかん』の可能性を感じたのは加藤氏も同じでした。「今回のデザートはもちろんわかりやすくて良かったんですけど、もし、もう一度、やらせて頂けるなら、食事系の料理で『西宇和みかん』を使っても面白んじゃないかと思います。ポテンシャルをスゴく感じました」

さらに、中村氏は、こうも言っていました。「お客様の反応は本当に良かったですから、今年も何かやってみたいですね。コースはちょっと難しいかもしれませんけど、一品とかなら考えたいし、使いたいです」

『西宇和みかん』を巡る旅は、まだまだ続きそうです。

中村氏のコースより、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』の皮を炭化させたもの。鮮烈な香り。

「西宇和みかんはじょうのうが薄いから、皮も身も両方美味しく調理する事ができた。またチャレンジしたい」とコースを振り返った中村氏。

「スタッフのモチベーションもあがった良い取り組みだったので、西宇和みかんのコラボレーションは是非またやりたい」とカフェ・カンパニー加藤氏。

西宇和は一年を通して、柑橘王国。温州の『西宇和みかん』に続いて、中晩柑の『西宇和かんきつ』も栽培される。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

桜の季節にこそ訪れたいスポットへ。お花見と厳選宿で地域を知る旅。[2019年春、桜の旅。/宿と桜]

度重なる天変地異においても朽ちることなく、約400年の時を経て成長した『一心行の桜』。枝の差し渡しは最大約26mにもなる。

宿と桜『阿蘇山』がもたらす壮大な景色と、豊潤な恵みを満喫。

心身ともに能動的になる桜の季節は、桜の名所だけでなく、少し時間をかけて、その場所にしかない景色に出合う旅に出かけてみてはいかがでしょうか。『ONESTORY』ではこれまで多くの宿泊施設をご紹介してきましたが、そのどれもが、単なる箱としての宿にあらず。地域ならではの魅力を追求し、それぞれの解釈で表現し伝え続けている名宿ばかりです。そんな宿をこの春はぜひ、旅の目的地のひとつに。桜が織りなす絶景とともに、地域に触れ、地域を深く知る、忘れ得ぬ体験が待っています。

大きく開いた枝ぶりに、可憐な花が咲き誇る山桜。熊本県阿蘇郡南阿蘇村に立つ山桜『一心行の桜』は、遡ること約400年前、戦に散った城主を弔うための菩提樹として植樹されたといわれています。訪れる人の心を癒し続けてきた春の風物詩の見頃は3月下旬から4月上旬、今年も見事な花を咲かせてくれることでしょう。

2016年に起こった熊本地震で被害を受けた地域ですが、一部の道路は復旧が完了し、『阿蘇山』を中心とする豊かな自然を体感できるドライブルートも開通しています。『草千里ヶ浜』をはじめとする壮大な風景を楽しみながら、車を北へ走らせること約1時間30分。国内屈指の温泉地であり、2009年には「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて2つ星の評価を得た「黒川温泉」に到着します。その一角、温泉街から少し離れた山間の地を切り拓き、2016年にオープンした『月洸樹』は、深緑の中に8つの離れが佇む湯宿です。廃材などを巧みに取り入れた昔懐かしい雰囲気の内装に、全室内風呂・露天風呂付き。それぞれの部屋におけるテーマの異なるアプローチで、ゲストを非日常の世界へと誘います。

▶詳細は、戦国の世に散った武将を偲ぶ菩提樹。子孫代々守り続けてきた見事な山桜。
▶詳細は、10代の頃から憧れ続けた黒川温泉で、ついに手にした夢のカタチ。

円形露天風呂から客室を眺められる『月洸樹』の客室「夢見」。にじり口のある茶室も設けられている。

宿は黒川温泉街の中心地から歩いて10分ほど。敷地からは阿蘇の外輪山や、条件が重なれば雲海を望めることも。

宿と桜春の瀬戸内がもたらす、多島美と桜の絶景と日常を逸脱した体験。

島国・日本の多彩な海の景色の中でも、屈指の絶景は『瀬戸内海』から望む多島美ではないでしょうか。愛媛県今治市、『瀬戸内海』に浮かぶ『伯方島(はかたじま)』の北側に位置する『開山(ひらきやま)公園』は、春になると「ソメイヨシノ」を中心に約1,000本の桜が開花します。穏やかな海に浮かぶ島々とそこに架かる橋、美しく花開いた桜の共演はまさに風光明媚。山の景色とはまた違う春の姿がそこにあります。ゆったりとした時間を過ごした後は、『瀬戸内しまなみ街道』から隣の大島を経由し、四国へと入りましょう。海山が迫る四国ならではの景色を楽しみながら、車で約1時間15分。山間に突如として現れる、打ちっぱなしのコンクリート壁に包まれた建物は、約3,500㎡の敷地に7室のスイートルームのみを有する『瀬戸内リトリート 青凪』です。設計は安藤忠雄氏。愛媛に本社を構える大王製紙が、訪れるゲストをもてなすために贅を凝らして造ったというゲストハウスは、モダンかつ洗練された雰囲気。日常を逸脱する空間がそこにはあります。その立役者は建築だけにあらず、豊かな自然も忘れてはなりません。テラスへ出て『瀬戸内海』を眺め、大きく深呼吸すれば、身も心も瀬戸内の自然に溶け込んでいくようです。

▶詳細は、麗らかな春の陽射しの中で、瀬戸内の多島美と桜との見事な調和を楽しむ。
▶詳細は、圧倒的スケールと感嘆の建築美。日常を逸脱する安藤忠雄建築のスモールラグジュアリー。

波穏やかな『瀬戸内海』に浮かぶ島々が美しい『開山公園』展望台からの風景。

森に突き出すように延びる『瀬戸内リトリート 青凪』の象徴的なデッキプール「THE BLUE」。時間帯により様々な表情を見せる。

天井高約8m、広さ約170㎡を誇る最上級の客室「THE AONAGIスイート」。標高450mのロケーションから一望する瀬戸内のパノラミックな海は、息を呑むほどのスケール感。

宿と桜『富士山』と『伊豆高原』、静岡が誇る魅力を余すことなく体験する旅。

桜は日本のアイコン的な存在ですが、それと同じく、いやそれ以上に日本を代表するものといえば、『富士山』をおいて他にないでしょう。そんな『富士山』と桜が見事な共演を見せるのが、一級河川『潤井川(うるいがわ)』の下流に位置する『龍巌淵(りゅうがんぶち)』です。桜の本数は約50本と多くはないものの、まるで絵画のように完璧な構図の風景は圧巻のひと言。まさに「日本の春」を体現する景色です。ここでしか出合えない景色に身を委ねた後は、静岡が誇るもうひとつの観光地『伊豆半島』へ。『龍巌淵』のある静岡県富士市より約1時間30分のドライブで到着する『伊豆高原』は、『大室山』の麓から『城ヶ崎海岸』まで広がる海山の自然豊かな地。その一角の別荘地に佇む1日1組限定のオーベルジュ『レピアーノ』は、栄養士の資格を持ち、オーナーシェフや経営など様々な経験を重ねた店主の加藤明子氏が、満を持してオープンさせた夢の館です。建築家の岸本和彦氏が設計を手がけた居心地の良い落ち着いた空間に、信頼する生産者や業者から仕入れた食材を使って作る、フレンチのコース。そしてコーヒーやワインとともに、デッキテラスで味わう、静かで贅沢な時間。オーナーの温かなもてなしとともに、穏やかで優しい、伊豆の夜は更けていきます。

▶詳細は、これぞ日本の春。まるで絵画のような印象の、完璧な構図。
▶詳細は、夢を追いかけるのに年齢は関係ない。62歳にして手にした夢の館。

隠れた名所、穴場の絶景ポイントとして地元では知る人ぞ知る『龍巌淵』。写真は近隣に架かる『龍巌橋』からの景色。桜の見頃は3月下旬から4月上旬。『富士山』は晴れた日の午前中が見えやすいとか。

森の中に佇む『レピアーノ』の外観。左手が寝室、右手がダイニング。ダイニングの奥にはティールームも。

デッキからダイニングを見る。立地条件から窓はあえて下方に設け、採光や視界に工夫を凝らしている。

宿と桜加賀藩ゆかりの町並みや温泉郷を、桜とともに楽しむ。

豊富な観光資源が多くの人を惹きつけてやまない石川県。江戸時代、前田利家を藩祖に繁栄した加賀藩ゆかりの史跡や文化が色濃く残る金沢市では、桜の季節になると、現代に受け継がれた華やかな美意識に裏打ちされた町並みと桜の花との美しい共演が見られます。前田氏の居城として使われた『金沢城』、その城跡に整備された『金沢城公園』も、そのひとつ。敷地内には約350本の桜の木があり、中でも国の重要文化財に登録されている『石川門』や、多種多様な桜が植樹された『桜の園』では、かつての繁栄ぶりを彷彿させる、美しく華やかな風景が広がります。周辺には日本三大庭園のひとつ『兼六園』や古い町並みが今なお残り、今回ご紹介する宿のひとつ、『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』は、重要伝統的建造物群保存地区に指定される「東山ひがし茶屋街」に位置します。1日2組限定、北陸の旬食材を余すことなく盛り込んだ料理へのこだわりはもちろん、ロケーション、部屋、ホスピタリティと、全てにおいてゲストの心に刻まれる、他に代えがたいひと時がここにはあります。

もう1軒、福井県に隣接する石川県加賀市の宿をご紹介しましょう。金沢市中心部より北陸道で西へ約50km、藩政時代より守り伝えられる伝統工芸や湯量豊富な温泉、秘境『加賀東谷』に代表される史跡など、見所が多い町、加賀市。中でも北陸随一のいで湯の郷として知られる「山代温泉」の中心地、かつて温泉寺の寺領で「薬師山」と呼ばれていた丘陵地に立つ『べにや無何有』は、3,000坪もの敷地に客室はわずか17室と、シンプルに贅を尽くした極上の宿です。客室からは山庭が眺められ、全ての部屋には露天風呂がついています。室内にいても山代の自然を身近に感じられる意匠に、細やかなホスピタリティ。連泊してゆったりとこの地に身を委ねたくなる、無為こそが究極の贅沢と感じられる特別な体験が、心身を充実感で満たしてくれます。

▶詳細は、重厚な史跡に満開の桜が映える。加賀藩の栄華を彷彿とさせる艶やかな風景。
▶詳細は、情緒漂う茶屋街に生まれた2部屋だけのオーベルジュ。旅の本質を思い出させる、名宿の秘密。
▶詳細は、山代温泉『べにや無何有』を拠点に、北前船の歴史と秘境の山郷をたどる加賀の旅。

『金沢城公園』の『石川門』は1788年に再建。櫓と櫓を長屋でつないだ造りが特徴で、重厚な雰囲気に桜が華やかさを添える。

『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』のある「東山ひがし茶屋街」。日没後の色気漂う茶屋街を気軽に訪れられるのは、この宿のゲストの特権。

『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』の客室「HIGASHI」の全景。窓に向けてベッドを配したイレギュラーな設え。

『べにや無何有』の客室は、表情のある土壁や焼き物など、温もりある意匠が随所に。広縁で自然美溢れる山庭を眺めているのは、取材で訪れたアレックス・カー氏。

宿と桜歴史と文化、自然を訪ねて、国宝と世界遺産を旅する。

前述の『金沢城公園』然り、城跡を公園として整備、開放している場所は日本各地にありますが、島根県松江市の『松江城山公園』は史跡の価値、眺望ともに別格といえる場所のひとつです。国宝であり、日本唯一とされる「現存正当天守閣」を有する『松江城』を中心に、市民の憩いの場として開放されたのは明治初期。歴史と文化、そして自然に寄り添いながら楽しむお花見は風情に溢れています。松江市街地には『堀川』や『宍道湖(しんじこ)』など水辺の風景もたくさんあり、水の都としての一面も。春の息吹と水辺の煌めきを眺めながらゆったりと観光するのもお勧めです。一方で、島根が誇るもうひとつの観光地といえば、2007年にユネスコの世界遺産に認定された『石見銀山(いわみぎんざん)』。銀山の採掘で栄えた豪商の住宅をはじめ、江戸時代の武家屋敷や代官所跡といった歴史的な建造物や文化財が並ぶ、銀山の街・島根県大田市に、今回最後にご紹介する宿『他郷阿部家』はあります。もともとは『石見銀山』の地役人だった阿部清兵衛の武家屋敷を、アパレルブランド『群言堂』を立ち上げた松場大吉・登美夫妻が住みながら少しずつ修復。13年の歳月を費やして新たな命を吹き込みました。文明を排除した古民家で楽しむ、故郷に帰ったような温かなもてなしと、地元で受け継がれてきた郷土の味を、若いスタッフが新しい感性で仕立てる料理の数々。都会のラグジュアリーホテルやリゾートでは決して味わえない、和やかで親密なひと時が過ごせるはずです。

▶詳細は、国宝・松江城を望みながら、歴史と文化、自然に寄り添うお花見を。
▶詳細は、『他郷阿部家』を起点にした世界遺産・島根県『石見銀山』の旅。

『松江城山公園』では3月下旬から4月上旬に約360本の桜が見頃を迎え、同時期に「お城まつり」も開催される。

立派な梁が印象的な『他郷阿部家』2階の洋間。客室のしつらえは端切れをモチーフにしている。

主と宿泊客がともに食卓を囲み、一緒に食事を楽しむのがこの宿の習わしであり、魅力のひとつ。

*春の人気商品が再入荷しました~*

皆さんこんにちは晴れ

早いところで桜も咲き始めてだんだん暖かくなってきましたね音符

 

今回は雑貨館から桜春の人気商品桜を紹介します乙女のトキメキ

これからの季節にぴったりなデニムバッグで全5色です。

 

 

シンプルに合わせてもおしゃれだし、デニムの淡いカラーがアクセントになって素敵ですよね音譜

 

上 デニムバッグ ¥2,900

下 デニムバッグ ¥3,900

 

 

プレゼントにも喜ばれてお土産にもぴったりです!

倉敷デニムストリートへお越しの際は是非見てみて下さいね目ラブラブ

 

 

 

雑貨館に撮影用のオシャレなモニュメントが出来ました~乙女のトキメキ

思い出に残るよう日付ボードになっているのでいっぱい

写真を撮って記念にして下さいね付けまつげふんわり風船ハート

 

 

「競馬場を一夜限りの花火劇場に」。[京都芸術花火/京都府京都市]

ワイドスターマインは割物花火と噴出花火を組み合わせ夜空のスクリーンにバランスよく開花していました。

京都芸術花火指定席で心ゆくまで堪能する花火エンターテインメント。

文化庁京都移転決定記念事業として昨年初めて開催された京都芸術花火は、東西に宇治川と桂川が流れる淀駅近くの京都競馬場を舞台に行われます。特徴の一つとして全席有料でそのほとんどが指定席という点が挙げられます。従来の花火大会というより劇場でのお芝居、野外ステージでのライブを観るという感覚です。京都競馬場という巨大な劇場の舞台で花火たちが時に激しく時に可憐にパフォーマンスを繰り広げます。サブタイトルとして謳っているように「選び抜かれた音楽、磨き抜かれた花火」を目や耳だけでなく体全体で感じられる、心に響く花火エンターテインメントです。

競馬場内に花火打ち上げ場所と観覧席が設置されています。

京都芸術花火夜空のスクリーンを鮮やかに彩る世界に誇れる日本の芸術作品。

芸術花火と銘打っているだけに数多くの芸術玉も観ることができます。世界的に最も美しいと称される日本の割物花火(球型に開く花火)はどこから見てもまん丸です。同心円状に幾重にも円が重なる割物花火はまるでコンパスで描いたかのように美しく広がってゆきます。また近年格段の進化を遂げている独創的な割物花火はイルミネーションのように次々と色を変えたり、時間差で開いたり、あたかも回転しているかのように見えたり、色のバリエーションも豊かで観覧席からは必ずや感嘆の声が上がるでしょう。

割物花火以外も虎の尾と呼ばれる噴出型の花火などを競馬場の地形を活かした配置で打ち上げるため奥行きのある演出を楽しむことができます。夜空のスクリーンにバランスよく開くように設置されています。一番手前に設置される花火は観覧席に飛び込まんばかりの迫力で光り輝くオーロラのように降り注ぎます。京都芸術花火は全編音楽と共に打ち上がります。音楽をBGMとして曲調のイメージに合わせて打ち上げたり、音楽と花火を寸分違わずシンクロさせ見事な調和と圧巻の演出で楽しませてくれます。花火は打ち上げてから開くまでにタイムラグがあります。そのタイムラグを加味した上で音楽に合わせて開くように計算し尽くされプログラミングされているのです。しかもタイムラグは花火の大きさ(打ち上がる高さ)によって違ってくるのです。

エンディングで美しい割物花火(尺玉)を一発づつ丁寧に打ち上げていました。

京都芸術花火最後の一発まで目が離せない。

今年初の試みとして事前チケット購入にて参加可能な日本酒飲み比べイベントや花火弁当を楽しむこともできるようです。お弁当は地元京都の老舗の味を堪能できる品揃えです。美味しいお酒を嗜みながらお弁当を味わい、贅沢な花火を堪能する。和食文化京都を感じさせる心憎い演出です。

プログラムの最後は各煙火業者選りすぐりの割物花火を一発一発丁寧に打ち上げます。それはエンドロールのように感じられ先程までの激しい花火に興奮していた気持ちを少し落ち着かせてくれ心地良い余韻を楽しませてくれます。花火大会に行くと混雑を嫌って途中で帰る人を見かけますがここは競馬場です。常日頃から大勢のお客様を誘導する事に慣れています。どうぞ安心して最後の一発まで見逃さず堪能してほしいと感じます。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:京都市伏見区葭島渡場島町32 MAP
日時:5月29日(水) 花火打上スタート19:50〜 荒天時、翌日30日(木)に順延 
※事前にチケット購入が必要です。

参加煙火業者(予定):アルプス煙火工業(長野県)、安藤煙火店(山形県)、伊那火工堀内煙火店(長野県)、柿園花火(宮崎県)、國友銃砲火薬店(京都府)、野村花火工業(茨城県)、ハナビランド(静岡県)、響屋大曲煙火(秋田県)、ワキノアートファクトリー(福岡県)
京都芸術花火 HP:https://www.kyoto-hanabi.com/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

日本の美を紡ぎ出す時計が、人の想いによって生まれるまで。[Grand Seiko/長野県塩尻]

ケースの歪みのない面は、手仕事により磨き込まれた品格ある光沢で、ほれぼれする美しさ。

グランドセイコー他の時計とは何かが違うと気付く、グランドセイコーとは?

シンプルなデザインなのに、他の時計とは何かが違うと気付くのは、ケースや針のきらめきに目を奪われるからです。グランドセイコーは、緻密な日本の職人による完璧な磨きとシャープで美しい稜線が、輝きを生み出しています。1本1本が日本の職人の手仕事だからできる、海外の高級時計にはない、日本独自のものづくりの証です。

セイコーが初代グランドセイコーを発売したのは1960年。“偉大な”という名を冠するにふさわしい存在感で、高額モデルながらも絶賛されました。なぜこの時、高品質な国産時計が求められたのか。その理由の一つは、1961年に腕時計の輸入自由化を控えていたからです。大量に日本へ入ってくる高品質のスイス時計に負けない、世界と戦える高精度時計を目指して生まれたのがグランドセイコーでした。

世界の腕時計市場に追いつき、追い越すブランドを作るには、精度の向上が不可欠でした。理想の時計作りのため、素材開発やパーツ製造など、研究を重ねて難題を一歩ずつクリアしていきます。長い年月をかけた試行錯誤の結果、グランドセイコーは高精度な機械式、クオーツ式ムーブメントの製造だけでなく、セイコー独自のムーブメントとなるスプリングドライブを開発しました。ぜんまいのトルクで駆動しながらも驚異的な高精度を実現した、画期的な機構です。
グランドセイコーは、壁を乗り越え挑戦を続けてきた、人の手による賜物なのです。

▶詳細は、Grand Seiko/技術は想いから創造される。日本が誇る時のブランド「グランドセイコー」。

1960年に発売された初代グランドセイコー。ここからすべてが始まりました。

グランドセイコー日本の美を紡ぎ出した「セイコースタイル」。

グランドセイコーの時計には、「セイコースタイル」と呼ばれる、デザインの文法があります。「正確さ、美しさ、見やすさ」、そして「長く愛用でき、使いやすいこと」を腕時計の本質と捉え、追求し続けているのです。この「セイコースタイル」を確立したモデルがあります。1967年に発表された「44GS」です。多くの人の心を動かす「燦然と輝くウオッチ」を目指した「44GS」は、「多面カットのインデックス」、「鏡面研磨されたケース平面で光沢を作る」など、9つの要素を規定してデザインされ、高い理想を実現化しました。

また、セイコースタイルは、日本の美を紡ぎ出したデザインとも言えます。直線と平面で構成され、屏風や障子など和の様式を思わせる、稜線の造形美を体現しながら、光と影が織り成す無数の表情を生み出しています。私たち日本人は「光」に心を配り、光と影の間に無数のグラデーションを感じ取ります。その美しさを、古来より建築や食器など身近なものに取り入れてきたのと同様に、日本の様式を大切にしたデザインなのです。

1967年に誕生した傑作「44GS」は、2013年に限定モデル「SBGW047」としてデザイン復刻。(数量限定品につき完売。)

表情豊かなデザインには、折り曲げた陰影が空間に奥行きをもたらす屏風や、多面カットで眩い輝きを放つダイヤモンドの観点が採用されている。

グランドセイコー製造地への敬意が込められた、特別モデル。

グランドセイコーは、2つの拠点で作られています。長野県塩尻市「信州 時の匠工房」にて、クオーツモデルとスプリングドライブモデルを製造。岩手県雫石町「雫石高級時計工房」では、機械式モデルを製造しています。どちらもマニュファクチュールならではの高い精度を誇る自社製ムーブメントを搭載したモデルには、製造地への敬意を込めた、特別な仕上げを施しているモデルが存在します。

スプリングドライブモデル「SBGA211」は文字盤に、塩尻の「信州 時の匠工房」から望む穂高連峰に積もった雪をイメージした、通称「信州の雪白(ゆきしろ)ダイヤル」を採用しています。信州の美しさを表現したいというデザイナーの一念から開発がスタートし、厳しい寒さが生むザラザラした雪面を表した質感が特徴です。一方、機械式モデル「SBGJ201」は、「雫石高級時計工房」から見える、名峰岩手山の山肌に刻まれた無数の尾根を文字板上で表現した、「岩手山パターンのダイヤル」。どちらも製造地への想いが表現されたダイヤルとなっている。

時計産業は、工場がある地域の人々を多く雇用しており、親子何代も同じ工場に勤めることも珍しくありませんでした。「郷土の誇り」として製造してきたからこそ、グランドセイコーもそれぞれの伝統に敬意を払い、このような物語のあるモデルが生まれたのです。

製造者の想いがプロダクトに伺えるのも、グランドセイコーの魅力のひとつ。

「信州の雪白(ゆきしろ)ダイヤル」の着想元となった、穂高連峰に積もった雪。

Grand Seiko独立ブランドとして、その哲学と人の想いを伝えていく。

1960年に初代グランドセイコーが生まれてから、現代にその哲学は引き継がれてきました。そして2017年3月、グランドセイコーは新たなスタートを切ります。これまでの「実用時計の最高峰」というコンセプトからさらなる高みを目指すため、セイコー傘下の1ブランドから離れて、グランドセイコーという独立ブランドへ。世界最大の時計見本市「バーゼルワールド」で宣言し、グローバルブランドとして歩み出しました。

新生グランドセイコーは、まず初代へのオマージュを込めた限定コレクションを発表し、2018年の昨年はグランドセイコーの機械式史上、最高精度を誇る「V.F.A.」モデルを復活。更に「ミラノデザインウィーク 2018」に初めて出典。そして2019年の今年、どんな展開が披露されるのか、世界的な評価が高まる中、「ミラノデザインウィーク 2019」 (4月9日〜14日)にもグランドセイコーとして出展することを発表しました。時は刻むだけでなく流れるものとするテーマ「THE NATURE OF TIME」を打ち出し、ブランドはより強くメッセージを発信しています。

世界で戦える時計を作りたいという、人の想いから生まれたグランドセイコーには、多くの局面と課題を乗り越えてきた、物語が詰まっています。日本のものづくりの息吹を受け継ぎ独自性を追求して、何度も自身を超えてきた時計だからこそ、長く手元に置きたいと思うのかもしれません。

※出典:グランドセイコー「10の物語」

(supported by Grand Seiko

1969年に誕生した、高精度を誇る「V.F.A」。

お問い合わせ:0120-302-617 ※グランドセイコー専用ダイヤル(通話料無料)
受付時間:月曜日~金曜日 9:30~21:00
土曜日・日曜日・祝日・年末年始 9:30~17:30
グランドセイコー HP:https://www.grand-seiko.com/jp-ja

何度噴火があろうと、何度でも甦る。エネルギーに満ちる美しき再生の島。[東京“真”宝島/東京都 三宅島]

東京"真"宝島OVERVIEW

三宅島といえば、言わずと知れた活火山の島。ならば三宅島は、噴火を前に為すすべもないのだろうか──訪れてみれば、そのイメージが大きな間違いだと気づくことでしょう。

春にはみずみずしい緑、秋には黄金のすすきが一面を覆う景色、青く澄んだ海と空、どこにいても耳に届く野鳥の声、豊かな自然に囲まれ穏やかに生きる人々。三宅島は人も自然も生き生きとした活力にみなぎり、訪れる人々を出迎えます。

それは繰り返す自然災害を乗り越えてきた人たちのパワーなのかもしれません。何度も甦ってきた自然の息吹なのかもしれません。しかしどちらであれ、三宅島を訪れた人は、過去の災害ではなく現在進行形の再生にフォーカスを当てながら、この島の魅力を目の当たりにするのです。

ここは美しき再生の島・三宅島。その力強いエネルギーは、訪れる人の心の有り様さえも変えてしまうかもしれません。

【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。

(supported by 東京宝島)

開店日は月に数日。シンプルな生き方を体現する、津軽の小さなパン店。[TSUGARU Le Bon Marché・パン屋といとい/青森県弘前市]

元々天然酵母のパン店だった場所を借り、「といとい」を営む成田氏。オープンと同時に人があふれる店を、ときに談笑しながら手際よく切り盛りする。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい

美味しいから、伝えたくなる。住宅街に人を呼び込む自家培養野生酵母のパン。

弘前市の中心地から少し離れた静かな住宅街。月に数日だけ、多くの人でにぎわう一画があります。昨年11月にオープンした「パン屋といとい」。店主の成田志乃氏がひとりで営む小さなパン店です。撮影しているとお客さんから「取材? ここのパン、美味しいよ」、「おすすめはぶどうパン。ほかのお店のものより、断然好きなの」と声を掛けられました。中には「色んな人から評判を聞いて、ようやく来られました」という人も。「やっとこの日が来た!」。キラキラしたそんな表情を見るだけで、この店がどれだけ愛されているかが伝わってきます。

ケースに並ぶ10数種類のパンは、どれも旬の果物や野菜から起こした自家培養の野生酵母、国産の小麦粉、有機栽培の穀物などを使い、しっかりと焼き込まれたもの。飾りっ気のないハードパンが次々と売れていく光景に、地方ではふわふわの食べやすいパンが主流だろうという先入観が吹き飛んでいきます。しかも印象的なのは、お客さんがみんな「天然酵母だから」「国産素材だから」よりも、何より「美味しいから来る」と口を揃えること。

「といとい」では店頭でも、公式SNSの書き込みでも、天然素材や国産素材へのこだわりついて、ことさら“安心・安全”を謳いません。そう、彼女の中でそれらの素材を使うのは、特別でもなんでもない、普通のことなのです。「贅沢なパンを作るのは、ほかの人に任せていいと思ったんです」と成田氏。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

小さいけれどとびきり居心地のいい空間は、友人たちの協力で作り上げた。「自分で誂えたものは、実は少なくて。本当にありがたいと思います」と成田氏。

「といとい」に並ぶのは、しっかりと目の詰まった重量感のあるパン。噛みしめるたび、奥の方から味と香りが湧いて出てくるような感覚を覚える。

秋から春はりんごの自家製酵母。そのほか梅、桃、ぶどう、柑橘類など、旬の果物から野生酵母を育てる。トマトやとうもろこしといった野菜や、花を使うことも。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい「毎日食べられるものを作りたい」。そんな想いが転機に。

「リッチで美しいクロワッサンみたいなパンとか、大好きでした」。そう語る成田氏のキャリアは東京から始まりました。専門学校卒業後、菓子や総菜も置くフランスのブーランジェリーさながらの店や、本格派ドイツパンを揃える店に5年ほど勤務。出身地である黒石市に戻った後は、弘前市で一、二を争う人気パティスリーのパン部門に就職し、正統派のフランスパンを焼くパン店でも働きます。

安定してパン製造に関わる日々はそれから10年近く続きました。が、店頭にたくさんの人が訪れるのを見るうち、ある考えが成田氏の頭に浮かびます。「みんな、日常的にリッチなパンやケーキを食べ過ぎじゃない?って。バターがたっぷりのクロワッサンは美味しいけれど、365日毎日食べたら体を壊して死ぬかもしれない。だったら私は、毎日食べてもらえるパンを焼いていきたいな、と。美味しいと感じるもの作るだけじゃない、食べてくれるお客さん自身にも責任を感じ始めたんです」と成田氏。店でリッチなパンを焼くかたわら、プライベートでは国産や有機の材料を探してみたり、果物から野生酵母を培養してみたり。今までしてきたことと真逆のパン作りの難しさはまた、成田氏を魅了しました。

「砂糖も牛乳もバターも、今は毎日いくらでも食べられる。そういうものをたくさん使った特別なパンは人に任せて、私はうまい具合にお客さんを“騙す”ことができれば(笑)」。ウィットに富んだ成田流の表現を体現するのが、原料の安心感よりもまず“美味しい”が先に来る、「といとい」のパンたちなのです。

現在使う小麦粉は北海道産、有機栽培の北米産が中心だが、最近は青森県産ライ麦(左)も使い始めた。パンに使う“あん”も、地元産小豆(右)で自ら炊く。

最初に成田氏を知ったのは、「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏の「“変態”なパン屋さんがいるよ」という紹介。いい関係を築くふたりだからこその褒め言葉だ。

クロックムッシュやフォカッチャなど、旬の作物をアレンジした限定パンも。「そのうち、すべての食材をオーガニックのものにしたい」と成田氏。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい「繋がりたい」から「繋げたい」へ。弘前に根を下ろす理由。

その後、1年の引継ぎ期間を経てパン店を退職することを決めた成田氏でしたが、「我慢できなくて(笑)」、独自に販売を始めます。中でも大きな機会となったのが、弘前のコーヒーショップ「時の音(ね)ESPRESSO」で開催した企画<パンナイト>。「ここは商売の地盤作りをしてくれたところ。店のスペースを貸し出し、たくさんの人にパンを食べてもらえる機会を作ってくれました。これきっかけに『自分のやりたいことは、弘前でも受け入れてもらえるかも』と考えるようになったんです。」と成田氏。

そしてこの<パンナイト>の後、成田氏に別の人気カフェから声が掛かります。成田氏が「憧れの存在だった」と話す「zilch studio」(現在は弘前市から青森市へ移転)。店のイベントでパンを使いたいという連絡が、成田氏にとって初めての外部からのオーダーでした。交流はさらに広がり、以前「津軽ボンマルシェ」でも紹介した『弘前シードル工房 kimoriや『KOMOなどと一緒にイベントに出店したりするうち、口コミで人気が広がった「といとい」。会場には行列ができ、開始早々に売り切れてしまうことも。そんな形態を3年続け行きついたのは、「そろそろ“ホーム”を持とう」という決意だったと成田氏は語ります。

「津軽人の気質なのかは分かりませんが、私も周りも『あの人素敵だな』、『何か一緒にやりたいな』と思うと、みんなすぐ会いに行くし繋がっちゃう(笑)。『kimori』の高橋さん、『zilch studio』の東千鶴さん、『KOMO』の岡さん、『時の音ESPRESSO』平野秀一さんみたいに発信力のある人たちともそうやって繋がれて、みんなに引き上げてもらったのが『といとい』なんです」と成田氏。移動販売のスタイルをやめ“ホーム”の店舗を構えた今、新たに見据えるのは、これからの「といとい」の役割です。「青森中の色々な場所でお世話になってきました。今度はその分腰を据え、私が人を繋げる側に回りたい」と成田氏は笑顔を見せました。

最近販売を始めた「トスサラダの素」は、満足のいかない仕上がりのパンを利用し、チーズやオリーブオイル、チリ、雑穀などとローストした商品。

店では「素のままproduct」の瓶詰めも販売。響きが印象的な「といとい」という店名は、“土のかたまり”を意味するアイヌ語から命名した。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい人生に“不必要”なものだからこそ、きちんとパンに向かい合う。

自身を「納得できないことはしないし、理由がないとできない」タイプと分析するだけあり、どんなことを聞いても、的確な答えを返してくれる成田氏。同時に「パンは人生を豊かにしてくれるけれど、必要不可欠なものじゃない。医療のように人の命は救えません。でもだからこそ理由を落とし込むことが大事だと考えています」と語ります。日々その理由を探り続けるパン屋という職業は、彼女にとって天職なのかもしれません。

取材中、小さな黒板の文章に目が留まりました。<自店舗でのタグ付けやめました>というその張り紙には、原材料詳細を記したタグの添付をやめる代わりにその労力を別に向けたいこと、でも希望者には渡せることが、成田氏らしい言葉で丁寧に綴られています。「これまでは、なるべく細かく説明したくてタグを付けていたんです。でも、最近はお客さんとの信頼関係ができてきたから、外していいかなと思って」と成田氏。

シンプルに営むことを続けてきた結果成田氏が得たのは、営業日が少なくても説明を省いても、自分のパンを食べたいといってくれるお客さん。津軽の小さなパン店は、商業主義のサイクルから軽やかに距離を置く、強く自立した店でもありました。そして素敵なのは、「美味しい!」という幸せな感情こそが、その自立の根幹であること。津軽へ行くなら、まずはぜひ、「といとい」の営業日をチェックをして。予定が合えばラッキー、あなたもきっと幸せになれるはずです。

さまざまなインフォメーションが書かれた小さな黒板。誰もが読み込むものではないだろうが、成田氏らしさが顕著に現れた部分でもある。

看板や店内に飾られたドライフラワーのアレンジは、知人のアーティストに依頼。ナチュラルな中に主張を感じる独特の雰囲気が、「といとい」の空間に馴染む。

住所:青森県弘前市城東中央4-13-10 MAP
不定期営業、11: 00~無くなり次第閉店
※営業日はInstagram、Facebook等で告知
https://www.instagram.com/panya_toitoi/
https://www.facebook.com/panyatoitoi/

グッドアートハリウッド×アイアンハート ベル柄ペンダントトップ

立体感の美しいペンダントトップ!

  • グッドアートハリウッドとのコラボ製品です
  • 表面にはアイアンハート定番のベルロゴを
  • 裏面にはクリストファーがデザインされています
  • 程よいサイズ感の為、単品でも重ね付けでも使えます
  • バチカン部分はグッドアートハリウッドのネームが入り、細部まで抜かりのない高級な仕様になっています
  • 厚みがあるので故躍動感・陰影がしっかりと表れております

サイズスペック

全長 厚み
40mm 250mm 5mm

素材

  • シルバー925

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  • 程よいサイズ感の為、単品でも重ね付けでも使えます
  • バチカン部分はグッドアートハリウッドのネームが入り、細部まで抜かりのない高級な仕様になっています
  • 厚みがあるので故躍動感・陰影がしっかりと表れております

サイズスペック

全長 厚み
40mm 250mm 5mm

素材

  • シルバー925

明治、大正にタイムスリップできる呑ん兵衛の憩いの場。[SHIMOIMAICHI HOPPING・叶/栃木県下小代]

ぴたりと閉じられた木戸の向こうはタイムスリップしたかのような空間。

下今市ホッピング・叶貴重な蔵出し品が目に楽しい街のお休みどころ。

日光街道と会津西街道が交わる下今市の要所に、とても気になる建物がありました。ぴたりと閉じられた木戸の中央には茶室のにじり口のような入口があり、よく見ると「OPEN」と書かれた札が下がっています。実はここ、創業1868年の味噌蔵で、現在は県内よりすぐりの味噌や醤油、不動産を取り扱う『日野為商店』。ルーツは滋賀県近江の日野町です。創業150周年を機に2018年7月にコーヒーやスイーツが楽しめる『お休み処 叶』を併設し、10月には試験的に夜の営業を開始。その翌月には酒場として本格的に機能しはじめました。

屋号を染め抜いた半纏でにこやかに迎えてくださったのは店主の内田隆氏。この商店を営む社長の従兄にあたる方で料理からサービスまで担っています。ジャズが静かに流れる店内を見回していると、「そこにトロッコの跡があるでしょう?」。内田さんが指さす先を見てみると、店内の床にトロッコの跡が。当時はトロッコを使って運搬しなければならないほどの生産量だったのでしょう。この他にも、火鉢席を囲むようにして寒さ厳しい冬に着たのであろう熊の毛皮や明治期の荷札、重厚な旅行鞄に番傘など、明治の頃の貴重な生活用品や蔵出し品が並びます。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

藍色に「叶」の文字を染め抜いた暖簾。味噌に醤油、甘酒や漬物も販売している。

『お休み処 叶』夜の部で腕をふるうのは店主の内田隆氏。

寒い時期に人気の火鉢席。その向こうには火消し半纏や重厚な金庫が。

下今市ホッピング・叶炙った肴でちびちび。締めは優しい味わいの温めんで。

「店内のリフォームは社長の奥さん(福田暢子氏)と私とでほぼ手作業で仕上げました。このテーブルも手作りなんです」と内田氏。テーブル席にはあらかじめ七輪がセッティングされており、エイヒレにアタリメ、油揚げにアスパラなど、呑兵衛的にはたまらない肴を自分で炙っていただくスタイルです。「エイヒレはマヨネーズに七味をつけて。油揚げはこの再仕込み醤油で食べてみてください。九州系のたまりのように少しトロッとしていて美味しいですよ」。この他、自家製焼き味噌や巾着納豆、しょうが味噌でいただく地元の北野屋商店特製の杉並木ノンボイルこんにゃくなど、素朴だけど食べ飽きず、酒がすすむ肴が揃っています。特に、「叶一(かのーいち)」印の晃山味噌の美味しさは特筆もの。ブレンドやしょうが味噌も、この味噌を使わないと味が決まらないそうです。締めは裁ち蕎麦か温めんを。玉子あんかけにした温かな素麺が、酒を飲んだ胃に優しくすべりおりていきます。

日本人の琴線に触れるラインナップもあってか、客は若いカップルから80代のおじいちゃんまで。その横で、家族と一緒に来たお子さんが甘味に夢中になっていることもあるそうです。メニューもあってないようなもので、店主のきまぐれでまかないの激辛麻婆豆腐を出すこともあれば、「こんなものが食べたい」といったリクエストに応えることも。「とはいえ、特に料理の修業をしたことはないんです。とにかく飲むことが好きで、東京に居た頃は銀座、新橋、赤坂、六本木周辺をうろうろ。調理や盛り付けはそのときに目で見て覚えました(笑)」。日本酒は『渡邊佐平商店の「清開」をはじめ、開当男山酒造のものを取り扱っています。実は男山酒造の当主は再従兄弟にあたる方だそう。以前は日光・鬼怒川・今市でも気軽に飲めた男山。現在、この地域では数軒の酒屋さんが扱うのみの希少なお酒となっており、ご年配のお客様のなかには「懐かしい」とちびちび飲む方も。内田氏はそんな言葉を聞くのが堪らなく嬉しいのだとか。

奥のベースは内田さんの私物。現在、ご近所仲間と練習中なのだとか。お披露目も近い!?

取材中「これが人気で」と、この笑顔で男山の辛口を出してくださった。

炭火で炙った油揚げに旨い醤油をひとたらし。それだけでご馳走になる。

「叶一」印の味噌を使った焼き味噌は酒がすすむ。「自家製焼き味噌」200円。

「おでん」300円。玉子、大根、杉並木ノンボイルこんにゃくは味噌をつけていただく。

「温めん」500円。玉子あんかけにした温かな素麺。締めに最適。

火鉢席で暖を取りながら、コーヒー(400円)をいただくのもいい。

下今市ホッピング・叶ゆくゆくはギャラリーや個室も。数年おきに訪れたい酒場。

現在、店舗と飲食スペースからなる『日野為商店』ですが、味噌を作る工場として使われていた奥は現在使われておらず、覗かせていただくと京都のうなぎの寝床のように奥行きがありました。「ゆくゆくは、奥の10畳を貸し切りの個室として利用して、予約のみ受け付けようかと考えているんです。テーブル席の横にある小上がりはギャラリーとして使えたら。蔵を探っていると、まだまだ貴重なものがたくさん出てきますので」。まるで生き物のように変貌していく時が刻まれた建物と食べ飽きない肴と酒。初めてなのに、こんなに穏やかな気持ちにさせてくれる酒場は、なかなか見つかるものではありません。

お昼のカフェは笑顔の素敵な暢子さんが担当。

「叶一」ブランドの味噌は元蔵みそや麹みそなど種類も豊富。コンクリートむき出しの部分がトロッコ跡。

県内の美味しいものを取り揃えている。お土産を物色しに出かけるのもいい。

奥まで続く敷地。昔はここで味噌を作っていた。

住所:栃木県日光市今市473 MAP
電話: 0288-21-0014
定休日:水曜日
営業時間:10:00~17:00、18:00〜22:00

天然鮎がとれる清流のほとりで蕎麦をたぐる。[SHIMOIMAICHI HOPPING・山帰来/栃木県今市]

屋根の傾斜やシンプルな構造により、背景に聳える里山と一体感がある。

下今市ホッピング・山帰来自家栽培、自家製粉、手打ちにこだわった珠玉の蕎麦。

下今市からクルマで20分ほど走った山間地にある小来川。山里の深い緑と清流に包まれたこの一帯は、全国屈指の蕎麦どころでもあります。蕎麦農家も多く、初夏になると畑一面が白い花に包まれ、それは見事だそう。そんな長閑な山里で目を惹くのは、蕎麦処『小来川 山帰来(おころがわ さんきらい)』です。山帰来とは蔓性の落葉低木のこと。ハート型の葉が特徴で、晩秋に真っ赤な実をつけます。花言葉は「休息」「不屈の精神」。その名のとおり、天然鮎が獲れるほど清らかなせせらぎのほとりで蕎麦をいただけば、最高の休息になること請け合いです。

『小来川 山帰来』では、自家栽培した玄そばを別棟で保存し、その日使う分のみを自家製粉しています。手打ちにこだわった蕎麦は十割と二八の2種。存在感のある十割蕎麦をはんなりと上品なつゆにくぐらせて口に運べば、蕎麦の香りがぱっと口中に広がり、鼻腔をも満たします。可憐な薄紫色の辛味大根を使った「辛味大根おろし蕎麦」は、みずみずしい蕎麦の喉越しの後から爽やかな辛味が追いかけてくる一品。日光名物の新鮮な汲み上げゆばの刺身を二八蕎麦の上に乗せ、さらにゆばの天ぷらを乗せた「ゆば蕎麦」も人気です。そんな蕎麦の美味しさを倍増させてくれるのは、山帰来や桜など、山間地の樹木を象嵌の技法で表現した器たち。すべて、益子の陶芸家・佐伯守美氏によるオリジナル作品です。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ログハウスの伝統的な工法の集大成ともいえる構造体。窓からは小来川が見える。

鮮度の高い挽きぐるみのそば粉を使用した「もりそば『山帰来』十割」1200円。

「辛み大根おろしそば」1300円。ツンとした爽やかな辛みがクセになる。

「ゆばそば(冷)」1500円。温ゆばそばもあり。大盛りは300円プラス。

「ゆばと季節の天ぷら」500円(奥)、「ゆばのおさしみ」500円。

自然から受けた感動を作品に込め、独自の世界を表現する佐伯守美氏の器たち。

「桜」を象嵌の技術で表現した佐伯氏の器。手に持った時の温かな感触も印象的。

蕎麦もつなぎも地元のものを使用。十割蕎麦は限定なので予約がベター。

元パティシエという細やかな感性を生かし、そば粉を練ってゆく。

別棟の粉挽き棟内に設けられた打ち場。職人の手作業を外から見ることができる。

下今市ホッピング・山帰来都会と里山を繋ぎ、地域を活性化させる『小来川 山帰来』。

オーナーの星野光広さんは、地域資源の活用や野生鳥獣被害対策支援など、街づくりのコンサルタント的会社の代表を務める人物。未来に小来川の集落を残すべく「山帰来プロジェクト」を展開しています。そのコアな活動が、食を通して都心と里山を繋ぐ『小来川 山帰来』なのです。建物や粉挽き棟に使用されているのは、樹齢80年以上の地元の杉。切りだした杉160本をハンドカットし、組み上げたのは、現代ログハウスの神様、アラン・マッキーの薫陶を受けた日本屈指のログビルダーたちです。梁に丸太を使用しているので骨太な印象ですが、漆喰と組み合わせることでしっとりと落ち着いた空間に。「地域活性化を謳った論文や書籍は多いですが、実践してみないと説得力がありませんから」と星野さん。この他、『山帰来』では敷地内にひいた清流で山葵を育て、調理師免許を持つ地元の若者を雇用して蕎麦職人として育成。付近の耕作放棄地約3haで蕎麦を栽培するなど、地域活性化の一端を担っています。

夏場は裏の小来川に渓流釣りやBBQを楽しむ方がいらして、それは賑やかですよ」と星野さん。

取材中、見かけたのはノスリだったか? 悠々と空を旋回していた。

下今市ホッピング・山帰来過疎地の隠れた宝に光をあて、地元を自立させる。

もともとご実家は畜産農家だったという星野さん。周辺の農家が次々に廃業するなか農家に転業。『山帰来』で出している辛味大根もご実家で作っているものです。一方で、大きな悩みも抱えています。「この辺りは鹿が多く、食害が深刻です。対策として電気柵の導入に踏み切りましたが、保持していくにもお金がかかります。しかし、国の補助金が出るのは5年間だけ。ですから、ゆくゆくは自立した形で鳥獣対策ができるよう自分達で炭を作り、商品化のうえ販売を考えているんです」。店からクルマで5分ほどいった山のふもとに手造りの素朴な炭焼き小屋がありました。一帯に只ひとり炭を焼くことができる方がいたそうで、みんなで炭焼きを教わったそうです。試験的に焼いたというさまざまな樹種の炭を打ちならしてみると、キンと澄んだ音が響きました。「庭の手入れが出来ないと嘆いている高齢者の方も多いので、そんな方々のお手伝いをする代わりに、炭の材料になる枝をいただくような仕組みも考えているところです」。先人の知恵を継承し、活用先や調達先を自分達で作りだせば、無駄のないサイクルが生まれる――。星野さんが考える地元の再生は、あくまで自立が基本です。

今回、店内を取材させていただくなかで真っ先に目についたのは、温かな炎が揺れる薪ストーブでした。その話をすると、「では次は薪を切るところをご覧になりますか?」と星野さん。先の炭焼き小屋とは違う方角にクルマを走らせること数分。ついた先には大ぶりの丸太がごろごろと転がっています。「この辺りの間伐材を薪にしているんです。毎日、相当量を使いますので、とても買ってなんていられません。薪を割るのも自分達です(笑)。チェーンソーを使うところなんて、なかなか見る機会はないでしょう?」。刃に詰まったチェーンソーオイルを取り除き、混合燃料を注入してスイッチを入れれば、青空に勢いよくブルン、ブルン、チュイィィィンという音が響きます。大地に種をまき、採れた実から蕎麦を作る。それに付随する作業も全て自分達で行う。その知識を身につけている星野さんを見ていると、こういうことが真に豊かということでは?と思えてなりません。

星野さんと周辺の農家の方々による手作りの炭焼き小屋。何でも作ってしまうバイタリティーに脱帽。

試作品の炭。全て手作業のため、形や大きさはバラバラだが、燃焼時間は抜群。

ログハウスの伝統的な工法の集大成ともいえる構造体と日本的な漆喰を組み合わせた。大きな窓からは小来川が見える。

チェーンソーの爆音が長閑な山間地の空に溶けてゆく。

丸太を切るための道具。「これを人力でやろうと思ったら大変です」と星野さん。

星野さんの後ろに広がるのは蕎麦の畑。初夏は蕎麦の白い花でいっぱいになるという。

住所:栃木県日光市 南小来川395-1 MAP
電話: 0288-63-2121
定休日:火曜日
営業時間:11:00~15:00
山帰来 HP:http://www.t-upc.com/sankirai/

世帯数40戸の里山に人を呼び寄せるイタリアンの新鋭。[SHIMOIMAICHI HOPPING・GLYPH/栃木県根室]

東京の荻窪と栃木の根室の2拠点生活の渡辺氏。「運転が好きなので苦にならないんです」。

下今市ホッピング・グリフ教員免許を3つ持つ異色の飲食店オーナー。

冬の寒さが厳しい今市はスケートをはじめウインタースポーツが盛んな街。市街にある今市青少年スポーツセンターにはスケートリンクが併設されています。そのほど近く、畑沿いの未舗装路の先に、口コミでじわじわ人気を集めている『GRYPH』というイタリアンカフェがあります。靴を脱いで店内に入ると広い窓の向こうに雑木林が広がっており、思わず深呼吸したくなるほど。荻窪でレストランを経営しながら、縁もゆかりもなかったこの地に2店舗目をオープンさせたのはオーナーの渡辺圭太氏。1年前のオープン当初は日曜のみの営業でしたが、少しずつ体制が整い、現在は日、月、火の営業となっています。

「僕は茨城の出身で、日光には小学生の頃に修学旅行で来たことがあるぐらい。ところが大人になってきてみたらなぜかこの辺りが好きになってしまって、年に数度は訪れていたんですね。一方、荻窪のお店が落ち着いて余裕が出来てきたので、今後どうしようかなと思っていたタイミングで、もともと蕎麦屋だったという安くていい感じの物件を見つけたんです。すぐに電話して、次の日に見に行き、1週間後には契約していました」。とにかく即断即決の渡辺さん。見た瞬間、ウッドデッキを作りたいなあと、カウンター、エントランス、バードウォッチング用の櫓まで自分たちで作ってしまいました。荻窪のお店も築60年の古民家を仲間と一緒にリノベーションしたそうです。

「もともと飲食関係の仕事をしようと思っていた訳じゃないんです。学生時代に教員免許を取ったんですけど、卒業してもまだ“人様の子供を預かる”ということがピンとこなくて。子供の頃から絵が好きだったので、一度きちんと絵の勉強をしないと後々悔いが残るなと思って美術大学に入りなおしたんです。学費のためにアルバイトをしたのが飲食店で、美大を卒業してもまだ先生って気になれなかったのと、物件を紹介してもらったタイミングが重なって、独立しちゃいました。教員免許を3つ持っているので、まだ先生になることを諦めたわけではないんですけど(笑)」。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

平屋の可愛らしい建物。高く掲げられたイタリアンの国旗が目印。

バードウォッチング用に建てた櫓だが、今はすっかり子供たちの遊び場に。

旅先で靴をぬいで食事をすることで、肩の力を抜いて寛ぐことができる。

メインダイニングの向こうに小鳥や小動物がやってくる雑木林が広がる。

下今市ホッピング・グリフ地野菜と武蔵野野菜をふんだんに使ったヘルシーイタリアン。

そんな渡辺氏が手がける料理はほっこり和めるイタリアン。現在はランチのみの営業で、ディナーは予約のみ受け付けています。ランチ時に供される大ぶりの前菜プレートにはさつまいものポタージュや白モツのトマト煮込み、キノコのマリネなど季節によって変わる7種ほどの前菜が盛り込まれており、ボリュームたっぷり。メインはお肉や魚、パスタなど5種ほどから選べるようになっています。使う野菜は地野菜をメインに、荻窪店で出している爽やかな辛みのルッコラなど武蔵野野菜も。逆にこの地で購入したものを荻窪でも出しているそうで、渡辺さんの2拠点生活を媒介に小さな循環が生まれています。

「パスタセット」ドリンクバー、サラダ、スープ、デザートがついて1,200円。

「グリフ日光セット」ドリンクバー、前菜プレート、デザートがついて1,500円。

盛りだくさんの前菜プレート。ランチビールやランチワインの用意も。

下今市ホッピング・グリフ今夏、レストラン併設のキャンプ場としても稼働。

実は渡辺氏、今年の夏にはここでキャンプ場を開く予定なのだとか。「この物件を借りようと思った動機の50%は森もついてくるということ。物件を見に来た時、アウトドアウエディングを企画している仲間のことが思い浮かんで、この広い敷地を使えば何かしらできるかなと思ったんです。まずは1日1組限定で、キャンプ場とレストランと隣の小屋を使いたい放題のプランを作る予定です」。自分達で整備したというキャンプ場は直火が使えるため、薪が爆ぜる音を聞きながらお酒を飲むといった贅沢な時間を過ごすこともできます。さらにキャンプ場以外の事業も進行中なのだとか。「デザインの仕事も少しずつ始めていまして。うちのスタッフにパンやお菓子を作れる子がいるので、別のスタッフを知り合いのデザイナーのところに派遣して、勉強してもらっています。ゆくゆくは自社パッケージのお菓子を作れたらと」。

レストランも、キャンプ場も、デザインも。3つの事業を擁するとなるととても大変な印象ですが、渡辺氏にはそんながむしゃら感を感じません。「レストランだからとか、キャンプ場だからという風にジャンルで分けて考えたくなくて、人が生活する上でこれがあるといいなという事業を作っていきたいと思っているんです。自治会長も『まさか、東京から若い男がやってきて、店を開くなんて思いもしなかった。よく、こんな40世帯しかない田舎に店を出してくれた』と喜んでくださって」。自治会長からは、店の目の前に広がる大豆畑にも「来年は好きなものを植えていいよ」と言ってもらっているそうです。

この店で働く3人のスタッフも地元の方。渡辺氏が必然的に雇用を作りだしたことになります。「最初からここに興味を持ってくれて、一緒にお店作りをしてくださる方って募集したんです。ウッドデッキとかもみんなで作って、半分みなさんの店にしてくださいって。何千万円もかけられる予算もないし、僕にはそれしかやり方がありませんから」。商売に関してあまり貪欲ではなく、常にニュートラルな渡辺氏。最後に店名に込めた意味を聞いてみました。「GLYPHって“絵文字”という意味なんです。まだ文字がなかったころ、ラスコーの洞窟とかに残されている絵文字を最初に描いた人って、描かずにはいられなかったってことじゃないですか。僕もそういう純粋な気持ちで仕事をしていけたらと思っているんです」。

キャンプ場用にテントの貸し出しも行っている。ワインを飲みながらの焚火は最高!

お店のロゴは風見鶏のマーク。美大出身の渡辺氏がデザインを手がけた。

アンティークショップで見つけたという風見鶏が青空に映える。

住所:栃木県日光市根室105 MAP
電話: 03-6383-5448(予約は荻窪店にて)
営業日:日曜・月曜・火曜 11:30〜L.O.14:30

人と人、人と場所を繋ぐコネクター的ローカルコーヒーショップ。[SHIMOIMAICHI HOPPING・日光珈琲 玉藻小路/栃木県今市]

玉藻小路に立つ風間氏。すれ違う人の肩と肩が触れ合うほどの小さな小路。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路3年に及ぶセルフリノベーションを支えた原動力。

今市地区の中心に位置する「道の駅 日光」。その裏手にある玉藻小路はドーナツ屋や花屋が居並ぶ味わい深い小路です。その最深部にあって、多くの人を惹きつけてやまないのが『日光珈琲 玉藻小路』です。木製サッシの窓から毀れる光、ノスタルジックな調度、穏やかな空間に流れるコーヒーの香り……オープンと同時に店内はこの空間を愛してやまない人々で満たされます。

この場所に惹かれ、自ら改装を手掛けたのは、県内で5店舗の『日光珈琲』を運営する風間教司氏。「僕は隣町の鹿沼出身なんですけど、今市に叔父がいて、ちょこちょこ遊びにきていたんです。昔は、ちょうど今お店がある裏手が飲み屋街で、子供心に『ここは大人の場所だ』と思っていました。その後、お店を1軒作ったあたりで、叔父から『あそこを駐車場にするために買ったから、建物を解体しようと思う。ついては建具やテーブルで欲しいものはあるか?』と連絡があったんです。その時、初めて中を見たんですけど、まるでお化け屋敷(笑)。どうやら昔は連れ込み宿だったらしい、なんてことを聞きながら辺りを物色していると、欄間にちょっとした飾りがついていたりして面白いんですよね。気が付いたら叔父に、『このまま貸してくれない?』と言っていました。それまで、もう1軒店を出すつもりもなければ、お金もなかったんですけど」

この日から3年間に及ぶセルフリノベーションが始まります。休日を使って埃を落とし、古い壁紙をはがし、床を張り替え……。「精神的にも肉体的にもしんどい時期はありましたが、発見のワクワク感が勝りました。例えば、ボロボロになった壁紙をはがすとその下から明治時代の荷札が出てきたりするんです。それが滋賀から日光へ届いた東照宮改修の道具だったりして」。そもそも今市は日光へ向かう日光街道、会津に至る会津西街道、中山道と繋がる日光例弊使街道と3つの街道が交わる交通の要所です。「今市は多くの旅人が交流を深めた宿場町。いろんな文化が融合してきた歴史を持っています。ですからここにもう一度、いろんな人が集い、交流する場所が作れたらという思いが芽生えてきたんです」

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『日光珈琲 玉藻小路』のエントランス。ツートンカラーの壁が愛らしい。

朝の陽光が差し込む開放的な店内はノスタルジックな空間。

店内はキッチンから流れ出るかぐわしいコーヒーの香りに満たされている。

地元民と観光客が同じ空間で思い思いの時間を過ごす。

小さな階段を上ったところにある半個室。市松模様の壁紙が目に鮮やか。

年季の入った梁と新しい構造がナチュラルに融和している。

過去にさまざまなルートを辿った旅人がのぼったであろう階段。

壁紙をはがしたあとに出てきた荷札などをそのまま残している。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路自然に広がっていくコミュニティーの中心に。

風間氏がこのお店を開いてから、次々に新しいコミュニティーが生まれています。「この小路にお店を出しているのは、別の場所でお店をやっていて、『2軒目を出すなら玉藻小路で』と言ってくれた元々の知り合いが多いんです。向かいの2階では僕より若い男の子がゲストハウスをやっていて、気付いたらウチのスタッフと仲良くなって、結婚していました(笑)。この場所がきっかけで、あとは自然発生的に繋がっていく。そういうのが面白いじゃないですか」

この日、店内奥の小部屋には「KENTA STORE」と書かれた黒板がさがっていました。なかには鹿児島の生醤油を使ったパスタソースや九州産の丸大豆を使った大豆バターなどが売られています。なぜ、栃木で鹿児島なのでしょう? 「この出張ストアを運営するヤマシタケンタさんは鹿児島の離島から鹿児島の美味しいものを発信している人。たまたまコミュニティーが広がっていく中で知りあいました。もちろんセレクトもいいし、人もいい。何より今市で鹿児島のものっていうのが面白いでしょう? 宿場ってもともとそういう機能があったのかなと思うし、現代においてもそういう部分を残していきたいんです」

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店内奥にあるショップinショップ。この日は鹿児島の美味しいものが大集結。

「ここで鹿児島の商品に触れた人が、鹿児島を旅するきっかけになれば」と風間さん。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路コーヒーを介して生まれた師匠と弟子の絆。

目に見えるものも、見えないものも。今市が持つ歴史に目を向け、現代に残すべく尽力する風間氏ですが、その肩書は珈琲焙煎士。「高校生の頃から喫茶店に行くのが好きだったんです。年齢も職業も違う人同士が趣味の話で盛り上がっている。そういう話ができるのが大人だなって。その後、バックパッカーとして世界を回るなか、どの国にもカフェがあって、人が集って、情報拠点にもなっている。カフェって世界中で親しまれる場所なんだなと改めて思ったんです。大学卒業後は普通に就職したんですけど、面白くなくてやめてしまって。大学まで出してもらった親の手前、バイトばかりもしてられないし、自分で店を持てば冷たい目をむけられないですむかなと地元で喫茶店を始めたんです。最初はどこかで修行するでもなく、ただ買ってきた豆でコーヒーを入れていました。そうすると、味にうるさいおじさま方が色々と教えてくださるんです」

コーヒーに夢中になっていくなか、風間氏はあるブログと出会います。「コーヒーについて書かれたその人の文章がいちいちすっと腑に落ちるんです。『一度会ってみたい』と思って軽井沢まで会いに行くと、『そんなに色々考えているなら自分で焙煎してみたら?』と。それから、休日は軽井沢に通い始めました。コーヒーってワインと同じで、作り手によっても、ブレンドによっても味が変わるんです。そうすると、これは男体山のイメージだなとか、自分なりの味が出来てくるわけです」。時を経て、自分で焙煎した豆を「日光珈琲」というブランドにしようと決めた風間さん。今でもその師匠とはいい関係が続いています。

ブランドを作る──。大きな決意を胸に、向かった先は男体山でした。「日光といえば男体山。だったら自分で焙煎したコーヒーを頂上で飲んでみようと、男体山の水を詰めたペットボトルと豆と道具を持って男体山に登ったんです。そこで味わったコーヒーが本当に美味しくて。でも地上に降りてくると、そこまでではないんですよね。あれは何だったんだろう?と考えるうちに、標高で沸点が変わること、使った道具に起因していることに思い至るわけです」。一度気になったら研究を重ねずにはいられない性分は、メニュー開発にも及びます。「スープカレーを出そうと思った時は札幌に1週間滞在して50軒ほどスープカレーを食べ歩きました。先日はクラフトビールの醸造を学ぶため岩手まで。スタッフにはよく、『また社長は思いつきでどこかへ行って』って言われるんですけどね(笑)」。そんな日光珈琲のスタッフは半分が県外出身。栃木に面白い業態のカフェがあると聞きつけ、近県からこの地に移住してくるそうです。

今年11月、風間氏の新たな挑戦が始まります。「ありがたいことにお話をいただいて、日光に2軒ほどお店を出す予定です。そのひとつが甘味とお茶のお店。コーヒーをやっている人間からみた日本茶ということで、ブレンドも考えてみたいですね。違う分野のものが合わさった時にどんな化学反応が起きるかと考えるとワクワクします」順風満帆にみえる風間さんですが、全てが成功しているわけではないとおっしゃいます。「実は昨年、京都にお店を出す話があったんですけど、最終的にまとまらなかったんです。これはまだまだ地元の掘り下げが足りないということなのかなと。自分が出来る範囲は限られていますし、全てが叶う場所も存在しない。だったら僕が作るカフェが、人と場所を繋げるコネクターとして機能すればいいのかなと思っています」

適正温度でドリップできるよう選ばれたケトルで丁寧にコーヒーを淹れる。

ステンレスのソーサーで供されるコーヒー。この質実剛健さがいい。

爽快な「木いちごソーダ」648円。ほんのり甘酸っぱい人気のメニュー。

鹿沼の豚、地野菜、地元の蕎麦粉を使った「さつきポークの具だくさんガレット」ドリンクセット1,600円。

「特製スープカレー」1600円。ドリンクとのセットは1950円。

クリームチーズのアイスを添えた「キャラメルシフォン」ドリンク付きで1080円。

地元のフルーツを使った「果実のタルト」ドリンク付きで1080円。この日はりんご。

日光連山が描かれた「リキッドアイスコーヒー」850円。側面を繋ぎ合わせると風景が浮かび上がる。

エチオピアのイリガチャフ地区のものなど焙煎した豆の販売も行っている。

「この後はかき氷用の氷を仲間たちと切り出しに行くんです」と風間氏。

住所:栃木県日光市今市754 MAP
電話: 0288-22-7242
営業時間:11:30〜20:00(LO./19:30)
定休日:月曜、第1.3火曜(祝日の際は翌日休み)
日光珈琲 HP:http://nikko-coffee.com/cafe

SNOOPY桜トート

皆さんこんにちは😃

桜の開花も目の前ですね。春になり気持ちもウキウキしますが・・春は門出・旅立ちの季節でもあります。合格
この度ご卒業を迎えた皆様おめでとうございます。㊗️🎉

今年最初にキャラ工房からのおススメの商品✨
可愛いサガラ刺繍のミニトート・トートバックをご紹介します。おねがい

  

お色は生成り・黒・ブルーの三色です。


内側に可愛い和柄のアクセントにあしらっていて内ポケットもあり機能的ですよアップアップ


ちょっとしたお出かけやランチトートにぴったり音譜音譜



縦長タイプもあります。ウインク


たくさん入るので通学・通勤バックなどにぴったりですよ。ウインク

倉敷にお越しの際は是非倉敷デニムストリートキャラ工房にお越しくださいね照れ

スタッフ一同心よりお待ちしておりますおねがい


音譜  お問い合わせ  音譜

倉敷デニムストリートキャラ工房

tel  086-430-3255

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スローライフの実際を体感し、新たな価値観を築く。白い宿が気付かせる、上質な暮らし。[白のMINKA/静岡県浜松市]

白のMINKAOVERVIEW

静岡県浜松市都田(みやこだ)。市内の中心から車で30分ほど、山間部に向かって北上したところにある町で、東西を貫くのは単線のローカル鉄道、天竜浜名湖線。なだらかな山の稜線も近くに望める、のどかなエリアです。

『白のMINKA』は、この町にある唯一の宿として、2016年11月にオープンしました。佇まいは日本の古民家風ですが、外壁は真っ白。そんな一軒家が二棟ある、この宿は外見からして、すでにコンセプチュアルなムードを漂わせています。

宿のある一帯は「ドロフィーズキャンパス」として整備されており、カフェやレストラン、インテリアショップ、ブックストアなどが点在。どこも、北欧家具やオーガニックフードといった、先鋭的なアイテムを扱っています。週末ともなると、多くの観光客で賑わい、「過疎の町だった」とは思えない盛況ぶりに驚かされます。

この宿とドロフィーズキャンパスは、地元の一企業、都田建設が手掛けています。宿が掲げるテーマは「日本文化の深化と北欧デザインの融合」。少し、難しく聞こえますが、そこには、上質なスローライフの在り方を提案する宿の姿勢がありました。
これは、晩冬の都田で取材班が感じ取ってきた物語です。

住所: 静岡県浜松市北区都田町10087番1 MAP
電話: 053-428-6111
白のMINKA HP:http://dlofre.jp/shironominka/

【お花見・東日本編】『ONESTORY』流、桜と美食をつなぐ旅。[2019年春、桜の旅。/食と桜]

毎年4月20日から5月5日(予定)に行われる「角館(かくのだて)の桜まつり」では、町内で様々なイベントが開催される。

食と桜江戸や京都から遠く離れた地で、その隆盛の息吹に触れる。

桜咲く名所に加え、『ONESTORY』が過去に取材したレストランから厳選し、ご提案する「桜と美食をつなぐ旅」。第2弾となる東日本編は、厳しい冬を乗り越え、雪解けを迎える東北・北陸地方を中心にお届けします。芽吹きの春、色彩は豊かに、味覚の幅もぐっと広がる季節の訪れを、目で、舌で味わう旅をお楽しみください。

在りし日の城下町の賑わいを今に残す武家屋敷が並ぶ、秋田県仙北市角館(かくのだて)町。江戸時代初期、京都に縁のあった角館初代所預・佐竹義隣(よしちか)や2代・義明の働きにより京都風の文化や地名が根づき、「みちのくの小京都」と呼ばれる風雅な街並みが生まれました。県下屈指の観光地に春の訪れを告げるのは、約450本もの「シダレザクラ」。見頃となる4月下旬から5月上旬には、白色と淡紅色の桜の花と武家屋敷が共演する、美しい景色が広がります。小京都の華やかな風情を楽しんだら、次は「粋」が息づく江戸文化を感じに、「JR角館駅」から秋田新幹線に乗り、秋田市街へ。繁華街から少し離れた住宅地の一角に佇むのが、日本で唯一とされる、正統派江戸料理を提供する『日本料理たかむら』です。料理長の高村宏樹氏は、今はなき江戸料理の老舗「太古八」にて料理長を務めた後、独立。数々の料理人や食通が認める俊英であり、JR東日本が運行する豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」で供される特製弁当を手がけるなど、名店の魂を受け継ぎながら、新たな挑戦を続けています。江戸や京都から遠く離れた地で、江戸時代が創り上げた隆盛、栄華に触れる、貴重な体験が、秋田の地にはあります。

▶詳細は、LANDSCAPE/「みちのくの小京都」と称される街並みと桜。歴史を重ねた情緒溢れる風景。
▶詳細は、RESTAURANT/スタイルは変えない、でも新しい。秋田で出会った、日本唯一の江戸料理店。            

「江戸料理はスタイル。“粋”であること。食べ方、飲み方、そして生き方に通じるもの」と高村氏。

朝市場で仕入れた山菜の女王“ひでこ”を使った天ぷら。現地でしか味わえない、旬の楽しみ。

食と桜地域の人々のために。揺るぎない思いがつながる。

日本の桜景色の代表格ともいえる、「ソメイヨシノ」の桜並木。地域の人々が春を楽しむ姿を想像しながら植樹した先人たちの優しい思いは、毎年可憐な花を咲かせる桜の姿と重なって、受け継がれ続けます。新潟県燕市に位置する『大河津分水(おおこうづぶんすい)』の桜並木も、そのひとつ。1922年、長年住民を悩ませてきた水害を防ぐ堤防工事の完成を記念して植樹された「ソメイヨシノ」は、現在はその数なんと約3,000本に。4月中旬には10kmもの区間に満開の桜が続き、水と桜の美しい共演が楽しめます。春めく分水堤防沿いから車で約40分。燕市とともに日本屈指の工業地域として知られる三条市で、揺るぎなき地元愛のもと、他業種も巻き込みながら地域を盛り上げているのが、『Restaurant UOZEN』のシェフ・井上和洋氏です。東京では今でこそ当たり前となったヘルスコンシャスなフレンチにいち早く取り組み、新潟に活躍の場を移した今では、野菜はもちろん、肉や魚を自身で調達することも。更にはこの地で出会った仲間たちと切磋琢磨しながら、包丁からインテリアにいたるまでメイド・イン新潟のアイテムを採用。世界に誇るクラフトの街で、独自のプレゼンテーションのあり方を追求しています。

▶詳細は、LANDSCAPE/豊潤な水辺に咲き誇る桜のアーチと、「分水おいらん道中」の艶やかな共演。
▶詳細は、RESTAURANT/LOHASブームの東京から新潟・三条市へ。海から、大地から掴み取った味を届ける。

開花の時季には「つばめ桜まつり 分水おいらん道中」を開催。時代絵巻を表現した「分水おいらん道中」は必見。

シェフの井上氏。新潟の海や山、自然の中へと食べ手を導く、滋味溢れる料理でたちまち評判に。

ゼラチンで濃度をつけたコンソメで海老をコーティングした「佐渡産ボタン海老のブイヤベース仕立て」。

食と桜熱い地元愛を持って、富山県の魅力を最大限に引き出す。

もうひとつ、人の手によりつくられた桜並木が織りなす絶景をご紹介しましょう。富山県下新川郡朝日町、日本海と北アルプスに面した自然豊かな場所に流れる『舟川』沿いの桜並木、通称「あさひ舟川・春の四重奏」です。両岸約1.2kmにわたって咲く約280本の桜並木は、1957年に地域の人々によって植えられたものとされ、現在では桜が開花する4月中旬に合わせて、名産のチューリップと菜の花を一緒に栽培。背後にそびえる残雪の北アルプスも相まって、4つの色彩による壮大な花のキャンバスが姿を現します。自然がもたらす色彩の調べを堪能した後は、アルプスの山々を横目に車に乗って北陸道で西へ。1時間ほどで富山市内へと入りますが、今回の目的地は市街地から離れた緑豊かな山あいの地。ラグジュアリーホテル「リバーリトリート雅樂倶」内にあるレストラン『L'évo(レヴォ)』がその場所です。シェフの谷口英司氏は大阪出身でありながら、富山の豊かな食材と文化、伝統に魅了されたひとり。アートを彷彿させる洗練されたフレンチであるだけでなく、郷土料理の力強さも感じさせる料理には、徹底した地産地消が貫かれています。更には器やメニュー、ファブリックにいたるまで、富山県内で活動する企業や作家の作品を厳選。地方創生がかかげられ幾年月。地域に根ざした店は数あれど、地域を深く愛し、その愛をつないでいる店はいくつあるでしょうか。そんなレストランこそが、地域の本質的な魅力を伝えることができるのです。

▶詳細は、LANDSCAPE/整然と美しい桜並木に加え、自然がもたらす鮮やかな色彩が目を楽しませる。
▶詳細は、RESTAURANT/深い海、高い山、豊かな自然、伝統工芸。富山こそ料理人が、最高に輝ける場所。

『舟川』の桜並木。残雪の山々を仰ぎ、花々のキャンバスが広がる絶景は、「この世の楽園」とも言われています。

「食材の持ち味を引き出すのは料理人の責務」と語るシェフの谷口氏。富山の魅力を伝えることに人生をかける。

アミューズ(写真は3人分)。個性的なフォルムの器に負けぬ存在感を放つ料理は全て富山の食材。

食と桜地域の中でひっそりと。印象的な存在感を放つ。

一本桜が数多く存在する岩手県にあって、隠れた名勝と名高い『上坊牧野の一本桜』。開花は5月中旬〜下旬、しとやかな風情を醸し出す「カスミザクラ」の淡い桜色と残雪の『岩手山』の美しい共演は、人々の目を大いに楽しませ、心を癒します。そんな印象的な存在感を放つ一本桜のように、凛と咲き、誠実な姿勢で人々を幸福へと導くのは、岩手県遠野市にある『とおの屋 要(よう)』の佐々木要太郎氏です。岩手山麓より南へ車で約1時間40分、河童伝説や座敷わらしといった民話が伝わる地でひっそりと、国内外の料理人や酒販関係者らがこぞって賞賛する独創的な料理を提供しています。佐々木氏は遠野市初の宿「民宿 とおの」に生まれ、お父様とともに民宿を盛り上げた後、2011年に自身の力だけで勝負する場を、と考えて和のオーベルジュ『とおの屋 要(よう)』をオープン。住民の知恵が育んだ保存食や、自家栽培の無農薬米から醸造するどぶろくなど、遠野の時間と気候、風土までを味わい尽くすディープな食の体験は、まさに「唯一無二」です。

▶詳細は、LANDSCAPE/儚いカスミザクラと残雪の岩手山がつくる、優しい、絵画のような景色。
▶詳細は、RESTAURANT/自家製発酵料理×自家醸造どぶろく。『要(よう)』でしか味わえない遠野キュイジーヌ。

「カスミザクラ」の名の由来は、遠くから見るとぼんやりと霞(かすみ)がかかっているように見えることから。

21歳の若さで遠野に戻り、どぶろく醸造のキャリアは14年に。供される料理は仕込みから仕上げまで、佐々木氏がひとりで行う。

「秋の終わり 冬の始まり」 地鳥 山栗 アマレッティ 花穂。佐々木氏曰く「鶏刺しの『要(よう)』的表現」。タラの芽の塩漬けと栗、アマレッティと花穂しそを添えて。

食と桜独創的な景色と食と。新たな驚きに出合える旅。

「桜と美食をつなぐ旅」東日本編の最後は、独創的な桜景色と美食の旅をご紹介します。山形県の英雄、伊達政宗生誕の地であり、古くは5氏の大名が居城したという『米沢城』。その城跡に整備された『松が岬公園』では、4月中旬から下旬にかけて約200本の「ソメイヨシノ」が開花します。かつては上杉家の城主のみが渡ることを許されていたという『菱門橋』や、上杉謙信を祀る『上杉神社』、上杉家伝来の品々を収蔵する『稽照殿(けいしょうでん)』など、敷地の中には上杉氏の栄華を偲ばせる華やかさがそこかしこに。米沢の地と人が歩んだ歴史に思いを馳せ、ゆっくりと景色を楽しんだら、米沢市の中心部から東北道を約50km北上し、1時間10分ほどのドライブを経て山形市内へ。ここで体験できるのは、イタリアンに欠かせない「ハム」。シェフの佐竹大志氏がイタリアでの修業時代に学んだ本場のハム作りに独自の手法を加え、山形の風土に合わせて育てるそれらは、圧倒的な種類の多さだけでなく、味や風味も幅広く、次々と新鮮な驚きをもたらします。日本中からその味を求めて人が集まる「ハムずくめ」の店、山形に来たならば必ず訪れたい名店です。(文中には諸説ある中の一説もございます。)

▶詳細は、LANDSCAPE/四方を堀で囲まれた城跡ならではの水辺を、約200本の桜が鮮やかに染め上げる。
▶詳細は、RESTAURANT/ハム、ハム、ハム、ハム…。これでもかと自家製ハムで攻め立てる。不器用シェフの特化型イタリアン。

堀の延長は約800m。水辺が美しく、『菱門橋』の赤い欄干が、桜の季節にはよりいっそう印象的に映る。

シェフの佐竹氏。地元の山形へ戻り独立し、独自の道へ。不遇の時代が長かったというが、今やイタリアンの巨匠たちからも認められ、ハム作りの第一人者に。

切りたての薫り高いハムに心を奪われる。圧倒的な種類とボリュームは衝撃的。

たゆたうように、建物の歴史と人の営みをつなぐ宿。[滔々/岡山県倉敷市]

自然の素材で作られた建物は、年月を重ねるごとに趣を増す。

滔々約100年の歴史と記憶が刻まれた倉敷の町家。

滔々。豊かでよどみなく、水が流れるさまを表す言葉です。建物と場所に宿る歴史を力強く、次の世代へつなげる。そんな意味を込めて、この宿は名づけられました。

岡山県倉敷市の美観地区、大原美術館の南側。土蔵造りの白壁が並ぶ町並みに溶け込むように、『滔々 倉敷町家の宿』はひっそりと佇んでいます。ここは、築約100年の町家を活用した宿泊施設&ギャラリー。木造2階建ての建物は一棟貸しの宿で、隣接のコンクリート2階建ての近代的な建物がギャラリースペースです。

山の上から倉敷を見守る総鎮守、阿智神社へと続く坂道。

白壁と瓦屋根が特徴的な『滔々』。

滔々場所を愛し、ものづくりを尊ぶ。その想いとともにバトンを受け取った。

宿として改修した町家はもともと民家で、30年以上にわたって作家の手仕事を大切にし地元内外から愛されてきた『クラフト&ギャラリー幹』の貸しギャラリーとして使用されていました。2017年4月、オーナーの三宅幹子氏が事業を退くことを決意。岡山市内の不動産会社、菱善地所有限会社の宮井宏社長に「この建物と場を託したい」と相談しました。宮井氏は、毎年5月に開催されるクラフト作家の祭典「フィールド オブ クラフト 倉敷」の実行委員長を努めており、岡山を中心に全国のクラフト作家とのつながりも多いことから、この宿を手工芸をコンセプトとした宿泊施設にするプロジェクトを計画。建物と三宅氏の想いや歴史を引き継ぎ、次の時代につなぐ「場」とすることを目指しました。

エントランスの土間は吹き抜けになっており開放的な空間。

高橋氏によるソファや、田澤祐介氏によるローテーブルが建物になじむ。

滔々人が、時が、通過した「証」を残して。

コンセプトは、「豪奢ではないが良質であること、人の意図や配慮が感じられること、年月を重ねるごとに趣をましていく素材を用いること」。建物は築後数十年の間に、住む人が代わり、使い方が変わり、幾度か改修を重ねられた跡がありました。きちんと製材されていない曲がった柱や、漆喰で仕上げられていない土壁。そういった庶民の生活の場であった記憶を失わず、現代の快適さも兼ね備えた空間をつくり上げることを念頭に、設計は倉敷の建築事務所『TT Architects, Inc.』の高吉輝樹氏、施工は倉敷木材株式会社と、地元のチームで改修が進められました。

観光地だが裏道にあり、通りはひっそりしている。

滔々確かな手仕事で、作りつけられた家具たち。

特徴的なのは、家具は全てオーダーメイドであるということです。「眠りを誘うソファ」というオーダーのもと生まれたリビングの「futon sofa」は、『さしものかぐたかはし』高橋雄二氏の作。クッション部分は名古屋の『丹羽ふとん店』の綿の布団、張り地はデンマークのクヴァドラ社のウール100%、木部は広島県産の山桜を使用しています。またオーディオチェストは北海道の木工作家・内田 悠氏が蝦夷桜を用いて造ったもの。キッチンの桜のカウンターは倉敷木材の板蔵から選定、『さしものかぐたかはし』高橋氏のデザインによって設えられました。どんな家具がこの建物に合うのかを、素材やフォルムから一つひとつ考え、クリエイターの力を結集させて作りました。

他にも、吹き抜けのランプシェードは伊藤 環氏(岡山)、土間の備前焼のスツールは森本 仁氏(岡山)、備中和紙を使った床の間の壁紙は丹下直樹氏(岡山)と、地元を中心とした全国の作家がこの宿のために誂えたインテリアや建具に囲まれ、まるで宿一軒が工芸美術館のようです。

キッチンの食器やカトラリーもギャラリーで購入可能。

滔々旅人と地域をつなぐ2つのギャラリー。日常であり、非日常でもある場でありたい。

ギャラリーは2つあり、「滔々 gallery 1」は宿で使用している作家の作品を展示販売。「上質で、贅沢すぎず、日常使いできるもの」を意識し、手の届きやすい価格帯の器や雑貨をセレクトしています。企画展も行い、全国の手仕事を紹介しています。
「滔々 gallery 2」はレンタルギャラリーとして、地元作家を中心とした展示を行っています。

宿とは雰囲気が違い、スタイリッシュなデザインのギャラリー。

「何かいいものあるかと思って」と気軽に立ち寄る近所の人も多いという。

滔々日常であり、非日常でもある場でありたい。

『滔々』は宿でありギャラリーという2つの要素を持つ施設ですが、「地元の方にも開かれた場所でありたい」とマネージャーのァースト理恵氏は話します。「一棟貸しの宿なので、特別な日に仲間と集まって心おきなく語らったり、夫婦の記念日にのんびり寛いだり。また、ギャラリーも気張らない空間なので、散歩がてらに覗いてもらえれば嬉しいですね」と話します。

5月には新たに、1~2名で利用できる宿泊スペースを設ける予定だとか。30年の間、人と人、人とものが出会う空間だった場が、これからは人が安らげる場としての機能も持ち、更に次の時代へとつながる。この宿に滔々と受け継がれるもの――それは歴史であり、記憶であり、「縁」でもあるといえるでしょう。

シンプルだが、丁寧に作られた作品が並ぶ。

ぬくもりのある佇まいに、「ただいま」と帰りたくなる。

住所:岡山県倉敷市中央1丁目6-8 MAP
電話:086-422-7406
料金:平日1名1万1,600円~1万9,720円
滔々 HP:https://toutou-kurashiki.jp/
写真提供:滔々
撮影:杉野圭一、森本美絵

北国の暮らしに寄り添う家は、複雑なパズルを解いたその先に。[TSUGARU Le Bon Marché・蟻塚学建築設計事務所/青森県弘前市]

物静かで落ち着いた印象の蟻塚氏だが、実は野球部出身の体育会系。高校では「ひろさきマーケット」代表・高橋氏とチームメート。その縁で、高橋氏の店の設計を多く手掛ける。

蟻塚学建築設計事務所津軽から南へ。カープ好きの少年は広島を目指す。

津軽から南へ。カープ好きの少年は広島を目指す。
日本有数の豪雪地、津軽。厳しい気候条件の中、人々の生活を包み、守るのが住宅です。北国ならではの工夫が建築物にも求められるここ津軽で、地元に根差し活躍する弘前出身の若手建築家がいます。『蟻塚学建築設計事務所』代表・蟻塚 学氏。2012年に日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した個人邸「冬日の家」と、2016年に再び同賞を受賞した「地平の家」は、建築専門誌にも取り上げられ注目を集めました。

蟻塚氏が建築家を志したのは、意外にも早く小学生の時。といっても、「自宅の改修に来た大工さんが高倉 健さんのような人で。寡黙で男らしい仕事ぶりに、格好良い!と痺れちゃって」という無邪気な憧れからでした。高校で進路を決める際は、なんと大好きな広島カープの地元という理由で、広島大学へ。「このあたりから建築学部へ進むとしたら、普通は北海道大学か東北大学の工学部。だから推薦枠も空いていたんです」と蟻塚氏。一見物静かで生まじめな印象だった蟻塚氏ですが、どうやら思っていたより情熱的。そういえば津軽弁には「やってまれ」(標準語で「やってしまえ」)という言葉があるそうですが、これが「やってまれ精神」なのでしょうか。

しかし「行っちゃえ! 広島」の勢いでやって来たカープの街は、実は建築家の街でもあったそうです。「建築学科のある大学が6つもあって、巨匠のような建築家も多いんです。個人のお客さんでも、若手に頼みたいという人がいっぱいいて、独立したばかりの建築家が活躍できる土壌がある。運が良かったと思います」と語る蟻塚氏も早くから独立を見越し、広島の建築設計事務所へ入所。晴れて6年後に独立を果たします。が、せっかく条件のいい広島にいるにも関わらず、「でも」と話す蟻塚氏。「広島に住み始めた時から、ずっと地元・弘前に帰りたいと思っていました」と続けます。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

書類を送る際の封筒や図面の端にちょこんと押されるアリのマーク。ふと和んでしまうこんな遊び心に、蟻塚氏の人柄が滲む。

事務所の外壁を見ると、様々な素材が使われているのがわかる。「実験住宅」と命名されたこの場所では、名前どおり、建材などの実証実験を行って提案に生かしている。(Photo by Akira Misawa)

蟻塚学建築設計事務所各地を回ってようやく気付いた、地元・弘前の心地よさ。

弘前には仕事がないだろうし、帰らない方がいい。一度東京に行ってみたらどうか。多くの人からのそんな助言があっても、蟻塚氏がUターンを決めた理由。それは、離れてみて初めて気付いた地元・弘前の心地よさでした。「学生時代、日本各地や海外に行って様々な街を見た時、弘前は全然負けてない、むしろいいじゃないかと思えたんです。コンパクトで趣きがあって、ここにしかない文化もある。一方で商店街が寂れてきたと聞いてさみしい気持ちもありました。『仕事は何とかなるだろう』と、心地よさという自分の感覚を優先したんです」と蟻塚氏。「やってまれ精神」、再び。弘前へ戻ったのは2008年、28歳の時でした。

当初、仕事は閑古鳥が鳴く状態だったそうですが、蟻塚氏は徐々に「地域の中の建築家の在り方」について考え始めます。例えば、地元のNPO法人が主導した駅舎のプロジェクト。田んぼのど真ん中、りんご畑と岩木山を望む場所にある弘南鉄道の無人駅・柏農(はくのう)高校前駅を、地元の人々と一緒に綺麗にするという内容でした。「このあたりの人には当たり前だけど、他にはなかなかない素晴らしいロケーション。『蟻塚くん、設計やってるの? じゃあ、塗装の色選べるの?』という感じで依頼されて(笑)、すごくローカルでお金にもならないけれど、みんなで一緒に場所を作っていくのが本当に楽しかったんです」と蟻塚氏は話します。

それまで広島でやってきたのは、「クライアントに自分の作品を売り込む」仕事。津軽に戻った蟻塚氏は、駅舎のプロジェクトなどを経て、地方で生きる建築家として違うアプローチがあるのではと気付き始めたといいます。

天井に壁紙を貼り、壁を塗り替えた。収益のないボランティア活動だったが、ローカルコミュニティの中で建築家が担う役割について教えられたと蟻塚氏。

天井に壁紙を貼り、壁を塗り替えた。収益のないボランティア活動だったが、ローカルコミュニティの中で建築家が担う役割について教えられたと蟻塚氏。

蟻塚学建築設計事務所デメリットがメリットになる。行きついた北国ならではの形。

転機が訪れたのは、前述の「冬日の家」を設計した時のこと。それまでの営業スタイルとは違う、「作品を売り込まない」設計に挑戦したのがこの物件です。「クライアントの説得のため、わりと嘘というか、大げさにメリットを伝えがちなのがずっとジレンマで。クライアントの言うことを全部聞いたらストレスがないんじゃないかと思ったら、本当にストレスがなくなったんですよ。条件を全部クリアした上で格好良いものを作ろうとしたら、すごく感動してもらえて。賞を受賞して雑誌に載るなど評価も頂き、あの物件を境に世界が変わりました」と蟻塚氏。

寒さや雪といった北国の気候条件に挑戦したのが「冬日の家」。施主の希望を踏まえた上で蟻塚氏が提案したのは、大きなガラス窓が印象的な平屋でした。熱を逃がしてしまうため、通常北国ではデメリットとされる大窓。しかし蟻塚氏は「広島ではいくつもガラス張りの建物を作っていたのに、こっちだと避けられるのが悔しくて」と、建物の南面に二重のガラスで遮ったサンルームを設けることで問題を解消します。冬は採暖だけでなく、洗濯物の物干し場や、ふっとひと息つくためのリビングに。夏は開け放てば通風口に。デメリットをメリットに転換させたアイデアであるサンルームは、蟻塚氏の代名詞となりました。

大きな窓はまた、津軽の四季の美しさを家の中まで届けてくれる存在でもあります。しんしんと雪が降る事務所の外の景色を眺めながら、蟻塚氏は「暗いイメージの雪国ですが、実際は光が雪に反射して明るいでしょう? 一番暗いのは12月、雪が降る前。でも降った途端周囲がすごく明るくなる、そんな劇的な空間の変わり方も、津軽らしくていいなと思うんです」と話しました。

ちょうど右端の寝室部分。サンルームの機能も採用当初に比べ多様化し、向上しつつあるそう。(Photo by 阿野太一)

「冬日の家」内部。サンルーム部分のガラス窓を開けると、リビングがそのまま庭側へ拡張され、開放感のある子供の遊び場となる。(Photo by 阿野太一)

その後、多くの物件でサンルームを取り入れている蟻塚氏。この模型で示すと、ちょうど右端の寝室部分。サンルームの機能も採用当初に比べ多様化し、向上しつつあるそう。

蟻塚学建築設計事務所名実ともに津軽に根差す、若手建築家のこれから。

北国における建築の制約は、特殊な気候条件のみならず。全国的に見ても所得額が低い青森県では、コストを抑えることも大きなテーマです。「そこはもう工夫するしかなくて。でも制約がある分、経験値は上がります。すごく複雑なパズルを解いているようで、楽しさもあるんです」と蟻塚氏。色々な物件を手がけてパズルの攻略を続けるうち、やはり自分は津軽の建築家だという意識が強くなったそうです。

蟻塚氏が故郷・津軽を最も強く感じた物件は、2014年に「グッドデザイン賞」も受賞した、りんご畑に佇む「弘前シードル工房 kimori」。蟻塚氏曰く「やっぱり、りんごは津軽の象徴ですから。青森に帰る前から、りんご畑というロケーションで何かやりたいと思っていました」。ちなみに、「弘前シードル工房 kimori」内に置かれたテーブルやスツールは、蟻塚氏が弘前市内のアート関連のNPO法人を通じて知り合った、家具工房「Easy Living」代表・葛西康人氏に依頼したもの。更に最近では、りんご木箱のメーカー「キープレイス」代表・姥澤 大氏、葛西氏との3名で、木箱を再活用する家具プロジェクト「又幸」を始めるなど、津軽エリアに根差した活動を精力的に続けます。

目下の大仕事は、津軽の海の顔となる大型の建築物。青森港新中央ふ頭に完成予定のクルーズ船ターミナルです。「この規模を手がけるのは初めて。ボロボロになりながらやっています」と笑う蟻塚氏ですが、故郷に帰って丸10年、蟻塚氏の存在は既に、地域の若きキーパーソンのひとりとして知られているようにも思えます。「青森に限らず、色んな場所の仕事をしていきたい」と語る蟻塚氏。でもきっと、津軽が蟻塚氏を放っておかないはず。日本や世界が注目する名建築が、この地に誕生する日も近いかもしれません。

弘前シードル工房 kimori」。代表・高橋哲史氏のことを「すごく想いが強い人」と表現する蟻塚氏。その想いに寄り添うような包容力を持つ建築を造り上げた。

雪の降る中庭を事務所内から眺めて。蟻塚氏に言われ、津軽の雪景色は明るいことに改めて気付く。大きなガラス窓が、四季の移ろいを屋内に届ける役目を果たしている。

住所:青森県弘前市南城西2丁目1-9 MAP
電話:0172-88-5620
蟻塚学建築設計事務所 HP:http://www.aritsuka.com/

大谷川の伏流水と地元の米で作る生粋の地酒。[SHIMOIMAICHI HOPPING・渡邊佐平商店/栃木県下今市]

渡邊康浩氏。外国人観光客の酒蔵見学も受け付けているそうで英語もペラペラ。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店扇状地によってろ過された清らかな水を使って。

標高400メートルに位置し、日光連山から吹き下ろす風で夏も涼しい今市。このエリアを上空から見下ろすと、見事な扇状地になっています。岩や石が堆積してできた扇状地は水はけがよく、蛇行しながら流れる大谷川(だいやがわ)の水は地下に染み込んで流れています。この清らかな伏流水と冷涼な気候を生かしながら、1842年の創業より実直に日本酒を造り続けているのが渡邊佐平商店です。蔵に併設されている店舗のすぐ脇には小さな水車があり、豊かな水が流れ出ています。「そもそも、杉がよく育つ場所にはいい酒ができると言われているんですよ」と、代表の渡邊康浩氏。確かに日光へと伸びる杉並木は約37キロに及び、世界一長い単一樹種の並木としてギネスにも認定されています。

酒蔵に入ってすぐに渡邊氏から普通の米と酒米を見せていただきました。特に「純米吟醸日光誉」は今市の農家に特別にお願いして作ってもらった五百万石を使用。この他の酒も純米酒にこだわり、醸造アルコールや糖類は使わず、目指す酒質によってできるかぎり県内産にこだわった良質な酒米を使っています。杜氏は岩手県出身の南部杜氏。純米酒のよさを知りつくした職人で、ここに務めて20年以上。その指導のもと、岩手と地元の蔵人が丹精込めて酒を醸しています。

次に普段は蔵人しか入れないという酒母室へ。入口には紙垂を取りつけた注連縄がかけてあり、酒造りに作用する全ての菌への敬意が伝わってきます。「いま、いまここで仕込んでいるのは古代米を使った『朱』というお酒のもろみ。特別純米のにごり酒とブレンドする予定です」。温度管理が重要という酒母室には暑過ぎたり、冷え過ぎたりしないよう、扇風機やストーブまで置いてありました。仕込まれたもろみはもろみタンクに移し、およそ20日から30日間発酵させます。「耳を近づけてみてください。音が聞こえるでしょう?」。にこにこ顔で促されて耳を寄せると酵母の奏でる微かな音が。渡邊氏は時折、音のサンプリングを行い、タンクのなかの状態をチェックしているそうです。

そんなもろみタンクの中を見せて頂くべく、酒蔵の2階へあがりました。壁には杉の間伐材が貼られており、蔵のなかの温度を一定に保っています。床のところどころに八角形の穴があり、そこからタンクの中身が見えるようになっています。「これは、日本酒用の麹と酵母を使ったウチの焼酎です。よかったらかきまぜてみますか?」。櫂棒を受け取り、タンクの中をひとかきしてみます。ふつふつと盛り上がるもろみの上面を見ていて、つくづくお酒は生き物なのだなと感じました。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

大谷橋から日光連山をのぞむ。大谷川は扇状地にある川らしく、水量が少ない。大きめの石がゴロゴロしていた。

長い杉並木。このなかには戊辰戦争の時に砲弾を撃ち込まれた杉や桜が咲く桜杉など名物杉が混ざっている。

大吟醸用に45%まで磨いた山田錦と普通に精米したこしひかり。ここまで粒の大きさが変わるのかと改めて。

磨かれた流暢な説明。そのことからも酒造りに対する熱い思いが伝わってくる。

広々とした酒蔵の2階。穴の空いているところからタンクの中の発酵具合を確認できる。

櫂棒をタンク内に入れて見本を見せてくれる渡邊氏。鮮やかな手つき。

日本酒用の麹と酵母を使ったマイルドな地酒焼酎「日光誉」。発酵が進んでいる。

ずらりと並んだタンクに近寄って耳を澄ませると、酵母が奏でる音が聞こえる。

古代米を酒母タンクにいれ、もろみを仕込む。ほんのり赤みのついた酒は祝いの席で重宝される。

酒蔵の2階に設えられた立派な神棚。渡邊氏は毎日ここで手を合わせている。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店お酒もオーディエンス? 酒蔵でジャズコンサート。

実は渡邊氏、少しでも多くの人に酒蔵の仕事ぶりや日本酒について知ってもらおうと、8年前から春か秋に酒蔵でコンサートを開いています。「うちは11月から3月までが仕込みの時期なのですが、ちょうど発酵が終わったぐらいの時期に蓋をしめまして。昨年はピアノトリオによるジャズコンサートを行いました。60人ぐらい入ったのかな。この杉の壁がちょうどいい具合に反響するらしく、お客様にも演者の方にも喜んでいただきました」。もしかすると、タンク内で音楽を聞いていたお酒たちも喜んでいたかもしれません。

ピアノ、ベース、ドラムのトリオで行われたジャズコンサートの様子。(渡邊康浩氏撮影)

場所は道の駅・日光の向かい。100年以上前に建てられた建物部分が店舗になっている。

水車で汲み上げた伏流水。今市は兵庫県淡路島に並ぶ線香の産地で、酒蔵から車で5分ほどの杉並木公園では多くの水車が見られる。

背中に刻まれた「日光の地酒蔵」の文字に蔵人の矜持を感じる。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店ちばてつやが惚れこみ、作品に登場させた「日光誉」。

発酵が終わったもろみを絞って酒と酒粕に分離すれば香り高い新酒のできあがりです。この状態の生酒を62度から65度で加熱して火入れを行い、貯蔵タンクで熟成させればまろやかな味わいの日本酒に。土地の名前を冠した「日光誉」の純米吟醸は、舌触りなめらか。低温長期発酵の吟醸作りのため、香りがよく、喉ごしもすっきりしています。『あしたのジョー』でお馴染みのちばてつや先生もよく召し上がっているそうで、相撲マンガ『のたり松太郎』にも「日光誉」が登場するほど。「自然醸 清開」は取材中、市内のさまざまな飲食店に置かれていた純米酒。いつの間にかなくなってしまう飲み飽きないタイプの食中酒で、冷も燗もいけます。

渡邊佐平商店ではお酒を使った今市の名産品を生みだすべく、地元の菓子店とのコラボ商品も開発しています。「清開」の酒粕を使ったバームクーヘン「清開棒夢」をいただいてみると、しっとりした口あたりと高貴な香りに頬が弛みます。「酒粕の風味を出すのに相当苦労したようです」と渡邊さん。この先、栃木の新しいお米「夢ささら」を使った「日光誉」をリリース予定の他、海外への輸出にも力を入れています。愛する今市の風土が育んだ純米酒をより広くアピールすべく、渡邊さんの挑戦は続いていきます。

お話を伺いながらふと店舗内を見ると、3組の美しい平盃が目に留まりました。盃にはそれぞれ雪の男体山、桜、月が描かれています。「この盃は画家の中村豪志氏とひろみ氏のご夫婦に描いて頂いたものなんです。中村先生は熊本の方なのですが、たまたま今市にいらした時に車が故障したそうで。待っている間、見上げた日光連山がよくて、こちらに越してらしたんです」。感性豊かな画家をも魅了する美しき日光連山とその地より流れ出る伏流水。地元の米とそこにいきる人々と。どのパーツが欠けても生まれないこの酒こそ、生粋の地酒といえるでしょう。

日光山麓(晃麓の里)の水田で作られた五百万石を使用して醸す「日光誉」。

徳利詰めの「きざけ 日光誉」。飲み終わった後の徳利とぐい呑みが使えるのも嬉しい。

店舗には酒や焼酎のほか、酒器の販売も。SNSで話題を呼んだうぐいす徳利もある。

SEIKOが精工舎だった時代に造られた大きな柱時計。この場所で長く時を刻み続けている。

渡邊氏が開発に関わった酒粕入りバームクーヘン「清開棒夢」。お土産にもぴったり。

一瞬にして旅人を魅了した今市の風景。街のいたるところで、こんな風景に出会える。

住所:栃木県日光市今市450 MAP
電話: 0288-21-0007
営業時間:9:00~16:00(酒蔵見学は要予約)
渡邊佐平商店 HP:http://www.watanabesahei.co.jp/

作曲家・船村徹が愛した創業108年の老舗うなぎ割烹。[SHIMOIMAICHI HOPPING・魚登久/栃木県下今市]

焼き場に立つ相賀昭二氏。難しい備長炭の火加減を調整する際は真剣そのもの。

下今市ホッピング・魚登久名物・肝焼きで一杯やりつつ、うな重を待つ。

上方の古典落語に「始末の極意」という演目があります。ここに登場するのは、食事時になると隣のうなぎ屋が蒲焼を焼く匂いをおかずにしてごはんだけ食べる吝嗇家。たしかに、このお店の香りならおかずになるかも……。そう思わせるのは、下今市駅にほど近い大正元年創業の『魚登久』です。使用するうなぎは静岡県吉田町の川尻より直送。旬の時期(9月~12月)は浜名湖産天然うなぎの予約も受け付けています。「今市は水が美味しい街で、大手の食品メーカーが工場を建てるほど。うちでは、30メートルほど地下から水を汲み上げた立て場に静岡から生きて届いたうなぎを1週間ぐらいつけておくんです。そうすると、泥を吐いてくさみがとれ、キュッと身が引き締まる。我々の専門用語で“うなぎを締める”っていうんですけどね」と、三代目の相賀昭二氏。

早速、焼き上がったばかりのうな重をいただきます。蓋を取ると、その下には半紙が1枚。これは、「パリッと焼きあがったうなぎの表面が水蒸気でしんなりしないように」という嬉しい配慮から。口に運ぶと、焼き色のついた表面の香ばしさと旨み、秘伝のタレ、山椒の爽やかな香りが混然一体となった重層的な旨みがぐわっと押し寄せます。「このタレは創業以来、継ぎ足し、継ぎ足しで使っているので、うなぎの旨みがたっぷり溶け込んでいます。ちょっとやそっとでは出せない味なので、先代からも『火事があったら、まずタレを持って逃げろ』と教えられました」と相賀氏。たまりではなく生醤油を使ったタレは甘すぎず、ふくよかな味わい。ごはんも一粒一粒がキレイに立っていて、パワフルなうなぎの旨みをしっかり受け止めてくれます。

うなぎが焼けるのを待ちつつ日本酒をちびちびやりながら、つまみを頂く。そんな楽しみ方をしたい人向きに嬉しい酒の肴も充実しています。名物の「うなぎの肝焼き」は、一度湯通しして血合いを取り除いた肝を冷たい水で締めてから焼きあげます。ひと手間かけた肝は8匹分でやっと1串。ぷりぷりした食感で、苦みがなく、甘みさえ感じるほど。関西風に蒸さずにそのまま焼きあげた「地焼き」の表面のカリッと感もいいですが、関東風に20分程蒸してから焼きあげた「白焼き」も乙なもの。こちらはわさびか塩麹でいただきます。「なかには、『蒲焼も関西風に焼いてくれ』という方もいらっしゃるんですよ」と相賀氏。そんなリクエストにも柔軟に応えてくれるとは嬉しい限り。扱うお酒は渡邊佐平商店の「清開」。同じ大谷川の伏流水を使った日本酒とうなぎ。合わないはずがありません。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

「うな重」3,850円。ごはんにもあらかじめタレが絡んでいる。

「うなぎ肝焼き」900円。つやつやした質感がうなぎの状態の良さを物語っている。

「うなぎ肝吸い」350円。「うな重」にもついてくる。澄んだ吸い地から水の良さが伝わってくる。

「うまき」1800円。ふっくらと柔らかく焼き上げた卵とうなぎの旨み。ビジュアルもそそられる。

「うざく」1300円。きゅうりとわかめの酢の物といただく蒲焼は、味の濃淡が沁みる一品。

「白焼」3300円。うなぎそのものの味をダイレクトに感じたいなら白焼きを。塩麹をつければよりまろやかな味わいに。

「魚登久まぶし」4200円。最初はそのまま、次に薬味をのせて、最後に出汁をかけていただく。

下今市ホッピング・魚登久この道何十年の職人が捌いたうなぎを秘伝のタレで。

「うなぎを捌くところと焼くところも見てみますか?」と相賀氏。さっそく、厨房に入らせていただきます。うなぎ専用のまな板はとても分厚く、目打ちした部分の凹みが歴史を物語っています。「うちで使うのは1キロで4匹のサイズのうなぎ。蒸して使うので、少し小さめです」。鮮やかな包丁捌きのなせる技か、勢いよく跳ねるうなぎは背開きにされてもしばらく動いています。「うなぎを捌く職人さんも全国的に減ってきています。うちの職人は、何十年も務めている人ばかりです」と相賀氏。

一方の焼き場には香ばしい香りが立ち込めています。タレを塗っては焼き、塗っては焼きを繰り返すことで、こぼれおちたタレとうなぎの脂がじゅうっと焼ける香りです。使うは紀州の備長炭。「火力が調整しにくく、焼きムラがでないように焼くのは難しい。その分、タレや脂がこぼれて出る煙がうなぎを包みこみ、香ばしさが増すんです」。『魚登久』のうなぎが美味しい理由はここにもありました。

切れ味鋭い包丁で一気呵成に捌いていく。この状態でも少し動いていた。 

重厚なまな板についた亀裂がこの店の歴史を雄弁に語ってくれる。

備長炭のはぜる音とタレが焦げるじゅうっという音が焼き場に響く。

創業時より使用の秘伝のタレ。生醤油を使っているので垂れ具合はあっさりとして見えるが、味わいはふくよか。

下今市ホッピング・魚登久清らかな今市の地下水が招く心地よい空間。

飴色の杉材を贅沢に使った店内は落ち着いた空間。靴を脱いで寛ぐ本館1階は個室食堂式になっていて、2階は6名から35名まで入れる座敷席です。面白いのは、焼き場を見ながら食事ができるカウンター席。ガラスで隔てられているので煙たさはなく、タレがこぼれるたびに舞い上がる煙を見ながらうなぎを待つことで期待値が高まります。この席を愛する常連さんは多いそうで、作曲家として初めて文化勲章を受章した船村徹さんもそのひとり。出身地を愛してやまなかった先達に思いを馳せながら食事をするのも旅の醍醐味です。

2011年にお目見えしたのは、本館となりの別館『うなぎのねどこ』。大きな木彫りのうなぎを横目に歩を進めると、和洋全5部屋の個室が用意されています。テーブル席はもちろんテラスのついた個室もあるので、用途に合わせて使い分けたいもの。また、別館の入口には調理やうなぎを締めるのに使う地下水が湧きでています。清らかな今市の水をいかした美味。旅の途中で開けた赤いお重は、さながら玉手箱のようでした。

常連さんが愛してやまないカウンター席。ここから調理場が一望できる。

杉材を贅沢に使用した本館1階。節目がびしっと揃っていて気持ちいい。

別館「うなぎのねどこ」エントランス。ちょうど暖簾の左側から湧き水が出ている。

別館の個室テーブル席。家族やグループでの旅行の際に利用したい。

堂々たる門構え。街の人から「大事な接待の際は『魚登久』さんを使います」と聞いた。

住所:栃木県日光市今市467 MAP
電話: 0288-21-0131
営業時間:11:30~14:00、17:00~21:00
定休日:月曜、第3日曜
カード使用可
魚登久 HP:http://uo-toku.jp/

地物と熟練の技を駆使してみんなが好きなものを。ジャンルレスなレストラン。[SHIMOIMAICHI HOPPING・Café&Bar Baum/栃木県下小代]

水下氏と奥さまのちひろ氏。お2人のいらっしゃる空間には柔らかな空気が。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム元『二期倶楽部』のシェフが営む無人駅のレストラン。

下今市駅から栃木方面に2駅すすんだ下小代駅。地元住民に愛されてきた旧木造駅舎が、現在の駅舎のすぐ側に移築されている無人駅です。なんとも長閑な夜道を行けば、近くの民家からは食事の支度をする美味しそうな匂いが漂ってきます。ほんの数分で、蔦の絡まる建物からオレンジ色の光が洩れているのが見えてきました。ここは、『Café&Bar Baum』。大きなガラス戸を引いて中に入ると、木の勢いを活かした空間に油絵や手織りのテキスタイル、変わった形の木の実、ドライフラワーに多肉植物……と、あらゆるものが有機的に絡みあって心地いい空気を作りだしています。

「こんな場所に、こんなお店が!」と驚きつつ、メニューが書かれた黒板を眺めると、「那須山牛サーロイン」「トルティーヤ ビスマルク」といったそそられるメニューのなかに、「バウム風肉どうふ」「バウム風焼きうどん」といったB級グルメ的メニューが。いったい、ここは何屋さんなのでしょう?

「有志がここに集まって、定期的に『小代ルネッサンス』というマーケットを開催しているんです。そこで出すメニューが好評だったので、メニューに昇格させていくうちに何のお店だかわからなくなって」と笑うのは、オーナーの水下佳巳氏・ちひろ氏ご夫婦。那須高原の『二期倶楽部』でシェフを務めていた佳巳氏はそこでちひろ氏と出会い、ご結婚。ちひろ氏の生家であり、後に木工作家のお父様のギャラリーになったこの場所を初めて訪れた時、「いつかこの場所でお店を開きたい」と思うほど心惹かれたそうです。お父様にその旨を訊ねてみたところ、あっさり承諾。現在、地元の美味しいもの好きが集う店になりました。もしかすると、場所と人がお互いを呼び合ったのかもしれません。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

下小代の旧駅舎。住民運動によって現在の駅舎の傍に移築保存されている。

街灯も少ない場所で、オレンジ色の光を放つ『Baum』。

木の勢いを活かしたテーブル。その傍らには気になるメニュー満載の黒板。

出窓には絵本や写真集が。たんぽぽの綿毛のオブジェも手作り。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウムジューシーな肉汁迸る希少な那須山牛でワインを。

水下ご夫婦の確かな技術から紡ぎだされる洋食に地元の皆さんが美味しいと思うもの。そんなジャンルレスなお店でまず頂きたいのが、焼き立てパンに野菜や具材を挟んで頂くセルフスタイルのサンドイッチです。ちひろ氏が店内のオーブンで焼いた自家製酵母のパンは外がカリッと香ばしく、香り豊か。この日の酵母はりんごだそうで、なかはむっちり、ほんのりした甘みがたまりません。

外せないのは那須山牛のサーロイン。「前の職場でご縁があって、お客様にも評価をいただいていたので、ぜひ皆さんにも食べて頂きたくて」と佳巳氏。絶妙な火入れのサーロインは断面がルビー色にツヤツヤと輝いています。エサや肥育にこだわって育てられた那須山牛は風味豊か。脂も少なめで、噛みしめる度に赤身からジューシーな肉汁が迸ります。ピリッと辛みの効いたわさび菜と共に頂くのがバウム流。気が付くと、ワインのボトルが次々に空いていきます。「チリやアルゼンチン、スペインなどニューワールド多めですが、イタリアや日本のものも。グラスワインはその都度おすすめのものをご用意しています」と佳巳氏。

付け合わせ野菜の美味しさも特筆もの。濃厚な味わいのじゃがいも・マチルダは那須の成澤菜園、舞茸は鹿沼産、人参は喜連川のものと地物や県産品にこだわっています。なかでも印象に残ったのが、肉厚で葉先まで生命力が詰まった葉物野菜。新たまねぎとクミンのドレッシングをかけた気まぐれサラダは、心身が喜ぶ美味しさです。「実はこのお野菜、近所の農家さんが作ったものなんですよ」とちひろ氏。お願いして、お店から車で数分の農園『美味しい野菜研究所』を訪ねました。

周囲はしっかり、中心部はレア気味に火を入れる。熟練の技が冴える。

「那須山牛サーロイン」3900円。塩胡椒のみで味付けした地野菜のシンプルローストと共に。

ハウスワイン的に出しているのはイタリアの「プリミティーヴォ」(左の2本)。グラスは650円から、ボトルは3300円から用意。

阿吽の呼吸で左右対称の動きになるお2人。

きれいにクープが開いたバゲット。自家製酵母は酒かすやレーズンなどさまざま。

「自家製天然酵母のパンと柴田さんの野菜達 セルフスタイルのサンドイッチで」1380円。

ムースやシャーベットも自家製の「喜連川 碓氷さんのとちおとめ シャーベットパフェスタイルで」750円。

セルバチコやロメインレタス、ケール、赤水菜など7種が入った「気まぐれサラダ」。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム植物性肥料を使ったこだわりの土が、美味しい野菜を育む。

ビニールハウスに入ると、まだ肌寒い季節なのにとても温かく、微生物が活発に活動しているのか、いきいきとした土の香りが鼻腔をくすぐります。色濃く茂ったズッキーニの葉影には、これまた色濃く育ったツヤツヤのズッキーニ。この農園を営むのは柴田正直氏。以前はニラを育てる単一品目農家でしたが、2013年の記録的な大雪でビニールハウスの多くが倒壊。それを機に多品種栽培に切り替えて現在に至ります。「正直、単一品目のほうが儲かるのですが、今の方が断然楽しい。新しい野菜作りに挑戦するのはワクワクしますし、Baumに『今度はこんな野菜を作ってよ』と頼まれて作った野菜は美味しい料理になりますから」。そんな柴田氏のこだわりは土。肥料は動物性のものではなく、おからや糠、この地域の特産品・蕎麦殻などをブレンドしながら使っています。「植物性の肥料を使った方が野菜にエグみが出ないんです」。小さな生き物たちにも、この温かな土のよさがわかるのでしょうか。取材中、どこからかハウスに入り込んだ猫が昼寝をしたり、カエルが嬉しそうに畝を横切るシーンに出くわしました。

ちひろ氏は営業の前にこの農園を訪ね、その日使う野菜を柴田氏と一緒に収穫しています。「赤水菜にビーツ、からしな、ケールはその辺りを」と指さし、一番いいものをハサミでパチリ。産地直送とは耳慣れた言葉ですが、ここまで収穫からキッチンが近い例もなかなかないのではないでしょうか。「私としても、毎日採って、新鮮なものを食べてもらった方が嬉しいんです」と柴田氏。和物から西洋野菜まで常に60種類ほどの種を常備し、リクエストに応えられるようにしているそうです。

本日の野菜を収穫するちひろ氏と柴田氏。ハウスの中は初夏のような暖かさ。

ぐわっと葉を広げたズッキーニ。成長段階が少しずつ違うハウスが他に2つあった。

葉先がきれいにカールしたケール。グリーンだけでなく紫色のケールも栽培している。

ビーツを抜いて、泥を落とす。「なかにはうずまき模様の入ったビーツもあるんですよ」とちひろ氏。

「ちょうどこの辺りがいいかな」と使う分のサニーレタスをカット。

「これは売り物にならないから」と柴田氏のお母様が間引いたケールをくださった。

収穫した野菜をカゴに入れて、本日の畑作業は終了!

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム感性が宿った場所と料理が人や物を引き寄せる。

美味しい料理と居心地のいい空間が溶けあった『Baum』の隣に、気になる建物が建っています。ちひろ氏のお父様の木工アトリエ『森のふくろう』です。「父はいま仕事で出かけているのですが、よろしかったらご覧になりますか?」というお言葉に甘えて、主不在のアトリエにお邪魔しました。1階の作業場には様々な樹種の板や木材が所狭しと立てかけられています。「切った木はかなり縮むので、10年以上寝かせてから使うそうです。この仕事をしていると、『こんな板があるから持っていかんか?』『よかったら使って』と向こうから集まってくるみたいで」。

うってかわって2階は大人の秘密基地。お父様が滑車で木材を引き揚げ、時間をかけておひとりで増築した空間には、古いレコードやプレーヤー、壁には民族調のタペストリーやエドワード・ゴーリーのポスターが。小さな小窓からは時折、猫が遊びにやってくるそうです。感度が高く、それでいて心ほぐれる抜け感のある空間。お会いしたこともないのに、そこここに浮かび上がる主の内面に触れたような気がしてほっこりします。「わが父ながら、相当センスはいいと思います」と笑うちひろ氏。場所や料理に宿ったよき感性は、よき人や物を引き寄せる──そんなことを思わずにはいられない場所が無人駅のすぐそばにあります。

『森のふくろう』の2階。ここで「小代ルネッサンス」が開催されている。

ちひろ氏のお父様は中央の滑車で木材を引き揚げ、ひとりでこの空間を作り上げた。

再訪を誓いたくなる笑顔。ちなみにこの引き戸もお父様の作品なのだとか。

住所:栃木県日光市小代260-5 MAP
電話: 0288-25-7210
営業時間:12:00~23:00(L.O.22:00) 月曜定休
Cafe & Bar Baum HP:https://nikko.city/baum/

トラッカーメッシュキャップ

バイク乗りの定番、トラッカーキャップ!

  • アメリカの帽子ブランドといえば定番でお馴染みの「OTTO」のボディにアイアンのワッペンをセットした夏場には最適なメッシュキャップ
  • フロントパネルにはアイアンハートオリジナルワッペンを付けています
  • 5パネルの後部分はメッシュ状になっているので、夏場にバッチリ
  • バイザー部分は芯が入っているフラットバイザーです
  • スナップバックを外せるので、ベルトループやバッグに付けられます
  • 携行性があるのでヘルメットを脱いで崩れた髪型も隠せ、ツーリングにも最適です
  • アジャスターによりサイズ調整が出来る為、頭の大きな方でも問題なく被れます
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます

サイズスペック

  • フロント高さ 17.5cm
  • ツバ 7.5cm
  • ツバ幅 21.5cm
  • 頭周り 59.5〜65.5cm

素材

  • フロント部分 ポリエステル:100%
  • メッシュ部分 ナイロン:100%

【お花見・西日本編】『ONESTORY』流、桜と美食を繋ぐ旅。[2019年春、桜の旅。/食と桜]

火山の溶岩流によりできた『屋島』。地学上でも秀峰とされるこの場所には、展望台など花見スポットも点在。

食と桜花霞に覆われた春の『屋島』で興じる、絶景と美食。

3月下旬から4月上旬にかけて、多彩な絵の具をパレットの上で溶かしたように、様々な色が山肌を埋め尽くすのは、香川県高松市の海岸林『屋島』です。その正体は自生している「ヤマザクラ」。淡い花霞が幻想的な雰囲気をつくり、観賞用の桜とはひと味違う、野性味ある桜の景色が楽しめます。その『屋島』の東側、檀ノ浦の海岸沿いに店を構えるのが、中国料理界の重鎮として知られる長坂松夫氏です。東京『麻布長江』の料理長としてスターシェフへと上り詰め、輝かしい未来が約束された立場にもかかわらず、2010年に弟子に店を譲り、現在の場所へ。別荘地の中にひっそりと、看板も出さずに立つ『長江SORAE』は、長坂氏が悩み、考えた末に行きついた「自然の中でその美しさ、心地よさを感じる。それを大切な人と共有しながら、食べる料理とその時間。それに勝るものはない」という答えを体現したレストランです。対岸に庵治(あじ)の町を望む風光明媚な場所が、その答えの最たるもの。俊才の料理人が行きついた究極のレストランを、美しい桜景色とともに体験してみてください。

▶詳細は、LANDSCAPE/秀峰と名高い溶岩台地を埋め尽くす、ヤマザクラの花霞。
▶詳細は、RESTAURANT/中華のスターシェフを移転に踏み切らせた「最高のレストランとは!?」

テラス席にて仲睦まじく微笑む長坂氏と奥様。後ろには「ソメイヨシノ」が。取材班が訪れたのも春先だった。

サヨリとイイダコとアスパラガスのトリオ。その味を優しくまとめ上げるのが貝柱のスープだ。

食と桜桜景色と甘美なスイーツがもたらす、めくるめくひと時。

桜の名所と絶品スイーツを巡る甘美なハシゴ旅ならば、福岡県へ。「筑前の小京都」と呼ばれる街並みが残る朝倉市の『甘木公園』は、3月末頃から4月上旬にかけて、敷地内の約4,000本の「ソメイヨシノ」が満開になり、多くの人で賑わいます。そこから福岡市の中心部までは車、電車ともに1時間ほど。『甘木公園』の最寄り駅「甘木駅」を始発とする「甘木鉄道」の沿線には花の名所が多く、またこの後訪れる店は、スイーツとお酒のマリアージュを専門とするゆえ、電車での旅が断然お勧めです。時間が許せば途中下車して春の花々を楽しみつつ、終点の「基山駅」からJRに乗り換えて、博多まで。福岡市中央区にある『WINE & SWEETS tsumons(つもん)』に向かいましょう。そこは、スイーツとワイン、両者がひとつになって初めて完成を見る、めくるめく世界。パティシエールでありソムリエールの香月友紀氏が提供するシグネチャーメニュー「スフレ」は、オーダーが入ってからメレンゲを泡立て始めるため提供まで時間がかかりますが、非日常を感じさせるインテリアに囲まれながら、その鮮やかな手さばきを眺める時間もまた、素晴らしいものです。

▶詳細は、LANDSCAPE/丸山池を中心に、約4,000本のソメイヨシノが咲き誇る。
▶詳細は、RESTAURANT/ワインとスイーツのマリアージュでオンリーワンの世界観を魅せる。

ほぼ中央に『丸山池』を有することから「丸山公園」とも呼ばれる『甘木公園』。美しい水辺は近隣住民のオアシス。

香月氏のスペシャリテ「きょうのもやしスフレ」。「もやし」とは「燃やし」のこと。運ばれてきた瞬間はゲストから感嘆の声が上がる。

コクと酸味が感じられるチョコレートのアイスクリームはなめらかで軽やか。これに合わせるバニュルスは、フレンチでいうところのソースの感覚。

食と桜山里から海へ。「孤高」の姿を訪ねる。

「桜と美食をつなぐ旅」西日本編の最後は、その姿、姿勢が「孤高」という言葉に通じる二者を訪ねる旅をご紹介します。岡山県北部、のどかな山里に春をもたらす『醍醐桜』は、第96代天皇・後醍醐天皇が称賛したという逸話が残る、県下一の一本桜です。空に向かってそびえ立ち、堂々とした姿が見る者を圧倒する「唯一無二」の存在。そんな姿と重なるレストランが、『醍醐桜』のある岡山県真庭市から南へ約100km、瀬戸内海に面した岡山県瀬戸内市牛窓町にあります。店の名は『acca(アッカ)』。かつて、東京都渋谷区広尾にあったリストランテ「acca」のシェフ・林 冬青(とうせい)氏が、牛窓の土地に惚れ込み、信頼できる人や食材を得てオープンさせました。林氏は若かりし頃、本場の味を求めてイタリアへ渡り、広尾に開いた店は数ヵ月間予約の取れない人気店へと成長。しかし諸事情により突然の閉店、それでもと掴んだ牛窓での再出発……。常に自身と向き合い、自分の信念に忠実に行動するその姿は、まさに「孤高」。静かに、しかし確実に毎年花を咲かせる『醍醐桜』のように、誠実でひたむきな林氏の姿勢に、料理に、私たちは心を動かされるのです。(文中には諸説ある中の一説もございます。)

▶詳細は、LANDSCAPE/後醍醐天皇が賞賛した逸話から名づけられたという、稀代の一本桜。
▶詳細は、RESTAURANT/牛窓で捕れた活魚。ひと手間加え料理にするのがaccaマジック。

『醍醐桜』の見頃は毎年4月10日前後。種類は「アズマヒガン」で、樹齢は700年とも1000年ともいわれる。

Tシャツ姿で厨房に立つ林氏。いつしか料理は至極シンプルに。最高の食材を、必要最低限の調理で提供。

その日に揚がった活けの小魚をアーリオ・オーリオで。運ばれてきた瞬間に海の香りが広がる。

【NEW】北斗の拳×TENRYOコラボ!あたたたたーーーっ!!

 

 

 

 

 

こんにちはあさと絵文字:びっくり黒1

皆様いかがお過ごしでしょうか??

 

倉敷はだんだんと暖かさが感じられるように

なってきました!

朝と夜はまだ少し冷えますが、

日中はぽかぽか暖かくお散歩するには

とても気持ちの良い毎日ですただのニコはれ。

 

 

 

さて、今回はメンズ館からの新商品

ご紹介しますキラキラ

 

 

 

 

北斗の拳×TENRYOコラボ

カラーレボリューション

 

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パッチやバックポケット、前ポケットの裏地など

細部までこだわったファンにはたまらない1本!

形はタイトストレートで、ヨコ糸にそれぞれ

使用しているためロールアップして穿いていただくと

ファッションのワンポイントになります!

 

 

税込\27.000-

サイズ展開は

27.28.29.30.31.32.33.34.36.38 インチ です!

 

 

 

 

 

 

 

 

北斗の拳×TENRYOコラボ

ザコシャツ

 

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北斗の拳ファンの皆が好きであろうあのザコが

大胆にプリントされたシャツです!

今にも飛び出してきそうな躍動感爆発

着ているとだんだんとザコが薄くなっていくのも

経年変化と共に楽しめそうな1枚です!!

 

 

税込\20.520-

サイズ展開は

S.M.L.XL サイズ です!

 

 

 

更に!!!

 

 

北斗の拳コラボの商品を

お買い上げくださったお客様には

限定ショッパーにお入れしてお渡し!!

 

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この幼少期時代たまらん・・・。(感無量)

 

 

 

 

 

 

お次は!

 

 

 

ブラックジャック×MUSASHIコラボ

 

 

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こちらもパッチや前ポケットの裏地にこだわっており

脚にはブラックジャックをイメージした縫い目が

ファッションのワンポイントに!

女性の方でも履きやすい股上深めのベーシックな形です!

ちなみに2人のスタッフがお買い上げ済みです(笑)

 

 

 

税込\23.760-

サイズ展開は

28.30.32.34.36.38 インチ です!

 

 

 

 

 

 

以上、3点の新商品紹介でした!

 

 

 

気になった方は是非倉敷デニムストリートへお越しくださいね!

スタッフ一同心よりお待ちしておりますぱんだんごお花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海に面した雄大な風景の中に、新たなスタイルのウイスキー蒸溜所が誕生。[嘉之助蒸溜所/鹿児島県日置市]

鳥取砂丘や遠州大砂丘と並ぶ「日本三大砂丘」のひとつ、吹上浜(ふきあげはま)に隣接。

嘉之助蒸溜所「熟成焼酎」の元祖がウイスキー造りに挑む!

鹿児島県日置市。雄大な東シナ海に面し、矢筈岳(やはずだけ)や諸正岳(もろまさだけ)を背負う風光明媚な地に、2017年11月、新たなスタイルのウイスキー蒸溜所が誕生しました。

その名は『嘉之助蒸溜所』。1883年創業の老舗の焼酎メーカーで、熟成焼酎の先駆けとなった『メローコヅル』を生み出した小正醸造株式会社が、その経験と知識を生かして満を持して設立したウイスキー蒸溜所です。60年以上にもわたる本格焼酎の樽貯蔵・熟成の経験を、同じくオーク樽を用いるウイスキー造りで発揮。クラフトウイスキー蒸溜所としては、世界的にも珍しい3基の蒸溜器を備え、独自の価値と味を創り出しています。

なぜ焼酎で名をはせた老舗が、ウイスキー造りを始めたのでしょうか? そしてなぜ、この日置の地に拠点を構えて、業界でも珍しいスタイルのクラフトウイスキー蒸溜所を築いたのでしょうか?
その想いとポリシーを余すところなくうかがってみました。

日本で唯一海沿いに築かれた、開放的なロケーションのウイスキー蒸溜所。

蒸溜所の名前は日本初のオーク樽熟成米焼酎「メローコヅル」を生み出した2代目・小正嘉之助氏の名にちなんでいる。

嘉之助蒸溜所135年以上もの焼酎造りの経験を、ウイスキー造りに生かす。

焼酎はウイスキーやブランデー・ジンなどと同じ「蒸溜酒」のカテゴリーに属します。小正醸造株式会社は、1883年の創業以来、代表銘柄である『小鶴』を中心に鹿児島の地に根ざした焼酎造りを行ってきました。そして2代目に就任した小正嘉之助氏が、「庶民の酒として親しまれてきた焼酎の価値を上げたい」と一念発起。そして迎えた1957年 、かつてなかった樽熟成焼酎『メローコヅル』を発売したのです。以来、日本国内だけでなく海外にまで販路を広げ、約30ヵ国に輸出してきました。

そしてウイスキーの魅力が幅広く浸透し、日本でも愛好者が増えてきた昨今。「これまで培ってきた本格焼酎の技術を、同じ蒸溜酒であるウイスキーに生かしたい」と思い立ち、更なるステージへ進出したのです。
「60年以上積み重ねてきた本格焼酎の樽熟成の技術で、世界中の人々を魅了したい」――その想いのもとに、本格焼酎における発酵や蒸溜・熟成やブレンド等のノウハウを、ウイスキー造りに応用。老舗の焼酎メーカーならではのウイスキー造りに取り組み始めました。

本格焼酎で培った知識と経験が、斬新でありながらも老舗の風格を漂わせるウイスキーを生み出す。

お披露目を待ちながら大切に熟成されていく「嘉之助ウイスキー」。

嘉之助蒸溜所3基の蒸溜器が織り成すバラエティ豊かなウイスキー。

『嘉之助蒸溜所』のウイスキーのコンセプトは、「Mellow Land, Mellow Whisky」。「ジャパニーズウイスキーを更に豊かに、まろやかに」というポリシーのもとに、眼前に広がる東シナ海と吹上浜(ふきあげはま)の雄大な風景を望みながら、精魂込めてウイスキーを製造しています。500年以上もの歴史を誇る鹿児島の本格焼酎の技術を基盤に、鹿児島でしか成せない、小正醸造株式会社独自のウイスキー造りに挑んでいます。

その証拠に、『嘉之助蒸溜所』はクラフトウイスキー蒸溜所としては大変珍しい個性を持っています。小規模蒸溜所には通常2基しかないポットスチル(蒸溜器)を、3基設置しているのです。

通常、ウイスキーは2度の蒸溜を行いますが、2度目の蒸溜の際に、ネックの形状や上部のラインアームの角度が異なるポットスチルを用いることで、原酒の香りや味わいをより豊かに変化させることができるのです。
3基のポットスチルから生み出される、バラエティ豊かな酒質。『嘉之助蒸溜所』ならではの魅力です。

『嘉之助蒸溜所』の独自性を象徴する3基のポットスチル。赤銅色の輝きが造りへの誇りを物語る。

オリジナルグッズを取り揃えたショップ。単なる生産拠点に留まらず、ウイスキーが生み出した文化をも発信。

海を一望しながらテイスティングできる『THE MELLOW BAR』も併設。

嘉之助蒸溜所『ランドスケーププロダクツ』の監修によるハイセンスな建築も必見!

『嘉之助蒸溜所』の個性は、それだけではありません。

蒸溜所でありながら広く人々を受け入れ、見学だけでなく、実際にウイスキーをテイスティングできる『THE MELLOW BAR』も併設。更にオリジナルアイテムを取り揃えたショップも併設しており、ウイスキーを取り巻く文化まで発信しています。

そんな『嘉之助蒸溜所』のデザインを監修したのは、『ランドスケーププロダクツ』代表の中原慎一郎氏。中原氏と小正醸造株式会社代表の小正芳嗣氏は、以前から親しくしていた関係だそうです。小正氏がウイスキーの製造に進出しようと決めた際に、中原氏の経験と実績を見込んで依頼しました。
ともにスコットランドのウイスキー蒸溜所を巡り、意見を出し合ったという優美かつ機能的なデザイン。

吹上浜をイメージさせるベージュを基調にした温かな木調は、ぬくもりと落ち着きを醸し出しています。更にデザイン性のみならず、開放感と居心地の良さも実現。「訪れる人々にメローな気持ちになって頂きたい」という両氏の願いのもとに、爽やかな趣を漂わせています。

醸造所を取り巻く景観も白眉。恵まれた環境が美味なウイスキーを生む。

併設のショップでは「NEW POT(200ml 2,500円(税抜))」と「嘉之助 ニューボーン 2018(200ml 3,000円(税抜))」の2種類を販売。前者はオンラインショップでも購入可能。

嘉之助蒸溜所ウイスキー造りをもっと身近に感じてほしい。

『嘉之助蒸溜所』は、クラフトウイスキー蒸溜所としては大変珍しい3基の蒸溜器をはじめ、糖化槽や発酵槽などの製造設備を、見学者が間近で見られるように設計されています。これは「小正醸造株式会社が培ってきた技術で、『嘉之助蒸溜所』が発展させていくウイスキー造りを、五感で感じ取って頂きたい」という想いによるものだそうです。

そして見学ツアーの最後には、東シナ海を一望できる『THE MELLOW BAR』で、熟成中のウイスキーのテイスティングと風景を楽しめます。こうした一連の体験を通じて、蒸溜所の成り立ちと、独自のウイスキー造りに込められた想いをぜひ感じ取ってみたいものです。

ウイスキー造りは年単位に及ぶ熟成期間が必要。我慢に我慢を重ねていく仕事。

ウイスキーの熟成期間は一般的に3年。2018年に設立された『嘉之助蒸溜所』のウイスキーは2021年春頃にリリース予定。

嘉之助蒸溜所待望の3年熟成「嘉之助ウイスキー」は2021年春頃にリリース予定!

こうして丁寧かつ愛情豊かに育まれている「嘉之助ウイスキー」は、2021年春頃にお披露目を予定しています。それまでは、鹿児島産大麦モルトで仕込んだ地産地消のウイスキー、『嘉之助蒸溜所』独自の醸造に挑んでいくそうです。

鹿児島の地で生まれた「嘉之助ウイスキー」を、世界の人々に愛されるブランドに――ウイスキー愛好家たちの新たな喜びや癒しになることを願って、決して急ぐことなく、日々堅実にウイスキー造りと向き合っています。

東シナ海を望む爽快なロケーションを生かし、イベントのための敷地提供を行うなど、地域に根差した活動も予定。 

老舗の技術と誇りで新たな境地に挑む。

住所:鹿児島県日置市日吉町神之川845 3 MAP
電話:099-201-7700
営業時間:10:00~1700
休日:毎週月曜・火曜・年末年始
臨時休業あり(※月曜・火曜が祝日の場合は営業)
※見学は要予約(4日前まで/サイトのお申し込みフォームより)
※ガーデン部分、ショップは予約不要・入場無料
嘉之助蒸溜所 HP:https://kanosuke.com/
写真提供:小正醸造株式会社 嘉之助蒸溜所

2019AW 撥水メルトンウールPコート

街着でもバイクでも使えるアイアンスペックのPコート!

  • 撥水加工を施したメルトンウールの新作Pコート
  • 袖口には防風性の高い厚手のリブを装備し、ライディング時に風が入らないアイアンスペックです
  • 腰ポケットの袋地には肌触りを重視し、コーデュロイ素材を使っています
  • ボタンはスタンダードなアンカーボタンを採用
  • シンプルなデザインの為ライディングにもタウンユースにも使えるPコートに仕上がっています
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 表地 ウール:90% , ナイロン:10%
  • 裏地 ポリエステル:100%

「普通じゃない」を「売り」にする。津軽の“陸の孤島”で生まれる絶品野菜とは。[TSUGARU Le Bon Marché・サニタスガーデン/青森県黒石市]

黒石市のハウス前に立つ山田氏。さらさらのパウダースノーが舞う津軽らしい風景は、見惚れるほど美しい。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン「何これ!?」と声が出るほど甘いじゃがいも。育ての親は、津軽の豪雪。

その日、取材に向かった私たちは猛吹雪の中にいました。場所は八甲田山南麓、沖揚平(おきあげだいら)。日本屈指の豪雪地・酸ヶ湯の目と鼻の先にあるこの場所で、人生初のホワイトアウトにおののきながら必死の思いで撮影したのは、こんもりとした雪の山でした。雪山の正体は、じゃがいもを保管する雪室。それもただのじゃがいもではありません。通常の倍程度、10度前後の糖度を誇る甘いじゃがいもが、この雪室の中で大切に貯蔵されているのです。

雪室を所有するのは、このエリアで農業を営む企業『サニタスガーデン』。「外がどんなに寒くても、室の中は常に温かいんですよ」と話すのは、代表の山田広治氏です。味見用に素揚げしたじゃがいもを試食し、一同びっくり。その甘さたるや、思わず「これ本当にじゃがいもですか?」と聞いてしまうほど。「リピーターの購入が多いです。皆さん、やっぱり味を気に入ってくださって」と山田氏。

じゃがいもがこれほどまでに甘くなるのは、雪室内部の温度が常に0℃前後に保たれているからだそうです。氷温下で凍るのを避けるため、じゃがいも自らデンプンを糖に変えるのだとか。まさに豪雪地だからこそ生み出される美味。先ほど取材陣が洗礼を受けた津軽の冬の厳しさが、一方では、こんな贈りものをもたらしてくれるのです。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

訪れたのは2月。前日までの快晴が一転、山から吹き下ろす「山背」の吹雪に見舞われた。映画「八甲田山」を思い出し、背筋が凍ったのはここだけの話。

山田氏(右)とスタッフの山﨑氏(左)。2人の右横にある雪室はすっかり埋没。懸命の作業もむなしく、この日は中に入るのを断念。

秋に収穫し雪室で熟成させた後、例年2月頃から出荷を開始する雪室じゃがいも。現在作っているのは、左からさやあかね、メークイン、はるか、キタアカリの4種。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン冬は何もできない。そんな暮らしを卒業したら、苦労の先には楽しさが。

我々取材チームが『サニタスガーデン』の存在を知ったのは、弘前市のショップ「フレッシュファームFORET」でした。ちょうど納品に来ていたスタッフの山﨑健氏の持つ豆もやしに興味を引かれたのです。首都圏では見たことがない、ひょろっと細長い独特の形状のこれも、聞けば、寒い時期しか栽培できないものだそうです。名湯・温湯(ぬるゆ)温泉がある地元・黒石市の温水を使った栽培方法で、栽培が難しく「幻の豆」ともいわれた黒千石という大豆を使用。シャキシャキとした歯触りの「噛むもやし」です。

雪室じゃがいもも黒千石の豆もやしも、冬季限定の野菜。しかし、もともと山田氏が栽培に取り組んでいたのは、レタスなどの葉物の夏野菜でした。神奈川県で生まれ、関東で農業に従事していた山田氏が青森に移住したのは2005年のこと。「当時、畑が雪に埋もれる冬場は完全にオフでした。でも今後の地域の農業を考えた時、通年で収入を得て人を雇用するには、冬も出荷できるものを始めるべきだと思ったんです」と山田氏。

きっかけは、農業仲間が自家消費用として雪に埋めていたじゃがいもの美味しさ。普通の農業では太刀打ちできない津軽の気候のデメリットを、メリット=売りに転換する――そんな方法に「これだ!」と活路を見出した山田氏。しかし、初めてのじゃがいも栽培は失敗の連続だったそうです。「無農薬栽培に挑戦して全滅させたり、雪室に入れる前に腐らせてしまったり……これがもう、本当に色々ありました。でもハウスで葉野菜を栽培するより、ここならではのもの、面白いものを作る方がやっぱり楽しい。テンションが上がるんですよ(笑)」と、もの静かな印象の山田氏が話した時、熱い挑戦者としての一面がちらりと垣間見えた気がしました。

栽培を始めて苦節6年、ようやく今年生産が安定したという黒千石の豆もやし。土と温水の両方を使う独自の方法で、自慢の味が完成した。

すくすく成長中の黒千石の豆もやし。栄養豊富で旨みが強いのが特徴だ。シャキシャキした独特の食感は、津軽弁で「しない」と表現されるそう。

現在、豆もやしの栽培を担当する山﨑氏。豆を発芽させてから出荷までは8日ほど。温水の熱気がこもるハウスの中での作業が続く。

雪室がある沖揚平から豆もやしの栽培場所までは、車で15分ほど。もともと育苗用だったハウスを再利用した施設だ。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン農業に対する考え方を大きく変えた、フィリピンとアフリカでの出来事。

山田氏の人生の転機は、意外なことにフィリピンとアフリカでの出来事にありました。フィリピンを訪れたのは、国際政治を学んでいた大学時代。海外実習で現地の畑作業を手伝った時の鮮烈な記憶が、山田氏の農業の原点です。「水牛を引いて耕すような原始的な農業でしたが、そのなんともいえない心地よさが衝撃的で。いつか自分も農業を、と心に決めました。それと同時に、先進国の豊かさは途上国の貧困の上にあることを目の当たりにしました。日本へ輸出する木をあちこちで伐採していましたが、利益の恩恵を受けるのはごく一部の人。幸せの陰には、誰かの犠牲がある。だから今でも、『みんなが幸せになれる野菜作り』をテーマにしています」と山田氏。

アフリカへ向かったのは、青年海外協力隊の隊員として。大学卒業後に農業大学へ再入学して日本各地で研修を受け、既に知識も実績も得てからのことでした。が、ボツワナの大規模農場の運営に携わる中で、山田氏は壁にぶつかります。山田氏曰く「こちらは日本の優れた技術を伝えようと行くわけです。でも日本とは風土が違うからうまくいかない。それに日本では技術のことが中心で、販売のことまで勉強していませんでした。しかし、売ることまで考えて、初めて農業になるのだと知ったんです」。

帰国後に山田氏が入社したのは、日本各地の野菜の販売と生産者の就農支援を行う群馬県の企業でした。「独立だけでなく、様々な地域での就農を応援してくれる会社です。今の日本の農業は、産地間の競争になりがち。でもこれからは、各地の気候や風土を生かしつつ共存しながら野菜を売るべきだ、という考え方に共感したんです」と山田氏。ここでノウハウを学んだレタス栽培を実践できる場として、冷涼な津軽へ向かうこととなるのです。

すくすくと白菜が育つ、夏の沖揚平の光景。現在はほかにレタスやキャベツをを栽培、大手外食チェーンなどにも野菜を卸す。

雪室に入れるじゃがいもの収穫は10月頃からスタート。雪が降り始める前に行う、大仕事のひとつだ。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン津軽の暮らしはアフリカより大変? 今だから言える地域への「恩返し」。

立っていられないほどの風と寒さ。実際に沖揚平の地吹雪の中に立つと、この地で暮らしてきた人々の執念を感じます。「山を開拓した先達たちは、大変な苦労をしたそう。昔は冬になると遭難しないよう互いの身体を紐でつなぎ、平地の集落まで買い物に行ったと聞きました。“陸の孤島”といわれた場所なんです」と山田氏。群馬の企業から独立し、津軽へやって来た山田氏を迎えたのは、そんな壮絶な暮らしを生き抜いてきた地元のプライドでした。

見ず知らずの若者から突然、農業用の土地を貸してくれと頼まれた沖揚平の人々からすれば、訝(いぶか)しむのも当然かもしれません。「今なら気持ちがよくわかる。でも当時は何も知らなくて……地元の方との距離を縮めるのは、正直、アフリカの土地になじむよりも大変でした(笑)」と話す山田氏も、この地に就農して丸15年。「雪室じゃがいもと豆もやしをこの地の特産品にすることで、皆さんに恩返しができたら」と語る山田氏もまた、今や沖揚平を愛してやまない地元民のひとりです。

厳しい自然をかけがえのない地域の宝ものに変えた『サニタスガーデン』の野菜作り。風土に根ざしながら、みんなが幸せになる農業を目指してきた山田氏の夢は、この地で結実したように見えます。「ここならではのもの、面白いものを作る方が楽しい」と言って笑った山田氏のことですから、もしかしたら、もう次の段階に進みつつあるのかもしれません。新たな津軽の名産品の登場を、楽しみに待つとしましょう。

 

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

雪をかき分けながら、豆もやしの栽培用ハウスへ向かう。日が落ちると一気にしんと冷え込む、津軽の冬の景色。

住所:青森県黒石市大川原蛭貝沢201 MAP
電話:0172-54-8116
サニタスガーデン HP:https://www.sanitas.jp/

鍛冶職人が生み出す、鋭利かつ粘りある包丁が切れる![大塚刃物鍛冶/鳥取県智頭町]

包丁の種類は60種類以上という『大塚刃物鍛冶』のラインアップ。

大塚刃物鍛冶気に入らない時は一切仕事は受けない唯一無二の刃物職人。

刺し身やトマトを切った際、驚くほどストレス無く包丁が走り、切った後の刃離れもスッと音なし。鳥取県八頭郡智頭町にて代々鍛冶の家系にある大塚義文氏が打つ『大塚刃物鍛冶』の包丁は、希少価値の高い安来のたたら製鉄で作られた鋼を熱して地鉄に挟み製作される一級品。堅さと柔らかさ、強度と粘りを併せ持つ刃物です。
「見ての通り、鍛冶屋ですから、一丁一丁地鉄に鋼を挟み、叩いてはのばす。その繰り返しです」

因美線の無人駅、土師駅からすぐの工房で毎朝8時過ぎから作業は始まり、昼食などの休憩をはさみつつも、決まって終了は深夜24時近く。そこから夕食と少しのアルコールで英気を養い、また翌日には8時過ぎに作業場へと向かうと言います。隙間風の吹く工房で、重労働といえる鍛冶の単調な作業を長時間。正直、ひとりでつらくないのか伺うと、予想に反した応えが返ってきました。
「ストレスはまったくなし。むしろ、まだ発見があるから面白い。こうしたらいい、ああしたらいい。今年に入ってからもまた切れるようになったと思う」

30年以上に渡り刃物鍛冶の仕事のみを追い求め、ここ2〜3年でようやくある程度納得のいく商品ができるようになったと大塚氏は笑います。
「ストレスなしと言ったけど、本当に気に入らない時は一切仕事は受けない。もし、反りの合わない人の注文を受けてしまうと決まっていいものはできないんです。それくらいメンタルと好奇心が重要な仕事」

使う人の姿を思い浮かべ、自らの気持ちを鼓舞しながら打ち込む刃物と、誰のために作っているのか見えない刃物では雲泥の差が生じてしまうのです。さらに用途や環境を思い浮かべながら作業することで、「こうしてやろう、ああしたら喜ぶな」という好奇心が生まれ格段に精度は上がると言います。

ひとつとして同じものがない『大塚刃物鍛冶』の包丁は、“世界にまだ知られていない、日本が誇るべきすぐれた地方産品”を発掘し海外に広く伝えていくプロジェクト『The Wonder 500™』にも認定されるなど、今、世界からも注目を集めています。

専用の炉から素早い動きで、地鉄を取り出す大塚氏。

地鉄はすぐさまハンマーで叩く。金属を叩く高音が辺りにこだまする。

真っ赤に熱せられた地鉄と鋼。これをのばし刃物になっていく。

大塚刃物鍛冶30年を超え、ようやく納得のいく仕事にたどり着く。

炎をあげるコークスの中に、ふいごで風を送り、さらに900度まで温度をあげていくと地鉄や鋼は赤々と色を変化させます。その状態までもっていき素早く取り出し、ハンマーで叩く。すると徐々に鉄はのびていきます。それを何度も何度も繰り返すことで、鉄の塊は大塚氏の手により、刃物としての意思を帯びていくのです。
「適切な温度で鍛造することが大切。これにより元々の粗い金属粒子が壊され、金属の再結晶が新たに起こるのです。それを叩くことでより細かい緻密な微粒子に変化。安来鋼特有の強靱で耐久性がある性質に生まれ変わります」

さらに水で急冷することで鋼を硬化させ、その鋼が持っている性質の最も硬い状態へと変化される焼入れ。硬化した鋼を油につけることで粘りを加える焼戻し。古来より受け継がれる作業により、堅さと柔らかさ、強度と粘りを併せ持つ刃物は生まれていくのです。
「実は34年前かな、家業を継ぐため実家に戻った際、親父は1年しないうちに倒れてしまって、一緒に働けたのはわずかだったんです。その後は見よう見まねでひとり働きつつも、各地の鍛冶家になかば弟子入りするような状態でいろいろな仕事を学んだんです」

日本各地の鍛冶屋の仕事を見て学び、その良い部分を取り込んだ大塚氏の仕事。ひとつひとつの優れた部分を納得いくまで追求し、ものにする時間こそが、もっとも過酷で孤独な戦いだったのは推して知るべし。実に30年以上をかけてようやく納得のいく仕事になってきたというのも、あながち嘘ではないのかもしれません。

ふいごで空気を送ることで炉内は900度を超える。

作業工程ごとに形を変える地鉄。左から右へ徐々に包丁の姿に。

鉄は熱いうちにの言葉通り、高速ハンマーで素早く叩く。

大塚刃物鍛冶使い手の手の形までに考慮した包丁を生み出す。

切味無双。
そう、表現される大塚氏の包丁。その切れ味を実現する重要な要素のひとつに、使う人それぞれの癖を理解するというものがあります。

鍛造所を訪れた人は、挨拶がてらかならず大塚氏と握手をすることになるのですが、この一瞬の握手こそが切れ味を大きく左右すると氏は言うのです。
「無意識で握った際の、握力。手のひら、指のどの部分に力を入れる人なのか。さらには手の大きさや指の長さなど、握手にはいろいろな情報が詰まっているのです」

大塚氏が例えで教えてくれたのは、大人と子供では、食材に包丁を入れる角度は全く違うというもの。大人は背の高さを活かし、まな板の上から包丁を入れることができますが、子供は身長が足りておらず、まな板の横から包丁を入れることになります。それを理解し、その人に合った柄の長さや柄の角度を調整することが大切。
「個人の情報があってこそ使いやすい包丁になる。ですから、もし自分にあった包丁をお求めでしたら、やはり足を運んでもらうのが一番。もし難しければ手形を取って送ってもらうだけでもだいぶ違います」
使う人のことを思い、叩き、のばし、磨かれ、柄を取り付ける。
切味無双、その包丁は十人十色、自分に合った切れ味は唯一無二の切れ味なのかもしれません。

オーダーを受けたお客様の手形。これが包丁づくりのパーソナルデータとなる。

大塚氏の右手親指は、力強くハンマーを叩くいた結果、指の形が変形。

住所:〒689-1434 鳥取県八頭郡智頭町三吉28-4 MAP
体験不可・訪問時は要連絡
問合せ先:COCOROSTORE
電話:0858-22-3526
E-mail:cocorostore.1@gmail.com

小林紀晴 冬の写真紀行「反転の雪」。

 再び冬。

 私はまた、南会津へ向かう。一年前のことが自然と頭に浮かぶ。それまでその地を訪れたことはなかった。まず雪の深さに驚いた。雪深いことも、流れる川は太平洋ではなく新潟を経て日本海へ流れ込むことも、知らなかった。私はその直前まで一週間ほどタイを旅して戻って来たばかりだったこともあり、まったく違う時空間へ放り出されたような感覚をおぼえた。雪の世界に圧倒された。色、質、その量。

 あれから一年をかけて、4つの季節を巡った。

 そして、再びの冬。

 5つめの季節と呼びたくなる。同じ冬は二度とないと感じるからだ。昨年の冬は恐ろしいまでの積雪量だった。想像を超えていた。道路は除雪されていたが、道の端には雪の壁ができていて、どこまで進んでも雪、また雪だった。世界は美しかった。

 一年前に決めたことがある。翌年の冬、写真を撮るために必ず再訪しようというものだ。もちろん理由があって、それは山のかたちに深く繋がる。

 南会津の山の特徴は、平地から急に始まることだ。山深い部分はもちろんあるのだが、人が多く暮らす地から見える山々は唐突に、それもかなりの角度をもって立ちはだかっている。そこに強く惹かれた。
 
 妙な理由だとは自覚している。地元の方は別として、旅で訪れる者にとってその形状は、直接の関わりがないだけに本来、重要ではないだろう。ただ、私にとってはそれが魅力となった。

 6、7年ほど前から生まれ育った長野県諏訪地方で冬の山を撮ることを続けている。冬だけに限って撮影するのは、葉が落ちた山々を撮りたいからだ。シノゴと呼ばれる大型カメラを駆使し、モノクロフィルムによって雪に覆われた雪の山を撮影する。初期は藪などを中心に撮影した。写真展を一度開催して一段落すると、次は山の斜面全体を広く撮ることにした。しかし、なかなか思うようにはいなかった。困難を極めた。なかば諦めかけていたといってもいい。

 うまくいかなかった理由のひとつは山のかたちにある。諏訪では平地から突然山が始まることがないからだ。八ヶ岳の裾野や南アルプス山系の端の山々を被写体としたのだが、山が深すぎて視界が開けず、山の斜面を撮るには反対側の山の斜面からカメラを向ける必要があるのだが、そんな場所は本当に限られているし、自分が立っている斜面の木の幹や枝などが邪魔をして反対側の斜面がクリアに撮れないことも多い。さらにカメラが大きいので操作に時間がかかる、レンズの長さが足りない、といったハードルが立ちはだかっていた。

 そんな時、思いがけず南会津の山々に出会った。里から山肌を撮りやすい。それに雪も多い。行き詰まっていた撮影が打開される確信を得た。

 まず丸3日間を山の撮影だけにあてた。おおよそのあたりをつけて、ほうぼうを車で走った。よさそうなところがあると車を降り、歩いて撮影する。途中で吹雪かれ、人生で初めてホワイトアウトを経験することにもなった。

 最も目星をつけていたのは国道352号線に架かる銀竜橋の上。大きなカーブとなっている。春、夏、秋、どの季節もここからの眺めに惹かれた。

 冬の日は短い。

 暮れると同時に撮影は終わる。

 そこからの楽しみはお酒を飲むことへ緩やかにスライドする。地方ロケに行った時、私は特別な理由がない限り必ずお酒を飲む。それを趣味としている。カメラは携えない。純粋にその地のお酒や料理を楽しみたいからだ。

 外は凍えるほどに冷えて雪が降っているけれど、自分のまわりはほっこりと穏やかに暖かい。雪で作られたカマクラを連想する。外は寒いけど、なかは暖かい。寒暖のコントラスト。反転。そんな空間が好きだ。心底、幸福な気持ちに包まれる。

 秋に初めて訪れた「Bar & Dining CAUDALIE」へ再び向かう。

 “季節のジントニック”。
 以前、訪れた時にうかがった、午後に新しい靴を下ろす際は鍋ブタに靴をつけるという話をまた聞く。場所が変わると微妙にそれが変わる話も重ねて。鍋ブタではなく、鍋底につける場所もあるという。

 さらに雪の量や除雪といったことについて。時々、まったく知らない国の話を聞いているような気持ちになる。

 私はいったん東京へ戻り、10日後にまた南会津へ向かった。雪の季節は限られている。当然ながら、雪の山は冬にしか撮れない。だからできるだけ撮りためておきたい。10日前より雪が少なくなっていた。あれ以来、雪は降っていないようだ。昨年と比べると相当に少ない。

 南会津を代表する酒蔵のひとつ、『会津酒造』へ向かう。ここもまた一年前に訪れていて、二度目の訪問となる。

 玄関の軒下、頭上に巨大な杉玉。一年前にカメラを向けたことを思い出す。記憶がよみがえる。あの時は青々としていた。いまは青くはない。茶色く染まったそれ。またカメラに収める。

 玄関を開けると土間が広がっていて、奥に座敷が見える。やはり一年前に訪れときと同じだ、なにもかも。

 あたかも時を止めたかのように映る。建物は100年余り前に再建されたものだという。それ以前の建物は火災で焼失したらしい。酒蔵自体は元禄年間に創業され、およそ330年の歴史を持つ。

 9代目の弟にあたる渡部裕高さんにお話をうかがった。この地で生まれ育った裕高さんは東京で5、6年のあいだ別の仕事をしていたのだが、数年前に戻り家業を手伝っている。
「水はとても大切です」

 その言葉を何度も口にした。
「日本酒のほとんどは水なんですよ」

 例えばワインは水を一切加えずに果汁だけで作るのに対して、日本酒は水の度合いがかなり高いという意味からだ。
「このあたりの水は全国でトップテンに入るくらいの超軟水です。ミネラルなどの不純物がほとんど入っていません」

 軟水でお酒を作ると、どんな味になるのですか?
「口に含むと、舌に溶け込んでくる感じ……といいましょうか」

 水は地下40メートルから汲み上げている。その水を飲んでみたいと思った。お酒ではなく、まずは水を。
「どうぞ、こちらへ」

 建物のすぐ外に蛇口があった。酒造りに使っているのと同じ地下水だという。口に含んでみた。

 ふわっ、つるっ。

 最初に抱いた感覚だ。
「この水があったから、ご先祖さまはここで酒造りを始めたのだと思います」
 なるほど、そういうことか。水が始まりなのだ。水が不動不死であることに気がつく。

 天井に近い柱の部分に神棚みたいなものが見えた。かなり古いものだろう。昨年来たときも見上げた記憶がある。
「あれはなんですか?」
「さあ、なんでしょう?」

 意外な答え。
「全然わからない……いじったことも気に留めたこともなかったです。なんなんですかね」

 そう言って笑った。

 よく見ると、神棚に収められた紙に「水」と書かれているのがわかった。

 柱のすぐ下には井戸がある。建物を再建する以前から井戸の場所は変わっていないという。井戸には現在は蓋がされているが、いまでも水をたたえているはずだ。「水」という文字は井戸と何かしらの関係があるのかもしれない。
 変わらないこと、変えないことに価値の重きを置く。おそらく一年後、またここを訪れても、杉玉の色以外何一つ変わっていないはずだ。
「ご先祖様のおかげです」

 この言葉を、何度も耳にしたのが印象的だった。

 写真を撮るうえで、大切なことはいくつかある。そのひとつは撮影以前に仕上がりのイメージを明確にもてるかどうか。冬の山を撮るときのそれは、白と黒が反転した世界を表現したい、というもの。

 次の晩は「Taproom Beer Fridge」へ向かう。

 このお店を訪れるのは桜の季節以来のことだ。あのとき昼間は日差しも強く、かなり暖かかったのだが、日が暮れると急に気温が下がった。随分と遠い昔のことに思えるのは、冬の景色がそう思わせるのだろうか。妙に懐かしく感じられる。

 最初に“モモ”という、福島県・梁川で採れた桃を使ったクラフトビールをいただく。私は梁川という言葉に反応した。実は昨年、一昨年とその地へ自主映画を撮影するために何度も通っていて、桃畑で桃の花も撮影したことがあるからだ。桃畑を撮影したのは、確か5月半ばだっただろうか……。記憶を手繰りよせる。

 オーナーの関根健裕さんは偶然にも、昼間訪れた会津酒造の裕高さんが小学生の頃の剣道教室の先生だったという。
「相当シゴキましたよ。だからあの頃、教えた子たちは今でもオレのこと、そうとう怖がっているんじゃないかなぁ(笑)」

 私は幼い頃から冬の山が気になってしかたがなかった。360度、それに囲まれて育ったからだが、見たいような見たくないような、冬の山を前にすると相反する感情がふつふつと湧いてくる。

 足のつま先にできた霜焼けがコタツの中で暖かくなると、かゆくなってゆく感じに似ている。心地よさと、うっとうしさが同居しているような感覚。それが私にとっての原風景ともいえる。

 東京で暮らすようになっても、冬の山をときどき思い出す。厳しい季節の記憶だからこそ、深いところに刻まれているのだろう。南会津の風景も似ている。だから親しみを覚える。

 白と黒。ネガとポジ。

 山を撮ることでそれを表現できるのか。少なくとも、みっつの条件が同時にそろわなくてはならない。
——落葉樹の葉がすべて落ち、山肌が露わになること。
——山肌に雪が残っていること。
——木の幹や枝に積もった雪は落ちていること。

 最後の夜はピザが食べられる「アルフィー」へ向かった。昭和59年にオープンし、34年がたつという。店内に入って驚いた。昭和で時が止まっているかのようだったからだ。古い雑誌が置かれ、さまざまなポスターが貼られている。地元のお祭りのものも、女優さんが写ったお酒のポスターもある。

 心地よい。遠い日のFM放送が流れているからだ。

 どうやらNHKのそれらしい。カセットテープに録音したものを店内で流しているようだ。
「2月18日……テンプテーションズ……」

 MCの声がささやく。もちろん今日は2月18日ではない。何年前のその日なのか……。

 しばらくして『CAFE JI*MAMA』のマスター五十嵐大輔さんもやってきた。私は五十嵐さんにも地元に伝わる風習について聞いてみたくなる。酒に酔うと、どうしてもその傾向がある。
「12月12日に『十二月十二日』と書かれた紙を、子供たちが家々をまわって配ります」

 ハロウィンでお菓子をもらいに、各家を回る感覚に近いのだろうか。
「ここ田島では大きな火事が過去に二度ありました。ひとつは約100年前……」

 会津酒造で耳にした、以前の建物が約100年前に焼失したという話が、こんなところでつながってゆく。
「もう一回は昭和に入ってからです」

 その二度の火事により会津田島の街並みは焼け落ち、かつての姿をほとんど留めていないという。
「だから火事に敏感なんだと思います。冬の始まりに用心のために『十二月十二日』と書いた紙を配るようになったのだと思います」

 正確な起源はわからないようだ。
「この紙を上下逆にひっくり返して、台所に貼ります」

 ひっくり返す?
「どうしてかわかりますか?」

 まったく想像がつかない。
「逆から読むとヒ・ニ・トウ・ク・ツキ・ニ・クイと読めるからです。最後の“クイ”は十の文字の形を杭に見立てたものですね」

 なるほど。ちょっと感動した。畏れとともにユーモアを感じさせる。

 お酒を飲みながら、こんな話を聞く時間が私はやはり好きだ。いまを生きる人を通して、遠い過去に生きた人たちの意思や感情に触れることができるからだ。そして雪の山に囲まれた南会津は、そんな話を聞くのにうってつけの土地なのだ。

(supported by 東武鉄道

1968年長野県生まれ。写真家・作家。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

ミラノの鬼才・徳吉洋二氏が、自身の“分身”を描く。神保町の路地裏に誕生した新店『Alter Ego』。[Alter Ego/東京都千代田区]

徳吉氏と平山氏。この二人の関係こそがこの新店の肝となる。

アルテレーゴあの徳吉洋二シェフが、満を持して東京に新店をオープン。

2019年2月4日、神保町の路地裏に『Alter Ego(アルテレーゴ)』という名のレストランがオープンしました。食に詳しい方ならば、かつてまさにこの場所にあった名店『傅』の名を思い出すかもしれません。あるいは重厚なメタルの扉と、その先に広がる深いグリーンの壁紙に、どこか既視感を覚えるかもしれません。そして、エントランスを抜け、オープンキッチンに立つ人物を目にして、全てが腑に落ちるのです。何しろそこに立って笑顔でゲストを迎えるのは、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』のオーナーシェフ・徳吉洋二氏と、その右腕たる平山秀仁氏なのですから。

そう、ここはイタリアで日本人オーナーシェフとして初のミシュラン一つ星を獲得した徳吉氏が満を持して東京に開いたレストラン。徳吉氏自身も、月の半分は東京に戻り、可能な限りキッチンに立つといいます。しかしこの店の主役は日本の食材であり、シェフを担う平山氏なのです。店名を、例えば『TOKUYOSHI TOKYO』のように知名度やブランド力を生かすものではなく、あえて『Alter Ego』とした理由も、そこにあります。徳吉氏が東京を舞台に描く夢、重責を担う平山氏の思い。二人の言葉から、この『Alter Ego』の在り方を紐解いてみましょう。

『Alter Ego』のエントランス。メタルの扉と深いグリーンのテーマカラーはミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』と同じ。

アルテレーゴ味、食材、ペアリング。重視するのは全ての「バランス」。

「いつか日本でやりたいとは思っていました。イタリアで日本人としてやっている自分が、日本でイタリアを表現したらどうなるか」と徳吉氏は話します。しかし、同じ徳吉氏の手がける店であっても、ミラノと東京ではコンセプトからして根本的に異なります。

それは、徳吉氏の料理が常に土地や歴史とともにあるから。徳吉氏は常々「伝統料理を学ぶのではなく、伝統そのものを学ぶ」と話します。ある土地の地理、歴史、食材、人物を深く知り、そこから流れの中で伝統料理へと到達する。例えば「カルボナーラは卵とチーズで作る」ことを学ぶのではなく「なぜ卵とチーズで作られたのか」という背景を理解し、その必然性をたどって料理に落とし込むのです。結果として、日本で日本の食材を使う『Alter Ego』では、ミラノではできない料理が登場するのです。

そんな東京で徳吉氏が打ち出したテーマは「エクイリブリオ(バランス)」でした。日本とイタリアのバランス、食材の味のバランス、ペアリングのバランス。そういったバランスを丁寧に組み立てることで、よりなじみやすい味を目指したのです。

土地の伝統を知り、それを再解釈することで生まれる徳吉氏の料理。必然的に食材は日本各地のものが中心となる。

徳吉氏も月の半分は東京にいるが、この店では「裏方に徹するつもり」だと言う。

基本は日本の食材だが、生ハムは徳吉氏のこだわりで欧州の一級品をセレクトした。

アルテレーゴ徳吉氏が自身の分身たる平山氏に寄せる思い。

「秀ちゃん」「洋二さん」と呼び合う徳吉氏と平山氏。平山氏は長く『Ristorante TOKUYOSHI』のスーシェフを務めてきましたが、その関係は師弟というよりは、親友同士や仲の良い兄弟に見えます。そしてこれこそが、徳吉氏が店名に込めた思い。『Alter Ego』の意味は、分身。「時には言い合いもしますし、僕が彼から学ばせてもらったことも多くあります。ここでは彼にしかできないことをやってほしい」と、徳吉氏は弟を見るような優しい目で話しました。

対する平山氏は「以前に『傅』があったこの場所と『TOKUYOSHI』の名前。もちろんプレッシャーはあります」と言いながらも、「しかしそこであれこれ考えるよりも、純粋に美味しいものを作ることに注力していきたい」と自然体で話します。29歳でイタリアに渡り、ひょんなことから徳吉氏と出会い、3年にわたってともに働いてきた二人は、きっと言葉では言い尽くせぬ絆で結ばれているのでしょう。

ちなみにオープンキッチンのカウンターで、誰でも、少しでも話せば伝わるのが、誠実で穏やかで、ユーモアもある平山氏の人柄の良さ。この店のペアリングワインのセレクトを担当した大橋直誉氏も「秀ちゃんだからこの仕事を請け負ったんです」と、平山氏の人柄に惚れ込んだひとり。こうして周りを惹きつける魅力もまた、オープンキッチンのカウンターに立つ上での才能といえるでしょう。

「洋二さんは天才肌で、答えが頭にパッとひらめくタイプです。僕はどちらかといえば細かく積み上げて答えを見つけるタイプ。しかし道筋は違っても、最終的に同じ答えにたどりつければ良いと思います」と話す平山氏の言葉に、気負いはありません。

シェフを務める平山秀仁氏。『リストランテ・ヒロ』を経て、29歳でイタリアに渡った。

『Ristorante TOKUYOSHI』では長くスーシェフを務めた平山氏が、徳吉氏の思いを料理に落とし込む。

北海道産の花咲蟹をはじめ、日本各地の一流の食材が届く。

アルテレーゴ場所が変われども燦然と輝く、おなじみの徳吉イズム。

場所が変わり、コンセプトが変わり、食材が変わり、シェフが変わりました。しかしそれでもなお、料理の根底にある徳吉氏らしさの輝きは失われません。ゲストを驚かせる仕かけがあり、食材の組み合わせの妙があり、ブレることのない美味しさの芯があり、どこかアートの香りが潜む。そんな徳吉イズムは、ここ『Alter Ego』でも健在です。

鴨の絵を描いた皿に盛られた鴨肉、エディブルフラワーが美しく飾られた前菜。少しの遊び心と大胆な発想で、まずは見た目で驚かせる料理の数々。マグロのヅケにスライスしたての生ハムを合わせたひと皿は、異なる方向性を持つ山海の「旨味」を、絶妙に調和させてみせました。イノシシ肉を包んだラビオリにはスッポンのスープを合わせ、日本とイタリアの高次元の融合を演出しました。ミラノでイタリアの食通たちを魅了した徳吉氏らしさは、ここ『Alter Ego』でも遺憾なく発揮されているのです。

食材には徳吉氏が2017年、2018年と2年続けて参加した野外レストランイベント『DINING OUT』のコネクションが生かされています。例えばアペリティフで登場する「デリバリーピザ」は、徳吉氏自身の故郷である鳥取で開かれた『DINING OUT TOTTORI-YAZU』でゲストを驚かせた一品。「子供の頃のデリバリーピザの箱を開ける時のワクワク感」を形にした、米粉生地と多彩なハーブ、エディブルフラワーのピザです。また、トリュフを合わせたポテトチップスに使うジャガイモや、バターと合わせたカニは、『DINING OUT NISEKO』の際に発掘したもの。そして徳吉氏は今後も、イタリアと日本を往復しながら日本各地を巡り、食材を探していく予定だといいます。

540日間熟成して甘みを引き出す北海道産ジャガイモ「五四〇」を使用した「ポテトチップスとトリュフ」。

かつてこの場所にあった『傅』で出されていたスッポンのスープを、ラビオリと合わせた一品。

サプライズやワクワク感を形にした「デリバリーピザ」はコースの幕開けに登場する。

ゲストの前で作るリコッタチーズで仕上げる「カンノーロ」。美しいプレゼンテーションが徳吉氏らしい。

「生ハムとマグロ」はマグロのヅケと生ハムの旨味が複雑な美味しさを奏でる『Alter Ego』を象徴する一品。

アルテレーゴワインとスープ。2つのペアリングが料理を輝かせる。

料理と並び『Alter Ego』の看板となるのが、2つのペアリングでしょう。

ひとつはワインペアリング。セレクトを担当したのは、オープニングのアドバイザーを務めた大橋氏です。徳吉氏とも親交のある大橋氏は「(徳吉さんは)イタリアンというジャンルにとらわれない、自由な発想がある人。料理が解放されているから、ワインも国を限定せずに、純粋に綺麗でエレガントな料理に合わせてセレクトできました」と話します。ワインと合わせていっそう輝きを増す料理は、更に深い印象をゲストに与えることでしょう。

そして徳吉氏が『Alter Ego』で仕かけたもうひとつのペアリングが、スープです。実はミラノの『Ristorante TOKUYOSHI』では、それぞれの料理を小さなブロード(出汁)と合わせて提供されています。そこから更に一歩踏み込み、コースの中のそれぞれの料理とスープを合わせるのが、今回の試み。香りを寄り添わせる、味の隙間を埋める、余韻を残す、油分を補うなど、様々な視点から仕立てられるスープが、料理にひときわ深みを加えてくれるのです。

『Alter Ego』の料理は全6~8品の日替わりコース1本。数々の挑戦を込めた徳吉氏のアイデア、若き平山氏の技、これからも日々増加するであろう食材たち、そして2つのペアリング。様々な要素が絡み合い、かつてない店となりそうなこの店。「行列のできる店よりも、また来たくなる店にしたい」と徳吉氏が語る展望は、そう遠くないうちに現実となるに違いありません。

鴨の絵皿に盛りつけられた鴨肉に、大橋氏セレクトのワインが優しく寄り添う。

徳吉氏をよく知る大橋氏だからこそ「味の着地点を想像して選びます」と言う息の合ったペアリングが実現。

徳吉氏と平山氏、タイプの異なる二人の才能が組み立てる新たな味に期待が尽きない。

住所:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2丁目2−32 MAP
電話: 03-6380-9390
Alter Ego HP:https://www.facebook.com/alterego.tokyo/

一度は行きたい桜の名所。春色に染まる絶景、2019年決定版![2019年春、桜の旅。/列島の桜]

吉野山・下千本展望所の景色は「一目千本」そのもの。一生に一度は自身の目で見て、その圧倒的な光景を記憶に残したい。

列島の桜沖縄から北海道へ。南北に列島を旅する桜前線。

日本では少なくとも数百万年前から自生していたとされ、古くは万葉集にも記載があったとされる桜。平安時代には「花」といえば桜を指すことが多くなり、数多の文化人がその可憐な姿に思いを馳せ、時に自身の思いを重ね、後世に残る作品を創出してきました。また農業開始の指標としての活用や、老若男女、身分や立場を超えて楽しむ花見が春の風物詩として定着するなど、人の暮らしや歴史に寄り添う花として、愛され続けています。

南北の長さが約2,787kmあり、地域により大きく気候が異なるこの国では、桜の開花も南から北へ。例年1月下旬に開花を迎える沖縄を皮切りに、九州、四国、本州と桜前線は北上し(一部の早咲き品種の桜を除く)、北海道で見頃を迎える4月下旬まで、実に約3ヵ月もの間、日本中が桜色に染まります。古くより品種改良が盛んに行われ、その数は今では600種ともいわれる桜。現代では多くが江戸末期に出現した「ソメイヨシノ」ですが、約200種、3万本の桜を有する奈良県吉野郡『吉野山』の「シロヤマザクラ」や、沖縄県国頭郡の『今帰仁城跡(なきじんじょうあと)』に咲く「カンヒザクラ」に代表される古代種や原種も、まだまだ残されています。

▶詳細は、LANDSCAPE/約200種類、3万本。世界でも類を見ない「一目千本」の絶景。
▶詳細は、LANDSCAPE/やんばるの地を見守る城跡を背景に、南国の太陽に照らされた桜が輝く。

沖縄屈指の桜の名所である『今帰仁城跡』。「カンヒザクラ」は休眠打破の気温が15℃と高めのため、沖縄で広く分布するようになったそう。

列島の桜人の暮らしに寄り添い、魅了する。日本を代表する桜「ソメイヨシノ」。

一方、日本の桜として一番にイメージするのは、やはり「ソメイヨシノ」です。気象庁が指定する、開花を知らせる標本木もこの品種であり、地域を問わず、公園や街路樹、河川敷などの広い範囲に植えられています。花見の名所は数あれど、人の暮らしに寄り添う桜の情景こそ、園芸品種として誕生した「ソメイヨシノ」の真骨頂。瀬戸内海に面した高台に咲く桜の先に、関門海峡や市街地が広がる山口県下関市の『火の山公園』や、土塁に沿うように植えられた桜が星形要塞の見事な形をいっそう浮かび上がらせる北海道函館市の『五稜郭公園』は、市街地にいながらスケールの大きな絶景が楽しめます。一方、人の手がつくり上げた絶景として圧倒的な存在感を放つのが、埼玉県幸手市の『幸手権現堂桜堤』。約1kmの間に約1000本の「ソメイヨシノ」が植樹され、堤の手前に広がる農地には、シーズンに合わせて作付けされた菜の花が咲き誇ります。(文中には諸説ある中の一説もございます)

▶詳細は、LANDSCAPE/穏やかな瀬戸内海や下関市内を眼下に、桜咲く圧巻のパノラマビュー。
▶詳細は、LANDSCAPE/春限定の美しさ。希少な星型要塞を桜色で彩る、約1,600本ものソメイヨシノ。
▶詳細は、LANDSCAPE/桜と菜の花、青空が三位一体となった、春爛漫の大パノラマ。

高台に位置する『火の山公園』。関門海峡に架かるトラス吊り橋『関門橋』を背景に、「ソメイヨシノ」が咲き誇る。

五稜郭タワーの展望台から見下ろした『五稜郭公園』。夜間には桜の時季限定でライトアップが実施され、美しい夜景も楽しめる。

「ソメイヨシノ」と菜の花、そして澄み渡る青空。3つの色彩が織り成す景色が、絵画のように美しい『幸手権現堂桜堤』。

愛媛県西宇和は、一年を通じて、柑橘王国。[TERROIR OF NISHIUWA・三崎柑橘共同選果部会/愛媛県八幡浜市]

三崎でスクスクと育つ中晩柑の『清見』。急な斜面だからこそ、太陽の光と海からの反射光がたっぷりと降り注ぎ、美味しい『西宇和かんきつ』になる。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会愛媛県西宇和は、一年を通じて、柑橘王国。

『西宇和みかん』は、強い甘みと幽かな酸味のバランスが素晴らしく、薄い“じょうのう”ゆえに、とろけるような食感の温州みかんでしたが、収穫が始まるのは早生で秋頃から。最盛期は11月に迎えます。しかし、西宇和には年が明けて以降、旬を迎える柑橘類もあります。

それが、中晩柑。総称して、『西宇和かんきつ』と呼ばれています。品種はいろいろあり、旬を迎える時季も様々。『伊予柑』に始まり、『デコポン』『清見』と続き、新甘夏の『サンフルーツ』は5月いっぱいまで。食べ頃はずっと続きます。

こうした中晩柑のみを作る西宇和の一大産地が旧三崎町。伊予灘と豊後水道を分けて細長く突き出た、佐田岬半島の先端に位置します。急な斜面を下った先は、紺碧の海。絶景の中に広がる三崎の生産現場を訪ねました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。

青い海と緑の斜面。降り注ぐ太陽も眩しい、佐田岬の光景。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会祖父母を師と仰ぎ、今日も園地で『清見』と向き合う。

眞田稜太氏は、27歳の若さながら、およそ1.5haの園地と日々、向き合う生産者。祖父母がこの土地で、すっと中晩柑を育てており、東京の短大で農業を学んだ後、帰郷して7年前に跡を継ぎました。
「中学生の頃から、すでに将来の夢のひとつに、農業があった」と眞田氏。

今日は『清見』のチェックに訪れています。『清見』は園地の約5割を占める、眞田家の主力品種。園地は標高100mを超える頂から、急な勾配で下っており、石垣もあちこちに見られる、段々畑になっていました。
頂から高さで30mほど下って今、立っている舗装道路の下に広がる斜面にも「ウチの畑がある」と言います。杉を刈り込んだ防風垣も、斜面の所々に見られ、地面には、太陽光に照らされて白く輝くマルチシート。これは、反射光によって着色が向上するだけでなく、地中の水分を外に逃がして雨を遮断し、糖度を上げる役割も担っています。

「今年は堆肥を増やしたことが一点。それから、マルチを敷く時期を1カ月ほど前倒しして早めに水分を断つ工夫もしました」
こうした試行錯誤は毎年のこと。
「これで良いと思う年は今まで、一度もありません」
三崎で、これほどまでしっかりとマルチシートを敷設する後継者は少ないそう。マルチシートは収穫後に回収せねばならず、手間がかかるのです。そのため、眞田氏の園地の多くは各生産者が共同で運営する「三崎柑橘共同選果部会」から「特選園地」に認定されています。
「マルチを始めたのは、じいちゃん。それから、風のことは、ばあちゃんに聞きます。このふたりは僕にとって、誰よりも大切な先生。それから、ほかの生産者の方々の話を聞いたり、『JAにしうわ』に指導を仰いだりと、知見を蓄えている最中です」

眞田氏がずっと目指しているのは、「日本一の清見を作りたい」ということ。そのためには、マルチシートだって丁寧に敷くし、風や雪、鳥などの被害を防いで、より美しい果皮にするためのサンテ(=果実袋)を『清見』一個一個にかけることも厭いません。先人たちが築いた段々畑と防風垣に甘えることなく、常に今、できるベストを指向する。それは、子供の頃からずっと接してきた三崎の中晩柑を誇りに思っているから育まれた志なのでしょう。

祖父母から園地を受け継いだ眞田稜太氏。『清見』のほかに『デコポン』も育てている。キャップに記された「プライド」の文字も、どこか誇らしげに映る。

「特選園地」に指定されている眞田氏の園地はマルチシートもしっかりと敷かれ、『清見』一個一個にサンテもかけられている。丁寧な仕事ぶりが窺える。

杉の防風垣と石垣。「ウチは杉が多いですけど、じいちゃんに聞くと、槇がいいって時代もあったようです」と眞田氏。ベストを目指す試行錯誤も受け継がれている。

絶景の中、作業は進められる。「『清見』はそうですね……120〜130本ぐらいの木があると思います」。眞田氏を含め、20代の後継者は5名ほどいるそう。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会大切に育てられた『西宇和みかん』を、最先端のテクノロジーで出荷。

「三崎の『清見』は日本一。私も、故郷に帰ってきて、改めて実感しました」
収穫した中晩柑を一カ所に集積して出荷する「三崎柑橘共同選果部会(三崎共選)」で、共選長を務める寺﨑文人氏は言います。

寺﨑氏は一度、都会に出てサラリーマンとなった後、帰郷した異色のキャリアの持ち主。兼業農家として中晩柑を育ててきた両親の跡を継ぎました。
「こっちでの生活はストレスがなく、山海の美味が揃うからでしょう。サラリーマン時代は52、3kgしかなかった体重があっという間に増えて、60kgを超えました」。そう言って、朗らかに笑います。

三崎で中晩柑の栽培が始まったのは、明治時代。山口県萩から夏みかんが移植されたのが始まりで、時代が下るに連れて『清見』、『デコポン』と、品種を増やしてきました。今や代表的な品種だけで十を超す中晩柑が生産されています。

寺﨑氏が「三崎共選」の選果場を案内してくれました。
「今日は『デコポン』の選果をしています」
カゴ一杯に詰まった『デコポン』は美しく輝き、眞田氏を始めとする生産者が、丹誠込めて育てたことがわかります。どのぐらいの量が持ち込まれたか、生産者ごとに重さを量ったら、『デコポン』はベルトコンベアへ。一個一個が静かにレーンを進んで行きます。

「まず、傷や痛みがないか、目視で2回、チェックします。それから、アポグレーザーと呼ばれる機械で一個のみかんを6面から一瞬でカラー撮影して、着色などの外見、サイズを測っていきます」

その後、10年ほど前に導入されたという最新の光センサーで、糖度と酸度を瞬時に測定。“秀”や“優”などの等級と、MやLといった階級ごとに分けられていきます。箱詰めされる直前には、もう一度、目視で不具合がないか、チェック。こうしてようやく、出荷を待つストレージスペースへと向かいます。

「この選果場が設立されたのは今から18年ほど前。それまでは海沿いにありましたが、場所も移して大きくしました。作業効率は格段に上がったと聞いています」。人が心を込めて育てた中晩柑を、最新鋭のテクノロジーで的確に消費者の下へ。こうした取り組みも『西宇和みかん』の強みです。

三崎の各生産者から今日もたくさんの中晩柑が選果場に届く。

共選長の寺﨑文人氏。「今年はどの中晩柑も出来が良いです。『デコポン』なら糖度13以上で十分良いのに、今年は14以上も搬入されてくる」

センサーで糖度と酸度を測られた『デコポン』は等級と階級別に自動でそれぞれのレーンを進み、箱へと集められていく。

約18年前に新装された「三崎共選」の選果場。山の中に建つが、通称「メロディライン」と呼ばれる国道197号線沿いにあり、交通は至便。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会農業には夢がある。そう言い切れるだけの魅力がこの土地にはある。

選果場に続いて訪れたのは斉藤誠二氏の園地でした。斉藤氏は兵庫県出身ですが、母の故郷が三崎だったため、幼い頃から、ここは「知った土地だった」と言います。

地元の兵庫で「たまたま(笑)」農業大学に進学し、そこで「土いじりの楽しさ」に開眼。卒業後は農業研修でアメリカに行く機会も得て「はっきりと就農を決意しました」。三崎にIターンという形で向かったのも「偶然」とのこと。「三崎共選」が窓口になって農作業支援者を募集していることを、やはりたまたま、知ったからでした。

「大学の先生からは『大変だから、やめておきなさい』なんて言われましたけど、やっぱり、どうしても農業がしたかった。この園地は借地ですが、僕の熱意が通じたのかもしれません。三崎で支援活動を続けているうちに、持ち主の方から『ウチの畑はどう?』という話があり、ならば『やってまえ!』と(笑)」

きっと、斉藤氏はこの土地と強い縁で結ばれていたのでしょう。「子供の頃から風景が美しくて好きだった」三崎で今は『清美』と『デコポン』、それから、『サンフルーツ』を育てています。

今日は『サンフルーツ』の収穫。3月でもコタツが欠かせない北海道で特に「おこたでみかん」のみかんとして愛されている中晩柑です。適度な酸味は今や懐かしいと感じる、古き佳き夏みかんのそれ。収穫してから3週間ほど、倉庫で貯蔵し、余分な水分を飛ばしてから選果場に運びます。

念願の農業を自分で始めて早4年。「まだまだ課題は多い」と語る斉藤氏ですが、「好きな農業で得た結果が収入になる」と楽しそう。そして、きっぱりとこう言い切りました。「農作物の生産はその土地に何代も根付く、ひとつの産業。その基盤を今、自分が作っているんです」。その自負があるからこそ、「農業には夢がある」と斉藤氏は語るのです。

三崎にIターンし、念願の就農を果たした斉藤誠二氏。約1.2haの園地で『サンフルーツ』『デコポン』『清見』を育てている。

『サンフルーツ』を収穫する。例年は年明けすぐ収穫できるようになるが、今年は状態を見極めて2月から開始。貯蔵し、酸味を落ち着かせてから出荷する。

「まだ酸っぱいですよ(笑)」と斉藤氏は言うが、もぎ立ての『サンフルーツ』を試食させてもらうと、懐かしい酸味が口いっぱいに広がる。ジューシーで美味しい。

収穫を終えた『サンフルーツ』をカゴに積み込む。「まだ環境づくりが優先という状況ですけど、将来は加工や販売にも挑戦したい」と斉藤氏は意欲的。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。着実に実を結ぶ『JAにしうわ』の取り組み。

三崎にIターンした斉藤氏は良い例ですが、就農を支援する活動は『JAにしうわ』でも積極的に行われています。背景にはあるのは生産者の減少。例えば、三崎なら、1998年には508軒あった農家が今は228軒と、およそ20年間で半数以上も減ってしまっている現実があります。

地元が誇る特産品『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。

『JAにしうわ』が2014年に設立した「西宇和みかん支援隊」は、次世代に繋ぐ活動の一翼を担う組織です。そのために、まず取り組んだのは農繁期の労働力の確保。『西宇和みかん』を収穫・選別する時期には多くのアルバイトが必要で、長期間の滞在が不可欠ですが、廃校を有効活用して宿泊施設にリノベーションするなど、援農者の快適で安全な生活をサポートし、リピーターになってもらうための様々な手段を講じています。
それから、もちろん、将来の担い手を育成することも忘れていません。都市部で就農セミナーを開く、農家に短期滞在してもらって実際の農業と暮らしを体感してもらう、受け入れる生産者側に担い手を育成する実践チームを作る。こちらでも、様々な取り組みが行われています。

こうした活動が功を奏して、真穴地区ではアルバイトで訪れた3名が、西宇和のことを気に入り、そのまま就農を目指して、『JAにしうわ』が実施している研修制度に参加したという実績も生まれています。努力は着実に実を結んでいるのです。

真穴地区で「みかんアルバイター」として農繁期を支えたアルバイトの方々も、この笑顔。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会素晴らしい土地だからこそ、美味しい『西宇和かんきつ』は育まれる。

急峻な斜面に広がる段々畑。たわわに実った『清見』は青い海と美しいコントラストを成しています。ここは、先に訪れた眞田氏の園地。凪の海をよく見ると、遠くで煌めく水面を滑るように、大きなフェリーが進航していました。
「あれが西宇和と大分を結ぶ船」
眞田氏がそう言います。アルバイトで訪れた若者が、この光景を見て就農を決意する。その気持ちもよくわかります。本当に美しい。

今日、訪ねた、もうひとりの生産者である斉藤氏の言葉も脳裏に浮かびました。
「この光景が子供の頃から好きでした」
眞田氏をふと見ると、その横顔からは中晩柑を作り続ける決意とプライドが漲っているように感じられました。

「あの辺りをフェリーが行くのを見ると、『あ、もう10時半になったか。そろそろお腹が空いてきたな』。そう思うんです(笑)」。『西宇和かんきつ』は郷土を愛する人々で大切に育まれている。『西宇和かんきつ』は、これからも自慢の特産品であり続けます。


(supported by JAにしうわ

何とも美しい三崎の『西宇和かんきつ』畑。サンテがかけられた『清見』の木々が煌めく海に照らされている。洋上には大分を目指して進むフェリーの姿も。

『JAにしうわ』が展開する特産センター「柑柑日和」では今、様々な品種の中晩柑がズラリ。『西宇和みかん』のブランドロゴ、Nマークも輝いて見える。

住所:愛媛県西宇和郡伊方町二名津1693 MAP
電話:0894-54-2188
三崎柑橘共同選果部会 HP:http://ja-misaki.com/index.html

穿き心地抜群☆スリムテーパード【レディース館】

 

 

こんにちはクマハート

 

レディース館人気商品をご紹介させて頂きます--

 

 

 

DEEP BLUE 73979 スリムテーパード

 

 

 

股上が深く安心感があり、

太ももから裾にかけて徐々に細くなっているので

楽に穿けてスッキリと見せてくれるすばらしいジーンズですにこにこきらきら。

 

生地も柔らかくて薄めなので

穿き心地抜群ですきらきら。

 

 

カラーは4色で

(左から)

①ブルー ②ダークブルー ③ライトブルー ④ミディアムブルー

 

となっています--

お値段は¥15,120 (ライトブルーのみ¥16,200)

 

 

 

「細身のジーンズ穿きたいけど太ももが窮屈だからなぁ…/無念もやもや

と思ってる方でも穿きやすいシルエットになっているので

是非、当店にお越しの際には穿いてみてくださいね--ハート

 

 

心よりお待ちしておりますきらきら。

 

 

 

 

 

ワイン×旅。富良野の新たな滞在スタイルを提案。[ホテル&コンドミニアム一花/北海道富良野市]

白銀の雪に覆われた富良野の冬景色。カラマツ林が整列する。

ホテル&コンドミニアム一花富良野に誕生した新たなコンセプトのホテル。

北海道のスキーリゾートといえばニセコが有名ですが、パウダースノーでニセコを超えるとされる雪質の富良野は、「次のニセコ」といわれているそうです。夏だけでなく冬も魅力がある観光地として世界的に注目を集めています。

そんな富良野に新たなスタイルのホテルが誕生しました。それは、「ワイナリーを訪れたゲストのための別荘」というコンセプトの『ホテル&コンドミニアム一花』。ワイナリー「ドメーヌ・レゾン」は2019年始動予定ですが、それに先駆けて、2018年12月にオープンしました。

運営するのは、全国で農園やレストラン、リゾートなどを展開する『レゾングループ』。山梨県国府市には日本最古のワイナリーとされる『マルキワイナリー』やそのワイナリーが営む体験農園「木漏れ日の葡萄園天謝園」、沖縄県糸満市には観光農園「うちなーファーム」などを所有。自社圃場(ほじょう)で原料づくりから行うことで、その土地のポテンシャルを生かした観光資源の創出に取り組んでいます。

ホテルが位置するのは富良野スキー場から1分の「北の峰地区」と呼ばれるエリアで、国内外の富裕層が訪れる場所。そうしたハイエンドな客層に向け、「暮らすようにゆったりと滞在し、富良野の風景と食を体験してほしい」という願いから開業しました。

ライブラリーラウンジでは直営ワイナリーのワインやコーヒーを提供。

山荘をイメージしたビストロで、北海道の素材にこだわった夕朝食を。

ホテル&コンドミニアム一花十勝岳連峰を一望できる絶景ルームも。

客室は全33室で、滞在スタイルに合わせて4タイプを用意しています。全部屋にシモンズ製ベッドを備え、スーペリア以上はキッチンやカトラリーつき。外で食事をしたり、家族と自宅のように過ごしたり、仲間とパーティをしたりと、思い思いに過ごすことができます。なおホテルでは宿泊客に地元を楽しんでもらいたいとの思いから、スキー場へはもちろん、富良野市街地へのバスでの送迎も回数を多めに行っています。夕方から夜にかけての時間帯は、富良野市街地まで運行。スーパーマーケットで地元食材を購入できるだけでなく、飲食店やバー巡りなど、夜の富良野を地元人感覚で楽しむことができるのが魅力的です。

スタンダードトリプル。素泊まり3,936円~とかなりリーズナブル。

スーペリアハリウッドツイン。キッチンつきで別荘のように過ごせる。

バルコニーから十勝岳連峰を望めるデラックス。

2ベッドルームとリビングを備えたスイート。バルコニーつき。

ホテル&コンドミニアム一花北海道素材のポテンシャルを最大限に引き出した「食」。

地元での外食も良いですが、ホテル内で「食」を満喫するのもお勧め。館内には山荘をイメージしたデザインのレストラン「閑坐(KANZA)」があり、朝食とディナーを頂けます。富良野といえば北海道の中でも特に美味しい食材に恵まれた地域。こちらでは地元の食材のポテンシャルを最大限に引き出し、富良野産にこだわったアミューズ・オードブル・メインプレート・デザートのプリフィクスコースを用意。肉厚なホタテに「インカのめざめ」というジャガイモで作ったグラタンを添えた「枝幸産ホタテの香草バター焼き」や、「上富良野産豚バラ赤ワイン煮込み」など、北海道の海と山の幸を盛り込んだメニューを頂けます。

もちろん、2019年開業のワイナリーのワインとのマリアージュを考えた料理ばかりですが、開業前は山梨県に所有する『マルキワイナリー』でブドウから栽培・自社醸造したワインをソムリエがチョイスしてくれます。

コースだけでなくアラカルトもある。予約なし(素泊まり)でも利用可能。

ホテル&コンドミニアム一花北海道の食材ビュッフェで、朝からパワーチャージ。

朝食は1,000円とリーズナブル。温かくボリュームのあるアメリカンスタイルかコールミート中心のコンチネンタルスタイルの2種からプレートを選べ、更にサラダ・パン・ドリンクを好みで頂けるビュッフェ形式です。メニューはフレッシュ野菜のサラダバー、温野菜、日替わりの卵料理、北海道産粗挽きソーセージ、ベーコンなどに加え、好きなものを挟んでカスタマイズできるホットドッグ、自家製ヨーグルト、パンなど品数豊富。富良野のアクティビティを楽しむためにエネルギーを十分にチャージできそうです。

ちなみに同じ富良野町内には同系列のチーズ工房「プレスキル・フロマージュ」があり、ここでは山羊チーズのスペシャリストであるロバート・アレキサンダー氏が山羊の飼育から生産まで一貫して監修し、チーズを製造。レストランではこちらで作られたチーズや山羊ミルクを使った料理も楽しめます。

北海道、特に富良野産にこだわった素材のメニューが並ぶ朝食ビュッフェ。

焼きたてパンやマフィン、ワッフルに、ジャムなど多種用意。

ハムや野菜を挟んで自分だけのホットドッグを楽しめる。

フレッシュジュース、スムージー、ミルク(ふらの牛乳)、自家製ヨーグルトなども。

ホテル&コンドミニアム一花ワインをフックにした旅の楽しみが広がる。

ワイナリー「ドメーヌ・レゾン」の開業後は、ブドウ狩り体験ができるワイナリーツアーなども実施する予定。自社圃場のブドウを使ったワインの醸造は2019年秋にスタートし、2020年の春には製品としてリリースされる見込みだそうです。今後は富良野に、風景、スキー、食の他に「ワイン」という素敵な誘惑が増え、ますます注目を集めることでしょう。

「ワイン」を求めて富良野を旅するのもまた良いかもしれない。

住所:北海道富良野市北の峰町23-10 MAP
電話:0167-23-8778
料金:スタンダードトリプル素泊まり3,936円~(3名利用時)
ホテル&コンドミニアム一花 HP:http://hotel-hitohana.com/
写真提供:ホテル&コンドミニアム一花

【ゲストソープ】藍染め石けん「紙ふぶき」・20g (洗顔用)

女性や乾燥肌の方に人気の洗顔石鹸の携帯サイズです。上質な藍染料の産地である徳島県の自社農園で大切に栽培した藍からアイエキスを抽出し、配合しています。紙吹雪の舞うようなたおやかなデザインは女性へのプレゼントにも喜ばれています。<日本製>

藍染め石けん紙ふぶき20gゲストソープ商品画像

価格:864円(税込) ~

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大切なお客様のおもてなしや、ちょっとしたお土産に最適のゲストソープ。
清潔と保湿を第一に考えたレシピだから、洗い上がりのお肌はしっとりもちもちとします。
メイク前の朝の洗顔に使うと、メイクの乗りも良くなります。
香りづけには肌にやさしい精油を3種類ブレンド(ラベンダー油、シダーウッド油、パチョリ油)し、まろやかでほのかな花の香りがします。
はらはらと紙ふぶきの舞うようなデザインは、女性への贈り物にも喜ばれています。

◎ こんな方にご好評いただいています
 ・乾燥肌の方
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◎ お勧めの季節 : 冬


◆ 「紙ふぶき」の厳選材料とこだわり製法

紙ふぶきに配合している植物原料はツバキ油がメイン

日本人の肌に合うツバキ油(洗浄・保湿)をふんだんに配合し、更に上質な美容素材としてその高い保湿効果が知られているシアバター(保湿)とホホバオイル(保湿)を加え、乾燥しがちな肌の潤いを守りながら洗い上げる洗顔石けんに仕上げています。

※肌への刺激と環境を配慮し、合成界面活性剤・合成保存料・合成着色料・合成香料・鉱物由来成分・アルコールを配合していません。

※パーム油、ヤシ油については、東南アジアを中心としたプランテーションで子供などの不当な労働力の搾取によって生産されていないものを使用しています。

石鹸製造ではコールドプロセスを採用し、自然素材の持つデリケートな有効成分を極限まで活かしています。

選び抜いた植物素材のデリケートな成分を壊さずに石けんにするため、コールドプロセスを採用しています。
昔、欧米のお母さんたちが台所で石けん作りを行っていたころのクラシカルな製法で、油を煮立たせずに作ることが特徴です。
油の温度を上げないことで、特徴的な成分を活かした石けん作りが可能となります。

◆ お試しください

 ・軽いメイクなら、2度洗いでお肌に負担をかけずにクレンジングが可能です。
 ・すすぎには、体温より低いぬるいお湯か冷水をご使用ください。
  ふんわり柔らかなお肌に洗い上がります。

手作り石鹸の使用感は配合している植物油や自然素材の配合でコントロールしています。お好きな使用感の石鹸をお選び下さい。

「紙ふぶき」(化粧石鹸 洗顔石鹸)全成分:
オリーブ油、ツバキ油、水、パーム油、ヤシ油、水酸化Na、ホホバ種子油、シア脂、香料(ラベンダー油、シダーウッド油、パチョリ油)、アイエキス
重量:20g
生産国:日本
使用期限:製造より3年

※お肌に合わない場合は、ご使用を中止してください。
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藍には免疫力を活性化させる働きがあります。

藍染めゲストソープ20gラッピング例

◆ プラス50円でリボンラッピングいたします

カート上の「ラッピングについて」という欄から「リボンラッピング 50円」を選択してご注文いただきましたら、
透明の袋に入れ、ブルーのサテンのリボンでラッピングをした状態でお届けいたします。
ラッピングが不要な方は「ラッピング不要 0円」を選択してください。

※この情報は実際のページと異なる場合がございますので、最新の情報は実際のページにてご確認ください。

消費者と生産者を、幸せに。津軽のうまいものハンターの夢。[TSUGARU Le Bon Marché・ひろさきマーケット/青森県弘前市]

日々、生産者から採れたての野菜が届く「フレッシュファームFORET」。代表の高橋氏にとって、そのどれもが思い入れのあるものだ。

ひろさきマーケット右にも左にも、青森県のおいしいものがずらりと並ぶマーケット。

青森県・津軽エリアの中心地、弘前。JRの駅から歩いてすぐの所にある商業施設「ヒロロ」の地下に、『フレッシュファームFORET』という店があります。もしあなたが県外からの訪問者なら、この店での滞在時間は総じて長くなるはず。なぜなら、この店の棚という棚には、青森県中の名産品がぎっしりと並んでいるからです。野菜をはじめ、調味料やお菓子といった加工品から惣菜までが揃い、少々マニアックな品もあちこちに。店舗面積は決して広くないのに、まるで青森の食の見本市のような充実ぶりに驚きます。

「ここに来れば、青森を一周したような気分になれる。そんな店にしたくて」と語るのは、この店を運営する『ひろさきマーケット』代表の高橋信勝氏です。「ここに並ぶ商品の条件は2つ。ひとつ目は、青森県産もしくは青森県の事業者の生産物であること。2つ目は、自分たちで食べてみていいと感じたもの。産地にも極力足を運び、加工品の材料もなるべく青森県産、無添加のものを選んでいます」と高橋氏。

話している間もひっきりなしに訪れるお客さんを見れば、そのほとんどが地元・弘前の人。青森のものばかりを置いているけれど、観光客向けの店にあらず。高橋氏が「日々の食卓に寄り添う店でありたい」と話すように、地域に根差す場所として、すっかり認知されていることが伝わってきます。

 
▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

次々と地元客が訪れる『フレッシュファームFORET』。POPの説明を読みながら、じっくり商品を選んでいく人が多い。

この日いちおしの野菜は、温泉水を使って栽培を行う弘前市「小堀農園」のもの。小規模な生産者が多く、他にない野菜も多数扱う。

昔ながらの造り方を守る地元の蔵「加藤味噌醤油醸造元」の味噌などが並ぶ冷蔵ケース。調味料をはじめとする加工品も充実する。

ひろさきマーケット食料自給率100%を超える青森。その豊かさに心動かされて。

高橋氏は生まれも育ちも弘前。両親ともに飲食店勤めということもあり、昔から食への関心は高かったものの、25歳で就職したのは青森市の運送業者でした。主に食品の配送に従事するうち、高橋氏はあることに気付きます。「実は青森って、すごく食が豊かなんだと。米、野菜、魚介や肉に乳製品も豊富で、食料自給率は100%を超えている。県内を回ると、それまで気付かなかった津軽と他のエリアの食文化の違いも見えてきて、これは面白い!と思いました」と高橋氏。

三方を日本海、太平洋、陸奥湾という異なる海流の海に囲まれ、八甲田山や岩木山といった山があり、四季を通じて寒暖差の激しい青森県。豊かな自然が育む食の多様性に触れた高橋氏はやがて、それらを多くの人に届ける仕事を始めようと決心したそうです。

「配送業務で実感したのが、足の悪いお年寄りや子連れの方は、雪が降る冬場の買い物が本当に大変だということ。だから最初は、買い物代行業もできればと思っていました。でも配達は信頼関係が大事なので、どこの誰かもわからない僕にはなかなか注文が入らない。ならば顔と顔を突き合わせて売るしかない!と、野菜と惣菜の店を始めることにしたんです」と高橋氏。スタートは、弘前市内の小さな市場にある空きスペース。こうして2011年、フランス語で幸せを意味する「ボヌール」という店が誕生しました。

生産者の話になると、止まらない高橋氏。造り手のこだわりだけでなく、人柄を知ることができるのも直接仕入れの店ならでは。

真冬のこの時期一層美味しさを増すのが、雪室で保存することで甘みを乗せたにんじんやじゃがいも。地元の人々にも人気の、雪国の味だ。

津軽ではポピュラーな甘いいなり寿司やおはぎなど、素朴な惣菜にも手が伸びる。ちなみにこちらの2品、高橋氏の義理の母が手がけている。

ひろさきマーケット生鮮食品×お洒落なデザイン。小さな野菜&惣菜店が注目を集める。

業態変更により3年ほどで閉店した1号店「ボヌール」ですが、当時は地元にちょっとした衝撃をもたらしました。昔ながらの渋いアーケード「弘前中央食品市場」内に誕生した店は、高橋氏の同級生でもある若手建築家・蟻塚 学氏が手がけたモダンでシンプルなインテリアに、マルシェ風の陳列。野菜はフィルムで包まず、ナチュラルな雰囲気に積み上げたり、クラフト紙と麻紐で包装したり。

「当時の弘前には、まだそういう売り方をする店がなくて」と高橋氏。更に、接客や試食販売にも注力。「例えば、実力のある生産者さんが、珍しい野菜の栽培に挑戦してくれたとします。でも道の駅で売っても、消費者が使い方を知らないから全然売れない。一方で、ちゃんと使い方を示したり、試食してもらったりすると、みんな喜んで買ってくれる。こだわって作られたものを買いたいという土壌は、弘前にもきちんとあるんです」と高橋氏は話します。

「初めての小売り、惣菜の販売。当時は本当に必死でしたよ(笑)」と言う高橋氏ですが、この場所で大きな手ごたえを感じることに。工夫を凝らしていいものを売れば、きちんと反響がある。それを生産者に伝えると、彼らのモチベーションが上がる。更に高橋氏自身が青森県中の産地を訪れる中、様々な生産物の品種や味の違いなどに感動し、それがまた自分の仕事のモチベーションにもなっていったそうです。その後、『フレッシュファームFORET』の前身である青果店の業務委託を依頼された高橋氏。惣菜部門はより進化し、バル形態の営業に。青森のいいものを多くの人に届けたいという想いが、地域を巻き込み循環し始めたのです。

「弘前中央食品市場」内に登場した「ボヌール」(現在は閉店)。高橋氏も小さい頃から通ったという、市民にはおなじみの庶民的な市場だ。

ひろさきマーケット生産者と消費者の双方を繋ぎ、双方の幸せが交錯する場所。

現在、バイヤーとして青森中を回る日々を送る高橋氏。店という基盤を確立したからこそ、見えてきた次なる課題もあります。それを実現する場が、2018年12月にオープンした飲食店『Local Food Buffet そらにわ』。こだわったのは、旬の野菜をバイキング形式でたっぷりと提供することでした。高橋氏曰く「こんなにたくさん野菜を扱えるようになったのに、それをもりもり食べてもらえる場所がない!と思って」。

同時に、「生産者から直接生産物を仕入れる販売代理店」という『ひろさきマーケット』の立場を、よりブラッシュアップしていきたいという想いも強くなったそうです。「私たちには、生産者の想いをより詳しく消費者に伝える役割があります。一方、生産者側からは消費者側が見えづらい現状もある」と高橋氏。『Local Food Buffet そらにわ』の営業が落ち着いてきたら、と前置きしつつ、「生産者の方々に代わるがわる『Local Food Buffet そらにわ』に立ってもらい、直接お客さんと話ができる場にしたい。もっとライヴ感のある演出ができれば」と語ります。実現すれば、おそらく日本初のレストランになるはずです!


この日、偶然「フレッシュファームFORET」へ野菜の納品に来ていた黒石市の生産者、「サニタスガーデン」のスタッフ山崎氏が、私たちにこう話してくれました。私たちが「この野菜を作り始めた頃から扱ってくれて、応援してくれて……高橋さんには感謝しかない。足を向けて寝られません」と。その横では、夕飯前の買い出しでしょうか、スタッフにあれこれ聞きながら、ニコニコと笑顔で惣菜と野菜を買い込む常連客が。この店ではおなじみであろうその光景を見た時、頭に浮かんだのは、高橋氏の原点である1号店「ボヌール」の店名の意味、「幸せ」という言葉でした。生産者にも、消費者にも、幸せを。高橋氏の作る幸福な食のサイクルは、今後ますますたくさんの人を巻き込み、発展していくことでしょう。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

新店『Local Food Buffet そらにわ』では、長年培った惣菜の製造・販売スキルを活用。農業の専門知識も備えた店長をはじめ、若いスタッフが元気に切り盛りする。

『Local Food Buffet そらにわ』のブッフェ料金は、中学生以上1,500円、小学生850円、5歳未満300円、3歳以下無料と良心的。既に女性やファミリー層から大人気だ。

弘前市の繁華街に近い商業施設「ルネスアリー」1階、広い窓から景色を見渡せる開放的な場所にある『Local Food Buffet そらにわ』。

『Local Food Buffet そらにわ』に納品された様々な野菜。価値を理解できる人の手で、きちんと価値を生かされて使われる、幸せな野菜たちだ。思わず「美味しい料理になってね」、と心の中で呟いた。

電話:0172-55-8711
ひろさきマーケット HP:https://hirosaki-m.com/

住所:青森県弘前市駅前町9-20 ヒロロ B1F MAP
電話:0172-55-8711

住所:青森県弘前市土手町78 ルネスアリー1F MAP
電話:0172-55-5980

PXボタンシルバーリング

BOSSも愛用!ボタンリング!

  • シルバー925のリングをベースにトップにボタンをセットしたリング
  • ボタン部分はYKK別注のアイアンオリジナルロゴ入りボタン
  • 普段アイアンのJKTなどに使用しているボタンです
  • 高さもありボリューム感のあるアイアンらしいリング

アイアンボタンリング

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オールレザー ショルダーパッド

鞄のお供に便利なショルダーパッド

  • オールレザーで作ったショルダーパッド
  • 肩にかけた時の負担を軽減できるようクッション材を入れております。
  • クッション材部分にステッチを入れており、使い込むうちに肩のラインに沿いやすく曲り易い仕様です
  • 端から端までをベルクロ留めできっちりと外れにくい仕様
  • アイアンのレザーバッグやダッフルバッグにバッチリのサイズ感です

『DINING OUT』に刺激された革新の遺伝子が、やがて新たな潮流を生む。八頭町のイノベーターたちを追ったスペシャルムービー公開![鳥取県八頭町]

八頭町PRムービー『DINING OUT』を支え、成長し、やがて新たな潮流を生む。八頭に息づくイノベーターたちの挑戦。

鳥取市の南側、山々に囲まれた中山間地域に位置する鳥取県八頭町。古からの神話と雄大な自然が残される一方、高齢化や過疎化、就業機会の減少といった”日本の田舎“が抱える多くの課題に、この八頭町も例外なく直面しています。しかしひとつだけ、八頭町が一般的な田舎町と異なっていることがあります。それは、これらの課題に対してただ悲観するのではなく、アクションを起こしていること。たとえば自動運転やICTの導入、あるいは廃校となった学校を拠点とした起業やイベントのバックアップ。革新的な技術を積極的に取り入れながら、八頭町は走り続けているのです。
八頭町の取り組みはこちら

そのアクションの中心に立つのは、4人の若きイノベーターたち。県の廃校を利用した活動拠点『隼Lab. 』のプロデューサー・古田琢也氏は、シェアオフィスやコワーキングスペース、誰でも使えるコミュニティスペースの提供を通して、市民のアイデアを形にすることを後押しします。柿農家の『岡崎ファーム』岡崎昭都氏は、高齢化が続く八頭町の農業の救世主。Uターンで八頭町に戻り、「カッコ良く楽しく」をモットーとした農業で、特産の柿づくりだけでなく、農業のPRにも一役買っています。ガーデンニングショップ『OZ GARDEN』の遠藤佳代子氏は、庭というフィルターを通して、八頭を囲む自然の魅力を再発見できる道を探ります。そして年間30万人が訪れる八頭名所『大江ノ郷自然牧場』を作り上げた小原利一郎氏は、数々の企画を通して“若者たちが誇れる地元づくり”を目指します。

そんな八頭町を舞台に2018年9月、『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』が開催されました。もちろん、その会場にはこの4人の姿がありました。地元スタッフが一体となり、数々の困難を乗り越え、そして大盛況で幕を閉じた『DINING OUT』。小原氏は「どこに出しても恥ずかしくない、八頭の底力を再確認した」といいます。古田氏は「地元で横のつながりができたことが大きな成果。一時の盛り上がりで終えたくない」と語りました。『DINING OUT』の成功は八頭町のイノベーターたちを刺激し、新たな、力強い潮流を生み出しはじめたのです。

古田氏の言葉は偽りではありませんでした。そう、2019年秋、八頭町では、地元だけで行うもうひとつの『DINING OUT』が開催されるのです。『DINING OUT』で火が付いた八頭町のイノベーションが、やがて大きな流れとなり、町全体を巻き込む一大イベントとなる。そんな八頭町の情熱を、町の魅力を発信する八頭町のイノベーターたちにフォーカスしたスペシャルムービーでお届けします!

住所:〒680-0493 鳥取県八頭郡八頭町郡家493番地 MAP
電話:0858-76-0201
鳥取県八頭町役場 HP:http://www.town.yazu.tottori.jp/