テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会愛媛県西宇和は、一年を通じて、柑橘王国。
『西宇和みかん』は、強い甘みと幽かな酸味のバランスが素晴らしく、薄い“じょうのう”ゆえに、とろけるような食感の温州みかんでしたが、収穫が始まるのは早生で秋頃から。最盛期は11月に迎えます。しかし、西宇和には年が明けて以降、旬を迎える柑橘類もあります。
それが、中晩柑。総称して、『西宇和かんきつ』と呼ばれています。品種はいろいろあり、旬を迎える時季も様々。『伊予柑』に始まり、『デコポン』『清見』と続き、新甘夏の『サンフルーツ』は5月いっぱいまで。食べ頃はずっと続きます。
こうした中晩柑のみを作る西宇和の一大産地が旧三崎町。伊予灘と豊後水道を分けて細長く突き出た、佐田岬半島の先端に位置します。急な斜面を下った先は、紺碧の海。絶景の中に広がる三崎の生産現場を訪ねました。
▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。
テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会祖父母を師と仰ぎ、今日も園地で『清見』と向き合う。
眞田稜太氏は、27歳の若さながら、およそ1.5haの園地と日々、向き合う生産者。祖父母がこの土地で、すっと中晩柑を育てており、東京の短大で農業を学んだ後、帰郷して7年前に跡を継ぎました。
「中学生の頃から、すでに将来の夢のひとつに、農業があった」と眞田氏。
今日は『清見』のチェックに訪れています。『清見』は園地の約5割を占める、眞田家の主力品種。園地は標高100mを超える頂から、急な勾配で下っており、石垣もあちこちに見られる、段々畑になっていました。
頂から高さで30mほど下って今、立っている舗装道路の下に広がる斜面にも「ウチの畑がある」と言います。杉を刈り込んだ防風垣も、斜面の所々に見られ、地面には、太陽光に照らされて白く輝くマルチシート。これは、反射光によって着色が向上するだけでなく、地中の水分を外に逃がして雨を遮断し、糖度を上げる役割も担っています。
「今年は堆肥を増やしたことが一点。それから、マルチを敷く時期を1カ月ほど前倒しして早めに水分を断つ工夫もしました」
こうした試行錯誤は毎年のこと。
「これで良いと思う年は今まで、一度もありません」
三崎で、これほどまでしっかりとマルチシートを敷設する後継者は少ないそう。マルチシートは収穫後に回収せねばならず、手間がかかるのです。そのため、眞田氏の園地の多くは各生産者が共同で運営する「三崎柑橘共同選果部会」から「特選園地」に認定されています。
「マルチを始めたのは、じいちゃん。それから、風のことは、ばあちゃんに聞きます。このふたりは僕にとって、誰よりも大切な先生。それから、ほかの生産者の方々の話を聞いたり、『JAにしうわ』に指導を仰いだりと、知見を蓄えている最中です」
眞田氏がずっと目指しているのは、「日本一の清見を作りたい」ということ。そのためには、マルチシートだって丁寧に敷くし、風や雪、鳥などの被害を防いで、より美しい果皮にするためのサンテ(=果実袋)を『清見』一個一個にかけることも厭いません。先人たちが築いた段々畑と防風垣に甘えることなく、常に今、できるベストを指向する。それは、子供の頃からずっと接してきた三崎の中晩柑を誇りに思っているから育まれた志なのでしょう。
テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会大切に育てられた『西宇和みかん』を、最先端のテクノロジーで出荷。
「三崎の『清見』は日本一。私も、故郷に帰ってきて、改めて実感しました」
収穫した中晩柑を一カ所に集積して出荷する「三崎柑橘共同選果部会(三崎共選)」で、共選長を務める寺﨑文人氏は言います。
寺﨑氏は一度、都会に出てサラリーマンとなった後、帰郷した異色のキャリアの持ち主。兼業農家として中晩柑を育ててきた両親の跡を継ぎました。
「こっちでの生活はストレスがなく、山海の美味が揃うからでしょう。サラリーマン時代は52、3kgしかなかった体重があっという間に増えて、60kgを超えました」。そう言って、朗らかに笑います。
三崎で中晩柑の栽培が始まったのは、明治時代。山口県萩から夏みかんが移植されたのが始まりで、時代が下るに連れて『清見』、『デコポン』と、品種を増やしてきました。今や代表的な品種だけで十を超す中晩柑が生産されています。
寺﨑氏が「三崎共選」の選果場を案内してくれました。
「今日は『デコポン』の選果をしています」
カゴ一杯に詰まった『デコポン』は美しく輝き、眞田氏を始めとする生産者が、丹誠込めて育てたことがわかります。どのぐらいの量が持ち込まれたか、生産者ごとに重さを量ったら、『デコポン』はベルトコンベアへ。一個一個が静かにレーンを進んで行きます。
「まず、傷や痛みがないか、目視で2回、チェックします。それから、アポグレーザーと呼ばれる機械で一個のみかんを6面から一瞬でカラー撮影して、着色などの外見、サイズを測っていきます」
その後、10年ほど前に導入されたという最新の光センサーで、糖度と酸度を瞬時に測定。“秀”や“優”などの等級と、MやLといった階級ごとに分けられていきます。箱詰めされる直前には、もう一度、目視で不具合がないか、チェック。こうしてようやく、出荷を待つストレージスペースへと向かいます。
「この選果場が設立されたのは今から18年ほど前。それまでは海沿いにありましたが、場所も移して大きくしました。作業効率は格段に上がったと聞いています」。人が心を込めて育てた中晩柑を、最新鋭のテクノロジーで的確に消費者の下へ。こうした取り組みも『西宇和みかん』の強みです。
テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会農業には夢がある。そう言い切れるだけの魅力がこの土地にはある。
選果場に続いて訪れたのは斉藤誠二氏の園地でした。斉藤氏は兵庫県出身ですが、母の故郷が三崎だったため、幼い頃から、ここは「知った土地だった」と言います。
地元の兵庫で「たまたま(笑)」農業大学に進学し、そこで「土いじりの楽しさ」に開眼。卒業後は農業研修でアメリカに行く機会も得て「はっきりと就農を決意しました」。三崎にIターンという形で向かったのも「偶然」とのこと。「三崎共選」が窓口になって農作業支援者を募集していることを、やはりたまたま、知ったからでした。
「大学の先生からは『大変だから、やめておきなさい』なんて言われましたけど、やっぱり、どうしても農業がしたかった。この園地は借地ですが、僕の熱意が通じたのかもしれません。三崎で支援活動を続けているうちに、持ち主の方から『ウチの畑はどう?』という話があり、ならば『やってまえ!』と(笑)」
きっと、斉藤氏はこの土地と強い縁で結ばれていたのでしょう。「子供の頃から風景が美しくて好きだった」三崎で今は『清美』と『デコポン』、それから、『サンフルーツ』を育てています。
今日は『サンフルーツ』の収穫。3月でもコタツが欠かせない北海道で特に「おこたでみかん」のみかんとして愛されている中晩柑です。適度な酸味は今や懐かしいと感じる、古き佳き夏みかんのそれ。収穫してから3週間ほど、倉庫で貯蔵し、余分な水分を飛ばしてから選果場に運びます。
念願の農業を自分で始めて早4年。「まだまだ課題は多い」と語る斉藤氏ですが、「好きな農業で得た結果が収入になる」と楽しそう。そして、きっぱりとこう言い切りました。「農作物の生産はその土地に何代も根付く、ひとつの産業。その基盤を今、自分が作っているんです」。その自負があるからこそ、「農業には夢がある」と斉藤氏は語るのです。
テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。着実に実を結ぶ『JAにしうわ』の取り組み。
三崎にIターンした斉藤氏は良い例ですが、就農を支援する活動は『JAにしうわ』でも積極的に行われています。背景にはあるのは生産者の減少。例えば、三崎なら、1998年には508軒あった農家が今は228軒と、およそ20年間で半数以上も減ってしまっている現実があります。
地元が誇る特産品『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。
『JAにしうわ』が2014年に設立した「西宇和みかん支援隊」は、次世代に繋ぐ活動の一翼を担う組織です。そのために、まず取り組んだのは農繁期の労働力の確保。『西宇和みかん』を収穫・選別する時期には多くのアルバイトが必要で、長期間の滞在が不可欠ですが、廃校を有効活用して宿泊施設にリノベーションするなど、援農者の快適で安全な生活をサポートし、リピーターになってもらうための様々な手段を講じています。
それから、もちろん、将来の担い手を育成することも忘れていません。都市部で就農セミナーを開く、農家に短期滞在してもらって実際の農業と暮らしを体感してもらう、受け入れる生産者側に担い手を育成する実践チームを作る。こちらでも、様々な取り組みが行われています。
こうした活動が功を奏して、真穴地区ではアルバイトで訪れた3名が、西宇和のことを気に入り、そのまま就農を目指して、『JAにしうわ』が実施している研修制度に参加したという実績も生まれています。努力は着実に実を結んでいるのです。
テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会素晴らしい土地だからこそ、美味しい『西宇和かんきつ』は育まれる。
急峻な斜面に広がる段々畑。たわわに実った『清見』は青い海と美しいコントラストを成しています。ここは、先に訪れた眞田氏の園地。凪の海をよく見ると、遠くで煌めく水面を滑るように、大きなフェリーが進航していました。
「あれが西宇和と大分を結ぶ船」
眞田氏がそう言います。アルバイトで訪れた若者が、この光景を見て就農を決意する。その気持ちもよくわかります。本当に美しい。
今日、訪ねた、もうひとりの生産者である斉藤氏の言葉も脳裏に浮かびました。
「この光景が子供の頃から好きでした」
眞田氏をふと見ると、その横顔からは中晩柑を作り続ける決意とプライドが漲っているように感じられました。
「あの辺りをフェリーが行くのを見ると、『あ、もう10時半になったか。そろそろお腹が空いてきたな』。そう思うんです(笑)」。『西宇和かんきつ』は郷土を愛する人々で大切に育まれている。『西宇和かんきつ』は、これからも自慢の特産品であり続けます。
(supported by JAにしうわ)
住所:愛媛県西宇和郡伊方町二名津1693 MAP
電話:0894-54-2188
三崎柑橘共同選果部会 HP:http://ja-misaki.com/index.html