精緻な作業に没頭する中田克美氏。“現代の名工”“黄綬褒章”をともに受賞するほどの名工。
グランドセイコー 信州の山々に囲まれた地で出合った、清廉実直なウォッチメーカー。水温む3月も半ばに、新宿駅から中央特急あずさ号に揺られること凡そ2時間半。諏訪湖畔の岡谷駅を過ぎ全長6kmにもおよぶ塩嶺トンネルを抜けるとそこには、新緑の尾根と雪に覆われた平野という、私たちの予想を裏切る美しいコントラストが広がっていました。
「2,3日前にドカ雪が降ってね。春の立ち上がりは毎年こうだからさ」
塩尻駅からタクシーに乗り込み、見るからに人のいいベテランドライバーの運転で10分も掛からず到着した、セイコーエプソン塩尻事業所。訪ねたのは、その一角にある「信州 時の匠工房」です。
「信州 時の匠工房」は、スイスの名門ブランドをも凌駕するといわれるグランドセイコーを中心とした、高級腕時計を専門に製造するマニュファクチュールです。一般的にムーブメント(駆動装置)から自社で開発、製造する時計メーカーをマニュファクチュールと呼び尊ぶ傾向にある時計業界ですが、「信州 時の匠工房」はムーブメントはもちろん、ケースや文字盤、針などの主要部品を一貫して自社の同じ工場内で製造、組み立て、出荷検査まで行う、真のマニュファクチュール。これは世界広しといえども、非常に稀で、それほど希少でハイレベルな叡智が凝縮された“創造”の場であることを意味します。
そんな「信州 時の匠工房」が担うのは、グランドセイコーのなかでもクオーツ式とスプリングドライブという機構を採用したモデルの開発や製造。我々がお会いしたかったのは、そんな「信州 時の匠工房」を構成する主要部門のひとつ、複雑時計や最高級品を手がける専門工房である「マイクロアーティスト工房」の時計技能者として“道”を極めんとする、中田克美氏です。
▶詳細は、Grand Seiko/技術は想いから創造される。日本が誇る時のブランド「グランドセイコー」。
「信州 時の匠工房」からほど近い、高ボッチ高原から望む塩尻の町。このエリアの清涼な気候こそ、高級時計に代表される精密機械製造発展の要因。
グランドセイコー 地元で支える、世界に誇るグランドセイコーのものづくり。塩尻は冷涼な気候と清らかな水源に恵まれ、また中山道の宿場町でもあったこともあり、古くから交通の要所あるいは製造業の拠点として栄えてきました。現在でも多くの精密機械メーカーが軒を連ね、また伝統的な木曽漆器工房や古き良き奈良井宿の町並み、世界的評価を高めているモダンなワイナリーなど、見どころの多い土地でもあります。中田氏はそんな塩尻にほど近い、諏訪郡原村で生まれ育ったのだといいます。
「地元の諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)に入社した1982年頃、爆発的なクオーツの普及によって、ゼンマイ駆動の機械式グランドセイコーは高精度機械式時計としての役目を一旦終えていました。しかし80年代後半にグランドセイコーを復活するというプロジェクトがスタートし、その専用キャリバーであるクオーツ式の『9587』の組み立てに携わることになったんです。それが私とグランドセイコーとの馴れ初めです」
世界初のクオーツ式腕時計である「クオーツアストロン」、またその後の特許技術の公開によって世界中へクオーツ式時計の普及を進めていたセイコーは、88年に発売したグランドセイコー初のクオーツモデル「95GS」によって、巷のクオーツ時計を大きく引き離す年差±10秒という圧倒的精度を実現。グランドセイコーの名声と技術水準の高さを、改めて世界に轟かせたのです。
諏訪精工舎といえば、ぜんまいで駆動しながらも驚異的な高精度を実現した、スプリングドライブというセイコー独自の駆動方式が生み出された場所。そんなイノベイティブな環境で、若き日の中田氏は研鑽を積んでいくことになります。
「決して趣味とは言えませんが、子どもと一緒に家の近くの阿弥陀岳に登山に行ったりします。実は高所恐怖症なので下山が大変なんですけどね(笑)。諏訪大社の御柱祭は完全に地元で上社側。松本の工場勤務だった時代を除いては、いつも参加させてもらっているんですよ。……正直、家と職場の往復しかしてないので、塩尻のことはあまり知らないんです」
そう申し訳なさそうに話す中田氏にとって、この地域は慣れ親しんだ“当たり前”にあふれた土地だということなのでしょう。
バーゼルワールド2019で発表された最新作「SBGZ001 」。
最新作「SBGZ001」、「SBGZ003」のムーブメントも、意外なほどアナログな工具によって磨きや組み立て、調整がなされる。0.01mmの誤差も許されない超精密な作業だからこそ、熟練した技能士の感覚だけが頼り。
グランドセイコー テクノロジーではなく技術者の進化が、製品を進化させる。世界最大の腕時計見本市・バーゼルワールド2019にて発表されたばかりの新作「SBGZ001」、「SBGZ003」は、スプリングドライブの誕生20周年を記念した新開発の手巻きムーブメント「9R02」搭載モデル。構想から商品化まで、実に27年という月日を要したセイコー独自のスプリングドライブは、ぜんまいのトルクで駆動しながらクオーツ式時計と同等の驚異的な高精度を実現した独創の機構です。しかし常に自らを進歩させ、時計技術の進化と発展を目指して挑戦し続ける中田氏とそのチームは2016年、最大約8日間(192時間)、つまりは1週間以上の連続駆動を可能とする新ムーブメント「9R01」の開発を成功させてしまいます。つまりは“機能”を飛躍的に進化させたわけです。
「最新の『9R02』では、新たに開発した“デュアル・スプリング・バレル”と“トルクリターンシステム”という機構によって、エレガントでコンパクトなケースと最大約84時間の駆動時間を両立させることができました。これで金曜日に時計を外しても、月曜日にまだ余裕で駆動し続けていることになります。たとえ高すぎる壁に見えても、研究と試行錯誤を繰り返し乗り越える方法を探し出すことで、もっと高い領域を目指さなければなりません。2011年に発表したミニッツリピーター(鐘の音で時刻を知らせる超複雑時計)のように、今まで自分達が作ったことのない、まったく新しい機能をもった製品をいつの日か作ってみたいですね」
最先端のテクノロジーが凝縮されたグランドセイコーであるはずなのに、その組立や調整、仕上げをする中田氏の仕事ぶりを見ていると、実にアナログで前時代的であるとすら感じられるときがあります。
「部品仕上げの精度と美しさを追求するために、さまざまな文献を調べてみたり、スイスの著名な独立時計士であるフィリップ・デュフォーさんを訪ねて教えを乞うたこともありました。科学的なアプローチも色々試した結果、最終的に以前から使っていた柳箸で磨き上げるような、最もクラシックな道具と手仕事がベストという結論に立ち返ったんです。もちろん、現時点でのものですけどね。」
故きを温ね新しきを知るとはよくいいますが、“故き”にこそ真理があるというのもまた、真理なのかもしれません。
地元・諏訪の出身の中田克美氏。スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチの組み立てなどに腕を振るう傍ら、新製品の開発も。
中田氏の手首に巻かれているのは、「繊細なデザインと、細い手首にしっくりくるサイズ感が気に入っている。特別なときにしか付けないんですけどね」という、名機「9Fクオーツ」を搭載した「SBGX005」(販売はすでに終了)。
グランドセイコー 技術の継承と後進の指導は、つくり手としての義務なんです。「クレドールという高級ブランドでは、スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチである国内初のミニッツリピーターをマイクロアーティスト工房のメンバーで製作しました。茂木正俊が設計を、私が組み立てや調整を担当しましたが、複雑時計というのは仮にどんなに精巧な設計図であったとしても、そのまま組み上げただけではちゃんと動いてくれません。必ず誤差というものが生じるからです。0.01mm以下という僅かな誤差であっても、ミニッツリピーターのような機構は正しく動作しなくなってしまうんです」
そこでは長年培った知識と技術と勘により、その誤差を“調整”してうまく動くようにするという作業が、絶対に必要になってきます。
「これは自分の力だけでは不可能だし、先輩に教えてもらうだけでも不可能です。だからこそ技術の継承というものが、なによりも大切なんです。最高の技術と知識が求められる製品を販売し続けることで、我々技能者は常にそのような製品に触れ合い、己の技術を磨くことが出来ます。また先輩の技術を学ぶことが出来ます。このような環境が、グランドセイコーが常に最高峰の腕時計として君臨し続けていられる理由であり、セイコーの、引いては日本の時計づくりという文化のさらなる進化をもたらす要因なんだと思うんです」
自分の好きな時計を設計から仕上げまで、好きなように作り上げる独立時計師が羨ましく、憧れる気持ちもある、という中田氏。
「でもつくり手にとって、技術の継承は義務のようなもの。後進の指導を含めてじっくりと取り組むことのできる『マイクロアーティスト工房』での仕事は、私にとって理想的なのかもしれません」
図面には現れない、決して数値化できない“見えない壁”は、決して人工知能や機械に越えることはできません。そして知識や技術に加えて情熱までも、世代を超えて受け継いでいけるのは、我々人間だけだと思うのです。スプリングドライブならではの水面を滑るようにスムースに動く秒針は、決して途切れず止まることのない“時”の流れを象徴するかのよう。
「ゴルフが好きでよく行くんですが、強いバックスピンが掛かったボールは、地面に落ちてくるのがとてもゆっくりに感じられますよね。その動きを眺めていると、“時”の流れを強く感じるんです。あと鏡に写った自分が、いつのまにか白髪交じりになっていることに気づいた時も(笑)」
グランドセイコーのコンセプトである“Nature of Time”とは、移ろい、流れ続ける“時”の永続性を意味するもの。目を凝らし、耳を澄ませば、わたしたちの身のまわりでも本当にたくさんの“Nature of Time”を見つけることができるでしょう。
(supported by Grand Seiko )
中田氏だけでなく、すべての技能士が自分の手と感覚に合うよう自らカスタマイズした工具を使用。また常に同じ使用感を得るようにするため、日々の手入れも欠かせない。
グランドセイコーとして初のマイクロアーティスト工房製のモデルとなった「SBGD201 」。その長く、大きく、スムースに回転する秒針が、スプリングドライブならではの時の“流れ”を体現。
「SBGD201」に搭載されたキャリバー「9R01」シリーズは、塩尻の風景を見事にデザインへと昇華。受けの輪郭で富士山、パワーリザーブが諏訪湖、ルビーやネジは街の灯りを象徴。
高ボッチ高原に立てば、眼下に広がるのは美しい諏訪湖と諏訪の街。キャリバー「9R01」と見比べれば、その再現性の高さは一目瞭然。これこそまさに、Made in Japanの圧倒的技術力と美意識の発露。
お問い合わせ:0120-302-617 ※グランドセイコー専用ダイヤル(通話料無料)
受付時間:月曜日~金曜日 9:30~21:00
土曜日・日曜日・祝日・年末年始 9:30~17:30
グランドセイコー HP:https://www.grand-seiko.com/jp-ja