
日本の建築美を感じる、こだわりのアトリエにて。
サルトリア カブート
日本海に突き出た石川県の能登半島。その中心に位置する七尾市の一角に、イタリア・フィレンツェ帰りのテーラー・甲 祐輔氏によるオーダースーツの名ブランド『Sartoria Cavuto(サルトリア カブート)』のアトリエがあります。後編では、イタリアでの修業時代をはじめ、甲氏の経歴をたどります。
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本場仕込みの技術とセンスが光る甲氏の仕立て。
サルトリア カブート城下町の風情を大切に残しながら、新たな風を吹き込む。
能登半島にあり、日本海に面した七尾市。甲氏はこの街で生まれ育ち、東京、イタリアでの生活を経て、再び戻ってきました。現在アトリエがあるのは、七尾駅から徒歩10分ほどの場所。駅前こそビルが立ち並び、交通量も多く賑やかですが、少し歩いて川を渡ると趣が変わり、風情漂う街並みが広がります。
特にメインストリートは『一本杉通り』と呼ばれ、情緒たっぷり。登録有形文化財にも指定されている古民家が軒を連ね、かつて城下町だった歴史を今に伝えています。
近年は、甲氏と同世代の若手たちが、古い町家や蔵を改装して雑貨屋やカフェ、飲食店をオープン。歴史ある建物を大切に残し、生かしていこうという動きが広まっています。築130年の古民家をリノベーションした甲氏のアトリエも、その一翼を担っているといえるでしょう。

七尾駅から少し歩くと、大きな川が流れています。

アトリエまでの道中にある、通称『一本杉通り』。

かつて城下町だった歴史が今に息づく街並み。

古風な佇まいで、街に溶け込んでいるアトリエ。

港町でもあり、少し歩けば日本海が広がります。
サルトリア カブート夢を追い求め、七尾から東京、そしてフィレンツェへ。
甲氏がアパレルの世界に惹かれたのは、高校生の頃。当初はモード系の洋服に興味を持ち、休日は金沢へショップ巡りに出かけていました。しだいに都会への憧れと、将来はデザイナーになりたいという夢が膨らみ、卒業後は東京の服飾専門学校へ進学。モード系デザインの勉強を進めていましたが、2年経った頃、その興味が大きく転換する出合いがありました。
「東京でもショップ巡りをしている中、ある日何気なく入った古着屋が、とてもお洒落で。モードなものもクラシックなものも置いてあったのですが、特にクラシックなスーツのジャケットが目に留まり、興味を惹かれました」と甲氏は振り返ります。そこから店長と話したり、雑誌などで掘り下げて調べたりするうちに、イタリアスーツの仕立てに魅了されていった甲氏。「イタリアの名立たるサルトリアの仕立てほど格好良いものはない!」と、デザイナーからテーラーへと夢が変わりました。
そして、服飾専門学校を卒業して2ヵ月後の2003年5月、甲氏は単身イタリア・フィレンツェへ。「本当はナポリ仕立てに惹かれていたのでナポリに行きたかったのですが、以前旅行でフィレンツェを訪れた際、治安の良さや、小ぢんまりとした街の規模、歴史、雰囲気が良いと感じたので、まずはフィレンツェに行くことにして。とりあえず最初の1年間は現地の語学学校に通う手続きをし、日本を発ちました」と甲氏。

卒業間近でサルトの世界に一気に魅了された甲氏。
サルトリア カブート偶然が重なりスタートした、名門工房での修行の日々。
フィレンツェに渡ると、毎日午前中は語学学校、午後は街を散策してウィンドウショッピングを楽しむ日々。そんな中で2ヵ月が経った7月のある日、1軒のサルトリアと出合います。
「現地の仕立て屋はマンションの一室でやっているような店が多くて、偶然通りかかるということはないんです。でもこの店は路面店で、入りやすい雰囲気。窓から店内を覗くと洒落たスーツや小物が並んでいるのが気になり、足を踏み入れました」と甲氏。その店こそ、世界に誇るイタリア・サルト界の名店『LIVERANO&LIVERANO(リヴェラーノ&リヴェラーノ)』だったのです。
商品を見て回り、ネクタイを3本購入したところで、意を決した甲氏。まだ片言のイタリア語を駆使し、唐突ながら「ここで働きながら勉強させてほしい」とスタッフに切り出しました。すると、店主のアントニオ・リヴェラーノ氏が現れ、幸運にも翌日から雇ってもらえることに。この即決は、実はその頃、同じく見習い志望で熱心にメールを送り続けていた日本人男性がおり、その人物と勘違いされたことに始まります。ただ、誤解は翌日すぐに解消。それでも甲氏が採用されたのは、真摯な態度に店主が胸を打たれたからに他なりません。
工房では60歳前後のテーラー4名ほどが働いており、仕切っていたのは、ナポリ郊外カゼルタ出身の、フランチェスコ・グイーダ氏。2年に1度開催される、イタリア中の州の代表が参加する仕立てのコンクール『フォルビチドーロ(金の鋏賞)』にて、2006年度に優勝した名サルトです。甲氏が入ってからは、彼がつきっきりで一から仕込んでくれました。「本当に基礎の基礎、例えば裁縫の際に中指につける指貫の使い方から。ベテラン職人というと厳しくて堅物なイメージがありますが、フランチェスコは優しい人柄でしたし、『見て学べ!』ではなく説明しながら丁寧に、少しずつステップアップする形で教えてくれました。おかげで、毎日工房に行くのが楽しみでしたよ」と甲氏は話します。
しかも、始めは端切れを使ってひたすら練習の日々……と思いきや、決してそんなことはなかったそうです。「初っ端から実際にお客様に納品するスーツの製作工程の中に入らせてもらい、実践しながら学ばせてもらいました。いつも練習だけど本番という(笑)。恵まれた環境でしたね」と甲氏は言います。
また、休日もフランチェスコ氏の自宅に招かれ、彼が個人的に受注していた仕事の手伝いに従事。そこで包み隠さず教えてくれる彼から、『LIVERANO&LIVERANO』では用いることがないナポリの技法や、様々な縫製の技術を学びました。「多種多様な経験と技術を持つフランチェスコから色々と教われる環境で、もっと彼から技術を習得したいという思いが膨らむ中、いずれはナポリへ行きたいという当初の思いは、自然と頭から離れていきました」と甲氏。
突然始まった名店での修行は、それから実に7年間にも及びました。

偶然の巡り合わせで始まった修行が現在の糧に。

文字通り一から全てを仕込んでもらいました。

重みがあり美しく仕上がる現地のアイロンは今も必需品。
サルトリア カブートフィレンツェで自身のサルトを開き、故郷へ錦を飾る。
あらゆる技術をマスターした甲氏は、『LIVERANO&LIVERANO』に入って約7年後の2010年、ひと足先に退職していたフランチェスコ氏を追って同店を退職。その後は彼の新たな職場で仕事を手伝い、大手アパレルのビスポーク部門にも約2年勤務しました。また、並行して個人的なオーダーも増えていき、合間を縫って日本に帰国すると、噂を聞きつけた日本人客からも依頼が来るように。
そして2012年、満を持して独立を果たし、自身のブランド『Sartoria Cavuto』を立ち上げたのです。そこから3年ほどフィレンツェで店を営み、帰国したのは2015年のことでした。
「実は当初の計画では、10年ぐらいイタリアで修業を積んだら帰国して、東京に出店しようと考えていたんです。でも、フィレンツェで生活する中で、価値観も変わってきて。あの街には、本当に古い建物が、昔のままの姿で残っているんですよ。地図も昔と全然変わっていませんし。そんな環境で暮らすと、体感的に古いもの、歴史あるものの良さを知り、惹かれるようになるんですよね。それこそ高校生の頃は田舎が嫌で、大都会・東京に憧れていたのに。そうやって古き良きものを大切にする街を好きになると、まさに七尾ってそういう街だということに気付いて(笑)今にいたります」と甲氏は語ります。
若い頃は何の思い入れもなかったという、古民家が軒を連ねる七尾の街並み。そこに、価値を感じるようになったことで、甲氏は晴れて故郷に凱旋することとなったのです。

広々とした空間は、時間の流れもどこかゆっくり。

名刺には石川県輪島市で作られる、紅花入りの和紙を使用。

壁には製作中のスーツがずらりと並んでいます。
サルトリア カブート時間をかけて丁寧に、喜びや感動を生む1着を仕立てる。
『Sartoria Cavuto』を立ち上げて7年。甲氏の仕立てに魅了された者は国内外に数知れず、ファンは増え続けています。甲氏曰く、「手縫いにこだわって一つひとつ丁寧に仕立てるため、どうしても1年半程かかるような状況なのですが、たくさんのお客様にオーダーいただき有難いですね。今は24時間いつでも買い物ができて、何でもすぐに手に入る便利な時代。だからこそ、逆にお客様方は、お金を払ってもすぐには手に入らないものに価値を見出してくださったり、待つ喜びを感じてくださったりしているようです」。
今後も「規模を大きくしたいなどとは思わず、自分の手で一つひとつ、丁寧なものづくりをやっていきたい」という甲氏。今日も七尾の街の片隅で黙々と、待つ楽しみ、所有する喜びを感じられる一着を、静かにゆっくりと作り上げています。
1981年石川県七尾市生まれ。東京の服飾専門学校を卒業した2003年、テーラーを志し、イタリア・フィレンツェへ。名店『リヴェラーノ&リヴェラーノ』にて、師であるFRANCESCO GUIDA(フランチェスコ グイーダ)氏の元、約7年間修行。後に、フランチェスコ氏が移籍した大手アパレルのビスポーク部門にも、師を追って約2年勤めた後、2012年に独立。『Sartoria Cavuto』を立ち上げた。2015年には帰国し、故郷に工房を開設。フィレンツェスタイルをベースに、甲氏ならではの技とセンスに溢れた一着を求め、国内外から依頼が絶えない。
住所:〒926-0808 石川県七尾市木町19-1 MAP
E-mail:cavutosartoria@gmail.com