ハク
日本海に面した港町、鳥取県境港市。木村正明氏が率いる『伯 HAKU』は、この地で栽培される和綿の在来種・伯州綿を使った、オーガニックコットンブランドです。後編では、伯州綿の歴史や、『伯 HAKU』にかける木村氏の想い、未来への展望を追います。
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ハク豊かな自然と文化が息づく街・境港に根差したものづくりを一筋に。
鳥取県西部の日本海沿いに位置し、古くから貿易や漁業が盛んな港町として栄える境港市。一方、漫画家・水木しげる氏の出身地でもあり、米子駅から境港駅を結ぶJR境線には代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターがデザインされた『鬼太郎列車』が走っています。また、境港駅前から約800mに渡って延びる通り『水木しげるロード』には、177体の妖怪ブロンズ像が点在。さらに、道沿いに立ち並ぶ交番や郵便局、ATM、公園なども漫画の世界観を映し出したかのような装飾が施され、妖怪たちの住む世界へと誘われます。
そんな「さかなと鬼太郎のまち」を謳う境港市で1954年に創業したのが、木村氏が代表を務める株式会社きさらぎ。先代が創業した当時は、カメラやフィルムの販売と写真の現像を中心としており、次第に文具や事務用品の販売、山陰地方最大級の大型文具専門店『ぶんぶん堂』の運営、オリジナル文具・雑貨の企画、山陰地方物産品の販売・卸売と、事業を広げていきました。また、1995年には『水木しげるロード』の観光地化を契機に『ゲゲゲの鬼太郎』のライセンスを取得。鬼太郎グッズの企画・製造・卸売をスタートすると、流れに乗ってグッズショップやイベント運営も手掛けるなど、その領域は年々広がり続けてきました。
こうして長年、地域に根差した商いを続けてきた株式会社きさらぎ。そして2013年からは新たに『伯 HAKU』を立ち上げ、境港市の特産品である伯州綿を使った事業を展開することとなったのです。
ハク江戸から明治に一時代を築いた、境港市の歴史的遺産。
『伯 HAKU』の立ち上げは2013年ですが、伯州綿の始まりは遡ること江戸時代前期、300年以上の歴史を誇ります。
鳥取県西部、現在は境港市・米子市のある弓浜半島一帯の「伯耆の国(ほうきのくに)」、別称「伯州」で栽培され始め、その名が付いた伯州綿。この土地特有の砂地と日差しの強さ、潮風による風通しの良さが綿栽培に適していたことから、瞬く間に広まっていきました。
さらに、江戸時代から明治時代にかけては、東北・北海道地方から大阪までの間を港伝いに往復する北前船で出荷されたことによって、全国に知れ渡ることに。良質な伯州綿は特産品として高く評価され、町の発展に大きく貢献しました。
こうして、最盛期には一大産地を形成し、当時の鳥取藩の財政を支えた伯州綿産業。しかし、1896年(明治29年)の綿の関税撤廃をきっかけに、インドやアメリカ、中国、ネパールなどの安価な外国産綿が続々と台頭することに。その勢いに押され、伯州綿は一気に衰退していきました。
ハク110余年の時を越えて復活を遂げ、加速する伯州綿栽培。
明治以降は、江戸時代から続く伝統織物・弓浜絣(ゆみはまがすり)の主原料であることから、その作り手たちによって細々と栽培されていたにすぎなかった伯州綿。そんな伯州綿が再び脚光を浴び始めたのは、2008年のことでした。
境港市農業公社によって、市内で増え続ける耕作放棄地対策と地場産業振興の一環として、伯州綿の復活を目指す取り組みが始動。荒れ果てた畑を利用する形で、再び大規模な栽培がスタートしたのです。初年度は500㎡の面積で60㎏を収穫。翌2009年度からは栽培面積を10,000㎡に拡大して栽培を本格化し、668㎏を収穫しました。
以降、翌2010年度には15,000㎡で1,350㎏と、年々その規模は拡大。収穫された伯州綿は「おくるみ」と「ひざかけ」に加工され、境港市の新生児と100歳を迎える方へ贈呈されるようになりました。
ハク栽培から製品化まで手掛けることで、現代における新たな担い手に。
順調に収穫量を伸ばす伯州綿。栽培の基盤が整ったところで、今度は収穫した綿を活用した製品化が課題となり、白羽の矢が立ったのが株式会社きさらぎでした。
「これまで地域に根を下ろして様々な商いをやってきた実績を買われ、声をかけられたのが2012年の秋。最初はとまどいましたが、最終的には『地域へのこだわり』『トレースできるものづくり』をテーマに、人と環境に優しく、地域の、ひいては地球の未来に繋がるような取り組みとして始めようと決意して。新たな事業部を立ち上げ、せっかくなら栽培からやってみよう!ということで、事務所の近くに600坪程の自社畑を設けました。そこで農業公社の指導のもと、一からスタートしたのです」と木村氏。
5月に種をまくと、7~8月頃に開花。農薬や化学肥料を使わないため夏は雑草との闘いとなり、在籍する事業部を問わず社員一丸となって草取りに励んだそう。全員で成長を見守り、無事9月~11月頃に収穫期を迎えると、皆で弾けたコットンボールを一つひとつ丁寧に手摘みしました。「幸い、初年度から順調にいって。すくすく育つのが嬉しくて、しょっちゅう畑に様子を見に行っていました」と木村氏は笑います。
こうして自社栽培による伯州綿をベースに、オーガニックコットンの権威と共同研究を重ねた結果、正真正銘、和綿をブレンドしたオーガニックの糸を国内で初めて開発することに成功。その糸『シーブリーズコットン』を製品化するにあたり、古来の地域名からブランド名は『伯 HAKU』と名付けられ、タオルの製造・販売が始まりました。
ハク様々なアプローチで、未来に向けて広がる伯州綿の輪。
境港市農業公社と『伯 HAKU』の取り組みによって、現在は再び国内随一の和綿の産地となった境港市。伯州綿の存在とその価値は、地元で見直されたのはもちろん、時を越えて今また全国区となり、求めに応じてその種と栽培手法は各地へ広まっています。
木村氏曰く「地元の小学校では授業で伯州綿を取り上げる他、茎で工作をしたり、枝木で紙すきをして賞状を作ったり、中綿が伯州綿の枕を使ったり。様々な形で子供たちが伯州綿に触れ、その歴史と魅力を感じる機会が増えています。また、県内には伯州綿の布団を提供している宿もありますし、伯州綿の畑には全国から様々な方が視察に来られていて。裾野は確実に広がっていますね」。
また、一般市民向けの「伯州綿栽培サポーター」制度も設立。これは、境港市農業公社が整備した畑の一部を担当し、そこで種まきから収穫まで、一年を通して伯州綿の栽培を担う制度です。収穫した綿は農業公社が買い取り、新生児誕生祝いの「おくるみ」や100歳祝いの「ひざかけ」に加工されます。最低1畝(20㎡)から始められる手軽さと、伯州綿栽培は重度の肉体労働ではなく管理も楽で育てやすいことから、2018年度のサポーターは約120名に上ったそう。境港市を中心に、周辺の米子市や松江市からも、退職者層を筆頭に30~40代の子育て世帯から20代の若者まで、幅広い人々が参加しました。こうして市民も巻き込んだ良いサイクルが生まれ、伯州綿を支える輪は、どんどん大きくなっているのです。
一方、今後はさらに「種から取れる油を活用したハンドケア商品など、新たな分野の商品開発も考えています」という木村氏。丹精込めて育てた伯州綿を魅力的な製品に仕上げ、広く流通させることでその価値をさらに高める取り組みは、まだまだ広がりを見せます。
鳥取県境港市を拠点に、文具の流通小売業をはじめ、地域にゆかりの深いゲゲゲの鬼太郎グッズの企画、製造、販売などを行う、株式会社きさらぎの代表。2013年には、地元産の和綿・伯州綿で作るオーガニックコットンブランド『伯 HAKU』を立ち上げ、伯州綿の栽培から、商品の企画開発、販売を手掛けている。既成概念に捉われない斬新なアイデアの数々で多彩なアイテムを展開。伯州綿の認知と可能性拡大の一翼を担っている。
住所:〒684-0021鳥取県境港市馬場崎町211-1 MAP
電話:0859-44-3535
営業時間:9:00~18:00(土曜~17:30)
定休日:日曜・祝日
伯 HAKU HP:http://haku-cotton.jp/