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津軽から、本気で世界一を目指す。進化を続ける「自給自足レストラン」の今。[TSUGARU Le Bon Marché・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ津軽からその名をとどろかせる、超有名イタリアンレストラン。
それは弘前市のセレクトショップ『bambooforest』のヒゲもじゃ名物店主・竹森 幹氏にお勧めのレストランを聞いた時のこと。「やっぱり笹森さんの店はすごいです。もしかして、まだ『津軽ボンマルシェ』で紹介してないんですか?」と竹森氏。そう、弘前には津軽のみならず日本全国にその名を知られる有名シェフがいるのです。そして今回、満を持してご紹介するのが『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』のオーナーシェフ、笹森通彰氏その人。昨今地産地消を目指すレストランは数多く存在するものの、2003年にオープンした同店のスタイルは、もはや地産地消を通り越した別次元のもの。使う食材のほとんどが青森県産というだけでなく、自らの畑で野菜を育て、肉からは自家製のコッパやサラミや生ハム、牛乳からはチーズを仕込み、更には自分たちで育てたぶどうからワインまで造るという驚愕の「自給自足」式レストランです。
笹森氏は弘前市出身。高校時代からイタリアの車やサッカーリーグを愛する「イタリアおたく」だった笹森氏が料理人を志すことになったのは、仙台の専門学校に通っていた頃、レストランでのアルバイト経験(もちろんイタリア料理店)がきっかけでした。20歳で料理の道を歩むと決め、本格的に調理の基礎を身につけるためレストランに就職。その時感じた想いこそ、今の『オステリアエノテカ ダ・ サスィーノ』の原点です。
「弘前の実家の横には祖母の畑があって、いつもそこで採れた新鮮な野菜を食べていました。レストランに就職した時改めて気付いたのは、それまで意識しないで食べていた実家の野菜がいかに美味しかったかということ。その後働いた東京の高級店でも、全然野菜が美味しいと思えなくて。独立するなら実家の畑がある弘前でと考えるようになりました」と笹森氏。今でこそジャンルを問わず多くのシェフたちから支持される笹森氏のスタイルは、故郷・津軽の自然の恵みが育んだものなのです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ真の「ご馳走」とは何か。東京の高級店ではできない大切なこと。
東京の高級店で経験を積んだ後、28歳でイタリアへ渡った笹森氏。そこで出合ったのが「カンパニリズモ」という考え方でした。朝夕、街中に響き渡る鐘楼(カンパニーレ)の鐘の音。その音はイタリア人に自分の故郷、人生のステージを想起させるものでもあります。つまり「カンパニリズモ」とは、故郷を想う郷土愛のこと。独立するなら弘前で、そう考えていた笹森氏にとって、漠然と目指すスタイルが見えてきます。「向こうでは、朝近所のおじちゃんが店に山羊を連れてきたと思ったら、料理人たち自ら捌いて肉を加工し熟成させる。衝撃を受けました。時間がある時は、農場まで店で使うミルクを搾りに行ったり。日本ではレストランで生きた家畜を捌くことはできないけれど、ジビエだったらできるかなとか、色々なことを考えましたね」と笹森氏。
約2年半のイタリア修業ののち帰国、30歳の若さで故郷に『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』をオープン。当初はイタリアからの輸入食材も積極的に使っていましたが、地元の生産者とのつながりができるとともに減り、反比例するように生ハム、チーズの自家製率が上昇。現在ワインの生産量も増えたことで、店で提供する食材の実に9割以上が青森県産となりました。
「僕は“ご馳走”という言葉が大事だと思っているんです。あちこち走り回って調達したもので料理をこしらえて食べてもらう、それが本来の意味じゃないか、それが食材と料理人と食べ手の自然な距離感じゃないかと。東京では、日本各地から届く高級食材を使った高額な料理がご馳走かもしれない。でも同じことを青森でやる意味はありませんよね」。そう語る笹森氏は、自らの醸造所に『ファットリア・ダ・サスィーノ』と名づけました。ファットリアとはイタリア語で農場のこと。そこからは、毎朝畑へ行くことから一日が始まる笹森氏の、料理人であると同時に農家であるという覚悟がうかがえます。
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ飽きっぽい性格も武器に? 次なる目標は世界一のワイン。
「店を始めた頃は、ワイン造りなんて無理だと思っていました」と笹森氏。ネックだったのが、年間6,000リットル以上の製造能力がないと免許が取れない国の制度。しかしたまたまニュースで見た「どぶろく特区」の話題が、笹森氏の背中を押すことになります。「どぶろく特区」とは、地域活性化を目指す国の施策のひとつ。生産量が少なくても、地域の生産者が地域の材料で作るなどの条件を満たせば酒類製造免許が取得できる制度です。「弘前が特区になればいいじゃないか」。そう考えた笹森氏、なんと自ら役所へ出向き、この地域を「ハウスワイン特区」にすべきだとかけ合ったそうです。自宅横の実験畑で様々なぶどう品種を栽培し、弘前の土地に合った品種を探しながら、2010年からは晴れて醸造をスタート。初めて「いけるかも」と思えるワインができたのは2012年。その後、年々レベルが上がる『サスィーノ』のワインは各方面で話題となります。最近では、水はけが良くぶどう栽培に適した斜面の土地を新たに購入。畑は3.4haにまで広がりました。
「何だってやってみないとわからない。ワインだけじゃなく、常にそんな感じでやってきた。それに僕は飽きっぽいから、何か達成すると他のことをやりたくなっちゃうんです (笑)」。そう話す笹森氏は、きっぱりとこう続けました。「目指すワインは世界一。多くのワインラバーの方々から、超高級ワインと比べても負けていないと評価して頂く。自分でもそう思っていますし、今は世界一のワインができると確信しています」。
ワインへの情熱は、地域のぶどう生産者を増やす活動にもつながりました。現在は弘前市と協働し、3年間『サスィーノ』で研修したスタッフの独立も支援。『サスィーノ』はいわば津軽のワインの旗振り役。今後津軽が国産ワインの一大産地になる、そんな日も近いかもしれません。
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノイタリア料理を愛するからこそ、決めているルールがある。
『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の料理にはひとつのルールがあります。それは、たとえ青森県産の食材でも、イタリアで使われていないものは使用しないこと。「イタリアは地域ごとにはっきりと異なる食文化があります。つまりイタリア料理とは各地の郷土料理の集まり。そして郷土料理は郷土の食材ありきです。今は昆布出汁などを多用するシェフも増えていますが、僕は使わない。そのルールに自分なりのイタリアへのオマージュを込めているつもりだし、伝統的なイタリア料理を濁さないようにしたいんです」と笹森氏。力強い言葉には、少年時代から続くイタリアへの愛が覗きます。
仕事中、どんな時にテンションが上がりますか? そんな質問をした時、笹森氏は顔をほころばせながらこう答えました。「最近だと『大きいマグロがようやく沖に入ってきた』と連絡が来た時かなぁ。『釣りに行きたい!』ってテンションが上がるんですよ。これから秋になればりんごも米も出てきて、津軽は食の宝庫の場になる。楽しみですよね」。
野菜を育て、魚を獲り、加工品やワインも手がける。日本でまだ誰もしていないことを15年かけて成し遂げた笹森氏。実際に話をするまでは、黙々と挑戦を続ける孤高のシェフのイメージでした。しかし畑やワイン醸造所に同行して垣間見えたのは、孤高という言葉の孤独で崇高な印象に反し、一生懸命かつ誠実に仕事と向き合いそれを楽しむ、人間味溢れる笹森氏の一面。素直に「この人が作る料理を食べたい」と思わせる、ひとりの料理人の姿です。これからも『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』は、津軽、そして日本屈指の店であり続けるに違いない。そう確信し取材を終えたのでした。
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)
住所:青森県弘前市本町56-8
TEL:0172-33-8299
オステリアエノテカ ダ・サスィーノ HP:http://dasasino.com/
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AI・ディープラーニングを中心のアンテナサイトを作りました。その他さまざま混じってますが。。。http://ai1999.wp.xdomain.jp/
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25ozストレートにインディゴ×ブラックが登場!
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素材
- 綿:100%
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海山の産物が織り成す、能登の味わい深さに迫る。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島大自然に秘められた、未知の食材を探す旅。
2019年10月5日(土)、6日(日)に開催される『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。舞台は北陸、能登半島北部の石川県輪島市です。
今回シェフを務めるのは、アメリカで活躍するジョシュア・スキーンズ氏と、石川県金沢市出身、現在は東京にレストラン『AZUR et MASA UEKI』を構える植木将仁氏。植木シェフは、「日本の伝統野菜や伝統工芸、歴史や文化を、フレンチを通して世界に発信する」ことを哲学としています。中でも、特に自身のルーツである北陸についての思い入れや知識は人一倍です。
「いつも店では北陸の食材を積極的に使い、歴史的な背景や土地の情景が浮かぶような料理を考え、提供しています」という植木シェフ。しかし、大いなる海と山に抱かれた能登半島には、まだ見ぬ自然の恵みが眠っているはずです。
そこで、新たな食材との出合いを求めて、能登の地へと降り立った植木シェフ一行。ちょうど北陸地方の梅雨明けが宣言されたこの日、青空の下、燦々と降り注ぐ陽光に照らされながら歩き回る中で、なんとも滋味溢れる食材の数々に魅了されることとなりました。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
ダイニングアウト輪島能登が誇る海の幸、バラエティ豊かな海藻を求めて。
日本海に突き出した能登半島。当然、新鮮な魚介類に期待が高まりますが、今回スポットを当てるのは海藻です。石川県では、一年を通して約30種類の海藻がとれるそう。昔は家の近所の浜辺で海藻をとって夕食に使うなど、地域の人々にとっては最も身近な食材の一つとして親しまれてきました。また、祭りや仏事、神事などの伝統料理や精進料理でも、海藻は欠かせないもの。海藻を主とした、豊かな食文化が育まれてきたのです。
そこで訪ねたのが、海藻の研究者である、石川県水産総合センターの池森貴彦氏。能登町の九十九湾に面した施設『のと海洋センター』で待ち合わせた一行は、挨拶もそこそこに、早速池森氏と共に藻場へ。実際に海へ入り、さまざまな海藻のレクチャーを受けました。
イシモズクやナツモズク、イバラノリやアオノリなど、初夏の海は海藻の宝庫。目の前でとれたてのモズクを口にした植木シェフは「美味しい! 全然しょっぱくないし、すごくシャキシャキしていますね」と唸り、ノリには「すごい! きちんと海苔の味がします」と感嘆の声を上げていました。特に現場が湧いたのが、フサイワズタ(うみぶどう)です。プチプチとした食感、ほんのり塩気のある自然の旨みは野生ならではと、一同絶賛。また、ウミゾウメンにも注目が集まりました。その名の通り細く長く、独特のプルプルとした食感が美味な珍味です。「ツルっとしていて、磯の香りの糸こんにゃくみたい」とは植木シェフ。さらに、マクサ(てんぐさ)も発見しました。そのままでは無味ですが、地元の人々はこれで自家製のところてんを仕込むのが常となっています。
「海藻がこれほど味わい豊かとは思いませんでした」と感動しきりの植木シェフ。ですが、気になるのは『DINING OUT』本番となる、10月初旬の状況。海藻はその多くが秋に芽吹き、冬~夏に旬を迎えるのです。しかし、「旬のものを生で味わうのは格別ですが、地域の人々は海藻を様々に加工することで、一年中食してきました。現代では、冷凍保存が一般的。今のうちに必要な海藻をキープしておけば大丈夫ですよ」と池森氏。安堵すると共に、この地では自然の恵みを大切にいただくため、様々な工夫や技術も育まれてきたことを知りました。
ダイニングアウト輪島山奥で見つけたのは、丁寧な仕事が光る七面鳥と猪。
海の幸を楽しんだあとは、一気に門前町の山奥へ。けたたましい鳴き声が響くそこは、七面鳥の飼育場です。出迎えてくれたのは、『阿岸の七面鳥』の名で1988年からこの地で営む大村正博氏。鶏舎の中を覗くと、300羽を超える七面鳥がいました。
美しい水と空気、そしてコシヒカリを餌にのびのびと、ストレス無く育て上げるという七面鳥。贅沢な環境はもちろん、ここの七面鳥が絶品と評判な理由は、その飼育期間の長さにあるといいます。通常は数ヵ月のところ、『阿岸の七面鳥』は1年半もの歳月を経て出荷。「長い時間をかけて育てる分、肉質も味も全然違う。脂が乗り切った七面鳥は格別で、独特の弾力と旨みがあります」と木村氏。試食した植木シェフも、「外国産の七面鳥はパサついていてあまり味がない印象で、正直料理に取り入れるイメージはなかったんです。でも、『阿岸の七面鳥』は柔らかくてしっとり。ジューシーで脂が美味しくて、本当に驚きました」と絶賛していました。
一方、能登はジビエも豊富。特に能登島には、美味しい作物をかぎつけて能登半島から泳いで渡ってきたという猪が、大量に繁殖しています。そうした猪を仕留め、丁寧な処理を施し、上質な猪肉を提供しているのが、すでに植木シェフご用達の、能登島にあるジビエ肉専門店『山本ジビエ』。道中、10月初旬の状況を確認すべく立ち寄ったところ、店主の通称チャーリー氏から「ちょうど9月末から脂が乗ってくる」と吉報がもたらされました。さらに、猪肉にシイタケとイチジクを練り込んだというソーセージを試食。また一つ新たな美味しさに出合いました。
ダイニングアウト輪島ありのままに育てられ、自然体の美味しさを秘めた野菜と果実。
さらにもう1軒、植木シェフご用達の農園にも寄り道。中能登町の『あんがとう農園』です。延べ3haもの広大な敷地で、年間300種類を超える野菜やハーブ、花を栽培しています。少量多品種栽培の畑は色とりどり。よく目を凝らすと見慣れない品種も多く、中には日本でまだここだけでしか栽培されていないものもあります。
しかも、当農園は完全無農薬栽培であることも特徴。基本的に肥料どころか水やりも行いません。土が本来持っている栄養力と野菜が持っている生命力を生かし、太陽の光と雨水のみで生育する作物は、どれも力強い大地の味がします。
ここでも一行は、その場でとれたてを食す、贅沢なひとときを満喫。一方、園主の明星孝昭氏と植木シェフは園内を散策しつつ、トマトやナスなど、秋に旬を迎える野菜やハーブのチェックに余念がありません。当日は一体どのような野菜が並ぶのか、農園を見渡しながら想像が膨らみます。
続いて、秋の味覚の代表格でもある柿の農家も見学。3年前から能登町で『陽菜実園』を営む、柳田尚利氏です。2.6haの農園一面で柿の完全無農薬栽培を実現しており、糖度は破格の50度超え。この日は保存されていたペーストや干し柿を試食しましたが、驚愕の甘さに、一同の頬は緩みっぱなしでした。また、昨年から新たに柿渋づくりにも挑戦中とのことで、植木シェフも何やら画策。上手くいけば当日テーブルのどこかで、柿渋染めの「何か」が見られるかもしれません。
ダイニングアウト輪島自然の営みをそれぞれの解釈で、ふたりのシェフが魅せる。
また、能登島で塩づくりを行う、源内伸秀氏も訪問。港のそばに建てた小屋の中に釜を設え、薪火で海水を煮詰める方法で塩を作っています。特に、四季折々に3~4種類の海藻を使って作る『ももも塩』がユニーク。「通常の藻塩よりも海藻を多く使うから『ももも塩』(笑)」というその塩は、舐めてみると納得。「ものすごく海藻の味がする。でも塩辛くなくて、いい塩梅です」と植木シェフも確かな手ごたえを感じていました。
さらに源内氏の案内で、すぐそばの裏山を散策。山に生育する植物の説明を受けながら登ると、ふいにぱっと開けた場所に出ました。そして、天気が良ければ海越しに立山連峰、まれに佐渡島が見えることもあるという絶景がお目見え。能登の里山から望む里海と田園、集落が一続きになった景色は壮観で、この地の素晴らしさを改めて感じることとなりました。
能登半島を縦断し、様々な食材を発掘した今回の旅。「今までよく理解していたつもりでしたが、まだまだ新しい発見がたくさんありました」と目を輝かせる植木シェフは、「山から川、そして海へ。それぞれの土壌で育まれる食材をピックアップし、自然の流れをイメージしつつ、この地で培われた食文化も融合しながら形にしていきたい」と意気込みを語ります。
また、今回は『DINING OUT』初のダブルシェフが実現。もう一人のシェフであるジョシュア・スキーンズ氏とのコラボレーションについても期待が高まります。
「私自身、すごくワクワクしています。ジョシュアシェフにも、彼なりに能登を感じてもらって、彼なりの表現をしてもらえれば良いなと思いますし、基本的には自由にやっていただいて。それに対して寄り添いながら、私が感動した自然や歴史、文化、神事といったものを上手く取り入れて、全体を構成していきたいと思っています」。
史上初、あらゆる人、モノ、コトのコラボレーションにより、輪島という土地の魅力を余すことなく体感できるであろう今回の『DINING OUT』。その予感はこの旅の途中で、確信へと変わりました。今秋、最も豪華な究極のダイニングが繰り広げられることは、間違いありません。
1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
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runtasticがadidasrunに変更されたけど相変わらずgooglefitの同期はされないまま。どっちも最新バージョンに変更したんやが。
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古来より輪島の地で育まれる自然と文化、そこに脈打つ魂をたどって。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島植木シェフと巡る、知られざる輪島の姿。
日本各地に息づく歴史や文化に光を当て、新たな価値を創出している『DINING OUT』。次回2019年10月5日(土)、6日(日)に開催が決定した『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』では、史上初のダブルシェフが実現します。
一人目は、東京・西麻布「AZUR et MASA UEKI」植木将仁氏。そして、二人目は、2009年にアメリカ・サンフランシスコで熾火料理を主としたスタイルのレストラン「Saison」を立ち上げ、現在は、ローラン・グラス氏に「Saison」を引き継ぎ、絶え間ない革新の為 「Saison Hospitality」を創設。また、更なる発展の為の研究ラボラトリー「Skenes Ranch」シーフードコンセプトの「Angler」などをオープンし、 今世界が最も注目するシェフのジョシュア・スキーンズ氏です。
そんな究極のダイニングの舞台は、日本海に突き出した能登半島北部に位置する、石川県輪島市です。
輪島といえば、日本が誇る伝統工芸品・輪島塗の産地というイメージが強いでしょう。しかしこの夏、アメリカにいるジョシュア氏に先立ち、石川県金沢市出身の植木シェフとともに現地を訪れてみると、そこには輪島塗だけに留まらない、多様な歴史や文化が混在。さらに見渡せば、誰もが不思議と懐かしさを感じる、人と自然が造り上げた美しい里山や里海の風景が、大切に育まれていたのでした。
そうして見出された、来たる『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』のテーマは、「漆文化の国(japan)の精神の源流を紐解き、真の豊かさを探る」。
今回は、この地に脈々と流れる魂をたどることとなった視察の旅の模様を通して、一足早く、魅力あふれる輪島の地へと誘います。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
ダイニングアウト輪島今も昔も活気溢れる街の中心、輪島市街エリアへ。
日本海に沿って北東から南西へと長く伸びる輪島市。そのちょうど中央にあたるのが輪島市街地であり、最も活気溢れるエリアです。街の朝は早く、午前8時を過ぎると、エリア中心部を貫く350mの通りに、輪島港に揚がる鮮魚から魚介の干物、野菜、民芸品の店まで、約200軒の露店が出現。街の名物『輪島朝市』のオープンです。この朝市は、遡ること平安時代、寺社の祭礼日に人々が物々交換をしていたことが始まりと伝わっています。
そんな朝市の周辺に軒を連ねるのは、輪島塗の工房や販売店、関連施設の数々。ここが漆の里だということを実感させられます。輪島塗は、この地でしか採れない『地の粉』と呼ばれる良質な珪藻土の粉を使用すること、『布着せ』と呼ばれる補強の工程を踏むことなど、独自の素材や製法で高い強度を誇っています。また、沈金や蒔絵などを施すことで、その美しい見た目を実現。実用性と芸術性を兼ね備えた、唯一無二の伝統工芸品として在り続けているのです。
輪島塗の歴史もまた古く、現存する最古のものは、室町時代の1524年(大永4年)作と言われている朱塗扉。輪島市河井町にある重蔵神社の旧本殿にあります。その後、現在まで続く輪島塗の技術が確立したとされるのが、江戸時代前期。さらに、江戸中期の亨保(1716~1735年)には沈金の技術が、江戸後期の文政(1818~1829年)には蒔絵の技術が伝わったと言われています。この頃から、生産工程は完全な分業化が進み、木地作りから塗り、加飾まで、120以上にものぼる工程それぞれに専門の職人が生まれることに。故に、町中に多くの工房が点在しているのです。
ダイニングアウト輪島歴史的建造物が数多く残り、かつての繁栄を今に伝える門前。
そんな輪島市街エリアを抜けて南へ進むと、街の喧騒から離れ、霊験あらたかな門前エリアへ。ここは、鎌倉時代の1321年(元亨元年)、曹洞宗の本山・總持寺が創建された場所なのです。明治時代の大火の後、本山は横浜市へ移されましたが、移転するまでの約600年間、全国15,000寺の本山として発展。現在も『大本山總持寺祖院』として存在し、往時の繁栄を伝えています。
總持寺では、その歴史や荘厳な建物の素晴らしさに触れたのはもちろん、僧侶の間で何百年も受け継がれる「食」の作法があることを知り、ひときわ深い感銘を受けていた人物が……。そう、今回の『DINING OUT』における「食」の一翼を担う、植木シェフです。「食べることは、命をいただくということ。そして食という字は、人に良いと書きます。そういったことをきちんと理にかなった作法とし、実践され続けていることにとても感動しました」。
また、山中の總持寺から海側へ出ると、海岸沿いに広がるのは統一感のある佇まいの家屋が密集する『黒島地区』。ここは、江戸時代末期から明治にかけて活躍した北前船の寄港地であり、船主や船乗りの居住地として栄えました。北前船とはいわゆる交易船。海産物などとともに輪島塗もこの船に乗って、全国各地へ広まったといいます。やがて黒島は伝統的建造物群保存地区に指定されたことで、今も当時をしのばせる街並みが残っているのです。
一方、海岸沿いを北へ進むと、斜面に並ぶ1004枚の棚田から成る『白米千枚田』や、荒波が造り出した奇岩『窓岩』など、輪島随一の景勝地が見られます。そして背後にそびえる岩倉山のふもとに広がるのは、源平合戦で敗れた平家の武将・平時忠の子孫が移り住んだことからその名が付いた『平家の里』。山奥にひっそりと、往時の繁栄を伝える屋敷が残されています。霊山である岩倉山周辺は、奥能登を代表するパワースポットなのだとか。植木シェフや、今回のホスト役を務める中村孝則氏も「この辺りに来ると、不思議と空気が変わったように感じる。凛とした雰囲気が漂っていますね」と感想を漏らしていました。
ダイニングアウト輪島美しい日本の原風景と寺文化が大切に残る集落、金蔵。
さらに『平家の里』を山奥へと進むと、山間の傾斜地に美しい棚田が並ぶ『金蔵地区』が広がります。ここは『日本の里100選』『美しい日本の歩きたくなる道500選』にも選ばれた、美しい棚田の里。能登の里山を代表する景観の一つとなっています。
折しも、石川県に梅雨明けの知らせが届いたこの日、ひときわ青々と光輝く棚田を見渡しながら、「忘れていた大切な何かを思い出すような風景ですね」と、目を細める植木シェフと中村氏。視線を落とせば、道端には野生のミントやヨモギが見られ、爽やかな香りを放っています。そんな野草狩りも楽しみつつ、「秋にはきっと、稲刈りを終えた後に干された藁の良い香りがするんでしょうね」と、五感を研ぎ澄ませ、景色を堪能していました。
また、この地区には5つもの寺が密集していることも特徴。651年の『金蔵寺』開基をはじまりに、1300年代の頃から寺を中心として栄えてきた集落なのです。当時の寺は、今でいう役所や公民館のような存在であり、時には劇場や病院の役目を果たすなど、地域の人々の拠り所となっていました。そして今なお、そうした文化の一部は大切に継承され、様々なイベントの会場として寺が開かれているといいます。
その最たるものが『お講』の習慣。毎月1回、地域の人々が山でとれた山菜や木の芽、畑でとれた野菜などを持ち寄り、皆で経をあげた後、精進料理に仕立てて輪島塗の膳で食べるというものです。ここには、昔ながらの寺を中心とした人のつながり、『お講料理』と呼ばれる食文化が、大切に守られているのです。これには植木シェフも興味津々でした。
ダイニングアウト輪島刺激的な出会いを経て、植木シェフが見出した輪島の魅力とは。
前述の通り、植木シェフは石川県金沢市の出身。そういう意味では少なからず馴染みの土地である一方、新たな発見や驚きもたくさんあったといいます。
「特に強く感じたのが、輪島は自然と神仏の融合の地であるということ。ずっと昔から、お寺を中心に、自然と一体となって生活してきたんですよね」と植木シェフ。自然の恵みをお供えし、豊かな実りへの感謝、穏やかな暮らしへの願いを胸に、祈りを捧げる……。この地の人々の生活は、こうした寺文化をベースに育まれてきました。それこそが、輪島の素晴らしさなのだと、植木シェフはいいます。「今回その事実を目の当たりにして、とても感動しました。今後、自分もこういう気持ちでやっていこうと、思いを新たにする体験になりましたね」。
日本の原風景である素晴らしい里山や里海を愛で、時を超えてこの地を守り続けてきた總持寺や金蔵の寺の数々をめぐることで、奇しくも食と向き合う料理人としての原点に立ち返ることとなった植木シェフ。自然の恵み、神仏の恵みに感謝しながら、この地で育まれた食材をどのような料理にアレンジし、どのような文化体験に乗せて届けてくれるのか。期待が高まります。
1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
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あなたの「心地いい暮らし」って、何ですか? 津軽の家具職人と探すものづくりの原点。[TSUGARU Le Bon Marché・イージーリビング/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。
青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。
実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。
葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。
今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。
働きながら、休日を利用して弘前市の隣・大鰐町(おおわにまち)にある木工工房『わにもっこ』の講座に通い出した葛西氏。『わにもっこ』主宰の山内将才氏は、津軽の里山の木々から様々な作品を作る傍ら地域の森林を守る活動でも知られる、地域を代表する木工職人です。「山内さんは常に先を見ながら、今のことも地道にきちんとやる人。色んな木工品を手がけているけど、どれも作っている間は本気でその作品に向き合わないといけないじゃないですか。黙って考えているだけじゃ続けられない、手を動かさなきゃ何も進まないということを体現している気がして。職人として憧れている人や目標とする人はあまりいないけど、山内さんにはいつも『やってみたら? やらないの?』と問われている気がします」と葛西氏。
やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング特別でドラマチックな何かより、日常と向き合う。
津軽といえばりんご。現在では『弘前シードル工房 kimori』の家具や「又幸 matasachi」シリーズなど、りんご木箱を使った「津軽らしい」作品でも知られる葛西氏ですが、一方で「普段は地域性とか津軽らしさとか、あまり意識していないんです」と話します。「外から見ると津軽らしい存在のりんごも、ここでは日常のもの。だからこそ、産地が抱える色々なことも見えるんです。畑を続けることに悩む農家の知り合いもいますし、『りんご箱なんて見たくない』と冗談めかす知り合いもいる。津軽の外で発信されているりんごと、中にいると見えてくる現実はちょっと違うと思います」と葛西氏。
葛西氏が初めてりんごの木を木材として使ったのは、2012年、青森市・青森駅前にある複合施設『A-FACTORY』の依頼で手がけたりんごの木の栓抜きでした。その後、件のりんご木箱のシリーズなど様々な作品を手がけるように。最近では地域色の強い仕事の依頼も増加。弘前大学構内にある市の有形文化財「旧制弘前高校外国人宣教師館」がカフェにリノベーションされた際に納品したテーブルと椅子は、津軽のシンボルでもある岩木山のシルエットをさり気なく配したデザインです。
「でもそれらの作品は、依頼を受けたものに家具店として応えた結果の“津軽らしさ”。普段作る普通の家具にそれは意識しません。りんご農家の実情を知っているのはそれだけりんごが日常のものということで、それと同様に自分の作る家具も日常のものでありたい。そこには特別な想いもドラマチックなこともないんです。家具店は向かいの青果店や隣の理髪店と同じ、街のいち要素で、普通の存在でありたいというか。ただやっぱり津軽は自分のホーム。りんごも岩木山も大好きだし、アイデアもある。だから作ってほしいといわれる機会が増えたのは、単純に『仕事を続けてきて良かったな』と思いますね」と葛西氏。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「心地いい暮らし」に寄り添う、誠実な職人が作る誠実な家具。
自ら家具店の道を選び転身を果たした葛西氏。しかし、当初はなかなか安定しない生活が続いたといいます。曰く「既製品より価格が高いからどうせ受け入れられないだろうとか、安くて似たようなデザインのものもあるしとか、自分で仕事の価値に制限を設けて、どこかで人のせいにしていた気がします」。しかし「最近は、自分の仕事を素直にいいじゃんと思えるようになってきた」と葛西氏。長く付き合いが続くお客さんとの関係性も、そう思える理由のひとつです。
「最初は座卓として納品した家具を、転勤で引っ越す時に脚をつけてテーブルにして、今度はそれに合う椅子を作って。ライフスタイルに合わせて家具を考えてくれるそんなお客さんがいてくれるのが、いいなあって思うんです。他の家具はいくらだとか、そういうことではなくて、お客さんは私に話をしに来てくれている。自分の仕事が必要とされる場面はやっぱり確かにあるんだと、今更ながら気付かされたんです。結局大事なのは、目の前にあることを淡々と、きちんとやっていくことなんですよね」。葛西氏が語るそんな境地は、15年間ブレずに仕事をしてきた結果に他なりません。
店名にした曲名『Easy Living』について、「ジャズには詳しくないけれど“心地いい暮らし”ってなんだかいいなと思って」と葛西氏。「『あなたの心地いい暮らしは?』って聞かれると、自分自身も『まだ探してます』って感じなんだけど(笑)、結局はそこに立ち返らせてくれる言葉でもあるんです」。取材を終えた後心に残ったのは、模索しながらも自分の生きる道を見つけた、ひとりの職人の誠実さでした。決して安いものではないオーダー家具や手作りの木工品。だからこそ、作品にも作り手にも「これからもよろしくね」といえる、長く付き合えるものであれば何より幸せではないでしょうか。そして津軽は、そんな作品と作り手が待っている場所なのです。
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)
住所:青森県弘前市百石町44-1 MAP
電話:0172-35-8320
Easy Living HP:https://www.easyliving.jp/
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津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。
青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。
実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。
葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。
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津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。
今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。
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やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。
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『DINING OUT』史上初となるコラボレーション。アメリカ人として熾火料理で唯一三ツ星に輝いたジョシュア・スキーンズシェフ×能登半島をルーツに持つ植木将仁シェフが登場。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島『DINING OUT』史上初、ダブルシェフによる奇跡の饗宴が実現。
2019年10月5日(土)、6日(日)に『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』が開催されます。舞台は日本を代表する漆器「輪島塗」の産地である石川県輪島市。美しい棚田と海岸線が連なる日本の原風景ともいえる里山、里海の景色が今も残り、曹洞宗大本山である總持寺祖院をはじめとする社寺仏閣が人々の生活に根付く信仰の地でもあります。
回を重ねるごとに新しい試み、挑戦に取り組みながら、進化と深化を重ねてきた『DINING OUT』ですが、今回は『DINING OUT』史上初、ダブルシェフのコラボレーションに挑みます。
一人はサンフランシスコより来日するジョシュア・スキーンズシェフ。2009年にオープンした薪火料理の店『SAISON』でミシュランガイド三ツ星を獲得。現在は更新ローラン・グラス氏に店を譲り更なる発展の為の研究ラボラトリー「Skenes Ranch」などをベースに活動をする、世界が注目する料理人です。
もう一人は乃木坂『AZUR et MASA UEKI』の植木将仁シェフ。「和魂洋才」をコンセプトに、日本の優れた食材を使ったオリジナリティあふれるフランス料理に定評あり。食を通じた日本各地の地域興し、一次産業や伝統工芸の復興に携わり続けてきた自他ともに認める“行動派”の料理人です。
さらにドリンクサービスは、ワイン資格の最難関といわれるマスターソムリエのロバート・スミス氏が指揮をとります。
テーマは「漆文化の国(japan)の精神の源流を紐解き、真の豊かさを探る」。並行して『DINING OUT ARITA& with LEXUS』以来約3年ぶり二度目となる『DESIGNING OUT Vol.2』プロジェクトが始動しています。『DESIGNING OUT』は、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』、そして卓越したクリエーター三者のタッグにより、地場産業、伝統工芸に独自のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発するプロジェクト。今回は世界的建築家の隈研吾氏が輪島塗のオリジナル漆器を作成します。
かつてない豪華な布陣はいかにして実現したのか。輪島の地に賭ける想いを伺いました。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
ダイニングアウト輪島ぴたりと重なったビジョン。「能登出身の料理人だから出来ること」で、プロフェッショナルの集団を率いる。
「能登のことはだいたい知っているつもりだったけれど、まだまだ新しい発見があり、歴史と文化の奥深さに改めて驚きました」。
輪島への視察の旅を振り返りそう話す植木将仁シェフは、石川県金沢市出身。これまで『AZUR et MASA UEKI』でも能登の魚介や加賀野菜など、北陸の食材を紹介し続けてきました。
「以前から一料理人として『DINING OUT』に強い関心を抱いていたので、故郷である北陸・石川県で開催される回に参加できることは、本当に嬉しい」。
身振り手振りを交えて話す様子から、『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』に賭ける熱い想いがひしひしと伝わってきます。
植木シェフはフレンチから料理の世界に入り、3年間のフランス修業から帰国した1994年、時代に先駆けた店を次々とオープンしレストランシーンを席巻していた『グローバルダイニング』に入社しました。若くして代官山『タブローズ』の副料理長に抜擢され、1998年白金台『ステラート』開業時の料理長に就任。その間、ロサンゼルスにも赴任するなど、スターシェフ街道をひた走りながら、東京の一時代を築いてきた料理人です。大都市・東京の食のシーンのど真ん中で、アメリカ西海岸を中心に海外の食文化を時差なく体感しながら、華やかなりし時代の恩恵を享受してきた植木シェフですが、いつの頃からか、意識が日本のローカルへと向かい始めたといいます。
「理由は複合的なものでした。ひとつには、自身のルーツである北陸、金沢などを見ていて、在来種の野菜や伝統工芸が廃れていくことに危機感を感じ始めたのです。それと前後して、独立後に表参道で開業したレストランを軽井沢に移すのですが、北陸以外のどの土地にも、やはり素晴らしい風土や歴史、文化があることを再認識させられて。もっと様々な土地のことを知りたい、と日本各地を巡る旅がライフワークになりました」
食を通じて地域のためにできることはないか。数年前から各地の自治体などに働きかけ、地方創生や食育の事業に携わることを自身へのミッションとし、さまざまな活動をしてきました。
「『DINING OUT』を知ったのも、その頃。理念に共感し、継続的に実現されていることに非常に感銘を受けたんです」。
故郷・金沢のある北陸、能登エリアは、自身にとって一番身近で、かつ思い入れの深い地方でもあります。『AZUR et MASA UEKI』で北陸産の食材を使うにとどまらず、ときにゲストへのサービスに立って、ときに講演やイベントを通じ、土地の食文化の魅力を積極的に伝えてきました。
「能登は江戸から明治にかけて北前船による交易で発展した土地。港を中心に栄えた食文化は今も色濃く受け継がれています。もうひとつ、江戸よりはるか昔、室町時代から能登国の大本山として信仰の中核を成した總持寺祖院をはじめ、数々の社寺仏閣があり、ともに栄えてきた輪島塗という伝統工芸がある。信仰を重んじながら自然とともに生きてきた土地の人々の生活のあり様。北前船と輪島塗は、北陸人のアイデンティティ。『DINING OUT』でも、私たちがつくる料理に欠かせないテーマになると考えます」。
『DINING OUT』史上初となるダブルシェフ体制、ジョシュアシェフとのコラボレーションというスタイルについても「ワクワクする」と、非常に意欲的です。
「カリフォルニアという土地が育むものに根ざし、薪火を軸に自然を活かした料理をつくるジョシュアの仕事に深い共感を抱いています。外国人の目線で、北陸・能登をどう捉え、表現してくれるのか非常に楽しみ。今回、ご一緒できることは僕自身にとって、そして日本にとっても必ず意義あるものになると確信しています」。
ダイニングアウト輪島世界最高峰ソムリエの覚悟。食材、プロダクト、人、輪島の魅力に光を当てて、継続的な交流の礎をつくる。
植木シェフとともに厨房に立つジョシュアシェフの話の前に、もう一人、重要な人物に話を伺わなければなりません。今回、ドリンクサービスを仕切るロバート・スミス氏。世界でもわずか250人しかいない最難関のワイン資格・マスターソムリエがまだ150人に満たなかった15年前、当時の史上最年少の34歳でその資格を取得。ラスベガスを拠点にホテル、レストランのワインディレクターとして活躍する傍ら、長きに渡り後進の教育に務め、アメリカの、そして世界のワイン文化の向上に寄与してきたプロフェッショナルです。『Saison』の共同オーナーも、ロバート氏の門下生の一人。さらに縁あって現在、ロバート氏は『AZUR et MASA UEKI』の経営母体で、ワイン輸入業も手掛ける『マッシュフーズ』とパートナーシップを結び、ワイン事業の監修を行っています。そう、実はアメリカ西海岸を代表する料理人・ジョシュアシェフと植木シェフの縁を結んだのがロバート氏というわけです。
ロバート氏は、2019年春に日本へ移住。東京で暮らし始めたばかりです。東京の、そして日本の印象を尋ねると、わずか数か月で「信じられない体験をいくつも経験した」と、目を輝かせます。
「東京のフードシーンには驚くばかり。カジュアルからハイエンドまでいろんな業態があって、カジュアルさえも大手のチェーンから、とんかつ、うなぎなどの100年続く老舗まで細分化される。加えてローカルが素晴らしい」。
「ローカル」というのは、先に『DINING OUT』の視察のために足を運んだ能登・輪島のことにほかなりません。
「食材のクオリティの高さもさることながら、土着の食文化、そして人の温かさ、何もかもが素晴らしい。忘れがたい寿司を食べたし、そう、炭焼きにしたイカとその墨を使った料理も感動的だった」。
話しながら、目を輝かせます。ワインのオーソリティと聞くと、どこか気難しいイメージを抱きがちですが、ロバート氏はその片鱗も感じさせません。未知の食文化に対する素直な感受性と、ワインのプロとしての確固たるビジョンがあるのみ。どんな質問にもわかりやすく、説得力のある回答をにこやかに返してくれ、ワインのプロフェッショナルはサービスのプロフェッショナルであることを改めて思い出させてくれます。
『DINING OUT』への意気込みについては、次のように語ってくれました。
「我々はプロの集団ですから、料理の完成度やワインなどの提供も含めたサービスで、ゲストを満足させるのは当然です。『DINING OUT』では、その一歩先を目指しています。素晴らしい食材、プロダクトがあり、心温かな人々が暮らす輪島という土地を、食事という体験を通じしっかり可視化させていくこと。土地と我々と、訪れて下さった方々の関係が、一回限りではなく、継続的なものとして発展していく“仕掛け”をつくりたいのです」
ダイニングアウト輪島素材を活かしきる熾火料理のスペシャリストが挑む、「輪島」を表現する料理とは。
『DINING OUT』史上初のダブルシェフのコラボレーション。全米、全世界に名を轟かせるジョシュア・スキーンズシェフだという知らせは、『DINING OUT』ファンのみならず、世界のガストロノミーに関心を抱く人々を驚かせたことでしょう。
2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、裏路地の一角に、ポップアップレストラン『SAISON』をオープンし、2009年からサンフランシスコにて1号店をオープンし、ジョシュア氏の快進撃が始まります。熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出されました。
米国外でイベントに参加すること自体初めての、ジョシュア・スキーンズシェフが、日本の、しかも東京ではなく能登・輪島で開催される『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』に参加する事に、期待は高まるばかりです。
日米二人のシェフによって描き出される「皿の上の輪島」は、一体どんな景色なのか。マスターソムリエとの協働により、どんな食時間が創出されるのか。すべては約2週間後、秋深まりゆく奥能登で、明らかになります。
1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR HP:http://www.restaurant-azur.com/
2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。
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奇跡の夜の感動が再び。鳥取県八頭町にて地元主体で行われる、もうひとつの『DINING OUT』。[DINING OUT TOTTRI-YAZU REVIVAL/鳥取県八頭町]
ダイニングアウト鳥取八頭リバイバルチームの強い結束を生んだ、土砂降りのダイニングアウト。
2018年9月、鳥取県八頭町で開催された『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』を、覚えている人も多いことでしょう。二度目の『DINING OUT』登場となった徳吉洋二シェフのクリエーション、シェフ自身の故郷でもある鳥取への思い、そして会場を包んだ豪雨とそれを乗り越えたスタッフたち。八頭を舞台に行われた『DINING OUT』は、数々の「史上初」を積み重ね、訪れたゲストたちにかつてないほど鮮烈な印象を刻みました。
雨の『DINING OUT』が遺したは、ゲストへのインパクトだけではありませんでした。天候という避けられぬトラブル、瞬時の判断によるリカバリー。大きなハードルを越えた地域スタッフたちの顔つきは、イベントを通して目に見えて変わりました。そして同じ目標に向かい、困難を乗り越えたスタッフたちの間には、かけがえのない絆も芽生えたのです。
その絆の芽は1年を経て大きく育ち、そしていま、花を咲かせようとしています。『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』、地元スタッフの力だけで行う、もうひとつの『DINING OUT』。それが2019年11月に開催される運びとなりました。感動を呼んだ奇跡の一夜が、ついに甦るのです。
【関連記事】DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS
ダイニングアウト鳥取八頭困難を乗り越えて生まれた絆が、新たな『DINING OUT』を実現。
昨年の『DINING OUT』に参加したある地元スタッフはあの夜、言いました。「これだけの素晴らしいイベントを、一度きりの打ち上げ花火で終わらせたくない」。それはイベントの成功とスタッフの成長を間近に見た上での、本心の吐露だったのでしょう。たった一度の盛り上がりで終わってしまうのでは意味がない。この成功を起点に地元が団結し、継続的に八頭の魅力を発信してこそ、本当の成功である、と。
そしてその言葉に偽りはありませんでした。一年の時を経て、甦った『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』は、企画、運営まですべてが地元主導。八頭を愛し、鳥取を誇る地元スタッフだからこそできる情報発信を、地元の力だけで組み上げたのです。
もちろん、その“地元スタッフ”の名の中には、徳吉洋二シェフの名もあります。鳥取で生まれ育ち、地元の食材と風土を知り尽くした徳吉シェフ。子供の頃に食べた料理、学生時代に通った店、世界に名を轟かせた今もなお心惹かれる食材。そんな地元の食への思いがミラノ仕込みの技と混ざり合い、唯一無二の料理を生み出してくれることでしょう。
開催時期や会場にも、鳥取の魅力を伝えたいという思いが強く表れています。開催される11月は、一年のうちで星空がもっとも美しい時期。どこからでも天の川が見られるほど空気の澄んだ鳥取、八頭の魅力を、これほどダイレクトに伝えられる季節はないでしょう。
レセプション会場には、花御所柿の畑が選ばれました。八頭町が誇る、この地でしか採れない花御所柿。木に実がなると葉が落ち、木には橙色に染まった実だけが残るのが、花御所柿の特徴。その不可思議な光景の中で、ディナーが幕を開けるのです。
そしてメインの会場は、深い自然に囲まれた『大江ノ郷リゾート』内、閉校になった小学校をリノベーションし今年新たにオープンした宿泊施設『OOE VALLEY STAY』です。
たしかに八頭の魅力はまず自然。しかし、その自然と寄り添い、現在あるもの、古くから伝わるものを大切にしながら、変わらぬ景色を守るマインドもまた、八頭らしさ。この会場は八頭の自然と思いの両者を描く象徴的な場所でもあるのです。
地元スタッフが、打算よりも熱意に突き動かされて生み出す『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』。そこにはきっと、地元を知り、地元を愛するスタッフだからこそ伝えられる魅力がたっぷり詰まっていることでしょう。
ダイニングアウト鳥取八頭地元を知り、地元を愛するスタッフが送る、八頭の魅力満載のイベント。
今回の『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』の実現は、八頭出身の若きイノベーター・古田琢也氏の存在なしには語れません。廃校を利用したシェアスペース『隼ラボ』の立ち上げなどを通して、八頭の未来を描く古田氏。昨年の『DINING OUT』でも地元スタッフの調整などを一手に引き受け、イベントを成功に導いた影の立役者でもあります。あの夜「打ち上げ花火で終わりたくない」と話してくれたのも、実はこの古田氏でした。
「昨年のダイニングアウトでは、スタッフひとりひとりが本当に良い顔をしていました。個人の成長はもちろん、チームワーク、一体感を通して、改めて地元にプライドを持つきっかけになったと思っています。自分達だけでは気づけない八頭の良さを改めて再認識できた2日間。一回で終わりにするのではなく、この熱狂や地元を誇れる想いをこれからも繋いでいきたいと強く感じました」そう昨年を振り返る古田氏。その言葉には、一年経ってもなお止むことのない、強い思いが宿っています。
『DINING OUT』を通して得た体験や思いを、遺し繋げること。それこそがあのイベントの本質的な価値である。それが古田氏が、今回のリバイバルに踏み切った理由。もちろん企画、運営の経験がない中で行う初のイベントですから、トラブルも苦労も多いことでしょう。しかしそういった経験さえも、後に繋げる糧となるに違いありません。
「八頭には、世界遺産や文化財、凄い観光資源があるわけではありません。しかし日本の素朴な素直な田舎、昔から変わらない原風景が残る地域です。そして古くからの風土や自然、文化を大切にしながらも、新たな視点やチャレンジが融合し多くの魅力が生まれてもいます」そう八頭の魅力を伝える古田氏。
そして主役となる食の観点からも、二度目の『DINING OUT』の見どころを教えてくれました。「鳥取は質の高い食材の宝庫であり、無農薬で育てられた新鮮野菜、質の良い肉、自然のエネルギー溢れるジビエ、この土地でしか収穫できない郡家花御所柿や大山ブロッコリー、平飼いでのびのびと育てられた鶏から生まれる天美卵、そして、開催される11月には、日本でも有数の漁獲量である蟹がシーズンを迎えます。そんな素晴らしい食材を、地元を知り尽くした徳吉シェフが料理する。鳥取の食材や風土を紡ぎ再編集した料理の数々をご期待ください」と古田氏。
雄大な自然に包まれ、大地のエネルギーに包まれる地元主体の『DINING OUT』。それは昨年、感動を呼んだあの日と同じように、再び私達に奇跡の一夜を見せてくれるかもしれません。
開催日程:①2019年11月16日 (土) / ②2019年11月17日 (日) ※2日間限定
開催地:鳥取県八頭町
出演 : 料理人 徳吉洋二 (ミラノ「Ristorante TOKUYOSHI」 )
協力:鳥取県八頭町
『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI HP:http://www.ristorantetokuyoshi.com
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隈研吾氏、輪島の職人に出逢う。見えてきた新たな輪島塗のかたち。[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]
デザイニングアウト Vol.2隈 研吾氏、輪島塗の技術に触れる旅へ。
地場産業や伝統工芸など、プロダクト(モノ)に焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見する、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』の共同プロジェクト『DESIGNING OUT』。
第2弾のテーマとなる伝統漆器「輪島塗」に新たな風を吹き込むモノづくり『DESIGNING OUT Vol.2』の現場を、連載でお届けします。
今回は、プロダクトデザインを手がける隈研吾氏が、クリエイションのヒントを求めて輪島を訪ね、輪島塗の職人たちとの対話を通じて見えてきた“新しい輪島塗”のかたちをレポートします。
【関連記事】DESIGNING OUT Vol.1
デザイニングアウト Vol.2海路によって栄えた、厳しくも自然豊かな輪島。
能登半島が新緑に包まれ、山には薄紫色の山藤の花が揺れ、田植えを終えた田んぼの水が陽の光を受けて煌めく5月下旬。隈 研吾氏が輪島市を訪れました。
東京から空路を使った場合、2003年に開港した、のと里山空港まで約1時間のフライトですが、かつて輪島への主要交通手段は海路でした。中世に「三津七湊」と呼ばれた日本の十大港湾の一つに「輪島湊」があり、「親(おや)の湊」とも呼ばれ、日本海航路の重要な拠点だったのです。また、輪島塗の技術や行商スタイルが確立した江戸時代には、輪島は北陸以北の日本海沿岸から下関を経由して、瀬戸内海の大阪へと向かう北前船の重要な寄港地として栄えました。
「日本に数多くある個性的な土地の中でも、輪島は文化や自然の条件が濃い場所だと思います。古くから日本の伝統文化のマグネットになった地域なのです」と、隈氏は話します。
輪島塗の漆器を背負った塗師屋は、こうした海路を使って全国を行商してまわり、日本中に輪島塗の名を広めていったのです。
そんな輪島の歴史に思いを馳せながら、まず、輪島港にほど近い輪島漆器商工業協同組合が運営する「輪島塗会館」を訪れました。
輪島塗会館は、普段使いの塗り箸から豪華な加飾で彩られた装飾品まで、市内約60軒の漆器店の商品を展示販売するほか、輪島塗の工程や職人の世界、歴史文化を紹介する資料展示室があります。隈氏は、第1展示室の入り口に設けられた、木地から塗り、加飾に至るまで124工程とも133工程とも言われる多様な職人技の一つひとつを、133個の椀工程見本で表現した展示に静かに見入っていました。
デザイニングアウト Vol.2輪島塗職人の技と“時間のパワー”に触れる。
次に足を運んだのは、江戸・文化年間の1813年に創業した塗師屋「輪島屋善仁」です。「職人は人格崇高たるべし」との家訓のもと、200年以上、職人の技術向上を求めて輪島塗に向かい合っています。今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で、隈氏と輪島の職人たちのコーディネーター役を担う中室耕二郎氏が、9代目として采配を振る工房でもあります。
輪島屋善仁では、まず、椀の縁や高台などの木地が薄く割れやすい部分や箱の継ぎ目などに漆で布を貼って補強する「布着せ」の工程を見学しました。隈氏は「この布の幅はもっと狭くできる?」と職人に尋ねたり、興味深そうに写真を撮ったり。
続く「研ぎ」の工程は、研ぎものロクロや研磨紙、砥石などを使ってうつわ全体を磨いていく仕事です。輪島塗は、漆を塗っては研ぎ、研いでは塗りを繰り返すことで、強く艶やかなフォルムを生み出しますが、研ぎによって、次に塗る漆の密着性を高めるだけでなく、うつわの微妙なかたちを整えていくのです。輪島の研ぎ職人は、ほとんどが女性だそうです。“研ぎもののかーちゃん”などと呼ばれ、重要な役割を担っています。
さらに、刷毛やヘラを使って中塗漆をうつわ全体に塗る「中塗」は、塗りの最終工程となる「上塗」のひとつ手前の工程で、「塗りムラや刷毛目を残さずに素早く、かつ丁寧な職人技が求められます。塗り上げたうつわは、漆が垂れないように反転させながら乾燥させる「回転風呂」と呼ばれる部屋に移されます。ここでも隈氏は、職人に「上塗は、何年くらいでできるようになるの?」「漆を乾かす温度は何度くらい?」と熱心に質問をしていました。
そして、隈氏が最後に見学したのが「加飾」の工程。塗りの堅牢さに加えて、「蒔絵」や「沈金」の美しい装飾も輪島塗の大きな特徴です。
「蒔絵」は、和紙に描いた下絵を転写した置目に添って漆で文様を描き、金銀粉などを蒔き付け、さらに漆を塗り固めるなどした後に、研磨して金銀の光沢を出します。「沈金」は、沈金ノミという道具を使って紋様を掘り、そこに薄く漆を塗り込み、余分な漆を和紙で拭き取った後に、金銀の箔や粉を紋様に押し込んで定着させる技法です。
輪島塗は、歴史的には庶民の実用漆器だったため、「御蒔絵」と呼ばれるような豪華な蒔絵よりも、沈金の技術が発達したそうです。ともに江戸時代に完成した技法ですが、明治時代に日本各地の御用蒔絵師が維新によって職を失い、輪島に移住してきたことで蒔絵も盛んになったという経緯があります。
こうした輪島塗の職人たちの仕事に触れ、輪島屋善仁を後にした隈氏は口元に笑みを浮かべてこう話しました。
「日本の技は“時間”がつくる産物であることが多いのです。もちろん高い技術力に裏打ちされた上での話ですが、輪島塗にも“時間のパワー”を感じます。漆液の採取も、塗りも、乾燥も、十分かつゆっくりとした時間が必要です。そこが輪島塗の面白さだと思います。今回のプロジェクトでは“時間”を感じられるデザインをしたいと考えています」
デザイニングアウト Vol.2“輪島六職”をうつわで表現。
実は、輪島市を訪れる前から、隈氏には一つのアイデアがありました。
隈氏といえば、今年5月に“自然素材を生かした設計で建築文化に寄与”したことが評価され、紫綬褒章を受章したことが記憶に新しい建築家です。設計に携わった新国立競技場も、外周の軒庇に47都道府県から調達された木材を配置するなど、木をふんだんに使った設計が特徴となっています。そして輪島塗もまた、能登の自然が時間をかけて育てた森のアテやケヤキなどの木を原材料とし、木の恵みである漆を塗り重ねることで出来上がります。
「木地の状態から124工程とも133工程とも言われる多様な輪島塗の職人技を、うつわとして表現できないか」――。
そこで、『DESIGNING OUT Vol.2』のプロジェクトが動きだした昨年の秋冬から、輪島屋善仁の中室耕二郎氏と都内で幾度となくミーティングを重ね、このアイデアの実現にむけて検討を進めてきたのです。そして、今回、隈氏が実際に職人たちの仕事にふれ、意見をきくことで、江戸時代から続く“輪島六職”と呼ばれる「椀木地」「指物木地」「曲物木地」「塗師」「蒔絵」「沈金」の分業システムにちなんで、製造工程を6つのうつわで表現する方向性が決定しました。
もう一つ、隈氏が話すように、輪島塗は、完成までに長い時間を要するものです。さらに、毎日触れて、使っていくうちに味わいが出てくるほか、修理(なおしもん)して世代を超えて使用し続けられる道具です。100年成長した木は、100年使ってあげたい。そんな思いが輪島塗にはこめられているのです。
隈氏は、インタビューに答えるかたちで、「モダニズム建築は、でき上がった時点が最高の状態であり、あとは劣化していくという時間の概念を持っています。このモダニズム建築の持つ時間の概念、あるいは哲学に対して、これからの建築は、でき上がった時点よりも後になると、逆に良くなるという建築であると僕は思います」と話しています。(『隈研吾という身体 自らを語る』大津若果著、NTT出版、2018年、P248)
「時間が経つと、どんどん良くなるという時間の概念を持ち、これからの工業化社会以降の人間は生きていくことになる」。(同、P249)「これからの人間は、歳を取るほど良くなるという生き方をするでしょう。少子高齢化社会の時間の概念は、エイジングを善きものとする概念です」。(同、P250)
まさに、エイジングによってよくなるのが輪島塗の伝統なのです。この伝統の技を隈氏が咀嚼し、表現する「新しい輪島塗」のうつわ。その全貌は、10月の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』で明らかになります。
1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
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7.5ozプリントTシャツ(モタード柄)
着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ
- 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ
- ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
- ネック:30/2度詰めフライス
- バックプリント&フロントワンポイントプリント
- プリントはラバープリント
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IHT-1906:サイズスペック
着丈 | 肩巾 | バスト | 裾巾 | 袖丈 | 袖口 | |
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XS | 59.0 | 39.0 | 90.0 | 91.0 | 18.5 | 18.0 |
S | 62.0 | 41.0 | 96.0 | 97.0 | 19.5 | 19.0 |
M | 64.0 | 43.0 | 102.0 | 103.0 | 20.5 | 20.0 |
L | 68.0 | 46.0 | 108.0 | 109.0 | 21.5 | 21.0 |
XL | 70.0 | 49.0 | 114.0 | 115.0 | 22.5 | 22.0 |
素材
- 綿:100%
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素材
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大会での転倒を経験することで気づいた“発見”とは?
陸上競技としてのゴールは勝つことだけじゃない、と語る #福士加代子 選手が目指す走りとは?
代表選考レースに挑む福士選手が話す、ランナーとしての原動力。
http://a.did.as/6002ECV6i
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探るのは、農家の無限の可能性。津軽のからきじとっちゃ、今日も行く。[TSUGARU Le Bon Marché・白神アグリサービス/青森県西津軽郡]
津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス農家のようで農家でない? 幅広く活躍する「鯵ヶ沢の木村さん」。
「からきじとっちゃ」とは何ぞや。これは津軽弁で、「わがまま父さん」といった意味です。今回はるばるとっちゃに会いに行ったのは、青森県鯵ヶ沢町。ブサかわ犬「わさお」で一躍有名になったこの町は、西に日本海、南に世界遺産の白神山地と津軽の霊峰・岩木山を有する恵まれた土地でもあります。津軽のちょっとした有名人でもあるとっちゃの名は木村才樹(さいき)。ある人にとっては「日本一大きなりんご農家の木村さん」、またある人にとっては「干しりんごの木村さん」、更には「バイオマスに取り組む木村さん」「学生の受け入れをしている木村さん」……。とにかく色々な顔を持つのが木村氏です。
多岐にわたるその活動をまとめてみましょう。まずはりんごをはじめとして、米、小麦、大豆、玉ねぎ、じゃがいも、洋梨、柿、ブルーベリーなどありとあらゆる農作物を栽培する『風丸農場』の事業。『風丸農場』では、津軽各地の道の駅や土産店で販売される大ヒット商品「農家が干したリンゴ」やジャム、ジュースなどの加工品も製造・販売しています。冬になると本格化するのが、りんごの剪定枝などを薪や細かいチップにして販売するバイオマス事業。そして『みんたば!』なるプロジェクトでは、外部団体の田畑のオーナー制度を導入。定期的に企業や学生グループを受け入れ、土に触れ収穫を楽しみながら環境問題を考えるきっかけをつくってもらう取り組みです。
鯵ヶ沢で代々続く農家の長男として生まれた木村氏。今でこそ界隈のトップランナーとして知られるものの、「昔は農業なんて大嫌いでさ(笑)」と話します。若者が家業を嫌うのはよくある話ですが、現在の多彩な活躍にいたるまでに、いったい何があったのでしょうか? 気になる経緯を聞けば聞くほど、木村氏のセンスと才覚、そしてお茶目な人柄にノックアウトされる取材となりました。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・白神アグリサービスここにもあった! やってまれ精神。行動に移すことが実績につながる。
学生時代からりんごの木の剪定などを担っていた木村氏が、父から事業を任されるようになったのは37歳の時。課題となったのが、厚い雪に覆われる冬場の農家の暮らし方でした。「利益を出すために法人化して人を雇ったけど、結局冬は彼らのやることがなくてまずいなと思って。冬になると大量に廃棄されるりんごの剪定枝を燃やすの、もったいなくない?って気付いたんだよね」と木村氏。近隣の農家からも剪定枝を買い入れ、薪やチップに加工し販売すると、燃料として好評に。「仕事もできるし、循環型農業につながって環境にもいいし。でも結局販売を始めてから2年後に国が間伐材のペレットに力を入れ出して、そっちの方が売れちゃったんだけど(笑)」と言う木村氏ですが、以前紹介した『木村木品製作所』が製造するりんごの木工品の加工原材になるなど、今では活用の幅も広がりつつあります。
現在津軽でよく見かけるようになった干しりんごの加工品も、木村氏がパイオニア。地域一帯に降った雹(ひょう)によって傷がつき売れなくなったりんごを、農家が昔から食べていたおやつに加工したのが始まりです。予想外のヒットを受け、洋梨や柿、プルーンなどのドライフルーツも製品化。更に中まで赤いりんごとして有名になった「ジェネバ」という早生品種は、20年前から栽培に取り組んでいます。「日本一早かったんじゃない? 最初は誰も興味を持ってくれなくて、10年間全く売れなかった」と木村氏。一方、いち早くグリーンツーリズム事業にも参画。「天候が悪くて野菜が育たず価格が高くなれば、農家が文句をいわれる。商品価値の低さが農業の一番の問題点でしょ。食べる人に本当の価値を知ってもらいたくて」というのがその理由です。
「他にも思いついた商品をどんどん作ったり、つながりのある学生に加工品のパッケージデザインを頼んだり、とりあえず何でもやった。時期尚早で失敗することも多かったよ(笑)」と木村氏。……これはもしや、津軽の「やってまれ」精神? 木村氏の話からは、以前取材した建築設計事務所の蟻塚 学氏からも感じた「とりあえずやっちゃえ!」な津軽人気質がむんむん漂います。ちなみに、息子さんは蟻塚氏の建築設計事務所に勤務しているそうです。
津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス農業体験を通じ、津軽が都会の若者の「ふるさと」に。
「やってまれ!」な勢いで広げた取り組みで、津軽を代表する農家となった木村氏。中でも『みんたば!』のプロジェクトは、津軽と県外をつなぐパイプとして機能してきました。当初は東京の広告代理店などと年間契約、年数回の農業体験で栽培した米を提供するオーナー制度としてスタートしたこのプロジェクトでしたが、そこに興味を持ったのが東京大学や日本女子大学、法政大学といった首都圏の大学に通う学生たち。今や彼ら自身が自主的に農業体験を企画し、毎月誰かしらが滞在するほどのつながりができています。
青森の伝承料理を守る『津軽あかつきの会』の取材時に若手として活躍していた吉田涼香さんは、この『みんたば!』がきっかけで青森県に移住。木村氏は、現在つがる市で暮らす彼女の新規事業計画にも関わります。他にも青森県庁に就職した学生がいたり、今度木村氏のもとへ就職する学生がいたり。農家の高齢化が進む中、次世代を担う若者が自ら津軽へやってくる、そんないい流れがここでは自然と生まれていることに驚きます。
ただ学生と農作業をともにするだけでなく、加工品を考案させる、地元小学校のレクリエーション企画や祭りに参加させるといった幅広い活動が『みんたば!』の特徴です。「畑は生産物を作るためだけの場所じゃない。畑の空気感に癒されることもあると思うんだよね。都会の生活に悩みを抱えている子も多いけど、『大人とうまくいかない』と言っていた子が、通ううちに『大人を見直した』って言ってくれるようになる。俺がすぐ学生にちょっかい出すから、それも楽しいみたい(笑)」。そう話す木村氏は、学生たちにとって津軽のとっちゃです。
津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス直面するのは厳しい現実。それでも向き合うのは好きだから。
アイデアを次々と具現化する木村氏ですが、もちろんそれには相当の労力と負担が発生します。最近では、日本に1台しかないというオランダ製のりんご収穫用マシンを個人輸入で導入。「日本では“手をかける”ことがよしとされるから、りんご栽培はいまだに手作業中心。でも農家はどんどん廃業するし、高齢の働き手は後5年もすれば仕事ができなくなる。10年くらい前から、収穫も機械化しないと農家が持たないと考えてたわけ。高額だし小規模の農家が買えるものではないから、いずれは地域の他の農家の収穫もこれでやることになるだろうね」と木村氏は話します。
これまでも耕作放棄地を買い取り畑にするなど、積極的に地域に貢献してきた半面、「それもこれも、環境に配慮した農業を考えたらうちだけでやれることじゃないから、周りを巻き込んでいるだけ。『みんたば!』も収益のために始めたし、学生の受け入れだって『うちに入社してくれるかな』という下心もあったしね(笑)」と木村氏。その話からは、綺麗事では済まされない、地方の農家の現実が見えてきます。
それでもなお、毎日農業と正面から向き合い、新しいアイデアを形にする理由をたずねると、「農家って、何やってもいい職業だと思ってて。りんご作っても米作っても、エネルギー作ってもいいし、人助けだってできる。無限の可能性を感じるというか。自分は他人のことは気にしないし、他人の意見も聞かない。すっげーわがままなの(笑)。だから自分が新しいことしたい、面白いことしたいって考えてるだけなんだよね」。そう語った木村氏は、取材の最後にこうつけ加えました。「農業が嫌い嫌いといってるけど、本当は好きなんだと思うね」。いつもエネルギッシュで真剣、そのわがまま=「からきじ」ぶりと本気度で周囲を巻き込んでいく木村氏。その勢いはまだ止まりそうもありません。
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電話:0173-82-5421
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