隈研吾氏、輪島の職人に出逢う。見えてきた新たな輪島塗のかたち。[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]

輪島塗の製造工程を椀で表現する輪島塗会館の資料展示室で。

デザイニングアウト Vol.2隈 研吾氏、輪島塗の技術に触れる旅へ。

地場産業や伝統工芸など、プロダクト(モノ)に焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見する、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』の共同プロジェクト『DESIGNING OUT』。
第2弾のテーマとなる伝統漆器「輪島塗」に新たな風を吹き込むモノづくり『DESIGNING OUT Vol.2』の現場を、連載でお届けします。

今回は、プロダクトデザインを手がける隈研吾氏が、クリエイションのヒントを求めて輪島を訪ね、輪島塗の職人たちとの対話を通じて見えてきた“新しい輪島塗”のかたちをレポートします。

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日本海に面して小さな田が海岸まで続く棚田「白米千枚田」。

デザイニングアウト Vol.2海路によって栄えた、厳しくも自然豊かな輪島。

能登半島が新緑に包まれ、山には薄紫色の山藤の花が揺れ、田植えを終えた田んぼの水が陽の光を受けて煌めく5月下旬。隈 研吾氏が輪島市を訪れました。

東京から空路を使った場合、2003年に開港した、のと里山空港まで約1時間のフライトですが、かつて輪島への主要交通手段は海路でした。中世に「三津七湊」と呼ばれた日本の十大港湾の一つに「輪島湊」があり、「親(おや)の湊」とも呼ばれ、日本海航路の重要な拠点だったのです。また、輪島塗の技術や行商スタイルが確立した江戸時代には、輪島は北陸以北の日本海沿岸から下関を経由して、瀬戸内海の大阪へと向かう北前船の重要な寄港地として栄えました。
「日本に数多くある個性的な土地の中でも、輪島は文化や自然の条件が濃い場所だと思います。古くから日本の伝統文化のマグネットになった地域なのです」と、隈氏は話します。
輪島塗の漆器を背負った塗師屋は、こうした海路を使って全国を行商してまわり、日本中に輪島塗の名を広めていったのです。

そんな輪島の歴史に思いを馳せながら、まず、輪島港にほど近い輪島漆器商工業協同組合が運営する「輪島塗会館」を訪れました。

輪島塗会館は、普段使いの塗り箸から豪華な加飾で彩られた装飾品まで、市内約60軒の漆器店の商品を展示販売するほか、輪島塗の工程や職人の世界、歴史文化を紹介する資料展示室があります。隈氏は、第1展示室の入り口に設けられた、木地から塗り、加飾に至るまで124工程とも133工程とも言われる多様な職人技の一つひとつを、133個の椀工程見本で表現した展示に静かに見入っていました。

輪島塗会館には、輪島塗の歴史民俗資料約4,000点がある。

1階の輪島塗SHOPには、市内60以上の専門店の商品が展示販売されている。

椀一つひとつに職人の技術と心がこもる。

デザイニングアウト Vol.2輪島塗職人の技と“時間のパワー”に触れる。

次に足を運んだのは、江戸・文化年間の1813年に創業した塗師屋「輪島屋善仁」です。「職人は人格崇高たるべし」との家訓のもと、200年以上、職人の技術向上を求めて輪島塗に向かい合っています。今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で、隈氏と輪島の職人たちのコーディネーター役を担う中室耕二郎氏が、9代目として采配を振る工房でもあります。

輪島屋善仁では、まず、椀の縁や高台などの木地が薄く割れやすい部分や箱の継ぎ目などに漆で布を貼って補強する「布着せ」の工程を見学しました。隈氏は「この布の幅はもっと狭くできる?」と職人に尋ねたり、興味深そうに写真を撮ったり。
続く「研ぎ」の工程は、研ぎものロクロや研磨紙、砥石などを使ってうつわ全体を磨いていく仕事です。輪島塗は、漆を塗っては研ぎ、研いでは塗りを繰り返すことで、強く艶やかなフォルムを生み出しますが、研ぎによって、次に塗る漆の密着性を高めるだけでなく、うつわの微妙なかたちを整えていくのです。輪島の研ぎ職人は、ほとんどが女性だそうです。“研ぎもののかーちゃん”などと呼ばれ、重要な役割を担っています。

さらに、刷毛やヘラを使って中塗漆をうつわ全体に塗る「中塗」は、塗りの最終工程となる「上塗」のひとつ手前の工程で、「塗りムラや刷毛目を残さずに素早く、かつ丁寧な職人技が求められます。塗り上げたうつわは、漆が垂れないように反転させながら乾燥させる「回転風呂」と呼ばれる部屋に移されます。ここでも隈氏は、職人に「上塗は、何年くらいでできるようになるの?」「漆を乾かす温度は何度くらい?」と熱心に質問をしていました。

そして、隈氏が最後に見学したのが「加飾」の工程。塗りの堅牢さに加えて、「蒔絵」や「沈金」の美しい装飾も輪島塗の大きな特徴です。

「蒔絵」は、和紙に描いた下絵を転写した置目に添って漆で文様を描き、金銀粉などを蒔き付け、さらに漆を塗り固めるなどした後に、研磨して金銀の光沢を出します。「沈金」は、沈金ノミという道具を使って紋様を掘り、そこに薄く漆を塗り込み、余分な漆を和紙で拭き取った後に、金銀の箔や粉を紋様に押し込んで定着させる技法です。
輪島塗は、歴史的には庶民の実用漆器だったため、「御蒔絵」と呼ばれるような豪華な蒔絵よりも、沈金の技術が発達したそうです。ともに江戸時代に完成した技法ですが、明治時代に日本各地の御用蒔絵師が維新によって職を失い、輪島に移住してきたことで蒔絵も盛んになったという経緯があります。

こうした輪島塗の職人たちの仕事に触れ、輪島屋善仁を後にした隈氏は口元に笑みを浮かべてこう話しました。
「日本の技は“時間”がつくる産物であることが多いのです。もちろん高い技術力に裏打ちされた上での話ですが、輪島塗にも“時間のパワー”を感じます。漆液の採取も、塗りも、乾燥も、十分かつゆっくりとした時間が必要です。そこが輪島塗の面白さだと思います。今回のプロジェクトでは“時間”を感じられるデザインをしたいと考えています」

「輪島屋善仁」の工房で職人の話をじっくりと聴く隈氏。

「研ぎ」と「塗り」を何度もくりかえして出来あがる輪島塗。

塗りのあとは漆が垂れないように反転を続ける。

蒔絵の美しい装飾も輪島塗の特徴のひとつ。

隈氏のデザインイメージと職人の技術をすりあわせる。

デザイニングアウト Vol.2“輪島六職”をうつわで表現。

実は、輪島市を訪れる前から、隈氏には一つのアイデアがありました。
隈氏といえば、今年5月に“自然素材を生かした設計で建築文化に寄与”したことが評価され、紫綬褒章を受章したことが記憶に新しい建築家です。設計に携わった新国立競技場も、外周の軒庇に47都道府県から調達された木材を配置するなど、木をふんだんに使った設計が特徴となっています。そして輪島塗もまた、能登の自然が時間をかけて育てた森のアテやケヤキなどの木を原材料とし、木の恵みである漆を塗り重ねることで出来上がります。

「木地の状態から124工程とも133工程とも言われる多様な輪島塗の職人技を、うつわとして表現できないか」――。

そこで、『DESIGNING OUT Vol.2』のプロジェクトが動きだした昨年の秋冬から、輪島屋善仁の中室耕二郎氏と都内で幾度となくミーティングを重ね、このアイデアの実現にむけて検討を進めてきたのです。そして、今回、隈氏が実際に職人たちの仕事にふれ、意見をきくことで、江戸時代から続く“輪島六職”と呼ばれる「椀木地」「指物木地」「曲物木地」「塗師」「蒔絵」「沈金」の分業システムにちなんで、製造工程を6つのうつわで表現する方向性が決定しました。

もう一つ、隈氏が話すように、輪島塗は、完成までに長い時間を要するものです。さらに、毎日触れて、使っていくうちに味わいが出てくるほか、修理(なおしもん)して世代を超えて使用し続けられる道具です。100年成長した木は、100年使ってあげたい。そんな思いが輪島塗にはこめられているのです。

隈氏は、インタビューに答えるかたちで、「モダニズム建築は、でき上がった時点が最高の状態であり、あとは劣化していくという時間の概念を持っています。このモダニズム建築の持つ時間の概念、あるいは哲学に対して、これからの建築は、でき上がった時点よりも後になると、逆に良くなるという建築であると僕は思います」と話しています。(『隈研吾という身体 自らを語る』大津若果著、NTT出版、2018年、P248)

「時間が経つと、どんどん良くなるという時間の概念を持ち、これからの工業化社会以降の人間は生きていくことになる」。(同、P249)「これからの人間は、歳を取るほど良くなるという生き方をするでしょう。少子高齢化社会の時間の概念は、エイジングを善きものとする概念です」。(同、P250)

まさに、エイジングによってよくなるのが輪島塗の伝統なのです。この伝統の技を隈氏が咀嚼し、表現する「新しい輪島塗」のうつわ。その全貌は、10月の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』で明らかになります。

輪島塗の工程に焦点をあてた「新しい輪島塗」のうつわ制作にむけて議論する。

プロトタイプの制作を経て、完成版へとブラッシュアップ。

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。