選手と応援団との間にある一体感を一層高めようと思ったら、選手が発注しているショップに依頼して自分のサイズにピッタリ合った商品を製作してもらうことだ。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム
あなたの「心地いい暮らし」って、何ですか? 津軽の家具職人と探すものづくりの原点。[TSUGARU Le Bon Marché・イージーリビング/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。
青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。
実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。
葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。
今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。
働きながら、休日を利用して弘前市の隣・大鰐町(おおわにまち)にある木工工房『わにもっこ』の講座に通い出した葛西氏。『わにもっこ』主宰の山内将才氏は、津軽の里山の木々から様々な作品を作る傍ら地域の森林を守る活動でも知られる、地域を代表する木工職人です。「山内さんは常に先を見ながら、今のことも地道にきちんとやる人。色んな木工品を手がけているけど、どれも作っている間は本気でその作品に向き合わないといけないじゃないですか。黙って考えているだけじゃ続けられない、手を動かさなきゃ何も進まないということを体現している気がして。職人として憧れている人や目標とする人はあまりいないけど、山内さんにはいつも『やってみたら? やらないの?』と問われている気がします」と葛西氏。
やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング特別でドラマチックな何かより、日常と向き合う。
津軽といえばりんご。現在では『弘前シードル工房 kimori』の家具や「又幸 matasachi」シリーズなど、りんご木箱を使った「津軽らしい」作品でも知られる葛西氏ですが、一方で「普段は地域性とか津軽らしさとか、あまり意識していないんです」と話します。「外から見ると津軽らしい存在のりんごも、ここでは日常のもの。だからこそ、産地が抱える色々なことも見えるんです。畑を続けることに悩む農家の知り合いもいますし、『りんご箱なんて見たくない』と冗談めかす知り合いもいる。津軽の外で発信されているりんごと、中にいると見えてくる現実はちょっと違うと思います」と葛西氏。
葛西氏が初めてりんごの木を木材として使ったのは、2012年、青森市・青森駅前にある複合施設『A-FACTORY』の依頼で手がけたりんごの木の栓抜きでした。その後、件のりんご木箱のシリーズなど様々な作品を手がけるように。最近では地域色の強い仕事の依頼も増加。弘前大学構内にある市の有形文化財「旧制弘前高校外国人宣教師館」がカフェにリノベーションされた際に納品したテーブルと椅子は、津軽のシンボルでもある岩木山のシルエットをさり気なく配したデザインです。
「でもそれらの作品は、依頼を受けたものに家具店として応えた結果の“津軽らしさ”。普段作る普通の家具にそれは意識しません。りんご農家の実情を知っているのはそれだけりんごが日常のものということで、それと同様に自分の作る家具も日常のものでありたい。そこには特別な想いもドラマチックなこともないんです。家具店は向かいの青果店や隣の理髪店と同じ、街のいち要素で、普通の存在でありたいというか。ただやっぱり津軽は自分のホーム。りんごも岩木山も大好きだし、アイデアもある。だから作ってほしいといわれる機会が増えたのは、単純に『仕事を続けてきて良かったな』と思いますね」と葛西氏。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「心地いい暮らし」に寄り添う、誠実な職人が作る誠実な家具。
自ら家具店の道を選び転身を果たした葛西氏。しかし、当初はなかなか安定しない生活が続いたといいます。曰く「既製品より価格が高いからどうせ受け入れられないだろうとか、安くて似たようなデザインのものもあるしとか、自分で仕事の価値に制限を設けて、どこかで人のせいにしていた気がします」。しかし「最近は、自分の仕事を素直にいいじゃんと思えるようになってきた」と葛西氏。長く付き合いが続くお客さんとの関係性も、そう思える理由のひとつです。
「最初は座卓として納品した家具を、転勤で引っ越す時に脚をつけてテーブルにして、今度はそれに合う椅子を作って。ライフスタイルに合わせて家具を考えてくれるそんなお客さんがいてくれるのが、いいなあって思うんです。他の家具はいくらだとか、そういうことではなくて、お客さんは私に話をしに来てくれている。自分の仕事が必要とされる場面はやっぱり確かにあるんだと、今更ながら気付かされたんです。結局大事なのは、目の前にあることを淡々と、きちんとやっていくことなんですよね」。葛西氏が語るそんな境地は、15年間ブレずに仕事をしてきた結果に他なりません。
店名にした曲名『Easy Living』について、「ジャズには詳しくないけれど“心地いい暮らし”ってなんだかいいなと思って」と葛西氏。「『あなたの心地いい暮らしは?』って聞かれると、自分自身も『まだ探してます』って感じなんだけど(笑)、結局はそこに立ち返らせてくれる言葉でもあるんです」。取材を終えた後心に残ったのは、模索しながらも自分の生きる道を見つけた、ひとりの職人の誠実さでした。決して安いものではないオーダー家具や手作りの木工品。だからこそ、作品にも作り手にも「これからもよろしくね」といえる、長く付き合えるものであれば何より幸せではないでしょうか。そして津軽は、そんな作品と作り手が待っている場所なのです。
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)
住所:青森県弘前市百石町44-1 MAP
電話:0172-35-8320
Easy Living HP:https://www.easyliving.jp/
あなたの「心地いい暮らし」って、何ですか? 津軽の家具職人と探すものづくりの原点。[TSUGARU Le Bon Marché・イージーリビング/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。
青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。
実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。
葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。
今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。
働きながら、休日を利用して弘前市の隣・大鰐町(おおわにまち)にある木工工房『わにもっこ』の講座に通い出した葛西氏。『わにもっこ』主宰の山内将才氏は、津軽の里山の木々から様々な作品を作る傍ら地域の森林を守る活動でも知られる、地域を代表する木工職人です。「山内さんは常に先を見ながら、今のことも地道にきちんとやる人。色んな木工品を手がけているけど、どれも作っている間は本気でその作品に向き合わないといけないじゃないですか。黙って考えているだけじゃ続けられない、手を動かさなきゃ何も進まないということを体現している気がして。職人として憧れている人や目標とする人はあまりいないけど、山内さんにはいつも『やってみたら? やらないの?』と問われている気がします」と葛西氏。
やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング特別でドラマチックな何かより、日常と向き合う。
津軽といえばりんご。現在では『弘前シードル工房 kimori』の家具や「又幸 matasachi」シリーズなど、りんご木箱を使った「津軽らしい」作品でも知られる葛西氏ですが、一方で「普段は地域性とか津軽らしさとか、あまり意識していないんです」と話します。「外から見ると津軽らしい存在のりんごも、ここでは日常のもの。だからこそ、産地が抱える色々なことも見えるんです。畑を続けることに悩む農家の知り合いもいますし、『りんご箱なんて見たくない』と冗談めかす知り合いもいる。津軽の外で発信されているりんごと、中にいると見えてくる現実はちょっと違うと思います」と葛西氏。
葛西氏が初めてりんごの木を木材として使ったのは、2012年、青森市・青森駅前にある複合施設『A-FACTORY』の依頼で手がけたりんごの木の栓抜きでした。その後、件のりんご木箱のシリーズなど様々な作品を手がけるように。最近では地域色の強い仕事の依頼も増加。弘前大学構内にある市の有形文化財「旧制弘前高校外国人宣教師館」がカフェにリノベーションされた際に納品したテーブルと椅子は、津軽のシンボルでもある岩木山のシルエットをさり気なく配したデザインです。
「でもそれらの作品は、依頼を受けたものに家具店として応えた結果の“津軽らしさ”。普段作る普通の家具にそれは意識しません。りんご農家の実情を知っているのはそれだけりんごが日常のものということで、それと同様に自分の作る家具も日常のものでありたい。そこには特別な想いもドラマチックなこともないんです。家具店は向かいの青果店や隣の理髪店と同じ、街のいち要素で、普通の存在でありたいというか。ただやっぱり津軽は自分のホーム。りんごも岩木山も大好きだし、アイデアもある。だから作ってほしいといわれる機会が増えたのは、単純に『仕事を続けてきて良かったな』と思いますね」と葛西氏。
津軽ボンマルシェ・イージーリビング「心地いい暮らし」に寄り添う、誠実な職人が作る誠実な家具。
自ら家具店の道を選び転身を果たした葛西氏。しかし、当初はなかなか安定しない生活が続いたといいます。曰く「既製品より価格が高いからどうせ受け入れられないだろうとか、安くて似たようなデザインのものもあるしとか、自分で仕事の価値に制限を設けて、どこかで人のせいにしていた気がします」。しかし「最近は、自分の仕事を素直にいいじゃんと思えるようになってきた」と葛西氏。長く付き合いが続くお客さんとの関係性も、そう思える理由のひとつです。
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@adidasfun アディダスファン
@AdidasPhk sulastri
@Originals_kr is rich, but shoe-making workers suffer. we still want to work but why are laid off. @adidas @adidasRUN_jp @addidasorignal
#PayOurRight
#JusticeForPDKWomenWorkers
@jeffhermanson
@cleanclothes
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@AsiaFloorWage06https://twitter.com/adidasoriginals/status/1174324751206158338 …
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