津軽から、本気で世界一を目指す。進化を続ける「自給自足レストラン」の今。[TSUGARU Le Bon Marché・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ津軽からその名をとどろかせる、超有名イタリアンレストラン。
それは弘前市のセレクトショップ『bambooforest』のヒゲもじゃ名物店主・竹森 幹氏にお勧めのレストランを聞いた時のこと。「やっぱり笹森さんの店はすごいです。もしかして、まだ『津軽ボンマルシェ』で紹介してないんですか?」と竹森氏。そう、弘前には津軽のみならず日本全国にその名を知られる有名シェフがいるのです。そして今回、満を持してご紹介するのが『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』のオーナーシェフ、笹森通彰氏その人。昨今地産地消を目指すレストランは数多く存在するものの、2003年にオープンした同店のスタイルは、もはや地産地消を通り越した別次元のもの。使う食材のほとんどが青森県産というだけでなく、自らの畑で野菜を育て、肉からは自家製のコッパやサラミや生ハム、牛乳からはチーズを仕込み、更には自分たちで育てたぶどうからワインまで造るという驚愕の「自給自足」式レストランです。
笹森氏は弘前市出身。高校時代からイタリアの車やサッカーリーグを愛する「イタリアおたく」だった笹森氏が料理人を志すことになったのは、仙台の専門学校に通っていた頃、レストランでのアルバイト経験(もちろんイタリア料理店)がきっかけでした。20歳で料理の道を歩むと決め、本格的に調理の基礎を身につけるためレストランに就職。その時感じた想いこそ、今の『オステリアエノテカ ダ・ サスィーノ』の原点です。
「弘前の実家の横には祖母の畑があって、いつもそこで採れた新鮮な野菜を食べていました。レストランに就職した時改めて気付いたのは、それまで意識しないで食べていた実家の野菜がいかに美味しかったかということ。その後働いた東京の高級店でも、全然野菜が美味しいと思えなくて。独立するなら実家の畑がある弘前でと考えるようになりました」と笹森氏。今でこそジャンルを問わず多くのシェフたちから支持される笹森氏のスタイルは、故郷・津軽の自然の恵みが育んだものなのです。
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津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ真の「ご馳走」とは何か。東京の高級店ではできない大切なこと。
東京の高級店で経験を積んだ後、28歳でイタリアへ渡った笹森氏。そこで出合ったのが「カンパニリズモ」という考え方でした。朝夕、街中に響き渡る鐘楼(カンパニーレ)の鐘の音。その音はイタリア人に自分の故郷、人生のステージを想起させるものでもあります。つまり「カンパニリズモ」とは、故郷を想う郷土愛のこと。独立するなら弘前で、そう考えていた笹森氏にとって、漠然と目指すスタイルが見えてきます。「向こうでは、朝近所のおじちゃんが店に山羊を連れてきたと思ったら、料理人たち自ら捌いて肉を加工し熟成させる。衝撃を受けました。時間がある時は、農場まで店で使うミルクを搾りに行ったり。日本ではレストランで生きた家畜を捌くことはできないけれど、ジビエだったらできるかなとか、色々なことを考えましたね」と笹森氏。
約2年半のイタリア修業ののち帰国、30歳の若さで故郷に『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』をオープン。当初はイタリアからの輸入食材も積極的に使っていましたが、地元の生産者とのつながりができるとともに減り、反比例するように生ハム、チーズの自家製率が上昇。現在ワインの生産量も増えたことで、店で提供する食材の実に9割以上が青森県産となりました。
「僕は“ご馳走”という言葉が大事だと思っているんです。あちこち走り回って調達したもので料理をこしらえて食べてもらう、それが本来の意味じゃないか、それが食材と料理人と食べ手の自然な距離感じゃないかと。東京では、日本各地から届く高級食材を使った高額な料理がご馳走かもしれない。でも同じことを青森でやる意味はありませんよね」。そう語る笹森氏は、自らの醸造所に『ファットリア・ダ・サスィーノ』と名づけました。ファットリアとはイタリア語で農場のこと。そこからは、毎朝畑へ行くことから一日が始まる笹森氏の、料理人であると同時に農家であるという覚悟がうかがえます。
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ飽きっぽい性格も武器に? 次なる目標は世界一のワイン。
「店を始めた頃は、ワイン造りなんて無理だと思っていました」と笹森氏。ネックだったのが、年間6,000リットル以上の製造能力がないと免許が取れない国の制度。しかしたまたまニュースで見た「どぶろく特区」の話題が、笹森氏の背中を押すことになります。「どぶろく特区」とは、地域活性化を目指す国の施策のひとつ。生産量が少なくても、地域の生産者が地域の材料で作るなどの条件を満たせば酒類製造免許が取得できる制度です。「弘前が特区になればいいじゃないか」。そう考えた笹森氏、なんと自ら役所へ出向き、この地域を「ハウスワイン特区」にすべきだとかけ合ったそうです。自宅横の実験畑で様々なぶどう品種を栽培し、弘前の土地に合った品種を探しながら、2010年からは晴れて醸造をスタート。初めて「いけるかも」と思えるワインができたのは2012年。その後、年々レベルが上がる『サスィーノ』のワインは各方面で話題となります。最近では、水はけが良くぶどう栽培に適した斜面の土地を新たに購入。畑は3.4haにまで広がりました。
「何だってやってみないとわからない。ワインだけじゃなく、常にそんな感じでやってきた。それに僕は飽きっぽいから、何か達成すると他のことをやりたくなっちゃうんです (笑)」。そう話す笹森氏は、きっぱりとこう続けました。「目指すワインは世界一。多くのワインラバーの方々から、超高級ワインと比べても負けていないと評価して頂く。自分でもそう思っていますし、今は世界一のワインができると確信しています」。
ワインへの情熱は、地域のぶどう生産者を増やす活動にもつながりました。現在は弘前市と協働し、3年間『サスィーノ』で研修したスタッフの独立も支援。『サスィーノ』はいわば津軽のワインの旗振り役。今後津軽が国産ワインの一大産地になる、そんな日も近いかもしれません。
津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノイタリア料理を愛するからこそ、決めているルールがある。
『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の料理にはひとつのルールがあります。それは、たとえ青森県産の食材でも、イタリアで使われていないものは使用しないこと。「イタリアは地域ごとにはっきりと異なる食文化があります。つまりイタリア料理とは各地の郷土料理の集まり。そして郷土料理は郷土の食材ありきです。今は昆布出汁などを多用するシェフも増えていますが、僕は使わない。そのルールに自分なりのイタリアへのオマージュを込めているつもりだし、伝統的なイタリア料理を濁さないようにしたいんです」と笹森氏。力強い言葉には、少年時代から続くイタリアへの愛が覗きます。
仕事中、どんな時にテンションが上がりますか? そんな質問をした時、笹森氏は顔をほころばせながらこう答えました。「最近だと『大きいマグロがようやく沖に入ってきた』と連絡が来た時かなぁ。『釣りに行きたい!』ってテンションが上がるんですよ。これから秋になればりんごも米も出てきて、津軽は食の宝庫の場になる。楽しみですよね」。
野菜を育て、魚を獲り、加工品やワインも手がける。日本でまだ誰もしていないことを15年かけて成し遂げた笹森氏。実際に話をするまでは、黙々と挑戦を続ける孤高のシェフのイメージでした。しかし畑やワイン醸造所に同行して垣間見えたのは、孤高という言葉の孤独で崇高な印象に反し、一生懸命かつ誠実に仕事と向き合いそれを楽しむ、人間味溢れる笹森氏の一面。素直に「この人が作る料理を食べたい」と思わせる、ひとりの料理人の姿です。これからも『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』は、津軽、そして日本屈指の店であり続けるに違いない。そう確信し取材を終えたのでした。
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)
住所:青森県弘前市本町56-8
TEL:0172-33-8299
オステリアエノテカ ダ・サスィーノ HP:http://dasasino.com/