アレックス・カーが耳打ちする、本当は教えたくない亀岡案内。[京都府亀岡市]

亀岡で暮らすアレックス氏の居所。当初、煤けた状態だったこの古民家は尼寺を移築した社務所だったという。

亀岡市京の都の隣にあって、多くの偉人を輩出してきた亀岡。

日本有数の観光都市・京都から快速に乗ってわずか20分。蛇行する保津川を5回越えると亀岡駅に着きます。長閑な田園が広がるこの地で暮らすのは、東洋文化研究者であり作家のアレックス・カー氏です。

「亀岡は京都文化の圏内にありながら、豊かな自然と、田園風景と、城下町が残る場所。京都はいまオーバーツーリズムで落ち着いて過ごせる場所が減ってしまいましたが、亀岡には静かな佇まいの寺も多く、じっくり仏像を鑑賞することもできます。また、この地は一種のトラブルメーカーというか面白い人物を輩出しているんです。たとえば、明智光秀。足利尊氏もそう。彼が鎌倉幕府打倒の挙兵をした篠村八幡宮もまだ残っています。倫理学者・石田梅岩もそうですね。当時は『女性が学問なんて』という時代でしたが、彼は分け隔てをしない先駆的な人でした。そういう人物が亀岡から出ているのは、亀岡の誇りだと思います」。

今回は、そんな亀岡のなかでもあまり人に知られていないスポットをアレックス氏と共にご案内します。

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頭を垂れた黄金色の稲が一面に広がる亀岡。取材中、1羽のシラサギが飛び立った。稲につく虫を食べてくれるという。

長閑な田園風景が広がる亀岡。2020年には駅前に京都スタジアムが出来る。

亀岡市ちょっと不便、だけど美しい古民家での暮らし。

その前に、アレックス氏の亀岡での暮らしぶりを見せてもらいました。苔が艶々と光る、とある神社の境内。そのなかに佇む木造平屋の古民家がアレックス氏の住まいです。’77年にここを借りた当初、電気は通っておらず、トイレは汲み取り式で、水は井戸水を使っていました。そこから少しずつ改修を進め、「現在はこの通り」と、蛇口をひねって笑います。居間の襖や屏風には、建具屋に頼んだという古い書や自らしたためた書が貼られており、窓の外の奥庭は緑豊かな渓流に繋がっています。

「ここで友人にお手製の料理を振る舞いつつワインを飲んだり、本を読んだりして過ごしています。ここで寝た友人から『久しぶりによく寝れた』と言われたことも」。
国内外を問わず、多くの著作を手掛けるアレックス氏。細部まで美意識が行き届いたこの場所なら、執筆活動も捗るに違いありません。

板張りのキッチンも昔は土間だった。入口の日よけの簾には赤紫色の昼顔が咲いていた。

太く、力強い筆致に少し丸みをもたせた書はアレックス氏によるもの。照明器具も自ら古美術商を巡り、吟味した。

一目で気に入り、この場所を借りた当初は相当荒れていたという。アレックス氏には完成形が見えていたのだろうか。

渓谷に続く借景が美しい奥庭。カエルや虫はもちろん、小鳥や小動物もやってくるという。

亀岡暮らしに潤いをもたらす和の感性を磨いた「大本」。

次にアレックス氏が和の感性を磨いたという丹波亀山城跡を訪ねました。

大学卒業後の’77年、宗教法人「大本」国際部に文化スタッフとして採用されたアレックス氏は、これを機に日本での暮らしを本格化させます。その大本の本拠地がある場所こそ、明智光秀が丹波統治の拠点として築城した丹波亀山城跡なのです。
「教祖の出口王仁三郎は芸術に親しんだ人で、『芸術は宗教の母なり』という言葉を残しているんです。普通は逆ですよね。彼のクリエーションは芸術の世界にかなりインスピレーションを与えているんですよ。百聞は一見にしかず。王仁三郎が晩年に創作した“燿盌”という茶碗がギャラリーにあるので見てみましょう」。
残念ながら「ギャラリーおほもと」内は撮影できませんでしたが、手でひねりだした歪な形の碗に鮮やかな色彩が乗った茶碗は、とてつもなくエネルギッシュでした。

その後、小雨降る城内を歩きました。人気のない濡れた庭のあちこちに、万葉集にも謳われている可憐な野草が。本殿には立派な能舞台が設けられており、「懐かしい…」とアレックス氏が目を細めるシーンもありました。

丹波亀山城の石垣を見つめるアレックス氏。敷地内に入る際は大本本部のみろく会館で受付を。

玉砂利が敷き詰められた境内はチリひとつなく、水をうったような静けさ。

施設内にある能楽堂。文化スタッフとして務めていた頃、ここで多くの日本文化と触れあった。

亀岡市雨の「穴太寺」で庭を眺む。何もしない豊かな時間。

雨が本降りになるなか、穴太寺(あなおじ)に向かいました。慶雲2年(705年)に開創したとされる古寺だけあって、遠くからちらりと見える仁王門だけでも味わいがあります。訪れたのがたまたま地蔵盆にあたる日だったので、本堂も庭園も無料で拝観することができました。

「ここでぜひ、見ていただきたいものがあるんです」とアレックス氏。ずんずん前へと進むその後を追うと、布団がかけられた木彫りの釈迦涅槃像が安置されていました。
「自分の体の悪い所をなでると、病気がよくなると言われています。日本はもちろんアジアを見ても、これだけ古い木彫りの涅槃像にはなかなかお目にかかれません」。

もちろん、堂内は撮影禁止。是非とも亀岡に足を伸ばし、アジアの宝を拝んで頂ければと思います。「ここの雰囲気も大好きで」とアレックス氏に促されたのは緋毛氈が敷かれた縁側。その眼前には美しい庭園が広がり、池の向こうに多宝塔が見えます。どのぐらいその場所に居たのでしょうか__。

何でもない時間をかけがえのないものにしてくれる景色がここにありました。

亀岡屈指の古刹・穴太寺にある多宝塔。この日は地蔵盆のため無料だったが、普段は拝観料が必要。

趣のある本殿。安寿と厨子王丸の伝説に語られる逗子王丸肌守御本尊が祀られている。

「こういうところが好きなんです」とアレックス氏。巨木を傷つけぬよう、塀がくり抜かれていた。

多宝塔を借景にした庭園を眺めるアレックス氏。この光景自体が1枚の絵のようだ。

亀岡市風雪に耐えた巨木と石畳の参道が待つ「法常寺」。

翌日、「とっておきの場所にご案内します。本当は誰にも教えたくないんですけど(笑)」と語るアレックス氏と向かったのは、後水尾天皇ゆかりの寺院・法常寺。

府道を逸れ、山道をあがった場所にクルマを停めてしばし歩きます。石畳の参道には苔むした巨木が多く、木漏れ日が綺麗。歩いているだけで瞑想をしているような気分になりました。途中、谷川に架かった古い石橋や落雷によって幹が裂けたコウヤマキの巨木があり、その先の高い石垣を築いた山腹に本堂があります。拝観は要予約。この日は前から中に入れないと分かっていたので、外から美しい庭を眺めて法常寺を後にしました。

ガイドブックにない亀岡を巡るとき、拠点にしてほしいのが「離れ にのうみ」です。
その周辺を少し歩くだけで、瓦屋根に黒板塀の建物や酒蔵が目につきました。亀山城の外堀を活用した古世親水公園内には、野菜の洗い場もありました。この辺りは年谷川が形成した扇状地にあることから伏流水が多く、いたるところに湧水があり、昔の人は生活用水として活用していたそうです。

来春には、「アレックス・カーが案内する本当は教えたくない亀岡ツアー」を1泊2日で開催する予定です。詳細は後日、以下のサイトで発表の予定です。
離れにのうみ Facebook:https://www.facebook.com/kameokahanareninoumi/
森の京都 DMO HP:https://morinokyoto.jp/

亀岡で、暮らしの細部にまで巡らされた「日本の美」を感じる旅はいかがでしょう?

石畳の参道の両脇に巨木が立ち並ぶ。一帯は府指定文化財環境保全地区に指定されている。

勅使門。ここを右手に見ながら本堂へと進む。本堂には後水尾天皇直筆の手紙などの重要文化財が収められている。

参道の石畳も石垣も厚い苔で覆われている。歩きやすい靴で行くのが吉。

古い街並みを散策するのも楽しい。付近には酒蔵や醤油蔵、旧山陰街道があった。

古世親水公園内にある野菜の洗い場。豊富な伏流水を水源とする亀岡の上水道は、日本屈指の「おいしい水」とされている。

住所:〒621-0851 亀岡市荒塚町内丸1 MAP
電話:0771-22-5561
営業時間:9時~16時
アクセス:JR嵯峨野線「亀岡」駅下車、徒歩約10分

住所:〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46 MAP
電話:0771-24-0809
拝観時間:8:00〜17:00
アクセス:JR亀岡駅下車 京阪京都交通バス穴太寺循環(59, 34系統)、京都学園大学行(60系統)、穴太口下車徒歩10分
穴太寺 HP:https://saikoku33.gr.jp/place/21

住所:亀岡市畑野町千ヶ畑藤垣内1 MAP
電話:0771-28-2243
アクセス:バス停「千ヶ畑」から約5分/亀岡ICから約30分

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

暮らすように滞在できる朝の光が美しい宿。[離れ にのうみ/京都府亀岡市]

亀岡駅から徒歩15分、亀岡I.C.からクルマで約5分の場所に『離れ にのうみ』はある。

離れ にのうみ官民一丸となって生まれ変わらせた築100年の古民家。

苔むした石垣に刻まれた家紋を探したり、木彫りの涅槃像に触れてみたり。古き良き城下町・亀岡観光を満喫した後は、静かな興奮を胸に眠りたいもの。そんな滞在を可能にしてくれるのが、築100年の古民家を改装した『離れ にのうみ』です。亀岡がある丹波では、春や秋に昼夜の寒暖差から深い霧が発生します。朝方、乳白色の濃い霧が朝日に染まる様子を、古人は「丹の海」と表現しました。

何とも風流な名を冠したこの宿、もともとは京都の老舗薫香商の所有。一時期、アレックス氏が借りて事務所にしていたこともありました。その後、荒れるままになっていた建物を亀岡市が引き取り、地方創生の一助となるスペースにできればと生まれ変わらせたのです。今回、監修を担ったアレックス氏に宿の見どころを聞いてみました。
「この計画が持ち上がったのが2016年のこと。一部改修が入れば2017年にはオープンできるねと話していたのですが、思いのほか朽ちている箇所があり、昨年の秋にオープンした形です。その分、古い蔵など昔ながらの風情をいかす形での素晴らしいリノベーションになりました。もともとは母屋だった建物を2ブロックに分け、そこに離れをいれた3つの棟には、それぞれ『応挙』『了以』『梅岩』と亀岡が生んだ偉人の名がついています。早速、お部屋を見てみましょう」。

江戸時代の絵師・円山応挙の名を冠した『応挙』は、宿の中でもっとも大きな棟。情緒溢れる光で目を覚ますことができるベッドルーム、日本庭園と中庭に面したリビング、古き良き城下町を臨む2階の和室からなり、5名までの利用が可能です。どの部屋も古民家特有の趣を湛えつつ、キッチンやお風呂などの水回りは現代的に設え、快適なステイが可能になっています。地元食材を自分好みに調理し、地酒で一杯いきたいタイプに嬉しい調理器具や食器一式はもちろん、大型の冷蔵庫も。タオルや浴衣などのアメニティーもひと通りそろっているので、小さな荷物で「暮らすように過ごす」ことができます。

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『応挙』のリビングで寛ぐアレックス氏。濃い緑と石灯篭の日本的な美に彩られた中庭を臨む。

広々としたダイニングキッチンがあれば、旅先の自炊がグッと楽しくなる。

無機質なホテルにはない温かみが宿るベッドルーム。「いつもよりよく眠れた」という旅人も多いのだとか。

リビングとベッドルームを繋ぐ回廊にも力強い書が。至る所に日本の美が張り巡らされている。

『応挙』には2階がある。少し急な階段を登ると、その先にもご褒美のように書が掛けられていた。

周辺には瓦屋根のお宅も多い。「ここからの景色が大好きで」とアレックス氏。

離れ にのうみ行燈の灯りに先人を想い、ウッドデッキで星光浴を。

戦国時代を生きた京都の豪商・角倉了以は、亀岡の一大観光・保津川くだりの礎を築いた人物。その名を冠した『了以』は離れにあります。天井の高いベッドルームとリビング、その先の日本庭園が地続きになっているこの部屋は、すりガラスから入ってくる美しい光で目覚めることが出来ます。また、全ての部屋にアレックス氏秘蔵の書や軸が掛けられています。『了以』のベッドルームには保津川の軸が掛けられており、旅情が掻き立てられます。

「行燈などの間接照明もほとんど私が持ち込んだもの。照明の位置にもこだわりました」とアレックス氏。柔らかな間接照明は闇の神秘性と光の有難さを際立たせます。

亀岡駅構内にも座像がある江戸時代の思想家・石田梅岩の名を持つ『梅岩』は、リビングから蔵が見える部屋。広いウッドデッキもあり、サンチェアに寝そべって読書に耽るなど、自由な使い方が出来ます。

離れにある『了以』は母屋とお隣の畑の間にある小路の先にある。天井の高い開放的な空間だ。

広々としたダイニングキッチンから日本庭園を臨む。右奥のベンチには、古い囲碁盤が置かれていた。

古民家ならではの味わいを享受することが出来、それでいて水回りはぐっと現代的なのが嬉しい。

ひとり~3人で宿泊できる『梅岩』。シングルベッド2つとソファベッドを利用する形だ。

建具とダイニングテーブルの相関関係に和の美を感じる。ここでゆっくり地酒の杯を交わすのもいい。

趣のある蔵。「一時は取り壊す話もありましたが、反対したんです」とアレックス氏。『離れ にのうみ』のシンボル的存在に。

離れ にのうみ外出せずとも味わえる地元の名店の美味。

ここで気になったのが食事のこと。自炊派は旅先の道の駅や近くのスーパーで食材を調達すればよいのですが、外食派は? その辺りも抜かりありません。地元の名店からのケータリングが可能なのです。亀岡は昼夜の寒暖差があり、野菜や米が美味しいことで有名ですが、そんな地元食材を使った懐石料理を堪能するなら『京懐石 雅』を。お部屋のキッチンで盛りつけをするので、出張料理のような贅沢気分を味わうことが出来ます。仕出し料理屋の『八百捨』では、『離れ にのうみ』オリジナル料理をご用意。旬の食材を多用した洗練の京料理を味わうことができます。

こだわりの生産者から直接買い付けた食材を使ったイタリアンなら『クッチーナ トラスクア』を。また、『コーヒースタンド ブラッキー』にはトーストやサンドイッチと美味しいコーヒーのセットの用意があるので、ゆっくり朝の時間を過ごすこともできます。

『京懐石 雅』の「花」コース。旬の亀岡の食材を取り入れた一番人気のメニューだ。

『クッチーナ トラスクア』では、地元食材を使ったパスタや煮込み料理が楽しめる。

離れ にのうみ地域活性の礎としても期待される滞在型の宿。

官民一丸となって生まれたこの施設では、移住促進のイベントも行っています。今年6月には『タルマーリー』の渡邉 格氏を迎え講演会を開催。渡邉氏は、鳥取県智頭町で、野生酵母で作るパン、クラフトビール、カフェの3本柱で事業を展開しながら、資源の地域内循環や地域活性化に尽力している人物。この時、講演会は『離れ にのうみ』のそばにある稱名寺(しょうみょうじ)本堂で行われ、その後の懇親会は『離れ にのうみ』で行われました。

参加者は地域活性や古民家再生・景観保存を考える人から亀岡移住を考えている人までさまざま。なかには東京や大阪からの参加者もおり、次のステップを考えている皆さんにとって、この宿が多くのインスピレーションを与えたことは間違いありません。

この秋は、リピーターの多さを誇る『離れ にのうみ』で、100年先も残したい日本の良さを体感できる旅はいかがでしょう?

『離れ にのうみ』のすぐ側にある稱名寺。境内には平安時代の女流歌人・和泉式部の墓と伝わる五重宝篋印塔がある。

2019年6月に行われた講演会『タルマーリーに学ぶ~地域の資源を活かす暮らし方』での1コマ。

多くの参加者で賑わった講演会のあと、『離れ にのうみ』で催された懇親会でも熱い意見が飛び交った。

住所:京都府亀岡市西竪町15 MAP
離れ にのうみ  HP:https://www.hanare-ninoumi.jp/

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

輪島塗の産地、奥能登・輪島を舞台に。初のWシェフのコラボレーションが実現した第17回目の『DINING OUT』。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

石川県輪島市の金蔵エリアの棚田に突如、現出した幻のレストラン。

ダイニングアウト輪島「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」をテーマに、日米2人のシェフが競演。

10月5日(土)、6日(日)に『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』が開催されました。初の試みとなるダブルシェフのコラボレーションで、開催前から注目を集めた通算17回目の『DINING OUT』。しかも、石川県にルーツを持つ西麻布『AZUR et MASA UEKI』の植木 将仁シェフと、世界のレストランランキングやアワードで高い評価を受けるアメリカ人シェフ、ジョシュア・スキーンズ氏、国境を超えた2人のタッグというニュースが、さらなる話題を呼びました。テーマは「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」。

詳細については、例によって開催当日まで一切ベールに包まれたまま。10月初旬の輪島に現れた二夜限りのレストランは、一体どのようなものだったのでしょうか。その全貌をお知らせします。

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『DINING OUT』史上初のコラボレーションディナーを担った植木 将仁シェフ(左)と、ジョシュア・スキーンズシェフ(右)。

ホスト役には、「アジアベストレストラン50」の日本評議委員長も務め、『DINING OUT』8回目の登場となるコラムニスト中村孝則氏。

ダイニングアウト輪島能登の歴史を今に伝える重要文化財「時國家住宅」がアペリティフ会場に。

「一門にあらざらん者は皆、人非人なるべし(平家にあらずんば人にあらず)」。
『平家物語』でも有名なこの言葉で、平家の盛隆を称えたのが平大納言時忠。平安末期、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、能登の地に配流され生涯を終えた人物です。

送迎のLEXUSが向かった先は、この平大納言時忠から24代に渡り一族の暮らしの場であった「時國家住宅」。茅葺入母屋造りの木造平屋建築は、江戸時代に3代50年をかけて建てられたもので、当時の暮らしを今に伝える貴重な建造物として、国の重要文化財に指定され、一般にも公開されています。前庭に到着し、ウェルカムドリンクを楽しむゲストの前に現れたのは、コラムニストの中村孝則氏。ホスト役は今回で8回目という“Mr.DINING OUT”が、歓迎の挨拶に続けた「あらゆる意味で過去、最大規模のDINING OUTになるでしょう」という言葉に、ゲストの期待がさらに高まります。

建物に入ると約40坪もの土間が広がり、そこがアペリティフ会場に。植木シェフによるフィンガーフードとともに、能登産のワインやサイダーを楽しむゲストに、中村氏が一人の女性を紹介します。平大納言時忠の末裔、25代目当主の妻の時國純子さんです。
「江戸時代は加賀藩の年貢米の取り立てや、輪島の塩田でつくられる塩の検査などを生業にしていたといわれています。この家に使われているのは、半径500メートルの地域で手に入れた建材のみ。45センチ角の大黒柱は、ケヤキ材の通し柱で、同じ山の斜面で伐採されたという松材の梁を通しています」
今回、時國さんの特別の計らいで、通常の見学時には見ることができない室内を見学できることに。上段の間、大茶の間、中の間と、奥へと案内されるたび、立派な梁や欄間の意匠、ビルの数フロア分に相当する屋根の高さや、庭園の借景に、ゲストの間からため息が漏れます。

立派な神棚や北前船交易で使われた船箪笥などは、人々の暮らしに根付く信仰心とこの地の繁栄の象徴にほかなりません。能登の豊かさの源流、その一端に触れる貴重なひとときを過ごし、ディナーの本会場へと向かいます。

今回も、唯一無二の体験『DINING OUT』の移動をサポートするLEXUS。

国の重要文化財『時國家』がレセプション会場に。この後、ホストの中村孝則氏が登場。

時國家の土間でアペリティフがスタート。時國さんの説明に真剣な表情で耳を傾けるゲストたち。

能登では「ギバサ」と呼ばれるアカモク(海藻)を囲炉裏で焼く郷土料理「串目」をアレンジした植木シェフによる一品。

塗師屋が行商に出ていく時に持っていった、輪島塗の技術の結晶である「行商椀」は大崎漆器店から特別に貸し出して頂いた。

アペリティフの2品目は、植木シェフによる七面鳥のブロス。ひとつひとつ形や色が異なる行商椀から、好きなものを選ぶスタイルで。

ダイニングアウト輪島棚田の真っ只中に浮かび上がる、二夜限りのレストラン会場へ。

「時國家住宅」を後にし、いよいよディナーの本会場へと向かいます。緩やかな斜面に、どこまでも広がる棚田の景色。その景観の中に、忽然と現れた幻のように、ディナー会場の灯りが見えてきます。世界農業遺産にも認定された棚田の里・金蔵集落。「日本の里100選」「美しい日本の歩きたくなる道500選」に数えられる能登の里山が、二夜限りのレストランの舞台となります。金の鶴が舞い降りたという伝説が残る金蔵集落は、古くから稲作が盛んに行われた、奥能登地域でもっとも豊かな集落のひとつ。5つの寺があり、室町時代には収穫した米を年貢ではなく仏供米として収めたという、信仰の地でもあります。

空が暮れゆくにつれ、ドラマティックに浮かび上がる棚田の景色とともに、ゲストの目を奪ったのは、テーブルの前にしつらえられた巨大なオープンキッチン。その一部は、多くのゲストが初めて目にするであろう熾火台が据えられています。2009年、サンフランシスコに開いた『Saison』で、熾火料理を柱にした料理で初めてミシュランの3つ星に輝いたジョシュアシェフ。今回、自ら考案した熾火台を、金蔵のディナー会場に再現したのです。植木シェフサイドの厨房もフルスペック。プランチャからサラマンダーまで、まるで西麻布のレストランの厨房をそのまま運んできたかのようです。シェフが2人ならば、スタッフも2倍。チーム・ジョシュア、チーム・植木がそれぞれのリズムでディナーの準備に動き回るアシンメトリーな眺めが、会場に独特のグルーヴと熱気をもたらします。

今回の『DINING OUT』は、平行して進められてきた『DESIGNING OUT Vol.2』も大きな話題に。地場産業、伝統工芸に独自のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発する本プロジェクトを世界的建築家の隈 研吾氏が監修。製造されたオリジナルの輪島塗の全貌が、このディナーを通じて明らかになるからです。

世界農業遺産の金蔵集落の使われていない休耕田を利用し、まるで田んぼと一体になったような錯覚に陥るディナー会場。

棚田の段を利用し見下ろす形に配置された、巨大なオープンキッチンと今回の為に特別に制作した熾火台。

世界的な建築家の隈研吾氏がデザインした輪島塗の器にどんな料理が盛られるのか注目が集まった。

ダイニングアウト輪島能登の自然、食文化を、それぞれのアイデンティティで表現。

ディナーのはじまりに、中村氏からまず『DESIGNING OUT Vol.2』についての説明があります。輪島塗は、木地づくりから沈金、蒔絵などの装飾まで124もの工程があり、その工程を分業することが大きな特徴。隈氏が地元の職人とともにつくり上げた6枚の皿は、完成品を手に取っただけでは知り得ない、輪島塗の製造工程を可視化したものだといいます。

供されたのはアミューズからプティフールまで、全11皿。植木シェフ、ジョシュアシェフの掛け合いのようにディナーが進んでいきます。どの皿もそれぞれのアプローチで、能登輪島の食文化を再構築したもの。植木シェフによる「松茸のリゾット」は、禅の発祥ともいわれる総持寺で、精進料理を野草茶ともに食す習慣から着想を得て、野草茶で蒸した金蔵の棚田米を使用。ジョシュアシェフのシグニチャーでもある自家製のキャビアを使った「スキーンズ プライベートリザーブキャビア」は、能登の昆布や輪島の海藻類を使ったハイブリッドバージョンで登場します。

ダブルシェフによる料理、隈氏監修の器に加え、ペアリングドリンクの監修をロバート・スミス氏が担当。ワイン資格の最高峰といわれるマスターソムリエとしてアメリカのワイン文化を牽引してきたロバート氏が、ドリンクのセレクトのみならず、自ら会場に立ってゲストへワインやノンアルコールドリンクをサーブ。テーブルを回るロバート氏の姿を見て、レセプション会場で「あらゆる意味で過去、最大規模の『DINING OUT』」と話した中村氏の言葉を、今一度思い出したゲストも多いはずです。

7皿目、植木シェフが「森から川、そして海へ」という能登の自然のあり様を表現した「ノドグロと藻屑蟹」は、中塗りの器でサーブされます。その頃には、厨房の熾火台から立ち上る煙が、ひときわ勢いを増します。火の上に置かれているのは、稲わら。「中には一体何が?」というざわめきが、クライマックスへの序章に。「能登の里山里海」をテーマに、ジョシュアシェフが生みだしたのは「ミネラル」に着目した柑橘の一皿。メインへの橋渡しの意味も込めた皿に、植木シェフは、里山海山の景色をそのまま描き出したかのようなイノシシ料理で応えます。続いて登場したのが、ジョシュアシェフがメインのイノシシの骨を使ってとったブロススープ。そこに稲わらの香りを纏ったごはん、漬物、佃煮が添えられます。藁で焼かれていたのが米という驚きに加え、精進料理のようなプレゼンテーションもまた、ゲストの感動を呼びます。

ともに海藻やイノシシ、地元の醤油やいしるといった発酵調味料など、地域の食材、食文化を核としながら、表現は実に対象的。和の食文化、食材に魅せられてきたアメリカ人シェフと、「和魂洋才」のスピリッツでフランス料理をつくり続けてきた日本人シェフ。それぞれのアイデンティティが、コースの全体を通じてくっきりと浮かび上がりました。

メニューブックは輪島塗の色彩を重ねるイメージと棚田の段を表現したもの。テーブルにセットされた皿が、隈氏の作品の一枚目となる。

植木シェフによるアミューズ。右、トマトに輪島のイバラノリとからすみを詰めた一品と、味噌で炊いたタコとロックフォールチーズ。左のココットの中は、野草茶で蒸した松茸のリゾット。

「スキーンズ プライベートリザーブキャビア」は、能登産の昆布にくるまれた大量のキャビアをゲストの眼の前で豪快に盛り付ける驚きの一品。

まずは上に乗せられたキャビアだけで食し、その後は下に敷かれたほうれん草を一緒に混ぜると口から、そして鼻から芳醇なバターの香りが抜ける。

マスターソムリエのロバート・スミス氏がワインの監修、セレクトのみならず自らもサービスに立ち、テーブルを回った。外国人のゲストも多く、会場はグローバルな雰囲気に包まれた。

魚料理は、植木シェフが「森から川、そして海」をイメージしてつくった「ノドグロと藻屑蟹」。能登の食の豊かさを一皿に描き出した。

植木シェフのメインディッシュの前にジョシュアシェフが用意した「シトラス」。能登の柑橘を能登の昆布でマリネしたという驚きの一品。

一週間前に輪島入りし、不眠不休の準備に明け暮れた植木シェフ。最後の一皿を盛り付けに力が入る。

植木シェフによるメインディッシュ「海を渡ったイノシシ」。イノシシが山で食すむかごや栗などを添えて。

オリジナルの熾火台とジョシュアシェフ。藁の中身は一体何なのか、会場が盛り上がった瞬間だ。

ジョシュアシェフの一品「ブロス オブ グリルドボーンズ」。植木シェフがアミューズで使用した七面鳥の骨とメインで使用したイノシシの骨をブロススープに。藁で焼いたごはんと漬物を合わせたプレゼンテーションにゲストが沸いた。

ダイニングアウト輪島輪島から世界へ、二夜のコラボレーションを未来へ。

コースの中盤、ディナー会場の上手から発せられた奇声に、一同がテーブルの後方を振り返る一幕も。スポットライトが照らすのは、髪を振り乱しながら太鼓を叩く男たち。輪島市名舟町に伝わる伝統芸能・御陣所太鼓。さまざまな鬼面を被った演者の気迫あふれるパフォーマンスが、すっかり暮れた景色の中でライトアップされる棚田の景色と相まって、神秘的な空気を漂わせます。

地元の人々と一体となり、地域に眠る宝を世界に向けて発信する。『DINING OUT』のコンセプトに共鳴し、以前から参加を切望していたという植木シェフ。2日間のサービスを終えて「感無量です」と、声を詰まらせました。その言葉には、石川県金沢市出身、広くとらえれば能登地方にルーツを持つ料理人として故郷の魅力を発信することができた満足感、そして能登の食材を知る日本人シェフとして、可能な限りジョシュアシェフを含めたチームをリード、サポートするという自らに課した重責から解放された安堵感が滲みます。
「ジョシュアとの協働は、年齢や国籍を超えて、非常に学びが多かった。と、同時に、地元スタッフの高い経験値とプロ意識にもたくさんの刺激をもらった。この2日間は、能登輪島の、ひいては日本の地方のための、大きな一歩になったと感じています」と、充実の表情で振り返ります。
「山、川、海が連なる輪島という土地は、今の自分が思い描く食の理想郷。ほぼ白紙の状態で訪れましたが、数々の食材、食文化から大きな影響を受け、今となっては運命がこの地に導いてくれたようにさえ感じています。マサ、ロバート、そしてサポートしてくれた全スタッフに感謝を伝えたい」
ジョシュアシェフも、短い言葉で感動を伝えます。

雨に見舞われ、テントを張っての開催を余儀なくされた初日。空は晴れ上がったものの、日没後一気に気温が下がった2日目。自然の中で開催されるレストランは、空の気まぐれに翻弄されます。それでも最後に、固い握手を交わす2人のシェフと、周りを囲むスタッフ全員に惜しみない拍手を贈るゲストたち。中村氏は「この地まではるばる足を運んで下さり、幸せな時間をともにつくってくれたゲストの皆様一人一人が、今宵の金蔵に舞い降りた金の鶴なのかもしれません」と、伝説になぞらえ、宴を締めくくりました。

日米2人の料理人のコラボレーションに加え、世界的建築家が監修する器、トップソムリエによるドリンクサービスと、かつてない豪華な内容で、また新たな地平へと歩みを進めた『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。二夜の光景は、輪島の未来に、そしてこの先も続く『DINING OUT』の歴史に大きな足跡を残すことになりそうです。

輪島市名舟町の伝統芸能・御陣乗太鼓の迫力のパフォーマンス。太鼓の音が暗闇に響き渡る。

『DINING OUT』では、地元の飲食店から集まったスタッフがサービスを担当。地域の自然や食材の説明を交えながら料理をサービスした。

二日目のディナーには隈研吾氏も参加。器の制作秘話と簡単な説明が聞ける一幕も。

1日40人のゲストに対し、スタッフは総勢約100名。このサービスも『DINING OUT』ならではのもの。

互いをたたえ合い、成功を祝福するジョシュアシェフと植木シェフ。ともに充実の表情だ。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR et MASA UEKI HP:http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

http://www.dandy-nakamura.com/

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

りんご畑の真ん中で、そこそこ真面目に津軽クラフト談義。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

今回の参加者は、左から『YOAKEnoAKARI』安田真子さん、『グラフ青森』小田切孝太郎氏、『Snow hand made』佐々木亮輔氏、『bambooforest』竹森 幹氏、『Snow hand made』葛西由貴さん。対談はりんごの実がほのかに色づき始めた8月に行われた。

津軽ボンマルシェ・特別対談盛り上がるクラフトブームの裏の本音を、津軽のみなさんに聞いてみた。

津軽のクラフト。そう聞いて思い浮かべるのは何ですか? 県外在住の人からすると、こぎん刺しや津軽塗りといった伝統工芸のイメージが強いのではないでしょうか。しかし「津軽ボンマルシェ」チームが現地に通って実感したのは、津軽のクラフトシーンのジャンルの幅広さと、志の高い若手作家の多さです。

対談企画第二弾となる今回ご登場いただくのは、以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した草木染のニット作品を手掛けるユニット『Snow hand made』の佐々木亮輔氏、葛西由貴さんのふたりと、弘前市のセレクトショップ『bambooforest』のヒゲもじゃ店主こと竹森 幹(かん)氏、竹森氏の店で作品を扱うキャンドル作家『YOAKEnoAKARI』の安田真子さん、40年以上青森県の魅力を発信し続けてきた出版社『グラフ青森』の編集者・小田切孝太郎氏の5人。作家として、またそれを支えるショップやメディアとして、津軽の今のクラフトシーンについて語ってもらいました。

ちなみに会場は既に「津軽ボンマルシェ」ではおなじみ、『弘前シードル工房 kimori』のテラス。りんご畑を眺めつつ緩~く進んだ対談の雰囲気が、少しでも伝われば幸いです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

bambooforest』の店頭に並ぶ『Snow hand made』の作品。亮輔氏と由貴さんのふたりは、日本各地のクラフトイベントに出店している。

kimori』の自社畑で収穫したりんごのジュースを飲みつつ対談。『Snow hand made』亮輔氏は1980年神奈川県横浜市出身、由貴さんは1983年弘前市出身。沖縄県波照間島で染織工房を立ち上げたのち、由貴さんの実家のある弘前市へ移住した。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽人はクラフト好き? ここ10年、各地でイベントが大盛況。

竹森:津軽には色々なクラフトイベントがあるよね。『Snow hand made』や『YOAKEnoAKARI』がずっと出店してる「津軽森」(注:毎年5月に開催される青森県内最大規模のクラフトイベント)のほかにも、「クラフト小径」とか「A-line」とか。そういえば来年「C-POINT」が10年ぶりに復活するって。僕は行ったことないけど、もうみんながすごいイベントだったって話す伝説のイベント。

佐々木:しかも、どのイベントもすごく人が集まる。僕と由貴は全国各地のイベントに行くけど、津軽で開催されるイベントは売上がいいんです。関東のイベントで、現地の作家さんに「何でこっちまで来るの? 東北の方が売れるでしょ」って言われるくらい。

安田:そうみたい。ギャラリーとかでの展示販売で、高価なものでも売れるって聞いたことがある。

葛西:弘前はいいもの知ってる人が多いっていうか、みんないいものにはちゃんとお金使う気がしない?

佐々木:やっぱり元々城下町だし、基本の文化度が高いんじゃないかな。横浜生まれの自分から見てもそう思う。沖縄の波照間島で活動していたときも、やるなら波照間か弘前だなとずっと思っていて、結局こっちに引っ越してきた経緯もあるし。

竹森:うちの店は作家さんの作品も多く置いてるから、イベント開催中はお客さんがみんなそっち行っちゃって暇ですもん(笑)。終わると「行ってきました~」って報告に来てくれるけど。同じ青森県内でも、八戸とか南部エリアの主宰者から誘われて津軽の出展者が参加するケースも多いかも。

小田切:確かに大きいイベントは津軽の方が多いですよね。

葛西:県内のイベントだと同じお客さんが来てくれることも多いけど、みんな服装もバラバラだし、自分に似合うものを知ってる人たちなんだなって思う。あと結構いるのが「誰誰が着けてたあのアクセサリーください」って買いに来るお客さん。求心力のある人が持ってるものは、みんなも「それが欲しい」ってならない? 雑誌見ても東京の店まで行けないし、それよりも身近にいる人を参考にする方が間違いないって感じがあるのかも。

1981年、南津軽郡藤崎町に生まれた『YOAKEnoAKARI』安田さん。現在は日本各地の雑貨店、ミュージアムショップなどでの作品販売と、キャンドルや植物を使った装飾の仕事を中心に活動している。

bambooforest』で取り扱う『YOAKEnoAKARI』のキャンドル。津軽で採れたりんごや県産ラベンダーを乾燥させ、中に閉じ込めている。一番右はミツロウを使ったタイプ。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽のクラフト界を牽引してくれる人、募集中。

佐々木:(安田)真子ちゃんみたいに色んなイベントで一緒になる津軽の作り手も多いし仲もいいけど、だからといって「みんなで津軽を盛り上げよう!」という感じじゃないんだよね。みんな生きるのに必死だから(笑)。

葛西:私たちって別に副業があるわけでもないし、結構生活も厳しいんです。毎回これ売れなかったらどうしようって。周りの作家さんもみんなそうだと思う。

安田:あるね。クラフト展で会うと「大丈夫? 生きてる?」って言い合うみたいな。

葛西:うんうん。作り手同士お互いの大変さも分かるし、自分だけ稼ぐんじゃなくてみんなでがんばろうねって感じ。コラボで作品作ったり、竹森さんのお店で個展してもらったり、こっちにもあっちにも利益があるようにとは考えてやってるよね。だから余裕がない分、誰か津軽のクラフトを盛り上げてくれる人いないかなって(笑)。

竹森:それうち相当言われるもん! 「いや、こっちもそんな余裕ないです」って返すけど(笑)。

小田切:うちの出版社もすごく言われてます(笑)。でもそれって、今の青森県全体の業界に共通してて。みんなまず自分のことをおろそかにできなくて精一杯だから、繋いでくれる人や盛り上げてくれる人を常に求めている気がします。先達になりたくない津軽人の気質もちょっとあるかもしれない。何か新しいことをやると、出る杭は打たれがちという。

葛西:でも県外のイベントに出店すると、弘前で活動していてよかったなって思うんですよ。たとえば桜の木で染めた糸だったら、「弘前の桜染め」というだけで付加価値が付くじゃないですか。出店時はりんごジュースを持参して、お客さんに飲んでもらうんです。話も盛り上がるし、人も集まってくれるし。「青森出身です」とか「青森行きました」とか、わざわざ声を掛けてくれるお客さんも多いよね。

安田:逆に私は、来週引っ越していいって言われたら引っ越せる。津軽への執着心はあんまりないかも。余裕があったら、次はどこの土地へ行こうかなってすぐ旅の計画を立てちゃう。青森は嫌いじゃない、でも熱くは語れないかも。

一同:へー!そうなんだ!

葛西:でもそれはそれでいいと思う。津軽にも色んな作り手がいるし。

安田:津軽のいいところは……何だろう……、あ、食べものが美味しい。これは一番ですね。あとは、平仮名で縦書きにしたときの「つがる」という字面が、すごくきれいです。

竹森:めちゃくちゃ絞り出したね(笑)。でも安田さんらしい。

bambooforest』竹森氏は1981年弘前市出身。結構やんちゃな10代を過ごしていたとの噂。21歳で上京、東京・高円寺の古着屋で店長を務め、会社勤めを経て弘前へUターン、念願の独立を果たす。

bambooforest』店内。竹森氏の審美眼が光る商品セレクトで、老若男女に人気。『Snow hand made』や『YOAKEnoAKARI』などの若手作家の作品もいち早く取り扱い、紹介する役割も担ってきた。

津軽ボンマルシェ・特別対談作家、職人、アーティスト。その狭間を行き来しながら。

佐々木:今って「作家」という表現がよく使われるよね。「クラフト作家」とか。自分も「職人」という表現よりは、「作家」の方がしっくりくる。たとえば藍染めなら、目指す青色に向かって染めていくのが職人で、きれいな青がでたら、その色で何作ろうって考えるのが作家という感覚。うちの工房は後者に近いから。

葛西:職人は同じものを作り続けることができるけど、作家はそのときそのときで色んなものに挑戦できるイメージかな。

佐々木:でもきちんとしたことは分からない。そもそもクラフト、工芸、民芸の違いも、みんな認識してない気がする。こぎん刺しは伝統工芸といわれるけど、工芸というより民芸だと思いません? 津軽の厳しい気候風土から生まれて、元々は庶民の持つ服を補強するための技術だから、何着も“創作”するようなものではないし。

安田:今の話を聞くと、今現在の私は職人に近いんだなって思いました。作家というよりはメーカーというか、同じものを毎日同じように作って、完成度を追求するみたいな。前はもっと作家らしかったと思うけど、今はお店へ卸している商品数の方が多い分、「どうしたらお店の人が陳列しやすいか」とかパッケージについてまで考えているから。でも、たまに「頭の中がアーティスト」だっていわれることがあります。それはキャンドルや植物を使った装飾のお仕事もしているからだと思うのですが。確かに伝統的な工芸品の技術はすごいけど、自分がやりたいと思うことではない。探求すること自体が楽しくてこの仕事をしているから、単純に今の自分の好みの問題だと思う。

竹森:それは作品からもすごく伝わる。始めた当初と、頭の中変わっちゃってるなって思うもん。今はキャンドルのクオリティも上がったけど、包装とか装飾とか、キャンドル以外の世界観もすごい。みんな驚くよね。

小田切:どこからヒントを持ってくるんですか?

安田:それもあるから県外に行くんですよ。いつも同じ人に会わないで、見慣れない風景を見る。県外に友達がいるのかっていったら、そんなにいないんです。同じものを作り続けていると、私は自分のキャラに飽きちゃう。だから見慣れない風景を求めて、5年後はまったく違うことしてるかも。

佐々木:それ、僕も同じことを思ってました。よく由貴に「10年後は全然違う仕事してる気がする」って言ってるんです。

小田切:たとえば津軽塗りとか工芸の人たちは、最初から「津軽塗りをやろう」と思ってその道に入っているから、一生それをやり続ける印象を受けますよね。でも安田さんや佐々木さん、葛西さんたちは生き方から入っているというか、「こう生きたい」という結果選んだツールがたまたまキャンドルや草木染めのアクセサリーだったという感じ。だからやりたいことを見つけたら、もしそれが今と違うことでも一生懸命になれるんだろうなという気がします。

竹森:本当だ! なるほどね、僕の周りを見てもそういう人が多いかもしれない。

小田切:かっこいいですよね。自分で自分の道を作れる生き方、いいなって思います。

青森市に拠点を置く出版社『グラフ青森』の編集者となって7年、青森各地の現場を取材してきた小田切氏。落ち着いた物腰ながら、1988年青森県平川市生まれと今回最年少。

『グラフ青森』の原点でもある雑誌「青森の暮らし」が初めて発刊されたのは、なんと44年前。一貫した現場目線で青森各地の文化や暮らしを紹介してきた素晴らしい媒体だ。缶詰や煮干しがテーマの号もあり、結構攻めている。

津軽ボンマルシェ・特別対談今が過渡期? 津軽のクラフトブームを考察。

安田:ここ数年のSNSの普及は、かなり大きいと思います。作家として世に出やすくなりました。

佐々木:知り合いの職人さんが、今は初心者だった人がカルチャースクールで習った程度の知識ですぐ作家と名乗って活動しだすと批判していて。僕はみんなが作家を名乗っても別にいいんですけど、結局真剣にやっていかないと、長く続かないし生活もできないよって気持ちもあります。

竹森:昔は少なかったけど、今は津軽でキャンドル作ってる作家さんもすごい数いますからね。安田さんのみたいに中にりんごが入っていたり、安田さんのみたいな帯のデザインしていたり(笑)。クオリティが全然違うんだけど。

安田:(笑)。それに興味スイッチは入らないです。今は県内だけじゃなく関東や関西にも卸していて、そこでの競争率の方がかなり高いですし。もっともっとストイックに自分の表現したい景色を出していかないとと思ってます。

葛西:私たちも真似されることあるけど、そうされたら追い越されないようにしようとかもっと頑張れるからいい効果もあるなって。だからどうやって作るか聞かれたら、全部教えるようにしてる。

佐々木:やってみなよって思うよね。でも1個作るならできるかもしれないけど、10個、20個を同じ時間内に同じクオリティで作れるからこっちは生活できるのであって。相手がすぐできちゃうようなら、自分たちがまだまだってこと。だから作品の写真は撮らないでとか、コピーしないでとかは言いません。でも藍染めの染液の建て方も、茜染めの方法も、今まで教えて欲しいという人がいたからびっしり詳しく書いた資料を渡したけど、誰もやらなかったですよ。

小田切:自分はものづくりできないけど、取材先の職人さんも全部教えてくれるんですよね。多分佐々木さんたちと同じスタンスだと思います。数こなさないと見えないものがあるし。

葛西:今活躍している作家の人だって、少なからず何かに影響されてるはずだし。ちゃんと作る人が増えれば、津軽のクラフトのレベルも上がるしね。

安田:クラフトブーム、どうなるんですかね。

佐々木:来年復活するイベント「C-POINT」で、津軽のクラフトがどうなっていくのかが垣間見えるんじゃないかな。ちょっと飽和状態になってきている今この段階での復活だから。今後のことはそれを見てから考えようと思ってるけど、これからは自分の作品より、人に依頼される仕事の割合を増やしていきたい。クラフトブームには期待していないです。

小田切:残るところは残りますもんね。

竹森:じゃあ、ここからがおもしろいじゃん。僕らから下の世代の作家って、今はあまりいないじゃない? でもみんなのものづくり見て、真剣にやり始める人も出てくるはずだから。5年後の津軽がどうなっているかは分からないけど、ここにいる人は絶対残ると思う。ずっと近くで見て来て、そう確信するよね。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

由貴さんと一緒に保育園から帰ってきた息子の悠慎(ゆうしん)君。『YOAKEnoAKARI』のキャンドルの幻想的な灯りを覗きこむ。

ちなみに、みなさんが座っている椅子とテーブルは「津軽ボンマルシェ」で紹介した『Easy Living』葛西康人氏が『kimori』のために手掛けたもの。りんごの木箱を使った素朴な雰囲気が魅力。

場所協力:弘前シードル工房 kimori
住所:弘前市大字清水富田字寺沢52-3 (弘前市りんご公園内)
電話:0172-88-8936

理想の美しさを巧みに表現した、南会津のトリップムービー第二弾。[南会津ショートフィルム/福島県南会津郡]

南会津ショートフィルム/佐藤英和報道、ドキュメンタリー制作の巧者、佐藤英和が示す夏の南会津。

四季折々の南会津の姿を、4人の映像作家の作品を通じて紐解いていく「南会津ショートフィルム」。その2作目となる「Mysterious Minami-aizu sketch of summer」が公開されました。指揮を取るのは、報道やドキュメンタリーといったテレビ番組や、企業のビデオパッケージなど多彩な作品を手がける映像ディレクター、佐藤英和氏です。近年ではNHK・Eテレで放送されたドキュメンタリー「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」を担当し、猫と作家の愛おしい日々を綴った番組は、大きな話題になりました。

南会津での撮影が行われたのは残暑の頃。日本列島を揺るがせた大型台風が通過する中、深い自然に分け入り撮影された映像は、副題の「sketch of summer」の通り、南会津の夏、その名残の断片を素描するように紡がれていきます。

空の雲や霧はダイナミックに捉えられる一方で、地上では泡沫や葉脈といった詳細な自然が切り取られ、マクロとミクロという正反対の視点がテンポよく展開される構成が印象的です。
「レンズを向けたものの多くは、光や動きが作り出す不定形で流動的なものです。移ろいやすいもの、消えていくものに惹かれるのは僕の癖です」と語る佐藤氏。

陽光と陰影、水に風、躍動する生命の息吹は、カメラを媒介して、あるいは再生スピードや色を変え、逆再生し、万華鏡や分割といった加工がなされ、純粋な記録とは異なる映像に昇華されています。それは目で視たものが脳や神経を経由し、指先から紙へとアウトプットされるデッサンのように、写実的でありながらも虚構であり、それを臆面もなく示すことこそが、佐藤氏が選んだ表現の形です。

「そもそも過去のいくつかのことは、僕の中でも理想化されて記録されたりしていると思うのです。個人的な話で恐縮ですが、祖母が認知症を患った時、子供の頃に覚えた歌を楽しそうに歌っていたことが印象に残っていて。もしこの時、頭になにかの映像が浮かんでいるとすれば、それは多幸感に満ちた風景だったのでしょう。今回の映像にあるのも、ある種の理想化された南会津であり、欲望が生み出した美しい風景です。肉眼で知覚するものを、よりフィクション化することで、作られた風景だということを強調しています」。

【関連記事】南会津ショートフィルム/ひとりの少女が日常と非日常を交錯する、南会津のトリップムービー。

雲や霧が南会津の低山を通り過ぎていく。残暑ある南会津の断片がダイナミックに描かれている。

水面に映る南会津の景色。ゆらゆらと揺れては消える一瞬の姿は、佐藤監督が惹かれるポイント。

南会津ショートフィルム/佐藤英和見る者の感性に委ねる「言葉であらわせない表現」

SNSの流行などで写真や映像の加工が当たり前となった昨今、人々の記憶に残る風景の現実と虚構の境目が持つ危うさは、より顕著になってきています。今回は人の頭の中で作られる「閉じられた映像」で創作することが、佐藤氏が南会津と対峙し導き出した解でした。

「理想としては毎回、カメラが初めて発明された時に戻るように真新しい気持ちで、『この映像と音声を記録する装置を使い、どのように世界と向き合うか』を考えること。そこで大切なことは、自分の頭で考えたことを世界に当てはめないということ。印象派の画家オーギュスト・ルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワールは父についてこう書いているんです–––『彼は想像力というものを信じていなかった。想像力とは傲慢さの一形態だとみなしていた。「われわれの頭脳だけから生じたものが、われわれのまわりに見られるものより価値があると思うには、たいへんなうぬぼれが必要だよ。想像力などでは、たいして遠くまで行けやしないが、この世界はこんなに広いんだ。一生のあいだだって歩き続けられるし、それでもまだ終りは見えないんだよ。」(わが父ルノワールより引用)
表現は世界に『敗北』し続ける。常にそう考えていて、今回は南会津の豊かな自然に対する敗北の記録だと思います」。

映像には手を加えている反面、音響にはほとんど加工を入れていないのも今回の作品の特徴です。目を閉じれば、裸の「南会津の音」が優しく鼓膜を揺らします。そこには映像と音による「言葉で表せない表現」が、実践されています。

南会津の自然が紡ぐ音と、佐藤氏の内なる理想が具現化された美しい映像が邂逅した今回の作品に、何を感じ、何を思うのか。珠玉のショートムービーが、あなただけの南会津との出会いをもたらしてくれるに違いありません。


(supported by 東武鉄道

1958年生まれ、京都府宇治市出身。報道やドキュメンタリーを中心にNHK、民放各社のテレビ番組のほか、「積水ハウス」「ロッテ」「横浜美術館」といった企業のビデオパッケージ、ONESTORYでは「DINING OUT ARITA&」の映像制作を担当。

奇跡の酒『加温熟成解脱酒』が、料理人の創作意欲を刺激する。大阪・中国料理『AUBE』東 浩司シェフの場合。[加温熟成解脱酒・AUBE/大阪府大阪市]

中華料理の東浩司シェフが、『加温熟成解脱酒』の複雑な味わいに寄り添う料理に挑む。

オーブ現在と未来が交錯する新たな日本酒の世界。

銘酒『高清水』で知られる秋田の酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が世に送り出した『加温熟成解脱酒』。それは、古酒のような色と香りを放ち、しかし口にしてみればフレッシュかつすっきりとした喉越しという不思議な日本酒でした。

熟成感とフレッシュ感、現在と未来が交錯する奇跡の酒。かつて、日本を代表するスーパーソムリエ・大越基裕氏は、この酒を「新しい味のスタイル、新しい世界観です」と言い切りました。日本に先駆けて展開されたパリでは数々の名シェフの心を掴み、多彩なジャンルの料理との相性も証明してみせたこの『加温熟成解脱酒』。

そんな新たな酒のさらなるポテンシャルを探るべく、今回、日本を代表する3名のシェフが、特別なペアリングメニューを考案してくれました。拠点とするエリアも料理ジャンルも異なる3名が、それぞれ『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんなペアリングを見せてくれるのか興味がつきません。

まず最初のひとりは、大阪で中華料理を追求する東 浩司氏。2011年に開業した『Chi-Fu』をわずか1年でミシュラン星獲得に導いた才気あふれる料理人です。そんな東シェフは『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんな料理と合わせたのでしょうか? その様子をお伝えします。

【関連記事】加温熟成解脱酒/パリで話題! ベールを脱いだ『加温熟成解脱酒』という新たなる日本酒の挑戦。

半年間の熟成で十年物の古酒のような深みを生み出すまったく新たな酒。

オーブワインにも造詣が深い東シェフによる『加温熟成解脱酒』のインプレッション。

東シェフは大阪で『Chi-Fu』、『Az/ビーフン東』、そして2018年に開いた『AUBE』の3店を手掛ける人物。伝統の味を受け継ぐ『Az/ビーフン東』、洋食やエスニックの技法も取り入れ、中華料理のベクトルを横方向に広げる『Chi-Fu』、中国の伝統料理をブラッシュアップし、新たな解釈で提供する『AUBE』とそれぞれ趣向が異なりますが、すべてに共通するのが食材の追求。とくに『AUBE』は日本の食材、食文化を深く掘り下げることをテーマにしているため、食材や郷土料理を探して自ら日本各地を巡ることが東シェフのライフワークになっているのだといいます。

そんな東シェフは今から8年前「おそらく世界で初めて」という中国料理のコースとワインのペアリングを開始。ソムリエ資格も持ち、料理と酒の相性に関しては一日の長がある人物です。そんな東シェフが『加温熟成解脱酒』を試飲し、料理の構想に入ります。

「熟成感とフレッシュ感の共存は、唯一無二の個性。ワインで例えれば、赤と白の中間の位置づけ。オレンジワインのニュアンスもあり、蒸し鮑のようなヨード感のある料理に合いそうですね」と印象を語る東シェフ。さらに「フレッシュな味は、白身の肉、豚しゃぶや蒸し鶏なんかも合いそうです。甘みも嫌味にならない程度で、アイデアが広がります」とイメージを語ります。そんな東シェフは、豊富な知見と湧き上がるアイデアで、どんな料理を作り上げたのでしょうか。

2018年に開店した『AUBE』では、日本各地の食材を中華料理にして提供する。

料理と酒のペアリングを知り尽くす東シェフをして「新しい酒」といわしめた。

東シェフは深いワインの知識をいとぐちにこの「初めての酒」の解読に挑んだ。

オーブ

細部まで工夫を凝らし、酒と料理を共鳴させる。

「着想の出発点は、紹興酒と上海蟹という伝統的な組み合わせ。それを踏襲しつつ、現代的な酒にどうアプローチするか考えながら組み立てました」そういって東シェフが差し出した料理は、「上海蟹の茶碗蒸し 百合根餡かけ」。上海蟹の出汁と卵で茶碗蒸しを作り、ほぐした蟹の身と具材を入れる茶碗蒸し。モクズガニを崩して汁にする山口県の郷土料理もヒントになっているそう。そして一見シンプルに見えるこの料理、実は『加温熟成解脱酒』と合わせる数々の工夫が潜んでいるのです。

「解脱酒のクリアな味に合わせるため、塩を一切使っていません」と、いきなり驚きの情報を教えてくれた東シェフ。さらに複雑味のある解脱酒のそれぞれのニュアンスに、多彩な味と香りをあわせています。たとえば解脱酒の米のニュアンス、ほのかに甘い香りに合わせてキンモクセイの花を、熟成感ある香りには甘酢漬けの新生姜を。おこげの香ばしさや銀杏の風味、全体を引き締めるラー油も、それぞれが酒に寄り添います。12~13度で提供する解脱酒の滑らかなテクスチャに合わせ、茶碗蒸し自体の口当たりにもこだわりました。

そしてさらなる仕掛けはその後。ある程度食べ進めたら、東シェフは菊の花びらを一枚、酒に浮かべるよう勧めました。「蟹と菊を楽しむのは、古くから中国の粋人の嗜み。いわば詩の世界の話です」と語る東シェフですが、実は解脱酒の故郷である秋田県は、食用菊が好まれる地域。同郷の酒と花を合わせて味わうという、なんとも粋な楽しみ方は、各地の食材や伝統に造詣が深い東シェフならではの発想です。

キンモクセイ、銀杏、おこげ、ラー油など多彩な香りが立体的なおいしさを演出。

複雑な酒のニュアンスに合わせ、とくに香りは重層的な要素をちりばめた。

オーブ社長も脱帽した、料理の味、テクスチャ、そして粋な試み。

この日は『秋田酒類製造株式会社』の社長・平川順一氏、営業部課長の嶋嘉洋氏も大阪を訪れ、東シェフが仕立てる料理と、『加温熟成解脱酒』の調和を楽しみました。
「おいしいの一言。味もそうですが、茶碗蒸しの滑らかさと解脱酒の舌触り、テクスチャの部分でも相性が良く、するりと入ってくる印象でした」と感激した様子の平川氏。嶋氏も「菊花の苦味と解脱酒の相性は新発見でした。しかも秋田の菊を使ってくれたことが本当にうれしいですね。我々の期待の一手、二手先を返してくれるような、素晴らしいマリアージュでした」と手放しの称賛を寄せていました。

『AUBE』は2ヶ月に1度メニューが変わり、東シェフが訪れ、心打たれた食材や食文化を反映した料理が10品ほどのコースで登場します。そして2019年10月半ばからのコースには、この「上海蟹の茶碗蒸し 百合根餡かけ」が登場します。それだけこの料理と酒の調和は、東シェフの心に響いたのでしょう。
「もちろん、合わせるのは『加温熟成解脱酒』です。唯一無二の酒と、そこに寄り添う料理。かつてない味の調和をお楽しみください」


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

「料理の深い味わいが解脱酒と非常にマッチしています」と平川社長。

予約制、6席のみのエレガントな店『AUBE』に、解脱酒と今日の料理が並ぶことが決まった。

東シェフが調和の軸に据えたのは香り。複雑な酒の香りに寄り添わせるために、多彩な食材を料理に潜ませた。

住所:大阪府大阪市北区西天満4-4-8 2F MAP
電話:06-6940-0317

1980年、大阪府生まれ。新橋の名店『ビーフン東』の家に生まれ、若くして料理人を志す。赤坂の維新號グループで修業を積んだ後、新橋『ビーフン東』の料理長として6年間研鑽を積む。2011年、大阪で『Chi-Fu』と『Az/ビーフン東』の2店を開業、『Chi-Fu』はミシュランガイド2013で1つ星を獲得。2018年には新たに『AUBE』を開業、さらにカフェプロデュースやメニュー開発など活躍の場を広げている。ソムリエ資格も持ち、ワインスクールアカデミー・デュ・ヴァン銀座校で講師も務めた。

プレゼントに大人気のキッズパンツ&スタイ★

 

 

 

 

皆様こんにちは~ニコニコ

 

最近は朝と夜が急に肌寒くなってきましたねビックリマーク

お昼は丁度良い気温なのでお出掛けするのが気持ち良いです照れ

やっと紅葉らしくなってきましたねルンルン

 

それではキラキラ今回のおすすめ商品のご紹介をしますアップ

 

お子様やお孫様へのプレゼントリボンに大人気の

キッズパンツスタイですニコニコラブラブ

 

 

 

ストレッチが良く効いていてとても柔らかく、はきやすいですお願い

サイズは80㎝と90㎝のみとなっております星

お値段は、キッズパンツが税込 3,850円で、スタイが税込 2,200円です流れ星

 

他にもボーダー柄や刺し子柄など可愛い柄が色々ありますラブ

この時期にぴったりのイエローチェック柄は1番人気ですよ音譜

 

スタイはリバーシブルになっていて、裏はシンプルな

無地のデニムなので色々なお洋服に合わせやすいんですグッ

 

 

 

是非、プレゼントにいかがでしょうか!?爆  笑

 

倉敷にお越しの際は是非!!デニムストリートにお越し下さいませ音譜

スタッフ一同心よりお待ちしております黄色い花

 

 

 

 

 

 

 

福岡から世界へ。日本茶の価値を高め、可能性を示す場を。[万/福岡県福岡市]

OVERVIEW

お茶を飲んだことがない人はいないのに、お茶について考えたことがある人は少ないかもしれません。ここで言う「お茶」は、日本茶のこと。日本で育ち、日本に暮らす者にとって、あまりに身近で「当たり前」のもの。それゆえに、「考えて」「関わる」機会がないまま、時代とともに生活様式が変わる中で、少しずつ、日常の生活の中から失われつつあるものでもあります。

徳淵 卓氏は、一服の玉露の、あまりのおいしさに導かれ、「茶」を自らの進む道と決めたと話します。福岡市中央区赤坂に7年前に構えた『万』は、現代の茶室をイメージしたカウンター中心の茶酒房。そのあり様は、かつて存在した「日本茶カフェ」とも「バー」とも異なります。

茶と茶菓と、酒を等しく扱うこれまでになかった店。「湯を汲む」「茶を淹れる」行為で一滴の液体に価値を付加し、思考を促す場。深い知識と日々のたゆまぬ研鑽が生む味わい、それを決して前には出さぬおもてなしを求め、全国から、そして海外から炉を囲むカウンターにゲストが集います。このユニークな「現代の茶室」はいかにして誕生したのか。いま、徳淵氏の視線の先にあるものとは。福岡で話を伺ってきました。

住所:〒810-0042 福岡市中央区赤坂2-3-32 MAP

電話:092-724-7880
営業時間:
1階 [ 万 ]午後3時〜深夜まで
2階 [ 分室 ]正午〜不定 ※予約制
定休日:日曜日
万 yorozu HP:http://www.yorozu-tea.jp/

自然と建築、人と人との絆を強める坂 茂デザインの隠れ家リゾート。[ブティック・リゾートししいわハウス/長野県北佐久郡軽井沢町]

風光明媚な場所と調和する、環境にも優しい造り。世界トップレベルの現代アート作品を随所に配し、全てがラグジュアリーな「一流」となっている。

ししいわハウス建築×自然×現代アートの競演! 「一流」の協奏が至高の滞在に導く。

日本の建築は、自然素材の代表格である木と、それを育んできた四季折々の自然との調和が神髄です。そんな「木」と「自然」との競演を、更に非伝統的に進化させたリゾートが、都心から約1時間半の中軽井沢にオープンしました。
 
『ブティック・リゾートししいわハウス』。建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した、坂 茂(ばん・しげる)氏が設計し、全10室の隠れ家的リゾートとして設立されました。建物、インテリア、アメニティの全てにプライドが光る佇まいは、軽井沢の自然にナチュラルに溶け込みながらも、際立った個性を放っています。

有機的な曲線を描く館内には、厳選された最高級のアメニティと世界トップレベルの現代アート作品を配置。各界の「一流品」をオーナー自らがチョイスした(ウッドデッキから見た「グランド・ルーム」)。

ししいわハウス世界最先端の建築と、広大で豊かな自然と、心を潤す現代アートに浸る。

『ししいわハウス』のコンセプトは、「非伝統的かつ独特の建築美」。木造2階建ての建物は、周囲の森の木々に寄り添うような曲線を描いており、坂氏の建築技術へのたゆまぬ探究心が表れています。
 
そして内部は、国内最大級の木枠のガラス扉を備えた「ライブラリー」、フィンランドの著名な建築家、アルヴァ・アアルト氏デザインの家具を配した中庭へとつながる「グランド・ルーム」、各クラスターにひとつずつ完備された「キッチン」と、全10室の客室を擁する3つのクラスターから成っています。
 
工法は、ホテル建築では初の採用となった「木造パネル工法」。木材を合板で挟み込んだ「構造モジュールフレーム」を、現場に運んで組み立てる工法で、独特のフォルムが柔らかさと温かみを醸しています。
 
「このプロジェクトでは、ホテルの美しいロケーションにふさわしい、独自のデザイン工法を生み出したいと思いました」とは坂氏の言。「ここにしかない特別な雰囲気」を創造するため、全てが綿密に計画されています。

客室内には開放感溢れるスペースを生み出し、客室にいながらにして庭の美しい眺めを楽しめ、屋外にも簡単にアクセスできる構造(1階ゲストルーム)。

「ライブラリー」の内観。ここでチェックインした後は、四季折々の景色を眺めたり、「グランド・ルーム」で交流したり、予約して軽井沢のシェフによるケータリングを楽しんだり、「キッチン」でプライベート・ディナーを作ったりすることができる。

ししいわハウス建築とアメニティのハーモニーが極上の居心地を叶える。

館内のデザインは、全て坂氏が監修。家具やインテリアも自らセレクトしています。そして坂氏の真骨頂ともいえる「紙管」を駆使した建築は、『ししいわハウス』でも余すところなく発揮されています。特に寝室とパブリック・スペースに多く取り入れられており、ナチュラルな素材感の中に風格を漂わせています。
 
そしてオーナー自らが慎重に選び抜いたアメニティたちが、そのしつらえを完成させています。食器は日本の伝統を真摯に汲んだ「深山(みやま)」製で統一し、寝具、タオル、バスローブなどのリネン類は世界的に著名な「プロー(Ploh)」を採用。更にバス・アメニティは、ドイツの「ストップ・ザ・ウォーター・ホワイル・ユージング・ミー!(Stop The Water While Using Me!)」の100%天然由来かつ生分解性の製品で、美しい軽井沢の自然にどこまでも配慮しています。

自然に溶け込む建築、インテリア、アメニティ類が、訪れるゲストに心地よいひと時をもたらす(ヒノキ風呂付、2階ゲストルーム)。

控えめな、それでいて確かな個性を放つアメニティたちは、オーナー自らが最高と見なしたもののみを厳選。

ししいわハウス「具体美術」の粋を集めたアート群が空間を更にアップグレード。

また、『ししいわハウス』を更に特別なラグジュアリー・リゾートとしているのは、日本と世界の名だたる現代アーティストたちによる作品群です。
 
1960年代に「具体美術」のリーダー的存在であった巨匠・吉原治良氏をはじめ、今井俊満氏、鷲見康夫氏、元永定正氏、山田正亮氏など、前衛的でありながら格調高いアート群を取り揃えています。
 
また、ザオ・ウーキー(Zao Wu Ki)氏、イ・ソンジャ(Seundja Rhee)氏、ギュンター・フォルグ(GüntherFörg)氏、ベルナール・ベネ(Bernar Venet)氏など、やはり著名かつ個性豊かな海外アーティストたちの原画を館内に陳列。これらは『ししいわハウス』のシンプルかつ上質なインテリアを、更にエレガントに際立たせています。

建築、自然、芸術の融合が創造的かつ知的な滞在体験をもたらす。

柔らかく温かみのある佇まいの中で、クリエイティブな可能性が育まれる。

ししいわハウス都会の喧騒から距離を置いたロケーションで、知的創造の建築空間を提供。

典型的なホテルとは一線を画した「ソーシャル・ホスピタリティ」の概念を取り入れている『ししいわハウス』。その特異性はプライベートな空間だけに焦点を当てるのではなく、客室の外においても新たな発見やつながりを見出せるように設計されている点からもうかがえます。
 
『ししいわハウス』のオーナーであるシンガポールの『HDHキャピタル・マネージメント(HDH Capital Management)』の最高経営責任者、フェイ・ホアン氏は、これらのポリシーについてこう語ります。
 
「『ししいわハウスは都会の喧騒から距離を置いたロケーションにて、知的創造の建築空間を提供したいという思いから誕生しました。この隠れ家的ブティック・リゾートは、訪れるゲストがエネルギーを取り戻し、新たなひらめきを生み出せるような場所になることを目指しています。また、企業、地域社会、様々な人々と、世界中で起こっている事象やトレンドについて意見交換、あるいは議論を交わす場としての機能も果たすでしょう。このホテルは、当社が提案するホスピタリティ・コンセプトの最初の施設であり、今後も同様の自活的かつサステイナブルなプロジェクトを世界各地で生み出すことを目標にしています」。
 
個人でも団体でも、快適に滞在しながら交流とプライベートを重んじられる造り。そして坂氏による圧倒的な建築美が織り成す空間は、世界を変革させる新たな潮流をも生み出していきます。

発想しだいで自由自在な滞在がかなう、自らの創造性とともに遊べる場所。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉2147-646 MAP
電話:080-7691-6020
ししいわハウス HP:http://www.shishiiwahouse.jp/

豚も鶏も人間も、自然体が一番。みんなをストレスフリーにする魔法の牧場。[TSUGARU Le Bon Marché・長谷川自然牧場/青森県西津軽郡鰺ヶ沢町]

ノリノリで撮影に応じてくれた長谷川光司氏、洋子さん夫妻。誰もが一瞬で心を開くに違いない、チャーミングな魅力の持ち主のふたり。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場名物は豚? それとも牧場主夫婦? 全国的な知名度を誇る津軽の牧場。

青森県西部、日本海に面した鯵ヶ沢町。特産のイカの生干しが海風にそよぐ「イカのカーテン」を横目に内陸へ10分ほど車を走らせると、とある牧場が現れます。以前紹介した弘前市の食材店『ひろさきマーケット』や県内の百貨店の食品売場をはじめ、弘前市のフランス料理の名店『レストラン山崎』、『帝国ホテル』や『ザ・リッツ・カールトン』といった全国の高級ホテル、都内の有名レストランにいたるまで、多くの店から名指しで取引を求められるその牧場こそ『長谷川自然牧場』。そしてここを一躍有名にしたのが、「自然熟成豚」と名づけられた豚肉です。「自然熟成豚」の一番の特徴は、なんといっても脂の美味しさ。ひと口食べると、豚肉とは思えないほど細かいサシがふわりとほどけ、口の中に上品な甘さが広がります。一流シェフをも魅了するその品質はどのように生まれるのでしょうか。

牧場を訪れた私たちをまず歓迎してくれたのは、敷地内を自由に走り回る鶏たち(警戒心ゼロ!)とまだおぼつかない足取りでこちらに向かってくる子犬、子犬を見守る母犬。その近くを悠々と猫が通り過ぎます。たくさんの動物が思い思いに過ごしている様子にほっこりしていると、飛び切りの笑顔で登場したのが牧場主である長谷川光司氏と洋子さんの夫妻。「よぐ来たね~!」という歓迎のあいさつ後、すぐに始まる弾丸世間話に、こちらもついつい取材を忘れてお喋りしてしまいます。そう、「自然熟成豚」と並ぶこの牧場の名物がこの長谷川夫妻。相手の心の扉を開くのが天才的にうまい、津軽のとっちゃ(お父さん)とかっちゃ(お母さん)です。

ふたりに案内してもらい豚舎へ行くと、豚たちが一斉に集まってきます。洋子さんにブヒブヒと話しかける豚もいれば、取材班ににっこり(?)ほほえみかける豚も。それぞれの豚にちゃんと個性を感じるのは、豚たちがのびのびと育てられているからに他なりません。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

ひなびた漁師町の風情をいまだ残す鯵ヶ沢の海岸沿い、干されたイカの向こうに日本海が見えた。ブサかわ犬「わさお」の故郷としても知られる町だ。

様々な動物がのびのびと、思い思いに過ごす。そんな光景が、『長谷川自然牧場』の居心地の良さを象徴している。

人懐っこい豚は、突然の取材班の訪問にもこのカメラ目線。いきいきとした彼らの様子を見ていると、長谷川夫婦からの愛情を受けて育っていることがわかる。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場美味しさの秘密は、土地の恵みから生まれる独自の飼料。

「自然熟成豚」の美味しさの理由はたくさんあります。まずは通常半年ほどで出荷されるところ、10ヵ月育てるという飼育期間の長さ。そして独自に作る発酵飼料です。牧場の片隅に積まれたジャガイモやニンジン、リンゴにスイカといった農作物は、日々近隣の農業協同組合や加工場、生産者から届くもの。規格外のものや廃棄される部位を受け入れ、豚の餌にします。更にユニークなのは、パンやうどん、弁当など、様々な理由で廃棄される色々な食べものを引き取り、農作物と混ぜて餌に利用していること。

発酵飼料を作るのはなかなかの手間。まずは集められた材料を腐葉土やもみ殻、米ぬかなどと混合し、微生物に分解させて発酵を促しますが、ここで重要なのが「鯵ヶ沢の海水」と光司氏。ミネラル分の補填のため、様々な場所の海水を混ぜて実験を行った結果たどりついたのが、世界遺産・白神山地からの水が流れ込む、鯵ヶ沢・赤石地区の海水だったそう。光司氏曰く「他の場所の水じゃうまくいかねんだ」。地場の生産物に加え、豊富なミネラル分が証明された白神山地の水と赤石の海水があってこそ生まれる『長谷川自然牧場』の発酵飼料は、津軽の土地がもたらす恵みの一部ともいえるでしょう。こうしてできたほかほかの発酵飼料は豚の大好物。彼らの腸内環境が良好なため、たい肥の臭いが少ないのもこの牧場の特徴です。たい肥は餌の調達に協力してくれる地域の生産者に還元。地域の中での循環型農業を目指し、それを実現していることに驚きます。

今でこそ独自の先進的な取り組みで知られ、各地から同業者が視察に訪れる『長谷川自然牧場』ですが、そうなるまでには並々ならぬ苦労があったといいます。それは夫妻の明るい笑顔からは想像もつかないような歴史でした。

近所の「海の駅」や直売所などで販売する「しょうが焼き丼」などの加工品は、肉の切れ端まで使い切るための工夫のひとつ。敷地内の工房で手作りする。

規格外とはいえ、農作物は旬のものばかり。こちらの立派なスイカは「豚にも鶏にもあげるけど、人も食べるよ(笑)。うまいっきゃ」と洋子さん。

県内のパン工場から、食パンの端や賞味期限切れのコッペパンなどが集荷された。餌のほとんどを津軽エリアの食品残さでまかなうシステムが高く評価されている。

臭いの少ない豚舎。豚の腸内環境を整える以外にも、いぶしたもみ殻を散布するなどの工夫で臭いを抑えている。消毒効果も期待できるそう。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場35年間、ふたり一緒に手探りで追い求めた理想の農業の形とは。

夫婦は以前、葉タバコ農家でした。しかし度重なる農薬散布により光司氏が農薬中毒に。農薬を使わずに、安心して人に食べてもらえるものを作りたい。そう考えた時思い浮かんだのが、小さい頃に食べた豚や鶏の美味しさだったといいます。「昔はどこの農家も家畜を飼って、ホルモン剤や抗生物質なんて使わず余った野菜や人間の食べ残しを与えて、ゆっくり育ててたでしょ。とにかく昔のやり方で、そう思ってまずは鶏、それから豚も飼い始めたの。でも当初は食品残さで育てるなんて前例がないから大変で。仕事が終わった夕方から各地へ残飯集めに行って深夜さ帰って、また早朝から仕事。なんでこんなことしてるんだろ? って泣いた(笑)」と洋子さん。

「残飯豚」。そう呼ばれたこともあった豚肉の美味しさにまず気付いたのは、料理人たちでした。レストランから直接注文が入るとしだいに周囲の評価が変わり、国内有数の食品加工メーカーから契約の依頼が舞い込んだことで売り上げが安定するように。葉タバコから畜産に転向して、実に20年近く後のことでした。

農薬中毒の実体験から、自然農法に大きく影響されたという長谷川夫妻。現在も一貫して薬品を使わない飼育方法を実践しています。しかし人間の食べものの残さには食品添加物が使用されているのも事実。ふたりも一時期それに悩んだそうです。「人の食べものをあげても“自然”と言えるのか。んだばって、ここに運ばなかったらパンも弁当もゴミになるべ」と洋子さん。結局、添加物の入った食品も一部使い続けることを選びますが、その代わり進化したのが、微生物の力を利用した発酵飼料作りの技術と飼料の質でした。現在は畜産を始めて35年目。地域と連携した循環型農業が確立していったこの年月は、ふたりが取捨選択をしながら仕事に向き合ってきた日々でもあります。「色々したばって、好きな人と一生懸命やってたら、なんもできんだな、夫婦ってすごいなって」。洋子さんはそういって、ニコニコとのろけました。

国内外の視察を欠かさないふたり。時に、理想としていた農場の現実に落ち込むことも。結果「自分たちは自分たちのやり方でいい」という考えにいたったそう。

オレイン酸を多量に含み融点が低い『長谷川自然牧場』の豚肉。脂身も消化されやすく、身体に負担が少ないという。丁寧に作る発酵飼料がその理由だ。

米ぬかやトウモロコシ、くず米に炭を混ぜて発酵させた餌を食べて育つ鶏。敷地内を好き勝手に動き回り、産みたい時に卵を産む。卵は全て有精卵。

ぷっくりと盛り上がった新鮮な卵の黄身は、楊枝を刺しても箸ですくってもなかなか割れない。そのままで十分に味が濃いグルメな卵。「海の駅」などで販売される。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場多くの人の拠り所になる、そんな牧場を作りたい。

取材時、印象に残った話がありました。もともと洋子さんは動物が苦手。畜産を始める際には光司氏とひと悶着あったとか。しかし、初めて豚の出産に立ち会った時のこと、「生まれたての子豚がめんこくてめんこくて」、それ以降豚に夢中になってしまった洋子さん。今では毎日豚とのスキンシップを欠かさないそうです。そして現在、長く畜産という命の現場に関わってきた彼女が力を入れるのは食育です。「命とは何かを教えたい。今って学校で“殺す”とか“殺される”とか言っちゃダメって聞いて、危機感を覚えて。豚は食べられるために生まれて殺される。食べる人が無関心なことほど、豚にも生産者にも悲しいことはないよ」と洋子さん。

洋子さんが農場内に体験施設を作ろうと言い始めた時も、通信で食育免許の勉強をし始めた時も、60歳を過ぎてからグリーンツーリズムの資格を取得するといい出したときも、光司氏は最初「なんもそんなこと」と止めたのだとか。しかし妻が好きな岩木山を望む立派な体験施設を作り、インバウンドの受け入れを見越して英語を特訓中なのは、何を隠そう光司氏。「なんだかんだで一緒に好きなことやってるんだ」と洋子さんは笑います。

14年前から洋子さんが自主的に始めた農業体験の受け入れは、今では地元の小中学校から直接依頼がくるように。現在は地元・鯵ヶ沢の高校の生徒たちと地域資源を活用した商品開発に取り組み、それを何よりも楽しんでいます。「いつかこの街から出て行く子たちに、地元の魅力を持っていってほしい。都会でダメになっても、地元の良さを知っていたら逃げ場ができるから」と話します。そして洋子さんはこう続けました。「夢はたくさんの人がここで動物を見たり散歩したり、野菜やハーブを摘んだり、お茶したりしてくこと」。

一見、普通のとっちゃとかっちゃに見えるふたりは、津軽が誇るスーパー夫婦。肉や卵の美味しさ、そして牧場の幸せな空気感を体験すれば、きっとあなたにもその理由がわかるはずです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

敷地からは、洋子さんが大好きな岩木山が見える。ふたりの悲喜こもごもを見守ってきた雄大な姿は、頼もしく美しい。

7年前に法人化し、現在牧場スタッフは10人に。夫妻を中心としたチームは、いつも和気あいあい。

住所:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字北浮田30 MAP
TEL:0173-72-6579

その時、その場所でしか味わえない体験を。『DINING OUT』をサポートし続ける『LEXUS』の「ビジョン」。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

『LEXUS』グローバルブランディングマネージャー・岡澤陽子氏。

ダイニングアウト輪島

1989年、日本発のラグジュアリーブランドとして誕生した『LEXUS』。世界90カ国で展開するグローバルブランドとなった現在でも、デザインやものづくりの精神を大切にしながら、さまざまな分野のサポートを続けています。

第2回からオフィシャルパートナーとして参画する『DINING OUT』もそのひとつ。そんな『LEXUS』が描くビジョン、そして『DINING OUT』に寄せる期待とは? 『LEXUS』グローバルブランディングマネージャー・岡澤陽子氏に話を伺いました。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

オフィシャルサポーターの『LEXUS』はドライビングプログラムや会場送迎などでゲストにラグジュアリーな体験を提供。

ダイニングアウト輪島2019年7月に開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』を振り返って。

かつて個人的に青森を訪れたとき、その自然の深さに感動したことを覚えています。そして『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』で再び青森を訪れ、そのときの気持ちを再確認しました。とくに今回の訪問は初夏。冬を堪え抜き、力を溜めた自然が一斉に夏に向かうタイミングでしたから、自然の力強さもいっそう明確に感じられました。

『LEXUS』は『DINING OUT』をサポートする中で、移動の部分を担います。車の窓を開け、その土地の空気を感じる。メインのディナー会場に向かいながら、山と海、青森の魅力を体全体で味わう。そういった、この瞬間、この場所でしか味わえない唯一無二の時間をお客様に体験頂けたのではないかと思っています。それこそ、「LEXUS」が大事にしている提供価値です。

そして目黒浩太郎シェフのクリエーションも含めた『DINING OUT』の全体像としても、素晴らしい回でした。ディナーだけで3時間以上あったにも関わらず、それをまったく感じさせない料理の演出。アミューズから始まり、メインに向かって盛り上がる中で、出される間や、それぞれの料理の濃さ、青森の食材の個性が絶妙なバランスで構成され、時間的な長さを感じさせなかったのでしょう。またLEXUSに乗り、陸奥湾を照らす夕陽を見ながら会場に到着。日没、暗闇と景色が変わり、花火が上がり、満天の星空も眺められるという時間の移ろいも野外イベントならではの贅沢な時間でした。そしてこれほどの時間がたった2日という限られた日程しかないこと。これもまた特別な、唯一無二の体験となった一因だと思っています。

『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』を通して、確かな手応えを感じたと語った岡澤氏。

刻々と表情を変える陸奥湾の風景。雄大な景色も『DINING OUT』の魅力。

レセプション会場からディナー会場までの送迎では、丁度、夕景を眺めながら移動できるように時間までもデザインした。

魚介のスペシャリスト・目黒浩太郎シェフの技が陸奥湾の魚介を輝かせた。

「個性が強い食材だからこそ、少量多皿の構成が際立った」と岡澤氏。

ダイニングアウト輪島地方の魅力の伝え方と、「THE VISION」という新たな試み。

『DINING OUT』は、地方のまだまだ伝えきれていない魅力を再発見、再構築して伝えていくイベントです。しかしワンショットでその場のラグジュアリーな体験を伝えても、それで終わりでは意味がありません。その土地の人は、これからもそこで生きていくわけですから、いかに継続的に魅力を作り、伝えるかの方が大切なのです。『DINING OUT』がただ通り過ぎるだけの存在ではなく、本当の意味で地元への刺激となり、今回関わった大勢の方々の変化に繋がることを願っています。

今回、『LEXUS』が制作した「THE VISION」という映像ストーリーにも、その願いが込められています。『LEXUS』は 「LEXUS DESIGN AWARD」で若手のクリエイティブを応援し、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」で、ものづくりに取り組む若き匠を支援するなど、ブランドとして、クリエイティビティを尊敬、尊重しています。
それは『DINING OUT』という特殊な環境下で最高のパフォーマンスを目指すシェフの挑戦も同様です。目黒浩太郎シェフは、柔和な人柄の中に明確なビジョンと強い芯を持たれた方。そんなシェフの心の中の静かな、熱い情熱とそれに共感する『LEXUS』の思いを、青森の力強い自然を舞台に映像に収めました。ぜひ、映像を通し、『LEXUS』を通して、シェフの熱量を感じて頂きたいです。そして動画を見た方に、何か伝わるものがあれば良い。そんな願いが今回の「THE VISION」には込められています。
DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS「THE VISION」の動画記事はこちら

「DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS」のオールスタッフ。この日集まったメンバーが刺激を受けて、今後どのように浅虫を盛り上げていくかが重要。

岡澤氏にインタビューした、日比谷『LEXUS MEETS』では『LEXUS』と同じ想いを持つ作家や職人の作品や、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」のアイテムを展示、販売もする。

ダイニングアウト輪島目前に迫った『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の見どころとは?

準備のために輪島市に入って驚いたことは、まず歴史です。それは、ただ史跡や寺社があるのではなく、昔から脈々と受け継がれるものが人々の生活に自然に溶け込んでいることでした。お話した地元の方々も、歴史に誇りを持ち、守っていこうという気概を持っていらっしゃいました。土地に対する愛がある場所。それが輪島への第一印象です。
そのような物との向き合い方、生活の仕方、時間の捉え方などが訪れるお客様にも伝われば良いと思います。きっと歴史的建造物を見学するよりも、ずっと深い体験となるはずです。

そして体験の軸にあるのが輪島を代表する漆文化であり、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」を通してもご縁のある隈研吾氏の存在です。今回は『DESIGNING OUT Vol.2』として隈氏と輪島塗の職人とで、輪島塗の新たなプロダクト開発を進めています。
伝統工芸は、とても美しいものです。しかし、守る部分と変えなくてはならない部分はあります。そのなかで漆器の残すべきことはなにか、どう発信すれば漆器の魅力をいままで触れてない方々に伝えられるかといった観点で、未知の物が制作されることと思います。ここがまずお客様に期待して頂きたい部分。

そしてもちろん、ダブルシェフによる料理にもご期待ください。植木将仁シェフは石川出身で土地の食材、風土への理解も深い方。ジョシュア・スキーンズシェフは、サステナビリティも意識しながら素材の力を引き出すことを目指される方。共通項はあるといっても、クリエイターとしてぶつかる部分もあるかもしれません。それはきっと一人で料理するよりも大変なこと。しかしそのような刺激の中でしか生まれない世界というものもあるはず。おそらくシェフ両名ご自身も想像しえない化学反応の料理、未知の世界です。

輪島には深い歴史があり、棚田や塩田など日本の原風景ともいえる里山・里海が残っています。そのような土地で、新しい輪島塗が生まれ、二人のシェフによる新しい料理が創り出されます。まさに、他にない特別な時間と空間です。「LEXUS」に乗って、輪島と唯一無二の時間を五感すべてで体験頂きたい。そこに「LEXUS」のビジョンがあります。

地場産業や伝統工芸など、プロダクトに焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見するプロジェクト『DESIGNING OUT』に隈研吾氏を迎え、新たな輪島塗を制作。

『DINING OUT』史上初のダブルシェフのコラボレーションが実現。(左:ジョシュア・スキーンズ氏、右:植木将仁氏)

ダブルシェフや隈研吾氏など世界的なプレイヤーが一同に会す『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の化学反応に注目して欲しい、と岡澤氏は語った。

1999年、トヨタ自動車入社。調査部にて自動車市場分析、将来予測シナリオ策定を担当。2014年より現職。レクサスのグローバルブランド戦略や、デザイン関連などの体験型マーケティング施策にかかわる。

ミニジーンズストラップ【メンズ館】

 

10月に入りましたねえイチョウ

 

日中はまだ暑い日があったり、肌寒かったりと

体が追いついてこないですよねガーン

 

 

 

 

メンズ館でお土産に大人気の商品を紹介しますラブラブ(唐突に)

 

ミニジーンズストラップですキラキラ

 

ずらり、、、

 

 

手のひらサイズのジーンズが可愛いですよねラブ音譜

 

 

こんなにちっちゃいジーンズを作るのは職人技ですよね!!

 

 

革パッチやボタンが1つ1つ違うので、お気に入りを探してみてくださいね流れ星

バックポケットに倉敷の文字が入っている物と入っていない物があるので

そこもなんだか特別感がありますよねキラキラ

 

 

 

入荷してもすぐなくなってしまう人気商品なので

是非見かけたら手に取って見てくださいねハムスターイチョウ