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伸び伸びと大らかに育った自由放牧の牛たちに囲まれて、本物の美味しさを探求し続ける酪農家。[TSUGARU Le Bon Marche・ABITANiA(アビタニア)ジャージーファーム/青森県西津軽郡]
津軽ボンマルシェ心を打たれて即行動。未知の酪農の世界へ。
本当にこの道で合っているのだろうか……。地図の指し示す先にやや不安を募らせながら、車はどんどん森の奥へ奥へと進んで行きます。次第に緑の濃度が深くなり、引き返した方がいいかなぁ、という心の迷いが頭をもたげ始めた頃、ようやくパッと視界が開け、遠くにモォーとのどかな牛の鳴き声が聞こえてきました。
「ここは自分たちが暮らすには、理想的な環境でした」と話すのは『アビタニアジャージーファーム』を運営する、安原栄蔵氏。牧場があるのは鰺ケ沢町という町で、青森県の西南に位置しています。西へ行けばすぐ日本海、南は世界遺産である白神山地。
「緑に囲まれ、海も近く、自然環境には恵まれています。となりに分校があったので、子供達を安心して学校に通わせることもできました。水はきれいだし、新鮮でおいしい海山の幸がいくらでも手に入る、生活するにはとても良いところなんです」
安原氏は黒石市出身。普通のサラリーマン家庭に育ちましたが、大学を浪人中の19歳の時、たまたま見たテレビで、酪農家の奥さんの対談の様子が放映されていました。夫と同じ職場の同僚たちが東京での仕事を辞め、北海道へ渡り、共同で牧場を作ったという話でした。その内容に衝撃を受けた安原氏は、言葉では説明できないような強い思いが込み上げたといいます。早速テレビのディレクターに直接手紙を書き、紹介してもらってその牧場を訪問。一週間滞在して酪農の仕事を経験し、その後も何度か訪ねました。そしていよいよ心を決め、北海道へ移住。夏の間は牧場で実習を行い、冬は働きながら酪農学園大学の短大二部に通って学んだといいます。
「大学の在学生は親が酪農業の息子も多く、自分にとっては興味深い話を聞けて刺激を受けましたし、つながりも多くできました。その頃の自分は早く牧場が持ちたくて、ちょっと突っ張っていたんでしょうね。大学卒業間際で退学し、今度は群馬県の財団法人神津牧場で働き始めました」
神津牧場とは、福澤諭吉の元で学んでいた神津邦太郎が、日本人の食生活改善を唱え、明治20(1887)年に開設した日本最古の洋式牧場です。そこではジャージー牛が育てられていました。また、神津牧場は搾った牛乳をバターやチーズに加工していました。当時、酪農家が加工まで行うことはほとんどなく、安原氏の目には新鮮に映ったといいます。安原氏はこの牧場でジャージー牛と出会い、13年間働いて、牧場経営のあらゆることを習得しました。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・アビタニアカナダで新たな経験を積み、酪農家として独立。
次の転機は、ジャージー種に関する世界的なイベントで、カナダ人のブリーダーに出会ったことでした。いずれ独立したいと思っていた安原氏は、自分で牧場を経営するためにも、カナダとつながりを持っていることは重要でした。安原氏はまたしても手紙を書き、今度はカナダへ飛ぶことに。一生の選択でしたよ、と隣で言葉を発したのは、妻の千苗さんです。千苗さんは14年間看護業務に従事し、看護専門学校の教員をしていました。
「私はそれまで酪農のことは知りませんでしたが、看護大学で教員になるか、一緒にカナダへ行くか、この時大きな岐路に立たされました。仕事は好きでしたし、自分の生活の大半を占めていましたから、辞めた時はぽっかりと心に穴が空いたようでした。子供達には、大学で働いていたら今頃教授だよ、なんて言ったりするけれど、自分で選択した道なので、そのことに後悔はありません。外国へ行くことにもあまり頓着がなく、行ってどうなるかはそれほど深く考えませんでした。酪農家として彼は私よりずっと経験があるし、私がどうこう言うことではないと思いました」。(千苗さん)
安原夫妻が暮らしたのはトロントから西へ100kmほど行った小さな町。築100年の石造りの古民家に住み、周りは全て酪農地帯でした。オーナーの息子と二人でおよそ150頭の牛を任され、仕事はハードワークで体重も10kg以上減少したそうですが、仕事の時間は集中して働き、余暇は家族と共に楽しむ、合理的でメリハリのあるカナダのライフスタイルに、日本とは違った本質的な豊かさを体感しました。2年の生活を経て日本へ戻り、1990年、この地で牧場を設立。6頭のジャージー牛からスタートし、家族経営で10年かけておよそ100頭を育てるまでになりました。
津軽ボンマルシェ・アビタニア自由に動き、自由に食べる、ストレスフリーな牧場。
さっきまで牛舎でムシャムシャと無心に餌を食べていたかと思った牛たちは、いつの間にか遥か遠くの丘の上に散らばって、今度はのんびりと寛いでいます。通常の牧場では牛はチェーンに繋がれ、同じ位置にいることしかできないことも多いのですが、ここでは24時間、どこへ行こうと自由。それは牛の選択だから、と安原氏は穏やかに笑います。
「うちは完全に自由放牧ですし、餌は好きな時に好きなだけ、食べられるようにしています。牛はだいたい団体行動なので、一頭だけ取り残されるのが心配で、みんなくっついて同じ方向に動いていることが多いのですが、ずっと牛舎にいて食べている子もいますよ。牛舎にはアルファルファを常時たっぷり用意しています」。
安原氏がかつてカナダで飲んだ牛乳の香り高くコクのある美味しさ。その大きな理由の一つが、アルファルファでした。カナダでは雑草のようにあちこちに生えていたそうですが、日本の土壌は酸性なので育たず、ここではアメリカから輸入しています。牛乳を飲んだら、何の餌を与えているか大体わかる、という安原氏。牛乳は、牛の食べるものの影響を大きく受け、またその美味しさは無脂乳固形分(乳脂肪を除いた固形分)率の高さにも起因するといいます。アルファルファは普通の牧草に比べて、たんぱく質やミネラル、そしてカルシウムの含量がとりわけ多いことから、牧草の女王とも呼ばれ、牛乳にきれいでふくよかな奥行きのあるコクをもたらしてくれるのだそうです。
津軽ボンマルシェ・アビタニアジャージービーフは毎日食べても飽きない肉。
アビタニアジャージーファームでは、実はジャージー牛の肉を食べることもできます。ジャージービーフのステーキをどーんと乗せた贅沢なオープンサンドは、塩胡椒だけのシンプルな味付けなのに、香り良く、噛みしめるほどに滋味深い肉の旨味がじわじわと口の中に広がります。肉食用の牛は通常、よくいわれる「霜降り肉」を作るために高タンパクの飼料を与えて育てるのですが、ここでは搾乳牛と同じものを食べて一緒に育てており、特別なことはほとんどしていません。赤身の肉本来の美味しさを重視しています。
「脂身の多い肉は、普段の食生活には馴染みにくい。私たちは仕事柄、日常的に朝からジャージービーフのステーキも食べますが、いい赤身肉は胃もたれすることがなく、体力が付いて仕事もはかどります」
そして肉や乳製品などの加工品に厳しい味のジャッジを下しているのは、安原氏と共に牛舎の仕事を手伝っている、息子の大陸さんです。優秀なベロメーターなんですよ、と千苗さんも断言します。
「息子は味や匂いに敏感。うちは普段から、料理に化学調味料などの添加物を使わないし、子供の頃から自然なものを食べさせていたので、舌が冴えているんでしょうね。調味料を少し変えただけで、すぐに『変えた?』って聞かれます。肉の味にもうるさいですね。ちょっとでもダメなものは分かってしまうんです」(千苗さん)
2017年よりオープンしたイートインでは、安原一家が日常的に食べて美味しいと思うメニューだけを手作りで提供しています。ジャージービーフの良さを広めたいと、毎年ホテルとコラボしたイベントも開催。250人で牛一頭を食べ尽くすという驚きのイベントですが、あっという間に枠が埋まってしまうそうです。同企画に登場した『澱と葉』の川口氏や、『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の笹森氏も、ここの赤身肉の質の良さを高く評価しています。安原氏がいつも酪農に追い求めているのは本質。牛乳も牛肉も、本当の美味しさを自分たちのできる限りを尽くし、自信を持って届けたい、という思いがベースにあります。本物を伝え、未来に残したいと願う、ストイックな酪農職人でもあるのです。
さらに安原氏はジャージー牛と触れ合い、楽しみながら酪農についてもっと知って欲しいと、牧場開設当初から、乳搾りやブラッシング、餌やりなど、主に子供達への酪農体験を実施しています。大きなトラックに牛を乗せて、小学校などへの出張体験をすることも。東日本大震災後は毎年被災地へ出向き、牛と触れ合うことで、少しずつ子供達の表情が変わって来たことを安原氏は実感しました。
「被災した子供たちは、最初は笑顔がなかった。少しでも心をほぐしてもらえればと、牛のシャンプーを体験してもらったのですが、やっぱり牛の力はすごくて、そのうち瞬間的に笑顔が出てくるんです。一度笑顔になれたら、後はもう大丈夫。感情を押し込めた子供達の心にどれくらい効果があるかはまだ未知数ですが、難しいけれど、微力ながら何かのきっかけになればと思って続けています」
取材後、ふと牛たちに目をやると、澄んだ空気の中、広い野原を相変わらずゆったりと自由気ままに行き交っていました。安原夫妻の凛としたシンプルな佇まいと、牛たちののんびりと和む姿、そしてとびきり美味しい牛乳やジャージービーフ。帰る頃には日頃の疲れがすうっと癒され、晴れ晴れと満ち足りた気持ちになったのでした。
住所:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字建石町大曲225−2 MAP
電話:0173-72-1618
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堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン。」料理とのマリアージュで確信した「居心地のよいシャンパーニュ」。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・東京會舘 /東京都千代田区]
東京會舘×堀木エリ子「食べるシャンパン。」時代を超えて受け継がれるガストロノミーへの敬意。
1932年の創業以来、ワインとガストロノミーに力を注いできたシャンパーニュメゾン、テタンジェ。1967年には2代目クロード・テタンジェが「ル・テタンジェ国際料理コンクール」を創設。フランス料理の高い技術が求められるコンクールは、ジョエル・ロブションをはじめ数々の名シェフが優勝を手にしてきました。高品質な料理に対する深い理解と情熱をもとに確立されたスタイルは、今日に至るまで継承され続けています。偉大なガストロノミーと歩みを共にするあり方は、料理とともに味わうことで、おいしさが膨らむ「食べるシャンパン。」という考えにも表れています。
2019年、半世紀以上の歴史を持つ同コンクールが「ル・テタンジェ賞 国際シグネチャーキュイジーヌコンクール」と名称を変え、審査方法も一新。名前や肩書などをあえて伏せ、レシピ等の書類で厳選なる審査が行われることに。9月に開催された日本大会では、『東京會舘』の市川隆太シェフがみごと優勝を手にしました。
市川シェフがテーマ食材であるホタテを使って作った一皿は、伝統料理のアンクルート。今回、この一皿と「コント・ド・シャンパーニュ」とのマリアージュを和紙作家の堀木エリ子さんに体験してもらいました。堀木さんは、和紙という伝統素材を通じ、これまでにない新しい空間を創り出す作家として国内外で注目を集めています。ものづくりにおける伝統と革新とは、挑戦を続ける意味とは。プロフェッショナル同士の話に華が咲きます。
【関連記事】テタンジェ/「食べるシャンパン。」それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。
東京會舘×堀木エリ子「故きをたずね、新しきを知る」、伝統的な技術と地域性を表現したひと皿。
市川シェフがコンクールに出品した料理は「ホタテのアンクルート」。ホタテをモンサンミッシェルのムール貝と生ハムとともにパイ包み焼きにし、フランス北部ノルマンディー地方の郷土料理「アンディーブのグラタン」と合わせた一皿です。
「フランスには地方ごとの豊かな食材があり、その食材をもとに土地の食文化が育まれている。ホタテの産地でもある北部の郷土料理を合わせることで、ホタテの味わいを深める一皿ができたらと考えました」。
ノルマンディーは、市川シェフのフランスでの研修先でも。当初は時代を意識した「よりモダンな表現」を考えていたとのことですが、フランスで師事したシェフの教えを思い、このクラシックな一皿を完成させたといいます。
「当時、シェフが繰り返し言われた言葉に“故きをたずね、新しきを知る”というものがあります。料理人としてキャリアを重ねるほど、重みを噛みしめる言葉。フランス料理の技術が詰まったアンクルートという伝統料理を、今の時代に合う繊細な仕立てで仕上げました。自分のベストは尽くしましたが、想像もしなかった評価を頂き、身が引き締まる思いです」。
『東京會舘』の調理・製菓部のチーフアシスタントとして、後進の指導にも力を入れる市川シェフ。月に一度は後輩たちと一緒にレストランに出掛け、シャンパーニュから始まる食事を楽しむといいます。
「テタンジェのシャンパーニュの魅力は、バランスの良さ。コント・ド・シャンパーニュのようなトップキュヴェでも、凝縮感だけでなく、フレッシュなフルーティさを併せ持っていると感じます。今回の料理には、シャンパーニュのソースを添えました。クラシックなソースですが、煮詰める加減で味わいが変わる。濃厚ながらキレのあるソースが、シャンパーニュと料理との相性を高める橋渡し役になればと思います」。
東京會舘×堀木エリ子衒いのない皿が叶えた文字通りの「幸福」なマリアージュ。
シャンパーニュは、自分にとって「くつろぎの合図」だと話す堀木さん。
「京都の宮津湾にセカンドハウスがあるのですが、そこで過ごす時間は必ずシャンパーニュとともにあります。太陽が輝く朝は、シャンパーニュから。海が見えるテーブルでシャンパーニュと味わう朝食は、小さなご褒美。時間に追われる日常を過ごす中で、心をリセットするひとときです」。
もちろん、ハレのシーンでもシャンパーニュだと話します。
「友人たちと食事に出掛けると、乾杯からデセールまでをシャンパーニュで通すことも。特別な日にもやっぱりなくてはならないもの。お祝いなどのときはやはり、コント・ド・シャンパーニュのような特別な一本を開けます」。
「コント・ド・シャンパーニュ」は、テタンジェのトップキュヴェ。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいです。
グラスに「コント・ド・シャンパーニュ」が注がれ、市川シェフの料理が供されると「何とかわいらしいひと皿!」と、感嘆の声を上げる堀木さん。
「気取りや衒いがなくて、遊び心が感じられ、食べる前から楽しい気持ちになります」と、目を輝かせます。賛辞に恐縮する市川シェフを前に、まずはアンクルートから、次にアンディーブのグラタンと、一口ずつ、じっくりと味わいます。
「パイ生地にナイフを入れた瞬間、ホタテの香りがふわっと広がる。パイの香ばしさによって、ホタテの甘みがさらに引き立てられています。コクがあって、ほのかな酸味があるソースもとってもおいしい。“コント・ド・シャンパーニュ”とは、文字通りの“幸福”なマリアージュです」
東京會舘×堀木エリ子“うつろうもの”に寄り添う心地よさと、伝統と革新と。
今回、市川シェフの料理と「コント・ド・シャンパーニュ」を味わって、堀木さんは、ふと自身の仕事に想いを馳せる瞬間があったと話します。
「私が手掛ける和紙は、建築という空間の中にあります。空間における“快適さ”というのは、100人の人がいたら同じように感じるもの。例えば空調による室温管理や給湯の利便性、セキュリティの機能など。ところが“居心地の良さ”というのは、“快適さ”とは違い、100人100通りの感じ方がある。例えば光が生む陰影。こういうものは、1人の人でも年齢や経験、その日の気分によって受け取り方が変わる。変わる、移ろうものにきちんと寄り添う懐の深さを“居心地の良さ”だとするならば、“コント・ド・シャンパーニュ”はまさに“居心地のよい”シャンパーニュだな、と」。
堀木さんの言葉を聞いた市川シェフ、「自分の料理もそうありたい」と続けます。
「ホタテという食材ひとつを取っても、季節のうつろいの中で、その日の海の状況で、味が変わります。その味を最大限に活かすためには、食材への理解に加え、生産者や厨房まで届けて下さる業者の方々や、同じ方向を見て仕事をしてくれるスタッフへの敬意がなくてはと常々考えています」。
「そう考えると私たちの仕事は、シャンパーニュづくりとも、多くの共通点がありそうですね。自然を含め、うつろうものにどう寄り添うか。言い換えれば、自然と対面して、人ができることは何か。そこを突き詰めるところに、人間の英知があると考えます」と、堀木さん。
「加えて、“伝統を継承する”仕事でなくてはならないというところも、共通していると思います。伝統という財産を変わりゆくこれからの時代につなぐために、革新という挑戦は不可欠。市川シェフが大切にされている“故きをたずね、新しきを知る”という言葉の通り。伝統の上に立った革新こそが、未来の伝統をつくっていく。料理もシャンパーニュも、そして和紙のような伝統素材も」。
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1962年京都府生まれ。株式会社堀木エリ子アンドアソシエイツ代表。「建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマに、2700×2100mmを基本サイズとしたオリジナル和紙を制作。舞台美術や会場構成、インテリアデザインにおける和紙インテリアアートの企画、制作、施工を手掛ける。代表作に『成田国際空港第1ターミナル』到着ロビーのアートワークや、『東京ミッドタウン日比谷』エレベーター光壁などがある。『挑戦のススメ』など著書も多数。
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ホスト アレックス・カーと巡る輪島塗ツアー。オリジナルの輪島塗に込めた想いを隈研吾が語る。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島
日本に眠る伝統的なデザインに最先端のクリエイションを加えて、新しいものづくりをするプロジェクト『DESIGNING OUT』。『ONESTORY』と、雑誌『Discover Japan』、そして地域に知見のあるクリエイターがチームを組み、地域の文化や自然、歴史などを積極的に取り入れた新しいプロダクトを開発しています。
今回『DESIGNING OUT vol.2』の舞台となったのは、石川県輪島市。世界で活躍する建築家の隈研吾氏をプロデューサーに迎え、国の重要無形文化財に指定されている「輪島塗」に新たな風を吹き込むプロジェクトが進行しました。
1年以上の準備・製作期間をかけて、出来あがった6つのオリジナルの輪島塗は、2019年10月5日、6日に開催された『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』でお披露目され、隈研吾氏だからできた輪島塗へのアプローチと、その意向をくみプロダクトに挑んだ輪島塗の職人たちの確かな技術に、惜しみない賛辞が贈られました。
さらに、ディナーの翌日には、東洋文化研究家で作家のアレックス・カー氏がツアーホストを務め、輪島塗ツアーを開催。ゲストたちは、江戸時代にその技術が確立した輪島塗の歴史と職人技に触れました。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
ダイニングアウト輪島輪島塗の製造工程を理解し、職人技に触れる。
ツアーは、アレックス・カー氏による輪島塗の説明からスタート。輪島塗の最大の特色は、木地づくりから塗り上げ、加飾までに100以上の工程があるといわれる丁寧な手仕事の積み重ねにあります。その製造過程は、高度に分業化が進んでおり、多くの職人の手から手へとめぐりながら商品が出来あがるわけです。ゲストたちは、パンフレットを見ながら説明を聞き、その流れについて理解を深めていきました。
説明の後は、三つの組に分かれ、それぞれさらに輪島塗を知るためのスポットまで移動しました。
その一つが、今回の「加飾の器」で「呂色」をほどこした輪島塗伝統工芸士の大橋清氏の工房です。「呂色は、多くの専門職人がいるなかで、最後の艶上げの作業です。マットな塗立仕上げに対して、凹凸をなくして“艶”を出す呂色仕上げは、この後に『蒔絵』や『沈金』などの加飾の仕事で、漆と相性のよい金や銀を入れるためにも大切な仕事となってきます」と大橋氏。
呂色では、塗りあげで残った細かい刷毛目を、研ぎ炭を使って平滑にし、毛糸などを使って吹きあげていきます。さらに、最後は手を使って研いでいくのですが、大橋氏は呂色の仕事を実演してみせながら、「手は目の細かいペーパーのようなもの。漆は30~50ミクロンの厚さなのですが、この薄い膜を手で感じながら仕事をしています。精密機械を扱うようなものですね。商品に傷をつけると売り物にならないため、とても神経を使います」と説明していました。
さらに、アレックス・カー氏も「呂色師は、艶上げ以外にも、梨地塗りや石目乾漆塗などの変わり塗も手がけます。漆塗りの商品に金、銀をいれて、さらに漆をかける技術は、日本人ならではの感性だと思います」と解説。ゲストたちは、興味深そうに大橋氏の作品を手にとって、熱心に説明に耳を傾けていました。
そしてゲストは、輪島塗の奥深さがわかるもう一つの場所へ。江戸後期から明治期にかけて建てられた「塗師の家」は、全国を行商してまわり、旅先で見聞きした文化や流行を輪島に持ち帰った“塗師文化”を伝えるためのスポット。間口に比べて奥ゆきが深く、シンプルな空間ながら木部には漆が施され、小粋な意匠が随所に盛り込まれています。ゲストたちは、展示されている歴代の漆塗の銘品を眺めたり、今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で製作された器の説明を聞いたりしました。
ダイニングアウト輪島輪島に残る「振り売り」の魚や地元米に舌鼓。
ゲスト一同が再び揃ったのは、創建1300年の歴史を持つ古社「重蔵神社」。同神社には、輪島市に現存する最古の漆工芸といわれる「本殿内陣の扉」があります。また、江戸時代初期、輪島塗に輪島の“地の粉”を使うようになった起源の場所であるとも伝えられています。
本殿で祈祷を受けたゲストたちは、境内の庭に出て、輪島の「振り売り」を体験しながらランチとなりました。
「振り売り」とは、江戸時代から輪島に伝わる行商文化で、女性たちが旬の魚介や日用品をリヤカーに積んで、地域に出向いて売り歩きます。「魚いらんかー」「今日はよかったわー(いらないわ)」などと声を掛け合う風景は、昔ながらの伝統。いまでも輪島には10軒の振り売りがあり、リヤカーで行商するところも3軒あるそうです。
この日、「振り売り」で用意されたのは、フグとノドグロの一夜干し、フグの湯引きとヒラマサの刺し身、そして、地元に伝わる米粉と寒天でつくった精進料理「すいぜん」。一夜干しは、ゲストが自らガスコンロを使ってその場で焼きます。輪島産の米を特別にブレンドしたごはんのおにぎりと、味噌汁は、焼きアゴのだしに、ダイコン菜、油揚げ、里芋。
地元感にあふれ、滋味豊かなメニューにゲストの晴れやかな笑顔が弾けました。
ダイニングアウト輪島デザイニングアウトは第一歩。さらなる発展に期待。
『DESIGNING OUT vol.2』のプロデューサーを務めた隈研吾氏に、『DESIGNING OUT vol.2』の感想を聞きました。
今回の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』に、2日目に参加されたそうですね。まずは、全体のご感想を教えてください。
「日本の里山は、基本的に人間をすごくリラックスさせてくれる場所です。ですから、会場となった“金蔵の棚田”で食事ができたのは、とても素晴らしい経験でした。もともと日本の食べ物は里山の恵みですから、里山を感じながらの食事は理想的なことです。海外のリゾートホテルなどでは、上手に演出された屋外レストランで食事をしたこともありますが、日本の里山では初めてでした」。
『DESIGNING OUT vol.2』では、プロデューサーとして新たな6つの器を発表されました。
「もともと僕は漆が大好きなんです。日本の工芸はどこも同じなのですが、日本人は謙虚なためプロセスを自慢しません。僕はそれを歯がゆく思っていました。そこで、今回のプロジェクトでは、職人のプロセスの技を見せようと思いました。また、料理は最後の仕上がりだけでなく、食材や手順も大切です。同じように、輪島塗も製品にたどり着くまでのさまざまな“プロセス”が重要となります。普段は見えない輪島塗の出来あがる過程を、一連の食器としてデザインすることで、コースで出される食体験の時間軸と重ね合わせてプレゼンテーションすることができました」。
輪島の職人さんたちも、今回のプロジェクトには期待が大きかったと思います。「今までの輪島塗にはないデザイン、コンセプトだ」という職人さんたちからの声もありました。
「日本の伝統工芸は、とても丁寧な仕事をされているのだけど、ヘタをすると一本調子なところがあると思っています。そこで、絶えず新しい風を吹き入れることが必要なのです。たとえば、大正時代から昭和初期にかけて、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって提唱された“民藝運動”によって、工芸に新しい風が吹き入れられました。『DESIGNING OUT vol.2』も、現代における同様の刺激になれば、と思いました」。
職人さんをはじめ、輪島の地域の人々へメッセージをお願いします。
「“職人技のプロセス”を見せるというコンセプトで、職人さんたちが、自分の手跡が見えるということを喜んでもらえたら何よりも嬉しいです。職人さんをはじめ輪島の地域の方々には、いまの伝統を保ちながらも、世界に通用する新しい力を備えてほしいと思っています。具体的には、コミュニケーション能力でしょうか。例えば、料理の世界では、世界に伍する人がすでに出てきています。それが、漆芸という職人の世界でも表れてほしいですし、輪島にはその芽が出はじめていると感じました。今回の『DESIGNING OUT vol.2』『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』は、そんな取り組みの第一歩だと思うので、これからも発展させてほしいです。僕もまた参加したいと思います」。
1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の葺き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社を設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。
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コードバン ラウンドジップウォレット
コードバンシリーズにニューアイテム!
- アイアン初のジップタイプのウォレット
- 表はコードバン、中は牛革(カーフ)を採用
- 縫い糸は強度の高いシニュウ糸と呼ばれる動物の腱を細く裂いて糸状にしたものを使っており、少し色が付いた状態です
- コードバンウォレットシリーズと同様に手縫いで縫い付けしています
- ジッパーは信頼の高いYKK社製、細かい所ですが引手もコードバンで作ってあります
- 【IHG-001】とサイズ感は似ていますが小銭入れをなくしあえて厚みが出すぎない作りにしています
- 555や666などのスリムシルエットのバックポケットにもより入りやすく収まりがよくなっています
サイズスペック
- 縦 約0cm
- 横 約0cm
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コードバン カードケース
コードバンシリーズにニューアイテム!
- 全パーツコードバンを使用した贅沢なカードケース
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『DINING OUT』を支えた食材と名店『FARO』の出会い。この日、この場所だけでの至高のヴィーガンコース。[Food Curation Table with FARO/東京都中央区]
フードキュレーションテーブル/ファロスターシェフのクリエーションを支える素晴らしい食材たち。
日本のどこかにある日突然現れ、たった数日で消えてしまう幻の野外レストラン『DINING OUT』。これまでに全国17箇所で開催され、そのすべてが大盛況で幕を降ろしました。世界で活躍するトップシェフが指揮をとり、その土地に眠る魅力を掘り下げ、その土地の食材で表現をする唯一無二の料理。それこそが『DINING OUT』の真骨頂。そう、シェフや土地と同様に、食材、そして食材の生産者もまた『DINING OUT』の主役なのです。
そして今回、過去の『DINING OUT』を支えたそんなスーパー生産者たちにフォーカスするイベント「Food Curation Table with FARO」が12/13(⾦)、14(⼟)に開催されることが決定しました。タッグを組むのはイノベーティブイタリアン『FARO』。生産者たちに託された思いをエグゼクティブシェフ・能⽥耕太郎⽒はどう表現するのか。注目のイベントを目前に、その見どころをご紹介します。
フードキュレーションテーブル/ファロイノベーティブイタリアンの文法で伝える日本の食文化。
昨年10月、東京銀座資生堂ビルに誕生した『FARO』は、東京の美食シーンで大きな話題を集めました。エグゼクティブシェフに名だたる名店を渡り歩き、イタリアでも名を馳せた能田耕太郎氏を迎えたから。シェフパティシエに各界で注目を集める加藤峰子氏の名があったから。理由はそれだけではありません。シェフもスタッフも日々全国を飛び回り、食材の背景までを紐解いて生み出される料理、空間装飾やカトラリーにも⽇本の伝統⼯芸品を取り⼊れるなど、高次元で表現される⽇本の⾷⽂化、それらの在り方そのものが、他に例を見ない店だったからです。
とくに注目したいのは、コースのひとつとして用意されるヴィーガン料理。「日本の精進料理にも通じる」と能田シェフが捉えるヴィーガンは、単に動物性食材を使用しないという視点ではなく、食材選びから構成まで、ヴィーガンでしか表現できぬ世界を追求。味の多彩さと同時に、高い満足感も実現した渾身のコースです。ヴィーガンの方はもちろん、ヴィーガンでない方でも存分に楽しめる仕上がりになっています。
フードキュレーションテーブル/ファロ料理界に確かな足跡を残す、食材と料理人の出会い。
『DINING OUT』では、毎回指揮をとるシェフと共に数ヶ⽉におよぶ現地⾷材リサーチを⾏います。そんな日々を通し、これまで出会った生産者は200名近く。その素晴らしい食材はシェフの心を捉え、『DINING OUT』開催後も担当シェフの店舗で継続的に使⽤されることも多くなっています。
そうしたとっておきの⾷材と⽣産者をもっと幅広く知っていただきたいという思いから、「Food Curation Table with FARO」の実現に至りました。そしてそんな食材を託すなら、能田シェフをおいて他にないと確信したのです。今回、『DINING OUT』を通じて出会った全国の⽣産者の⾷材を『FARO』に託し、今回のための特別なヴィーガンコースを開発して頂きました。能田シェフのヴィーガンは既存の概念を覆す、まったく新たなジャンルの料理。そこに日本全国の至高の食材たちが出会う。きっとこの日、この場所でしか味わえない最高の料理体験が待っていることでしょう。皆様のご来場をお待ちしております!
1999年に渡伊。2007年までイタリアの名店で修業を積み、その後、現地でシェフとして活躍。2013年、「ノーマ」(コペンハーゲン)など最高峰の北欧料理店での研修を経て再びイタリアへ。自身が共同経営するローマの「bistrot64」では、ネオビストロのスタイルで人気を支える。2016年11月『ミシュランガイド・イタリア 2017』 にて二度目の一ツ星を獲得。イタリア料理のシェフとして二度の評価を得るに至った初の日本人となる。2017年には「テイスト・ザ・ワールド(アブダビ)」の最終コンペティションにローマ代表として出場し優勝。「ファロ」では、風情や旬を大切にする日本文化の中、イタリアで培ってきたことを東京・銀座で発揮し、自身の感性とチーム力で“お客さまが楽しむレストラン”を創り上げていく。
開催⽇:12⽉13⽇(⾦)、14(⼟) 19:00〜(22:00終了予定)
席数:各⽇28席限定
参加費:¥35,000(税別) コース料理品
(アルコール/ノンアルコールペアリングを含む)
申込⽅法:https://foodcurationtable.peatix.com/
*2名1組様以上での申込となります
*Webページ上の留意事項をご確認の上、お申込みください
世界を見て、ようやくたどり着いた食の理想郷、能登。地場を愛し、地場に愛された料理人。[L’Atelier de NOTO/石川県輪島市]
ラトリエ ドゥ ノトOVERVIEW
漆工技術の粋を集めた輪島塗、日本三大朝市のひとつに数えられる輪島朝市などで知られる石川県輪島市は、能登空港から車で30分ほど。その市街の中心部に『ラトリエ ドゥ ノト』はあります。建物はかつて輪島塗の工房である塗師(ぬし)屋だったもの。入口に掲げられたナイフとフォークをあしらったロゴマークが、ここがレストランであることをかろうじて伝えてくれますが、その外観からフランス料理店であることは読み解ける人は少ないはずです。店名の『L’Atelier de NOTO』を直訳するなら「能登のアトリエ」。オーナーシェフの池端隼也氏が、能登の食材を材料に料理という作品を創作し続ける工房と言えるでしょう。
今、この店が全国はもちろん、海外のグルマンたちから熱い注目を集めています。羽田―能登間のフライトは1日2便。午前便で能登に降り立ち、ランチをゆっくりと楽しんで、夕方の便で帰京するというツワモノも少なくありません。一体、何が人々の心を惹きつけているのでしょうか?
ひとつは全国でも稀な優れた食材の宝庫である能登のポテンシャルの高さ。もうひとつは、それら能登の優れた食材のショーケースとなり、消費の最前線で食材の一つひとつを最良の状態で提供すべく全力を傾ける池端氏の情熱。このふたつのかけ算が唯一無二の食体験を生み出しています。
国内外の名うてのレストランで豊かな経験を積んだ池端氏は、能登の食材を「おいしいから使う」と言います。このシンプルな一言には、「地産地消」という言葉では片付けられない重みがあります。池端氏は能登で何を見つめ、何を思って厨房に立っているのか? 能登に魅了されたひとりの料理人の姿を追いました。
住所:石川県輪島市河井町4-142 MAP
電話: 0768-23-4488
定休日:月曜日
https://atelier-noto.com/
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昆虫という食の選択肢。ネガティブな印象を変えようと活動を続ける若者がいる。[ANTCICADA/福島県二本松市]
アントシカダまったく新しい料理を創造するため。渓流のせせらぎに包まれ、いざ昆虫採集。
「やっぱり、いた。可愛い!」と、いきなり川底をあさって満面の笑顔をこぼす篠原祐太氏。まだ水が滴る手のひらの上で、体をよじらせるのはザザムシです。
いくつもの脚が胴の節々から伸び、じたばたと落ち着きなく動く様は、気持ち悪がられるのが常。それを子供のような眼差しで、愛くるしそうに眺めているのです。
ここは福島県二本松市へと続く山間の田舎道。突然、網を手に持ちクルマから飛び出し、急勾配の川岸を駆け下り、靴も脱がずそのまま渓流のなかに足を踏み入れ、昆虫採取をはじめた篠原氏を取材班は追いかけてきたところなのです。
「ザーザーと音が聞こえる、程よい勢いの川で捕れるからザザムシ。カワゲラやトビケラといった、食べると美味しい水生生物の総称です」と、キラキラと目を輝かせながら篠原氏は語ります。食用のためザザムシ漁を行う風習は、長野県にある天竜川上流の地域に今なお残り、かつては福島県などでも同様の食文化が形成されていたそうです。
ザザムシは佃煮にするのが基本ですが、素材の味を活かして「お吸い物や茶碗蒸し」にするのが篠原氏のお気に入り。丁寧に泥抜きをして茹でればアサリによく似た出汁が取れ、ほのかな磯の香りと力強い旨味が楽しめるそうです。
世界的にも少しずつ注目を浴びはじめてきている昆虫食の伝道師として、これまでに数々のグルメイベントを成功させてきた篠原氏。現在は昆虫を中心に、人目に止まらない野草や悪者とされる外来生物など、日の目を見なかった食材に目を向けるレストラン『ANTCICADA』の立ち上げ準備中です。昆虫=ゲテモノという世の中のイメージに一石を投じるため、クラウドファンディングも開始。
今回、取材班はレストラン開業に向けて活躍を続ける篠原氏の日常に密着。文字通り草の根を分けてまで、日夜、食材探しに奔走する氏の姿を追いました。
【関連記事】ANTCICADA/今の日本だから表現できる昆虫食の面白さ。概念を覆すことが最高のプレゼンテーション。
アントシカダ可愛いがゆえに昆虫を追いかける。そして、捕まえたら食べるのが自然の掟。
日本のみならず、世界中の昆虫を食べ続けてきた篠原氏は、実に昆虫食歴20年以上。東京都のなかでも自然に恵まれた高尾山のすぐ側で育ち、「森で遊びながら捕まえたものを食べるのは、動物としての本能でした」と、4歳のころから特別意識はせずに昆虫を食べはじめたと笑います。
やがて「理科の実験設備が充実していた」という理由で、名門の私立中高一貫校に進学。周囲に変わり者だと思われることを避けるため、いつしか昆虫好きである自分をひた隠すようになったそうです。
それでも篠原氏は持ち前の探究心の高さから参考書を読み漁り、全国模試1位を取るほど成績は優秀。父親から強い勧めを受け慶應義塾大学に進学すると、自分のスタイルを持った個性的な生き方をしている人たちの存在に驚きました。そこで「自分の昆虫好きをカミングアウトすることに決めた」と、篠原氏は当時を振り返ります。
どんな生き物でも命の重さに差はないことを伝えようと、昆虫を鍋に入れた画像をネット上で公開したところ「食べ物で遊ぶな」と批判殺到。そんななか「生き物に対するフラットな価値観に共感できる」と、名古屋在住の女性からメッセージが届いたことが、彼のターニングポイントとなったといいます。
さらに自体は急展開へ。「こんな女性は他にいない」と篠原氏が猛アタックを続けた結果、ふたりは恋人となり「はじめて本心をさらけ出せる相手に出会った」ことから、他人同士でも理解し合えると実感。「ありのままの自分をさらけ出せ、好きなことをして、言いたいことを話していたら、自然と周囲に理解者が集まりました」。こうして昆虫食の伝道者としての第一歩がはじまったのです。
アントシカダゲテモノではなく、地球からの贈り物として昆虫食を提案。
昆虫料理の素材調達をはじめ、ワークショップやケータリング、記事執筆、講演活動など、あらゆる方向から昆虫食の面白さを提案し続けてきた篠原氏。なかでも大きな話題を集めたのが新宿にある『ラーメン凪』と共同開発したコオロギラーメンです。
「さまざまな昆虫でスープ作りを試したところ、乾燥させたコオロギが最もラーメンの出汁に適していました」と経験則から篠原氏が語るように、コオロギには昆布の旨味成分として知られるグルタミン酸などが含まれています。
またコオロギの味わいを存分に活かしたいと、スープ1杯につき100匹以上の成虫が必要で、食用としての養殖法が確立されつつあるコオロギは、仕入れの面から見ても魅力があったといいます。
実際にコオロギラーメンの販売イベントを行うと、その美味しさが口コミで評判を呼び、あっという間に大行列。開催のたびに完売御礼となり、テレビのニュース番組や国際的な報道メディアなどにも大々的に取り上げられることになりました。
「あらゆる食材は地球からの贈り物」と考えている篠原氏。昆虫をゲテモノ料理として扱うのではなく、地球の豊かさ、美しさを伝える食体験の主役に据えたいと語ります。
コオロギラーメンをはじめた当初は「ゲテモノ料理として紹介したい」という取材申し込みが9割だったそうですが、現在はほとんどのメディアが新しい可能性として昆虫食を紹介してくれるようになったそうです。
アントシカダ仲間とともにコオロギの養殖場へ。生産者と交流を深める。
今回、篠原氏が福島県二本松市を訪れた最大の目的。それはコオロギの養殖場を視察すること。場所は電子機器に欠かせない絶縁インキの分野で世界トップクラスのシェアを誇る総合化学企業『太陽ファインケミカル株式会社』。コオロギの経済的な可能性に目を向け、大規模養殖のための研究も行っています。
「コオロギは一般的な家畜と比べ飼育の手間がかからず、孵化から25日で体重が1000倍になる非常に生産効率の良い動物です。食品としての付加価値や味わいについて、ぜひ篠原さんのような専門家の意見を聞きたいと思っていました」と代表取締役社長の小林慶一氏が温かく氏を出迎えてくれました。
篠原氏に同行するのはシェフの関根賢人氏。慶應義塾大学卒業後、メガバンクに入社するも直ぐに退職し、六本木にあるミシュラン星付きのフレンチレストラン『ル スプートニク』で修業をしたという異色の経歴の持ち主です。篠原氏が考案したコオロギラーメンの美味しさに感銘を受け、氏の活動に合流。現在、ともに昆虫食レストラン『ANTCICADA』の立ち上げ準備をしながら、世界初となる昆虫ドレッシングも共に開発中です。まずはクラウドファンディングのリターンとして数量を限定して製造開始。良質なコオロギを大量に供給できるようになれば、本格的な商品化を進めるとのことですが、果たして、なぜ今、昆虫ドレッシングなのでしょうか!? そこには現在の昆虫食を取り巻く問題を解決する糸口が……篠原氏の活躍を中心に、日本の昆虫食文化は大きな転換期を迎えるのかもしれません。
1994年、地球生まれ。慶應義塾大学卒。物心ついたころから自然をこよなく愛し、さまざまな野生の恵みを味わうように。なかでも、身近にいながら、未知な部分も多い昆虫への興味は強く、『ラーメ ン凪』やミシュラン一つ星『四谷 うえ村』で修行しながら、食材としての昆虫の魅力と可能性を探究。昆虫食伝道師として、昆虫料理の創作から、ポップアップ販売、ケータリング、ワークショップ、授業、執筆と幅広く手掛ける。なかでも世界初のコオロギラーメンは国内外で大反響を集めた。現在は、地球食レストラン『ANTCICADA(アントシカダ)』開業準備中。また、コオロギドレッシングや、虫のお菓子、タガメジンなどの商品開発にも注力し、順次販売開始予定。狩猟免許や森林ガイド資格保持。「食は作業ではない、冒険だ」をモットーに、日々地球上を駆け巡っている。
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理屈ではない。また還りたいと思わせる故郷がここにはある。[東京”真”宝島/東京都 青ヶ島]
高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。
監督・撮影・編集:中野裕之
撮影:佐藤 宏 空撮:田中道人 音楽:木下伸司
東京"真"宝島
島のシンボルは活火山。生きる島と暮らす選択。
「思わず“うわぁ”と声が出ました。それくらい圧倒されました」。
青ヶ島は世界的にも珍しい二重式カルデラ火山の島です。断崖絶壁の島そのものが外輪山を形成しており、南側に広がる「池之沢」と呼ばれる大きなカルデラの凹地の中には、内輪山の「丸山」があります。中野裕之監督が唸ったのは、「丸山」に足を運んだ時のこと。
「空撮のビジュアルは見たことがありましたが、実際に足を踏み入れた地上からの目線でその景色を見ることはありませんでした。周囲にそびえ立つカルデラは、圧巻でした」。
青ヶ島は1785年(天明5年)に噴火を引き起こしました。のちに「天明の大噴火」と呼ばれるこの噴火によって「丸山」は誕生しました。山腹に植林された椿によって縞模様を纏った現在の「丸山」の姿は、青ヶ島の代名詞となる風景です。
【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。
東京"真"宝島上陸難易度は最高クラス。限られた人のみが体験できる島、それが青ヶ島。
都心から南へ約360km、東京都青ヶ島村無番地、日本一人口の少ない村、それが青ヶ島です。しかし、その島へ訪れることは、実に至難の技。至難の技とは、苦行を強いるような困難な道のりという意味ではなく、気象の影響を受けやすいため、上陸できる確率の問題として難易度が高いということです。基本的に東京からの直行便はなく、八丈島からヘリか定期船で渡ります。
「一度、八丈島に降り立ち、そこからヘリで上陸するのですが、それも1日1便9席のみ。予約を取るのもなかなか難しく、人気アーティストのコンサートさながらの争奪戦です。ただ、島民も少ないですし、たくさん観光客が訪れても、それを受け入れる許容や施設がないので、島が島らしくあるための秩序を守るには、きっと今のやり方がベストなのだと思います」。
東京"真"宝島ここは果たして観光地なのか。その広大な自然は、想像をはるかに超える。
「北側に位置する“大凸部(おおとんぶ)”からは島が一望でき、青ヶ島のシンボル、縞模様の“丸山”も望め、絶景が広がります。その先にある“尾山展望公園”も“大凸部”と同じように外輪山の稜線上にあり、ここもお勧めです」と、中野監督。
そして、この2ヶ所に関しては星も美しい場所でもあります。
「夏には天の川が望め、冬には一等星が輝き豪華絢爛です」。
さらに、「星を見るなら“ジョウマン”」と中野監督は言います。
「島の最北端、ジョウマンから見る星はとにかく綺麗です。標高200mのそこは、草原の中にあるため、集落の灯りもなく、絶好の場所だと思います」。
また、青ヶ島の特徴の1つに挙がる、「池之沢」の「ひんぎゃ」(ひんぎゃの語源は、火の際/ひのきわだと言われています)と呼ばれる水蒸気が噴出する穴がありますが、この周辺は地面もあたたかく、冬の寒さも安心です。「地熱と言えば、この地区にあるサウナもお勧めです!」。
そのほか、「丸山」ではハイキングも楽しめ、ゆっくりとその地形と向き合うことができます。
絶景ポイント、星空観測、ハイキング、サウナ……。もちろん、観光も体験できる島ですが、「迫力ある自然は想像以上!」と中野監督は言います。長い年月をかけて鬱蒼と茂る森を作り上げ、「まるで恐竜が出てきそう!」と、生命力がみなぎる島の力に驚愕します。また、前出の地熱というところでは、「例えば、地面が茶色くなってしまっている場所には大地が発熱しているところも多いため、緑が育たないのです。撮影中、三脚を立てても熱くなるくらいでした」。
やはり生きる島、青ヶ島。そんな地球の鼓動を感じる旅を、是非楽しみたい。
東京"真"宝島歴史を振り返り、「還住」を知る。この島にはこの島の生き方がある。
黒潮の真ん中に浮かぶこの島は、いつ誕生し、いつ人が住むようになったのか、未だにはっきりとは分からないそうです。青ヶ島の存在は、15世紀(1401〜1500年)に歴史上に登場するも、その内容は船の遭難や海難事故の記録ばかり。当時の困難な海上交通を物語っています。中でも、青ヶ島を知る上で忘れてはいけない出来事が、先述の「天明の大噴火」です。当時、島民は隣島である八丈島への避難を余儀なくされ、一時は青ヶ島が無人島と化した時代もあったようです。そんな困難な生活を強いられた人々をまとめ上げ、50年余りの年月を費やし、島への帰還を果たしたのが江戸時代の名主と呼ばれた佐々木次郎太夫という人物でした。
「その時に思ったんです。帰るんだ、と。当たり前のことなのかもしれませんが、別の島で生きていく選択もある中、帰るんだ、と」。
火山噴火後、青ヶ島を離れ、再び青ヶ島での生活の復興を成し遂げることができた事実は、1933年(昭和8年)に日本の民俗学者でもある柳田國男氏が発表しています。「青ヶ島還住記」と題されたそれは、苦難の末に青ヶ島へ帰島を果たした事実を記しています。そして、タイトルにも用いられたこの「還住」という言葉は、徐々に島民に定着してゆき、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名にも起用され、「還住丸」としてその役目を果たしました(2014年より、定期船は「あおがしま丸」が就航)。
「“還”って“住”む。それが何年経ってしまっても、還って住む。当時の人々にとって、やっぱり青ヶ島は“故郷”だったのだと思うのです。いつか還って住むという気持ちがずっとあったのではないでしょうか。そんな先人たちがいるからこそ、今の青ヶ島があって、島民がいて。滞在中、あるお店で食事をしている時、おそらく同級生の集まりのような会を隣でしていたんです。楽しそうにワイワイと。その方々も、島で生きる選択をして今もここにいるんだと思うと、歴史を振り返ったことも手伝い、なんだか感慨深くなりました。色々な生き方があるんだな、と。そして、この島にはこの島の生き方があるんだな、と。誰にでも故郷はあると思いますが、その場所は極論どこでもよくて。生まれた場所を愛せることは素晴らしいと、この島に訪れて感じました。青ヶ島は、そんな愛に溢れた島だと思います」。
今回、映像の冒頭は、太鼓の音から始まります。「還住太鼓」です。「還住」という言葉は、島民にとってはとても大切な言葉なのです。映像が終わっても、その残像と太鼓の余韻が、きっと心の中で静かに響き続けるでしょう。
(supported by 東京宝島)
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これは始まりに過ぎない。 [FUTURECRAFT.LOOP] GEN 2は、100%リサイクル可能な初の高性能ランニングシューズの進歩の証。 プラスチックごみがなくなる循環型の世界に向けて私たちは、一歩前進。
[FUTURECRAFT.LOOP] 未来を作り続けるシューズ
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豪華布陣でつくり上げた輪島塗と能登食材のフルコース『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島
『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』(2019年10月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。
『DINING OUT』第17弾となる舞台は、能登半島北部に位置する、石川県輪島市。この地を代表する伝統工芸といえば、言わずと知れた「輪島塗」。日本の中でも輪島は、最も高度かつ広汎に漆文化が花開いた地であることから、テーマは「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」。
今回は、日本の伝統工芸に新たな光を当てるプロジェクト『DESIGNING OUT Vol.2』を同時開催し、世界的な建築家、隈研吾氏と共にオリジナルの輪島塗を作り上げました。
そして料理人は、『DINING OUT』史上初の試みとして、ふたりのシェフのコラボレーションが実現しました。ひとり目は石川出身のフレンチ料理人、西麻布「AZUR et MASA UEKI」の植木将仁シェフ。ふたり目は、熾火料理を得意とし、三ツ星を獲得したジョシュア・スキーンズ氏。
今だかつてない豪華メンバーを結集させた「DINING OUT」、ぜひ体感してみてください。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
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テレビレポーターでミュージシャン、多彩な顔で青森と農業の魅力と伝える、ユニークな農実業家[TSUGARU Le Bon Marche・アグリーンハート/青森県黒石市]
津軽ボンマルシェ・アグリーンハート
愛嬌ある笑顔と歌声、熱意のトークに誰もが引き込まれる。
“たくろん” さんこと、佐藤拓郎氏といえば、青森県できっと知らない人はいないはず。地元でおなじみのテレビ番組「わっち」の水曜コーナー「農music農life」では、レポーターとして県内各地を駆け巡り、その土地のお宝食材や生産者を紹介しています。ミュージシャンとしても活動し、ギター片手に番組内でオリジナルの歌と演奏を披露することも。テレビでは「ゆるキャラ」的存在、陽気で穏やか、ほのぼのとした印象の佐藤氏ですが、いざ、農業の話になると、途端にカチッと情熱スイッチがオンモードに。「話、長くなってもいいですか?」という前置きが入り、日本の農家の未来にまつわるあれこれを、気づけば何時間でも熱心に話し込んでしまうのでした。そう、佐藤氏の本職は農業、米農家さんです。
取材チームが佐藤氏を知ったのは、以前に紹介した『サニタスガーデン』の山田さんからの紹介でした。「同じ黒石市で先進的な取り組みをしている農家さんがいる。多彩なアプローチが面白いし、一般的にイメージする自然栽培の農家とはキャラクターが違ってユニーク」との話。また、『ひろさきマーケット』でも商品の取り扱いがあり、「たくろん米」だなんてお茶目なネーミングは、目を引かずにはいられなかったのです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・アグリーンハート常に頭で考えて動く、子供の頃から実業家肌だった⁈
青森県黒石市出身。子供の頃は「ちょっと変わった子だった」と自己分析する佐藤氏。
「駄菓子屋さんでお菓子を買うにも、お金が足りなかったら普通は我慢するでしょう。でも自分は、どうしたら欲しいものを早く手に入れられるかを考える子供でした。店のおばちゃんに『これが欲しいんだけど、どうすればいい?』って聞いてみると、『ワラビを採って来てくれたら、買ってあげるよ』って言われて。山でたくさんワラビを採って、欲しかったお菓子と交換していました。中学生の時は、学校へ行く前にカブトムシやクワガタを採り、ペットショップに売って現金に変えていましたし。何かとビジネスライクなところがありましたね。高校に入るとバンドブームに押されて、バンド活動に明け暮れましたが、ライブをするためのホール代が賄えるよう集客やチケット代を考え、きっちり計算して売り上げを出していました(笑)」
マーケティング、リサーチ、ブランディング、などという言葉を当時は知らずとも、自然と自分でバンドの経営方針を考え、売り上げに繋がるよう行動を起こしていたというから驚きです。その頃の将来の夢はミュージシャンになることだったそうですが、そこでも自己をシビアに分析し、今のままの自分ではミュージシャンとして稼げないと冷静に判断します。高校を卒業すると、実家の家業だった農業を手伝い始めました。
「どこかで雇われるよりも、農業の方が自分の自由な時間を作れて、音楽活動を続けられるのでは、という軽い気持ちもありました。一方で、僕は6代目なんですが、祖父の代が大きな借金を抱え、父はそれを背負う形でもあったので、どうにかしなければという危機感がありました。でも、いざ就農してみると、農業はすごく難しくて、それが純粋に面白かった。夢中になって向き合えば向き合うほど、答えが見つからないんですよ。毎朝4時に起きて田んぼに出て、日々試行錯誤の連続。でもその難解さが面白い」
津軽ボンマルシェ・アグリーンハート自然栽培の米をオリンピックの選手村へ届けたい。
2017年1月、株式会社『アグリーンハート』が立ち上がりました。佐藤氏が現在力を入れているのは、農薬や肥料を使わない自然栽培ですが、いわゆるナチュラリストとは一味違います。親から引き継いだ農地を含めて57haのうち、9haが自然栽培。同時に敢行栽培も行なっています。法人化してから毎年スピーディーに農地を拡大しており、そのほとんどは山間の休耕地です。木が生えないよう持ち主によって手入れはされているけれど、何十年も耕作はしていない土地でした。黒石市にはそのような休耕地が約235haあり、それらが宝の山だ、と佐藤氏は言います。
「津軽地方は昔から、良質な農作物を比較的容易に収穫することができた土地なんです。八甲田山系の伏流水が豊富に湧き出ており、水がきれい。四季がはっきりしていて、寒暖差があることなど、良い条件が整っています。山間地には大型機械は入りにくいけれど、土壌が若くふわふわで良質。肥料や農薬を使っていた土地で有機JASを取得するとなると、それらが抜けるまで最低2年以上かかりますが、休耕地なら最初から何も入っていないので、その必要がありません。ここでしか作れないもの、そこに価値があるんです」
アグリーンハートでは、創立年にGLOBAL G.A.P(注1)を取得。自然栽培の圃場は全て有機JAS認証を取得しています。さらに農福連携(注2)に取り組み、2019年より制定されたノウフクJAS(注3)取得に向けても動いています。そこまで認証をクリアした農作物は日本ではまだまだ少ないそう。佐藤氏曰く、最も基準が厳しいといわれているオリンピック選手村に提供できる食材にも一番近いのでは、と目を輝かせます。
注1)GLOBAL G.A.P
世界基準の農業認証。安全で品質の良い食品・非食品の農作物であると世界的に認められ、農業経営の改善や効率化、品質の向上、グローバル市場への販路拡大などに繋がる。
注2)農福連携
農業と福祉の各分野の連携。障害者等の農業分野での就労を支援し、自信や生きがいを持った社会参画を実現するための取り組み。一方で農業の人手不足の解消などにも期待が持てる。
注3)ノウフクJAS
障害者が主体的に携わって生産した農林水産物及びこれらを原材料とした加工食品について、その生産方法及び表示の基準を規格化したもの。2019年3月より制定。
津軽ボンマルシェ・アグリーンハート寿司に最も適しているという幻の米が復活。
2019年は青森県が推奨する県産米で、食味ランキングでは3年連続特Aを獲得している品種「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」を栽培していますが、次年度以降、佐藤氏が本腰を入れて取り組んでいきたいのが「ムツニシキ」という品種。1971年にデビューし、かつては青森県の推奨品種でしたが、稲の背が高いため倒れやすく、収量も少なくて育てにくいなどの理由で、いつの間にか幻の米となってしまいました。ムツニシキは固定種であり、味の評価は高く、粘りが少なくパラっとした食感が寿司米に適しているそうで、北海道の寿司店では黒石米と呼ばれてもてはやされていました。黒石市では2015年よりそのムツニシキを復活させ、寿司専門の米としてブランド化推進に努めており、佐藤氏もその一端を担っています。自然栽培のムツニシキは、寿司ネタの邪魔をせずさっぱりとした味わいながら、ネタを包み込むように米の程よい甘みが後から追いかけるという、不思議な余韻をもたらすそうで、それがどんなにおいしい米か、佐藤氏の言葉には一層熱がこもっていました。
津軽ボンマルシェ・アグリーンハート新しい取り組みに次々と挑戦、広く世の中に発信していく。
自然栽培は、雑草や虫捕りなどに相当な人の労力がかかります。せっかく身体に良いと思うものを作っていても、身体を酷使して壊してしまったら、元も子もありません。佐藤氏は、テクノロジーの力で補えるところは補おうと、ロボット技術や情報通信技術(ICT)を活用した「スマート農業」の導入を積極的に行なっています。
「将来は月で田んぼを耕したい、なんて話をしているんですよ。もちろん例え話ですが、決して実現できない話でもないんです。自分が現地にいなくても、田んぼの様子は遠隔でリアルタイムに確認できる。状況に応じて、ブラジルの従業員に東京から指示を出す、なんてことも可能になります。物理的な距離は関係ないんです」
自然栽培に正当な付加価値を付けることも怠りません。子供時代からビジネス視点を磨いてきたと言ってもいい佐藤氏ですから、「農業できちんと稼ぐこと」は常に視界にあります。未来を見据え、地球環境や和食文化の継承も考慮し、実業家として農業を経営していくことの重要さを肝に命じています。
「苦労が多く、儲けもない農業だったら、誰がやりたいのか?これからの世代が魅力的に感じる農業でありたい。だから価値あるものをまっとうな価格で売れるように経営戦略を立てますし、売るための発信力も必要です。自然栽培も事業として進めていかないと、時代のスピードに飲み込まれてしまいます」
多方面にわたる佐藤氏の取り組みは注目を浴びることも多く、農林水産省主催の「平成30年度未来につながる農業推進コンクール」の「有機農業・環境保全農業」の部では「生産局長賞」を受賞。自然栽培やスマート農業の取り組みはもちろん、農家でありながら、黒石市観光大使、学校教育サポーター、そしてテレビのリポーターなどを務め、多様な活動を通して有機農業を伝えていることが高く評価されました。
受賞後は各地で講演の機会が増え、他地域から田んぼの視察に来る人も多くなったそうです。そこで佐藤氏は最近、未来の農業への危機感を声高に訴えています。パーソル総合研究所と中央大学が発表した「労働市場の未来推計 2030」によると、2030年に農林漁業従事者は2万人余剰になってしまうというデータが出ています。
「現在人手不足と騒がれている農業が、たった10年後には大きく変わってしまう可能性があります。経営者はいつも最悪の未来を想定して動かなければいけないと思うのです。その時地域はどうなっていくべきなのか、考えることがたくさんあります。自身の取り組みを通して、もっと伝えていきたい」
そしてさらに佐藤氏が向かう新しい挑戦は、東京に青森の特産品を販売する店舗を出すこと。志ある農業仲間と協力し、2020年のオープンに向けてマーケティングリサーチを行い、夏には試験販売も試みました。
「自然栽培の農作物のおいしさを伝えたいのはもちろんですが、商品というより、売りたいのはこの土地が持つ唯一無二の価値。こだわりの農家のストーリーを届けたい」
経営者として脇を締めつつも、常に全力で楽しそうに取り組もうとする佐藤氏。目標は「50歳になったら、またバンドを再開すること」!それまでに、持続可能な有機農業の礎を築けるよう、まだまだ走り続けます。
写真提供)
住所:青森県黒石市馬場尻東61-15 MAP
電話: 0172-26-5015
株式会社アグリーンハート HP https://www.agreenheart.jp/
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桃のような口溶けと上品な甘み。高級西洋なし『ル レクチエ』の魅力を、料理で表現するために。[ル レクチエ/新潟県新潟市]
ル レクチエ『ル レクチエ』の魅力を伝えるべく、立ち上がったひとりの料理人。
『ル レクチエ』という品種の西洋なしをご存知でしょうか。
初冬の一時期、高級果物店の店頭でまるで宝石のように大切に陳列されている山吹色の西洋なしがあれば、きっとそれが『ル レクチエ』です。桃のようになめらかでとろける食感、高い糖度と爽やかな味わい、鼻孔をくすぐる芳醇な香り、そして大ぶりで見事な形。近年、お歳暮に贈るフルーツのトップに君臨する希少で貴重な西洋なし、それが『ル レクチエ』なのです。
その噂を聞きつけ、そして『ル レクチエ』の魅力をさらに広めるべく、今回ひとりの料理人が立ち上がりました。その名は藤木千夏さん。恵比寿の一軒家レストラン『Umi』でその名を轟かせ、インテリアショップ『Francfranc』が手掛ける新たなライフスタイルブランド・白金台『A L’AUBE』のカフェの監修を手掛け、そして今さらなる飛躍を目指す藤木シェフが、『ル レクチエ』のポテンシャルをすべて引き出す料理作りに挑むのです。
目指すのは、そのまま食べる以上の果実感。高い次元で完成された『ル レクチエ』という食材をどう捉え、どう表現するのか。さまざまな期待を背にした藤木シェフは、まず産地である新潟へ飛びました。
ル レクチエ素材ファーストを徹底する藤木シェフ。その思いの厳選をたどる。
素材を大切にする藤木シェフが料理を考案する工程は、まず食べることから始まります。それもただ取り寄せた食材を試食するのではありません。「いつもスタッフにも伝えているのは、モノをモノだと思わないこと。その食材が目の前にあるのが当たり前だと思わないこと。食材は自然といろんな人やコトが関わり、いろいろな思いが込められて、ようやくできあがったものですから」と藤木シェフ。味や食感だけでなく、そこに込められた気持ちまで探すように、大切に食材を味わうのです。そんなスタンスの根源を理解するために、藤木シェフのヒストリーを少し紐解いてみましょう。
福岡県柳川市という有明海沿いの町で生まれ育った藤木シェフは、幼少期に共働きの両親にかわり多くの時間を 祖父母と過ごしました。祖父母はお米やお野菜、養豚場を営む農家で、祖母はおやつも全部手作りする人。そんな祖父母との経験からか、幼い頃から「料理人か看護師、それか医者。命に携わる仕事に憧れたんです」といいます。
やがて家族の希望もあり医療関係の高校に進んだ藤木シェフ。しかし学ぶうちに料理への思いが膨らみます。そんな折にTV 番組や本で目にしたフランス料理。「人の手でこんなキレイなモノが作れるんだ!」と感動した藤木シェフは、高校卒業後に上京し、レストランでアルバイトをしながら調理師専門学校へ通いました。「遊ぶ時間は 一切なかった」という時代です。やがて藤木シェフはアルバイト先を『ホテルオークラ』に移し、卒業後は同ホテルに就職。東京、福岡5年の修業を経て、24歳でフランスに渡ります。それも「気になった店にひたすら手紙を送り働きたい旨を伝える」という力技の渡仏です。
記録的大雪の初日、森の中の道を通った日々、友達との出会いと別れなど「毎日がドラマだった」というフランス修業時代。しかしそれは得難い経験でした。帰国後『銀座ロオジエ』などでさらなる修業を積み、2014年、28歳で再び渡仏。『Restaurant Sola』でスーシェフを務め、帰国後は『Umi』のシェフに就任します。
そこで大切にしたのは、ひたすら走り抜けてきた修業時代に、あるいは大きな愛に包まれていた幼少期に育んだ食への思い。「小さい店だからこその伝え方で、おもてなしをさせていただきたい」。気になる食材があれば、確かめに産地へ 向かう。高級な食材でなくても、生産者の心が通ったものなら積極的に取り入れ料理する。それが今も昔も変わらぬ藤木シェフの思いなのです。
だから新潟に降り立った藤木シェフの目は真剣そのものでした。取材の数日前に襲った大型台風で手塩にかけた果実が数多く落ちてしまったと聞けば、なおさら。
ル レクチエ丹精込めて『ル レクチエ』を育てる新潟の若き生産者。
出迎えてくれた『ヤマヨ果樹園』の小柳和輝氏は、スマートな若者でした。聞けばかつて東京で美容師として働き、10年前、23歳で新潟に戻り家業を継いだのだといいます。「10年経っても、1年サイクルのそれぞれの作業は10回経験しただけ。今でも勉強と試行錯誤の日々です」という小柳氏。同じ東京を経験し歳も近い藤木シェフは、その言葉に真剣に耳を傾けます。
「そもそも『ル レクチエ』が高級であるのは、栽培が難しく市場に出回ることが少ないから。明治36年にフランスから『ル レクチエ』が伝わった新潟でも、栽培農家はそう多くありません。『ル レクチエ』の難しさは、実ったままでは完熟しないため、収穫してから一定期間熟成させる追熟が必要なことにあります。無論、熟成をかけたままでは腐ってしまいますし、樹に成ったままにしていても実が落ちてしまいます。そして追熟が終わり実が黄色くなったら賞味期限は1週間しかありません。つまり果樹園にある『ル レクチエ』をほぼ同じタイミングで収穫し、全体のバランスを見ながら追熟をかけ、一定の期間内に出荷しなくてはならないのです。その期間とは例年11月25日頃に出荷開始、12月15日には終わる3週間。その3週間のために1年かけて育て、いっときも気を抜くことなく追熟をかけるのです。もちろん追熟だけでなく、1月の剪定から春の摘蕾と花粉付け、初夏の袋掛け、晩秋の収穫まで、気を抜く間はありません。45アールの敷地に4万個成る実を、ほぼ手作業で愛情込めて育てるのです。」
小柳氏の思考はロジカルで、『ル レクチエ』栽培に必要な作業を合理的に判断します。しかし話を聞くにつれ、論理だけでは説明できない精神論、つまり『ル レクチエ』への誇りが垣間見えてくるのです。次々と質問を投げかける藤木シェフにも、きっとそんな思いは伝わっていたのでしょう。
ル レクチエ生産者との話を通し、藤木シェフに浮かんだ数々のアイデア。
収穫後約40日間の追熟作業が必要なため、取材時に果樹園の現場で生の『ル レクチエ』を試食はできませんでした。しかし藤木シェフは「来てよかった」といいます。食材そのものだけではなく、そこに潜む物語や生産者の心を見つめる藤木シェフ。小柳氏と話をしたことで、その思いをしっかりと受け止めたのでしょう。
小柳氏が用意してくれた『ル レクチエ』のジュースとペーストを試食しました。「キレイな優しい味がします」それがジュースを試飲した藤木シェフの第一声。「加糖なしでこの甘味はすごい。温めてみたらどうだろう? 果実を焼いてみたら? スープにしたら? いろいろと浮かんできます!」そう話す藤木シェフ。
この後、追熟が完了した『ル レクチエ』を送っていただき、試食してから実際の料理試作に入る予定ですが、すでにシェフの頭には複数のアイデアが浮かんだよう。「フレッシュなル レクチエを使って、それが付け合せではなく主役になる何かを考えてみたい」藤木シェフはそう語りました。
食材とそこに潜むストーリーを大切に料理を仕立てる藤木シェフ。そんなシェフが仕立てる『ル レクチエ』メニューがどうなるのか、その正体は未だわかりません。しかしきっとそれは誇りと愛情を持って『ル レクチエ』を育てた小柳氏も喜ぶ、心の籠もった料理になることでしょう。2019年11月末日までは『Umi』にて、12月中旬までは『À L'AUBE』で提供される、まだ見ぬ『ル レクチェ』のデザート。詳細の続報を楽しみにお待ち下さい。
住所:〒950-1404 新潟県新潟市南区大郷2460 MAP
電話:025-362-5583
ヤマヨ果樹園 HP:www.niigata-yamayo.net
1984年生まれ、福岡県柳川市出身。高校卒業後に料理専門学校に入学し、在学中から『ホテル オークラ』に勤務、卒業後は同ホテルに就職し、5年間研鑽を積む。24歳で渡仏し、ビストロや星付きレストランで修業、帰国後に銀座『ロオジエ』などを経て、2014年に再びフランスへ渡り、パリの『Retaurant Sola』でスーシェフを務める。2017年に帰国後、恵比寿『Umi』のシェフやカフェの監修などを務める。
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ウォバッシュデッキジャケット
皆さんこんにちは!!
なんだか日に日に冷え込み方が冬に近づいてきていますね・・・
寒い・・・寒すぎる(真冬越せるのかwww)
そんなこれからの時期にもってこいの商品をメンズ館からご紹介いたします!
児島GENES
ウォバッシュデッキジャケット(RNB-5012)
\37,400(税込)
サイズは M/L/XL/XXL ございます。
こちらの商品はミリタリーウェア定番のデッキジャケットを抜染によるストライプウォバッシュで仕上げたミリタリーとアメカジテイストがミックスされたアウターです!!かわいい!!!
(あー見るだけでも暖まる)
内側はしっかりと寒さからしのげる高寒性をもったボア!!!
襟元にもしっかりボア!!
襟を立ててボタンでとめると更に温々に!!
温々ポイントはボアだけでなく、
お袖の中にはもう一つ!ぴったりと密着してくれ、風を通しにくくしてくれる袖が実は隠れているのです!
そして、前は見た目ボタンしかないそうに見えるのですが、ファスナーからのボタンになっているのでこちらも風から守ってくれます!!
インディゴデニムをベースにした抜染ストライプウォバッシュなので経年変化も期待でき、着るのが楽しくなるアウターです!
是非冬の相棒にいかがでしょうか!!
ホスト中村孝則が2人の料理人を紐解く。覚りの料理と語りの料理[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]
ダイニングアウト輪島覚(さと)りの料理。
今回の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』のジョシュア・スキーンズさんの料理を一言で表現するならば、「覚(さと)りの料理」だと思う。禅では「悟り」のことを、本性に目覚めるという意味で「覚り」という言葉を使うけれど、私はジョシュアさんが料理に向き合う姿勢を見てると、「覚り」を求める修行者と重なる何かを感じるのであった。
誤解があるといけないのだが、だからと言って私は彼の料理そのものが禅寺で食される精進料理的なもの、と感じたわけではない。彼が料理を生み出す過程を通して、禅でいうところの、公案を解くように料理を生み出してるように感じたのである。あくまで、私の個人的な見解なのであるが。のちに知ったのだが、ジョシュアさんはかつて、アメリカの寺で一年間に渡り修行をしたことがあるそうだ。マーシャルアーツの修行ということだったが、おそらくそこで仏教的な知見や禅の思想を身につけたのだろう。
ジョシュアさんと共に、食材探しからロケハン、料理の現場に至る工程まで長くご一緒した中で、彼は過去『DINING OUT』に参加したシェフたちが行うのと同じように、現地の能登半島や輪島の食材や食文化を旺盛な好奇心で持ってリサーチするのだが、ただ珍しい食材をハンティングするだけではなくて、何か別の眼差し、その食材の奥にある本質の一点にフォースを絞り込むような、静かな感性を働かせているように思え、それがあたかも、禅の修行者に通じると感じたのである。彼が今回の『DINING OUT』で作った「ブロス オブ グリルドボーンズ」に合わせたお米の料理などはまさに、そういった心の働きから生まれたのだと思う。
和紙職人の工房を訪ねた時のことであった。その工房の横には田んぼが広がり、小さな清流が水をたたえ、和紙はその川の水を使って作られていたのだけれど、その川をジョシュアさんと覗いた時に、沢山の鮎が泳いでいて、それを見た彼は「このへんの米は、ネイティブの鮎が泳ぐ水で育っているのか!」と呟いたのである。彼はそこに、米の旨さ云々と別次元の価値があると直感したようだった。地元の人にとっては日常の光景だろうから普段は田んぼの水のことなど無自覚だろし、釣りバカの私に至っては、群泳する鮎に目を奪われ、「釣り竿はどこかにないか」と心が騒めく始末なのであったが‥‥‥。
会場となった、金蔵地区の棚田を巡った時のこと。ちょうど本番前に稲刈りが終わるタイミングだったが、彼がことさら喜んだのは、稲の藁束である。「この藁こそ、宝物」と、嬉々として喜んでいるのは、とても印象的だった。今回、彼が作ったお米の料理は、炊いた米をその藁で包んで、藁ごと燻す料理法を用いたのだが、地元の人も私たちも、藁束を見て郷愁は感じても興奮はしないだろうが、藁がないサンフランシスコから来た彼にとって、藁は宝の山に見えたのだ。藁を客の目の前で燻したのは、熾火料理を得意とする彼らしい技法だが、彼は米を燻すことだけが目的はなく、「美味しいごはん」という公案に対して、「藁束」とか「川の水」といった答えを見出したのではないだろうか。
「美味しいごはん」でもう一つ、エピソードを加えよう。彼と食材探しに輪島の朝市に出向いた時のこと。朝市には、鮮魚や干物など、新鮮な魚介類やユニークな乾物も多かったのだが、彼が最も興奮してたのは、お婆さんが小さな台に載せて売っていた「梅汁漬ミョウガ」であった。そのお婆さんは、おそらく80歳くらいだと思うのだが、数十年同じ漬物を自分で作り、ここで売り続けているとのこと。紫蘇で漬けた梅干しの汁を使って漬けたミョウガの漬物は、美しい赤紫色をしているのだが、ジョシュアさんはその色が、まるでルビーが溶けた液体のように感じたようである。「この色はなんだ!このお婆さんはすごいね」と。結果的に、このミョウガの漬物は、先のお米の料理の付け合わせになったのである。
魚が泳ぐ渓流の水や藁の束、お婆さんの漬物の色。地元では無自覚になったその眠っていた豊かさに目覚めることは、『DINING OUT』的な感性の延長ではあるけれど、ジョシュアさんはその「目覚め」その感覚そのものを、今回の料理で表現した、という点で非凡であり、私が彼の料理をして「覚りの料理」という理由なのである。
【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS
ダイニングアウト輪島語りの料理。
その一方で、植木将仁シェフの料理は、「語りの料理」ではないだろうか。語りとは、物語のこと。彼の今回の料理には、どれも彼が紡ぐ物語が詰まっていて、ある意味で文学的な表現の料理ともいえそうだ。例えば、植木さんが作った「海を渡ったイノシシ」という料理を紐解こう。能登半島の能登島に棲むイノシシを使ったこの料理。半島から海を泳いで島に渡ったというイノシシの逞しさに着想を得た植木さんは、その不思議な生態を一つの物語として料理に着地させていた。海の影響を受けたミネラル豊富なイノシシの肉を寓意的な主役に見立て、その肉を板昆布で二日間コブ締めした後に真空料理にかけ、最後に金蔵の藁で藁焼きにする。付け合わせには、イノシシたちが実際に食しただろう島のむかごや栗、あるいは原木椎茸「能登115」が添えらた。
「森から川、そして海」の料理では、能登の水の流れをめぐる、豊穣な生態系を一つの物語にしていた。くるみの入ったエスカルゴバターは森の表現に、ビスクソースには川と汽水域と海を行き来する藻屑ガニや、能登の美しい海岸線の岩場に生息する亀の手までを、川の表現として使っていた。そして海に生息するノドグロには地元のワカメのジェノベーゼで仕上げらた。今回の植木さんの料理はすべて、一皿ごとにストーリー仕立てに構成され、それぞれの素材やその仕立て方、組み合わせから盛り付けまでに意味や物語が仕込まれ、味覚的にも視覚的にも能登を表現する一つの作品として緻密に構成させていた。そこには、植木さんが郷里に込める郷愁や郷土愛、季節の移ろいまでが語られているのである。ロマンティストである植木さんらしい、ファンタジーや童話的な装飾、あるいは茶目っ気が盛り込まれていることも、ゲストたちを愉しませた。
しかし、ストーリー仕立ての料理というのは、ややもすると陳腐化する怖さもあるが、植木さんの料理が多くの要素を一皿に盛り込にながら物語として破綻しないのは、素材ごとに料理技術を追求するなど、徹底したディテールの詰め方にあるのだと思う。結局のところ、物語のある料理の完成度とは、映画やその他の芸術作品と同じで、細部のチリの詰め方に担保されるのだ。今回の植木さんの料理では、それが見事に実証されていた。
そして、植木さんにとって今回の『DINING OUT』はもう一つの、見えない挑戦があったはずだ。それは、植木さんにとって輪島や能登は自分自身の故郷であるという点だ。素材や文化や自然を熟知している土地だからこそ、逆説的な難しさが立ちはだかっていた。というのも、通常『DINING OUT』で登用されるシェフというのは、その土地とは縁のないことが定石だからである。知らない土地の食材は食文化と出会い格闘し、もがきながら料理を作り上げるというドラマが味わいどころであり、ある意味『DINING OUT』の演出上の楽しみどころである。ところが植木さんにとって、ホームグラウンドである土地で、新しい物語を紡ぐことは、難しい挑戦だったと思う。しかも、『DINING OUT』史上初の2シェフ体制というのも、アウエーのジョシュアには負けたくないという、ある種のプレッシャーになったことだろう。しかし、ジョシュアと共に作り上げることで、植木さん自身も新たな視点が開き、一皮むけたのではないか。それは、今後の『DINING OUT』の展開に少なからず影響を残した、という点においても評価されるべきことだろう。
ダイニングアウト輪島輪島塗を構築的に紐解く面白さ。
今回の『DINING OUT』では、二人のシェフ体制という新たな試みのほか、「輪島塗の魅力を紐解く」という『DESIGNING OUT Vol.2』の挑戦があったことも特筆に値するだろう。しかも、その監修に建築家の隈研吾さんが抜擢されたことは、個人的にも興味深かった。そもそも輪島塗の最大の特徴は、高度に専門化した、職人の分業システムにある。その工程は、「生地」作りから始まり、「布着」や「下地塗り」、「中塗」や「上塗」さらには、「沈金」や「蒔絵」などを加えると、優に100を超える。その工程を経て完成されたものだけが輪島塗となり、途中段階をはしょったり、ましては途中段階のものは、輪島塗にはならないという厳密なルールがある。しかし、今回はあえてその途中段階のものを、完成品の器として料理に用いられたのだった。
今回は、私自身も輪島塗の工程を見学し、それぞれの職人の技術力に驚かされたが、特に感銘を受けたのが、どの工程においても、美意識が宿っていることだった。おそらく隈さんも、輪島塗の魅力が職人たちの技術だけでなく、美意識が構築的に積み重なって完成されていることを見抜いたに違いない。だからこそ、本来は途中段階のものを、構築的に分解して完成形として見立て得たのだ。もっとも、どの工程を切り取り、どのような形状にすべきかカギになるが、そこは超一流の建築家らしい見立てが冴えて、どの器もゲストだけでなく、輪島塗の職人たちをも唸らせるものであった。それらの器は、実際に料理を盛り付けると、また別の潜在的な魅力を発揮し、しかも全ての器を積み重ねると一つの造形物になるという、ストーリーも私たちを驚かせるのだった。輪島塗の今後の可能性に光を当てたという意味においても、価値ある挑戦だったと思う。
ダイニングアウト輪島複雑な要素が一つの輪島の物語として結実した。
ジョシュアさんの「覚りの料理」と植木さんの「語りの料理」。表現のアプローチは全く違えども、ともに能登や輪島という土地を深く表現し切ったのだと思う。今回、あえてテーマとして表には出ていないが、私たちはともに、輪島市にある総持寺祖院に訪れている。この寺は、明治時代にでは曹洞宗の大本山であり、今でも祖院として地元にとって大きな存在である。
私たちはその寺を訪れ、僧侶から直接、修行者の典座の作法を見せていただいた。典座とは、禅寺の料理を作る担当者のことであるが、禅にとっては料理を作ることだけでなく、食すことそのものが修行である。それは、直接的ではないけれど、精神的な部分で今回のジョシュアさんや植木さんの料理にも反映されているのだと思う。しかも、この祖院の構造物には、輪島塗が随所に施されていた。今回の『DINING OUT』では、この総持寺祖院に象徴される、輪島という土地が持つ精神性という部分でも結びついていたことを最後にお伝えして、締めくくろうと思う。
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/
「小さな化粧品製造所 運用の実際」講習会

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11月21日、"スター・ウォーズ コレクション" スペースバトルパックを発売。
スター・ウォーズ を象徴するデス・スターやミレニアム・ファルコン、Xウイングをモチーフにしたランニングシューズが登場。
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- 801と同様の16ozヘビーダックを使用した新型のバッグ
- 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
- 内容量は今までのIHE-37などのウエストバッグタイプよりも増量しています
- 引き手は全て牛革のスライサーを使用
- 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています
あまりにも豊かな中越地方の恵みに、「新潟の食とは何か」を理解する。~マッキー牧元編~[Niigata Gastronomique Journey/新潟県]
新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW
旨さの極北である大衆食から、食の深奥を感じさせるガストロノミーまで、古今東西を問わずに様々な料理を食らい尽くしてきたマッキー牧元氏。その味覚の幅広さこそ、4賢者に相応しいのではないでしょうか。南魚沼市、三条市を要する中越地方が誇る大地の豊かさを巡る旅は、かの高名な「里山十帖」から始まります。
南魚沼市は山、川、畑の恵みに溢れ、力強い食材が一堂に揃う場所。米どころである新潟県の中でも、最高峰の米を作る地として知られており、今回の旅でのマッキー牧元氏の米摂取量は相当なものに。たとえ満腹でも「ああ、やっぱり旨い」と思わせてしまうのは他では体験できません。三条市では、新潟のトップシェフが食材への愛が故に作り得る食の驚きに出合いました。マッキー牧元氏の手にかかれば、ガストロノミーという概念もまた複雑な姿に進化していきます。そんな、中越の宝と邂逅する旅にご一緒しました。
【関連記事】Niigata Gastronomique Journey/風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る
(株)味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、年間600回外食をし、料理評論、紀行、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演。「味の手帖」「料理王国」「食楽」他、連載多数。鍋奉行協会会長。著書に「東京 食のお作法」文芸春秋刊、「出世酒場」集英社刊ほか。
(supported by 新潟県)
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記憶を手繰り寄せながら頂を目指す。八丈富士の夕日を眺め、僕はもう一度、再訪を誓った。[東京”真”宝島・八丈島/東京都]
高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。
東京"真"宝島
初めて訪れた時は、大学生・中野裕之。そして今、約40年ぶりに映像作家・中野裕之として八丈島へ向かう。
「大学生の頃、何の予定も決めずに空港へ向かい、良さそうな便に飛び乗って旅をしたことがありました。その行き先が八丈島だったんです。あれから約40年、今こうして八丈島を撮影できるなんて、ご縁を感じます」。
八丈島は、大きく5つのエリアに分かれている。大賀郷、三根、樫立、中之郷、末吉がそれだ。「登龍峠」は三根に位置しており、客船が着く底土港のある三根地区に位置している。
「“登龍峠”には展望台があり、ここから望む“八丈富士”と“八丈小島”が本当に綺麗で。夕日が双方の間にゆっくりと落ちていく景色をじっと見ながら、再訪を心の中で誓いました」。
下方から望むと龍が登ってくるように見えることから「登龍峠」と名付けられたここは、八丈島を代表する景色であり、新東京百景にも選ばれる名所。太平洋を朱色に染めてゆく時間は、沈みきるその瞬間まで美しい。
【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。
東京"真"宝島羽田から約1時間で別世界へ。八丈ブルーの中、ウミガメとランデブー。
日本屈指の透明度を誇る八丈島の海は、「八丈ブルー」と形容されるほど、美しい。そこをウミガメが悠々と泳ぐ。
「八丈島は、“カメの島”。そう呼ばれるほど、ウミガメとの遭遇率が高いです。サンゴも美しく、ふわふわとしたソフトコーラルも気持ち良さそうに揺らいでいました。海水浴場も多いですし、ダイビングやシュノーケルなどのガイドサービスも充実しています。ここに訪れたら、ぜひ海のアクティビティを体験することをお勧めします!」。
場所にもよるが、例え海中でなくとも、堤防からや浅瀬など、運が良ければウミガメと出合えるのが八丈島。この島が育んできた自然は、生き物も島民のひとり、もとい一匹。皆が心地良く共存し、暮らしているのだ。
東京"真"宝島刻々と表情を変える「雲」に心惹かれた。島の記憶が何度も「雲」の余韻を甦らせる。
「雲が湧き出す山、色彩豊かな海。」
これは、今回の映像に起用されているタイトルである。後者は上記の「八丈ブルー」を指すも、前者は独特の視点だ。
「八丈島はとにかく雲の表情が豊かだと思いました。見上げる雲はもちろん、目下の雲から手の届きそうな雲など、どんどん島から雲が湧き出てくるようでした。特に印象的だったのは、“八丈富士”の火口。縁に溜まった雲の中にふわっと入り込むと、1m先も見えない。時折、雲が割れた隙間から見せる景色もせいぜい5秒ほど。雲の世界に包まれ、雲の匂いを感じ、無音の境地の中、音も立てないほどの優しい風が頬を撫で……。あの雲の匂いは忘れられません」。
その匂いとはどんな匂いなのか?
「うーん、何て言ったら伝わるかなぁ……。難しい……。ほんの少しだけ、うっすらと焦げたような感じというか……。どうだろう……。違うかなぁ……」。
記憶を手繰り寄せ、その匂いを言い当てる言葉を探そうとするも、なかなか難しいようだ。だが、中野監督の中だけには確かなその匂いが残っている。
「八丈富士」は標高854.3m。登り続ける先には大きな火口が広がり、その縁を囲むように草原の道が続く。まるで絶景を歩くようなそこは、別名「天空の道」と呼ぶ人も少なくない。
見上げればどこにでもある雲は、見る場所や見る視点によって、特別な存在へと変化するのだ。
東京"真"宝島温泉巡りに植物観察、登山に海に、絶景まで。観光資源が豊かな島、それが八丈島。
「末吉にある“みはらしの湯”は、その名の通り太平洋が見晴らせて、気持ち良いですよ! それ以外にも中之郷にある“裏見ヶ滝温泉”もぜひお勧めしたいです。とにかく八丈島は観光資源が豊富だと思います。海水浴場もたくさんありますし、“八丈富士”のお鉢巡りや“ふれあい牧場”でアイスクリーム(GW・夏休み期間のみ提供)、“三原山”の登山、展望台や灯台からの景色、“八丈植物園”や“ヘゴの森”の散策など、色々楽しめます。週末にさっと行けるし、東京から一番近いリゾートだと思います」。
東京"真"宝島グッと心を掴まれる映像のクライマックスは、圧巻のタイムラプス。
島の豊かな表情が演出された映像美はもちろんだが、後半部分のタイムラプスの連続には、圧倒される。
「タイムラプスは、大体15分撮って1秒の動画になります。太陽、月、星、雲……。八丈島は空の表情が豊かなので、その動きと躍動感を出すような編集をしました」。
今回の尺でいうと、1スポットで約8時間、定点撮影をしている計算になる。空から、陸から、海から。様々な目線で見る八丈島を、是非体験していただきたい。
(supported by 東京宝島)
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山懐に抱かれた奥日田のサーキット場で、一夜限りの非日常体験を。[AUTOPOLIS×Snow Peak Glamping/大分県日田市]
オートポリス × スノーピーク グランビングオートポリスの新たな挑戦。ファン待望のキャンプフィールドが誕生!
腹の底まで響くような音と共に、視界の端から端へと一瞬で走り抜けていくスーパーバイク。10月の晴れ渡った空の下、この白熱のレースを間近で体感するため大勢のファンが会場へと詰めかけました。
ここ「オートポリス」は阿蘇の玄関口、奥日田の最奥に位置する山々に囲まれた広大なサーキット場です。九州唯一のインターナショナルレーシングコースで、3万人もの観客を動員するビッグレースからママチャリレースや四輪・二輪走行会などの参加型イベントまで、モータースポーツファンのみならず多くの地元の人々から愛されてきました。そんなオートポリスが今秋、新たなチャレンジに乗り出したのです。
そのチャンレンジとは、敷地内にキャンプフィールドを開設すること。サーキットが位置する奥日田エリアは宿泊施設に限りがあるため、連日観戦したいファンが泊まる場所を確保しづらいというのが悩みの種でした。そこで、場内でのキャンプ泊が可能になれば、観客は興奮冷めやらぬまま翌日のレースも楽しめるようになります。
【関連記事】AUTOPOLIS×SnowPeak Glamping/一瞬で消えゆくものだから…多角的なアプローチで“食の記憶”を心に刻む。
オートポリス × スノーピーク グランビングスノーピークとのコラボレーションで実現、贅を尽くしたグランピング。
そしてキャンプフィールドのオープンに合わせて、ある特別なイベントが開催されることになったのです。それが、“サーキットでキャンプする非日常体験”をテーマにしたオートポリスグランピング。360°のパノラマでレースが楽しめるインフィールドに5棟のテントを設営し、10名のゲストを招待。“グラマラス×キャンピング”の言葉どおり、ひと晩限りという贅沢な環境で、ここでしか味わえない“空間と食”を提供するというイベントです。
今回オートポリスがタッグを組んだのは、奥日田にキャンプ場と実店舗を構えるアウトドアブランドのスノーピーク。ゲストたちの宿泊エリアからダイニングスペース、キッチンまですべての設営を手掛けました。まるでホテルの一室のように広々としたテント内には、タオルや歯ブラシ、モバイルバッテリーなどのアメニティが揃っているのはもちろんのこと、冷蔵庫代わりのクーラーボックスに石油ストーブまでも。10月とはいえ、夜の奥日田はダウンジャケットが必要なほどの寒さです。しかしストーブをつけてふかふかのベッドに潜り込めば、朝まで心地よく暖か。
さらに暖を取りたい時には、テント内に用意してある湯浴み着で“サーキットの中の露天風呂”へ。こちらはなんと“出張する温泉”で、天ヶ瀬温泉の湯をそのまま運んできています。普段は足湯としてオートポリスのイベントやスポーツ大会のゴール後などに登場するとのことですが、今回は全身で浸かれる特別仕様。体の芯から温まりながら辺りを見回せば、夜半のレースコースと山並みの壮大なコントラストが眼前に広がります。
オートポリス × スノーピーク グランビング出張料理人が織りなす食の魔法。
ゲストが1泊2日の間で口にする夜朝昼の3食。そのすべてのプロデュースを手掛けたのが、料理家であり食空間演出家でもある大塚瞳さんです。出張料理人として全国各地へ赴き、数日限りの食空間を演出するイベントプロデュースを10年以上続けてきたとのこと。今回もこの日のためだけに考案したオリジナルメニューを振る舞ってくれました。夜はスペイン、朝は台湾、昼はインド料理と、キャンプ場で作ったとは思えないほどバリエーション豊かな美食の数々にゲストたちも舌鼓。「同じことは二度とできないからこそ、みんなの記憶に残るような料理を作って思い出を共有できたら嬉しい」と語る大塚さん。その想いが端々にまで行き渡った、まさに一期一会の体験でした。
夕食後は、水郷・日田の酒蔵を中心にセレクトした銘柄を揃えたバーエリアへ。ビールはもちろんのこと、日本酒、焼酎、スパークリングなどから好みのお酒を手に、揺らめく焚き火を囲むベンチへと向かう人も。冴え渡る夜空と満天の星、圧倒的な自然に囲まれ美酒に酔うひとときは、しばし現実を忘れさせてくれます。
チェックインからチェックアウトまで、心尽くしのもてなしで10名を非日常の世界へといざなったグランピング。サーキットの臨場感と奥日田の大自然を肌で感じることができ、その上ラグジュアリーな気分も味わえるかつてない体験は、ゲストの心に深く刻まれたことでしょう。
住所:大分県日田市上津江町上野田1112-8 MAP
電話:0973-55-1111
AUTOPOLIS HP:https://autopolis.jp/ap/
一瞬で消えゆくものだから…多角的なアプローチで“食の記憶”を心に刻む。[AUTOPOLIS×Snow Peak Glamping /大分県日田市]
オートポリス × スノーピーク グランビング至上の食体験を実現するため、一瞬一瞬に情熱を注ぐ。
「一度限り、二度と同じことはしないというのが好きです。あの日、あの時、あの場所で、あの人と、って。振り返った時に立体的に思い出せるような要素を、料理そのものだけではなく、過ごした空間全体に散りばめられたらと。その記憶のなかに料理のことも出てきたら嬉しいですね。」
そう語るのは、料理家・食空間演出家である大塚 瞳さん。世界中を旅しては様々な食文化に触れ、大学時代から料理を学んできました。自身の店は持たず、出張料理人として気に入った土地で期間限定の食空間をプロデュースするスタイルを10年以上続けてきたと言います。
今回の舞台は、サーキット場のインフィールド。スノーピーク社のハイスペックな特設キッチンで、この日のためだけに考えたメニューを作り上げていきます。
大分県日田市にある「オートポリス」。熊本県との県境にあり、阿蘇の大自然に囲まれたこのサーキットで、アウトドアブランド・スノーピークとのコラボレーションにより1日限定のグランピングイベントが開催されました。招待されたゲストは10名、1泊2日の間で口にする夜・朝・昼の3食を大塚さんがすべてプロデュースしたのです。
【関連記事】AUTOPOLIS×SnowPeak Glamping/山懐に抱かれた奥日田のサーキット場で、一夜限りの非日常体験を。
オートポリス × スノーピーク グランビング唯一無二の器で、料理そのものをより深く印象付ける。
「“山の上のサーキット”という記憶を引き立ててくれるアイテムが欲しい。その想いから、特別な器を用意しました。」
普段から窯元との付き合いが多い大塚さん。彼女が今回製作をお願いしたのが、現代の有田焼を代表する「李荘窯業所」の四代目、寺内信二さんでした。出来上がったのは、なんとサーキットをイメージしたという、アルファベットの“C”の形をした陶器。斬新なデザインに無駄のない流麗なフォルムで、表面に薄っすらとサーキットの傾斜がついています。大塚さん自らが実際にドライバーの横に座り、サーキットでの走行を体感して閃いたことをすぐに寺内さんに相談。そのイメージを、寺内さんが見事に具現化してくれたのです。
“El banquete cielo estrellado”、スペイン語で“星空の晩餐会”と題された夕食のコンセプトは、この器から生まれたのだと言います。一体どんな料理を合わせたら素敵だろう? そう考えた時に思い浮かんだのが、スノーピークの新商品である「雪峰苑 たこ焼きプレート」。たこ焼きだけでなく、これでアヒージョを作って、“C”のプレートに盛り付けたら素敵ではないか。ならばスペイン料理にしよう! せっかくならたこ焼きもスペイン風に仕立てて…と、そこからは連想ゲームの如く次々とアイデアが湧いてきたそう。
アウトドアだから、グランピングだからといった外枠からではなく、食材や器、調理器具からインスピレーションを広げていく。即席の調理場、しかも屋外という制約のなかでも、大塚さんがクリエイティビティを発揮して伸び伸びと料理できたのは、スノーピークによる盤石のサポートがあったからだと感謝を滲ませました。
「自分の家みたいなキッチンを作ってもらいました。作業台も、ピッタリ背丈に合ったものを瞬時に測って組み立ててくれて…思うように作れたのは皆さまのおかげです。」
オートポリス × スノーピーク グランビング全国を訪ね歩き、巡り合った食材のみを使用。
器はもちろん、大塚さんの食材に対する熱意は並大抵のものではありません。使うのはすべて、自分の足で訪ねた生産者の旬のもの。1食の料理には数多くの生産者が関わっているそうです。野菜から肉や魚、調味料まで、これまで全国各地を巡った数は数千軒に及ぶと言います。
食事の際、手元に置かれたカードにはメニュー名ではなく、「和牛」「鴨」「真菰筍」「栗」などの食材名が書かれていました。
「文字で見る品書きは、私自身なかなか覚えていられないもの。一期一会だし、今日何を食べたかということではなく、また来年この季節になった時に、旬の食材が何だったかを思い出せる方がいい。ご自身で、また違う料理になって楽しめるように。私も生産者のことを食材で記憶していて、時が来たら連絡をするから。」
ここにもゲストの“食の記憶”へのアプローチと、巡り合った生産者への想いが感じられました。
オートポリス × スノーピーク グランビング饗宴から一夜明け。胃に染み渡る、爽やかな朝餉。
山海のアヒージョとスペイン風たこ焼きを皮切りに、デザートまで全9種の美食と美酒に酔いしれた晩餐会。一夜明けて、朝食の席に用意されていたカードには“一日之計在於晨”の文字が。日本語の意味は“新しい一日の始まりに”、そしてまさにその言葉どおり、滋味あふれる台湾式の朝食がゲストの目覚めとともに供されました。
オートポリス × スノーピーク グランビング夜・朝・昼の3食を10人で共にしたという、かけがえのない思い出。
「旅先の宿泊って大体夜と翌朝の2食でしょう? それが、一人の人の1日、夜にはじまり、翌朝、そして昼。その3回の食事を作るということは初めての経験で、今回の醍醐味の1つでした。」と語る大塚さん。お昼時、チェックアウト後のゲストに最後に振る舞ったのは、なんとインド料理。スペイン、台湾、インドと大胆に毛色を変え、“アウトドアの食事”という概念を軽々と飛び越えてみせました。
「どんなに綿密に準備して頭の中で描いても、本番はいつも想像以上に美しい。今日、偶然にも一緒になった人達が1つの食卓を囲む。幕があけた途端に終わってしまう一瞬の出来事。見たかったのはこの景色だったなと。寂しいですが、ゲストやスタッフを含め24人で共有した今日という日を、私はいつまでも覚えていると思います。」
瞳を輝かせながら語る彼女の表情は、しかし寂しさよりも充足感に満ち満ちていました。次はどこで何をやるのか? の問いには「さあ、言葉も通じないような国にでも行ってみましょうか。」と飄々とした答え。突如現れては幻のように消えゆく食空間を創り出した大塚さん。その姿はまるで砂上を征くキャラバンのよう。でも、“食の記憶”は、彼女の料理を食した人々のなかで永遠に生き続けていくのです。
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1981年福岡生まれ。出張料理人として、気に入った土地に数日限りの食空間を演出するイベントプロデュースを10数年間行い、器と食材をつなぐ役割を果たしている。またケータリングをはじめ、店舗、旅館、県特産品のメニュー開発プロデュースなども行う。
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伝統をもっと身近な存在に。しなやかな感性で津軽系こけしの明日を紡ぐ、親子2代の物語。[TSUGARU Le Bon Marche・阿保こけしや/青森県黒石市]
津軽ボンマルシェ・阿保こけしや津軽でずっと愛されてきた、こけしを今日も作る。
たった一片の木材がまるで魔法にかけられたように生気を帯びていく──。
『阿保こけしや』の工房で目の当たりにした流れるような一連の作業がそれです。刃の幅や刃の反り返る角度が異なる7本のノミを巧みに使い分け、あるときは真っ直ぐ、あるときは斜めから器用に押し当てて、一気に頭と身体を形作っていく。辺りには、木を削る摩擦音と、轆轤のモーターが低く唸る振動音だけが響き、緊張感が漲っています。最後はヤスリで白く、すべすべの肌に。成形が終わると、一気に空気が弛緩しました。
「人間は八頭身が美人だけど、こけしは四頭身。このバランスが良いんだ」
作業の最中からは一変、同じ人とは思えないほど、クシャクシャな笑顔と柔らかいオーラを放って阿保六知秀(むちひで)氏が笑いました。六知秀氏は半世紀以上のキャリアを誇る「青森県伝統工芸士」。黒石の温湯(ぬるゆ)温泉で明治の頃から愛されてきた、「津軽系伝統こけし」を作り続けています。傍らで同じオーラをまとって微笑む子息の正文氏もこけしを作る“工人(こうにん)”。父の工房に入ってすでに15年が経っています。
「色を付けるトコはお客さんに人気だな」と六知秀氏。今度は轆轤線を入れる作業を始めるよう。昨今、こけしは“こけ女”に象徴される通り、人気を博しており、この工房へ見学に訪れる観光客も増えたとのこと。そんな愛好家たちに好評な行程なのでしょう。真顔に戻り、塗料と絵筆を用意しました。
紫・黄・緑・赤・墨。この5つが伝統的に使われてきた色。轆轤を再始動して、ツーッと線を引いていきます。津軽系は「意図的に赤をメイン」にしてきた伝統があり、ほかにも、一本の木から作る、津軽藩の牡丹を映す、「ねぶた」や「だるま」に範をとった文様も描く、といった特徴があります。おかっぱ頭に、裾広がりの足元も津軽系の個性。
「『飽きないの?』ってよく聞かれるけど、同じ行程を同じように繰り返しているわけじゃないんだ。いつも『色をちょっと変えたら、もっと自分のカラーが出せるかも』『形をちょっとだけ変えてみたら、どうだろう?』って考えながら作ってきた。日々の積み重ねの中で、少しずつ変えていくことで、『もっと売れるこけしが作れないか?』。そういうことをずっとやってきたんだよ」
常に上を目指してきた? そう六知秀氏に尋ねるとニコッと微笑んで、小さく頷きました。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統を守る一方で、創作にも果敢に挑戦。
もっと売れるこけしを。試行錯誤を繰り返す中で、六知秀氏はこれまで多くの「創作こけし」にも挑戦してきました。例えば、「似顔絵こけし」。依頼されれば、その人そっくりの顔で作るというこけしですが、元々は十数年前、知人の警察官から同僚の退官祝いに贈りたい旨のリクエストを受けて始めたものでした。団体旅行でフラガールの踊りを見た友人の要望に応えたのが「踊るこけし」。
「『地震が来ても倒れないこけしってないよね?』と言われたこともあって、何か、悔しくて。だったら、フラガールを映して、ユラユラと揺れるこけしを作っちゃえって(笑)」
御年69ですが、発想は驚くほど若々しく、柔軟。こけしと同様、伝統を守って作る工芸品に「だるま」がありますが、ビビッドな青で六知秀氏の代名詞ともなっている「阿保ブルー」のだるまは「日韓ワールドカップの年に『何か記念になるものを作ったらどうか?』と地元のサッカーファンに言われ」始めたものでした。虎柄のだるまは「阪神タイガースが優勝した年の記念」。このアイデアは以降、毎年の干支を移す「干支だるま」としてシリーズ化されていきます。
「青森は東北楽天イーグルスだから、いつ発注が来ても大丈夫なように、もう臙脂色は配合してあるんだ。今のところ、注文はないけど(笑)」
ニコニコしながら見せてくれた瓶には、あのクリムゾンレッドがありました。
創作する心は、正文氏にもしっかりと受け継がれています。弘前『green』で限定販売された月替わりのこけしは氏の代表作。今、正文氏は父よりも積極的に創作に取り組んでいます。
「元々は東日本大震災の後で客足が滞ったとき、何か、人目を引く方法はないかと始めたのがきっかけでした」と正文氏。その際、創り出したのが、りんごのこけし。津軽の特産品をベレー帽と足元にあしらった作品で、こけしの新しい魅力が表現されていると話題になり、今ではパンダやメロンなど、いろいろなモチーフを取り込むことで独自の世界観を築いています。
もの静かだけれど、芯の強さを感じる正文氏に「跡を継ぐ決心はいつから?」と聞くと、すぐに「小さい頃から」と答えました。それを聞いて六知秀氏も嬉しそう。しかし、「継がないかもって感じた頃もあったよ。ヤバいかもって(笑)」。そう振り返りました。
津軽ボンマルシェ・阿保こけしや以心伝心。並んで黙々と作業する父子の強い絆。
「『継げ』って命じて、始めたあとで『言われたから継いだんだ』とは絶対に、言わせたくなかった」と六知秀氏。伝統を継承する親子2代の物語は六知秀氏が津軽系こけしの普及に生涯を捧げた故・佐藤善二氏の内弟子となった昭和41年に遡ります。12年の修行を終え、六知秀氏が自宅に工房を開いたのは昭和53年のこと。それから5年ほど経って正文氏は生まれました。
「小さい頃から絵を描くことは好きでしたし、父の仕事ぶりもずっと間近で見てきました」
早くから意志を固めていた正文氏でしたが、高校卒業後、「急に『大学に行きたい』と言い出した」ことで、六知秀氏は気を揉み始めます。
「入ったのが弘前大学ですよ。専攻した学問の実力を発揮したくなって、卒業後は東京に行きたいと言い出したら、どうしようって。回りにも、『何年かで必ず帰ってくる』と東京に行って、結局、戻って来ない長男もいるからね」
けれど、継ぐことは強要したくない。そこで、六知秀氏が講じた手段が「工人募集」の貼紙でした。
「卒業のタイミングであえて求人広告を出しちゃった(笑)」
六知秀氏は本当にチャーミングな人なのです。工人として一目置かれる存在でありながら、偉ぶることは少しもなく、笑顔でこけしの魅力を語り、楽しませるため、ジョークも発する。正文氏もきっと、そんな父の姿勢に共感し、敬愛の念を抱いてきたのでしょう。継ぐことは自然な流れでした。「三つ子の魂百まで」。そんな諺を思い出します。
ふたりが並んで轆轤を回し、ノミで削る、この工房はいわば第二段階の作業スペース。仕上げの第三段階は、個々で別の作業スペースを構えており、木を切り出す第一段階は、この工房の裏手にある作業所で主に正文氏が行っていますが、「仕事はいつも一緒にしている」意識をふたりで共有しています。「性格はよく似ていますよ」と父が言えば、息子も「父が何を言おうとしているのかは雰囲気でわかります」と答える。阿吽の呼吸とはまさにこのことで、今は父子が揃って始めて『阿保こけしや』なのだと実感しました。
津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統の担い手として、父子で明日を見据える。
こけし作りもいよいよ最終段階。普段は「集中したいからあまり人に見せない」六知秀氏の仕上げを特別に見せてもらうことになりました。正文氏が絵付けを行うスペースは奥様やお子様と暮らす近所の自宅に設けていますが、六知秀氏の現場はこの工房の2階に。畳敷きの一室に専用の座卓が置かれています。
「目は今も一番、緊張する」
そう言って、真剣な面持ちになります。卓上には20本ほどの絵筆がズラリ。右手でおもむろに一本を取り上げて、筆先に軽く墨をつけたら、呼吸を整えます。スーッと小さく息を吸い、フーッと吐いてから息を止め、指先に神経を集中。静寂。まず目の輪郭を上、下と描きます。左ができたら右へ。今度は眉毛。同じように左から右へ流れるように筆を走らせたら、鼻と口。六知秀氏の眼光がますます鋭くなりました。最後は瞳。こけしに生命が宿る瞬間です。生まれた──漏れる、安堵の吐息。見ているこちらも思わず拳を握り締めていました。
「気分が乗っているときは、バーッと10体ぐらい、目を入れることもあるよ」
一変して、柔らかい笑顔。しかし、その目の奥で、揺るぎない誇りに似た何かが光っていました。
最初に木片を加工してから一週間。効率を図るため、成型する日と絵付けする日を別にして、計2日というワンセットを繰り返し、今は週に約70体を作っています。かなりの量産体制。すると、六知秀氏が言いました。
「『もったいぶるな』というのが私の師匠の教えなんですよ。2体で高価でなく、10体で安くが基本。そのために『8時間フル回転で作れ』。そう言われてきました。少しでも安くできれば、いろいろな人にこけしが買ってもらえる」
それが六知秀氏の根本的な思想でした。安く作り、できる限り多くの人にこけしに触れる機会を設け、こけしに慣れ親しんでもらう。創作に挑むのも、たくさん売りたいと願うのも、津軽系伝統こけしの底辺を広げたいから。それは正文氏も同じ。創作こけしに積極的であるだけでなく、もう10年も、黒石市が事業主体の『津軽こけし館』に出向き、館内で披露される製作実演を週に3、4回は手伝っているのです。すべては津軽系こけしの伝統のために。
「息子は伝統と創作を半々ぐらいの割合でやっているんじゃないかな。私は、ずっと作る伝統のスタイルが5体あって、その次の6体目に創作こけしという位置付け。創作こけしは6体目も買ってもらいたい一心で始めたこと」
ただ伝統を守るだけでなく、ずっと続く津軽系こけしの未来も見据えて。父子の物語はこれからも続きます。
住所:青森県黒石市大字花巻字花巻34-3 MAP
電話: 0172-54-8865
営業時間:8:00〜16:00
定休日:無休
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)