飄々と楽しく。自然と共生する農家本来の暮らしを、令和の津軽で実践する。[TSUGARU Le Bon Marche・岩木山麓しらとり農場/青森県弘前市]

美しく実ったパプリカを前に、優しく微笑む白取克之氏。黄色くなった実は熟すにつれてオレンジ色に変化し、最後は赤くなる。収穫のタイミングをずらせば、色を変えて出荷できるから「重宝する品種(笑)」。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場岩木山の頂を日々、仰ぎ見ながら。広大な大地で多くの品目を栽培。

風が吹けば、ザザーッとさんざめく木々。日中でもどこか仄暗い森の向こうに、その農場はありました。突如としてバッと開けた大地の涼やかな空気を嗅いだ瞬間、こんな言葉がふと脳裏を過ります。理想郷。ほどなくして手押しの農機がガタガタと大きなエンジン音を響かせて、こちらに近づいてきました。
「あれ? もうそんな時間かな」
浅葱色のポロシャツに白い長靴がよく似合う、この人こそが農場主。『岩木山麓しらとり農場』の白取克之氏です。
「まずは畑を見るかな」
誘われるがまま、後を追います。
「今、なっているのはインゲン、レタス……それから自家用だけど、プルーンとスモモ」

農場は名の通り、岩木山の麓に広がる北東の斜面にあり、面積は1町6反とのことですから、サッカーコートが優に2面は取れる広さ。40品目に迫る数の野菜や果物を育てています。中にはトマトなど、複数の品種を植える作物もあって、「全部で100種近くになるかもしれませんね」と白取氏。
「これはチェコのパプリカで在来種。チェコでビールを飲んだとき、ピクルスで出てきてスゴく美味しかったんですよ〜。これは『絶対に作らなきゃ』って今年、初めて作ってみました」。飄々と楽しげに語ります。

以前、『澱と葉』の川口潤也氏から「お会いしたことはないですけど、白取さんという津軽の農家さんの間ではカリスマ的な存在の方がいます」と聞いたことがあって、勝手に、無口で孤高な聖人をイメージしていましたが、実際は拍子抜けするほど、人懐っこくて温厚。サービス精神も旺盛でした。
「ほら、これ! 熊の足跡。今年はトウモロコシがやられちゃった。まだ会ったことはないけど、毎晩、出てるみたい」
そんな説明している間も笑顔を絶やしません。では、なぜ、白取氏は津軽の人々から尊敬されるのか? それは、農場のこれまでを知ると、よくわかるのです。

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岩木山の裾野に広がる農場の美しい夕暮れ時。

このパプリカもチェコの在来種。

白取氏を追って、ずんずんと農場の奥へ。こちらの畑ではジャガイモやサツマイモのほかに、「うどん用の小麦を作っています」。麦は麦茶用の大麦も栽培する。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場理想の農場を作るために、木々が生い茂る原野を切り拓く。

「今、振り返ると必死だったんでしょうね」
目を細めて白取氏が周囲を見渡します。1町6反の農場は、何と、白取氏が自力で開墾した大地でした。
「丸6年かかりました。開墾だから当たり前なんだけど、妻と一緒に、朝早くから日暮れまでやっていた。木を1本1本、トラクターやスコップなんかで抜くんだけど、ノウハウがあって、全方向から少しずつ引っ張る。太い木だと1日に2〜3本が限界でした」。

開墾を開始したのは今から16年も前に遡る、2003年のことでした。始めるにあたって、大きな役割を果たしたのが白取氏の義父。
「岩木山で土地を探したら、ここしかなくて。ほら、遠くに森が見えるでしょ? ああいう状態。そしたら、あるとき、義父が来て『ここは良い。沢が流れている』って。妻も『良いんじゃない?』ですからね。やるしかないよ〜(笑)」
義父は戦後、北海道に入植した開拓酪農家。自身は水がない土地で苦労したから「水さえあれば何とかなる」。そう言ったそう。
そこまでして農家になりたかった理由を白取氏に尋ねると、間髪入れず「好きだから」と答えました。小学生の頃から就農しか、頭にありませんでした。
「小3ぐらいから家の花壇で土を耕してエンドウとか白菜とかを育てていましたよ。学校に行くより、野菜を眺めている方が好きだったなぁ」

志を抱いて大学の農学部に進みますが、座学も多く、「全然、農家になれないじゃん(笑)」と思って一年、休学。その間に研修で訪れた酪農場が北海道・旧瀬棚町にある義父のところでした。
「糞をスコップで一輪車に乗せて牛舎の外に出す作業も、私はね、『これがしたかった〜』って興奮しながらやってました(笑)」
そこで今の奥様と出会うわけですが、就農一本で真っ直ぐに歩んできた白取青年にとってもうひとつ、今を決定付ける出合いがありました。それが、一緒に働いていた女性スタッフの薦めで読んだ一冊の自然農の本。
「読んでみて、最初は本当かなぁって思いました。半信半疑だったから、現地まで見学に行くことにしたんです。そうしたら……衝撃を受けました」

原野を切り拓き、開墾した農場の全景。自宅の背後にも敷地は広がっており、かなりの面積がある。

敷地の縁に佇む。白取氏の後ろに広がる森がこの土地の元々の姿。この森をならしたというから驚く。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場本来の美味しさを共有したい。固定種・在来種にこだわって栽培。

著者の川口由一氏は土を耕さずに野草や虫を味方につけ、自然の力を活かして作物を育てる「自然農」のパイオニア。見れば確かに、白取氏の畑にも緑が生い茂っていました。
「ここはブロッコリーだね。収穫を終えたら、そのまま伸ばしっ放しにして、勝手に生えてくる野草もそのままにして、時季が来たら全部、倒すんです。そうすると、草がカバーのようになって土の中の微生物やミミズを守ってくれる。草で土を肥やしていくという感じですかね」
自然農と並行して自家採種も実践しています。食べて美味しい物から種を採り、次世代として育て、また次の世代へ。そういうサイクルを繰り返してきました。今や果菜類はほぼ100%が自家採種で育てています。
「このトマトはね、就農二年目から勝手に生えてきたの。最初は大玉だったけど、代を重ねていったら、今はこんなミニトマトみたいなサイズになっちゃった」
瑞々しくて、味が濃い──そのトマトを試食して感想を伝えると、「でしょ〜」と白取氏も嬉しそう。

今度は足元のケースを指差しました。
「ほら、このキュウリ、全部、長くて真っ直ぐでしょう?」
整然と並ぶキュウリは大きく、黄色く熟れています。この実から種を採る。「こういう実だけを選別していたら全部、同じ形になりました。けどね、純系にし過ぎると、今度は発芽や成育がスゴく悪くなるんですよ。難しいよね。今は長くて真っ直ぐが10株なら、そこに1株だけ、普通のを混ぜるようにしています」

『しらとり農場』では自然農のほか、「草をできるだけ刈って」酒粕などが原料の肥料を与える有機栽培なども行っています。それは川口氏の『赤目自然農塾』を皮切りに、北海道・厚沢部の『須賀農場』、埼玉・小川町『霜里農場』など、早くから有機栽培に取り組む農家の下で、白取氏が研鑽を積んできたから。「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則氏の農園にも通って学んだ時期があります。その誰もが自然との共生を目指す、白取氏の師匠。いろいろな栽培法を学んできたから今があるのです。
「どんな野菜を、農場のどの場所で栽培するかに応じて変えています」。いろいろな栽培法を実践していますが、そうする理由はただひとつ。
「美味しいものを作るため!」

昔ながらの固定種だけを育てているのも、それが白取氏にとって理想的な美味しさを宿しているから。きっと、それは尊敬する師匠たちも同じだったのでしょう。
「有機って、安心・安全を一番に謳う場合が多くて、ウチも無農薬が大前提だから、安心で安全なんだけど、そんなことよりも、美味しいんですよ。きっと、私はただ自分が食べた感激を皆にも味わって欲しい、そう思ってるだけなんだろうなぁ」
夕暮れに染まる岩木山を眺めながら、今度は独り言のように呟くのでした。

熟したキュウリから種を採る。鎌で実を半分に割った瞬間、青い匂いが周囲に立ち込める。「いい香りですね〜」。

農場の端を流れる沢で、キュウリの種を覆うゼリー状の部分を洗い落とす。「こうして水を少しバケツに入れて、浮いてくる種はダメ。沈んでいれば、その種は充実している証拠」。

これは茶色く乾燥したニンジンの花。ここから種を採取して、次世代として育てる。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場自然のサイクルの中に毎日があるという贅沢な暮らし。

すっかり暗くなり、辺りがシンと静まり返った頃。
今日の作業を終えた白取氏はリビングにいました。趣味はチェロ。夕食前のゆったりしたひとときにジーンと温かい音を響かせています。傍らでドカドカと元気に走り回るのは小学生の子供たち。同じ室内には黙々と読書をする若者の姿もありました。

彼らは白取氏を手伝う農業研修生。一年間、住み込む者、日中だけ通う者、スタイルも様々ですが、国籍もいろいろ。
「今は地元の子だけでなく、カナダとフランスからも来ていて、総勢で6名ほどが農作業だけでなく、就農に必要なノウハウまで学んでいます。」壁には炊事などの分担を、各人の名で曜日別に示すホワイトボードがありました。

「以前、イタリアの子が手伝いに来てくれていたことがあったんですけど、その子が『祖母直伝』って小麦を練るところから作ってくれたラザニア、あれ、旨かったなぁ。私ね、来た子たちから教わった秘伝の味をレシピ集にしてまとめているんですよ〜。あ!」
突然、思い出したように立ち上がります。
「今日は私が晩ご飯の当番だ!」
慌てて、キッチンに行き、あれこれ、今ある野菜を確認します。
「小松菜は炒めようかな?」
キッチンの一部に未完成と思われる部分があって尋ねると、農場の中央に建つ、この家も自らが作ったとのことでした。「いえいえ、全部じゃないですよ。柱と屋根は専門家に組み立ててもらって、あとは自分で作っているというだけです」
お米を研ぎながら答えます。
「料理を作りながら、ビールを飲む。これが最高の瞬間なんですよ〜」

自然の営みの中に自らを置き、美味しい作物を育てては皆で食卓を囲む。これこそが人間本来の生活なのかもしれません。そして、何より、楽しんで今日を暮らしている。やっぱり、ここは理想郷なのでした。

チェロは学生時代から続ける趣味。東北一円の農業関係者で構成される「東北農民管弦楽団」では代表を務めており、毎年一回、冬の終わりに「東北のどこかで」定期演奏会を開いている。今は農閑期に始まる合同練習に向けて準備する時季。第7回は来年3月に花巻でベートーベンの「第九」を演奏する。

採取したキュウリの種。バケツの中の水に沈んだ充実した種でこれらを古紙の上で乾かし来年、蒔く。

トマトを頬張る。できた作物はすべて個々で契約する会員に配送。

住所:青森県弘前市百沢東岩木山428 MAP
電話:0172-93-2523
岩木山麓しらとり農場 HP:higashiiwakisan.blog.fc2.com


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