桃のような口溶けと上品な甘み。高級西洋なし『ル レクチエ』の魅力を、料理で表現するために。[ル レクチエ/新潟県新潟市]

『ル レクチエ』の産地を訪ねて新潟に飛んだ藤木千夏シェフ。そこで出会った生産者との話がメニュー開発の起点になる。

ル レクチエ『ル レクチエ』の魅力を伝えるべく、立ち上がったひとりの料理人。

『ル レクチエ』という品種の西洋なしをご存知でしょうか。
初冬の一時期、高級果物店の店頭でまるで宝石のように大切に陳列されている山吹色の西洋なしがあれば、きっとそれが『ル レクチエ』です。桃のようになめらかでとろける食感、高い糖度と爽やかな味わい、鼻孔をくすぐる芳醇な香り、そして大ぶりで見事な形。近年、お歳暮に贈るフルーツのトップに君臨する希少で貴重な西洋なし、それが『ル レクチエ』なのです。

その噂を聞きつけ、そして『ル レクチエ』の魅力をさらに広めるべく、今回ひとりの料理人が立ち上がりました。その名は藤木千夏さん。恵比寿の一軒家レストラン『Umi』でその名を轟かせ、インテリアショップ『Francfranc』が手掛ける新たなライフスタイルブランド・白金台『A L’AUBE』のカフェの監修を手掛け、そして今さらなる飛躍を目指す藤木シェフが、『ル レクチエ』のポテンシャルをすべて引き出す料理作りに挑むのです。
目指すのは、そのまま食べる以上の果実感。高い次元で完成された『ル レクチエ』という食材をどう捉え、どう表現するのか。さまざまな期待を背にした藤木シェフは、まず産地である新潟へ飛びました。

10月半ばの『ル レクチエ』の様子。ここから収穫して40日に及ぶ追熟に入る。

ル レクチエ素材ファーストを徹底する藤木シェフ。その思いの厳選をたどる。

素材を大切にする藤木シェフが料理を考案する工程は、まず食べることから始まります。それもただ取り寄せた食材を試食するのではありません。「いつもスタッフにも伝えているのは、モノをモノだと思わないこと。その食材が目の前にあるのが当たり前だと思わないこと。食材は自然といろんな人やコトが関わり、いろいろな思いが込められて、ようやくできあがったものですから」と藤木シェフ。味や食感だけでなく、そこに込められた気持ちまで探すように、大切に食材を味わうのです。そんなスタンスの根源を理解するために、藤木シェフのヒストリーを少し紐解いてみましょう。
福岡県柳川市という有明海沿いの町で生まれ育った藤木シェフは、幼少期に共働きの両親にかわり多くの時間を 祖父母と過ごしました。祖父母はお米やお野菜、養豚場を営む農家で、祖母はおやつも全部手作りする人。そんな祖父母との経験からか、幼い頃から「料理人か看護師、それか医者。命に携わる仕事に憧れたんです」といいます。

やがて家族の希望もあり医療関係の高校に進んだ藤木シェフ。しかし学ぶうちに料理への思いが膨らみます。そんな折にTV 番組や本で目にしたフランス料理。「人の手でこんなキレイなモノが作れるんだ!」と感動した藤木シェフは、高校卒業後に上京し、レストランでアルバイトをしながら調理師専門学校へ通いました。「遊ぶ時間は 一切なかった」という時代です。やがて藤木シェフはアルバイト先を『ホテルオークラ』に移し、卒業後は同ホテルに就職。東京、福岡5年の修業を経て、24歳でフランスに渡ります。それも「気になった店にひたすら手紙を送り働きたい旨を伝える」という力技の渡仏です。
記録的大雪の初日、森の中の道を通った日々、友達との出会いと別れなど「毎日がドラマだった」というフランス修業時代。しかしそれは得難い経験でした。帰国後『銀座ロオジエ』などでさらなる修業を積み、2014年、28歳で再び渡仏。『Restaurant Sola』でスーシェフを務め、帰国後は『Umi』のシェフに就任します。

そこで大切にしたのは、ひたすら走り抜けてきた修業時代に、あるいは大きな愛に包まれていた幼少期に育んだ食への思い。「小さい店だからこその伝え方で、おもてなしをさせていただきたい」。気になる食材があれば、確かめに産地へ 向かう。高級な食材でなくても、生産者の心が通ったものなら積極的に取り入れ料理する。それが今も昔も変わらぬ藤木シェフの思いなのです。
だから新潟に降り立った藤木シェフの目は真剣そのものでした。取材の数日前に襲った大型台風で手塩にかけた果実が数多く落ちてしまったと聞けば、なおさら。

「食材に込められた心やストーリーを忘れてはいけない」と繰り返す藤木シェフ。

農産物直売所などにふと立ち寄っても、気づけば真剣に食材探し。それが藤木シェフの日常。

ル レクチエ丹精込めて『ル レクチエ』を育てる新潟の若き生産者。

出迎えてくれた『ヤマヨ果樹園』の小柳和輝氏は、スマートな若者でした。聞けばかつて東京で美容師として働き、10年前、23歳で新潟に戻り家業を継いだのだといいます。「10年経っても、1年サイクルのそれぞれの作業は10回経験しただけ。今でも勉強と試行錯誤の日々です」という小柳氏。同じ東京を経験し歳も近い藤木シェフは、その言葉に真剣に耳を傾けます。
「そもそも『ル レクチエ』が高級であるのは、栽培が難しく市場に出回ることが少ないから。明治36年にフランスから『ル レクチエ』が伝わった新潟でも、栽培農家はそう多くありません。『ル レクチエ』の難しさは、実ったままでは完熟しないため、収穫してから一定期間熟成させる追熟が必要なことにあります。無論、熟成をかけたままでは腐ってしまいますし、樹に成ったままにしていても実が落ちてしまいます。そして追熟が終わり実が黄色くなったら賞味期限は1週間しかありません。つまり果樹園にある『ル レクチエ』をほぼ同じタイミングで収穫し、全体のバランスを見ながら追熟をかけ、一定の期間内に出荷しなくてはならないのです。その期間とは例年11月25日頃に出荷開始、12月15日には終わる3週間。その3週間のために1年かけて育て、いっときも気を抜くことなく追熟をかけるのです。もちろん追熟だけでなく、1月の剪定から春の摘蕾と花粉付け、初夏の袋掛け、晩秋の収穫まで、気を抜く間はありません。45アールの敷地に4万個成る実を、ほぼ手作業で愛情込めて育てるのです。」

小柳氏の思考はロジカルで、『ル レクチエ』栽培に必要な作業を合理的に判断します。しかし話を聞くにつれ、論理だけでは説明できない精神論、つまり『ル レクチエ』への誇りが垣間見えてくるのです。次々と質問を投げかける藤木シェフにも、きっとそんな思いは伝わっていたのでしょう。

高齢化が進む生産者のなかにあって若手の小柳氏。他の生産者と意見を交換しながらさらなる進化を目指す。

杉板と土壁で温度、湿度を調整する熟成蔵。最盛期にはこの蔵の中が満杯になる。

温度管理の方法や出荷の見極めなど、追熟のこだわりを熱心に聞く藤木シェフ。

ル レクチエ生産者との話を通し、藤木シェフに浮かんだ数々のアイデア。

収穫後約40日間の追熟作業が必要なため、取材時に果樹園の現場で生の『ル レクチエ』を試食はできませんでした。しかし藤木シェフは「来てよかった」といいます。食材そのものだけではなく、そこに潜む物語や生産者の心を見つめる藤木シェフ。小柳氏と話をしたことで、その思いをしっかりと受け止めたのでしょう。

小柳氏が用意してくれた『ル レクチエ』のジュースとペーストを試食しました。「キレイな優しい味がします」それがジュースを試飲した藤木シェフの第一声。「加糖なしでこの甘味はすごい。温めてみたらどうだろう? 果実を焼いてみたら? スープにしたら? いろいろと浮かんできます!」そう話す藤木シェフ。
この後、追熟が完了した『ル レクチエ』を送っていただき、試食してから実際の料理試作に入る予定ですが、すでにシェフの頭には複数のアイデアが浮かんだよう。「フレッシュなル レクチエを使って、それが付け合せではなく主役になる何かを考えてみたい」藤木シェフはそう語りました。

食材とそこに潜むストーリーを大切に料理を仕立てる藤木シェフ。そんなシェフが仕立てる『ル レクチエ』メニューがどうなるのか、その正体は未だわかりません。しかしきっとそれは誇りと愛情を持って『ル レクチエ』を育てた小柳氏も喜ぶ、心の籠もった料理になることでしょう。2019年11月末日までは『Umi』にて、12月中旬までは『À L'AUBE』で提供される、まだ見ぬ『ル レクチェ』のデザート。詳細の続報を楽しみにお待ち下さい。

大きなもので700g/玉になる『ル レクチエ』形の良さも贈答品に重宝される理由。

果汁100%のジュースは500mlあたり5~6個の『ル レクチエ』を使用。果実そのままの味が楽しめる。

加工しないフレッシュフルーツを取り入れつつ、他の食材と一緒に食べてベストになる料理を考えたいという藤木シェフ。

住所:〒950-1404 新潟県新潟市南区大郷2460 MAP
電話:025-362-5583
ヤマヨ果樹園 HP:www.niigata-yamayo.net

1984年生まれ、福岡県柳川市出身。高校卒業後に料理専門学校に入学し、在学中から『ホテル オークラ』に勤務、卒業後は同ホテルに就職し、5年間研鑽を積む。24歳で渡仏し、ビストロや星付きレストランで修業、帰国後に銀座『ロオジエ』などを経て、2014年に再びフランスへ渡り、パリの『Retaurant Sola』でスーシェフを務める。2017年に帰国後、恵比寿『Umi』のシェフやカフェの監修などを務める。