3人揃えば賑やかな笑い声が絶えない、日々を楽しみながら伝統を受け継ぐ、刺し子ユニット。[TSUGARU Le Bon Marche・三つ豆/青森県五所川原市]

左から一戸晶子さん、工藤夕子さん、一戸正子さん。集まればいつもお喋りが弾む。雑談しながらも、ひと針ひと針、仕事の手は止まらない。

津軽ボンマルシェ生活の必需品から、芸術作品を生む楽しみへ。

津軽を代表する伝統的手工芸「こぎん刺し」。その歴史は江戸時代からといわれます。当時、北国で暮らす農民にとって、綿は栽培することが難しいため、とても高価なもので、着ることすら制限されていました。日常に使われていたのは麻でしたが、寒さの厳しい冬に、風通しの良い麻の着物では凍えてしまいます。そこで、麻布に綿の糸を細かく刺すことで、布目が詰り、厚みが出て、防寒の役目を果たすという生活の知恵が生まれました。また、ほころんでしまった布の補強をする役目も担っていました。津軽地方の方言では、作業着のことをこぎん(小布)と呼び、藍染の麻布で作られた作業着に、白い糸で刺したことが、こぎん刺しの始まりだったといわれています。それがいつしか多様に美しい図案が生まれ、家仕事をする女性たちの楽しみに変わっていったのでした。

1942年にホームスパンとして設立され、民藝運動の柳宗悦らの勧めにより、こぎん刺しの研究機関となった『弘前こぎん研究所』は、津軽のこぎん刺しを研究・保存し、次の世代へと伝えている重要な機関です。ここでは「モドコ」と呼ばれる伝統的な図案を組み合わせ、布や糸の色は昔に比べてもっとカラフルで自由になり、今の暮らしに馴染むデザインのバッグや小物などが制作・販売されています。こぎん刺しは、その美しい連続的な幾何学模様に魅了された手芸好きな人たちの間で現在も静かに脈々と続けられており、祖母や親から教えてもらう人もいれば、弘前こぎん研究所の講座などで技法を学び、深みにはまっていく人も多いようです。『三つ豆』を立ち上げた工藤夕子さんもその1人でした。

工藤さんは、これまでに津軽ボンマルシェで紹介してきた『スノーハンドメイド』や『KOMO』など、気鋭の作家たちとも交流があり、『パン屋 といとい』の成田志乃さんからは「夕子さんのこぎん刺しには、夕子さん本人の持つ魅力が宿っている。そこに惹き込まれます」と一押しの声を頂きました。どうやら津軽には工藤ファンが多いようなのです。一体どんな人が作っているのでしょうか。

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津軽地方独特のこぎん刺しは、縦糸を1・3・5と奇数の目を拾って刺していくのが特徴。南部地方には偶数の目を拾って刺す「南部菱刺し」という工芸品がある。

津軽ボンマルシェ三つの「豆こ」が集まって紡ぎ出す美しい紋様。

刺し子やこぎん刺しで様々な作品を作り、津軽らしい暮らしの温もりを伝える、女性3人組のチーム『三つ豆』。五所川原にある工藤さんのアトリエを訪問すると、部屋の中からなんとも賑やかな笑い声が聞こえてきました。工藤さんの元に集まっていたのは、母である一戸晶子さんと、伯母の一戸正子さん。3人が仲良くテーブルを囲み、チクチクと針を動かしています。

「週に一回、月曜日は三つ豆の日って決めているの。最初は晶子さんが刺し子でちっちゃいのを作っていて、これいいねって。私も縫うのが好きだったから、じゃあ2人で何か作ろうかってね」。
と正子さん。
「正子さんは刺し子上手だったから、教えてもらったりして。そのうち夕子がこぎん刺しを始めて、それじゃあ3人で一緒にやりましょうよ、ってなったのよね」。
と晶子さん。お互いに教えあったり、色や柄を褒めあったり。ほのぼのとした雰囲気の中、時には娘や孫も加わって、他愛のないおしゃべりを楽しみながら、手はせっせと動かし、すいすい作業が進みます。

正子さんと晶子さんが作っているのは、主に刺し子の布作品。刺し子はそもそも日本に古くから伝わる伝統的刺繍で、全国各地で作られていますが、特に東北地方で作られたものが、広く知られているようです。藍染布や、白い晒し布に綿の糸で様々な模様を刺していくのが基本。刺し方に法則のようなものはありますが、こぎん刺しほど目は細かくなく、もっと大らかで大胆な色の組み合わせができることが特徴です。選ぶ色によって雰囲気もガラリと変ります。刺し方には様々な名前が付いており、「麻の葉」「矢羽根」「青海波」などの伝統模様があります。2人がよく作っているのは「紫陽花」というもので、たくさんの紫陽花が満開に咲いたような、可憐で華やかな印象の刺し子です。

そして刺し子の中でも「日本三大刺し子」と呼ばれる、より複雑な技法の一つがこぎん刺し。こぎん刺しの作品は主に工藤さんの担当です。こちらも伝統的な図案には名前が付いており、「花こ」「てこな(蝶々)」「猫の足」など、なかなかユニーク。生活に身近なものを表した名前が数多くあります。実は『三つ豆』というユニット名も、その基本的な図案の一つである「豆こ」に由来しています。豆ことは、ポツンとまあるい、シンプルな刺繍。3人が集まって、わいわい手仕事しているところを工藤さんの夫が見つけ、「まるで三つの豆こみたいだな」と冗談で言ったことが始まり。小さくてシンプルな3つの豆が、繋がることで驚くような美しい模様を生み出し、無限の広がりを見せる、そして親から子へ、家族から仲間へ、様々な人の繋がりも生み出していく、そんな可能性を感じさせてくれる、とても素敵な名前です。

工藤さんの母、一戸晶子さんが作った刺し子作品。布巾とのことですが、色の合わせ方が絶妙で、額に入れて飾りたくなるような美しさ。晶子さんは元数学教師で「私数字には強くて、刺し子にも役立つのよ」と笑う。

コースターとして使えるよう、小さく作られたものも。色の組み合わせを考えるのが何よりの楽しみ、という正子さん。孫がアイデアを出してくれることもあり、そんな時は新しい発見があるとか。

津軽ボンマルシェ人との出会いが道を作り、思わぬ方向へ広がっていく。

工藤さんは、子供の頃から手作りすることが大好きだったといいます。手芸好きな母の晶子さんに教わり、小学生の頃からクッションやバッグなどを作っていました。妊娠中は、生まれてくる子供のために服も作っていたそうです。そうこうするうちに自然な流れでフリマやハンドメイドイベントに参加して、自分で作ったものを少しずつ売るようになっていきました。

「母がこぎん刺しを好きでやっていましたし、自分も津軽の出身だから、いつかやってみたいなとは思っていました。ある時、とある刺繍作家さんのイベントで、こぎん刺しをやってみたい、と話していたら、一週間後に弘前こぎん研究所主催の教室がありますよ、と教えてもらって。そこで基礎を学んだことがきっかけです。以後、こぎん刺しの作品も少しずつ作って販売するようになりました。そうしたら、五所川原のコミュニティカフェで置いてくれるようになったり、金木に『駅舎』っていうカフェ(旧芦野公園駅。太宰治の小説「津軽」にも登場する)があるんですが、そこで展示をしませんかって声を掛けてもらったり。こぎん刺しについては、不思議なことにいいタイミングで誰かしらの導きがあるんですよね。震災後の2012年からは弘前の『集会所indriya』というカフェで教室を始めましたが、それもここの店主が作品を買ってくれたことがきっかけで、やってみたら?と背中を押してくれたんです」。

近年は津軽だけにとどまらず、東京を始め、全国各地で個展やワークショップを開催。パリやニューヨークにも出展するなど、活躍の場を広げています。どれも自分から売り込むというより、周りの人のご縁で緩やかに道が開けてきた、というのも工藤さんらしい人柄を表しているようです。
ここでちょっと余談ですが、そんな工藤さんのもう一つの特技はなんと陸上競技! 体育大学を卒業しているというのだから本物です。今でもマラソン大会に出ることもあるそうで、スポーツ好きで手芸好き、という異色のキャラクターの持ち主。高校時代はジャージを入れるバッグも自分で手作りしていたとか。工藤さん曰く、長時間刺繍をしていると、無性に運動したくなる時が来るのだそうです。

「静と動の融合と言いますか。私にとってはどちらも大好きで大切なこと。両方あるからバランスが取れているんだと思います。手芸に疲れたら走ることでいい気分転換になって、また手芸に集中できるし、肩こり解消にもなりますよ」。
まるで運動部と文化部を行き来するような工藤さんは、細やかな気遣いを見せながらも、さっぱり明るく元気に笑い、バランス感覚のある人。そんな工藤さんのところにきっと多くの人が集まってくるのでしょう。

「津軽の魅力は海も山もあること。何もないようでいっぱいある。ここから海までだって自転車でいけますよ。1時間くらいかな?」と工藤さん。いえいえ五所川原から海まではなかなか遠いですが……さすがスポーツ好き!

モダンで洗練された印象の中に温かみを感じる工藤さんの作品。こぎん刺しは伝統的な図案の他、工藤さんが考案したオリジナル図案を刺すこともある。コギンザシスト(こぎん刺し作家)は日々続々と新しい図案を生み出しているという。

青森ひばで作られた小さな升に入った針山。升は知的障害を持つ方の就労支援施設に依頼して制作してもらっている。

布のバッグや小物を作る弘前の作家・たにさわあいさんとコラボした作品。しっかりした厚手リネン素材に、こぎん刺しのワンポイントがピリリと良いアクセント。

津軽ボンマルシェ名もなき津軽の女性たちの思いを今に伝えたい。

こぎん刺しの魅力とは、まず、誰でもどこでもすぐにできること、という工藤さん。図案の見方さえ分かるようになれば、あとは根気で、どんなに大きなものでも作れますよ、と心強い一言。そして針と糸と布さえあれば、どこでもサッと取り出してチクチク。そこはたちまち自分だけの小さなアトリエに。工藤さんはいつも裁縫セットを持ち歩き、ちょっとの時間も有効に使っています。

「でも何より一番の魅力だと感じるのは、津軽に暮らす女性たちにとって、こぎん刺しは郷土の誇りであるということ。その歴史的背景も忘れてはならないと思います。厳しい生活環境の中から生まれたものですが、そんな中でも模様を作るという楽しみを見つけ、根気のいる作業を続けてきた津軽の名もなき女性たちのことを考えると、なんとも慎ましく、たくましいなあと胸が熱くなります。これは現代においても、女性たちに訴えるものがあるのではないでしょうか。数の法則によって生み出される模様の美しさは無限大、でも美しさだけじゃない部分も伝えていきたいと思っています」。

工藤さんの家系は代々もの作りが好きなようで、2人の娘も手芸好き。こぎん刺しは得意で、家庭科の授業では困っている友達に教えてあげているそうです。母のイベントを手伝ってくれることもある頼もしい存在。家にあるこぎん刺しの本をいつも目にし、作ることを楽しんでいるようなので、工藤さんは特に何も言わず、自然と娘達に引き継がれていくことを、静かに見守っているとのこと。でも娘側に言わせると、こぎん刺しの話になるとつい熱がこもってしまう母の姿があるようですが…。

工藤さんは最近、歴史をたどる面白さを知り、地元である金木地域発祥の「三縞こぎん」についても調べています。こぎん刺しは地域によって刺し方に特徴があり、岩木川を境に東側で作られた「東こぎん」、西側の「西こぎん」、そして岩木川下流地域、北津軽郡金木町を中心に作られた三縞こぎんの大きく3つに分けられます。三縞こぎんは現存するものが非常に少ないため分からないことが多く、大変貴重だといわれます。工藤さんは、ずっと作りたかったという三縞こぎんをつい最近、実際に自分の手で再現しました。古い麻布は硬くて針が刺しにくく難しかった、と話し、昔の人に寄り添って、思いを馳せます。三つ豆の作るこぎん刺しや刺し子に、言葉にならないような惹き込まれる魅力を感じる理由は、時代をしなやかに生きた昔の津軽の女性たちへの尊敬や憧れが、ひと針ひと針に静かに込められているからかもしれません。針と糸が紡ぎ出す優美な模様はたくさんの物語を秘め、手に取る人へ優しく語りかけてくれるようです。

木枠に入った作品は、希少な「三縞こぎん」を再現したもの。右脇は教室の生徒さんたちで1枠ずつ作ったこぎん刺しをコラージュのように繋ぎ合わせた合作。

工藤さんのこぎん刺し用裁縫セット。出かける時もいつも持ち歩き、空いた時間ができたら、さっと広げてチクチク作業する。

ちょっと一息、休憩のお茶タイム。「世間話やテレビの話、身内の話など、話題は尽きないわね」「喋っている時間の方が長いかもしれないわ」と笑い合う晶子さんと正子さん。

http://mitumame-aomori.com/


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)