違う個性が寄り添い合って、ひとつの景色に。雪国で花開く陶芸家夫婦の自由な暮らし。[TSUGARU Le Bon Marché・陶工房ゆきふらし/青森県五所川原市]
津軽ボンマルシェ異なる作風のふたりが共に営む、雪の中の器工房。
以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した「おぐら農園」は、対照的な性格ながら相性はぴったりの夫婦が営む弘前市のりんご農家でした。そんな「おぐら農園」のふたりの友人が、太宰治の生まれ故郷・五所川原市金木町に工房を構える「陶工房ゆきふらし」の陶芸家、猿田壮也氏と猿田千帆さん。長年一緒に作陶を続け、同じ土、同じ釉薬を使用するふたりですが、こちらも小倉家同様、対照的なタイプの夫婦。その作風は大きく異なります。
夫の壮也氏が手掛ける作品は、はっきりとしたフォルムの食器や陶製のランプ。「麻の葉」や「青海波(せいがいは)」といった日本の伝統柄をベースにした幾何学模様が目を引きます。「シャープな形が好みなんです。昔はもっと細かな絵付けもしていたのですが、描いても描いても納得できずに胃が痛くなっちゃって(笑)。描きながら無心になれる幾何学柄に落ち着きました」と壮也氏。一方、妻・千帆さんの作品の多くは、手作業の温かみを感じさせる食器や一輪挿し。草花をモチーフにしたしなやかな絵柄が描かれます。「私はかっちりさせるより、むしろ形を崩したい。轆轤(ろくろ)で作ると全部同じ形になるから、最終的な造形は手で行います」と語ります。
ふたりが口を揃えたのが、絵柄を入れる過程で下描きは不要なこと。意見が揃ったと思いきや、壮也氏が「こういう幾何学模様は、どこか1ミリでも下絵とずれるとすべてだめになる。描きながら調整して最後にかちっと決めたいから、下描きはしません」と話すのに対し、千帆さんは「下描きはしないというより、下描きがあっても意味がない」。よくよく見れば、千帆さんの手元の皿には下描きがあるようですが……「真っ白なところに描くのは緊張するけど、下描きがあると安心して自由に描ける。だから下描きと全然違う絵を、上から重ねて描くんです(笑)」。
作品作りへのアプローチが面白いほど真逆なふたり。「でも、だからこそ一緒に続けられるのかも。自分と同じだったら、相手が気になって仕方ないから」。そんな壮也氏の言葉に「うんうん」と頷く千帆さん。そう、ふたりの共通点はマイペースなこと。そして互いに「自分にはできないものを作る作家」として、相方をリスペクトしていることです。
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津軽ボンマルシェアフリカの打楽器が結んだ縁が、青森へ、津軽へと繋がる。
それぞれ別の場所で生まれ育ち、陶芸の道へ進んだ壮也氏と千帆さん。両親共に彫刻家という芸術家一家の元、千葉県市川市で育った壮也氏は、幼い頃から何かを“作る”行為が身近だったそう。家族で見ていたテレビ番組をきっかけに陶芸教室に通い出した壮也さんでしたが、なんとそれを機に両親も作陶を始め、自宅が窯元に。瀬戸の窯業職業訓練校を出た後は、10年ほど名古屋で暮らし、埼玉県に転居した実家の「南川窯(なんせんがま)」で作陶を始めます。一方、千帆さんの出身は青森県むつ市。文化女子大学(現・文化学園大学)でデザインを学ぶ学生時代、授業で体験した陶芸に興味を持ち、茨城県笠間市の窯業指導所に通いながら、笠間焼の陶芸家に師事して技術を磨きました。
出会いは2000年、陶芸家や窯元が集結する一大陶器市、「益子の陶器市」でのこと。毎年出展を続けていた壮也氏が発見したのが、大量に展示された陶器製のアフリカの打楽器「ウドゥ」でした。根っからの打楽器好きの壮也氏は、マニアックなウドゥの存在に大感激。実はこのウドゥを制作したのが千帆さんだったのです。「何か大物で修了制作をと考えていましたが、ただの壺じゃつまらないなと思って。図書館に行ってネタを探し、見つけたのが『ウドゥ』だったんです」と千帆さん。
ちょっと不思議な打楽器が縁となり知り合ったふたり。その後、当時壮也氏が使っていた埼玉県日高市の工房で一緒に作陶を始めます。が、青森県出身の千帆さん曰く「暑いところが苦手で(笑)」、引越しを決意。一度むつ市へ移住した後、さらに条件のいい土地を求めて巡りついたのが金木町でした。「最初の移住先は、かなり探したけれどなかなか見つからなくて。でもここ金木町の物件は探し始めてすぐに見つかって、『ああ、そういう運命だったんだ』って納得したんです」と頷き合う夫婦。聞けば、その運命を証明するような出来事は、他にも色々あったようです。
津軽ボンマルシェ雪降りしきる新たな故郷・金木町に根を下ろして。
元々、戦後に樺太から帰還した人々が住み始めたという金木町・川倉の集落は、ふたり曰く「よそから来た人にもすごく優しいところ」。周りの住人たちも夫婦の移住を喜び、すぐに地域の輪の中へ受け入れてくれたそう。また移り住んですぐには、自宅裏にホタルが飛び交う清流があることも発見。「自然環境も驚くほど豊かなんです」と壮也氏。さらに、かねてから養蜂に興味があったという千帆さんは、ある日家の前の林にニホンミツバチの“蜂球”(新たな住処が見つかるまで、女王蜂を守るために働き蜂が集まって塊状になる現象)を見つけ、簡易的に作った巣箱に保護したところ無事定住。今では猿田家のペット兼ハチミツ採取係として7年目の共同生活を迎えます。
そして、金木町に移住後は作品展示スペースを持っていなかったふたりに舞い込んだのが、町を代表する観光スポットのひとつ、太宰治ゆかりの私設ミュージアム「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」内に常設ギャラリーを作らないかという贅沢な誘い。偶然ふたりの作品を見て惚れ込んだというミュージアムのオーナーからの、直々の依頼でした。移住から7年が経った2015年、晴れて「太宰治疎開の家」の一角に常設ギャラリーが誕生。以来、ふたりは新たな地元・金木に根を張り活動する陶芸家として知られるようになりました。
工房を訪れたのは、冬の始まり。豪雪地帯として知られる金木はこの日、「ゆきふらし」への訪問を歓迎するかのように美しい雪が降りしきっていました。実は工房名の由来は、千帆さんが大好きだという軟体動物アメフラシ。青森への移住が決まった際に新たな工房名を考えたとき、壮也氏がふと「雨じゃなく、雪が降る土地に行くのだから『ユキフラシ』じゃない?」と思いついたのだとか。意外な生きものが由来ながら、これ以上ないくらいはまる、なんと素敵な工房名! ほかの季節の景色もきっときれいだろうけれど、やっぱりこの工房には雪景色が似合うなと、純白の世界を見ながら思ったのでした。
津軽ボンマルシェ陶芸以外のものづくりにも、マイペースに全力投球。
ふたりに共通するのはものづくりへの情熱。「元々何でも自分で作りたいんです」と壮也氏がいえば、千帆さんも「陶芸以外のこともやりたくなっちゃうんですよね」と笑います。本格的な発酵食品に挑戦してみたり、自宅の家具や小物類を自作してみたり。現在作陶する工房も、移住後に自分たちで増設した小屋だそう。そして今、敷地内には巨大な新居も建設中です。ものの大小に関わらず自ら手を動かしてみるというふたりの姿勢の理由は、単にものづくりの作業的なおもしろさだけにとどまりません。「以前業者の方に電気工事を頼んだら、結構無理な配線をされたことがあって。実は専門的な職業の人も、全員が全員その道のプロではないのかもと気付いたんです。だったら自分でやってみれば、後から手直しすることもできるし、なぜ修理代がこんなに高いのかも分かるでしょう? 世の中の色々なものの価値に対して、疑問を持てるっておもしろいじゃないですか」と壮也氏。
ちなみに、建設中の新居は着工から丸5年が経過。猿田家らしくいたってマイペースに進行中ですが、「近所の人が『まだ終わらないの!?』って心配してくれて、機械や建材を譲ってくれることもあるんです(笑)」と千帆さん。もちろんそれは、ふたりのまっすぐな人柄と、人生を楽しむ姿があってのことでしょう。
取材翌日、ちょうど開催中だった個展にお邪魔しました。所せましと並べられた器や花器、ランプは、ひと目で壮也氏の作品か、千帆さんの作品かが分かります。が、どちらも作品ごとに、ときにシックだったり素朴だったり、ときにダイナミックだったり繊細だったりと、ひとつのイメージにとらわれないさまざまな表情が。作品の向こうに、自由なライフスタイルを愛し色々なことに挑戦する、ふたりの楽しそうな顔が浮かんでくるようでした。
住所:青森県五所川原市金木町朝日山317-9 「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」内 MAP
電話:0173-52-3063
https://www.facebook.com/ykfrs/
(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)