世界を知り、日本を見る。根源を学び、表現する。本物の「エスプリ」だけが永遠を手に入れる。[TEORI/岡山県倉敷市]

ロサンゼルスはベニスビーチのアボット・キニーにある『Tamotsu Yagi Design』のオフィスにてインタビュー。Photograph:TAKUMI YAGI

八木 保×テオリスティーブ・ジョブズとともに時代を駆け抜けた、ひとりの日本人デザイナー・八木 保。

八木 保氏は『アップル』創業者のスティーブ・ジョブズとともに仕事をした数少ない日本人のひとりであり、現在もアメリカ西海岸を拠点に活躍し続けているグラフィックデザイナーです。

1984年に渡米し、『エスプリ』のアートディレクターを務めました。カタログやパッケージ、ストアグラフィックデザインなどのビジュアルを手がけ、1991年に『Tamotsu Yagi Design』を設立。数々の名作を世に送り出しますが、特筆すべきは『アップルストア』のコンセプトモデルの基礎となった1号店のデザインを手がけたことです。ここでいうデザインとは、目に見える内装やグラフィックはもちろん、コンセプトやコミュニケーションなど、目には見えないストアの核となるデザインも指します。
そんな八木氏の周辺は、その審美眼により長年集積された「もの」がひとつの風景を生み出しています。アート、インテリア、雑貨、本……。その「もの」は様々ですが、全てに共通していることは、「本物」だということです。

「本物でなければ意味がありません」。

その一つひとつには、作り手の「エスプリ(=精神)」が宿り、それを理解できる人のもとへ時空を超えてやって来たようにも見えます。つまり、間違った人の手にさえ渡らなければ、本物の「エスプリ」は永遠に生き続けるのです。世界を舞台に戦い続けている八木氏には、日本はどう映っているのでしょうか? 八木氏が考える日本のクリエイティブとは何でしょうか? その答えを自身が愛用する「made in japan」のものとの向き合い方とともに、紐解いていきたいと思います。

『Tamotsu Yagi Design』のオフィスの中は、まるでギャラリー。テーブルは、ジャン・プルーヴェ。八木氏は、ジャン・プルーヴェの愛好家としても知られる。Photograph:TAKUMI YAGI

八木 保×テオリマテリアルが重要。それは環境や社会と向き合うことを意味し、世界のスタンダードな思考。

「デザイナーだからといってデザインだけ一流でも世界では通用しません。ものを生み出すということは、ルーツを知り、学ぶところから始まります。それがもしプロダクトであれば、そこには素材があり、当然、その背景もある。起源までたどり、理解し、どう社会とつながるのかまで考え抜いた上で創造しなければ、価値は生まれないと思います。デザインが良いのか悪いのかは、こうしたことを前提として次に考えることです」。
海外を拠点に活動する八木氏は、「世界では今、環境問題や社会問題への意識が非常に高い」と言います。これは決して日本が低いという意味ではなく、世界的にみて専門家の意識も一般の人たちの意識も高い傾向にあることを指しています。逆に言えば、そういう意識を持たないクリエイターは、世界では通用しないということです。そんな八木氏が愛用する「made in japan」のもののストーリーも素材から入ります。

それは「竹」です。

「竹素材のものは、古いものから現代のものまで、自宅やスタジオでも色々と使っています。中でも岡山県倉敷市で生産されている『TEORI』は、自社で竹林を持ち、伐採から採取、加工まで、一貫して行っている自然環境と向き合ったブランドです。僕が使っている“BON”は、その名のとおり、竹のお盆。柾目(まさめ)の美しさはもちろんですが、手で持ちやすくするために縁の一部にカッティングを施したデザインには、使い手に対する心遣いを感じます。日本人ならではの発想であり、細やかな配慮だと思います」。

国内でも『TEORI』のように竹の栽培から自社で行う所は少ないそうです。『TEORI』には、竹を扱うことについて3つの特徴があるといいます。
「ひとつ目は、“硬くて丈夫”だということ。曲げ圧縮強度に優れ、長さに対しての狂いもほぼありません。例えば、昔あった竹の定規というのは、まさにその好例です。ふたつ目は、“人体に優しい”こと。抗菌性、殺菌性、脱臭性に優れ、テルペンと呼ばれる芳香物質を含む竹にはリラックス効果もあるそうです。そして3つ目は、“環境に優しい素材”。竹は成長が早く持続的生産が可能です。地下茎と呼ばれる茎を地中に持つため、地上に出てきたものだけを伐採すれば、新たに造林する必要がありません。出来上がったものは老朽化しにくく、生涯家具として使うことができるでしょう」。

竹は、古くから籠や日本家屋の材料にも利用されてきた、日本人が慣れ親しんできた素材。竹の歴史をたどれば、縄文時代の遺跡からも竹を素材とした製品が出土しているほど、日本の文化や生活を育んできました。しかし、「竹は古典だけではなく、表現の仕方次第で可能性が広がる素材」だと八木氏は言います。その例として、「’40年代、あるひとりの人物によって竹の可能性は開化し、創造されました」と言葉を続けます。その人物とは、フランス人の建築家兼デザイナーのシャルロット・ペリアンです。

愛用している『TEORI』のトレイ。「ガラスやステンレスのテーブルには、直接ものを置くよりも何かひとつ間に挟みたい。そうすることで、“見切り”の世界が生まれます」。

竹編みが美しい籠。「本来は、梅を干すための籠ですが、自分は大切なものを入れたりしています」。

「長い間愛用している押し寿司の樽です。下の部分の竹で締めた所が力強く美しいです」。

制作年代は不明の民具。「農家の人の金継ぎとは全く違う手法で修復されています。竹で締めつけ、リサイクルされた器です」。

八木 保×テオリシャルロット・ペリアンと日本の関係は、日本を世界に価値化する好例なのかもしれない。

シャルロット・ペリアンは、世界的に有名な建築家、ル・コルビュジエに師事した建築家兼デザイナーです。そのペリアンと日本にはどんな関係があったのでしょうか。
「1940年、シャルロット・ペリアンは、日本でデザインの指導にあたり、商工省(戦後に通商産業省に改組)から招聘を受けています。それが実現できたことは、同じくル・コルビュジエのアトリエで机を並べた日本人建築家・坂倉準三さんからの誘いであったことと、坂倉さんへの絶大な信頼があったからだと思います」。

当時、坂倉準三氏は神戸でシャルロット・ペリアンを出迎えたといわれており、そういったエピソードからもふたりの強い絆を感じます。奇しくも八木氏は神戸出身。偶然なのでしょうか、それとも必然なのでしょうか。
「シャルロット・ペリアンは、日本のデザインを知る上で、工芸を視察するために地方を精力的に回ります。その案内人は、柳 宗理さんでした。畳、障子、襖……。木、和紙、鋳物(いもの)……。様々な日本の文化や歴史、素材に影響を受ける中、そのひとつに竹もあったのです。竹を曲げる手法、“竹の砂糖ばさみ”と出合い、名作“シェーズ・ロング(寝椅子)”を竹で作るという発想を得たといわれています。民芸なども、それはそれで日本の文化としては良いと思いますが、日本が世界と肩を並べていくには、もう少し工夫も必要なのではないでしょうか。世界のシャルロット・ペリアンが日本の竹を認めたように、日本にはまだまだ知られていない資産価値があるのですから」。

そして、もうひとつ。シャルロット・ペリアンは、日本のあるものから発想を得て、名作を生み出しています。
「シャルロット・ペリアンが日本を巡る中、彼女に多大な影響を与えたものが他にもあります。それは、『修学院離宮』の“霞棚”です。名作、“ニュアージュ”や“クラウド”という互い違いの壁棚のデザインの原点は、この“霞棚”なのです」。

このストレージが生まれた場所は、シャルロット・ペリアンが’50年代に協働を始めたジャン・プルーヴェのアトリエだといわれています。ジャン・プルーヴェとシャルロット・ペリアンのコレクターとして知られる八木氏とここでもつながります。
「ちなみに、坂倉準三さんもまた、座面に竹を用いた椅子を発表しています。世界的に有名な建築家、ル・コルビュジエに師事したシャルロット・ペリアンと坂倉準三さんのふたりが愛するほど、日本の竹は魅力的なのです」と八木氏は言います。

そんなシャルロット・ペリアンは、2019年で没後20年になります。
「それを記念し、パリの『フォンダシオンルイ・ヴィトン』でシャルロット・ペリアンの回顧展(2020年2月24日まで)が開催されています。その内容はもちろんですが、ある1冊の本も注目を浴びています。それは、『Living with Charlotte Perriand』です。シャルロット・ペリアンが歩んできた人生をはじめ、そのオリジナルの家具と暮らすインテリアの写真や歴史などが集められ、世界中のシャルロット・ペリアンのコレクターから人気を博しています」。
八木氏所有のシャルロット・ペリアンの家具もまた、この本に紹介されており、ジャン・プルーヴェ同様、その愛好ぶりがうかがえます。日本の竹ブランド『TEORI』と日本の竹を愛したシャルロット・ペリアン、両者のインテリアに着眼する視点こそ、八木氏の感性なのです。

八木氏のオフィスの一角。ストレージは、シャルロット・ペリアン。棚に飾られているフラワーベースは、世界的に活躍する陶芸家、アダム・シルバーマンのもの。

ガラスとの相性も良い『TEORI』のトレイ。手で持ちやすいよう、縁にカッティングも施されている。テーブルと椅子は、ジャン・プルーヴェ。

SKIRA PARIS社より出版された『Living with Charlotte Perriand』。表紙のデザインには、先述した棚をモチーフにしたストレージを採用。誌面には、竹のシェーズ・ロングも紹介されている。

『Living with Charlotte Perriand』の中には、八木氏所有のシャルロット・ペリアンの家具も掲載されている。

八木 保×テオリ「made in japan」と「自然素材」。このふたつだけは、絶対にこだわりたいと思った。

2018年、八木氏は日本で新たなプロジェクトを遂行していました。それは、「made in japan」のベッドのデザインです。寝具を担うのは、180年以上の歴史を持つ京都の『IWATA』。フレームを担うのは、八木氏が愛用する「BON」のブランド、倉敷の『TEORI』です。いずれもその道のパイオニア的存在です。
「寝具も素材もデザインも、違う国同士を掛け合わせると不具合が起きます。例えば、竹を使用したプロダクトには中国産も多いですが、日本のものには日本のものを合わせたかった。もちろん品質も良い。耐久性においても日本の竹が一番優れていると思います。僕は“made in japan”にこだわりたかった」と、八木氏は話します。そして、「このプロジェクトのもうひとつの大きなポイント、それは“自然素材”にこだわることです」と続けます。

ほぼ全ての工程に自ら目を通す八木氏は、ロサンゼルス、京都、岡山を行き来する日々。フレームやパーツの試作、サスペンションやテンションの調整、きしみの有無、寝具との組み合わせ、マットレスのクッション性などを綿密にチェックします。マットレスに腰かけ、実際に寝てみて「『IWATA』のマットレスのクッション性、寝心地は抜群です」と言う八木氏。
なぜ抜群なのでしょうか。それは技術だけではなく研究にあります。
「マットレスの素材は、羽毛、麻、キャメル、ヤクなど、高品質な天然素材を中心に再利用・再資源化が可能なものを使用しています。いずれも自然に戻すことのできるものを選んでいるのです」と、八木氏は『IWATA』の環境への取り組みを話します。

更に、八木氏が「ぜひ、寝てみてください!」と勧めるのは、チンパンジーのベッドをヒントに作られた、人類進化ベッドです。
チンパンジーの平均寿命は40~50歳だといわれており、ほぼ毎日寝床を変えるそうです。そうなると、一生のうちに1万個以上ベッドを作ることになります。つまり、ベッドを作るプロフェッショナルであり、眠るプロフェッショナル。寝心地には「人」一倍もとい、「猿」一倍こだわるのがチンパンジーなのです。そのチンパンジーのベッドをもとに生まれたのが、この「人類進化ベッド」なのです。
「これはほんの一例にすぎません。『IWATA』のベッドは、睡眠科学を軸にした研究と開発があるからこそ、快適な眠りを提供できるのです」と八木氏は話します。

このベッドは、2020年夏に開業する東京は青山の『青山ベルコモンズ』跡地に建つ『AOYAMA GRAND HALL』の上層階に位置するホテル『AOYAMA GRAND HOTEL』にも採用される予定です。

サンプルを確認するため、京都の『IWATA』にてフレームと寝具の組み合わせをチェック。

ベッドを支える際にきしみや音が出ないか、サスペンションの調子も細かく確認。

環境への配慮のため、マットレスには高品質な天然素材を再利用し、再資源化が可能なものを使用。

ベッドのモデル名は「KAGUYA」。「made in japan」の高いクオリティが集結して制作された。

『TEORI』、『IWATA』、そして『Tamotsu Yagi Design』が一堂に会す。「プロジェクトはひとりでは成り立たない。特に日本が海外に向けて発信する場合は、その土地の人たちを“involve(巻き込む)”することが必要」と八木氏。

八木 保×テオリ八木 保が考える、「ジャパンクリエイティブ」とは。

「日本も然り、世界中のそれぞれの国や地域には歴史があり文化があります。新しいものやことを生み出すにしても、古きを知ることから始めなければいけないと思っています。直感的にもの作りをするのもいいですが、そこには説得力はない。形としても言葉としても、確固たる背景と物語がないと、そこには“本物のエスプリ”は宿らない。本物にこそ豊かさがあるのです」。
デザインに例えるならば、見える部分のパッケージに気を遣うことよりも、見えない部分のコンセプトの方が重要。全てをデザインしてこそ、グラフィックデザイナー。そして、全てをデザインするということは、全てを理解することでもあります。物事を行き止まりまで探求し、原点を学び、意味を知ることが大切なのです。同じグラフィックデザイナーでいえば、「田中一光さんや亀倉雄策さんは、それを成し得てきた方々だと思います」と話します。

「自分がグラフィックデザイナーを目指したきっかけは、『パンアメリカン航空』(通称「パンナム」)のロゴデザインを見た時でした。たったひとつのデザインだけでこんなにも行動意欲がかき立てられ、高揚感が溢れ出る。その感動を得た時に、こんな造形のグラフィックデザインをやってみたいと思ったのです。日本では、『浜野商品研究所』でデザインをしていました。その時に『エスプリ』のオーナーが来日し、日本人デザイナーを探していたのです。当時、倉俣史朗さんが手がける大きなプロジェクトがあって、そのためのプロジェクトメンバーでした。倉俣さんがいなければ、僕は渡米していなかったかもしれません。そのご縁があってアメリカを拠点にデザインをすることになり、後に『エスプリ』のアートディレクターを務めさせて頂きました。『エスプリ』は、とても大きな会社だったので、カタログを刷るだけでも“ワンミリオン”の世界。当然、その分だけ紙の原料となる木を伐採する行為も生まれてしまいます。創業者のダグラス・トンプキンスは、木を伐ってまでビジネスをすることに疑問を抱き、『エスプリ』を去ってしまいました。ダグラスは、もともと『ノースフェイス』を設立した人物なので、自然環境に対しての感度や問題意識が人一倍高かったのも手伝ったと思います。僕も同時期に『エスプリ』を辞め、日本に帰ろうと思いましたが、日本は色々な意味で社会が変わっていました。僕が生きる場所はそこになく、アメリカに残ってグラフィックデザイナーとして生きていくという選択をしました」と八木氏は振り返ります。

倉俣史朗氏やダグラス・トンプキンスとの出会いは、八木氏の人生に大きな影響を与えたことなのかもしれません。それはグラフィックデザイナーとしてはもちろん、人としての生き方そのものに対してといっても過言ではありません。
「デザイナーとしての生き方は、人としての生き方と同じ。人を敬う気持ちや誠意は、自ずとデザインにも反映されてきます。根源をたどることもその延長。先人たちの精神、文化、歴史に敬意を払うことは当然の行為。根源こそ創造のオリジンだと思います」。

八木氏の考える「ジャパンクリエイティブ」とは、「根源」。

永遠に値する本物、それを創造する原点が「根源」にあるのです。

1949年兵庫県神戸市生まれ。『浜野商品研究所』を経て、1984年に渡米。『エスプリ』のアートディレクターを務め、広告やカタログ、パッケージ、プロダクト、ストアサインなどのビジュアルコミュニケーションで世界的な評価を獲得する。1991年、サンフランシスコに『Tamotsu Yagi Design』を設立し、現在は、ロサンゼルスはベニスビーチのアボット・キニーに拠点を構える。受賞作は、1994年にクリオアワードに輝いた『ベネトン』の香水「TRIBÙ(トリブ)」など、多数。1995年には、アメリカ政府より芸術分野で活躍したアジア人に贈られる貢献賞を受ける。主なデザインに、『アップルストア』のコンセプトデザインのコンサルタント、『グランドハイアット東京』のデザインディレクション、『マル二木工』の「nextmaruni」チェアなど。近年ではナパバレーで生産されている『KENZO ESTATE』のワインラベルデザイン、「JAPAN HOUSE Los Angeles」のクリエイティブディレクションを担当。また、環境保護団体へのデザイン提供などを中心に各種ボランティア活動も積極的に行う。現在も世界中で様々なプロジェクトを展開中。近著に『八木保の選択眼』(APP)など、著書多数。ジャン・プルーヴェの家具の収集家としても世界的に知られている。http://www.yagidesign.com