耕作放棄地で放牧豚、廃校で国産生ハム。“できっこない”を美味しく実現する、津軽のじょっぱり親子。[TSUGARU Le Bon Marché・おおわに自然村/青森県南津軽郡]

廃校となった小学校の建物で生ハムの製造を行う三浦家。父の三浦浩氏(中央)、隆史氏(左)、その弟・石澤輝氏。

津軽ボンマルシェ山あいの元・りんご園の地に、豚が走り回り、子どもたちが集う。

以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した鯵ヶ沢『長谷川自然牧場』は、豚や鶏がのびのびと過ごす姿が印象的な牧場でした。「人間も動物も自然体で過ごすのが一番」。牧場主の長谷川夫妻のそんな考え方に感銘を受け、夫妻の元で養豚を学んでから、南津軽郡大鰐町で養豚を行う若者がいます。津軽随一の温泉郷としても知られる大鰐町の中心地から、車で10分以上離れた森の中。出迎えてくれた『おおわに自然村』の三浦隆史氏は、物腰柔らかな好青年でした。現在20頭ほどの豚を飼育し、食肉用に出荷しているこちらの牧場では、約7ヘクタールという広大な敷地の一部を豚の放牧場に。太陽の下自由に走り回る豚たちは、森のどんぐりや栗、敷地内に植えられたプルーンなどの果実を食べ、泥遊びをしながら過ごします(※)。通常は6ヵ月ほどの飼育を経て出荷されるところ、ここでは8〜10ヵ月をかけてゆっくり飼育。上品なサシが入った「レトロポーク」として評判を得ています。

牧場になる前は、4、5年ほど放置されていた元・観光りんご園だったというこの場所。隆史氏の案内で敷地をぐるりと巡ると、津軽の豊かな自然を感じることができます。栗やプルーンの他にさくらんぼやクルミの樹があり、高台からは津軽のシンボル・岩木山を一望。池に繋がる水路にはニホンザリガニやホタル、珍しいイトトンボなどが生息します。「当初は養豚が目的でみつけた土地でしたが、この自然をそのまま生かそうということになって。地域の子どもたちを受け入れ、体験学習の場にもしています」と隆史氏。子どもたちの笑い声が響くここ「おおわに自然村」は、単なる養豚施設にとどまらないさまざまな側面を持っているようです。

弘前市の住宅街にある銀行員の家庭に生まれ育った隆史氏。農業に興味を持ったきっかけは、シュミレーションゲームの「牧場物語」! 北海道・江別にある酪農短大に進学して酪農を学び、卒業後は養豚の道を目指し『長谷川自然牧場』などで研修、『おおわに自然村』を立ち上げたのは2007年のことでした。「ここ『おおわに自然村』には母体となる会社があります。それが『(有)エコ・ネット』。いわゆる産業廃棄物の収集運搬業者です」と隆史氏。意外にも思える廃棄物と養豚の関係とは? 種明かしは、豚たちの食べている餌にありました。
※2020年現在、感染症予防のため、放牧を一時的に見合わせています。

のどかな里山の風景が広がる、南津軽郡大鰐町。こんな景色を横目に細い山道を上ると、目指す『おおわに自然村』がある。

遠くに見えるハウスが、外気を取り込む開放型豚舎。一昨年の豪雪の影響で一部が破損し現在飼育頭数は少ないが、ゆくゆくは300頭前後の豚の飼育を目指す。

放牧中以外は豚舎で過ごす豚たち。大学で乳牛の飼育も学んだ隆史氏は、「いつかは牛も飼ってみたい」と話す。

豚の放牧場は、切り株を掘り返すところから開墾。「春になると、敷地内はカエルの声だらけ。冬に雪が2メートル近く積もれば本当の無音になる。不思議な感覚になれる場所です」と隆史氏。

津軽ボンマルシェ廃棄物は宝物? 捨てられるものから、とびきりの美味しさが生まれる。

豚舎脇に停められた軽トラの荷台のビニールシートを隆史氏が外すと、豚たちがにわかに騒ぎ出します。「食べさせろって鳴いてますね(笑)」と隆史氏。荷台に積まれていたのは、規格外のりんごチップス、パン、ケーキのほか、廃棄される弁当やおから、ご飯、麩、野菜くずなどを混ぜた“エコ・フィード”と呼ばれる餌。どれも人間の食品残さ、つまり廃棄物として回収されたものばかり。豚たちは放牧で食べる草や木の実以外に、1日1回、これらの餌を与えられています。「ただ食品残さを与えるのではなく、栄養価を考えて作られた餌を与え、なるべくストレスをかけずにゆっくり育てることで、キメ細やかな脂が乗って美味しくなるんです」と隆史氏。原料の調達と製造は、経営母体である産廃業者『(有)エコ・ネット』が担当。隆史氏の父・三浦浩氏が代表を務める会社です。

実は『おおわに自然村』がスタートする前から、エコ・フィードの生産を行っていた『エコ・ネット』。隆史氏が養豚を始めたのも、「自社の餌を使えば、ちょうどいい」という浩氏の強い勧めがあってのことでした。しかし先ほど書いたように、隆史氏の実家は銀行員の家庭だったはず。銀行員から産廃業者へ―。食品残さと豚の繋がりには、浩氏の並々ならぬ情熱と行動力が秘められていました。

「元々は、こんなことやるつもりじゃなかったんですよ」。なぜ産廃業者へ転身したのか質問すると、浩氏はそう言って続けました。「今の日本は経済最優先。中央ばかりがどんどん豊かになり、地方の産業がないがしろにされている。おかしな話です」。信用金庫の職員として、地域の中小企業を担当していた浩氏。時代の流れとともに、これまで津軽の経済を支えてきた末端の個人商店がどんどんなくなっていくのを目の当たりにしたといいます。「パーティや会合をすれば、余った食べものや飲みものが捨てられる。山ほどですよ? そのゴミはどうなっているのか。何かおかしい、そう気づいたのが20年以上前のことです」。まだリサイクル法が制定される前、“ダイオキシン”などの単語も一般的ではない時代でした。

地域の企業から回収される食品残さの中には、美味しそうなケーキやパンも。育ち盛りの仔豚には、こうした炭水化物を多めに与えるそう。

エコ・フィードの臭いを嗅ぎ、「香りで『あ、今日はあの弁当が入ってるな』とか分かるんです(笑)」と隆史氏。「長谷川自然牧場」同様、餌には消臭効果や整腸作用のある燻炭が混ぜられる。

牧場のペット、馬のハナと羊のアキ。2頭は大の仲良し。「おおわに自然村では」、このように子どもたちが動物と触れ合える機会を作っている。

放牧場へ向かう豚たち。放牧場が大のお気に入りで、一度放すとなかなか豚舎に戻らないそう。放牧することで豚が土を耕し、糞が養分となり、土壌の質も改良される。(写真:おおわに自然村提供)

津軽ボンマルシェ津軽初の生ハム工房誕生! 地方の小さな廃校が、注目のスポットに。

生ゴミを、飼料や堆肥を製造するための資源に活用できないか。そんな考えから銀行を退職し『エコ・ネット』を創業した浩氏でしたが、当初、周囲の農家からの反応は冷ややかだったといいます。「使ってくれる農家もいなくて、ひとりだけ浮いてるような状況。でも輸入飼料や化学肥料に頼る他力本願な農業からは自立しないと、日本はだめになると考えていました。そんな時、息子が大学を出て帰ってきたから『お前、豚やれ』って。成功するかは分からない、綱渡りですよ(笑)。それでも食品残さと農業には、無限の可能性があると確信していました」と浩氏。

食品廃棄物をリサイクルして豚を肥育、精肉・販売するところまで駒を進めた三浦親子でしたが、新たな課題も出てきました。苦労して作った肉の価格は低く、ウデ肉やモモ肉などレストランで提供しづらい部位が売れ残るのです。そこで考えたのが、豚肉の6次産業化。「でも、小規模生産者がメーカーと勝負しても勝てるわけがない。そんなとき出会ったのが、東京でレストランを経営しながら、故郷の秋田で生ハムを作っている金子裕二さん。加工肉で秋田に産業を生み出したいという金子さんの考え方に共感し、何度も秋田に出向いて教えを乞いました。金子さんは僕の師匠なんです」と浩氏。『おおわに自然村』に設置したコンテナを熟成庫にして生ハム作りを始めたのが2010年のこと。まだ国産生ハムがほとんど出回っていない時代です。

さらに生ハム作りの大きな後押しとなったのは、それから5年後のこと。『おおわに自然村』から車で20分ほどの集落にある小学校が、過疎化により廃校となったのです。校舎は川沿いの高台にある木造建築。実はここ、生ハム作りにとってはこれ以上ないほどの好条件が揃った場所でした。「生ハムの熟成には風が必須ですが、ここは常に風が吹いています。夏場も教室内は涼しくエアコンいらず。しかも木は調湿効果があり、ちょうどいい湿度を保ってくれる。壊してしまえばゴミですが、これだけのものを新しく作ることはなかなかできません。それにここが残ることは、学校の歴史、たくさんの卒業生のルーツが残るということ。それこそお金で買えない、大切なものを残すことができるんです」と浩氏。

2016年、築50年以上の校舎は、青森県初となる生ハム工房として生まれ変わりました。職員室は肉の加工場と冷蔵室に、教室は生ハムの熟成庫に。製造量は年間300kgほど。毎年参加者を募集する「生ハム塾」では、自分で一から生ハムを作る体験もでき、人気を博しています。過疎の町に新たに生まれたユニークな名産品のニュースは、地域を明るく照らしました。現在、生ハム製造を担うのは、浩氏の三男で隆史氏の弟・石澤輝氏。三浦家のタッグも、ますます強固なものになっています。

1995年に閉校した「大鰐第三小学校」校舎。診療所として利用された後、21年間使われていなかった学び舎が、再び動き出した。

ずらりと生ハムの“原木”が吊り下げられた光景は圧巻! 教室内には芳しい香りが充満する。生ハムは2~3年の熟成期間を経てから出荷。

「廃校は宝物」と語る浩氏。校舎に使われた木材は、地元で切り出されたブナやヒバ。「一度壊したら二度とできない贅沢な建物なんです」。

元職員室の部屋で、肉の加工を行う隆史氏。肉を部位ごとに解体していく力のいる作業。こうした解体作業も自社で行うのは『おおわに自然村』の強みだ。

津軽ボンマルシェ国が動かぬなら、まずは地域の民間から。循環のモデルケースを目指して。

『おおわに自然村』の生ハムは今、主に首都圏へ出荷しています。主な顧客はそうそうたる顔ぶれの有名ホテルの数々。カットしない“原木”の状態で販売し、1本4万円からと高価であるため、一定量をコンスタントに消費でき資本力もあるホテルが購入しやすいという理由もありますが、当初から地元ではなく県外を販売対象に考えてきた浩氏には、こんな考えもあります。「餌の原料である食品残さは近隣で回収して地域内で循環させるけど、生ハムは“外貨”を回収する手段。行政を待っていたらだめ。民間が力を付けて、地域を回していかないと。まずは一歩ずつできることを進める。それが大事です」。

こういった地道な活動は、徐々に地域の意識を変えつつあります。廃棄せざるを得ない食材を「捨てるくらいなら有効に使ってほしい」と提供を申し出る人々も増えてきました。生ハム工房には、さまざまな企業からの視察の申し込みが。近隣エリアの大手コンビニエンスストアの店長から、問い合わせが入ることもありました。「そういうときは、『まずは飲もう』とBBQに誘うんです」と浩氏。「豚肉や生ハムを、みんな美味しい美味しいと食べてくれる。企業や個人レベルでは、共感してもらえていることを実感します」。

浩氏が、廃棄される食品残さを活用することを思いついてから20数年。その想いは今、豚肉に姿を変え、生ハムとなり、さらにさまざまな形で広がりを見せています。たとえば堆肥は、地元の農家と障がい者就労施設と連携し、ねぎの生産に活用。ねぎは埼玉県のねぎ問屋へ卸し、全国のラーメンチェーン店で使用されます。より多くの人に農業を身近に感じてもらえるよう、平川市の温泉施設のリニューアルを手掛け、津軽の自然と農業を一緒に体験できる“農泊”も始めました。その躍進の力の源を聞くと、浩氏は満面の笑みとともに、茶目っ気たっぷりの津軽弁でこう言いました。「だって、わくわくするっきゃ? どきどきするっきゃ? やってきたことは、無謀な冒険ばかりだったかもしれない。でも人がやってないことをする方が、面白いじゃないですか」。

津軽人らしく、一本気で頑固な“じょっぱり”気質が見え隠れする父・浩氏のことを「なかなか厳しくて。大変ですよ(笑)」と評する息子・隆史氏。しかし「自分もやりたいことは色々あるんです。まずは『おおわに自然村』を法人化したい。現在工房長をしている弟は元料理人ですから、ゆくゆくは直営のレストランも作りたいですね」と語り、県内の畜産業界の生産者を集めた「あおもり畜産部」を立ち上げるなど、父に負けじと地域を牽引します。まだ見ぬ“わくわく”や“どきどき”をモチベーションに邁進する三浦家。きっとこれからも、私たちに新たな驚きを与えてくれることでしょう。

空調を付けず、窓の開け閉めで風量を調整しながら作る方法は、本場イタリアと同様。5年を目安に輸出する計画もあるそう。津軽産の生ハムが、海外で評判となる日も近いかも。

住所:青森県南津軽郡大鰐町長峰字駒木沢420-200 MAP
電話:0172-47-6567

住所:青森県南津軽郡大鰐町早瀬野小金沢48-2 MAP
電話:0172-26-8692