知るほど、触れるほど、その神秘に引き込まれる。神が宿る島の正体と出合う旅へ。[東京“真”宝島/東京都 神津島]

東京"真"宝島OVERVIEW

東京湾から南に向かって点々と連なる伊豆諸島のひとつ『神津島(こうづしま)』は、伊豆諸島の中心辺りに位置することから、各島の神々が集う会議場に定められたという伝説が残される地です。そして豊かな黒潮がもたらした漁業文化は、江戸時代にはすでにその栄華の記録がなされるなど、島民の営みの中心として連綿と受け継がれ、今もなお島の主要産業として発展し続けています。

太古より伝わる伝説、そして離島という環境が育んだ土着的な信仰の姿は、神津島の様々な文化と溶け合うことで形成され、それは島の個性となり、島民の生活に、心に、深く根を張っています。

東京からの距離約170km、面積18.87㎢、人口約1900人(令和元年10月時点)と、伊豆諸島全体で見ると、『神津島』はどれを見ても「中くらいの島」です。それは言い換えれば、程よく便利で、程よく包容力のある「良い塩梅」が凝縮されているということ。事実、島には癒しの絶景もアクティビティも選べる豊かな海山があり、レストランや店舗も困らない程度に各ジャンルが網羅されています。そして、島民の方々の観光者との距離感も程よく温かく、フランクで、こちらが望めばどうぞと門戸を開いてくれる、とても「良い塩梅」なのです。

島の自然に、文化に、人々に……。知るほど、触れるほどに引き込まれてしまう、その正体は一体何なのか。秘められた魅力を探る『神津島』の旅を、ぜひお楽しみください。


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南国の風薫る絶景の離島、八丈島。時代に寄り添い、変貌するその姿を見届ける。[東京“真”宝島/東京都 八丈島]

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かつて「鳥も通わぬ」と歌に詠まれ、流人文化の歴史が色濃く残る八丈島。
しかしそこは、俗世から隔絶された"最果ての地"のイメージからは程遠い、美しい海に囲まれた暖かな常春の島でした。潮の香りが混じった柔らかな風が頬を撫で、どこまでも続く青空と南国の木々……。戦後には“東洋のハワイ”と呼ばれ人気を博しましたが、それももはや昔の話。

現在の八丈島は羽田空港から飛行機でわずか1時間足らず。東京宝島の中で、思い立ったらすぐに訪ねていける島なのです。

時代に寄り添いつつ、常に変化し続けてきた八丈島とそこに暮らす人々。先人から受け継いだ文化と、豊かな自然の恩恵を余すところなく享受し、それを新たな形で紡いでいく。その一翼を担っているのが、一度島を離れて戻ってきた島民や島外出身者たちだといいます。

島の外から流れてきた新たな息吹を取り込み進化する。
それが今も昔も変わらない、八丈島の宿命なのかもしれません。

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