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琉球王朝時代の“ロイヤルスピリッツ”を、交易の地・勝連城跡の夜に蘇らせる。600年の歴史を持つ日本最古の蒸留酒・泡盛のペアリング。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]
ダイニングアウト琉球うるま交易の要衝を舞台に、王朝時代からの「おもてなし」の酒と料理を合わせて。
2020年1月18日、19日に開催された『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』。回を重ねるごとにアップデートされていく『DINING OUT』ですが、18回目となる今回は、アジア発、世界を沸かせる2人のシェフのポップアップユニット『GohGan』が登場し、大きな話題を呼びます。『Asia's 50 Best Restaurants』において4年連続1位に輝き、現在はタイ・バンコク『Gaggan Anand』を率いるガガン・アナンドシェフと、九州で唯一、同アワードにランクインした福岡『La Maison de la Nature Goh』の福山剛シェフによる『GohGan』。ポップアップとしてはこれが最後の舞台ということで、さらなる注目を集めました。会場は沖縄本島中東部に位置するうるま市の世界遺産・勝連城跡。世界遺産がディナーの本会場になるのは、『DINING OUT』史上初めてのことです。
沖縄では南城市を舞台にした『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』に続く開催となりましたが、会場となる地域やテーマ、料理人の個性と土地へのアプローチで表現は、がらりと変わります。それは、たとえ山羊やマグブなど、同じ食材を使用したとしても。単なる野外レストランではない『DINING OUT』の魅力を改めて感じさせる勝連城跡の二夜でしたが、『GohGan』による15皿のコースをさらに特別なものにしたのが、泡盛を柱にしたドリンクペアリングでした。
15世紀、按司(首長)として地域を治めた阿麻和利の居城だった勝連城は、中国、東南アジア、日本本土と海外貿易を行い、繁栄を極めた土地です。異国の人々を受け入れ、文化に寄り沿うことで発展してきた土地には、「おもてなし」の心とともに「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高」の精神が受け継がれおり、それはそのまま、今回の『DINING OUT』のテーマに掲げられます。「肝高」「おもてなし」の宴に寄り沿う泡盛ペアリングは、一体どんなものだったのか。そもそも泡盛とはどんな酒で、どのように受け継がれてきたのか。泡盛を語る上で外せない2人のキーマンの話を含め、お伝えします。
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ダイニングアウト琉球うるまディナーの幕開けは、泡盛のイメージを覆す、秘蔵の古酒で乾杯。
ディナーは、特別な泡盛での乾杯からスタートします。2017年の泡盛鑑評会で沖縄県知事賞を受賞した泡盛の最高峰ともいうべき酒。那覇市の隣、豊見城市にある泡盛のトップメーカー『忠孝酒造』秘蔵の古酒(くーす)で、最短で17年、長いものでは30年以上熟成させた泡盛がブレンドされています。代表の大城勤氏自らが、ステージに用意された一斗の甕から、カラカラ(陶製の酒器)に酒を汲み分けてくれます。
そもそも泡盛というお酒にどんなイメージを抱いているでしょうか。沖縄の居酒屋や沖縄料理店で楽しむ「度数が高くて、クセの強い焼酎」。そんな風に考える人が多くても仕方ありません。酒を汲み分けながら、大城氏の簡単な解説が始まります。
「泡盛は、600年の歴史を持つ日本の蒸留酒のルーツで、沖縄の誇り。かつて海路で沖縄にやって来る多くの使節団を、宴席でもてなす際も、必ず泡盛が振る舞われました。そのときに用いられたのが、皆さんにお配りしているちぶぐゎーという酒器。これは世界最小の酒器といわれています。泡盛の古酒は大変希少なものなので、小さな酒器で大切に頂いたというわけです」
ちぶぐゎーは、小粒な栗の実ほどの、本当に小さな酒器。大城氏からカラカラを受け取ったサービススタッフたちが、テーブルを回り、その小さな小さな盃に希少な古酒を注いでいきます。ホストの中村孝則氏の声かけで乾杯し、ごく少量を舐めるようにちぶぐゎーから口へと運ぶゲストたち。馥郁たる香りととろりとしたテクスチャー、舌の上から後味までめくるめく変化を見せる味わいで、静かな感嘆のため息が会場を包み込みます。
ダイニングアウト琉球うるま甕から自社製。品質のため、「祝い」と「絆」の古酒文化を未来へ繋げるため。
『忠孝酒造』は、沖縄県内に47社ある泡盛メーカーの中で、古酒を熟成する甕を自社で製造する唯一の蔵です。ディナーの冒頭で、大城氏が古酒を汲み分けた一斗の甕も、もちろん自社製。泡盛の文化や古酒の熟成について話を伺うべく、取材班は豊見城市の『忠孝酒造』を訪ねました。創業は昭和20(1945)年と、泡盛メーカーの中では後発ですが、今や業界をリードするメーカーに。そのひとつの要因が、代表の大城勤氏の父に当たる繁氏の、古酒甕製造への着手でした。
釉薬を使わずに高温で焼成する焼締めでつくられる甕には、炎と土で自然にできた窯変(模様)入りで、見た目にも美しいもの。叩くと金属音がするほど密度が高く、驚くほどの手間暇をかけてつくられています。土は、南部産島尻ジャーガルと中部産赤土のブレンド。前者は粘土質で乾燥させることでぎゅっと締まり、後者が強度を加えます。成形し、乾燥させて高温で焼成することで45%の大きさに。この時点で既に叩くと「キンキン」という音がするのですが、この金属音はミネラルやマグネシウムなどが凝縮することにより生まれるもの。窯は24時間稼働で、1日乾燥させて3日焼成し、という工程を2度繰り返し、ようやく完成します。
ウイスキーは樽、日本酒は桶、泡盛は甕というくらい、甕は泡盛文化を語る上で欠かせない、象徴ともいえるもの。上級酒や古酒を甕に詰めて販売するメーカーは数ありますが、その甕は業者に委託して造っています。膨大な設備投資と手間、そして時間がかかるにも関わらず『忠孝酒造』ではなぜ、甕の自社製にこだわるのか。品質に対する飽くなき追求はもちろんですが、もう一つ理由があります。自社で製造することで、ゲストが名入れなどオーダーメイドの甕をつくることができるからです。大城氏は言います。
「子供の誕生時に二十歳になった日の開栓を想って健やかな成長を祈る、結婚の記念に末永い円満を祈る、還暦の節目に今後十年、二十年の健康を祈る。泡盛は、喜びを分かち合い、絆を深める酒。琉球王朝時代から続いてきた古酒の文化を、家庭に、飲み手に伝え広げて行きたいという思いからです。
「泡盛文化の継承と創造」が、『忠孝酒造』のモットー。甕づくりから手掛け古酒文化の継承に務めながら、「伝統的」だけではくくれない酒づくりも、後発の蔵を躍進させてきました。その原動力となっているのが、三代目で現社長の大城勤氏にほかなりません。東京農業大学で醸造学を学んだ大城氏は、研究者肌の造り手で、これまでにない造りに挑戦し、個性豊かな泡盛を生み出しています。新しい製法だけでなく、醸造機器の近代化などで廃れたシー汁浸漬法(古式泡盛製法)を東京農大との共同研究で復活させるなど、まさに「泡盛文化の継承と創造」に尽力しています。通常の2倍の時間をかけて麹をつくる「よっかこうじ」仕込み、マンゴー酵母での発酵などバラエティ豊かな泡盛は、それぞれに際立つフレーバーがあり、古くて新しい、世界に発信すべきクラフトスピリッツとしての泡盛の可能性を十分に示してくれます。
ダイニングアウト琉球うるまカクテルベースとして、食中酒として。泡盛のポテンシャルを示したペアリング。
『忠孝酒造』秘蔵の古酒が贅沢な幕開けを飾った『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』。ここで泡盛ペアリングの一例をご紹介しましょう。
15皿に及ぶ『GohGan』のコースの前半は「Bite(バイト)」と呼ばれるカトラリーや箸を使わずに食べる料理が続きます。泡盛ペアリングは、その2皿目から。まずは『忠孝酒造』の「忠孝 よっかこうじ」と那覇市のバー『アルケミスト』自家製のベルモットでつくった「泡盛マティーニ」がサーブされ、続いてガガン・アナンドシェフのシグニチャーでもある「リキットアップ」がテーブルへと運ばれてきます。カラフルな野菜パウダーとスパイシーなチャツネでつくる「リキットアップ」は、皿を舐めて食べる料理。「泡盛マティーニ」の提供時に、あるサービススタッフがいい添えました。「皆さまの羞恥心を解き放つ一杯です」。
カクテルの中でもハイアルコールで知られるマティーニで勢いを付け、多くの人が初めての「皿を舐めて、味わう」食体験に弾みを付ける。なるほど、と思いますが、ペアリングはもちろん、景気付けに止まりません。「3種芋のリキットアップ」の『DINING OUT』バージョンには、沖縄の伝統料理、ドゥルワカシーが隠れていて、「忠孝 よっかこうじ」のフルーティーな甘みと自家製ベルモットのほろ苦さが効いた「泡盛マティーニ」が、田芋の甘みや出汁の旨み、スパイシーさが折り重なる一皿とマリアージュします。
以降、竹炭入りの衣で明太子ベシャメルを包んで揚げた「ブラックチャコール」に、ウイスキー樽熟成の泡盛とアルトビールのカクテル、ジーマミー豆腐とインドの伝統菓子を合わせた「ジーマミーゲイヴァ」と、和食との相性を考えて造られた「和乃春雨」と、泡盛の新しい世界へと誘うペアリングに、テーブルから都度、驚きの声が上がり続けました。
ダイニングアウト琉球うるま平和を象徴し、世界へ羽ばたく可能性を秘めたロイヤルスピリッツに、沖縄の未来への祈りを重ねて。
泡盛の食中酒として、そしてカクテルベースとして驚くほどのポテンシャルを示した今回の『DINING OUT』のペアリング。その核心にもう一歩迫るべく、ディナーの翌日、泡盛ペアリングを監修した比嘉康二氏が営む那覇市内の『泡盛倉庫』を訪ねました。泡盛好きはもちろん、バーの愛好家やバーテンダー、泡盛をはじめとするスピリッツの造り手といった酒のプロにも愛される会員制のバーで、少量生産や長期熟成の希少なものも含め、常時800種以上の泡盛がそろいます。
「600年以上の歴史があり、現在も個性豊かな泡盛が生まれ続けている。24時間、365日、シチュエーションに応じてご提案できる泡盛、飲み方があります」と、比嘉氏。来店したゲストにまず尋ねるのは、泡盛を飲んだ経験の有無や味の好み、加えて最初の一杯か、食事をしながら飲むのか、あるいは締めなのか。「たくさんの泡盛に代わってお聞きする」というサービスは、カウンセリングのようで、会員制というシステムはその時間と場を整えるための装置なのだと話します。
一杯目であることを告げると、ハイボールを薦めてくれました。ベースとなる「暖流 古酒40度」の『神村酒造』は、初めてウイスキーに使うオーク樽で泡盛を熟成させた蔵として知られているとのこと。口当たりにはスモーキーな樽のフレーバーを感じ、すっきりとした味わいながら、フィニッシュに泡盛ならではの複雑な余韻が長く続きます。まさにアペリティフにぴったりの一杯です。
「泡盛がなぜ、アルコール度数が高いか。それは熟成を前提に造られていたお酒だからです。10年や20年、いや50年、100年と熟成させてもへたらないどころか、より味を深める。宮廷の人々を喜ばせ、外交品として重用されたロイヤルスピリッツだったわけです。ところが、戦争を機に妥協のない酒づくりができない時代に変わってしまいます。品質にこだわる余裕も熟成を待つ余裕もない中で、大衆化、量産化が進むうちに、30度前後の焼酎に近い泡盛がスタンダードになり、割って飲む文化が生まれた。今親しまれている水割りなどは、500年の泡盛の歴史の中でわずか70年余りの歴史しかないんです」
そんな低アルコールの飲み方の中からも、新しい泡盛が生まれているといいます。ペアリングにも登場した『宮里酒造』の「和乃春雨」。和食に合う泡盛としてつくられ、アルコール度数は日本酒と同等の15度。グラスに注いでそのまま食中酒として楽しめる泡盛です。
「日本酒をはじめとした醸造酒のよさは、糖と酸のバランスで料理との掛け算が成立すること。ですが、ずっと糖、つまり甘さが続くと飲み疲れる。そこに1杯、この「和乃春雨」のような酒を挟むと、料理の風味に寄り沿いながら食事の重さや甘さを切ってくれ、いいリズムになるんです」比嘉氏の話は、次第に熱を帯びていきます。
「琉球は、戦いではなく“おもてなし”の外交で400年の歴史を築いた国。食や酒は主役ではなく、相手ありき、人と人との関係性の中にあったものなんです。戦争で、一度分断された泡盛の古酒の歴史、それをかろうじて繋ぎ止めることができるのが今。高貴な酒として超長期熟成されたいにしえの時代と、未来を一本につないで行きたいんです。100年、200年の熟成が可能なのは、世が平和なことの証でもある。泡盛は平和の酒。平和な世の中であれば、泡盛の古酒の文化を、はるか未来まで繋げていけるのです」
『泡盛倉庫』の営業以外にも、比嘉氏は泡盛文化を継承するさまざまな活動に携わっています。その一つが、「誇酒プロジェクト」。訳あって廃業になってしまった宮古島『千代泉酒造所』の二機のタンクの泡盛を引き取り、ボトリングして販売しています。瓶内でも10年、20年と熟成する泡盛は、限りあるものが減りゆく様を可視化できるよう、また、世界中のどんなバーカウンターにも馴染むよう、クリアなボトルデザインにしたのだといいます。
『DINING OUT』のディナーを締めくくる一杯も、比嘉氏のプレゼンテーションの下、この泡盛が振る舞われました。
「ロイヤルスピリッツの価値を、未来につなげるお酒です」
泡盛は平和の酒。ちぶぐゎーを満たすクリアな液体に、100年、200年先の時代まで続く平和への祈りを込めて。海を渡って世界を旅するロイヤルスピリッツの新時代に思いを馳せて。泡盛に始まり、泡盛に終わる、勝連城跡での二夜は幕を閉じたのでした。
インド・コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、『エルブジ』で研修を積む。2010年に開いたレストラン『Gaggan』では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的に注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月に新たなチャレンジに向けてお店をクローズし、11月に『Gaggan Anand』を拠点として再始動した。
1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年にフランス料理店『イル・ド・フランス』で働き始め、そこで研鑽を重ねた。その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants」に選出され、2019年には24位にランクインを果たした。