地域と共に作りたいのは、子供達の未来に繋がるチョコレート。[TSUGARU Le Bon Marché・浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)/青森県弘前市]

店舗の奥にあるチョコレート工房にて。須藤氏の両サイドにあるのは、カカオを磨砕・コンチング(磨砕しながら撹拌してチョコレートの粒子を滑らかにし、摩擦熱による香りや風味を出す作業)するリファイナー。

津軽ボンマルシェ心を掴んで離さない、宝石のように美しいチョコレート。

扉を開ければ、部屋一面に漂うカカオの香り……。チョコレートとは、なぜこんなにも魅惑的で人をワクワクさせる食べ物なのでしょうか。
ショコラティエ・須藤銀雅氏の作るチョコレートは艶やかで繊細、まるで宝石のような輝きと優美さ、そこはかとない色気を感じさせます。もともとはバー専用チョコレート「アトリエAirgead(アールガッド)」としてブランドを立ち上げ、一般販売はせず、全国にある卸先のバーに行かなければ食べることのできない、幻のような存在のチョコレートでした。ふらりと入った薄暗いバーのカウンターで、須藤氏のチョコレートがあることを知ったときは喜びもひとしお。ドキドキしながら待っていると、いそいそと運ばれてくるアンティーク風の木箱。そっと蓋を開けると、そこにはキラキラとまばゆいばかりのボンボンショコラが静かに並んでいるのでした。

2018年、須藤氏の出身地である弘前市に、自身の初めての店舗「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」がオープンしました。弘前城からもすぐ近くの静かな住宅街にポツンと佇んでいます。ここで作っているのはカカオ豆を独自に輸入して自家焙煎するところから行う、Bean to bar(ビーントゥーバー)のチョコレート。店を訪ねると、カカオを磨砕するための複数のリファイナーがビュンビュン回り、チョコレートの幸せな匂いに包まれる中で、須藤氏がテキパキと忙しそうに作業していました。店舗ができても「アトリエAirgead」の商品は相変わらずバー専用としてここでは販売はせず、二つのブランドは完全に切り分けています。須藤氏は以前からあった東京の工房と弘前を行き来し、月の1/4くらいを青森で過ごしています。

NHKの番組「美の壺」にも登場し、テレビや雑誌など各種メディアから注目される須藤氏。食べてみたいと思う人も多いと思いますが、彼の作ったチョコレートを一般客が買えるのは、今のところ弘前にあるこの店だけです。「津軽ボンマルシェ」に以前登場した『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の笹森氏は、須藤氏のことを気にかけ、こちらのカカオを料理に使っているとか。すでに東京に拠点を持っているのに、地元に店を構えたのは、何か理由があってのことなのでしょうか。まずは須藤氏の生い立ちを探ってみることにします。

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ロマンスチョコレート店内の様子。アンティークの家具を什器に使い、洋館の多い弘前の街にイメージを重ね合わせています。

リファイナーの中を覗くと、石臼のように二つのローラーが縦に回転してカカオ豆がすり潰され、トロトロに溶けたチョコレートが撹拌されていました。およそ3日間もの回転を続けてチョコレートが出来上がります。

チョコレートの原料となるカカオ豆。コーヒーのように豆の状態で仕入れ、自分たちで焙煎しています。殻を剥いて焼きたての豆をぽりぽりと齧ると、ナッツのような香ばしさの中に酸味や苦味など複雑な風味があり、産地によっても味わいが違います。

津軽ボンマルシェお菓子への強い憧れと、チョコレートという素材の面白さが原動力に。

子供の頃から甘いものが大好きだったという須藤氏。お菓子への憧れが特に大きく募ったのは、高校時代にボクシング部へ所属していた時でした。きつい食事制限がある減量生活の中で、部活後の疲れた体を引きずりながら、学校から家への道を急いでいると、その途中に一軒のお菓子屋さんがありました。
「店のショーウィンドーを覗くと、そこにはたくさんのケーキが並び、きれいな艶がキラキラと輝いて見えました。自分もいつかこんなケーキを作ってみたい、とすっかり心を奪われてしまいました」

高校を卒業後は自分で学費を稼ぎながらお菓子の専門学校へ通い、神戸の洋菓子店へ就職。6年間みっちり働き、技術を習得した後、次は恵比寿のフレンチレストランへ。しかしそこで大きな挫折を味わい、辞職してしまいます。自分はもうこの業界で生きていくことはできないかもしれない、と思い詰めるまでだったそうですが、そんな須藤氏にもう一度チャレンジのきっかけを与えたのは、チョコレートでした。今まで様々なお菓子作りの腕を磨いてきましたが、チョコレートについてはまだ未開拓の分野だったのです。パティシエとは別に、ショコラティエという専門の職業があるくらい、特別な技術を必要とするジャンルです。これでダメなら本当に諦めようと覚悟を決めて門を叩いたのは、ベルギーの名門チョコレートブランド「ピエール・マルコリーニ」でした。

ピエール・マルコリーニのボンボンショコラはベルギー現地から空輸だったため、実際の仕事はチョコレートを使った洋菓子作りがメインだったそうですが、須藤氏はチョコレートという素材の面白さに次第にのめり込んでいきました。仕事が終わった後も自主練として、ボンボンショコラ作りに精を出していると、知り合いのバーテンダーから声がかかりました。
「うちのバーで出すチョコレートを作って欲しいと頼まれました。オーセンティックバーでは昔からチョコレートを出していましたが、本格的なものを出しているところはほとんどなかったのです。自分はバーが好きでバーテンダーになろうかと思っていたこともあったし、お酒とのペアリングを考えるのは勉強にもなると思い、引き受けました」
チョコレートは次第に好評を得て、やがて店舗を持たないバー専用の卸しを行う「アトリエAirgead」として独立。しかし、それは今までにない全く新しいジャンルのビジネスであり、最初の頃は赤字が続きました。須藤氏は自身でバーを一軒一軒回って営業していたそうです。誠実な人柄で努力家の須藤氏。ひたむきにコツコツと続けていくことで徐々に信頼を得て、取引先も増え、広まっていきました。「アトリエAirgead」は定期的な契約という形は取らず、毎回新規に注文をもらって取引するというスタイル。自分を厳しく律し、常に緊張感を持って対応したいという須藤氏のストイックな性格が反映されています。実際はリピーターが多いそうで、毎回注文をもらえることが、須藤氏にとって大きな自信とモチベーションに繋がっているといいます。

テンパリングしたチョコレートをモールド(型)に流す作業。テンパリングとはカカオバターの結晶構造を安定させるための温度調整で、チョコレートを扱う上でのキモとなります。須藤氏のキビキビとした動きには全く無駄がありません。

艶やかなチョコレートがとろりと流れる様子に、思わず生唾をごくり。

冷やし固めたモールドの上部をコンコンと軽く叩くと、ボンボンショコラが見事に外れました。きれいに外れるのはテンパリングが上手くいった証拠。

ボンボンショコラはビジュアルも重視。主にベルギー製のモールドは、種類豊富に揃えています。奥の赤い色は着色用のカカオバターで化粧を施したもの。刷毛やスプレーガンなどを使い、何層にも色付けすることもあります。

津軽ボンマルシェカカオを極めることをきっかけに、故郷への思いが深まる。

須藤氏のチョコレートへの飽くなき探求はさらに深まり、カカオをもっと極めたいと思うようになりました。バーに来る客の知識の深さ、知的好奇心の高さも、須藤氏に影響を与えました。客に鍛えられ、自然とクオリティが上がり、珍しいスパイスや日本の発酵食品など様々な素材を使い、ますます手の込んだチョコレートを生み出していく中で、最終的に行き着いたのが原料そのものであるカカオ豆。世の中はクラフトチョコレート(Bean to Bar)の全盛期で、異業種でも小さな個人店でも、カカオ豆を自ら輸入して自家焙煎し、自分でチョコレートを作れる時代が到来していました。世界中から好きな豆を選んで作ることで、チョコレートはより繊細で複雑な味わいを引き出すことができ、表現の幅も一層広がります。

「Bean to Barを本格的に始めるにあたり、東京の工房では手狭でした。もっと広い場所をと考えて、思い付いたのが故郷の弘前。最初はただ作業のための工房が欲しかったんです。そこで久しぶりに帰ってみると、ここはやはり自分の生まれた大切な場所であり、故郷のために何かできないだろうか、という思いが強まりました。青森ではまだBean to Barのチョコレートを作っているところは一軒もありませんでしたので、店舗を出せば街の活性化や雇用促進に繋がるのではないかと考えました。弘前は歴史文化の深い街で古い洋館が多い。その一方で若い人の新しい店も増えていました。美意識の高い人が多いせいか、美容院も多いんです。質の高いコーヒー店、洋菓子店も多い。そういうアカデミックな雰囲気を持つ街にきっとチョコレートはフィットする、と考えました」

「浪漫須貯古齢糖」という店名は、古き良きレトロな弘前の街をイメージし、あえて漢字表記にしたそうです。貯古齢糖という文字は、明治時代にチョコレートが初めて日本で売り出された頃の実際の表記です。タブレット(板チョコレート)の包み紙は、大正時代の東奥日報や弘前新聞など、地元の古い新聞からデザインを起こしています。ボンボンショコラの箱には、弘前の観光名所となる洋館を須藤氏が自ら撮影し、各所に許可を取ってセピアカラーでプリントしています。箱の写真を見て、弘前のことを思い出し、また観光に足を運んでもらえたら嬉しい、と須藤氏。青森産の食材も少しずつチョコレートに反映させており、つい最近完成したのがりんごのチョコレート。青森県だからりんご、というのはあまりに安易過ぎて最初は敬遠していたそうですが、フリーズドライのりんごを使うことで、一味違うチョコレートに仕上げることができました。ガーナとトーゴの豆をブレンドした自家焙煎チョコレートをコーティングし、カカオニブをまぶしています。ほのかなりんごの甘い香りとサクサクとした食感、ビターなカカオニブの香ばしさがアクセントになって、上品で大人っぽい味わいのチョコレートになりました。

古い地元の新聞をデザインしたパッケージ。タブレットはカカオの産地別に作り、ヴェネズエラ産は甜菜糖、ハイチ産はメープルシュガーなど、カカオの味の特徴に合わせて砂糖を変えています。店頭には常に10種類くらいのタブレットが並びます。

こちらのパッケージは地元の若いアーティストがデザインしたもの。チョコレートのパッケージは自由度が高いので、若い人の新しい表現を発表する場として活用できたら、と語る須藤氏。

弘前の店舗で購入できるボンボンショコラ。苺ハーブ、ナツメグシナモン、柚子紅茶など、親しみやすい素材ながら組み合わせにちょっとひねりが効いています。こちらはお酒とのペアリングは考えていないものの、徹底的に磨き上げた味と香りの構成です。

津軽ボンマルシェ地域を巻き込んで一緒に盛り上がれる仕組み作りを。

須藤氏のチョコレート作りの大きな特徴の一つは香りの分析。バー専用チョコレートを作るにあたって、香りはお酒とのペアリングを考えたときに欠かせない重要な要素です。カカオや合わせる素材の香気成分を分析し、お酒に含まれる成分と共通するものを見つけながら、味の構成を考えていきます。須藤氏は日本香料協会にも所属しており、毎月送られてくる分厚い専門誌の学術文献を読んで日夜勉強しています。弘前に拠点ができてからは、さらに一歩進み、弘前大学と共同で香りの研究を始めました。例えばカカオ豆の産地別はもちろん、焙煎でも120℃、150℃、170℃など、温度の違いで出てくる香気成分が変わってくるそうです。
「手仕事なので感覚的なことももちろん大事なんですが、人間だけでは感じ取れない部分もきっとあると思います。専門の研究機関で化学的な分析を行い、きちんとデータに表すことで説得力のある裏付けになります。研究結果は自分たちが利用するだけでなく、どんどん発信して共有していきたい。そんなに明かしちゃっていいのかともいわれますが、情報の使い方は人それぞれだし、お互いに交換することで幅が広がりブラッシュアップできる。自分たちだけで囲うより、シェアすることの方がメリットは大きいと感じています」

須藤氏はミラーレスのカメラを買い、YouTubeでの配信も始めました。チョコレート作りの技術や知識を、かなり専門的なところまで惜しげもなく動画で解説し、情報をシェアしています。YouTubeは第二の検索ツールとして活用を重視しており、これからも続けていきたいそう。また、2019年には地元の公民館などと連携して、親子で参加できるワークショップを開催。カカオを豆の状態から観察し、フライパンなどで煎り、すり鉢で砕いて潰し、チョコレートになるまでを一通り体験します。募集は開始後10分で埋まり、当日は大雪にも関わらず、誰も欠席することなく大盛況。須藤氏は大きな手応えを感じることができました。
「地域を巻き込んでみんなで盛り上げていくというのが、自分の本当にやりたかったことの一つ。チョコレートができるまでの工程は、実際には知らない人も多く、例えば手作り品と大量生産品の違いを教えることでも、食育に繋がっていくと思います。子供達の反応も良くて、思った以上に質問が多く飛び交いました。地域で育つ子供達ともっと関わり、彼らの未来に繋がることをやっていきたいと思っています」

探究心旺盛な研究者であり、明確な視野を持つビジネスマン、そしてアスリートのような熱血職人。物腰柔らかく、クールに淡々と話す須藤氏は、チョコレートが溶けそうなほど故郷への熱い思いに溢れていたのでした。

テンパリングしたチョコレートの状態を真剣に見極める須藤氏。

店に並ぶ須藤氏が作ったアートピースの数々。もちろん全てチョコレートでできています。最近は、自分で好きな型を作れる機械を購入し、さらに表現の自由度が増したとか。右下の手と心臓は、自分で型から起こしたオリジナル。

住所:〒036-8332 青森県弘前市亀甲町5番 MAP
電話:0172-88-9015
営業時間:11:00~19:00(商品が売切れ次第閉店)
休日:月曜(月曜が祝日の場合は火曜)
https://romance-cacao.shop-pro.jp

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社