人気のキッズ商品★【レディース館】

 

 

こんにちは~キラキラ

 

今回は当店人気の可愛いキッズ商品をご紹介させてください!!

 

 

 

思わず、「くぅぅ、、、」とうなってしまうこちらの商品

 

 

デニムサロペット¥4,290

サイズ展開は80~100㎝です音符

 

ぽてっとした形が可愛いですよね照れラブラブ

 

 

 

Gジャン¥6,490

サイズはS,M,L(80~110くらい)

シンプルなデザインなのでどんな格好にも合わせやすいです音譜

 

 

 

とんがりコート¥6,490

 

人気でお土産などで買われる方も多いこのコート

 

名前の通りとんがった帽子が可愛すぎる~~ラブラブ

他には中々無いデザインですよね目音譜

 

 

是非、倉敷にお越しの際には

見てみてくださいねイエローハーツお待ちしております

 

 

 

 

のりきろう日本、つながろう日本。#onenippon

つながろう日本 #onenippon

「ONESTORY」が大切にしていること、それは「ONE=1ヵ所」を求めて日本を旅し、そこから生まれる「STORY=物語」の感動を表現することです。

しかし、今、地球上を恐怖に落とし入れている新型コロナウイルスによって、世界中に感染者は拡大し、旅はおろか、外出すら規制や自粛の要請が出るような状況になってしまいました。
日本でいえば「東京オリンピック」の延期はもちろん、各国の情勢と死者の人数を見れば当然のことだと思います。

結果、「ONESTORY」がこれまで出合ってきたホテルやレストラン、ショップ、伝統工芸から農業や漁業、生産者、そしてエンターテインメントも含め、多くの人々は、需要と供給が崩壊し、危機的状況に貧しています。
中には、一時休業や閉店を強いられているところも少なくありません。

しかし、それでも各所は「できること」をアクションしています。
例えば、全国の飲食業では一流店も含め、テイクアウトを実施し、地域のそれぞれもONLINEを積極的に取り入れ、各界では映像や情報の配信なども行なっています。
ここでは、そんな活動をしているところをご案内し、少しでもつながっていただければと思います。

潰したくないお店がある。
なくなってほしくない場所がある。
応援したい人がいる。

「ONESTORY」にできること。自分たちにできること。
何ができるかわかりません。もしかしたら何もできないかもしれません。
それでも今、我々にできる「日本に眠る愉しみをもっと」伝えていければと思っています。

のりきろう日本、つながろう日本。
#onenippon

一刻も早く、世界中に平穏な日々が戻る願いを込めて。

※「#onenippon」は、Facebookにて上記の活動を共有する「ONESTORY」が管理するグループになります。また、そのほか、各SNSでも展開致します。ぜひ、そちらもご覧いただけますと幸いです。(現在は、準備中になります。開設後、「ONESTORY」公式Facebookにてご案内致します)
※情報は不定期に更新していきます。更新時は、「ONESTORY」公式Facebook及び、上記の「#onenippon」にて発信させていただきます。また、「我々もこのような活動をしています」という方々は、是非、info@onestory-inc.jpまでご連絡いただければ幸いです。


株式会社ONESTORY代表取締役社長・DINING OUT総合プロデューサー 大類知樹
ONESTORYメディア統括編集長 倉持裕一

日本はふたつの特別賞を得るも、見えない敵と戦う難局のサヴァイヴ。 [ASIA’S 50 BEST RESTAURANT]

「シェフズ・チョイス賞」を受賞した髙田裕介シェフ(手前)。「同志が自分の仕事を評価してくれた」と語る一方、「今は個人店が生き残れるかの瀬戸際」とも。

アジアのベストレストラン50

3月24日、オンラインストリームによるバーチャル・イベントとして、前例のない形での発表になった202年の「アジアのベストレストラン50」。レストラン業界がかつてない困難にさらされる状況下で、授賞したシェフたちの表情、コメントも祝祭ムード一色ではなかったのが印象に残りました。そんな中、ランキング結果以上に日本のシェフたちを沸かせたのがふたつの特別賞。大阪『ラ・シーム』髙田裕介シェフの「シェフズ・チョイス賞」と、恵比寿『エテ』庄司夏子シェフの「アジアのベストパティシエ賞」です。

【関連記事】ASIA’S 50 BEST RESTAURANT/速報! 2020年、幻となった「アジアのベストレストラン50」初の日本開催。

授賞を受け、今の思いを話す『ラ・シーム』の髙田シェフ。

庄司シェフ。日本の女性シェフとして初の授賞を誰よりも喜んだ中村孝則チェアマンと。

アジアのベストレストラン50大阪発世界へ。都市の食文化の多様性の意味を、発信し続ける。

「料理人仲間、同志が自分の仕事を見てくれていて、評価してくれた。今までやってきたことは間違いじゃなかったんだなと。非常に光栄です」。
「シェフズ・チョイス賞」の授賞について、そう感想を述べる髙田シェフ。料理人たちの間で「ランキング以上の価値がある」といわれる同賞ですが、ランキングにおいても、2019年の14位から4位ランクアップで10位にランクインし、初めてのベスト10入りを果たしました。2010年の開業から、ちょうど10周年の年に当たる年の快挙です。

「10年前に大阪に店を開いて以来、大阪に人を呼びたいという気持ちで仕事を続けてきました。首都圏の方々も、京都までは来るけれど、大阪には距離を感じている。これは物理的ではなく、心理的な距離なんですよね。大阪はニューヨークやバンコクのように、ストリートフードから高級店まで飲食店の層が厚く、素晴らしいレストランもたくさんある。ただ、食の町としてのブランディングが今ひとつ。自分がこのような賞を頂くことで、大阪という都市に多くの方の目が向けてくれたらと思います」。

2007年から2年間のフランス修業時代、当時、欧州全体にその名を轟かせていた『noma』に影響を受けたという髙田シェフ。過度な装飾や様式美を排除し、フラットでモダンな空間をしつらえたのは、「フランス料理に抱くハードルの高さ」を払拭する店にしたかったからだといいます。「オープンから3~4年は全然、理解されませんでしたけどね」と、笑いますが、関西一帯、加えて故郷である九州の食材を丁寧に発掘しながら「フランス料理の技法でアウトプットする」というブレない軸を貫き、現在は、クラシックの世界からもイノベーティブ志向の食べ手からも、高い評価を受けるに至っています。気付けば“ベテラン”世代。今年43歳、知識も経験も体力も充実したアジアを代表するトップシェフは、今の世に何を思うのでしょうか。

髙田シェフ。ランキングの発表後は、国内外のシェフとメッセージのやりとりも。

困難な状況下でも、「この日1日は」と、授賞の喜びをかみしめた。

アジアのベストレストラン50「職人の仕事」が育まれる、評価される土壌を、食べ手とともに作っていく。

「ほんのわずかな時間で、世の中が一変してしまった。僕らも1カ月前までは、佐賀で会いましょう、なんて話していたのですから」。
「佐賀」とは、武雄で開催される予定だった2020年の授賞セレモニーのこと。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止になったのは、周知の通りです。
「多くの店がギリギリの状態で踏みとどまっている。もちろん、うちの店もそうです。わずか20席の店ですが、8人の従業員がいる。都市部は家賃も高い。まずはこの状況をどう乗り越えるか、そして収束後に何ができるのか。真剣に考えなければなりません」。

各国の政府がそれぞれの支援策を打ち出す中、日本の政府の無策についても声を上げます。
「海外から日本へ訪れる観光客をもてなす上で、日本の食文化を伝える飲食店は重要な役割を担ってきたはずです。鮨や天ぷら、割烹などの日本料理はもちろん、今日ランクインしたレストランのように、世界の食べ手の情報交換の場に名前が上がる店もそう。これまでインバウンド需要を支えてきた食の担い手たちを、今、守らずにどうするんだ、と」。

レストランが、街の、国の「資産」であるという認識が欠落していると感じざるを得ない国の無策に、厳しい視線を向けつつ、言葉を続けます。
「今は個人店が生き残れるかの瀬戸際。このような喜ばしい賞を頂いても、店がなくなってしまえば元も子もありません。これは現在の危機的状況下に限った話ではないですが、一軒の店がつぶれても、代わりに新しい店ができればいいという市場では、真の食文化は継承されない。僕は食文化の核は、職人の仕事にあると思っていますから。職人仕事は、インスタントな食文化の下で育まれることはありません。僕自身は店を開いて以来、まずは職人として仕事を認めて頂きたいという気持ちでやってきました。経営の安定や、評価は後から付いてくると」。

ポスト・コロナの時代は、料理界のあり方も変わっていくだろうと話します。
「先の職人の話にも繋がりますが、ここ数年、レストラン文化の過度な情報化、スピードの速さに、危機感を覚えていたのも事実です。SNSが大きな役割を果たしていて、集客という意味ではうちの店も恩恵に預かった部分もあるのですが、とかく“右へならえ”となりがちな日本では、一極集中も起こりやすく、爆発的な人気はいともたやすく“消費”されてしまう。レストランとは、そういうものでしょうか。僕にとっていい店が、ほかの誰かにとっても100%いい店である必要はないはずですよね。この難局をサヴァイヴできたら、まずは職人が安心して技を磨き、ものづくりに専念できる環境を整えることに力を注ぎたい。そして公平で自由なご自身の判断力、価値観を持つ食べ手の方と一緒に、次代のレストラン業界をじっくり、より良いものにしていきたいです」。

「頑張っている女性シェフ、そして若い料理人志望者に夢を」と、庄司シェフ。

アジアのベストレストラン50若くても、女性でもチャンスはある。顧客に向き合いながら戦略的であることの意味。

日本の女性シェフとして初めての授賞、しかも30歳という若さで。『エテ』庄司夏子シェフの「アジアのベストパティシエ賞」授賞は、重い空気に沈みがちな今のレストラン業界に、ひと際、明るく華やかなインパクトを与えてくれました。

「キャリアのスタートは料理人。レストランを始めるに当たってつくったケーキで、この賞を頂けたのは本当に驚きです。レストラン業界は、男性に比べて女性が圧倒的に少ない業界。女性でも、若くても、チャンスがあることを今回の授賞で示せたらとても嬉しいです」。

プリザーブド・フラワーのようなマンゴーケーキをアイコンに、一躍世に名を轟かせた庄司シェフ。完全予約制のケーキ販売と、1日1組、4席のみのレストラン営業を軸とした『エテ』をオープンしたのは2014年、24歳の時です。
「自己資金はわずか、国から融資を受ける際も、若いというだけで、女性というだけで、こんなにもハードルが上がるのかと、愕然としました。そんな小さな個人でも、一つひとつ目標をクリアしていけば、評価して頂ける。店の規模とは関係なく世界の舞台に立てる。料理人を志望する若い人が減り続ける今、次の世代に希望を与えられる存在になりたい」。

高校卒業後、10代で料理の道を志した庄司シェフは、30歳という若さながら、レストラン業界の全体に目を向けます。

「日本国内においてレストランを取り巻く環境は、年々、変化しています。東京でも、素晴らしい空間、完璧な料理とサービスがそろった高級店が、閉店を余儀なくされることもある。いい料理をつくることはもちろん、今の時代を料理人として生き抜くには、戦略的であることも必要だと考えます」。

小さなプライベートレストランというスタイルを選んだのも、「低コストで開業でき、顧客満足と利益の確保を両立できる形だったから」と話します。

「以前、海外の有名店に食事に出掛けたとき、サービスの方にシェフに会いたいと伝えたんです。私ミーハーだから、一緒に写真撮ってもらおうと思って(笑)。で、“今日は休みです”といわれ、とてもがっかりしたんですよね。日本のお客様はレベルが高く、サービスに対しても非常に敏感で、シェフが厨房にいない店からは離れてしまう。今日までも様々な場で店やケーキを取り上げて頂き、店舗の拡大などありがたいお話を頂く機会はあったのですが、私は“私自身が厨房に立つ店”の価値を高めて行きたい。一人ひとりのお客様によりフォーカスしたサービスを提供することで。そのことに注力できるのも、つまり小さなレストランを安心して続けていけているのも、ケーキというもうひとつの軸があるからなんです」。

1日1組、4席のみの店は、現在、レストラン業界を襲っている厳しい事態に巻き込まれることなく営業を続けていけていると話します。
「今の時代を料理人として生き抜くには、戦略的であることも必要」。
ディスアドバンテージを跳ねのけて小さな店を開き、がむしゃらに努力を重ねて世界の舞台へ躍り出た若き女性シェフの確固たる思想は、ガストロノミーのこれからに一筋の光を投げかけているように見えます。

日本人の女性シェフとして初めて「アジアン50」のトロフィーに名が刻まれた。

ファッションからインスピレーションを受けてケーキをつくるという庄司シェフ。この日は「ADEAM(アディアム)」のスーツで。