#plog diaries!
The joy of reducing the trash burden over a barefoot plog run !
#adidasrun @SwachSurvekshan @SwachhBharatGov @FitIndiaOff @mygovindia #trashtagpic.twitter.com/AjnulrnIrF
届け、米田 肇の声。届け、料理人の声。届け、日本の声。
米田 肇僕だけでは何も変えられない。みんなの力が何かを大きく変える。
「本当に素晴らしいレストランを造る」をテーマに掲げる大阪のレストラン「HAJIME」のシェフ、米田 肇氏。緻密に計算された高い技術、革新性、妥協なき探究心をもとに細部までこだわったコンセプチュアルな料理は、国内外を問わず、人々に感動を与えています。しかし、今回はスポットを当てるのは、シェフ・米田 肇ではなく、人間・米田 肇です。
周知の通り、現在、地球上に猛威を振るう新型コロナウイルスによって、世界中が窮地に立たされています。誰もが不安にかられる中、米田氏の活動がひとつの光を見出そうとしています。FacebookやSNSを通して、ひとりの声は、みんなの声に輪を広げ、何かが動き出そうとしているのです。
まさかこんなことになるなんて。数ヶ月で全てが変わってしまた。
まさかこんなことになるなんて。数ヶ月で全てが変わってしまた。
「2月某日、僕は“2025年 大阪万博”に向けてどのように世界の方々を誘致すべきかの相談を受けていました。そして、その時くらいからでした。新型コロナウイルスが日本中の話題を占め始めていたのは。その後、都内のイベントに参加した時にも東京のシェフたちから“今、街は閑散としており、予約のキャンセルも出始めている”と聞き、何か嫌な心理的変化が芽生え始めました」と米田氏は話します。しかし、当時もまだ「HAJIME」の影響はなく、常に満席状態。「正直、実感はなかった」と振り返ります。
その後、京都の料亭や友人知人のお店のシェフと連絡を取るも、「ゲストは激減」と聞き、自体のひっ迫さと危機感を覚えるようになります。
「そんな状況を踏まえ、関西の方でも感染症に関する対策チームを発足しました。メンバーは、大阪商工会議所や辻調グループ、大阪市立大学の感染症対策に長けた先生、観光局、そして、自分を含めた5人の料理人です。より安全に、より安心してお食事を楽しんでいただこうと共通のガイドラインを作り、そのまとめ役も僕が担っていました」。
では、次の会合はいついつに。そんな時に新たな言語が飛び出します。
それが、「ロックダウン」です。
「ロックダウンってなんだ? 正直、そこからです」と米田氏。
「調べると、つまり“都市封鎖”。そうなってしまったら、売り上げはどうなってしまうのだろう? 従業員に給与は払えるのだろうか? 家賃は払えるのだろうか? 一気に不安が広がりました」。
発令こそ出ないものの、日に日に感染者は広がるばかり。語弊を恐れずに言えば、先述の感染症対策の場合ではない状況に。なぜなら、「感染症対策を行ってもゲストが来ないことには意味がない」からです。自体は一転し、感染症対策の前に、レストランの存続対策を練ることが早急に必要と米田氏は考えます。
「その時でした。海外のシェフが署名活動を行い、大統領に提出した実例を目にしたのです。内容は、家賃や給与の保証などでした」と話します。
「何とかしないといけない」。
その一心で米田氏の戦いは始まります。
レストランを守りたい。飲食店を守りたい。日本の文化を守りたい。ただそれだけ。
レストランを守りたい。飲食店を守りたい。日本の文化を守りたい。ただそれだけ。
世の中に促される自粛も手伝い、日に日にレストランや飲食店のキャンセルは相次ぎます。業界の事態はより深刻になっていきます。
「ある程度の名店ならば、もしかしたら(金銭的に)体力があるかもしれない。しかし、例えばコストパフォーマンスの良い街の定食屋さんや小さな個人店は、今日の売り上げを明日の食材費や原材料に回して経営しているところも多いです。そのようなお店は、どうなるのか? 誰も手を差し伸べてくれないのか? 弱いものは生き残れないのか? 日本の食文化が崩れてしまうと思いました」。
とにかく急がないといけないと始めたのが、前例を見た「署名活動」です。なぜ急がなければいけなかったのか。危機的状況に貧していることはもちろんですが、もっと大きな理由は、10日間で補正予算案を組むと国が発表したからです。
米田氏が第一歩を踏み出したのは、3月29日のことでした。
「補正予算案を組まれてしまう前に、改めて、日本のレストランや飲食店の資産価値を伝えたい。そして、経営構造の実情や現状を正しく理解してほしい。まずは、それを把握していただかないことには、何も好転しないと思いました」。
時をやや前に戻し、米田氏はある創設のメンバーにも招聘されていました。それは「一般社団法人 食文化ルネッサンス」です。
「その中心にいた料理人は、『レフェルベソンス』の生江史伸シェフと『シンシア』の石井真介シェフ、そして僕でした。もちろん、この3名以外にも様々な人が名を連ねるのですが、その中に国会議員の方もいらっしゃって。生江シェフは政治にも明るく、関心を持っている人なので、両人をきっかけに糸口が見つかりました」。
ちなみに、「一般社団法人 食文化ルネッサンス」は、まだ発足されてはいませんが、奇跡的にチャンスはすぐに訪れます。
「すぐに霞ヶ関へ足を運べる機会を頂きました。実は、指定された日にお店は予約で満席でしたが、お客様一人ひとりに事情をお伝えし、お店を閉めて東京へ向かいました」。
今、行動しないと、飲食店が危ない。日本が危ない。とにかく急がないと間に合わない。そんな気持ちが米田氏の心を動かします。
「思いの丈を伝え、その後も大阪府や農水省、文化庁にも周り、できる限り真摯に理解を求めました」。
FacebookやSNSを通して、米田氏の活動を目にした人も少なくないと思います。しかし、そこには綴られていない大切なことを加筆したいと思います。米田氏は、飲食店だけを救おうとしているわけではないのです。今回は、「飲食店倒産防止対策」を求める声を提出していますが、対面の場では、今、米田氏が声を上げているレストランや飲食店への対策だけではなく、伝統工芸や芸術家、様々なところで同じようなことが起こっている実情の理解も求めています。何とか救ってもらえないだろうか、と。何度も、何度も、何度もお願いをしています。
「老舗と言われているところを始め、伝統あるそれぞれは、うん十年、うん百年と、歴史を守り続け、継承してきました。積み重ねるのにはそれだけの歳月を有するも、消えてなくなるのは一瞬。そうなるかもしれない状況に見て見ぬ振りはできません。そんなことは、決してあってはならない」。
料理の技術を磨くことも大切だが、政治に関わることも大切だと気付かされた。
料理の技術を磨くことも大切だが、政治に関わることも大切だと気付かされた。
「この短期間で色々な活動をしてきましたが、自分たちも良くなかったと思うこともあります」。米田氏は、そう話します。
「僕たち料理人は、美味しい料理さえ作っていれば良いと思っていました。それが正義であり、答えだとも思っていた。しかし、今回のようなことになってしまい、僕らはもっと政治に関心を持つべきだったと思います。なぜなら、この規模の問題に立ち向かうには、ひとりの力ではどうにもならないからです」。
美味しい料理で人の心を豊かにすることができても、その美味しい料理でこの危機的状況を乗り越えることも救うこともできません。もっと言えば、主戦場が異なるため、戦い方も違います。もしかしたら負けるかもしれない戦いであっても、米田氏は勝ち筋を見つけようと走り続けます。
「署名活動なんてやったことありません。右も左もわからない状況からスタートしています。ただ誰かが動かないと手遅れになってしまう。僕は、レストランを守りたい。飲食店を守りたい。日本の文化を守りたい。ただそれだけ。ゴールさえできればあとはそれを目指すだけ。遠回りもすると思いますが、そのプロセスは無限にあるはずです」と言います。そして、この状況を客観視し、「日本には海外で活躍するシェフも世界的に評価されているシェフも多くいます。星を獲るために技術を磨くのも良いでしょう。大会で好順位を狙うのも良いでしょう。コラボレーションディナーをして、認知度を上げるのも良いでしょう。しかし、それは本当に大切なことですか? メディアも同じです。本当に良質な記事とは何ですか? 改めて問いたいと思います。良いレストランって何ですか」。
一番の理想。それは今の活動が「忘れ去られる」こと。
一番の理想。それは今の活動が「忘れ去られる」こと。
この新型コロナウイルスの難局は、100年に一度という声も出ています。米田氏の活動は、現代だけでなく、きっと未来へのモデルケースとなるでしょう。もちろん、このモデルケースが生きる場面がないことを願いつつ、間違いなく、過去の好例として刻まれるに違いないでしょう。
「署名活動を通して思ったことは、同じ飲食業界がつながったことです。例えば、レストランはレストラン、居酒屋は居酒屋、バーはバー……。横のつながりはもちろんあると思いますが、縦のつながりも形成できた気がします。まさにひとつになれた。更には、この活動に共感してくださった異業種の方も含め、署名に参加してくださった一人ひとりには感謝しかありません」。
そんな署名は、10万人を超え、更に増え続けています。そして、その署名活動は、ただの署名だけにとどまらず、不安だった個々に行き場を与え、参加するという行動にも結びつけたと思います。「この署名ひとつだって政治への関心の一歩」とは、米田氏の言葉。米田氏の声は、日本全国に届き、出会ったこともない地域の農家の人々にまで届いています。
「日本全国から郵送で毎日届きます。一人ひとりの筆跡に想いを感じ、胸が熱くなります」。
そんな声を聞くと、米田氏自身も「決してひとりではない」と思い、勇気をもらいます。
「政治に関して素人の僕だってできるんですから、きっとみんなもできるはず。声を上げましょう」。
そう米田氏が語るも、その行動に移せた裏側には日々の危機管理があったから。
「常にレストランには予測不能なことが起こります。それはどんなに用意周到にしたとしても起こりうるものなのです。その先々を読み、何が起こっても対応できる能力を“HAJIME”では大切にしています」。
予測不能なそれにケーススタディはありません。繰り返し対応する能力をつけることによってベストな方程式は広がり、数多の対応能力が身に付くのです。
「急に対応するのは無理。常に最悪のケースをイメージし、現場に立ち続けなければなりません」。そんな対応力の素早さが、今回に生きていると思います。厨房から生まれた能力が政治への原動力につながったのです。
「急に非常事態が起こっても対応はできない。政治もそう。願いたくはありませんが、もし次に何か起こった時にすぐ対応できるよう、この一件が去った後も政治には関心を持ち続けたいと思いました。日々の過ごし方、向き合い方、関わり方が、いざという時に未来を変えると思うから。料理も本気で取り組まないとゲストには届かないように、政治も本気でないと人に届きませんから。料理も政治も同じ」。
悩んで、苦しんで、悔しくて。米田氏のもとには、この活動の答えが出る前に「泣く泣く店を閉める決断をしたという報告を頂くこともある」と言います。
まさに待ったなし。そういった人たちのためにも「みんなの想いは、必ず届けます」。
届け、米田 肇の声。届け、料理人の声。届け、日本の声。
その声が届いたあかつきには「みんなで笑いたい」。
そして、「この活動が忘れ去られてほしい。忘れてくれるということは、それだけレストランに笑顔と活気が戻っているということですから!」。
そのゴールのテープを切るまで、米田 肇はまだ走り続ける。