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命を守る人の命を守りたい。それが「レストレ」の使命。
スマイルフードプロジェクト共通の想いを持ったシェフとの邂逅。きっかけは、あるSNSの言葉だった。
「想像も絶する状態にあるフランスで、現地の日本人シェフ達が医療機関に差し入れしたとの事。誇らしいです! 僕たちもやりたい!! だって今日本でも感染が1番広がっているのって医療機関従事者ですよね? 命がけで働いてくれている人達に何かしたい!」。
これは、フレンチの名店『シンシア』の石井真介シェフが、2020年4月6日(月)の午前7時47分にFacebookで発信したメッセージ(一部抜粋)です。そして、同じ思いを持っていた人物の目にこれは留まり、あるプロジェクトが始まるきっかけになります。
その人物とは『サイタブリア』代表・石田聡氏であり、あるプロジェクトとは、のちに生まれた日本の医療機関へお弁当を無償で提供する『Smile Food Project』の活動です。
「石井シェフが投稿した瞬間に僕もちょうど携帯を触っていて、この内容を見た時に“同じことを考えている!”と思い、すぐに連絡しました」と、石田氏はその時を振り返ります。
『サイタブリア』は、『レフェルヴェソンス』を始め、『ラ・ボンヌ・ターブル』や『サイタブリア・バー』、そしてケータリングサービス『サイタブリア・フード・ラボ』を展開しており、新型コロナウイルスによる営業自粛などのあおりを受ける渦中にいます。
ここで素朴な疑問が生まれます。
なぜそのような状況において外に目を向けられる活動ができたのでしょうか? その大きくは、石田氏の経営的手腕にあると言っていいでしょう。「いえいえ、そんなことはございません……」と謙遜するも、それは間違いありません。そしてもうひとつ。それは、「レストランの力を信じたいから」です。
「レストランの原語は、気力・体力を回復させるという意味があり、フランス語の“レストレ”(restaurer)から来ていると言われています。石井シェフのメッセージにもありましたが、今一番気力と体力を回復させなければいけないのは、我々の命を守ってくれている医療従事者の方々です。食べることは、体を作るだけでなく、心も豊かにします。僕たち“レストレ”にできることで何か役に立ちたいと思いました」。
「サイタブリア」だから得られた早期の危機感とその後の行動力の速さ。
「サイタブリア」だから得られた早期の危機感とその後の行動力の速さ。
石田氏のここ数ヶ月を少しだけ振り返ってみたいと思います。
「確か1月か2月くらいだったと思います。新型コロナウイルスという言葉が世間に多用され始めたのは。しかし、日常に変化はなく、正直“対岸の火事”くらいの印象でした。その中で自分ごと化するようになったのは、経済的な打撃でした。インバウンドが激減し、イベントが続々と中止になっていったのです」。
イベントが中止になるとどんな現象が起こるのか。石田氏にとって、その火事の火の粉が降りかかります。
「ケータリングのキャンセル」です。
しかし、一方でレストランは満席状態。同じ『サイタブリア』の中でも、「両者の時差があった」と言います。
「イベントの中止が相次ぎ、僕らのケータリングにもキャンセルが続きました。それに伴い、経営的な危機を感じ始めました」と石田氏は話します。
幸いにも早期の危機感によって今後の経営対策を素早く進めることができ、先述の「なぜ外に目を向けられる活動ができたのか」という「素朴な疑問」の答えにつながります。
それは、資金的に会社の体力を備えるということです。
「2月からは急速に色々なことが変化していきました。ケータリング業態の悪化に始まり、経営対策、3月には外出自粛になり、レストランにも影響が出てきました。そして、4月7日には緊急事態宣言の発令……」。
一時は、「ロックダウン」という言語も飛び交い、それに対する「保証」はされるのか!?という不安の中、ともにその両者が採用されることはありませんでした。そこから石田氏の行動にある変化が生まれます。
「自分で判断するしかない」。そう思ったと言います。
「3月末でお店は休業させ、まずスタッフの安全に徹しました。幸か不幸か、ケータリングの一件があっため、その時には経営的な工面もなんとかなりそうだったので、ちゃんと給与の保証もした上での対応だという説明もでき、社員やスタッフには理解をしていただきました」。
そして、このように迅速な対応ができたことは、『レフェルヴェソンス』の生江史伸シェフを始め、「各店に任せられる優秀な人物がいたおかげ」だと言います。
「彼らがそれぞれに価値を創造してくれているから、僕は経営に専念できる。しかし、昔はそうではない時もありました。レストランも見て、経営もやって……。現場を見ると何か言いたくなってしまうし、二足の草鞋を履くことによって疎かになってしまったこともありました。仲間に恵まれたおかげで、まず最悪の事態を凌ぐことができたと思っています」。
そんな準備と備えがあったため、2020年4月6日(月)の午前7時47分を境に『Smile Food Project』が動き出したのです。
僕らは今の社会にどんな貢献ができるのか。立ち上がった「Smile Food Project」。
僕らは今の社会にどんな貢献ができるのか。立ち上がった「Smile Food Project」。
「一刻も早く形にしたい……」。3月から石田氏はそう思っていました。
なぜなら、医療崩壊は既に世界では現実になり、それによって医師や看護師は疲弊する日々。ウイルスと闘う最前線にいながらも満足に食事も取れない環境にありました。
「すぐにでも日本に同じ事態は訪れると思っていました」。
そんな矢先に石井シェフのメッセージだったため、実現に向けスタートします。その後、石田氏以外にも賛同者や協力者は集い、2日後の2020年4月8日(水)に『Smile Food Project』は発足されます。石井シェフは、水産資源の未来を考えるトップシェフのグループ『一般社団法人 Chefs for the Blue(シェフス・フォー・ザ・ブルー)』のリードシェフだったことも手伝い、同社も参画し、プロジェクトは加速していきます。
「とにかく走り始めましたが、どうやって医療現場に届けるのか? アポイントを取るのか? まずそこからでした。実際、会ったこともない人間がいきなり食事を提供したいと申し出ても“好意はありがたいのですが……”と困惑する病院もありました。なるほど、ここのハードルは高いんだな、と認識しました。その時に助けられたのがホームページです。プロジェクト発足から数日で素晴らしいものに仕上げていただき、ここにも一流メンバーの方々にお力添いをいただきました。それがあったおかげで安心を可視化することができ、『Smile Food Project』の活動を相手に知ってもらうことができました。そして同時に、今度は医療関係の友人・知人に相談をし、間口を広げることもできました」。
作れるシェフはいる、その環境もある。そして、医療機関へのつながりもできました。いよいよです。キッチンの舞台には、『サイタブリア・フード・ラボ』を起用。江東区豊洲の運河前に建つそこは、風通しも良く、一括調理を行えるため、衛生面にも適しています。
「スタート時は、1週間に2〜3日、200食を医療機関にご提供させていただいておりました。現在は、ほぼ毎日400食できるまでになり、6月末までには20,000食を目指しています。お弁当スタイルなのですが、このシンプルな形に行き着くまでにも右往左往ありました。僕ら作り手は、温かいものを食べてもらいたいのでキッチンカーで伺おうと思いましたが、対面や手渡しはできず、いつ食べられるかも分からない現場のため、それは不可能に。諸々を踏まえた結果、冷めてもおいしいお弁当スタイルになりました」。
スタートした後に待っているのは、どう継続していくかの問題です。
「一部の食材に関しては、このプロジェクトに賛同いただけた生産者さんたちから無償でご提供していただいております。現在は、携わるシェフの方々含め、全員がボランティアです。今では、医療機関からの問い合わせをいただくこともあり、今後、ひとつでも多くの場所に、ひとりでも多くの方に、おいしいを届けたいですが、それでも今の人数と体制には限界があります。これからは、続けるためにはどうすればいいか。みんなにもどうしたら還元できるか。そんな仕組みも考えていきたいと思っています」。
※「#医療現場へ食事のエールを贈ろう コロナ最前線ではたらく病院関係者支援プロジェクト」と題し、『Smile Food Project』の活動を支援する募金が始まりました。ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、是非、ご支援のほど、何卒宜しくお願い致します。詳しくは、下記のバナーもご覧ください。
あの時にはできなかったことが今ならできるかもしれない、そう思った。
あの時にはできなかったことが今ならできるかもしれない、そう思った。
実は様々な悔しさが石田氏の礎を築いたと言います。中でも特に忘れられなかったことは2011年3月11日の東日本大震災だったと言います。
「当時、自分にどんな社会貢献ができるのかを今と同じように考えていました。その根本は変わらず、やはり“レストレ”の精神です。その時に一番気力と体力を回復させなければいけないのは被災地の方々であり、そのために炊き出しにも行きました。ですが、あの時の自分には、まだ会社としての体力もなく、経営者としても未熟だったため、スタッフやお店を守ることだけで精一杯でした。ゆえに、炊き出しも数回しか伺えず、継続した活動ができなかったのです。それが悔しくて……」。
そんな教訓が石田氏の日々を培い、いざという時のための準備と心構えを養ってきたのかもしれません。
「あの時にはできなかったことが今ならできるかもしれない。そう思いました。同時に、やらなければいけないとう使命感もありました。だから、この『Smile Food Project』は、継続しなければ意味がないと考えています。難局の中、おいしいを通して少しでも誰かの心身を豊かにできるのであれば、ひとりでも多くの人にそれを届けたいと思います」。
「純粋」と「黒子」。このふたつの言葉がチームの心身を支える。
「純粋」と「黒子」。このふたつの言葉がチームの心身を支える。
今回、話を伺ったのは『サイタブリア』代表の石田氏のほか、この日のお弁当を担当する『恵比寿 えんどう』の鮨職人・遠藤記史氏と和食料理店『HIGASHIYA-Tokyo』の総料理長・梅原陣之輔氏、そして、フードジャーナリストであり、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の代表理事も務める佐々木ひろこさんです。
皆それぞれの役割は違いますが、共通して発する言語があったことが印象的でした。
それは、「純粋」と「黒子」です。
今回、この『Smile Food Project』のプロジェクトリーダーを『シンシア』の石井シェフとともに務める『サイタブリア』の石田氏ですが、「今回のプロジェクトは、『Chefs for the Blue』の多くの一流シェフの方々にご賛同していただけました。その思いはみんな一緒で、医療従事者の方々のことを思い、ただただ“純粋”な気持ちで日々料理を作っています。おいしいものであることは間違いないので、それに対して僕は仕組みを作る“黒子”です」と言います。
そして、遠藤氏も「僕らがこうして料理を作れるのは、その環境を作ってくれた石田さんのおかげです。石田さんの“純粋”な気持ちから生まれたこのプロジェクトを支えるために“黒子”として貢献したい」と話せば、梅原氏も「『Smile Food Project』も『一般社団法人 Chefs for the Blue』も本当に“純粋”なんです。自分のためではなく誰かのために活動し、より良い未来と社会を形成するために一生懸命。僕はそのプロジェクトを成功させるために参加させてもらった“黒子”ですから」と続けます。
そして、佐々木さんもまた「プロジェクトの事務局として、シェフたちの熱い思いがひとりでも多くの方に届くことを願っています。医療従事者の方々に十分に栄養を取ってほしい、おいしいもの食べてもらいたい。本当に“純粋”な一心で料理を作っています。そして、それを支えてくださっている石田さんや『サイタブリア』のスタッフの方々、また資金調達などを担当してくださっている『NKB』の方々には感謝しかありません。私は私にできることを“黒子”としてサポートし、このチームの一員として役に立てればと思っています」と話します。
その「純粋」と「黒子」が支える主役は誰か? もちろんそれは、医療従事者の方々です。『Smile Food Project』のチームは、今日もまた、その主役のためにお弁当を作り、届けに走ります。
星を獲るためでもなければランキングを目指すわけでもない、夢の饗宴。
星を獲るためでもなければランキングを目指すわけでもない、夢の饗宴。
フレンチや中華を始め、『Smile Food Project』のお弁当は、日毎、数種のジャンルよって構成されています。本日のスタイルは、和食。携わる料理人は、先述の通り、『恵比寿 えんどう』の鮨職人・遠藤記史氏と和食料理店『HIGASHIYA-Tokyo』の総料理長・梅原陣之輔氏です。
「今回、すごい自分自身がおいしそう!と唸ったのは、遠藤さんの太巻き。中には車海老が入ってるんですよ! すごい!」と興奮するのは、梅原氏です。そして、「普段は、自分のお店で太巻きなんて巻くことないので、遠藤さんの手元を見ながら一緒に巻けるなんて貴重な経験でした! 車海老も一緒に湯がかせていただき、そうゆう時間もまた嬉しかったです!」と話を続けます。
一方で遠藤氏も「梅原さんが、ガリに甘夏を混ぜる提案をいただきビックリしました! 僕ら鮨職人にはガリに柑橘を合わせる発想なんてなく、非常に斬新なアイデア!」と話します。
「遠藤さんの太巻きに合うかと思って考えてみました!」と言う梅原氏に対して、遠藤氏は「これは一品料理として成立するくらいおいしい!」と、会話は盛り上がります。
そして、改めて両者が再確認したことは、和食が持つ「文化」と「始末」の良さ。
「お弁当に歴史と文化を持っているのが和食だと改めて感じました。日持ちもできたり、保存食にもなったり。それは、先人たちの知恵があったからこそ」と遠藤氏。
「生産者さんたちの思いも活かしたいので、より一層、無駄なくシンプルに食材を大切に使うことを心がけました。例えば、メザシの焼き浸しで使ったお出汁でかぼちゃを炊いたり、車麩を炊いたお出汁でレンコンを炊くなど、同じお出汁を回しながら始末していきました。そんな文化も日本ならではですよね」と梅原氏。
「結局、僕らは食を通してしか社会に貢献できませんから」と、ふたりは笑顔で言います。
しかし、自店の経営も担う遠藤氏は、今の率直な心理も話します。
「当たり前ですが、お店では対価をいただき、お客さまへ料理を提供させていただいております。今回のような活動で料理を提供することは、作り手と食べ手の関係こそ変わりませんが、それとイコールにはなりません。やはり、ちゃんとそろばんを弾いて大切な従業員の人生も守らないといけませんから」。
だからと言って、この活動に手抜きは一切ありません。むしろ、より気持ちが入っているようにも見えます。なぜでしょう?
「ここにいる僕は、経営者・遠藤でも鮨職人・遠藤でもありません。人間・遠藤が作った料理です。身を呈して国を支えてくださっている医療従事者の方々には感謝しかありません。とにかく何かしたかった。今、やらないといけない。今、動かないと後悔すると思った」。
そんな思いが遠藤氏の心を動かしたのです。
『Smile Food Project』には、『シンシア』の石井真介シェフを始め、『THE BURN』の米澤文雄シェフ、『茶禅華』の川田智也シェフ、『後楽寿司やす秀』の綿貫安秀氏など、錚々たる面々が参加しています。各シェフは、自身の料理をレシピ化し、継続したお弁当を再現できる監修まで行う責務も担います。また、こだわりは料理以外にも光ります。お弁当には、中身をイラスト化したものとメッセージが添えられますが、そのクオリティの高いビジュアルにも驚かされます。そして、何と言っても縁の下の力持ちは『サイタブリア』のスタッフたちです。皆が口を揃えて「『サイタブリア』の方々がいなければ何もできなかったです」と言います。
ここには星もなければランキングもありません。ただ、日本を救ってくれる医療従事者の方々においしい食事を届けたい。その思いだけで活動するメンバーだけが集結したチームなのです。
いつの日かレストランでお迎えできる日が訪れたら、そんな幸せなことはない。
いつの日かレストランでお迎えできる日が訪れたら、そんな幸せなことはない。
対面、接触を許されないため、『Smile Food Project』のチームは、直接、医師や看護師と会ったことはありません。
「僕たちは、おいしいお弁当をお届けするのが役目。ただ、それだけでいいんです」と石田氏は話します。
以前、ある医療従事者の思いが綴られている記事を見たことがあります。そこには“自分たちにとって一番のストレスは、労働時間の長さでもなければ、過酷な現場でもありません。救える命を救えないことです”とありました。
つまりは医療崩壊であり、今まさに医療従事者の方々は、それに直面しようとしています。『Smile Food Project』の料理人は人の命こそ救えないものの、食事を通して心身の安定を提供し、命を救う方々を支えています。日頃より調理を通して命に関わる舞台には立つシェフたちは、食材を通してその尊さを誰よりも理解しているつもりです。
「レストランは、命を預かっている場所だと思っています。食材の命に感謝し、安心安全をもってお客様にご提供させていただきます。だから、その先においしい物語が生まれているのだと思っています」。
『Smile Food Project』は、これからどんな道を歩んでいくのか。
「繰り返しですが、継続を目指します。しかし、継続しなくて済むような世の中になることが一番です」と石田氏。
「僕らがこうして活動ができているのは、実は見えない方々の存在も大きい。例えば、『HAJIME』の米田 肇シェフの活動や同じ業界の諸先輩方の様々な働きや訴えがあったからこそ、僕は僕の役割として今自分にできることを始めることができました。それぞれ離れた場所にいますが、心は繋がっていると思っています」。
この日々は、まだ序盤か中盤か。はたまた終盤か。それは誰にもわからない……。
「きっと、色々な価値観が変わってしまうと思います。当然、レストランの価値も変わると思います。この問題が終息しても、レストランとして生き残っていける体力が残っているかも正直わかりません。ただ、レストランは世の中には絶対必要だと信じています。そんな社会に必要とされるレストランを僕はまた仲間と作っていきたいです」。
最後に。
これは、『Smile Food Project』のお弁当の提供を受けたある看護師からのメッセージです。。
「感染予防の面から、食事の際にはみな離れて違う方向を向かって座り、会話はせずに黙って食べなければなりません。仕事が忙しいだけでなく、職場の人と食事をしながらのコミュニケーションは一切取れない状況です。ですから、本日は、メッセージの温かさと、その味の美味しさに思わず涙してしまいました。これで、明日からも頑張れそうです。私共に送っていただいたお弁当を作ってくださった皆さま、この企画を立ち上げてくださった皆様に心より感謝申し上げます」。(一部抜粋)
明るい未来は、必ずやってくると信じています。
いつか世界中に平穏な日々が戻る時、今回の医療従事者の方々がレストランで楽しそうに食事をしている姿に夢を馳せたい。賑やかな空間には、温かい料理においしいお酒……。そして、次こそは互いの顔を見ながら笑顔で会話に花を咲かせてほしいと思います。
一刻も早く、そんな日が訪れることを心から願います。
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