舘鼻則孝インタビュー花魁の高下駄から着想を得た作品は、世界のディーバを虜にした。
世界で活躍する日本の芸術家・舘鼻則孝氏。
一躍その名を轟かせたのは約10年前。音楽界の歌姫、レディー・ガガが舘鼻氏のヒールレスシューズを採用したことがきっかけでした。その着想の源は、花魁の高下駄から得た現代の日本の靴です。
「明治維新以降、開国した日本は西洋化という経済政策を選択し、日本独自の文化が置き去りになってしまったと思います。もともと私は日本の伝統的な染織技法を学んでいたのですが、江戸時代の前衛的なファッションとも言える花魁の装いに魅力を感じていました。ライフスタイルや服装が西洋化された現代において、日本独自の文化・ファッションとして、古来の日本文化の延長線上に、現代の日本文化として世界に発信できるようなものを生み出したかったのです」と話します。
各界に猛威を振るう新型コロナウイルスは、舘鼻氏やその手法の主となる伝統工芸の類にどのような影響を及ぼしたのか。
舘鼻則孝インタビュー日本の伝統工芸の雑貨化を危惧している。品格を取り戻したい。
舘鼻氏は、自らの芸術表現において、「あえて伝統工芸という手法の選択したわけではありません。それはごく自然に、私にとっては至極真っ当な道筋だった」と話します。
出身は日本芸術の登竜門「東京藝術大学」であり、専攻は美術学部工芸科染織。前出のヒールレスシューズも卒業制作として発表したものです。その時の経験が今の礎を築いています。
「在学中には、課題を通して過去の伝統文化を模倣するようなかたちで技法研究をしていましたが、日本文化を見直し現代に再構築することで生まれた“ヒールレスシューズ”は、私の作家活動の出発点になりました。ファッションデザイナーという職業を目指していた私が、作家(美術家)という生き方を選択した瞬間でもあります」。
舘鼻氏の目指していたものづくりには、常に新しくアヴァンギャルドな要素が必要だったのです。
「自分の手を使い専門的に学んだ工芸技法は染織技法のみでしたが、現在では様々な伝統工芸技法を用いて作品を制作しています。そのような制作の工程では私が手を動かすのではなく、日本各地の伝統工芸士と呼ばれる技術保持者の方々に協力を仰ぎ作品化しています」。
つまり、舘鼻氏の芸術は、ひとりの作品ではなく、チームの作品でもあるのです。
「私はひとりの芸術家として、美術家として、チームで活動をしています。自らの手でものづくりをする作家であろうと、ひとりでは完結する仕事はありません。常にチームで前進することが大切だと考えます」。
そのチームは、プロジェクトごとによって様々です。
「作品に対してどのような技法や素材を用いるかということに対しては、極力制約を設けないようにしています。その作品の主題を表現すべく最も有用な選択肢を都度選んでいるつもりです。伝統工芸技法を用いていることに関しては、昨今における“日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい”という思いもあるためです。自ら実践することがお互いに最も触発されるイベントだと思っています。実際に用いている技法は、漆芸や金工、螺鈿細工などの加飾技法まで様々ですが、富山や石川などの北陸地方が多いと感じています。加賀藩のもとで栄えた工芸文化が今まで育まれてきたことの証かもしれません」。
舘鼻則孝インタビュー日本から見る伝統工芸と世界から見る日本の伝統工芸の違いと在り方を考える。
伝統工芸とは、日本の文化のひとつであり、古きより代々受け継がれてきた技法によって手作業から生まれてきた品の総称になります。その内容は下記になります。
・主として日常生活の用に供されるもの
・その製造過程の主要部分が手工業的
・伝統的な技術又は技法により製造されるもの
・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの
項目は全5つ。
その全て満たし、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けたもののみ認められています。(経済産業省HPより参照)
現在、その産業を行う企業は2,000社以上、数にして1,000品以上あると言われており、そのうち国が認定したものは、235品(経産省による2019年11月20日時点)。もちろん、地域と種類は多岐に渡ります。
なぜここで数字にズレが生じるかは、産地から申請されないものは対象外になってしまうため、上記の条件を満たしていても指定されない工芸品も存在しているからです。
「日本の文化はとてもハイコンテクストなコミュニケーションによるものが多いと感じています。外から見た時には、そのようなスタイルがミステリアスに感じる要素なのかもしれない。島国であり大陸からの文化流入の終着地点とも捉えられるので、大陸からの潮流はあるものの非常に独特な育まれ方をしたものも多いと感じています。仏教文化なども大陸の隣国と比べて独特な要素が多いのも特徴のひとつかもしれません」と舘鼻氏は話します。
世界にも目を向けてみます。
その国や品は数あれど、一例として、数百万円するものを数年待ってまでも手に入れたいという需要があります。これは、価値としてのクラス感や国や周囲に認知されている最たる例といっていいでしょう。
そして、先述の「日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい」という言葉にもつながるかもしれません。舘鼻氏の活動は、自身の創作はもちろん、そこに伝統工芸という手法を取り入れることで産業の価値化も含んでいるのです。
では、産業や企業、職人らが単体で何かできることはあるのか? 舘鼻氏は、そのヒントを、ある日本の伝統的な企業の代表の言葉に見たと言います。
その人物とは、創業500年以上の老舗和菓子店「虎屋」黒川光博氏です。
舘鼻則孝インタビュー無理に延命して”残す”ことが正解だとは思っていない。
一見、冷酷な文脈にも見えるかもしれませんが、舘鼻氏が考察するこの言葉の裏には様々な解が潜んでいます。
「個人的には、無理に延命して”残す”ことが正解だとは思ってはいません。現代に合ったかたちで育まれているかどうかということが最も重要な在り方であり、昔のものを今に復刻することでは前進しているとは言い難い現実があるためです。歴史ある伝統をどう捉えるかということに関しては、“虎屋”の黒川光博社長が十数年前に提言されていた“伝統は革新の積み重ね”という言葉があります。正に“虎屋”の500年以上の歴史を体現していると感銘を受けましたが、黒川社長が昨今おっしゃっている“革新ではなく必然が必要だ”という言葉には目から鱗が落ちました。現代のお客様にどのように楽しんでいただくか、とにかく今の時代を生きる人に寄り添うことができるかどうかということが重要だと感じています。そのような観点では、ある意味で過ぎ去ってしまった日本文化や伝統工芸を今の時代に新しいものとして提案することもできると考えています。むしろ、日本人も新鮮に感じるほどに日本文化との距離は開いてしまっているのかもしれません。“文化”という言葉の響きからも過去のものしか連想されることがないように感じますが、現代に過去の日本文化を投影した時に新しい道筋が見えてくると思っています」。
これは伝統工芸に限った話ではありません。
まさに今がその狭間であり、新型コロナウイルス前と後では世界は一変するでしょう。日常への向き合い方はもちろん、消費に対する思考や働き方、何が必要で何が不必要か、価値観や道徳心、さらには人生まで変わってしまうかもしれません。
それでも人は生きていかねばならぬ、時代に呼応することが必要なのです。
展覧会の開催は断念したが、命に変わるものはない。
実は、3月上旬に大規模展覧会を予定していた舘鼻氏。
「東京都主催の“江戸東京リシンク展”の展覧会ディレクターを務めていたので、様々な準備を多数のメンバーと進めていました。東京の伝統産業事業者と私のコラボレーション作品を中心に構成された展覧会で、江戸東京の伝統産業の過去から未来までを往来するような内容を企画していました。主催者である東京都とも協議の上、感染拡大防止の観点から展覧会は直前のタイミングで中止とすることにしました」。
この展覧会では、きっと伝統工芸の新たな可能性とその表現力を体感できたでしょう。しかし、人の命に変わるものはありません。
「期待してくださっていたお客様や発表を待ち望んでいた事業者の方々はもちろんのこと、我々も協力企業の方々とも肩を落とすことになりましたが、健やかな世の中で未来をみつめて開催するからこそ意義のあることだと思っていましたので、無理に決行しなかったのは正解だったと今は思っています。また、今後のスケジュールで開催を検討したいと東京都とも話し合いを進めています」。
舘鼻則孝インタビュー創作活動を継続することで雇用を継続することも自分の役目。
舘鼻氏が活動のベースとしている現代アートの世界は、マーケットを主導とした大きな経済の渦にあります。
「伝統工芸に限らず、芸術界もコロナ禍の影響は甚大です。かつて、ファッション業界がそうであったように、アート業界はまだまだオンラインでの取引は主流ではありません。特に作品を鑑賞するという目線で考えてみれば容易に想像できることかと思いますが、質量をともなったビジネスから抜け出すことは容易ではないでしょう。ただ、今回の騒動をきっかけにオンライン上でも様々な動きが加速しています。自分のことで置き換えても、卒業制作で発表した“ヒールレスシューズ”をメールでアプローチし、レディー・ガガの専属シューメイカーになったという話は、10年前のその当時、ひどく驚かれるような事柄でした。それはEメールという手段についての話です。今やYouTuberのように独自メディアを持つことも当たり前の世の中になり、クリエイターの成功体験も十数年で大きく変わったのではないでしょうか。アートの世界でも作家自らが発信をし、ギャラリーなどのアートディーラーの在り方も大きく変わってくるかもしれません」。
表現の根本は普遍ですが、確かに届け方や伝え方はここ十数年でめまぐるしい変化をしています。
「私はひとりの美術家として、チームで活動をしています。私が代表を務める会社のスタッフとともにテレワークにおけるクリエーションのあり方を模索しています。在宅勤務中の離れた各自の部屋からでも繋がりを持ち、コミュニケーションを醸成し、創作活動を絶やすことなく前進しています。まだ詳細はお話しできませんが、実際に在宅勤務を開始した4月上旬から約1ヶ月で100点以上の作品を完成させました。当然のことですが、会社組織の代表である私の立場であれば、創作活動を継続させることが内外の雇用を継続させることにもなり、生み出された作品をお客様のもとへ届けることが私たちの仕事です。私のように自分の手でものづくりをする作家であろうとひとりで完結する仕事はありません。常にチームで前進することが、芸術の世界でもこれからの在り方だと感じています。アーティストや伝統工芸のような才能を支える専任スタッフもまた、プロフェッショナル。全ての関係が結実しなければ、どの界も大成を得ることはできないと思っています」。
1985年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得た作品として、レディー・ガガが愛用していることでも知られている。現在は現代美術家として、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館などに永久収蔵されている。
http://www.noritakatatehana.com