人にも自然にも限りなく優しい気持ちが、知の探求と津軽の未来を繋ぐ原動力に。[TSUGARU Le Bon Marché・医果同源りんご機能研究所/青森県弘前市]

左端の佐藤悠平氏は安幸氏の元教え子で、学生時代のりんごの機能性研究で培った知識と技術でみんなを助ける心強いスタッフ。

津軽ボンマルシェひたすらりんごの研究を続けた、農学博士が作る自然のお茶。

弘前市内から出発して、もう一時間近く経っていました。車はどんどん森の奥へと進んで行きます。木々の生い茂る鬱蒼とした狭い山道が続き、やがて舗装されていないガタガタ道に差し掛かった頃、ハンドルを握る城田創氏がポツリと語り始めました。「僕、熊に会ったことあるんですよ」。悪路で体を上下左右に不規則に揺らしながら彼は続けます。「子熊を2頭連れた母熊に遭遇しちゃいまして。最初は僕を見つけた子熊が、無邪気にパーッとこっちに走って来たんです。そしたら今度は気を荒げた母熊がグワッと向かってきました。もう体が氷のように固まって動けなくて。自分との距離は10mもなかったです。とっさに、たまたま持っていたチェーンソーのエンジンをかけたら、音が響いて、驚いた母熊は逃げてくれた。それでどうにか九死に一生を得たんです」。
そんな話を聞いた後、農園で見たりんごの木には、熊の爪痕がしっかり残っていました。ばったり熊と出会ってもおかしくないほどの深い山の奥地に、彼らのりんご農園はあります。

『医果同源りんご機能研究所』という会社が、無農薬無化学肥料のりんごの葉でお茶を作っている、という噂を耳にした時は興味が募りました。りんごの葉がお茶になるなんて今まで聞いたことがなく、どんな味なのか想像もつきません。そのお茶が販売されていることを最初に発見したのは、以前紹介したbambooforestにて。店主の竹森幹氏も一押しの商品でした。実際に味わってみると、焙じ茶のような穏やかな香ばしさの中に、ほんのりと優しい甘みがあり、クセのないまろやかなお茶で、お菓子との相性も良いものでした。
この会社では、お茶の他に、未熟りんごの入ったりんごジュースや、りんごの発泡酒など、一風変わったりんごの加工品を手掛けています。所長の城田安幸氏は農学博士で、かつては弘前大学農学生命科学部准教授として20年以上りんごの機能研究を続けてきたという専門家。その博士が作るりんご製品というのならば、ただのジュースやお茶ではないはずです。これはどうしても、城田博士に会ってみたくなりました。

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農園へ向かう道中「車が5秒で真っ黒に汚れるので、ここに来る時は洗車しません」と笑う創氏。冬は雪に覆われるのでスノーモービルで移動する。

「アップルバレー」と彼らが親しみを込めて呼んでいる、標高400m、18haの広大な農園。晴れた日には津軽のシンボル、岩木山が雄大にそびえる姿を拝むことができる。

津軽ボンマルシェ生き物への興味と好奇心、そして優しい気持ちが新しい扉を開く。

「おーい。みんなで畑に行こう!」と明るく人懐こい笑顔で迎えてくれた安幸氏は研究者というより、これからジャングルへ向かう探検隊長のようでした。そして研究していたのは、りんごだけではありません。子供の頃から昆虫が大好きだったという安幸氏。高校の同級生だった妻のあい子さんに言わせると「今も昔も本当に、アリもゴキブリも殺さない」のだとか。安幸氏の父親は沖縄の生まれで「虫はご先祖様であり、お盆には虫に姿を変えて会いにきている」と教えられたそうです。弘前大学では進化生態学という、生物の進化の研究をする中で、蝶や蛾の羽などに目玉模様があることに疑問を持ち、カイコにも目玉模様を付けられないか遺伝子実験を行ったり、化石の中に閉じ込められた何千万年も前のハエのDNAを取り出して蘇らせるという「ジュラシック・パーク」のようなプロジェクトを行ったりもしていたそうです。昆虫少年・安幸氏の活動は、当時放映されていたNHKのテレビ番組「むしむしQ」「あにまるQ」などの監修にも広がり、子供たちに虫や動物のことを面白く楽しく伝えることに情熱を注いでいました。

そしてカイコの実験をきっかけに開発したのがなんと「目玉かかし」。田んぼや畑へ行くと、目玉の模様が付いた鳥避けの風船のようなものを見かけることはないでしょうか? これを最初に発案したのは、実は安幸氏だったのです。目玉模様のあるカイコを鳥に餌として与えると避ける傾向にあったことを発端に、「鳥は目玉に怯えるのでは?」という仮説を立て、鳥が怖がる目玉のサンプルをいくつも試作して、鳥の行動観察実験を繰り返し、目玉かかしが誕生したのでした。実験の様子は「目玉かかしの秘密」という書籍にまとめられ、課題図書にもなっています。

このように安幸氏の研究活動は一つには収まらず、次々と湧き上がる疑問と興味が多様に広がり、とてもここでは書ききれないほど膨大なものでした。「父の話は1つ引き出しを開けると、あっちもこっちも開いちゃうので、1話が100話分くらいになっちゃうんですよ」と笑う創氏の言葉も納得です。
しかしどれも一貫して、人を含めた生き物、そして自然への底抜けに温かく優しい眼差しが根底にあるのです。目玉かかしは鳥をむやみに殺さず傷付けず、人間とうまく共存するために考え抜いた策。そこに安幸氏が安幸氏たる所以があります。

そんな安幸氏は、カイコの研究でひとつの発見をしました。というのも、大量に出るサナギを使い、冬虫夏草の一種であるサナギタケを育て、抗腫瘍効果の研究も行っていたのです(冬虫夏草は蛾の幼虫やサナギなどに寄生するキノコの一種で、漢方の生薬や薬膳料理にも用いられる)。ただ、冬虫夏草はかなり高価な稀少品。そのほかに試しに地域の特産物であるりんごを使い、同様の実験をしたところ、未熟りんごと成熟りんごを混ぜたジュースに抗腫瘍効果があることが分かったのです。

自家農園で育てた有機未熟りんごを25%混ぜたりんごジュース。甘みの中に酸味がスッキリと爽やかで透明感のある味。パッケージデザインは2020年にリニューアル。

左から城田家長男の妻の城田文香さん、次男・創氏の妻の城田沙織さん。そして福士友実さんは家族以外で初めて採用された、勤続12年のベテラン社員。

無農薬のりんご栽培はほぼ不可能と言われるほど難しいが、「それは本当なのか、どこまでできるのか、実証してみせる必要がある」と安幸氏。農園は2014年に有機JAS認証を取得。

津軽ボンマルシェ大切な人を失い、癌の研究から無農薬のりんご栽培へ。

通常、摘果時に捨てられてしまう未熟りんごは、一般的なりんごの3分の1ほどの大きさですが、紫外線や害虫から身を守り、元気に成長するために、成熟りんごの5〜10倍ものポリフェノールが含まれています。未熟りんごの果汁は、それだけでは渋くて飲めませんが、さらに研究を重ね、砂糖や香料などは使わず、成熟りんごを混ぜたベストな配合を編み出したのです。
こうして完成したジュースをもっと世に役立たせたい、と考えた安幸氏はあい子さんと二人で会社を設立。食は医療の根本であり、病を治す薬と、健康な暮らしを保つための日常の食は本来一緒である、という意味を表す「医食同源」から発想を得て、「医果同源」とネーミング、ジュースの商品名として名付け、販売を開始。2005年には「リンゴやナシの、未熟果実と未成熟果実の両方用いることで得られる免疫賦活剤」の特許を日本特許庁より取得しました。さらに中国特許庁より「免疫賦活剤」「健康飲料や健康食品」の特許も取得。「リンゴの抗腫瘍効果」と題して、日本癌学会学術総会でも発表されました。

このように安幸氏が癌研究を始めたきっかけは、過去の辛い出来事にあります。というのは、安幸氏は、癌と誤診され、高齢で手術に踏み切った父親をなくしています。しかも、その手術を勧めたのが安幸氏本人だったのです。安幸氏は自責の念に苛まれました。とことろが、父親が解剖された翌日、安幸氏の夢の中に父親が出てきて、こう告げるのです。
「手術と抗癌剤と放射線治療に代わる方法を考えなさい。それが、残されたお前の人生を賭けてやるべきことだ!」
もうひとつ大きな要因もありました。社会人入学で大学院に進学した、将来有望だった同世代の大切な友を癌で亡くしたことも安幸氏に大きな影響を与えていたそうです。その友との約束が「免疫力を高めることで癌を予防する方法を確立する」ことだったといいます。

2010年より自分たちでりんごの無農薬栽培を始め、2013年に大学を退職すると、退職金で広大な土地を購入。安幸氏は「退職後の事業、また生涯の研究課題として続けて行く」と覚悟を決めました。しかし、実際にりんご栽培はそう簡単なものではなかったといいます。たとえ花がたくさん咲いても、実が少ない年が続いたり、病気や害虫で木がどんどん枯れてしまったり……。ただ、通常、病気になった木は菌を保持しているので切り倒してしまうのですが、安幸氏は病気だからと見捨てることはありません。まだ生きているのなら大事に育てよう、と最後まで残したのです。剪定もしないためグイッと空高く伸びる枝。ようやく実ったりんごは形の悪いものも多かったそうですが、自然を大切にするという一貫した志が消費者の心を掴むのでした。首都圏の百貨店で販売したところ、瞬時に売れてしまったそうです。

そして10年間継続してきた無農薬栽培ですが、現実にはほとんどの木が枯れてしまいました。ただ、結果的には悪いことばかりではありませんでした。以前、『津軽ボンマルシェ』で紹介した『岩木山の見えるぶどう畑』の伊東竜太氏は、かつては農場での酢の散布やりんごの収穫を、アルバイトとして手伝ってもらっていました。『白神アグリサービス』の木村才樹氏は安幸氏の教え子で、収穫時に重機によるりんごの運搬や人手の紹介などでお世話になっていたのです。比較的近くにある『おおわに自然村』は豚ぷんを堆肥として分けてもらっているという長年のお付き合い。『津軽ボンマルシェ』に登場の面々を始め、地域の人々との繋がりによって助けられ、『医果同源りんご機能研究所』はここまで育てられてきたのでした。たとえ多くの木を失ってしまったとしても、それ以上に得るものはたくさんあったのではないでしょうか。

2020年の春、安幸氏は新たに414本のりんごの苗を植えました。
「これで良い悪いではなく、10年やった結果として受け止め、今後に生かしていければ。植えた苗のうち214本は、12年間試みた完全無農薬栽培で元気に生き残った木の枝を接木した苗です。昨年から有機栽培も開始しました。有機といっても色々あり、認証を受けた農薬なら予防目的で使うこともできるのですが、自分たちは引き続き極力農薬は使わず、病気が出たときだけ、例えば木の幹に菜種油を塗るなど、なるべく自然に近い形で対応していく方針です」

植えられたばかりのりんごの苗。自分たちのやり方で有機栽培を行い、どんな果実が実るのか挑戦は続く。いずれは様々な品種のりんごの葉をお茶にすることも研究したいそう。

「りんご葉の茶」の原料になる湖北海棠(コホクカイドウ)の葉。よく見ると縁の部分がほんのり赤いのが特徴。

湖北海棠の葉の状態をチェックする創・沙織夫妻。収穫は夏と秋の2回行い、二つの季節の葉をブレンドして商品にしている。

満開の湖北海棠の花。“海棠”といえば、ほろ酔いでうたた寝姿の楊貴妃をたとえた話を思い出すが、その仲間だろうか。上品で可憐なピンク色にハッと目が引き寄せられる。

津軽ボンマルシェ津軽を思い、りんごの新しい可能性を探る、探求は生きがい。

2020年から本格的な販売が始まった「りんご葉の茶」も、長年のりんご研究の中から生まれました。りんごの葉でお茶を作れないか、という構想自体は安幸氏のなかで10年前からあったそうです。実際に調べてみると、中国では昔から、湖北海棠(コホクカイドウ)という品種のりんごの葉をお茶にして飲んでいたようで、効能に関する研究論文があり、apple leaf teaという言葉も記録されていました。湖北海棠は日本でもかつて九州地方に自生していましたが、現在は絶滅状態。そこで安幸氏は、様々な種類のりんご栽培研究を行なっている「青森県産業技術センター りんご研究所」で研究用として保存されていた木の枝を譲ってもらい、接ぎ木で増やすことに。現在は177本の湖北海棠が畑で育っているのだとか。生の葉を少しかじってみると、ほのかに柔らかな甘さ。秋にはもっとりんごらしい香りと深みのある味になるのだそうです。

りんごの葉にはポリフェノールの一種であるフロリジンという成分が豊富に含まれています。これには血糖値の上昇を抑え、抗加齢効果のあることが分かってきており、注目の成分として、世界で様々な研究が行われているそうです。「お茶として製品化するのは、実はうちが日本で初めてなんです」と安幸氏。収穫した茶葉は、きれいに洗浄して5日〜1週間乾燥させた後、静岡にある有機JAS認証の茶製造業者にて焙煎し、お茶に加工されます。ティーバッグは自然に還すことのできる、地球に優しい素材として、植物由来のフィルターを使用しました。

青森県は短命県と言われ、平均寿命は日本最下位が続いていますが、安幸氏はその改善に少しでも役立つことができないか、と以前から考えていたそうです。また、りんご農家は高齢化が進み、後継者不足と経営難で生産者が激減しています。りんご栽培の新たな可能性を多方面から探り、「付加価値を生み出すことで農業を支えることができたら」という思いが、この研究の大きな原動力になっています。終始温かい目で安幸氏を見つめていたあい子さんは、「ジュースができて15年、お茶が発案から10年目で発売など、2020年はいろんな意味で節目の年なんです。振り返ってみると、私たちがずっと大切にしてきたのは“優しさ”でした。人にも自然にも優しいということが全ての根本にあり、これからもずっと続けていきたいと願っていることです」と静かに語ってくれました。

さて、みんなが農園から引き上げようとすると、「僕はまだここに残るから」と安幸氏。実は毎日午後から農園に出向くと、夜の9時10時まで居残り、新たな研究に勤しんでいるのだそうです。農園の一角に定点カメラを設置し、夜間にどんな動物がここを訪れるのか、りんごを置いて観察しています。「これは父の生きがいだから、誰にも止められません」と創氏。テンやアナグマ、ハクビシンなど、様々な動物たちの写真をまるで自分の友達のように見せる安幸氏の目はキラキラと輝き、優しさに溢れていました。そして安幸氏の意志を受け、生き生きとした姿勢で全面的に支え、地道に丁寧に形にしていく家族やスタッフたちが、今後も共に地域の希望を照らしていくのだと強く感じられたのでした。

「りんご葉の茶」。左の立体のパッケージは、あい子さんが湖北海棠の葉を押し花にしたものを見た地元のデザイナーがアイディアを巡らし、葉の形としてデザインした。

こちらは水を一切使わず、オーガニックのりんごと麦芽だけで作られた発泡酒。19歳の時の安幸氏の写真がトレードマークのようにラベルにデザインされている。

3年前から設置している手作り巣箱に、ようやく棲みついたフクロウが卵を産み、二羽の雛が孵った。フクロウはネズミをたくさん食べるため、畑にとって幸運の鳥といわれる。

この日は巣箱に入ったフクロウを初めて見る日だった。ちょっとはしゃぎ気味で嬉しそうに巣箱を覗こうとする城田ファミリー。

住所:〒036-8252 青森県弘前市旭ヶ丘2-4-13 MAP
電話:0172-35-5931
https://www.ikadogen.com

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第一弾のレシピ動画が公開! 続く第二弾は7月中旬に公開予定。

第一弾のレシピ動画は6月25日公開、続く第二弾は7月中旬に公開予定。

ダイニングインサイドあの名シェフがレシピを直伝。家庭で気軽に、一流の味を楽しめる。

遠方への旅行や頻繁な外食から少し足が遠のいた昨今。家庭での食事の機会も増え、毎日の料理のレパートリーに悩む方も多いことでしょう。

そんな今、レクサスが、名だたるシェフたちの手によるレシピ動画を公開します。

なぜモビリティ・ブランドのレクサスが、レシピ動画なのか? それは、レクサスがプレミアム野外レストラン『DINING OUT』のパートナーとして、数々の地域で一流シェフや真摯な生産者と繋がってきたから。こんな時代だからこそ、各地の食材を使ったレシピ動画「DINING INSIDE」を通し、改めて地域の豊かさを感じてほしい。そんな思いが形になった、オリジナルレシピです。

第一弾は6月25日に4名のシェフのレシピを公開。いまや世界的人気を誇る和食店のあの人、福岡を代表するあの店、星付きフレンチの巨匠、魚介フレンチの若きスペシャリスト。個性豊かな4名のシェフが、個性豊かなレシピを紹介してくれます!

下ごしらえや盛り付けなど、一流シェフたちのテクニックを一挙に公開。

使用する食材は基本的に、手軽に手に入るもの。家庭で簡単に再現できる。

動画はすべてシェフたちが自ら撮影してくれたもの。名店の雰囲気も伝わる。

ダイニングインサイド鍵となる食材は、ECサイトでお取り寄せ可能。

今回のレシピのテーマは、家庭で手軽に再現できること。使用する食材も、基本はスーパーで購入できるものばかりです。
しかし実は使用食材の中にはそれぞれのシェフごとに数品ずつ、特別な食材が含まれています。そしてこれこそが、地元応援の軸となるのです。

これまでレクサスは、地域生産者の協力を得ながら、ONESTORYとともに「DINING OUT」を開催してきました。そして今回のレシピ動画は、その地、その食材に縁の深いシェフが心を込めて作り上げたもの。食材を通して地域の魅力が伝わり、その土地に思いを馳せることができるもの。いつか再びその地を訪れられるようになる日まで、思いを繋ぐことができるもの。そんな地元応援の気持ちがレシピに込められているのです。

そこでシェフたちが紹介する、レシピの鍵となる各食材は、記事内のリンクにあるECサイトで購入できるようになっています。鍵となる土地の食材があることで、シェフの伝える料理もいっそう郷土色豊かなものになるのです。

各地の食材を取り寄せ、その食材を知り尽くしたシェフのレシピで調理する。家にいながら、その土地に思いを馳せ、その土地の魅力を味わう。だから名前は、「DINING OUT」ならぬ、「DINING INSIDE」。各地を旅するように味わう、名シェフのレシピ。ぜひお楽しみください。

日本各地でこれまでに18回開催された「DINING OUT」。その魅力を自宅で再現することが今回のテーマ。

「DINING OUT」を陰で支えたのは、数々の生産者たちの存在。地元応援レシピは、シェフから生産者への恩返し。

盛り付けや器選びなど、レシピ以外にも参考になる情報がもりだくさん。

クロップドパンツ【メンズ館】

 

 

 

 

最近暑さと梅雨のジメジメを感じるようになってきましたね雨汗

 

 

そんな時期にさらっとオシャレに決まる1本をご紹介します音符

 

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秋冬はブーツと合わせるのも良いですね!!

 

 

倉敷にお越しの際には是非当店にお立ち寄り下さいねブルー音符

暑くなってきたので体調にはお気を付け下さい晴れ

お待ちしております!

 

 

 

 

 

 

農業を知的産業に。革新を打ち出すりんご農園が描く、農業の未来。[TSUGARU Le Bon Marché・もりやま園/青森県弘前市]

2015年に会社化し、シードルの醸造も自社で行う『もりやま園』。労働環境や賃金の問題にも積極的に取り組む。

津軽ボンマルシェ青森のりんごの故郷近くで、注目を集めるりんご農園。

明治時代初期、3本の樹からはじまった弘前のりんご作り。その発祥の地の石碑にもほど近い場所に、一軒のりんご農園があります。名は『もりやま園』。広さ9.7ヘクタール、りんご農家としての歴史は100年以上、そして前事務所の所在地はりんご栽培に由来する「弘前市樹木」。規模も歴史も、りんごの街・弘前を代表するような農園です。しかしこの農園が注目を集めるのは、出荷量の多さや伝統を脈々と引き継いでいるという事だけではありません。

『もりやま園』を「革新的なことに捨て身で取り組んでいる」と評したのは、『カネタ玉田酒造店』の玉田宏造氏。同じくりんご作りに取り組む『おぐら農園』の小倉慎吾氏も「考え方が非常に合理的で、多大な影響を受けています」と話します。業種を問わず注目を集めるのは、伝統ではなく、むしろその革新性にあるようです。

そこで100年続くりんご農園が打ち出す革新性、そして描く未来を探りに、『もりやま園』代表の森山聡彦氏を訪ねました。

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岩木山を望む9.7ヘクタールのりんご畑。敷地には明治築の貯蔵蔵が残されるなど、青森におけるりんご草創期から続く歴史ある農園。

前事務所の住所は、青森県弘前市樹木。りんご作りに因んで名付けられた、由緒ある地名。

津軽ボンマルシェ自転車競技に没頭した学生時代。

出迎えてくれた聡彦氏は、少し寡黙な印象。心の距離を縮めるべく、まずは聡彦氏自身について尋ねてみました。

「自分は森山家の11代目、りんご園としては4代目。だから家を継ぐのは当たり前。小学生の頃から農園の手伝いをしながら、いつか自分がやることを考えていました」と聡彦氏。それから「トラクターに憧れもあったかな」と笑いました。幼い頃から家を手伝い、りんご作りの基本を両親から学ぶ聡彦氏。やがてこの経験は活かされますが、それは少し先の話。成長した聡彦氏は、やがて弘前大学の農学部に進学します。

りんご農園に生まれたからと言って、四六時中りんごのことばかり考えていたわけではありません。学生時代は自転車競技に没頭。とりわけ自転車のクロスカントリー競技は、「畑に出てたから足腰が強かったのかな」と、初めて出た大会でいきなり優勝。卒業後も「寝ても覚めても自転車」というほど熱中していました。

そんな自転車競技に「十分やらせてもらった」と、自身で区切りをつけたのは、35歳の頃。その前後から本格的に農園に入り、さまざまな手を打ち出す聡彦氏。革新の物語が、ようやく動き出します。

ちなみに最初は寡黙な印象でしたが、一度打ち解けるとさまざまな思いを打ち明けてくれる聡彦氏。「強情ばりで人情深い」といわれる津軽の男・津軽衆のイメージそのままの人物です。  

パソコン知識やシステム開発は独学。子供の頃から、好きなことはとことん追求するタイプだったという聡彦氏。

自転車のキャリアハイは、ジャパンシリーズ・エキスパートクラスでの準優勝。表彰台に立つほどの実力だった。

事務所の薪ストーブで燃えていたのは、りんごの樹。「捨てる時点で負け」という聡彦氏の言葉の証明。

幼い頃の聡彦氏を惹きつけたトラクターは現在も健在。いかにも少年の心をくすぐるメカニカルな造りが印象的だ。

津軽ボンマルシェデータベース化により可視化されたりんご作りの課題。

『もりやま園』の畑は9.7ヘクタール。弘前の一般的なりんご農園が1.0〜1.4ヘクタールであることと比べれば、かなり大規模であることが伝わります。一方で働き手は、基本的に家族のみ。それぞれに長年作業に従事する“慣れ”があるからこそ、可能なことでした。幼い頃から農園を手伝っていた聡彦氏には、漠然とした疑問がくすぶっていました。

「どの品種が何本あって、どういった収益があるか、そのためにどういう順序で作業をするか。そのすべては父の頭の中だけにありました。何かを変えたいと思っても、現状が何もわからない状態だったんです」

2008年、聡彦氏が最初に手をつけたのは、すべての樹に番号を振り、データベースにする作業でした。数はおよそ1300本。気の遠くなるような作業です。書き終える前に初期に振った番号が雨で消えてしまうこともありました。しかし地道に、一本ずつデータを取る聡彦氏。データベースのシステムは独学。スマートフォンのない当時、オークションでPDAを買い漁りました。そうしてようやく農園の様子が俯瞰でみえるようになると、問題点が浮き彫りになりました。

「収益が上がらない品種に手間ばかり取られ、上がる品種に手が回っていなかったんです」

データにすることで見えてきた実像。以後も聡彦氏はこのデータベースを基本に、栽培の管理を進めていきます。

データベース化で見えてきたのは、安祈世(あきよ)という手間のかかる品種が2割もあり、フジなどの主力品種の作業を圧迫していたこと。

1300本のりんごの樹だが、現在は1本ずつ作業記録をつけることで、無駄なく効率的な作業が可能に。

津軽ボンマルシェ当たり前の作業に疑問を抱かせた、ひとつの災害。

りんごの樹のデータベース化に成功した2008年、もうひとつの転機が訪れました。きっかけは、6月13日の降雹。摘果作業が始まったばかりの小さな果実がほぼ全て陥没だらけになったのです。傷は元には戻りません。
今振り返ればこの時期は、まだ年間作業の20%程度の進捗。その年のりんごに見切りをつけて残り80%の投資を打ち切れば、経済的な傷口をそれ以上広げずに済んだでしょう。しかし「諦めずに頑張ろう」と呼びかける業界のキャンペーンに流され、結局『もりやま園』だけでなく、他の農家も皆、例年通りの管理を続けたのです。その結果、秋に採れたりんごはおいしく食べられるにも関わらず、見た目は傷だらけで大半がジュース向けの加工用に仕分けられました。
加工場には処理能力を超えるりんごがうず高く積まれ、買い取りをストップし、行き場のなくなったりんごが大量に廃棄されたのです。

雹や台風といった自然災害は人の力では防ぎようがない、しかし、経済的な損失はコントロールすることができる。もっと素直に自然と向き合えば、自然災害のリスクをリスクとせず、チャンスに変えられるのではないか。聡彦氏はこの経験をもとに、そう考え始めたのです。

「そんな時、鰺ヶ沢の方で、加工専用栽培をやられている人がいると耳にしました」

その人物こそが、40年以上も前から加工専用りんごの栽培を続けるパイオニア『白神アグリサービス』の木村才樹氏。現在は友人でもあり、ともに挑戦を続ける人物です。

「当時は加工用のりんごは“ジャムりんご”といって見下されるような価値観。しかし可能性として無視したくありませんでした」

そう振り返る聡彦氏。というのもデータベース化により見えてきたのは、品種別の収益のことだけではなかったのです。

「摘果に年間3000時間、着色管理に3000時間、選定にも膨大な時間。収穫する時間は年間の15%だけ。つまり残りの85%は、捨てるためだけのマイナスの作業だったんです」

多大な作業時間は、家族といういわば無償の労働力があってはじめて成り立つもの。このマイナスを、なんとかプラスに変えなくてはいけない。しかし加工用のりんごの取引価格は、普通のりんごの半額以下。「何かもうひとつ、アイデアが欲しかった」あれこれ考え続けていた聡彦氏に、またしても転機が訪れます。2013年のことでした。

ひとつを残して未熟な実を摘む摘果。すべての樹の、すべての花に対して手作業で行われる。

聡彦氏の摘果は、目にも止まらぬ早業。長年続けてきたからこその熟練度だ。

津軽ボンマルシェマイナスをプラスに変える、未熟りんごのシードル。

2013年、弘前市で発足した「弘前シードル研究会」の研修でフランスを訪れた聡彦氏は、ノルマンディーで開かれたシードル祭りで、原料のりんごを齧りました。その味は、苦い、渋い、酸っぱい。しかしこれがシードルになると、途端においしくなる。そして聡彦氏は、このりんごに似た味を知っていました。それが摘果の未熟りんごです。

摘果とは、ひとつの株に星型に5つほど成るりんごの幼果を、中心のひとつを残して摘む作業のこと。養分を分散させず、りんごの実を大きく育てるために必須の作業ですが、摘んだ未熟な果実は、ただ捨てるだけ。手間はもちろん、廃棄自体にもコストがかかります。しかしこれがりんご栽培の常識でした。

ノルマンディーでの体験により「摘果がビジネスになる」ことは確信しました。その着地点は、シードル。ジュースを使ったシードル作りは以前から続けていました。ここに摘果が入ることで、革新性が生まれます。

「7月に摘果、秋にりんごの収穫。年に2回の収穫があるわけです。これはマイナスをプラスに変えること」もちろん、シードル作りも簡単な道ではありません。シードルにするには無農薬でなければならず、一般流通にすると周辺農家に迷惑がかかるから、と、自社加工の設備を整えました。そして何度も試作を繰り返し、ノウハウを積み重ねます。そうして生まれたシードルは、すっきりとして、ビールのように爽快な味わい。いまや『もりやま園』の代名詞ともなった『テキカカシードル』の誕生です。

課題を見つけ、仮説を立て、実証する。聡彦氏の革新性の背景には、そんな研究者的な思考がありました。そしてその研究は、いまも止まることなく続けられています。

販路を拓くこと、価格決定権を自身で持つこと、知的財産、特許、商標の活用、ブランディング。さまざまな思考が聡彦氏の頭の中を駆け巡ります。そしてそれらをまとめ、聡彦氏は未来の夢を語ります。

「農業を知的産業にしたい」

作る側が主導権を握り、未来を描ける農業。その実現までの道程で、聡彦氏は今後もきっとさまざまな革新を、私達に見せてくれることでしょう。

りんごのデータベース化とスマートフォン管理のシステムなどが、ビジネスコンテストで受賞。摘果を使ったシードルは、農林水産大臣賞も受賞している。

テキカカシードルは甘くなく、食中酒として料理に合わせやすい。ビールのようにシードルを普及させることも聡彦氏の課題。

自社農園の天然酵母と彩香(さいか)という品種のりんごで作った「えんシードル」は、2020年5月に新発売。

住所:青森県弘前市緑ヶ丘1-10-4 MAP
電話:0172-78-3395
https://moriyamaen.jp/

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コーデュラ(R) ボディバッグ

コーデュラ(R)のボディバッグ

  • 【IHJ-12】【IHJ-45】【と同様コーデュラ(R)を使用した新型のバッグ
  • 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
  • 内容量は今までの【IHE-37】などのウエストバッグタイプよりも増量しています
  • 引き手は全て牛革のスライサーを使用
  • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

コーデュラ(R)ナイロン ボディバッグ

コーデュラ(R)ナイロンのボディバッグ

  • 【IHJ-12】【IHJ-45】【と同様コーデュラ(R)ナイロンを使用した新型のバッグ
  • 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
  • 内容量は今までの【IHE-37】などのウエストバッグタイプよりも増量しています
  • 引き手は全て牛革のスライサーを使用
  • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

作らない工芸作家。大好きな津軽塗を守るために選んだのは「伝える」という戦い方。[TSUGARU Le Bon Marche・CASAICO/青森県弘前市]

漆の技術のひとつである金継ぎの技法で器を修理するのも彩子さんの仕事。丁寧な仕事で、ひとつにつき数週間はかかる。

津軽ボンマルシェ無限のバリエーションを持つ、青森県唯一の国指定伝統工芸品。

花柄、カモフラージュ柄、アニマル柄。見ようによってさまざまな柄に捉えられる、複雑で、どこかモダンでさえある模様。これも津軽塗なんですか、と問うと「津軽塗の表現は、無限なんです」と誇らしげな答えが返ってきました。

声の主は、セレクトショップ、ギャラリー、工芸教室、漆工房が複合した施設『CASAICO』の店主・葛西彩子さん。店先には陶器、漆器、金属工芸などの雑貨が並び、奥のギャラリーはゆったりとした空間がゲストを迎えます。そして教室に置かれた津軽塗の色見本「手板」には、たしかに無限と思える無数の色、柄。多くの観光客にとって、美術館や土産物店で出会うだけだった津軽塗、その歴史やバリエーションも含め、より深く親しむことができるのがこの『CASAICO』なのです。

そもそも津軽塗とは、青森県で唯一の経済産業大臣指定伝統工芸品。江戸時代からこの地に受け継がれてきた漆器が、明治6年のウィーン万博出展を機に、正式に津軽塗と呼ばれ始めたことが起源です。その姿はさまざまですが、とりわけ印象的なのは「研ぎ出し変わり塗り」。凹凸をつけて何度も重ね塗りした漆の表面を研ぐことで複雑な模様が浮かび上がる、津軽塗独特の手法です。

そんな青森を代表する工芸品・津軽塗ですが、課題がないわけではありません。とくに後継者不足による産業自体の衰退は、喫緊の課題です。しかし困難があれば、それに立ち向かう人もいる。そこで『CASAICO』の葛西彩子さんの、津軽塗の未来のための物語をお伝えします。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『CASAICO』があるのは、弘前駅東側、長四郎公園の近く。観光客がふらりと来るエリアではないが、こだわりのある小さな店が点在する。

何層も塗り重ねた後に、表面を削って模様を浮き上がらせる研ぎ出し変わり塗り。これにより複雑で立体的な模様となる。

制作や教室で使う道具は自作。これにより「職人の数だけ模様がある」という多様性が生まれる。

津軽ボンマルシェ錫に魅せられた少女が、津軽塗と出会うまで。

宮城県仙台市に生まれた彩子さん。小さい頃からどちらかといえばインドア派で、工芸品などに興味を示す子供だったといいます。そんな彩子さんがとりわけ興味を持ったのは金属。独特の光沢と重厚な存在感、そして金属を加工して生まれる工芸品の美しさに惹かれました。

高校卒業後は、東北芸術工科大学工芸コースに進学。そこで転機が訪れます。金属のなかでもとくに錫に没頭していた彩子さんですが、大学の金属コースの定員はごく少数で、当時は需要の面からも錫作家の道は狭き門だったのです。そんな折に本当に偶然に、津軽塗を目にしましたといいます。いままで触れたこともない漆は、まったく未知の世界。しかし生で見る津軽塗は、大好きな金属のような輝きを放っていました。「これなら金属表現ができる」そう直感した彩子さんは、金属コースを諦め、漆コースに進学、大学院まで修了しました。

津軽塗に惹かれ、恩師も津軽塗産業技術センター出身ではありましたが、卒業後の彩子さんはまず、地元仙台で工房を開きました。同時に誰でも気軽に漆芸が体験できる教室もスタート。この教室で「教える」という体験も、彩子さんの視野を広げました。それから2年後、大学院の先輩であった葛西将人さんと結婚し、将人さんの故郷の弘前へ。2011年に念願だった『CASAICO』のオープンに至ります。そしてここでも中心となるのは、教室の存在でした。

しかし結婚を機に弘前にやってきた彩子さんは、いわば無からのスタート。友達もいない土地で、ゼロからすべてを築き上げなくてはなりませんでした。『CASAICO』をオープンするまでの4年間は悶々とした日々を過ごしたといいます。だからこそ、『CASAICO』での漆と金継ぎの教室は、地元の人を繋げる役割も果たしました。ギャラリーでは漆器にこだわらず、地元作家の個展も多く開きました。工房エリアを広くしたのも「津軽塗をやりたいけれど拠点のない若い世代の職人とともにやれれば」との思いから。そうして少しずつ、彩子さんの弘前での存在感は高まってきました。

近所でチャレンジしている人たちにも熱い視線を注ぎます。歩いて2分とかからぬ場所にある『パン屋といとい』の成田さんには『CASAICO』のオープニングパーティで料理の準備を頼みました。セレクトショップの『green』に対しては「刺激にもなるし、憧れもあります」と。互いに意識しながらエリアを盛り上げることで「雑貨と食べ物で人の流れが生まれれば良い」といいます。

注目の木工作家とコラボレーションし、生粋のねぷた祭り好きである将人さんの繋がりで知り合ったねぷた絵師とも交流を深める。そうして少しずつ弘前に根を張りながら、彩子さんは歩み続けてきました。

明るく、よく笑い、話しやすい彩子さん。この人柄も、地元で人の繋がりを作る原動力になったのだろう。

現在でも彩子さんの作品は、どこかに金属の輝きがあるものがメイン。錫への思いはいまも変わらずに胸にある。

陶器、ガラス、アクセサリーなどがセンス良くならぶショップエリア。売れ筋は実際に運行したねぷた絵で作るオリジナルポチ袋(その年分は無くなり次第終了)。

漆教室の生徒は約60名。津軽塗の変わり塗コースもあり評判を呼んでいる。写真は生徒の製作中作品。

3~4名が作業できる工房エリア。シェア工房にすることで、津軽塗の若い職人をサポートすることが目標。

津軽ボンマルシェ夢は津軽塗を広め、職人を守ること。決意を胸に新たな一歩を踏み出す。

時々、芸術や工芸に関わる人は、その内面にある抽象的な情熱と、言葉という表現手段の乖離によって、頑固、偏屈というイメージを持たれてしまいます。しかし彩子さんは違いました。真摯に言葉を探し、丁寧に話を重ね、その胸の内をなんとか伝えようと一生懸命なのです。そんな彩子さんに、モノ作りのモチベーションについて質問してみました。すると想定外の答えが返ってきたのです。

「今思うのは、自分でモノを作ることが好きじゃないってこと」

津軽塗を仕事にする人の、まさかの爆弾発言。しかしさらに話を聞いてみると、その思いが垣間見えます。

「16年間漆に関わってきて思うのは、これからもずっと漆を続けたいということ。津軽塗は大好きですし、教室も生涯の仕事にしたい。でもたぶんそれだけじゃダメなんです。今の自分にできること、自分にしかできないことを考えていかなくては」

そうして考え抜いた末に彩子さんがたどり着いた結論。それは自身が手を動かして制作することではなく、スピーカーとなって津軽塗を広げること、そして足並みの揃わぬことが多い職人たちの目線を揃えること。「県外から来た、漆に詳しい女。地元の職人さんたちにとっては怪しい存在ですよね、私。でもそんな立場だからこそできることがあります」

たとえば先述の津軽塗の課題。実は後継者不足以外にも、クライアントとのやりとり、配色や模様のレシピ考案、事務的な仕事も含めて作る以外の仕事は実は多いもの。そしてそれらをまとめる「ウルシディレクター」「職人のマネージャー」のような仕事は、今までにありそうでなかったのだといいます。

「弘前に来て12年、同年代の職人との信頼関係ができて、職人それぞれの得意や個性もわかってきた今だから、私にできることをやっていきたい」それが彩子さんの現在の思い。

さらに「産業と職人を守るためには、今はとにかく売れる商品をつくること」と、新たな津軽塗ブランド『KABA』のメンバーのひとりとして、より身近なアイテムの開発に乗り出しました。忙しい合間を縫って、次々に舞い込む器の修理の依頼もこなします。もちろん教室も大事。さらに職人同士の橋渡しにも邁進します。その中心となる『CASAICO』は「津軽塗が見える、買える、学べる場」。地元の人にとっても遠い世界のものだった津軽塗を、より身近な存在に変えてくれる場所なのです。

作ることではなく、伝えることで守る伝統工芸。もちろんそれは簡単な道ではありません。それでも彩子さんは清々しい笑顔で「これから5年間は、津軽塗のためだけに生きるつもり」と言い切りました。

 新ブランド『KABA』の第一弾は、箸置きとしても利用できるナプキンリング。地元ホテルなどに広め、津軽塗と出合うきっかけにしたいという。第二弾の装身具も製作中。

この日、ギャラリーに展示されていたのは、津軽塗の見本。滑らかな光沢があり、それ自体が芸術品として見惚れるような美しさ。

「ものづくりは好きではない」との爆弾発言はあったが、制作や修理に集中する彩子さんは、やはり職人の顔だ。

「大好きな津軽塗のために」と決意を新たにする彩子さん。今後はPRのほか、さまざまなコラボレーションなどの道も探していきたいという。

住所:〒036-8093 青森県弘前市大字城東中央4丁目2-11 MAP
電話:0172-88-7574
http://www.casaico.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

季節の変わり目

皆さんこんにちは!
いかがお過ごしでしょうか??

全国的に梅雨に入ってジメジメした日が続きますね(。-_-。)

個人的にはカラッとした晴れの日が好きなので早く夏が来てほしいものでございます(*^◯^*)


暑くなってきた日にオススメが


こちら





テイクアウトの新商品レモネードです(о´∀`о)

スッキリ爽やかな味わいでこの夏オススメ!(*゚▽゚*)

今までデニムストリートに来られたことがあるお客様も是非またお越しいただいて新商品を味わってみてください٩( 'ω' )و

19oz インディゴxブラック セルビッチデニムスーパースリムストレート 

新生地19oz右綾セルビッチ登場

  • タテ糸をインディゴ、ヨコ糸をブラックで織り上げたセルビッチ生地。
  • ヨコ糸が黒糸のためかなり濃紺。通常のデニムよりも深く、青が強い表情です。
  • 擦れたりシワがよりやすい所は色が落ち、残る所は通常のデニムより色が濃いので非常にメリハリのある特徴的な色落ちをします。
  • 革ラベルは19oz専用の新型ラベルでブラックタイプを採用
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

納期

  • 10月ごろ〜

伝統工芸が生き続けるために。今こそ、本来の時間軸を取り戻したい。

永田宙郷インタビュー伝統工芸に向き合い、繋ぐが仕事。

「本当は職人になりたかったのだと思う」。
そう話すのは、伝統工芸の世界に従事するプランニングディレクター・永田宙郷氏です。少し遠回りをしながら辿り着いたのは、伝統工芸を作るのではなく支えるという仕事の方法でした。

各地の伝統工芸の商品や産地のプロデュースに関わる永田氏は、作り手と使い手と伝え手を繋ぐ場として「ててて商談会(2019年まで見本市)」を主宰する人物でもあります。デザイナー、ディストリビューター、デザインプロデューサーとともに発足したそれは、2012年にスタート。当時の参加は約20社でしたが、現在は100社以上集い (応募は200社以上)、そのオファーは増える一方です。
しかし、2020年秋の開催は中止。その理由は、周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

そこで新たに立ち上げたのが、オンラインショップ&メディア「4649商店街」。
一見、ふざけているようなネーミングですが、永田氏は大真面目。
「イベントや催事が次々と中止になり、接点を作る場を失ってしまいました。今の世の中で、何とか伝統工芸の火を絶やさないようにしなければいけないと思い、急遽、立ち上げました」。
出店は、何と150社以上。国が指定した伝統工芸品は235品(経済産業省HP参照。2019年11月20日時点)のため、その数の充実度は言うまでもありません。

「みなさま、どうかで日本の地域のもの作りと伝統工芸を“よろしく”お願い致します」。

新型コロナウイルス後に急遽立ち上げたオンラインショップ&メディア「4649商店街」。

「ててて見本市」の風景。日本全国の伝統工芸が一同に集い、もの、人、ことがエネルギッシュに交錯する。

永田宙郷インタビュー「売る」、「買う」を通して、伝統工芸を考える。

「現状、伝統工芸の世界では、“まだ”難局を迎えていないと思います。発注から納品までに時間がかかる特殊な業種なので、本当に怖いのは“これから”。新型コロナウイルス後の発注がなくなるのではと危惧しています」。

永田氏は、このように不安視しています。
「ものに関しての伝統工芸は、主に4つの部類に分かれると思います。美術工芸、生活工芸、手工芸、量産工芸がそれです」。
端的に解説すると、美術工芸は芸術品、生活工芸は作家が提案する日用品、手工業はメーカーが提案する日用品、量産工芸は大量生産にも近い日用雑器などです。

今回は、主に生活工芸や手工業を中心に考えていきたいと思います。
「元々、右肩上がりの業種ではないことは皆さまご存知の通りかと思います。そんな中、“売る”、“買う”という視点で考えると、主にそれをつなぐのは百貨店などの小売業になります。その販路が今回の新型コロナウイルスによって絶たれてしまったことは大打撃です。更には、新生活の始まる4月という繁忙期だったことも多大な影響を及ぼしています」と永田氏は言います。

ここで改めて浮き彫りになったことがあります。それは「依存」です。
「伝統工芸は、伝統工芸が好きなファンを増やしてきましたが、そうでない人たちにももっと声を掛けねばならなかった。ここ数十年で、ものは売り場以外でも買えるようになり、インターネットやSNSの普及が急速に時代を変化させました。特別な人だけに支えられる時代は終わったのです」。
「そうでない人たち」にも声を掛けた好例に「中川政七商店」を挙げます。
「中川さんは、伝統工芸の民主的な入り口を作ったと思います」。

しかし、丁寧に時間をかけて作られたものであればあるほど、デジタルと相性は解離してしまう難もまたあり。永田氏も頭を悩ませます。
「例えば、ある器があったとします。その手触りや口当たりが特徴であれば、やはり体感しないと伝わりません。それをオンライン上で理解してもらうのはとても難しいです」と言うも、「リアルな場にも改善の余地はある」と言葉を続けます。
「例えば、以前の呉服屋さんでは、数時間、時には数日かけて品定めをしてきたと思います。本来は、伝統工芸品もじっくり品定めをする時間が必要な類。しかし、小売業に見る陳列は、隣にカワイイかどうか瞬間で判断するような雑貨が置かれてしまうこともしばしば。ものと向き合う時間軸が異なる商品と並べられてしまうことがあります。それではものの良さは伝わりませんし、判断に必要な時間も提供できません。作る側もわかりやすいものを作ろうと考えが寄ってしまいます。分かりづらさを紐解いいて余裕を重ねていけるような商品や購入機会は生まれません」。

それは、いわゆるジャンルごとに切り分けてしまう売り場の改善。ものと向き合う時間が異なるということは、横並びにある価格の高低差も発生します。時には数十万、数百万する美術工芸であれば別ですが、手が届きやすい生活工芸や手工業の品であれば、切実な件になります。
「ものの価値を伝えるのは至難の業だと思います。伝統工芸が含む、素材、技術、精神、文化の蓄積の全てをリアルな店舗だけで補うのも難しいですし、オンラインだけで補うのも難しい。特にこの新型コロナウイルス後には、それを適材適所に伝える努力と工夫が必要だと思っています。伝統工芸だからすごい!ではなく、そのすごい!の可視化と言語化を再度するべきだと考えます」。

なぜなら、「伝統」と謳うには、その理由があるから。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー欧米の伝統工芸は、日本の伝統工芸に憧れを持っている。

そう永田氏は言います。
欧米の工芸は、その価値基準として社会的に芸術と並ぶクラスを日本よりも感じますが、その「憧れ」とは何なのでしょうか。
「様々な国を見ても、日本のように街角に工房があるところは特殊だと思うからです」。

街角にあることによって、地域の文化を感じることができる。
街角にあることによって、手仕事を覗くことができる。
街角にあることによって、人に触れることができる。

その全ては、ものの用途を超えた価値と言えます。その価値を得られるのは、街角にあるからこそ可能にできる体験によるもの。さらには、旅というフィルターを通すことによって、より愛着も沸き、それは特別な存在になるでしょう。
「地域と過ごす時間、手仕事を覗く時間、人に触れる時間。そんな時間の共有に国外の工芸士は憧れを持っている」。

その憧れとは、作り手と使い手の関係の深さ。それは、他国では真似できない日本独特の文化なのかもしれません。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー「作る」だけではいけない。「直す」までを伝えたい。

永田氏は、現在の活動以外に、実は「金継ぎ」にも力を注いでいます。その拠点は京都に置き、「ホテル カンラ京都」本館1階に「金継工房リウム」を構えます。
「例えばお皿や器を買った時、その中には産地や装飾の説明があったとしても割れた時の連絡先や修理の方法が記されているものは極めて少ないです。僕自身は漆器以外では見たことがないです。販売店は“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”と勧める方もいらっしゃると思いますが、その修理の方法を聞いた時に即答できる方は少ないのではないでしょうか。それは売り手にも問題ありますが、作り手の責任もあると思います。なぜなら、“大切に使って欲しい”、“長く使って欲しい”という意思表示は、必要だと考えるからです」。

その件に関し、フランスの某有名ブランドを例に話を続けます。
「フランスの某有名ブランドの革製品は、高額にも関わらず数年待ってでも手に入れたい方々がいます。もちろんステータスやクラスを装いたいのかもしれませんが、使い続けるという視点でも相当優れています。直せる品は、原則として必ず分解できます。革製品であれば、手縫いで仕上げ、ボンドなどを使用しないことも特徴のひとつです。更に分解した革の裏側には作り手の名も記され、世界中でそれが管理されています」。

つまり、誰がどんな風に作ったのかがアーカイブ化され、技術の足跡が永遠に残されるのです。ゆえに、そのブランドのブティックで修理の質問をしても世界中で同じ応えが即答されるのです。“お直しは可能です”と。

だからこそ、“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”という言葉の説得力が生まれるのです。
「日本の伝統工芸品もそれに負けないくらい一流だと思いますし、当然、直せるのです。しかし、この“直せる”という大切なメッセージのピースを埋めないまま、次から次への売るビジネスに傾倒していったのかも知れません。買い手は、壊れたら嫌だからと購入から遠のき、傷がついたら勿体ないからと使わない人もいます。ですが、ナイロンでなくセルロースのスポンジであれば漆器も傷つかず洗えます。鉄の包丁も研ぎ方を教えてくれる人はいても洗い方まで教えてくれる人は少ないです。油物を切っても油脂は約70℃で溶けるので、例えばコーヒーを沸かす前に少しだけお湯を多く沸かしてそれで洗い流せば綺麗に手入れもできるのです」。

今に始まったことではない話かもしれませんが、このコロナ禍によって課題が浮き彫りになったのかもしれません。
「直せることが分かれば長く使えることを前提に買えますし、手入れの仕方を知れば尚更に長く使うこともでき、一層愛着が湧きます」。
直し続けられるものの命は、人の命よりもはるかに長い。だからこそ、時代を超えて文化や歴史は継承され、伝統が生き続けるのです。

使い続けながら伝統工芸を残すことは、これから画一化されていくであろう世界に対し、大きな意味をもたらすでしょう。
それは、多様性を保つために必要な情報が埋め込まれたものや技のかたちをした生きるデータベースづくりとも言えるからです。
我々は、失ってしまったものと向き合う時間軸を取り戻せるのか。作るの先の世界へシフトできるのか。今こそ、改めて、伝統工芸と向き合うべきなのかもしれません。

1978年、福岡県出身。TIMELESS LLC.代表・プラニングディレクター。「ててて協働組合」共同代表、「DESIGNART」Co-Founder、「金継工房リウム」代表、「京都造形大学」伝統文化イノベーションセンター研究員、「京都精華大学」伝統産業イノベーションセンター客員研究員。「金沢21世紀美術館」(非常勤)、「t.c.k.w」、「EXS Inc」を経て現職。「LINKAGE DESIGN」を掲げ、数多くの事業戦略策定と商品開発に従事。特許庁窓口支援事業ブランディング専門家、関東経済産業局CREATIVE KANTOプロデューサー(2014年〜2016年)、京都職人工房講師(2014年〜2019年春)、越前ものづくり塾ディレクター(2015年〜2018年)を始め、各地でのものづくりや作り手のプロデュース事業にも多く関わる。伝統工芸から最先技術まで必要に応じた再構築やプランニングを多く手掛け、2020年5月には、日本の伝統工芸品を集めたオンラインメディアショップ「4649商店街」を立ち上げる。著書は「販路の教科書」。
https://nagataokisato.themedia.jp
https://tetete.jp/4649/

今こそ、日本の伝統工芸を考える。僕の原点は、世界の名匠から学んだ。

立川裕大インタビュー日本のアイデンティティを生かすために、改めて足元を掘りたい。

そう話すのは、伝統技術ディレクター/プランナーの第一人者、立川裕大氏です。

立川氏といえば、日本各地の伝統的な技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、その領域を拡張している人物です。
それぞれの空間に応じて表現し、 家具、照明器具、アートオブジェなどをオートクチュールで製作 。ものづくりプロジェクト「ubushina」として活動しています。

「ubushina」 とは「産品(うぶしな)」であり、「産土(うぶすな)」という古語の同義語です。その意味は、「その人が産まれた場所」というアイデンティティを指しています。

「その地域でしかできないこと、その職人でなければできないことを重要視しています。効率の良いやり方ではないかもしれませんが、今までにそうした産地や職人の持ち味を発掘し、多彩なネットワークを構築してきました。個々の多様性を尊重し、手と頭がよく働く職人たちと創意工夫しながら、これからの社会にとって希望あるものづくりの文化を探求することが自分の信念です」。

手がけた作品は「東京スカイツリー」、「八芳園 (はっぽうえん)」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など、多数あります。

長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけており、高岡鋳物、波佐見焼、大川家具などの産地との関わりも深いです。

そんな立川氏は、今の伝統工芸についてどう考えているのか。

立川氏がブランディングディレクションを行う高岡の鋳物メーカー「能作」の新社屋・工場。

2017年に竣工した「能作」の新社屋・工場のコンセプトは産業観光。毎月約1万人の見学者が来場する。Architectural Design:Archivision Hirotani Studio

波佐見焼のエキシビション「あいもこいも」をディレクション。Space Design:DO.DO. Graphic Design:DEJIMA GRAPH Photograph:Kazutaka Fujimoto

立川氏のものづくりプロジェクト「ubushina」の代表作ともなった「東京スカイツリー」の伝統工芸アートワーク。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO Photograph:Nacasa & Partners

「ubushina」の初作品ともいえる2003年の「CLASKA」。漆や鋳物などの伝統技術をふんだんに採用した作品。Design:INTENTIONALIES

立川裕大インタビュー伝統工芸の世界は、基本的に3つの関係で成り立っている。

「3つとは、職人・デザイナー・そして、我々のように場を作って管理するディレクターです。コンピュータ の世界にたとえれば、ハードウェア、ソフトウェア、ミドルウェアの関係にも似ています」と立川氏は話します。

「日本の伝統工芸の“職人”と“デザイナー”は、かなりハイレベルだと思います。台頭できない問題はミドルウェアのポジションである我々にあると思います。ここのスキルアップが急務」だと言葉を続けます。

現在、国が認めている日本の伝統工芸は、235品(経済産業省HPより参照)もあり、「この数字を取っても世界的にトップクラス。しかし、マネタイズの仕組みの悪さもトップクラス」と言います。

「例えば、フランスやイタリアはその逆。産地や生産数が少なくても、高価格帯で取引されるものを生み出しています。伝統工芸の高い技術力も美意識も日本にはある。しかし、ビジネスという点、ブランドづくりという点が劣ってしまっています」。
極論、10個売れてもひとつ売れても、同じ利益を生む仕組み と価値化が必要ということです。

「ヨーロッパでは、伝統工芸も職人もリスペクトされています。更には、職業としての地位も高く、ビジネスを司るミドルウェアのポジションにはMBA取得者などの優秀な人材が携わることもしばしば。そのくらい格別ですし、外貨もしっかり稼ぎだす産業なんです」。
日本においてビジネスとブランドをコントロールするミドルウェアの育成が喫緊の課題のようです。

新型コロナウイルスの感染拡大は伝統工芸界もダメージを避けられません。これがきっかけになって産地の生態系 が崩れていくことを恐れているともいいます。

「多くの産地は分業制で成り立っていて、ひとつの商品を作るのにも何人も何社もの職人が関わることになります。全ての工程を一企業が賄いきれることは滅多にありません。ブランドを携えて産地をリードするメーカーも、様々な工程を担う、多くは家族経営の外部 の職人たちに支えられているのです。彼らの多くは経済的な基盤が弱く、コロナで多大な影響を受けていることが予想されます。そもそもからして後継者の問題も抱えていたため、今後の産地の生態系 の維持がリアルに問題視されることになるでしょう。ヨーロッパのブランドではそういった優秀な職人たちを自社へ招聘し、社内で後継者を育成していたりするようですが、そういった取り組みを産地として模索する必要性がありそうです」。

「パレスホテル東京」のために製作 した銀粉漆塗りのカウンターと真鍮網代編みの天井。Design:A.N.D Photograph:Nacasa & Partners

「八芳園」の日本料理店「槐樹 (えんじゅ)」では、七宝文様をモチーフに手技と機械技術の融合を実現させた建具を採用。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO   Photograph:Nacasa & Partners

「檜タワーレジデンス」の銀箔ドットアートウォール(左)。Design:k/o design studio   Photograph:Nacasa & Partners
「東京スカイツリー」の江戸切子ガラスで装飾したエレベーター(右)。Design:NOMURA   Photograph:Satoshi Asakawa 

「三井寺」の宿坊「妙厳院」のために誂えた和紙の特注壁紙。Design:INTENTIONALIES Photograph:Toshiyuki Yano

「セイコーウオッチ株式会社」の創業130周年記念に竹細工の伝統技術を用いたオブジェを製作 。海外の見本展示会「BASELWORLD2011 SEIKO Stand」にて発表。Design:TANSEISYA

「日本は素材と技術の宝庫」とは立川氏の言葉。各地に特性と個性があり、土地に根付いた文化が宿る 。

立川氏の事務所「工藝素材一目部屋」には、全国から集められたマテリアルのサンプルで 溢れている 。

立川裕大インタビュー僕には英雄がふたりいる。それは、エンツォ・マーリとアキッレ・カスティリオーニ。

実はあまり知られていませんが、伝統工芸の世界に入る前の立川氏は「カッシーナ(現カッシーナ・イクスシー)」に在籍していました。

「僕は、もともと学生時代からイタリアのデザインが大好きで、1988年に“カッシーナ”に就職しました。当時 の日本ではまだ海外の家具の認知度は低かったです。働くにつれ、ミラノサローネなどにも足を運ぶようになり、あるふたりのデザイナーと出会い、僕はその虜になったのです。それは、エンツォ・マーリさん とアキッレ・カスティリオーニさんでした」。

のちに、このデザインの巨匠たちの自宅やアトリエにも招かれるほどの幸運に恵まれた立川氏は、彼らが日本を敬愛していることを知ります。そして同時に、デザインやビジネスに関して様々な 学びも得たのです。

「ある時、エンツォ・マーリさんから“龍安寺の石庭に佇んだことはあるか?”と聞かれました。“いいえ”と答えると“日本人ならば必ず体験するべきだ”と言われました。その時の自分は海外ばかりに目を向け、日本のことをあまり知りませんでした。日本の美徳について学ぼうと思ったのはそれがきかっけでした」と立川氏はその当時を振り返ります。

エンツォ・マーリ 氏は、飛騨高山とのプロジェクトも過去に行っており、日本を愛したデザイナーのひとりです。

「アキッレ・カスティリオーニさんからは、“消費経済の奴隷になるような仕事をしてはいけません”と言われました」。

つまり、あくまで我々の仕事の土台は社会や文化にあって、経済とは折り合いをつけるにしても短期的な数字だけを追い求めた 先に未来はないということを意味します。

日本に魅了されたのは、立川氏が出会ったふたりだけではありません。

世界的に著名な建築家であるブルーノ・タウト氏は「桂離宮」を見て「日本建築の世界的奇跡」と言葉を残し、シャルロット・ペリアン氏は「修学院離宮」の霞棚や日本の竹を自らのデザインソースに生かしています。チャールズ&レイ・イームズ氏もまた民藝を愛し、宮城県のこけしが自宅に飾られていたことは有名なエピソードとして残っています。

1999年、立川氏は日本にフォーカスして独立。
「独立して早々、富山県高岡市のセミナーにお声がけをいただきました。その時に参加者が、ほぼ伝統工芸に携わる方々だったのです。“能作”との出会いもそれがきっかけでした」。

英雄の言葉を胸に、伝統工芸の道へと歩みだした立川氏の始まりです。

「今、日本文化の礎になっている美意識は、主に室町時代あたりにできたものだと思います。そして、我々も令和のこの時代に未来の文化の苗床を作り出さなければならないと思っています」。
そうなれるかなれないか、生かすも殺すも「ミドルウェア次第」だが、「勝算はある」と立川氏は言います。

「幸いなことに伝統技術は残っていますし、それとともに育まれてきた美意識も健在です。職人もデザイナーもそうですが、とりわけミドルウェアの立ち居振る舞い次第では、伝統工芸は大きく躍如する可能性を秘めた成長産業なのです。そのためには日本文化の深層に眠るものを、最適な方法で表に引っ張り出すことが必要だと思っています」。

そう、日本には間違いなく資産はあるのです。

「新型コロナウイルスの収束後、需要や生産などを含め、伝統工芸の世界も落ち込むでしょう。しかし日本人は縮むことを得意とする国民性を持っています。団扇を扇子にしたり、提灯を畳んだり。お茶の世界でも最初は大広間で楽しんでいたものが、いつの間にか小さくなり、千利休にいたっては一畳半ににじり口です」。
かの有名な建築家、ル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋は、日本の茶室ともいわれています。

「好んで小さくしながら新しい価値を加えていくんですね。バブル後に産地の売上規模は5分の1にまで縮小したといわれていますが、それなりに生産体制を作り直して新しい市場も創造してきた。コロナウイルスの収束後 は何ごとも縮まざるをえない状況ですが、今こそ日本ならではの美意識や付加価値を纏ったビジネスへの転換を図る〝逆転の時〟にしたいと思っています」。

大切なことは、世界が認めた日本ではなく、日本が認めた日本の創造。立川氏と伝統工芸の二人三脚は、まだまだ続きます。その日が来るまで。

1997年、立川氏が初めてアキッレ・カスティリオーニ氏と会った時の1枚。「カスティリオーニさんとの出会いは、仕事に対する向き合い方と、僕の人生を変えました」。 

1965年、長崎県生まれ。株式会社t.c.k.w 代表。日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト「ubushina」を実践し伝統技術の領域を拡張。主な作品は、「東京スカイツリー」、「八芳園」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など多数。長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけ、高岡鋳物・波佐見焼・長崎べっ甲細工・甲州印伝・因州和紙・福島刺子織などの産地との関わりも深い。2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる「三井ゴールデン匠賞」を受賞。自ら主宰する特定非営利活動法人地球職人では、東日本大震災復興支援プロジェクト「F+」を主導し、寄付つきブランドの仕組みを構築し3年にわたって約900万円 を被災地に送り続けた。
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  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 66.0 41.5 106.0 103.0 23.0 18.5
S 68.0 43.5 110.0 107.0 24.0 19.0
M 70.0 45.5 114.0 111.0 25.0 19.5
L 72.0 47.5 118.0 115.0 26.0 20.0
XL 74.0 49.5 122.0 119.0 27.0 20.5
XXL 76.0 51.5 126.0 123.0 28.0 21.0
XXXL 78.0 53.5 130.0 127.0 29.0 21.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • コットン:50%
  • ポリエステル:50%

Made in U.S.A スナップバックキャップ ブラック

バイク乗りの定番、トラッカーキャップ!

  • 新柄のベル柄ワッペンを配したNewトラッカーキャップです
  • 今までのツイル地ワッペンとは違い初のフェルト地ワッペン
  • Made in U.S.Aの6パネルのスタンダードなキャップです
  • 浅すぎず深すぎずのミッドクラウンタイプなので被りやすさはバッチリです
  • バイザー部分は芯入りのフラットバイザータイプ
  • スナップバックを外せるので、ベルトループやバッグに付けられます
  • 携行性があるのでヘルメットを脱いで崩れた髪型も隠せ、ツーリングにも最適です
  • アジャスターによりサイズ調整が出来る為、頭の大きな方でも問題なく被れます
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます

サイズスペック

  • フロント高さ 17.5cm
  • ツバ 7cm
  • ツバ幅 18.5cm
  • 頭周り 55cm〜60cm

素材

  • ウール:80% ポリエステル:20%

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

こんにちはチューリップ黄

 

 

この時期、レディース館人気商品に

ルーズデニムというジーンズがあるのですが、、、

 

 

この、ゆったり穿きやすいこちらですね下矢印

 

 

 

この大人気ルーズデニムのカラーバージョン

が入荷しておりますキラキラ

 

 

(写真お借りしましたアセアセ

72894 ワイドテーパードトラウザーパンツ

¥15,400(税込)

 

カラーはベージュカーキブラックの3色展開です

 

 

チノパンのように通年活躍でき、

上品な光沢感があり、さらっとした履き心地ですルンルン

 

 

普通のチノパンに比べゆったりしているので穿きやすく

オシャレに決まる1本ですOKキラキラ

 

 

是非当店にお越しの際にはご試着してみて下さいね流れ星

 

 

 

 

日中暑いのに夕方寒かったり体調を崩しやすい季節ですので

皆様もお身体にはお気を付け下さいね風鈴

 

 

 

 

 

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

こんにちはチューリップ黄

 

 

この時期、レディース館人気商品に

ルーズデニムというジーンズがあるのですが、、、

 

 

この、ゆったり穿きやすいこちらですね下矢印

 

 

 

この大人気ルーズデニムのカラーバージョン

が入荷しておりますキラキラ

 

 

(写真お借りしましたアセアセ

72894 ワイドテーパードトラウザーパンツ

¥15,400(税込)

 

カラーはベージュカーキブラックの3色展開です

 

 

チノパンのように通年活躍でき、

上品な光沢感があり、さらっとした履き心地ですルンルン

 

 

普通のチノパンに比べゆったりしているので穿きやすく

オシャレに決まる1本ですOKキラキラ

 

 

是非当店にお越しの際にはご試着してみて下さいね流れ星

 

 

 

 

日中暑いのに夕方寒かったり体調を崩しやすい季節ですので

皆様もお身体にはお気を付け下さいね風鈴