津軽ボンマルシェひたすらりんごの研究を続けた、農学博士が作る自然のお茶。
弘前市内から出発して、もう一時間近く経っていました。車はどんどん森の奥へと進んで行きます。木々の生い茂る鬱蒼とした狭い山道が続き、やがて舗装されていないガタガタ道に差し掛かった頃、ハンドルを握る城田創氏がポツリと語り始めました。「僕、熊に会ったことあるんですよ」。悪路で体を上下左右に不規則に揺らしながら彼は続けます。「子熊を2頭連れた母熊に遭遇しちゃいまして。最初は僕を見つけた子熊が、無邪気にパーッとこっちに走って来たんです。そしたら今度は気を荒げた母熊がグワッと向かってきました。もう体が氷のように固まって動けなくて。自分との距離は10mもなかったです。とっさに、たまたま持っていたチェーンソーのエンジンをかけたら、音が響いて、驚いた母熊は逃げてくれた。それでどうにか九死に一生を得たんです」。
そんな話を聞いた後、農園で見たりんごの木には、熊の爪痕がしっかり残っていました。ばったり熊と出会ってもおかしくないほどの深い山の奥地に、彼らのりんご農園はあります。
『医果同源りんご機能研究所』という会社が、無農薬無化学肥料のりんごの葉でお茶を作っている、という噂を耳にした時は興味が募りました。りんごの葉がお茶になるなんて今まで聞いたことがなく、どんな味なのか想像もつきません。そのお茶が販売されていることを最初に発見したのは、以前紹介した『bambooforest』にて。店主の竹森幹氏も一押しの商品でした。実際に味わってみると、焙じ茶のような穏やかな香ばしさの中に、ほんのりと優しい甘みがあり、クセのないまろやかなお茶で、お菓子との相性も良いものでした。
この会社では、お茶の他に、未熟りんごの入ったりんごジュースや、りんごの発泡酒など、一風変わったりんごの加工品を手掛けています。所長の城田安幸氏は農学博士で、かつては弘前大学農学生命科学部准教授として20年以上りんごの機能研究を続けてきたという専門家。その博士が作るりんご製品というのならば、ただのジュースやお茶ではないはずです。これはどうしても、城田博士に会ってみたくなりました。
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津軽ボンマルシェ生き物への興味と好奇心、そして優しい気持ちが新しい扉を開く。
「おーい。みんなで畑に行こう!」と明るく人懐こい笑顔で迎えてくれた安幸氏は研究者というより、これからジャングルへ向かう探検隊長のようでした。そして研究していたのは、りんごだけではありません。子供の頃から昆虫が大好きだったという安幸氏。高校の同級生だった妻のあい子さんに言わせると「今も昔も本当に、アリもゴキブリも殺さない」のだとか。安幸氏の父親は沖縄の生まれで「虫はご先祖様であり、お盆には虫に姿を変えて会いにきている」と教えられたそうです。弘前大学では進化生態学という、生物の進化の研究をする中で、蝶や蛾の羽などに目玉模様があることに疑問を持ち、カイコにも目玉模様を付けられないか遺伝子実験を行ったり、化石の中に閉じ込められた何千万年も前のハエのDNAを取り出して蘇らせるという「ジュラシック・パーク」のようなプロジェクトを行ったりもしていたそうです。昆虫少年・安幸氏の活動は、当時放映されていたNHKのテレビ番組「むしむしQ」「あにまるQ」などの監修にも広がり、子供たちに虫や動物のことを面白く楽しく伝えることに情熱を注いでいました。
そしてカイコの実験をきっかけに開発したのがなんと「目玉かかし」。田んぼや畑へ行くと、目玉の模様が付いた鳥避けの風船のようなものを見かけることはないでしょうか? これを最初に発案したのは、実は安幸氏だったのです。目玉模様のあるカイコを鳥に餌として与えると避ける傾向にあったことを発端に、「鳥は目玉に怯えるのでは?」という仮説を立て、鳥が怖がる目玉のサンプルをいくつも試作して、鳥の行動観察実験を繰り返し、目玉かかしが誕生したのでした。実験の様子は「目玉かかしの秘密」という書籍にまとめられ、課題図書にもなっています。
このように安幸氏の研究活動は一つには収まらず、次々と湧き上がる疑問と興味が多様に広がり、とてもここでは書ききれないほど膨大なものでした。「父の話は1つ引き出しを開けると、あっちもこっちも開いちゃうので、1話が100話分くらいになっちゃうんですよ」と笑う創氏の言葉も納得です。
しかしどれも一貫して、人を含めた生き物、そして自然への底抜けに温かく優しい眼差しが根底にあるのです。目玉かかしは鳥をむやみに殺さず傷付けず、人間とうまく共存するために考え抜いた策。そこに安幸氏が安幸氏たる所以があります。
そんな安幸氏は、カイコの研究でひとつの発見をしました。というのも、大量に出るサナギを使い、冬虫夏草の一種であるサナギタケを育て、抗腫瘍効果の研究も行っていたのです(冬虫夏草は蛾の幼虫やサナギなどに寄生するキノコの一種で、漢方の生薬や薬膳料理にも用いられる)。ただ、冬虫夏草はかなり高価な稀少品。そのほかに試しに地域の特産物であるりんごを使い、同様の実験をしたところ、未熟りんごと成熟りんごを混ぜたジュースに抗腫瘍効果があることが分かったのです。
津軽ボンマルシェ大切な人を失い、癌の研究から無農薬のりんご栽培へ。
通常、摘果時に捨てられてしまう未熟りんごは、一般的なりんごの3分の1ほどの大きさですが、紫外線や害虫から身を守り、元気に成長するために、成熟りんごの5〜10倍ものポリフェノールが含まれています。未熟りんごの果汁は、それだけでは渋くて飲めませんが、さらに研究を重ね、砂糖や香料などは使わず、成熟りんごを混ぜたベストな配合を編み出したのです。
こうして完成したジュースをもっと世に役立たせたい、と考えた安幸氏はあい子さんと二人で会社を設立。食は医療の根本であり、病を治す薬と、健康な暮らしを保つための日常の食は本来一緒である、という意味を表す「医食同源」から発想を得て、「医果同源」とネーミング、ジュースの商品名として名付け、販売を開始。2005年には「リンゴやナシの、未熟果実と未成熟果実の両方用いることで得られる免疫賦活剤」の特許を日本特許庁より取得しました。さらに中国特許庁より「免疫賦活剤」「健康飲料や健康食品」の特許も取得。「リンゴの抗腫瘍効果」と題して、日本癌学会学術総会でも発表されました。
このように安幸氏が癌研究を始めたきっかけは、過去の辛い出来事にあります。というのは、安幸氏は、癌と誤診され、高齢で手術に踏み切った父親をなくしています。しかも、その手術を勧めたのが安幸氏本人だったのです。安幸氏は自責の念に苛まれました。とことろが、父親が解剖された翌日、安幸氏の夢の中に父親が出てきて、こう告げるのです。
「手術と抗癌剤と放射線治療に代わる方法を考えなさい。それが、残されたお前の人生を賭けてやるべきことだ!」
もうひとつ大きな要因もありました。社会人入学で大学院に進学した、将来有望だった同世代の大切な友を癌で亡くしたことも安幸氏に大きな影響を与えていたそうです。その友との約束が「免疫力を高めることで癌を予防する方法を確立する」ことだったといいます。
2010年より自分たちでりんごの無農薬栽培を始め、2013年に大学を退職すると、退職金で広大な土地を購入。安幸氏は「退職後の事業、また生涯の研究課題として続けて行く」と覚悟を決めました。しかし、実際にりんご栽培はそう簡単なものではなかったといいます。たとえ花がたくさん咲いても、実が少ない年が続いたり、病気や害虫で木がどんどん枯れてしまったり……。ただ、通常、病気になった木は菌を保持しているので切り倒してしまうのですが、安幸氏は病気だからと見捨てることはありません。まだ生きているのなら大事に育てよう、と最後まで残したのです。剪定もしないためグイッと空高く伸びる枝。ようやく実ったりんごは形の悪いものも多かったそうですが、自然を大切にするという一貫した志が消費者の心を掴むのでした。首都圏の百貨店で販売したところ、瞬時に売れてしまったそうです。
そして10年間継続してきた無農薬栽培ですが、現実にはほとんどの木が枯れてしまいました。ただ、結果的には悪いことばかりではありませんでした。以前、『津軽ボンマルシェ』で紹介した『岩木山の見えるぶどう畑』の伊東竜太氏は、かつては農場での酢の散布やりんごの収穫を、アルバイトとして手伝ってもらっていました。『白神アグリサービス』の木村才樹氏は安幸氏の教え子で、収穫時に重機によるりんごの運搬や人手の紹介などでお世話になっていたのです。比較的近くにある『おおわに自然村』は豚ぷんを堆肥として分けてもらっているという長年のお付き合い。『津軽ボンマルシェ』に登場の面々を始め、地域の人々との繋がりによって助けられ、『医果同源りんご機能研究所』はここまで育てられてきたのでした。たとえ多くの木を失ってしまったとしても、それ以上に得るものはたくさんあったのではないでしょうか。
2020年の春、安幸氏は新たに414本のりんごの苗を植えました。
「これで良い悪いではなく、10年やった結果として受け止め、今後に生かしていければ。植えた苗のうち214本は、12年間試みた完全無農薬栽培で元気に生き残った木の枝を接木した苗です。昨年から有機栽培も開始しました。有機といっても色々あり、認証を受けた農薬なら予防目的で使うこともできるのですが、自分たちは引き続き極力農薬は使わず、病気が出たときだけ、例えば木の幹に菜種油を塗るなど、なるべく自然に近い形で対応していく方針です」
津軽ボンマルシェ津軽を思い、りんごの新しい可能性を探る、探求は生きがい。
2020年から本格的な販売が始まった「りんご葉の茶」も、長年のりんご研究の中から生まれました。りんごの葉でお茶を作れないか、という構想自体は安幸氏のなかで10年前からあったそうです。実際に調べてみると、中国では昔から、湖北海棠(コホクカイドウ)という品種のりんごの葉をお茶にして飲んでいたようで、効能に関する研究論文があり、apple leaf teaという言葉も記録されていました。湖北海棠は日本でもかつて九州地方に自生していましたが、現在は絶滅状態。そこで安幸氏は、様々な種類のりんご栽培研究を行なっている「青森県産業技術センター りんご研究所」で研究用として保存されていた木の枝を譲ってもらい、接ぎ木で増やすことに。現在は177本の湖北海棠が畑で育っているのだとか。生の葉を少しかじってみると、ほのかに柔らかな甘さ。秋にはもっとりんごらしい香りと深みのある味になるのだそうです。
りんごの葉にはポリフェノールの一種であるフロリジンという成分が豊富に含まれています。これには血糖値の上昇を抑え、抗加齢効果のあることが分かってきており、注目の成分として、世界で様々な研究が行われているそうです。「お茶として製品化するのは、実はうちが日本で初めてなんです」と安幸氏。収穫した茶葉は、きれいに洗浄して5日〜1週間乾燥させた後、静岡にある有機JAS認証の茶製造業者にて焙煎し、お茶に加工されます。ティーバッグは自然に還すことのできる、地球に優しい素材として、植物由来のフィルターを使用しました。
青森県は短命県と言われ、平均寿命は日本最下位が続いていますが、安幸氏はその改善に少しでも役立つことができないか、と以前から考えていたそうです。また、りんご農家は高齢化が進み、後継者不足と経営難で生産者が激減しています。りんご栽培の新たな可能性を多方面から探り、「付加価値を生み出すことで農業を支えることができたら」という思いが、この研究の大きな原動力になっています。終始温かい目で安幸氏を見つめていたあい子さんは、「ジュースができて15年、お茶が発案から10年目で発売など、2020年はいろんな意味で節目の年なんです。振り返ってみると、私たちがずっと大切にしてきたのは“優しさ”でした。人にも自然にも優しいということが全ての根本にあり、これからもずっと続けていきたいと願っていることです」と静かに語ってくれました。
さて、みんなが農園から引き上げようとすると、「僕はまだここに残るから」と安幸氏。実は毎日午後から農園に出向くと、夜の9時10時まで居残り、新たな研究に勤しんでいるのだそうです。農園の一角に定点カメラを設置し、夜間にどんな動物がここを訪れるのか、りんごを置いて観察しています。「これは父の生きがいだから、誰にも止められません」と創氏。テンやアナグマ、ハクビシンなど、様々な動物たちの写真をまるで自分の友達のように見せる安幸氏の目はキラキラと輝き、優しさに溢れていました。そして安幸氏の意志を受け、生き生きとした姿勢で全面的に支え、地道に丁寧に形にしていく家族やスタッフたちが、今後も共に地域の希望を照らしていくのだと強く感じられたのでした。
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