今こそ、日本の伝統工芸を考える。僕の原点は、世界の名匠から学んだ。

立川裕大インタビュー日本のアイデンティティを生かすために、改めて足元を掘りたい。

そう話すのは、伝統技術ディレクター/プランナーの第一人者、立川裕大氏です。

立川氏といえば、日本各地の伝統的な技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、その領域を拡張している人物です。
それぞれの空間に応じて表現し、 家具、照明器具、アートオブジェなどをオートクチュールで製作 。ものづくりプロジェクト「ubushina」として活動しています。

「ubushina」 とは「産品(うぶしな)」であり、「産土(うぶすな)」という古語の同義語です。その意味は、「その人が産まれた場所」というアイデンティティを指しています。

「その地域でしかできないこと、その職人でなければできないことを重要視しています。効率の良いやり方ではないかもしれませんが、今までにそうした産地や職人の持ち味を発掘し、多彩なネットワークを構築してきました。個々の多様性を尊重し、手と頭がよく働く職人たちと創意工夫しながら、これからの社会にとって希望あるものづくりの文化を探求することが自分の信念です」。

手がけた作品は「東京スカイツリー」、「八芳園 (はっぽうえん)」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など、多数あります。

長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけており、高岡鋳物、波佐見焼、大川家具などの産地との関わりも深いです。

そんな立川氏は、今の伝統工芸についてどう考えているのか。

立川氏がブランディングディレクションを行う高岡の鋳物メーカー「能作」の新社屋・工場。

2017年に竣工した「能作」の新社屋・工場のコンセプトは産業観光。毎月約1万人の見学者が来場する。Architectural Design:Archivision Hirotani Studio

波佐見焼のエキシビション「あいもこいも」をディレクション。Space Design:DO.DO. Graphic Design:DEJIMA GRAPH Photograph:Kazutaka Fujimoto

立川氏のものづくりプロジェクト「ubushina」の代表作ともなった「東京スカイツリー」の伝統工芸アートワーク。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO Photograph:Nacasa & Partners

「ubushina」の初作品ともいえる2003年の「CLASKA」。漆や鋳物などの伝統技術をふんだんに採用した作品。Design:INTENTIONALIES

立川裕大インタビュー伝統工芸の世界は、基本的に3つの関係で成り立っている。

「3つとは、職人・デザイナー・そして、我々のように場を作って管理するディレクターです。コンピュータ の世界にたとえれば、ハードウェア、ソフトウェア、ミドルウェアの関係にも似ています」と立川氏は話します。

「日本の伝統工芸の“職人”と“デザイナー”は、かなりハイレベルだと思います。台頭できない問題はミドルウェアのポジションである我々にあると思います。ここのスキルアップが急務」だと言葉を続けます。

現在、国が認めている日本の伝統工芸は、235品(経済産業省HPより参照)もあり、「この数字を取っても世界的にトップクラス。しかし、マネタイズの仕組みの悪さもトップクラス」と言います。

「例えば、フランスやイタリアはその逆。産地や生産数が少なくても、高価格帯で取引されるものを生み出しています。伝統工芸の高い技術力も美意識も日本にはある。しかし、ビジネスという点、ブランドづくりという点が劣ってしまっています」。
極論、10個売れてもひとつ売れても、同じ利益を生む仕組み と価値化が必要ということです。

「ヨーロッパでは、伝統工芸も職人もリスペクトされています。更には、職業としての地位も高く、ビジネスを司るミドルウェアのポジションにはMBA取得者などの優秀な人材が携わることもしばしば。そのくらい格別ですし、外貨もしっかり稼ぎだす産業なんです」。
日本においてビジネスとブランドをコントロールするミドルウェアの育成が喫緊の課題のようです。

新型コロナウイルスの感染拡大は伝統工芸界もダメージを避けられません。これがきっかけになって産地の生態系 が崩れていくことを恐れているともいいます。

「多くの産地は分業制で成り立っていて、ひとつの商品を作るのにも何人も何社もの職人が関わることになります。全ての工程を一企業が賄いきれることは滅多にありません。ブランドを携えて産地をリードするメーカーも、様々な工程を担う、多くは家族経営の外部 の職人たちに支えられているのです。彼らの多くは経済的な基盤が弱く、コロナで多大な影響を受けていることが予想されます。そもそもからして後継者の問題も抱えていたため、今後の産地の生態系 の維持がリアルに問題視されることになるでしょう。ヨーロッパのブランドではそういった優秀な職人たちを自社へ招聘し、社内で後継者を育成していたりするようですが、そういった取り組みを産地として模索する必要性がありそうです」。

「パレスホテル東京」のために製作 した銀粉漆塗りのカウンターと真鍮網代編みの天井。Design:A.N.D Photograph:Nacasa & Partners

「八芳園」の日本料理店「槐樹 (えんじゅ)」では、七宝文様をモチーフに手技と機械技術の融合を実現させた建具を採用。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO   Photograph:Nacasa & Partners

「檜タワーレジデンス」の銀箔ドットアートウォール(左)。Design:k/o design studio   Photograph:Nacasa & Partners
「東京スカイツリー」の江戸切子ガラスで装飾したエレベーター(右)。Design:NOMURA   Photograph:Satoshi Asakawa 

「三井寺」の宿坊「妙厳院」のために誂えた和紙の特注壁紙。Design:INTENTIONALIES Photograph:Toshiyuki Yano

「セイコーウオッチ株式会社」の創業130周年記念に竹細工の伝統技術を用いたオブジェを製作 。海外の見本展示会「BASELWORLD2011 SEIKO Stand」にて発表。Design:TANSEISYA

「日本は素材と技術の宝庫」とは立川氏の言葉。各地に特性と個性があり、土地に根付いた文化が宿る 。

立川氏の事務所「工藝素材一目部屋」には、全国から集められたマテリアルのサンプルで 溢れている 。

立川裕大インタビュー僕には英雄がふたりいる。それは、エンツォ・マーリとアキッレ・カスティリオーニ。

実はあまり知られていませんが、伝統工芸の世界に入る前の立川氏は「カッシーナ(現カッシーナ・イクスシー)」に在籍していました。

「僕は、もともと学生時代からイタリアのデザインが大好きで、1988年に“カッシーナ”に就職しました。当時 の日本ではまだ海外の家具の認知度は低かったです。働くにつれ、ミラノサローネなどにも足を運ぶようになり、あるふたりのデザイナーと出会い、僕はその虜になったのです。それは、エンツォ・マーリさん とアキッレ・カスティリオーニさんでした」。

のちに、このデザインの巨匠たちの自宅やアトリエにも招かれるほどの幸運に恵まれた立川氏は、彼らが日本を敬愛していることを知ります。そして同時に、デザインやビジネスに関して様々な 学びも得たのです。

「ある時、エンツォ・マーリさんから“龍安寺の石庭に佇んだことはあるか?”と聞かれました。“いいえ”と答えると“日本人ならば必ず体験するべきだ”と言われました。その時の自分は海外ばかりに目を向け、日本のことをあまり知りませんでした。日本の美徳について学ぼうと思ったのはそれがきかっけでした」と立川氏はその当時を振り返ります。

エンツォ・マーリ 氏は、飛騨高山とのプロジェクトも過去に行っており、日本を愛したデザイナーのひとりです。

「アキッレ・カスティリオーニさんからは、“消費経済の奴隷になるような仕事をしてはいけません”と言われました」。

つまり、あくまで我々の仕事の土台は社会や文化にあって、経済とは折り合いをつけるにしても短期的な数字だけを追い求めた 先に未来はないということを意味します。

日本に魅了されたのは、立川氏が出会ったふたりだけではありません。

世界的に著名な建築家であるブルーノ・タウト氏は「桂離宮」を見て「日本建築の世界的奇跡」と言葉を残し、シャルロット・ペリアン氏は「修学院離宮」の霞棚や日本の竹を自らのデザインソースに生かしています。チャールズ&レイ・イームズ氏もまた民藝を愛し、宮城県のこけしが自宅に飾られていたことは有名なエピソードとして残っています。

1999年、立川氏は日本にフォーカスして独立。
「独立して早々、富山県高岡市のセミナーにお声がけをいただきました。その時に参加者が、ほぼ伝統工芸に携わる方々だったのです。“能作”との出会いもそれがきっかけでした」。

英雄の言葉を胸に、伝統工芸の道へと歩みだした立川氏の始まりです。

「今、日本文化の礎になっている美意識は、主に室町時代あたりにできたものだと思います。そして、我々も令和のこの時代に未来の文化の苗床を作り出さなければならないと思っています」。
そうなれるかなれないか、生かすも殺すも「ミドルウェア次第」だが、「勝算はある」と立川氏は言います。

「幸いなことに伝統技術は残っていますし、それとともに育まれてきた美意識も健在です。職人もデザイナーもそうですが、とりわけミドルウェアの立ち居振る舞い次第では、伝統工芸は大きく躍如する可能性を秘めた成長産業なのです。そのためには日本文化の深層に眠るものを、最適な方法で表に引っ張り出すことが必要だと思っています」。

そう、日本には間違いなく資産はあるのです。

「新型コロナウイルスの収束後、需要や生産などを含め、伝統工芸の世界も落ち込むでしょう。しかし日本人は縮むことを得意とする国民性を持っています。団扇を扇子にしたり、提灯を畳んだり。お茶の世界でも最初は大広間で楽しんでいたものが、いつの間にか小さくなり、千利休にいたっては一畳半ににじり口です」。
かの有名な建築家、ル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋は、日本の茶室ともいわれています。

「好んで小さくしながら新しい価値を加えていくんですね。バブル後に産地の売上規模は5分の1にまで縮小したといわれていますが、それなりに生産体制を作り直して新しい市場も創造してきた。コロナウイルスの収束後 は何ごとも縮まざるをえない状況ですが、今こそ日本ならではの美意識や付加価値を纏ったビジネスへの転換を図る〝逆転の時〟にしたいと思っています」。

大切なことは、世界が認めた日本ではなく、日本が認めた日本の創造。立川氏と伝統工芸の二人三脚は、まだまだ続きます。その日が来るまで。

1997年、立川氏が初めてアキッレ・カスティリオーニ氏と会った時の1枚。「カスティリオーニさんとの出会いは、仕事に対する向き合い方と、僕の人生を変えました」。 

1965年、長崎県生まれ。株式会社t.c.k.w 代表。日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト「ubushina」を実践し伝統技術の領域を拡張。主な作品は、「東京スカイツリー」、「八芳園」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など多数。長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけ、高岡鋳物・波佐見焼・長崎べっ甲細工・甲州印伝・因州和紙・福島刺子織などの産地との関わりも深い。2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる「三井ゴールデン匠賞」を受賞。自ら主宰する特定非営利活動法人地球職人では、東日本大震災復興支援プロジェクト「F+」を主導し、寄付つきブランドの仕組みを構築し3年にわたって約900万円 を被災地に送り続けた。
http://www.ubushina.com