作らない工芸作家。大好きな津軽塗を守るために選んだのは「伝える」という戦い方。[TSUGARU Le Bon Marche・CASAICO/青森県弘前市]

漆の技術のひとつである金継ぎの技法で器を修理するのも彩子さんの仕事。丁寧な仕事で、ひとつにつき数週間はかかる。

津軽ボンマルシェ無限のバリエーションを持つ、青森県唯一の国指定伝統工芸品。

花柄、カモフラージュ柄、アニマル柄。見ようによってさまざまな柄に捉えられる、複雑で、どこかモダンでさえある模様。これも津軽塗なんですか、と問うと「津軽塗の表現は、無限なんです」と誇らしげな答えが返ってきました。

声の主は、セレクトショップ、ギャラリー、工芸教室、漆工房が複合した施設『CASAICO』の店主・葛西彩子さん。店先には陶器、漆器、金属工芸などの雑貨が並び、奥のギャラリーはゆったりとした空間がゲストを迎えます。そして教室に置かれた津軽塗の色見本「手板」には、たしかに無限と思える無数の色、柄。多くの観光客にとって、美術館や土産物店で出会うだけだった津軽塗、その歴史やバリエーションも含め、より深く親しむことができるのがこの『CASAICO』なのです。

そもそも津軽塗とは、青森県で唯一の経済産業大臣指定伝統工芸品。江戸時代からこの地に受け継がれてきた漆器が、明治6年のウィーン万博出展を機に、正式に津軽塗と呼ばれ始めたことが起源です。その姿はさまざまですが、とりわけ印象的なのは「研ぎ出し変わり塗り」。凹凸をつけて何度も重ね塗りした漆の表面を研ぐことで複雑な模様が浮かび上がる、津軽塗独特の手法です。

そんな青森を代表する工芸品・津軽塗ですが、課題がないわけではありません。とくに後継者不足による産業自体の衰退は、喫緊の課題です。しかし困難があれば、それに立ち向かう人もいる。そこで『CASAICO』の葛西彩子さんの、津軽塗の未来のための物語をお伝えします。

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『CASAICO』があるのは、弘前駅東側、長四郎公園の近く。観光客がふらりと来るエリアではないが、こだわりのある小さな店が点在する。

何層も塗り重ねた後に、表面を削って模様を浮き上がらせる研ぎ出し変わり塗り。これにより複雑で立体的な模様となる。

制作や教室で使う道具は自作。これにより「職人の数だけ模様がある」という多様性が生まれる。

津軽ボンマルシェ錫に魅せられた少女が、津軽塗と出会うまで。

宮城県仙台市に生まれた彩子さん。小さい頃からどちらかといえばインドア派で、工芸品などに興味を示す子供だったといいます。そんな彩子さんがとりわけ興味を持ったのは金属。独特の光沢と重厚な存在感、そして金属を加工して生まれる工芸品の美しさに惹かれました。

高校卒業後は、東北芸術工科大学工芸コースに進学。そこで転機が訪れます。金属のなかでもとくに錫に没頭していた彩子さんですが、大学の金属コースの定員はごく少数で、当時は需要の面からも錫作家の道は狭き門だったのです。そんな折に本当に偶然に、津軽塗を目にしましたといいます。いままで触れたこともない漆は、まったく未知の世界。しかし生で見る津軽塗は、大好きな金属のような輝きを放っていました。「これなら金属表現ができる」そう直感した彩子さんは、金属コースを諦め、漆コースに進学、大学院まで修了しました。

津軽塗に惹かれ、恩師も津軽塗産業技術センター出身ではありましたが、卒業後の彩子さんはまず、地元仙台で工房を開きました。同時に誰でも気軽に漆芸が体験できる教室もスタート。この教室で「教える」という体験も、彩子さんの視野を広げました。それから2年後、大学院の先輩であった葛西将人さんと結婚し、将人さんの故郷の弘前へ。2011年に念願だった『CASAICO』のオープンに至ります。そしてここでも中心となるのは、教室の存在でした。

しかし結婚を機に弘前にやってきた彩子さんは、いわば無からのスタート。友達もいない土地で、ゼロからすべてを築き上げなくてはなりませんでした。『CASAICO』をオープンするまでの4年間は悶々とした日々を過ごしたといいます。だからこそ、『CASAICO』での漆と金継ぎの教室は、地元の人を繋げる役割も果たしました。ギャラリーでは漆器にこだわらず、地元作家の個展も多く開きました。工房エリアを広くしたのも「津軽塗をやりたいけれど拠点のない若い世代の職人とともにやれれば」との思いから。そうして少しずつ、彩子さんの弘前での存在感は高まってきました。

近所でチャレンジしている人たちにも熱い視線を注ぎます。歩いて2分とかからぬ場所にある『パン屋といとい』の成田さんには『CASAICO』のオープニングパーティで料理の準備を頼みました。セレクトショップの『green』に対しては「刺激にもなるし、憧れもあります」と。互いに意識しながらエリアを盛り上げることで「雑貨と食べ物で人の流れが生まれれば良い」といいます。

注目の木工作家とコラボレーションし、生粋のねぷた祭り好きである将人さんの繋がりで知り合ったねぷた絵師とも交流を深める。そうして少しずつ弘前に根を張りながら、彩子さんは歩み続けてきました。

明るく、よく笑い、話しやすい彩子さん。この人柄も、地元で人の繋がりを作る原動力になったのだろう。

現在でも彩子さんの作品は、どこかに金属の輝きがあるものがメイン。錫への思いはいまも変わらずに胸にある。

陶器、ガラス、アクセサリーなどがセンス良くならぶショップエリア。売れ筋は実際に運行したねぷた絵で作るオリジナルポチ袋(その年分は無くなり次第終了)。

漆教室の生徒は約60名。津軽塗の変わり塗コースもあり評判を呼んでいる。写真は生徒の製作中作品。

3~4名が作業できる工房エリア。シェア工房にすることで、津軽塗の若い職人をサポートすることが目標。

津軽ボンマルシェ夢は津軽塗を広め、職人を守ること。決意を胸に新たな一歩を踏み出す。

時々、芸術や工芸に関わる人は、その内面にある抽象的な情熱と、言葉という表現手段の乖離によって、頑固、偏屈というイメージを持たれてしまいます。しかし彩子さんは違いました。真摯に言葉を探し、丁寧に話を重ね、その胸の内をなんとか伝えようと一生懸命なのです。そんな彩子さんに、モノ作りのモチベーションについて質問してみました。すると想定外の答えが返ってきたのです。

「今思うのは、自分でモノを作ることが好きじゃないってこと」

津軽塗を仕事にする人の、まさかの爆弾発言。しかしさらに話を聞いてみると、その思いが垣間見えます。

「16年間漆に関わってきて思うのは、これからもずっと漆を続けたいということ。津軽塗は大好きですし、教室も生涯の仕事にしたい。でもたぶんそれだけじゃダメなんです。今の自分にできること、自分にしかできないことを考えていかなくては」

そうして考え抜いた末に彩子さんがたどり着いた結論。それは自身が手を動かして制作することではなく、スピーカーとなって津軽塗を広げること、そして足並みの揃わぬことが多い職人たちの目線を揃えること。「県外から来た、漆に詳しい女。地元の職人さんたちにとっては怪しい存在ですよね、私。でもそんな立場だからこそできることがあります」

たとえば先述の津軽塗の課題。実は後継者不足以外にも、クライアントとのやりとり、配色や模様のレシピ考案、事務的な仕事も含めて作る以外の仕事は実は多いもの。そしてそれらをまとめる「ウルシディレクター」「職人のマネージャー」のような仕事は、今までにありそうでなかったのだといいます。

「弘前に来て12年、同年代の職人との信頼関係ができて、職人それぞれの得意や個性もわかってきた今だから、私にできることをやっていきたい」それが彩子さんの現在の思い。

さらに「産業と職人を守るためには、今はとにかく売れる商品をつくること」と、新たな津軽塗ブランド『KABA』のメンバーのひとりとして、より身近なアイテムの開発に乗り出しました。忙しい合間を縫って、次々に舞い込む器の修理の依頼もこなします。もちろん教室も大事。さらに職人同士の橋渡しにも邁進します。その中心となる『CASAICO』は「津軽塗が見える、買える、学べる場」。地元の人にとっても遠い世界のものだった津軽塗を、より身近な存在に変えてくれる場所なのです。

作ることではなく、伝えることで守る伝統工芸。もちろんそれは簡単な道ではありません。それでも彩子さんは清々しい笑顔で「これから5年間は、津軽塗のためだけに生きるつもり」と言い切りました。

 新ブランド『KABA』の第一弾は、箸置きとしても利用できるナプキンリング。地元ホテルなどに広め、津軽塗と出合うきっかけにしたいという。第二弾の装身具も製作中。

この日、ギャラリーに展示されていたのは、津軽塗の見本。滑らかな光沢があり、それ自体が芸術品として見惚れるような美しさ。

「ものづくりは好きではない」との爆弾発言はあったが、制作や修理に集中する彩子さんは、やはり職人の顔だ。

「大好きな津軽塗のために」と決意を新たにする彩子さん。今後はPRのほか、さまざまなコラボレーションなどの道も探していきたいという。

住所:〒036-8093 青森県弘前市大字城東中央4丁目2-11 MAP
電話:0172-88-7574
http://www.casaico.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社