鬼神様に捧げられた青森にんにく発祥の地。物語があり、公共性があり、ビジョンがある、にんにくの話。[TSUGARU Le Bon Marché・鬼丸農園/青森県弘前市]

岩木山の裾野に広がる鬼丸農園のにんにく畑。かつてりんご園だった耕作放棄地に手を入れて、広大なにんにく畑を作っている。

津軽ボンマルシェ作るだけではなく、これからの農園は売り方も考える。

農業というフィールドで革新を打ち出す人は、大きく2つのタイプに分けられます。ひとつは、手間暇、採算を二の次に考え、ひたすら農産物の質を掘り下げる職人タイプ。もうひとつが、産物の質だけでなく販売ルートや加工品なども含めて戦略を練る経営者タイプ。もちろん、どちらのタイプも地域振興や農業の未来を考える上で、必要な存在です。
そして今回お会いした『鬼丸農園』の奈良慎太郎氏は、後者のタイプでした。

ひろさきマーケット』の高橋信勝氏は「意欲的な若手農家として期待している存在」と評し、『パン屋といとい』の成田志乃さんは、『鬼丸農園』のにんにくをふんだんに使用したおいしいパンを仕立てます。『おおわに自然村』三浦隆史氏や『岩木山の見えるぶどう畑』伊東竜太氏とは、同じ若手生産者同士、地域の農業を牽引していく仲間。
地域でも存在感を発揮しながら、『鬼丸農園』の名はいま全国でも知られつつあります。

“青森のにんにく”という一般名詞ではなく、“鬼丸農園のにんにく”という固有名詞での指名買いを目指す。奈良氏が思い描く、その戦略と内に潜む思いを伺いました。

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生産、加工、流通、販売などを全体的に手掛ける6次産業(現在、販売は分社化)として、農業の未来を模索する『鬼丸農園』。

若き経営者・奈良慎太郎氏の目線は、いつも遠い先まで見越している。

津軽ボンマルシェいくつもの偶然が重なって、やがて紡がれるストーリー。

奈良慎太郎氏は昭和57年8月、弘前市北部の鬼沢という地区に生まれました。鬼沢は岩木山の山裾に広がる標高200mほどのエリアで、弘前の鬼伝説の中心部である「鬼神社」を擁する歴史ある地。そして、そこは寒暖差のある高地というロケーションを活かしたリンゴ園が多くある地区でもあります。

はじめは農業とは無縁の職に就いていた奈良氏。成人すると、その鬼沢地区で父親とともに建設業を営みはじめました。しかし、28歳の頃、最初の転機が訪れます。りんご園を営んでいた親戚が農地を譲りたい、と伝えてきたのです。
当時は、ちょうど建設業が軌道に乗りはじめたときでもありました。農業は未経験の奈良氏でしたが、会社の人手も増えてきたことから、この話を受けることにしました。奈良氏は28歳にして、異業種からの農業デビューを果たすことになるのです。タイミングもあったのでしょう、奈良氏は「ちょっとやってみようかな、という漠然とした気持ちでした」と当時を振り返ります。

ところがはじめて見ると、これがたやすくできるほど農業は簡単な話ではありませんでした。とくにりんごは一年通して何かしらの作業が必要になる作物。建築業との二足のわらじでは手が回らなかったのです。軌道にのった建設業をないがしろにはできない。一方で、このままでは譲り受けた農地が無駄になる。奈良氏は試行錯誤の末、青森産のブランドが確立されつつあったにんにくの栽培に目をつけます。「秋に作付けして、夏に収穫。建設業の繁忙期とも重ならない。これなら効率的にできる、と思いました」

偶然は続きます。りんごに変わって作り始めたにんにくを収穫してみると、その質が明らかに高いのです。にんにくの糖度は一般的に39度〜40度。ところがここで育ったにんにくはそれよりも、平均2度ほど高かったのです。

「『なぜだろう?』といろいろ考えてみました。寒暖の差が大きい気候や岩木山由来の火山灰土は関係しているとはすぐに分かりました。しかし、それよりも大きいのが土の状態だったのです」

というのも通常は水田の転作として作付けされることが多いにんにくですが、こちらはりんごが実をつけていた豊かな土壌。露地栽培でその栄養をたっぷりと吸ったにんにくが甘く育つのは必然のことだったのです。
「りんごの力に助けられて育つにんにく。弘前らしいですよね」

『鬼丸農園』のにんにく栽培で使用するのは、りんご園の耕作放棄地。豊かな栄養が糖度の高いにんにくを育てる。

重機で慣らした奈良氏はフォークリフトの操縦もお手の物。広い倉庫を自在に走り回る。

新規就農だからこそ、人以上に熱心に学んだという奈良氏。にんにく栽培を開始する際には、一年に渡り産地に修業に出た。

津軽ボンマルシェ弘前の鬼伝説の舞台となった、青森にんにく発祥の地。

偶然はそれだけではありませんでした。
鬼沢地区の鬼神社を舞台とした鬼伝説。これも奈良氏の仕事に大きく関わってきます。

弘前の鬼伝説、それはかつて岩木山に住んでいた鬼が農民と親しくなり、困った農民のために一夜にして堰を作り、畑を拓いたという逸話。優しく、農民の敬愛を集める鬼、ゆえにこの神社の「鬼」の字の上には、角にあたる「ノ」がなく、この地区では節分に豆まきをすることもないといいます。

さて、そんな鬼神社で宵宮が開かれたときのこと。奈良氏は、弘前の歴史を研究する先生と同席することになります。そして、その先生の口から、この地が青森にんにくの発祥の地であることを聞かされたのです。

「鬼の好物がにんにくだったということで、神社ににんにくが奉納されることは知っていました。しかし、この地が青森のにんにく栽培発祥の地ということまでは知りませんでした」

りんご園の土が作る甘いにんにく、にんにくが好きだった鬼の伝説、そしてここが青森のにんにくの発祥の地という事実。さまざまな要素が絡み合う、鬼沢のにんにく作り。

「これでストーリーが繋がった、と思いました」

奈良氏は、この偶然が紡いだ物語を軸にブランディングに乗り出しました。

静謐な空気が印象的な鬼神社の境内。角である「ノ」のない「鬼」の文字が、この地に伝わる鬼の善性を表す。

鬼神社にお参りする奈良氏。ここで毎年開かれる「鬼沢のハダカ参り」は、奈良氏の大切なライフワーク。褌一丁で水を浴びる奇祭で、近年全国的に知られつつある。

鬼沢という地名、鬼神社、そして『鬼丸農園』。「鬼」という印象的なワードが、ブランディングの中軸をなしている。

津軽ボンマルシェ耕作放棄地を利用することで、地域の問題も解決する。

奈良さんへの追い風は、地区の状況にもありました。
それは高齢化をはじめとしたさまざまな理由で引退、廃業するりんご農園の存在でした。耕作放棄地は持っているだけで維持費がかかる、所有者にとってはいわば負債でもあります。りんご園だった土地を、『無償で構わないから使ってほしい』と奈良氏に申し出る人が数多くいたのは当然のことでもあります。

奈良氏には、元りんご園の土地でにんにくを育てた実績があったことも大きな要因だったのでしょう。奈良氏の元には、そんな依頼がいくつも飛び込んできたといいます。
一般的には、耕作放棄地であったりんご園を畑として使えるようにするには、根の排除などを業者に依頼する必要があります。しかし、奈良氏の本業は建設業。自前の重機で障害物を取り除くのもお手の物です。
こうして地域の環境を守り、地域住民の悩みを解決し、そして初期投資なしで農地を拡大するというwin-winの関係ができあがりました。

現在、奈良氏が借りている耕作放棄地は約15箇所、広さは約10ヘクタール。気づけば『鬼丸農園』は、弘前市内で最大のにんにく農家になっていました。建設業との二足のわらじではなく、農業に本腰を入れる農事組合法人も立ち上げました。

鬼沢地区にはりんご園が多く、耕作放棄地も増加傾向。『鬼丸農園』の存在は、農地の有効活用として地域の役に立っている。

「結果論ですが、水はけの良い火山灰土が、にんにく栽培に適していました」と奈良氏。古くからにんにく栽培の歴史があるのは、この土壌のためかもしれない。

『鬼丸農園』は露地栽培が中心。収穫時の降雨量が多いとダメになってしまうなど、リスクはあるが、土壌と気候の恩恵を最大限に受けることもできる。

津軽ボンマルシェ販売経路まで考えることが、これからの農業のブランディング。

この土地ならではの物語に支えられた『鬼丸農園』のにんにく生産は、右肩上がりで増加しました。同時に『鬼丸』というインパクトある名前のにんにくは、首都圏や関西でも少しずつ知名度を増しています。

しかし奈良氏の目は、さらに先を見つめています。これこそ、奈良氏が経営者タイプと書いた故由。農業の未来を作る第一歩は、労力に見合う収入をしっかりと得られること。ブランディングだけではなく、経営者タイプにはより具体的な販売戦略も必要とされるのです。

「極端にいえば農作物は、収穫した瞬間から劣化が始まります。つまり、それは他の産業に比べて、買い手の存在がより重要になるということ。ただ良いものをたくさん作れば良いというのではなく、売り方、つまり出口の部分まで見極めた上で作付けしていくことが重要です」

先行投資としてマイナス2度の貯蔵用冷蔵庫を導入したのは、収穫期だけでなく通年一定量のにんにくを出荷するため。生産者としての情報はSNSで発信し、反対に消費者の声はイベントなどで丁寧に拾い集めます。その声をもとに、ニーズを捉えた加工品も次々と開発。近隣農家からの買い付けも行うなど、地域生産者の応援する体制も整えています。
また、近年では「作ることと売ることには別の能力が必要」との思いから、営業のプロフェッショナルをヘッドハンティングし、販売部門を分社化しました。すべては売り方、つまりアウトプットを見定めるための戦略。

育てる、加工する、売る。そのすべてを計算した『鬼丸農園』の存在が、おいしいにんにくを消費者に届け、耕作放棄地の再利用により地域を支え、そして青森の農業の未来も切り開いていくのです。

先を見越した投資も経営者の資質。この大型冷蔵庫は80tのにんにくを貯蔵できるが、収穫時には満杯になるという。

撮影時に通りかかったリンゴ農園『ちかげの林檎』石岡千景氏とともに。同級生でもある石岡氏とは、刺激を受け合う仲間。

小分けパック、二段熟成の黒にんにく、にんにく麹たれなど、ニーズを捉えた加工品も展開し、好評を博している。首都圏、関西圏の大型スーパーでも取り扱いがある。

住所:青森県弘前市鬼沢276-23  MAP
電話:0172-98-2485
http://onimarunouen.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社