コロナ禍によって見えてきた人類と自然の断絶。再び地球は蘇る。

今回の取材場所は「SHIBUYA SKY」。地上229mの所から見える景色からも「街や環境の微細な変化を感じますね」と石川直樹氏。

石川直樹 インタビュー悪いことばかりではなかった。立ち止まって向き合えた思考の広がり。

世界的にロックダウンや自粛を余儀なくされた数ヵ月間、様々なことが一変してしまいました。

そんな中、「悪いことばかりではなかった」と語るのは、写真家の石川直樹氏です。写真家として作品を発表し続けてきましたが、登山家、冒険家、作家など、ひとつの肩書きに留まらない横断的な活動をしています。

「今回のコロナ禍によって国内やブラジルのサンパウロで行う予定だった写真展、パキスタンへのヒマラヤ遠征など、全て延期になりました。これまで1年の大半を旅に費やしてきた自分にとって、こんなに長い間、同じ場所(東京の自宅)にいるのは初めてかもしれません。でも、これまでずっと振り返らずに走り続けてきたので、改めて自分自身と向き合い、色々なことを考え直す時間にもなりましたね」と石川氏。

一日は24時間、一年は365日。当然、アウトプットが増えればインプットは減ってしまいます。国内外を旅し、移動に次ぐ移動をしていると、先のことを「考える」にはちょうどいい時間になりますが、振り返って「考え直す」時間にはなりにくいのかもしれません。

「旅をすることはできませんが、映画を観たり本を読んだりして想像力の旅に出ることはできる。頭の中でイメージを巡らせ、今まで到達することのできなかった目的地に意識を飛ばし、ひとところにいながら新しいこと、今までやれなかったことに着手することができました」と石川氏は語ります。

読書による想像力の旅は、石川氏の原点でもあります。幼少期に通った学校は電車で約30分の場所にあり、手にはいつも本を持っていました。そのタイトルは、『トム・ソーヤーの冒険』、『ロビンソン・クルーソー』、『十五少年漂流記』など、冒険をテーマにしたものばかり。

石川氏は「通学中に本を読む時間が僕にとって旅の始まりでした」と言います。同時に「実際に移動し、旅をすることがどれだけ自分にとって大切なことかも改めて認識することができました」と話します。

活動は止まってしまっても、思考は止めない。

ネガティブなニュースや悄然(しょうぜん)とする記事がはびこる社会ではありますが、己との向き合い方や視点次第で、日常が戻ってきた時に備え、未来を描くことはできるのです。

そして、石川氏の活動の場でもある山など自然環境は、この時間をどう生きているのでしょうか。

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「自分にとって富士山は“見る山”ではなく“登る山”」。登るからこそ、その都度、新しい世界と出合うことができるのだという。

2009年に出版された石川氏にとって初の写真絵本「富士山にのぼる」。2020年に8ページを追加した増補版をアリス館より刊行。

石川直樹 インタビュー日本が誇る名峰・富士山は、孤独を得たことによって本来の姿を取り戻す。

世界中を旅する石川氏は、日本の中で特別な場所がいくつかあるといいます。そのひとつが「富士山」です。

「富士山は、これまで30回以上は登頂したと思います。富士山は“見る山”だと言う方もいますが、僕にとっては完全に“登る山”ですね」と石川氏。

その価値観は、石川氏の写真絵本「富士山にのぼる」のタイトルが物語っています。

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「みんながしっている富士山。とおくから何度も見ていた富士山。でも、そこに登れば、かならず、新しい世界にであうことができる。見なれた姿の中に知らないことがたくさんあることに、ぼくは気がついた」と。
それは富士山にのぼることにとどまらない、人生の真実を伝える言葉だ。
この絵本を通して、一歩、一歩、読者にも、前に進んでほしいと著者は願う。
どんな事でも、一歩、一歩、足を前に出すことしか、たどり着く方法はない。
この絵本は未来へ歩きだす子どもたちに差し出された、力強いバトンである。
(写真絵本「富士山にのぼる」作品紹介より抜粋)
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そんな富士山は、コロナ禍によって夏のシーズンは全ての登山道が閉鎖。人間との関係が遮断され、ゆったりした時間が流れています。

「富士山の全道閉鎖は、僕の知る限り初めてのことです。大勢の登山者によって絶えず登山道は踏まれ続け、どんなにその山が野生の力を備えていてもダメージは少しずつ蓄積されていきます。富士山のような人気のある山は特にそうでしょう。でも、これほどまで人が立ち入らない期間が長いと、富士山の自然はある程度再生されるはず。2021年の夏はよりいっそう鮮やかな自然に触れられるのでは」と石川氏は話します。

石川氏同様、富士山にとっても「悪いことばかりではなかった」のかもしれません。

「登山者のいないこの数ヵ月によって、自然環境は野生を取り戻すきっかけになったと思います」と石川氏。

例えば、大気汚染の度合いの変化が挙げられます。
ネパールの首都カトマンドゥから世界最高峰のエベレストが近代史上初めて目視できるようになったことは、その好例でした。

「ネパールは深刻な大気汚染に悩まされていて、中でも首都のカトマンドゥの公害はひどい。舗装されていない道から舞い上がる砂埃は、瞬きするだけで涙が出ることも。ゴミが原因のダスト公害や排気ガスなど、環境問題が深刻なカトマンドゥで、ヒマラヤ山脈の白い峰々やエベレストさえもが目視できたなんて、明らかに空気が澄んだ証拠。人間の活動がどれだけ大気に影響を及ぼしているかよくわかりますよね」と石川氏は言います。

空気の変化は、都心でも感じることができました。

今回、石川氏の取材先となった「渋谷SKY」は、地上229m。
(2020年8月31日まで、「渋谷SKY」にて石川直樹写真展「EXHIBITION SERIES vol.1 -EVEREST 都市と極地の高みへ-」開催中)
「渋谷から奥多摩や奥秩父の山まで見えたりして、奥行きのあるこのような景色を望むことができるのは、都心もまた空気が少しは浄化されたからではないでしょうか」と石川氏は言います。

緊急事態宣言とそれに伴う外出自粛によって、車の移動による排気ガスは抑えられ、店舗や商業施設などの一時閉店は、深刻な地球温暖化問題の一因となる室外機の排熱低減にもつながったと思います。

「外国の自然と日本の自然を比べると、日本では“機微”が感じられます。四季を通じた環境の繊細な変化が、多様な風景をもたらしてくれる。時の流れとともに表情の変化がきちんとあって、春夏秋冬で色彩も豊か。ヒマラヤだったら、春と秋の乾季と夏のモンスーン、そして雪に閉ざされる冬が繰り返され、日本の四季ほどの変化は当然感じられません。ちなみに、遠征でヒマラヤに行くと2~3ヵ月は現地にいることになります。その間、氷河の氷を溶かしたものが飲み水になるわけですが、砂なども混じっていて、意外と綺麗じゃない。そんな経験を経て久しぶりに帰国すると、日本の蛇口から出る綺麗な水が本当にありがたく思える」と石川氏は話します。

水もまた自然からの恵み。昨今、各界において「サスティナブル」という言葉に重きを置くようになりましたが、「水」はその原点なのではないでしょうか。

標高8,848m、世界最高峰のエベレスト。石川氏は2001年にチベット側から登頂。当時は世界最年少で七大陸最高峰登頂を記録。2011年にはネパール側からの登頂も果たす。

上記と同じ写真をモノクロームにしたものが表紙になっている「EVEREST」(2019年出版)。エベレストの他、ローツェやマカルーへの遠征で撮影された写真も含めて構成された一冊だ。

石川氏が2度挑戦したが、いまだ登頂できていない「K2」。2020年に再訪する予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により、パキスタンに入国できず断念。

石川直樹 インタビュー約20年、世界中を旅してきた。その中でも通いたい場所と通わなければならない場所がある。

これまで世界中を旅してきた石川氏ですが、国内では定期的に訪れる場所があるといいます。それは、北海道の「知床半島」です。

「ただ美しい場所であれば、これまでたくさん見てきました。“通いたい”と思うようになるのは、やはり人との出会いがあったからです」と石川氏は話します。

もともとは仕事で訪れた知床ですが、地元の人々と交流を深め、現在では「知床写真ゼロ番地」というプロジェクトを立ち上げて、定期的に展覧会などを開催しています。

「このプロジェクトは2016年にスタートしました。以降、写真展やワークショップ、地元の人たちとの共同制作など、様々な活動をしています」と石川氏。

特筆すべきは、地域と一体になって活動していること。結果としてプロフェッショナルな写真とはまた別の、地元から発信される新しい知床の側面を伝える写真が生まれています。

知床では、漁業や農業、そして観光業が盛んです。
「コロナ禍の中にあっても、作物は育つ。特に第一次産業はこうした状況下に強いな、と改めて思いました」と石川氏は言います。

知床といえば、北海道の東部に位置する最果ての地。オホーツク海に約70km突き出たそこは冬になると流氷に覆われます。やはり石川氏は、雪に取り憑かれているのか、はたまた過酷な地に惹かれるのか……。

「僕は、端っこが好きなんです(笑)。北だけでなく南の沖縄にも頻繁に行っていますね」と石川氏。

そして、通わなければならない場所。それは「ヒマラヤ」です。

その理由は「自分自身を一度自然な状態に戻すため」だと言います。

「一年に一度、ヒマラヤに行くようにしています。デジタル化が急速に進んで、何もかもスピードが増すばかりですよね。何かを調べたり、探したりするのも、スマートフォンがあればすぐにできてしまう。そして、それだけで知っているつもり、行ったつもりになってしまいますが、そんなのはもちろん錯覚です。インターネットの数百文字から読み取れる情報と、その場所に行って全身で感じることとは、情報量も、その質も全く異なる。日々、インターネットで検索しているだけでは、人が持つ感受性が減退していくばかりだと思います。体験から得られる豊かさや多様性に勝るものはないでしょう。僕は、自身の目で見て、耳で聞いて、身体で感じたい。そういうごくごく当たり前のことをちゃんと気付かせてくれるのが、自分にとっては、ヒマラヤでの数ヵ月間の旅なんです」と石川氏は語ります。

石川氏にとってヒマラヤは、気付きの装置。

他の生き物同様、人もまたこの地球(ほし)の生き物。特別な存在ではありません。大地を踏みしめ、胸いっぱいに空気を吸い込み、胸の鼓動に耳を傾ける。

― 僕はちゃんと生きている ―

「ヒマラヤで、毎回、僕は生まれ変わっているような感覚を持っています」と石川氏。

2005年、世界自然遺産に登録された知床。石川氏は、地元の人々とともに「写真ゼロ番地 知床」プロジェクトを2016年に立ち上げた。これまで注目されなかった知床の新たな一面を、ワークショップなどを通して発信している。

石川直樹 インタビュー
大切なのは頂上の景色ではない。そこにいたるプロセスにこそ、物語はある。

「エベレストの頂上に行きたいけれど、ヘリコプターで行ったら意味がありません。頂上はたくさんあるうちのひとつのゴールでしかなく、そこにたどりつくまでのプロセスが大切。もちろんたどりつけなかったとしても」と石川氏は語ります。

そのプロセスの中には、想像を超える出来事や新しい自分自身の発見もあるそうです。

「自分はこういう状況ではこんなに弱かったのか」と思うこともあれば、「こんな場面では自分は踏ん張ることができるんだ」など、知らなかった自分の一面との出会いがあって、石川氏にとって旅が「思考を活性化させる」と言います。

効率よりも非効率、便利よりも不便、近道よりも回り道。時にはそんな選択も必要で、石川氏が選ぶカメラにも、それが表れています。

「プラウベルマキナという中判のフィルムカメラを使用しています。普通の35mmのカメラよりも重いのですが、僕にとってはこれが一番身体にフィットしています」と石川氏。

少しでも荷物を軽くしたいと思うのが登山者の心理ですが、それとは真逆の発想です。更に驚くべきは、1本のフィルムで10枚しか撮れないこと。過酷な雪山であれば、デジタルカメラにSDカードを入れて何千枚も撮る方が効率的で便利ですが、石川氏が選択したのは非効率と不便。

「でも、そのカメラでしか撮れない写真があるんですよ。僕は、とりあえず撮っておく、みたいな撮り方をしていないし、できないんです。デジタルカメラであれば、たくさん撮っておいて失敗したら消せばいいですが、僕のカメラではそういう撮り方はできない。人生も同じですよね。失敗したからといって、簡単に消すことはできない」と石川氏は言います。

「同じカメラを4台所有しています」と言う石川氏が使用するカメラは、プラウベルマキナ。傷や凹みもまた、ともに過酷な旅をしてきた証。

石川氏のエベレストの写真は、現在開催中の「EXHIBITION SERIES vol.1 ―EVEREST 都市と極地の高みへ―」にも展示。その迫力を自身の目で見て、体感してほしい。

石川直樹 インタビュー人は自然に抗えないということを再認識すべき。我々はこれからどう生きるべきなのか。

地球規模で巻き起こる今回の難局によって、色々なことがゼロ化されるのかもしれません。

「わずか0.1ミクロン以下の新型コロナウイルスによって、あれだけ揺るぎなかった日々が、政治が、経済が、根底から揺さぶられています。人間は自然の領域に踏み入りすぎてしまった。ウイルスは打ち克つための存在ではありません。環境を変えるのではなく、自分たちがこの環境に順応していかなくてはならない。ヒマラヤ登山において最も重要な“高所順応”とも似ています。周りを変えるのではなく、自分を変える。自然に抗ったり、侵したりするのではなく、自然への敬意を持ち、謙虚に生きていきたいですね」と石川氏は語ります。

この難局もまた人生のプロセス。世界に暗い影が落ちている今をどう生きるかによって、希望の光は見えてくるのではないでしょうか。

1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年「CORONA」(青土社)により土門拳賞を受賞。2020年「EVEREST」(CCCメディアハウス)、「まれびと」(小学館)により写真協会賞作家賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した「最後の冒険家」(集英社)ほか多数。2016年に水戸芸術館ではじまった大規模な個展「この星の光の地図を写す」は、新潟市美術館、市原湖畔美術館、高知県立美術館、北九州市立美術館、東京オペラシティアートギャラリーなどへ巡回。同名の写真集も刊行された。2020年には「アラスカで一番高い山」(福音館書店)、「富士山にのぼる」(アリス館)を出版し、写真絵本の制作にも力を入れている。
http://www.straightree.com/