2020FW IRON HEART -black is Colorful-

2020FW のカタログができました!

  • アイアンハート商品をご購入いただいた方にはこちらのカタログを同梱させていただきます。(特にお申し込みは必要ありません)
  • カタログのみをご希望の方はこちらを商品カートに入れていただき、通常の購入手続きをしていただければ、下さい。郵送にてお送りいたします。(送料無料)
  • 今期のアイアンハートラインナップをどうぞお楽しみください。

「でん」と「くし」と「ふろり」の関係。[東京都港区]

でんくしふろり「傳」長谷川在佑と「フロリレージュ」川手寛康を密着する短期連載スタート!!

2020年8月、青山某所の工事現場から密着はスタート。

その内容は、ともに神宮前を拠点におく『傳』の長谷川在佑氏と『フロリレージュ』の川手寛康氏が創造するふたりのレストランです。

奇しくも共通点の多い長谷川氏と川手氏は、年齢も同じであり、ともに料理人の親に影響を受け、この道を志した歩みを持ちます。

更には、自店をオープンさせた年や「ミシュランガイド東京」にて星を獲得した年から落とした年、「アジアのベストレストラン50」にランクインした年なども同時期。

趣味の釣りまで同じという奇跡は、何のいたずらか。

長谷川氏と川手氏は、「DINING OUT」出演シェフでもあり、長谷川氏は2015年に静岡県清水区の日本平にて、川手氏は2017年宮崎県宮崎市の青島にて、腕を振るいました。

また、長谷川氏は2017年「JAPAN PRESENTATION in PARIS」も担い、料理、器、桜など、日本の文化と歴史を表現・演出した体験は、パリジェンヌの感動を呼びました。

話を冒頭に戻し、そんなふたりが新たなレストランの準備を進めているのです。

『でんくしふろり』。

この店名もしかり、突っ込みどころと謎の多い本件。

どこでやるのか? どんな経緯だったのか? ふたりはお店にいるのか? 既存のお店はどうなるのか? くし屋なのか?

唯一分かっていること、それは2020年10月オープン。

今回は、そんな『でんくしふろり』ができるまでを短期密着します。

Photographs:KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

7.5oz ヘビーボディ フロントプリントTシャツ(ロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • フロントプリントなので上にシャツを羽織ってもプリントが映えます。
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2005:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

津軽といえばりんご? いえ、“山”もです! 日常でも霊域でもある、岩木山の不思議。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

左から『のみものやわんど』坂爪梓さん、『She/shock/cheese』相澤隆司氏、『RandBEAN』佐藤孝充氏、『GARUTSU』久保茜さん。津軽で活躍する若手に集まってもらった。

津軽ボンマルシェ全津軽人に愛される地域のシンボル・岩木山を語る。

「津軽ボンマルシェ」の取材中、よく話題にのぼるテーマのひとつが“山”。津軽で山といえば、多くの場合、ある特定の山のことを指します。津軽平野の真ん中にそびえる標高1,625メートルの岩木山。その美しい姿から津軽富士とも呼ばれ、古くから山岳信仰の聖地として知られている霊山です。第一回目の対談時は、津軽各地の市町村で「うちから見る岩木山が一番きれい」と喧嘩になる話が登場。第四回目では、りんごに次ぐ津軽名物として名が挙げられ、「富士山は“よその偉い人”って感じだけど、岩木山は“うちの親方”」という問題発言(?)が。以前紹介したハンバーガー店『ユイットデュボワ』の井上信平氏は、兵庫県出身ながら岩木山との出合いにより人生が一変、現在では飲食店とデザイン事務所を経営する傍ら、岩木山だけを描く画家としても人気に。岩木山のことになるとつい熱くなる、そんな津軽人の本音をもっと聞きたいと、今回は地域に根差した活動を続ける若手のみなさんに声を掛け、対談を行いました。しょっぱなから「岩木山、そんなに思い入れあったかなぁ」と口にするなど、やや不安な雰囲気で始まった仲良し4人の対談でしたが、蓋を開けてみればエピソードが次々と。岩木山に見守られた高台で、チーズとコーヒーを味わいつつのおしゃべりに花が咲きました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

会場は『RandBEAN』の店舗の外にあるテラス。岩木山を正面に眺める最高のロケーションにある。

相澤氏は元々『RandBEAN』のスタッフで、坂爪さん、久保さんは共に相澤氏、佐藤氏と以前からの知り合い。リラックスした雰囲気で対談が進んだ。

津軽ボンマルシェ高尾山とはスケールが違う。都会の真横にあるビッグなシンボル。

ONESTROY編集部(以下編集部):本日は岩木山を眺めながら、津軽エリアで活躍する移動式カフェ『のみものやわんど』の坂爪さんが淹れてくださるコーヒーを飲みつつ、本音でお話していただきたいと思います。チーズ専門店『She/shock/cheese』相澤さんには、コーヒーに合うチーズをセレクトしていただきました。本当は『GARUTSU』のシードルも飲みたいところですが、お仕事ということで我慢です。

坂爪梓さん(以下坂爪):チーズとコーヒーって合うんですよね。ワインに合わせるものだと思っていたけど、相澤さんと会ってそのイメージが変わった!

相澤隆司氏(以下相澤):チーズの色々な楽しみ方を提案したくてお店をやっているんですよ。今日は知ってる顔ばかりなので、全然緊張しないですね。でも自分、考えてみたらそこまで岩木山について語れないかも……。昨日必死で話すことを考えました(笑)。

佐藤孝充氏(以下佐藤):この中だと、相澤くんだけ住んでいるのが黒石市だよね。あとのみんなは弘前市。その違いってある?

相澤:ありますよ。黒石だと、岩木山より八甲田山の方が身近なんです。でも弘前に岩木山というシンボルがあるのはいいなと思いますね。うちの辺りからすると、昔から弘前は上品でおしゃれな都会のイメージ。岩木山の佇まいもきれいで上品だから、街の雰囲気が形に出ているというか。都会の中にこういう山があるって、東京にはないじゃないですか。高尾山とはスケールが違うし。

佐藤:確かに。裏の畑にりんごがあるくらい岩木山が見えることが普通で、特別感も感じず育ったけど、一度東京に出て戻ったら見方が変わったかも。弘前だと「山」といえば岩木山のことだよね。「山行ってくる」って。

相澤:そうそう。「ちょっと自転車で山超えてきた」とか話すと、こっちでは「あー岩木山行ったんだ、いいね」ってなるけど、東京の友達から「そういう感覚で行く場所じゃないでしょ!」って突っ込まれる。

久保茜さん(以下久保):それ、ありますよね。私は群馬県出身の移住組なんですけど、弘前の人に「みんな山行くよ、スニーカーで登れるよ」と勧められて登山して、最後死ぬかと思いました(笑)。「嘘つき! 騙された~」って。登山靴じゃないと無理です! ちょっと感覚が違う。

相澤:あとは違う場所から津軽に戻ってきたとき、まずすぐ岩木山が見えてきて「いいなぁ、帰ってきたな」ってなります。「山以外に何もねえ! でもそれが最高!」みたいな。

久保:それも分かる! 私の場合は、初めて岩木山を見たのが大学のオープンキャンパスで弘前に来たときで。電車の窓から、開けた平野にだんだんと岩木山が見えてきて、それが本当にきれいで驚きました。何だか「いらっしゃい」といってもらった感じがして、弘前の街も居心地がいいし、もう「ここに住む」と決めて弘前大学しか受けませんでした。

一同:おお~。

坂爪:私は出身が弘前なんだけど、3歳からは東京で育ったのね。一時期転勤で仙台に住んでいたとき、車で弘前のおばあちゃんの家まで行く途中に大鰐インターから岩木山が見えると「いつも『ただいま』っていってるね」って旦那さんにいわれて。弘前で育ったわけじゃないのに、無意識のうちにそういってた。弘前に引っ越すときも、岩木山が見える家がいいって決めてて、以前住んでいたところでも今のアパートでも、毎朝岩木山に「おはようございます」って挨拶してる。

佐藤:身近過ぎて特別感はそれほどないと思っていたけど、やっぱり好きな人は多いし、結構それぞれ感じることがあるんだねー。

相澤氏の元上司でもある『RandBEAN』佐藤氏。弘前に生まれ育ち、東京で楽器製作の専門学校へ通ったあと帰郷。現在は家具製作やリメイク、販売を手掛ける。

RandBEAN』店内。ヴィンテージ家具や人気ブランドの新品家具、セレクト雑貨を扱う他、オリジナルの家具のショールームと工房も兼ねる。最近フロアを拡充したばかり。

津軽産のりんごやぶどうからシードル・ワインを製造する『GARUTSU』の広報、久保さん。今回唯一の県外出身者ながら津軽愛は人一倍。公私ともにアクティブで顔が広い。

以前、チーズとのマリアージュイベントも開催したという『GARUTSU』の「白神ピュアシードル」シリーズ。「お客さんにも大好評のイベントでした」と久保さん。

津軽ボンマルシェポニー、クラフト、犬、湧き水。三者三様の津軽人・岩木山あるある。

相澤:子どもの頃よく行ったのが、岩木山の麓の「弥生いこいの広場」っていう公園。小さい動物園みたいなところでポニーに乗って、従弟とセブンティーンアイス食べて、アイスの棒を剣にして戦う。それが岩木山の原体験。当時は岩木山に対して、わくわく感みたいなものがありましたね。

佐藤:アイスと剣とセットだからね(笑)。自分も「弥生いこいの広場」は行ってた。岩木山は結構イベントも多い。クラフトイベントの『津軽森』が一番大きいかな。

相澤:あれは自分もつめさん(注:坂爪さんの愛称)も出店経験がありますが、本当に気持ちのいいイベント。なんだか癒されるというか、それこそ岩木山の力みたいなものを感じます。会場の桜林公園は、キャンプもできていいですよ。あと「DOG FES IWAKI」という犬が1000頭くらい集まるイベントがあって、それもすごく楽しい。出店用のテントを設営してると、わんちゃんがどんどん入ってきちゃって(笑)。そういえば、車で岩木山に行くとあんまり“山に行った感”ないんですよ。ドライブしてたら、気が付けばいつの間にか岩木山にいるというか、弘前の街と地続き。

佐藤:そうそう。ドライブする道もすごく景色がよくて気持ちいい。

久保:道、気持ちいいですよね~。青森は全体的に信号が少ないし、道もまっすぐだし、一時期関東に住んでいたときは運転する気にならなかったけど、こっちに来てドライブ大好きになりました。

相澤:子どもが生まれてからは特に、とりあえず山行っとけば楽しめるかなという感覚で岩木山に来ちゃいますね。岩木山や地元の山でキャンプして自転車乗って、近くの海でサーフィンして、山も海もある津軽は最高!

編集部:相澤さん、ちゃんと岩木山エピソードあるじゃないですか! ちなみに坂爪さんは、何か思い出深い体験はありますか?

坂爪:岩木山に行くと色々起こるんです。でもちょっと変というか、あんまり信じてもらえないかもしれないんだけど。たとえば、昔おばあちゃんと岩木山の麓の岩木山神社に初詣でに行ったとき、手水舎の龍神さまの口からあふれ出る湧き水が虹色に輝いて見えて、「すごい!」と思ったことがあって。『のみものやわんど』でコーヒーを淹れることになった際、水道水を使うのはなんだかピンと来なかったんだけど、そのことを思い出して、自宅やみんなでコーヒーを楽しむとき、水を汲みにいくようになりました。今日も今朝岩木山で汲んだ水を使っています。

一同:そうなんだ!

坂爪:おばあちゃんから、弘前は岩木山のおかげで大きい災害がないっていわれて育ったし、岩木山がいつも守ってくれるから安心できる。毎朝、岩木山に挨拶するのも、仏壇とか神棚に「今日もよろしくお願いします」っていうのと似てるかな。そういえば昨日、うちのインコが亡くなっちゃったんだけど。仕事にいく車から岩木山を見ていたら、「大丈夫だよ」っていわれた気がして元気が出ました。神さまみたいな存在に近いかも。

久保:うんうん、私も大学を卒業して弘前から出るときは岩木山から「いってらっしゃい」、また戻ってきたときは「おかえり」といわれた気がしました。岩木山に見守ってもらう感じ、分かります。

佐藤:確かにおばあちゃん世代は岩木山への想いが強いよね。うちは違ったけど、小さい頃からそういう感覚が身に付いてる人もいると思う。

『She/shock/cheese』相澤氏の実家は黒石市の牛乳店。東京で高級スーパーの乳製品の仕入れ・販売に携わったあと、『RandBEAN』で店舗設営や経営を学び独立した。

コーヒーに合わせ9種のチーズを持参してくれた相澤氏。チーズの薫香や塩味、甘みが意外なマリアージュを生む。「チーズの原料はミルク。コーヒーとの相性はいいんです」。

看護師として働くかたわら、移動式の3輪自転車を改造したカフェで、イベント出店を中心に活動する『のみものやわんど』の坂爪さん。「わんど」は津軽で「私たち」の意味。

取手の取れたカップも「思い入れがあるから」と使い続けるのが、自然体の坂爪さんらしい。東ティモール産のフェアトレードのオーガニックコーヒーが現在の定番。

津軽ボンマルシェ思い立ったらお詣りへ。日常の中に信仰がある津軽の暮らし。

編集部:岩木山はやっぱり山岳信仰の山なので、宗教的な捉え方をしている人も多いのかなと思います。よく津軽人の心の拠り所という表現も聞きますし。

佐藤:あ、そういえばこの場所をお店にするときに、岩木山神社の宮司さんにご祈祷してもらいました。弘前界隈で商売をしている人は結構やっていますね。特に意識してなかったけど、普通にそういう信仰は根付いている。

坂爪:私もご祈祷してもらいに岩木山神社まで行ったよ。2年くらい前、『パン屋 といとい』の志乃ちゃんとかと一緒に。あとはお正月とか時期的なものに関係なく、お詣りに行く。何だか呼ばれてる気がするときがあって。

相澤:お詣りは日常ですよね。自分も小さい頃からお母さんに「山行くよ」って誘われて、「何でよー」とかいいながらも一緒に行くのが普通でした。

佐藤:お詣りついでに温泉に行ったり、生活の一部。お詣りが特別じゃないっていう時点で、日常に信仰があるってことだもんね。僕はお山参詣(注:毎年旧暦8月1日に行われる行事で、国の重要無形民俗文化財。岩木山神社から登山囃子に合わせて山頂の奥の院を目指し、御来光を拝む)にも参加しました。自分は登山用の格好で行ったけど、本来は白装束だし、奥の院に登る前はお囃子が演奏されたり円になって踊ったり。ある意味トランス状態になって、神さまに近づくっていうことなんだろうと思います。

坂爪:私も2回参加した! 昔は女人禁制の山だったみたいで、こうも時代が変わると女性としてはありがたいよね。

久保:ね。こっちはお祭りも多い。地元の群馬では、小さい頃から県の名物や歴史が盛り込まれた「上毛かるた」をやって育つので、郷土のことは詳しいんです。でも信仰に根付いたイベントはあまりなくて。個人的にはお祭りや行事が好きなので、弘前に来て居心地のよさを感じます。あと、私は迷ったり悩んだりすることがあると、岩木山神社までおみくじを引きに行きます。気持ちを改めたり、答えを導いたりする感じで。家からも近いし、何だか強力そうな感じもするし(笑)。

坂爪:分かる~。私の場合おみくじは一年に一回、お正月って決めてるけど。岩木山神社のおみくじ、厳しめだよね。

久保:そうなんです! 厳しい! 「〇〇は改めよ」とか、ほんとにこれ大吉? って思う。でも当たり障りがないことより、厳しくいってもらえる方がいいかなって。

佐藤・相澤:大吉でも厳しいなら、凶だとどうなっちゃうのか気になる……。

坂爪:そういえば、今朝岩木山神社で、お土産の手ぬぐいを買ってきたんですー。

編集部:なんと、ありがとうございます! お山参詣のお囃子の唱文が染め抜かれていて、ご利益がありそうですね。津軽に来ると感じるのは、この世とあの世の境界線があいまいなこと。第一回の対談のときも、津軽に昔から存在するイタコのような“カミサマ”という女性の話がありました。

相澤:僕、カミサマに見てもらったことありますよ。色々うまくいかなくて絶不調だった23歳のとき、「25歳で結婚する」っていわれて。自分こう見えてすっごくリアリストなんで「絶対嘘だろ」と思ってたら、本当に25歳で結婚したし、その後もいわれた通りになってる。今は信じてます。

一同:えー! すごい。そんなこともあるんだね。

坂爪さんからのお土産、岩木山神社の参拝記念手ぬぐい。岩木山神社は創建約1200年の津軽の一の宮。ヒバ材で造られた本殿などの建造物は、国の重要文化財にも指定される。

RandBEAN』の2階から眺める景色。「岩木山が見えるように、この場所に窓を作りました」と佐藤氏。“山”という字に似ているといわれるシルエットが、くっきりと。

津軽ボンマルシェ季節ごとに衣替えする姿も美しい、フォトジェニックな山。

坂爪:今日みたいに、曇りで小雨も降る日に岩木山が見えるのは珍しくない?

佐藤:確かに。普段、曇りの日は絶対見えないもん。

坂爪:実はね、朝に岩木山神社でお祈りしてきました! 昨日まではすごくいい天気だったのに、対談の日程、私の都合で今日にずらしてもらったでしょ。来るとき「あれ? 見えてる!」って。これが岩木山の力です!

一同:おお~。

編集部:祈りが通じたんですね。ちなみにみなさん、どの場所から見える岩木山がお気に入りですか?

一同:『RandBEAN』のこの場所、ベストじゃない?

佐藤:横の道を通る人から、よく「山の写真撮りたいんで車停めていいですか?」って聞かれますね。おじいちゃんおばあちゃんとか、長年岩木山を見てきた世代の方からもいわれるから、いい場所なんだと思います。ここに来るまでは見えない岩木山が、そこの坂を曲がるとバーン! と登場する。つめさんが岩木山見て元気が出たといってたけど、それと似てて、自分のスイッチが入る感じがします。ここで店を始めたのも、景色に惹かれたことが理由のひとつです。

坂爪:生まれた場所や住んでいる場所から見える岩木山が一番っていう人、結構いますよね。何年か前に、弘前の職場で岩木山の話になって。「ここから見る岩木山いいよね」ってぽろっといったら、同僚に「鶴田(青森県鶴田町)の方がきれい」と返されてびっくりした。観光パンフレットには、だいたい弘前から見る岩木山の写真が使われるし、こっちが正面と信じて疑わなかったんだけど。静岡と山梨から見る富士山の違いみたいなことが、津軽にもあるんだなと思った。

久保:私は弘前から見るのも好きだけど、県外から弘前に戻るとき、電車から眺める岩木山の姿に毎回感動します。写真撮ってる人も多くて。

相澤:みんな岩木山の写真よく撮るよね。雪の残り具合で見え方が変わったり、季節によって変化するからですかね。

佐藤:今の時期は街中から見ても、青々とした山肌まで見える。

坂爪:そうそう、肉眼で見えるのがまたいい! 緑のもこもこと雪とか、緑とオレンジのグラデーションとか、山が衣替えする感じ。

相澤:時間帯でいえば夕方、マジックアワーのときの岩木山も好きですね。黒石に浅瀬石川という川があって、そこから眺めると川と山以外に何もない。コントラストがすごいし、赤と青の空が幻想的で、海外に来たみたいな雰囲気なんですよ。「岩木山いいなあ」って思う瞬間です。

久保:見てみたい。私は朝の岩木山も好きです。頑張ろうって気分になりますし。

坂爪:あと何だっけ、ライジング岩木山? サムシング岩木山? あ、ダイヤモンド岩木山か。5月末にちょうど岩木山のてっぺんに夕日が沈むのがきれいで、最近人気みたいよ。いろんなところで宣伝されてる。

相澤:……あ! 突然ですが、今思い出した話をしてもいいですか? 昨日、対談で何を話そうか考えてたとき、これは絶対いおうと思ってたんです。うちの母方のおばあちゃんの名前が「ふじ」というんですけど、津軽富士と呼ばれる岩木山から命名されたそうなんですよ。おばあちゃんの名前が岩木山だったという。いきなりすみません(笑)。

坂爪:いい話。対談も終盤のタイミングで思い出せてよかったね~。

佐藤:そうそう、実は今、会社の手前側の土地を購入しようと思っていて。元々農業用の土地なので建物は建てられないんですけど、イベントができるようなスペースにしたいなと。岩木山が本当にきれいに見えると思うので、たくさんの人に来てほしいです。

一同:えー! いいですね。

坂爪:みんなでイベントに出店しよう。とにかく、この対談を読んだり、何かで岩木山のことを耳にして気になったりした県外の人は、一度津軽に来てみるといいと思う。岩木山に呼ばれてるんだと思います。私も呼ばれた気がして岩木山に行くと、だいたい何か次に繋がることが起こるので。『RandBEAN』のイベントはいいタイミングになるかも! ぜひ遊びに来てくださいね。

対談当日はときどき小雨が降る曇天。が、坂爪さんのお詣りのおかげか、4人を見守るように常に岩木山が見えていた。その雄大な姿には、津軽人でなくとも心動かされるはず。

場所協力:RandBEAN
住所:青森県弘前市小沢山崎83-4
電話:0172-55-9564

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/茨城県行方市]

行方 ベジタブルキングダムOVERVIEW

茨城県行方市。
茨城県南東部、霞ヶ浦と北浦の間に広がる面積約166平方キロメートルのこの市のことをご存知でしょうか。
起伏の少ない広大な平地、豊富な水を湛える霞ヶ浦、関東ローム層の豊穣な大地、そして湖の保温効果による温暖な気候。そんな地理条件を聞いて何が思い浮かぶでしょうか。

そう、この行方市は日本でも指折りの野菜王国なのです。
さまざまな農業に適した条件が重なり、さらに首都圏から70kmという利便性まで加わることで、行方市では各地の食卓に並ぶ多彩な野菜が育てられているのです。
その種類は年間60種以上。全国有数の生産量を誇るサツマイモ、同じく全国有数の出荷量を誇るセリ、ミネラル豊富な大地で甘く育つイチゴ、先進的な生産者により作られる西洋野菜やハーブ。

だからきっと誰もが、行方市の野菜を食べたことがあるのです。食卓を彩る常備菜も、レストランで食べたあの野菜も、もしかしたら行方市で作られたものかもしれません。そしてこれからも口にする行方市の野菜がもっとおいしく、楽しく感じられるように、我々ONESTORYでは、それぞれの野菜に隠された物語をお伝えしていきます。

今回フォーカスするのは、四季それぞれの野菜。夏のトマトと大葉、秋のサツマイモと米、冬のレンコンとチンゲン菜、そして春のイチゴとセリ。春夏秋冬それぞれの季節の行方市を代表する野菜を通して、生産者の思いと、行方市の今を伝えます。

さらにそれぞれの野菜は、野菜料理のスペシャリストであり、いばらき食のアンバサダーも務める『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフが試食し、その味わいを活かすレシピも考案。

野菜を知り、物語を知り、生産者を知り、調理法を知れば、行方市の野菜がいっそう味わい深く感じられることでしょう。

ではそろそろ「NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM」、その王国を支える、真摯で誇り高い生産者たちと、その思いが詰まった野菜の世界へ旅立ってみましょう。

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

オンラインショップができました☆

 

 

 

 

 

倉敷デニムストリート

ONLINE STORE

 

2020/08/18 Tuesday

OPEN!!

 

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「 お店に行きたいけど、今はちょっと行けないなあ、、、 」

 

「 買おうか悩んで帰ったけど、やっぱり気になる!! 」

 

今まで諦めてしまっていた方にキラキラ

 

 

 

「 倉敷デニムストリートってなんか聞いた事ある! 」

 

「 なんだこのお店? 」

 

まだデニムストリートを知らない方にキラキラ

 

 

 

 

 

お買い物がより便利になりますので是非ご来店下さい!

 

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人と物が繋がる森、津軽の夏の始まりを告げるクラフト市。[TSUGARU Le Bon Marché・津軽森/青森県弘前市]

『津軽森』会場の岩木山桜林公園にて、実行委員の武田孝三氏。ここは約3.8ヘクタールの敷地におよそ1000本もの桜が咲く、市民に愛される桜の名所。若葉の季節も美しい。

津軽ボンマルシェ岩木山の麓、新緑に包まれた公園で開催されるクラフトの祭典。

新型コロナウイルスの感染拡大により、多くのイベントが中止や延期となった今年の春。津軽でも、毎年数万人の動員数を誇る一大イベントの延期がアナウンスされました。霊峰・岩木山の登山道の入口にある岩木山桜林公園で、毎年5月末の2日間に渡り開催される『津軽森』。約130人の作家と20店舗以上の飲食店が出店する、界隈随一の規模のクラフトイベントです。

実は、「今年こそ『津軽森』の取材を!」とかなり前から意気込んでいたONESTORY取材班。その理由はいくつかありました。ひとつは、これまで「津軽ボンマルシェ」で紹介してきた多くの作家や生産者、たとえば陶芸家夫妻による『陶工房ゆきふらし』、リネン雑貨の『KOMO』、ドライフラワー作品を手掛ける『Flower Atelier Eika』、草木染製品の『Snow hand made』、キャンドル作家『YOAKE no AKARI』、放牧で豚を育てる『おおわに自然村』などが出店する、津軽中のいいものが集まるイベントだと確信していたこと。もうひとつは、津軽塗やこぎん刺し、津軽打刃物といった伝統工芸のみならず、多種多様な作品が集まる場所、つまり、今の津軽のリアルなクラフトシーンが垣間見える場所だと期待していたこと。そしてなにより、これまで取材してきた先々で「本当に気持ちがいい場所だから、一度行ってみて!」とおすすめされる、地元に愛されるイベントであることを実感していたからです。

残念ながら開催は1年の延期、来年5月までお預けとなりましたが、今回、実行委員の武田孝三氏に話を伺うことができました。ちなみに、ONESTORY取材班に武田氏を紹介してくれたのは、クラフト繋がりでもある『木村木品製作所』の代表・木村崇之氏。なんでも木村氏からは、「武田さんはムーミンに出てくる、スナフキンみたいな魅力がある人」で「無人島で暮らすなど、おもしろいエピソードがたっぷりある」との前情報が……。クラフト市のスナフキン!? 一体どんな話を聞けるのか、どきどきしながら取材がスタートしたのでした。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『弘前工芸協会』の理事長も務める武田氏。活動分野は、陶芸や木工、グラフィックデザイン、店舗設計などジャンルレス。この日は自ら設計した自宅にて取材に応じてくれた。

会場の岩木山桜林公園までは、JR弘前駅から車で30分ほど。毎年『津軽森』の開催期間中は、岩木山を眺めるこの道が来場者の車で埋まる。(写真提供:津軽森実行委員会)

5月頭に桜が満開を迎え、11月には初雪が降る津軽。5月末は、ちょうど短い夏の始まりの頃。県名通りの青々とした森が美しい。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェそれまでの青森にはなかった、伝説的クラフトイベントがルーツに。

以前「津軽のクラフト」をテーマにした対談で話題となったのは、津軽人にクラフト好きが多いこと。城下町だった弘前を中心に芸術・工芸文化が成熟した歴史ゆえでしょうか、若手作家たちは、「ほかの県のクラフトフェアより、津軽のイベントの方が人も多いし売り上げもいい」と口を揃えます。しかし、津軽でさまざまなクラフトフェアが誕生したのはここ10年ほどのこと。急速なクラフト人気の高まりの裏には、『C-POINT』というイベントの存在がありました。

『C-POINT』は今から20年前、安田修平氏と安田美代さんという津軽在住の陶芸家夫婦とその作家仲間により始まりました。『津軽森』実行委員の武田氏もそのひとりでした。「自分たちで作家を募って、ちゃんと選別して、いい作家を集めたクラフトフェアをやりたいと思ってね」と武田氏は当時を振り返ります。伝統工芸の文化が色濃い津軽エリアにあり、ジャンルも作家の年代も多様なこのイベントは、大きな挑戦でもありました。「ひと口に“作り手”といっても、ひとつのものを突き詰めて作る人や、思うがまま自由に作る人など、色々なタイプがいるでしょう」と話す武田氏は、歴史も知名度もある伝統工芸を三ツ星レストラン、それ以外を大衆食堂に例えて続けます。「三ツ星レストランはもちろんたいしたものだけれど、だからといって大衆食堂が違うかといえばそうじゃない。安くて美味しい大衆食堂も、地元でしか知られていないけれど頑張っている大衆食堂も、たいしたものなんですよ」。

その会場となったのは、日本海に面した鰺ヶ沢町の風光明媚な海浜公園。公募で選ばれた全国各地64名の作家が、自らテントを立てて販売するフリーマーケット形式のイベントでした。たくさんの作品から宝物を見つけ出すわくわく感、作家との会話から生まれる共感や感動……。会場を満たしたのは、参加者の笑顔と楽しげな雰囲気です。年々規模を広げ、作家の参加人数が150人を超える一大イベントになっても、守り続けたのがそうした空気感。純粋な“クラフトの楽しさ”にこだわり、行政や自治体の援助も受けずに10年間続いた『C-POINT』は、今も津軽のクラフトシーンで伝説的に語り継がれています。

『C-POINT』終了後、旗振り役だった安田夫妻は海外協力隊の活動でタイへ。しかし各方面から再開を求める声があがります。そして2013年、安田夫妻とともに『C-POINT』を立ち上げた武田氏と、グラフィックデザイナーの相馬仁氏のふたりに新たなメンバーが加わり、『津軽森』が発足。「弘前市や会場周辺の施設も協力的でしたし、初回から数万人のお客さんが来てくれて。みんな、待っていてくれたんだという実感がありました」。県内最大級のイベントである『津軽森』が、今と変わらない規模でスタートを切り成功をおさめたのは、既に津軽エリアの人々に“クラフトの楽しさ”が浸透していたからにほかなりません。

2013年の初回から、約130店の参加枠に対し応募が300店を超えていたという『津軽森』。個性豊かなクラフト作家が集結する。(写真提供:津軽森実行委員会)

全国から陶芸、ガラス、木工、染織、金属、皮革、漆などの作品が集結。県内作家はそのうち2割ほど。まだ見ぬ津軽の工芸にも触れられる。(写真提供:津軽森実行委員会)

初夏の新緑の木漏れ日が作品を美しく演出する。屋内のイベントでは味わえない開放的なロケーションの中、宝探しのような楽しさが。(写真提供:Flower Atelier Eika

ひとつ数百円の雑貨から高価な大型作品までが揃う。作家と会話しながら買い回れるこの機会を楽しみに待っているクラフトファンも多数。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェ作家目線の心地よさこそ、ほかならぬ『津軽森』の魅力?

「『C-POINT』のよさを継承しようという想いは、ずっと変わらない。『津軽森』も、割とずれないでやって来たと思っています」と武田氏。「期間中の道路渋滞など、改善すべきところはもちろんある。でも僕は、ベストは目指しても、完璧は目指していないんですよ、楽しいよりも辛くなっちゃうから。相馬さんやほかのメンバーが完璧主義だから、ストッパー役なのかもしれないね」。現在70歳の武田氏ですが、話していてもその年齢を感じさせないばかりか、『弘前工芸協会』理事長の肩書や展覧会での多数の受賞歴などをふと忘れてしまうほど、フラットで穏やかな雰囲気の持ち主です。
そもそも生まれも育ちも弘前市の武田氏の半生はかなりユニーク。20歳から数年間かけて全国を放浪して帰郷、「体力も根気もない自分でも、ものづくりならできるかも」と、まずは興味のあった陶芸を始めたそう。「ところが、いざ工房に弟子入りすると全然だめで、すぐ辞めちゃった。向こうも、来るからには技術を教えようとなるでしょ。僕は、ものづくりは技じゃない、作りたいものがあるから技が生まれる、と思っているから(笑)。仕事は自分で生み出す方がおもしろいですよ」。

自ら陶芸を始めるにはお金も設備もなかった武田氏は、山に自生するあけびの蔓を使った作品を制作し始めます。それも、工芸店で見かけるあけび細工とはまったく異なる風情のもの。生きたあけびの姿があまりにも美しく、武田氏はその光沢を再現するため塗料も研究。もちろんすべて独学です。あけびの作品は「日本クラフト展」で新人賞を受賞、その後もブナ材や炭板を使った作品、最初はできなかった陶器など、「何か作って応募するとなぜか受賞する」ように。それから数十年が経ち、什器デザインや内装デザイン、グラフィックデザインを手掛けるようになっても、ものづくりへの向き合い方は少しも変わらないそう。自由な創作を続け「作品や活動を通じ、世間に伝えたいことはひとつもない」という武田氏。「『津軽森』にしても、『若手作家にも活躍の場を提供したい』とか『伝統工芸以外の作品も発表できる場を作りたい』という志を主体にしてきたわけではないんです。でも今、結果としてそういう場になったのはうれしいことですね」と心の内を話してくれます。

『津軽森』は、武田氏にとって「体力的にはきついけど、楽しいから続けちゃう」活動。曰く、「主催する自分たちもものづくりをしているから、出店作家に『実行委員も楽しんでいるのが分かる』といわれることが喜び。ほかの実行委員がどう思っているか分からないけど、僕はいい意味で“緩い”イベントだと思ってる(笑)」。『津軽森』がお客さんだけでなく作家陣からも人気を博す大きな理由は、武田氏はじめ主催側が作り出す、会場を包み込むような心地よさにあるのだろうと感じました。

無職で放浪……その半生は、確かにスナフキン的。「無人島で暮らしたことはないけど、鹿児島県の浜辺で生活したことはあったよ。ウミガメの卵ってまずいんだよね」。

武田氏の作品は、津軽のあちこちに。JR弘前駅構内にあるオブジェ「弘前な記憶」は『弘前工芸協会』メンバーで制作したもの。弘前市民会館や青森空港にも作品が置かれる。

以前紹介した『二唐刃物鋳造所』がパリの国際展示会「メゾン・エ・オブジェ」に出展した際は、武田氏が商品デザインを担当。こちらは独自の「暗紋」模様が美しい花器。

閑静な住宅街で異彩を放つ黒い家が、武田氏の住居兼事務所。設計も独学でこなすというから驚き。「ものづくりの失敗から次のアイデアが出てくる」という生粋の作り手だ。

津軽ボンマルシェ新芽が枝となり、木となり、森となる。津軽のクラフト文化の成長。

『津軽森』というイベント名は「物と人、人と人が繋がる森」という意味から命名されたといいます。まさに名は体を表す、「毎年この公園でお気に入りの作家に会えるのが楽しみ」と語るお客さんのなんと多いこと。ところが、繋がるのはお客さんと作家だけではありません。全国から集まる作家たちの中には、会場に併設されたキャンプ場でテントや車に寝泊まりする人も多く、夜には大々的な交流会が行われ、親睦を深めるのだとか。ただ物を販売するだけでなく、物を媒体にコミュニケーションが生まれ、さらにそれが広がっていく……、イベントの理想的な姿がここにあります。

「自分たちがするのは、あくまで場を作ること」と語る武田氏。「ベストを目指したいと話したけれど、みんなのベストはそれぞれ個人差があって違う。だからもっと高いレベルを目指す人が出てくればそれでいいし、一緒に今の"緩さ"を楽しんでくれる人も大歓迎。個人的には、『津軽森』でやりたいことはかなり達成していると思うんです。これ以上を望むなら、別の場所で新しくやってもらう方がいい。そのときはどんどん『津軽森』を利用してもらえれば」と続けます。

20年前に『C-POINT』で芽吹いた津軽のクラフトの芽は、『津軽森』のみならず、たくさんのクラフトイベントが生まれるきっかけを作りました。今や県内のあちこちで大小さまざまなイベントが催されていますが、中でも代表的なのが、『津軽森』と並ぶ屈指の規模を誇る青森市の『A-line』と、昨年まで板柳町の遊歩道「アップルロード」で開催されていた『クラフト小径』。前者は『C-POINT』に出店していた作家とその仲間たちが立ち上げ、後者はあの安田夫妻がタイから帰国後に立ち上げたイベントです。そして昨年、安田夫妻により『クラフト小径』の終了と、『C-POINT』の復活が宣言されました。今年予定されていた開催は残念ながら1年延期となりましたが、来年は弘前市、青森市、鰺ヶ沢町という津軽の3エリアで、大規模なクラフトイベントが控えているのです。

小さな芽が20年を経て根を張り、枝を広げて木となるように、新しいクラフト文化が着々と育つ津軽。木々が集まり、森となるのももうすぐです。この森がどう成長し成熟していくのか。あなたも繋がりの輪に加わり、楽しみながら見守ってみてはいかがでしょう。

実行委員6名とサポーター10数名で活動する『津軽森』。出店者の選定も、幅広い年代の全員で行う。「雑多でいい、それが楽しい」と武田氏。(写真提供:津軽森実行委員会)

住所:弘前市大字百沢字東岩木山3168 (岩木山桜林公園) MAP
http://tsugarumori.com/

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2020年 夏期休業のお知らせ

【2020年 夏期休業のお知らせ】
平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら下記期間を夏季休業とさせていただきます。
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2020年8月13日(木)~
2020年8月16日(日)まで
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※ 2020年8月17日(月)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問合せにつきましては、
2020年8月17日(月)以降に対応させていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

お盆の営業に関して

暑い日が続きますがみなさまいかがお過ごしでしょうか??

倉敷デニムストリートはお盆期間も絶賛営業いたします(°▽°)

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暑さ対策の上お越し下さい(・∀・)


津軽のアートの未来を担う美術館。場所に息づく100年の物語をひも解く。[TSUGARU Le Bon Marché・弘前れんが倉庫美術館/青森県弘前市]

取材当日、勤務中だったスタッフに集まってもらい記念撮影。この記事の主役は、彼らのような関係者、そしてこれまでこの場を作り育ててきた弘前の市民や文化人だ。

津軽ボンマルシェ市民に愛された「レンガ倉庫」の記憶を、美術館として継承する。

つい先日の7月11日、弘前市に新たなスポットがグランドオープンしました。本来は今年の春に開館予定だった『弘前れんが倉庫美術館』。新型コロナウイルスの影響で開館延期となり、6月のプレオープンを経てからの全面オープンは、津軽にとって明るいビッグニュースとなりました。印象的なのは、味のある赤色のレンガ造りの建物。完成したばかりにもかかわらず、昔からあるような落ち着いた佇まいで周囲に馴染む理由には、元々この場所が弘前市民から赤壁の「レンガ倉庫」と呼ばれ親しまれてきた歴史があります。

建築設計者は、次世代を担う若手建築家として、世界各国でプロジェクトを手掛ける田根剛氏。代表作の『エストニア国立博物館』では、旧ソ連時代の負の遺産であった軍用滑走路を美しい文化施設に生まれ変わらせ、国際的な評価を受けています。その土地に代々積もり重なってきた「場所の記憶」を掘り起こし、その精神性を未来へ繋げていく──。そんな田根氏の手法は、今回の『弘前れんが倉庫美術館』でも一番大切にされたことでした。たとえば、この建物のアイデンティティともいえるレンガ。温かみのある赤い外壁は残され、蛇腹状に積んだ新しいレンガ壁を付け加えることで、建物の顔となるエントランスのアーチが作られました。また、通常はいわゆるホワイトキューブ=白い立方体で構成される展示空間も、ここでは一部、白ではなく黒に。タールが塗られた黒い壁をあえて残し、美術館としては異色の“ブラックキューブ”をメインの展示室としています。

建物に残され、継承された「場所の記憶」。そのルーツは100年以上も前の明治・大正期まで遡ります。歴史を紐解くと現れるのが、りんごやシードルといった現代の津軽を象徴するキーワードの数々。そしてこの建物に関わってきたたくさんの人々の想いです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

弘前市初の公立美術館。レンガ壁を保存すべきという田根氏の意志により、元々の壁に長さ9メートルの鋼棒(こうぼう)を打つ高度な耐震補強が施された。

美術館のシンボルが、シードルをイメージした“シードル・ゴールド”の屋根。1万3000枚もの特注チタン製プレートは、天気や時間によりさまざまな色合いに変化する。

田根氏により「弘前積みレンガ工法」と名付けられた独特なレンガ使いのエントランス。古いレンガ壁に合わせ、新しく付け加えた部分にもあえて色むらやゆがみを出した。

黒い壁と天井高が圧倒的な吹き抜けの展示室。奥はタイ出身ナウィン・ラワンチャイクンによる大型作品《いのっちへの手紙》2020年。手前は尹秀珍《Weapon》2003-2007年。

津軽ボンマルシェ津軽のものづくりの歴史の真っただ中に、この倉庫があった。

レンガ造りの建物が建てられる前、ここ弘前市吉野町はりんご園が広がる土地でした。今でこそ津軽の名産品であるりんごですが、当時は栽培が始まったばかり。園主の楠美冬次郎は、りんごの普及に努めたレジェンドとして知られています。その後、土地を譲り受けた実業家・福島藤助により、日本酒醸造のためのレンガ倉庫群が建設されたのは1910年代から1920年代にかけて。当時、最先端の技術や設備を備えた醸造所は県随一の製造量を誇ったそう。「この時代に一番頑丈とされた建材がレンガでしたが、費用も相当なもの。安価な木造にすればいいと止めた人もいたといわれています」。当時の逸話についてそう教えてくれたのは、現在美術館の運営統括を務める小杉在良氏。「それでも福島さんは『これは自分の子孫のために造るのではない。もし事業が失敗しても建物が残れば、街の将来のための遺産になる』といって聞き入れなかったそうです」。

関東大震災や太平洋戦争といった激動の時代を経て、レンガ倉庫に活気が戻ったのは1950年代。酒造会社の代表だった吉井勇が『朝日麦酒』(現アサヒビール)との連携により、日本初の大規模なシードル工場として操業を開始。りんご産業を活性化させ、地元に貢献したいとの想いから生まれた「朝日シードル」は、大きな話題を呼びました。1960年には『ニッカウヰスキー』にシードル事業が譲渡され、「ニッカウヰスキー弘前工場」として操業をスタート。しかし、1965年の工場の移転に伴い稼働が止められると、一時的に政府米の保管用倉庫に。長く“ものづくりの場”として認知されてきたこの場所には、静かな時間が流れるようになります。

街のシンボルであるレンガ倉庫に再びものづくりの火が灯ったのは、弘前市民の働きかけがきっかけでした。1980年代には美術家を中心としたグループにより、倉庫を美術館にする働きかけが起こるなど、その活用方法が議論され始めます。そして大きな転機となったのが2002年。弘前市出身の現代アーティスト、奈良美智氏による個展「IDON’T MIND,IF YOU FORGET ME.」の開催です。

福島藤助の時代に形成されたレンガ壁には、絶妙な趣が。当時はこの壁のため、専用のレンガ工場を建設。数年がかりで建物を作る、大がかりな事業だったといわれる。

受付スタッフの制服にも、津軽のものづくりの技術が。襟元には「弘前こぎん研究所」によるこぎん刺しのブローチ。胸元のロゴは市内の刺繍店「東北シシュー」が手掛けた。

エントランスに鎮座する奈良美智《A to Z Memorial Dog》2007年。 2006年の個展後、展覧会をサポートした地域のボランティアのために制作、奈良氏から弘前市に寄贈された。

運営統括の小杉氏。弘前大学在学中、奈良氏の個展の運営に参加したことがきっかけでNPO法人『harappa』メンバーに。その後も津軽のアートシーンに関わってきた。

津軽ボンマルシェ“奇跡の展覧会”が築いた、弘前のアートの地盤。

大型の美術展としては規格外のことだらけだったこの個展は、今も弘前で伝説的に語り継がれています。始まりは、レンガ倉庫を管理していた『吉井酒造』の社長(当時)・吉井千代子さんが書店で見かけた奈良美智氏の作品集でした。吉井さんと奈良氏の出会いにより、このレンガ倉庫で奈良氏の個展が開催されることが決まります。ゼロの状態からスタートを切った個展でしたが、吉井さんから相談を受けた青森県立美術館の学芸員(当時は準備室)や弘前大学の教授の働きかけにより、市の商工会議所や商店会が始動。ボランティアの市民で組織する実行委員会を立ち上げ、運営が行われました。蓋を開けてみれば、集まったボランティアの数は450人以上。当時の人口が17万人程度だった弘前市において、51日間の開催期間中5万8000人以上の入場客を集めたほか、公的な助成を受けずに運営され、展覧会は異例の成功をおさめたのです。

弘前のアートの灯を繋ぐべく翌年誕生したのが、アート系NPO法人『harappa』。その後も2005年の「From the Depth of My Drawer」展、2006年の「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展と2度に渡り奈良氏の個展の開催をサポートします。現職の前に『harappa』事務局員を務めていた小杉氏は「倉庫オーナー・吉井さんの活動から始まり、市民が関わって実現させた最初の展覧会では、美術専門家の参加はほんのひとにぎりでした。自分たちで作った新しいアートの場、そういう市民の想いがこの場所の根幹となり、今の『弘前れんが倉庫美術館』のスタートになったのだと思います」と語ります。

奈良氏の個展終了後も、展覧会や映画上映会、ワークショップなどを開催しつつ、活動を続けてきた『harappa』。美術館の開館準備期間には市民を巻き込んで「れんが倉庫部」なるグループを立ち上げ、レンガ倉庫の歴史やエピソードを探って成果展示を行いました。ちなみに以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚学氏や、家具工房『イージーリビング』の葛西康人氏、『弘前シードル工房kimori』の高橋哲史氏は、家具やプロダクトの開発など、これまでさまざまな企画を共同で行っていますが、そのきっかけとなったのも『harappa』での出会いだったと聞いています。『harappa』は津軽のアートシーンのパイオニアとして、今もものづくりに関わる人々を支える組織となっています。

美術に関する書籍、展示に参加している作家の作品集のほか、津軽の歴史や文化について書かれた書籍が並ぶ美術館2階のライブラリー。どれも自由に閲覧が可能だ。

『CAFE & RESTAURANT BRICK』はシードル工房も併設。『弘前シードル工房kimori』や『ガルツ』、『もりやま園』などのさまざまなシードルの飲み比べもできる。

『CAFE & RESTAURANT BRICK』のテーマは、幅広い年代が集う“弘前のファミリーレストラン”。特別感のある料理を目当てに、ここを目指して訪れる市民も多い。

美術館のオリジナルグッズのほか、『ヨアケノアカリ』や『スノーハンドメイド』の雑貨、『岩木山の見えるぶどう畑』や『おぐら農園』のジュースなど津軽の良品を揃える。

カフェ併設の『A-FACTORY 弘前吉野町シードル工房』は、青森市『A-FACTORY』の2つめの醸造所。今後は順次ラインナップを増やしていく予定だそう。

津軽ボンマルシェ未来の弘前市民へバトンを繋ぐ。それがこの美術館の役割だから。

2015年に弘前市が買い取った「レンガ倉庫」は、2017年に市民のための芸術文化施設とされることが発表され、翌年には正式に『弘前れんが倉庫美術館』という名称が決定。ものづくりの場として受け継がれ、津軽にアートの火を灯し、数々のエポックメイキングな出来事とともに存在してきたこの場所は、田根氏の設計によってその記憶を宿したまま、未来へ開いた新たなスポットに生まれ変わりました。

「実際に人が入ると館内の雰囲気が明るくなって、建物に息が吹き込まれたような感覚に。『初めて来たのに懐かしい』、そんな感想も多くいただきます」と感慨深く話すのは、広報の大澤美菜さん。“不要不急”が叫ばれた新型コロナ渦では、「美術には何の意味があるのか」を問う日々だったと語ります。6月頭から弘前市民のみを対象とするプレオープンを決めた際も、万人に開かれるべき美術館という場で対象を制限することに、スタッフ内で議論が起こったそう。「でも、ずっとこの建物に向き合ってきた田根さんから『市民のための美術館でもあるので、まず市民から観ていただきましょう』と言っていただき、少しホッとしました」と小杉氏。「オープンしてみたら、みなさんが美術館の完成を自分ごとのように喜んでくれて。とてもうれしかったです」と続けます。

開館を記念した最初の展覧会のタイトルは「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」。建築同様、記憶の継承に焦点をあてたこの企画には、弘前市民が制作に協力した作品や、倉庫に残されていた古い建具や資材を取り入れた作品、倉庫の改修工事の過程を記録した作品など、8人のアーティストと弘前の街のさまざまな要素が交錯します。吹き抜けの展示室にあるナウィン・ラワンチャイクン氏の作品《いのっちへの手紙》は、弘前のねぷたを模した全長13メートルの扇形の大型絵画。登場人物は過去と現在の弘前市民たちです。りんごの普及に努めた楠美冬次郎やレンガ倉庫を建てた福島藤助、シードル造りを始めた『吉井酒造』の人々……。「ここは彼らのように、私利私欲よりも人のためを想い、行動した人たちが作り上げた場所なんです」と小杉氏。「開館を延期中、ドイツのメルケル首相が『新型コロナ禍でも多彩な文化が存在し続けることが大事』と話しているのを見て、それこそが我々の役割なのだと。ちょうどこの建物ができた頃も、スペイン風邪が大流行した時代でしたが、バトンは今に繋がっている。それを途絶えさせないようにしていきたいと思います」。

今から100年前、ここが津軽の芸術文化の中心地となると予想できた人はいなかったでしょう。歴史をたどると、静かに積もり重なった多くの人々の想いが、美術館の実現を引き寄せたようにも思えます。さて、あなたがここに立つときは、どんな想いに包まれるでしょうか。そのとき、あなたもまた弘前の時間軸、土地の記憶の一部となり、未来を作る一部となるのです。

畠山直哉×服部一成《Thank You Memory》2020年の一部。コラージュされた田根氏のスケッチには、この建築の目指す姿が「MORE HISTORY」と表現されている。

「ここには、誰でも気軽に入れる緑地やライブラリーもあります。刺激を受ける場、クリエーションの場として使っていただけたら」と広報の大澤美菜さん。

ショップでは奈良美智氏のグッズも期間限定で販売、人気を博す。過去に3度個展を開いたこの場所と奈良氏の繋がりは、やはり特別なもの。

住所:青森県弘前市吉野町2-1 MAP
電話:0172-32-8950
https://www.hirosaki-moca.jp/
※開館記念プログラム「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」は2020年9月22日までの開催。

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

“ヨソモノ”店主が営む津軽のカフェが、住宅街の拠り所となるまで。[TSUGARU Le Bon Marché・Coffeeshop Hachicafe/青森県弘前市]

13年前、県外から弘前に移住した店主の佐藤智子さん。好きだったコーヒーを生業とすることを決め、『Coffeeshop Hachicafe』をオープンさせた。

津軽ボンマルシェ目指した人だけが辿り着く? 住宅街に佇む、赤壁の北欧風カフェ。

その店があるのは、津軽エリアの中心・弘前市の繁華街から車で10分以上かかる場所。周囲には鉄道の駅もなく、正直アクセスがいいとはいえません。取材当日も、送ってくれたタクシー運転手の方が「本当にこんなところにカフェがあるの!?」と驚いたほど。そう、わざわざここに来ることを目的にしないと辿り着けない店、それが今回ご紹介する『Coffeeshop Hachicafe』。スウェーデンやフィンランドの伝統家屋のような赤い壁と三角屋根がトレードマークです。

静かな店内は、席数も少なめでゆったり。テーブル、カウンター、隠れ家のような店内奥の個室のほか、円卓が置かれた小上がり席も。さらには、さりげなくリクライニングチェアがあったり、子どもが座ってお絵かきできる小さなテーブルセットがあったり。さまざまな工夫からは、“おひとりさまもグループも、年齢問わず大歓迎。どうぞ長居してください!”、そんな店の姿勢が見てとれるようです。「この店の店主は、きっと気配り上手に違いない」。その予感は、付かず離れずの接客が心地よい店主・佐藤智子さんと話し、すぐに確信に変わりました。

以前は、まさか自分がカフェ店主になるとは思ってもみなかったという佐藤さん。秋田県秋田市の出身で、結婚を機に夫の故郷である弘前市へ移住してきたという過去があります。「ちょうどこっちへ来た頃は、色々と大変で。秋田の父が亡くなったり、子どもを授かったりが重なったうえ、なかなかこちらの生活に馴染めず体調を崩してしまいました。鬱々としていたとき、夫が『好きなことをやってみたら?』といってくれたんです」。元々、カフェ巡りをするほどのコーヒー好き。奇しくも、移住してきた弘前は知る人ぞ知る“コーヒーの街”でした。以前「津軽ボンマルシェ」で紹介したコーヒー焙煎所『白神焙煎舎』の代表、成田志穂さんの父である成田専蔵氏は弘前のコーヒー文化の担い手で、『弘前コーヒースクール』を主宰する人物。そして佐藤さんが夫から「通ってみたら?」と紹介された場所も、このスクールだったのです。『弘前コーヒースクール』に通い始めたことで、佐藤さんの人生は再び動き出しました。そしてその後、多くの人を支える場所が生まれるきっかけとなったのでした。

コーヒーを学ぶうち、佐藤さんはいつしか前向きな気持ちになっていることに気付いたといいます。「いつか自分もコーヒーにまつわる仕事がしたい。そう考えていたら、ちょっと破天荒な夫が、業務用のエスプレッソマシンを買ってきて(笑)。水道工事までして繋いでくれたんです。飲料関係の仕事をしているから、組み立てもメンテナンスもお手の物。私の精神状態を見て、なんとか励ましたかったんでしょうね。開業もぐいぐい後押ししてくれました」。開業場所は、自宅の敷地内。家族の応援もあり、住宅ローンを組んでカフェ用の一軒家を新築しました。スクール卒業後は、市内の喫茶店のアルバイトとして働き勉強した佐藤さんは、2014年11月、晴れて『Coffeeshop Hachicafe』をオープンさせます。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

住宅街に突然現れる、かわいい北欧風の一軒家。家族のサポートを受けながら自宅の敷地内に作り上げた、佐藤さんの理想の空間だ。

カフェ巡りの経験を活かし工夫を凝らした店内。「隣の人が近いと落ち着かないから」と、席の間隔は相当広め。自分の居心地のいい場所を見つけるのも楽しみに。

注文が入ってから豆を挽き、ネルドリップでゆっくり抽出。佐藤さんのコーヒーの味にほれ込み通う常連客も多い。

コーヒーは充実のラインナップ。佐藤さんの故郷である秋田市の名店『08COFFEE』による「Hachicafe ブレンド」450円など、9種ほどが揃う。

津軽ボンマルシェ「仕方なく」津軽へ。世間の“移住者”とのイメージギャップ。

実は「津軽ボンマルシェ」取材チームが佐藤さんの存在を知ったのは、これまで何度も記事に登場してもらっている弘前の人気店『パン屋といとい』の成田志乃さんから、「おもしろいイベントをやっているカフェがありますよ」と聞いたのが始まり。「『ヨソモノカフェ』というイベントで、テーマの視点がすばらしいんです」と成田さん。“よそ者”というインパクトの強い言葉を冠したこのイベントこそ、個人営業の街はずれのカフェが多くの人の拠り所となる所以。この記事の本題でもあります。

イベントの発端は2017年頃。佐藤さんと、店の常連客であり、現在共に「ヨソモノカフェ」を主催する増田華子さんとの会話からでした。増田さんは北海道出身。同じく道産子の夫の仕事の関係で弘前に移り住んだ経歴を持つ移住者です。「一般的に移住者というと、自らその場所を選び、目的を作って前向きに移り住むイメージがあると思うんです。でも増田さんも私も、自分で望んで弘前に来た訳ではなくて。ずっと悶々としていたけれど、増田さんと移住当時の苦労話をしていたら、『あ、自分の落としどころはこれだ』と気付きました。転勤とか結婚とか、私たちみたいな理由で仕方なく移住した人も結構いる。そういう人が集まって何でも話せる場所を作りたい、店でイベントをやりたいと、増田さんに声を掛けたんです」と佐藤さん。

ちなみに佐藤さんが移住したとき、もっとも悩んだのは言葉の問題。ご存知の通り津軽地方の共通言語は津軽弁で、年齢や地域によっては、県外からの訪問者の理解がほとんど追いつかないほど強い方言が残っています。隣県秋田生まれの佐藤さんでも当時は「ほぼ異国」状態。家族の会話についていけない、アルバイト先で仕事内容を説明されても分からない……。「弱音を吐いたら津軽に嫁に来る覚悟がないと思われる、何度聞いても理解できない自分がだめなんだと、絶望感満載でした」と佐藤さん。「自分は夫も同郷だから、夫婦で悩みを共有できた」という増田さんも「でも実際は、夫が津軽人だから悩みを伝えられない、友人も作れないという人が多いことに気付いて。だから佐藤さんがイベントに誘ってくれたときは、すぐ乗りました」と話します。

「ヨソモノ」という言葉選びは、増田さんの発案。「周りからそう思われている自覚があったから」と笑います。これを「逆にインパクトがあっていいと思った」と佐藤さん。「私たちは世間が考える“移住者”じゃない、所詮はヨソモノだって想いを共有していたから。自虐ですよね(笑)。そうそう、開催前に地域のニュース媒体に取り上げていただいたとき、コメント欄に『イベント名がマイナスイメージで嫌』って書かれていたんです。でもそれを見たとき、不思議と『しめしめ……』ってわくわくしちゃって。同じ想いを持つ人だけ来てもらえればいいイベントですから」と続けます。こうして2018年、初めての「ヨソモノカフェ」が開催されました。

増田華子さん(左)と佐藤さん。話上手な増田さんは、イベントのムードメーカー。津軽エリアの情報を紹介するサイト『いるへぼん雑貨店』も運営する。

現在、フードメニューはパンメニューなどの軽食と、チーズケーキなどの定番ケーキがメイン。この日は市内の焼き菓子店『スロウ』のマフィンも入荷。

店内の物販コーナーでは、『08COFFEE』のコーヒー豆や青森市『コノハト茶葉店』の紅茶、こぎん刺し雑貨などを販売。ちょっとした手土産に人気。

カフェ内装は、ディスプレイなども手掛ける弘前市内の『古道具ミヤマコ』が手掛けた。ちょっと気になるおしゃれな調度品もあちこちに。

津軽ボンマルシェ「大丈夫、弘前を好きになれるよ」。悩みを共有して、そう伝えたい。

初回の「ヨソモノカフェ」はまさに手探り状態。通常営業をしながら、店の小上がりスペースのみを参加者の語らいの場として設定しました。が、蓋を開けてみれば、お客さんが絶えない盛況ぶり。「話がしたい“ヨソモノ”さんはたくさんいる」。二人はそう確信します。2回目は、初回の反省をふまえて内容を更新。店は貸し切り営業にし、それまでUターン経験者などもOKだった参加条件を“ヨソモノ=県外出身者であること”に変更。参加者には好きな席で自由に過ごしてもらいました。「やっぱり、地元の人がいると話しづらいこともあるんです。『弘前に来たとき辛かったよね』、『本当は来たくなかったよね』と、そこまで話して発散できる場所にしたかったから」と増田さんは話します。

やがて認知も広まり、参加者が増えていった「ヨソモノカフェ」。しかし同時に、近隣の地元民から反発の声があがることもあったそう。「自分たちを締め出し悪口をいっているんだろうと思われて。後は『困っているなら、なんでも地元の人に聞いてくれればいいのに』ともいわれました。でも私たちヨソモノは、答えよりも共感が欲しいんです。自分だけじゃないと思えることが大事」と増田さん。佐藤さんは、「ネガティブな意見は想定内。とにかく回を重ねなければと、不思議な自信がありました」といいます。「これは悪口大会ではないから。同じ立場の人に自分たちの経験を話して、大丈夫だよ、弘前を好きになれるよといいたいんです。今なら、長く住んだから分かる弘前のよさも伝えられる。ここで話して明日から前向きになれたら、とてもいいことですよね」。

イベントを続けて丸2年。最近では地元客から「楽しそうでうらやましい」、「Uターン者版もぜひ」といった声も。「でも私たちは地元出身でもUターンでもないから、それはできなくて。単なる賑やかしでやっても、絶対に続かないし」と増田さん。多くのヨソモノさんたちが信頼し、今も安心して通い続けているのは、当事者目線を何よりも大切にするふたりの信念があってこそ。世間一般のイメージや行政のサポートからはこぼれ落ちてしまう、いうなれば“消極的移住者”である県外出身者の存在をすくい出す「ヨソモノカフェ」。この活動は私たちに、ひとくくりにされがちな移住者の多様性を気付かせてくれます。

久しぶりの開催となった今年6月の「ヨソモノカフェ」当日、初参加という20代の女性の言葉が印象に残りました。「結婚を機に移住して、こっちで頼れる人はパートナーだけ。普段から、弘前で通える“拠り所”のような場所を探していたんです」。イベント終了間際、その日知り合った“ヨソモノ仲間”と連絡先を交換し、「家、近いね!」と一緒に帰っていきました。拠り所と友を得た今、「津軽の自然はすごい。これから色々な場所を開拓したいです」と話してくれた彼女のこと、新たな地元・津軽の魅力をたくさん発見していくに違いありません。

取材当日は、新型コロナによる緊急事態宣言が解除され、久々に開催された「ヨソモノカフェ」の日。楽しみ待っていたヨソモノさんが、マスク姿で続々と集まった。

ヨソモノさんで満席の店内。参加3回目という女性が「移住当時は専業主婦。気候や言葉の違いに悩みましたが、ここでやっと同年代の友人ができました」と話してくれた。

明るく話上手な増田さんが場を盛り上げる。この日は初参加の人も5名いたが、それを感じさせないほど、にぎやかでアットホームな席に。とにかくみんな楽しそう。

津軽ボンマルシェオープンから5年。ヨソモノにとっても地元民にとっても、かけがえのない場所に。

「ヨソモノカフェ」開催時はフードメニューも絞り、なるべくお客さんとコミュニケーションを取る佐藤さん。「通常営業時と違い、私もお客さんと対等のヨソモノになれる。このイベントは自分が欲しかった場所、なくてはならないアイデンティティのような場所でもあるんです」と語ります。しかし現在「ヨソモノカフェ」が開催されるのは2~3ヵ月に一日程度。それ以外の通常営業の『Coffeeshop Hachicafe』は、佐藤さんにとってどんな存在なのでしょうか。

「もはや生活の一部だから、こうありたいとかこうでなきゃというのが、あまりないんです」。一見無欲にも思える佐藤さんの返事。が、そこに至るまでには5年以上の年月を要しました。元々器用ではなく、細かなことが気になり、臨機応変に立ち回るのが苦手な気質の佐藤さんは、無理がたたって倒れたことも数度。「最初は万人に喜ばれる店にしなきゃと必死でした。自分のキャパを超えてもすぐ気付かず、二度三度ダウンして初めて理解して。そこから自分に負荷をかけないよう、少しずつ改善しながらやってきました。やっぱり原点はコーヒー。それを柱にして、フードメニューも数を減らして厳選しました。ようやく最近、無理せず美味しいものを出せるようになった気がします」。そんな佐藤さんの言葉を受け、増田さんが続けます。「佐藤さんのコーヒーは、何か盛られているわけじゃない、見た目も普通の一杯でしょう。でも彼女のコーヒーの美味しさと想いは、きちんとお客さんに届いてるんです。出入りの業者さんが仕事を辞めた後も来てくれたり、体調不良で休む時期があっても、待っているお客さんがたくさんいたり。やれることをやってきた結果、普段から地元の方とヨソモノさん両方が来てくれる、地域に根差した店になっている。だからこそ、ああいうイベントが続けられるんですよ」。

話を聞いて思い出したのは、イベント時に参加者から聞いた「拠り所」という言葉でした。人に言えない悩みがあること。その悩みを抱えてしまうこと。精神的、体力的に揺らぎやすいこと。きっと多くの人が感じ、でも声高にいえないようなあれこれを、店主とお客さんが互いに認め合い開放できる拠り所、それが『Coffeeshop Hachicafe』なのです。

ヨソモノの佐藤さんが、新天地・弘前でもがきながら作り上げてきた住宅街のカフェは、今や街にとってかけがえのない場所となりました。店は今日も、そんなストーリーをひっそりと隠しながら、ただただ美味しいコーヒーを提供し続けることでしょう。

コーヒーと並んで人気のメニューは「ガトーショコラ」と「ベイクドチーズケーキ」。「ここに来たらこれがある、そんな安心感のあるメニューに」と佐藤さん。

「『ヨソモノカフェ』でうれしいのは、午前中から夕方までいてくれる人が多いこと」とふたり。「自分たちが無理のない範囲でできるように」と、開催は3ヵ月に一度ほど。

「夫の後押しや増田さんとの出会いがなければ、店は始められなかった。色々なご縁に感謝したい」と佐藤さん。店にはときどき、夫や子どもたちも顔をのぞかせる。

住所:青森県弘前市藤代2-14-5 MAP
電話:0172-35-3873
https://www.instagram.com/hachicafe/
※営業日や「ヨソモノカフェ」開催日についてはInstagramを参照

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