津軽ボンマルシェ目指した人だけが辿り着く? 住宅街に佇む、赤壁の北欧風カフェ。
その店があるのは、津軽エリアの中心・弘前市の繁華街から車で10分以上かかる場所。周囲には鉄道の駅もなく、正直アクセスがいいとはいえません。取材当日も、送ってくれたタクシー運転手の方が「本当にこんなところにカフェがあるの!?」と驚いたほど。そう、わざわざここに来ることを目的にしないと辿り着けない店、それが今回ご紹介する『Coffeeshop Hachicafe』。スウェーデンやフィンランドの伝統家屋のような赤い壁と三角屋根がトレードマークです。
静かな店内は、席数も少なめでゆったり。テーブル、カウンター、隠れ家のような店内奥の個室のほか、円卓が置かれた小上がり席も。さらには、さりげなくリクライニングチェアがあったり、子どもが座ってお絵かきできる小さなテーブルセットがあったり。さまざまな工夫からは、“おひとりさまもグループも、年齢問わず大歓迎。どうぞ長居してください!”、そんな店の姿勢が見てとれるようです。「この店の店主は、きっと気配り上手に違いない」。その予感は、付かず離れずの接客が心地よい店主・佐藤智子さんと話し、すぐに確信に変わりました。
以前は、まさか自分がカフェ店主になるとは思ってもみなかったという佐藤さん。秋田県秋田市の出身で、結婚を機に夫の故郷である弘前市へ移住してきたという過去があります。「ちょうどこっちへ来た頃は、色々と大変で。秋田の父が亡くなったり、子どもを授かったりが重なったうえ、なかなかこちらの生活に馴染めず体調を崩してしまいました。鬱々としていたとき、夫が『好きなことをやってみたら?』といってくれたんです」。元々、カフェ巡りをするほどのコーヒー好き。奇しくも、移住してきた弘前は知る人ぞ知る“コーヒーの街”でした。以前「津軽ボンマルシェ」で紹介したコーヒー焙煎所『白神焙煎舎』の代表、成田志穂さんの父である成田専蔵氏は弘前のコーヒー文化の担い手で、『弘前コーヒースクール』を主宰する人物。そして佐藤さんが夫から「通ってみたら?」と紹介された場所も、このスクールだったのです。『弘前コーヒースクール』に通い始めたことで、佐藤さんの人生は再び動き出しました。そしてその後、多くの人を支える場所が生まれるきっかけとなったのでした。
コーヒーを学ぶうち、佐藤さんはいつしか前向きな気持ちになっていることに気付いたといいます。「いつか自分もコーヒーにまつわる仕事がしたい。そう考えていたら、ちょっと破天荒な夫が、業務用のエスプレッソマシンを買ってきて(笑)。水道工事までして繋いでくれたんです。飲料関係の仕事をしているから、組み立てもメンテナンスもお手の物。私の精神状態を見て、なんとか励ましたかったんでしょうね。開業もぐいぐい後押ししてくれました」。開業場所は、自宅の敷地内。家族の応援もあり、住宅ローンを組んでカフェ用の一軒家を新築しました。スクール卒業後は、市内の喫茶店のアルバイトとして働き勉強した佐藤さんは、2014年11月、晴れて『Coffeeshop Hachicafe』をオープンさせます。
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津軽ボンマルシェ「仕方なく」津軽へ。世間の“移住者”とのイメージギャップ。
実は「津軽ボンマルシェ」取材チームが佐藤さんの存在を知ったのは、これまで何度も記事に登場してもらっている弘前の人気店『パン屋といとい』の成田志乃さんから、「おもしろいイベントをやっているカフェがありますよ」と聞いたのが始まり。「『ヨソモノカフェ』というイベントで、テーマの視点がすばらしいんです」と成田さん。“よそ者”というインパクトの強い言葉を冠したこのイベントこそ、個人営業の街はずれのカフェが多くの人の拠り所となる所以。この記事の本題でもあります。
イベントの発端は2017年頃。佐藤さんと、店の常連客であり、現在共に「ヨソモノカフェ」を主催する増田華子さんとの会話からでした。増田さんは北海道出身。同じく道産子の夫の仕事の関係で弘前に移り住んだ経歴を持つ移住者です。「一般的に移住者というと、自らその場所を選び、目的を作って前向きに移り住むイメージがあると思うんです。でも増田さんも私も、自分で望んで弘前に来た訳ではなくて。ずっと悶々としていたけれど、増田さんと移住当時の苦労話をしていたら、『あ、自分の落としどころはこれだ』と気付きました。転勤とか結婚とか、私たちみたいな理由で仕方なく移住した人も結構いる。そういう人が集まって何でも話せる場所を作りたい、店でイベントをやりたいと、増田さんに声を掛けたんです」と佐藤さん。
ちなみに佐藤さんが移住したとき、もっとも悩んだのは言葉の問題。ご存知の通り津軽地方の共通言語は津軽弁で、年齢や地域によっては、県外からの訪問者の理解がほとんど追いつかないほど強い方言が残っています。隣県秋田生まれの佐藤さんでも当時は「ほぼ異国」状態。家族の会話についていけない、アルバイト先で仕事内容を説明されても分からない……。「弱音を吐いたら津軽に嫁に来る覚悟がないと思われる、何度聞いても理解できない自分がだめなんだと、絶望感満載でした」と佐藤さん。「自分は夫も同郷だから、夫婦で悩みを共有できた」という増田さんも「でも実際は、夫が津軽人だから悩みを伝えられない、友人も作れないという人が多いことに気付いて。だから佐藤さんがイベントに誘ってくれたときは、すぐ乗りました」と話します。
「ヨソモノ」という言葉選びは、増田さんの発案。「周りからそう思われている自覚があったから」と笑います。これを「逆にインパクトがあっていいと思った」と佐藤さん。「私たちは世間が考える“移住者”じゃない、所詮はヨソモノだって想いを共有していたから。自虐ですよね(笑)。そうそう、開催前に地域のニュース媒体に取り上げていただいたとき、コメント欄に『イベント名がマイナスイメージで嫌』って書かれていたんです。でもそれを見たとき、不思議と『しめしめ……』ってわくわくしちゃって。同じ想いを持つ人だけ来てもらえればいいイベントですから」と続けます。こうして2018年、初めての「ヨソモノカフェ」が開催されました。
津軽ボンマルシェ「大丈夫、弘前を好きになれるよ」。悩みを共有して、そう伝えたい。
初回の「ヨソモノカフェ」はまさに手探り状態。通常営業をしながら、店の小上がりスペースのみを参加者の語らいの場として設定しました。が、蓋を開けてみれば、お客さんが絶えない盛況ぶり。「話がしたい“ヨソモノ”さんはたくさんいる」。二人はそう確信します。2回目は、初回の反省をふまえて内容を更新。店は貸し切り営業にし、それまでUターン経験者などもOKだった参加条件を“ヨソモノ=県外出身者であること”に変更。参加者には好きな席で自由に過ごしてもらいました。「やっぱり、地元の人がいると話しづらいこともあるんです。『弘前に来たとき辛かったよね』、『本当は来たくなかったよね』と、そこまで話して発散できる場所にしたかったから」と増田さんは話します。
やがて認知も広まり、参加者が増えていった「ヨソモノカフェ」。しかし同時に、近隣の地元民から反発の声があがることもあったそう。「自分たちを締め出し悪口をいっているんだろうと思われて。後は『困っているなら、なんでも地元の人に聞いてくれればいいのに』ともいわれました。でも私たちヨソモノは、答えよりも共感が欲しいんです。自分だけじゃないと思えることが大事」と増田さん。佐藤さんは、「ネガティブな意見は想定内。とにかく回を重ねなければと、不思議な自信がありました」といいます。「これは悪口大会ではないから。同じ立場の人に自分たちの経験を話して、大丈夫だよ、弘前を好きになれるよといいたいんです。今なら、長く住んだから分かる弘前のよさも伝えられる。ここで話して明日から前向きになれたら、とてもいいことですよね」。
イベントを続けて丸2年。最近では地元客から「楽しそうでうらやましい」、「Uターン者版もぜひ」といった声も。「でも私たちは地元出身でもUターンでもないから、それはできなくて。単なる賑やかしでやっても、絶対に続かないし」と増田さん。多くのヨソモノさんたちが信頼し、今も安心して通い続けているのは、当事者目線を何よりも大切にするふたりの信念があってこそ。世間一般のイメージや行政のサポートからはこぼれ落ちてしまう、いうなれば“消極的移住者”である県外出身者の存在をすくい出す「ヨソモノカフェ」。この活動は私たちに、ひとくくりにされがちな移住者の多様性を気付かせてくれます。
久しぶりの開催となった今年6月の「ヨソモノカフェ」当日、初参加という20代の女性の言葉が印象に残りました。「結婚を機に移住して、こっちで頼れる人はパートナーだけ。普段から、弘前で通える“拠り所”のような場所を探していたんです」。イベント終了間際、その日知り合った“ヨソモノ仲間”と連絡先を交換し、「家、近いね!」と一緒に帰っていきました。拠り所と友を得た今、「津軽の自然はすごい。これから色々な場所を開拓したいです」と話してくれた彼女のこと、新たな地元・津軽の魅力をたくさん発見していくに違いありません。
津軽ボンマルシェオープンから5年。ヨソモノにとっても地元民にとっても、かけがえのない場所に。
「ヨソモノカフェ」開催時はフードメニューも絞り、なるべくお客さんとコミュニケーションを取る佐藤さん。「通常営業時と違い、私もお客さんと対等のヨソモノになれる。このイベントは自分が欲しかった場所、なくてはならないアイデンティティのような場所でもあるんです」と語ります。しかし現在「ヨソモノカフェ」が開催されるのは2~3ヵ月に一日程度。それ以外の通常営業の『Coffeeshop Hachicafe』は、佐藤さんにとってどんな存在なのでしょうか。
「もはや生活の一部だから、こうありたいとかこうでなきゃというのが、あまりないんです」。一見無欲にも思える佐藤さんの返事。が、そこに至るまでには5年以上の年月を要しました。元々器用ではなく、細かなことが気になり、臨機応変に立ち回るのが苦手な気質の佐藤さんは、無理がたたって倒れたことも数度。「最初は万人に喜ばれる店にしなきゃと必死でした。自分のキャパを超えてもすぐ気付かず、二度三度ダウンして初めて理解して。そこから自分に負荷をかけないよう、少しずつ改善しながらやってきました。やっぱり原点はコーヒー。それを柱にして、フードメニューも数を減らして厳選しました。ようやく最近、無理せず美味しいものを出せるようになった気がします」。そんな佐藤さんの言葉を受け、増田さんが続けます。「佐藤さんのコーヒーは、何か盛られているわけじゃない、見た目も普通の一杯でしょう。でも彼女のコーヒーの美味しさと想いは、きちんとお客さんに届いてるんです。出入りの業者さんが仕事を辞めた後も来てくれたり、体調不良で休む時期があっても、待っているお客さんがたくさんいたり。やれることをやってきた結果、普段から地元の方とヨソモノさん両方が来てくれる、地域に根差した店になっている。だからこそ、ああいうイベントが続けられるんですよ」。
話を聞いて思い出したのは、イベント時に参加者から聞いた「拠り所」という言葉でした。人に言えない悩みがあること。その悩みを抱えてしまうこと。精神的、体力的に揺らぎやすいこと。きっと多くの人が感じ、でも声高にいえないようなあれこれを、店主とお客さんが互いに認め合い開放できる拠り所、それが『Coffeeshop Hachicafe』なのです。
ヨソモノの佐藤さんが、新天地・弘前でもがきながら作り上げてきた住宅街のカフェは、今や街にとってかけがえのない場所となりました。店は今日も、そんなストーリーをひっそりと隠しながら、ただただ美味しいコーヒーを提供し続けることでしょう。
住所:青森県弘前市藤代2-14-5 MAP
電話:0172-35-3873
https://www.instagram.com/hachicafe/
※営業日や「ヨソモノカフェ」開催日についてはInstagramを参照
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