人と物が繋がる森、津軽の夏の始まりを告げるクラフト市。[TSUGARU Le Bon Marché・津軽森/青森県弘前市]

『津軽森』会場の岩木山桜林公園にて、実行委員の武田孝三氏。ここは約3.8ヘクタールの敷地におよそ1000本もの桜が咲く、市民に愛される桜の名所。若葉の季節も美しい。

津軽ボンマルシェ岩木山の麓、新緑に包まれた公園で開催されるクラフトの祭典。

新型コロナウイルスの感染拡大により、多くのイベントが中止や延期となった今年の春。津軽でも、毎年数万人の動員数を誇る一大イベントの延期がアナウンスされました。霊峰・岩木山の登山道の入口にある岩木山桜林公園で、毎年5月末の2日間に渡り開催される『津軽森』。約130人の作家と20店舗以上の飲食店が出店する、界隈随一の規模のクラフトイベントです。

実は、「今年こそ『津軽森』の取材を!」とかなり前から意気込んでいたONESTORY取材班。その理由はいくつかありました。ひとつは、これまで「津軽ボンマルシェ」で紹介してきた多くの作家や生産者、たとえば陶芸家夫妻による『陶工房ゆきふらし』、リネン雑貨の『KOMO』、ドライフラワー作品を手掛ける『Flower Atelier Eika』、草木染製品の『Snow hand made』、キャンドル作家『YOAKE no AKARI』、放牧で豚を育てる『おおわに自然村』などが出店する、津軽中のいいものが集まるイベントだと確信していたこと。もうひとつは、津軽塗やこぎん刺し、津軽打刃物といった伝統工芸のみならず、多種多様な作品が集まる場所、つまり、今の津軽のリアルなクラフトシーンが垣間見える場所だと期待していたこと。そしてなにより、これまで取材してきた先々で「本当に気持ちがいい場所だから、一度行ってみて!」とおすすめされる、地元に愛されるイベントであることを実感していたからです。

残念ながら開催は1年の延期、来年5月までお預けとなりましたが、今回、実行委員の武田孝三氏に話を伺うことができました。ちなみに、ONESTORY取材班に武田氏を紹介してくれたのは、クラフト繋がりでもある『木村木品製作所』の代表・木村崇之氏。なんでも木村氏からは、「武田さんはムーミンに出てくる、スナフキンみたいな魅力がある人」で「無人島で暮らすなど、おもしろいエピソードがたっぷりある」との前情報が……。クラフト市のスナフキン!? 一体どんな話を聞けるのか、どきどきしながら取材がスタートしたのでした。

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『弘前工芸協会』の理事長も務める武田氏。活動分野は、陶芸や木工、グラフィックデザイン、店舗設計などジャンルレス。この日は自ら設計した自宅にて取材に応じてくれた。

会場の岩木山桜林公園までは、JR弘前駅から車で30分ほど。毎年『津軽森』の開催期間中は、岩木山を眺めるこの道が来場者の車で埋まる。(写真提供:津軽森実行委員会)

5月頭に桜が満開を迎え、11月には初雪が降る津軽。5月末は、ちょうど短い夏の始まりの頃。県名通りの青々とした森が美しい。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェそれまでの青森にはなかった、伝説的クラフトイベントがルーツに。

以前「津軽のクラフト」をテーマにした対談で話題となったのは、津軽人にクラフト好きが多いこと。城下町だった弘前を中心に芸術・工芸文化が成熟した歴史ゆえでしょうか、若手作家たちは、「ほかの県のクラフトフェアより、津軽のイベントの方が人も多いし売り上げもいい」と口を揃えます。しかし、津軽でさまざまなクラフトフェアが誕生したのはここ10年ほどのこと。急速なクラフト人気の高まりの裏には、『C-POINT』というイベントの存在がありました。

『C-POINT』は今から20年前、安田修平氏と安田美代さんという津軽在住の陶芸家夫婦とその作家仲間により始まりました。『津軽森』実行委員の武田氏もそのひとりでした。「自分たちで作家を募って、ちゃんと選別して、いい作家を集めたクラフトフェアをやりたいと思ってね」と武田氏は当時を振り返ります。伝統工芸の文化が色濃い津軽エリアにあり、ジャンルも作家の年代も多様なこのイベントは、大きな挑戦でもありました。「ひと口に“作り手”といっても、ひとつのものを突き詰めて作る人や、思うがまま自由に作る人など、色々なタイプがいるでしょう」と話す武田氏は、歴史も知名度もある伝統工芸を三ツ星レストラン、それ以外を大衆食堂に例えて続けます。「三ツ星レストランはもちろんたいしたものだけれど、だからといって大衆食堂が違うかといえばそうじゃない。安くて美味しい大衆食堂も、地元でしか知られていないけれど頑張っている大衆食堂も、たいしたものなんですよ」。

その会場となったのは、日本海に面した鰺ヶ沢町の風光明媚な海浜公園。公募で選ばれた全国各地64名の作家が、自らテントを立てて販売するフリーマーケット形式のイベントでした。たくさんの作品から宝物を見つけ出すわくわく感、作家との会話から生まれる共感や感動……。会場を満たしたのは、参加者の笑顔と楽しげな雰囲気です。年々規模を広げ、作家の参加人数が150人を超える一大イベントになっても、守り続けたのがそうした空気感。純粋な“クラフトの楽しさ”にこだわり、行政や自治体の援助も受けずに10年間続いた『C-POINT』は、今も津軽のクラフトシーンで伝説的に語り継がれています。

『C-POINT』終了後、旗振り役だった安田夫妻は海外協力隊の活動でタイへ。しかし各方面から再開を求める声があがります。そして2013年、安田夫妻とともに『C-POINT』を立ち上げた武田氏と、グラフィックデザイナーの相馬仁氏のふたりに新たなメンバーが加わり、『津軽森』が発足。「弘前市や会場周辺の施設も協力的でしたし、初回から数万人のお客さんが来てくれて。みんな、待っていてくれたんだという実感がありました」。県内最大級のイベントである『津軽森』が、今と変わらない規模でスタートを切り成功をおさめたのは、既に津軽エリアの人々に“クラフトの楽しさ”が浸透していたからにほかなりません。

2013年の初回から、約130店の参加枠に対し応募が300店を超えていたという『津軽森』。個性豊かなクラフト作家が集結する。(写真提供:津軽森実行委員会)

全国から陶芸、ガラス、木工、染織、金属、皮革、漆などの作品が集結。県内作家はそのうち2割ほど。まだ見ぬ津軽の工芸にも触れられる。(写真提供:津軽森実行委員会)

初夏の新緑の木漏れ日が作品を美しく演出する。屋内のイベントでは味わえない開放的なロケーションの中、宝探しのような楽しさが。(写真提供:Flower Atelier Eika

ひとつ数百円の雑貨から高価な大型作品までが揃う。作家と会話しながら買い回れるこの機会を楽しみに待っているクラフトファンも多数。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェ作家目線の心地よさこそ、ほかならぬ『津軽森』の魅力?

「『C-POINT』のよさを継承しようという想いは、ずっと変わらない。『津軽森』も、割とずれないでやって来たと思っています」と武田氏。「期間中の道路渋滞など、改善すべきところはもちろんある。でも僕は、ベストは目指しても、完璧は目指していないんですよ、楽しいよりも辛くなっちゃうから。相馬さんやほかのメンバーが完璧主義だから、ストッパー役なのかもしれないね」。現在70歳の武田氏ですが、話していてもその年齢を感じさせないばかりか、『弘前工芸協会』理事長の肩書や展覧会での多数の受賞歴などをふと忘れてしまうほど、フラットで穏やかな雰囲気の持ち主です。
そもそも生まれも育ちも弘前市の武田氏の半生はかなりユニーク。20歳から数年間かけて全国を放浪して帰郷、「体力も根気もない自分でも、ものづくりならできるかも」と、まずは興味のあった陶芸を始めたそう。「ところが、いざ工房に弟子入りすると全然だめで、すぐ辞めちゃった。向こうも、来るからには技術を教えようとなるでしょ。僕は、ものづくりは技じゃない、作りたいものがあるから技が生まれる、と思っているから(笑)。仕事は自分で生み出す方がおもしろいですよ」。

自ら陶芸を始めるにはお金も設備もなかった武田氏は、山に自生するあけびの蔓を使った作品を制作し始めます。それも、工芸店で見かけるあけび細工とはまったく異なる風情のもの。生きたあけびの姿があまりにも美しく、武田氏はその光沢を再現するため塗料も研究。もちろんすべて独学です。あけびの作品は「日本クラフト展」で新人賞を受賞、その後もブナ材や炭板を使った作品、最初はできなかった陶器など、「何か作って応募するとなぜか受賞する」ように。それから数十年が経ち、什器デザインや内装デザイン、グラフィックデザインを手掛けるようになっても、ものづくりへの向き合い方は少しも変わらないそう。自由な創作を続け「作品や活動を通じ、世間に伝えたいことはひとつもない」という武田氏。「『津軽森』にしても、『若手作家にも活躍の場を提供したい』とか『伝統工芸以外の作品も発表できる場を作りたい』という志を主体にしてきたわけではないんです。でも今、結果としてそういう場になったのはうれしいことですね」と心の内を話してくれます。

『津軽森』は、武田氏にとって「体力的にはきついけど、楽しいから続けちゃう」活動。曰く、「主催する自分たちもものづくりをしているから、出店作家に『実行委員も楽しんでいるのが分かる』といわれることが喜び。ほかの実行委員がどう思っているか分からないけど、僕はいい意味で“緩い”イベントだと思ってる(笑)」。『津軽森』がお客さんだけでなく作家陣からも人気を博す大きな理由は、武田氏はじめ主催側が作り出す、会場を包み込むような心地よさにあるのだろうと感じました。

無職で放浪……その半生は、確かにスナフキン的。「無人島で暮らしたことはないけど、鹿児島県の浜辺で生活したことはあったよ。ウミガメの卵ってまずいんだよね」。

武田氏の作品は、津軽のあちこちに。JR弘前駅構内にあるオブジェ「弘前な記憶」は『弘前工芸協会』メンバーで制作したもの。弘前市民会館や青森空港にも作品が置かれる。

以前紹介した『二唐刃物鋳造所』がパリの国際展示会「メゾン・エ・オブジェ」に出展した際は、武田氏が商品デザインを担当。こちらは独自の「暗紋」模様が美しい花器。

閑静な住宅街で異彩を放つ黒い家が、武田氏の住居兼事務所。設計も独学でこなすというから驚き。「ものづくりの失敗から次のアイデアが出てくる」という生粋の作り手だ。

津軽ボンマルシェ新芽が枝となり、木となり、森となる。津軽のクラフト文化の成長。

『津軽森』というイベント名は「物と人、人と人が繋がる森」という意味から命名されたといいます。まさに名は体を表す、「毎年この公園でお気に入りの作家に会えるのが楽しみ」と語るお客さんのなんと多いこと。ところが、繋がるのはお客さんと作家だけではありません。全国から集まる作家たちの中には、会場に併設されたキャンプ場でテントや車に寝泊まりする人も多く、夜には大々的な交流会が行われ、親睦を深めるのだとか。ただ物を販売するだけでなく、物を媒体にコミュニケーションが生まれ、さらにそれが広がっていく……、イベントの理想的な姿がここにあります。

「自分たちがするのは、あくまで場を作ること」と語る武田氏。「ベストを目指したいと話したけれど、みんなのベストはそれぞれ個人差があって違う。だからもっと高いレベルを目指す人が出てくればそれでいいし、一緒に今の"緩さ"を楽しんでくれる人も大歓迎。個人的には、『津軽森』でやりたいことはかなり達成していると思うんです。これ以上を望むなら、別の場所で新しくやってもらう方がいい。そのときはどんどん『津軽森』を利用してもらえれば」と続けます。

20年前に『C-POINT』で芽吹いた津軽のクラフトの芽は、『津軽森』のみならず、たくさんのクラフトイベントが生まれるきっかけを作りました。今や県内のあちこちで大小さまざまなイベントが催されていますが、中でも代表的なのが、『津軽森』と並ぶ屈指の規模を誇る青森市の『A-line』と、昨年まで板柳町の遊歩道「アップルロード」で開催されていた『クラフト小径』。前者は『C-POINT』に出店していた作家とその仲間たちが立ち上げ、後者はあの安田夫妻がタイから帰国後に立ち上げたイベントです。そして昨年、安田夫妻により『クラフト小径』の終了と、『C-POINT』の復活が宣言されました。今年予定されていた開催は残念ながら1年延期となりましたが、来年は弘前市、青森市、鰺ヶ沢町という津軽の3エリアで、大規模なクラフトイベントが控えているのです。

小さな芽が20年を経て根を張り、枝を広げて木となるように、新しいクラフト文化が着々と育つ津軽。木々が集まり、森となるのももうすぐです。この森がどう成長し成熟していくのか。あなたも繋がりの輪に加わり、楽しみながら見守ってみてはいかがでしょう。

実行委員6名とサポーター10数名で活動する『津軽森』。出店者の選定も、幅広い年代の全員で行う。「雑多でいい、それが楽しい」と武田氏。(写真提供:津軽森実行委員会)

住所:弘前市大字百沢字東岩木山3168 (岩木山桜林公園) MAP
http://tsugarumori.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社