変わりゆく自然環境とともに生きる人たちに、シェフは料理でエールを送る。[Chef’s Journey in Kagoshima Osaki/鹿児島県大崎町]

志布志湾を臨む「くにの松原」で、砂浜の自然環境を守る下野氏(右)と大野シェフ。今回の旅は、この穏やかな海を100年、1000年先まで残すために、料理人が産地とどう関わっていけるかを見つける旅でもある。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎江戸時代から好漁場で知られる志布志湾にシラスウナギはやってくる。

10月下旬、鹿児島県東部の町、大崎町を訪れた新進気鋭の料理人・大野尚斗シェフは、町の主要産業の一つである養鰻業から食材の旅を始めます。しかし、なぜか最初に向かったのは国定公園の一部にも指定されている「くにの松原」の美しい砂浜。志布志湾を臨む白砂青松の海岸とウナギの養殖にどんな関係があるのでしょうか。

薩摩藩が治めていた志布志湾には、フィリピン北東から東シナ海、鹿児島県沖を北上して黒潮が流れ込んでいます。さらに一級河川の肝属川のほか、田原川や菱田川といった河川によって山の栄養も運びこまれ、藩政時代から「本藩中漁利を得るの多き」(『三国名勝図会』)とうたわれる好漁場だったそうです。この豊かな湾を目指して黒潮にのってやってくるのが、ウナギの稚魚「シラスウナギ」です。

急激な減少により二ホンウナギは、環境省と IUCNから絶滅危惧種に指定されています。シラスウナギ漁も漁期が厳格に規定されており、大崎町でシラスウナギ漁がおこなわれるのは、12月から3月。その時期に日没が過ぎると、菱田川河口には150人ほどのシラスウナギ漁者が腰まで海水に浸かり、ヘッドライトで海面を照らしながら体長6センチほどのシラスウナギを網ですくう姿を見ることができます。

大崎町の浜の近くに生まれ、8年前からボランティアで砂浜を守る下野明文氏は、70歳を過ぎた今でも、シラスウナギ漁が解禁になれば海に入ります。「シラスウナギも少なくなったねぇ。大崎の砂浜にはウミガメも産卵に来ていたけど、それも減ってしまった。地域の子どもたちに大崎のすばらしさを伝えていきたいと思って浜を守ってきたけど、もう難しいのかもしれない」と、すこし寂しそうに海を見ていたのは忘れられません。

「海洋資源の回復は、食材がなければ何もできない僕たち料理人にとって重要な問題です」と大野シェフ。SDGsやサステイナブルへの取り組みが経済に取り込まれようとしているなかで、現実的な課題として実感できたことは、大野シェフにとっても、大きな経験になったのではないでしょうか。

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菱田川の河口南側は大崎町、左岸は志布志市(有明町)の管理でシラスウナギ漁は行われる。漁期のほか網の大きさにも規定がある。写真提供:大崎町

今年73歳の下野氏は、2代目の浜の守り人。町内の小学生たちを案内しながら、故郷の豊かな自然を知ってもらおうとしている。少子化が進む中、大崎町のような地方自治体にとって故郷で暮らし続けたり、町から出た町民が戻ってきたりするような政策が重要になってくる。

穏やかな志布志湾に思いを馳せる大野シェフ。大隅半島の付け根に、ポッカりとくぼんだ志布志湾は、古来交通の要衝で商船の往来も多かった。そのため異国船の襲来に備え、大崎町には薩摩藩が設置した異国船番所・異国船遠見番所が置かれていた。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎高隈山地からの豊かな湧水がウナギの味を決める。

砂浜で採れたシラスウナギは、町内の14の養鰻業者に渡り1年から1年半かけて養殖されます。大崎町内と隣の志布志市に養鰻池をもつ鹿児島鰻は、国産の養殖ウナギの消費量が2万トン程度といわれているなかで、年間1000トンから800トンを生産する国内でも最大規模の養鰻施設をもっています。

鹿児島鰻の養殖場の一つ菱田事業所を訪れた大野シェフがまず驚いたのは、養鰻場で大量に使われている水でした。場長の川添靖男氏によると、使用しているのはすべて湧水だといいます。「町内でお昼を食べに入った定食屋さんのお水がきれいで雑味のない味でおいしかったんです。人の生活は水から始まるように、ウナギの養殖もこの水が身質に影響を与えると思います」と大野シェフ。

大野シェフが感じたように大崎町の水は、西に広がる高隈山地から流れこむ伏流水で、火山灰が堆積してできたシラス台地によって長い時間をかけてろ過されたもの。さらに菱田事業所は「平成の名水百選」に選ばれた普現堂湧水源から近く水質は事業所内でも有数だといいます。

素材の味は、食べたものによって決まる。そう考える大野氏は、さらにウナギにどんな飼料を与えているかが気になったようです。「ウナギはおいしいエサでないと食べない“グルメ”な生き物なのです。なので、飼料にはコストをしっかりかけています。魚粉を中心に、鰻の育成に適した配合飼料と水とフィードオイルを餅状に練り上げたもの。鰻が食べやすい形にするのもポイントです」と川添氏はこだわりを説明します。

その後、おおさき町鰻加工組合の加工施設を見学し試食をした大野シェフ。口にすると一瞬で笑顔がこぼれ、「嫌な泥臭ささがなくて、身質がすごくきれい。加工場で作られたとわ思えないウナギの火入れで、専門店の味と大きな差がないですよ!」と想定外のクオリティに心の底から驚いていました。

鹿児島鰻では、1年間で500万尾から600万尾のウナギを出荷する。ウナギは、背の文様と白い腹の境界線がしっかりと見えている方がおいしいという。

1年から1年半かけて成長したウナギは、初めに背骨が曲がったものを人の目で選別する。この後は機械に通され、重さごとに仕分けられる。

養鰻では、生けすでの飼育だけでなく、池あげ後の仕分けの間も大量に水が必要になる。大崎町は湧水が豊富で水質もよいため、養鰻に適した土地といえる。温暖な気候も、赤道付近で生まれるウナギにとっては重要なのだ。

鹿児島鰻などの養鰻業者が出資して設立された「おおさき町鰻加工組合」の加工施設を見学。1匹7秒ほどで背から開いて内臓を取って骨を抜く。正確で無駄のない熟練の技に驚いた大野シェフは、「勉強のために」と、スマートフォンで録画したほどだった。

開いたウナギは、ベルトコンベアにのせられて、焼きからタレ漬け、冷凍までの加工を一気にオートメーションで行っている。途中には本物の炭で焼く工程もあり、専門店の蒲焼きのような香ばしさが生まれる。

タレ漬けして加熱する工程を4度繰り返して完成。タレが焦げて香ばしく仕上がった蒲焼きを試食した大野シェフは「機械で焼かれたとは思えないおいしさです」と絶賛。ウナギのタレは、関東風と関西風、九州風の3種類ある。白焼きも製造している。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎旅する料理人と旅する養蜂家。皿の上でどう出会うのか?

大崎町の北部、山間地域にあたる野方で養蜂業を営む「佐元養蜂場」の佐元和寿氏は、鹿児島から九州、東北を経て、最後は北海道まで、およそ3000キロをミツバチとともに移動しながら採蜜する旅する養蜂家です。移動養蜂自体は伝統的な採蜜法ですが、移動コストがかかることもあって近年減少しつつあります。

「温暖な気候を好むミツバチにとって大崎町は、飼育に最適な場所です。野方の山のなかでミツバチを病気にさせないように、600箱ほどの巣箱を管理しながら、その年の状態の良いミツバチが集まった箱を240箱ほど選んでハチミツ採取の旅にでるのです」

大崎町と宮崎県でレンゲのハチミツを中心に採取した後、5月末から青森に入ってトチのハチミツを。6月初旬に秋田に移りアカシア、6月中旬に北海道芽室に渡ってから大崎町に戻ってきます。

「大崎町だけでハチミツが採れればいいですが」という佐元さん。しかし近年の気候の変化で、鹿児島県内でハチミツの採れる時期が変わってきたそうです。採蜜量も減っていくなかで、これまで培ってきた全国のネットワークを使って良質なハチミツを採り続けたいといいます。

大野シェフは、ミツバチたちが大崎町周辺で集めてきたレンゲのハチミツに興味を示します。ひと舐めした大野シェフは、「クセのある独特な香りもいいですし、後味もスッキリしていてきれいな甘味ですね」と驚いた様子。「ハチミツの糖度が、例年なら78度程度なのですが、今年は81度と高い。つまり、水っぽくないのがおいしさの理由だと思います」と、佐元氏も自信をもって勧めた味を気に入ってもらったことで、自然と笑顔がこぼれていました。

巣箱にミツバチたちが集めたハチミツ。240箱から多ければ、500缶ちかくのハチミツを採ることができる。

採れたてのハチミツを味見する大野シェフ。透明でありがながら輝くような蜜の色に見入っていた。

佐元養蜂場は、小売り店として「ハニー・ハウスSMT」も運営している。旅の途中に立ち寄ってみたい。

雨の中、養蜂場を案内してくれた佐元氏(右)。よく管理された巣箱は貴重で、盗難にあうこともある。そのため町内の数十カ所にわけて巣箱を分散して管理している。

1989年福岡県出身。2008年4月 高校卒業後 福岡中洲の人気フランス料理店「旬FUJIWARA」にて見習いとして修業を開始。2011年、「The Culinary Institute of America」ニューヨーク本校へ入学。在学中に 『The NoMad』(ミシュラン一つ星)にて勤務。ガルドマンジェ(野菜)とポワソン(魚)部門シェフを務める。The Culinary Institute of America 卒業後、2014年から2年間、シカゴ『Alinea』(ミシュラン三つ星・在籍時、世界のベストレストラン50で世界9位)にて勤務、部門シェフを務める。帰国後、日本国内数店で研修し、包丁1本持ちヨーロッパをバックパッカーでまわった後、代官山『レクテ』(ミシュラ一つ星)に勤務、スーシェフを務める。その後、赤坂の1年限定会員制レストランにてExecutive chef を経験。2019年、スウェーデン『Fäviken』(ミシュラン二つ星)研修。2020年3月、ペルー『Central』(世界のベストレストラン50・世界6位)研修。現在は、2021年の独立に向けて準備中。

Photographs:JIRO OHTANI, KOH AKAZAWA
Text:ICHIRO EROKUMAE
 

(supported by 大崎町)