「より料理と向き合う時間になった。より地元と向き合う時間になった」Ristorante RE/三沢 賢

「こんな状況下においても変わらず営業できていることに感謝しております。とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。1日も早く皆様と再会できることを楽しみにしております」と三沢シェフ。

旅の再開は、再会の旅へ。いつでも万全に準備している。その時が来たら、是非お越し頂きたい。

『沖縄美ら海水族館』のある街に『Ristorante RE』はあります。

店名に掲げる「Re」の意味は、Refresh、Relax、Resort。

ランチ、ディナー共に1日1組のみ、『Ristorante RE』の体験を求め、県外からも多くの人が訪れていました。

「『Ristorante RE』のある本部町は、観光客の多い地域ですが、コロナ禍によって町は一気に閑散としてしまいました。沖縄県全体でもそうですが、本部町は特に厳しい状況なのではないでしょうか」。そう話すのは、シェフの三沢 賢(まさる)氏です。

「町は静かになってしまいましたが、私たちは今も変わらず、1日1組のスタイルで営業させていただいております。こんな状況のため、お客様をお迎えできない時期もありましたが、今では地元の方々にお越しいただけるようになりました。大きな移動が控えられるようになった中、沖縄のお客様にお越しいただき、大変助けられました。もちろん、沖縄の魅力をたくさんの人に知っていただくのは嬉しいですが、地元に地元の魅力を再発見してもらえることは、とても嬉しいです。そして、こうして地元に支えられながら営業できることに私たちは恵まれていると痛感します」。

そんな中、ある変化を感じたと三沢シェフは言います。

「新型コロナウイルスの感染拡大によって、否応がなしに以前と比べて時間ができました。これからのことや未だ続くこの難局に悩みはつきませんが、そんな中、料理と向き合う時間を多く作りました。これは、前向きな変化だと思っています。それを続けた結果、自分でも感動するほどの新レシピも開発できたのです。もちろん、お客様に提供する料理はどれも自信を持って提供していますが、数年に一度できるかできないかのレシピだと自負しております。パイナップルを使った料理なのですが、自由に移動ができるようになったら、是非、お召し上がりに来ていただきたいです!」。

前回、取材に訪れたのは2020年1月。新型コロナウイルス直前のことでした。

当時、三沢シェフは、「開店から10年経ち、ようやく立てたスタート地点に立てた」と話していましたが、その直後に世界中が難局に陥ることを知る余地もありませんでした。

良きレストランが増え、良き生産者が育ち、沖縄の食文化は新たなステージへ。一朝一夕でなく、「長いスパンで考え、現状と向き合うことが自分も含めてやるべきこと」だと言葉を続けていた三沢シェフは、この「現状」とも真摯に向き合います。

自粛や緊急事態宣言は発令されては解除。解除されては発令と行ったり来たり。時短営業による支援金、給付金はあるも、状況はそれぞれ異なるため、全てが満足できるかというと難しい問題です。個人、企業問わず、死活問題は未だ続いています。

「政府の動きが遅いとか、対策が曖昧いといった意見を聞きますが、確かに完璧な対応ではなかったと思います。しかし、政府の方々も今まで経験したことのない状況の中で精一杯やってくれているのではないでしょうか。もちろん、個人的にはもっと飲食店を支援して欲しいと思いますが、違う立場だったら違うことを思っているはずです。色々な立場や考え方の人がいる中で、うまくバランスをとっていただければと思います」。

一刻も早く願うこと、それは世界中に平穏な日々が戻ることに尽きます。

「とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。県外からよく来てくださっていたお客様もいます。そういった方々が気兼ねなく訪ねて来られるように早くなってほしいです。ともあれ、“来てください!”と、堂々と言えないのはお店をやっている身としては寂しいのが本音です。いつでも万全の状態でお客様をお迎えできるように準備しているので、その時が来たら是非お越しください。そして、地元の人でも感じたことのない魅力を表現できるように、これからも精進したいと思います」。

店内はテーブル席とカウンター席があるのみ。三沢氏が接客も行い、まさにシェフズテーブルともいうべき空間。換気も整い、気持ち良い風が吹く。

沖縄らしい絶景が広がる。このロケーションが更に料理を美味しくするのは言うまでもない。

店へ向かう道中に案内板はない。駐車場の前にある看板だけが頼り。その階段を上った先に立つ白亜の建物が『Ristorante RE』。

奥様のしずえさんと。別の部屋では奥様がエステティックサロンを経営。『Ristorante RE』の「Relax」の部分を大いに担う。

住所:沖縄県国頭郡本部町具志堅717 MAP
電話:0980-48-2558
http://www.fiori-rossi.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

忘却された時間の愛おしさ。心の豊かさは、不要不急なことから生まれる。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「新型コロナウイルスによって、生き方の姿勢やデザインと向き合う精神がより研ぎ澄まされた。今できる最上を行い、誰かのためにものを作り、社会に貢献したい」と猿山 修氏。 

猿山 修 インタビュー世界中が不安な中、ゆっくりと、落ち着いて、心身を整える。 

2020年12月、突如、『銀座ソニーパークに誕生した『GEN GEN AN幻 in 銀座。 
ミニマルなカウンターがメインの背景には、整然と並ぶ桐箱が静かに鎮座します。 
そのデザインを手がけるのは、猿山 修氏です。 

猿山氏と『GEN GEN AN』を主宰する丸若裕俊氏が出会ったのは約7年前。『GEN GEN AN』の前身『丸若屋』からの付き合いになります。 
ものづくりの関係性はもちろん、ふたりは不思議なご縁で結ばれています。 
「元々、元麻布に『さる山』という古道具や古陶磁、作家が手がけた陶磁器などを扱う店舗兼ギャラリーを運営していました。2019年に閉めてしまったのですが、その後、丸若さんの事務所に(笑)。自分は場所を持たなくなったため、東京を離れようと思っていたのですが、ご縁あって今は浅草の千束に拠点を構えています。その話を丸若さんにしたら、丸若さんまで千束に拠点を移されて(笑)。不思議なお付き合いです」と猿山氏。 
猿山氏と丸若氏が構える互いの拠点は、徒歩にして数十秒圏内。仕事のパートナーであり、ご近所でもあります。 

今回、そんなふたりが関わる香炉『Kouro #1を発表。 
「今こそ、忘れ去られてしまった感覚を取り戻したい」と猿山氏。 
不要不急と言われる中、幸せはどうやって生まれるのか? 心を豊かにするにはどうしたら良いのか? 本当の価値とは何か?  

『Kouro #1』は、丸若裕俊氏とミュージシャンの山口一郎氏がディレクターを務める『MABOROSHI』による初プロダクト。香りも音も、見えない豊かさが人を幸福に誘う。

『GEN GEN AN幻 in 銀座』にも装飾展示されている桐箱。丁寧な仕事がなされたものは、周囲に凛とした時間も育む。 

猿山 修 インタビュー利己ではなく利他に。見立てから学ぶ、相手を想う気持ち、おもてなしの心。 

「新型コロナウイルスが感染拡大してから約1年経ちました。世界中を恐怖に陥れたそれは、当たり前だった日常を奪い、孤立した生活が余儀なくされました。混乱した世間に向けた報道は、より不安を助長させ、昨今では当然になったインターネットでの情報収集は、その量の多さに真実を見失うこともしばしば。どうすれば自分たちは安心できるのか? 一度、冷静になって考える時間を設けました」と猿山氏。 
考える時間……。その行為は、テクノロジーの進化の一端によって省かれてしまったのかもしれません。時短することが高度な技術とも見紛う発展は、日本人が大切にしてきた何かを失ってしまったのかもしれません。

「そんな時、“古”と向き合うことによって、様々を再認識することができたような気がします」と猿山氏。 
「茶屋として活動する『GEN GEN AN』が最も大切にすることは、時(とき)と間(ま)です。そこに介在する人、もの、ことが幾十にも味を育み、特別な時間を創造するからです。茶湯の世界で言う見立ては、相手を想う気持ちやおもてなしの心から生まれますが、今こそ、そんな精神が必要とされるのではないでしょうか」と丸若氏。 
「こんな時代になってしまったからこそ、利己ではなく利他に。支え合う心が必要だと思います。今はまだ、自宅で過ごす日々が続いているため、お茶を飲んで気持ちがホッとするように、お茶の香りで落ち着いた時間を感じて頂ければと思い、『Kouro #01』を作りました」とふたりは話します。 
香る茶葉や小さくくゆる炎は、しばしの間、心身を整え、「無」にさせてくれるでしょう。茶香炉のデザインは、実に猿山氏らしい美しさが漂いますが、見えない時間のデザインこそ、『Kouro #01』が持つ本来の美しさなのです。それは、まさに「幻」。 

「この茶香炉は、過度な演出は一切せず、伝統的な技法を用いています。直火になる皿は陶器、受けは磁器です。共に長崎県波佐見の職人が手がけ、受けの型は佐賀県有田の原型師・金子哲郎さんによるものです。実は、千束に拠点を構えるきっかけのひとつに、未だ残るものづくりの文化に惹かれました。そして、周囲は再開発が進む中、この一角だけは、古き良き街並みも残っている。正しい時間の流れを感じたのです。古い道具と付き合ってきた時間が長いせいか、そういった経年に魅力を感じます。自分は、美術などで評価が決まっているものや誰かのお墨付きと言われるものよりも、どうしてこれが世間に評価されないのだろう?というものに価値を見出してきました。時代が変われば用途も変わるため、それによって想像力が膨らむのは、まさに見立ての世界。そんなものと過ごす時間は、本当に愛おしいです」。そう話す猿山氏は、約200年前のグラスを手に持ち、言葉を続けます。 
「約200年前のものということは、世代を超えて様々な人が残そうという意志を持っていたからこそ、現代まで受け継がれています。経年変化によってヒビは入ってしまっていますが、それでも捨てずに大切に扱ってきたという過去が汲み取れます。技術の発達は、破れない、割れない、壊れない、汚れないなど、現状を維持できるものも増えていますが、人間と同じようにものが歳を取らないことは不自然。歳を取るからこそ美しさが増す。ものの命は人の命よりもはるかに長い。
道具で言えば使い道も限定するのではなく、持ち主によって楽しみ方も自由。今回の香炉も同様にエッセンシャルオイルを使用したり、家庭にある月日が経過してしまった茶葉で楽しむ事も人それぞれ。コロナ禍によって、デザインとの向き合い方や生き方が研ぎ澄まされたような気がします」と猿山氏。

今後、この茶香炉を体験する場や、合わせて二人が考える茶室型のGEN GEN AN幻プロダクトを『銀座ソニーパーク』と言う場所を起点に考えています。『GEN GEN AN』のお茶、『Kouro#01』の香り、その他、この空間だからこそできる見立ての準備を現在、進めています。 
「『GEN GEN AN幻 in 銀座』は、自分たちだけの場所ではないと思っています。様々な実験の場でありたいですし、誰かや何かをつなぐ場でありたい。こんな時代だからこそ、みんなが表現できるきっかけや発信できる機会を作っていきたい。そんな時間をみんなで過ごしたい」と丸若氏。 

古きを学び、新しきを得る。そんな温故知新を茶香炉は教えてくれるのかもしれません。 
 

「『Kouro #01』を通して、見立てという知恵から生まれる楽しみも体験していただければと思っています」と丸若氏。 

「これまでお茶の味覚に関わるプロダクトは手がけてきましたが、嗅覚に関わるプロダクトは初。デザインを精進し続けることによって、誰かを幸せにしたい。ものづくりや社会に貢献したい」と猿山氏。 

香りはもちろん、隙間から覗く炎もまた、心身を穏やかにさせる。お茶を嗜むように、香りも嗜みたい。 

猿山氏が見せてくれた約200年前のフランス製のグラス。「多くの人がこのグラスを残そうとする意志がなければ残らなかったはず。人の思いや当時の技術など、古いものの考察は、ものを作る人にとって必ず何か得ることがある」と猿山氏。 

今後、『銀座ソニーパーク』でも展開予定の茶室の設計図。「DIYで作ることができる茶室がテーマ」と猿山氏。

1966年生まれ。元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う『さる山』や『ギュメレイアウトスタジオ』を主宰してきたデザイナー。食器のデザインを中心に、国内の手工業者から作家まで幅広い作り手と手を組み、機能美に長けた美しいプロダクトを創造する。グラフィック、空間、プロダクトなど、多岐にわたるデザインに携わり、『東屋』と一緒に多くのプロダクトを作っている。今回、発表する『Kouro #01』は、2020年より『GEN GEN AN幻』がスタートさせた『MABOROSHI』プロジェクトより展開。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

島にたどり着いたからこそ出会える景色を求めて。「東京さんぽ島」を歩く。[東京さんぽ島・利島]

阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)本宮の宮司・梅田成彦さんとともに集落内を歩く。急な下り坂の向こうには海が広がっていた。

東京さんぽ島・利島歩くスピードだからこそ見えてくるもの。心奪われる風景を目に焼き付ける。

東京の離島・伊豆大島の次に位置する利島(としま)は、人口300人あまりの小さな島。しかし、そんな小さな島には島じゅうを覆い尽くすように、約20万本もの椿の木が植わっているといいます。椿の見どころは12月中旬〜2月いっぱいまで。冬に咲く満開の椿の花を求めて、東京・竹芝桟橋から大型客船で約9時間、夜出て朝着く夜行便に乗り込み、利島へと向かいました。「今年の椿は見事」と島の人々が口をそろえるほど、島のいたるところで目にする椿の花はすでに満開を迎えていました。

「椿の花が咲く時期は、海も荒れ、船が着かないことが多くなります。“近くて遠い島”とよくいわれますが、なかなかたどり着けないからこそ、島に上陸できた時は喜びもひとしお。外から島を見ても、椿が咲いているかどうかはわかりませんが、島に着いて島をめぐってみると、こんなにも椿に覆われていたのだと気づくはずです」と利島村役場の荻野 了さん。

なかなかたどり着けない小さな島ゆえ、民宿や飲食店も限られ、決して観光向けの島ではありませんが、何もないからこそ、自分から“何かを見つけにいく”ことで、新たな発見や、自分だけの風景を見つけることができるはずです。たとえば、自然のかたちに合わせた曲がりくねった道。集落内は細い路地が多く迷路のようで、「この先には一体何があるんだろう?」と歩みを進めたくなります。島の中央にそびえる宮塚山のふもとに家が集中しているため、集落内は坂だらけ。だからこそ、どこから見ても海や山が見え、景色の抜けの良さに驚かされます。

「小さな島を歩くだけで、どこもかしこも椿に出会えます。各家の庭にも椿がありますし、島のどこを歩いても椿が目に入ってきます。伊豆諸島の中でも、そんな島は利島ぐらいでしょう。椿と生活が密接につながっているのを感じてもらえると思います」(荻野さん)

利島めぐりの醍醐味。それは島を歩いて回ること。小さい島じゅうに咲く椿の花の存在と箱庭のような島の景観は、歩いているからこそ楽しめる風景です。ピンク色した椿の花に誘われ、気の向くまま、風に吹かれるまま、小さな島を歩いてみてください。

利島のいたるところで目に飛び込んでくるピンク色のヤブツバキの花。落ちた花が広がる様は、花の絨毯のよう。

2020年に新しくなった大型客船「さるびあ丸」。突き出た桟橋に着岸するのは至難の技で、冬は風が強く吹くため、島へたどり着くことができるかどうかは海況次第。

可憐な花をつけるヤブツバキは、もともと島に自生していたものを種から育てて植林。今の森は約100年かけてできあがったもの。

島を歩いてみると、何気ない風景に心奪われ、ふと足を止めてしまう。

東京さんぽ島・利島冬しか見られない、ピンクの椿の花がお出迎え。

島で手に入れた「東京さんぽ島」のマップには、「椿コース」「神社コース」「ビューコース」など、おすすめのルートが記載されていました。このルートは島の人たちが作ったもの。そのひとりである、利島勤労福祉会館の長谷川竜介さんはビューコースのガイドを担当。「集落内を回るコースになります。利島の人は、普段いつもこんな景色を見ながら暮らしているんだ、ということがわかっていただけると思います」(長谷川さん)

「椿ルート」は、椿農家の前田千恵子さんと一緒にめぐりました。島のどこにいても存在感を感じる宮塚山に向かってぐんぐんと坂を登っていきます。堂山神社の脇にある遊歩道を歩いていると、時折、木々の間から光が差し込み、聞こえるのは、鳥のさえずる声と風にざわめく葉擦れの音だけ。光、風、音を全身で受け止めながら「五感で感じてみて」と前田さん。島の人にとっては見慣れた当たり前の風景でも、外から来た私たちには、何もかもが新鮮に映るのです。

もともとは防風林として植えられていた椿。江戸時代、島ではお米が育てられない代わりに、椿油を年貢として納めていました。秋頃、実をつけ、それを油にし、灯りや食用油、髪や肌などにつけたりと、暮らしの中で活用してきました。今も変わらず、利島では椿油を生産しており、その量は日本一、二を誇ります。

「利島の人々は、椿とともに生き、椿とともに暮らしてきました。利島の椿の特徴は生産者と土地、畑が紐づいていること。その強みを生かしてオーガニック認証も取得しました。夏は下草刈り、秋から冬にかけては椿の実拾いと、島の方は一年中、畑にいます。椿の畑は、農家さんが代々大切にしている場所なのでなかなか入ることはできませんが、作業されている農家さんがいたらあいさつしてみてください。畑をのぞかせてもらえるかもしれませんよ」と、東京島しょ農業共同組合 利島店で働く加藤大樹さん。

初冬から咲き始め、初春まで長く楽しめるのも椿の良さ。ウグイス、メジロ、ヒヨドリなどの小型の鳥が花をついばみ、花粉を運んでくれます。木の上を注意深く見てみると、黄色い花粉を口ばしにつけた小鳥を目にすることができるでしょう。

「等間隔に植林され、椿の実を拾いやすいようにと下草を刈って丁寧に手入れされている椿の畑は、畑というよりも庭園に近い。しかもそれが島の一部ではなく、島全体にある。世界中探してもこんな場所はないそうです。人間の手が入っているからこそ美しい椿畑をぜひ見ていただきたいですね」(長谷川さん)

太陽の光が椿の葉に当たり、濃い緑から銀色にキラキラと輝いた時、あまりの美しさに思わず足を止めました。ピンクの椿の花が咲き誇る姿ももちろん美しいですが、そんなふとした瞬間を目にした時、自分だけの風景のようで、目に焼き付けたくなるのです。

長谷川さんによれば、大正時代に椿の値段がぐんと上がったそうで、それを受けて国が椿の植林を推奨し、椿畑がどんどん増えていったのだとか。

中にたっぷりと油を含んだ椿の実。ぷっくりとふくらんで、はじけて下に落ちた椿の実を、一つひとつ丁寧に拾っていく。

農家さんから持ち込まれた椿の実を搾油して瓶詰め。原料の採取から製造まで、すべてが島内で一貫して行われる。

雨上がり、椿の花が落ちている風景さえも、美しかった。

枯葉や下草、小枝などを集めて燃やすのも冬の風物詩。いたるところで山から煙が上がる。

東京さんぽ島・利島島の風景に残る様々な痕跡が、島の歴史を知るきっかけに。

見どころがまとまり、島を体感できるビューコースは、宿などが多く集まる集落の中心部からすぐに回ることができます。集落内でところどころ目にするのが、形のそろった美しい玉石の石垣です。その昔、利島に上陸した人は、椿畑と玉石の敷きつめられた集落内の様子が印象的だったという話も残っているのだとか。

「昔は、村の人たちが毎朝ひとつずつ玉石を持って浜から上がってきたそうです。子供も老人も関係なく、最低でもひとつ。持ってくるとお駄賃がもらえたそうですが、かなりの重さなので、大変だったろうと思います。そうした労力によって積み上がったものがこの石垣です。昭和初期までは輓牛もいませんでしたから、動力はすべて人間だったんです」(長谷川さん)

その後、車が走るようになり、玉石が敷きつめられていた道はコンクリートで舗装されてしまいました。しかし、注意して見ていると、堂山神社の参道など、集落の所々に玉石が残っている場所を見つけることができるはずです。

また、集落内で各家庭の庭にあるコンクリートの箱状のものは「タメ」と呼ばれる、雨水を貯める場所でした。昭和39年、利島に水道が通るまで、生活用水は雨水だけでした。

「このタメをよく見てみると、番号が記載されているんですよ。郵便局の向かいにある〈まるみ〉というお店の近くにあるので見つけてみてください。あとは、屋根が広いのも利島ならではだと思います。屋根から雨樋を伝って雨水が入るので、雨を受けるために屋根が広いんです。雨樋がどんなふうにタメにつながっているかを見るのもおもしろいですよ」(長谷川さん)

少しずつ暮らしは便利になり、島の景色は変わっても、その痕跡はいたるところに。日常の中に潜む歴史に思いを馳せる。

集落の北側、坂の上にある堂山神社。参道には玉石が敷きつめられており、昔の名残を感じることができる。

玉石の石垣。荒波にもまれ丸くなった石を一つひとつ積み上げたもの。苔むして自然の一部となっていた。

集落の屋根を見てみると、たしかに広く傾斜がゆるいのがわかる。雨水を受けやすいようにという島ならではの知恵。

東京さんぽ島・利島いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。

「利島は自然の傾斜を生かして作られた道が多いので、くねくねと曲がっていて、まっすぐな道がないんです。細い道も多いので、この先はどうなっているんだろうと思う場面が多々ある。先を見通せない分、少し寄り道したり、道草を食っても、小さい島なので迷うことはないので、おもしろそうだなと思う方向へ誘われてみてほしいですね。コースにこだわる必要はなくて、見たいところ、知りたいところを自由に回ってみてください」(長谷川さん)

この道はどこにつながっているのか、どういう景色が待っているのか、好奇心の赴くままに、あてもなく歩いてみると、いろいろ発見があるはずです。回った後、あるいは前に郷土資料館へ行ったり、島の人に話を聞いたりするのもいいでしょう。島の歴史や風習、暮らしを知ったうえで、もう一度島を回ってみると、さっきまでは気づかなかった景色や今まで見えなかったものが見えてくるはず。そして、もう一度、島を回りたくなるのです。

「せっかく島に来ていただいたなら、より深く知ってもらいたいんです。知っているか知っていないかで見える景色が変わってくるんですよね。島の歴史や椿油を身近に感じてもらえたら」と加藤さん。決められたコースから外れたところにある発見、気づきは、あなただけのもの。その思い出は、自分で見つけた喜びとともに記憶に深く刻まれるでしょう。

「ビューコースと設定していますが、利島はどこでもビューがいいのが自慢です。集落があって、椿があって、その奥には海があって、さらにその先には伊豆半島や富士山が見えて、と立体的な景色が楽しめるのは利島の急坂だからこそ。学校の上にある道からの景色もすごくいいんですよ。学校の芝生、校舎の向こう側には海、どこまでも広がる空が見渡せます。平らな島では見えない景色です」(荻野さん)

のんびり、気の向くままに歩くことこそ、散歩の醍醐味。集落を回るだけでも十分楽しめるのが利島の良さ。自分のペースで自由に気ままに島を歩く。いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。その風景を誰かに教えたくなって、そしてまた訪れたくなる。そんな場所が、東京から行ける離島・利島にありました。

郷土資料館にある椿の木でできた愛らしい入れ物。貴重な映像や展示品など、島の歴史や風習を知ることができる。

朝、散歩していると、港の近くにある漁協で、伊勢海老を出荷するところに遭遇。大きくて立派な伊勢海老は利島の特産品。

港から島を見上げる。中央にはなだらかで美しい形の宮塚山。そのふともには集落。島の周囲は約8kmと3時間あれば回れる大きさ。

島に移住したという隅愛子さん家族と。誰かとすれ違うと、島の人は必ず会釈したり挨拶するのも島ならではの風景。後ろには大島がくっきり。

https://ja-toshima.jp/sanpojima

Photographs:TETSUYA ITO
Text:KAYO YABUSHITA

(supported by 東京さんぽ島 利島)

美観地区の夜景

現在の美観地区の夜景です



こんな感じで和傘をライトアップしているイベントを行なっております(*´꒳`*)



昼間には見ることができない美観地区の顔でした(о´∀`о)

発展させる食文化、対峙すべき環境問題。鮨と日本酒を通して、おいしい以外を考える。

様々な視点から食に関する問題意識と向き合うペアリングを試みた『恵比寿 えんどう』店主の遠藤記史氏(左)と『新政』の福本芳鷹氏(右)。

恵比寿 えんどう × 新政酒造「個性溢れる」鮨と日本酒とのペアリング。その先にある世界とは何か。

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、全国の飲食店や生産者が厳しい状況にある中、「この時期でもあえて」と鮨と日本酒のペアリングに挑戦した『恵比寿 えんどう』店主・遠藤記史氏。パートナーは、「古今に渡る清酒醸造法を詰め込み新たな味わいを目指し醸されている」と言われる『新政』。

「秋田の『新政酒造』を訪れた際、非常においしい酒で感銘を受けた一方、高級ワイン同様に一般的な鮨には合わせずらい酒質だと感じました。『新政』が発祥となる6号酵母を使ったり、生酛づくりや木桶仕込みなど伝統製法に基づいているので特徴的な酸味や甘みがあり、日本酒としての魅力ではあるけれど、現代の鮨に合うかといえば難しいとも感じました。それは代表の佐藤祐輔さんも同じ認識でした。私自身、酒に合う鮨は握りたくないし、佐藤さんも食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。だからと言って“合わない”と結論づけてしまうとこの先には何も発展しないため、互いが目指すベクトルを理解しながら、ペアリングを探っていこうと始めた試みでした。実は、一年前にも同様のペアリングを試みたのですが、課題はあるものの、まだはっきりと見えている訳ではありません。鮨も日本酒も去年と今年とでは違いますし、ブラッシュアップされているので、模索する過程に新たな発見がある」と、遠藤氏。

しかし、それ以前にどうしても中止したくなかった理由がありました。

「今回のペアリングの意義は、味ではなく、様々な問題に向き合いたかった」。

「新たな味わいの日本酒を目指し醸されている」新政とのコラボレーションにあえて挑戦することにより、互いの発展を模索する。

恵比寿 えんどう × 新政酒造自然環境の維持に努めつつ、食文化の発展を模索する。

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』の活動に参加するメンバーのひとりである遠藤氏。『新政』の酒造りに惚れ込むだけでなく、今年もあえてペアリングに挑戦したのには、食文化と自然環境への危機意識がありました。

「これまでの漁業は網や一本釣りなどアナログな方法が一般的でしたが、テクノロジーが発達した現代では獲ろうと思えばいくらでも魚は獲れてしまいます。日本の漁業は危機的な状況にあると言えます。科学技術の進歩と食文化の発展は、単純には比例しないものです。そこには倫理観が絶対に必要で、取り放題になっている漁業は今後、規制しなければならない時代に来ていると思います」と表情を引き締める遠藤氏。

魚の王様とも言われ、鮨の花形でもあるマグロの中でも、世界中で乱獲が進み絶滅危惧種に指定された太平洋クロマグロについて「ほかの魚を代用するのは正解ではない。イナゴが別の畑に行くようなもので、結局は次のマグロやウナギを生むだけ。現状に対しての解決策になっていません」と、遠藤氏。

フレンチやイタリアンと比べ、魚を主役としている鮨店でサステナブルな活動を続けることは難しい立場に立っていると言えます。

「水産資源と環境に配慮した漁業で獲られた天然の水産物であるMSC認証の基準に照らしたら、鮨に使える魚はほとんどありません。けれど魚を一番使う鮨屋だからこそ、自然環境の維持に努めながら食文化の発展を模索するべきだと思っています。新型コロナウイルスの影響を受け、飲食店はどこも厳しい状況にあります。そうした中、仮にマグロの漁獲量が増えたとしても、何もしないでいたら食文化史には空白の時間ができてしまう。自然も食文化も一度消えてしまったら、復活させるのは困難です。いつの日か新型コロナウイルスが終息し、過去を振り返った時、食文化を発展させたことを証明するためにも足跡(ペアリング)を残す意義があると思ったのです」と、語ります。

様々な産地へ訪れ、魚が育つ環境を肌で体感する遠藤氏。「ただおいしい魚を仕入れるだけではいけない。自然の変化に耳を傾け、自らの目で見て確認することが大切」と遠藤氏。そして「マグロの漁獲量にしても身質にしても新型コロナウイルス後の方が明らかに向上している。人の活動が停止したことによって海の環境は向上した」と、遠藤氏。

約15年ぶりの大雪に見舞われるなど、2021年はとりわけ寒さが厳しい秋田。Photograph:SHINGO AIBA

生酛造りに挑戦するなど、昔ながらの日本酒造りに回帰する一方、クリエイターとのコラボレーションにも意欲的な『新政酒造』。Photograph:SHINGO AIBA

すべて純米作りに転換し、酒米は全量「秋田県産米」、昭和初期に5代目蔵元・佐藤卯兵衛が自蔵で発見した現存する最古の市販清酒酵母「6号酵母」にこだわる。Photograph:SHINGO AIBA

創業1852年の『新政酒造』従来の常識を覆す革新的な酒造りのトップランナー。Photograph:SHINGO AIBA

恵比寿 えんどう × 新政酒造志へのオマージュを込めた、パッションのペアリング。

この日実現した鮨と『新政酒造』のペアリングは、スッポンからスタート。次々と料理が供された後、握りにもそれぞれの個性を捉えた『新政』が登場します。

遠藤氏の傍らで瓶を片手に差配を振るうのは、『新政酒造』の福本芳鷹氏。北海道札幌市の名店『鮨 一幸』にて腕を磨いた後、酒造りの道へ転向した異色の経歴を持つ人物です。ゆえに、鮨職人の想いを一番知る酒人と言っても過言ではありません。

鮨と日本酒、どちらも作り手の立場をよく理解する福本氏はフランスのあらゆるワイン産地で活躍するワイン仲介業者の「クルティエ」のように、提供者として酒蔵と飲み手との関係を繋ぎます。

例えば、柑橘類や三杯酢を合わせる蟹料理には、白麹仕込の純米酒「亜麻猫」を。白麹に含まれるクエン酸で甘酸っぱいニュアンスを柑橘類や三杯酢の酸味に置き換えるなど、福本氏の発想とアプローチは眼を見張るものばかり。温度帯の変化があるのも、日本酒ならではと言えます。

「飲食店で日本酒を扱うには更に掘り下げる必要性があると感じ、酒造りの現場でより本質を知るために『新政酒造』の門を叩きました。遠藤さんのように理解のある人と組めるのは、非常にありがたいです」と、福本氏。

「冒頭でもお話ししたように、『新政』は伝統や地域性を表現することを目的としているために、食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。しかし秋田の風土にこだわり、それを大切にして酒造りをしているところにこそ惹かれました。日本酒も鮨も、自然を抜きにしては成り立ちません。味そのものの相性というよりも、志へのオマージュを込めたパッションのマリアージュができれば良いと思いますし、それが伝わって欲しい」と、遠藤氏は語ります。

スッポン×2018年収穫米より木桶仕込みがはじまった「涅槃龜(にるがめ)第7世代」、蟹×「見えざるピンクのユニコーン2016」。

左より、あん肝×EXILE橘ケンチ氏とコラボによる「陽乃鳥 橘(ひのとり たちばな)」、キュウリの塩麹漬け×「農民藝術概論2019」。

左より、ウナギ、カラスミ×「紫八咫2013(むらさきやた)」、金目鯛、メヒカリ×酒米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

和歌山県串本産の鰆×『新政』の中でもスタンダードな銘柄「生成 2019 -Ecru-」。

金目鯛の握り×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

「異端教祖株式会社2016」には、マグロ中トロと赤貝を合わせる。

くじら×脂がのったクジラに合わせて、オーク樽貯蔵したお酒で仕込んだ貴醸酒「陽乃鳥」。

マグロの赤身×「異端教祖株式会社2016」。

左より、イカ×「亜麻猫 改」、海老×飯米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

左より、ノドグロ×菩提酛で醸した「翠竜(すいりゅう)」、ホタテ×「生成 2019 -Ecru-」。

左より、締め鯖×「異端教祖株式会社2016」、穴子×「紫八咫2013(むらさきやた)」。

手巻きのトロたく×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

美味の締めくくりに供されるお椀。クリアな旨味と温かみで食後の余韻も長い。

恵比寿 えんどう × 新政酒造現代生活の向上と自然環境の維持、目指すは「両立」。

2020年より世界を難局に迎えた新型コロナウイルスをきっかけに、遠藤氏は「様々な分野での両立が大切」だと語ります。

ペアリングの締めくくりでもあるマグロについては、「自然環境の保護と食文化の発展」。新型コロナウイルスについては、「感染予防と飲食店の営業」。「それぞれを両立させなければいけない」と、遠藤氏は話します。

「地球温暖化が進み、台風の発生回数も年々増えていますが、このコロナ禍で人の移動や経済が止まったことにより、自然環境への負担が減り生態系にはプラスになった。マグロに関して言えば、新型コロナウイルス以降の方が漁獲量も身質も圧倒的に向上しています。とは言え、人間は文明がなかった石器時代には戻れません。現代生活の向上と自然環境の維持が選択肢としてどちらもある以上、両立を目指すべきだと考えます」と、遠藤氏。

音楽の仕事で渡ったニューヨークで日本酒に開眼し、帰国後、酒造りにも携わることになった福本氏は、日本酒業界をグローバルな視点で客観視します。

「日本酒に対しては、海外の方がより柔軟に楽しまれています。日本の食文化がグローバル化し、世界に広がる中、本物を追求するなら日本にわざわざ求めにくる。それほどの価値を構築しなければならないと思っています。『新政』に在籍して3シーズン目になりますが、秋田は約15年ぶりに寒波に見舞われるなど今年は特に寒い。温暖化の影響か自然環境の変化も実感しています。新型コロナウイルスの影響で社会は目まぐるしく変化していますが、酒造りはもともと人間の都合より微生物の都合が優先。翻弄されているのは常に人間の方です。遠藤さんが海の生態系や自然環境に問題意識を持つのと同様、例えば、お酒づくりの工程で副産物として大量に出る酒粕をエネルギーに転換できないか、蔵人たちも考えています。新型コロナウイルスによって日本酒や鮨、ひいては日本の食文化について考える機会を与えられたと思い、これからもシンクロしながらペアリングの意義を深めていきたいです」と語ります。

外食応援のプロモーションとして、あるいは集客や収益アップを目的としたイベントも数多く見受けられる中、食文化の発展や環境問題と向き合うことを目的にした『恵比寿 えんどう』×『新政』のペアリング。

ただおいしい、ただ食べるという行為を超えたその意義は、来年、再来年、更にはそれ以降もやり続けることによって解が見出されるのかもしれません。

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
電話:018-823-6407
http://www.aramasa.jp


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

全てを失った酒職人の人生に密着。松本日出彦、もう一度立ち上がる。

松本日出彦原動力は心。酒造りは生きること。

2020年12月31日。

自身の蔵である『松本酒造』を父親と共に去ることになった松本日出彦氏。

予告ない報告となってしまったその急転直下に周囲はもちろん、一番現実を受け入れられなかったのは松本氏本人だったと思います。

「冬に酒造りの現場を離れることは、酒造りに携わってから初めてのこと。まるで悪い夢を見ているようだった」。

しかし、残念ながらその夢から覚めることはありませんでした。

以来、内に篭ってしまい、心を閉ざしてしまった松本氏ですが、家族や仲間の支えもあり、もう一度立ち上がる決意を魅せます。

「スパンと断ち切った。自分の意志で、もう一度酒造りをしたい」。

『松本酒造』も『澤屋まつもと』も『守破離』も、全てを失った松本氏には何もありません。

「失ったからこそ、得るものがあった。気づけたことがあった。ただの不幸に終わらせるわけにはいかない。この出来事をどう捉えるかは自分次第」。

その原動力は、どこから湧き上がるのか。

「心」です。

場所や環境を奪われたとしても、心までを奪うことはできません。

「何もかもなくなった時、心の中に何が芽生えるのか向き合うことができた。自分は何がしたいのか。自分は何者なのか」。

絞り出されたその答えは、自分は酒造りがしたい。自分は酒職人として生きたいということでした。

もう恐れない。怖いものは何もない。あとは這い上がるだけ。

「その一歩は、踏み出した」。

松本日出彦が奮起する人生に密着します。

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photograph & Text:YUICHI KURAMOCHI

倉敷遊膳でしか買えない箸

皆様こんにちは!!

いかがお過ごしでしょうか??

今日の倉敷はものすごく暖かく小春日和の1日でした(*´꒳`*)

早く春が来てくれると嬉しいんですけどね〜(冬好きの方ごめんなさい)

暖かくてわんちゃんも動きたくない〜ってなってました笑



暖かくなると思い出す〜(´-`).。oO

春は出会いと別れの季節です(*´꒳`*)


そんな入学式や卒業式などの贈り物におすすめの商品がこちら



デニムストリートの隣店である

倉敷遊膳でしか買えないデニム箸(*´∇`*)

なんと、お箸にお名前や文章の彫刻を無料で行なっております!


そして、こんな感じで文字の彫刻も可能です

文字を彫ることで世界に一つだけのマイ箸が完成します!!


デニム箸以外にも沢山のお箸を取り揃えておりますがデニム箸は倉敷遊膳でしか買えません
♪( ´▽`)

お箸の大量注文も承っておりますのでお祝い事やお返しなどにもおすすめです(*´꒳`*)

倉敷へお越しの際はデニムストリートも、寄っていただきたいですが是非隣の遊膳にもお越しください(・∀・)



予測不能な時代に立ち向かう、「食」の未来を拓くプロデューサーに求められる「学び」とは。 [FOOD CURATION ACADEMY]

フードキュレーター・宮内隼人(左)とワインソムリエの大越基裕氏(右)。得意とする領域は違えど、幅広い食への探究心と知識を活かし活躍するふたりが、「学び」をテーマに語り合う。 

特別インタビューなぜいま「学び」が必要か。新たな視点で「食」を見つめ直すために。

2020年12月、『ONESTORY』は新しい学びの場をスタートしました。

その名も、『FOOD CURATION ACADEMY(フードキュレーションアカデミー)』。

この10年で私たちが暮らす世界は大きく変わりました。特に、この1年で勢いはますます加速。「食」を取り巻く世界もまた、環境問題や食糧危機といった地球規模の問題から、フードテックの進化、そして新型コロナウイルスがもたらすさまざまな制約まで、従来の常識をアップデートしていかなければ対応できないような大きな変化の中にあります。広く柔軟な視野で、今までとは違ったアプローチで「食」を捉えなおす発想力が必要です。

『FOOD CURATION ACADEMY』は、これからの時代に求められる「食」領域を横断的にプロデュースする力を「フードキュレーション」という概念で捉え、この概念を様々な方と共有し、深め合い、高めていくための場です。

コロナ禍のため、まずはトライアルとしてオンライン動画配信で4つの講座を開講。世界を舞台に最先端のクリエイションを実践するトップシェフと、アカデミックな分野の専門家による対談という『ONESTORY』ならではのペアリングで、「食」分野の旬のトピックを深掘りしていきます。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座をより有意義に楽しんでいただくために、『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人と、日本を代表するソムリエ・ワインディレクターとして多岐に活躍する大越基裕氏へのインタビューを行いました。

「食」業界で横断的に活動をする二人は、日々どのように自らをブラッシュアップしているのか。『FOOD CURATION ACADEMY』では何を学べるのか、そして「食」の未来を切り拓くために必要な「学び」とは何なのか。 

「食」のプロフェッショナルが実践する「学び」について迫ります。

料理人を経てフードキュレーターへ転身した宮内。料理人として培ったセンス、豊富な食材知識、日本各地を巡り様々な生産地で深めてきた経験をもとに、次々と新たなクリエイションを仕掛ける。 

特別インタビュー体系化できない「食」の学び。だからこそ予測不能な出会いが必要。

宮内は、テーマの選定や登壇者の人選など『FOOD CURATION ACADEMY』講座の立ち上げから中心メンバーとして携わってきた一人。

今回のオンライン講座のテーマである「ウェルネスフード」「ローカルガストロノミー/地質学」「香り」は、今まさに宮内自身が深掘りしたいトピックスでもありました。

「食を体系化することって本質的には無理だと思っています。理系にも文系にもあらゆる学問が食と関係しているし、領域をはみ出せばビジネス論やマーケティングにも広がっていく。カリキュラムを一つ一つこなしていくというよりは、新しいことを知っていくところにフードキュレーションの学びがあると考えています」と宮内。

「食」に求められる領域が急速に拡張されているからこそ、フードキュレーターに必要となるのは、貪欲に新しいことを学びつづけること、知りたいと思う好奇心であるとも言えます。

「「地質学」は、これまで一切触れたことがない人も多い分野じゃないかなと思っていて、だからこそ、そんな未知な分野とガストロノミーを掛け合わせて語れる先生がいると知ったとき、「これは面白い!」と興奮しました。ローカルガストロノミーの最前線で戦うシェフの実践的な話を、先生のアカデミックな話で裏付けできたらめちゃくちゃ勉強になるなと確信しました」

『FOOD CURATION ACADEMY』が一番こだわったのは人選。とにかく何ヶ月もかけて『ONESTORY』でなければできない登壇者の組み合わせが徹底的に検討されました。本を読めばわかる学びではない、ある種どうなるのか予測不能な、知と知の掛け合わせこそが『FOOD CURATION ACADEMY』講座の最大の特徴です。

「今回の4つのテーマはあくまで抜粋であって、もちろん全てではありません。幸いにも動画を見てくださった方には、こういうことも「食」と関係があるんだっていう興味関心を持っていただいて、次のアクションにつなげていっていただけたらと思います。普段のルーティンの中にはない出会いや気づきがあるはずです」

『DINING OUT』で、宮内は食材のリサーチを担当。開催の半年前から現地に足を運び、生産者との深いつながりを築きながら、何百という食材を見つけ出していく。 

特別インタビューあらゆる「学び」は食につながる。フードキュレーター・宮内隼人の「学び」の原点。

「料理人だった時は勉強をしたいという気持ちは強くあっても、やり方もわからないし時間もお金もない。当時はSNSもありませんでしたから、新しいことを知ることのハードルがすごく高かった。料理を本から学びたいと思って本屋に行っても、料理のコーナーにはレシピ本ばかり。料理とは全然別の本棚で偶然見つけた「食品学」の本に、こんな世界があるんだという発見が詰まっていました」

学びたいという意欲があっても、知らないと広がらない世界がある。本棚での新しい知識との出会いの衝撃が、宮内の「学び」への意欲をますます高めていきます。さらに転機となったのが、『DININGOUT』への参加でした。

「レストランの外に出て、視点の高さを上げたところに設定して俯瞰すると、ものすごく世界が広がった」と宮内。世界が広がると、自然と学ぶべきことも明確になっていく。その後、『ONESTORY』に入社しフードキュレーターとして活動するようになると、地方ではヒヤヒヤするほど刺激的な野菜や面白い生産者の方に出会い、「学び」の幅は縦横無尽に広がっていきます。

本から得る学びだけでなく、現場で知る学び。オタクになるための勉強ではなくて、血肉にしていくための学び。

「フードキュレーターは、専門家でも研究者でもなくて、何かと何かを掛け合わせて新しい価値を作っていくプロフェッショナル。知っていることが多いほど、いろいろアプローチが考えられるだろうし、スピード感も違います。終わりがないからこそ、まずは自分の興味があるところから広げて補完していくのがいいのかなと思います」

では、宮内自身は今どのようなことに興味を持っているのか。聞いてみれば、「今はUXデザインのことを勉強していて、簡単なCADを作ってみたり、ブランディングについて深掘りしたり、海外のレシピ本からナチュラルなベーコンの作り方を学んだり、この本も面白かったですね……」と止まらない。その時々のプロジェクトに応じて、あらゆる方向に「学び」を自在に拡張させていくことはなんだかとても面白そう。

「以前『茶禅華』の川田シェフにお会いしたときに、孔子の兵法についての分厚い本を読んでいらして、探究心の深さに衝撃を受けました。最近も「今年は茶道と蕎麦について学びたい」と仰っていて、とにかく一番時間がないはずのトップシェフたちが一番勉強をしている姿を日々、目の当たりにしています」

新しく知ることが新しいクリエイションへとつながっていく面白さを実感するからこそ、「学び」への意欲は尽きることがないのだろう。

宮内にとって、日本各地で出会う食材生産者との対話は何よりの楽しみであり最大の学び。 

現場には、市場に流通する野菜からは想像もつかないような世界が広がっている。 

特別インタビュー能力をアウトソースしあい新たな価値を作っていく。フードキュレーターが創る「食」の未来図

学び続けているプロフェッショナルといえばもう一人、宮内が気になっている人がいました。
ソムリエ、ワインディレクターとしてさまざまなプロジェクトに携わり、自身でも2つのお店を経営されている大越基裕氏。

大越氏は『FOOD CURATION ACADEMY』講座をどのように見たのか。

「僕が目指してやってきたこと、今ちょうど興味を持っていることの延長線上にあって、そのことがすごくうれしくて共感することも多かったですね。食の業界を「飲」と「食」に分けて考えたとき、「食」の世界は僕らのいる「飲」の世界よりも進んでいるなと改めて感じました。講座 #1での君島さんの提案も素晴らしかった。「食」に対して世の中から必要とされていることが、レストランの中だけで完結することではなくなってきている以上、そこまで考えるのが当然だよねって。でも「飲」はまだそこに追いついていない感じがしています。この10年、僕がかなり力を入れてペアリングをやってきたのも、そういう思いがあったから。シェフとレストランが、社会にまで思いを馳せて表現をしているのに、僕らがワイン選びで流れを断ち切ってしまったら意味がない。味と味のペアリングももちろん重要だけど、バックグラウンドにある思いを結んでいくためのセンスを磨いていかないといけないと改めて強く感じました」

「飲」と「食」をつなぐ新たな価値の提案をしてきた大越氏の活動はフードキュレーターそのもの。フードキュレーターとしての自身の実践と重ね合わせて、他にもこんな気づきがあったと言います。

「シェフだけでなく、講座 #1に登壇されていた菊池さんのお仕事もすごく面白かった。間を取り持って価値をつくっていくまさにフードキュレーションの仕事。さまざまな分野にフードキュレーションの能力を持つ人間がたくさんいて、互いの強み同士をアウトソースしあえるということにすごく未来を感じました。今までのプロフェッショナルは自分の分野のことだけに特化していて、他の分野のことは考えてもいなかった。でもフードキュレーターは違う。フードキュレーターという職業が将来的にもっと広がって、プロジェクトごとにチームを再編成していけば、食業界にもいろいろな可能性が出てくるだろうなと感じました」

日本を代表するトップソムリエの大越氏。自身が経営する『Andi』『An Com』ではそれぞれモダンベトナミーズとワイン、日本酒とのペアリングを提案している。 

特別インタビューワインディレクター・大越基裕が考える、これからの「学び」


レストランを飛び出し、かつて誰も歩んでこなかった新しい道を切り拓いていった大越氏。ターニングポイントは何だったのでしょうか。

「二十歳になるまで海外に行ったことがなかったのですが、二十歳のときに初めてフランスに行って、こんなにも得るものが大きいのかと衝撃を受けました」と大越氏。帰国後しばらくして再びフランスへ留学に。

「1回目よりも2回目に行った時の方が圧倒的に得るものが大きかったです。それは、何を得るために行くのか自分で明確に理解していて、計画を立てていたから。いま世界が変わってきている中で、僕らに求められることも変わってきています。情報も圧倒的に得やすくなっている分、ただ海外にいけば良かったという時代ではもうなくて、だから何ができるのか?ということが求められる時代。言ってしまえば、海外に行かなくともできることはたくさんありますし、学び方も変わってきている」

漫然と「学ぶ」のではなく、何かを得たいという自覚を持って「学ぶ」ことの大切さ。また、情報が簡単に手に入るようになったことで「人とのつながり」が希薄になっているとも大越氏は指摘します。

「どんなビジネスも信頼があってのこと、人と人のつながりが根本にあります。でもデジタルが進んで、コロナになって、その大切な部分が希薄になってきている気がします。そこをもう一度見直す必要がある。僕らのお店でもファンがファンを作ってくれている。ファンベースを作りましょうということを常々スタッフにも話しています」

「人を思う」ことは、決してサービスに対してだけ言えることではない。それぞれの立場から、生産者に思いを馳せ、シェフの思いを汲み取り、現場の声を知る。人と人、知と知をつなげていくフードキュレーションには、相手のことを考え、想像力を働かせることが不可欠。

「ワインのことばかり勉強していてはフードキュレーターにはなれない。シェフがどんな思いで料理を考えているのか、食材を選んでいるのか、生産者はどうか。そのマインドまで想像力を働かせること、相手のことを考えることができて初めてキュレーションが成り立つ」と大越氏。

「僕はワインを輸入しているわけでも、作っているわけでもないし、葡萄を作れるわけでもありません。僕ができることは、そこをつないで行って、最後にちゃんと「食」の喜びにつなげていくことだけ。責任と誇りを持って、クオリティを高いものに完成させていくことが僕らの責務です。その落とし込みをするのがフードキュレーターの仕事の一つだと、講座を見てさらに感じました」

血肉となる「学び」は机上では完結しない。世界に目を向け、人に触れ、未知と出会い、思いを巡らせる中に、いくつもの種が散らばっているはず。『FOOD CURATION ACADEMY』講座もそのとっかかりの一つ。
世界を見るシェフたちが今何を思うのか、その言葉に耳を傾けることからはじまる「学び」があります。

世界各地で、さまざまな生産現場、生産者と出会ってきた大越氏。自然と共存することが求められる生産者の姿に、これまでたくさんの影響を受けてきた。 

「僕らのやっている仕事の基本は人と人。人とのつながりをもっと大切にしないといけない」と大越氏。 

1976年、北海道生まれ。ワインテイスター / ソムリエ International A.S.I Sommelier Diploma WSET Sake Level3 & Educator 『銀座レカン』シェフソムリエを経て、2013年6月にワインテイスターとして独立。世界各国のワイナリーやレストラン、蔵元を周りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や執筆、IWCなど国際品評会の審査員などもこなす。ロジカルなペアリング技術にも定評があり、ワインだけではなく、日本酒や焼酎を和食以外のレストランで提案したパイオニアの一人である。自身でも外苑前『An Di』、広尾『An Com』を経営し、最先端なアジア料理と共に世界中の様々なスタイルのワインと国酒を提供している。地元北海道では農業にも携わっており、幅広い分野で活躍している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

Text:AYANO URATANI

壱岐らしさって何だ? 壱岐を伝える酒のために壱岐でとことん本質を探す。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐島の最高地点・岳の辻展望台からの夕景。静かな島には神秘的な風景がそこかしこに広がる。

壱岐ジンプロジェクト壱岐を知ることから始まったジン造り。

コロナ禍に長崎県の離島・壱岐で始まったクラフトジン造り。
それは島の美しさを若い人にもどうにか届けたいと願う若きホテルマンの情熱と、壱岐を代表する焼酎蔵の強いこだわりがタッグを組むことで動き出しました。まだまだ試行錯誤の連続ですが、『ONESTORY』では2021年3月の完成を目処に調整を重ねるジン造りに密着。ジンという新たな酒で、小さな島に巻き起こる奇跡を目撃しに、寒風吹きすさぶ冬の壱岐をキーマンふたりと回ったのです。
(キーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島健太郎氏と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏の詳しい紹介はこちらにて。)

ずばりテーマは壱岐らしさを表現すること。
壱岐を発祥とする麦焼酎に壱岐で採れる野菜や植物などを漬け込み、それらを再蒸溜します。ベースに使う麦焼酎の仕込み水も壱岐の地下水。更には焼酎の素となる麦や米も壱岐産ということで、まじりっ気なしの壱岐のジンを目指すといいます。それは壱岐の素材にこだわり続けた『壱岐の蔵酒造』だからこそ、なし得た酒。焼酎造りの根幹でもある、メイド・イン・壱岐をジン造りに惜しげもなく使うと『壱岐の蔵酒造』代表の石橋福太郎氏は明言しています。

ただし、素材をただ壱岐産にすればいいというわけではありません。ジンを構成する大切な要素の香りと味も壱岐らしさが出るものにしたい。そうしてふたりがまず訪れたのが『壱岐ゆず生産組合』でした。

「壱岐はね、ゆずの一大産地なんです。柚子胡椒などがとても有名で、冬の時期にはたわわに実るゆずが島のあちこちで見られるんです。ウチでもゆずリキュールがとても人気で、その知識をジンにも活かしたいと思います」とは、壱岐の蔵酒造代表の石橋福太郎氏。

「ゆずって柑橘の中でも独特の和の香りがあると思いませんか? 日本らしさというか、他の柑橘にはない爽やかさ、それを壱岐のジンの主要な香味のひとつにできたら素敵ですよね」と壱岐リトリート海里村上の貴島健太郎氏。

ジン造りのキーマンふたりは、すでにゆずの使用は決めている様子。そして『壱岐ゆず生産組合』の加工場を訪れるとすぐに嬉しい悲鳴を上げたのです。

【関連記事】IKI’S GIN PROJECT/やっかいもののゴミを酒に変える!壱岐の豊かさを知った若きホテルマンが焼酎蔵へジン造りを依頼する。

江戸時代には、平戸藩統治下の重税のため、島民は米でなく麦が主食だったそう。その余った麦を蒸溜した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型。

皮を剥いたゆず。これがすべて廃棄されている現状に驚かされる。

ゆずの畑も訪れたふたり。黒ずんだ実は、そのまま落下まで完熟させて捨ててしまうと聞いて、それも欲しいと懇願。

壱岐ジンプロジェクト廃棄物の数々こそが壱岐を表現する重要アイテムに。

「えー、これ全部廃棄に回っちゃうの? それは勿体なさすぎる! 全部欲しい!」。声の主は石橋氏でした。出くわしたのは、ゆずの皮むきの工程。専用の皮むき機を使い数秒でゆずひとつが丸っと剥かれていくのですが、なんと皮以外の中身は捨てられてしまうというのです。とても勿体ない話ですが、ゆずの生産量に作業量が追いついていないのと、皮の価値ほど中身に需要がないのがその理由だと、『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏は教えてくれます。

「これ、そのまま漬けたらすごい贅沢ですね。この部屋に充満するゆずの香りがそのままジンに引き継がれるわけですから」と貴島氏も興奮気味です。

更には少し黒ずんだもの、果汁を搾った後の搾りカスなども見て回り、それら全てが現状では廃棄に回ることを知り、それぞれを漬けてみたいとふたりの声は熱を帯びたのです。
長嶋氏もまた、持て余していた壱岐のゆずが生まれ変わるならば好きなだけ持っていってくださいと、笑って言ってくれました。

壱岐を代表する柑橘のゆず。その新たな使い道に手応えを感じたふたりは、その足で『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場勝利氏のもとも訪れます。
「2020年は台風の影響などで2~3割しか出荷できないかもしれない……」。話は「麗紅(れいこう)」というみかんに関してです。「清見」と「アンコール」の交配で生まれた系統に「マーコット」を交配した品種で、同じ交配により生まれた別の品種に人気の「せとか」があるなど、その味は折り紙付きで、近年めきめきと人気を上げる品種がなんと大ダメージを受けているというのです。
「木にはこんなにたわわに実っているのに、出荷できないなんて」と驚く貴島氏。

「ちょっとしたことなんだけど、色が悪かったり、傷ついていたり、成長が遅かったりで大部分が基準以下なんですよ。くやしいけど仕方ない」と馬場氏。
そんな中、貴島氏は許可を得て、出荷できない麗紅をもぎ、その場で齧(かじ)ってみました。
「苦いし、酸っぱい! でもすごい強い香りです(笑)」と貴島氏。
「そりゃそうだよ、まだ完熟前なんだから」と馬場氏が笑います。その笑顔につられるように、冬の圃場に温かい空気が満ちていくのです。

「これも絶対に試してみよう。他にも壱岐にはたくさんの柑橘があるから、チェックしないとだな」と石橋氏。事情を説明した『JA壱岐市柑橘部会』の馬場氏も大いに頷き、出荷できない麗紅の漬け込みはもちろん、壱岐の柑橘もテストさせて頂くことに。

これらと同じように廃棄される果実や野菜はまだまだあると、その日生産者巡りをアテンドでしてくれたJA壱岐市の松嶋 新氏は教えてくれました。
アスパラガス農家の西村善明氏の元では、出荷時には大きさを揃えるために一番美味しい根元の部分は切ってしまうと聞かされ、更にその量が壱岐だけでも年間3トンに及ぶと聞き、驚愕させられます。
イチゴ農家の松村春幸氏のハウスでは、ちょっとした傷があるだけで、傷みの早いイチゴはスーパーマーケットに並ぶ際にはその傷が傷みになってしまうので、出荷できないと教えてもらいました。

「全部美味しく味わえるのに、世に出せないものがこんなにあるんですね」と貴島氏。
「だからこそ、そういう廃棄される野菜や果物でもジンにすれば無駄なく使える」と石橋氏。
廃棄される野菜や果物を少しでもお金に換え、島の農家をサポートできるジン造りは、今、世界中で叫ばれるSDGsの活動そのもの。持続可能な島の農業の一助となるかもしれません。

台風の被害で傷ついた麗紅。収穫前だが、2020年は出荷を断念する実が多数ある。

『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場氏の話を聞きつつも、傷ついた実に興味津々の貴島氏。

上記は全て出荷の段階でハネられた傷物イチゴ。本当に小さな傷があるだけで出荷は見合わせられてしまうという。

壱岐ジンプロジェクト最後は心意気まで酒に詰める。それが壱岐のジンの形に。

「壱岐らしさってなんですかね? もちろん柑橘やイチゴは絶対に美味しいのですが、それらだけで壱岐のジンって言えますかね?」と話す貴島氏。ホテルマンの貴島氏は出来上がったジンをホテルの夕食時にペアリングで出せたらと夢見ます。その際に、更に「壱岐」を感じてもらえるような圧倒的な個性が欲しいと望むのです。
翌日訪れたのは、壱岐で幻のニホンミツバチではちみつを作る冨山一子さん。
「壱岐の季節の花々の蜜がウチのはちみつの素。味わえば、壱岐を感じてもらえると思いますよ」と冨山さん。
現在、ほぼひとりで作業を行う冨山さんのはちみつは、無農薬で育てられた花の蜜。それは味わうとすーっと身体に染み入るものでした。しかし生産量はごくわずかで、一般にはなかなか流通せず、高価です。

「実際に価格が高いので、とても材料として使えるはちみつではないんですが……」と前置きしつつ、冨山さんはこう続けます。「でもですね、今回、お世話になっている『壱岐リトリート 海里村上』さんと壱岐を代表する『壱岐の蔵酒造』さんが壱岐の名物をと動いているのを知り、何かお役に立てればと思っているんです」。
蜜を搾った後のハチの巣を提供してくれるというのです。ひとりでの作業が追いつかず、冷凍庫に眠るハチの巣は、実際には引く手あまただというのですが、ご自身で保存している分を壱岐の未来のために分けてくれるというのです。

「季節の壱岐の花を使ったはちみつ、すごいですね」と貴島氏は喜び、「これはすごい後押しです」と石橋氏は恐縮します。

更に北インド産のスーパーフードとして注目されるモリンガを壱岐で作る松本マサ子さんの元を訪れ、試させてほしいと懇願。ふたりの熱意にほだされて松本さんも頷いてくれたのです。

我々『ONESTORY』も、こうしたふたりの動きが、確かに島の生産者さんに着実に伝播していく瞬間を目撃。新たなものを生み出す障壁を軽々と飛び越えるのは、人を動かす情熱なのだと教えてもらったのです。
他にも試してみたのは、ウニの殻、温泉の結晶など、壱岐で思い浮かぶもの色々。いよいよ次回は完成のタイミングに立ち会います。果たして味や香りはどうなるのでしょうか? 更にはラベルにボトル、ジンのネーミングまで? 壱岐らしさを追い続けたクラフトジンが、ついにお目見えです!

冨山さんの養蜂場にて。年間を通して花が咲くのが壱岐のいいところだそう。

ちょっとした談笑ですら、息を呑むほどの絶景の中にて。これこそが壱岐らしさなのかもしれない。

壱岐でモリンガを生産する松本さん。年齢を聞いて思わず聞き返してしまうほど若々しさに溢れている。「それはモリンガのおかげよ」と松本さん。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

「地域には地産地消だけではない循環の仕組みが必要。そして、地球の資源・水を守りたい」LA CASA DI Tetsuo Ota/太田哲雄

「地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みをつくるべき」と太田氏。

旅の再開は、再会の旅へ。今も昔も同じ。派手なことをやるつもりはない。長野に根ざしたお店作りを地道に続ける。

2019年6月、軽井沢の別荘地にある1軒の瀟洒(しょうしゃ)な建物に『LA CASA DI Tetsuo Ota』はオープンしました。

その主人は、太田哲雄氏です。

ご存知の方も多いと思いますが、太田氏と言えば「アマゾンカカオ」。アマゾン産のカカオの中でも厳選した高品質なそれを世に送り出し、日本のレストランシーンに多大な影響を及ぼしています。

ゆえに、ここはレストランでもあり、カカオラボでもあります。

軽井沢の店ですが、軽井沢だけにフォーカスしたくはありません。僕は白馬に生まれ、自然に囲まれて育ちました。長野県人として、長野全体のために何ができるかを考えたい」と言う通り、その食材は多彩。白馬の川魚も信州牛や北信州のそば粉、あるいはイタリアのハムやチーズ、ペルーのカカオもしかり、自身が知りうるあらゆる手段を使い、太田哲雄というシェフの半生を料理に表現していきます。

地元と地元以外。その両輪のバランスが、やがて太田氏が「地産地消の一歩先」と語る地域創生を実現するのかもしれません。

開店後、早々に予約困難の人気店に。この「家」を訪ねるためだけに旅をする人も少なくありません。2020年に世界に難局をもたらしたコロナ禍においても「集客に大きな影響はありませんでした」と話します。

「緊急事態宣言が出てしまった時には約1ヶ月お店を閉めましたが、以降は日数を減らして夜営業をできるだけ昼営業にしていました。その分、お菓子(TETSUキャラメルポップコーン)の製造に力を注いでいました。卸販売が基本ですが、個人受付も始めました」。

しかし、全てが『LA CASA DI Tetsuo Ota』のような状況ではありません。代表的な観光地・軽井沢はどのように変化したのでしょうか。

「軽井沢は誰もが知る観光地ですが、元々の地の方々は閉鎖的です。観光業を生業とされている方とそうではない方の県外からのお客様に対しての向き合い方が違います。観光業の売り揚げは全てに差が出過ぎてしまっています。流行っている場所やお店は何も特に変わらず、反対に昨年よりも売り上げを伸ばしています。一方、集客に困っていたところは状況が更に酷くなっています。地域に密着しながら、軽井沢だけではなく、長野県全体的な関わりを考えながら共に歩んで行くことが大切だと思います」。

今、地域に必要なこと何か。それは、「循環の仕組み」だと太田氏は言います。

地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みを作ってもらえると嬉しいです。そして、一番の願いは、日本の資源を守る対策。中でも水源は切に思います」。

水は人の命に必要不可欠な源であることはもちろん、他種の生命体や植物を始めとした自然においても大切な源であり、地球の資源。

また、太田氏が実行する循環の仕組みは、食に限った話ではありません。お菓子の製造ラインには地元の高校生や高齢者も積極的に採用し、雇用の循環も積極的に行っています。

「派手なことをやる必要はありません。地道に長野県に根ざすお店作りを目指しています」。

地道――。未だ世界中に暗雲は立ち込めていますが、歩むべき正しい道は、それぞれが根ざした「地」と真摯に向き合い、生きる「道」なのかもしれません。

「世界という広義に見れば、ヨーロッパや中南米の現状は日本よりも逼迫していると思います。ほかの国が困っている時ほど助け合う精神が必要だと思います。今なお、不安な日々が続いていますが、自分は自分にできることをやるだけ。『LA CASA DI Tetsuo Ota』へ訪れてくださるお客様がほんの束の間、安らいだ気持ちになってくれる場所でありたいと思います」。

7つのパーツに分かれ、それぞれに異なる有用性があるカカオ。「食材を生かすということは、食材を知ること。生産者に胸を張れる料理であること。それを模索するのはシェフの務めです」と話す太田氏。

アマゾンカカオを使ったオリジナルポップコーン「TETSUキャラメルポップコーン」も販売し、好評を博している。

「得度を受け、定期的に高野山に上がっています」と言う太田氏。「高野山」にもお菓子を納め、カカオと湧き水を合わせて精進の世界でも受け入れられるお菓子作りも始めている。

「得度受けてからの変化は、癒しを求めに来られるお客様が増えました」と太田氏。湧き水の水源も毎回整える。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字発地342-100 MAP
電話:0267-41-0059

Text:YUICHI KURAMOCHI

響き合い、混じり合い、影響し合う。文化におけるコラボレーションの意義。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・焼鳥 市松/大阪府大阪市]

活躍する場は違えど、多くの共通項があり、共感する話題が多いふたり。話題は料理を越え、互いの仕事への思いにまで及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子丁寧な空間づくりから伝わる、料理人の姿勢。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

第2回目の舞台は、大阪の焼き鳥店『焼鳥 市松』です。

もちろんただの焼き鳥店ではありません。店を率いるのは、焼き鳥一筋の名人・竹田英人氏。比内地鶏にこだわり、そのおいしさを伝えるために研ぎ澄まされた技。素材への敬意と産地への思い。そして焼き鳥という、ある意味でフォーマットが固定された料理に見出すさらなる可能性。

ミシュランの星獲得という事実を取り沙汰するまでもなく、ここで振る舞われる至高の焼き鳥は、美食家たちを虜にしてきました。

そんな『市松』の純白の暖簾をくぐり、堀木さんがやってきます。カウンターに座り、柔らかく微笑むと、こう切り出しました。
「磨き抜かれたカウンター、さりげない季節の花、箸置きは鳥の鎖骨。シンプルですが、しっかりと謂れのあるもので飾られています。空間すべてが丁寧なんです。こんな空間を作る人の料理は、間違いなく丁寧。食べる前からそれが伝わってきますね」。

それから自己紹介を経て、こう続けます。
「たかが紙、されど紙。私の仕事は、この“されど”に価値を見出すことです。そして語弊を恐れずに言うならば、竹田さんの焼き鳥もきっと同じなのではないでしょうか。されど焼き鳥。どんなものが頂けるのか楽しみです」。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

竹田氏は「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」に合わせて2品の料理を考案。写真は2品目に登場したカカオと山椒をあわせたつくね。

竹田氏の仕事は一言でいうならば、実直。自身が惚れ込んだ比内地鶏の魅力を引き出すべく、持てる技を駆使して丁寧に焼き上げる。

つなぎを入れず、比内地鶏のミンチだけで仕立てるつくね。形を整え、ジューシーに焼き上げる秘訣は、繊細な力加減だけ

串に使用するのは、黒文字というクスノキ科の木。「手で触れるものだから」と質感にまでこだわる。

背筋が伸びるような、凛とした佇まいの店内。焼台を囲むカウンターが特等席だ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子シンプルな中にさまざまな計算が潜む、掴みの一品。

事前に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を試飲した竹田氏は、そこに合わせる2品の料理を考案してくれました。

そして先に種明かしとして教えてくれたのは、その2品が単品で完結するのではなく、流れとしてつながっていること。1品目を食べ、シャンパーニュを味わい、2品目を食べ、またグラスを傾ける。その一連の流れに、竹田氏の狙いが潜んでいるのです。

竹田氏はまず1品目の比内地鶏の生ハムと鶏キンカンの醤油焼きを差し出し、「ひとくちでどうぞ」と伝えます。言葉に従い、料理を口に運ぶ堀木さん。その顔に見る間に笑みが広がります。

「キンカンがプチっと弾けた瞬間に、旨味が口の中に広がります。次いでタレの旨味、そして噛むごとに湧く肉の甘み。これは間違いなく“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”に合いますね。飲む前からわかります(笑)」。

そう笑いながらグラスを口に運び、再び笑顔を見せる堀木さん。
「シャンパーニュを口にすると、途端に味の広がり方が変わります。これはきっと料理にパンチがあるからこそでしょうね。シャンパーニュの華やかさが、料理の余韻でグッと押し広げられたような印象です」。

この料理での竹田氏の狙いは、まず冷たい料理で、冷たいドリンクとの温度差をなくすこと。そして口内で弾けた卵黄のコクを、爽やかな酸味で流し次の料理につなげること。さらに料理の下に潜ませた大根おろしは口直しの役割も果たし、いっそう続く料理への期待を高めるのです。

「掴みの一品として、ここまで印象深い料理があるとは」。

堀木さんのコメントにも、驚きが満ちていました。

1品目の比内地鶏の生ハムと鶏きんかんの醤油焼き。生ハムの弾力と、卵黄の弾ける食感の対比も狙いのひとつ。

日頃から焼き鳥を食べる際は「最初から最後までシャンパーニュ」という堀木さん。この日のマリアージュにも、ファンならではの視点で切り込んだ。

炭の香ばしさと、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のスパイシーな味わいが、絶妙に調和する。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子新たな文化を紡ぎ出す、コラボレーションの魔力。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」が心を溶かし、いつしか饒舌に話すふたり。話題は竹田氏が以前、シンガポールを代表するスターシェフ、モダンフレンチ『アンドレ』のアンドレ・チャン氏とコラボレーションしたことに及びます。

「竹田さんがアンドレ氏とコラボしている記事を興味深く拝見しました。出会いによって新たなものが生まれる。そこがコラボレーションのおもしろさですね。今日のシャンパーニュと焼き鳥との出会い、そしてこのテタンジェと和紙の出会いもいわばコラボレーションですから」。

堀木さんはコラボレーションの魅力を「必ずどちらにも発見があり、そこから新しいものが生まれる」ことと言います。そして「僕は学ぶことばかりです」と謙遜する竹田氏の言葉を否定し、偉大な音楽家の言葉を伝えました。

それは世界的チェリストのヨーヨー・マ氏のカーネギーホールでのコンサートのときのこと。その舞台美術を手掛けた堀木さんに、ヨーヨー・マ氏本人の口から出た言葉。

――クリエイターは場所と場所、人と人、時間と時間をつないで、影響し合うことが何よりも大切です――

そんな印象的な言葉を引き合いに出しつつ、堀木さんはこう続けます。
「このパッケージデザインのお話は、実は最初は箱を作るよう依頼されたんです。そこに日本の“おもてなしの心”を込めて、熨斗として包むという形態を選びました。やがてこのシャンパーニュを通して、そのおもてなしの文化がフランスに伝わります。するとその文化に影響を受けた人が、また新たな発想をする。そうして新しいものが生まれていくのでしょう」。

誰か、何かと影響し合いながら、新しいものを紡いでいく。その繰り返しが、必ず誰かに影響を与える。料理然り、伝統然り、芸術然り。互いに同じ思いを抱くふたりだからこそ、コラボレーションの重要性を深く語り合っていました。

京都生まれ、大阪育ちの堀木さん。生粋の大阪っ子の竹田氏ともあっという間に打ち解けて語り合った。

炭に向かう顔は寡黙な職人に見える竹田氏だが、話してみるといたって気さく。端々に冗談を挟む大阪人らしい一面も。

素材について、仕事について、天職という考え方について。話題は尽きず、ふたりの話は多岐に及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子複雑な要素が絡み合い、調和する。職人の技が発揮された見事な串。

まるで旧知の仲のように話すふたり。頃合いを見て、竹田氏が2品目の料理に取り掛かります。それは山椒とカカオを合わせた焼き鳥です。

「焼き鳥も山椒もカカオも、それぞれは絶対にシャンパーニュに合うと思います。だけど3つすべてをあわせるとなると、どういう効果が生まれるのか……」。

そうもらす堀木さん。期待と不安の入り混じった視線を受けながら、竹田氏は料理の仕上げにかかります。

そして完成したのは、さらに複雑な要素を兼ね備えた一品。比内地鶏だけで作ったつくねに、カカオニブとカカオバター、山椒とライムの皮を加え、特製のタレで仕上げた奥深い焼き鳥です。

「構成要素が多いので、できればこれも一口でお召し上がりください」そんな言葉に促され、串を口に運ぶ堀木さん。しばしの沈黙。最初に堀木さんの口を割ったのは「なるほど」というつぶやき、そして次のような言葉でした。

「味と香りに立体感があり、しかし驚くほど調和しています」。

続けて「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を口に運び、また沈黙。次の言葉は、笑顔とともに飛び出しました。

「カカオのさりげないコク、肉の脂の濃厚さを、山椒と柑橘が爽やかにしてくれています。そこで合わせるドリンクとの調和がまた見事。スパイシーでパンチがあり、かつ爽やかな香りがある“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と兄弟のような存在。料理内のさまざまな要素同士、そしてシャンパーニュと。今までに感じたことがないほどの見事な調和です」。

竹田氏によればこの料理は試飲して、すぐに出てきた答えとのこと。フレッシュなスパイス、炭でシャンパーニュの香りを引き立て、脂とカカオのコクでキレを際立たせる。ただし構成要素が多い料理なので、全体のバランス調整にはかなり気を使ったといいます。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”を飲んでこの料理を思いつくのは、すごい発想力。“されど焼き鳥”の本質を見ました」。
そんな称賛を寄せる堀木さんの姿が印象的でした。

料理を食べ終えても、ふたりの話は終わりません。リラックスして「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を傾けながら、会話は続きます。

話題はふたりに共通する「自然の素材と向き合い、そこに作為を加えていく」という点。

「100%自分の思い通りにしてやろう、と思うと良いものはできません。3割くらい偶然性を活かし、支配しようとしないこと。自然本来の良いものを見つけ、作為の中で落とし所を見つけること。きっとそのバランスを“感性”と呼ぶのでしょう。料理も同じではないですか?」。

堀木さんが訪ね、竹田氏が答えます。

「そうですね。頑固ではいけない、と思います。たとえば海外でイベントをするときに、思い通りの食材が集まらないこともあります。その隙間を作為で埋めるのが料理人だと思います」。

異なるフィールドに立ちながら、ものづくりという点で共通するふたり。やはり共感する部分は多いよう。そしてもちろん、今日の日のもう一つの主役である「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にも。

「私たちはまだ作為によって調整ができますが、シャンパーニュはもっと大変でしょうね。雨は止められないし、日差しは増やせない。どうすることもできない自然を相手に、できることを真摯にやり続けるしかない。そしてこの“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、そんな中で生まれた奇跡のようなシャンパーニュ。料理や和紙とのコラボで、この奇跡のシャンパーニュがまたどこかに影響を与えてくれるのでしょう」。

香りを接点にしたマリアージュを狙うのも竹田氏の手法。2品目のつくねにも、多彩な香りを潜ませて、シャンパーニュとの総合的な調和を狙う。

上辺の社交辞令を言わない堀木さん。「また寄らせてもらいます」という言葉に、この日の満足感が表れていた。

住所:大阪府大阪市北区堂島1-5-1 エスパス北新地23 1F MAP
TEL:06-6346-0112

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by TAITTINGER)

デニムモニュメント

皆さんこんにちは(*´∀`*)


デニムストリートには素敵なモニュメントがあるのですが、それの改装工事を行いました( ´ ▽ ` )



一旦白塗りして〜



文字をなぞり〜の



ハートをつければ、はい完成!

少し汚れが目立っておりましたので心機一転綺麗になりました(*´∇`*)



インスタスポットになっておりますので、是非デニムストリートにお越しの際は写真スポットとしてご利用ください(・∀・)






農産物に凝縮される、水と土のパワー。シェフたちを驚かせた滋賀食材の豊かな味わい。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

近江八幡市、安土信長葱の畑にて。手入れの行き届いた畑はおいしさの証。

ローカルファインフードフェア滋賀肥沃な土壌と豊かな水が育んだ滋賀県の農産物をめぐる。

東京都内で活躍するシェフが滋賀県の食材の魅力を伝え、オリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、シェフたちが冬の滋賀県を訪ねました。
湖魚、野菜、和牛の生産者のもとをめぐった1日目から一夜明けた2日目、この日はカブ、ネギ、トマト、お茶、イチゴの生産者を訪ねます。豊富な水と豊かな土壌が育む、滋賀県の農産物。シェフたちはそこで何を見出し、どんな料理のアイデアを練るのでしょうか。

【関連記事】湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。

琵琶湖の南北でがらりと変わる気候が、多彩な農産物を育む。

ローカルファインフードフェア滋賀蘇った伝統野菜と、新たに生まれた野菜。

滋賀県食材視察ツアー2日目。
雪が振り続けていた初日から一転、この日は気持ちの良い晴天が広がっていました。
実はこの天気の変化は上空の大気の状況もありますが、視察の場所が琵琶湖の南側に移ったのも大きな要因。同じ滋賀県内でも北部は日本海側の気候で冬は雪が積もりますが、南部は比較的温暖。この地域差が気候の違いを生み、さまざまな食材を育むのです。

そんな滋賀県の多様性を象徴する食材のひとつが、カブです。
大カブ、小カブ、白カブ、赤カブから、日野菜、北之庄菜、赤丸かぶ、万木かぶなどの伝統野菜まで、滋賀県で栽培されるカブは実に多彩。そこでこの日の一軒目は、滋賀県を象徴する伝統野菜・守山矢島かぶらを目指し、守山市の産地を訪ねました。
地元とゆかりの深い戦国武将・織田信長の伝説も残る伝統的地野菜・矢島かぶら。しかし生産者の高齢化にともない、生産者がいなくなってしまった時期があったそう。そんな中、地元の有志が立ち上がり、伝統を守り、未来につなぐために再び生産をはじめたのが、この守山矢島かぶらです。紫と白の美しいグラデーション、小ぶりながらたっぷりと水分を蓄えた扁平なフォルム。日本中でここだけでしか採れない希少な野菜に、シェフたちも興味津々です。
とくに興味をそそられていたのは、『湯浅一生研究所』の湯浅氏とバイヤーの山本氏。茎や葉も食べられるか、旬はいつ頃か、地元でどのように食べられるかなどを次々と尋ねていました。

続いては、こちらも滋賀県ならではの農産物、その名も安土信長葱。生みの親のひとりである井上正人氏の元を訪れ、お話を伺いました。
インパクトのあるネーミングが印象的なこのネギ、関西圏の料理人を中心に近年評判を呼んでいるのですが、実は世に出たのは今からわずか13年ほど前のこと。井上氏らが「太くて甘いネギを作ろう!」と立ち上がり生まれたブランドです。

「ここ安土町下豊浦地区は、もともとネギ栽培に適した地。その利を活かし、とにかくインパクトのあるネギを作ろうと思いました」と井上氏が胸を張るこの安土信長葱。葉鞘(ようしょう)と呼ばれる白い部分が27cm以上、重さは1本100g以上、糖度はスイカ並みの14度以上という、とにかく驚きだらけのネギ。

これには素材感をシンプルに伝える鉄板焼フレンチ『ahill』の山中氏、スパイスで素材の魅力を引き出すインド料理『ニルヴァーナ・ニューヨーク』の杉山氏ともに強く興味を惹かれた様子。とくに山中氏は「表面に隠し包丁入れて焼いて、ナイフがすっと入るようにして出したい。ネギが主役になる料理ですね」とすでに具体的な構想まで浮かんでいるようでした。

白と紫の美しいグラデーションが、守山矢島かぶらの特徴。

訪問時はちょうど旬を迎え、畑には多くの守山矢島かぶらが実っていた。

安土信長葱の生産者・井上氏。後ろに見えるのは安土城跡のある安土山。

青ネギが主流の関西圏で、白ネギの安土信長葱の存在感が際立つ。

ローカルファインフードフェア滋賀滋賀の陽光を浴び、ハウスで育つ2種類の赤い宝石。

昼食を挟んで一行は、滋賀県南東部の日野町にあるトマト農園『FARM KEI』を目指します。
受粉のための蜂が飛び回る穏やかなハウス内で、たっぷりのミネラルを吸収しながら育つのは、赤、オレンジ、緑、紫など色とりどりのイタリアン・トマト。こちらではジュエリートマトと名付け、直売や加工品販売を展開、もぎとり体験などを行っています。
「鈴鹿山脈のミネラルたっぷりの伏流水で育つトマトは、フルーツのような甘み。そのままでもおいしいですが、加熱するとさらにおいしくなります」と胸を張るのは、代表の井狩けいこ氏。自身がおいしく食べられるトマトの品種を探すうちに、現在の9品種に落ち着いたのだといいます。
ハウス内を見学しながら、ひときわ目を輝かせていたのはフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏。「ただ甘いだけでなく、それぞれの品種にしっかりと個性がありますね」と称賛を寄せていました。

滋賀県が誇るミネラルたっぷりの農産物といえばイチゴも欠かせません。
一行が訪れた『farmハレノヒ』でも、噂に違わぬ素晴らしいイチゴが出迎えてくれました。
こちらで採用されているのは、少量の土の中に根を張らせ、そこに養液を巡らせて育てる滋賀県が開発した養液栽培システム・少量土壌培地耕。これにより高品質のイチゴが安定して収穫できるようになったといいます。「環境への意識や生産者の思いなど、食材の背後に潜む物語も大切」という湯浅氏にとっても、この農場はかなり刺激になった様子でした。
こちらで育てられるのは、章姫(あきひめ)とやよいひめという2品種。この日、とくに一行を驚かせたのは、やよいひめでした。
「やよいひめは当園が栽培するイチゴでもっとも実が固い品種で、食感があります。この時期のやよいひめは酸味と甘味のバランスが良いのですが、3月に近づくにつれて糖度がどんどん増していきます」という代表の川立裕久氏の話を聞きながら採れたてのイチゴを試食する一行。「甘すぎず、酸っぱすぎず、おだやかなおいしさ。優しいお二人だから、優しい味になるのかな」と杉山氏は語ります。

さらに川立氏は、現在開発中という滋賀県のオリジナル品種のイチゴも試食させてくれました。口々に感想を述べるシェフたちと「シェフの声を聞きながら調整していきたい」という川立氏の言葉に、シェフと生産者の理想的な関係が垣間見えました。

『FARM KEI』の井狩氏。「元はトマトが苦手だった」という井狩氏が甘いトマトを探し、現在の9品種に行き着いた。

各地の食材に造詣が深い杉山氏も、ジュエリートマトには驚きを隠せなかった。

『FARM KEI』のハウスを歩く川副氏。実のなり方、育ち方まで熱心に見つめた。

『farmハレノヒ』の川立夫妻。穏やかな人柄でシェフたちを出迎えてくれた。

いつもユーモアたっぷりの山中氏も試食の際は真剣そのもの。

滋賀県が開発した少量土壌培地耕で、安定した品質のイチゴが育つ。

背後にある物語を紐解くように、じっくりと試食をする湯浅氏。

ローカルファインフードフェア滋賀長い歴史を誇る近江の茶が象徴する滋賀県のものづくり。

肉、魚、野菜、果物とまわってきた滋賀県食材視察ツアーですが、滋賀県には忘れてはならない名産がもうひとつあります。それが、お茶です。
平安時代、天台宗の開祖である最澄が唐の国から種子を持ち帰り、比叡山の麓に撒いたことが起源と伝わるお茶。以来、1200年以上の歴史を誇るのが、ここ近江のお茶なのです。

そんな滋賀県の中でも最大の産地が、甲賀市土山町(旧土山町)。滋賀県全体で300haある茶畑のうち、200haが土山にあると聞けば、その規模が窺えることでしょう。
「渋味が少なく、旨味が強いのが特長」と、栽培から製造、販売までを手掛ける『グリーンティ土山』の竹田知裕氏は、そう胸を張ります。土地の気候や土壌、伝統、それらを大切にする生産者の熱意。すべてが揃うことで、そんな素晴らしいお茶が生まれるのでしょう。
広大な茶畑や加工場を見学しながら湯浅氏は「たとえばパスタに練り込むなど、当たり前じゃない使い方もしてみたい」とイメージを膨らませていました。

一泊二日の視察を終え、参加したすべてのシェフとバイヤーから聞こえてきた共通の感想は「生産者が熱い」という言葉。
「皆さん、真摯な気持ちで作っているのが伝わりました。真剣に自然と向き合う生産者の姿。店に戻ったらサービススタッフと共有し、その思いまで含めてお客様に伝えられれば」と振り返るのは川副氏。「ビワマスをみなくちファームのハーブと合わせて、近江牛はあえて脂の少ない部分を使って、それぞれの上品なおいしさを表現したい」と、フェアに向けての構想を聞かせてくれました。

山中氏も「今回たまたまなのか、土地柄なのか、素晴らしい人ばかりと出会えて幸運でした。畑の作り方や話した生産者の人柄をみれば、どう梱包してどういうものを送ってくれるかもわかりますから」と同意します。フェアに向けては「いろいろな野菜を知っているつもりでしたが、カブでもネギでもトマトでも、新たな発見がありました。今は野菜中心にやりたいという思いが湧いています」と話します。同時に「生産者の方が突然お店に来られても、胸を張って出せる料理を作りたい」と決意もみせていました。

「味覚って記憶になるんですよね。何かをきっかけに、そのとき食べた場所や情景が浮かんでくるように。そういう意味では、これからも記憶に残り続ける土地になると思います。そしてその記憶をお客様に追体験してもらうイメージで料理とプレゼンテーションを考えたい」とは湯浅氏。それぞれの食材についても「今までのやり方、セオリーを少し外してもおもしろいと思える食材に出会えました。コースの中に“丸ごと滋賀の一皿”が登場するようなイメージで、この土地のストーリーを伝えたい」といいます。

試食の際にもっとも大きなリアクションで感想を伝え、生産者にもっとも質問を投げかけていた杉山氏。「スパイスは、食材を長期間保存したり、安い食材をおいしく味わえるようにするためのものだと思われがちですが、本来は薬として、人々の生活に根付いてきたもの。だから良い食材はなるべく手をかけず、少しのスパイスでおいしさを引き立てることを考えます」と食材ありきのインド料理を考える杉山氏。そこに加える今回出会った土地や人のストーリーを「これもスパイスです」と笑い、滋賀県の魅力が伝わるインド料理を考案したいといいます。

夕刻、それぞれが思いを胸に東京への帰路につきました。
今回、口々に生産者の熱意と滋賀食材のクオリティを語ったシェフたち。はたしてフェア本番でその思いが、どのような料理になるのでしょうか。
『Local Fine Food Fair SHIGA』に参加するレストランに足を運び、ぜひ生産者の情熱と、シェフの思いを体感してみてください。

一面の茶畑が広がる土山エリア。比較的温暖な気候が茶の栽培に適している。

『グリーンティ土山』の竹田氏(右)と、同じく土山茶農家の『中村農園』中村氏(左)が、茶の栽培や加工について細やかに解説。

製造から販売まで、すべて自社でこだわりを持って行う『グリーンティ土山』。

東京で開催された試食会でも『グリーンティ土山』のお茶は参加者の興味を惹いた。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

「熟成師だけでなく、もうひとつの肩書きも視野に。これからも家畜と生きる」焼肉 旬やさい ファンボギ/高橋伸由企

「(2020年12月現在)まだ街は閑散としています。しかし、未来に向けた準備も着々と進めています」と高橋氏。岐阜や肉への想いは、より強固に。

旅の再開は、再会の旅へ。

日本本州のほぼ中央に位置する岐阜県。その中心部である岐阜駅からごく数分の商店街に、全国から肉マニアが足を運ぶ焼肉店があります。

『焼肉 旬やさい ファンボギ』です。

店主の高橋伸由企(のぶゆき)氏は、自身の肩書きに「熟成師」の冠を付けるほか、「MANIAC BEEF LABO」という屋号でディープな精肉販売の業務も行っています。このふたつの件からわかるよう、いわゆる普通の焼肉店ではありません。

しかし、新型コロナウイルスによって自由に行き来できる旅は奪われてしまい、全国からのゲストが激減してしまった状況は、今なお続いています。

ニュースでは様々な報道がされていますが、必ずしも皆当てはまるわけではありません。補償制度もしかり、地域の数だけ、人の数だけ、問題視される状況は異なるのです。

「思うような仕込みと仕入れが出来ず、熟成の計画とリズムが崩れてしまい、大変困惑しております」。

しかし、高橋氏が一番困惑する理由は、扱う「命」に対して。飛騨牛を始め、鶏、馬、羊はもちろん、狩猟シーズンを迎える冬季以降は、猪、鹿、熊、鴨、野鳥……。それらはすべて、その時々に完璧なピーク状態を迎えるよう、適切な熟成とカットが施されています。おいしく、というのは、大前提としてありますが、「命」をいただく限り、「命」を全うさせなければいけません。

そんな高橋氏は、「生産者になる準備を進めている」と言います。

「5年後は自社生産の牛を出荷する予定です。家畜としての天命を全うする中、家畜としての幸せを考えた生産をするつもりです」。

以前の取材時、高橋氏は、「感謝の気持ちは、思いだけでなくカタチにも替えて実践する」と話しています。

今、高橋氏が実践すべきカタチが「生産者」なのかもしれません。

また、お店に関しても「何もしなければ前には進めない」と歩を進め、思い切ってリニューアル。

「新たな空間では、カウンターの在り方がかわり、カウンターに来店のお客様は肉を焼くことなく、目の前で焼かれた肉を召し上がれます。そのスタイルは“焼肉”から“肉料理”となり、色々な味付けのスタイルをお楽しみいただけるよう、今後も進化を進める予定です」と高橋氏。同時に、店頭では小売りやランチのテイクアウト、オンラインでは取り寄せや贈答品の販売も開始。(https://fanbogi.stores.jp)

『焼肉 旬やさい ファンボギ』として、高橋伸由企として、生きた証を残したい」。

「熟成師」と「生産者」の肩書を持った高橋伸由企氏になれたあかつき、より「岐阜愛」は増し、「使い切る」だけではなく「生き切る」を全うした情熱の肉と出合えることでしょう。

ベストコンディションに熟成をかけられた肉は、七輪の上で艶かしくも美しく昇華される。立ち上る複雑で奥深い香りも極上。

前回の取材時にて提供されたタンはただのタンではなく、(上より) タンの顎、タン先、中央、付け根と部位で提供。衝撃の食感、味わいの差に誰もが驚くはず。

「どんな時も命を扱っているという気持ちを忘れません」と話す高橋氏。感謝の意を熟成という形で返し、ゲストに最高の肉を提供できるよう務める。

2012年より始まった、繁殖家、肥育家、そして高橋氏によるプロジェクトで、育成された飛騨牛を、2016年に雪中熟成。こんな画は、想像の範疇を超えている。

新たな空間では、肉や野菜、お酒の販売スペースも設置。食べるゲストだけでなく、買うゲストの往来も増え、生産者とのつながりも強固に。

リニューアルされた空間。「店内の換気は、1時間に17回入れ替わります。ぜひまた皆様にお越しいただける日を楽しみにしています」と高橋氏。

住所:岐阜県岐阜市住田町2-4 南陽ビル1F MAP
電話: 058-213-3369
https://fanbogi.stores.jp

Text:YUICHI KURAMOCHI

湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

海と見紛う広大な琵琶湖と深い山々が織りなす独特の地形。多様な食材を育む滋賀に5人の料理人が訪れた。

ローカルファインフードフェア滋賀レセプションで披露された滋賀食材のダイジェスト。

東京都内、第一線で活躍するシェフが、滋賀県の素晴らしい食材の産地と生産者をめぐり、その魅力を伝えるオリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、東京・日本橋にある滋賀県の情報発信拠点『ここ滋賀』の『日本橋 滋乃味』にて、レセプションイベントが開かれました。

イベントの目的は、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けてメニューを考案するシェフやパティシエに、まずは滋賀県の食材の多様性を知ってもらうこと。いわば挨拶代わりの試食イベントですが、次々と登場する滋賀県産食材のクオリティに、足を運んだシェフたちも驚いた様子。近江の伝統野菜、琵琶湖の湖魚、そして近江牛。古くから京都の食を支えてきた近江の伝統と誇りが詰まった食材が、料理人の心を捉えたことでしょう。

さらに会場は中継で各食材の生産者と繋がれ、生産者本人の説明を聞きながら試食できるという試みも。各生産者の熱意のこもったPRに、シェフたちの顔も真剣そのもの。ひとつひとつの食材を噛み締め、画面の向こうの生産者に質問を投げかけ、味の記憶を刻み、イメージを膨らませる。和やかでありながらどこか引き締まったレセプションの空気は、そんな思いの表れだったのかもしれません。

しかしこれはあくまで序章たるレセプション。この翌週、シェフたちはさらに滋賀県の食材を深く知るべく、冬の滋賀県へ向かうのです。

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レセプションで提供された料理は、滋賀の食材を日頃から知り尽くす滋乃味の高島シェフが担当。

滋賀県庁や生産者とオンラインで繋ぎ、リアルタイムで食材に関する質疑応答が行われた。

社会情勢を鑑みて試食はフェイスシールドをつけて。味はもちろん香りや色味も真剣に確かめる。

ローカルファインフードフェア滋賀冬の琵琶湖から一本釣りで揚がる、ここだけ、今だけの美味。

この冬一番の寒気がやってきた12月のある日、シェフと食材バイヤーが滋賀県に降り立ちました。

今回のメンバーは繊細なスパイス使いに定評があるインド料理『ニルヴァーナニューヨーク』の杉山幸誠氏、絶妙な火入れで食材の魅力を引き出す鉄板焼きフレンチ『Ahill』の山中昌昭氏、古典と革新の融合が話題を呼ぶフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏、こだわり抜いた日本の食材を卓越した技術で調理するイタリアン『湯浅一生研究所』の湯浅一生氏、元料理人でソムリエの資格も持つバイヤー・山本敦士氏の計5名。食材に強いこだわりを持つ5名が、それぞれの視点で滋賀県の生産者のもとをめぐり、美味なる食材を探求します。

東京から滋賀へと向かう道中、岐阜県を過ぎた頃からちらつき始めた雪が見る間に強まり、米原駅を降りるとあたりは一面の銀世界。琵琶湖の北側の山間は日本海側の気候に近く、例年かなりの雪が積もるのだそう。そんな山間部と沿岸部、琵琶湖の東西により異なる気候こそ、滋賀県の多様な食材を育むのです。

凍える寒さに震えながら一行がまず向かったのは、琵琶湖北端の西浅井漁協。琵琶湖の固有種であるビワマスの見学が目当てです。出迎えてくれた漁協の代表理事・礒崎和仁氏が、さっそく詳細を解説します。

漁の最盛期となる夏が旬のビワマスですが、冬場は夏とはまた違った濃厚な味わいになるのだといいます。また、琵琶湖の水温が下がり広く泳ぎ回る冬は、刺し網にかかりにくく、一本釣りが主体。そのため漁獲量が減る代わりに魚体に傷がつかず、鮮度も保たれるのだとか。

漁協で用意してもらった刺し身を味わい、新鮮なビワマスの味を確認した一行。その味に各々の口から驚きの声が上がります。
杉山氏は「上品な脂と、甘みが抜群。これからさらに水温が下がれば、凝縮したきめ細かい脂がのってきそうです」と絶賛し、東京への輸送方法まで細かく確認していました。

脂の乗った冬のビワマス。さっぱりとした夏に対し、冬は濃厚な旨みが詰まっている。

重さ、旬、処理方法、輸送方法。シェフたちの質問は多岐にわたった。

淡水魚特有のクセがなく、脂がほのかに甘いため、刺し身でおいしく味わえる。

礒崎氏の解説とともにビワマスを試食。シェフたちはメモを取りながら真剣に聞き入っていた。

ローカルファインフードフェア滋賀故きを温めて新しきを知る、若き生産者との出会い。

続いて訪れたのは、琵琶湖北部の高島市にある『みなくちファーム』。7年前に異業種から就農した水口淳氏、良子氏夫妻が手掛ける無農薬野菜と原木椎茸の農場です。
「シンプルに焼いただけであれほど甘みが出るニンジンに興味がありました」と、レセプションで試食したときから川副氏がもっとも楽しみにしていたのがこちらの訪問。実際に水口夫妻にお会いし、話すことで、料理のイメージもより明確になったようです。

ファッション業界から、未知なる農業の世界に飛び込んだ水口夫妻。野菜は路地栽培で、基本的には水も与えず自然のままに育てることで、野菜本来の力強い味を引き出します。そんな古からの野菜づくりを目指す一方、発注などはシェフとLINEグループを作って直接対応するなど若き二人らしさも。センスの良い服をまとい、心底楽しそうに野菜について語る二人の姿は、これからの農業の進むべき道なのかもしれません。

さらにここでも一行は採れたての野菜や原木椎茸を試食させてもらいます。まずバイヤーの山本敦士氏は、フリルレタスに興味を惹かれた様子。「手でちぎる“パキッ”という音だけで水分量と品質が伝わります。土の栄養が行き渡って水耕栽培のものよりも長持ちもしそうです」とバイヤーらしい視点で評しました。

続いてキッチンに立ったのは山中氏。鉄板焼きのプロの血が騒いだのか、フライパンを手にじっくりと椎茸を焼き始めました。「肉厚で、火を入れても水分が浮いてこないため水っぽくなりません。非常に良い椎茸ですね」と日々野菜と向き合うシェフらしいコメント。ちなみに山中氏が焼いた椎茸は、水口夫妻さえも驚かせた様子でした。

『みなくちファーム』の若き生産者。独学で失敗を重ねながら無農薬栽培に挑む。

少量多品目、伝統野菜からハーブまで幅広い野菜を育てる。

椎茸のホダ場を案内する水口氏。ここでも自然本来の力を生かした栽培を目指す。

豪雪地帯の高島市。この時期の大根は深い雪の下から掘り出す。

急遽キッチンに立った山中氏。プロの技は生産者をも驚かせた。

バイヤー山本氏は食材自体の質に加え、保存性や輸送方法まで吟味する。

ローカルファインフードフェア滋賀明治創業の老舗で学ぶ、滋賀県が誇るブランド和牛。

日も暮れかけたこの日の最後の目的地は、近江牛の『大吉商店』。明治29年の創業から近江牛一筋にこだわってきた老舗です。
近江牛はおよそ400年の歴史を誇る滋賀県を代表する名産品。案内してもらった牛舎では、丹精込めて育てられた牛たちが暮らしていました。とくにシェフたちの興味を惹いたのは飼料の藁の話。「餌に混ぜる藁は近隣の米農家にもらい、代わりに堆肥を譲ります。つまり地域内で循環しているんです」という方式は、地域と世界の未来につながる話。
日本各地の素晴らしい食材を探求する湯浅氏は「ただおいしいだけではなく、背景にストーリーがある食材であることが大切。この近江牛にはそれがあります」と話しました。

もちろん物語だけではなく、重要なのは味。そのおいしさを確かめるべく、この日の夕食は『大吉商店』が手掛ける『農家レストランだいきち』を訪れました。豪勢な近江牛焼き肉に舌鼓を打つ一行ですが、これも視察の一環。おいしく味わいつつも部位や卸値の鋭い質問も飛び出します。「霜降りですがくどくなく、肉の旨みが感じられます」という湯浅氏に、「脂に嫌味がなく、食後感が良いですね」と川副氏も同意していました。

こうして魚、野菜、肉をめぐった滋賀県食材視察の1日目。食事中は調理法や食材選びの意見も交わされ、少しずつシェフたちの頭の中でフェアに向けての構想が固まりつつあるようでした。

『大吉商店』の牛舎にて。シェフたちの興味は背景に潜むストーリーに向かう。

見事なサシが入る近江牛。融点が低く、ベタつかないのが上質な脂の証。

シンプルな焼き肉が、部位の個性を端的に伝えてくれる。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

見えないシンフォニー。過去との矛盾がない生き方が未来を創造する。

「今、この時代に音楽家として何ができるのか。未来のために、そのかたちを記録(記事)として残したかった」と松永誠剛氏。

SAGA SEA 2020音楽家として。人として。松永誠剛が奏でる生きる音。

去る2020年12月20日。『佐賀県立宇宙科学館』にて、極めて実験的な音楽プログラムが開催されました。

それは、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』です。

本企画は、「佐賀とオランダの再会が22世紀の文化を作る」というコンセプトのもとに構成。その根幹は、約400年前にオランダの東インド会社によって伊万里港から海を渡り、ヨーロッパに伝わった有田焼にあります。

佐賀との出会いをきっかけに、オランダは長い年月をかけて多様性のある暮らしへと発展し、成熟された現代においても国籍などの垣根を超えた様々な人種が行き交う風景が形成されるようになりました。

そんな海に育まれた交流の歴史に学ぶため、佐賀県は1976年から開催されている『North Sea Jazz Festival』に着目。明治維新から150年経つ節目の2018年より『SAGA SEA』と題したイベントを展開し、音楽を通してオランダとの再会、新たな文化の創造、そして地域の活性化を図ります。

アーティスティック・ディレクターを担うのは、音楽家・松永誠剛氏です。

世界で活躍する松永氏は、福岡生まれ。近県である佐賀とは馴染みも深く、現在も福岡の郊外、宮若市芹田に拠点を構え、山々に囲まれた畑と田んぼの間に佇む明治初期に建てられた日本家屋『SHIKIORI』にて音楽と向き合います。

驚くべきは、この場所にワールドクラスの演奏家が集い、コンサートホールと化すことです。席数は、わずか60席。「想いが帰る庵」と呼ばれるそこは、音楽の桃源郷として世界中の音楽家から愛されています。

そんな松永氏は、異端の人生を歩んできました。

幼少期は、義理の大叔父である作家・大西巨人氏の本と共に過ごし、学校へは行かず、自宅や大叔母の家で学問に向き合っていました。

「学校よりも、自宅よりも、大西巨人の本がある大叔母の家が一番心地良い場所でした。耳を澄ませば竹林の音も奏でられ、裏山も背負う建物で、僕はこどもながらに世間と距離を置いていた」。

当時の松永氏は本に救われ、以降、青年の松永氏は音楽に救われます。

17歳の夏をボストンの音楽院で過ごした後、ニューヨークやコペンハーゲンに拠点を移し、マシュー・ギャリソン氏、ニールス・ペデルセン氏のもとで音楽を学びます。

2020年は、言わずもがな世界中が難局に陥りました。自粛や緊急事態宣言などによって日常は奪われ、それに伴い、コミュニケーションの遮断や隔離された生活を余儀なくされました。

イベントの中止も相次ぐ中、「新たな眼差しで未来を表現したかった」と、松永氏は『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』を振り返ります。

「全ては、音楽の未来のために。佐賀の未来のために」。

雄大な自然に囲まれ、風光明媚な場所に位置する『佐賀県立宇宙科学館』。以後、宇宙と音の親密な関係が話題に出るほど、会場との相性は抜群。

SAGA SEA 2020ニューヨークと佐賀。ピアニストがいない会場に響く、生の音。

日本・佐賀は、2020年12月20日、午前10:00開演。
アメリカ・ニューヨークは、2020年12月19日、午後8:00開演。

『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の会場には、ピアニストはいません。無人のステージに鎮座しているのは、『Disklavier(ディスクラビア)』。

『ディスクラビア』とは、『YAMAHA』が開発した自動演奏機能付きピアノです。このピアノを以て、ニューヨークの演奏がリアルタイムで佐賀に音を奏でることを可能にします。

公演名の通り、パフォーマンスを担うのは、ダン・テファー氏。世界的に活躍するピアニストです。

フランス生まれのダン氏は、オペラ歌手の母とジャズピアニストの父を持ち、幼少期からクラシックピアノを学びます。その後、ニューイングランドの音楽院にてダニーロ・ペレス氏に師事。以降、ニューヨークに拠点を移し、リー・コニッツ氏との共演で一躍有名になった人物です。

その実力は折り紙付きですが、特筆すべきは、音楽家でありながら天体物理学の学士号を取得した経歴を持つ専門家であるということです。

その才こそが、今回の企画を唯一無二に仕立て上げる要でもあります。

それは、『Natural Machines(ナチュラル・マシーン)』。

「『ナチュラル・マシーン』とは、自然の歩む道と機械の歩む道の交差点を音楽で探るプロジェクト」とダン氏。

『ディスクラビア』上での演奏と自作のコンピュータープログラムが自動生成する音楽・映像データを融合させたインタラクティブ・マルチメディアプロジェクトのそれは、率直に言えば解読難儀。高度な研究と哲学のもとに具現された音の創造のため、学び得るのは至難の業です。脳内に「?」が何個も浮かびます。

「実は、2020年上半期の『SAGA SEA』では、オランダで活動する『ヨーロピアン・ジャズ・トリオ』の公演を予定していました。それが、新型コロナウイルスによって中止になってしまい……。しかし、何か形にできないかと思い、アムステルダムと佐賀をつないだオンライン配信を行いました」と松永氏。

しかし、会場に束縛されないコンサート体験の共有という良い発見があった反面、もし演奏家として参加した身に置き換えると「悲嘆も感じた」と話します。この悲嘆とは、今後、向き合う未来への不安や課題を指します。

理由は、「コントラバスの“振動”が伝わらなかったから」です。

「“オンライン配信”という新たな体験は、自分にとって大きな分岐点になりました。この体験でオーディエンスが満足してしまうのであれば、今後、果たして自分はステージに戻る必要があるのか……。実は、某オンライン配信のフェスティバルにアーカイブ映像で“出演”した際、そのチャットにはたくさんの良い書き込みがありました。しかし、“過去と現在の同時進行”が成された現実を見る僕は、ステージではなくパソコンの前にいる……。それは、何とも不思議な体験でした」。

過去と現在の同時進行――。その意味は、通信によるタイムラグです。数秒から数十秒、配信先や経路によって発生してしまう遅延は、厳密にはリアルタイムではありません。ゆえに、現在の映像のようで数秒過去の映像が流れる現象が生まれてしまいます。アーカイブ映像に関して言えば、さらにもうひとつ時系列が加わり、3つの時間軸が交錯してしまうのです。

「病院や老人ホームなど、会場に足を運ぶことが困難な方々と音楽の共有ができるという意味でオンライン配信は可能性を持っていますが、感動の瞬間の誤差が生まれる課題もあります」。

様々な葛藤を経た今回、その手法に選んだのが、『ディスクラビア』を採用したライブだったのです。

「ダンにニューヨークから日本のピアノを弾くことはできる?と連絡したら即答で“YES!”。それを皮切りにプロジェクトはスタートしました。一緒に制作を進めていく中、ダンから『ナチュラル・マシーン』を提案されました。そして、彼は今回の演奏のために新たなコンピュータープログラムまで作ってしまった。そんな音楽家は、ほぼいません」。

プロジェクトを推進していくにあたり、松永氏はダン氏からある本を勧められたと言います。それは、アメリカの理論物理学者、ブライアン・グリーン氏の『エレガントな宇宙 ― 超ひも理論がすべてを解明する』です。

同書の主題でもある「超ひも理論」は、「超弦理論」とも言われ、相対性理論と量子力学の対立という物理学最大の難問を解決するといった内容です。

「科学の発展は、“見えないもの”を想定し、その実態を解明することにあったと思います。宇宙物理学や理論物理学においても未だいくつもの“見えない”候補があります。“ひも=弦”もそのひとつです。世界は点粒子で構成されているのではなく、“弦”のような要素で構成されており、それらは“スーパーストリング=超弦”というつながりの中にあるだろうと予想されています。例えば、惑星の軌道は、寸分の狂いなく調和しています。もしそれが崩壊されれば、僕ら人間にとって死を意味します。超弦理論的視点で考察すると、マクロの世界にもミクロの世界にも”弦“が鳴り響いていて、人間もコンピューターも共鳴するものがあるのではないか。と思ったのです。その体験に挑戦してみたことが『ディスクラビア』であり『ナチュラル・マシーン』。自分が感じたことをみんなにも感じてほしかった」。

この見解は、音だけの世界に限らず、今の社会情勢の視点でも同様なのかもしれません。

「例え、人間社会が不安定になったとしても、調和、原理の中に生きていることが宇宙を観察することで理解できます。それによって、少しでも日常を安心して過ごせると思うのです。昔の見聞から、宇宙の観察から、暦を知り、畑を耕し、種を植える季節を学び、収穫に喜んできたように。広い視野や眼差しを得ることも『ディスクラビア』から学びました。実は、最初に音のテストをした時、ダンの演奏よりも一生懸命にダンの奏でる音を弾こうとしている『ディスクラビア』の音に感動している自分がいました。アルゴリズムや『ディスクラビア』が人間の伴奏や道具ではなく、人間や自分自身を映す鏡でもあるように感じています。ダンと『ディスクラビア』の演奏のように、“お互いの声”に耳に傾けることから、豊かな未来があるように感じます」。

『ディスクラビア』は、ダン氏の演奏をリアルタイムで感知。対話するように生の音を奏でます。それと同時に生の映像もつながる会場では、『ナチュラル・マシーン』によって見えない音の軌道も可視化。『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』は、様々な哲学とテクノロジーを駆使し、そこに人間の想いを重ねた新たな音楽体験を創造したのです。

そんな美しい音色が響く会場には、ちゃんと「振動」が存在していました。

今回、『ナチュラル・マシーン』という革新的な手法を採用してパフォーマンスしたダン・テファー氏。手に持つ幾何学的なものは、可視化した音の軌道を3Dプリンターで現実の物体として作り出したもの。Photograph:Josh Goleman

映し出された映像には、ダン氏の音の軌道を可視化。それを可能にするのが『ナチュラル・マシーン』。

日本が誇る音楽メーカー、『YAMAHA』が開発した『ディスクラビア』。独自の高精度デジタル制御システムにより、鍵盤やペダルの動きを正確に再現する自動演奏機能を搭載。

SAGA SEA 2020未来を担うこどもたちへ。22世紀に解を得る、音のチケット。

前述の通り、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の特徴は、『ディスクラビア』と『ナチュラル・マシーン』にありました。

しかし、もうひとつ特筆すべきことがあります。それは、観客の多くが「こども」だということです。

「こどもたちに“入口”を作りたかった」。

この入口とは、可能性という言葉にも置き換えられると思います。
「こどもたちに難しいことを伝えようと思っているわけではありません。ただ、楽しんでくれればそれでいい。このコンサートに触れることによって、何か感じてくれればそれでいい。その何かが10年後、20年後の未来に役立てばそれでいい」。

『佐賀県立宇宙科学館』という地域のシンボル的な場での開催は、より多くの方々のインターフェイスになりました。それは、『SHIKIORI』で開催する意義とは、また別の意義を見出したと言ってもいいでしょう。

「僕は、幼少期に大西巨人の本によって色々な“入口”と出会えることができました。(前述)学校にも行かなかったという件のみ掬い上げられると、一見、閉ざされた世界のように受け入れられがちですが、自分は開けた世界にいたと思っています。実は、両親が共に教育関係の仕事をしていたのですが、ふたりは僕に学ぶ場を選ばせてくれました。大切なことは“何を学ぶか”であり、“どこで学ぶか”は重要ではないと思います。僕は、学ぶ場所を学校ではなく家を選びましたが、日本はアメリカのようにホームスクーリングの概念が育まれなかったため、異端のように見えたでしょう。学びの場にあった大西巨人の本は、僕に居場所を与えてくれました。それだけではなく、広い世界への入口や生きていく上で必要な視野も広げてくれました。それはまるで “どこでもドア”のような存在だったのかもしれません。当時、難しい本の内容を理解できたわけではありませんが、その体験が今の自分の人間形成を養ってくれたことは間違いありません。だから、今回のコンサートでも、何かの“入口”と出会うきっかけになれば良いなと思っています」。

失礼を承知で申し上げれば、大西巨人は売れない作家。松永氏は不登校児。異端のふたりは自然と共鳴し、大切な何かを育んだのかもしれません。血の繋がりはなくとも、家族以上の関係を築いたのです。

「実は大人になってから、2度お会いました。そのうちの1回は東日本大震災の時でした。当時の社会の流れに疑問を持ち、悩んでいたので、救いを求めるように巨人さんに会いに行きました。 “疑問を持つだけで正しい。我々は同志だ”と笑顔で言葉をかけられました。それが巨人さんとの最後の会話でした」。

2014年3月12日、大西巨人は他界。享年97歳。

そして現在、新型コロナウイルスに翻弄される日々が続くも、松永氏が思うことはあの時と同じ「社会への疑問」。言われた通り、「疑問を持つだけで正しい」教えを守り、考え続けます。

何かにぶつかった時、悩んだ時、松永氏にとって大西巨人に還ることは、人生のプリンシプル。中でも、大西巨人の代表作『三位一体の神話』にある言葉、「目の前の問題に戸惑うことなく永遠の問題を考え続ける精神が存在していることを願う」は、遺言のように心に刻まれていると言います。

「僕たちは、新型コロナウイルスから何を学ぶのか? ウイルスによって働き方や経済を変えることを学ぶのではなく、ウイルスとは何かを学ばなければいけない。今、まさに新型コロナウイルスに戸惑っている。過去を振り返っても、音楽家のヨハン・ゼバスティアン・バッハや理論物理学者のアルベルト・アインシュタイン、哲学者、思想家、経済学者、革命家など、様々な顔を持つカール・マルクスたちは、各々の想いと本質を理解されないまま、本人の願いとは違う形で後世に伝わっていることもあるように思います。過ちを繰り返してはいけない。フランスの経済学者であり思想家のジャック・アタリの言葉にもあるよう、例えこの騒動が鎮火しても、ただ元に戻ってはいけない。何かを学んでから元に戻らなければいけない。ネガティブな理由を理解し、ポジティブに転換できる精神を身につけなければいけないと思っています」。

老若男女集う会場には、多くのこどもも参加。「今回の音楽体験を通して、こどもたちの未来の入口、可能性を増やせるインターフェイスになれればと思っています」と松永氏。

SAGA SEA 2020逆算して人生を考える。音楽家である以上、死ぬまでに楽器を発展させたい。

「師匠であるマシュー・ギャリソン、ニールス・ペデルセンはコントラバスを発展させてきました。自分もいつかはそうなりたい」。

そのいつかは、「40歳と決めている」と松永氏は言います。

「自分はベーシストとしてふたつの目標があります。ひとつは、バッハの無伴奏チェロ組曲をコントラバスで弾くこと。もうひとつは、コントラバスでピアノを弾くこと。それを40歳までに成し、以降はコントラバスを発展させることに注力したいと思っています」。

後者の目標に関して補足すれば、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』で享受したテクノロジーの発展によって音楽の可能性が拓けたゆえの発想になります。それは、不可能を可能にする自己との対話、松永氏が奏でるコントラバスのアルゴリズムが鏡のように映し出されるピアノとの「デュエット」を指します。

目標の創出、40歳までという期限。まるで人生を逆算するかのようなロードマップは、新型コロナウイルスによる社会的影響が理由の主ではないにせよ、活動の停止によって『SHIKIORI』で過ごした長き時間は、その考察に作用しているのかもしれません。

「2020年は、ほぼ全てのツアーがなくなりました。通常であれば、一年の半分以上は海外なので、これほどまでに『SHIKIORI』で長く過ごした年は初めてだったかもしれません。ただ、その分、本を読み、音楽制作に没頭し、更には自然の美しさや地域の人の温かさも再認識しました」。
ある種、自由を手に入れた松永氏は、音楽家としてではなく、人間として己の身体を預けられたのかもしれません。

「『SHIKIORI』にいる時は、毎朝、作曲やレコーディングをしています。ほぼ同じ時間に鳥たちがそれぞれの縄張りを音で示すために鳴くのですが、僕が音を鳴らすと彼ら(鳥たち)が寄ってくることがあるのです。以前、屋久島の森でも同じような体験をしました。コントラバスを弾いた時、低音を雄の求愛の声と勘違いして鹿が寄ってきたのです。おそらくそれは音域にあると思い、そんな体験も含め、音と自然は非常に近い関係にあると感じています。例えば、地球の公転周期は365.26日に対して火星は686.98日。この太陽系の比率を音楽の視点で見ると、ほぼオクターブに近く、少し低い長7度(“ド”から“シ”)の響きに聞こえるのです。これは、人間が心地良いと感じるメジャーセブンスの響き。どちらも調和しているのです。だから、このふたつの音の調和には生き物が安心を得られるのかもしれません。しかし、音が悪影響を及ぼすこともあります。ヘリコプターなどの音は有害で、上空を通過すると、田んぼのカエルたちは振動を感じて、鳴くことをやめます。再び彼らが鳴き始めるまでには1時間くらいの静けさが必要になります。“ラブソング”が歌われないと、生殖活動に影響を与え、生態系を崩してしまうことが孕んでいるのもまた音、振動なのです。そういった事情を原理としても証明したいです」。

自然の音、生き物の音、人工の音。
太陽系の距離、速度、時間。
そこに人類はどう共存していくのか。

「僕は過去との矛盾がない生き方をしていきたい。そういう意味では、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』が開催できたことは、新型コロナウイルス以前から継続してきた『SAGA SEA』の取り組みとも矛盾がなかったものだと思っています。今できる感染予防対策と今できる音楽表現、その両者のベストは尽くしました。もちろん改善点はありましたが、それによって未来を見ることもできました。過去の自分への反逆のようにならないために、矛盾しない生き方を自分はしていく」。

矛盾のない生き方、それは松永誠剛が奏でる見えないシンフォニー。

姿形こそないものの、その音は、生涯、胸の中で響き続けるのです。

 

1984年、福岡生まれ。幼少期を義理の大叔父である作家・大西巨人の本に囲まれて過ごす。17歳の夏をボストンの音楽院にて過ごし、その後、ニューヨークにてマシュー・ギャリソン、コペンハーゲンでニールス・ペデルセンのもとで音楽を学ぶ。これまで南アフリカからインドまで世界各国で演奏を行い、エンリコ・ラヴァ、カイル・シェパード、ビアンカ・ジスモンチ、ビリー・マーティン、ティグラン・ハマシアンなどと共演、活動を行う。宮古島の古謡との出会いをきっかけに世界各地の古謡の研究を始め、宮古島の歌い手、與那城美和と共に「Myahk Song Book」、「IMA SONG LINES」の活動を行う。写真家・上田義彦氏の主宰する「Gallery 916」を舞台に写真と大鼓の大倉正之助氏とのコラボレーションや舞踏作品の音楽、プロデュースや演奏活動だけでなく雑誌や新聞連載など執筆なども行い、その活動は多岐にわたる。2017年、“自然との再会を通じた、人間の再生”をテーマに屋久島の森を舞台に「Homenaje Project」を開始。沖縄「宜野座村国際音楽祭」、佐賀「SAGA SEA」など、数々の音楽祭のアーティスティック・ディレクターも務める。現在、畑と田んぼに囲まれる福岡の古民家「SHIKIORI」を拠点に、世界中から集まる人々との対話を重ねている。
http://www.shikiori.net

Photographs:TAKUYA TABIRA(Live Venue)&YUICHI KURAMOCHI(Portrait)
Text:YUICHI KURAMOCHI

意外なお客様(・∀・)

皆様こんにちは!

寒い日が続く中で今日は意外なお客様が来店されました(*´∀`*)


くーぴっとちゃんです(*´∀`*)

お付きの人曰く倉敷市の人権啓発マスコットキャラだそうです( ・∇・)

正直存じ上げなくて申し訳ないです(;ω;)

倉敷を、盛り上げるためにいろいろな場所で宣伝をしてくださってるそうで、テイクアウトのレモネードを宣伝してくれました!

ついでに記念写真も



テイクアウトは土日祝日のみの営業となっておりますが皆様も倉敷を盛り上げる事をお手伝いください(・∀・)