霞ヶ浦と北浦の豊かな水が育む、爽やかな初春の香り。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・セリ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

春の七草のひとつとして知られるセリ。

川に生える野ゼリは初春の風物詩ですが、ここ行方市での出荷時期は10月中旬から4月下旬まで。12月から2月のセリは葉が柔らかく爽やかな香り、以降は食感も香りも強くインパクトのある味わい、と季節による違いが楽しめます。

そんな長期にわたる収穫を可能にしている要因が、水の豊かさです。

霞ヶ浦と北浦に挟まれ、豊富な地下水を湛える行方市で主に水稲との二毛作栽培で育てられるセリは全国有数の出荷量。

さらに首都圏から約70kmというアクセスの良さ、収穫後に急速に冷やして鮮度を保つ予冷の徹底などで、食卓に新鮮なままのセリが届くのです。

鼻に抜ける爽やかな香りで、春の訪れを告げるセリ。

その栽培の様子を探るため、行方市を訪れます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

300種に及ぶ品種は、先人たちの努力の結晶。小さなイチゴに潜む、たくさんの物語。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・イチゴ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

赤く色づく小さなイチゴ。

その甘酸っぱいおいしさから一般的にはフルーツに分類されますが、樹木ではなく茎に実がなる草本性であることから、性質上は野菜とされることも。これほど老若男女誰しもに愛される野菜というのも珍しいかもしれません。

そしてもうひとつイチゴならではの特徴が、その品種の多さにあります。

とちおとめ、女峰、とよのか、紅ほっぺ、あまおう、章姫……。少し考えるだけでも10や20の品種がすぐに思い浮かびます。

一説には日本国内にあるイチゴの品種は300種以上といわれています。

そしてこの種類こそ、イチゴ栽培の歴史。「もっと甘いイチゴを」「もっとおいしいイチゴを」という先人たちの努力の結果にほかなりません。

イチゴ栽培面積全国7位の茨城県にも、そんなストーリーが潜んでいました。小さなイチゴに潜む、大きな夢。今回はそんな物語を探しに、行方市『森作いちご園』に向かいます。

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Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

フードキュレーターが『茶禅華』川田智也シェフを誘う浜松食材探求。産地を訪れ、生産者と対面する、という意味。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県浜松市]

食材の表面ではなく、背後に潜む歴史や生産者の思いにまで意識を向けるのが、川田智也シェフの食材の接し方。

ファインド アウト 静岡歴史を紐解き食材の本質を探る、浜松エリアの食材探求。

ONESTORYのフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、その魅力をシェフに伝える今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

前回の視察で、浜松にフォーカスして食材を徹底的に掘り起こしたふたりが、今回、『茶禅華』の川田智也シェフを迎え、いよいよプレゼンに臨みます。

川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。

「浜松は旅行で数回訪れたことがありますが、食材探しという視点では初。非常に楽しみです」と川田氏。事前のイメージは「首都圏に近く、汎用性の高い食材が多い一方で、個性的な、尖った食材も多い印象」といいます。果たして、ふたりのフードキュレーターのプレゼンは、川田氏にどのような爪痕を残すのでしょうか。

しかし、最初にふたりのフードキュレーターが案内したのは、浜松のシンボル・浜松城。もちろん、ただの観光ではありません。

食材の味や香りだけではなく、そこに潜む歴史や物語を紐解き、深く理解するのが、川田氏の食材との接し方。そこで、この地の歴史を肌で感じてもらうことを目的に、まずはここを目的地としたのです。

さらにここは歴史好きな川田氏が「もっとも好きな戦国武将」という徳川家康ゆかりの城。
「家康は中国から伝来したさまざまな物や制度を、日本という土地に合わせて再構築しました。禅の教えや静岡に縁の深いお茶もそうですね。ただ模倣するのではなく、本質を読み解いた上で、場所や時代にあわせて再現する。それは私の料理の目指すところでもあります」
実際、川田氏は資料館となっている城の内部で歴史地図を見ながら、こんな話を聞かせてくれました。

「いまフグを扱っているのですが、外皮と身の間にある部分を“遠江(とおとうみ)”と呼ぶんです。この地図を見てください。三河地方の隣にあるのが遠江地方。身と皮(=三河)の隣だから遠江。洒落がきいた名前ですよね」

知識として知っていても、その場に立つことで新たな発見がある。ここからはじまる浜松の旅は、幸先が良さそうです。

浜松城を望む川田氏とふたりのフードキュレーター。在りし日の家康に思いを馳せる。

ファインド アウト 静岡

中国を起源とする豚が、静岡の地で新たな魅力を放つ

今回の視察に同行するふたりのフードキュレーターは、川田氏に食材をプレゼンするため、数日前にも浜松を訪問済み。さまざまな情報のインプットも済ませているだけに、移動中の道中も食材の話は尽きません。

立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』で川田氏がメロンに興味を示せば「通年でメロンが出るのは、静岡や熊本などごく限られた産地。なかでもダントツが静岡です」と返し、川田氏が国産の良いキウイを探しているといえば「静岡は日本におけるキウイ栽培発祥の地。ちょうど先週訪問したキウイパークでは、そこにしかない品種もあります。サンプルを送りますね」と打てば響くような反応。

続いてランチを兼ねて訪れたのは、豚肉料理『とんきい』。ふたりのフードキュレーターが推薦する、自社牧場で生産した豚肉の料理が楽しめるレストランです。

三和畜産が運営する『とんきい牧場』は、1968年に母豚5頭で養豚業をスタート。トウモロコシ、米、大豆などオール穀物の自社配合飼料で育てる豚は、臭みがなくドリップが少ないのが特徴。さらにこちらでは、浙江省の金華豚を起源とする「プレミアム金華バニラ豚」も飼育されています。

三和畜産の鈴木芳雄社長の話を聞き、レストランでトンカツを試食する川田氏。

「弾力があり旨味もあるのに、脂は澄んだ味わい。どうしてこれほど脂がキレイなんでしょう?」そんな川田氏の疑問に「飼料のためだと思います。とくに米を混ぜるようになってから、目に見えて脂が良くなりました」と鈴木社長。

さらに豚舎近くを見学させてもらいつつ、豚糞を利用するバイオガス発電施設の話なども伺う川田氏。

「豚への愛情が伝わってくる方ですね」

しみじみとつぶやく川田氏の言葉が印象的でした。

道中で立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』にて。ふたりのフードキュレーターの深い知識が川田氏に披露される。

豚コレラの懸念で豚舎の見学はできなかったが、鈴木社長の話に耳を傾ける3人。

『とんきい』には精肉店も併設。きめ細かい肉質が、川田氏の興味を惹いた。

『とんきい』のトンカツ。豪快な厚切りでありながら、脂のしつこさとは無縁。

ファインド アウト 静岡生産者の人柄が品質に表れる。お茶という農産物の不思議。

そこでふたりのフードキュレーターは、まず川田シェフを『ふじのくに茶の都ミュージアム』にご案内しました。ここは静岡県のお茶栽培の歴史から、世界のお茶事情まで、幅広く体験できる施設。家族で楽しめるスポットではありますが、食材のプロたちも多くを学べる本格的な展示資料もいろいろ。とくに世界の茶葉が一堂に会するコーナーでは川田氏も熱心に見入っていました。

続いて前回の視察でもお世話になった製茶問屋『マルモ森商店』の森宣樹社長にご案内を頼み向かったのは、島田市のお茶農家『永田農園』です。
ここは、国内のお茶の審査でもっとも権威のある「全国茶品評会」で、親子二代で最高賞の農林水産大臣賞を受賞する農園。それは、森社長によれば「お茶農家の分母からいえば、甲子園で優勝するよりも難しいこと」という快挙です。

代表の永田英樹氏の案内で茶畑を歩く川田氏。日本茶にも強い興味がある川田氏だけに、その表情も真剣です。

「物腰柔らかく、穏やかな人柄。まさにお茶に相通じる方」後に尋ねると、川田氏はそう話しました。「畑も手入れが行き届いている。いまは時期ではありませんでしたが、生産者の顔と畑の様子をみればどれほど丁寧に、愛情を持ってやられているかがわかります」

これもまた、産地を訪れて得られる収穫のひとつなのかもしれません。

フードキュレーターのふたりは事前リサーチでも『ふじのくに茶の都ミュージアム』を訪れ、静岡の茶の歴史をインプットした。

『ふじのくに茶の都ミュージアム』では、世界の茶葉を実際に手に取り、香りを感じることができる展示も。

作地面積日本一を誇る静岡の茶畑。この風景に川田智也シェフは何を見出すのか。

『永田農園』の茶畑で永田氏の話を伺う。収穫期でなくとも、現地で聞くことには大きな意味がある。

土に手を伸ばし、香りを嗅ぎ、自身が納得するまで深く学ぶ。それが川田氏の食材探求。

『永田農園』は自社製茶場も併設する自製自園。ここでも手順やこだわりの話を永田氏に伺う。『chagama』の森社長も同席してくれた。

『永田農園』の深蒸し煎茶を試飲する川田氏。

ファインド アウト 静岡若き日本料理人に学ぶ、産地ならではの料理表現。

この日の夕食は浜松の日本料理店『勢麟』へ。こちらの店主・長谷部敦成氏と共通の知人がいることから「ぜひ来てみたかった店」という川田氏。ゆえにその顔には、ただ夕食を楽しむというより、一切を見逃さずに吸収しようという真剣味が宿ります。

コースは御前崎の漁港や、地元浜松の舞阪漁港に長谷部氏自ら赴いて目利きした魚や在来種の野菜など、静岡ならではの食材が主役。それを長谷部氏の日本料理の技で、クリアでありながら奥行きがある引き算の料理に仕立てます。

長谷部氏が自身の店を「料理屋ではなく、食べ物屋です」と標榜するのは、この食材自身に調理法を尋ねるような、素材重視の料理に起因するのかもしれません。

川田氏も「素材の水分が擦れていない、水が生きている。ここまでクリアさを追求するのは、中国料理にはない視点です」と、早々に何かを掴み取った様子。コースを食べ終えた後には「全部食べてひとつのお料理を頂いたような気分です。伝統、現在、未来という3つの時間軸がキレイに整った料理という印象。本当に素晴らしい」と手放しの称賛を寄せていました。
試食の際は、食材の声に耳を傾けるように深く味わい、生産者と話す際はまっすぐ目を見つめる。川田氏のストイックな修行僧のようなその姿勢は、産地の情報を余さず吸収しようという思いの現れなのかもしれません。

こうして『茶禅華』川田智也シェフにより浜松食材視察の1日目は終了しました。次回は2日目の様子をお伝えします。

食材に魅せられてこの地に移り住んだ『勢麟』の長谷部氏。

水と醤油だけで炊いた『勢麟』のオコゼ。鰹も昆布も使わず、素材の持ち味だけで勝負する。

1品ごとに交わされる会話は、ときに深い食材談義に発展した。

えぼ鯛は味噌漬けにして炙り、地元で採れたからし菜と合わせた。

メジは地元で“ひっさげ”と呼ばれるサイズ。朝採りの大根おろし、長谷部氏が山で採取した柚子と合わせて。

住所:浜松市中区元城町100-2 MAP
TEL:053-453-3872
https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

住所:静岡県浜松市北区細江町中川1190-1 MAP
TEL:053-522-2969
https://www.tonkii.com/

住所:静岡県島田市金谷富士見町3053-2 MAP
TEL:0547-46-5588
https://tea-museum.jp/

住所:静岡県浜松市中区元城町222-25 MAP
TEL:053-450-1024
http://seirin-hamamatsu.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

滋賀県木ノ本『冨田酒造』へ。額に汗かき、己を鍛え直す。

 お米をほぐし、かき混ぜることで酸素を送り込む。高温な室内に加え、重労働な切り返しは、酒造りにおいて重要な作業。

HIDEHIKO MATSUMOTO再び酒職人として生きるために。松本日出彦の武者修業が今、始まる。

まるで蒸気機関車のような煙を吐き出している現場では、衛生管理上、身につけているヘアキャップと新型コロナウイルスによるマスク着用も手伝い、個人を認識するのは難しい。

そんな中、まるで雲の切れ間から射す光のごとく、煙の切れ間から声が射します。

「あと何分!」、「蒸しあがりの具合は!」、「量は!」、「今、何度!」。

その主は、『七本鎗』で知られる『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸(やすのぶ)氏です。

対して、スタッフたちは間髪入れずに的確な数値を返します。

「温度が全て」とは、冨田氏の言葉。

この日の仕込みは、2種。麹米と醪(もろみ)を木桶で仕込むための掛米。

「この木桶は、日出彦君と一緒に仕込んでいます」。

木桶に目を移すと、かい入れ(もろみを混ぜる作業)をしている松本氏の姿がありました。

ここでの会話も「今、何度?」、「7.5℃です」、「氷入れる?」など、温度確認。この日の気温は15℃。通常よりもやや高めだったため、木桶の温度をより冷やすか否かの議論を繰り返します。

「日本酒の温度管理にはいくつかの法則があります。例えば、今回、もろみの温度を7℃にしたいとします。もし、木桶の中が5℃であれば、2℃の差があります。その差異である2℃×4=8℃に5℃を足し、13℃のお米を入れれば7℃になります。当然、その逆も然り。お米の温度に合わせて木桶の中の温度も調整します」と冨田氏。

麹においてもそれは同様。種切りの温度は各蔵によって様々ですが、この日『冨田酒造』が合わせたのは32℃。もちろん、麹米の量に対し、種麹の量をどうするかも重要です。「お米100kgに対して種麹80gを推奨しており、今日はお米94kgなので、種麹80g×0.94=75.2gの量で種切りをします」。

この方式を瞬時に弾き出し、1℃、いや0.5℃、1g、いや0.5gの微調整を数十秒ごとに確認し合います。それを成せるのは、松本氏が見習いではないから。

「今の日出彦君には、蔵も免許もありませんが、技術や経験を失ったわけではありません。同じ酒職人としての学びも多いです。これまでの『冨田酒造』にはなかった発想の提案や一緒に酒造りをすることによって生まれる化学反応にも期待しています」と冨田氏。

「酒造りはあくまでチーム。自分のような余所者を受け入れてくださり、感謝しかありません。冨田さんとは、これまでも酒造りに関して会話することはありましたが、一緒に酒造りをすることは今回がはじめて。それが実現できたのは、今の自分に蔵がないからということと『冨田酒造』が自分にチャンスを与えてくださったから。同じ現場をご一緒させて思うことは、ただお米を洗ったり、触ったりするだけでも、その感覚をリアルタイムで意見交換できることは非常に貴重。何気ない会話の中にもみんなの考えや哲学があります。それぞれの蔵が持つ当たり前も他では当たり前でないこともしばしば。違いを共有することによって生まれる発見もあります。酒造りは、工夫の連続。当然、『冨田酒造』には『冨田酒造』のやり方があり、その酒造りに則りながら、自分は何を貢献できるのか。日々、そんなことを考えながら取り組ませていただいています」と松本氏。

引き込み、切り返し、種切り、床もみ。そして、かい入れ。額や腕には汗が滲み、体で酒造りの感覚を取り戻していきます。とはいえ、息切れや二の腕の震え、時折、天を仰ぐ姿には、ブランクを感じざるを得ません。そんな今の自分を全身全霊に受け入れているのは、松本氏自身だということは言うまでもなく、それだけ酒造りは甘くない。

そして、そんな松本氏をチームに受け入れる決断をした冨田氏をはじめ、『冨田酒造』の職人たちの懐の大きさを感じた瞬間でもありました。

「今、酒造りができないのならば、うちに来ればいい」。ただ、それだけ。

理由はひとつ。仲間だから。

熱々のお米を手でひねりつぶし、蒸し具合と温度を確認する松本氏。その行為のごとく、「ひねりもち」と呼ぶ。

この日は、木桶の温度を7℃にすべく、かい入れをするたび、温度を計り、小まめに調整をする。

松本氏と仕込む木桶。「まだ仕込みの段階ですが、これからのもろみの育て方によってどんな化学反応が起きるのか、楽しみです」と冨田氏。

「今は温度計で計れる時代ですが、昔は米の中に手を入れて肌感覚で温度を計っていた。そんな感覚は圧倒的に先人たちの方が研ぎ澄まされている」と冨田氏。「切り返しひとつ取っても酒蔵によって様々。全ての作業が勉強になります」と松本氏。

「日出彦君、お願いします」と冨田氏。シャッ、シャッとリズム良く種切りをする松本氏。

 某名言「考えるな、感じろ」よろしく、『冨田酒造』の酒造りのひとつ一つを体に刻み込む松本氏。その目は、酒職人。

HIDEHIKO MATSUMOTO本当の意味で地酒を愛する人に愛される日本酒、それが『七本鎗』。

酒造りにおいて大切な素材、それは、水と米です。

うまい地酒を作りたいのか? うまい日本酒を作りたいのか?

作り手によって味の個性は大きく変わるも、素材だけにフォーカスすれば、このどちらを目指すのかは大きな分かれ道と言ってよいでしょう。

『冨田酒造』は前者であり、『七本鎗』はその好例です。

「『冨田酒造』では、滋賀県産のお米を4種使用していますが、中でもメインは“玉栄”。全体の75%を占めています。水は、古くから蔵にある井戸水を汲み上げています。奥伊吹山系の伏流水の水質は中軟水で、我々の酒造りには欠かせない自然からの恵みです」と冨田氏。

前述、木桶の氷のくだりは、この井戸水を冷やしたものになります。

「この関係性が素晴らしい。できそうでできている蔵は少なく、本来、日本酒はそうあるべきだとも思います」と松本氏は言います。

特にお米に関しては、山田錦や五百万石などのメジャー級な酒米があるため、他府県の良質な作り手から仕入れ、うまい日本酒を作ることは可能です。しかし、『冨田酒造』が目指すのは、うまい地酒。地元のお米、地元の農家、地元のお水を使い、地元の蔵で作るからこそ意味があるのです。

「自分が蔵に戻ってきた時、実は、県産ではないお米に頼っていました。しかし、これは間違っていると思い、地酒の“地”に根ざすことをコンセプトに大きく舵を切りました。その後、ご縁をいただいた篤(とく)農家さんと今もお付き合いさせていただいています」と冨田氏。

しかし、「玉栄」は、酒造りにおいてはやや難しい品種。例えば、雑味の原因にもなってしまうタンパク質が少ない酒米にとって、「玉栄」はやや多く、一般的には好まれません。それでも「僕らの技術で補えば良い」と2001年から契約。酒造りと米作りを行う長浜市を通して、「湖北」としての地酒を発信することに務めています。

「これは、一見簡単そうに感じますが、実は非常に難しく、覚悟がないとできません。お米、農家、地域。真っ向から向き合う精神が必要とされます」と松本氏。それは、冨田氏が今にたどり着くまで何年もかかった過去を振り返れば理解できます。

「最初は、全然“玉栄”を活かせなくて。寝かせないと味が乗らなく、在庫過多の時もありました。その当時は、華やかな日本酒が流行だったので、自分の酒造りは極めて稀有で地味でした。今は勘所も掴め、早出しもできるようになりました」と冨田氏。これは、冨田氏のたゆまぬ研鑽もしかり、品質向上のために二人三脚で歩んできた農家との絆が生んだ賜物。時間と労力は、ほかの日本酒よりも何倍もかかりましたが、「湖北」でしかできない日本酒を追求し続けたからこそ生まれたのが今の『七本鎗』なのです。

「ここに来て感じたことは、まず何と言っても日本一大きな湖の琵琶湖があるということです。滋賀県のほぼ中央に位置し、約1/6の面積を占めているほど水の宝庫。標高においても120mありますが、旧街道のため、昔から水と人が密接に関わってきたことがわかります。この環境の中で育ったお米を22ヘクタールも『冨田酒造』は使っている。それは、地酒を作ることにこだわるだけでなく、田んぼを守り、それによって生態系を維持し、更には農家の雇用も生んでいます。地域の人が地域を諦めてしまったらお終いです。正しい循環のもと、正しく作られている地酒が『七本鎗』なのだと思います。それは冨田さんだからできたこと。事実、“玉栄”をメインに使用する酒蔵は、『冨田酒造』ただひとつ」と松本氏。

日本には、約1,300社(国税庁・清酒製造業の状況・平成30年度調査分)の酒蔵があると言われています。

「各蔵がそれぞれ地酒に特化すれば、日本酒はもっとおもしろくなる」とふたり。

そんな同じ未来に向かって熱く語ることができるのは、同じ蔵で同じ時間を過ごしながら酒造りをできたからかもしれません。

同じ時間、同じ場所で酒造りを共有するからこそ発見できることも多い。「今この状況をどうするかなどの議論は、一緒に酒造りをしているからこそ」とふたり。

 蒸しあがったばかりのお米。香りも豊かで艶もある。同時に、ここからスピード勝負と温度調整の戦いが始まる。「飲んだ時、グッと力強い当たりがあるも、輪郭がはっきりしているので、綺麗にサッと抜ける。それは、“玉栄”だからできる」と冨田氏。

「今も変わらず井戸から水が沸き続けている。本当に自然は偉大です。水は酒造りにおける生命線。この水が『冨田酒造』を支えているんですね」と松本氏。

「日本酒はただの液体だけではありません。環境、作り手、想いなど、酒造りを取り巻く全てがこのボトルの中には凝縮されています。酒造りの出所は、狭ければ狭い方が濃く、おもしろい。しかし、表現は広く。地域は移動できませんが、ボトルは世界中に移動できる。様々な想いがひとりでも多くの方に届けられるよう、これからも精進していきたいです」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTOこれから何を目指すのか。何をすべきか。同士だから語り合えた。

前出の通り、日本には、約1,300社の酒蔵があると言われています。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、約1,800社あった平成15年から比べると、減少傾向にある業界であることは言うまでもありません。

「言わずもがな、日本酒業界は狭い世界です。まず、蔵元でないと蔵がないことや免許取得の難しさなどもあり、新規参入のハードルが高いのです。自分は、今まさに新規参入しようとしている最中ゆえ、それを肌で感じています。ありがたいことに伝統も経験させてもらっているので、両側面から客観視し、これからの日本酒業界にとって何ができるのかを考えていければと思っています」と松本氏。

「日出彦君と話して一番印象的だったのは、外に出たからこそ分かったことや見えたことがあったということでした。ハッとさせられました。伝統はバイアスにもなりかねない。そう思いました。これは、伝統を持った人間と失った人間にしか理解できないこと」と冨田氏。

『冨田酒造』もまた、460年余年の歴史を刻む伝統的な酒蔵。その15代目蔵元の冨田氏は、家業を継ぐ前に東京のメーカーに勤務し、その後、フランスのワイナリーやスコットランドを巡った経験も持ちます。各地域で得た世界の酒造りは、今の『七本鎗』に大きな作用をもたらせたに違いありません。

そんなふたりは、これからの日本酒業界に何が必要だと感じているのか? そのひとつにタッチポイントをあげます。

 作業終了後、酒職人の表情から友人の表情に。酒造りや日本酒業界の未来についてなど、真剣な話から他愛もない話ができるのは、ふたりの関係だから。

 江戸期に建てられた酒蔵は、登録有形文化財でもある。「守るべき部分は変えず、変革する部分は果敢に挑戦している冨田さんは素晴らしいです」と松本氏。「守るべき部分で言えば、まさにこの酒蔵。建物を守ることも酒造りのひとつだと思っています」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO全ての難局を今後に生かすために。新型コロナウイルスと青天の霹靂から得たもの。

「新型コロナウイルスによって、『冨田酒造』も大きな打撃を追いました。いかに、飲食店に寄りかかっていたのかも如実に出ました。これは反省として生かし、これまで届けられなかった場所や人にどうすれば届けられるのかを考えるきっかけにもなりました。しかし、ただ消費量を増やしたいわけでもありません。本質の伝え方を今一度考える必要があると思いました」と冨田氏。

「そんな広げ方の工夫は、これからの自分の課題のひとつだと思っています。タッチポイントを増やすということは、我々が伝える言語を相手に理解してもらえるように合わせなければいけません。自分目線ではなく相手目線になるコミュケーション能力は、これからの日本酒業界には必要だと感じています」と松本氏。

「そんな新しいポジションの確立もまた、日出彦君ならできると思います」と冨田氏。

新しいポジションの確立……。もしそれを成すことができれば、前述にある新規参入の難しさの改善にもつながるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによる影響によって好転したことも。

「個人的には、色々立ち止まって考えるきっかけになりました。『冨田酒造』では、よりチームの結束を強くするために、様々を見える化し、コミュニケーションを深く取るようにしました。それは今なお続けており、以前以後と比べても格段に現場の空気が良くなりました。周辺環境においても美点はあり、中でも琵琶湖では数年ぶりに全層循環が確認されました」と冨田氏。

全層循環とは、湖面と湖底の水が混ざり合い、水温と酸素濃度がほぼ同じになる現象を指します。「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそれは、近年において発生しなかった冬もありましたが、2021年は、1月22日に確認されており、これは過去10年の中で最も早い日でもありました。

「湖底の酸素濃度が低くなると生物が生息しにくくなり、生態系にも好ましくない影響が及ぶと危惧されます。2020年より難局を迎え、各々が様々な苦悩を迎えていると思います。しかし、唯一、自然界にとっては本来の姿を取り戻したのではないでしょうか」と言う松本氏に続き、「今冬は、本当に雪がすごく降りました。自分が生まれてからこんなに寒い冬は初めてかもしれません。その豊富な雪解け水が全層循環にもつながったと思います」と冨田氏。

「地酒」にこだわる『冨田酒造』ゆえ、地域の環境問題も切実。好転を喜ぶだけでなく、今後、持続していくことも課題になっていきます。しかし、「好転したことは自然だけでありませんでした」と冨田氏は話します。

「2020年末、青天の霹靂のような知らせを日出彦君から受けました。想像を超える苦しみも味わったと思います。でも、今(2021年3月)こうして、一緒に酒造りをしている。このスピード感は、新型コロナウイルスによって、より結束力が増した時期でもあったからだと思います」。

「冨田さんをはじめ、『冨田酒造』の皆さんは、自分に生きる場所を与えてくれました。こんな自分でも、また酒造りをしていいんだと立ち上がる勇気を与えてくださいました」と松本氏。

「よしっ! では午後の仕込みを始めましょう!」。

冨田氏の号令に皆が動きます。もちろん、その群の中には松本氏の背中も。

武者修業は、まだ始まったばかり。さぁ、これからだ。

酒蔵内を右往左往。歩きながらも細かい確認作業を欠かさないふたり。どんな日本酒が生まれるのか、これから期待が高まる。

『冨田酒造』のタンクに書き込まれた松本氏のサイン。「いつの日か、こんなこともあったなぁと笑い話にできればいいな」とふたり。

住所:滋賀県長浜市木之本町木ノ本1107  MAP
TEL:0479-82-2013
http://www.7yari.co.jp/index2.html

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

お花見しながら

皆様こんにちは(・∀・)

暖かい日があったな〜と思うといきなり寒くなったりなかなか春が来ないですね(;ω;)


そんな中で倉敷のデニムストリートから少し南に向かって歩くと綺麗な桜が咲いております



河津桜と言って少し早咲きの桜になっております(・∀・)


デニムストリートでお花見のお供にレモンチューハイを買ってほろ酔い気分で楽しんでみてはいかがでしょうか

スッキリ爽やかで飲みやすいですよ(*´∇`*)

食べて、知り、伝える仕事。食材のプロたるフードキュレーターが浜松を味わい尽くす。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

フードキュレーター2人が『茶禅華』の川田シェフに食材を提案する為に選んだのは浜松エリア。写真は浜松のシンボル・浜名湖。ここにもさまざまな食材が眠っている。

ファインド アウト静岡浜松が誇る美味を駆け足でめぐる旅

まだ見ぬ素晴らしい食材を探し、日々全国を飛び回るONESTORYのフードキュレーター・宮内隼人と吉岡隆幸。2人が静岡県の食材を掘り起こし、トップシェフにプレゼンテーションする今回の企画。
プレゼンテーションする相手は、ミシュラン・ガイド三つ星を獲得し、いまや日本を代表する中華料理のシェフとなった『茶禅華』の川田智也シェフ。事前にリサーチを重ねた結果、最初の目的地は浜松エリアに決定。海、山、平地、湖が揃い、中華料理にふさわしい食材が見つかるであろうこのエリアへ、すでに繋がりがある生産者や地元料理人から情報をかき集めた上で、リサーチに向かいます。

フードキュレーターの大事な役割のひとつが、地域に眠る食材を見つけ出し、伝えていくこと。だから最初のアプローチは、とにかく食べることとなります。まず食べて、生産者と話し、そこに潜む思いやこだわりを聞き取り、一遍の物語を紡ぐ。そのために食べて、食べまくるのです。
畑で、港で、店で、イベントで。食材のプロたるフードキュレーターは、何を食べ、何を話し、何を感じたのでしょうか。

とにかく食材なら何でも口に運び、体験してインプットしていくフードキュレーター吉岡(左)、宮内(右)。浜松エリアではどんな食材と巡り合えるのか。

ファインド アウト静岡フードキュレーターを驚かせた、農園レストランの野菜たち。

「このあたりは赤土ですね。今は新タマネギの時期。土が良いから大きく育っています」

浜松の車窓を流れる景色を見ながら、吉岡が言いました。野菜に造詣が深い吉岡にとって、ただのどかな風景も宝の山に見えているのでしょう。だからランチに訪れてみた農園レストラン『農+ ノーティス』でも、吉岡のテンションは上がりきりです。

「野菜が本来の形のまま出せるのは、農園レストランならでは。きっとまず野菜が中心にあって、そこからどう料理をするか考えられているのでしょう」

それが吉岡が野菜が主役のランチコースを味わった感想。食材卸売会社も経営する吉岡ならではの視点です。

一方で料理人の経験もある宮内は「野菜愛があり、ただの料理人とは違うアプローチ。しかしシンプルだけどしっかりと構成が考えられている印象です。そしてとんでもなくリーズナブルですね」とこちらも絶賛。

食事後、急な訪問を侘びながら、店主の今津亮氏に話を伺うふたり。聞けば埼玉県に生まれた今津氏は、高校生の頃から農業に興味を持ち始め、東京農大、農業開発の企業を経て2017年にこの店を開いたのだといいます。

浜松を選んだ理由は「狭いエリアの中に赤土と黒土があり、そしてさまざまな野菜の栽培南限と北限に位置することから、より多彩な野菜を育てられます。今は年間120種ほどを育てています」と今津氏。

土の話、品種の話、流通の話。短い時間の中で有意義な会話を交わす今津氏とフードキュレーターのふたり。帰り際、畑で採れたばかりの大根をもらったふたりは、今津氏と再会を約束して店を後にしました。

この日の前菜は駿河軍鶏とロマネスコ 柑橘オランデーズソース。力強い野菜の存在感が際立つ。

店に隣接する畑にはさまざまな野菜が育っていた。

今津氏が惚れ込んだ浜松の土。吉岡氏もその質に強い興味を示した。

突然の来訪でも快く畑を案内してくれた今津氏。野菜への強い思いが言葉の端々に潜む。

今津氏と奥様が営む小さな店だが、いまや予約必須の人気店。

ファインド アウト静岡キウイの奥深い世界に触れる、キウイテーマパーク

続いての目的地は『キウイフルーツカントリーJAPAN』。ここは1978年にアメリカに渡った先代が、現地で出会ったキウイの種を譲り受けて持ち帰り、独学で築き上げた日本最大のキウイ農園。現在は62品種1200本のキウイの木が育つほか、観光農園としてBBQやクラフト体験など、さまざまな楽しみを提供しています。

ここでは食べ頃を迎えた8品種を試食しながら、平野氏の話に耳を傾けるふたり。
化学肥料を入れず、魚カスや堆肥を使用すること、天然の傾斜と暗渠(あんきょ)排水設備を利用して排水性を高めていること、雑草は一度長く伸ばして土の中に空気を入れてから刈り取ることなど、栽培の秘密を伺います。
「途方もない手間をかけて、自然に近い状態を作っている。おいしさの秘密が垣間見えました」と感しきりの宮内。
以前から平野氏とつきあいのある吉岡も、改めて農園に足を運んだことで、さまざまな新発見があったといいます。

様々な種類のキウイを育てるキウイフルーツJAPANで、この日は9種のキウイを食べ比べ。見た目も様々でこんなに違いがある事も発見。今回頂いたのはどれも完熟のキウイ達で、酸味、甘み、旨味、それぞれ異なる個性が光った。

宮内の資料には品種特性や感想が細かく書き込まれていく。

味わうことがふたりの仕事。深く考えながら、じっくりと味わう姿が印象的。

羊、茶畑、BBQ広場。さまざまな見どころがある観光農園。この丘からはキウイ畑全体が見渡せるが取材時は収穫後、また実りの季節に再開する事を約束した。食材だけでなく、生産者とのつながりを築くことも大切。

昼食は浜名湖名産のうなぎ。ここでも真剣に味を確かめるふたりの姿があった。

途中で立ち寄った『ファーマーズマーケット浜北店』では、種類豊富な柑橘に注目。

ファインド アウト静岡街の活気を創出する、浜松唯一のクラフトビール

夜になっても食の探求は終わりません。ディナーを兼ねてふたりが出かけたのは、浜松唯一のクラフトビールパブ『OCTAGON BREWING』。ここで代表の平野啓介氏と醸造責任者の千葉恭広氏の話を伺います。

平野氏の夢は、浜松をもっと盛り上げること。千葉氏の夢は雑味がなくクリアな味わいの、独自のビールを造ること。ふたりの思いが合致して生まれた醸造所兼ビアパブのこの店は、連日多くの客で賑わいます。そんな心地よい賑わいをBGMに、千葉氏の言葉を聞くフードキュレーターのふたり。

千葉氏は大阪生まれで、学生時代からビール造りを夢見て、ドイツに渡りました。そしてミュンヘン工科大学ビール醸造工学部で学び、実地研修を経てディプロム・ブラウマイスターの資格を取得。帰国後は若手醸造家の技術指導にあたってきたといいます。

しかしその華々しいキャリアよりもなお印象的なのは、千葉氏の輝く目。「とにかくビールが好きでたまらない」という千葉氏の言葉は、ときに専門的な領域にまで及びますが、フードキュレーターのふたりもまた食の専門家。ときに鋭い質問を飛ばしながら、白熱した講義は続きました。

千葉氏に醸造のこだわりを伺うふたり。その評定は真剣そのもの。

色、香り、テクスチャ。宮内の興味は、食の深い部分にまで及ぶ。

シトラス、マンゴー、パインなど華やかに香る「ブレイクアウェイIPA」など、オリジナルの地ビールが常時数種類楽しめるビアバー。

平野氏(左)と千葉氏(右)。ふたりの夢が形をなしたブリュワリーは、いまや浜松になくてはならない店。

ファインド アウト静岡少しずつ見えてきたフードキュレーターふたりの個性。

2月14日、日曜日。この日は月に1回、毎月第2日曜日に開催される『浜松サザンクロスほしの市』の日でした。
もちろん“市”と聞けば、フードキュレーターのふたりがじっとしているはずはありません。

そもそもこの市は、浜松駅南口のシャッター商店街に賑わいを取り戻すことを目的に、2018年から開かれているマーケットイベント。出店店舗は公募型ではなくスカウト型で、浜松に縁があるハイクオリティなショップやアーティストが揃うことで話題を集めました。現在の出店数は35店舗。はじめた当初は800人ほどの人出でしたが、徐々に知名度を高め、コロナ禍前のピーク時には2000〜2500人もの人で賑わいました。

「少しずつ商店街の方にも認めてもらえ、先日はようやくシャッター街に一軒新しい店も開きました」そううれしそうに語るのは、『浜松サザンクロスほしの市』を主催する(株)浜松家守舎CONの 鈴木友美子氏。大勢の人で賑わい、目に見える効果も出る、地方創生イベントの成功例を前に、ショップで次々と食べ物を試食していたフードキュレーターのふたりも強く興味を惹かれた様子でした。


旅はまだまだ続きます。
名物料理を食べ、養鶏場を見学し、農産物直売所の品揃えをチェックし、ハーブティーを試飲する。
食べて、話し、考え、また食べて、考える。そうしているうちに少しずつ、ふたりのフードキュレーターの個性もみえてきます。

食材卸売会社も経営している吉岡は、とくに野菜の知識が豊富。土壌の質や成分、野菜の品種、作柄、旬など、生産者と同じ目線での会話を通し、その魅力を引き出します。そして仲卸として、流通や価格にも気を配ります。

料理人の経験がある宮内は、ジビエも含めた肉、魚から加工品まで総合的な深い知識を有します。そして元料理人らしく、意識するのは口に入る瞬間のこと。加熱するとどうなるか、保存する方法はどうか、味の成分はどうか。料理としての完成形をイメージした食材探求が持ち味です。

それぞれ得意分野を持つフードキュレーター宮内隼人と吉岡隆幸。ふたりが意見を交わしながら食材を見つめることで、より立体的にその魅力が際立ってきます。

次回はいよいよ、今回のリサーチの経験を元に、川田智也シェフにふたりのフードキュレーターが浜松の食材をプレゼンします。
食材ひとつひとつとまっすぐ向き合い、まるで語り合うように食材の本質を読み解く川田シェフ。果たしてふたりのフードキュレーターは、そんな名シェフにどんな食材を、どう見せるのか。次回の記事をぜひお楽しみに。

『浜松サザンクロスほしの市』にはパンやスイーツから蜂蜜、チーズ、焼き鳥まで多彩なグルメも出店。

午前中から大勢の客が詰めかける。コロナ禍を乗り越え、再び活気が戻り始めた。

鈴木氏(中央)をはじめとした『浜松サザンクロスほしの市』実行委員会の3人。

静岡の地鶏・一黒しゃもを育てる『鳥工房かわもり』にて、代表・河守康博氏の解説を受ける。日本古来の黒しゃもの系統であるしずおか食セレクション認定地鶏・一黒しゃも。上質な脂と力強い弾力が魅力。

新鮮な一黒しゃもをその場で塩焼きにする河守氏。「コクがあるのに、臭みがない」(宮内)、「脂がすっきりとしている」(吉岡氏)とともに高評価。

ハーブティーやアロマを扱う『チムグスイ』にて。香りもまた、美味を司る大切な要素。

住所:静岡県浜松市浜北区四大地9-1178 MAP
電話:053-548-4227
定休日:月曜・水曜
https://notice-vegetable.storeinfo.jp/

住所:静岡県掛川市上内田2040 MAP
電話:0537-22-6543 (9:00~17:00)
定休日:木曜日 (1/10~3/20は水・木)
https://kiwicountry.jp

住所:静岡県浜松市中区田町315-25 MAP
電話:053-401-2007
定休日:火曜日
https://octagonbrewing.com/

住所:静岡県浜松市中区砂山町 砂山銀座商店街 MAP
開催日:毎月第2日曜日
開催時間:10:00~15:00 (8月のみ16:00~20:00)
https://hoshinoichi.com

住所:静岡県浜松市浜北区新原6677 MAP
電話:053-586-5633
営業時間:8:30~16:30
https://life.ja-group.jp

電話:0537-86-2538 (9:00~18:00)
http://torikoubou-kawamori.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

軽やかに、しなやかに。新たな時代の「食」の可能性を広げるキュレーションの力[FOOD CURATION ACADEMY]

料理通信社・編集主幹の君島佐和子さん(左)と、日本におけるフードキュレーターの一人として君島さんが名前を挙げる『H3 Food Design』代表の菊池博文氏(右)。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー「フードキュレーション」は、食の未来に何をもたらすか。

「食」の総合プロデューサーを目指す、すべての人に向けて『ONESTORY』が提案する学びの場『FOOD CURATION ACADEMY』。

2020年末の開講以来、多くの方にご視聴いただいている本講座を、より深く楽しんでいただくための特別インタビュー。

2回目となる今回は、講座にも登壇いただいた料理通信社・編集主幹の君島佐和子さんと、全国でさまざまな「食」のプロデュースを行っている『H3 Food Design』代表の菊池博文氏にお話を伺いました。

長年にわたり「食」を取り巻く世界の動きを間近で見つめ、その最前線を伝え続けてきた君島さん。そして、国内外のトップシェフとローカルを結ぶなど、早くからフードキュレーションを実践されてきた菊池氏。おふたりはいま、「食」の未来をどのように見据えているのでしょうか。

地球環境、テクノロジー、価値観、あらゆることが急速な変化にさらされる中、これからの社会に対してフードキュレーションが貢献できることとはいったい何なのか。その可能性を探っていきます。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー社会が期待する「食」の推進力。ビジョンを持った指南役が求められている。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座 #1で、「食」に対する社会の目線の変化を的確な分析で提示した君島さん。

人口爆発や気候変動による食糧危機など、地球全体が直面する大きな社会課題に対して、その解決の推進力を「食」が担うことが期待されるようになってきた、と君島さんは言います。

「“推進力”というとかなりポジティブで、その中に“意図”とか“意思”とかが含まれてきますよね。でも、そもそも人間がものを食べるということ自体が、意図せずともさまざまなことに影響をしていく作用があります。意図とは関係なく、“食”がどういう作用を及ぼすのかというところまで意識を向けることがすごく重要」。

生産から消費まで、どこかの部分だけを切り取るのではなく、一連の流れとして人間の「食べる」という行為が及ぼす影響を把握すること。動植物の循環、地球規模での循環として「食」を考えることが大前提になっています。そんな複雑な社会状況の中で、人間が「食」とどう向き合うべきか、何をどう食べたらいいのか、どう生産したらいいのか。私たちの向かうべき未来へのビジョンを提示する指南役が求められています。

「”食”を俯瞰して全体を見えていないとビジョンは描けない。そういう意味においても、フードキュレーションというのは本当に必要な概念だなと思います」。

「食」への目線の変化は、新たな「食」へのアプローチももたらします。

「昨年、東京・上野の国立科学博物館で『和食~日本の自然、人々の知恵』が企画されましたが(新型コロナウイルスの影響で開催中止)、そもそも博物館で食の展覧会を開くこと自体がこれまでなかったこと。日本各地の地質と水の硬度の関係を示す展示から始まっていたのもとても面白かったです。食と自然との関係はいまさら言うまでもありませんが、食と地域という論点も当たり前になってきて、より深く入ろうとすると、地理・地形・地質と食との関係の探求が必要になってくる。時代がそういう食への探求に向かっているのを感じます。まさに、講座 #3 の地質と食の対談のテーマですね。この対談は、ぜひ私もご一緒したかった(笑)! PCに張り付いて聞き入りました」。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座の第1回「フードキュレーションとは何か」に登壇した君島さん。『フロリレージュ』オーナーシェフの川手寛康氏、『楽農研究所』代表の菊池義一氏、『ONESTORY』のフードキュレーター宮内隼人とともに、「食」業界のいまとこれからを掘り下げた。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビューフードキュレーションは「食」のリベラルアーツ。自らを起点に学びの枝葉を広げていく。

刻々と変化する地球規模での社会課題に対し、いつも感覚を研ぎ澄まし、広範な視野を持って知識をブラッシュアップし続けていくということは並大抵のことではありません。

「私たち取材する側も一緒で、知らなければならないことがたくさんありすぎて、“こういうことを知らないといけないんだよね”って思うと同時に、息苦しさみたいなもの感じていました。課題解決の推進力である”食”という面ばかりが強調されると、タイトで寛容さがなくて。正しさばかりが求められていくことはむしろ怖かったりもします。そう考えると、講座 #1で『ONESTORY』として提案されていた、“フードキュレーションは食のリベラルアーツである”という捉え方がとてもしっくりきます」。

人文科学、自然科学、社会科学。それぞれの分野と「食」との関わりをもっと広く深く理解していこう、考えていこうというフードキュレーションの学び。それは、確固たるフードキュレーションという概念を掲げ、その下に自分を当てはめていくのではなく、「自分にとってのフードキュレーションって何?」と自身を起点として学びを広げていくことではないかと君島さん。

「自分は何のために”食”の仕事をしているのか。その問い直しをしていくことで、自ずと、個々の人のフードキュレーター像が見えてくるのだと思います。目的に対して、より充実させるべきこと、補完すべきことは何なのか、自分が知らなければいけない領域が恐ろしく広がっているということに気付き、視野が広がり、活動の世界も広がっていきます」。

自分はどんな目的意識を持っているのか、何ができるのか、何がしたいのか。そのために、自分の持っている力をどう機能させていくか。そんな自分起点の発想が、領域を超えて活躍するマルチプレイヤーを生み出していくのです。

「『H3 Food Design』の菊池さんはご自身のお店を持たないからこそ、活動がより社会的になっているように思いますし、一方でお店を持っている方には、お店があるからこそできることがあります。目黒でイタリア料理店『Antica Braceria Bell'italia』を営む井上裕一シェフが不動前に開いたワインショップ『ワインマンストア』はワインだけでなく、井上シェフの人脈で、チーズもジェラートも、消毒液も置いてある都市のキオスクみたいなお店。お店もありながらオリジナルのワインも作っていて、5月末にはワイナリー付きの新店舗に移転される予定です。それぞれの立場で、自身が持っている機能を360度全方位で生かそうって考えていくと、自然と領域を超えてさまざまな分野とつながっていく。皆さんの取り組みをみていると、それを強く実感します」。

フードロス、海洋資源の枯渇、そして新型コロナウイルス。地球規模での様々な課題を前に、「この数年で、日本においても料理を作る人の思考が自然に広がっているのを実感する」と、君島さん。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー地方、食、生産者を軸に活動したい。ターニングポイントとなった震災。

君島氏が講座#1の中で、日本で活躍するフードキュレーターの一人として名前を挙げた、『H3 Food Design』の菊池博文氏。菊池氏は自身の仕事を、どのように位置付けているのでしょうか。

立場や関わり方は違えど、根本的にはずっと同じことをやっているなと思っています」と菊池氏。いまに繋がる菊池氏の仕事の原点は、「星野リゾート」に在籍していた2009年ごろから取り組んだ『軽井沢ブレストンコート』の『ブレストンコート・ユカワタン』のプロジェクトでした。

「日本を代表するローカルガストロノミーを真剣につくろうということで、コンセプト設計から開業、そして運営までマネージャーとして担当しました。器やカトラリーも日本の伝統工芸品で揃えたいという思いから、食材よりも工芸品をキュレーションするプロジェクトが先行したのですが、その中でも福井県の龍泉刃物さんとの出会いは、ボキューズ・ドール用のカトラリーの開発にもつながり大成功しました。この経験は僕の中で一つの自信にもつながりました。産地と一緒になって何かを生み出していくことは、今も変わらず続けていることですね」。

2011年3月『ユカワタン』がオープンして数日後、東日本大震災が発生。岩手県の三陸沿岸は菊池氏の故郷でした。「地方とガストロノミーと経済の様々な効果を探っていくことは、むしろ自分自身の故郷が必要としていること、この頃から考えるようになりました」と菊池氏。そんな思いを抱きつつも、2014年にはフランスの三つ星シェフ、レジス・マルコン氏を招き1泊2日の『ユカワタン』のバックステージツアー。ローカルガストロノミーの最前線を学ぶとともに、地域の伝統の食文化や食材を紹介するプログラムは、その後テーマを変えながら全3回行われました。

「食はディスティネーションの目的です。その魅力は、まるで宝物の様に足元に眠っていると思います」。

2016 年、地方と食と生産者という軸でもっと仕事を深めていきたい、そして三陸に特化した仕事に携わりたいという思いから独立。日常の食にフォーカスした拠点として、東京・池袋『もうひとつのdaidokoro』を立ち上げたほか、2019年には念願の三陸での取り組みとなる、『三陸国際ガストロノミー会議2019 立ち上げに参画し、講演プログラムのキュレーションを行いました。

君島さん曰く「社会が菊池さんを共有している」。

その言葉のとおり、菊池氏の視点や感覚が、人と人、人と地域を縦横無尽に結び、地域に新しい風を吹き込んでいくのです。

現在は長野県に暮らす菊池氏。日本各地の「食」における課題解決を実践するギルド的集団『H3 Food Design』の代表として、生産者と国内外のトップシェフ、食のジャーナリストをつないでいる。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー土地の文化を発信しながら文化を再解釈する。「よそ者」が拓く、これからのガストロノミー

そして2021年。いま、菊池氏はどのようなことに取り組んでいるのか。

「今は地方のホテルを変えたいと思っています。ホテルがもっと地元と密着して行ったらどんなことができるんだろうと考えていた時、ちょうど『旧軽井沢KIKYOキュリオ・コレクション・バイ・ヒルトン』の相談を受けたのがはじまりです」。

粉やパティからすべて地元産の食材を使ったハンバーガーを企画して、四季折々の食材を使ったガストロノミーレストランをプロデュース。食材の仕入れ先のほとんどを、地元産に変更しました。

「レストランでの提供に限らず、加工品などのECやイベントやツーリズムなど、ホテルが地元のハブ的な存在になることで、大きな経済効果や雇用をもたらす事が可能です。また、災害時にはダイナミックな購買力やマンパワーを発揮する事が可能です」。

いま、新たに菊池氏が手掛けているホテルは長野県の「松本十帖」と滋賀県「ロテル・デュ・ラク」の2つ。

「地元に新しい風を吹かせるためには、むしろよそ者の方がいいんじゃないかなって思うんです。風土という言葉を分解した時に、"土"は伝統、その土地にずっと受け継がれてきたもの。でもきっとこれまでの歴史の中で、地域のさまざまな街道で、旅人や商人が行き交うことで、その土地に新しい"風"が入って変化が起きていた。革新の"風"と伝統の"土"。新しいガストロノミーの進化を作れるのは"風"を吹かせる旅人なんだっていうのが、僕の中の"風土"の解釈です。『DINING OUT』もまさにそうですよね。今、日本もいろいろな意味で閉塞感から脱しようとしている時期。ガストロノミーの世界も同じです。僕のアプローチは風をもう一度吹かせるというところです。地元の生産者さんと一緒にやっていくのは言わずもがな。一緒に取り組みながら成長して、価値を高めていくということがキュレーションの意味でもあると思います。それが結局のところサステナビリティなんじゃないかなというのが、僕の軸になっています」。

よそ者がもたらす「風」の力を信じながら、もう一つ大切にしているのが「健康」というテーマだという。

「文化から文明に変わり、大量生産、工業生産になっていろいろな食の危機が起こっている。でも日本の地方には、まだまだ大切な食文化がたくさん残っています。そのあたりを紐解くことが次のガストロノミーのヒントになるんじゃないかなと思っています。命を守るとか、家族を大切にするとか、健康を一番に思う”母性”に、ガストロノミーが戻ってきている。文化を発信しながら文化を再解釈していくことが、これからのガストロノミーの中心になってくるんじゃないかなと思っています」。

軽やかに、しなやかに。寛容さを失わない風のような存在が、「食」の未来を切り拓いています。

スペイン・ガリシア地方でシェフのコラボレーションイベントを企画した際に、サンチアゴのシェフの案内で生産者を訪問した時の様子。離れている価値をつなげ、新しい風を吹かせていく。

『信州ガストロノミーツアー(主催:長野県)』を企画運営した際、地元のお母さん世代や招待シェフと共に野沢菜漬けを体験。「これからのガストロノミーのヒントは、地方の食文化にある」と菊池氏。

栃木県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇専攻卒。株式会社パルコ、フリーライターを経て、1995年『料理王国』編集部へ。2002年より編集長を務める。2006年6月、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するフードマガジン『料理通信』を創刊(2021年1月号をもって休刊)。編集長を経て、2017年7月から編集主幹に。“食で未来をつくる・食の未来を考える”をテーマとする「The Cuisine Press」(Web料理通信)では、時代に消費されない本質的な「食の知」を目指して様々なコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞の選考委員。日経新聞の日曜朝刊「NIKKEI The STYLE/」に寄稿。デザイン専門誌『AXIS』、マガジンハウス『アンド プレミアム』でコラムを連載。著書に『外食2.0』。

岩手県・山田町出身。軽井沢を拠点に、「地方から地方へ」をテーマにローカル× ガストロノミーの各種イベント企画等を展開中。 ANAホテル 東京、フォーシーズンズホテル東京、グッチ・ジャパンを経て、2001年に星野リゾート参画。デンマーク 『NOMA』のレネ氏が来日した際『NOMA TOKYO Mandarin oriental Tokyo⻑野ツアー』を担当。星野リゾート料飲統括ユニットへ参画後、2016年に独立。『H3 Food Design』として日本各地においてガストロノミーを起点とし たソーシャルデザインを行っている。J.S.A認定ソムリエ、 調理師免許、フードツーリズムマイスター取得。

 

シェフとフードキュレーターがめぐる静岡。食のプロたちを驚かせる、海、山、畑の宝物。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

ファインド アウト 静岡OVERVIEW

静岡県。ここは日本一高い山と日本一深い海を持ち、肥沃な大地と豊富な水と温暖な気候に恵まれた地。関東と関西の中間に位置し、多彩な食文化が行き交い、混ざり合う地。そして東西長約155kmという広さの中に驚くべき多様性を秘めた地。

伊豆、静岡、焼津、藤枝、浜松、それに富士山の麓や海沿いの港町。エリアが変わる度にまったく異なる様相を呈する静岡県の食材たち。

今回は、まず徹底的に食材や食文化をリサーチして掘り起こし、そして見つけ出した食材を一流料理人にプレゼンテーションして評価していただく、という二段構えの構成で、静岡県の食材の豊かさをお伝えします。

題して「FIND OUT SHIZUOKA」知られざる静岡の一級食材をフードキュレーターが探し出す。

食材リサーチを担当するのは、宮内隼人と吉岡隆幸というONESTORYの2名のフードキュレーター。
フードキュレーターとは、まだ見ぬ素晴らしい食材を探し日本中を飛び回る食材のプロフェッショナル。ある食材の製法の科学的根拠や土地柄、歴史背景までを紐解きながら、その内に潜む物語を探る探究家。食材と人、食材と食材、人と人を結び、新たな価値を創出する食のプロデューサー。
そして2名とも、過去開催された『DINING OUT』で一流のシェフと食材生産者の間に入り、食材の価値を料理人にわかりやすく伝えていく、いわば翻訳者的な役割もこなしてきました。

そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。

さて、2名が今回向かったのは、浜松を含む静岡県中西部エリア。浜名湖の恵み、海の幸、こだわりの豚や鳥など、中華料理に役立ちそうな食材が多い事が予測された為、まずはこのエリアが選定されました。
この食材の宝庫でふたりはどんな生産者と出会い、どんな食材を見つけ出すのでしょうか。そして、発掘した食材を川田シェフはどう見つめ、何を感じ取るのでしょうか。その様子をお伝えします。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

「このままでは地域から希望の光が消えてしまう。それはあってはならない」Zenagi/岡部統行

オーナーの岡部統行氏はホテル業界とは無縁の人だが、人の縁に導かれ『Zenagi』を開業。新型コロナウイルスによって苦しい状況が続くも、自らの理念である“100年後の日本を作る”ことに向け、前を向く。

旅の再開は、再会の旅へ。100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれない。

長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)。ほぼ岐阜との県境に位置し、人口はわずか4,000人あまり。奥深い山中にあるそこは、「日本で最も美しい村」連合にも認定されており、中山道妻籠宿(つまごじゅく)という江戸時代の風情を色濃く残す古い宿場町でもあります。

そんな日本人すら知る人が少ないこの町へ、実は感度の高い外国人が足繁く訪れていました。
しかし、新型コロナウイルスによって海外の行き来はなくなり、国内の移動においても困難に。自粛や緊急事態宣言によって、人と人のコミュニケーションは遮断され、日常は奪われてしまいました。

「何とか耐えている状況です」。そう切実に語るのは、『Zenagi』の岡部統行氏です。

2019年4月、突如誕生したそこは、世界基準とも言えるハイクラスなホテル。これは高価格という意味だけでなく、文化的な感度の高さを表します。

「オープン以降、世界中の旅行代理店や海外メディアにたくさん来ていただき 何とか“種播き”の1年目を越え、“収穫”の2年目へと向かおうとしている中、新型コロナウイルスの問題が起きました。お客様の7割が欧米からのインバウンドだったこともあり、言葉にできないほど大きな打撃を受けました。自分たちの力ではどうしようもない事態を前に、ただただ無力でした。しかし、そんな中でホテルを支えてくださったのは、日本人のお客様たちでした。今は、リピーターやファンの皆さまに応援をいただきながら、なんとか“耐えている”状況です」。

南木曽町田立(ただち)という、和紙の里でもある棚田の最上部に立つホテルの部屋数は、わずか3室。12名が宿泊人数の上限です。江戸時代後期から明治初期に建てられたという古民家を改装して開業したそこは、単なる古民家ではありません。材木取引などで大きな財を成した豪農が所有していた建物は、内部空間の梁を見るだけで、その贅を尽くした造りに圧倒されます。新設した開口部からは広大な自然を望み、空間には、木曽地方の木材やそれを使用した家具、漆器などの伝統工芸が配されます。上質と文化が交錯する時間は、ここだから体験できる特別。

「新型コロナウイルスの前から考えていた計画なのですが、ホテルを“1日1組限定のプライベート・リゾート”にすることにしました。もともと1組のお客様のために10名近いスタッフが力を合わせて、“最高の休日”を演出することに魅力を感じていました。ご家族やパートナー、友人たちとの“一生の思い出”をご提供差し上げることが我々の仕事だと思っています。先日もリピーターのご家族が来た際、“ここにだけは、新型コロナウイルスでも変わらない素敵な世界がある”と笑顔をいただいたことが心に残っています。また、お客様がホテルやレストランに来られない間にも“お客様とつながる方法”がないか思案する中、わたしたち自身のことを発信できる自社メディアを立ち上げる計画をしています。そこで地元の生産者さんの食材や職人さんの工芸作品などの販売もしていく予定です。いつもお世話になっている地域の方に、わたしたちにできることです」。

苦しい時こそ、自分たちは地域にどんな貢献ができるのか。それは、開業前より、町や人とのつながりを常に大切にしてきた岡部氏だからこそ思うことでもあります。それでも、歯止めなく押し寄せる様々な問題に不安を募らせます。

地域の皆さんが希望を失いかけていると思います。新型コロナウイルス前から地方の衰退はとても激しいものがありました。人口4,000人の消滅可能性都市で毎年50〜100人ずつ人口が減っていくのは、本当に恐ろしいことです。そこに、突然、今回の難局が降りかかり、町の唯一の希望だった観光業が壊滅的な被害を受けています。このままでは、地域から希望の光が消えてしまいそうで、不安でなりません」。

地域にもよりますが、自粛や緊急事態宣言は、人々の生活を大きく変えました。飲食業は時短営業を強いられ、保証や支援があるも、抱えている問題はそれぞれ異なり、一律で解決できない現状もあります。

「ホテルやレストランは、新型コロナウイルスによって一番被害を受けている業界と言われています。私自身、その通りだと実感をしています。しかし、こんな時だからこそ“ホテルやレストランにできること”もあると考えています。ホテルやレストランは、夢や価値観を皆さんと共有できる場所です。コロナ禍によってライフスタイルや価値観が大きく変化する時だからこそ、“新しい夢”、“新しい価値観”を皆さまと共有できる時なのだとも思います。我々の会社の理念は、“100年後の日本を作る”ことにあります。地方の衰退も人口減少もコロナの危機も乗り越え、どんな100年後の日本を夢見るのか? 自分たちが考えていることや日々取り組んでいることを、今後、少しずつでもお伝えしていきたいと思っています」。

100歳時代と謳われる昨今、100年後は近いか遠いか。しかし、ひとつわかることがあるとすれば、その未来のために今何ができるのかを真摯に向き合い、この難局をただの過去で終わらせてはいけないということではないでしょうか。様々な難局を先人たちが生き抜いてきたように。

「こういう時は、近くだけでなく遠くを見ることが大事だと思っています。例え、今は辛くても、100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれません。我々は、遠くを夢見て、今日も一歩一歩進んでいきます。一緒に乗り越えましょう! そして、皆様と再会できることを楽しみにしています」。

ライトアップされた『Zenagi』の全景。シルエットになっている山が伊勢山だ。インバウンドへの火付け役とされているのは、2016年にイギリスBBCで放送された『ジョアンナ・ラムレイが見た日本』という番組だった。

現代では到底採れないような材木の柱や梁が巡らされたロビー空間。天井には見飽きることのない静岡の竹細工職人による照明の「光と陰」。

元はお蚕場だった2階が客室に改装されている。眺めが一番良い「松」の間。

妻籠に迫る夕闇。妻籠の風景に欠かせない伊勢山が遠く霞む。『Zenagi』は、山の反対側に位置する17時にはほとんどの店が閉まってしまうが、そこから江戸の風情が湧き上がる。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222  MAP
https://zen-resorts.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

14ozセルビッチデニムポーチ

セルビッチデニムでつくったポーチが大きくなって新登場!

  • 【IHG-092】よりも少し大きいサイズになります(画像をご参照ください)
  • ジーンズと同じ素材のため色落ちします
  • ガンガン使ってジーンズの様な経年劣化をお楽しみください。
  • 21ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-092】もございます。
  • 25ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-093】もございます。
  • 21oz黒鎧デニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-094】もございます。
  • サイズは商品により多少の誤差が生じる場合がございます

素材

  • 綿:100%

「自分ではない誰かのために」人を思う心こそが、ものづくりの原動力。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・Restaurant MOTOÏ/京都府京都市]

面識はあったが語り合うのは初めてのふたり。話は深く、心の内にまで及んだ。

MOTOÏ × 堀木エリ子町家、フレンチ、シャンパーニュ。複雑に絡み合う3つの要素。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

今回の舞台は、京都の路地に暖簾を掲げる『Restaurant MOTOÏ』です。

築100年の町家をリノベートした重厚な空間で供される、前田 元シェフのモダンフレンチ。それは空間の品格から想像するよりも自由奔放で、ときにフレンチという枠にさえ収まりきらない独自のスタイル。2012年のオープンから1年を待たずしてミシュランの星を獲得した事実は、このスタイルが単に奇をてらうのではなく、確かな技術とロジックに裏付けられていることの証明かもしれません。

堀木さんの事務所からもほど近く、過去にも何度か訪れたことがあるというこのレストラン。前田シェフは「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にどのような料理を合わせ、堀木さんはそこに何を見出すのか。

未知なるマリアージュが始まります。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

窒息させて血をとどめるエトフェという技法で、濃厚な旨味を湛える七谷鴨(ななたにかも)が主役のひと皿。

フレンチのほか、10年に渡る中華料理の経験も持つ前田シェフ。その技法は随所に活かされる。

温度を確かめるのは手。「熱いのですが、集中していると不思議と熱くないんです」と前田シェフ。

MOTOÏ × 堀木エリ子特別な時間を彩る、特別なレストラン。

「以前、友人にこの店で誕生日を祝ってもらったことがあります。その印象もありますが、私にとってここは特別な時に利用する、特別なお店です」。

中庭を臨むテーブルに着き、堀木さんはそう話しはじめました。そして口をつぐみ、しばし店内を見回します。

築100年超、かつて呉服商の邸宅だったというこの空間。庭木がもっとも美しく見えるよう一段下げられた床、重厚な天井を支えるように整然と並ぶ梁、いまや希少な大正ガラスを通し少し波打って見える木々。

京都を拠点に活躍する堀木さんにとって、この新旧が違和感なく調和する空間はきっと馴染み深いものなのでしょう。しばしの無言は決して居心地の悪いものではなく、むしろこの空間に浸っている時間だったのかもしれません。

やがて前田シェフの手で料理が運ばれてきました。

「京都・亀岡の七谷鴨です」という前田シェフの言葉通り、それは上質な鴨肉を余すところなく盛り込んだ一皿。胸肉はロースト、内臓はパテ、モモ肉はミンチにしてコンソメを取り聖護院大根に染み込ませています。添えられたクレソンは、シェフが早朝に清流の中から摘んできたもの。

このコンセプチュアルな料理は、果たしてどのように「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合うのでしょうか。

中華の技法で取ったコンソメなど、随所に中華料理の経験も持つ前田シェフらしさが光る。

店の考え方を出さず、自由に楽しんでもらうことが前田シェフの信条。

料理に潜ませた山椒や胡椒が「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合う。

MOTOÏ × 堀木エリ子食べる順序で味わいが変わるひと皿は、「まるで魔法」。

運ばれてきた鴨を口に運んだ堀木さんは、しばし咀嚼し、「おいしい。って当たり前ですけど、やっぱりその言葉が出てしまいますね」と笑います。それから「甘みがあり、臭みははく、鴨の旨味が凝縮されています。つまり、おいしいんです」と付け加えました。

次いで「大根はいわばソース代わりです」という前田シェフの説明を聞き、大根をひと口。

「上品でふくよかな“ソース”ですね。最初に山椒が香り、最後に胡椒の余韻が残る。鴨の旨味がいっそう引き立ちます」と称えました。

そして待ちわびたようにグラスに手を伸ばし、「本当にぴったり。料理の余韻をシャンパーニュが優しく包んでくれるような印象です」と堀木さん。さらに今度はパテを味わい、再びシャンパーニュをひと口。

「今度はシャンパーニュが口の中で弾けます。鴨、大根、パテ。食べる順番を変えるだけで味の感じ方が一変し、続くシャンパーニュの印象も違ってきます。一皿の料理とは思えない、まるで魔法です!」と驚きの表情を浮かべます。

前田シェフは我が意を得たりと微笑み、料理の種明かし。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、エレガントかつスパイシーという複雑な味わい。そのさまざまな要素を引き出せるよう、料理も皿の中で多様性を持たせました。クレソンは水温が低い今の時期は、ワサビのような辛味がありますので、これで口の中をリセットして多彩な味わい方をお楽しみ頂けます」と複雑な計算が潜んでいることを教えてくれました。

「フランス料理には型があるが、ここにはそれがない。それこそ前田シェフの本質」と堀木さん。

「自分が行かないと嘘になる」と毎朝5時過ぎに市場に通う前田シェフ。

料理と和紙。ジャンルは違うが、ものづくりに挑む姿勢は驚くほど共通していたふたり。

MOTOÏ × 堀木エリ子誰かを思う心が、思いがけない力を生む。

これまでに何度か堀木さんが店を訪れ、互いに面識はあったふたり。実はそれ以前にも、ふたりが交差したタイミングがありました。それは前田シェフがかつて働いた期間限定レストランでのこと。

「レストランとして使っていた空間に、堀木さんの作品が飾られていたんです。光の加減によって見え方が変わる和紙。こんな美しいものを見ながら仕事ができるなんて、と幸せに思っていたことを覚えています」そう振り返る前田シェフ。

「誰かに見てもらうこと、誰かを喜ばせること、それがものづくりの基本ですから、そのお言葉はとてもうれしいです。そして前田シェフもきっと同じなのだと思います。先日“餃子”を食べて確信しました」。

堀木さんが話す「餃子」とは前田シェフが手掛け、2020年11月にオープンしたばかりの新店、その名も『モトイギョーザ』のこと。

「はじめはフレンチの前田シェフが餃子と聞いて驚いたのですが、お話を聞いて納得しました。家族のために家で作っていた餃子が起点なんですね」。

「その通りです。この社会情勢のなかで何かできることはないか、と考えていたときに、前から娘のために作っていた餃子を思い出しました。いつも早朝から仕入れに出かけ、帰るのは深夜。もっと娘の笑顔が見たいと、毎晩、娘の好きな餃子を試作しました。ニンニクを使わず、好物のパクチーとエビを入れて、もちろん無添加で。それが形になったのが『モトイギョーザ』です」と前田シェフ。

誰かのためになら、もっとがんばれる。そんな堀木さんの思いは、目の前のグラスを満たすシャンパーニュにも及びます。

「シャンパーニュも同じですね。十字軍で遠征したエルサレムで兵士が口にしたブドウ酒。それがおいしくて、故郷の皆にも伝えたい、と苗木を持ち帰ったのがシャンパーニュのはじまりですから。自分のためではなく誰かのため。それが思わぬ力を生むのかもしれませんね」。

「京都でやる、イコール京都の文化を伝えていくこと。その部分は大切にしたい」と前田シェフは語った。

空間設計にデザイナーは入れず、すべて前田シェフの思い描いた通りに設えたという。

フランス料理、和紙、シャンパーニュ、町家。どれも伝統を守り、今の時代に合わせて表現し、伝えていくもの。

MOTOÏ × 堀木エリ子なぜ? を考え続けることが次へのステップに。

偶然も必然も含め、幾度も互いの歩みが交差した前田シェフと堀木さん。同じ京都を拠点とし、そしてものづくりに向き合う姿勢にも多くの共通点がありました。

たとえば、今回堀木さんが手掛けた「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のギフトパッケージは、熨斗のように箱を包む形。これは「紙で包むことにより物を浄化して人に差し上げる」という日本古来の文化を取り入れた表現です。

一方、前田シェフのコースに箸を使う料理が登場する際、箸はゲストの正面に横向きに置かれます。これも結界を意味する日本古来の作法。「なぜそうするのか、を常に考えます。他のレストランに行くときも、食材の組み合わせやソースを“なぜ”使っているのか、と考えます」という前田シェフの言葉に、堀木さんも深くうなずきます。

「例えば、居心地の悪い喫茶店があったとして、普通ならもう行かなければ良いだけのことですよね。でも私は友人と話しながら頭の片隅で、“なぜ居心地が悪いのか”を考えてしまうんです。そして“自分だったらこうしてみよう”というアイデアが生まれる。常に考え続けること、それが思いの深さなのでしょう」と堀木さん。

京都という特別な地を舞台にする理由。受け継がれる伝統の捉え方と、その上に成り立つ革新の意味。今の時代を反映し、未来につなげるものづくり。

深く深く掘り下げていく似た者同士のふたりの会話は、まるで自分自身に問いかけているようでもありました。

愛情、おもてなし、思いやり。ふたりの間で多くの言葉が語られたが、その本質はどれも「誰かを思う心」で共通していた。

住所:京都市中京区富小路二条下ル俵屋町186 MAP
TEL:075-231-0709
https://kyoto-motoi.com/

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

(supported by TAITTINGER)

好きな風景

皆様こんにちは( ´ ▽ ` )

デニムストリートは倉敷に市にありまして、倉敷といえば観光地で美観地区が有名ですがもう一つおすすめスポットを紹介します(・∀・)



水島展望台という場所から見た夜景が


サイッコーなんですよ(*゚▽゚*)

見えている景色は水島工業地帯という24時間稼働している工場の夜景です!

美観地区から車で30分ぐらいで着いてジーンズの聖地である児島の近くになります。

カップルで行くもよし、バイカーさんはツーリングで行くもよしでおすすめスポットです(*゚▽゚*)

昼は是非デニムストリートに寄って買い物を楽しんでもらい、夜は夜景を楽しむと言うのがオススメです!

「人類は地球を制御できない。今こそ、人類のサイクルから地球のサイクルへ」デザイナー・皆川 明

「コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました」と皆川 明氏。Photograph:Shoji Onuma

皆川 明 インタビュー不思議な時間の中、もの作りは進んでいった。

「このシーズンは、私たちにとって不思議な時間の中でものづくりが進んでいきました。今在る不安はどこまで続くのか、それはどのように晴れていくのか。その中で浮かぶ風景は雲の合間から、刺す光の景色や生き物が微かに、しかし途切れることのない繋がりを持つようなイメージでした。そして過去の様々な困難を乗り越えてきたこと、それが次の世界へと繋がる扉であることを信じる気持ちが湧いてきました。デザインは、マイナスの要因がある時こそ大切な拠り所になりたいと思います。このシーズンが皆さまの日々の暮らしの新しい喜びのひとかけらとなることを願いながら」。

この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rainを発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。

その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。

今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。

「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。

皆川氏と共に、考えていきたいと思います。

「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila

皆川 明 インタビューゼロイチだけではない。イチ以降も蓄積されるデザイン。

『ミナ ペルホネン』の特徴は、オリジナルの図案によるファブリックを作るところから服作りを進めることにあり、その表現はファッションの領域を超え、多岐にわたります。

インテリアでは、アルヴァ・アアルトやハンス J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセンなどが手がける名作家具とのコラボレーションを発表。坂倉準三や柳宗理、剣持勇などで知られる『天童木工』やジョージ・ナカシマで知られる『桜製作所』では、椅子などのデザインを自ら手掛けます。そのほか、デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデンの『KLIPPAN(クリッパン)』といったテキスタイルブランドやイタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、テーブルウェアや雑貨のデザイン、新聞や雑誌の挿画の制作、更には、香川県豊島の一日一組の宿『UMITOTA(ウミトタ)』ではディレクションを担います。

その全てのデザインを可能にするのは、前述にある「ファブリックを作るところから服作りを進める」哲学にあると思います。つまり、ゼロからの創造です。しかし、それだけではないのが『ミナ ペルホネン』。

例えば、一般的なファッションブランドは、各年の春夏・秋冬の発表からシーズン後のセールという定常に対し、『ミナ ペルホネン』は同じデザインの服を何年も作り続けています。また、皆川氏が手掛けた『金沢21世紀美術館』のスタッフユニフォームにはパッチワークを採用。その理由に「穴が空いたり破れたりしても補修が目立たず、長く着ることができるデザインを考えました」と話します。ゼロイチから創造されたものは、イチ以降も蓄積を重ね、歳と共に生きていきます。いや、それ以上かもしれません。なぜなら、「ものは人の命よりも遥かに長く生き続けるから」です。

昨今、サスティナブルという言葉が市民権を得ましたが、皆川氏は、もっと以前より、その思考を持って『ミナ ペルホネン』をスタートしていたのです。

『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』社により作られている「Series 7」の60周年を記念して誕生したラインナップ。アルネ・ヤコブセンが「Series 7」のために選んだ色から皆川氏がインスピレーションを得て、経年変化を楽しめるテキスタイル「-dop-」から6色を選択。パッチワークにて仕上げた作品。Photograph:Kotaro Tanaka

桜製作所と共に製作した「lotus stool」。「公園の池に揺られる背の高い蓮からインスピレーションを受け作りました」と皆川氏。Photograph:Koji Honda

デンマークの『クヴァドラ』(左)やスウェーデンの『クリッパン』(右)にもテキスタイルデザインを提供。Photograph left:Patricia Parinejad

香川県豊島の一日一組の宿『ウミトタ』では、ディレクションを担う。『ミナ ペルホネン』のテキスタイルに囲まれて過ごす時間は、より一層特別な宿泊体験となるだろう。設計は、『シンプリティ』の緒方慎一郎氏が手がける。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
天然資源には限りがある。地球の循環を理解し、100年先も「つづく」社会へ。

『ミナ ペルホネン』の前身となる『ミナ』を創設したのは1995年。「せめて100年つづくブランドに」という思いから始まったその歩みは、2020年に25周年を迎えました。2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、その集大成と言って良いでしょう。

その会期終了間際に世界を震撼させたのが新型コロナウイルスだったのです。「まさかこんなことになるなんて……」。今なお「つづく」誰もが予想しなかった難局と同年に周年を迎えた『ミナ ペルホネン』は、今後、どう「つづく」のか。

同展覧会にはこれまでの歩みも年表として描かれ、その最後は、創設から100年先の2095年という未来に向けられています。その項目には、「過ぎた100年を根としてこれからの100年を続けたい」というメッセージが綴られていました。

人類は、新型コロナウイルスから何かを学び、それを根にできるのか。そして、100年後には、どんな世界が続いているのか。

「ものを作るということは、それを伝えるということまでを含んでおり、その伝えるという方法が新型コロナウイルス後は大きく変化したと思います。それについては、新たな方法を考える喜びになっています。生活は、海外への渡航がなくなり、未知の土地や文化の体験ができないようにも感じていましたが、身近な人との新たな関係や日々の小さな要素からの気づきが増えたと思います。どんなに世界が変わってしまっても、大切なことは変わりません。デザインによって暮らしの喜びは生まれ、そこから更に生まれる記憶が人生に幸福感をもたらすと信じています」。

消費するものではなく、生産するもの。
作る先にある、直すことまで目を向ける。

ある意味、人類は地球を支配してしまったのかもしれません。いや、支配できたと勘違いしてしまったのかもしれません。

それに気づきを与えたのが、新型コロナウイルスだったのではないでしょうか。

これから人類は、どう生きるべきか。

「地球の変化に耳を傾け、人間の作ったサイクルを地球全体のサイクルと整合させていく必要があると思います。それには、肥大した欲の制御と本質的な幸福感への理解が必要されるのではないでしょうか」。

2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、『ミナ ペルホネン』と皆川氏の集大成とも言える展覧会。テキスタイル、ファッション、インテリアなど、ありとあらゆる作品が一堂に会した。写真は、2020年7月30日から11月8日まで『兵庫県立美術館』にて開催された特別展『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』の「雲セクション」展示風景。Photograph:L . A . TOMARI

産地、手仕事、職人を大切にしている『ミナ ペルホネン』。どんなにテクノロジーが発達しても、丁寧なもの作りに勝るものはない。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
全世界が同時に恐怖を知った。その真実を人類は生かさなければいけない。

新型コロナウイルスの特徴は数あれど、人類が迎えた難局の特徴はひとつ。それは、この問題が世界同時に発生したということです。日本のみ、アジアのみ、アメリカのみ、ヨーロッパのみなど、ある特定の国や地域で発生する件であれば、これまでもしかり、今後も可能性としてはありうると思います。しかし、全世界が同時に恐怖を知る難局は、これからの事例としても稀有なのではないでしょうか。

「全世界、同時に問題が発生したことを人類は未来に生かさなければいけないと思います。人類は地球をコントロールできるという認識を改め、経済性グローバリズムの次の世界を見つける機会と捉えるべきだと思います」。

地球環境は、ファッションとは切り離せない世界。コットンやリネン、ウールなど、原料となるほとんどは、自然から生まれます。

「多くの天然素材が使われるファッションは、その原料となる自然物を保護し、その環境を守りながら利用させていただかなければいけません。それは量だけではなく、生態系のバランスへの配慮も必要です。生産量は、許容される範囲に絞り、経済合理性による環境破壊をしてはいけません」。

人の活動停止により、自然は生命力が漲りました。澄んだ空気、透き通る海や運河、希少な生き物における繁殖率の増加など、世界各地で好転現象は見られています。皮肉なことに、新型コロナウイルスによって窮地に立たされているのは、人類のみ。

一方、コミュニケーションのためにテクノロジーの進化を加速させました。SNSやオンラインなどは、その好例ですが、同時に進化するスピードに使い手は追いつけず、モラルや道徳心も必要とされます。

「テクノロジーを正しく取り入れることにより、人と人をつなぎ、互いのプラスをつなぎ、より良い社会は創造できると思います。例えば、デザイナー、製造業、職人を適正にするシステムを世界的につなぐことができれば、人の特性をより生かし、テクノロジーが人を生かす社会も作れると思います」。

もちろん、そこには想いや心、愛は必要不可欠であり、いつの時代においても普遍的な価値は命から生まれます。

「デザインとは、作り手において作るという喜びを、使い手において使うという喜びを、同時に創造する行為だと思います。それが自分にとってのデザインです。コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました。何のために活動し続けるのか、表現し続けるのか、その先にあるものは何か……。色々、考えるきっかけにもなりました。自分は、喜びの循環と物質的循環の両輪を思考し、具体化することをデザインで表現したい。その先には、経済的価値から生きることの意味に向き合う未来があると信じているからです」。

1967年生まれ。1995年に『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』の前身である『minä』を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデン『KLIPPAN(クリッパン)』などのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。
https://www.mina-perhonen.jp
 
Text:YUICHI KIRAMOCHI

栃木レザー ミニトラッカーウォレット

ミニトラッカーウォレットがリニューアルして,新色追加で再登場!

  • 【IHG-082】栃木レザー トラッカーウォレットのミニサイズ版です
  • ポケットにすっぽり収まるサイズ感で、上着の内ポケットにも入ります
  • 背面、内側のカード入れは逆さにしても落ちないよう一般的なカードのジャストサイズ設定です
  • カード入れが2ヶ所とフラップ付きのメイン気室で構成されています
  • ミニウォレットやパスケース、また名刺入れ等小さいながらに用途の広い商品です
  • 各パーツは真鍮で表のボタン、センター部分にはアイアンハートの刻印入りです
  • ハトメを付けているのでウォレットチェーンやキーホルダー等も付けられるようにしています

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

ものを結び、人を結び、ことを結ぶ。意志あるところに道は拓ける。

「全てが急務なのは、日本だけでなく全世界共通。『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトがスピード感を持って遂行できたことは、コロナ禍だったからだと思います。この感覚は、今後の社会にも活かすべきだと思います」と鈴木さん。

困ったときほど美味しいものを!

大阪=食の街? くいだおれの街? それならば、困ったときほどおいしいを貫く。

2020年2月より、新型コロナウイルスは、世界中に感染拡大。今なお、終息の目処は立たず、困惑する日々が続いています。

テレワーク、自粛、緊急事態宣言など、これまで経験したことのない生活は、人々から日常を奪い、それによって経済は破綻。苦難する業界は多々あるも、メディアの報道も手伝い、飲食業界がそのひとつであることは周知の通りです。

政府による保証や支援があるも、状況は店によって異なるため、一律では解決できない問題もあります。飲食店の難局は、一次産業の難局にもつながるため、出口の見えない不協和音は拡がる一方。

しかし、手放しに営業や集客を正義と見せるのは困難を極め、やはり医療現場の改善こそ急務を要します。

飲食店も応援したい、医療従事者も応援したい。何かできないか。

そんな時に立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB(大阪フードラボ)』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

大阪といえば、名レストラン『HAJIME』の米田 肇シェフが行った署名活動は記憶に新しく、鈴木さんは、同活動における影の立役者でもありました。

そして、同時進行していたプロジェクトこそ、今回の主である『困ったときほど美味しいものを!』だったのです。

2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と同プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届ける活動です。

「医療従事者に元気になってもらいたい。せめて、おいしい食事を食べて欲しい。そんな想いから始めた活動ですが、続けられる仕組みがないと一過性のものになってしまうと思いました。『困ったときほど美味しいものを!』は、食事を買い取ることによって飲食店への支援にもつながり、一次産業の支援にもつながります。更に、このプロジェクトは、本件だけでなく、今後起こりうる災害時などにも有用できると思っています」。

実は、立案から本格始動の間は、『Office musubi』の持ち出しで食事の買い取りを行い、医療現場へ配達。そこまでしても「早急にやるべき」だと鈴木さんは判断したのです。

「色々な方々にアドバイスをいただきながら、複数の医療機関にもコンタクトを取り、手探りから始めました。通常であれば、立ち上げまで時間がかかっていましたが、様々な機関と共にスピード感を持って遂行できたのは、コロナ禍だったからだと考えます。今やらないと間に合わない。時間をかけては意味がない。今は、そんなことが受け入れられている時期。これは社会全体として今後も活かすべきだと思います」。

その情熱は、飲食店にも連鎖。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画します。

さらには、一次産業にも連鎖。

大阪だけでなく、近県へと輪は拡がり、「是非、応援したい!」、「今回のプロジェクトのために使ってください!」、「医療従事者のためなら!」と、新鮮な食材が届きます。

京都府右京区『吉田農園』の棚田米。和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。和歌山県みなべ町『なかはや果樹園』の梅干し、ミニトマト。和歌山県有田郡湯浅町『善兵衛農園』の三宝柑、和歌山県田辺市龍神村『Tofu&Botanical Kitchen LOIN(ルアン)』の豆腐、しいたけ。和歌山県和歌山市『小川農園』のフェンネル、生姜、菜の花……。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、自分たちの想像をはるかに超えたものになっていると実感しています。大阪は、“食の街”、“くいだおれの街”と謳われていますが、それならば、困ったときほどおいしいを貫くべき。どんな時でもおいしいものを提供したい、おいしいものを食べられる街にしたい。そんな食の仕組み、インフラが今回のプロジェクトです。これで終わりではありません。まだまだこれから。大阪の食を、日本の食を、世界に結ぶために、私は活動し続けます」。

取材当日に送られてきたのは、京都府右京区『吉田農園』の棚田米。鈴木さん、シェフだけでなく、「おいしい」の裏側には様々な人の想いが込められている。

 取材後、鈴木さんのもとに送られてきた果物は、和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。主催側から支援を募るでもなく、SNSや周囲の活動を知り、自ら連絡をしてくる生産者たち。

 食材を支援していただいた生産者たちをメモし、参画するシェフとも共有。「シェフたちも、どんな生産者が作った食材なのかを理解して料理する方が気持ちは入ります。少しも無駄を出さず、使わせていただいています。本当に感謝しかありません」。

困ったときほど美味しいものを!

私は世界を目指している。それまでのことは、全て通過点。

大学時代、海外への留学経験を持つ鈴木裕子さんは、「振り返れば、あの時に私の生き方は形成されたのかもしれません」と自身を振り返ります。

アメリカはコロラド州デンバーへ。半年の留学のつもりが結局、卒業まで。その後、帰国するかと思いきや就職まで。

鈴木さん曰く、「計画型ではなく、展開型(笑)」の性格は、やや場当たり!? ライブな進路は、帰国後も続きます。

「海外での仕事を経験してきたので、英語を活かせる業務や各国へも行き来できる大手外資系に勤めました。最初は、いわゆるキャリアウーマンとしてバリバリやっている毎日に充実していましたが、ある時、ふと思ったのです。私、歯車の一部になっていないかな?と」。

一度、そう思うと後に引けなくなる性分の鈴木さんは、転職先も決めず、すぐに離職。次は、極端に人数の少ない10人以下の会社を探します。

「最後、どちらか悩んだ2社があったのですが、安定ではなく挑戦している会社を選びました。リスクを取って私も挑戦してみたかったのです」。

その中で、鈴木さんは大きな変化を感じます。

「企業名ではなく、個人名で仕事をしている方々に出会い、能力のある個人は活躍できるのだと知りました。この企業に発注したいのではなく、この人に発注したい。その経験は、今の自分の基礎になっていると思います」。

しかし、その後、業務過多と様々あり、体調を壊してしまい、離職。結婚し、働く環境から身を離れた田舎で専業主婦をしていたことも。しばしの時を経て「ゆっくりこれからのことを考えよう」と思っていた時、以前、付き合いのあった経産省より一本の連絡が。新たに発足するプロジェクトのメンバーへの誘いです。

それは、『2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan)』、通称『愛知万博』を視野に立ち上がった『グレーターナゴヤイニシアティブ』でした。

愛知県は、鈴木さんの故郷でもあります。

「今もそうですが、本当に周囲に支えられています。『グレーターナゴヤイニシアティブ』には、約2年間携わりました。その後、これからどうしようかと思っていたら……。今度は、同プロジェクトにも参画していた『JETRO(ジェトロ)』より声をかけていただき、民間アドバイザーとしてご一緒することになりました。当時の『ジェトロ』は、車や機械ばかりを取り扱い、なぜ食をやらないんだろうなと漠然に思っていました。そんな時、政府が農水産物輸出を強化していく指針を発表し、私も食を中心に海外日本誘致も取り組んでいました。そこでレストランや食関係の方々と多く出会うようになったのです。みんなピュアな人たちで、ただおいしいものを作りたい、誰かに食べてもらいたい。喜ぶ顔を見たい。そう思っているシェフや生産者の働く姿や生きる姿を見て、自分の価値観が変わりました。働くことは生きることだと思います。であれば、好きな方々とご一緒したい。時間を過ごしたい。そう思いました」。

『ジェトロ』では、約2年半勤務。シェフでもない、農家でもない、生産者でもない鈴木さんは、どうすれば食を通して社会に貢献できるのか考えます。

「これまでの経験を活かし、食専門のマーケティングならできるかも!と思いました。最初は周囲に反対されましたが、反対されるってことは誰もやってないということですし(笑)」。

反対……。誰かが良いと判を押したものに良いと言える人はいても、最初の一歩を踏み出す人がいないのは日本人特有の性格。鈴木さんにそれがないのは、豊富な海外経験が他所と大きな差を生みます。

2009年独立、2011年『Office musubi』設立。

「会社設立後、最初のお客様は2社。どちらも『ジェトロ』の時に出会った方です。実は、今でもお取り引きさせていただいています」。

あの時、感じたことが頭をよぎります。「企業名」ではなく、「個人名」として、働く、生きる、その一歩を踏み出したのです。

近年では、前述の通り、大阪市北区中津の阪急高架下に『阪急電鉄』主催の『大阪フードラボ』を運営。飲食店の開業・起業や新規事業立ち上げに必要なノウハウを習得できる「育成プログラム」や「ビジネスマッチング」の機会を提供しています。

一見、多様なイベントスペースのように見紛うも、全てに共通していることは「挑戦」。日本初のフードビジネスインキュベーターの場こそ、『大阪フードラボ』なのです。

知名度を一気に上げたのは、ニューヨーク・ブルックリンで人気の移動型ファーマーズマーケット『SMORGASBURG(スモーガズバーグ)』の誘致でした。

「何事も徹底的にやらないと気が済まない性分で(笑)。『困ったときほど美味しいものを!』は、こんな難局を迎えても、シェフの活躍する舞台を作りたかった。自分たちでも医療従事者の方々を救えるんだという自信にも繋げてほしいと思った。お店を開けない、予約がない。みんなの苦しい姿を見ていますが、待っていても先が見えるわけではありません。であれば、掴みにいくしかない。私は私で、今回のプロジェクトをきっかけに、日が当たらない部分とより向き合うことができ、学びも多かったです。どこか一遍だけを切り取ってもいけない。何に基づいて活動しているのか、発信しているのか。何に基づいて大変なのか、苦しいのか。『大阪フードラボ』も考え方は同じです。受け身ではない、挑戦したい人が集う能動的な場所。日本はガラパゴスゆえ守られてきたものはありますが、人種や国境を超えてコミュニケーションしていく仕組みや戦い方は、まだ未成熟だと感じています。日本の当たり前は世界の当たり前ではない。安心感で群れることも良くないと思います」。

世界では、ひとつの街に様々な人種が暮らし、働き、生きる環境が形成されています。ゆえに各々が生まれた国や街への文化、歴史に対しての経緯が生まれ、多様性が創造されるのです。一方、地域によっては格差社会がはっきりしている現状もありますが、それでも真っ平らに同じ目線でいられる場所があります。それは「食卓」です。

「食卓を囲めば、みんなにこやか。世界共通、おいしいものを食べて嫌な思いする人はいませんよね? 性別や役職などは取り払われ、ファーストネームで呼び合える関係すら築けてしまうこともあります。おいしいは理屈じゃない。言語を超える。食べることは生きること。それは人としての本能。原動力にもなっている」。

『Office musubi』には、ものを結ぶ、人を結ぶ、ことを結ぶなど、「結ぶ」という想いを込めていますが、実はもうひとつメッセージが隠されています。それは、あえて大文字で記した頭文字の「O」と「musubi」を合わせた「おむすび」です。

「日本の食を世界に発信したいところから始まっているので、何かそれを彷彿させるネーミングにしたくて。私にとって日本の食といえばおむすび。実際、私の会社名は外国で“オムスビ”と呼ばれます。その時におむすびの説明をしてあげると会話も弾みますし、おむすびを通して、日本の文化や郷土を伝えてあげることもできる。もちろん、ご一緒する方々とは、実を“結ぶ”までやり遂げたいです」。

好きに勝るものはない。夢中に勝るものはない。

そんな心が鈴木さんを動かし、また周囲を動かしているのかもしれません。

食を通して挑戦する場として運営されている『大阪フードラボ』。これまで卒業した6名の中、開業できた事例もあれば、コロナ禍によって計画変更せざるを得ない事例もある。「彼らのためにも、一刻も早く日常が戻ることを願います」と鈴木さん。

『大阪フードラボ』は、大阪市北区中津の阪急高架下に位置。何もなかった場所に空間を生んだだけでなく、挑戦する人の人生も生んでいる。


Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

食べることは生きること。今こそ、誰かのために自分たちは生きる。

左より『リヴィ』山田直良シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『アニエルドール』藤田晃成シェフ。3人は同世代。常日頃から料理について語り合ってきたライバルであり、親友。今回は、それに戦友という絆も生んだ。

Part.2/Chef Interviews

ひとりではできないことも、3人ならできる。おいしいを信じることができた。

2020年2月より、急遽、世界中を襲った新型コロナウイルス。感染拡大に比例して深刻化されるのは、医療現場の崩壊です。

何とかしなければいけない。自分たちに何ができるのか。

そんな想いから発足されたのが、『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトです。

発信元は、食の都・大阪。

名シェフたちが手がけるお弁当を医療従事者に無償で届けるその活動をオーガナイズするのは、『Office musubi』代表の鈴木祐子さんです。

2020年5月にプロジェクト立案後、『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動。同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届けるその活動は、今なお続いています。

参画するのは、星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

中でも、初期より携わっているのは、『アニエルドール』藤田晃成シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『リヴィ』山田直良シェフの3名です。

同世代の彼らは、常日頃から結束は強く、今回の件も三枝教訓状、三本の矢の教えのごとく、口を揃えます。

「ひとりではできないことも、3人ならできる」。



鈴木さんのおかげで、自分たちは料理人として誇りを持つことができた。

今回、3人が『困ったときほど美味しいものを!』に参画するきかっけは、プロジェクトの立案者でもある『Office musubi』代表、鈴木祐子さんの呼びかけでした。

「鈴木さんに声をかけていただき、料理で医療従事者の方々を元気にさせることができるならば、むしろ、是非、参加させてください! そんな想いでした」と3人。

日本有数の繁華街・大阪は、新型コロナウイルスによって観光客は激減。追い討ちを抱えるように自粛や緊急事態宣言も発令され、飲食業界への補償問題は、救われる人と救われない人が二極化。未だその打開策は見えずとも、「料理人は料理を作りたい」、「料理で誰かを幸せにしたいの」です。

「自分が料理人になったきっかけは、人に喜んでもらうためでした。コロナ禍において、それができなくなってしまった。自分たちに何ができるのか、何をするべきなのか。未だ何が正しいのかその正解は分かりませんが、一番良くないことは何もしないこと。医療従事者の方々においしいお弁当で元気になってほしい。そんな気持ちで作らせていただきました」と山田シェフ。

「おいしいものを作ればお客様にいらしていただける。そう思っていました。しかし、そのおいしいものすら作ることができる日が来るなんて、考えたこともありませんでした。医療従事者の方々にお弁当を作らせていただける環境を与えられたのは本当にありがたく、レストランという環境以外でシェフが社会と関わるきかっけは、自分自身にとっても得ることが大きかったです」と藤田シェフ。

「改めて思ったのは、自分から料理を取ったら何も残らなかったんです。医療崩壊に関しては、ニュースや報道では目にしていましたが、あくまで想像の世界。入院すらしたこともない自分にとっては病院という場所もどこか遠く、今回のプロジェクトに携わるまでは、“わかったつもり”だったという“気付き”も得ました」と藤本シェフ。

藤本シェフの言う「気付き」。それは3人に共通する「気付き」でもあります。その「気付き」とは何か? 得られたきかっけは何だったのか?

「自分たちで作ったお弁当を直接、医療現場へお届けできたことでした」。

3人は、「手渡しできて本当に嬉しかった」、「喜んでいる人の顔を見ることができて、こちらが元気をいただいた」、「料理人で良かった」と、その時のことを振り返ります。

しかし、医療従事者という特定された職種や逼迫した労働環境、酷使された肉体や極限の精神状態の相手に供する料理とレストランで供する料理は、全く異なります。どうすれば「ゲスト」に「おいしい」と感じてもらえるのかではなく、どうすれば「医療従事者」に「おいしい」と感じてもらえるのか。

「まず、栄養をたくさん摂っていただきたいと思い、野菜を多めに取り入れたメニュー構成を考えました。あとは、いつ食べられるかわからないため、冷めてもおいしいもの。お弁当としておいしい料理は何か? 今、医療従事者の方々に必要な食事は何か? を考えました」と藤本シェフ。

「ある医療従事者が食事に関して投稿しているSNSを見たのですが、そこには、“疲れている時は塩分がほしい”、“硬い料理だと疲れてしまうので、柔らかい料理は嬉しい”、“味は濃いめだと今はおいしく感じる”などが綴られていました。やっぱり、自分たちが“おいしい”と思っている料理と今の医療従事者の方々が“おいしい”と感じる料理は違うんだとわかったんです」と山田シェフ。

「せっかくプロの料理人が作るので、普段では食べられないようなお弁当で元気になってもらいたいなと思いました。自分はフランス料理のシェフなので、創作性を加味し、例えば、黒オリーブを使った炊き込みご飯なども作りました。それを見て“わぁ!”って思ってもらえれば、その瞬間だけでも仕事を忘れ、心を癒していただければと。"新鮮な食材"を使うことも心がけました」と藤田シェフ。

前述の通り、自粛、緊急事態宣言、時短営業などによってレストランが厳しい状況であることは容易にしてわかります。そう考えるならば、藤田シェフの言う「新鮮な食材」の起用は一見難しいように感じますが、なぜ実現できるのか。それは生産者からの協力があるからです。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、医療従事者へお弁当を届けるという目的から始まりましたが、その領域を超えて大きな輪が広がり始めていると実感しています。何も言わずとも、“是非、参加させてください!”と手をあげてくださるシェフ、“是非、使ってください!”と提供してくださる一次産業の皆さま。大阪の枠を超え、近県の方々にもお力添いをいただき、様々な連鎖が起きています」と鈴木さんは話します。

「レストランも一次産業の方々も、もっと言えば、そうでないほかの色々な業種の方々も、今、みんな辛い。大変だと思います。それでも誰かのために何かしたい。何かしなければいけない。その“誰か”は、今回に関して言えば医療従事者。間違いなく、日本のために身を粉にしてくれています。それに対して各々が“何か”を働く。そんな思いで必死に生きているんだと思います。それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません」と4人。

「なのかもしれません」とあるのは、想像を超えて大きなものになり始めているから。

「困ったときほど」とあるも、みんな困っているはず。しかし、「もっと困っている人がいるから、その人のために」という精神によって、このプロジェクトは成り立っているのです。



料理人としての価値観は変わった。この難局から得るものはあったのか。

新型コロナウイルスによって、人と人とのコミュニケーションは遮断され、人類の日常は奪われてしまいました。そんな中、世界中に好転現象を見せているのは自然界です。

食材は、大地や海から生まれ、日々それと向き合う料理人は密接な絶対関係で結ばれています。

「本来であれば獲れるものが獲れなかったり。またその逆も然り。そういった収穫、漁獲状況を見ると自然に無理が生じていると思います。以前は、この食材と決めたもの一生懸命探して仕入れていましたが、今考えるとそれも無理があったのかもしれません。獲れないわけですから。それよりも、獲れるもので何ができるのか。獲れたものを無駄にしないようにできる料理は何か。そんな視点に変わりました」と藤田シェフ。

「発酵はまさにそれ。今獲れるものでどう長持ちするかを考える。先人たちの知恵ですよね」と山田シェフ。

季節の旬よりも今日の旬。自然の恵みは、人の都合ではコントロールできません。

「頭ではわかっているつもりでも、都会にいるとどこか麻痺してしまう。今回、レストランの営業ができなくなり、料理を作る環境まで失いかけてしまった。料理を作る感謝や生産者さんたちが送ってきてくれる食材への感謝。医療従事者の方々への感謝。様々な感謝によって価値観が変わったと思います。少しくらい歪な食材も無駄にしたくありませんから」と藤本シェフ。

『困ったときほど美味しいものを!』は、困ったときほど、発見をもたらす効果もあったのかもしれません。

「新型コロナウイルスによって、世界中の人が苦しい思いをしている。日本においては、これまで阪神大震災、東日本大震災などの強烈な天災を迎えたこともありました。その都度、考えるべき機会はありましたが、これまでと今回の大きな違いは、日本をはじめ、全世界で同時に難局を迎えたことにあると思います。我々は、同じ時代、同じ時間に、何か考えるきかっけになったのではないでしょうか。全員が当事者。何かを学び、次に生かさなければならない。そんなことも今回のプロジェクトで学ばせていたました」。3人は、じっくりと噛みしめるようにそう話します。

いつかの日常が戻った時、『アニエルドール』、『ディファランス』、『リヴィ』は、確実に深みを帯びたレストランになっているでしょう。

料理としての深み、シェフとしての深み、そして、人としての深み。

それは、困ったときに真摯に向き合った人のみ得られるギフト。

困ったときだからこそ得られたのかもしれません。

Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

春のオススメ商品

皆様こんにちは( ・∇・)

いかがお過ごしでしょうか??

倉敷では寒い日と暖かい日が行ったりきたりでもう少し春は遠そうです(。-_-。)


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さて、これから春に向かっていく中でオススメ商品がこちらです!




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スタッフに着てもらい写真撮影も行いました(´∀`*)







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まだ終わっていない。戦い続ける医療従事者へ、困ったときほど美味しいものを!

食を通して、医療従事者を元気にしたい。ただ、その想いだけで集まった『困ったときほど美味しいものを!』のプロジェクトメンバー。

Part.1 Chef Interviews

食の都・大阪の団結。星やランキングでは計れない、おいしい価値。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中は難局に陥りました。約0.1ミクロンのそれは、人々から日常を奪い、政治、経済などを根底から覆しました。

人類史上、経験したことのない猛威は、一瞬にして暗い影を落とし、それによって医療現場は逼迫。2021年2月、日本ではワクチン接種が始まるも、未だその正体は明らかにされていません。

その渦中、なんとか医療従事者を応援したい、元気にしたいと立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

そして、2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、医療従事者の方々へおいしいお弁当を無償で届ける活動です。

この企画に食の都・大阪の飲食業会も立ち上がります。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画。

しかし、大阪にも自粛の波はもちろん、緊急事態宣言も発令。時短営業など、飲食店も苦しい状況を強いられています。

では、なぜ参画するのか。目的はただひとつ。食を通して医療従事者を元気にしたい。

利己ではなく利他に。これは大会でもなければコンクールでもありません。

そこには、競い合う「シェフ」ではなく、助け合う「人」の姿がありました。

食だからできることがある。食にしかできないことがある。

「今回のプロジェクトは、今後、起こりうる災害時においても同様の取り組みが実施できるよう、継続的な構築を目指しています」と『Office musubi』鈴木裕子さん。

Part.1 Chef Interviews

落ち込んでいる場合ではない。自分たちよりも救わなければいけない人がいる。

「正直、自粛や緊急事態宣言の発令もあり、飲食店はどこも大変な状況が続いていました。しかし、落ち込んでいても何も始まらない。今できることをしなければ、ただ苦しかっただけで終わってしまう。全て前向きに向き合いたかった。『困ったときほど美味しいものを!』も前向きなプロジェクトなので、是非参加させていただきました」。

そう話すのは、取材日にお弁当作りに励む『市松』店主、竹田英人氏です。しかし、実際にやってみてわかることもしばしば。「美味しいもの(お弁当)は難しい!」と言葉を続けます。

「最初はおいしいものを入れればおいしくなると思っていたのですが、全然違いました。火入れや味付けはお店で出すものとは異なり、出来立て焼き立てと冷めてもおいしいは別問題。試行錯誤しました」。

そんな本日のお弁当は、鶏めしの上におかずがびっしり。つくね、うずら、手羽先、芽キャベツ、ししとう、生姜のきんぴら……。開けた瞬間、おもわずニヤリとしてしまうスマイルマークは「ほんの少しでもホッとしてもらえたら」と、ちょっとしたひと手間。

「お弁当を作ることによって、医療従事者だけでなく、一次産業も救える。生産者を守るには、まずは自分たちが料理を作り続けなければいけない。25年間、大阪で商売をしてきました。今も大切なお客様のおかげでこの店を支えていただいています。だから、今度は自分が誰かを支える番。今、自分にできることで恩返しをしていきたいと思っています」。

 スマイルマークに思わず頬がほころぶお弁当。「火入れや煮込み加減、味付など、お弁当だからおいしくなる工夫を凝らしました」と『市松』竹田英人氏。

『市松』と言えば、つくね。店内で食べる時と同様、竹田氏がひとつ一つ心を込め、丁寧に焼く。

「次また同じようなことがあった時、どうすれば強くなれるかを今回で吸収しなければいけない。試練を乗り越え、強くなりたい」と竹田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいだけでなく、お弁当を通して季節や移ろいを感じて欲しい。

「こんな時だからこそ、みんなで力を合わせられれば。一致団結することによって医療現場を少しでも救えれば」と話すのは、日本料理の老舗『柏屋』主・総料理長、松尾英明氏です。

「医療従事者の方々は、常に患者と向き合い、昼夜を問わず現場で戦い、身を粉にしています。おそらく、空を見上げることや景色を見る余裕もないかと思います。2020年2月より、新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、約1年。春夏秋冬が過ぎてしまいました。当然、その間には、お花見、クリスマス、年末年始などの催事もありますが、きっとそれらもお楽しみいただけなかったと思います。せめて、お弁当で季節も感じていただけたら。そんな想いで作らせていただきました」。

ごはんに彩りを添える蕗は、まさに旬。そんなおもてなしの心は、お座敷でもお弁当でも変わりありません。

「実は、“毎日、お弁当が楽しみでモチベーションが上がった!”という声を医療現場よりいただきまして。元気を届けるつもりで作ったはずが、逆に元気をいただいてしまいました。せめてお弁当を食べている時だけでも、医者や看護師という立場から離れ、素の自分に戻って、おいしく召し上がっていただければ何よりです」。

「ただおいしいだけでなく、食材や盛り付けで季節も感じていただければと思い、作らせていただきました」と『柏屋』松尾英明氏。

 日頃の感謝の気持ちをきちんと言葉に。お弁当の外側には医療従事者の方に向けたメッセージも添えられる。

 ひとつ一つ丁寧に梱包し、お弁当を箱に詰める。「おいしいお弁当で少しでも元気になってもらえれば嬉しく思います」。

「医療従事者の方々よりお礼の言葉も頂戴しました。結果、我々が元気をいただいています」と松尾氏。

店内には薬の神様で知られる『少彦名神社』のおまもりを飾る。この地域では、江戸時代のコレラも防いだ言い伝えも。

Part.1 Chef Interviews

おいしい日常を一流に。お弁当をひとつのギフトとして届けたい。

「ちょうど今日、お弁当箱の試作が届いたので、是非ご覧いただけますか?」。そう声をかけてきたのは、『楽心』店主、片山 心太郎氏です。

今回のプロジェクトを始め、コロナ禍によって始めたテイクアウト用に作った二重の印籠弁当は、面取りも成された職人技が光ります。更には、箱のサイズに合わせた袋まで特注!まさに二重の驚きです。

「お弁当の器まで喜んでいただきたかったというのはあるのですが、簡易的なものだと結露してしまったり、中身が傷んでしまったりしてしまうと思いました。いつ食べられるかわからないため、保存性も加味し、思い切って作ることに。これなら蓋を開ける楽しさもあると思いますし、そんな行為によって、少しでも笑ってもらったり、癒してもらったりしていただければと。お弁当の中身は、これから考案しますが、シンプルにお母さんが作るようなお弁当や日常の味を一流に仕上げられればと考えています」。

まるで、手土産のようなそれは、たくさんの人の想いが詰まったギフトのようです。

「お弁当なので、もちろん料理人が作りますが、その背景には、生産者がいて、お弁当箱を作ってくれた職人がいて、みんなの想いが詰まっています。おいしいだけでなく、そんな心も届けられたらと思っています」。

「お弁当をギフトのように医療従事者の方々へお届けできればと思っております」と『楽心』片山 心太郎氏。

 職人技が光る印籠弁当箱。開ける楽しみも嬉しいそれは、二重構造に。箱にあった袋も特注で製作。

Part.1 Chef Interviews

直接、医療従事者にお弁当を渡すことができた。店舗では得られない感動は、この先も心に刻まれる。

「実は以前、自主的に医療従事者への食事提供を試みたのですが、部外者が入るのは難しく、断られてしまったのです。その後、鈴木さんに声をかけていただき、今度こそ!」と、その想いを話すのは、『一碗水』南 茂樹氏です。

「お弁当に関しては、緊張感のある医療現場によって疲労困憊のため、体に優しいメニューを意識的に考えるようにしました。個人的に一番の体験は、医療従事者の方々へ、直接お弁当をお渡しできたことでした。また、作って届けるという行為は、店舗でお客様をお迎えするだけの行為とは異なり、能動的な活動。これは、飲食店を強くするヒントがあるかもしれないとも思いました」。

今回、医療従事者を支援する活動をするも、飲食業界も危機的状況。時短営業は客足を遠のけ、売り上げは激減しているところも多いですが、それでも南氏は「頼るだけでなく自立できる経営を飲食店は考えなければならないと思います。給付金も出ず、もっと困っている業界もありますから」と話します。

そんな自らの業界を客観視するも、取材中に料理を作る手は止めません。

「お店を閉めても料理を作らせてもらえる環境があるのは、大変ありがたいと思っています。今回のプロジェクトはビジネスではなく想いを届けるために参加させていただいております。医療従事者の方々もまた、ひとりでも多くの命を救いたいという想いで必死に働いてくださっています。自分にできることは料理しかありませんが、ひとりでも多くの方々においしいを届けたいと思います」。

「作ったお弁当を医療従事者の方々に直接お届けできたことは、今まで経験したことのない感情が湧き上がりました。皆様に感謝するとともに、自分も料理の世界で社会に貢献できればと思っています」と『一碗水』南 茂樹氏。

Part.1 Chef Interviews

お菓子で百薬の長を。おいしい本質は、心の健康にある。

「ビーツは栄養を吸収し、余計なものを輩出するスーパーフードでもあります。中身には、酸味を利かせたフランボワーズを忍ばせ、疲労回復にも効果的です。今の医療従事者の方々には適した食材かと思い、こちらを本日お届けします」。

そう話すのは、『餅匠 しづく』店主、石田嘉宏氏です。

「誰かに食べ物を提供する時は、論理的でなければいけないと考えます。なぜこの材料を使用しているのか、なぜこの色なのか、その理由を大切にします」。

おろし金で剃ったビーツは白布で濾し、絞った汁を使用。驚くべきは、その鮮やかな色もしかり、白布のその後にあります。

「真っ赤に染まった白布は、水で洗うと真っ白に戻るのです。理由は、着色料でなく、自然の色だから。つまり、この原理は体内でも同じことが起きているのです。安心して食べられるおいしさこそ、本当のおいしさ。そんなお菓子を医療従事者の方々に召し上がっていただければと思っています」。

もともと、石田氏が『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトに参加するきっかけは、鈴木さんのSNSの投稿でした。会わずともつながることができる環境においては、テクノロジーの進化による利点と言えます。最先端の技術革新は想いを結実させ、理に適った自然物の起用は、体に正しい効果を生みます。

「医学の父と呼ばれる偉人、古代ギリシアの医師のヒポクラテスは、“汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ”という言葉を残しています。我々が目指すのは、“お菓子で百薬の長を”。心の健康にこそ、おいしい本質はあると信じています」。

 ビーツで染めた求肥、フランボワーズを忍ばせ、しろあんで包んだ「フランボーワズ大福」。

 『餅匠 しづく』石田嘉宏氏自らドライバーに届け、各医療機関に。「医療従事者の方々を想い、丹精込めて作りました。想いは味に乗るのがお菓子です」。

「“お菓子で百薬の長を”。体にも良く、安心して食べられるおいしさこそ、本当の美味しさであり、心の健康」と石田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいは、正義だと思っている。だから、おいしいを届けたい。

「お客様のご家族に医療従事者の方がいらして。色々お話を伺い、その過酷な状況を直接知りました。そんな時に思い出したのは、東日本大震災のことでした」。

そう話す『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏は、震災時に女川町にも訪れ、支援活動をした経験を持ちます。当時、改めて気付かせてもらったことは、日常の豊かさと食の力。

「仮設住宅や家電など、設備は整っているものの、そこには生きる感覚がないと言うか……。どんどん消しゴムで色が消されていくようにモノクロの世界が広がっていました。そんな時、あるおばあちゃんに赤いビーツのパンを差し上げたら、泣きながら食べてくれて。“生きてて良かった”っておっしゃったんです。この言葉の重みが今も忘れられなくて」。

当たり前が失われた時、何気ない日常の豊かさに気づかされます。トーストを焼く匂い、コーヒーの香り、窓を開ければ肌を撫でる風……。

「今の医療従事者の方々は、我々以上に日常の豊かさを奪われてしまったと思います。食べているほんの少しの時間だけでも心身を解放してくれれば。そんな思いでパンをお届けしています」。

今回、誤解してはいけないことは、炊き出しではないということです。

「僕たちは、ただお腹を満たすだけの食料を作っているわけではありません。もしそうであれば、食べている時もずっと仕事のことを考えてしまいます。そうなってしまったら、プロとしての価値はありません。僕たちの料理は、食べて思わず言葉が出てしまったり、笑顔になったり。変わった味や具材があったら、なんだろう!ってワクワクしたり。食べている時だけでも日常に戻してあげたい。僕らの立場に置き換えると、疲弊している時にお客様から“おいしかったです!”って、ひと言言われるだけで頑張れる。力がみなぎる。誰かが見てくれていることや応援してくれることは、とてもエネルギーになると思います。僕たちは、医療従事者の皆さんが頑張ってくださっていることを、ちゃんと知っている。ちゃんと見ている。心から応援している。せめて、それだけでもこの活動を通じて伝えることができたなら、そう願っています」。

それはまるで、マラソンの掛け声のよう。「がんばれ!」、「 あと少し!」、「 みんな待ってるぞ! 」。沿道から飛び交うそれは、ランナーを後押しします。おいしいで医療従事者を後押しするプロジェクト、それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません。

「医療は医療のプロとして国民を救ってくれています。我々は食のプロとして、救える人を救いたい。それが使命だと思っています」。

「大それたことはできないかもしれない。まずは目の前にいる人に元気になってもらいたい」と『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏。

Text:YUICHI KURAMOCHI